Japanese Journal of Human Geography (Jimbun Chiri)
京都祇園祭の山鉾行事における運営基盤の再構築
―現代都市における祭礼の継承―
佐 藤 弘 隆 *
(2016年4月19日受付,2016年8月2日受理) I はじめに II 京都祇園祭山鉾行事 1 山鉾行事研究の課題 2 高度経済成長期以降の山鉾行事と山 鉾町 III 山鉾町の町内構成 IV 各山鉾保存会の運営基盤 1 保存会の構成員―社会的側面― 2 補助金と事業収入―経済的側面― 3 町会所と空間演出―場所的側面― 4 運営基盤の多様化 V 船鉾町における運営基盤の再構築 1 保存会役員の構成―社会的側面― 2 初穂料の集金―経済的側面― 3 町会所の改修と空間演出の改善―場 所的側面― VI 都市祭礼の継承―おわりにかえて― 摘 要 2015年,文化庁は「山・鉾・屋台行事」をユネスコ無形文化遺産に再提案することを決定した。こ の行事は「地域社会の安泰や災厄防除を願い,地域の人々が一体となり執り行う」点に価値が見出さ れており,日本各地で本登録に向けて盛り上がりをみせている。しかし,現代都市の人口変動は「山・ 鉾・屋台行事」をはじめとする伝統的な都市祭礼の継承を困難にしている。本稿では都市祭礼の継承 のあり方を示すために,都市祭礼の運営基盤を社会・経済・場所的側面から調査する。事例とした都 市祭礼は京都市都心で行われる祇園祭の山鉾行事である。山鉾33基の運営基盤の現状とその変遷が統 計資料の分析やフィールドワークを通して明らかにされた。山鉾を持つ町内は同じ都心に複数あるが, それらは等質でなく,それぞれの人口や土地利用の現状に差異がみられる。そして,山鉾行事の運営 基盤もそれにともない再構築され,多様化していった。都市の変容にともなう祭礼の運営基盤の再構 築は,その継承につながっており,全国の都市祭礼の継承を考えるうえで重要な視点となる。 キーワード:都市祭礼,運営基盤,人口変動,京都市都心,祇園祭山鉾行事 * 立命館大学大学院文学研究科・院生 E-mail: [email protected]The Restructuring of the Management Bases of Yama-Hoko Events of
Gion Festival in Kyoto: Succession of Urban Festivals in the Current City
SATO Hirotaka
Graduate student, Graduate School of Letters, Ritsumeikan University
(Received on 19 April, 2016; Accepted on 2 August, 2016)
In 2015, the Agency for Cultural Affairs, Japan, decided to re-propose “Yama-Hoko-Yatai Events” for a UNESCO Intangible Cultural Heritage. The Agency sees the events’ values in the fact that people in local communities all together commit to the events, wishing for their communities’ peace and disaster-prevention. The events have been gathering momentum for their registration all over Japan. On the other hand, dynamics of populations in cities these days make the passing down of urban festivals more difficult. This paper, therefore, investigates the management bases of urban festivals from social, economic and locational aspects in order to suggest how to pass them down to following generations. As an example, the paper takes the Yama-Hoko Events of the Gion Festival that takes place in the center of Kyoto City every July. My fieldwork and statistical analysis reveal the current situation of management bases of 33 Yama-Hoko floats and their historical changes. The districts which own the floats in the city center are different from each other in terms of demography and land use. So are their management bases, reflecting the differences of the districts. What my research finds out is that such historical changes in demography and land use resulted in restructuring of each float’s management base. Changes in urban structure led to restructuring of the management bases of urban festivals, which affects how urban festivals are passed down from generation to generation. This paper, therefore, insists that we need to pay more attention to the restructuring of the management bases when considering the succession of urban festivals all over Japan.
Key words: urban festivals, management bases, dynamics of populations, center of Kyoto City, Yama-Hoko Events of the Gion Festival
I はじめに 高度経済成長期以降,現代日本の主要都市では 都心や郊外で激しい人口変動が起こった。日本の 主要都市は中世や近世を起源とする場合が多く, 都市の変容は伝統的な住まい方や,住民によって 創出された都市文化に影響を与えている。なかで も都心の住民構成には不均一性が生まれ,経済や 政治,文化面で様々な変容がおきている(山神, 2003; 宮澤・阿部, 2005)。 城下町や宿場町などの歴史的都市での伝統的な 住まい方として,町家における職住一体1) があげ られる(能島, 2001)。近年,町家は日本の都市文 化を形成し,支えてきたものとして高く評価され, 各都市の行政を中心に保全事業が活発に進められ ている(京都市, 2000; 川越市, 2009; 金沢市, 2013 など)。しかし,住民の生活様式の変化や相続税 の問題などによって,多くの町家は後継者不在や 1) 本稿では,商業的機能と居住的機能を有した住居での生活を職住一体と呼ぶ。
祭礼は柳田(1956)によって明確に定義され たが,その後すぐに学術的な研究対象として取り 上げられたわけではない。都市的な祭りである祭 礼の存在は認識されていたものの,当時の祭り研 究の関心は物忌みや奉納行事など村落的な祭祀に 向けられていた。都市祭礼が研究対象になり始め るのは1960年代後半で,宗教学者の薗田(1969) や柳川(1987)による先駆的研究があげられる。 特に,柳川(1987)は祭礼に参加する組織間の 優劣と,それによる親和や対抗の存在を見出した。 その後,社会学や文化人類学の視点から,中村 (1972)や米山(1974)などによって祭礼を運営 する人々や組織に対して詳細な調査研究がなされ た。とりわけ,米山(1974)は各町内における 役割同士の緊張関係の存在や,山鉾の運営状況の 差異の存在を見出し,現在に続く都市祭礼研究に おける基礎的な視点を提示した3)。しかし,この 研究は調査対象である祇園祭の記述的な事例報告 にとどまっており,全国の都市祭礼に一般化され る考察や都市構造の変容と結びつけた考察として は不十分であった。 1970年代後半から1980年代にかけて,都市祭 礼の運営から都市の社会構造を読み解く研究が, 社会学を中心に始められた。和崎(1976)は京 都の五山送り火における担い手の参加度合から彼 らの居住地域に内部構造と外部構造が現れるとし, それは社会・歴史的に規定されていることを明ら かにした。また,有末(1983)は東京の住吉大 祭について,江戸時代からの歴史を持つ佃と明治 以降の埋め立てによる月島をそれぞれ内部と外部 とに二分し,地域の社会構造が祭礼を担う組織や 事業ビル・マンションへの建て替えを余儀なくさ れ,そこでの生活は困難となっている(橋本ほか, 1991; 鈴江ほか, 2012)。このような状況において, 伝統的な都市文化の継承も容易でなく,住まい方 を多様化させた現代の都市住民による,それらを 継承するための枠組みの構築が急がれる。 現代都市に残された伝統的な文化の一つに,都 市祭礼があげられる。柳田(1956)は,祭礼を 風流とそれに対する見物人が存在し,中世以来の 都市文化のなかで発達してきた都市的な祭りとし て定義し,祭祀と区別した。そして,1960年代 から70年代にかけて,社会学や文化人類学におい て都市の社会構造を反映するものとして都市祭礼 の研究が進み,やがて地理学や建築学など幅広い 分野でも報告が蓄積された。 2015年,文化庁は都市祭礼の代表的な形態で ある「山・鉾・屋台行事」をユネスコ無形文化遺 産に再提案することを決定した(文化庁, 2015)。 これらは「地域社会の安泰や災厄防除を願い,地 域の人々が一体となり執り行う」点に価値が見出 され,各地で本登録に向けて盛り上がりをみせて いる2)。『平成「祭」データ』(神社本庁, 1995)を みると,日本全国で山・鉾・屋台の出される祭り が10,951件抽出された。これらは沖縄県を除く日 本各地の都市,特に大都市圏において密集し,こ れらの多くが激しい都市の変化を受けながら継承 されているのである。そこで本稿では,高度経済 成長期から現在かけての都市住民の住まい方の多 様化にともなう都市構造の変容と,山・鉾・屋台 の運営の変化の関係性を明らかにし,都市祭礼の 継承のあり方を考える。 2) 「ユネスコ登録へ盛り上がり 那須烏山市の山あげ祭」産経フォト http://www.sankei.com/photo/daily/news/160220/ dly1602200006-n1.html(2016年02月29日閲覧) 「 愛 知 )「 山 車 日 本 一 」 宣 言 オ ー ル 愛 知 で 盛 り 上 げ 」 朝 日 新 聞 デ ジ タ ル http://www.asahi.com/articles/ ASHDG2R4KHDGOIPE001.html(2016年02月29日閲覧)
「「新庄まつり」かるたで PR」河北新報 ONLINE NEWS http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160221_ 55047.html(2016年02月29日閲覧)など
3) 米山は複数人の学生を各山鉾町の調査へ派遣し,1970年代の祇園祭の運営を網羅的にまとめた。その結果から 京都という都市を捉えようとした。
京神田における神輿の担ぎ手が人口減少により町 内住民から元住民や知人・友人,そして外部団体 へと変化したことを明らかにした。平は都心にお ける住まい方の変化と,それにともなう人口減少 を分析し,そのなかで祭礼が縮小・簡素化されな がらも運営されていることを示した。これによっ て,都市地理学的視点から都市文化の継承を示す 有効性が示されたといえる。しかし,既往の都市 地理学の研究では,都市部の人口変動やそれに よる住民構成の変化(宮澤・阿部, 2005)や,都 心部におけるオフィスの立地傾向の変化(古賀, 2007),都市における住民と住宅動向の変化(堀内, 2009)などが明らかにされてきたものの,都市住 民によって創出された伝統的な文化への影響まで 言及したものは少なかった。平の論考でも,祭礼 は都心のコミュニティ変容の一事例に過ぎず,祭 礼運営の全体像までは捉えきれているといえない が,都市地理学的視点から都市文化の継承に言及 した点で,この論考の試みは高く評価される。 地理学において文化的事象を扱う分野として文 化地理学があるが5),都市祭礼の継承を考えるう えでは,祭礼を支える都市の社会構造や運営組織 などを都市・社会地理学的視点から捉えることが 有効である。そこで,本稿では,都市地理学的視 点による都市構造の分析と社会地理学視点からの 都市祭礼の運営組織,およびその基盤となるもの の分析を進め,都市祭礼の継承を考察する。既往 研究では,都市構造の把握のために付加的に位置 付けられることが多かった祭礼研究であるが,本 研究のアプローチは都市祭礼の継承のあり方を考 えるうえで重要であり,地理学としての文化遺産 の保全・継承への貢献にも繋がる。 運営に反映されているとした。都市祭礼の運営に 現れる人間関係に注目した米山(1974)の視点 に加え,これらによって都市祭礼の運営にみえる 人々や地域の関係から都市の社会構造を捉えるこ との有効性が実証された。 これ以降,地理学や建築学など複数の分野にお いても同様な視点から都市祭礼を取り上げた研究 がなされた。特に,地理学では,社会地理学的視 点から研究がなされている。代表的なものとし て,遠城(1992)は日常と博多祇園山笠での内部・ 外部からの各担い手の対立関係から都市空間にお ける共同性を見出した。都市の近代化により,人々 が従来の諸関係の脆弱化や生活の全体化に直面し, 祭礼において従来の共同性を回復させていること が指摘された。また,新田(2000)は茨城県石 岡市の都市域の拡大にともなって,祭礼への参加 地域も拡大することに注目し,各町内の人々の参 加形態の差異による同心円状の地域区分を設定し, それは都市化の時期や住民構成の反映とされた。 このように社会地理学では,都市祭礼の運営に関 わる人々の関係や地域関係から都市の社会構造が 読み解かれてきた4)。祭礼が都市の社会構造を明 らかにするための調査対象として扱われることで, お互いの関係性は広く認められた。しかし,既往 研究では,都市構造と祭礼の運営との密接な関係 を取り上げていたにも関わらず,都市祭礼の継承 自体への考察は研究の目的とはならず,日本各地 の都市祭礼の継承のあり方が一般化される形で示 されることはなかった。 また,都市地理学でも祭礼を取り上げた研究が みられた。平(1990)は都心の人口減少にとも なうコミュニティの変容を考察するうえで,東 4) 歴史地理学では,本多(2009, 2012)や渡辺(1999, 2002)によって中・近世の都市祭礼の研究がなされ,当時 の祭礼から前近代の都市における空間構造が明らかにされている。 5) 文化地理学的視点から祭りを取り上げた研究として,内田(2001, 2002)が挙げられる。内田は高知のよさこい 祭りや青森のねぶた祭りの全国的伝播から現代的な伝播のしかたや都市域における市民参加型の祭りを行うこと による地域振興の実態を明らかにした。文化地理学では,新たな都市文化の創出として市民参加型の祭りが取り 上げられているものの,伝統的な都市祭礼の運営基盤に関する研究はみられない。
2 高度経済成長期以降の山鉾行事と山鉾町 毎年7月に開催される八坂神社8) の祭礼である 祇園祭の本質は神輿渡御にあり,山鉾は町衆に よって独自に発展した風流である(植木, 2001)。 現在の山鉾行事の形態はすでに16世紀にはほぼ 成立していたとされ,幾度の災害に見舞われなが らも,そのたびに町衆が復興・発展させながら現 在まで継承してきた。山鉾巡行は神輿渡御に合わ せて2度行われ,神幸祭9) に付随した山鉾巡行は 前祭,還幸祭10) に付随したものは後祭と呼ばれる。 山鉾の形態は大型の鉾と曳山,小型の舁山と傘鉾 に分けられ11),それらは山鉾町と総称される町単 位で継承されている(第1図)。天明や元治の大 火により山鉾が焼失し,未だ復興されていない休 み山2基を除くと,実に33基の山鉾が各山鉾町で 継承されている12)。 山鉾巡行のルートは第二次世界大戦後の復興後, 観光戦略や補助金増額,交通の問題,衣料関係業 者の商戦などの理由から何度か大きな変更がされ ている(第1図)。高度経済成長期以降,山鉾巡 行は京都という都市の持つ様々な事情によって巡 行路や日程が変更されながら継承されてきたので ある13)。巡行路や日程の変更のような大きな決定 は,各山鉾の代表者の協議により決定される。そ のような協議や山鉾巡行の全体に関わる執行を担 う組織として公益財団法人祇園祭山鉾連合会(以 II 京都祇園祭山鉾行事 1 山鉾行事研究の課題 本稿では京都市都心の変容にともなう祇園祭山 鉾行事の運営の変化について調査・分析を行い, そこから都市祭礼の継承のあり方を示す。祇園祭 は京都市都心で行われる日本を代表する都市祭礼 であり,全国の山・鉾・屋台行事の源流ともされ ている。この運営を扱った研究は複数存在するが, ほとんどの研究は単一の山鉾を事例として取り上 げ,それを山鉾行事全体の現象のようにしている6)。 それは,祭り期間中に複数からなる山鉾町の同時 調査が困難なためであり7),現実では,山鉾町に よって運営の方法や課題の内容・大きさに差異が みられる。よって,山鉾行事の継承について正確 に捉えるためには,全ての山鉾町を個別に捉えた うえで,調査・分析方法を一定にする必要がある。 そこで,本稿では,各町内において,職住を行う 住民や事業者の構成を町内構成と呼び,その特徴 から各山鉾町を分類する。そして,各山鉾の運営 基盤の現状について,後述する社会・経済・場所 の3側面から比較検討する。それによって,重要 な課題を有している山鉾町に対象を絞り,運営基 盤の変容について詳細な分析を行う。 6) 佐々木・本夛(2003)は太子山,野口(2013)は鯉山において,マンション住民が山鉾行事に参加する過程を 明らかにし,樋口(2014)は鶏鉾において,事業者を中心とした保存会の組織や作事方の組織について明らか にするなど,単一の山鉾を対象とした研究が多い。 7) その点でいえば,ほとんどの山鉾町に学生たちを派遣して調査を行った米山(1974)の成果は大きい。しかし, この調査も各学生の視点で調査されているために共通の視点の欠落や,情報量のばらつきがあり,同条件におけ る各町の比較がしづらい。また,都心部の変容への関心が希薄である。 8) 京都市東山区に所在する。かつては祇園社と呼ばれた。 9) 神社の祭神を神輿に乗せ,氏子圏を回り,市中の御旅所に迎える。八坂神社の氏子圏は鴨川以西,大宮通以東, 松原通以北,二条通以南の範囲である。 10) 御旅所に迎えた祭神を神輿にのせ,氏子圏を回り,神社へ還す。 11) 鉾と曳山には車輪がついており,曳かれて巡行する。鉾には真木とシンボルである鉾頭が立てられ,曳山には真 松が立てられる。舁山と傘鉾は担がれて巡行する。舁山の上には御神体人形や社殿が飾られ,傘鉾は傘の形状を している鉾が立てられる。 12) 2014年に大船鉾が150年ぶりに復興することで巡行に参加する山鉾が33基となった。後祭の鷹山(衣棚町 : 3)と 布袋山(姥栁町 : 9)は復興されていないが,2015年から鷹山の囃子方が組織され,復興に向け動き出している。
第1図 山鉾町と山鉾巡行路 Figure 1. Yamahoko town and the Yamahoko road 資料:筆者作成
的側面),場所(場所的側面)の確保を行っている。 人員確保は町内から保存会役員や手伝いを確保す るだけではなく,囃子方14) や作事三方15),曳き(舁 き)手16) など町外の技能集団への依頼,学生や一 般市民からのボランティア・アルバイトの募集な どにわたり,祇園祭独自のネットワークが築かれ ている(樋口, 2012, 2014)。また,資金確保は山 鉾連合会を通して得られる補助金17) や町内外から の寄付金,粽18) ・御守りなど授与品販売の収益な どによる(山田ほか, 2008)。そして,場所の確 保については,宵山19) における町内の空間演出や 町会所20),山鉾の収蔵場所21) の確保などが行われ る(谷・増井, 1994)。 山鉾町は中京区と下京区に位置し,「田の字地 区」と「職住共存地区」と呼ばれる京都市の新景 観政策において都心と定義されている区域の西側 部分に位置する(京都市, 2011)(第1図)。この 下,山鉾連合会)がある。ただし,33基の山鉾の 運営は33町の山鉾町によって独立されており,山 鉾連合会は山鉾行事の統括組織であるものの,各 山鉾の運営に対する権限は持ち合わせていない。 各山鉾の運営や継承は,各山鉾町で組織される公 益財団法人や任意団体の保存会に一任されている のである。平(1990)の論考では,神輿の担ぎ手 という祭礼をみるうえで,表舞台に現れやすい役 割を担わされた集団に注目していた。しかし,実 際に山鉾行事を運営し,継承する組織は保存会で あり,都市祭礼の継承を考える際には,山鉾行事 の保存会のような祭礼のマネジメントを行う中心 的な組織である運営組織に目を向けるべきである。 よって,本稿の目的到達においては,保存会によ る各山鉾の運営に焦点を当てる。 保存会のおもな仕事は山鉾行事の運営基盤を構 築することで,人員(社会的側面)や資金(経済 13) 本来,前祭と後祭は日程もルートも異なっており,1955(昭和30)年まで前祭が四条烏丸を集発,四条寺町を南下, 松原寺町で西進,松原烏丸で解散,後祭は三条烏丸を出発,三条寺町を南下,四条寺町を西進,四条烏丸で解散 だった(京都市 , 1967)。1956(昭和31)年,京都市による観光戦略や補助金増額の関係により,前祭における 松原通の巡行が廃止,四条寺町を北上し,御池通を通った。1961(昭和36),前祭の巡行は,寺町通の北上が河 原町通の北上に変更された。1966(昭和41)年,交通の問題,後祭の活性化や衣料関係業者の商戦の変化のた め後祭の巡行は前祭の後方に一本化された。2014(平成26)年,元治の大火以降,失われていた大船鉾の復活 と合わせ約半世紀ぶりに後祭が本来の日程で行われた。 14) 鉾と曳山の上では,太鼓や笛,鉦を用いた祇園囃子が演奏される。これを演奏する技能集団は囃子方と呼ばれる。 現在では,町内会や保存会と構成員が重なる部分もあるが,本来,町外から人員が集められた。 15) 山鉾を建てる際,手伝い方(てったいかた),大工方,車方と呼ばれる技術集団が保存会に雇われる。手伝い方 は骨組み,大工方は懸装品や屋形,車方は車輪の組立てや取り付けを担う。巡行時,手伝い方は音頭取りを行い, 大工方は鉾の屋根の上で建物の看板や屋根,電線などの障害物から真木を除け,車方は辻回しや車輪の操作を行う。 16) 鉾と曳山を曳く人々は曳き手,舁山と傘鉾を担ぐ人々は舁き手と呼ばれる。かつては近郊農村から雇われていた が,郊外が都市化するに伴い大学生が雇われた(轟 , 1997)。近年では「ボランティア21」という組織から応募 団体が派遣される。 17) 山鉾連合会は行政の補助金や観覧席の収入を一括で受け,各山鉾に配分している。 18) 玄関の軒先などに飾る厄除け。本来,粽は町内の住民や囃子方が買い取り,関係者に配った授与品だが,1960 年代頃から観光客に販売されている。 19) 京都祇園祭における山鉾巡行の前日のこと。前祭は16日,後祭は23日が宵山にあたる。宵山の2日前辺りから 宵々々山,宵々山などと呼ばれ,各山鉾町は観光客で賑わう。 20) 町会所に関する最初の記述は1596(慶長元)年の『鶏鉾町法度』に見られ,京都のほとんど町で寄合いや年中行 事を行う際のコミュニティセンターや,町内の行事で使用する道具を保管する収蔵施設として機能していた。現 在も山鉾町に多く残されている町会所では,宵山の2.3日前から会所飾りが行われ,お飾り場として機能する(川 上ほか, 1975)。 21) 多くの場合は町会所に収蔵庫も備わっているが,一部の町では町内の別の場所や町外に収蔵庫を設けたり,八坂 神社にある合同収蔵庫を使用したりしている。
図は山鉾町における京町家や事業ビル,マンショ ンの分布状況である。 新町通や四条西洞院の南西の山鉾町では,現在 も京町家が多く残されている。これらには職住一 体を継続している世帯もある。しかし,大半の京 町家は世帯主の高齢化や後継者不在などの影響で, 商売を廃業し,居住機能だけ残されたり,商業機 能のみを都心に残し,居住機能を郊外や近隣のマ ンションに移したりする場合が多い。いずれにし ても,京町家の所有者は,一世代前までは職住一 体の生活をしている場合が多く,山鉾行事の運営 に長く関わってきた世帯であるため,現在におい ても重要な立場に就くことが期待されている。一 部の京町家では,所有権が譲渡される場合もある。 その場合,新所有者であっても運営に関与できる。 新築の戸建てに建て替えた者や転居してくる新住 民についても同様で,山鉾行事の運営への参加に おいて重要なのは,新旧や住民か事業者かに関わ らず,戸建ての建物を所有しているかである。 一方,京町家も含めた賃貸物件に入居する住民 や事業者は,町内会には加入していても,基本的 に保存会による各山鉾の運営に深く関与できな い。これは,定住性が低いと考えられる借家人は 山鉾行事には関われない,という前近代的な山鉾 行事の運営方法の名残である。明治期には,各山 鉾町の財政危機によって山鉾行事の運営に借家人 を協力させる町則が天神山町(13: 霰天神山)で 定められるが(小林, 2007),それ以前は家持に 限定されていた。明治後期から大正期にかけては, 百足屋町(12: 南観音山)において借家人の権利 が主張されるようになり,祭礼のみならず町の自 治にも参加するようになったが,昭和初期になる と「適任者」による町の自治へ移行され,再び定 一帯は前近代より繊維関連業で栄え,人々は職住 一体の住まい方を基本としていた。現在,この地 域には,四条通と烏丸通の交差点(以下,四条烏丸) を中心に金融機関や全国企業の支社が集積してお り,京都市の中心業務地区として機能している。 行政区別の人口変動をみると,1950年代以降, 中京区や下京区など京都市の中心部の行政区では, 人口減少が続いていた22)。その間,伏見区や西京 区など郊外の行政区では,人口が増加しており23), 当時,都心から郊外への人口流出が進んでいた。 しかし,1995(平成7)年以降,中京区と下京 区では,人口増加の傾向がみられた24)。この時期, 日本の主要都市では,同様の変化がみられ,都心 の再開発により都心人口は増加していた。 京都市都心における人口変動は繊維関連業を中 心とした職住一体の住まい方が崩壊し始めたこと に起因する。例えば,都心に商業的機能を残し, 居住的機能を郊外へ移すことで,伝統的な京町家 が事業ビルへと建て替わるケースが多くみられた。 そして,1990年代にはバブル崩壊の影響で繊維 関連業が衰退し,1990年代後半には事業ビルや京 町家の跡地にマンションが立地するようになった (古賀, 2007)。京都市内での人口増加と住宅の動 向を元学区別に分析した堀内(2009)も,山鉾 町が含まれる都心の元学区をマンション建設によ り人口増加した地域として分類した。このように 京都市都心での住まい方は多様化したのである。 III 山鉾町の町内構成 京都市都心での住まい方の多様化を把握するた め,山鉾町で職住を営む住民や事業者とそこに立 地する主要な建物との関係について捉える。第2 22) 1960年から1995年にかけて,中京区の人口は163,572人から91,062人に,下京区の人口は146,174人から70,662人 に減少した。 23) 伏見区の人口は1960年から2000年にかけて,135,293人から287,909人へ増加し続け,西京区は1975年から2000年 にかけて,71,877人から155,928人へ増加し続けた。 24) 中京区と下京区の人口は2010年の時点で,それぞれ105,306人,79,287人まで増加した。
第2図 山鉾町の建物分布
Figure 2. Building distribution in Yamahoko town
外の企業がマンション所有者となる場合,経済的 な面での貢献はあっても,その企業の大半は保存 会の活動に人員を派遣しない。 これらのマンションには賃貸タイプと分譲タイ プがある。賃貸の場合,入居者は比較的に短期間 で転出したり,経済的に余裕がなかったりするた め,基本的に町内会や山鉾行事の運営への関与が 認められない。しかし,分譲の場合には強制でな いものの,積極的な入居者の参加が期待される傾 向がある。そのため,町内に建つマンションが賃 貸か分譲であるかによって,マンション住民の山 鉾行事への関与の有無が変わってくるのである。 また,職住分離で,町内に商業機能のみ残してい る者のなかには町内や近隣のマンションに入居す る者もいる。彼らの場合,町内に商業機能を有し ている限り,賃貸や分譲に関わらず,引き続き, 山鉾の運営に関わることができる。 このように山鉾町は同じ都心に位置していても, その位置によって立地する建物の傾向に差異がみ られ,必ずしも等質な地域といえない。それにと もない,各山鉾町の町内を構成する住民や事業者 にも差異が生まれ,各保存会における山鉾の運営 基盤も異なるである。この町内構成の特徴ごとに 各山鉾の運営基盤を捉えるため,本稿では2010年 国勢調査の町丁別集計から求めた居住年数20年 未満人口の割合,借家世帯の割合と2012年ゼン リンの建物ポイントデータから算出した事業所数 の各指標を用い,各山鉾町をクラスター分析で分 類した(第3図)26)。各山鉾町における町内構成 の特徴は3つに大別することができる。ほとんど が事業所で構成され,町内居住の世帯が無い,も しくは数世帯のみの山鉾町はクラスター A とな り,町内を構成する住民のうちマンションを含め 住性の高い家持が町会議員に選ばれ,祭礼の運営 が行われた(奥田, 2010)。このような経緯もあり, 現在も家持中心の運営が続けられ,借家人が深く 運営に関わる例は少ない。ただし,町会所の借家 人や居住年数が長い借家人など一部の者は山鉾行 事の運営に関わることが認められ,保存会の役員 など重要な立場となる場合もみられる。 四条烏丸に近接する町では,町内に建つ建物の ほとんどが事業ビルである(第2図)。これらは 2種類に大別され,土地の所有者が自らの京町家 などを事業ビルに建て替え,引き続きそのビルの 所有者となるものと,土地売却につき事業ビルが 建設され,町外の企業がそこの新所有者となるも のがある。また,それぞれに,所有者自らが事業 をする場合と複数の事業者にテナントとして貸し 出される場合がみられる。いずれにしても事業ビ ルの所有者は町内会の構成員であり,その事業者 は戸建て所有者と同様に保存会で重要な役に就く ことが期待され,「通い町衆」と呼ばれる25)。テ ナントを借りる事業者は借家人と同様で,運営へ の関与が少ないため,通い町衆とはいえない。し かし,彼らからの町内会費や寄付金は,少なから ず経済的な面での山鉾行事を支えている。 室町通や新町通では,マンションが多く立地し ている(第2図)。これらも事業ビルと同様に以 前の土地所有者が引き続きマンションの所有者と なるものと,売却された土地にマンションが建 設され,町外の企業が新所有者となるものがあ る。以前の所有者がマンションの所有者となる場 合,そのマンションに大家として住まうことが多 い。引き続き,その大家は旧住民として運営に関 与する。また,町外へ転出するマンション所有者 もいるが,その場合は通い町衆となる。一方,町 25) 公益財団法人函谷鉾保存会理事長の桜井氏が用いている表現(京都新聞2011年7月9日)。これと同様の定義の 言葉として「町衆企業」がある(三村・リム , 2001)。本稿では,町内に本店・本社,または,その地方の拠点 となる支店・支社を置く企業で,土地と建物を所有し町外に居住している事業者を「通い町衆」とする。 26) 山鉾町の分類と例として,樋口(2014)の論考が挙げられるが,分類の基準が明確でなく,どの山鉾町がどの タイプに分けられるのか全てを提示していない。
参加 b:手伝い(未入会) c:一般会員 d:役 員 のうち最高でいずれの立場に該当するか ③ 町内居住者や事業者以外の参加者がいる場合どの ような人々か 第4図は,クラスター分析とアンケートの結果 を地図化したもので,町内構成の特徴に加えて, アンケート調査で明らかになったマンション住民 の保存会への参加度合を示している。クラスター A には,四条烏丸に近接した町が分類された。こ こでは,事業ビルが町内の大部分を占め,町内居 住の世帯がほとんどいないため,マンション住民 の参加もない。このような山鉾町では,保存会 に加入する住民はほとんどおらず28),通い町衆に よって保存会が組織される。また,転出者や企業 の従業員,囃子方など町内や保存会の縁者が加入 する場合もある29)。例えば,函谷鉾町(22: 函谷 鉾)では,町内の事業者や企業を中心に保存会の 役員が任命され,保存会の評議員には町外企業も なっている。また,粽の準備や授与品販売,鉾の 拝観など実働をともなう活動には保存会の代わり に,転出者や町内企業の中間管理職,囃子方など た借家世帯が多い山鉾町はクラスター B,持ち家 世帯が多い山鉾町がクラスター C となった。また, クラスター B と C はそれぞれ2分でき,クラス ター B で事業所数が多い山鉾町がクラスター B1, それが少ない山鉾町がクラスター B2 となり,ク ラスター C で居住年数20年未満の新住民世帯が 少ない山鉾町がクラスター C1,それが多い山鉾 町がクラスター C2 となる。このように町内構成 の特徴から,山鉾町は5つに分類できるのである。 この分類ごとに保存会の運営基盤を社会・経済・ 場所の3側面から捉えていく。 IV 各山鉾保存会の運営基盤 1 保存会の構成員―社会的側面― 本稿では,2014(平成26)年,各山鉾町におけ る保存会へアンケート調査を実施した27)。本アン ケートは保存会活動にマンション住民がどの程度 参加しているか計ることを目的とし,調査項目は 次のようなものである。①町内におけるマンショ ンの有無 ②マンション住民がいる場合,a:不 27) 2014年,すべての山鉾の保存会に対してアンケート用紙を郵送した。返信のいただけなかった保存会やその後 連絡のやり取りが続いた保存会に対しては直接聞き取り調査を行った。最終的に休み山を含め,33の保存会の調 査ができた。 28) 町内居住の世帯がわずかであり,長刀鉾町や函谷鉾町は0世帯である。 29) 基本的に山鉾町では,かつて町内に住んでいた者や商売をしていた者でも,日常生活が町内と関係ない場合,保 存会など運営組織の一員として山鉾行事に参加することはない。 第3図 山鉾町の町内構成クラスター図
Figure 3. Figure of cluster of the social composition in Yamahoko town 資料:国勢調査の町丁別集計(2010年),ゼンリン建物ポイント(2012年)より筆者作成
事をさせることで少ない人口を補っている。橋弁 慶町(10: 橋弁慶山)に関してはクラスター A で あるものの,国勢調査後の2012(平成24)年に 20名程から成る「伝承委員」と呼ばれる組織が担 う。そして,伝承委員の血縁者や知人,大学生ボ ランティアが集められ,手伝いとして補助的な仕 第4図 各山鉾町の町内構成の分類地図
Figure 4. Classification map of the social composition of each Yamahoko town 資料:国勢調査の町丁別集計(2010年),ゼンリン建物ポイント(2012年)より筆者作成
ン住民を山鉾行事に参加させた最初の事例として 注目された30)。 クラスター C2 の町は呉服卸の中心地であった 室町通に多く,大規模な京町家の跡地に大規模な 分譲マンションが建設されることで分譲マンショ ン世帯が多くなっている。ここでは,分譲マンショ ン住民の保存会への参加が認められているが,賃 貸マンション住民の参加は基本的にない。保存会 役員も分譲マンションから選らばれる場合が増え てきており,山鉾町で最も分譲マンション世帯が 多い蟷螂山町(18: 蟷螂山)にいたっては役員の 半数以上が分譲マンション住民である。このよう に保存会の人員確保の方法には差異がみられ,特 に,マンション住民の参加は戸建ての家持世帯や 事業者の構成によって左右される。国勢調査と本 調査の時期に4年のずれがあるため,橋弁慶町や 白楽天町のような例外もみられたが,結果的に, 町内構成の変化にともなう,保存会の人員確保の 変容が示された。 2 補助金と事業収入―経済的側面― 持続的な運営を成立させるため,各保存会に とって資金確保は重要な仕事である。山鉾行事に おける保存会の主な支出は授与品の仕入費,作事 三方への委託費やアルバイトの雇用費,消耗品費, 保険料,光熱水料費などがあげられる。対する主 な収入は授与品販売,寄付金,補助金,不動産の 賃貸などである。そして,ほとんどの保存会は収 益を積み立てて,山鉾の本体や懸装品などの修繕 費に充てている。また,山鉾連合会から分配され る補助金は山鉾の形態によって金額が決められて おり,大型の山鉾を有する保存会では約400万円, 小型の山鉾では約130万円に設定されている。こ れは,大型の山鉾の場合,保存会は町外からより 多くの人員を雇ったり,多くの部材や懸装品を修 繕したりする必要があるためである。 分譲マンションが建てられたため,その翌年から マンション住民が運営に参加しはじめている。 クラスター B1 では,賃貸マンションが多いも のの,そこの住民から保存会への参加はみられな い。これらの町は四条通や烏丸通の大通りに比較 的に近いことにより,事業所が多く,その事業者 や戸建て住民だけで保存会の構成が可能である。 そのため,短期間で転出する可能性が高く,経済 的にも不安定と考えられている賃貸マンション住 民を保存会に参加させる必要がないのである。白 楽天町(28: 白楽天山)はクラスター B であるが, 橋弁慶町と同様に国勢調査後に分譲マンションが 建設されることで,そこの住民に限り参加が認め られた。しかし,依然として賃貸マンション世帯 の参加はみられない。 クラスター B2 では,B1 に比べ大通りから離 れているため事業所数が少なく,旧来の住民と事 業者だけでの保存会の構成が困難である。よって, 賃貸マンション住民であっても希望があれば,そ の度合に差はあるものの,半数以上の町で彼らの 参加が認められている。例えば,矢田町(26: 伯 牙山)では,賃貸マンションから役員が任命され ており,三条町(4: 八幡山)では,町内の賃貸マ ンションから町外に転出した者でも参加が認めら れている。 クラスター C1 では,四条烏丸から離れ,京町 家が多く残されている町が分類され,マンション 世帯などの新住民は少なく,旧来の家持の戸建て 世帯や事業所が多い。そのため,旧来の住民や事 業者を中心とした保存会の構成が可能で,基本的 にマンション住民の参加はみられない。太子山町 (34: 太子山)は例外で,1980年代,山鉾町のな かで最も早く2棟の分譲マンションが建設された ため,マンション住民でも,居住年数20年以上の 世帯が多い。その結果ここでは,マンション住民 の参加体制がいち早く整えられ,当時,マンショ 30) 「祇園祭も町内会も協定書で協力約束」(朝日新聞1986年10月23日夕刊)
の事業所から多額の会費や寄付金が集められた り,見物人が使用する駅に近いため,授与品が多 く売れたりするためである。函谷鉾町(22: 函谷 鉾)では,会費として町内の事業ビルのテナント から月額3,000円~1万円,銀行や自社ビルを持 つ企業からは同4万円の会費が徴収されている32)。 また,保存会の構成員も含む20名の役員と参与の 12企業を中心に「あすの函谷鉾をつくる会」とい う保存会の後援組織があり,町内外約60名の個人・ 法人が入会している。ここでは,会費として1口 1万円を個人は年間1口以上,法人は5口以上支 払う。協賛金を支払うと,この会から毎年発行さ れる冊子に広告を載せることができる。こうして 集められた資金は保存会に寄付される。函谷鉾町 のように住民がいない町内は,京都市の経済界に 依存した経済基盤が構築されるため,多額の資金 が得られる仕組みができあがっている。 クラスター C2 の山鉾町では,山鉾の規模に関 各山鉾町の総収入から補助金を差し引いた額は, 保存会の純粋な事業収入となる。2012(平成24) 年度の保存会の事業収入は,舁山では約160万円 ~約1,230万円,曳山では約570万円~約1,430万円, 鉾では約1,100万円~約5,100万円であった31)。補 助金と同じく,大型の山鉾を有する保存会は小型 の保存会より多額の収入を得やすい。これは山鉾 行事において大型の山鉾に注目が集まり,授与品 の売り上げや寄付が集まりやすいためである。補 助金でも山鉾の規模による格差が生じていたが, 事業収入では,それ以上に山鉾の規模による格差 が生じていた。 事業収入では,同じ規模の山鉾であっても町内 構成の状況により格差がみられる。第5図は,山 鉾の規模別に第3図のクラスター分析の結果と事 業収入との相関を表わしている。大型の山鉾の場 合,クラスター A に属す山鉾町の保存会で高い 収益を上げる傾向にある。その要因は町内の多く 31) 公益財団法人の保存会には収支報告の公開義務がある。傘鉾に関しては四条傘鉾も綾傘鉾も任意団体の保存会で あるため,収支報告が公開されていない。また,その年まだ復興していなかった大船鉾の事業収入は除いた。 32) 函谷鉾保存会への聞き取りより。 第5図 山鉾町の町内構成分類ごとの各保存会の事業収入
Figure 5. Business income of each preservation society every social composition classification of the Yamahoko town 資料:各保存会の2012年度収支報告より筆者作成
とで収益を得ている。また,マンションが多い町 では,新しく建設されたマンションに町会所機能 を付加する傾向があり,保存会はそこの住民たち の山鉾行事への参加意識を高めている。このよう に町会所の建て替えをとってみても,各保存会は 町内の状況に合わせた形態に変化させている。 場所的側面において重要なのは町会所だけでな く,各戸において,屏風祭34) や提灯・幔幕の取り 付けなど伝統的な宵山の空間演出が行われる。こ れらの演出も町内の建物立地によって状況が異 なる。伝統的な演出を創出しやすい建物として京 町家があげられる。第2図において,京町家が多 く残存する山鉾町では,伝統的な空間演出が期待 される。しかし,京町家に住む世帯は高齢者のみ で構成される場合が多く,毎年,提灯や幔幕を準 備できるところは多くない。また,より労力が大 きい屏風祭を行う京町家は少ない。 事業ビルやマンションなど中高層建築では,伝 統的な演出への期待は低くなる。さらに,建物と 通りとの間に駐車場や広場があると,そこが見物 人の溜り場となり,それを防ごうとする工事用の フェンスが設けられ,祭礼の空間演出に悪影響を 与えかねない。ただし,中高層建築であっても, ショーウィンドウやエントランスに屏風を飾った り,幔幕や提灯を飾ったりした伝統を受け継いだ 新たな演出方法もみられる(谷・増井, 1994)。 幔幕や提灯の取り付けや屏風祭は本来,各戸に 委ねられているものであり,保存会から強制され るものでない。しかし,近年,保存会が主導して 伝統的な演出空間を創出しようと働きかける試み がみられる。例えば,三条町(4: 八幡山)では, 町内の建物の半数以上が京町家であるものの(第 2図),その多くは高齢者世帯である。そのため, 近年では,一部の家だけが幔幕や提灯を飾って いた。そのようななか,保存会は2012(平成24) 係なく,他のクラスターに比べ,保存会は多くの 事業収入を得ていた。これら山鉾町では,分譲マ ンション住民が保存会活動に参加するため,事 業収入が多くなる。烏帽子屋町(5: 黒主山)で は,分譲マンション全世帯から月額500円の町内 会費が徴収され,その町内会費の一部は保存会へ の寄付金となる33)。2013(平成25)年,同町の会 費が月額250円へと減額されたことからも,分譲 マンション住民の経済的支援は十分であるといえ る。また,彼らは授与品の準備や販売にも積極的 に参加しており,粽や手拭いなどの授与品に加え, T シャツや山の模型,小物類など多種多様な物品 が販売された。近年,この活動を契機として,保 存会役員に任命される分譲マンション住民もい る。このように町内に分譲マンション世帯が多い と事業収入が増える傾向にあり,分譲マンション の存在は山鉾行事の経済基盤を支えているので ある。 3 町会所と空間演出―場所的側面― 山鉾行事では,町内を中心に様々な活動が行わ れる。保存会は町内の範囲から行事を執り行う場 所を確保する必要がある。よって,場所的側面に おいて,町内の通りや建物などは山鉾行事の運営 基盤の重要な構成要素といえる。 山鉾行事の運営に重要な場所として町会所があ げられる。町会所は祭りの準備や囃子方の演奏に 使われ,ご神体や山鉾の懸装品,装飾品を飾る場 としても機能する。高度経済成長期以降に,いく つかの町会所は伝統的な木造建築から現代的な中 高層建築へ建て替えられた。その建て替えには町 内の建物立地の影響がみられる(佐藤, 2014)。四 条烏丸に近接した町では,事業ビルの需要が高い ため事業ビル型に建て替えられ,保存会は町会所 として使う部屋以外をテナントとして貸し出すこ 33) 公益財団法人黒主山保存会への聞き取りより。 34) 宵山の2.3日前から各戸の所蔵する屏風がミセやゲンカンに飾られ,披露される。
衆中心型」の運営基盤が構築された。町内構成員 の職住分離がほぼ完了されたこのタイプでは,「職 住分離参加型」とは異なって,町内居住者がほと んどおらず,町内に会社を置く事業者や企業が中 心となり,保存会が組織された。1990年代後半, 一部の山鉾町では,町内にマンションが建設され, 人口が増加した。特に,クラスター C2 のような 大規模な分譲マンションの建設により家持世帯が 急増した町では,運営基盤の各側面において分譲 マンション住民を取り込み,「分譲マンション住 民参加型」の運営基盤が構築された。「通い町衆 中心型」や「分譲マンション参加型」は町内の状 況にうまく適応した結果であり,新しい運営のあ り方を示したのである。 国勢調査が行われた2010年と本調査の行われ た2014年との間で運営基盤の再構築について,橋 弁慶山保存会の「通い町衆中心型」から「分譲マ ンション参加型」への変化と,白楽天山保存会の 「職住分離参加型」から「分譲マンション参加型」 への変化がみられた。近年では,分譲マンション が町内に建設された際にその住民を取り入れるこ とで運営基盤の再構築を図る事例が目立つ。また, 蟷螂山保存会では,役員の半数以上がマンション 住民を占めている状態であり,「分譲マンション 参加型」から「分譲マンション住民中心型」と呼 ぶべき段階に変化しつつあり,当面の後継者不足 年に幔幕と提灯を用意し,事業ビルやマンション を含む町内の全戸にそれらを取り付けるように働 きかけた35)。2014(平成26)年に分譲マンション が建てられた際も,保存会はエントランスの軒先 に専用の金具を取り付けさせた。この他,元町内 居住者から保存会へ4隻の屏風の寄付があり,保 存会は4軒の京町家を間借りして屏風祭を行って いる。この八幡山の取り組みは,町内全体の山鉾 行事への意識を高めている。この取り組みを契機 として,近年,鯉山町(7: 鯉山)や烏帽子屋町(5: 黒主山)の提灯建てなど保存会が主導して祭礼空 間を演出する山鉾町が増えている。京町家が多く 残されている山鉾町はもちろん,それが少ない山 鉾町であっても保存会の働きかけ次第で,良好な 演出空間が生み出されるのである。 4 運営基盤の多様化 高度経済成長期から現在にかけて,祇園祭山鉾 行事の運営基盤は「職住一体中心型」から4つの タイプへと多様化する。この多様化を山鉾町の人 口変動と合わせて追っていく(第6図)。近世ま で山鉾行事の運営は職住一体の家持に限定されて いたとされている。明治期になると借家人の協力 を得た天神山町(13: 霰天神山)や借家人が山鉾 行事を含め町運営に関わるようになる六角町(8: 北観音山)など例がみられるものの(小林, 2007; 奥田, 2010),近代においても依然として職住一 体の家持中心の運営が続けられた。この状態が「職 住一体中心型」の運営基盤である。 第二次世界大戦後の占領期を経て,高度経済成 長期以降の京都市都心では,人口減少や人々の就 業形態の変化にともない職住分離が進んだ。する と,職住を分離させた町内居住者や事業者は引き 続き山鉾行事の運営に参加し,「職住分離参加型」 の運営基盤が構築された。さらに,クラスター A のような人口減少の続いた山鉾町では,「通い町 35) 公益財団法人八幡山保存会への聞き取りより。 第6図 山鉾行事における運営基盤の多様化 Figure 6. Diversification of the management base in the
Yamahoko-event 資料:筆者作成
であったともいえる。 V 船鉾町における運営基盤の再構築 1 保存会役員の構成―社会的側面― 船鉾町(29: 船鉾)は下京区新町通綾小路下ル に位置し,京町家を含む戸建て住宅や事業ビル, マンションが混在する(第2図)。第3図のクラ スターにおいて C2 に分類される当町では,分譲 マンション世帯が多いものの,京町家世帯も他町 に比べ多い。特に,町内の中央部に位置する長江 家住宅は京都市指定有形文化財の代表的な京町家 である36)。 当町では,2008(平成20)年以降,分譲マン ション住民が保存会役員に任命されており,「分 譲マンション参加型」の運営基盤が構築されてい る。現在,主流となっている「分譲マンション参 加型」への再構築の過程を明らかにするため,本 章では公益財団法人祇園祭船鉾保存会(以下,船 鉾保存会)による運営の変容を取り上げる37)。船 鉾保存会は船鉾町の居住者および,事業者によっ て組織される船鉾の維持・運営を担う共同体であ り,町内会とは別に設けられた組織である。ここ では,三役と呼ばれる理事長と神事役・会計役の 常任理事を中心に,複数人の一般理事で役員会が 構成されている。 第7図は1966(昭和41)年と2014(平成26) 年の船鉾町の街並みと町内会の組分けを示してい る38)。1966(昭和41)年では,町内に建つほとん どの建物が京町家であった。しかし,1970(昭 は解決されたといえる。このように,近年の山鉾 町では,「分譲マンション参加型」への変化が運 営基盤の再構築の主流となっている。 人口が増加しても,クラスター B1・2 のよう な賃貸世帯が多い山鉾町や人口増加の影響が少な かったクラスター C1 の山鉾町では,依然として 「職住分離参加型」の運営が続けられている。と はいえ,これを継続している町内でも人員や資金 の確保の苦慮がみられる場合もあり,何かしらの 対応が迫られている。例えば,六角町(8: 北観音 山)では,北観音山の作事方が中心となって組織 された NPO 法人が,広くボランティアを募るこ とで,作事以外の活動も手伝っていた。また,ク ラスター B2 の一部の保存会において,このまま では運営が続かないと判断された場合,賃貸マン ション住民の参加が認められる「賃貸マンション 参加型」への再構築がみられるようになった。し かし,先に述べているような借家人の特徴からも, この方法は根本的な解決策とはいえず,一時的な 対応と言わざるを得ない。ボランティアも,賃貸 マンションの住民も,保存会の手伝いであれば十 分にこなせるかもしれないが,中心的な運営に関 わるための時間・経済的な余裕や義務的な継続性 は弱く,これらに依存した状態の「職住分離参加 型」や「賃貸マンション参加型」の運営基盤は不 安定といえる。これと同様の問題は祇園祭の山鉾 行事よりも,各地の都市祭礼において大きな課題 として現れていると考えられる。「通い町衆中心 型」や「分譲マンション参加型」などの安定した 運営基盤への再構築は京都市都心だからこそ可能 36) 長江家住宅は南北2棟の大規模京町家で代々呉服卸の商売を営んでいた。1822(文政5)年から現在の北棟部 分に住居兼店舗を構え,現在の建物は北棟が1868(慶応4)年,南棟は1907(明治40)年の創建である(佐藤・ 高木 , 2014)。長江家住宅は2015年より,民間企業に譲渡され,立命館大学アート・リサーチセンターや京都市 と産学官連携で保全が図られている。これを機に長江家の所蔵品は立命館大学アート・リサーチセンターの所有 となっている(矢野ほか, 2016)。 37) 立命館大学アート・リサーチセンターでは,船鉾や長江家住宅においてデジタルアーカイブ事業を展開している (瀬戸ほか, 2008; 土田ほか, 2011; 矢野ほか, 2016)。筆者はその関連で,船鉾保存会による祭礼の運営に参加しな がら,船鉾の運営の現状やその変遷について聞き取り調査や資料収集などを進めてきた。本章の分析にはこれら の蓄積を活用する。
借家の居住者や事業者も町内会に加入している。 財団法人としての船鉾保存会の設立は1968(昭 和43)年である。当時,船鉾町では,町内に居住, または事業をしている全48世帯で保存会理事の 選挙が行われた。長江家住宅に残された資料(以下, 長江家資料)をみると借家人も投票されていたが, 実際の選出者は職住一体の戸主のみであった。財 団法人化前の1960(昭和35)年でも,その前身 となる組織の選挙記録があり,同様な状況であっ た40)。すなわち,半世紀前では,「職住一体中心型」 の運営基盤が色濃く残されていたのである。 大規模な分譲マンションが建設された2001(平 成12)年には,戸建て世帯の減少のため選挙はな くなっていたが,保存会の役員は1~4組の家持 和45)年前後,繊維関連業の京町家が事業ビルへ 建て替えられ始めた。1990年前後では,バブル期 の相続税対策で一部の京町家が賃貸マンションに 建て替えられた39)。バブル崩壊後,繊維関係業の 衰退により大規模な事業ビルを所有していた事業 所の一部については町内から撤退し,2000年以後, その跡地に大規模な分譲マンション2棟が建設さ れた。このような土地利用の変化にともない,1 ~4組で分けられていた町内の組分けも変更され, 第2組が廃止,1980年代に建設された分譲マン ションが5組,2000年以降に建設された大規模 な分譲マンション2棟が6・7組として町内会に 組み込まれた。船鉾保存会の役員は,この町内会 の加入者から選ばれる。賃貸マンション住民以外, 38) 1960・70年代にかけて撮影された写真や当時の住宅地図,長江家資料,聞き取りにより,1966年(昭和41)の 船鉾町の街並みと組分けを復原した。船鉾町では,町内会の運営上,町内を4組に分けて回覧板のやりとりや町 内会費の徴収を行っていた。 39) 賃貸マンションの建築主の多くはマンション建設後もそこの所有者として職住一体のくらしを続けている。 40) 長江家資料より。 第7図 船鉾町の街並みと組み分けの変化 Figure 7. Change of cityscape and the grouping of Funeboko-cho 資料:各年の住宅地図と聞き取りより筆者作成
表 No 19・20)。彼らは,各マンションの入居当 初の管理組合のメンバーで,積極的に「行事役」 と「人形殿」の補助として山鉾行事に参加してい た。こうして,入居から8年以上も補助的な活動 を経験した後,分譲マンション住民は,本格的に 保存会に参加するようになったのである。 2012年(平成24)年,保存会が公益財団法人と なると,理事会とは別の構成員で評議会が組織さ れるようになった44)。その役職にも,補助的な活 動に積極的であった複数の分譲マンション住民が 新たに任命された。そして,2014(平成26)年では, 理事1人(第1表 No 19),評議員2人(第1表 No 17・26),参与2人(第1表 No 29・30)の分 譲マンション住民が役員として活躍していた。ま た,それと同時に,行事役と人形殿は「祭執行委 員」という単一の役に再編された。輪番は廃止さ れ,その役はほぼ固定されるようになった45)。祭 執行委員の半数は役員との兼任で,指導役として 1~4組の旧住民,実働役として6・7組や1~ 4組の新住民や新事業者が選ばれている。このな かには,これまで役員に任命されていないものの, 次世代を担うことが期待される若い世代の人々も みられる。 このように船鉾保存会は町内から役員となるべ き人員を確保しており,1~4組の旧住民から6・ 7組の入居当初の管理組合のメンバー,さらに次 世代を担う若い世代の新住民へと継承が進められ ている。すなわち船鉾町では,分譲マンションの 建設を契機に運営基盤が「職住分離参加型」から 「分譲マンション参加型」へ再構築されたのである。 2 初穂料の集金―経済的側面― 船鉾町では,分譲マンションが建設されたこと の住民や事業者から選ばれていた(第1表)。一 見,彼らの多くは職住一体の暮らしを続けている ものの,先代が引退するまで,自らは町外の会社 へ通勤し,別の場所に居住していた者も多い。また, 商業的機能のみ町内に残した事業者や京町家を建 て替えたマンション所有者,町内での居住経験の ない事業ビル所有者も役員になっていた。当時の 船鉾町では,町内に居住的機能を有していること よりも,商業的機能を有していることが重要視さ れており,「職住一体中心型」だった運営基盤は「職 住分離参加型」に再構築されていた。 船鉾保存会には,役員の他に山鉾行事に関する 各種の準備を行う「行事役」と,ご神体飾りの準 備を行う「人形殿」と呼ばれる実働を担う役割が あった。これには毎年3軒ほど,1~4組の家持 世帯が輪番制で任命されていた。この参加は強制 で,誰も参加できない世帯は不勤料を支払ってい た。2002(平成14)年以降,分譲マンション住 民は6・7組とも行事役と人形殿の補助として行 事に参加するようになった41)。これにはマンショ ンの管理組合を勤めた住民が中心となっており, 彼らの多くは下京42) の出身者であった。保存会の 人々からみて,下京出身者は普段の仕事の関係で 素性が分かりやすく,信頼できる者として積極的 に声が掛けられた。 分譲マンション住民が保存会の役員として本格 的に船鉾の運営に関わるようになるのは,2008 (平成20)年からである。最初に役員になったマ ンション住民は八坂神社の氏子圏出身で,山鉾行 事への参加を目的に転入してきた7組の住民(第 1表 No 17)である。彼は参与43) に任命された。 そして,次年度,彼は理事に任命され,さらに,6・ 7組から1人ずつ新たな参与が任命された(第1 41) おもに粽の準備や授与品販売を行う。 42) 行政区の「下京区」の範囲とは別で,八坂神社の氏子圏を西陣あたりの「上京」に対して「下京」と呼ぶ。 43) 参与はいずれ理事になることが想定される役職。 44) それまでは理事と評議員は兼任が多く,ほぼ同じ構成員であった。 45) これによって不勤料もなくなる。
第1表 船鉾保存会役員の変遷
Table 1. The change of the preservation society officer of Funeboko
No 住所 職業 2001年 2009年 2011年 1 3(旧2)組 町内でマンション 会社経営(京絞り) 理事長・行事役(輪番) 最高顧問 2 町外 町内でマンション経営 常任理事 常任理事 理事長 3 4組 自宅で会社経営(菓子) 常任理事 4 3(旧2)組 自宅で会社経営(呉服卸) 理事・行事役(輪番) 監事 5 町外 町内で会社経営(呉服卸) 理事・行事役(輪番) 常任理事 常任理事 6 3組 町内でマンション 会社経営(京絞り) 理事 理事・人形殿(輪番) 7 1組 自宅で会社経営 理事 理事・行事役(輪番)理事・祭執行委員 8 3(旧2)組 自宅敷地内で医院経営 理事 理事 評議員 9 1組 自宅で会社経営(呉服卸) 理事 理事 常任理事 10 4組 自宅で会社経営(京染卸) 理事 理事 理事・祭執行委員 11 町外 不詳 参与 12 3組 自宅で会社経営(呉服卸) 監事 理事長 13 町外 町内で会社経営(呉服卸) 監事・行事役(輪番) 15 2組 不詳 行事役(輪番) 16 町外 町内で会社経営 行事役(輪番) 17 7組 町外で店舗経営 (下京区の電機屋) 理事 評議員 18 町外 町内で店舗経営 理事 祭執行委員 19 6組 町外(截金師) 参与・人形殿(輪番)理事・祭執行委員 20 7組 不詳 参与 21 1組 町内でマンション 会社経営 行事役(輪番) 評議員 22 1組 町外(会社員) 行事役(輪番) 評議員 23 町外 町内の会社の専務 行事役(輪番) 監事・祭執行委員 24 6組 町外(会社員) 人形殿(補助) 25 6組 町外(会社員) 人形殿(補助) 1(子)3(旧2)組 町内でマンション経営 町外の会社員 理事 26 7組 町外の会社員 評議員・祭執行委員 27 4組 町外で会社経営 (中京区の傘屋) 評議員 28 町外 町会所で 会社経営(京絞り) 監事・祭執行委員 29 7組 町外で会社経営 (下京区の旗屋) 参与 30 7組 町外(会社員) 参与 31 町外 町内で会社経営 (白生地・悉皆業) 祭執行委員 32 6組 町外の会社員 祭執行委員 33 6組 町外の会社員 祭執行委員 1~4組=旧来の町組 6・7組=マンション 太字の役職=保存会役員 資料:船鉾保存会所蔵資料,聞き取り より筆者作成
とした「分譲マンション参加型」への運営基盤の 再構築がおこったのである。 3 町会所の改修と空間演出の改善 ―場所的側面― 場所的側面でも分譲マンション建設による再構 築がみられる。運営基盤の場所的な構成要素と して,町会所や山鉾行事の演出空間があげられ る。船鉾町の町会所は京町家の形態を留めていた ものの,歴代の借家人が様々な手を加えたことに より,その細部意匠に関しては改変された部分が 多かった。2006(平成18)年,京町家の保全や 再生の推進ため,市の資金と市民や企業からの寄 付によって設立された「京町家まちづくりファン ド助成」のモデル事業として,この町会所を創建 当時の外観へ近づける復元改修が行われた(佐藤, 2014)。この改修には,マンション住民に対する 山鉾行事への取り込みの影響がみられる。当時の 保存会理事長によると,単に景観の改善のためだ けではなく,町内全体で船鉾を支えていくという 意識創出のねらいがあった。この改修の結果,快 適な環境で町内の人々が粽や護符など授与品の準 備ができるようになり,輪番制による行事役が各 世帯で個別に行っていた作業も,マンション住民 を含めた町内全体が町会所に集まって行われるよ うになった。これによって,新旧住民のコミュニ ケーションの機会が設けられ,「分譲マンション 参加型」につながる運営基盤の再構築が図られた のである。 現在,船鉾町では各戸による宵山の空間演出が ほとんどされていない。幔幕や提灯が掛けられる 建物は町会所や事業ビルを含め4軒ほどである。 また,屏風祭が行われている京町家は長江家住宅 と店舗専用の2軒のみである。1960年代の街並み を記録した写真でも,すでに幔幕や提灯は見られ で,社会的側面だけでなく,経済的側面でも運営 基盤の再構築がみられた。船鉾保存会の運営基盤 を経済的側面で支えるものの一つに,町内からの 保存会への寄付金があげられる。町内会の加入者 は町内会費を払う義務があり,それらの一部が保 存会へ寄付される。よって,間接的に住民や事業 者は保存会の経済基盤となっている。また,これ と別に祇園祭の期間には初穂料と呼ばれる寄付金 が保存会によって集められる。住民と事業者は, これも支払う義務を有している。賃貸マンション 住民には,町内会費や初穂料を払う義務はなく, 一世帯分としてマンション所有者が支払う。 長江家資料に記録された1966(昭和41)年の 初穂料とみられる「人形殿収入」の計算表をみ ると46),建物の規模や経営状況によって500円~ 2,500円が集金され,保存会は1組ごと10,000円~ 15,000円ほどの収入を得ていた。それに対し,保 存会から提供された2012(平成24)年の初穂料 の集金状況をみると,1~4組の各世帯から4,000 円~15,000円,5組の分譲マンションから1世 帯につき4,000円または5,000円,6・7組の新 しい分譲マンションから1世帯につき4,500円が 集金されていた。組ごとの合計で,保存会は1 組62,000円,3組79,000円,4組58,000円,5組 41,000円,6組180,000円,7組265,500円の収入 を得ていた47)。一世帯における初穂料の単価が上 がることで,1966(昭和41)年から2012(平成 24)年にかけて,1~4組からの収入額の合計 は約5万円から約20万円の4倍になった。しかし, それ以上に6・7組からは最大445,500円の初穂 料が計算でき,それは保存会にとって欠かせない 経済基盤となっている。また,町内会費も同様の 基準で集められ,分譲マンション住民の存在は見 逃せないものとなっていた。このようにして,経 済的側面においても,分譲マンション建設を契機 46) 1960年代も現在と同様,「人形殿収入」という名で町内会費と初穂料が集められていた。 47) 6・7組の収入額に関しては,全世帯から徴収できた場合の想定額である。部屋の所有者の中には部屋を賃貸に している場合,初穂料や町内会費の納入が拒否される場合もあり,必ずしもすべての世帯から徴収できていない。