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密教文化 Vol. 1957 No. 39 003久保田 収「水戸光圀と卍元師蛮 P34-41」

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密 教 文 化 一

水 戸 光 囲 と 卍 元 師 蛮 と い へ ば、 一 人 は 藩 主 で あ り、 他 は 僧 侶 で あ り、 身 分 も 違 へ ば、 活 動 の 分 野 を も 異 に す る の で は あ る が、 光 囲 は そ の 畢 生 の 事 業 と し て 大 日 本 史 の 編 纂 を 進 め、 師 蛮 は そ の 全 生 涯 を 延 宝 伝 燈 録 と 本 朝 高 僧 伝 と い ふ 二 部 の 僧 伝 の 著 述 に 捧 げ た の で あ る か ら、 共 に わ が 国 の 史 学 の 発 達 に 貢 献 す る と こ ろ が あ つ た。 し か も、 こ の 両 者 は ほ ぼ 時 を 同 じ う し て 出 た ば か り で な く、 相 互 の 間 に 交 渉 を 有 し、 そ れ ぞ れ の 修 史 の 業 に 多 少 と も 資 益 す る と こ ろ が あ つ た。 こ の 両 者 の 交 渉 は、 師 蛮 が、 光 囲 の 招 き に 応 じ て 常 陸 に 赴 き、 清 音 寺 の 住 職 と な る こ と に 始 ま つ た。 師 蛮 が 光 囲 の 懇 篤 な 招 き に よ つ て 清 音 寺 に 赴 い た こ と は、 美 濃 加 納 の 盛 徳 寺 に 蔵 す る 卍 元 師 蛮 禅 師 行 状 な ら び に 盛 徳 寺 年 代 略 記 に み え て ゐ る。 こ れ ら は、 師 蛮 の 弟 子 俊 明 師 川 の 記 す と こ ろ で あ る が、 そ の 記 述 は 簡 明 で あ つ て、 事 の こ こ に 至 つ た 顯 末 に つ い て は 筆 を 進 め て ゐ な い。 し か し、 光 囲 が 名 僧 知 識 を 藩 内 寺 院 に 招 い た か ず か ず の 事 実 を 考 へ る と き、 こ れ だ け で も、 光 囲 は 師 蛮 を 高 く 評 価 し、 と く に 師 蛮 の 史 学 に 深 い 関 心 を 払 つ て ゐ た の で は な い か、 と 推 定 せ ら れ る の で あ る が、 京 都 大 学 図 書 館 に 蔵 す る 大 日 本 史 編 纂 記 録 に よ つ て、 一 層 こ の 間 の 事 情 を 明 か に す る こ と が で き る。 清 音 寺 は、 常 陸 東 茨 城 郡 西 郷 村 下 古 内 に あ り、 臨 済 宗 に 属 し て ゐ た。 こ の 清 音 寺 が 無 住 で あ つ た の で、 誰 か 適 当 な 住 持 を 招 く こ と が 考 へ ら れ、 そ の 選 に 入 つ た の が 卍 元 師 蛮 で あ つ た。 師 蛮 は、 相 州 小 田 原 の 生 れ で あ り、 幼 よ り 佛 門 に 志 し て ゐ た が、 十 八 歳 に し て 剃 戒 し、 以 後、 鎌 倉 を は じ め と し て、 諸 国 を 廻 つ て 修 行 し た の で あ つ た。 そ し て 延 宝 七 年 か ら は、 美 濃 加 納 の 盛 徳 寺 に 住 し、 そ の 寺 の 復 興 に つ と め、 天 和 二 年 に な つ て 復 興 が 成 り、 以 後、 師 蛮 は 京 都 に 上 り 妙 心 寺 の 幻 住

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庵 と い ふ と こ ろ に 住 し て ゐ た の で あ つ た。 師 蛮 が 水 戸 藩 か ら の 交 渉 に 応 じ て、 清 音 寺 に 赴 い た の は、 そ の 翌 年 天 和 三 年 の こ と で あ つ た。 そ の 交 渉 の い き さ つ に つ い て は、 上 述 の 大 日 本 史 編 纂 記 録 に み え て ゐ る。 と こ ろ が、 そ れ を み る と、 師 蛮 を 招 い て 清 音 寺 に 住 せ し め よ う と し た の は、 こ の 年 に 始 つ た こ と で は な い。 こ の 年 よ り も 前 に、 一 度 そ の 話 が な さ れ た の で あ つ て、 こ の こ と は、 元 和 三 年 五 月 二 十 一 日 佐 々 介 三 郎 に 宛 て た 佐 藤 有 慶 の 書 簡 (大 日 本 史 編 纂 記 録 百 九 十 九 ) の 中 に、 前 方 貴 様 被 ご 仰 入 噌候 得 共、 其 時 分 ハ 書 物 作 か ゝ ら れ 候 て、 同 心 も 無 二 御 座 一候 由、 と あ る こ と か ら 明 か で あ る。 こ の 最 初 の 交 渉 は、 何 時 の こ と で あ つ た ら う か。 こ の と き、 師 蛮 は、 書 物 を 作 り か か つ て ゐ て 同 心 し な か つ た、 と い ふ の で あ る が、 こ の 書 物 は、 天 和 三 年 に は、 ﹁ も は や 書 物 も 出 来 之 由 ニ 御 座 候 間 ﹂ と、 同 じ く 右 の 佐 藤 有 慶 の 書 簡 に み え て ゐ る か ら、 こ の 書 物 と は 延 宝 伝 燈 録 の こ と で あ ら う。 延 宝 伝 燈 録 の 成 稿 は 延 宝 六 年 の こ と で あ つ た か ら、 最 初 の 交 渉 の あ つ た の は、 延 宝 六 年 よ り 前 と い は ね ば な ら な い。 右 の 書 簡 に ﹁ 貴 様 ﹂ と あ る の は 佐 々 介 三 郎 で あ る が、 介 三 郎 の 水 戸 藩 に 事 へ た の は 延 宝 二 年 の こ と で あ り、 延 宝 六 年 に は 古 書 捜 索 の た め に、 命 を 奉 じ て 西 国 を め ぐ つ た の で あ る か ら、 最 初 の 交 渉 の あ つ た の は、 延 宝 二 年 か ら 六 年 ま で の 間 の こ と で あ つ た。 こ の と き は、 前 述 の や う に、 延 宝 伝 燈 録 述 作 を 理 由 に、 こ れ を 肯 ん じ な か つ た の で あ る。 こ の と き、 交 渉 に 当 つ た の は、 佐 々 介 三 郎 で あ つ た の で あ る が、 む ろ ん、 こ れ は 光 囹 の 命 を 奉 じ て の こ と で あ つ た に 違 ひ な い。 し か し、 恐 ら く、 師 蛮 を 清 音 寺 住 職 と し て 光 囲 に 推 し た の は、 介 三 郎 で あ つ た で あ ら う と 思 は れ、 そ の 関 係 か ら 交 渉 を 命 ぜ ら れ た も の で は あ る ま い か。 介 三 郎 は、 十 五 歳 の と き 出 家 し て、 妙 心 寺 に 入 つ た。 そ の 後、 黄 葉 の 隠 元 に つ い て 学 ん だ の で あ る が、 師 蛮 は 介 三 郎 よ り 十 四 歳 の 年 長 で あ り、 介 三 郎 が 禅 僧 と し て 修 行 に 励 ん で ゐ た こ ろ は、 師 蛮 は す で に 三 十 代 の 壮 年 で あ り、 漸 く そ の 名 を 知 ら れ る や う に な つ て ゐ た。 や が て 介 三 郎 は 還 俗 し て、 三 十 五 歳 の 延 宝 二 年、 水 戸 に 事 へ る こ と と な つ た の で あ る が、 還 俗 し た と は い へ、 青 少 年 時 代 か ら の ゆ か り に よ つ て、 禅 僧 に つ い て の 関 心 が 薄 か つ た と は い へ な い で あ ら う。 そ の 問、 師、 蛮 と 直 接 の 交 渉 を も つ た か ど う か は 判 然 と し な い が、 妙 心 寺 水 戸 光 囲 と 卍 元 師 蛮 二

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-35-密 教 文 化 三 に お け る 修 行 の 関 係 も あ り、 ま た 介 三 郎 が 出 家 し た こ ろ か ら す で に 師 蛮 は 僧 伝 の 述 作 に 心 を 傾 け、 歴 史 に 造 詣 を 有 し て ゐ た の で あ る か ら、 自 然 こ の こ と は 経 史 を 学 ぶ こ と の 深 い 介 三 郎 も 耳 に す る こ と が あ つ た で あ ら う し、 こ と に、 介 三 郎 が 水 戸 に 迎 へ ら れ て 歴 史 撰 修 に 従 事 す る や う に な つ て は、 同 じ く 史 筆 に た つ さ は る も の と し て、 師 蛮 に つ い て 一 層 の 関 心 を 寄 せ る こ と と な つ た の で あ ら う。 か う し た 点 が、 清 音 寺 の 後 住 を 決 す る に 当 つ て、 介 三 郎 を し て 師 蛮 を 推 さ し め る に 至 つ た も の と 思 は れ る。 師 蛮 の 人 柄 を 考 慮 に 入 れ た こ と は い ふ ま で も な い で あ ら う が、 最 も 大 き な 理 由 と し て は、 史 学 の 徒 と し て の 師 蛮 に 敬 意 と 関 心 と を 寄 せ、 修 史 事 業 を 進 め つ つ あ る と き と て、 多 少 と も 師 蛮 に 期 待 す る も の が あ つ た の で は あ る ま い か。 学 問 を 愛 す る こ と の 深 い 光 囹 も ま た、 同 様 の 理 由 で こ れ を 認 め る と こ ろ が あ つ た の で あ ら う。 最 初 の 交 渉 は、 僧 伝 執 筆 中 を 理 由 に、 師 蛮 の 承 諾 す る と こ ろ と な ら ず、 こ の 話 は 一 時 中 絶 し た。 し か し、 こ れ よ り 数 年、 天 和 三 年 に な つ て こ の 問 題 が 再 燃 し、 今 度 も、 当 時、 水 戸 の 史 館 に 居 た 介 三 郎 の 推 挙 に よ つ て、 師 蛮 に 来 住 を 交 渉 す る こ と と な つ た。 同 年 五 月 二 十 一 日 の 介 三 郎 に 宛 て た 宜 範 の 書 簡 ( 大 日 本 史 編 纂 記 録 百 九 十 九 ) に、 其 地 清 音 寺 干 レ 今 無 住 ニ 付、 蛮 首 座 招 待 被 レ 遊 度 旨、 一 入 ニ 貴 様 御 肝 煎 故 と 存 候、 と あ る こ と は、 介 三 郎 の 推 挙 に よ る こ と を 推 定 さ せ る が、 同 時 に こ の 件 に 関 す る 京 都 と の 連 絡 が す べ て 介 三 郎 を 経 て 行 は れ て ゐ る こ と は、 一 層 こ の こ と を 裏 書 き す る も の で あ る。 介 三 郎 の 推 挙 は、 今 度 も 光 囲 の 認 め る ご と と な り、 そ の 意 を う け て、 介 三 郎 は 京 都 に 居 る 佐 藤 有 慶 に 依 頼 し た。 有 慶 は 宜 範 と い ふ も の を 伴 つ て、 師 蛮 を た つ ね た。 こ の こ と を 報 じ た 有 慶 の 書 簡 に は、 妙 心 寺 門 前 と あ る が、 こ れ は 上 述 の 幻 住 庵 の こ と で あ ら う。 こ の と き、 師 蛮 の も と に は 弟 子 の 師 貼 も ゐ た。 有 慶 は、 同 じ く 五 月 二 十 一 日、 介 三 郎 に こ の と き の 交 渉 の こ と を 報 じ て 次 の や う に 述 べ て ゐ る。 大 日 本 史 編 纂 記 録 百 九 十 九 黙 首 座 を 清 音 寺 住 職 被 レ 成、 蛮 首 座 隠 居 ニ て 黙 首 座 ニ 御 か ゝ り、 其 儘 関 心 派 ニ 御 入、 鮎 首 座 を 中 峯 派 ニ 被 レ 成 候 ハ ・、 可 レ 被 二 措 置 一候 旨 ニ て、 同 心 之 様 ニ 相 聞 申 候、 乍 レ 去 内 々 も 其 様 へ 御 尋 被 レ 申 候 由、 嗣 法 之 事 ニ 付、 御 書 面 に て ハ 坪 明 不 レ 申 御 事 ニ 付、 此 度 早 速 御 請 不 レ被 レ 申 候 由 ニ て、 今 一 往 之 御 返 事 承 度 と の 儀 ニ 御 座 候

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同 じ 日、 師 蛮 も、 自 己 の 考 へ を 詳 し く 一 書 に し た た め て、 有 慶 に 托 し た。 有 慶 は、 己 が 書 簡 と と も に、 こ れ を 介 三 郎 に 送 つ た の で あ る が、 そ れ は 次 の や う で あ つ た。 ( 大 日 本 史 編 纂 記 録 百 九 + 九 ) 清 音 寺 へ 住 持 可 レ 仕 候 之 由、 委 細 御 紙 面 之 趣 得 二 其 意 一候、 拙 僧 只 今 迄 何 方 へ も 嗣 法 不 レ 仕、 今 更 中 峯 派 之 伝 法 仕 間 敷 候 段、 御 推 察 ニ 而、 鮎 首 座 ニ 中 峯 派 之 伝 法 致 さ せ、 住 持 と 申、 拙 僧 者 隠 居 之 様 ニ 仕 居 申 様 ニ と 被 二 仰 下 一候、 如 二 御 存 知 一 拙 僧 事 伝 法 さ へ 仕 候 へ 者、 同 門 之 中 へ 何 方 へ も 住 持 仕 儀 ニ 御 座 候 へ 共、 素 懐 ニ 不 レ 応 事 共 ニ 御 座 候 故 に、 今 隠 者 之 躰 ニ 而 罷 在 候 段、 黙 首 座 平 生 存 知 候、 今 以 中 峯 派 之 伝 法 仕、 清 音 寺 之 住 持 職 相 勤 候 事、 黙 断 不 レ 仕 候、 拙 僧 内 々 其 所 存 を 乍 レ 存、 義 を 曲 候 而 他 山 之 伝 法 仕 候 へ と 難 レ申 候、 若 又 関 山 派 と ハ 称 シ 不 レ申、 中 峯 派 と 斗 申、 住 持 仕 義 ニ 御 座 候 ハ ・、 御 請 可 レ申 候 へ 共、 他 山 ニ 而 作 法 之 伝 法 仕 候 儀 難 レ 成 候、 左 様 ニ 不 レ仕 候 ヘ ハ、 住 持 成 申 問 敷 候 条、 兎 角 黙 断 難 レ 仕 候、 同 日 の 宜 範 か ら 介 二 郎 宛 の 手 紙 の 中 で も 申 し て ゐ る や う に、 清 音 寺 は も と も と 中 峯 派 の 寺 で あ つ た。 そ の 寺 を、 い ま 関 心 派 の 寺 に 変 へ る こ と は 無 理 で あ り、 従 つ て 関 心 派 で あ る 師 蛮 を し て、 何 と か 中 峯 派 の 伝 法 を 受 け て、 こ の 寺 の 住 持 た ら し め た い、 と い ふ の が、 水 戸 藩 の 希 望 で あ つ た。 し か し、 こ れ は 師 蛮 の 望 ま ぬ と こ ろ で あ つ た。 師 蛮 と て、 光 囲 の 人 物 は か ね て 知 つ て ゐ た で あ ら う し、 知 友 の 介 三 郎 の 友 情 と そ の 推 挙 と に は、 深 く 感 謝 し て ゐ た こ と で あ ら う。 だ が、 伝 法 と い ふ こ と は 重 大 な こ と で あ つ た。 師 蛮 は、 延 宝 伝 燈 録 に お い て 流 伝 継 承 の 系 譜 に 重 き を お い て 撰 述 し た の で あ る が、 こ れ は、 師 蛮 の 重 視 し た た め で あ ら う。 か う し た 師 蛮 の 主 張 の ほ か に 宜 範 が 介 三 郎 に 宛 て て 述 べ た や う に、 ﹁ 今 時 ノ 僧、 鎌 倉 ノ 衆 ニ 中 峯 派 ノ 伝 法 被 レ 致 候 事 ハ、 蛮 首 座 ハ 不 レ申 レ 及、 黙 首 座 も き ら ひ 申 候、 ﹂ と い ふ 事 情 も、 師 蛮 を 躊 躇 せ し め た ゆ え ん で あ ら う。 盛 徳 寺 年 代 略 記 に は、 ﹁ 閑 退 編 書 ヲ 以 テ 辞 拒 ス レ 臣 不 レ 許 ﹂ と み え る が、 内 心 か う し た 理 由 も あ つ た で あ ら う が、 再 度 の 要 請 に 辞 す る こ と が で き ず、 こ れ に 応 ず る 建 前 か ら、 こ の 交 渉 を 進 め た の で あ る。 水 戸 藩 の 希 望 に は、 師 蛮 と し て、 そ の ま ま に 応 じ が た い も の が あ つ た の で、 師 蛮 は、 有 慶 ・ 宜 範 ら と の 交 渉 に お い て、 一 つ の 解 決 案 を 提 示 し た。 こ の 解 決 案 は、 師 蛮 の 書 簡 に は 記 水 戸 光 囲 と 卍 元 師 蛮 四

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-37-密 教 文 化 五 す と こ ろ が な い が、 介 三 郎 に 宛 て た 宜 範 の 書 簡 の 中 で、 清 音 寺 ノ 開 山 8 代 々 伝 法 仕 候 哉、 是 以 承 度 も、 両 人 被 レ 申 候 ハ、 若 只 今 現 在 ノ 衆 ニ 伝 法 不 レ 仕 候 而、 清 音 寺 開 山 よ り 伝 法 仕 様 な る 事 ニ 候 は ・、 可 二 参 上 一 と の 事 ニ 候、 清 音 寺 ハ 内 々 承 候 ハ、 一 本 立 と 承 候、 右 候 ハ ・ 開 山 汐 代 々 伝 法 仕 来 候 半 と 存 候、 只 今 五 山 な と に も 左 様 ノ 事 仕 候 而 居 申 候 問 申 進 候、 と い つ て ゐ る。 こ れ が そ の 解 決 法 で あ つ て、 直 接、 開 山 へ 嗣 法 す る と い ふ の で あ る な ら ば 承 諾 し よ う、 と い ふ の で あ り、 必 ず し も ﹁ 清 音 寺 ニ 被 レ 居 候 而、 是 非 ニ 開 山 派 と 名 乗 可 レ 申 と の 事 ニ 而 ハ ﹂ な い の で あ つ て、 ﹁ 今 時 ノ 衆 ニ 嗣 法 伝 法 と 申 事 は 成 不 レ申 ﹂ と い ふ の で あ つ た。 師 蛮 の 自 負 心 で も あ つ た で あ ら う。 こ の 書 簡 に よ つ て、 介 三 郎 は、 こ れ を 光 囹 や 藩 首 脳 に 報 じ、 そ の 結 果、 師 蛮 の 希 望 を 容 れ て、 師 蛮 を 迎 へ る こ と と し た。 こ の 回 答 は、 閏 五 月 十 四 日、 介 三 郎 か ら 京 都 の 佐 藤 有 慶 の も と に 送 ら れ た。 そ こ で、 有 慶 は、 同 二 十 二 日、 宜 範 同 道 で 再 び 師 蛮 を た つ ね、 ﹁ 伝 法 と 申 事 無 レ之 候 て ハ、 入 院 之 儀 式 執 行 成 間 敷 候 間、 開 山 ヲ 師 ニ て 伝 法 被 レ 致 候 様 ニ と 被 レ 為 二 御 出 一﹂ と い ふ 旨 を 伝 へ た。 大 日 本 史 編 纂 記 録 百 九 十 九、 後 五 月 二 十 二 日、 佐 々 介 三 郎 宛、 佐 藤 有 慶 ・ 佐 藤 久 兵 衛 ・ 秋 元 佐 五 九 衛 門 書 簡 か く て は 師 蛮 は 辞 す べ く も な か つ た。 閏 五 月 二 十 二 日、 師 蛮 は、 介 三 郎 に 宛 て て、 今 度 清 音 寺 へ 住 持 可 レ 仕 候 由、 被 二 仰 付 一候 ニ 付、 清 音 寺 開 山 祖 へ 嗣 法 之 焼 香 仕、 入 院 之 儀 式 相 調、 住 職 可 二 相 勤 一 由、 先 以 恭 奉 レ 存 候、 と て、 こ れ を 引 受 げ た。 た だ し、. こ の 折 は、 住 職 の こ と に つ い て、 今 一 度 介 三 郎 と 相 談 し て 最 後 的 決 定 を し た い、 と い ふ 意 向 を 有 し、 こ の 旨 を 同 じ く 介 三 郎 に 宛 て 書 記 し た の で あ る が、 一 日 お い て 二 十 五 日、 こ の 点 を 改 め て、 兎 角 拙 僧 所 望 之 通 ニ 被 レ 成 候 之 上 者、 法 語 等 其 外 儀 式 相 調、 入 院 可 レ 仕 候 間、 左 様 ニ 被 二 仰 上 一可 レ被 レ 下 候、 と て、 自 己 の 希 望 が 容 れ ら れ た 以 上、 こ れ を 引 受 け る 決 心 を 表 明 し た。 か う し て、 清 音 寺 住 職 の こ と が 決 定 し た の で あ つ た。 盛 徳 寺 年 代 略 記 に よ る と、 こ の と ぎ、 光 囲 か ら 路 費 と し て 金 拾 両 を 賜 ひ、 七 月 十 五 日、 黙 首 座 象 先 を 従 へ て、 京 都 を 出 発 し た。 そ し て、 八 月、 光 囲 の 臨 席 の も と に、 開 堂 演 法 が 行 は れ た。 こ の と ぎ、 前 述 の 決 定 に 従 つ て、 開 山 た る 中 峯 法 嗣

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復 庵 に 嗣 法 す る 形 で 進 め ら れ た こ と は、 卍 元 蛮 師 行 状 に ﹁ 開 堂 祝 聖、 不 レ 焚 二 嗣 香 一、 唯 以 二 一 番 一、 酬 二 開 山 復 庵 禅 師 之 証 明 一焉 ﹂ と あ る こ と か ら 明 か で あ る。 師 蛮 は わ つ か 一 年 し か 清 音 寺 に 留 ま ら な か つ た。 翌 貞 享 元 年 に は ﹁ 清 音 寺 ノ 住 職 ヲ 辞 メ 退 所 ﹂ ( 盛 徳 寺 年 代 略 記 ) し た。 清 音 寺 来 住 は、 光 囲 の 懇 望 や む な き 結 果 で あ つ た が、 こ こ に 一 応 そ の 責 を 果 し た た め に、 辞 任 し て、 京 都 に 帰 住 し た の で あ つ た。 本 朝 高 僧 伝 撰 修 の こ と が 念 頭 に あ つ て、 著 述 に 専 念 し た い と 考 へ た か ら で は あ る ま い か。 本 朝 高 僧 伝 巻 二 十 八 の 宗 己 伝 の 賛 に、 天 和 三 年 七 月、 光 囲 の 請 に よ つ て 清 音 寺 に 住 し た こ と を 述 べ、 そ の 間、 宗 己 大 光 禅 師 の 語 録 を 得 て、 そ の 大 概 を 知 る こ と が で き た こ と を 記 し て ゐ る が、 こ の こ と か ら も 師 蛮 の 関 心 が 本 朝 高 僧 伝 撰 修 に 向 け ら れ て ゐ た こ と が 知 ら れ る。 こ の や う に し て 結 ば れ た 光 囲 と 師 蛮 と の 関 係 は、 こ れ で 終 ら な か つ た。 い つ れ も 修 史 に つ な が る も の と し て、 相 互 に 史 料 の 捜 索 提 供 に 協 力 す る と こ ろ が あ つ た。 こ の こ と を、 大 日 本 史 編 纂 記 録 の 中 か ら、 い く つ か 拾 ひ と る こ と が で き る。 元 禄 二 年 五 月 二 十 二 日、 佐 々 介 三 郎 ・ 吉 弘 左 介 両 名 か ら 大 串 平 五 郎 に 宛 て た 書 簡 に、 ( 大 日 本 史 編 纂 記 録 二 百 ) 西 源 院 ヘ ハ 終 ニ 御 通 路 無 レ 之 候 故、 御 書 不 被 レ 遣 候、 蛮 首 座 取 次 ニ 而 御 座 候 故、 蛮 首 座 迄 宜 相 心 得 給 候 様 ニ と 御 頼 御 書 被 レ 遣 候、 と み、 兄 て ゐ る。 こ れ は、 参 考 太 平 記 の 撰 修 を 進 め る に 際 し て 京 都 龍 安 寺 の 西 源 院 に 蔵 す る 太 平 記 の 存 在 を 知 り、 師 蛮 を わ づ ら は し て、 そ れ を 書 写 し 校 合 に 用 ゐ た の で あ つ た。 右 の 書 簡 は、 そ の 御 礼 の こ と を 申 し 伝 へ た も の で あ つ て、 在 京 の 史 臣 は、 京 都 に お い て 修 史 に 必 要 な 古 書 古 記 録 を 捜 索 す る に 当 つ て、 い ろ い ろ な 伝 手 を 求 め て、 公 卿 や 社 寺 か ら こ れ を 借 用 書 写 す る こ と に 努 め た の で あ つ た が、 師 蛮 も ま た 紹 介 仲 介 を 依 頼 さ れ た 一 人 で あ つ た。 ま た、 こ れ よ り も 前 貞 享 三 年 十 一 月 十 一 日 の 鵜 飼 金 平 宛 佐 々 介 三 郎 の 書 簡 に、 大 日 本 史 編 纂 記 録 二 百 三 十 三 蛮 首 座 方 に 東 海 一 謳 集 と 申 書 有 レ 之 候、 と て、 こ の 書 を 借 り て 写 す こ と を 求 め た 旨 が み え る。 と こ ろ が、 そ の 後 に 述 べ て、 是 ハ 元 来 世 間 ニ 無 レ 之 物 ニ て 候、 那 波 道 円 家 一二 部 有 レ 之、 は し た 本 二 而 候、 其 本 を 建 仁 寺 之 植 長 老 う つ し 置 被 レ申 候 を、 拙 子 才 覚 ニ テ 蛮 首 座 へ か り て 遣 し う つ さ せ 申 候、 水 戸 光 囲 と 卍 元 師 蛮 六

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-39-密 教 文 化 七 と い つ て ゐ る。 建 仁 寺 の 植 長 老 と 介 三 郎 と の 交 渉 は、 い つ の こ ろ か ら 始 つ た か 判 ら な い が、 延 宝 六 年、 介 三 郎 が 西 国 に 史 書 採 訪 の 旅 に 出 た と き、 植 長 老 に 依 頼 し て 関 係 寺 院 へ の 紹 介 状 を 貰 つ て ゐ る か ら、 こ の こ ろ 密 接 な 連 絡 の あ つ た こ と が 明 か で あ る。 介 三 郎 が、 才 覚 を 以 て、 植 長 老 か ら 借 り て、 こ の 書 を 師 蛮 に 写 さ せ た と い ふ の は、 そ の こ ろ の こ と で あ つ た か と 思 は れ る が、 こ れ を み る と、 介 三 郎 は そ の こ ろ か ら す で に 師 蛮 の 僧 伝 研 究 に 好 意 を 寄 せ、 こ れ を 援 け て ゐ た こ と が 知 ら れ る。 こ の や う な 関 係 も あ つ て、 師 蛮 は、 介 三 郎 の 推 挙 に よ る 光 囲 の 招 請 に 応 じ て、 清 音 寺 に 赴 い た の で あ り、 ま た 水 戸 藩 の 古 書 古 記 録 の 蒐 集 に も 協 力 し た の で あ ら う。 こ の 後、 元 禄 八 年 十 一 月、 大 串 平 五 郎 が 京 都 で 記 し た と 思 は れ る 新 写 目 録 と い ふ も の が、 大 日 本 史 編 纂 記 録 二 百 十 二 に 収 め ら れ て ゐ る。 こ の 中 に、 勝 頼 願 書 ・ 古 先 元 哲 香 と い ふ 書 を あ げ て、 ﹁ 此 は 以 ご妙 心 寺 鷺 首 座 本 一写 レ 之 ﹂ と あ る。 黙 首 座 と は、 上 述 の 黙 首 座 の こ と で あ ら う。 師 蛮 の 感 化 を う け て、 黙 首 座 象 先 も ま た 史 書 に 心 を 寄 せ て ゐ た の で あ ら う。 宝 永 七 年 二 月、 師 蛮 は 八 十 五 歳 の 高 齢 を 以 て 残 し た。 延 宝 伝 燈 録 ・ 本 朝 高 僧 伝 の 板 行 が 完 成 し た の も こ の 年 で あ る。 こ の 年 十 月 十 五 日、 中 村 新 八 ・ 酒 泉 彦 太 夫 ・ 三 宅 九 十 郎 の 三 人 は、 大 井 又 左 衛 門 ・ 安 積 覚 兵 衛 両 人 に 報 じ て、 大 日 本 史 編 纂 記 録 百 七 十 九 先 年、 蛮 首 座 被 レ 致 一編 集 一 候 日 本 高 僧 伝 並 伝 燈 録 成 レ 功 了、 板 行 ニ 被 レ 致 候、 当 春 出 来 候 所、 蛮 首 座 当 二 月 八 十 五 歳 ニ 而 遷 化 被 レ 致 候、 遺 言 ニ 一 部 殿 様 へ 献 上 致 度 候、 義 公 様 御 世 話 ニ 被 レ 遊 被 レ下、 御 書 物 大 分 御 拝 借、 紙 等 も 右 之 用 ニ 被 二 下 置 一 候、 為 二 報 恩 一 差 上 不 レ 申 候 而 ハ 不 レ 叶 儀 と 被 レ申 候 ニ 付、 盛 徳 院 後 住 俊 明 長 汐 琳 首 座 と 申 使 僧 ヲ 被 ご 差 下 哺、 右 之 段 多 湖 源 三 郎 方 迄 申 来 候、 委 細 達 二 高 聞 一 候 ヘ ハ、 御 受 納 可 レ 被 レ遊 候 由、 被 二 仰 出 一候、 僧 門 中 之 考 事 ニ ハ 可 レ 為 二 重 宝 噌 と 存 候、 と い つ て ゐ る。 こ れ に よ る と、 師 蛮 は、 前 述 の や う に、 水 戸 藩 に お け る 修 史 事 業 に 協 力 を 惜 し ま な か つ た ば か り で な く、 逆 に、 水 戸 藩 か ら 多 く の 書 物 を 借 り て、 自 己 の 著 述 の 完 成 に 便 宜 を 与 へ ら れ た の で あ る。 師 蛮 は、 右 の 僧 伝 を 書 く に 当 つ て、 東 奔 西 走 し て 多 く の 史 料 を 得 た こ と は、 延 宝 伝 燈 録 や 本 朝 高 僧 伝 の 中 か ら 読 み と る こ と が で き る が、 そ の 中 に は、 こ の や う に 水 戸 藩 か ら 提 供 さ れ た も の も 含 ま れ て ゐ た の で あ る。 右 の 両 書 の 中 か ら は 明 白 に は 知 る こ と が で き な い が、 こ

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の こ と は 光 囲 と 師 蛮 の 関 係 を み る 上 で 重 要 な 点 で あ る。 同 年 十 一 月 二 十 九 巳、 大 井 介 左 衛 門 ・ 安 積 覚 兵 衛 の 両 人 は、 中 村 新 八 ・ 酒 泉 彦 太 夫 ・ 三 宅 九 十 郎 に、 こ の 二 種 の 僧 伝 が 到 着 し た こ と を 報 じ て、 先 日 覚 兵 衛 方 申 進 候 高 僧 伝 弐 冊 伝 燈 六 一 冊 被 レ 遣 相 達 □ 存 候、 目 六 大 概 見 申 候 処、 莫 大 之 僧 伝 書 立 被 レ 申、 末 代 之 調 法 被 レ存 候、 猶 書 躰 致 二 一 覧 一、 追 而 取 進 可 レ申 候、 と い つ て ゐ る。 こ の 両 書 は 僧 伝 で あ る か ら、 直 接 水 戸 の 修 史 の 補 ひ と な る こ と は な か つ た で あ ら う が、 い く ば く か の 参 考 と な つ た で あ ら う こ と は、 推 察 に 難 く な い。 水 戸 光 囲 と 卍 元 師 蛮 八

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