言 語 と 人 間 形 成 一 対 話 的 授 業 を 求 め て 一
人間教育専攻
人 間 形 成
松見学志
問題の所在・研究の目的
現 代 の 日 本 で の 教 育 で は 生 き る 力 」 を 育 むことを目指し9 基礎的・基本的な知識及び 技能を習得させ,これらを活用して課題を解 決するために必要な思考力,判断力,表現力 等を育むとともに,主体的に学習に取り組む 態度を養うため,言語活動を充実することと
している。これは,言語活動の充実に関する 指導事例集
I
小学校版] (平成23年 10月)に ある内容であるが,国際学力調査で知られて いる 2003年度のPISA(Programme for International Student Assessment)の中で は結果は日本の 15歳児における,読解の記述 問題の正答率が低いことが明らかになってい る。特に,読解の記述問題では白紙で解答を 提出する生徒が目立っており 2015年度の調 査でも正答率は低くなっているとし、う結果が出ている。また,未だに学校現場でも市の教 育委員会や校内で, SNSを使った言葉による 中傷的ないじめが存在しているとされている。
それゆえ,これらのことから「表現力J(表現 の仕方 a捉え方)が特に深刻化していると推 察されるO そこで本論文の目的は,この「生 きる力」の一つである「言語」について考え,
その「言語」がどのように生かされ3 人間の 自己が生成されていくのかという点について ボルノーの思想を主とし考察し?人間が「言 語Jを学習する必要性について明らかにする ことを目的とする。また,その際,具体的に 学校でどういった授業を行っていけばよし功ミ という点についても考察していくこととする。
指 導 教 員 木 内 陽 一
各章の構成
第一章では, I対話」の哲学的意味について の検討を行う。ボルノーの思想を用いること の重要性について考察し,筆者が本論文にお いて述べる現代の日本の教育の具体的な課題 について取りあげる。
第二章においては, I言語」の機能性と「言 語Jの世界について考察を行う。具体的に は,意思伝達の機能が言語には備わってい るが,その他にも人間学的に,また教育学 的に言語というものは存在する。こういっ た点から言語は人間の生においてどのよう な機能を果たすべきであるかという点につ いて述べる。概要を以下に示す。
「われわれは言語を考える時, 日常生活の 人間相互の関わりにおいて最低意思伝達の 機能が果たされれば事足りると考え,人間 学的に,また教育学的に言語とは何であり,
言語は人間の生においてどのような機能を 果たすべきであるか,またそのためにはど のような手段が必要であるかなど,深く洞 察することはなかった。」
また,ポルノーは言語の機能について次のよう に分析する。
「 久 間 は 事 物 の 一 つ ひ と つ に 名 前 を 与 え て き た 。 言 語 の 根 源 的 な 働 き は 名 を 与 え る こ と で あ り , そ の 名 前 に よ っ て 人 聞 は 環 境 世 界 を 自 ら 処 理 で き る 存 在 と な る 。
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寸目よ
人 が 事 物 に つ け る 名 は そ の ま ま そ の 名 前 となるのである。名前は特定の人聞を示し9
かけがえのない個人として他から区別し,遠 く離れていてもしっかり把握するのに役
立っと
J。
そしてアンマン(HermannAmmann, 1885‑
1956)は「固有名は同ーの確認に役立つ。j と 自身の研究『入聞の言論活動』の中で述べて いる。そして彼は次のように強調する。
「固有名は同一確認の働きからみて,
単一目標的な指示語だと理解される。人 差し指の延長が空間中の対象に的中する。
ように,名前の目標への関わりは一切の 空間的,時間的な枠組みを超えて9 それ の対象に到達する」さらに「名づけると いうことの背後には,その物の理念、が隠 されている。そしてわれわれは名づけら れた物の世界の中に生きており,そこで はいっさいがそれぞれ名をもち9 恒常的 にあるいは周期的にあらわれるものとし て前提されているのである」と続ける。
以上のこ左からわれわれは名の根源的な機 能を理解することができるのである。そして,
この「言語jの機能性と「言語」の世界を(知 る)という段階にいたるとどのような人間の 形成が育まれるかという点について三章で示
していく。
第 三 章 で は 言 語 に よ る 人 間 の 形 成Jにつ いて言及してし、く。「言語」の機能性と「言語J の世界を(知る)という段階にいたるとどの ような人間の形成が育まれるか,また,現代 の教育の主流ともなってきている「英語教育」
「アクティブラーニングJについても絡め「世 界の見方」を通し「言語の本質Jについて考 察する。
終章
近年3 行われることが多くなってきている 対話的授業の機会。しかし,その対話的授業 の内容は根本的に形式から入っている点が多 く,いわゆる人間関係なども加味した意味で の対話的授業はほとんど実施されておらず先 行研究も少ないことが明らかになった。また9
2020年からは,諸小学校において英語教育が 変わり,これまで, 5・6年生で、行っていた外 国語活動が成績がつく「教科化」に変わる。
加えて, (2020年 1月実施を最後に)大学入 試センター試験は共通テストに変わると推測 されている。そういった中で外国語がなぜ英 語に直結するのか。また, ~也の言語では何故 学習してはいけないのか。そういった問題を 明確にし言語の在り方を問うていく必要があ る。
今後の課題
本論文においては,ボルノーの思想から対 話的授業の意義や意味といったものについて 考察し,その際「生きる力jの一つである「言 語」について考え,その「言語jがどのよう
に生かされ人聞が生成されていくのか,また
「言語Jの必要性はなんであるのかという点 について考察した。しかし,対話的授業の 中身ともいえる児童や生徒の活動や行動はほ とんど触れていない。言い換えるなら,学校 での児童や生徒による言語活動・言語行動と いった側面のことである。このことは, J.L オースティンの『言語と行為』とし、う著の中 でも指摘されており3 言うことが行うことで あり得るのかという点については検討してい かなければならない課題点である。
また,この課題点は,これから先の授業方 法しいては,本論文で取り扱った「対話的授 業jに関しての個人把握という点において非 常に有効な解決策になる可能性があると筆者 は考えている。
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