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小林清親の「光線画」をめぐって : その表現の成 立と展開の一試論

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小林清親の「光線画」をめぐって : その表現の成 立と展開の一試論

著者 田淵 房枝

雑誌名 人文論究

巻 64/65

号 4/1

ページ 59‑77

発行年 2015‑05‑20

URL http://hdl.handle.net/10236/13278

(2)

小 林 清 親 の ﹁ 光 線 画 ﹂ を め ぐ っ て

││ そ の 表現 の 成 立と 展 開 の一 試 論

││

田 淵 房 枝

は じ め に 明治

時代 の絵 師・ 小林 清親

︵一 八四 七〜 一九 一五

︶は

︑明 治九 年︵ 一八 七六

︶八 月 に版 元の 松木 平吉 から

﹁東 京銀 座街 日報 社﹂

﹇ 図1

﹈や

﹁東 京新 大橋 雨中 図﹂

﹇図 2

﹈な ど五 点を 皮切 りに

︑明 治の 東京 の姿 を情 趣豊 かに 描き 出し た風 景版 画シ リー ズ の版 行を 開始 した

︒い わゆ る﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ であ り︑ 雨中 や夜 など の光 と 影

︑光 の ゆ らぎ

︑色 彩 の 変 化 な ど が 醸 す 情 趣 を

︑自 然 な 描 写 で 細 や か に 描 い た

﹁光 線画

﹂に よっ て人 気 を 博し た

︒こ の シリ ー ズ を始 め る に 至っ た 経 緯が 不 明 であ る 以上 に︑

﹁ 光線 画

﹂と い う呼 称 の 出ど こ ろ は定 か で な く︑ 松木 平 吉 が清 親 の スケ ッ チ帳 を見 て考 案し たと いう 清 親の 五 女・ 小 林 哥津 の 回 想に よ る 説

も あ れば

︑清 親 が 松 木 に売 り こ んだ と い う 説

も あ る

︒い ず れ に し て も

︑﹁ 光 線 画

﹂と 呼 ば れ た も のは

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズの 風景 版画 作品 であ ると いう 考え 方が 今日 一般 的で

1 小林清親「東京銀座街日報社」

明治9年 五

(3)

あ り︑ 明治 一四 年︵ 一八 八一

︶に この シリ ーズ の 版 行を 中 止 した こ と につ い て は︑

﹁ 光線 画

﹂を 捨 てた と い う表 現 が な され てき た︒ しか し︑ 平成 二四 年︵ 二〇 一二

︶に 山口 県立 萩美 術館

・浦 上記 念館 で開 催さ れた

﹁清 親と 安治

│光 線画 の時 代﹂ 展 に おい て︑

﹃ 教化 適用

毛 鉛画 独稽 古 附教 授法

﹄と いう 明治 二八 年︵ 一八 九五

︶に 出版 され た絵 画教 本が 公開 され

︑ そ こで 清親 自身 が︑

﹁ 光線 画ヲ 修ル ニハ 遠近 ノ度 光線 ノ工 合 ニ心 ヲ 注 クヘ シ 又 彩モ ナ ク 一 色ノ 球 ナ リト モ 光 線ノ 理 ニ ヨ リ一 方明 ニ一 方暗 トナ リ明 トナ リタ ル球 ノ周 辺ハ 如何 又暗 陰ナ ル部 分ハ 周辺 ハ如 何ト 考ヒ 又黒 色ナ ル卓 上ト 同黒 色 ナ ル球 又器 物ヲ 置キ タリ トモ 卓ト 器物 トハ 位置 相違 スル カ故 ニ光 線理 上必 ズ何 レカ 同黒 色ノ 内ニ 濃淡 ノ差 別ア ルモ ノ 故 ヨク

! "

注意 シ画 カス ンバ アル ベカ ラス

と記 し︑

﹁光 線画

﹂は 遠 近︑ 明暗

︑陰 影 に 注 意し て 描 くも の で ある と 説 明 し て い る

︒ この 絵 画 教本 の 出 版は 明 治 二 八年

︵一 八 九 五︶ で︑

﹁東 京 名 所図

﹂シ リ ー ズ 発表 時 期 と隔 た り が あ る と いう 点で 慎重 な考 察が 必要 では ある が︑ 従来 の﹁ 光線 画﹂ の認 識を 再考 する きっ かけ とな った

︒清 親が 本シ リー ズ を 発表 した 当時 から

︑彼 の弟 子・ 井上 安治

︵一 八六 四〜 一八 八九

︶も

︑師 の画 風に 酷似 した 作品 を自 身が 没す る明 治 二 二年

︵一 八八 九︶ まで 制作 し続 けた

︒さ らに 清親 の直 接の 弟子 では ない もの の︑ この 清親 の画 風に 近い 絵師 も存 在 し てい た︒ 何よ りも 清親 自身

︑﹁ 東 京名 所図

﹂シ リー ズ以 外の 作品 に︑ その 手法 を用 いて もい る︒ 以上 のこ とに より

﹁光 線画

﹂と いう 言葉 が単 に本 シリ ーズ のみ を示 すも の とし て 用 いら れ て いる 今 日 の 状況 に

︑幾 何 かの 疑 問 を抱 か せ る

︒ 本稿 では

︑﹁ 光 線画

﹂の 特徴 を再 度整 理 し つつ

︑清 親 の 多岐 に わ たる 画 歴 の 中で

︑﹁ 光 線 画﹂ が単 に

﹁東 京 名所 図

﹂ シ リー ズと いう 一時 期の 版画 作品 を示 すも のか どう か︑ 明治 一四 年︵ 一八 八一

︶に

﹁光 線画

﹂を 捨て たと いう 表現 が 的 確か どう かに つい て︑ 彼の 作品 を分 析す るこ とに よっ て考 察し てみ たい

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

(4)

4 小林清親「隅田堤雪後」

明治14年頃

2 小林清親「東京新大橋雨中図」

明治9年

6 小林清親「両国大火浅草橋」

明治14年

(摺違い)

5 小林清親「両国大火浅草橋」

明治14年

8 小林清親「両国大火浅草橋」

明治14年

(摺違い)

7 小林清親「両国大火浅草橋」

明治14年

(摺違い)

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 一

(5)

13 小林清親「東京五大橋之一両国真景」

明治9年

16 小林清親「薩た之冨士」

明治14年

(摺違い)

15 小林清親「薩た之冨士」

明治14年

21 小林清親「冒営口厳寒我軍張露営之図」

明治28年

19 小林清親

「武蔵百景 玉川ぬのさらし」

明治17年

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 二

(6)

第一 章

﹁東 京 名 所図

﹂ シ リー ズ に おけ る

﹁ 光線 画

﹂ の手 法 小

林 清親 の 比 較的 初 期 の作 で あ り︑ 代 表作 で も ある

﹁東 京 名 所図

﹂シ リ ー ズ には

︑特 筆 す べ き 要 素 が い く つ か あ る

︒そ れら は清 親の 生涯 にわ たる 作画 活動 に少 なか らず 影響 を与 えて いる よう に思 える

︒ 新時 代の 東京 の姿 を︑ 江戸 の名 残と とも に抒 情的 に描 いた

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズは

︑清 親が 描き ため た水 彩に よ る スケ ッチ が基 にな って いる

︒現 存す る写 生帖 の中 に︑ 実際 に作 品と なっ たも のが いく つか 確認 でき るこ とか らも 分 か る︒ 彼に とっ て水 彩の スケ ッチ はど のよ うな 意味 を有 して いる ので あろ うか

︒幼 少期

︑絵 を習 いに 連れ て行 って も ら った 町絵 師の 手本 を見 て﹁ 実物 と違 う﹂ と言 った エピ ソー ド

が 伝わ っ てお り

︑伊 勢 に おい て 写 真と い う もの を 見 た 時︑ その 正確 にも のを 写し 取る 技術 に驚 いて

︑横 浜の 下岡 蓮杖 を 訪 ねた

と い う逸 話 も ある

︒こ の ほ か︑ ワー グ マ ン に一 時期 師事 した 際︑ 実物 を捉 える 写生 の姿 勢を 学ん だと も考 えら れ てい る

︒清 親 に とっ て は 事物 を あ りの ま ま に 写す こと が非 常に 重要 であ った に違 いな い︒ そこ で︑ 豊か で自 由な 描写 方法 とし て︑ 水彩 スケ ッチ に彼 は眼 を向 け た

︒し かし 水彩 スケ ッチ はあ くま でも 水彩 スケ ッチ であ り︑ 絵画 制作 の補 助的 なも ので あっ たた め︑ 彼は

︑作 品発 表 の 手段 とし ては 伝統 的で 色彩 豊か な錦 絵を 選択 した

︒赤 絵と 呼ば れる

﹁開 化絵

﹂が

︑赤 や紫 の色 を多 用し 維新 以後 の 世 相を 主に 描い たの に対 し︑ それ は実 際に 見ら れる よう な色 づか いを 心が けて いる こと を特 徴と する

︒ 彼に とっ て銅 版や 石版 を利 用す ると いう 可能 性は 低か った よう に思 われ る︒ なぜ なら

︑銅 版・ 石版 は物 事を より 写 実 的に 描き 出せ ると いう 利点 があ るも のの

︑当 時は まだ 使用 でき る色 が少 なか った から であ る︒ 水彩 によ るス ケッ チ を 基に して いる 作品 とい う性 質上

︑そ の微 妙な 色の 移り 変わ りや 陰影 のぼ かし を表 現す るに は︑ より 豊富 な色 で描 き 出 せる 木版

︑す なわ ち錦 絵と いう 手段 が最 適だ った ので あろ う︒ 小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 三

(7)

版元 の松 木平 吉が 居留 地の 外国 人 たち と 交 流 をも っ て いた

こ とも 関 係 して い ると 思 わ れ る︒ 明治 九 年︵ 一 八七 六

︶八 月 に発 表 し た 作品 五 点 の初 摺 に は︑ 英 字の タイ トル が枠 外下 につ けら れて いた こと から

︑日 本で 発展 した 錦絵 で日 本 の風 景を 西洋 絵画 風に 描い たと いう 特色 を出 した 作品 を︑ 外国 人向 けに 発表 し てい た可 能性 もあ る︒ この よう な状 況か ら︑ 清親 が木 版を 選択 した のは

︑版 元 の要 望も あっ たこ とも 想像 でき るだ ろう

︒い ずれ にし ても

︑当 時の 技術 と清 親 をと り巻 く環 境が

︑木 版に よる 錦絵 を選 択さ せた とい うこ とが 考え られ る︒ 一方

︑水 彩の 筆致 とい うも のは 面的 であ り︑ ぼか しに よっ て明 暗や 色彩 の変 化 を表 現で きる もの であ る︒ これ を線 的な 表現 によ る錦 絵で 再現 する こと は非 常 に難 しい こと でも あっ た︒ そこ で︑ 油彩 や銅 版︑ 石版 とい った 西洋 の技 術の 影 響 も 受 け︑ 清親 の 作 品に は ク ロス ハ ッ チ ング に よ る陰 影 表 現﹇ 図3 a・ b﹈ や 輪郭 線の 省略

﹇図 4﹈ など の技 法も 応用 され た︒ この よう な作 品を 制作 する に あた って は︑ 彫り や摺 りの 工程 でか なり の要 望を 出し てい たこ とが

︑娘 の哥 津

や摺 師の 西村 熊吉 の回 想

か らも うか がえ る︒ 錦絵 では 再現 が難 しい 清親 の描 く風 景を 何と か木 版に する べく

︑清 親は 強い こ だわ りを もっ て制 作に のぞ んで いた ので ある

︒こ のよ うな 制作 の姿 勢が

︑当 時 の錦 絵作 品と はや や趣 の異 なる

︑情 緒豊 かな いわ ゆる

﹁光 線画

﹂を 生み 出す こ とと なっ たと 推察 され る︒ 木版 によ る作 品に もか かわ らず

︑水 彩の 面的 な表 現 が再 現さ れ︑ 微妙 な色 の移 り変 わり も色 の版 を重 ねる こと で見 事に 描き 出し

3−b 右図部分 図3−a 小林清親「上野公園画家写生」

明治9年頃

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 四

(8)

て いる ので ある

︒光 源を 意識 し︑ 光と 影に 注視 した 作風 も︑ 目に うつ る事 物を あり のま まに 写す スケ ッチ で培 った も の なの であ ろう

︒闇 に浮 かぶ 光と それ が生 み出 す色 彩の ゆら ぎを

︑自 然な 描写 で表 現す るこ とに 成功 して いる

︒構 図 に おい ても

︑地 平線 が低 く︑ 画面 中の 空の 範囲 が広 く取 られ てい る︒ 実際 にそ の場 所に 行っ て見 てい るか のよ うな 視 点 の低 さで ある が︑ それ は︑ スケ ッチ に基 づく 制作 態度 の重 視に 起因 して いよ う︒ 風景 にお ける 色の 移り 変わ りは

︑時 間の 経過

︑天 候の 変化 によ って 起こ ると いう 点も 大き いが

︑清 親は それ すら 作 品 で表 現し よう とし た可 能性 もあ る︒ 現存 する スケ ッチ 帳に は︑ 夜空 の月 と︑ それ にか かる 雲を 連続 で写 生し てい る 箇 所 が あ る

︒ 時間 の 経 過で 次 々 に変 化 し て いく 色 彩 を研 究 す る 意 味 も 感 じ と れ る︒ 加 え て 清 親 の 風 景 版 画 作 品 に は

︑摺 違い が数 多く 確認 され てい る

︒ 両国 の大 火の 際に は︑ 作品 自体 が非 常 に人 気 で 何 度も 重 版 をお こ な った よ う で あ る が︑ 刻 々 と 変 化 す る 炎 の 様 子 を こ の 摺 違 い に よ っ て 表 現 し て い る よ う に 見 え る

﹇図 5﹈

﹇図 6﹈

﹇ 図7

﹈﹇ 図 8

﹈︒ こ うい った

︑作 品へ の強 いこ だわ り︑ 色彩 の変 化 への 留 意 とい う も のが 感 じ と れる 例 も あり

︑目 に う つる も の を 写実 的に 描写 した 清親 の﹁ 光線 画﹂ は︑ 長年 続け てい たス ケッ チで 得た 作風 なの だと いう こと が推 察で きる

︒ 以上 のよ うに

︑水 彩ス ケッ チを 木版 で再 現す る に あた り

︑前 述 した よ う に︑ 彫り や 摺 り の工 程 で 要望 を 出 した り

︑ 時 間の 経過 や天 候の 変化 で移 り変 わる 色彩 を摺 違い で表 現し よう とし た可 能性 があ った りす るな ど︑ 作品 にか なり 強 い こだ わり をも って いた こと が推 察で き る︒ 清 親に と っ て︑

﹁光 線 画﹂ に よる 画 面 を つく り 出 すに あ た り︑ その 手 法 と いう もの は︑ 非常 に繊 細で 多様 な意 味を もつ もの であ った とい うこ とが

︑ス ケッ チ及 びそ れを 作品 化し た風 景版 画 か ら充 分に うか がえ る︒ とこ ろが 彼は 明治 一四 年︵ 一八 八一

︶︑ そ の風 景 版画 シ リ ーズ に 終 止符 を 打 ち︑ 風 刺画 を 手 がけ た り︑ 数 十点 遺 さ れ た﹁ 武蔵 百景

﹂の よう な江 戸回 顧の 画風 の作 品を 発表 した りす る︒ あま りに 突然 の画 風転 換で あっ たた めか

︑こ れ ま での 研究 でも

﹁光 線画

﹂を 捨て たと さえ 論じ られ るこ とも ある

︒し か し︑ 清親 に と っ て重 要 な 手法 で あ るは ず の 小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 五

(9)

﹁光 線画

﹂を たや すく 捨て てし まう とい うの は︑ こ れま で の 論述 に お いて も

︑少 し く 疑問 が 残 る︒ 絵師 が シ リー ズ の 版 行を 中止 する 一因 とし ては

︑世 間の 人気 や需 要 が なく な っ てし ま っ たと い う こ とが 少 な くな い

︒﹁ 光 線画

﹂に お い て も同 じよ うな こと が起 きて しま った ので あろ うか

︒ 第二 章 清親 の 画 風に 近 い 絵師 た ち 清親

は果 たし て本 当に

﹁光 線画

﹂を 捨て たの か︒ この 疑問 点を 考察 する にあ たり

︑人 々の

﹁光 線画

﹂の 需要 の有 無 を

︑清 親の 周囲 の絵 師か ら探 って みる こと とす る︒ 清親 には 門人 が多 くい たよ うで ある が︑ その ほと んど は早 逝し たり

︑短 期間 で門 下を 去っ たり

︑詳 細す ら分 から な く なっ たり して おり

︑本 格的 に絵 師と して の活 動を おこ なっ てい た のは 数 人 で あっ た よ うで あ る

︒ そ の中 で

︑清 親 と 同時 期に

︑清 親の 画風 に酷 似し た作 品を 発表 して いる 弟子 とし て︑ 前述 の井 上安 治と いう 人物 が挙 げら れる

︒ 安治 は元 治元 年︵ 一八 六四

︶に 浅草 並木 町の 呉服 屋に 生ま れる

︒明 治一

〇年

︵一 八七 七︶ に一 時期 月岡 芳年 に入 門 し

︑そ の翌 年︑ 清親 に入 門す る︒ 明治 一三 年︵ 一八 八〇

︶に わず か一 六歳 で東 京を 描く 風景 版画 を発 表し

︑絵 師と し て 活動 を始 めた

︒松 木平 吉か ら﹁ 探景

﹂と いう 号を 与え られ

︑三 枚続 の﹁ 開化 絵﹂ を手 がけ つつ

︑抒 情的 な風 景版 画 も 残し た︒ 明治 二二 年︵ 一八 八九

︶九 月︑ 脚気 衝心 のた め︑ 結婚 を目 前に 二六 歳で 没す る︒ 安治 が清 親に 入門 する 経緯 とし ては

︑清 親が 隅田 川沿 岸の 雪景 をス ケッ チし てい た様 子を

︑安 治が 二時 間以 上も 見 て いた とこ ろ︑ 二人 は語 り合 い︑ そこ で清 親に 入門 を懇 願し たと の こと で あ る

︒ 哥 津も 安 治 につ い て︑ 清 親の 絵 を 見 て清 親の 心を 慕っ たと 回想 して おり

︑清 親の 絵に 影響 を受 けた こ とは 容 易 に 想像 で き る︒ 入門 後 は︑ 師 の作 品 を 模 写し たり

︑安 治自 身も スケ ッチ に出 かけ たり して いた よう で ある

︒師

・清 親 の 絵 を見 て

︑ス ケ ッチ で 実 景を 描 き

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 六

(10)

と め る こ とで

︑安 治 は 師匠 の 画 風 を 学 び 取 っ て い っ た の で あ ろ う︒ 明 治 一 三 年

︵一 八 八〇

︶に

︑版 元

・福 田 熊次 郎 か ら発 表 さ れ た安 治 の 最初 期 の 作品

﹁浅 草 橋 夕 景

﹂﹇ 図 9﹈ には

︑画 中 に 安治 の サ イン が 入 れ られ な が らも

︑欄 外 の 届印 に は 画 工と して 清親 の名 前が 使わ れて いる

︒題 字も 清親 の筆 によ るも ので

︑師 匠と し て の後 見の 意味 もこ めら れて いた ので はな いか と考 えら れて いる

︒ 安治 の作 品を 見れ ば︑ 彼が 清親 の画 風を 受け 継ぐ たし かな 弟子 と人 々に 思わ せ た こと であ ろう

︒以 降︑ 安治 は清 親の

﹁光 線画

﹂の 画風 に非 常に 似た 作品 を発 表 し てい く︒ しか も︑ 清親 が﹁ 光線 画﹂ を捨 てた とさ れて いる 明治 一四 年︵ 一八 八 一

︶以 降も その よう な画 風を 基本 に制 作は 続け られ てい る︒ 四つ 切判 で明 治一 七 年

︵一 八八 四︶ 頃よ り発 表さ れた

﹁東 京真 画名 所図 解﹂ シリ ーズ も︑ 安治 が没 す る 明治 二二 年︵ 一八 八九

︶ま で継 続し てい たこ とが それ を示 して いる

︒こ の﹁ 東京 真画 名所 図解

﹂シ リー ズに は︑ 安 治 が新 たに 描い た光 景は ある もの の︑ 清親 が大 判で 発表 した

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズの 図様 の流 用が 多い

︒こ のこ と か ら︑ 世間 から の﹁ 光線 画﹂ の需 要は 決し てな くな った わけ では ない とい うこ とが 推測 でき よう

︒ 清親 の弟 子で なく ても

︑同 様の 画風 で作 品を 発表 して いた 絵師 の存 在も 確認 され てい る︒ その 代表 例が

︑小 倉柳 村

︵生 没年 不詳

︶と いう 絵 師﹇ 10図

﹈で あ る︒ こ の人 物 に 関し て は︑ 明 治 一三

〜一 四 年︵ 一 八八

〜一 八 八一

︶の 間 に 発 表し た東 京の 風景 版画 が九 点残 るの みで

︑そ のほ か詳 細が 明確 にさ れて いな い︒ 清親 や安 治と 比較 して 絵画 的な 構 成 力に やや 拙さ はあ るが

︑明 暗の コン トラ スト を強 調す る画 風の 影響 を受 けて いる こと は明 白で ある

︒京 都で も︑ 野 村 芳国

︵一 八五 五〜 一九

〇三

︶と いう 絵師 が

﹁光 線 画﹂ を 意識 し た よう な 作 風で 京 都 や 大阪 を 描 く風 景 版 画﹇ 11図

﹈ を 発 表し て い る

︒ 東 京か ら 遠 く離 れ た とこ ろ に も︑

﹁ 光線 画

﹂の 影 響が 及 ん でい る と い う点 で 近 年関 心 が もた れ 始

9 井上安治「浅草橋夕景」

明治13年 小

林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 七

(11)

め てい る︒ この よう に︑ 清親 の弟 子・ 井上 安治 が 明 治 一 四 年︵ 一 八 八 一

︶以 降 も

﹁光 線 画

﹂の 画 風 の 作 品 を 発 表 し て い る こ と

︑ 清 親の 影響 を受 けて いる と思 われ る絵 師 も 存在 する こと から

︑世 間か らの 需要 が 全 く な く な っ た と は 言 い が た い

︒し か も

︑こ の 年 以 降 の 清 親 自 身 の 作 品 に も

﹁光 線 画﹂ の 手 法 を 用 い た も の が 依 然 と し て見 受け られ るの であ る︒ さら に︑ 本 シ リー ズ版 行以 前の 作品 にも

︑﹁ 光 線画

﹂の 先取 りを 見る こと が可 能な のか 否か を考 究す る必 要も あろ う︒ 第三 章 清親 の 風 景版 画 に おけ る

﹁ 光線 画

﹂ の手 法 清親

は明 治一 四年

︵一 八八 一︶ に﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ の版 行を 停止 する が︑

﹁ 光線 画﹂ の手 法自 体は

︑﹁ 東京 名 所 図﹂ シリ ーズ 以外 の清 親の 作品 にも 随所 に見 られ る︒

﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ ほど 明確 では なく とも

︑﹁ 光線 画﹂ の 手 法を 用い た例 とし て注 目す べき であ ろう

︒こ こで は︑ 本シ リー ズ版 行以 前︑ 及び それ 以後 とい う︑ 二つ の時 期を 考 え 合わ せつ つ︑ 清親 の多 様な 画業 にお ける

﹁光 線画

﹂の 手法 が見 られ る作 品に 触れ てい きた い︒

﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ を版 行す る少 し前 にも

︑清 親 はい く つ かの 風 景 版画 を 発 表 して い る︒ 特 に松 木 平 吉か ら 出

10 小倉柳村「日本橋夜景」

明治13〜14年

11 野村芳国

「京坂名所図絵 京都大仏豊国神社之図」

明治18年

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 八

(12)

版 し て い る︑

﹁東 京 江 戸 橋 之 真 景

﹂﹇ 12図

﹈と

﹁東 京 五 大 橋 之 一 両 国 真 景

﹂﹇ 図 13

﹈と いう 明治 九年

︵一 八七 六︶ 一月 に制 作さ れた 作品 二点 につ いて はよ くと り あ げら れる

︒と もに 三枚 続で

︑石 造り の橋 や洋 風建 築︑ 電柱 とい った 明治 の新 し い 事物 を 描 いて は い る︒ しか し な がら

︑﹁ 東 京 江 戸橋 之 真 景﹂ のク ロ ー ズア ッ プ さ れた 三人 の人 物︑ その 人物 の描 き方

︑一 文字 ぼか しを 用い た空 には

︑江 戸時 代 の 浮世 絵 の 特徴 が 色 濃く 残 っ てい る

︒﹁ 東 京 五大 橋 之 一両 国 真 景﹂ も︑ 遠景 に 描 か れた 富士 山が 江戸 時代 の風 景版 画を 思い 起こ させ る︒ 人物 の描 写と とも に︑ 当 時 多用 され た赤 や紫 とい う色 彩を 画面 にあ まり 使用 して いな いた め︑ いわ ゆる 赤 絵 で は な いに せ よ

︑そ の 表 現 は

﹁東 京 名 所 図

﹂シ リ ー ズ と は 異 な っ て 同 時 期 の

﹁開 化絵

﹂と 大き な違 いは なか った

︒そ のた め︑

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズの みな ら ず

︑清 親の 作品 の中 でこ れら の評 価は 今日 では あま り高 くな い

︒ し か し殊 に

﹁東 京 五大 橋 之 一両 国 真 景﹂ に は︑

﹁東 京 名 所図

﹂シ リ ー ズの 表 現 を 決定 づけ る﹁ 光線 画﹂ の手 法を 先取 りす るよ うな 箇所 も見 られ る︒ 第一 章で 触 れ たよ うに

︑地 平線 が低 めで

︑空 が広 く描 かれ てい る︒ まる で実 際に その 場所 に 行 って 見た よう な構 図で ある

︒そ の空 には 一様 の形 では ない 雲が たな びき

︑微 妙な 色合 いを 生ん でい る︒ この よう な 視 点や 色彩 は︑

﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ に共 通す ると ころ であ る︒

﹁光 線画

﹂の 手法 があ らわ れは じめ た︒ そし て︑ こ の 半 年 余 りの 期 間 に︑ 清親 の 画 風は 大 き な 転換 期 を 迎え た と い うべ き で あろ う か︒ 同 年 八 月︑ い よ い よ﹁ 東 京 名 所 図

﹂シ リー ズの 版行 が始 まる

︒ やが て時 は移 り︑ 明治 一四 年︵ 一八 八一

︶に この シリ ーズ の版 行を 停止 した のと 同じ 時期

︑清 親は 箱根 の風 景を 描

12 小林清親「東京江戸橋之真景」

明治9年 小

林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

六 九

(13)

い た作 品を 数点 発表 して いる

︒日 時を 記し て写 生を 意識 した 作品

﹇図 14﹈ や︑ 摺違 い で 天 気 を 変 更 し

︑そ れ に よ っ て 変 化 し た 色 彩 を 描 き 出 し た 作 品﹇ 15図

﹈﹇ 図 16﹈ も ある

︒舞 台 が 東 京で は な いた め

︑﹁ 東 京名 所 図

﹂シ リ ーズ に は 入ら な い が︑ 現在

﹁光 線画

﹂の 例と して も 挙 げら れ る こと の 多 いシ リ ー ズ であ る

︒ス ケ ッチ を 基 にし た 作品 があ り︑ 光と 影を 意識 して 箱根 の光 景を 写実 的に 描き 出し

︑緻 密に 制作 して い る︒ 遠く に霞 む富 士山 を細 やか に描 いて

︑そ の色 彩の 推移 は大 気す らも 表し てい る よう であ る

︒こ う い った 表 現 は︑

﹁東 京 名 所図

﹂シ リ ー ズ との 近 似 性を 示 し てい る

︒こ のこ とか らも

︑今 日﹁ 光線 画﹂ が﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ の代 名詞 とし て用 い るに は齟 齬が 生じ てし まう 可能 性が 存し てい る︒ 明治 一七 年︵ 一八 八四

︶か ら﹁ 武蔵 百景

﹂の 発表 が始 まる が︑ あま り人 気を 得ら れ な か っ たよ う で︑ 三 四図 で や 制作 を 中 止 し て い る

︒こ の

﹁武 蔵 百 景

﹂は 江 戸 時 代 に 立 ち 返 っ た か の よ う な 作 風 で

︑構 図も 歌川 広重 の﹁ 名所 江戸 百景

﹂に 近 し いも の と なっ て い る︒

﹁東 京 名 所 図﹂ シリ ー ズ に見 ら れ た︑ 光と 影 へ の 意識

︑色 の推 移へ の注 目と いっ たも のは

︑作 品か らは ほと んど 感じ られ ない

︒し かし なが ら︑ その とこ ろど ころ に は

︑﹁ 光 線画

﹂の 手法 の片 鱗が 示さ れて いる よう に思 えて なら ない ので ある

︒ 明治 一七

〜一 八年

︵一 八 八 三〜 一 八八 四

︶頃 に 発表 さ れ た﹁ 武蔵 百 景 小 金 井さ く ら﹂

﹇ 17図

﹈の 桜 の花 は

︑輪 郭 線 を引 かず 色を 重ね るこ とに よっ て 陰 影を 描 き 出し て い る︒ 明治 一 七 年︵ 一 八八 四

︶の

﹁武 蔵 百景

隅 田 川 水神 森

﹇図 18﹈ の雲 は写 実的 で色 の版 が重 ねら れ︑ ぼか し も入 っ て 色の 移 り 変わ り が 表 現さ れ て いる

︒と り わ け︑ 同年 版 行 の

﹁武 蔵百 景 玉川 ぬの さら し﹂

﹇ 19図

﹈の 雲は

︑繊 細 な色 づ か いで 表 現 され た 月 の 光に 照 ら され

︑そ の 光 によ っ て 人 物は シル エッ トに なっ てい る︒ 光源 を 意 識し

︑光 と 影︑ 色 の推 移 に 注視 し た こ の作 品 は︑

﹁ 光線 画

﹂に 近 い作 風 と

14 小林清親「箱根三枚橋雨」

明治14年

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

(14)

い って も過 言で はな いで あろ う︒ 清親 にと って は︑ 伝統 的な 表現 の中 に︑ 捨て きれ ない 彼の 個性 の輝 きを 意図 する 部 分 があ った のだ ろう

︒ 第四 章 清親 の 戦 争錦 絵 に おけ る

﹁ 光線 画

﹂ の手 法

﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ 以外 で︑

﹁光 線画

﹂の 手法 が最 も積 極的 に用 いら れて いる のが

︑日 清・ 日露 戦争 期に 清親 が 手 がけ た数 々の 戦争 錦絵 であ ろう

︒明 治二

〇年 代︑ 錦絵 は石 版や 写真 に押 され

︑人 気が 衰え てい た︒ しか しな がら 錦 絵 は︑ 石版 や写 真よ りも 色彩 豊か な表 現が 可能 であ った ため

︑よ り分 かり やす く戦 況を 伝え られ ると いう 利点 を生 か し

︑一 時的 に人 気を 盛り 返し てそ の発 行数 を伸 ばし た︒ 人々 の需 要に こた える べく

︑多 くの 絵師 が戦 況報 道の ため に 作 品を 制作 し︑ 絵師 が不 詳の 作品 も多 く発 表さ れた

︒清 親の とこ ろに も版 元が 訪ね

︑戦 争錦 絵の 依頼 をし たよ うで あ る 特 ︒ に 日清 戦争 期に おい て︑ 清親 はさ まざ まな 画風 で戦 争錦 絵を 発表 して いる

︒⑴ 各地 で繰 り広 げら れた 戦い の様 子

17 小林清親

「武蔵百景 小金井さくら」

明治17〜18年

18 小林清親

「武蔵百景 隅田川水神森」

明治17年 小

林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 一

(15)

を あり のま まに 淡々 と描 き出 して いる もの

︑⑵ 対戦 国や 当時 の日 本の 風潮 を風 刺し て いる よう なも の︑

⑶戦 地の 様子 を雨 や雪

︑夜 など の景 で抒 情的 に描 いて いる もの と 大別 でき よう

︒こ こで 注目 した いの が︑ 戦地 の様 子を 抒情 的に 描き 出し てい る⑶ の よう な画 風の もの であ る︒ 光源 を意 識し

︑光 と影

︑色 のう つり かわ りに 留意 した こ のよ うな 画風 の作 品は

︑ま さに

﹁光 線画

﹂の 手法 を積 極的 に用 いた もの とい える の では ない のだ ろう か︒ たと えば 明 治 二 七年

︵一 八 九 四︶ に発 表 さ れた

﹁我 軍 野 戦 砲兵 九 連 城幕 営 攻 撃﹂

﹇図 20﹈ は︑ 夜に 雨 の 降る 中

︑戦 闘 に備 え る 兵士 た ち の 緊迫 し た 姿が

︑遠 く で 繰り 広 げ ら れ る爆 撃 の 光に 照 ら さ れ︑ シ ル エ ッ ト で 描 か れ て い る

︒同 じ く 明 治 二 八 年

︵一 八九 五︶ の﹁ 冒営 口厳 寒我 軍張 露営 之図

﹂﹇ 21図

﹈で も︑ 雪の 積も る夜 の森 で野 営 し︑ 火を おこ して 寒さ を凌 ごう とす る日 本兵 たち の様 子を 描き

︑暗 い夜 に浮 かぶ あ た た か な 火 が 兵 士 た ち を 照 ら し て い る

︒こ の よ う な 光 と 影 に 留 意 し た 画 風 は︑

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズで 見ら れた

﹁光 線画

﹂に 近い もの であ る︒ 微妙 な色 の変 化を 描き 出し た作 例も 見ら れる

︒夜 空に 浮か ぶ月 と︑ 月光 に照 らさ れた 雲の 表現 であ る︒ 明治 二七 年

︵一 八九 四︶ の﹁ 我軍 平壌 ノ清 営ヲ 襲 フ﹂

﹇図 22﹈ の 空は

︑さ ま ざ まな 色 で 版を 重 ね て 複雑 な 色 彩の 雲 と なり

︑﹁ 東 京 名 所 図

﹂シ リ ーズ で 数 々見 ら れ た夜 空 の 表 現に 近 い こと を 思 わ せ る︒ 同 年 出 版 の﹁ 朝 鮮 豊 島 海 戦 図﹂

﹇ 23図

﹈に は

︑ 波 で揺 れる 水面 に戦 火が 映っ てい る海 を表 し て いる

︒﹁ 東 京 名所 図

﹂シ リ ーズ で も 提 灯や 家 の 明か り が︑ 川 の水 面 や 雨 で濡 れた 地面 に映 りこ む様

﹇図 24﹈ はよ く描 かれ てお り︑ 共通 する とこ ろで もあ るだ ろう

︒ 清親 の戦 争錦 絵は

︑そ の主 題ゆ えに

︑世 間で の注 目度 は低 いか も しれ な い

︒ し か しそ の 抒 情的 な 描 写ゆ え に︑ 今

20 小林清親「我軍野戦砲兵九連城幕営攻撃」

明治27年

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 二

(16)

日 評 価 が 高め ら れ ても き て いよ う

︒そ の 画 面に は

︑﹁ 光 線画

﹂の 手 法 が積 極 的 に 用い ら れ てお り

︑清 親 の画 業 に お い て︑ 今後

︑よ り注 目す べき とこ ろで あろ う︒ 今ま

で述 べて きた よう に︑

﹁ 東京 名所 図﹂ シリ ーズ 以外 の作 品の 多く に︑

﹁光 線画

﹂の 手法 と思 われ る特 徴を 見る こ と がで きる

︒明 治一 四年

︵一 八八 一︶ に﹁ 光線 画﹂ を捨 てて しま った とい う見 方が され がち であ るが

︑作 品を 通し て 考 察す ると

︑決 して そう では ない よう に思 える ので ある

︒こ こに も︑ 清親 の光 と影 が描 き出 す情 趣的 な世 界が 現れ だ

22 小林清親「我軍平壌ノ清営ヲ襲フ」

明治27年

23 小林清親「朝鮮豊島海戦之図」

明治27年

24 小林清親「九段坂五月夜」

明治13年 小

林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 三

(17)

し た︒

お わ り に 今日

︑清 親の 名を 高め てい る﹁ 光線 画﹂ は︑ 単に

﹁東 京名 所図

﹂シ リー ズを 指す もの では なく

︑技 法と して はそ の 版 行の 少し 前か ら︑ 彼は 研究 を始 め︑ それ に基 づく 絵画 の制 作を して いる こと が認 めら れて いる

︒さ らに

︑本 シリ ー ズ が終 了し ても

︑こ の﹁ 光線 画﹂ の手 法を さま ざま な作 品に 用い てい るこ とも 考究 でき たよ うに 思わ れる

︒﹁ 光 線画

﹂ の 需要 は︑ 明治 時代 のあ る時 期に 突如 なく なっ たわ けで はな かっ た︒ 清親 の画 業は 実に さま ざま で︑ 本稿 で扱 った のは その ごく 一部 に過 ぎな い︒ しか し︑ たと え明 確で なく ても

︑光 と 影

︑色 彩 の 推 移に 留 意 し︑ 自然 な 描 写で 事 物 を 描き 出 し た﹁ 光線 画

﹂の 特 徴 が見 ら れ る作 品 が あ る の は た し か で あ る

︒本 稿の 冒頭 部に 示し た︑ 清親 自身 が﹁ 光線 画﹂ の遠 近︑ 明暗

︑陰 影に 注意 して 描く 旨を 説明 して いる との 記述 が 再 び浮 かび 上が って くる

︒絵 画教 本に ある よう に︑ 技法 とし て清 親が 認識 して おり

︑清 親の 画業 にお いて 重要 であ っ た

﹁光 線画

﹂を ある 時期 に捨 てた とは 言え ない とい う可 能性 を生 じさ せる

︒ 近 年︑ 展 覧会 や 研 究の 状 況 を見 る と︑ 小 林 清親 へ の 人気 も 高 まっ て き て いる

︒し か し やは り 目 を 向 け ら れ る の は

﹁光 線画

﹂で

︑そ こで 挙げ られ る作 品は 決 まっ て

﹁東 京 名所 図

﹂シ リ ーズ で あ る︒ た しか に そ こに は

︑目 に うつ る も の をよ り自 然な 描写 で強 いコ ント ラス トを も っ て描 き 出 すと い う 彼自 身 の こ だわ り が 見え る

︒﹁ 光 線画

﹂は

︑彼 の 代 名 詞と も評 され るこ とは 否定 しな い︒ だが 清 親 は︑

﹁名 前 が ない と 一 人の 人 の 手 とは 思 え ない

﹂と 言 わ れる ほ ど︑ 多 様 な 作 品 を残 し て いる の も 事実 な の で ある

︒今 後

︑﹁ 光 線画

﹂の 意 味 の広 が り に 注目 し つ つ︑ 彼の 幅 広 い画 業 に 着 目 して 研究 をよ り発 展さ せて いく 必要 性が ここ に存 在す る︒

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 四

(18)

⑴ 小 林 哥 津

﹁ 清 親 の 追 憶

﹂﹃ 中 央 公 論

﹄ 六 月 号 一 一 頁

⑵ 小 林 源 太 郎

﹁ 小 林 清 親 と 東 京 風 景 版 画

﹂﹃ 中 央 美 術

﹄ 二 巻 二 号 四 四 頁

⑶ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 編

﹃ 清 親 と 安 治

│ 光 線 画 の 時 代

﹄ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 二

〇 一 二 一 三 七 頁

⑷ 吉 田 洋 子 氏 は

﹁ 教 本 の 指 導 に 従 っ て 描 け ば

︑ 誰 で も 描 く こ と の で き る 一 つ の 表 現 様 式 と 認 識 さ れ て い る

﹂ と 述 べ て い る

︵ 吉 田 洋 子

﹁ 光 線 画 の 時 代

﹂ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 編

﹃ 清 親 と 安 治

│ 光 線 画 の 時 代

﹄ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 二

〇 一 二 二 四 二 頁

⑸ 小 林 哥 津

﹁ 清 親 の 追 憶

﹂︵ 前 掲

︶ 五

〜 六 頁

⑹ 木 下 杢 太 郎

﹁ 故 小 林 清 親 翁 の 事

﹂︵ 吉 田 漱 編

﹃ 最 後 の 浮 世 絵 師 清 親

﹄ 蝸 牛 社 一 九 七 七 所 収

︶ 一 四 八

〜 一 四 九 頁

⑺ 吉 田 漱

﹁ 小 林 清 親

│ 近 代 日 本 美 術 史 に お け る 位 相

﹂︵ 吉 田 漱 編

﹃ 最 後 の 浮 世 絵 師 清 親

﹄ 蝸 牛 社 一 九 七 七 所 収

︶ 一 八 一 頁

⑻ 吉 田 漱

﹁ 明 治 の 版 元 松 木 大 平

﹂﹃ 季 刊 浮 世 絵

﹄ 三 四 号 五 三 頁

﹁ 父 の 方 は

︑ 父 の 方 で

︑ 中 々 在 來 の

︑ 木 版 繪 具

︑ 今 ま で の す り の 手 法 等 も

︑ 氣 に 入 ら ぬ ふ し が 多 く

︑ あ ゝ で も な い

︑ か う で も な い と

︑ 色 々 に 苦 心 し て

︑ 自 分 で 木 を 彫 る や ら

︑ 繪 具 を あ は せ る や ら 中 々 大 變 で あ つ た と か 云 ひ ま す

﹂︵ 小 林 哥 津

﹁ 清 親 の 追 憶

﹂︵ 前 掲

︶ 一 一 頁

﹁ 淸 親 さ ん は

︑ 西 洋 繪 を 習 つ た 人 だ け に

︑ 筆 さ ば き が 惡 く つ て

︑ 隨 分 苦 し い 思 ひ を さ せ ら れ た も の だ

⁝︵ 中 略

︶⁝ 淸 親 さ ん は

︑ う ん と 西 洋 繪 を 見 て ゐ る ん だ し

︑ 職 人 の 方 ぢ や

︑ 彫 師 も 摺 師 も ま だ

︑ あ ん な 油 描 き な ん か 見 た こ と も な か つ た わ け だ

︒ そ れ だ け に 遠 目 に は つ き り 見 せ な け り や い け な い も の を

︑ 日 本 流 に ぼ か し を か け た り し て

︑ が み が み 云 は れ た り し た も の だ

﹂︵ 西 村 熊 吉 談

︑ 本 澤 浩 二 郎 筆 記

﹁ 摺 師 熊 吉 昔 噺

﹂﹃ 浮 世 絵 芸 術

﹄ 二 巻 三 号 五 七 頁

⑾ 岡 本 祐 美

︑ 財 団 法 人 工 芸 学 会

・ 麻 布 美 術 工 芸 館 学 芸 課 編

﹃ 小 林 清 親 写 生 帖

﹄ 財 団 法 人 工 芸 学 会

・ 麻 布 美 術 工 芸 館 一 九 九 一 七 五

〜 七 七 頁

⑿ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 編

﹃ 清 親 と 安 治

│ 光 線 画 の 時 代

﹄ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 二

〇 一 二 に 詳 し い

⒀ 山 梨 絵 美 子

﹃ 清 親 と 明 治 の 浮 世 絵

﹄ 至 文 堂 一 九 九 七 三 三 頁

⒁ 大 曲 駒 村

﹁ 小 林 清 親

﹂﹃ 浮 世 絵 志

﹄ 二 七 号 三 六

〜 四 三 頁 小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 五

(19)

﹁ 或 る 雪 の 降 る 日

︑ 清 親 は 例 の 如 く ノ ー ト を 懐 ろ に し て

︑ 白 鬚 の 渡 し を 渡 り

︑ 向 島 は 綾 瀬 川 の 土 手 の 上 で 隅 田 川 沿 岸 の 雪 景 を 寫 生 し て 居 た

︒ 處 が

︑ 其 處 へ 十 三 四 歳 の 小 僧 が 一 人 來 て

︑ 始 め か ら 終 り ま で

︑ 二 時 間 の 餘 も 雪 中 に 佇 み

︑ 一 心 不 乱 に 見 入 つ て 居 る

︒ そ の う ち に

︑ 何 方 か ら と も な く 話 し 掛 け

︑ 遂 二 人 の 話 は 繪 畫 の 事 に 及 び

︑ 其 處 で い ろ い ろ と 語 り 合 つ た が

︑ 小 僧 さ ん 俄 か に 生 真 面 目 な 態 度 に な り

︑﹁ 先 生

︑ 是 非 私 を 先 生 の 弟 子 に し て 下 さ い

﹂ と 直 談 判 に 及 ん だ

︒ 清 親 も 内 心

︑ こ れ は 面 白 い 小 僧 だ

︑ 或 ひ は 大 成 す る か も 知 れ ぬ と 思 ふ た の で

︑ 直 ぐ に

﹁ よ ろ し い

︑ 何 時 で も 私 の 處 へ お 出 で

﹂ と 云 ふ の で

︑ 二 人 の 師 弟 關 係 は 綾 瀬 川 の 雪 の 上 で 結 ば れ た

﹂︵ 大 曲 駒 村

﹁ 小 林 清 親

﹂︵ 前 掲

︶ 三 八 頁

⒃ 小 林 哥 津

﹁ 清 親 の 追 憶

﹂︵ 前 掲

︶ 一 二 頁

⒄ 吉 田 漱

﹁ 夭 折 の 絵 師 井 上 安 治

﹂︵ 安 藤 鶴 夫

・ 吉 田 漱

﹃ 井 上 安 治 東 京 真 画 名 所 図 解

﹄ 平 凡 社 一 九 六 八 所 収

︶ 六 六 頁

︑ 八

〇 頁

⒅ 吉 田 漱

﹁ 夭 折 の 絵 師 井 上 安 治

﹂︵ 安 藤 鶴 夫

・ 吉 田 漱

﹃ 井 上 安 治 東 京 真 画 名 所 図 解

﹄ 平 凡 社 一 九 六 八 所 収

︶ 六 六 頁

⒆ 吉 田 漱

﹃ 開 化 期 の 絵 師 清 親

﹄ 緑 園 書 房 一 九 六 四 二 二 一 頁

⒇ 菊 地 貞 夫

﹁ 風 景 版 画 家 と し て の 清 親

﹂﹃ 季 刊 浮 世 絵

﹄ 一

〇 号 三 二 頁 菅 原 真 弓

﹃ 浮 世 絵 版 画 の 十 九 世 紀

│ 風 景 の 時 間

︑ 歴 史 の 空 間

﹄ ブ リ ュ ッ ケ 二

〇 九 一 四 三 頁 小 林 哥 津

﹁﹁ 清 親

﹂ 考

﹂︵ 吉 田 漱 編

﹃ 最 後 の 浮 世 絵 師 清 親

﹄ 蝸 牛 社 一 九 七 七 所 収

︶ 八 三 頁 戦 争 錦 絵 の 評 価 も あ ま り 高 く は な い

︒ 織 田 一 磨 は

﹁ 二 十 七 八 年 の 戰 爭 畫 に 至 つ て は 言 語 道 斷 の 愚 劣 さ で あ る

﹂ と 痛 烈 に 批 判 し て い る

︒︵ 織 田 一 磨

﹁ 小 林 清 親 の 版 画

﹂﹃ 浮 世 絵 之 研 究

﹄ 一 二 号 五 頁

︶ 小 林 源 太 郎 も

﹁ 日 淸 戰 役 の 際 に も

︑ 所 謂 戰 爭 の 錦 繪

︵ 多 く 三 枚 續

︶ を 出 し て ゐ る が

︑ 之 は 又 彼 が ポ ン チ 繪 と 同 系 に し て 何 の 藝 術 的 生 命 も な い も の で あ る

﹂ と 厳 し い 評 価 で あ る

︒︵ 小 林 源 太 郎

﹁ 小 林 清 親 と 東 京 風 景 版 画

﹂︵ 前 掲

︶ 四 二 頁

︶ 吉 田 漱

﹁ 清 親 論 考

﹂﹃ 日 本 印 象 派 の 先 駆 者 小 林 清 親 展

﹄ 浮 世 絵 太 田 記 念 美 術 館 一 九 八 九 八 九 頁 吉 田 漱 他 三 名 に よ る 座 談 会

﹁ 開 化 期 の 絵 師 清 親 の 歩 い た 道

﹂﹃ 季 刊 浮 世 絵

﹄ 一

〇 号 四 六 頁 付 記 本 稿 で は 一 部

︑ 旧 字 体 を 改 め 新 字 体 を 用 い た

小 林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 六

(20)

図 版 典 拠 図 1

・ 2

・ 3

・ 4

・ 5

・ 6

・ 7

・ 8

・ 15

・ 16 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 編

﹃ 清 親 と 安 治

│ 光 線 画 の 時 代

﹄︵ 山 口 県 立 萩 美 術 館

・ 浦 上 記 念 館 二

〇 一 二

︶ 図 9

・ 10 稲 垣 進 一 編

﹃ 浮 世 絵 入 門

﹄︵ 河 出 書 房 新 社 一 九 九

︶ 図 11 原 色 浮 世 絵 大 百 科 事 典 編 集 委 員 会 編

﹃ 原 色 浮 世 絵 大 百 科 事 典 第 二 巻 浮 世 絵 師

﹄︵ 大 修 館 書 店 一 九 八 二

︶ 図 12 橋 本 健 一 郎 監 修

︑ 橋 本 健 一 郎

・ 稲 田 威 郎

・ 本 郷 和 沙 編

﹃ 江 戸

・ 東 京 モ ダ ン

│ 浮 世 絵 に 見 る 幕 末

・ 明 治 期 の 世 相

︵ 財 団 法 人 東 日 本 鉄 道 文 化 財 団 一 九 九 八

︶ 図 13

﹃ 明 治 の 浮 世 絵 師 小 林 清 親 展

﹄︵ 静 岡 県 立 美 術 館 一 九 九 八

︶ 図 14

・ 20 原 色 浮 世 絵 大 百 科 事 典 編 集 委 員 会 編

﹃ 原 色 浮 世 絵 大 百 科 事 典 第 九 巻 作 品 四 広 重

│ 清 親

﹄︵ 大 修 館 書 店 一 九 八 一

︶ 図 17

・ 19 酒 井 忠 康 監 修

﹃ 江 戸 か ら 東 京 へ 小 林 清 親 展

﹄︵ 読 売 新 聞 社 一 九 九 一

︶ 図 18 千 葉 市 美 術 館

︑ 北 九 州 市 立 美 術 館

︑ 朝 日 新 聞 社 編

﹃ 青 木 コ レ ク シ ョ ン 名 品 展

│ 知 ら れ ざ る 広 重 の 肉 筆 を 中 心 に

│ 図 録

﹄︵ 朝 日 新 聞 社 一 九 九 九

︶ 図 21 板 橋 区 立 美 術 館 編

﹃ 小 林 清 親 展 図 録

﹄︵ 板 橋 区 立 美 術 館 一 九 八 二

︶ 図 22

・ 23 姜 徳 相 編 著

﹃ カ ラ ー 版 錦 絵 の 中 の 朝 鮮 と 中 国

│ 幕 末

・ 明 治 の 日 本 人 の ま な ざ し

﹄︵ 岩 波 書 店 二

〇 七

︶ 図 24 楢 崎 宗 重 他 編

﹃ 高 橋 誠 一 郎 コ レ ク シ ョ ン 浮 世 絵 第 七 巻 清 親

・ 安 治

﹄︵ 中 央 公 論 社 一 九 七 六

│ 大 学 院 文 学 研 究 科 博 士 課 程 後 期 課 程

│ 小

林 清 親 の

﹁ 光 線 画

﹂ を め ぐ っ て

七 七

参照

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