古代王権の国土とその継承に
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(2) ギヘの﹁ことよさし﹂によって正当性をもつ︒. ﹁中国﹂は︑天孫降臨以前に︑王権の聖性の負の側面を負うスサノヲによって︑その地に暴威を奮う八俣の大蛇. に象徴される自然神︵人格神と対比された下れる神︶が排除されて平安の地に変革され︑国淳神の繁栄となり︑さ. らにスサノヲの予孫オホクニヌシによって︑天孫降臨で豊かな稲の実りに覆われることが約束された安寧秩序を保 つ農耕適地として︑霊的祭儀的に整備されたと考えられる︒. オホクニヌシがそのように領有した国土は︑人代において天皇の君臨すべき国土︑すたわち﹁大八嶋国﹂の範囲. である︒天淳神への国譲りの舞台は出雲であるが︵何故出雲たのかは︑目向との対比によって論ぜられるべきで︑. 以下において詳述︶︑それは︑オホクニヌシの領有した国土が出雲またはそこを中心としたごく限られた領域を意. 味するものではない︒もしそうであれば︑国譲りの後に天孫が降臨する地が︑日向であるはずがない︒国譲りの国 みもろ の中に︑日向も含まれていなければならたいだろう︒また︑オホクニヌシは︑オホモノヌシを大和の﹁御諸山﹂に. 奉祀した︒このように︑天津神に譲られる国土は︑出雲・日向・大和を神話的;兀としだ領域︑﹁大八嶋国﹂であ る︒. 畦ら. その国土の国譲りは︑それを要求する天津神・要求される国津神それぞれの内部における罪穣︵皇祖神への背 くにさ. 反︶を負う神々の嬢いと服従が刀剣や託宣等の呪的権能を象徴する神々の登場によって遂行され︑国津神の統括神. オホクニヌシの国避りと奉祀という祭儀的過程を通して国土の浄化が果たされ︑最終的にはクシヤタマノカ︑︑︑によ. る天津神への献饅という食物供献儀礼によって宗教的に完結され︑成立するのである︒. 右のように準備された国土11﹁中国﹂へ︑この地上の穀霊を一身に集約した稲魂たる天孫が降臨し︑豊饒をその 一身の存在をもって実現するのである︒. 619.
(3) 人代の天皇薯臨の伝承は︑以上のような国譲りから天孫降臨に至る説話的構造と神話的意味を始原として︑. に穣造と意味を照射されて︑王権の聖なる超越的霊威の示現と継承を語るポのである︒かくして︑﹃古事記﹄. 負の祭儀的空間﹁出雲﹂. ︑. 王権の両義的超越性︵正性と負性︶を空間と時間とに分配することで成り立っていると言えるであろう︒. 五. 記紀神話において︑﹁犬八嶋国﹂の地平は︑この国土の荒振る精霊どもの棟梁オホモノヌシの奉祭されている大. 和︵それ故にそこは人代になって天孫たる天皇の君臨する現世の中心となる︶・国譲りの舞台出雲・天孫降臨の舞. 台︹口向の三元によって象徴される︒神代においては︑この地上における王権の神聖とその継承に関わった重要な聖 り珪. 域はこれらの地のみである︒したがって︑その三元の神話的意味を探ることが︑神話空問としての国土の構造を解 くことに繋がるであろう︒. あらひとがみ 大和は︑現世におげる王権の中心地であり︑国土の中央である︒故に︑そこに現人神としての第一代の天皇が出. 現するのは︑人代になってからであらねばならない︒大和が物語の主舞台となるのは︑人代なのである︒その地の. れ. にぎ昆たま. この国土の中央たる所以が︑神代において地上の荒振る精霊どもの棟梁であり︑かつ国津神の統括神として統一と. 安寧秩序をもたらしたオホクニヌツの和魂︵﹁出雲国造神賀詞﹂による︶たるオホモノヌシがその奉祀を要求し鎮 座していることで提示されている︒. そこで︑神代では出雲と目向が敢り上げられるわけだが︑本論では︑国譲りの舞台がなぜ出雲なのか︑天孫降臨. はなぜ日向なのかを︑歴史学的︑また考古学的に明らめようというのではない︒その理由は︑唯一古代王権の超越. 的霊威の呪術的宗教的構造にあると考えられる︒したがって︑それは本論でば主として﹃古事記﹄における出雲・. 618. はそ.
(4) 4. 日向それ自身の語るところに求めざるを得ない︒そうした方法では︑すでに西郷信綱の多くの論考が確かた成果を. 与えてくれている︒ω本稿もその成果に負うところ大であり︑それに何ほどかの加上をなしうるとは思われないが︑ 今はその駿尾に付して自説を述べることとする︒. セかま蛸はら. おoかたすく信. 上みのくに. 畦肚oくに. 神代記において︑出雲の地が初めて登場するのは︑スサノヲの八俣の大蛇退治の場面である︒数々の天淳罪によ とoかみ. ところ. って︑スサノヲが宇宙の縦軸の最上層﹁高天原﹂を追放されて︑最下層の﹁根堅洲国﹂︵黄泉国.批国︶㈲へ赴く途. 次︑道順として二の﹁中国﹂へ降臨したとき︑﹁出雲国の肥の河上︑名は鳥髪といふ地﹂へ降臨したと語られてい. る︒川の上流への降臨は︑神の山上降臨謂の一変型であろう︒が︑この場合スサノヲがもろもろの天津罪を負って. 祓われる犠牲神であり︑スサノヲ神話が宮廷祭儀としての大祓いの説話化である㈹ことを考慮すれば︑罪稜を負わ. せた神を川の瀬から川ロヘ︑さらに海へ海底へ流すという大祓いの祝詞に説かれる祓いの呪的論理に基づいての神 話的設定であろう︒. スサノヲが王権の霊威の負の側面を負う神であることは今更喋々する要はたいが︑例スサノヲ降臨の地としての 土吉お 出雲は︑そうした犠牲神としてのスサノヲの属性に相応しい地とLて︑﹁申国﹂の中から選ばれたものと考えられ るo. 宇宙の垂直軸上には︑王権の正性の源泉たる﹁高天原﹂が最上層に位置づけられ︑最下層に負性の源泉としての. ﹁黄泉国﹂が置かれる︒それ故に︑その二つの空間にはさまれた中間たる﹁中国﹂には︑正と負に収鮫されるあら. ゆる対立する二元的価値が混在するわけである︒㈱その宇宙構造に従えば︑最終的に最下層の負の世界に君臨すべ. きスサノヲが︑正なる地と負なる地の混在するこの﹁中国﹂に降臨しかつ滞留すべき地は︑またこの国土上の負の 地でなければならないだろう︒. 617.
(5) よもoひらさか. ねのくに. イザナキが黄泉国から地上に緑還したのは︑黄泉比良坂を通ってであったし︑オホクニヌシが根国から帰還した い ム 牛. のも同じであった︒地下の冥界とこの地上を繋ぐ唯一の通路であり境でもあるその坂は︑﹃古事記﹄では︑﹁其の謂. はゆる黄泉比良坂は︑今︑出雲国の伊賦夜坂と謂ふ︒﹂と記している︒出雲は負の他界黄泉国に隣接した︑この地 ひ ぽ 上の負の極地恋のである︒また同様に︑﹃古事記﹄は︑イザナミの葬地を︑出雲国と伯伎国の境の﹁比婆の山﹂と. 伝えている︒比婆の山は︑大和の二上山と同じく︑死者の山で地上的他界である︒出雲はやはり︑そうした負の他. 界に隣接したこの地上の辺境︑すなわちこの世のハシ︵端︶と観ぜられていたのである︒. ちはやぶ. ども. 出雲がスサノヲに相応しく︑この地上での彼の降臨し滞留すべき地として選ぱれれば︑ついで天津神スサノヲの. 子孫に系譜づけられる﹁遣速振る荒振る国つ神等﹂の発生の地となり︑本拠地となる︒彼らはスサノヲの子孫なる はら 故に︑負の神々であり︑正たる天孫の降臨に先立って当然この地上から撰われなげればならない︒そこで︑出雲は. 国譲りの舞台となる︒オホクニヌシをはじめとする国津神どもは︑ここで接われるのが相応しい︒前述のように︑. ひとがた. らつ. ここは辺境であり地上における負の極地︑ハシとして負の神の最終的に流れ着くべき底つ国へ黄泉比良坂によって 直結している地であるのだから︒. 出雲は︑大祓いにおける天津罪・国津罪を負う人形とイメージとして二重撮しになっている国津神どもを撰うの. であるから︑まさに神話における大祓いの地上的祭儀的空問として溝造化されていると考えられる︒. 天孫降臨神話と新天皇に呪術的宗教的霊威を保有する霊魂を充填する一代一度の秘儀大嘗祭との共生構造につい. ても︑すでに多く論じられている︒倒大嘗祭は神である新天皇を﹁高天原﹂から﹁申国﹂たる現世に迎える祭儀で. ある︒したがって︑大嘗宮は﹁高天原﹂と﹁中国﹂︑あの世とこの世を繋ぐ境としての祭儀空間である︒祭儀空閲. はあの世とこの世を繋ぐ故に︑この世のハシに位置する場所である︒ω天孫降臨の舞台目向は︑この世のハシであ. 6工6.
(6) る新天皇誕生の祭儀大嘗祭の祭儀空間を︑神話的地平に穣想したものに他ならないだろう︵後述︶︒. 大嘗祭の直前にその準傭的祭儀として︑それに関係する空間や人を浄化するために︑数次にわたって念入りに罪. 穣を除去する祓いや藤ぎが執行されることは︑諸記録によって知られる︒国譲り神話が天孫降臨神話の不可欠の前. 提であることは︑明らかである︒そうであれぱ︑大嘗祭の不可欠の前提的祭儀である大祓いと国譲り神話の共生構. 造を認めてもよいのではなかろうか︒繰り返すが︑出雲は︑天孫降臨に先立つこの地上の悪神を払う舞台とLて︑. 犬祓いの祭儀空聞に基づいてこの世の一方のハシ︑日向の対極をなす神話的辺境とLてイメージされていると考え. ねばならない︒日向が神を迎えるハシであれば︑出雲は神を祓うハシとして構造化されているのである︒. なお︑出雲を大祓いのそれではなく︑﹃延喜式祝詞﹄にみえる﹁遷却崇神﹂祭の儀礼的舞台とする考えもある︒ω. 上に述べたようたいくつかの視点によれば︑特に大嘗祭との関係は重視されるので︑臨時祭と考えられる胸遷却崇. 神祭に基づく祭儀的空間と見たすのは難しい︒たしかにその祝詞の前半には︑国譲り神話・天孫降臨神話︵いずれ. ︑. ︑. ︑. も記紀的ではたいが︶が語られているが︑撰われる神は出雲の神とされてはいない︒それは今日のあるべき状態を. 啓示する普遍的始原︑時問的起点としてのみ意味づけられているのであろう︒ たた オホクニヌシの和魂とされるオホモノヌシの崇りが崇神記に伝えられているし︑オホクニヌシと考えられる﹁出. 雲の大神﹂が皇子ホムチワケに崇ったと垂仁記にもある︒出雲の神々はたしかによく崇りはする︒Lかし︑出雲の. 神々が天皇の身近から出雲へ遷されたとは︑記紀には語られていない︒そう考えれば︑﹁遷却崇神﹂祭の崇神がた. とえ出雲の神々であろうと︑それは記紀の文脈︑特に国譲り・天孫降臨神話には直接の関係はないとされよう︒も. し︑出雲の神々の大和から出雲への遷却伝承が存在したとしても︑それは記紀以前のものであろう︒その時点で論 ずるべきであろう︒. 615.
(7) 出雲は崇神を遷しやって閉じ込める空間でもなけれぼ︑﹁遷却崇神﹂祭を執行する祭儀空間に基づく神話的空聞 さ でもない︒出雲ぽ︑皇孫の国土を皇孫以前に占有Lたという負を負う国津神どもを︑神の国避りという想像におい. て一掃してしまう︑大祓いの祭儀の呪的論理に基づいて︑﹃古事記﹄全体の有機的構造の中に構想され位置づけら れた︑この世の一方の極であり︑神話的辺境︑地平であったのである︒. では︑なぜ出雲がそうした神藷的属性を負う辺境︑地平に相応しい地として選ばれたのであろう︒西郷信綱は︑ け. 古代王権神話の宇宙軸を想定し︑東の果てとしての皇祖神アマテラスの鎮座する伊勢︵正・顕の極︶と天皇の君臨. する俗︵嚢の次元︶なるこの世の中心としての大和とを結ぶ直線の延長上に︑西の果て︵負・幽の極︶として位置. づけられたのが出雲であるとする︒胸伊勢が日出づる地であるのに対して︑出雲が日没する地である故に︑正統た ひすみのみや る皇祖神に対する異端スサノヲの子孫に連なる負の国津神の棟梁オホクニヌシの鎮座する﹁日隅宮﹂が設げられ︑ そのために国譲り神話の舞台となるわけなのである︒. 杜会的・政治的現実を包含しながら︑それらを超越したところに︑古代王権の霊威が存立し︑かつその王権がそ. こに宇宙的スケールの統一・調和の実現を幻想していることは︑王権神話の字宙構造にてらしてみれば︑疑いの余. 地はたい︒ωさすれば︑宇宙の水平軸上の西の辺境として出雲が存在したことが︑神話上のその役割を決定したと. するのは︑充分妥当な説とみなされよう︒だが︑そうLた方位のみが理由の全てではなかろう︒なぜなら︑記紀︑. とくに﹃古事記﹄神代巻においては︑その神話的カテゴリーの中に︑伊勢は明瞭にその位置を確保していない︒も. ちろん︑その宇宙軸構想は︑記紀全体を通じて実現されたものと考えられてのことであろう︒が︑前述のように︑. 王権の霊威は語りにおいては空間のみではなく︑時聞においても実現されなけれぱならないのであるから︑神代巻. で伊勢・大和がそれほど直接的に王権の聖性に関連づけられていないことは︑それなりに重規してよいのではない. 614.
(8) か︒王権の神聖性に結びついた伊勢・大和・出雲の水平軸の完成は︑﹃古事記﹄では中巻以降のこととされている. と考えられる︒少くとも天孫降臨までの︑神話的辺境として対置されたのは︑出雲と目向である︒故に︑出雲は日. 向との対照比較によって論じなければならないが︵後述︶︑そこでは方位関係は間題とはならないだろう︒. その比較の際の一論点として取り上げられるべきことで︑出雲・日向の名辞そのものの負う神語的イメージは無. たた. 一﹂と. や. いや. 視できない︒むしろ︑この二国がそれぞれ国譲り・天孫降臨神話の舞台として選ばれたのは︑多くそれに由来する と考えられる︒. 出雲はスサノヲの神婚歌謡に︑﹁八雲立つ出雲﹂と称え言によって祝福されている地である︒﹁八﹂は﹁弥﹂の音. に通じ︑多数を表わす困が︑同時に無限の増加に聖なるものとその力を示していることは︑無数の用例で明らかで. ある︒﹁雲﹂が霊魂の表象であることも︑﹃万葉集﹄その他の用例で明らかである︒﹁八雲﹂とは︑聖なる霊威をこ. めた雲であって︑その雲が立ち昇るという出雲の地は︑名は実体である故に︑そうした生動する盛んな霊力を内包. した土地なのである ︒ ○ぽ ﹃古事記﹄のスサノヲ神話には︑﹁この大神︑初めて須賀の宮を作りたまひし時︑其地より雲立ち騰りき︒﹂とあ 一﹂ 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を﹂とあるが︑その﹁出雲八. って︑続いて歌謡に︑﹁八雲立つ 出雲八重垣. 重垣﹂を出雲地方特産の垣根だとするもっともらLい解釈㈹には従いかねる︒なるほど︑﹁八雲立つ﹂は枕詞であろ. うが︑この場合︑歌謡の前文が物語の内容に即してそれを実景ととることで成り立っている吻のは否定できたい︒. その前文とのうつりを重視すれば︑須賀の地すなわち出雲の地を覆う﹁八雲﹂即神婚の場を隠す﹁八重垣﹂とする か肚 ﹃記伝﹄以来の解釈こそ神話の論理に適うものと言えよう︒八重の雲の奥一﹂そ︑神々のこもる地に相応しいのであ る︒. 613.
(9) 山. くもがく. ほきみ. ︷. あまぐも. い唱へ. 神々は﹁雲隠る﹂ものなのである︒そして︑神にたることも︑﹁雲隠る﹂︵﹃万葉集﹄3・四:ハ︑四四一等︶で や. へ. た. なぐも. あり︑﹁王は神にし座せば天雲の五百重が下に隠り給ひぬ﹂︵2・二〇五︶のように︑神々の隠れ給う地は雲の彼. ら. も. 方の場所なのである︒だからこそ︑神々は︑﹁天の八重多那雲を押し分げて﹂︵記天孫降臨条︶︑﹁天の八重雲をいつ. ︑. ︑. ︑. の千別きに千別きて﹂︵祝詞︶神々の国からこちら側へ立ち現われるのである︒ わ 幾重にも雲が湧き起こり︑その雲の向う側に隔てられているという出雲は︑まさにこの地上において︑天孫降臨 ︑ 以前にまがまがしき国津神どもが威を奮ったその本拠の幻想を託すに足る地である︒ましてそこは︑陽の地である. 日向に二元的に対置きれれば︑当然陰の地となり︑正たる天津神に対立する負たる国津神の棟梁オホクニヌシが隠 とざ れる地とたらねばならないであろう︒また︑八重の雲に鎖された陰の世界であれば︑そこは罪穣の化身スサノヲの. ﹂など. のこ. 系譜に列する国津神どもを祓う場と想像することも容易であろう︒﹃大祓祝詞﹄に︑﹁天の下四方の国には︑罪にい. ふ罪はあらじと︑科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く︵略︶遺る罪ばあらじと祓へたまひ清めたまふ事﹂と. あるが︑こうした繰り返し唱えられる神聖な言霊の霊威の宿る固定的詞章の比楡のイメージが︑八重雲に覆われた. とする出雲の地に︑国津神の祓いの祭儀的舞台を連想させる一助とたらたかったと言えないであろう︒. こうして︑この国土において王権の負を負う神スサノヲが高天原から払われ降臨する地であり︑さらに天孫降臨. の不可欠の前提として負たる国津神を払う場であるという二重に機能する祭儀的空間たる負の極︑地下の黄泉国と. 正の祭儀的空間﹁日向﹂. ︑. この国土中国を繋ぐハシとしての神話的辺境︑地平である出雲が︑構造化されたと考えられる︒. 穴. 神代記において︑日向がまず登場するのは︑ 神名を別にすれぱ︑三貴子誕生の場としてである︒ 地下の闇の国黄. 612.
(10) 10. けが 泉から地上へ帰還したイザナキが黄泉の穣れをそそぐため礫ぎをした地が日向である︒その藤ぎの結果︑アマテラ. ス・ツクヨミ・スサノヲという字宙の垂直軸上の三空間︑高天原・中国︵﹁夜の食国﹂とするのが正確だが︶・根堅 洲国に君臨する神々が誕生した︒. 天皇家の姶祖神に列する創成神イザナキが︑王権の霊威の源泉を担う重要な神々を生むための藤ぎの儀礼を行う. 地が日向なのである︒日向は︑宇宙的規模の聖なる祭儀を行う︑宇宙的意味を負う神話空間なのである︒. 三貴子のうち特にアマテラスとスサノヲぱ︑王権の趨越的霊威の両義性を分担し支える至高なる神である︒これ 5ぶや らの神々の誕生の地は︑その次元への神の出現を待ち迎える祭場であり︑神の産屋でもある︒目に見えないあの世. 海・山から祖霊や神を迎え︑またそこへ彼らを送るため. からこの世へ神を迎える祭りの場は︑この世とあの世とを繋ぐこの世のハシであった︒胸村落の空聞構造において. も︑祭場たる杜寺が︑日常空間の末端︵ハシ︶に︑他界. に設置されていることが︑民俗宗教学の分野において明らかにされている︒㈹神々の誕生の場は︑神々の本拠とは. 異なったところ︑本拠に接した異境でなげればならなかったのであろう︒それ故に︑三貴子は中国の地で誕生す る︒日向は︑この世に神々が誕生する聖地なのである︒. さて︑既存の国土領域の範囲で︑日神の出現を迎える祭儀的空聞を設定しなげれば在ら汰くて︑それに相応しい. この地上のハシとして選ばれたのが日向なのである︒そして︑それは出雲と全く神話的溝造において合致してい. る︒出雲は︑高天原を追われたスサノヲ降臨の地であり︑その子孫国津神の国避りの場である︒つ童り︑二重に祭 ︑ 儀的窒問として機能する︑地上の負の極であった︒ ︑ 日向は︑この出雲に対する正の極たる祭儀的空間としての辺境である︒日向は︑日神誕生の地であり︑その日神 ︑ の子孫ホノニニギ降臨の地である︒聖なる稲魂ホノニニギが高天原から来臨するのは︑その地がこの国土の正たる. 611.
(11) 11. ︑. ハシ︑負のハシとしてスサノヲ降臨の地であり下つ国黄泉と直結する出雲と対立的に構造化されていることを語っ ている︒. 前章で見たように︑国譲り神話は天孫降臨という神迎えの前にこの国土の罪穣を祓い浄化する儀礼に基づいて神. 話化されたものであった︒そして︑その舞台である出雲は︑祓いの祭儀的窒閻として神話的辺境︑地平線であっ. た︒とすれば︑天孫降臨神話は︑罪稜の祓いの儀礼に続く︑浄化されたこの地上の国土空間に日神の子孫たる豊饒. の穀霊を迎える儀礼に基づく神話であることは明らかである︒そして︑その儀礼が新天皇誕生の宗教的祭儀大嘗祭. であることも︑既に発表された諸論により動かし難い︒そうであれぱ︑出雲と対置されているが故に︑日向は︑現. 実の支配領域を王権の霊威に覆われ統合された整合的神話的国土として構造化するために︑国土上に王権支配の日. き. す. き. こも. く. ご. 常空間のハシたる正なる辺境︑すなわち正なる神を迎える祭儀的空聞として想定されたものであることは︑確かな. 串. こととされなけれぼならないだろう︒. 大嘗祭において︑新天皇は︑悠紀殿・主基殿に籠ってそこに神を迎え供御の飯を自ら捧げ︑神人共食によって神. と自身との一体化を実現する︒大嘗宮に奉祭されるその神は︑記録には明らかではたく︑諸説あって確かなことは. 言えないような状態である︒僅oしかし︑年毎の新嘗祭との構造的一致や神座の方位などから︑成立当初︵天武朝と. する説が有力幽︶においてはアマテラスであったと考えられている︒倒その説の妥当性を論証L得る資格はないが︑. もしその説が妥当と認め得るのであれぱ︑祭儀の場において︑そこに来臨した皇祖目神アマテラスと入御した新天. 皇が一体化するのであり︑それこそ︑神話において目神誕生の地と天孫降臨の地が重層するという発想を支えてい. た動因であるということが言えるのでばないだろうか︒逆に言えば︑天孫降臨の地が日向とされ︑それに日神誕生. の地が重層しているということが︑右の大嘗宮の祭神をアマテラスとする説の妥当性を保証しているとも言えよう︒. 610.
(12) 12. いずれにしろ︑出雲がそうであったように︑日向も二重に機能する祭儀的空間であり︑神話における辺境︑地平で. あった︒スサノヲ・オホクニヌシの組合せとアマテラス・ホノニニギのそれもみごとに一致︑かつ対応しているで はないか︒. 出雲が現世における王権の中心大和から見て日没する西の果ての地であり︑かつ地名そのものも神々の隠り場所. に相応しいものであることは︑先に述べた︒しかし︑日向の場合は︑方位的要因はさほどでは汰いだろう︒そうす. ると︑日向が出雲との対応において︑神話的国土の一極となるのは︑やはり地名そのものの与えるイメージが大き. く作用していたのではないだろうか︒出雲がその湧き起こる雲の奥にこの国土から去る国淳神の隠れ所を包み隠し. ているのであれば︑日向は日に向う地故に︑国津神に代わってこの国土に降臨する日神の子孫を迎えるのに相応し. い地と観想されたにちがいないのである︒ かれ 景行紀十七年三月の条に︑﹁この国は日の出づる方に直に向げりとのたまひき︒故︑その国を日向と名づけき︒﹂. こ 七﹂. からくに. かさき. 晶さき. たぜ吉. という地名起源が記されている︒﹃逸文日向国風土記﹄にもほぽ同様の伝えがある︒記には地名起源は伝えないが︑ い圭. と仁﹂ろ. 天孫降臨の条に︑ホノニニギのことばとして︑﹁此地は韓国に向ひ︑笠沙の御前をまき通りて︑朝日の直刺す国︑ 夕日の日照る国なり︒故︑此地は甚吉き地︒Lと記している︒. 名が生命力︑呪カをもった霊魂そのものであり︑禽名が形に霊魂を封じ込め実在化する儀礼的行為であるのだか. ら︑神・天皇などによる土地の命はその神・天皇などによってその土地に新たに霊魂が与えられたことであり︑し. かるが故にその土地が命名者に帰属することを︑こうした地名起源は語るものである︒日向は︑目神の予孫天皇に. よって命名された故に︑日に向い日を受ける地として日神に関連づれられ祝福聖化された土地とされているのであ. る︒この国土上に︑日迎えの祭儀が執行された故に目向と名付けられた地は多いかもしれないが︑陶その中から唯. 609.
(13) 13. 一の国名として天皇による命名伝承があるところに︑日向の王権伝承における意味がある︒. 日に向うということは日がさしているということで︑そこはホノニニギのことばにあるように︑日神の庇護を受. ける子孫の住む地として最も適当な地なのである︒おのれを太陽神の蕎とした王権にとって︑陽光を常に受けてい. るということは︑祖神の祝福を受けるとともに︑前述のようにそこが大嘗祭によって幻想された祭儀的空問であっ. よごと. あまがたりうた. てみれば︑常に祖神を迎え新たなその﹁みたまのふゆ﹂を黍うすることでもあった︒ 居 ひで ひかげ 易かど 天皇の宮所の讃め詞に︑﹁朝目の日照る宮 夕目の日影る宮﹂︵雄略記天語歌︶とか︑﹁朝日照る島の御門﹂︵2・. 一八九︶など︑前掲のホノニニギの寿詞と類似の詞句が多い︒天語歌などの宮廷儀礼の場で謂された歌謡の詞句に. いとよ. は︑ハレの場で発動する言霊がこめられている︒したがって︑宮所が皇祖日神によって祝福されていることを︑そ 5つLポ払 の称え言は実在化する作用をもつものである︒そのように祝福聖化された宮居だから︑日神の奮天皇が現世の顕神. としてこもるのに︑﹁甚吉き﹂ところとたるのである︒このように︑聖なる詞章に︑目に向い日を受ける場所の祝. 福されるべきさまが述べられていることにてらしても︑日向という名辞そのものの内包する祝福性は認められるで. あろう︒そして︑日向は目に向う地故に祭儀的空間と見なされ︑同様に儀礼詞章の称え言を転用されて称揚され得. るのである︒﹃風土記﹄撰進の詔の﹁郡郷名著好字﹂︵﹃続紀﹄和銅六年五月︶によっても︑王権がいかに支配地の 聖化 に 意 を 用 い て い た か が 知 ら れ る ︒. 宮所と同様に称えられる地だから︑この国土に初めて人の形をとって出現した天皇家の祖が足に踏み滞まるのに かな. 適った地なのである︒換言すれば︑ホノニニギがこもった地であり︑こもったということでは宮屠と重層する︒だ. から︑同じ称え言によって修飾され得る︒ちょうどそれは︑スサノヲがこもった宮居と出雲の国が重層するように︑ 日神の奮のこもった宮居と目向の国は重層するのである︒. 608.
(14) 皿. 日向はその名辞故に︑日神の子孫の顕現する地上の聖なる宮居の神話的国土上の地平への投射となり得たのであ. そ. さき. った︒そして︑天孫の寿詞によって♪王権の聖地としての実質を付与されるのである︒ホノ一二一ギの宮居は︑オホ いはくま. クニヌシが国譲りの後にこもった﹁石胴の曾の宮﹂︵垂仁記︶と対極をなす﹁日向ひの宮﹂とか﹁日の前の宮﹂と. ︑. 近き守り神と近き守り人. でも称すべきものと観想されていたであろうか︒. 七 ︑. 出雲と目向は︑それぞれ聖たる負と正の辺境として︑神話国土の総体を両極として象徴しながら︑むしろそれ故. に︑王権の趨越性に密接に結び付き︑それを支えていた︒しかし︑現実の祭儀や政治体制響を通して︑二つの地が. いかに王権の聖なる超越的霊威に機能していたが︑この際やはり問われるべきであろう︒神話は︑そうしたものの. おのれみ七﹂と. にぎみたま. キ. た. みたま. 牛︐呈と. 出づらき. お胆もの坦L. みな. ことしろ担﹂. 命の和魂を八腿の鏡に敢り託げて︑倭の大物主くしみかた童の命と名を称へて︑. つ. 直接的反映ではないにしろ︑その仕組みや関係等を宗教化L永遠不変のものにしようという意図によって︑それら. ま. い.つもOくにのみやつごのかむよごと. を基盤に幻想されたものであることは否定できない︒. かむ. ﹃出雲国造神賀詞﹄に︑﹁己 お居み お. す出みま. まもoがみ. たてまり. や. 借. に. き.つき. 大御和の神たびに坐せ︑已命の御子あぢすき高ひこねの命の御魂を︑葛木の鴨の神なびに坐せ︑事代主の命の御魂. をうなてに坐せ︑かやなるみの命の御魂を飛鳥の神なびに坐せて︑皇孫の近き守神と貢り置きて︑八百丹杵築の. 宮に静まりましき︒Lとあって︑天津神に国譲りして国避りした国津神の棟梁とその主立った予神たちが︑その後. も代々の天皇の間近に鎮座して︑神代と変わることたく霊的守護を垂れ続けていくという誓いを述べたものであ る︒. これらの神々は︑出雲の国造の代々奉祀する神であり︑近き守り神としてそれぞれ天皇の宮所飛鳥に隣接した他. 60?.
(15) 15. つ皇−. 物﹂. もてあそぴもO. 界たる葛城山麓などの地に︑今日も鎮座していることは︑知られている︒そして︑これらの神々の天皇への霊的加. い書み. 護奉仕は︑出雲の国造の代替りごとの上京の際の神賀詞の上秦と数々の貢納物で具体化される︒ Lらみどり. とくに︑﹃延喜式﹄に記されるその貢納物の中に︑﹁白鵠二羽﹂とあり︑﹃神賀詞﹄にも︑﹁白鶴の生御調の玩. と記されているのが注目される︒白鵠︵白鳥︶は︑﹃出雲国風土記﹄︵秋鹿郡の条︶にもその飛来が記されており︑. 加もo. み. ほ. 京師では珍らしい産物であったようだが︑この献上はおそらく︑コトシロヌシの神格と関連づけられていたように 恩われる︒. た肝ちのあがた胆Lこめ. 天皇の近き守り神として︑﹃延喜式﹄に︑葛城の鴨都味波八重事代主神杜︵現在御所市鵬都波神杜︶に奉祀され. ると記されるコトシロヌシは︑天武前紀の壬申の乱に︑高市県主詩梅に神懸りして戦さの勝利を得るための神武陵. への奉幣などを告げている︒コトシロヌシが王権の正統を扶翼する託宣の神であることは︑国譲りの際天津神への. 国土の支配権譲渡を父オホクニヌシの諮閻に答えて即座に応諾していることでも明らかである︒その託宣は︑国運 あが の帰趨を決する重大な場面でのそれであるから︑その呪能の絶大さが崇められていたことは確かであろう︒その呪. 能の発揮が︑近き守り神として大いに期待された所以であろう︒ お曲きさき コトシロヌツは︑オホクニヌシという主神の託宣の呪能を担った分身と考えられる︒神武の太后とたるヒメタタ. コトシロヌシが本来オホモノヌシと一. ライスケヨリヒメ︵ヒメタタライスズヒメ︶は︑﹃古事記﹄では三輸のオホモノヌシ︵オホクニヌシの和魂︶の子 であるが︑﹃書紀﹄ではコトシロヌシの子となっている︒こうした異伝は︑. 体であり︑その呪能の分掌神であることを物語っているようである︒そのコトシロヌシの娘を神武の正妃としたと. いう﹃書紀﹄の伝えは︑神の託宣を王権がわがものとして聴く呪能を血の中に所有しようとLていたを示してい る︒. 606.
(16) 16. ︑. ︑. ︑. ︑. 王権が︑神の世のうつしとしてのうつしよであるこの世幽を完全に統合するためには︑この世を左右する神の託. り. もつ. わざ. い. とoのあそぴ. コトシロヌシ. 宣を正確に聴く呪能が必要とされたであろう︒たとえば︑﹃古事記﹄の崇神・垂仁︑﹃書紀﹄の壬申の乱の条の天武. などの伝承では︑天皇自身の神意を知る能力がいかに必要であったかが推測L得る︒. っ. さて︑﹃書紀﹄本文の国譲りの段で︑高天原の使神がオホクニヌシに国譲りの諾否を問うたとき︑. つまり︑神事としての狩猟は魂の鳥を捕る魂ふりの儀礼であろ. は出雲の国の三穂の崎で︑﹁釣魚するを以て楽とす︒或いは日はく︑遊鳥するを楽とすといふ︒﹂と記されてい る︒﹁遊鳥﹂は︑儀礼的狩猟であろう︒神の行為︑. うから︑コトシロヌシのそれはおのれの呪能の霊威を再生更新する儀礼的行為であろう︒その対象たる鳥が前記の 虹L ﹁白鵠﹂とは記されていないが︑おそらく︑同一のものと考えられていたであろう︒記紀のホムチワケ伝承で︑唖 こ. もてあそ. 屯のい. の皇子ホムチワケに﹁あぎとふ︵片言を言う︶﹂ことを可能ならしめたのは空飛ぶ鵠であり︑﹃書紀﹄によれば︑そ. の鳥を追って出雲で捕えたというし︑さらにホムチワケは︑﹁是の鵠を弄びて︑遂に言語ふこと得つ︒﹂となって ︑ いる︒この記事によれば︑その﹁鵠﹂は︑﹃神賀詞﹄にいう﹁生御調の玩物﹂であるから︑出雲の国造の献上する. 白鳥二羽は︑天皇への託宣の呪能を更新するための魂ふりであったと言えるのではないだろうか︒Lたがって︑こ. の白鳥二羽はコトシロヌシの捕獲した鳥として献上されたにちがいない︒そのことで︑コトシロヌシの王権の正統. への奉仕と魂ふりが果たされるのである︒そのような天皇の霊威への直接的貢献が︑出雲の神々を近き守り神たら Lめたのであろう︒. このようにして︑出雲は︑王権の国土の負の辺境として︑そこに封じ込められた国津神の霊威を︑国造の服属の. 誓いの儀礼を通じて王権の霊威へ補充し続げる神話的空間である︒そして︑その出雲︵ハレ︶対大和︵ケ︶という. マクロの空間構造がそのまま縮小され︑いわば縮刷版となって︑葛城︵ハレ︶対飛鳥︵ケ︶という︑︑︑クロの空間に. 605.
(17) 17. 置換されたとき︑出雲の神々は近き守り神となる︒そうしたミクロとマクロの対応による空間構造こそ︑王権の呪 的宗教的霊威によるその支配を可能ならしめている秘密の一つではたいだろうか︒. 他方︑日向はどうであろうか︒記紀は︑天孫ホノニニギは高千穂の峰に降臨した後︑笠沙の地で︑オホヤマツミ. の神の娘カムアタツヒメ︑別名コノハナサクヤビメと結婚したと語っている︒オホヤマツミは大地の土そのものの. 肚やとあたoきみ. 保有する霊能の神であるから︑その娘コノハナサクヤビメは︑大地の花を咲かせ実りを生みだす霊能の神格化であ ︑ ︑ り︑穀霊であるホノニニギとの聖婚によって︑国土に豊饒をもたらす女神である︒その女神が一方ではカムアタツ あ. の. ち. いまLみ二と. 命の昼夜の. ひ君よ君. ヒメとして︑海幸ホデリの母︑つまりその子孫とされる隼人阿多君の祖ともたっているのである︒隼人の祖ホデリ. な. ︵海幸︶とその弟で天皇家の祖ホヲリ︵山幸︶との争いの結果︑兄が弟に︑﹁僕は今より以後は︑汝 まもoぴと. 守護人と為りて仕へ奉らむ︒﹂と誓約したという話が隼人の服属奉仕の本縁講であることは︑既に指摘されている︒. 隼人が記紀人代の伝承においても︑天皇・皇族の近侍老としてその武勇故に重用されていたことは知られるが︑. 令制下においては︑衛門府の隼人司に所属して宮廷警護に任じ︑また畿内の交通の要所と冨される地に移住せしめ. られ︑その地の防備とされていたらしいことなどが考察されている︒㈲しかし︑重要なのは︑その武力の効用では. なく︑大嘗祭という王権の霊威の基礎を獲得する最大の秘儀において︑新天皇のかたわらに侍って犬声を発し︑そ あらたえ. にぎたえ. の国土の最端の辺境に由来する猛々しい霊魂の威力をもって悪霊を祓う︑その呪能と考えられる︒㈱また︑隼人は︑ ま症Lかた圭. お居まあら︸﹂. 数々の竹製品を供出したとも記されている︒たかんずく︑荒妙の神服・和妙の神服を入れて大嘗宮の神座のほとり. これ. に安置される目籠・細目籠は︑記紀に伝えるホデリの海宮遊幸の乗物︑無目籠・大目麓籠︵﹃書紀﹄第一の一書に. ﹁所謂堅聞は︑是今の竹の籠恋りといふ︒﹂とある︶という神話表象の母胎であり︑神霊の鷹依であると言われて. い肚申るかたま. いる︒吻. 604.
(18) 18. ︑. ことかつくにかつながさ. あた. ホヲリの乗物である竹の籠は︑記紀には国神シホツチが造ったとある︒﹃書紀﹄第四の一書には︑シホツチは別. ︑. あをひえ. みこ. 拮そoを. き. ナ. りひ. たかむら. 名を事勝国勝長狭という吾田の地の国神で︑ホノニニギの命に従ってその国を奉ったとある︒また︑第三の一書に. は︑カムアタカシツヒメが火中出産のとき︑﹁竹刀を以て︑其の児の贋を裁る︒其の棄て﹂竹刀︑終に竹林に成. る︒Lとある︒つまり︑吾田の地の隼人の竹細工の原料たる竹は︑ホノニニギの妃カムアタシツヒメが目の御子誕. 生に用いた竹べらの化した聖なるもの︵だから︑大嘗祭に用いられたという−﹂とになるわけだが︶であった︒この. ように︑大嘗祭における隼人の竹細工は︑新天皇の無事の誕生と彼が生まれながらに辺土の威霊に祝福され︑その あ. た. をぱLの善み. 威霊を身に付けた日の御子であることを保証する︒吾田の女神コノハナサクヤピメの威霊を身に付けることは︑穀. 霊とLての天皇に不可欠の呪的要件であった︒﹃古事記﹄では︑第一代の天皇神武も︑阿多の小椅君の妹アヒラヒ メを妃としたと伝える︵紀もほぼ同様︶︒. 右のように︑隼人は︑秘儀大嘗祭を通じて天皇の近き守り人としてその本来の猛々Lい霊威によって新天皇を悪. 霊から守護するとともに︑その竹製品をもって︑王権の国土の正なる辺境に位置づけられた超越的な神の霊威を新. 天皇に付着し続けてきたのである︒このような事情は︑前に見た出雲の国造が代々の服属儀礼を通じて︑祖神一統. を天皇の近き守り神としてさし出し︑かつ特定の貢納物によって王権の正統の霊威を再生更新してきたことと全く 一致するものであろう︒. 近き守り枠と対置されるのは︑当然近き守りんなのだから︑そのことを考え合わせれば︑負次る辺境出雲と対置. されるのは正なる辺境日向であることは動かし難い神話的事実である︒この近き守り神と守り人を︑神話国土の果. ての両極たる辺境に置いたことによって︑その国土は辺境から中央に至るまでおしなべて王権の正統に奉仕するも. のと化するのである︒遠き辺境が近き内つ庭と化L︑遠隔地に由来する現実の様々な困難は霧消し︑現実の距離は. 603.
(19) 19. そ. く吉. 王権の霊威の前に捨象されてしまうのである︒ くまそ さて︑隼人は︑王権に服さないとき熊襲と呼ばれ︑慰馴されてから隼人の呼称を与えられた老と言われる︒幽た あたのむら. あひち. o. ひ出. しかに曾の国・隈の国は薩摩の隼人・大隅の隼人の地である︒それ故に︑天孫降臨の聖地日向とは異なった神話的. 領域とも考えられるが︑﹃書紀﹄に﹁日向の襲の高千穂峯﹂︑﹁日向国の吾田邑の吾平津媛﹂などとあるところを見 ︑. ︑. ると︑大隅の隼人の本貫吾田の地は︑神話空間としては︑正なる辺境目向に含み込まれていたと考えられる︒ホノ. ニニギの妃コノハナサクヤビメたるカムアタシツヒメ・神武の妃アヒラツヒメの出身地は︑天孫が降臨した地と広. 義に同じ地でなげればならないだろう︒大和へ入った神武も︑その地の国津神の娘と聖嬉する︒たとえ︑日向と曾. の地・隈の地が異なった神話領域であったとしても︑それは一つのものの両側面であると言われるように︑㈲日向. という聖地はそれ自身の中にまた負たる空間を内包してミクロの世界を構成していると考えてさしつかえなかろ 左フo. それはともかく︑前章で見たように︑日向は︑薮天皇誕生の秘儀大嘗祭の祭儀窒間を︑王権の国土の上に︑それ. を神話的国土と化すために正なる辺境を造立すべく投射された祭儀的空問︑神語的辺境であったのだから︑同じ大. 嘗祭における隼人の服属奉仕の本縁講の神話舞台もそれと重層すると考えるべきではなかろうか︒そう考えれば︑. 出雲と日向の対置という条件にも適うであろう︒出雲が近き守り神の原郷︑目向が近き守り人の原郷であることで︑ その神話空問の構造は完全に整合される︒. 繰り返すが︑出雲の国造ば︑その代替り毎の巖属儀礼で︑王権の聖次る霊威の一面を支える魂ふりのための貢納. と奉仕の誓約を繰り返していた︒目向の隼人も︑天皇の代替りの毎の︑王権の宇宙の総体的関係の継承儀礼帥であ. る大嘗祭で︑王権の聖たる霊威への魂ふりと貢納を繰り返してきた︒そこに︑彼らが近き守り神と人に位置づけら. 602.
(20) 20. れる要因が潜んでいたであろうし︑また︑彼らのもとつ国が聖なる辺境とたされる神話的原因があったでもあろ. う︒そして︑それは︑王権の国土の上に神話的両極としての辺境を置き︑岐美二神の生んだ神話的国土を王権の霊. 威によって整合された国土となそうとする王権の呪的宗教的支配意志に発した秘策とも言えよう︒. いずれにLろ︑出雲と目向は︑王権の祭儀における近き守り神と人の対置と地名そのものの神話的喚起力とのか. らみ合いの中に︑祭儀的空間として王権の神話的国土の対極的地平に想定された︑神話的辺境である︒. 度早稲田大学 指 定 課 題 研 究 助 成 に よ る ︒. 付言 ﹁神武東征﹂以降におげる︑古代王権の国土とその継承については︑次稿において論ずる予定︒なお︑本稿は五十四年. 西郷信綱﹃古事記の世界﹄︑その他︒. 負わされた意味が異なっている︒今は︑その異同を論ずることは省酪する鉋. ﹁食霞﹂﹁中国﹂﹁大嶋八国﹂は︑実体としてはほぽ同一の天皇支配の因土を指すことぱであるが︑それぞれ︑文脈の中で. は︑そうLた﹁︵古代︶王権﹂と共通のそれを保有することを前提として︑論を展開させることとする︒. それを象徴することばであろう︒Lたがってここでは︑﹁天皇権﹂とも言い換えるぺきでもあろうが︑﹁天皇権﹂も基本的に. ﹁王権﹂といい︑﹁古代王権﹂といい︑もともとそれは普遍的な王の呪的あるいは宗教的支配構造︑一または古代における. 注ω 都倉﹁古代王権の国土とその継承Ol﹃古事記﹄の構造に関違して−﹂﹃早稲田商学﹄二八六号︒ ②. ③ ④. 古橋信孝﹁古代詩論の方法試論︵その1︶﹂﹃文学史研究1﹄︒その他︒. 西郷信綱﹁古代王権の祭式と神話−神代とは何かI﹂﹃詩の発生﹄︑﹁須佐之勇A叩−罪の化身﹂﹃古事記の世界﹄︒. ⑤ 都倉﹁古代王権の字宙構造−﹃古事記﹄三貴子分治神話をめぐって−﹂﹃早稲田商挙﹄二八一号邊 ⑥. 山口昌男﹁天皇制の深層構造﹂﹃知の遠近法﹄︒. ω⑥に同じ︒. 西郷信綱﹁大嘗祭の構造﹂﹃吉事記研究﹄︒. 折口信夫﹁大嘗祭の本義﹂﹃折口信夫全集一﹄︒. ⑧⑤に同じ︒ ⑨. 60i.
(21) 21. 松田修﹁聖・性・恥−神話のマトリソクス﹂﹃現代の宗教3聖地﹄︒. 次田潤﹃祝詞新考﹄. ω・㈲に同じ ︒. ωに同じ藺. 土橋寛﹃古代 歌 謡 全 註 釈 古 事 記 篇 ﹄ 一 四 頁 ︒. 西郷信綱﹃古事記注釈第一巻﹄三八八頁︒. 蝸に同じ︒その他︒. ⑯に同じ︒. 宮家準﹃生活の中の宗教﹄︒その他︒. 三品彰英﹁大嘗祭の問題点﹂﹃論文集第五巻古代祭政と穀嚢信仰﹄︒. 真弓常忠﹁大嘗祭の祭神﹂﹃目本古代祭祀の研究﹄︒. 松前健﹁日向神話の形成﹂﹃日本神話の形成﹄︒. ⑨酉郷・⑳・ ⑳ に 同 じ ︒. 坂部恵﹁しるし・うつし身・ことだま﹂﹃仮面の解釈学﹄︒. 井上辰雄﹃熊襲と隼人﹄︒その他︒. ⑨西郷・鶴井 上 に 同 じ ︒. ⑳七三頁︒. ﹃シソポジウム日本の神話4日向神話﹄二一五頁︑松前健の発言︒. 西郷信縄﹁日向三代の物語﹂﹃古事記の世界﹄一六二頁︒. ⑨西郷に同じ竈. 600. 原島礼二﹁出雲の国ゆずり物語﹂﹃神武天皇の誕生﹄︒. 側鶴鯛㈲⑳鶴⑳鱒㈲㈲⑳⑲⑱⑰屯㊥⑮⑭⑱⑫ω⑳.
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