﹁菩
提
道
次
第
廣
論
﹂
序
説
島
田
信
了
一 緒 言 現 代 嘲 嚇 教 の 眞 の 開 租 は、 西 藏 佛 教 の 大 改 革 者 に し て、 黄 教 ゲ ル ク パ 派 (Dge-pa)の 開 創 者 れ る 宗 喀 巴 (Tson-kha-pa:A.D. 1355-1417)に し て、 彼 に は 十 四 映 百 六 十 五 部 八 千 七 百 五 十 三 紙 を 数 へ ら れ る 膨 大 な 著 述 が あ る と 蓉 は れ る が、 其 等 の 中 で 最 も 重 要 な る 代 表 作 は 何 と 云 つ て も ﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ (Byan-chub-lam-chen m o ) と ﹁ 眞 言 次 第 論 ﹂ (Sbage-rim-chen-mo)と の 二 つ に 指 を 屈 せ ね ば な ら ぬ。 蓉 ふ 迄 も な く 前 者 は 顯 教 に 關 す る も の、 後 者 は 密 教 を 閲 明 す る も の で あ る。 思 ふ に、 堕 落 頽 塵 せ る 教 風 を 一 掃 す る 爲 に は 三 先 づ 戒 律 絶 樹 嚴 守 の 立 場 に 立 戻 り、 新 し き 組 織 を 以 て 再 出 獲 す る 必 要 が あ る。 宗 喀 巴 の 改 革 の 根 本 眼 目 も 實 に か エ る 黙 に 存 し れ の で あ る。 そ れ は 彼 の 派 を ゲ ル ク パ 派 帥 ち 徳 行 派 と 呼 ぶ 事 よ り し て も 容 易 に 理 解 せ ら れ る で あ ら う。 要 す る に 彼 は 嚴 格 な る 戒 律 を 地 盤 と し、 其 上 に 薪 し く 顯 密 二 教 を 打 建 て る 事 に よ つ て 堕 風 の 改 革 を 圖 つ た の で あ る。 か く 見 れ ば、 上 に 記 し た 顯 密 二 著 作 の 研 究 は、 彼 自 身 の 思 想 内 容 を 知 ゐ 上 に 於 て も、 亦 ひ い て は 剛 嚇 教 の 根 本 教 理 を 把 握 す る 上 に 於 て も 極 め て 重 要 な も の で あ る と 云 は ね ば な ら ぬ。 ﹁ 眞 言 次 第 論 ﹂ に 關 し て は さ て お き、 今 は 少 し く ﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂、 に 就 い て 序 論 的 読 明 を 試 み よ う と 思 ふ。 尤 も 以 下 の 論 述 は 其 の 極 く 最 初 の 部 分 に 於 け る 大 意 を 略 述 紹 介 す る に 留 る も の で あ つ て、 云 は コ 本 論 に 進 む 爲 の 基 礎 的 叙 述 と 見 ら る べ き 性 質 の も の で あ る。 從 つ て 之 が 略 述 に 當 つ て は、 努 め て 酉 藏 原 典 の 丈 に 從 つ た が 徒 ら な る 直 繹 は 採 ら な か つ れ。 更 に 原 典 の 叙 述 其 者 に 謝 す る ﹁ 菩 提 道 次 第 家廣 論 ﹂ 序 説 四 一﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 二 批 剣 検 討 も 鯨 り 行 は な か つ た の で あ る。 と 云 ふ の は、 以 下 の 論 述 に 於 て ﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ の 最 初 の 部 分 が う 幾 分 な り と も 紹 介 せ ら れ、 明 白 な ら し め ら れ る な ら ば 當 面 の 目 的 は ほ ゴ 達 成 せ ら れ る も の と 云 ひ 得 る か ら で あ る。 (本 丈 中5a, 10b 等 と 記 す み は、 酒 井 翼 典 氏 所 藏 嵩 祝 寺 版 西 藏 原 典 の 頁 藪 を 示 砲 た も の で あ る。 ) 二 本 書 の 概 要 ﹁ 奪 師 妙 音 に 蹄 命 し 奉 る ﹂ (Namo guru-ghosaya) と の 丈 に て 始 る 蹄 敬 頚 の 後 部 に、 ﹁ 今 鍮 伽 を 勤 む る 者 等 は 寡 聞 な り。 多 聞 の 者 も 考 察 の 要 黙 を 知 ら す し て、 通 常 佛 語 を 観 る に 片 眼 あ り。 教 義 を 理 辮 す る 力 な き が 故 に、 圓 満 な る 教 の 心 髄 九 る 最 勝 の 教 授、 智 者 徴 喜 の 道 を 離 る ﹂ 云 汝。 (1a-2) と 述 べ、 當 時 の 人 々 に 樹 し て 先 づ 鋭 き 批 判 を 加 へ、 然 る 後、 一 重 に 此 等 の 人 汝 を 啓 磯 正 導 せ ん と し、 ﹁ 善 悪 を 辮 別 す る 妙 慧 の 力 を 具 し、 假 身 を し て 善 利 釜 を 具 せ し め ん と 欲 す る が 故 に ﹂ (2a1) ﹁ 菩 提 道 次 第 論 ﹂ を 読 く の で あ る と の 趣 旨 を 明 か し て ゐ る。 更 に 亦 ﹁ こ れ (=菩 提 道 次 第 論 ) に 一 切 の 勝 者 の 語 の 精 要 を 撮 し、 大 車 た ゐ 龍 樹 無 著 の 二 つ の 道 軌、 一 切 種 智 の 位 に 趣 く 勝 士 の 法 門、 三 士 の 行 持 す べ き 三 切 の 次 第 を 飲 く る 所 な く 撮 せ り。 菩 提 道 次 第 の 門 よ り、 具 善 者 を 佛 地 に 導 く の 理 即 ち 所 詮 の 法 な り。 ﹂ (2a2-4) と 述 べ て ゐ る の は、 正 し く 自 も の 含 む 内 容 と 立 場 を 明 示 す る も の と 宏 ふ べ き で あ る。 而 し て 當 論 の 根 本 所 依 の 経 論 は、 書 中 自 ら 語 る 如 く、 総 じ て は 慈 氏 所 造 の ﹁ 現 観 荘 嚴 論 ﹂ (Abhisamakara-krika)、 別 し て は 阿 提 沙 (Atisa)所 造 の ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ (Byan-chub-sgron ma)に 外 な ら ぬ。 (2a-1)先 の 現 観 蕪 嚴 論 は 師 子 賢 (Ha-Hibhadra)の 読 に よ る と、 彌 勧 世 尊 が 聖 者 無 著 の 欝 に 般 若 経 を 繹 し て 作 れ る も の と さ れ て ゐ る。 即 ち 二 萬 五 干 頚 般 若、 所 謂 大 品 般 若 の 綱 要 を 略 撮 し て 造 れ る も の で あ る。 菩 提 道 燈 論 は 阿 提 沙 著 三 十 絵 部 中 の 一 に し て、 東 北 目 録 No. 4465(1b-1)に 相 當 す る 極 め て 小 さ い 作 品 で あ る が、 此 の 内、 般 若 と 方 便 と の 不 離 融 合 を 強 調 し、 且 つ 全
佛 教 を 以 て 三 士 の 道 に 分 類 し て ゐ る 黙 が 特 に 重 覗 せ ら る べ き も の で あ り、 ﹁ 菩 提 道 次 第 論 ﹂ の 直 接 最 大 の 依 擦 と な つ た 根 本 聖 典 で あ る。 尚 ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ の 読 に 從 つ て カ ー が ク ム パ 派 (Bkah-gda-pa)を 完 成 せ る ド ム ト ン ハ (Hkah-gd-pa)よ り ポ ー ト ワ (Pkah-gda-pa)、 ポ ー ト ワ よ の シ ヤ ル ワ (Sh-pa)及 ひ ド ル ワ (Dol-ba)に 付 囑 せ る ﹁ カ ー ダ ム パ 派 の 宗 典 ﹂ (Bkah-pa gd-pa)或 は ド ー ル ン バ (Gro-lun-a)の ﹁ 道 次 第 の 藏 ﹂ (Lam-nm-gri Khog)等 が 屡 女 参 考 と せ ら れ た と 云 は れ て ゐ る。 之 を 要 す る に、 ﹁ 菩 提 道 次 第 論 ﹂ は 龍 状樹 無 著 の 流 れ を 汲 む 大 乗 法 を 読 い た も の で あ り、 其 の 根 底 に 戒 律 と 般 若 の 思 想 を 有 す る 事 は 言 ふ 迄 も な い。 更 に は ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ に よ る 大 中 小 三 士 の 菩 提 に 到 る 方 法 を 直 接 示 せ る も の で あ り、 從 つ て ﹁ 道 燈 ﹂ 並 び に 之 が 著 者 阿 提 沙 に 封 す る 無 上 の 賞 讃 は、 ︼ 面 甚 し く 誇 張 せ ら れ て ゐ る と し て も、 此 書 に 絶 野 的 に 依 存 す る 宗 喀 巴 の 立 場 と し て は 極 め て 當 然 な も の と 云 は な け れ ば な ら ぬ。 扱 て 云 ふ 所 の 三 士 と は 如 何 な る 性 質 を 有 す る も の で あ ら う か、 以 下 暫 ら く そ れ に 關 し て 読 明 を 加 へ で お か う と 思 ふ。 云 ふ 迄 も な く 三 士 と は 大 丈 夫 ( 上 士 )、 中 丈 夫 ( 中 士 )、 小 丈 夫 ( 下 士 ) の 三 を 指 す の で あ り、 嘲 嚇 教 の 一 特 色 と し て、 顯 教 の 方 面 で 全 佛 教 の 内 容 を 上 の 三 種 の 丈 夫 道 に 分 類 包 撒 す る の で あ る ゆ そ の 中、 下 士 道 と 云 ふ の は ﹁ 三 有 の 樂 の み を 希 ふ 者 ﹂ (38a-1)﹁ 諸 方 便 を 以 て 唯 生 死 の 樂 の み に 於 て 自 利 の 義 を 希 求 す る 者 ﹂ (37b)或 は 現 世 を 重 し と な さ す、 後 世 に 於 け る 善 趣 圓 満 を 希 求 し、 以 て 能 く 善 趣 に 往 く の 因 を 集 積 す る 者 を 云 ふ。 即 ち 善 因 善 果、 悪 因 悪 果 の 理 法 を 辮 へ 積 善 累 徳 に ボ つ て 永 遠 の 未 來 に 成 佛 を 期 す る 者 で、 所 謂 小 乗 始 教 と 云 つ た も の に 該 當 す る も の と 云 へ よ う。 次 に 中 士 道 と は、 諸 有 爲 に 厭 患 を 獲 し、 有 爲 よ り 解 脱 せ ん と 欲 し て 自 利 を 求 め、 解 脱 方 便 の 道 た る 三 學 に 趣 か ん と す る 者 で、 ﹁ 諸 有 の 樂 を 背 棄 し て、 悪 業 よ り 離 れ る を 性 と 爲 す、 惟 自 も の 寂 静 の み を 求 む ﹂ (374b) と も、 或 は 亦 ﹁ 唯 生 死 よ む 脱 す る の み に 自 利 を 得 ん と 希 ふ 者 ﹂ (38a-1) と も 累 は れ て ゐ る。 要 す る に 輪 廻 を 超 越 し、 生 死 の 縛 を 噺 ち、 四 諦 の 理 を 観 じ て 浬 繋 を 誰 得 せ ん ﹁ 菩 提 道 家 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 三
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 四 と す る 所 謂 聲 聞 縁 畳 乗 に 擬 せ ら る べ き 竜 の で あ る。 最 後 の 上 士 道 ど は、 ﹁ 大 悲 の 他 に 自 在 に 韓 す る 事 に よ り、 有 情 の 一 切 苦 を 滅 蓋 せ し め ん が 爲 の 故 に 成 佛 を 得 ん と 希 ひ 六 度 及 二 次 第 等 を 學 ぶ 者 ﹂ (37b)に し て 亦 ﹁ 自 身 通 達 せ る 苦 に よ つ て、 凡 ゆ る 他 の 三 切 の 苦 を 正 し く 審 除 せ ん と 偏 く 欲 す る 者 ﹂ (37b)と も 読 か れ て ゐ る 如 く、 一 切 有 情 を 残 ら す 濟 度 せ ん と の 大 菩 提 心 を 起 し、 六 波 羅 蜜 多 等 の 修 行 を 通 し て 大 菩 提 を 獲 得 せ ん と 欲 す る 者 で、 密 究 大 乗 及 び 波 羅 蜜 多 大 乗 に 相 當 す る の で あ る。 從 つ て 上 士 道 に 於 て は、 成 佛 の 目 的 は 自 利 の 爲 で は な く、 絶 封 他 利 に 存 す る。 而 し て 三 士 道 は 夫 々 の 立 場 に 於 て 存 在 債 値 が 認 め ら れ る も、 下 士 は 中 士 に、 中 士 は 上 士 に と 進 む べ き 性 質 の も の で あ り、 云 は 下 中 の 二 つ は 上 士 道 の 前 行 或 は 支 分 と 見 徹 さ れ て も よ い で あ ら う。 三 序 章 の 概 要 第 脚 章 作 者 の 殊 勝 権 威 あ る 著 者 の 力 作 に し て 初 め て 其 の 著 作 も 亦 構 威 あ る も の と し て 高 く 評 贋 せ ら れ る し、 優 れ た 内 容 を 待 つ 傑 作 に し て 初 め て 其 の 著 者 の 偉 大 性 も 顯 揚 せ ら れ、 灌 威 づ け ら れ る の で あ る。 今 ﹁ 菩 提 道 次 第 論 ﹂ の 根 本 所 依 の 経 典 た る ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ を 見 る に、 宗 喀 巴 を し て 云 は し む れ ば、 こ れ こ そ 正 に 最 高 至 尊 の 寳 典 と 云 ふ べ く、 從 つ て 之 が 作 者 た る 阿 提 沙(Ati:A. D 980-1052)奪 師 ( 一 名 勝 燃 燈 智Dikara-sina)の 偉 大 性 も 自 ら 立 誰 せ ら れ る で あ ら う。 む べ な る 哉、 以 下 に 述 べ る で あ ら う 所 の 偉 大 に し て 不 世 出 な る 勝 者、 阿 提 沙 に し て 初 め て ﹁ 道 燈 ︹ の 如 き 寳 典 が も の さ れ た の で あ る。 か く 作 者 と 著 書 と の 二 つ は、 不 可 分 の 關 蓮 の 下 に 理 解 せ ら れ な け れ ば な ら ぬ。 從 つ て 本 章 に 於 て は 先 づ 作 者 の 殊 勝 を 明 か し、 次 章 に 於 て は 後 者 の 殊 勝 を 明 か さ ん と す る の で あ る 。 扱 て、 作 者 の 殊 勝 は 三 つ の 方 面 よ り 解 明 せ 略 れ る。 ( 一 ) は、 圓 満 な る 種 族 に 生 を 受 け し 事。 ( 二 ) は、 其 の 身 に 功 徳 を 獲 得 せ る 事。 ( 三 ) は、 教 に 於 け る 所 作 の 事 業。 で あ る。 第 一 に 關 し て は、 學 錯 大 課 師 所 造 の 八 十 讃 (Bstod-pa
brgyad) の 所 読 を 引 き、 阿 提 沙 奪 師 が 王 族 出 身 者 な る 事 を 示 し、 以 て 彼 の 殊 勝 を 力 論 せ ん と す る の で あ る。 凡 そ 人 物 を 評 便 す る に 當 つ て 家 柄 と 云 ふ も の が 重 要 な る 要 素 と な る。 奪 貴 な る 家 に 生 れ れ 者 は 白 ら 奪 い 性 相 を 身 に 其 し て ゐ る。 こ れ は 確 か に 事 へ ぬ 事 實 で あ る。 即 ち 讃 に、 ﹁ 東 方 ザ 永 ー ル ( Nahor)國 ( ベ ン ガ ル 州 ) に、 ビ ク ラ マ ニ プ ラ (vikramana)と 構 す る 大 城 あ り、 其 中 に 有 金 勝 憧 (Gser-gyi-mtshan-can)と 蓉 は れ る 廣 大 な る 王 宮 が あ つ て、 國 王 を 善 吉 詳(Dge-pa-hi dpal Kalyana-sri)王 妃 を 有 吉 詳 光 (U pal-mozer-can Prabhavati)と 申 し た。 彼 等 に 蓮 華 歳 (Prabhava-snin bo)月 藏 (Zal-bahi sn-bo)吉 詳 藏 (Dpal-pay) の 三 子 あ り、 次 子 月 藏 が 即 ち 至 奪 師 た る 阿 提 沙 に 外 な ら ぬ ﹂ (2b ) ( 意 課 ) と あ る 丈 を 引 用 し て、 か く 王 族 に 生 を 受 け る が 故 に 殊 勝 な り と 論 す る の で あ る。 第 二 に 關 し て は 更 に 二 つ に 分 類 せ ら れ る。 郎 ち、 ( 1 ) 多 く を 知 る 者 が 教 の 功 徳 を 獲 得 せ る 事。 ( 2 ) 理 の 如 く 修 せ る 者 が 謹 の 功 徳 を 獲 得 せ る 事。 の 二 つ で あ る。、 玉 磨 か ざ れ ば 光 な く、 如 何 に 奪 貴 な る 家 に 生 を 受 け、 本 具 の 麗 質 を 有 す る と も、 學 問 修 養 に ょ つ て 断 え す 錬 磨 す る の で な け れ ば 燦 耀 た る 光 を 見 る 事 が 出 來 な い。 學 問 と 修 養、 知 と 行、 こ の 二 つ が 圓 満 に 保 れ れ て こ そ 完 全 な る 人 格 の 完 成 が 期 せ ら れ る の で あ る。 軍 な る 知 で は な く そ の 知 は 必 す 行 に よ つ て 裏 附 け ら れ ね ば な ら ぬ。 ﹁ 一 切 を 知 る 事 ﹂ と ﹁ 理 の 如 く 修 す る 事 ﹂ と の 二 つ を 通 し て 得 た る 功 徳 の 所 有 者 こ そ、 正 し く 完 全 圓 満 な る 勝 者 に し て、 阿 提 沙 尊 師 こ そ 右 の 條 件 を 完 具 す る 者 と 云 は ね ば な ら ぬ。 こ れ 彼 の 殊 勝 を 立 讃 す る 第 二 の 論 撮 で あ る。 (1) 栴 壇 は 實 に 双 葉 よ り 香 し く、 彼 僅 に 十 五 歳 に し て 外 派 の 戯 論 を 破 つ て 勝 者 の 片 鱗 を 現 は し、 二 十 一 歳 に 瀟 れ ざ る に 既 に 聲 明 ・ 因 明 ・ 工 巧 明 及 び 讐 方 明 の 四 明 に 熟 達 し た 。 其 後 黒 山 寺 廟 (Ri-nag-pogtug)に 在 つ て 羅 喉 羅 麹 多 (Ragykota)に 從 つ て 密 教 の 學 習 を な し、 一 切 の 灌 頂 葱 受 け て 智 密 金 剛 (Ye-ses-gan-hi Hje)な る 密 隷 を 得、 か く し て 金 剛 乗 (Vajia)の 諸 ﹁ 菩 提 道 家 第 慶 論 ﹂ 序 説 四 五
﹁ 善 口 提 道 次 第 廣 論 ﹂序 説 四 六 経 典 並 び に 諸 密 究 に 通 達 し た の で あ る が、 後 更 に 堅 固 持 戒 者 れ る、 シ ー ラ ラ ク シ タ (Silarakit) に 就 い て 出 家 し 法 誰 を 勝 燃 燈 智 と 號 し れ。 此 後 特 に オ ー タ ン タ プ リ (O-tantapu) に 於 て ダ ル マ ラ ク シ タ(Silarakit) の 下 に て 大 砒 婆 沙 等 を 十 二 年 間 嘉 受 す る な ど、 内 明 及 び 上 下 の 諸 藏 を 專 心 習 學 す る 所 あ り、 か く の 如 く に し て 顯 密 内 外 の あ ら ゆ る 教 典 に 通 曉 し、 一 切 教 の 眞 精 紳 を 如 實 に 把 握 し 以 て 正 法 の 眞 髄 を 顛 倒 な く 了 解 す る に 至 つ た と 去 は れ て ゐ る。 註 阿 提 沙 は 一 説 に よ る と、 二 十 九 歳 に し て ナ ー タ ン タ プ リ 寺 に 出 家 し、 其 後 金 地 國 (Silarakit) 印 ち 瓜 圭 島 に 到 り、 十 二 年 間 法 稻 (Silarakit) を 師 と し て 學 を 硯 鐙 し た と も 云 は れ る。 以 上 は 大 略 知 の 方 面 よ り 見 れ 一 段 で あ る が、 次 に は 修 讃 の 方 面 か ら 少 し く 述 べ て み よ う。 (2) 総 じ て 佛 陀 の 一 切 の 聖 教 は 三 藏 寳 中 に 搦 せ ら れ る が、 聖 教 の 修 誰 は 必 す 戒 定 慧 の 三 學 を 以 て し な け れ ば な ら ぬ。 戒 は 律 藏 に、 定 は 維 藏 に、 慧 は 論 藏 は 詮 表 せ ら れ る の で あ る か ら、 全 佛 教 は 亦 畢 寛 こ の 三 學 に 脈 撮 せ ら れ る と 云 ふ べ く、 而 も 戒 定 慧 の 三 は 必 須 不 離 の 關 係 に あ つ て こ の 何 れ を 捨 て N も 成 道 は 望 み 得 な い。 就 中 戒 學 は 定 慧 等 の 一 切 功 徳 の 依 虚 な る が 故 に、 先 づ 戒 墨 の 方 面 よ り 論 を 進 め よ う。 本 論 に 於 て は 戒 を 三 種 に 分 類 し、 最 勝 別 解 腕 戒、 菩 薩 戒、 金 剛 乗 戒 の 三 種 と し、 こ の 三 種 の 戒 を 具 足 す る 事 を 読 き 以 て 具 足 戒 學 の 段 を 明 か さ ん と す る の で あ る。 即 ち 最 勝 別 解 脱 戒 を 具 す る 事 理 (so-sor-sdom-mchog dan-pa tshl) に 關 し て は、 讃 中 に、 ﹁ 奪 は 聲 聞 乗 の 門 に 入 つ て、 戒 を 榮 牛 の ( 尾 を 愛 す る ) 如 く 護 つ て、 妙 梵 行 を 具 す る 最 勝 比 丘 な り。 持 律 上 座 に 瞬 命 し 奉 る ﹂ (3b) と あ る 如 く、 比 丘 の 諸 律 儀 を 正 受 し 護 持 す る 事、 丁 度 酵 牛 が、 猿 士 將 に 自 己 の 命 を 取 ら ん と す る を 見 る も 樹 に か か れ る 一 縷 の 尾 の 切 れ る を 愛 護 し、 寧 ろ 一 命 を 捨 つ る も 敢 へ て 譜 せ ざ る が 如 く で あ る 。 か く 阿 提 沙 は 假 今 一 輕 學 庭 と 難 も 倫 一 命 を 捨 て N 犯 さ す、 況 ん や 受 け る 所 の 重 大 學 塵 に 於 て は 樹 更 蓉 ふ 迄 も な い。 之 れ 彼 が 大 持 律 者 と し
て 尊 敬 せ ら れ れ 所 以 で あ る。 次 に 菩 薩 戒 を 具 足 す る 事 理 (Byan-chub-sens-dpahi sdom-pa dan-ldn(3b4)に 就 い て は、 前 者 が 小 乗 戒 で あ る の に 封 し 此 れ は 正 し く 大 乗 戒 で あ る。 彼 が、 慈 と 悲 と の 根 本 と も 云 ふ べ き 菩 提 心 を 獲 し、 菩 薩 の 廣 大 な る 妙 行 を 受 學 し て こ れ よ り 惹 き 起 さ れ る 所 の 普 賢 の 行 腰 を し て 凡 ゆ る 衆 生 の 上 に 及 ぽ し、 而 も 學 す る 所、 行 す る 所、 一 と し て 戒 に 違 越 す る 事 な き 具 慧 大 悲 音 な る 旨 を 明 か に し た も の で あ り、 更 に、 金 剛 乗 戒 を 具 足 す る 事 理 (Rdo-rji-theg-pahi sdom-pa dan-lda)(3b-1) ど 云 ふ は、 こ れ 實 に 密 教 に 於 け る 秘 密 戒、 菩 提 心 戒 或 は 三 昧 耶 戒 等 を 具 足 す る 事 を 示 し れ も の と 思 は れ る。 帥 ち 自 身 帥 本 奪 の 観 念 に 住 し、 金 剛 堅 固 の 心 を 具 足 し、 鍮 伽 自 在 に し て、 理 の 如 く 三 昧 耶 を 獲 得 し て 戒 を 越 さ ゴ る 旨 を 述 べ て ゐ る の で あ る。 か く て 以 上 の 三 種 律 儀 の 潭 戒 學 虞 に 於 て、 阿 提 沙 は 不 断 の 努 力 を 以 て 勇 受 し、 受 す る 所 の 如 く 随 行 し、 而 も 心 欲 す る 所 に 從 ひ 矩 を 験 さ 壁 る 歌 態 で あ つ れ。 以 上 戒 學 具 足 の 論 を 終 つ た が、 以 下 定 慧 の 二 學 に 就 い て 簡 軍 に 述 べ よ う。 具 足 定 學 (4a)に 於 て 共 者 と 不 定 者 と の 二 つ を 分 つ。 共 者 と は 奢 塵 他 (Samatha) ( 止 ) 門 に よ つ て 動 心 を 灘 息 し、 煩 憐 を 滅 止 し て 心 を一 虞 に 止 住 せ し め る を 云 ひ 西 不 共 者 と は 生 起 の 次 第 (Bskyed-pai-rim-pa)を 獲 る を 武 ふ。 此 れ も 亦 三 年 或 は 六 年 聞 明 と 戒 行 を 修 し て 而 る 後 得 ら れ た も の で あ る と 云 は れ て ゐ る。 具 足 慧 墨 (4a-2)に も 亦 共、 不 共 の 二 つ が あ る。 共 は 毘 鉢 舎 那 三 摩 地 を 得 る 事 で、 毘 鉢 舎 那 (Vipasyana)と は 止 に 封 す る 観、 印 ち 妄 惑 を 観 察 し、 眞 理 を 観 達 す る 事 を 云 ひ、 不 共 と は 圓 満 次 第 (Rdsoks-pai-rim-pa)殊 勝 三 摩 地 を 得 る を 云 ふ の で あ る。 以 上 の 所 読 に 於 て 柳 か 阿 提 沙 奪 師 が 戒 定 慧 三 學 を 修 習 具 足 せ る 大 徳 な る 事 を 知 り 得 た 事 で あ ら う。 最 後 に 第 三 の ﹁ 教 に 於 け る 所 作 の 事 業 ﹂ (4a-1)に 關 し て 論 を 進 め よ う。 學 問 修 養 も そ れ が 輩 な る 死 藏 に 終 つ て は 意 義 が な い で あ ら う。 自 己 の 墨 識、 全 人 格 を 最 犬 限 に 枇 會 に 活 用 し て こ そ 初 め て そ れ が 活 か さ れ て く る の で あ ﹁ 菩 提 道 数 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 七
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 八 る。 自 畳 々 他 畳 行 窮 満 が 佛 の 内 容 と せ ら れ る 所 以 も 藪 に 存 す る と 思 は れ る。 然 ち ば 學 徳 裳 ね 備 へ れ 阿 提 沙 が 世 に 如 何 な る 事 業 を な し、 如 何 な る 影 響 を 與 へ た か と 云 ふ 問 ひ が 當 然 起 つ て 來 る に 違 ひ な い。 此 の 問 題 に 樹 す る 解 答 が 鄙 ち 此 の 一 節 で あ る。 先 づ 最 初 に 印 度 に 於 け る 所 作 に 就 い て 述 べ よ う。 八 十 讃 に ﹁ 大 菩 提 寺 に 於 け る 集 會 中 に 於 て 自 部 及 他 部 の 一 切 の 悪 宗 敵 が、 獅 子 吼 の 語 に ょ つ て 一 切 の 腸 漿 を 崩 す ﹂ (4b2)と。 彼 は 嘗 て 勝 金 剛 座 大 菩 提 寺 に 於 て、 鍾三 度 法 職 を 以 て 外 派 の 悪 論 を 破 つ て 佛 教 を 護 持 し、 或 は 聖 教 に 於 て 未 通 達 の 者、 顛 倒 の 解 を 有 す る 者、 疑 惑 を 有 す る 悪 垢 械 者 共 を 悉 く 清 除 し、 普 く 教 法 を 弘 布 す る 事 に ょ つ て 一 切 部 の 者 達 に 黛 派 な く 等 し く 推 戴 せ ら れ る に 至 つ れ。 更 に 摩 掲 陀 國 の 一 切 寺 の 僧 衆 が 彼 を 頂 上 珠 と し て 推 戴 し、 等 し く そ の 教 へ を 受 け た と も 述 べ ら れ て ゐ る。 か く 尊 師 は 印 度 に 於 て 最 長 老 な る 聖 者 と し て、 佛 教 の 弘 布 と 衆 生 撮 化 に 蓋 さ れ た の で あ り、 一 〇 三 四 -一 〇 三 八 年 頃 弗 ク ラ マ シ ラ ー(Vikramasila)寺 の 學 頭 と し て 其 名 一 世 に 喧 傳 せ ら れ た 事 も 今 更 述 べ る 必 要 は な い だ ら う。 其 後 高 齢 に し て 入 藏 し、 こ N に 世 界 の 屋 根 西 藏 に 於 け る 彼 の 花 々 し い 活 動 舞 墓 が 展 開 せ ら れ る の で あ る。 西 藏 に 於 け る 彼 の 活 動 は 近 代 剛 嚇 教 の 源 泉 と し て 極 め て 重 要 な 事 柄 で あ る か ら 當 論 に 於 て は 相 當 詳 し く 叙 述 し て ゐ る。 (4ab4以下)即 ち 天 尊 師 長 叔 姪 (Lha-ma kbhu-dbon: ガ リ 地 方 の 王Ye-ses-hod)洛 拶 騨 費 精 進 獅 子 (Lo-tstsha rgya-brson)並 び に 摯 錯 戒 勝 (nag tsho tshuk-krson)の 二 人 を 屡 桑 印 度 に 遣 し、 阿 提 沙 尊 師 を 菩 提 光 寺 (Bo-rgya-brson)に 屈 請 す る 所 あ り、 彼 王 の 熱 意 に 感 じ 途 に A ・ D 一〇 三 八 年 入 藏 し、 先 づ 峨 日 鐸 (Mnah-ris-stod)に 至 れ る 時、 佛 陀 の 聖 教 を 治 理 復 興 せ ん 事 を 請 は れ、 藪 に、 一 切 輕 究 の 要 義 を 総 集 し て 修 行 次 第 を 作 り、 大 い に 教 法 を 興 隆 宣 布 し た の で あ る。 此 れ が 實 に ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ に 外 な ら ぬ。 其 後 諸 虜 に 韓 佳 し、 峨 日 に 三 年、 最 塘 (Sne-than)に 九 年 ( 多 田 師 八 年 )、 衛、 藏 其 他 に 五 年 聞、 鋭 意 巡 化 し て 寛 に ネ タ ン の 多 羅 廟 ( ド ル マ ハ カ シ)に 於 て 示 寂 し た と 云 は れ
る。 然 し 其 聞、 諸 善 士 の 爲 に 維 児 の 要 義 を 蝕 り な く 読 き 示 し、 聖 教 既 に 亡 び た る も の は 之 を 新 に 復 興 し、 略 存 す る 諸 軌 は 培 ひ て よ く 増 廣 せ し め、 諸 邪 解 の 垢 繊 に よ つ て 染 せ ら れ た る も の を ば 叢 く 清 除 し、 以 て 聖 藪 の 實 を し て 悉 く 垢 染 を 離 れ し め た 功 績 は 實 に 偉 大 な る も の と 云 は ね ば な ら ぬ。 西 藏 に 於 て 前 に 聖 寂 護 (Dapl-ldan Shi-haho Santak)及 び 蓮 華 生 (Paddn)に よ つ て 傳、 へ ら れ た 佛 教 は、 室 性 を 解 す る に 至 ら ざ る 支 那 和 荷 の 爲 に 著 し く 損 滅 せ ら れ た が、 其 後 茨蓮 華 戒 大 阿 閣 黎 (Slob-dbon chen-po kamasi)に よ つ て 邪 義 の 破 滅 を 見、 密 意 復 興 せ ら れ れ る も、 後 に 相 綾 部 の 義 (Rgyud-sdehi)を 倒 執 し、 自 ら 善 巧 智 者 (Pandit)或 は 鍮 伽 師 な り と 誇 る 猫 善 者 達 に よ つ て、 教 の 根 本 た る 澤 梵 行 が 大 い に 害 せ ら れ た の で あ る。 此 時 に 當 り 阿 提 沙 來 つ て よ く 諸 汝 の 邪 執 者 を 滅 し、 以 て 腐 敗 せ る 教 法 の 浮 化 と 顯 倒 な き 眞 實 な る 聖 教 の 弘 布 に 精 進 し た。 而 し て 彼 は、 從 來 の 怪 奇 な る 密 教 に 封 し、 專 ら 卑 近 な る 實 践 的 道 徳 説 を 鼓 吹 し た と 云 は れ、 十 激 年 間 に 於 け る 不 断 の 教 化 は、 雪 山 の 一 切 衆 上 の 上 に 及 び、 人 心 鷹 然 と し て そ の 感 化 に 浴 し れ の で あ る。 論 は 更 に 進 ん で ﹁ 道 燈 ﹂ の 著 者 に 圓 満 な る 三 種 の 勝 因 あ る 事 を 述 ぶ。 印 ち 善 ぐ 内 外 の 五 明 塵 を 知 る 事 と、 正 偏 知 よ り 展 韓 傳 承 せ る 教 説 を 具 す る 事 と、 本 奪 の 天 顔 に 謁 見 す る を 得 て 言 葉 の 允 許 を 得 た 事 と で あ る。 上 の 何 れ の 一 つ を 其 砲 て も 奪 い の で あ る が、 大 阿 閣 黎 は 此 の 三 つ を 完 具 す る が 故 に 最 勝 最 奪 怨 る も の と 云 は る べ 唐 で あ る と す る。 其 中 最 後 の も の に 就 い て は 讃 に ﹁ 吉 詳 敷 喜 金 岡 と 三 昧 耶 建 立 王 と 雄 猛 世 自 在 と 主 奪 救 度 母 等 の 御 顔 に 謁 見 し て 印 可 を 得 だ る が 故 に、 夢 に 於 て、 或 は 現 前 に 於 て、 甚 深 に し て 具 つ 廣 大 な る 正 法 を 常 に 聞 く な り ﹂ (5a)と 説 明 し て あ る。 叉 師 の 傳 承 に 於 て は 共 乗 と 大 乗 と の 二 傳 あ り、 大 乗 中 に 度 彼 岸 及 び 秘 密 究 の 二 傳 を 分 ち、 更 に 度 彼 岸 の 中 に 見 傳 承 と 行 傳 承 を、 行 傳 承 に 於 て 慈 尊 (Byams-pa)よ り の 傳 承 と、 妙 苦 (Hjam-dbyans)よ り の 傳 承 と を 分 つ の で あ る。 密 究 中 に 亦 (5a-1)五 派 傳 承 (Rgyud-pa-kna) 宗示 派 傳 承 (Grub-mthahi-pa)加 持 傳 承 (Byin-rlabs ﹁ 菩 提 道 家 第 廣 論 ﹂ 序 説 四 九
﹁ 菩 提 澄 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五〇 kyi-yud-pa)種 々 教 投 傳 承 (Gdams-pa-sna-pahi Hgyud-pa)等 が あ る。 而 し て 讃 に ﹁ 常 に 親 近 せ し 嘲 嚇、 寂 静 (Sdams-tshogs)金 洲 (Gdams-pa-sn)畳 賢 (Bdamspasn 吉 詳 智(Jdaogs)多 く の 成 就 を 得 た る 者 と 特 に 龍 猛 (Kdams-togs)よ り 展 韓 傳 承 せ る 甚 深 に し て 廣 大 な る 教 へ を 尊 は 具 足 す る な り。 ﹂ (5b)と 述 べ 又 十 二 の 成 就 を 得 た る 嘲 嚇 が あ つ た と 読 く が 其 他 に も 尚 多 く の 者 が、 あ つ れ 様 で あ る。 ( 然 し 此 等 の 多 く の 傳 承 が 夫 女 如 何 な る も の で あ る か も と よ り 明 か で な い。 ) 先 の 善 巧 五 種 明 庭 に 關 し て は 既 に 読 き 示 し れ の で あ る か ら 改 め て 述 べ る 必 要 も あ る ま い。 要 す る に か、 る 偉 大 な る 阿 闇 黎 に よ つ て 初 め て 勝 者 の 密 意 が 善 く 決 揮 せ ら れ る を 得 た と 云 つ て も 過 言 で は な い の で あ る。 阿 提 沙 に は 各 地 に 於 て 非 常 に 多 く の 弟 子 が あ つ た が、 其 中 主 要 な る も の と し て は、 印 度 に 於 け る 毘 棉 蹟 (Bito-ba)法 蔵 慧(Dharakrmti)中 獅 (Dhum-sen) 地 藏 (Sahi-snin)の 四 人、 或 は 友 密 (sen-gnen-gs ba))を 加 へ て 五 人、 峨 日 (Manh-ris)に 於 け る 寳 賢 謬 師 ( Uostsha-ba Rin-chgen)摯 錯 課 師 ( Nag-ts Hotstsh-ba)天 奪 師 菩 提 光 (Lha-bla-ma-hod) 後 藏 に 於 け る 迦 格 瓦 (Hgar-dge)廓 枯 巴 天 生 (Hgos khug-poa lhas-bt)羅 札 に 於 け る 乗 巴 勝 位 (Chat-pa khri-mchog)善 護 (Dge-ba-sk)康 地 ( Khams)に 於 け る 大 鍮 伽 師 (Rnal-hbyor-ba-po)阿 蘭 若 師 (Dgon pa-ba)智 慧 金 剛 (Se-rado-re)奪 達 敦 巴 (Phyag-dar ston-pa)中 藏 に 於 け る 枯 鵡 種 三 (Khu-rdog-gsum) で、 此 等 の 中 噺 噺 の 法 業 を 廣 め 阿 提 沙 の 後 縫 者 と な つ た 者 は 實 に 種 敦 巴 勝 生 (Hbrom-pa rgal-bahi gnes)其 人 で あ る。 以 上 に 於 て 作 者 の 殊 勝 を 大 略 知 り 得 れ 事 と 思 ふ が、 次 に 引 績 き、 著 書 の 最 勝 な る 黙 を 明 す で あ ら う。 第 二 章 法 の 殊 勝 般 若 燈 廣 繹 (Ses-sgron-mahi rgya-pa) に ﹁ 聖 教 と 云 は れ る は、 天 と 人 と 甘 露 の 位 を 得 ん と 欲 す る 者 達 に よ つ て、 偏 く 知 ら る べ き 事 と、 断 除 せ ら る べ き 事 と、 現 に 誼 せ ら る べ き 事 と を 顧 倒 な く 示 す も の に し て、
世 尊 の 至 言 と 説 か れ る も の な り。 ﹂ (6a2)と あ る 如 く、 繹 以迦 一 代 の あ あ ゆ る 読 法 を 総 構 す る の で あ る が、 此 の 多 種 多 様 な る 聖 教 を ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ は 悉 く 包 播 し 誰 す の で あ つ て、 誠 に 他 に 類 例 を 見 ぬ 勝 れ れ 寳 典 と 奪 敬 せ ら れ て ゐ る。 今 四 つ の 方 面 よ り そ れ が 殊 勝 を 解 明 し て み よ う。 第 一 節 一 切 聖 教 に 相 違 な く 通 達 す る 事 の 殊 勝 ﹁ 諸 菩 薩 の 求 欲 す る 所 の も の は 世 間 の 義 利 を 成 緋 す る に あ る。 須 ら く 三 種 々 性 所 化 の 機 を 偏 く 揚 し、 彼 等 の 諸 道 を 學 習 す べ き ﹂ (6a4)で あ る。 印 ち、 成 佛 に 到 る に は 種 々 の 道 が あ り、 大 小 本 末、 或 は 長 短 邊 速 等 様 々 あ る で あ ら う が、 何 れ も 道 た る 事 に 相 違 な き 以 上、 衆 生 撮 化 の 爲 に 此 等 一 切 の 教 道 を 努 め て 學 習 し 夫 女 の 機 根 に 鷹 じ て 適 切 な る 道 を 提 示 す る 事 が 必 要 で あ る。 勝 者 母 (Rgya bai-yum)に も、 ﹁ 諸 菩 薩 は あ ら ゆ る 聲 聞 道 と あ ら ゆ る 猫 畳 道 と、 あ ら ゆ る 佛 陀 道 と の 一 切 の 道 を 獲 起 し、 一 切 の 道 を 知 る べ き な り。 其 等 ( の 諸 道 も ) 亦 圃 満 す べ く、 其 等 の 諸 道 の 所 作 も 亦 成 辮 す べ き な り。 ﹂ (6a2)と。實に 衆 生 を 饒 益 せ ん と す る 者 は、 あ ら ゆ る 道 を 知 る 事 に ょ つ て 世 間 の 利 を 成 辮 す べ き で あ る。 此 の 意 味 か ら し て 云 へ ば、 大 乗 の 人 れ る が 故 に 劣 乗 の 法 藏 を 學 習 す べ か ら す と て 顧 み ざ る は 違 り で あ り、 寧 ろ 進 ん で 三 乗 の 道 を 倶 に 等 し く 了 知 す る 事 に 心 掛 く べ き で あ ら う。 尤 も 道 に 根 本、 支 分 を 分 つ な ら ば、 大 乗 は 正 し く そ の 根 本 正 罷 で あ り、 其 他 の 劣 乗 は 大 乗 道 の 支 分 と せ ら れ る。 從 つ て 一 切 の 道 を 學 ぶ と 云 つ て も、 そ れ は 飽 迄 大 乗 を 中 心 と し て 尚 且 つ 飴 他 の 諸 乗 を も 兼 學 す べ き 事 を 意 昧 す る も の と 思 は れ る。 只 他 を 棄 捨 し て 顧 み ざ る 濁 善 的 態 度 を 嚴 に 誠 め れ も の に 外 な ら ぬ で あ ら う。 か く 波 羅 蜜 多 大 乗 に 入 る 者 が 劣 乗 法 藏 中 説 く 所 の 諸 道 を 求 學 す る と し て 竜、 更 盛 金 剛 乗 に 趣 入 す る 者 が 道 不 共 な る の 故 を 以 て 波 羅 蜜 多 乗 の 諸 道 を 顧 み ざ る 事 あ ら ば、 そ れ 亦 極 め て 理 に 契 は ぬ も の で あ る。 金 剛 頂 (Rdo-rji Htse-mo)に ﹁ 假 令 活 命 の 爲 と 錐 も 菩 提 心 を 捨 て ざ れ ﹂ (6b-2)と 云 ひ、 叉 ﹁ 六 波 羅 蜜 行 は 畢 寛 捨 て ざ れ ﹂ (6b-2 ) と説くは、結局密教者も波羅蜜道を根底とし、菩提心を ﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 一
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 二 獲 し 六 度 萬 行 を 修 學 す べ き で あ る と の 意 味 を 示 す も の で あ る。 尚 無 上 鍮 伽 曼 茶 羅 に 趣 入 す る 時、 共、 不 共 の 二 種 の 律 儀 を 受 け ね ば な ら ぬ。 共 は 印 ち 菩 薩 の 律 儀、 不 共 は 印 ち 究 律 儀 で あ る。 金 剛 頂 等 に ﹁ 外 と 密 と 三 乗 の 正 法 を 飴 り な く 受 く ﹂ (7a2)と 誓 つ て 受 戒 す る 事 が 説 か れ て ゐ る が、 こ れ も、 軍 に 密 教 の 律 儀 に の み 執 す べ き で な く、 密 教 以 外 の も の を も 倶 に 學 ば ね ば な ら ぬ と の 趣 意 に 外 な ら な い。 要 す る に、 劇 嚇 教 が 一 名 顯 密 相 關 之 教 と 呼 ば れ て ゐ る 如 く、 本 質 的 に 顯 密 融 合 の 立 場 を 取 つ て 居 り 爾 音 を 切 離 し て 考 へ る 事 は 出 來 な い。 顯 教 は 密 教 の 果 乗 に 封 し て は 因 乗 で あ り、 そ の 入 門 と も 考 ぺ ら れ る 場 合 も あ る が、 叉 顯 密 爾 教 に 共 通 的 な 教 へ、 帥 ち 共 乗 で あ る と し て 重 要 覗 せ ら れ る 事 も あ る。 從 つ て 波 羅 蜜 多 道 は ﹁ 佛 母 ﹂ に ﹁ あ ら ゆ る 過 去 未 來 現 在 佛 は す べ て 波 羅 蜜 多 あ り て 他 な し。 ﹂ (7a4)と 述 べ ら れ て ゐ る 通 り、 實 に 佛 陀 に 到 る 道 の 根 本 た る 共 道 で あ る と せ ら れ る が、 此 の 共 道 の 上 に 更 に 秘 密 究 不 共 道 を 加 へ る 事 に よ つ て 速 疾 に 佛 地 に 趣 き 得 ら れ る と す る の で あ る。 か く 顯 密 何 れ か に 偏 し、 何 れ か を 棄 て る 態 度 は 毫 も 取 ら ざ る 所 で、 か N る 所 に も 一 切 の 諸 道 を 併 せ 學 修 せ ね ば な ら ぬ と す る 考 へ 方 が 存 す る と 云 へ よ う。 誠 に 諸 々 の 道 に 於 て、 少 分 の 開 遮 不 同 あ る を 見 て 直 に 一 切 を 執 じ、 猴 寒 暑 の 勾 く 甚 し き 相 違 を 観 す る 者 等 は 自 ら の 智 識 が 粗 淺 な る を 顯 す に 過 ぎ す、 叉 劣 乗 の 読 く 法 藏 等 を 誘 棄 し、 自 己 の み 高 く と ま つ て ゐ る 如 き は、 正 法 殿 講 の 大 業 障 を 生 起 す る 者 と 云 ふ べ き で あ ら う。 以 上 の 如 き 観 黙 か ら し て、 阿 提 沙 尊 師 は 世 尊 一 代 の 教 論 を 一 々 取 り、 成 佛 の 支 縁 と な る 凡 ゆ る 道 理 を 集 め、 裁 々 に 定 解 を 起 さ し む べ く ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ を 作 り、 以 て 噸 切 の 者 の 依 撒 れ ら し め た の で あ る。 げ に ﹁ 道 燈 ﹂ に 依 つ て、 我 等 は 漸 次 資 糧 を 集 積 し、 罪 障 を 浮 治 し、 廣 く 正 願 を 獲 し、 久 し か ら す し て 智 能 の 増 長 が 得 ら れ、 佛 陀 の 一 切 教 法 に 通 達 す る 事 が 出 來 る で あ ら う。 か く ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ は、 凡 ゆ る 経 児 の 根 本 要 義 を 能 撮 し、 凡 夫 を し て 成 佛 の 道 に 正 し く 引 導 せ し め る も の で あ る か ら、 之 を 通 し
て 初 め て 一 切 の 聖 教 に 相 違 な く 通 達 す る 事 が 出 來、 且 つ 樹 機 に よ つ て 一 見 甚 し く 矛 盾 あ る か の 如 く 感 ぜ ら れ る 繹 迦 一 代 の 説 法 も、 説 く 所 の 三 士 道 の 教 剣 を 用 ふ れ ば、 そ め 何 れ か に 悉 く 包 擾 せ ら れ、 矛 盾 は 全 く 解 沿 せ ら れ る 事 と な る の で あ る。 こ れ 殊 勝 を 説 く 第 一 の 特 徴 で あ る。 第 二 節 一 切 の 聖 言 を 教 授 に 顯 示 す る 事 の 殊 勝 (7b) 佛 陀 の 日 へ る 諸 女 の 聖 教 こ そ 實 に 最 勝 な る 教 授 そ の も の で ば あ る が、 然 し 末 代 所 化 の 機 は 幾 多 高 信 達 の 繹 論 並 び に 善 教 を 通 じ て 壁 な け れ ば、 自 ら の 力 の み を 以 て し て 佛 の 教 説 を 理 解 し、 或 ぼ 其 中 に 含 ま れ た 密 意 を 正 し く 把 握 す な 事 は 困 難 で あ ら う。 故 に 諸 大 車 所 造 の 諸 繹 論 及 び 諸 教 説 も 亦 重 要 な み 教教 授 と 見 徹 さ れ、 此 等 に 依 つ て 初 め て 決 定 信 解 を 得 る に 至 る の で あ る。 然 し 乍 ち、 此 等 の 教 を 籔 多 修 轡 す る と し て も、 廣 大 無 漫 な る 佛 語 繹 論 の 凡 ゆ る 義 理 に 通 曉 す る 事 は 恐 ら や 不 可 能 で あ り、 や N も す れ ば 其 等 諸 大 維 論 に 於 け る 眞 實 な る 内 義 を 洞 察 し 得 す し て 反 つ て 彼 れ 道 に 順 は す、 修 す べ き 要 旨 あ る 事 な し と て 其 等 を 棄 去 り、 徒 ら に 其 れ が 便 値 を 去 汝 し 正 法 を 誹 諦 す る 悪 結 果 に 墜 る 恐 れ な し と し な い。 か く の 如 き は も と よ り 成 道 よ り 逸 睨 し た 者 と 蓉 は ね ば な ら ぬ が、 翼 に 解 脱 を 求 め ん が 爲 に は、 一眞 験 に、 諸 大 維 論 は 欺 の な き 最 勝 教 授 た る 事 を 想 ひ、 其 れ を 知 る 能 は ざ る は 之 れ 一 に 自 ら の 智 慧 劣 れ る が 爲 な り と 観 じ、 優 れ れ 善 士 の 教 へ に 依 止 し て 定 解 を 尋 求 し よ う と の 想 ひ に 佳 す べ き で あ る。 而 し て 右 の 欲 求 を 満 し て 飴 り あ る も の は、 阿 提 沙 所 造 の ﹁ 道 燈 ﹂ に し く は な い。 帥 ち ﹁ 道 燈 ﹂ は よ く 一 切 経 論 の 椹 要 を 播 し、 諸 大 維 論 中 所 詮 の 諸 義 を 嚴 正 な る 観 察 慧 を 通 し て 取 捨 組 織 せ る、 完 全 無 敏 な る 勝 れ れ 内 容 を 持 つ も の で あ る か ら だ。 叉 所 説 の 三 士 道 の 教 剣 に よ つ て、 顯 密 深 淺 種 女 雑 多 に 説 か れ た 教 説 を し て、 各 々 其 の 所 を 得 し め、 一 貫 し た 意 味 を 附 與 せ し め て ゐ る。 か く て 我 汝 は 之 に よ つ て、 あ ら ゆ る 定 解 を 起 し、 非 實 な る 教 に 妄 執 す る 事 を 離 れ、 正 法 背 棄 の 諸 邪 分 別 を 起 す 事 も な く し て、 佛 典 の 教 に 全 般 的 に 信 順 し 得 る に 到 る で あ ら う。 以 上 ﹁ 道 燈 ﹂ が 一 切 の 聖 言 を 含 撮 顯 示 す る 最 勝 聖 典 な る 旨 を 明 し た の で あ る。 ﹁ 菩 提 道 蒙 第 廣 論 ﹂序 説 五 三
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 四 第 三 節 勝 者 の 密 意 を 獲 易 き 事 の 殊 勝 (9a1) 前 に 述 べ た 如 く、 佛 の 説 法 及 び 諸 大 維 論 が 第 一 の 最 勝 な る 教 授 で あ る け れ ど も、 初 獲 の 人 は 善 士 の 教 へ に 依 止 す る の で な け れ ば、 到 底 彼 等 の 含 む 密 意 を 理 解 す る 事 が 出 來 ぬ で あ ら う。 假 令 獲 得 理 解 し 得 る と し て も、 そ れ は 長 時 の 間 不 断 の 努 力 を 以 て し な け れ ば 達 成 出 來 ぬ 問 題 で あ る。 然 る に 若 し 阿 提 沙 奪 師 の 教 へ た る 三 士 の 説 に 從 ふ な ら ば、 容 易 に 而 も 速 か に 佛 教 の 眞 實 義 に 通 達 し、 佛 陀 の 密 意 を 獲 得 す る 事 が 出 來 る。 從 つ て ﹁ 道 燈 ﹂ に ょ つ て 経 論 の 抗 要 心 髄 が 如 實 に 決 定 了 解 し 得 ら れ る の で あ る。 第 四 節 大 悪 行 自 ら 滅 除 に 趣 く の 殊 勝 (9a3) 白 蓮 華 (Padma-dkar-po)及 び 諦 者 品 (Bed-pohi lehu)に 説 く が 如 く、 一 切 の 佛 語 を 或 は 實、 或 は 椹 と 宣 べ る は 皆 成 佛 の 方 便 を 開 示 す る も の で あ る が、 未 だ こ の 義 を 解 せ ざ る 者 は 一 類 を 妄 執 し て 成 佛 の 方 便 と な し、 他 類 を 執 じ て 成 佛 の 障 擬 と な し、 途 に 爵 悪、。 磨 理 非 理 及 び 大 小 乗 を 到 じ て、 菩 薩 に よ つ て こ れ は 學 ぶ べ き も の、 こ れ は 學 ぶ べ か ら ざ る も の と 執 じ、 鷹 捨 を 爲 し て 途 に 法 を 誘 る に 到 る の で あ る。 (9a3)叉 偏 播 一 切 研 磨 経 (Rnam-par-hthag-pa-thamsus-pahi-mdoに ﹁ 曼 殊 室 利 よ 正 法 を 殿 諦 す る 業 障 は 細 状微 な り。 曼 殊 室 利 よ 如 來 所 説 の 聖 語 に 於 て、 一 類 に 於 て 善 妙 想 を 起 し、 一 類 に 於 て 悪 劣 想 を 起 す は 法 を 諦 る な り 。 法 を 諦 る 者 は、 法 を 説 る 事 に よ つ て 如 來 を 講 る な り、 櫓 伽 を 誘 る 語 あ る な り。 此 れ は 慮 理 な り、 此 れ は 非 理 な り と 云 ふ は 法 を 諦 る な り。 此 は 諸 菩 薩 の 宣 説 な り、 此 は 諸 聲 聞 の 宣 説 な り と 云 ふ は 法 を 読 る な り。 此 は 諸 濁 畳 の 宣 説 な り と 云 ふ は 法 を 読 る な り。 此 は 諸 菩 薩 の 學 庭 に 非 す と 云 ふ は 法 を 説 る な り。 ﹂ (9a-3)と 述 べ、 若 し 法 を 殿 説 す れ ば 其 罪 極 め て 重 き を 説 き、 三 摩 地 王 経 (Tin-n-hdsin-po)の ﹁ 誰 か 此 の 謄 部 洲 に 於 け る 一 切 の 塔 を 殿 す 者、 誰 か 契 経 を 誘 る 者 の 彼 の 罪 は 極 め て 重 し、 誰 か 恒 河 沙 数 の 阿 羅 漢 を 殺 す 者、 誰 か 契 輕 を 読 る 者 の 彼 の 罪 は 極 め て 重 し ﹂ (9a-1)な る 丈 を 引 き、 説 法 を 嚴 に い ま し め て ゐ る。 故 に 謎 々 は 働 力 以
て 之 葱 嶽 除 す べ き で 訪 る が、 前 に 示 し れ 如 き、 ﹁ 道 燈 ﹂ に よ つ て 速 か に 定 解 を 獲 得 し 佛 説 の 正 意 を 了 解 す れ ば、 内 容 の 淺 深 巧 拙 等 を 非 難 す る が 如 歯 か N る 説 法 の 罪 障 は 能 く 遮 除 せ ら れ る が 故 に、 悪 行 自 ち 息 滅 に 趣 く と 云 ふ べ き で あ る。 以 上 四 つ の 事 柄 を 以 て ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ の 殊 勝 を 明 し、 以 て 本 論 の 根 本 所 依 の 典 と な す 所 以 を 彊 調 し た も の で あ り、 而 も 上 述 の 四 つ は 同 時 に 三 士 道 の 教 判 よ り 當 然 引 起 さ れ る 嘲 瞭 教 の 特 徴 と も 見 ら る べ き 主 張 で も あ る。 要 す る に ﹁ 法 の 殊 勝 を 顯 示 す る 事 に 於 て、 法 と は 此 の 教 読 の 根 本 た る ﹁ 菩 提 道 燈 論 ﹂ で あ る。 依 怯 (Jo-bo: =Atisa)に よ つ て 造 ら れ れ る 多 く の 論 あ り と 難 も、 根 本 の 如 き 極 圓 満 な る も の は、 ﹁ 道 燈 ﹂ に し て、 維 兇 二 つ の 橿 要 を 播 し て 開 示 す る が 故 に、 所 詮 の 圓 満 と 調 心 の 次 第、 最 勝 な る が 故 に、 手 に 受 持 し 易 き 事 と、 二 大 車 の 軌 に 善 巧 な る 二 師 の 敏 授 を 以 て 荘 嚴 せ ら れ た る が 故 に、. 絵 他 の 軌 よ り 特 に 勝 出 す る の で あ る。 ﹂ (5b-1)以 上 法 の 殊 勝 に 關 し て 終 る。 第 三 章 聴 聞 講 読 の 方 法 (9 b3) 當 章 は 之 遊 三 つ に 分 つ。 即 ち 蕪 者 の 軌 理 と、 説 者 の 軌 理 と 完 結 時 に 於 て 共 に 作 さ る べ き の 軌 理 と で あ る。 第 一 節 蕪 者 の 勒 理 嘉 者 の 軌 理 に 關 し て 亦 三 つ あ り、(1)は 法 を 聞 く 事 の 勝 利 を 思 ふ 事 (Chos-thos-pahi bsm-pa(2)は 法 及 説 法 者 に 於 て 承 事 を 起 す 事
(Chos dan chos-la
Him-gro bsk-pa)(3)は 翼 實 な 胤 嘉 聞 の 勒 理 (Nan-pahi tshul-dnos)で あ る。 先 づ 第 一 の も の か ら 順 次 述 べ て 行 か う と 思 ふ ゆ (1)嘉 聞 集(Thos-pahi-tsho) ﹁ 聞 く 事 に よ つ て 諸 法 を 知 り、 聞 く 事 に よ つ て 諸 悪 よ り 轄 じ、 聞 く 事 に よ つ て 義 に 非 ざ る も の を 棄 て、 聞 く 事 に よ つ て 浬 築 を 得 る に 至 る ﹂ (9b)と。 叉 云 ふ ﹁ 家 が ま く 覆 蔽 さ れ、 曙 黒 に 孟 つ て 被 は れ れ る も の エ 内 に 入 る な ら ば、 諸 汝 の 物 形 が あ る と も 眼 を 具 す る 如 く 見 る 能 は す、 そ の 如 く 生 人 慧 を 具 す る と 毛、 善 悪 の 法 を 聞 か ざ る に 於 て 億 知 る に 至 ら す、 眼 を 有 す る 者 が 燈 あ る 事 に ょ つ て 諸 女 の 物 形 を 見 る 如 く、 そ の ﹁ 菩 提 道 茨 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 五
﹁ 菩 提 道 茨 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 六 如 や 善 悪 の 法 を 聞 く 事 に よ つ て 全 く 知 る に 至 る な り。 ﹂ (9b)と。 叉 實 に 本 生 論 (Skye-rab)に、 ﹁ 法 を 聞 く 事 に よ つ て 意、 信 を 生 じ て 妙 敷 喜 に 堅 住 す る に 至 る。 智 慧 を 生 じ て 愚 痩 な き に 至 る。⋮⋮聞 は 痩 暗 を 除 く 燈 明 な り。 盗 人 等 に よ つ て も 取 ら れ る 事 な き 最 勝 の 財 で あ り、⋮⋮、 大 罪 の 軍 を 推 く 最 勝 の 軍 な り⋮云 々 ﹂ (9b-2)と の 意 味 を 述 べ て ゐ る が、 實 に ﹁ 嘉 聞 に 從 ひ 心 を 修 す る な ら ば、 生 死 の 城 を 脱 す る 事 が 出 來 る ﹂ の で あ り、 我 々 は 先 づ 第 一 に、 如 是 く 説 く 所 の 諸 々 の 誌 聞 の 勝 利 を 思 ひ 正 し く 心 に 勝 解 を 起 さ ね ば な ら ぬ。 今 聴 聞 の 最 重 要 な る 事 は 略 女 理 解 出 來 れ と 思 ふ が、 然 ら ば 如 何 な る 態 度 を 以 て 法 を 聞 く べ き で あ ら う か、 ﹁ 菩 薩 地 ﹂ に は 五 想 を 以 て 正 法 を 嘉 聞 す べ き 旨 を 明 し て ゐ る。 印 ち、 ( イ ) 佛 出 世 に も 亦 其 法 に も 極 め て 相 遇 ふ 事 難 く 稀 貴 な る も の な る が 故 に 珍 寳 の 想 を な す 事 と、 ( ロ ) 時 汝 倶 生 の 慧 を 増 長 す る が 故 に 眼 目 の 想 を な す 事 と、 ( ハ ) 授 く る 所 の 慧 眼 に よ つ て、 あ ら ゆ る 諸 欧 の 性 を 見 る に 至 る が 故 や 光 明 の 想 を な す 事 と、 ( ニ ) 究 寛 時 に 於 て 浬 繋 と 大 菩 提 の 果 を 與 ふ る が 故 に 大 勝 利 の 想 を な す 事 と、 ( ホ ) 現 在 に も 亦 彼 の 二 因 と、 止 観 の 喜 び を 得 る が 故 に 無 罪 の 想 ひ を な す 事 で あ る。 か く の 如 き の 想、 を 以 て 聴 聞 の 勝 利 を 思 惟 せ ね ば な ら ぬ。 (2) 次 に、 ﹁ 法 及 法 説 者 に 於 て 承 事 を 起 す 事 ﹂ と は 地 藏 維 (Sahi-snin-bohi)に、 ﹁專 ら 信 じ、 恭 敬 を 以 て 法 を 聞 け、 彼 法 に 於 て 殿 諦 を 起 す べ か ち す。 説 法 師 に 供 養 す る 者 は、 彼 に 於 て 佛 に 等 し き も の と の 想 を 起 す べ し。 ﹂ (10a)と 云 ふ 如 く、 説 法 者 を 佛 に 等 し き も の と 観 じ て、 凡 ゆ る 恭 敬 供 養 を 以 て 供 事 し、 不 尊 敬 の 念 を 断 じ、 以 て 正 し く 嘉 聞 す る を 云 ふ の で あ る。 こ れ に 當 つ て は 驕 慢、 輕 蔑 等 の 雑 染 を 離 る べ き は 勿 論、 法 説 者 の 五 威 を 意 に な し て は な ら な い。 驕 慢 を 離 れ る と は、 慮 時 嘉 聞、 嚢 起 恭 敬、 獲 起 承 事、 不 作 愼 悉、 随 順 正 行、 不 求 過 失 の 六 事 を 以 て 法 を 嘉 く を 云 ひ、 輕 蔑 難 染 を 離 れ る と は、 法 及 説 法 者 を 誠 心 以 て 敬 重 し、 牽 も 輕 蔑 の 念 を 起 さ ゴ る を い ふ。 説 法 者 の 五 腱 と は、 戒 穿 歓、 種 性 下 劣、 形 貌 醜 随、 丈 僻 鄙 悪、 嘉 句 粗 に し て 耳 を 悦 ば さ ゴ る の 五 つ を 云 ふ の で あ る が、 か エ る 見 解 を 持 て ば 自 ら 法 師 を 説 り の 聞 法 を 捨
て る 事 と な る。 故 に 此 の 五 塵 を 離 れ な け れ ば な ら な い。 ﹁ 本 生 論 ﹂ 中 に、 ﹁ よ べ 低 劣 の 座 に 座 し、 調 伏 の 法 を よ く 畿 起 し、 敷 喜 を 有 す る 眼 を 以 て 見、 語 の 甘 露 を 飲 む が 如 く 奪 敬 を 起 し て 專 ら 至 誠、 よ く 浮 無 垢 の 意 を 有 し、 病 者 が 霧 師 の 言 を 聞 く が 如 く、 承 事 を 起 し て 法 を 聞 け ﹂ (10a-1) と は、 聞 法 の 態 度 を よ く 説 示 し て 飴 り あ る も の と 云 ふ べ き で あ る。 以 上 嘉 聞 の 重 要 と、 法 並 に 説 者 に 封 し て 尊 敬 供 養 を 生 す べ き 旨 を 明 し た が、 然 ら ば 如 何 な る も の が 最 も 正 し き 聴 聞 の 仕 方 で あ ら う か、 之 を 示 す の が 第 三 の ﹁ 眞 實 鵜 聞 軌 理 ﹂ で あ る。 (3)此 れ に 就 て は、 ( イ ) 器 の 三 過 を 除 く 事 ( Snod-skyo fsum soan)(ロ) 六 想 に 依 止 す る 事 (Hdu-ses bsten-pa)の 二 方 面 よ り 解 明 せ ら れ て ゐ る。 ( イ ) 若 し 器 倒 覆 す る か、 上 に 向 く と も 澤 潔 な ら ざ る か、 浮 潔 な り と も 底 穿 漏 な れ ば、 天 彼 に 雨 を 降 ら す と も 内 に 入 ら す、 内 に 入 る ど し て も、 不 澤 の 染 汚 す る 所 と な り、 飲 料 等 の 用 に 供 す る を 得 す、 叉 不 浮 に ょ つ て 染 汚 せ ち れ す と 雛 も、 内 に 住 せ す 全 く 潟 漏 す る に 至 る。 此 れ と 同 じ く、 假 今 説 法 の 場 に 佳 す る と し て も、 耳 に 入 ら す、 耳 に 入 る と 砲 て も 邪 執 あ つ て 心 に 過 失 等 を 起 す、 其 等 の 過 失 な く と も、 聴 聞 の 際 受 く る 所 の 丈 義 を 堅 持 す る 能 は す、 忘 念 等 に よ つ て 失 壌 せ ら れ る 所 と な る。 か エ る 状 態 で は 則 ち、 聞 く 所 の 法 如 何 に 無 上 の 説 な り と も 全 く 盆 な き も の と な る。 故 に 須 ら く 彼 等 の 三 過 を 離 る べ き で あ る。 ﹁ 菩 薩 地 ﹂ に、 ﹁ 偏 く 知 ら ん と 欲 す る 者 は 專 ら 耳 を 傾 け 蕪 き、 意 を 傾 倒 し、 一 切 心 を 以 て 思 惟 蕪 聞 す べ し ﹂ (100) と 述 べ、 善 く 諦 蕪 し、 意 に 思 念 す る 事 に ょ つ て 上 の 三 過 を 封 治 す べ き 旨 を 示 し て ゐ る の で あ る。 ( ロ ) 次 に 六 想 と は 何 か、 (10b)先 づ 第 一 は ﹁ 自 ら に 於 て 病 者 の 如 きの 想 に 佳 す る ﹂ を 云 ふ。 入 行 (S pid-hjug) に ﹁ 若 し 病 に 遇 へ ば、 須 ら く 讐 の 言 に 依 る べ し。 況 ん や 長 ぐ 貧 等 の 百 過 の 病 に 逼 迫 せ ら れ る に 於 て を や ﹂ と の 意 を 述 べ、 病 氣 永 び け ば 治 療 し 難 き 故、 早 く 自 ら 病 者 め 思 ひ を 爲 し、 王 法 を 諦 聴 し て 極 重 悪 な る 三 毒 の 大 病 等 を 全 治 す べ き で あ る と す る。 ﹁ 菩 提 道 次 策 廣 論 ﹂ 序 説 五 七
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 八 第 二 は ﹁ 説 法 者 に 於 て 醤 師 の 如 き の 想 に 佳 す る ﹂ (10 b-1)事 で あ る。 業 病、 難 病 に 遇 ふ 者 は 努 め て 善 讐 を 求 め、 若 し 會 遇 す る を 得 ば 大 敷 喜 を 獲 し、 彼 の 言 の ま N に 受 用 し、 恭 敬 承 事 す る の で あ る が、 是 の 如 く、 煩 悩 の 病 に ま ど は さ れ れ る 我 等 は 法 を 宣 説 す る 善 知 識 を 尋 求 し、 以 て そ の 教 を 奉 行 し 恭 敬 承 事 せ ね ば な ち ぬ。 帥 ち 播 徳 寳 (Yon-tan-rin-po)(11a)中 に も ﹁ か る が 故 に 勝 菩 提 を 求 む る 者 等 は、 智 者 に よ つ て (定 ん じ て ) 裁 慢 を 推 く べ し。 諸 病 人 警 治 に 親 し む 如 く、 善 知 識 に 親 し み 鷹 に 解 怠 な か る べ し。 ﹂ (11a1)と の 意 が 示 さ れ て ゐ る の で あ る。 第 三 は、 ﹁ 教 法 に 於 て 藥 品 の 想 を 生 起 す る 事 ﹂ (11a2)で、 諸 病 者 が 讐 師 配 す る 所 の 藥 晶 に 於 て 大 珍 愛 を 起 す 如 く、 説 法 師 所 説 の 教 誠 に 封 し て 尊 重 の 想 ひ を 生 じ、 力 を 働 し 珍 愛 執 持 し て、 以 て 忘 念 等 に よ つ て 損 壌 せ し め ざ る を 云 ふ。 第 四、 ﹁ 修 行 に 於 て 療 病 の 想 を 生 起 す る 事 ﹂ (11a3)と は、 病 者、 醤 師 の 配 す る 所 の 藥 を 見 胤 の み に て 服 用 せ ざ れ ば、 病 を 治 す る 事 能 は ざ る が 如 く、 説 法 師、 垂 れ る 所 の 教 を 聞 く の み に て 修 習 せ ざ れ ば 亦 貧 等 の 病 を 推 破 す る 事 が 出 來 ぬ。 叉 若 し 僅 か に 一 二 度 藥 を 受 用 す る 事 を 以 て 足 れ り と す る は 全 く 病 を 濟 ふ 道 で は な い。 我 等 無 始 よ り 煩 憐 に 輕 は れ、 重 病 に 逼 害 せ ら れ る 所 と な る。 故 に 教 説 の 義 に 依 つ て 僅 か に 一 二 次 修 脅 す る と も 何 の 役 に も 立 れ ぬ。 從 つ て 一 切 の 道 に 於 て、 慮 に 力 を 働 ま し、 観 察 慧 を 以 て 正 し く 思 惟 し 常 に 受 用 し な け れ ば な ら な い。 心 恒 に 愚 昧 に し て、 長 時 重 病 に 苦 砲 め ら れ 声 手 足 脱 落 せ る 具 癩 者 の 如 き 者 に と つ て、 少 服 藥 は 何 の 釜 が あ ら う。 又 唯 輩 に 多 聞 を 樂 し み、 多 く の 異 類 の 丈 僻 を 愛 積 す る の み な ら ば、 馨 師 を 求 め て そ の 藥 を 服 さ ざ る に 等 し い。 唯 配 す る 所 の 藥 品 に。 愛 著 す る 足 け な ら ば 病 途 に 脱 す る 事 が 出 來 な い の で あ る。 實 に 不 断 の 勤 修 を 通 し て の み 治 病 の 目 的 は 達 成 せ ら れ る で あ ら う。 三 摩 地 王 輕 に ﹁ 諸 人 病 み て 身 苦 し む。 多 年 の 間 未 だ 暫 し も 離 れ す、 彼、 重 病 に よ つ て 久 し く 悩 む が 故 に、 病 を 治 す べ く 亦 醤 を 求 む。 彼 度 女 求 め る 事 に よ つ て 善 讐 に 遇 ふ を 得、 讐 亦 そ の 悲 懸 に 安 佳 し、
教 へ て 是 の 如 き 藥 を 服 用 せ し む。 其 の 珍 貴 な る 良 藥 を 受 け て、 而 も そ の 治 病 の 藥 を 服 用 せ ざ る は、 讐 師 の い れ す 所 で も な く、 藥 の 罪 に も 非 す、 此 れ 一 重 に 病 者 自 ら の 過 失 な り。 是 の 如 く 教 法 を 偏 了 す る と も、 修 行 に 於 て 精 進 せ す、 勤 修 せ ざ れ ば、 い か で か 浬 繋 を 謹 し 得 ん ﹂ (11b1) と の 意 味 を 述 べ、 更 に ﹁ 我 極 め て 善 歯 法 を 宣 説 す る と 難 も、 汝 聞 き て 正 し く 行 ぜ ざ れ ば、 病 者 の 藥 嚢 を 負 ひ て、 自 ら の 病 を 治 す る 能 は ざ る が 如 し ﹂ (11b)と も 述 べ、 ﹁ 入 行 ﹂ に も ﹁ 身 を 以 て 此 等 を 行 す べ し。 言 葉 の み 説 き て も 何 の 釜 か あ ら ん。 藥 方 を 諦 す る の み に て は、 い か で 諸 病 者 を 釜 す る に 至 ら ん や ﹂ (11b)と 説 く は、 實 に 不 断 の 修 行 を 強 調 す る 心 の に 外 な ら な い。 故 に 裁 等 は 先 づ 義 を 聞 き、 あ ら ゆ る 須 要 な る も の を 了 知 し、 而 も 力 能 に 随 つ て 行 持 せ ね ば な ら ぬ。 此 際 に 於 て よ く 分 羅 を 護 り、 放 逸、 粗 暴 を 嚴 に 戒 む べ き は 云 ふ 迄 も な い。 更 に、 渤 獲 増 上 意 樂 (Lhag-bskul-ba)に ﹁ 甘 藤 樹 皮 全 く 實 な し、 喜 ぶ 所 の 味 庭 内 に あ り。 人 皮 を 囎 す る が 故 に 甘 蕪 の 精 美 な る 味 を 獲 得 す る 能 は す、 そ の 如 く 外 皮 の 言 亦 爾 り。 其 の 味 の 如 き 義 を 此 中 に 思 ふ が 故 に、 言 説 を 喜 ぶ 事 ( 言 説 著 ) を 遠 離 し て、 常 に 放 逸 な ら す、 義 を 思 惟 す べ し。 ﹂ (12a4)と 云 ふ。 實 に 療 病 の 想 に 佳 し て 教 法 を 聞 き、 而 も 其 中 に 含 ま れ た る 眞 意 義 を 洞 察 思 惟 し、 如 實 に 修 脅 の 上 に 實 現 せ し め ね ば な ら 激 の で あ る。 第 五 の ﹁ 如 來 に 於 て 善 士 の 想 を 作 す 事 ﹂ (12a)は 説 法 師 之 れ 世 奪 な り と 随 念 し て 恭 敬 を 獲 す を 云 ひ、 第 六 の ﹁ 正 法 の 理 に 於 て 久 佳 の 想 を 起 す 事 ﹂ (12a)と は、 勝 者 の 教 を 世 間 に 久 住 せ し め ん と す る を 云 ふ の で あ り、 法 を 聞 く 事 に よ り 或 は 叉、 他 に 講 説 す る 事 に ょ つ て 法 を 相 綾 し 久 住 せ し め る を 云 ふ の で あ る。 若 し 面 上 黒 汚 等 の 垢 の 有 る か 無 き か を 知 ら ん と 欲 せ ば 内 鏡 に 照 し て 其 の 有 無 を 知 り、 以 て 其 垢 を 除 定 が 如 く、 若 し 自 行 諸 々 の 過 失 あ る と も、 正 法 を 聞 く 次 ら ば 法 の 鏡 に 現 じ、 爾 時 意 中 熟 悩 を 生 じ て、 過 を 除 き 功 徳 を 修 習 せ ん と す る が 故 に、 自 ら 法 に 随 ひ 修 墨 す る に 至 る で あ ら う。 ﹁ 本 生 論 ﹂ に ﹁ 我 が 鄙 悪 行 の 影 を 法 の 鏡 に 明 見 す る な ら ば、 意 に よ く 痛 悩 を 生 じ て、 我 當 に 法 に 趣 く に 至 ら ん ﹂ ﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 五 九
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 六 〇 (12b)と。 即 ち 法 に 随 ふ 事 に よ つ て 成 佛 に も 到 り 得 る の で あ る が、 そ の 法 を 知 る に は 先 づ 法 を 嘉 か ね ば な ら ぬ。 か る が 故 に、 須 ら く 正 法 を 聴 聞 し、 法 の 勝 利 を 思 念 し、 勇 惇 の 心 を 獲 し て 器 の 三 過 等 を 断 す べ き で あ り、。 此 れ 正 し く 聴 聞 す る 所 以 で あ る。 第 二 節 説 法 者 の 軌 理 (12b) (1) 説 法 の 勝 利 を 思 惟 す る 事 利 養 名 聲 等 の 染 事 を 全 く 顧 み す、 法 を 説 く 者 は 極 め て 勝 利 大 に し て、 ﹁ 鋤 襲 増 上 意 樂 ﹂ の 中 に、 利 養 恭 敬 等 を 希 欲 せ す し て、 無 染 の 法 施 を 施 す べ き 旨 を 明 し、 慈 氏 の 二 十 種 の 法 施 の 勝 利 を 説 い て ゐ る が、 今 は 省 略 し、 唯 説 法 の 種 汝 の 勝 利 を 思 惟 ず べ き 事 の み を 云 ふ に 止 め て お く。 (2) 大 師 及 び 法 に 於 て 仰 敬 を 起 す 事 (13a) 世 尊 佛 母 に 法 を 説 く 時、 自 ら 座 等 を 設 け し が 如 く、 法 は 術 是 れ 諸 佛 の 恭 敬 す る 所 の も の な る が 故 に、 法 に 於 て 大 奪 敬 を 起 し、 大 師 の 功 徳 及 其 の 深 恩 を 随 念 し て 大 敬 重 を 起 す べ き で あ る。 (3) 如 何 な る 意 樂 と 加 行 と を 以 て 説 く べ き か (13a4) 今 云 ふ 所 の 意 樂 と は、 海 慧 問 経 (Blo-gros-rgya shas-pa)中 に 説 く 五 想 に 佳 す る を 云 ふ の で あ り、 其 の 五 想 と は、 ( イ ) 自 ら に 於 て 讐 想 を、 法 に 於 て 藥 想 を、 法 を 聞 く 者 に 於 て 病 入 の 想 を、 如 來 に 於 て 善 士 の 想 を、 正 法 の 理 に 於 て 久 住 の 想 を 起 し 而 し て、 衆 生 に 樹 し て 慈 悲 を 修 す る 事 と、 ( ロ ) 他 を 見 る 事 に 於 て 恐 櫻 嫉 妬 を 断 す る 事 ( ハ ) 癬 怠 を な し 数 々 宣 読 す る 所 に 疲 厭 を 生 ぜ ざ る 事、 ( ニ ) 自 ら の 功 徳 を 讃 じ 他 の 過 失 を 墨 げ ざ る 事、 ( ホ ) 法 に 於 て 樫 恪 に し て 財 物 衣 食 等 に 顧 著 せ ざ る 事 を 去 ふ の で あ る。 か く し て 自 他 共 に 成 佛 を 得 る が 故 に、 説 法 の 功 徳 は 即 ち 是 れ 我 が 安 樂 の 資 具 な り と 思 惟 す る の で あ る。 次 に 加 行 と は (13a-2)沐 浴 し 身 心 を 清 浮 訟 ら し め、 鮮 漂 な る 衣 服 を 着、 清 浮 に し て 意 に 適 ふ 場 所 に 於 て、 法 座 に 坐 し て 伏 魔 の 翼 言 を 諦 唱 し、 ( か く す れ ば 其 の 周 匝 百 由 旬 以 内 に 魔 羅 及 び 魔 衆 の 諸 天 至 ら す、 假 令 來 る と も 障 す る 能 は す、 と 海 慧 経 に 説 く の で あ る が ) 或 は 叉 顔 色 を 浄 清 な ら し め て 眞 實 義 を 宣 説 す る 等 實 際 的 な 行
作 の 方 面 を 云 ふ の で あ る。 妙 法 白 蓮 維 に ﹁彼 の 智 者 は 常 に 嫉 妬 な か る べ く、 種 汝 な る 義 を 有 す る 悦 耳 の 談 話 を 説 ぐ。 癬 怠 を も 亦 遽 離 し て 厭 患 の 想 を 起 さ す。 智 者 は 一 切 の 不 快 を 離 る。 慈 悲 の 力 を 衆 徒 に 修 習 し、 書 夜 亦 最 勝 の 法 を よ べ 修 す。 彼 の 智 者 は 倶 豚 阿 痩 喩 を 以 て 衆 を よ く 愛 し、 同 様 に 敷 喜 せ し む。 彼 に 於 て は 常 に 少 希 欲 も な し。 飲 食 と 轍 囑 と 衣 服 と 臥 具 と 諸 法 衣 と 病 療 讐 藥 等 を 慧 は す 砲 て、 諸 衆 に 於 て 何 等 求 め ざ る な り。 他 方 智 著 は 常 に、 白 己 と 此 等 有 情 を 成 佛 に 趣 か 己 む、 世 を 利 す る が 爲 に 説 く 所 の 彼 の 法 は 我 が 安 樂 の 資 具 な の と 思 惟 す ﹂ (13b) と 説 か れ て ゐ る が、 勘 ち 先 に 述 べ た 五 想 を 通 し て そ れ を 實 際 の 行 動 の 上 に 具 現 せ し め て 行 く の が 加 行 の 意 味 で あ る と 思 ふ。 か く し て こ そ 始 め て 法 が 如 實 に 説 か れ 得 る と 曇 ふ べ き で あ ら う。 (4) 如 何 な る 境 に 於 て 説 と 不 説 と の 差 別 を 爲 す か (13b4) 毘 奈 耶 維 (Hdul-bahi-mdo)に ﹁ 未 だ 請 は ざ る 者 に 説 く べ か ら す ﹂ と 曇 ふ が 如 く、 未 だ 啓 請 せ ら れ な い の に 自 ら 進 ん で 法 を 説 い て は な ら ぬ。 叉 請 白 を 受 け る と 難 も 先 づ 其 の 器 を 観 す べ き で あ る。 何 故 な ら ば 其 の 器 に 非 ざ る 者 に 輕 女 し く 法 を 説 ぐ 危 陰 が あ る か ら で あ る。 而 し て 其 の 器 れ る 事 を 知 る な ら ば、 其 時 は 未 だ 鋤 請 せ ら れ な く と も 説 い て よ い。 帥 ち ﹁ 三 摩 地 王 維 ﹂ に ﹁法 施 の 爲 の 故 に、 若 し 汝 に 於 て 譜 白 す る な ら ば、 ﹃ 廣 く 我 未 だ 學 ば す ﹄ と、 先 つ か く 言 ふ べ し。 ﹃ 汝 は 知 つ て 善 巧 な る 庵 の な れ ば、 我 れ 大 士 の 前 に 於 て、 如 何 が 宣 説 す る を 得 ん、 汝 彼 の 語 を 説 く べ し ﹄ と、 ( か く )暫 時 説 く 事 を 爲 さ す、 器 を 観 じ て 而 し て 作 せ よ。 若 し 器 を 知 る に 至 れ ば 請 は れ ざ る も 説 く べ し ﹂ (13b5)と 述 べ ら れ、 更 に 叉 毘 奈 耶 経 に ﹁ 坐 す る 者 に 立 ち て 法 を 説 か す、 臥 す る 者 に 坐 し て 法 を 読 か す。 高 座 に 坐 す る 者 に 低 座 に 坐 し て 法 を 説 か す。 悪 者 と 善 者 と 亦 そ の 如 し、 前 に 行 く 者 に 後 よ り 行 き て 説 か 歩、 道 を 行 く 者 に 道 の 側 よ り 行 き て 説 か す。 頭 を 覆 ふ 者 と ⋮ ⋮電 略 ) 頭 に 結 髪 を 有 す る 者 と、 著 帽、 著 冠、 著 髭、 纏 首 の 者 に 説 か す。 象 と 馬 に 乗 る 者 と 輔 と 車 の 上 に 坐 す る 者 と、 鮭 履 を 著 け る 者 と に 説 か す。 手 に 杖 傘 器 創 武 器 ﹁菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 六 一
﹁ 菩 提 道 次 第 廣 論 ﹂ 序 説 六 二 を 執 る 者 と 被 甲 者 と に 説 か ざ る な り。 ﹂ (13b-1)と 示 さ れ て ゐ る 如 く 轟 先 づ 器 を 観 じ、 時 機 を 観 じ、 而 し て 説 獣 の 差 別 を な す べ き で あ る。 第 三 節 完 結 時 に 於 て 共 に 作 さ る べ き 軌 理 (14a3) 法 を 講 じ 或 ば 聞 く 事 よ の 生 す る 所 の 諸 善 威 を、 現 時 と 究 寛 の 諸 希 願 虜 に、 猛 利 欲 心 を 以 て 廻 向 す ゐ を 云 ふ の で あ る。 か く の 如 き 廻 向 の 心 を 以 て 法 を 説 き 叉 聞 く な ら ば、 僅 か に 一 座 と 錐 も 説 か れ る が 如 き 諸 々 の 勝 利 を 生 す る 事 疑 な い 。 法 を 聴 説 し 其 の 質 實 義 を 把 握 し 得 る が 故 に 法 並 び に 法 師 に 樹 す る 不 敬 等 の 一 切 の 業 障 を 悉 く 清 浮 に し、 断 絶 さ す 事 が 出 來、 叉 教 法 を 永 く 久 佳 せ し め、 饒 釜 を 成 じ 得 る の で あ る。 以 上、 當 章 に 於 け る 大 意 を 略 述 し た の で あ る が、 か く 法 は 極 め て 深 妙 至 奪 な る も の で あ り、 此 れ に 於 て 未 だ 定 解 を 獲 な い 者 は 心 韓 ぜ ざ る か 故 に、 甚 深 微 妙 の 正 法 も 反 つ て 其 の 煩 悩 の 助 伴 と な る 恐 れ な し と し な い。 從 つ て 本 論 た る 三 士 道 次 第 の 門 に 入 る に 先 立 ち、 先 づ 三 章 に 亙 つ て 珈 か 叙 述 を 試 み、 以 後 の 所 説 に 樹 す る 基 礎 的 概 念 を 與 へ、 一 種 の 心 構 へ、 心 の 在 り 方 と 云 つ た も の を 示 し た 次 第 で あ る。 最 後 に、 短 時 日 の 間 に 取 急 ぎ 記 述 し た 爲、 丈 義 謳 澁 に し て 誤 謬 も 多 々 あ る 事 と 思 ひ、 一 言 記 し て 御 詫 す る 次 第 で あ る。