奈良教育大学学術リポジトリNEAR
土器産地同定における考古学と自然科学 ―思考実 験的一アプローチ―
著者 平賀 章三
雑誌名 古文化財教育研究報告
巻 7
ページ 61‑67
発行年 1978‑07
その他のタイトル Archaeology and Natural Science to the Source Identification of Pottery −A
Thinking‑Experimental Approach−
URL http://hdl.handle.net/10105/351
土器産地同定 における考古学 と自然科学
一 思 考 実 験 的 一 ア プ ロ ー チ ー
Arehaeology and
一 一 ―A
平 賀 章 三
(奈良教育大学地学教室)
Natural Science to the source Id.entification of PotterY
Thinking-Experimental- Approach
- Shozo Hiraga
( Department of Earth Sc i-enc e , Nara Univers ity of Ed-ucat ion ,
Nara, JaPan )
口m
土器 を初 め とす る考古遺物 の産地系統 の推定か ら ,そ れ らを使用 していた当時 の人々の経済的・文 化的拡が り ,あ るいは交流の姿 を我 々は窺 い知 るこ とができる。 この ように ,考 古学 に とってきわめ て有用な情報が得 られるため ,そ の確実 さは ともか くとしても ,す べての考古学者は何 らかの方法で 産地系統 の推定 を試みて きた。 た とえば ,土 器 につ いてはその形態 。文様・製作技法・色調・ 胎土な
どについての肉眼的観察結果 をその主 な根拠 と して (小 笠原
,1973)行
なってきた。より客観的な推定 を目差 しては ,す でに
1938年
Bu ttlerとObenauerに
よ り,ド イ ツの Kbln―Linden tha l遺
跡 出土帯紋土器に対 し,岩石学的研究方法が適用されて多大の成果 を見た (佐 原,1970C,1971a,1971b)。
アメ リカで は1986年以来Shepardに
よ り,Pec os
ぉ ょび
Rio Grande上
流地方の彩釉土器 に対 して (佐 原, 1971C),さ
らに,イ ギ リスで も 1967年以来PeacOckを
中心 と して ,同 様の研究方法が駆使 されている (佐 原,1971d,
1972)。
また ,最 近 とりわけ精力的に遂行 されている,三辻 ら(1976a,1976b,1976C, 1977)に
よる須恵器産地分析の試みや,藁科 ら(1973,1975,1977)に
よるサ ヌカイ ト石器 の原産地推定な ども ,化 学組 成の地域特性に基づ くとい う点 に ,そ の客観性 を求めてい る。
この ように ,種 々の 自然科学の手法が考古学に応用 されて ,考 古学の結論に よ り客観性 を保証する のは事実である。 しか し,こ の考古学 と自然科学 の関係の極限状態 として想定 され,現代のイギ リス
序
において見 られるように (佐 原
,1971d,1972),は
た して自然科学の結論は考古学の結論に優 先す るのであろ うか。 あるいは逆 に,1980年
代 の ドイツにおけるよ うに (佐 原,1970C,1971a′1971b),自
然科学 の結論は考古学の結論に とつてあ くまでも補足的 なものに しか過ぎないのであ ろ うか。両者の新 たな係わ り合 い方 を ,土 器の産地同定 を素材に考察 したので報告す る。
土 器 の 〃
産 地 〃
と 従 来 の 同 定 土器 の産地 同定 を問題 とする際には,まず〃
産地〃
が何 を意味 しているのかについて,共通の理解 を得ておかねばな らない。
化学組成の分析 を中心 とす る ,自 然科学の手法に よる産地同定が試み られ始めた頃は,土器の主要 原料 である粘土の採掘地すなわ ち露頭 を,産地 とい う言葉か ら想起 し ,そ の可能性について否定的立 場 を採 る人 も多か った。なぜな ら ,あ る限定 された地域においてす らも,幾枚 もの粘土層が存在 して いるこ とは珍 しくなく ,そ の中の どれか一つに出土土器 を帰属させるこ とは ,自 然科学の手法 をもっ て しても ,と うてい不可能 と思 われたか らであろ う。 さらには ,素 地作製の段階に粘土調合や混和が 指摘 され てい る よ うに (佐 原
,1970a.1970b)
か な らず しも単 一の粘土 か ら土器 が焼 成 されてい る訳 では な い ,と い うことがす でに知 られて いたか らで あ ろ う。
したが って ,須 恵器 産地分析 に あた り窯 を産 地 と見 倣 して ,窯 跡 に 内蔵 され てい る須恵 器 片 か ら窯 の平均 化学組 成 を固定 して ゆ く ,と い う三 辻 ら
(1976a,
1976b,1976C,1977)が
採 った方 針 は当 を得 た もので あ つた。 同様 の理 由 で ,土 師器 の よ うに窯跡 が明 らかでな い (小 笠 原,1973)場
合 で も,′産 地〃 はその土器 が焼成 され た製作地 を意味 している と理解 す るのが妥 当 で あ り ,こ の よ うに とらえて も ,け っ し て考 古学 に対 し寄 与 しそ こな うもの では な い と思 われ る。こ こで
,土
器片 を試料 と して 手にす るまでの流 れ図 を描 いてみ る と,第
1図の よ うにな る。 また,議
論 をよ り明瞭にす るた めに
,土
器 製作 の模 様 を さ らに単純 に図式化 してみ る と,第2図の よ うにな る。粘 土 ・ 混 和 材
(交 易 )
使 用 ・ 埋 没 発 掘
第1図 試 料 土 器 の 流 れ 図
製 品
︵上 器
︶
′′
′ I A h
′′
′
1材 質
ヽ̲
ヽ
ヽ ヽ
ヽ 技 法 │
̲/ノ
ノ
第
2図
土 器 製 作 の 概 念 図第2図の〃材質〃
を ,主 として自然科学の手法に よる研究対象 として,また″ 技法〃
を,主として 考古学の手法に よる研究対 象 として とらえるこ とができるが ,そ れでは,物としては残 されていない, 場 で しかなか つた〃
産地〃
は ,い つたい どの よ うな手法に よ り明 らかにで きる とす るのであろ うか。
前述の須恵器 のように窯
(=産
地)跡が多数現存 している場合には ,そ こに内蔵 されている須恵器 片 を試料 と して ,自 然科学的 あるいは考古学的 に ,そ の産地の特徴 を浮 き彫 りにす るこ とが ,遺跡 1) 出土須恵器の産地 同定のための基礎研究 として追求 され得 る。 しか し ,組 文式土器・弥生式土器・ 土 師器 の よ うに現存す る窯 (あ るいは製作地=産
地)跡をほ とん ど期待 で きない場合には ,遺 跡出土土 器 を出発点 として ,産 地の具体的イ メージを構築 してゆ くよ りほかにない。従来,多くの考古学者 。自然科学者に よつて ,暗 黙裡に理解 されてきた遺跡出土二器の産地 同定 と は ,主 として自然科学の手法によ り材質 が ,主 として考古学の手法に より技法が ,そ れぞれ当該遺跡 に固有であるか否 かを半1定す ることであ つた。 そ して ,両 者の判定 が一致 したな らば ,試 料土器 は当 該遺跡 プロパーの物 であ り ,し たが つて産地は当該遺跡 を形成 した人々の集団領域 (清 水
,1973)
に含 まれている ,と ぃ った結論あるいは ,そ れは余所か らもた らされた物 であるすなわち輸入土器で あ る,と い つた結論 をかな りの迫 力でもつて示 している と,も ちろんの こ と見倣 されて きた。 しか し 不幸 にも ,両 者の判定が食い違 ったな らば ,よ り確実 と考 えられる方が他方 を事実上無視して ,結 論 を くだ して きたのが実情であろ う。
1)
須恵器 を製作 していた登窯跡 も遺跡 には違 いないが ,本 論文では ,そ の よ うなものは除外 し, さ らに ,主 として先史時代のもの を念頭 において ,以 下遺跡 とい う語句 を使用す るc土 器 産 地 同 定 へ の 思 考 実 験 的 ア プ ロ ー チ ここで ,あ る遺跡 に固有の材質 を〃
p〃 ,技 法 を〃 π〃
,産 地 を〃
P〃 とし ,そ うでない場合 を, それぞれ〃
百〃
,′万〃
,〃F〃 と して ,自 然科学・考古学両手法 の新たな係わ り合 い方 を考 えてみ よ う。す なわち ,材 質が主 として自然科学の手法により,あ るいは技法 が主 として考古学の手法に よ り明 らかに されるように ,産 地 も何 らかの手法によつて ,独 立に明 らかに され得たもの としてみるの で ある。つま り,産地 を従来のよ うに従属変数 (p→ P,あるいは π―
P)的
にではな く,独立変数的に とらえてみ よ うという訳 である。
す ると ,こ れ ら3変数の組合せは数学的には8通 りの場合が考 えられ,第 1表に示す通 りとなる。
第 1表 遺 跡 出土 土 器 に おけ る材 質 ・技法 ・ 産 地 の組 合 せ
*
記号の意味は本文参照のこと。a:材
質による従来の産地 同定の結論 と対応 している場合。b:技
法 による従来の産地同定の結論 と対応 している場合。C:遺跡 出土土器 にお いて現実的な組合せの場合。
①
o③・⑥
o③の場合は
,従来の主として自然科学の手法による産地同定と
,①o④・⑤・① の場合は
,従来の主として考古学の手法による産地同定と
,それぞれ一致した結論を得る場合である。なかんづ
く
(Dと① の場合は
,両手法による結論が一致している場合であり
,その意味するところは
,従来の同 定の節において
,すでに述べた通り 2)で ある。
ところで ,従 来のいかなる手法で も導 くことの不可能な結論 を示 している② と⑦ の場合はもちろん
2)
もっ とも,①
の場 合 に試料土器 が他遺跡 か ら製品 と してもた らされた とみ るには ,面がた とえ ばo,万
が ο,Pが oで
あ る こ とを,すなわ ち他遺跡 におけ る ① の場 合 に相 当 しているこ とを, あ らた めて示 す必要 が ある。材質* 技法* 産地* a b
① p π P ○ ○ ○ 当該遺跡 に もっとも一般的な場合。
② p π
一P
③ p 一π P ○ ○ 技法の模倣 あるいは陶工の移住が考 えられる場合。
④ p 一π
一P
○
⑤
一p
π P ○ ○ 原材料の輸入 (粘 上の交易 )が 考 えられる場合。
⑥
一p
π
一p
○
⑦
一p 一π
P
③
一p 一π 一P
○ ○ ○ 製 品土器 の輸 入 が考 えられる場 合。
の こと
,Cや
⑥ の場合 も,現代の複雑な経済社 会においてはいざ知 らず ,当 時 においてはきわめて非 現実的 な もの と考 えられる。 た とえば,②は材質・技法 ともに当該遺跡 に固有であ りなが ら ,産 地 だ けはそ うでない場 合 を表 わ してお り,現代社会では ,大 気汚染による住環境の悪化 を妹 つて工業地区 を別に区画す る ,と い うよ うなことがあ り得て も ,当 時 では考 えに くい場合であろ う。 また,④は当 該遺跡 に固有の ものが材質だけの場合で あ り ,は た して当時の人々が ,原 材料 を輸出 し製品を輸 入す る,といつた複雑な経済社会を形成 していたであろ うか ,疑 わ しいものである。この ような当時 にお いては非現実的な組合せの場合について も ,当 該遺跡に固有であるか否か ,事 実上 ,直 接的 に判定 し得ない産地について考慮 しなおせば,②は ① ,④はCい(シま⑤ ,⑦は ① の 場合に ,そ れぞれ帰着 して しま う (第 3図参照)。 そ して,最終的 に残 された現実的 な組合せ4通り の中には ,従 来 の産地同定ではけつして クローズア ップされ ることのなかつた,きわ めて示唆に富む
組合せの場合が二つある。すなわち
,技法の模倣あるいは陶工の移住が考えられる③ の場合と ,原 材料の輸入すなわち民族学的事実として知られている粘上の交易
(佐原 ,1970a)を 示す⑤の場 合とである。
これ ら二つの場合が顧み られてこなか つた事情は ,従 来の同定の節においてすでに述べておいたよ うに,材質 と技 法に対する当該遺跡 に固有であるか否 かの判定 が ,互いに食い違 つている場合のため, 産地 を材質 や技法 に対 して従属変数的に とらえる限 りは ,よ り確実 な判定 を取 り上げ したが つて他方 は無視す るよ りほかなかつたか らである。言 い換 えれば ,産 地 を独立変数的に とらえてみては じめて, これ ら二つの場合 を指摘す るこ とができた訳 であるが ,あ くまでも両者に対す る判定が確実であるこ とが前提 となってお り,も しも どちらか一方の判定 が不確実な らば ,正 反対の結論す ら導かれること に留意 しておかねばな らない。 この両者に対す る判定 の不確実 さか ら ,変 化 し得 る材質・技法 ・産地
―組合せの相互関係は ,第 3図にお いて示 してある。
第5図 材 質 技 法 産 地 ―組 合 せ の 相 互 関 係 数字・ 記 号は第 1表 の ものに対 応 し ,矢 印 は組 合せ の変化 可能 方向 を示 す。
結
論
以上の考察か ら明 らかなように,産地 が当該遺跡に固有である と見倣 される場合は,次の三つの扱 合である。
1)主
として 自然科学の手法に より材質が ,主 として考古学の手法に より技法が,それぞ れ当該遺跡 に固有であると判定 された場合 ,す なわち,も っとも一般的 な場合。2)両
手法に よ り互いに異なる判定 をくだされた場合の うち ,材 質 が当該遺跡 に固有であるとされた場合 ,す なわち ,陶 工の移 住が結論 される場合。3)両手法に よ り互 いに異な る判定 を くだされた場合の うち ,技 法が当 該遺跡 に固有であるとされた場合 ,す なわち ,原 材料の輸入が結論 される場合。 そ して ,試 料土器 が 製品 と して余所か らもた らされた と見倣 される場合は ,両 手法に よ り材質・ 技法 ともに当該遺跡 に固 有でない と判定 された場合のみである。
この よ うなきわめて有益 な結論 は ,主 として自然科学の手法による材質の研究 と,主として考古学
ゃ の手法による技法の研究 とが ,互 いに確実なデ ータを提供 しあつた場合にのみ手にす ることがで きる
ものである。 どちらか一方のデータが不確実であつた り ,欠 如 していた りす るな らば ,従 来の産地 同
.
定の域 を出るものではな く ,け つ して真の産地同定 を行な ったことにはな らない。
また ,土 器産地同定に対す る上記諸結論 は,思考実験的 アプローチ とい う方法 とも ども ,他 の考古 遺物 の産地同定においても適用で きる と思 われる。
謝
辞
本研究 は文部省科学研究費特定研究「古文化財」の「畿 内における考古遺物の材質の研究 (研 究代 表者 :奈 良教育大学教育学部教授 ,梅 田甲子郎)」 の端緒 と して,奈良県立橿 原考古学研究所・伊達 宗泰次長 な らびに石野博信課長 よ り提供 された纏 向遺跡 出土土器 の岩石学的研究 に先立 って行 な った
ものである。本研究の契機 を与 えられた両氏に対 し厚 く感謝す る。
奈 良国立文化財研究所・秋山隆保技官 には ,あ またの文献 を御教示 いただき ,ま た奈 良教育大学地 学教室・土 田栄子嬢には ,折 りにふれ討論の相手を務 めていただいた。本論文 をま とめるにあた りは なは だ有益であったことをここに記 し,両 氏に対す る御礼に替 えたい。
文
献
三辻利一 。武 内孝之 。中村
浩・桂川秀嗣・平賀章三 ・梅本秀樹
(1976a):須
恵器 産地分析 に関 す る基礎研究第一報
大阪陶 邑窯跡(1). 古文化財教育研究報告 ,第 5号
,17‑38.
―
・ 武内孝之 。平賀章三・ 桂川秀嗣・ 藤井繁治 。梅本秀樹
(1976b):須
恵器産地分析に関 す る基礎研究第二報
野中古墳 ,お よび J平 城宮跡 出土須恵器について
.
古文化財教育研究報 告 ,第5号,39‑47。
̲・
平賀章三・ 北定男・ 中川 良美
(1976C):須
恵器 産地分析 に関す る基礎研究第三報 須恵器 の化学組成 と焼成温度.古文化財教育研究報告 ,第 5号
,49‑61e
―一一一―・ 森島久伸・ 平賀章三
(1977):須
恵器産地分析に関す る星礎研究 (第4報 )朝 鮮,大阪 陶邑 ,北 九州出土須恵器 の相互識別.奈良教育大学紀要 ,第26巻
第2号,107‑123.
小笠 原好 彦
(1973
号
,26‑30.
佐 原
真
(1970a
一一―一
(1970b
―
(1970C
( 1971 a
( tgzt b ( rgzr c ( tgzt d
土器 と産地分析 一― 奈 良時代の上器 を中心に ―一 。考古学 と自然科学 ,第 6
(1).考古学研究 ,第 16巻
第4号
,107‑124。
(2).考古学研究 ,第 17巻
第1号
, 93‑101。
(3).考古学研究 ,第
17巻
第2号, 86‑96.
(4).考古学研究 ,第 17巻
第4号
, 81‑90。
(5).考古学研究 ,第 18巻
第 1号
, 53‑64.
(6).考古学研究 ,第 18巻
第2号
, 70‑80。
(7).考古学研究 ,第 18巻
第3号
,87‑95.
181.考古学研究 ,第 18巻
第4号
, 89‑102。
の集団領域 について一一 土器の顕微鏡観察か ら一一
.考
古学研究 ,―
(1972):一
清 水芳裕
(1973) :縄
文時 代第
19巻
第4号,90‑102
藁科哲男0東村武 信
(1973):
自然科学
,第
6号, 33‑42。一一一―・ 東村武 信
(1975):
自然科学 ,第 8号
,61‑69。
一―一一・ 東村武 信・ 鎌木義昌( 自然科学 ,第
10号 ,53‑81
土 器 の話
螢光
X線
分析法に よるサ ヌカイ ト石器の原産地推定t g't'l ) :
考 古学 と
(■
).考
古 学 と(Ⅲ