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ないか,という質問に対して.

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(1)

環境情報論8 井手慎司 11/22/00 補足 補足 補足

補足(学生からのいくつかの質問に対して) (学生からのいくつかの質問に対して) (学生からのいくつかの質問に対して) (学生からのいくつかの質問に対して)

1)植物性ホルモンと同様に,「環境ホルモン」につい

ても,人類はやがて耐性を獲得するのではないか,と いう質問があった.これは理論的には正しいが,たっ た一種類の「環境ホルモン」物質であっても,それに 対して耐性を確保するためには,何十世代,何百世代 という適応年数が必要になることと,現在,年間何千 種類という新たな人工化学物質が生み出されている現 状とを照らし合わせて,それが何を意味するかを考え てもらいたい.

2)「環境ホルモン」には,何か良い影響もあるのでは

ないか,という質問に対して.

高等生物の内分泌系や神経,免疫系のことを,長い進 化の歴史が生み出してきた "fine mechanism"(精緻な メカニズム)と呼ぶ人がいる.ところが,「環境ホル モン」はそれら fine mechanism を制御する情報をか く乱するのだ.たとえば,コンピュータに入り込み,

内部の情報伝達をかく乱するコンピュータウィルスの ようなものを考えてもらいたい.ウィルスに感染した ことによって起こりうる良いことというものを想像す ることができるだろうか.

3)ダイオキシンを「環境ホルモン」に加えるかどうか

については,専門家の間にも賛否両論ある.しかし,

ダイオキシンに,広い意味での内分泌かく乱作用があ るのは事実である.少なくともこの授業において,わ たしは,ダイオキシンを「環境ホルモン」として扱っ ている.

10.不確実性のなかでの決断

不確実性のなかでの決断 不確実性のなかでの決断(その1)―― 不確実性のなかでの決断 (その1)―― (その1)―― (その1)――「サリド 「サリド 「サリド 「サリド マイド事件を例として」

マイド事件を例として」 マイド事件を例として」

マイド事件を例として」

科学的知見が十分でないということは,「環境ホルモ ン」に関してわれわれは,不確実性のなかで,なんら かの判断をくださなければならないということだ.そ こで思い出されるのが,サリドマイド事件とその事件 にかんしてビデュキンド・レンツ

1

(西ドイツ)がと った行動である.

ハンブルグ大学小児科講師であったレンツは,

1961

11

月,奇形児(サリドマイド胎芽病児,以下,サリ ドマイド児)を出産した二人の母親から,偶然にも妊 娠中にサリドマイドを服用したことを聞き出した.

直感的にサリドマイドに疑いをもったレンツは同僚と ともに,二人目の母親を問診してから5日間のあいだ に 21 人(20 人?――文献によってちがう)の,最 近,奇形児を出産した母親に対して聞き取り調査をお こなう――妊娠中に「コンテルガン」というサリドマ イド薬を服用したかどうか.

人間の記憶というものはあいまいなものである.多く の母親は,服用した薬の名前を正確にはおぼえていな かった.また,病院などで処方をうけた場合でも,病

1 Widukind Lenz (1919-1995) 人類遺伝学者.「サリドマイド 児の父」と呼ばれる.

院に残っていた記録は不完全なものだった.結局,レ ンツがサリドマイドの服用を確認できたのは,21 人 中 14 人にすぎなかった.

21

例中の 14 例である(もっとも後日の追調査によ って,未確認であった母親たちの多くも,サリドマイ ドを服用していたことがわかっている).これは確率 でいえば約 60%.当たるも八卦,当たらぬも八卦よ り多少,疑わしいだけの数値である.もちろん,科学 的にその因果関係が有意であるとは言えない.

しかし,それでもレンツは行動にでた.調査後ただち に製薬会社(ヘミー・グリュネンタール社)にサリド マイドの危険性を通告する. もちろん製薬会社は当初,

これを無視しようとしたが,結局,マスコミがサリド マイド奇形児の問題を察知するにいたり,レンツが調 査を開始した日から,わずか 16 日後(11 月 26

2

日)

に,コンテルガンの回収を発表したのだった.また,

欧州すべての国々が,この西ドイツの発表から 21 日 のうちに,同薬の回収を決定している.

ひるがえってわが国はどうかというと,厚生省が同年

12

月 6 日に,大日本製薬からこのレンツ警告の報告 をうけている.ヘミー・グリュネンタール社から連絡 をうけた大日本製薬が,その対応を厚生省の薬務局に 相談にいったものだ.しかし,わが国においてサリド マイド薬の発売停止,回収措置がとられたのは,よう やく翌年(昭和 37 年

3

)の 9 月 13 日になってから のことである

4

.西ドイツの決定から遅れること 295 日後.この約 10 ヶ月のあいだにサリドマイドの犠牲 となったえい児の数は,わが国のサリドマイド児全体 の約 48% にのぼるといわれている.

(サリドマイドの被害は世界各国に広がっているが,

アメリカだけは,許可申請中の治験段階に発生した数 名の犠牲者だけで食い止められている.これは,FDA

(食品医薬品局)の審査官フランシス O. ケルシー女 史がサリドマイドの毒性・副作用に疑問を抱き,書類 や資料の不備を指摘することで,継続審査としていた ためである.彼女は,サリドマイド剤を医薬品として 承認しなかった功績に対して,ケネディー大統領から 特別金賞を授与されている. )

このサリドマイド事件は,日本の「薬害の原点

5

」と も呼ばれている.厚生省や製薬会社はこれらの被害者 に対してどのような弁解のことばをもつのか.また,

薬害エイズ

6

のように,同じような過ちがなぜ何度も

2 文献によっては 27 日.

3 現在,小学6年生の息子がいるが,その息子の担任A先生 もその被害者の一人である.お生まれは昭和38年ウサギ年.

4 なお実際の回収作業が完了したのは,さらに翌年 93 年の 末のことである.

5 サリドマイド事件に関する裁判(損害賠償請求訴訟)は1963 年6月から各地の裁判所で始まっている.それから十年以上 経った,1974年10月にようやく「全国サイドマイド訴訟統 一原告団と厚生大臣・大日本製薬株式会社との確認書」が調 印され,続いて訴訟上の和解が成立することになる.しかし,

この時の厚生省薬務局長松下廉蔵氏が,その後,ミドリ十字 の社長となり,薬害エイズ事件を引き起こしている.

6 薬害エイズにおいても,米国防疫センターが業務週報で非

(2)

繰り返されるのか.

このサリドマイド児の事件は,妊娠中,とくに妊娠初 期における胎児がいかに脆弱な存在であるかをよく物 語っている.たとえ成人にはまったく影響をおよぼさ ない量の化学物質であっても,胎児に致命的なダメー ジを与えうる物質がこの世に存在するということであ る.そして,まさにこの点こそ「奪われし未来」が警 告する「環境ホルモン」の恐ろしさである.

そしてレンツの行動がわれわれに教えるだいじな点と は,「科学者がその蓋然性を確信したとき,科学者と いえど,科学的証明をまつことなく行動にうつるべき だ」ということである.その時,レンツにあったのは,

科学的証拠ではなく確信だけだった.しかしその確信 によって,西ドイツでは多くのえい児が救われている

7

[参考]

サリドマイド

8

加熱製剤によるエイズ感染の可能性を最初に報じたのが82 年7月のこと.86年3月に,厚生省が非加熱製剤の回収状 況の調査に乗り出すまでに4年近い年月がかかっている.日 本では,約5,000人の血友病患者らのうち,1,800人余りが 感染したとされ,これまでに500人近くが死亡している.

 ついてながら,ごみ焼却施設からのダイオキシン類排出問 題についても,具体的な抑制策が遅れたことによって被害が 拡大したという点では,薬害エイズと同じ構図を持っている.

ごみ焼却施設の灰の中にダイオキシン類が含まれることは,

立川涼・愛媛大学教授(当時)の発表によって,厚生省は16 年前(83年時点)に知っていた.厚生省は同年に専門家会 議を設けたが,翌年示されたTDIは100 pg/kgで現在の10 倍.会議メンバーの一人は「根拠のない数字.これで役に立 つのかと思った」と明かしている.さらに,厚生省は90年 12月に,最初の発生防止ガイドライン(旧指針)を出して いる.「既設炉の目標値は自治体関係者の反対で盛り込めず,

年次別排出削減計画は,厚生省の反対で消えた.それでも自 治体をきちんと指導すれば良くなったのに,厚生省は放置し た」.同省検討委員会長だった平岡正勝・京大名誉教授の証 言.(6/9/99)

 薬害エイズの反省を今後に生かすために,東京霞ヶ関,厚 生省が入る中央合同庁舎五号館の正面玄関わきの植え込みに

「誓いの碑」が建立された(8/24/99).東京・大阪HIV(エ イズウイルス)訴訟原告団が和解交渉の中で建立を要求した もの.碑文は以下の通り「命の尊さを心に刻みサリドマイド,

スモン,HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び 発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に 最善の努力を重ねていることをここに銘記する.◇千数百名 もの感染者を出した『薬害エイズ』事件◇このような事件の 発生を反省しこの碑を建立した 厚生省」.それでも薬害エ イズ訴訟の原告側が要求した「薬害根絶誓いの碑」という碑 銘を盛り込むことは「医薬品による健康被害は,その性質か ら避けきれない面もあり,『根絶』できるとは言い切れない」

と拒否したという.

7 症例はドイツ3049,日本309,英国201,カナダ115,ス ウェーデン107...'94時点で,日本で生存しておられるサ リドマイド児は男168人,女137人の計305人.死亡が確認 されているのが4人.既婚者は男33,女70,69人の方々が お子さんを持つ.

8 子どもに飲ませる「シネマ・ジュース」(つまり親が夜,

映画館へ行くために子どもに飲ませた)と呼ばれたことも.

もともとはてんかん患者の抗痙攣剤として開発された.しか し睡眠薬としての効用にすぐれ,早く深い眠りにつけるうえ

非バルビツレート系催眠薬として,ヘミー・グリュネ ンタール社(西ドイツ)で開発され,1956 年(?

'57/10/1)にコンテルガンの名で市販された.この薬

は世界で広く用いられ,日本でも「イソミン」の商品 名で発売された('58/1/20).しかし,間もなく四肢に欠 損のある奇形児アザラシ肢症 phocomelia の増加と関 係があるのではないかとの疑いがもたれ,

61

年に W.

レンツらにより原因物質として告発され,発売は禁止 された.それまで,サリドマイドは鎮静,催眠の目的 のほかにも,広く処方され,痛み,咳,不眠症などに 使われる複合錠剤中にも使われ,妊婦も手軽に服用し ていたのである.当時は医薬品の催奇形毒性について はあまり注意が払われず,それのための試験も十分で なかったのであるが,サリドマイド禍以後,医薬品の 発売前の試験が厳しくなった.この薬物によって動物 は顕著な催奇形を示すわけでなく,ヒトにみられる四 肢奇形はウサギと霊長類にみられるにすぎないが,ヒ トでは受胎後 21〜36 日に服用すると,胎児に奇形が 生じるおそれがある.催奇形性の機序については葉酸 代謝を改変するとするもの,細胞構成成分の変化をき たすとするものなどがあるが,確定されていない.福 田 英臣 (c)1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights

reserved.

参考文献 参考文献 参考文献 参考文献

・  「奪われし未来」シーア・コルボーン,ダイアン・

ダマノスキ,ジョン・ピーターソン・マイヤーズ著,

長尾力訳,翔泳社

・  「メス化する自然」デボラ・キャドバリー著,古草 秀子訳,井口泰泉監修・解説,集英社

・  「環境ホルモン入門」立花隆,新潮社

・  「生殖異変 環境ホルモンの反逆」井口泰泉,かも がわ出版

・  「環境ホルモンとは何か」綿貫礼子,武田玲子,松 崎早苗,藤原書店

・  「環境科学の基本」塚谷恒雄,化学同人

・  「日本の公害 第三巻 薬害・食品公害」川名英之,

緑風出版

・  「サリドマイド物語」栢森良二,医歯薬出版株式会 社

サリドマイドの影響は受胎後三週間から五週間に限定 される.実はこの時期が胎児のいわゆる体が形成され ている時期であり,この時期に受けた悪影響はサリド マイド児のような「形態異常」となりやすい.一方,

七週間から八週間以降は,体の機能が完成される時期 であり,この時期にうけた悪影響は,生殖異常などの

「機能異常」となりやすい.

独白 独白 独白 独白

に副作用が少なく,大量使用しても死亡することがないとし てもてはやされた.睡眠薬として,妊娠中のつわりの苦痛を 和らげるために処方された.現在,サリドマイドの悲劇を引 き起こしたのは不純物として混入していたd体の光学異性体 であり,主成分のl体には問題がなかったことが突き止めら れている.またサリドマイドは再びFDAによってハンセン 病の治療薬として認可をうけ(もちろん厳しい使用制限のも と,指定された医師しか使うことができない.),免疫抑制剤 としてエイズ患者から認可の要望が高いと聞く.

(3)

サリドマイド事件は, すでに風化してしまったのか. . .

「サリドマイド」といっても何のことかわからない若 者も多いのではないだろうか.つくづく言葉は無力だ とおもう.百万の言葉をもってしても,あの衝撃と恐 怖,そして感動―当時のテレビや映画「典子は,今」

を観て覚えた―を伝えることはできない.

11.「環境ホルモン」はリスクか?

「環境ホルモン」はリスクか? 「環境ホルモン」はリスクか? 「環境ホルモン」はリスクか?

「環境ホルモン」を,生きていく上でのリスクの一つ ととらえる人もいるかもしれない.交通事故にあって 死ぬのもリスクなら,喫煙でガンになるのもリスク,

「環境ホルモン」によって生殖異常がおこるのもリス クだろうと.確かにリスクの問題ならば,「環境ホル モン」についても,そのリスクの大きさを,リスクを 回避するために損失するであろう便益や他のリスクの 大きさと比較考量することで,その対応を考えていけ ばよいわけである.

飲料水中のトリハロメタンが発ガン性物質として騒が れたときにも同じような議論があった.トリハロメタ ンでガンにかかるのもリスクならば,交通事故にあう のもリスクだろう.同じリスクなら,交通事故で死ぬ 確率のほうがよほど高いじゃないかと.(ただし,ト リハロメタンに関しては,米国環境保護庁が今年にな って流産の危険性を示唆している.ひょっとすると近 い将来は,環境ホルモンの一つとして認識されるよう になるかもしれない.)

もう少しリスクについて考えてみよう.

たとえば,個人にとってみれば,ガンに罹るか,罹ら ないかは,生き死にの問題であり,けっして確率など の問題ではない.ガンを告知された患者にとってみれ ば,「人類全体でみれば,何々パーセントの人がガン で死ぬことになっている.だからあなたもたまたまそ の何パーセントの中に入っただけのことですよ」と医 者から言われても何の慰めにもならないだろう.

しかし,人類全体を母集団としてみれば,ガンで毎年 死亡する人の概数を統計的に推計できるというのも事 実である.この事実がなければ,営利を目的とする民 間企業がガン保険などの商品を売りだせるはずがない.

リスクとは本来,このように確率統計的にその危険度 を推測できる問題に対して,つけられる名前である.

ところが,母集団全体をとってみても,蓋然性がはっ きりしないような問題,まったく人類にとって未知の 問題も存在する.このような問題は「リスク」とは呼 ばず,「不確実性」の問題と呼ぶ.

地球温暖化などがその典型である.人類は現在,かつ てないほどの加速度的な二酸化炭素の増加に直面して いる.地球の誕生以来,これほどまでの速度で二酸化 炭素濃度が上昇した例はない.二酸化炭素の増加とそ の影響をリスクの問題としてとらえ, 他の天変地異 (の リスク)と同じ土俵で考えることは,前提として間違 っている.地球温暖化は不確実性の問題なのである.

そして「環境ホルモン」も,現時点では,やはり不確 実性の問題だといえるだろう.リスクとして確率統計

的にあつかうには,科学的知見が不足しすぎている.

あたりまえのことだが,人類は現在,かつてないほど 多様で多量な人工ホルモン様物質にかこまれて暮らし ている.

人類にとっての「環境ホルモン」の影響とは,それら の製造が活発となった 60 年代から,ホルモン様物質 を摂取しつづけ,体内に蓄積した現在の 30 歳代後半 の人々,その人達の子どもたち(おそらく今ちょうど 小学校高学年あるいは中学生くらいの年頃の子どもた ち)に,やっと異常が顕在化するかどうかという問題 である.この発現の遅さが,問題の不確実性に拍車を かけている.

あるいは,ガンになったり,生殖器異常を起こすはる か手前の微量な毒性物質で,生物はまず行動異常をお こすと言われている.「奪われし未来」にも,卵の孵 化や,ひなの飼育を放棄した母鳥たちの異常な行動が 描かれている.最近の騒がれている小中学生の暴力の 問題(プッツンしてナイフでグサッ),あるいは一部 の専門家の間で問題視されている「学習障害」などな ど,偶然にせよ,問題視されている青少年の年齢が,

「環境ホルモン」の影響が現れるであろう世代の年齢 とよく一致していることは,不気味である.

「彼らは,いわば生まれながらに世代丸ごと環境ホル モンに強姦されてしまったような世代なのである」立 花隆「環境ホルモン入門」.

胎児への影響を決定するのは, その母親が生きてきて,

母体に蓄積された「環境ホルモン」の量だといわれて いる.今,われわれが問題としているのは,実は,わ れわれの孫の世代の健康である.今,すぐに行動をお こしたとして, 子ども達の世代を救うことはできない.

救えるのは自分たちの孫の世代なのである.

今後,科学的知見がそろってくれば,「環境ホルモン」

の問題も一つのリスクとして考えられる日がくるのか もしれない.しかし,考えてみてほしい.人は,浄水 器でトリハロメタンを除去することに気を配っても,

車に乗ることはやめない.タバコをやめない人

9

もい る.確率だけが,人間の行動や,リスクに対する感覚 を説明するすべてではないのだ.

次に,サリドマイド事件をもう一度とりあげて,リス クに対する人間の行動について考察してみよう.

12.不確実性のなかでの決断

不確実性のなかでの決断 不確実性のなかでの決断(その2) 不確実性のなかでの決断 (その2) (その2) (その2)「妊婦に 「妊婦に 「妊婦に 「妊婦にとっ とっ とっ とっ て」 て」 て」

て」

ヘミー・グリュネンタール社から連絡をうけた大日本 製薬の幹部は,善後策を相談するため,「レンツ報告 書」をもって,厚生省薬務局をおとずれている.この

9 喫煙家の立場から云わせていただくと,「愚行権」という ものを尊重してもらいたい.どんなによそから見て愚かに見 える行為であっても,その行為によって他人に迷惑をかけな い限り,それを行うことは個人の「自由」である.もちろん 副流煙によるはた迷惑などは論外だが...しかし,「環境ホ ルモン」は違っている...

(4)

時,製薬会社と厚生省がくだした結論は,「レンツ博 士の発表には科学的根拠がない.有用な医薬品を回収 すれば,社会不安を引き起こしてしまうだけだ.ひと まず動物実験をおこなって,副作用について確認しよ う」というものだった.

その後も,厚生省ならびに製薬会社が積極的な対応策 をとることはなかった. それどころか, 厚生省は翌年 2 月には,別の製薬会社の新薬(サリドマイド薬)に対 して製造許可を与えている.

もし厚生省が,レンツ報告書を入手した時点で,その 発表(情報公開)に踏みきっていたならば...当然 ながら,サリドマイド薬を服用する妊婦はいなかった はずである.約 1,200 人前後(死亡児もふくめて)

といわれるわが国のサリドマイド児の約半数は,それ によって救われていたはずなのである.

導き出される結論はあまりに平凡だが,これ以降の議 論のために,「レンツ報告書が公開されていたら」と した場合の,市民(特に妊婦)の行動を「ゲーム理論」

によって考えてみよう.

たとえば,ある会社の経営者が,以下のような二つの プロジェクトAとBについて,会社としてどちらを選 択するか,その決断をせまられていたとする.

プロジェクトAの成功率は 80% で,成功した場合の 利益は 100 万ドル.しかし,失敗した場合(確率

20%)は,会社は 200 万ドルの損失を被る.一方,

プロジェクトBの成功率は 90%.成功した場合の利 益は 40 万ドルと少ないが,失敗しても(確率 10%)

会社として損失はゼロである.

<企業にとっての利得マトリックス>

A)成功した場 合

B)失敗した場 合

1)プロジェク トA

+100

万ドル

(80%)

-200

万ドル

(20%)

2)プロジェク トB

+40

万ドル

(90%)

0

万ドル(10%)

確率論で考えれば,簡単な計算で,プロジェクトAの 利益の期待値が 40 万ドル,プロジェクトBの期待値 が 36 万ドルになることがわかる.しかし,このケー スにおいて,期待値が大きいからといって,プロジェ クトAを選択する経営者はおそらくいないだろう.ほ とんどの経営者は,プロジェクトBのほうがリスクが 少なそうだ,だから,プロジェクトBのほうにしよう と選択するはずである.

個人にとってのリスクというのは,どうも確率だけの 話ではないようである.前述のガン患者の話を思いだ してもらいたい.大きな母集団でみれば,単に確率で あらわされるガンの罹病率も,ひとり一人にしてみれ ば,生き死にの問題であり,数字を示されたからとい って,「ハイ,そうですか」と納得できるような問題 ではない.経営者がプロジェクトBをえらぶのも同じ 理由による. このようにリスクに直面した場合などの,

人間個々の行動(選択)を説明するのが「ゲーム理論」

である.

ゲーム理論によれば,人は,なんらかの決断にせまら れたとき,(自分にとっての損得をあらわす)「利得 マトリックス」と呼ばれるものを考慮して,そのミニ マックス解を選ぶといわれている(ゲームが成立する 厳密な条件定義はここでは省略する).わかりやすく 言えば,ヒトは次のような思考過程をとると考えられ ている.

人はまず自分がとりうる選択肢ひとつ一つについて,

その結果として最悪(自分にとってもっとも得るもの が小さい,つまりミニ)のケースを考える.つぎに,

それら最悪のケース同志を比較し,最悪のなかでも,

どのケースがもっともマシか(ミニのなかでも,もっ とも得るものが大きい,あるいは失うものが少ないケ ースはどれか,つまり何がミニマックスであるか)を 考える.そして,決断としては,そのミニマックスな ケースをあたえてくれる選択肢をとるのである.

言いかえると,人は一般に,将来を悲観的にとらえ,

悪いながらに,よりベターな結果となるように選択を するものだ,ということである.

レンツ報告書が公開されたとして,ゲーム理論にもと づいて妊婦の選択とそれに至るまでの思考過程を考え てみよう.

まず選択肢は二つあった:1)それでもサリドマイド 薬を飲むか,あるいは2)サリドマイド薬を飲まない

(まったく薬を飲まないか,あるいはサリドマイド薬 に換わる薬を飲む)かであった.それに対する妊婦の 利得は,以下の二つのケースによって大きく異なる.

A)騒がれたが,結局,サリドマイドと奇形児はまっ たく無関係であった,B)やはりサリドマイドと奇形 児との間には関係があった.

<想定される妊婦の利得マトリックス>

サリドマイド薬

A)が奇形児と 無関係であった 場合

B)と奇形児と に因果関係があ った場合

1)を飲む場合 1A 1B

2)を飲まない 場合

2A 2B

1)のサリドマイド薬を飲んだ場合について(1A)

と(1B)のケースを比較して,どちらが悪い結果と なるかを考える. もちろんここでの最悪のケースは (1 B)で,「サリドマイド薬を飲んだ.そしてサリドマ イド薬と奇形児との間にはなんらかの因果関係があっ た.その結果,生まれた子どもがサリドマイド児とな った」という結果である.

厳密にいえば,(1A)と(1B)を比較する際には,

(1B)において,どれぐらいの確率でサリドマイド

児が生まれるか,ということが考慮されなければなら

ない.が,この場合に限っていえば,比較する相手(1

A)が「サリドマイド薬を飲んだ.しかし,サリドマ

イド薬は奇形児とはまったく無関係であった.したが

って健常児を出産した」ということであるから,確率

(5)

の大小は問題とならない.

確率が 60% であっても,それよりはるかに低い確率

(たとえば一般的な意味において奇形児が生まれるよ うなわずかな確率,あるいはそれ以下)であっても,

常にリスクとしては(1B)のほうが上だからである.

妊婦の利得として考えれば,確率に関係なく,常に(1 A)>(1B)となる.

また,ここでの最悪とは「妊婦個人」にとっての最悪 であり,子を想う母の気持ち(母性本能)であるとか,

倫理観云々などを持ちだす必要はまったくない.サリ ドマイド児を持ってしまうことによる自分の精神的,

肉体的,金銭的損出,すなわち主観的(利己的)利得 のトータルとしての大小のみを比較すればよいのであ る.

2)のケースについて,(2A)と(2B)の結果を つぎに比較してみる.ここではサリドマイド薬を飲ま ないわけだから,(2B)においても,サリドマイド 児が生まれることは絶対にない.ここでの最悪のケー スとは(2A)であり,「せっかく我慢して薬を飲ま なかったのに,あとで薬と奇形児が無関係であること がわかった」という結果である.すなわち,薬を飲ま ないことで,あるいはそれより効能のうすい薬を飲ん だことで,たかだか頭痛が長くつづいたとか,眠りに くかったとかいった程度のことである.

したがって,この問題の場合,妊婦の判断は明らかで ある.(1B)サリドマイド児を持つというリスクを 犯すのか,(2A)頭が痛いのを一時的に我慢するか の,どちらかを選べということだから...このケー スで,サリドマイドを服用する妊婦がいるとは思えな い.

2)の薬を飲まなかったケースの最悪の結果としては 他にも,サリドマイド児ではないが,それでも重度の 奇形児を出産してしまったという可能性が考えられる.

一見この場合は,1)の最悪のケース(サリドマイド 児の出産)と2)の最悪のケース(他の原因による奇 形児の出産)と,どちらを選ぶかという問題になるよ うに見える.が,それは間違っている.

確かに2)の最悪のケースは,重度の奇形児(サリド マイド児ではないが) を出産するということだろうが,

1)の最悪のケースは確率論として考えると,サリド マイド児ではない重度の奇形児が生まれるという可能 性に,さらにサリドマイド児が生まれるという可能性 が加わるということである.したがって,この場合の 最悪同志の比較においても,モアベターな選択はやは り1)で,ミニマックス解は「薬を飲むべきではない」

となる.

つまり,そこに不確実性があろうとなかろうと,サリ ドマイド薬が「危ないかもしれない」という情報(レ ンツ報告書)さえ公開されていれば,サリドマイドを 服用する妊婦はいなかったはずなのである.

情報公開は他の選択にも道をひらく.それは,公開の 前にすでにサリドマイドを服用してしまった妊婦に対

して,出産を再考する機会(堕胎という選択肢)をあ たえるというものだ(ザクロ以来,堕胎にこだわって いるが,これについては,また後で考えてみたい.)

説明がややこしいわりには,平凡な答えでがっかりし たかもしれない.しかし,同じように考えていったと き,「環境ホルモン」では状況が平凡でなくなること を示したいと思う.しかしその前に,同じ方法で厚生 省のお役人が,なぜ情報公開に踏みきらなかったかを 考えておきたい.

もし,レンツ報告書を受けとった厚生省製薬局のお役 人のなかに,奥さんが妊娠中の人がいたなら...そ の人は奥さんにサリドマイド薬を飲ませただろうか?

合成樹脂製品の安全性(「環境ホルモン」に関する)

を訴えているメーカーの人達は,自分の子どもたちが 学校給食を PC(ボリカーボネート)製の食器

10

で食 べていて,本当に平気なのだろうか?

13.不確実性のなかでの決断

不確実性のなかでの決断 不確実性のなかでの決断(その3) 不確実性のなかでの決断 (その3) (その3) (その3)「お役人にと 「お役人にと 「お役人にと 「お役人にと って」−自分は飲まない厚生省の役人,利得マトリ って」−自分は飲まない厚生省の役人,利得マトリ って」−自分は飲まない厚生省の役人,利得マトリ って」−自分は飲まない厚生省の役人,利得マトリ ックスの二重構造−

ックスの二重構造− ックスの二重構造−

ックスの二重構造−

わが国では「クロロキン薬害」というもう一つの薬害 事件が昭和 30 年代から 40 年代にかけて発生してい る.クロロキン製剤は,当時,リューマチや腎臓病の 治療薬として使用されていたが,後になって,網膜障 害など,強い副作用があることが判明した.事件の詳 細は割愛するが,薬害裁判に発展したこの事件で,東 京地裁の証人席に座った当時の厚生省薬務局製薬課長 T氏の口から意外(?)な事実が明らかとなった.

【1978 年

2

月,東京地裁にて...

原告側弁護士「証人もクロロキンを飲んでいたのに,

なぜやめたのですか」

証人「目の障害という重い副作用があることを聞いて やめました」

弁護士「あなたは,とんでもないことを言っているん ですよ.国民には黙っていたわけ?」

証人「厚生省は,全部知らせるというふうじゃないん です」

その 5 年後,血液凝固因子製剤にエイズウイルスが 混入している危険性を知りながら,厚生省は回避措置 をとらず,血友病患者らのエイズ感染を拡大させ た... 】(7/20/98 読売新聞社説「構造薬害を許 さない制度を」より)

当時,その課長は,持病の治療薬としてクロロキン製 剤を服用していた.しかし,同氏はある日,医薬品安

10 98年5月1日時点で,PC食器を使用している学校は,学 校給食を実施している公立小中学校計30,909校のうち12,409 校(40.1%).使用割合は4年前の調査に比べ23.3ポイント 増えており,耐久・耐熱性,軽さなどに優れたPC食器がこ こ数年の間に急速に普及したことがわかる.文部省は「安全 性に問題がない」との見解だが,現場では,保護者の不安に 配慮した対応した進んでおり,99年5月の調査によると,PC 食器を使用している学校は,学校給食を実施している公立小 中学校のうち10,206校(32.7%)で,使用割合は前年度の調 査に比べ7.4ポイント減少している.

(6)

全性委員会の報告書から,クロロキンの危険性(副作 用)を知ることになる.報告書を読んだT氏は,副作 用が心配になり,直ちにクロロキンの服用をやめてい る(これによってT氏はことなきを得る).

しかし,この製薬課長は「公私混同」はしなかった.

官僚という立場では,その報告書を無視し,結局,ク ロロキン製剤の危険性を「国民」に知らせることはな かったのである.

おそらくサリドマイド事件のときも,もし当時の製薬 課長に妊娠中の奥さんがいたならば,その課長さんは T氏とまったく同じ行動をとっていたに違いない.奥 さんには飲むなといい,国民にはだまっているのであ る.

このクロロキン薬害においても,薬務局が危険性を知 った時点で,製薬会社に対して製剤の発売中止や回収 を命じていれば,被害者全体の八割が救われていたは ずであると試算されている.

このクロロキン事件は一つのことをわれわれに教えて くれる.それは,この製薬課長(T氏)が明らかに二 つの異なる利得マトリックスをもっていた,というこ とである.

一つ目は,T氏個人(私)としての利得マトリックス である.この個人のマトリックスは,サリドマイドに おける妊婦のマトリックスとまったく同じ構造をもつ と考えられる.この「私」の利得マトリックスに従っ て行動するかぎり,T氏がクロロキンの服用をやめた ことは,当然の判断だと言えるだろう.

問題はもう一つのマトリックス,官僚(製薬課長)と しての「公」の利得マトリックスのほうである.

では次に,サリドマイドの時と同じように,この製薬 課長のとった行動を,お役人としての利得マトリック スを考えながら分析してみよう.

まず製薬課長には選択肢が二つあった:1)危険性を 公表するか,2)危険性を公表しない(積極的に,あ るいは消極的に公表しない)かの何れかである.それ に対する利得は,以下の二つのケースによって異なっ てくる.A)結局,クロロキンに副作用はなかった,

あるいはB)やはりクロロキンには副作用があった,

の二つである.

<想定されるお役人の利得マトリックス>

クロロキン製剤

A)に副作用が あった場合

B)に副作用が なかった場合 1)の危険性を

公表する場合

1A 1B

2)危険性を公 表しない場合

2A 2B

1)の「危険性を公表する場合」に想定される最悪の ケースとは,B)の「でも結局,副作用がないとわか った」場合である.この場合,製薬課長の立場として

考えられる最悪の事態とは,厚生省に対する製薬業界 からの非難,損害賠償請求,製薬業界との関係悪化(個 人的には天下り先を失う)などである.

これに対して2)の危険を「公表しない場合」の最悪 のケースは,A)の「副作用が実際にあった」場合で あり,その結果,製薬課長が直面しなければならない 最悪の事態とは,薬害(国民の健康被害)の発生,厚 生省に対する国民からの非難,(被害者からの)賠償 請求,国民との関係悪化などである.

ミニマックス原理に従えば,製薬課長は(1B)のケ ースと(2A)のケースを十分に比較検討したうえで,

「2)公表しない」という選択をとったはずである.

つまり,製薬課長の立場としては,(1B)「業界と の関係悪化」のほうが(2A)「国民の健康被害や国 民との関係悪化」よりも,より損失が大きい,すなわ ち(1B)<(2A)であると判断したわけだ.言い かえると,この製薬課長は,国民の利益よりも業界の 利益を優先させることで,自分の官僚としての利得も ミニマックスになると考えたわけである.

現在,外資系某製薬会社の会長職におさまっている,

元環境庁事務次官がいる.この方(上記の元課長とは 別人),厚生省の製薬課時代,とある薬害事件でミソ をつけ,厚生省内での出世がはばまれたと聞いた.し かし,移った先の環境庁でちゃんとトップまで登りつ め,退職後は「退職時」の環境庁とは無関係の(関連 業界でない)製薬会社に天下りできているのだ.役人 としてのペナルティーもその程度のものであり,退職 後もちゃんと(企業から)将来が保証されているので ある.それでも企業より国民を大事にするお役人がい たら,むしろその人の人間としての合理性を疑ったほ うがいいのかもしれない.もともと,国家公務員の上 級を突破した,頭脳明晰で優秀な方々ですから...

このミニマックス原理で考えてみるかぎり,どうやら お役人というのは,国民の側ではなく,企業の側に立 ってお仕事をしているようである.もし,そのような お役人に国民の側に立ってもらうとするならば,(1 B)<(2A)を逆の(1B)>(2A)にするよう な方途が必要となる.たとえば,つぎような方法であ る.

i)(1B)「業界との関係悪化」の利得をよりプラス

に(損失を軽減)する.つまり官僚にとって,業界と の関係悪化が何の損失にもならないような仕掛をつく ってやる.ありきたりだが,「天下り」や「接待」を はじめとする,官庁と企業との癒着をいかに断ち切る かである.

ii)(2A)「国民の健康被害や国民との関係悪化」の

利得をよりマイナスとする(損失を増大させる).す

なわち,国民の健康被害や国民との関係悪化,すなわ

ちの国民にとっての損失が直接,官僚個人にとっても

損失となるようなメカニズムを行政制度のなかに内部

化してやる.行政組織全体を対象とするオンブズマン

制度なども一つの方法だろうが,より効果的な方法と

しては,公務員個々に対して,その職務上の失敗の責

任を問えるような制度を導入することである. ただし,

(7)

この方法は,かなり難しい問題をはらんでいる.

iii)あるいはそんな面倒なことを考えなくても,そも

そも公務員の利得マトリックスというものが,官僚個 人や省庁の利益ではなく,社会全体の利益にさえもと づいていればいいのである.それなら決して公務員が 国民軽視の政策決定をおこなうはずがない...<し かしこれって,昔から,お役人たちが「公務員倫理」

と呼んでいる原理原則の話ですよね...「言うは易 し,おこなうは難し」ということでしょうか...>

しかし,ここまできて,問題の構造を単純化しすぎて

いたことに気がついた.よく考えてみると,この問題

はそれほど簡単ではないようである.

参照

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