1.井上ひさしとわらべうた
井上ひさし(1934-2010)が24歳のときに書い た処女戯曲『うかうか三十,ちょろちょろ四十』
(1958年の第13回芸術祭で脚本奨励賞を受賞した)
は東北地方と思しき村を舞台にした民話劇で全一幕 と短いが,「弥生のあられ/皐月のつゆは/働き者 の/味方ども/しゃれた女房と/馬鹿とのさまは/
根気がさっぱど/つづかない…」という七七七五調 の歌を5回も挿入し(1)(井上1984a),後年の音楽 劇の萌芽が見られる。その後,井上は25歳から37 歳までの放送作家時代にも子ども向けのラジオ番組 で歌入りの民話劇を書いた。井上によれば,子ども の聴取意欲をつなぎとめるためには「民話をラジオ でただ再話化するのではなく,すべてを韻文にし,
コトバのリズムのおもしろさで子どもの心を捉える ほかはない」(井上1982c:130)と考え,日本語 の「語呂合わせ」を活用した歌を作って番組を埋め 尽くしたと言う。井上は語呂合わせの歌の手本を洒 落やもじりの手法を駆使するわらべうたに求めた。
ただし,わらべうたには下半身を材料にするものが あり,中でも悪口唄はそれが顕著なのでタブー視す る向きもあるが(2),逆に井上は悪口唄にも歌舞伎
「助六」の啖呵につながるような一種の芸能性を見 いだしていた(井上1982a)。案の定,井上の民話 劇の歌は子どもたちを喜ばせたが,教師や母親から は「とても下品である」と不興を買った。次第に嫌 気がさした井上は放送界を去り,舞台用に数多くの 音楽劇を書いた。井上がわらべうたを活用した音楽
劇として,筆者は『しみじみ日本 ・乃木大将』(1979 年5月芸能座初演)を挙げたい。
『しみじみ日本・乃木大将』は,日露戦争(1905- 08)で陸軍大将として指揮を執った乃木希典(1849- 1912)の人生を乃木家の馬たちが演じる劇中劇と して描く。登場する5頭の馬(壽號,璞號,乃木 號,紅號,英號)は1頭につき前足役と後足役の2 人の役者が演じ,わらべうたも乃木と彼の関係者に 扮した馬たちが歌う設定である。明治,大正,昭和 戦前期にわたり,乃木は小学校の唱歌教材「水すい師し営えい の会見」(佐佐木信綱作詞,岡野貞一作曲)を通じ て国民的英雄になっていた(3)。また「水師営の会見」
を歌った日本人は,旅順を攻略した乃木が「昨日の 敵は今日の友」という態度でロシアの将軍ステッセ ルと会見し,感銘を受けたステッセルから「我に愛 する良馬あり。今日の記念に献ずべし」と馬を贈ら れた経緯を「庭に一ひと本もと棗なつめの木」しか残らなかった異 国の激戦地のイメージとともに記憶した。しかし
『しみじみ日本・乃木大将』の馬たちは唱歌教育を 受けていないためか「水師営の会見」を一度も歌わ ず,代わりにわらべうたを悪口唄も交えて次々と歌 い,軍人の鑑と讃えられた乃木の人生を批判的に演 じる。筆者は『しみじみ日本・乃木大将』に使用さ れたわらべうたを検討し,わらべうたの活用が井上 の作劇術の一つになっている理由を明らかにしたい。
なお,本文中の『しみじみ日本・乃木大将』の引用 は『井上ひさし全芝居』(井上1984b)に拠る。
人間発達科学部紀要 第 8巻第 1号:235-243(2013)
井上ひさしの乃木大将とわらべうた
-『しみじみ日本・乃木大将』の劇中歌から考える-
坂本 麻実子
GeneralNOGIdramati zedbyINOUEHi sashiandNurserySongs
-from aVi ewpoi ntofSongsi nSi mi j i mi - Ni ppon ・Nogi t ai sh
o - SAKAMOTOMami ko
E- mai l:msakamot @edu. u- toyama. ac. j p
キーワード:井上ひさし,わらべうた,唱歌,乃木希典,しみじみ日本・乃木大将
keywords:INOUEHisashi,NurserySongs,Shoka,NOGIMaresuke,Simijimi-Nippon・Nogitaisho
表1に示すように『しみじみ日本・乃木大将』
(全11場)では第2場でじゃんけん唄9曲,第3場 で遊戯唄1曲,第5場で悪口唄15曲,夕焼けの唄1 曲,第6場で悪口唄3曲(そのうち数え唄を転用
うたを使用する。しかも井上の思い入れのある悪口 唄が全部で18曲あり全体の6割を占める。
このようにわらべうたを多用した井上は,何らか のわらべうた資料に目を通していたのではないか(4)。 表1.『しみじみ日本・乃木大将』(1979)で使用されたわらべうた一覧
場面
わらべうた 『日本伝承童謡集成』との関連
Ⅰ なし
Ⅱ (1)じゃんけん唄a.しゃんしゃんしゃんよ,おしゃしゃんの旦那。
しゃんしゃんしゃんよ,おしゃしゃんのこんこんこん。しゃんしゃ んしゃんよ,おしゃしゃんの鉄砲。
(2)じゃんけん唄b.ちっ,けん,だ。
(3)じゃんけん唄c.しっ,しの,し。
(4)じゃんけん唄d.ちっ,ちっち。
(5)じゃんけん唄e.けん,まん,ちゃん,しん,ちゃん,ぽんよ。
(6)じゃんけん唄f.てけれっつのぱ。
(7)じゃんけん唄g.拳固お山のおたぬきさん,おっぱいのんでねんね して,だっこして,おんぶして,ぐるぐるまわって,じゃんけんぽん。
(8)じゃんけん唄h.のんきな父さん,毛が三本,お屋根の上から落っ こちて,そうめん食いたい,蕎麦食いたい,お上の御用でじゃんけ んぽん。
(9)じゃんけん唄i.ちっちっちんぽの毛,まけたらまんこの毛。
三-321東京都
三-323栃木県 三-323栃木県 三-324群馬県 三-324群馬県 四-467長野県 四-468富山県
四-468富山県は「…落っこ ちて,あたい食いたい,なに食 いたい,そうめん…」
三-324群馬県
Ⅲ (10)遊戯唄.勝ってうれしい花一もんめ,負けてくやしい花一もんめ,
人参まとめて田舎へ送る,ふるさと恋しい花一もんめ。
六-382東京都他。
三-382埼玉県は「…蜜柑ま るめて,田舎へ送る」
Ⅳ なし
(11)悪口唄a.ヤーイヤイ,畳が痛いって泣いてるよ。
(12)悪口唄b.大きにお世話,大きにお世話,お茶でもあがれ。
(13)悪口唄c.向うに見えるはなんじゃいな,洋燈の光か,松明か,よ くよく見たれば禿頭。
(14)悪口唄d.うちの子はいつできた,三月桜の咲くころに,道理で お顔が桜色。
(15)悪口唄e.蟻が十なら蚯蚓が二十,蛇が二十五で嫁に行く。
(16)悪口唄f.痛けりゃ鼬の糞つけろ,それでも痛けりゃ死んじまえ。
(17)夕焼の唄.からす,からす,西のお山が火事だ,早く行って水かけ ろ,水がなけりゃ湯をかけろ,お湯がなけりゃ小便かけろ。
(18)悪口唄g.勝ちゃん数の子鰊の子,お尻をねらって河童の子。
(19)悪口唄h.喜いちゃん木鼠どぶ鼠,鼬に追われてチュウチュウチュ ウ。
(20)悪口唄i.道ちゃん道道糞たれて,紙がないとて手で拭いた。
五-142東京都は「ヤーイヤ イ」なく「地みたが痛い…」
五-126東京都
五-113東京都は「…電気の 光か…」
五-245奈良県。一-関東地 方11は子守唄。
五-125東京都
五-126東京都は「痛けりゃ 鼬の糞を,三文買って,
三年つけろ,それでも痛けりゃ,
四文買って,死ぬまでつけろ。」
二-158東京都他。
五-122東京都 五-122東京都
五-123東京都
そこで『しみじみ日本・乃木大将』のわらべうたの 出典を推測するならば,北原白秋編『日本伝承童謡 集成』全6巻(北原2003a~f。初版は1947)はは ずせないだろう(以下『集成』と略す)。『集成』は 昭和戦後期では最大規模のわらべうた集であり,も ちろん悪口唄も「俗謡」の一つとして収録している。
実際,『集成』には『しみじみ日本・乃木大将』の わらべうたを全く同じ歌詞で,あるいは語句の細か な相違の範囲内で見いだすことができる。表1に は『しみじみ日本・乃木大将』のわらべうたの歌詞 とともに,『集成』のわらべうたとの関連を示すた めに『集成』の巻数と頁数を記した。
まず第2場のじゃんけん唄9曲のうち6曲は
『集成』三(関東地方)の321頁から324頁かけて掲
載されており,a「しゃんしゃんしゃんよ」は東京 都,b「ちっ,けん,だ」は栃木県,c「しっ,し の,し」は栃木県,d「ちっ,ちっ,ち」は群馬県,
e「けん,まん,ちゃん」は群馬県,i「ちっちっち んぽの毛」は群馬県のじゃんけん唄である。残り3 曲も『集成』四(北陸地方)の467頁から468頁に かけて掲載されており,f「てけれっつのぱ」 は 長野県,g「拳固お山のおたぬきさん」 は富山 県,h「のんきな父さん」は富山県のじゃんけん唄 である。
第3場の遊戯唄は「花一もんめ」である。「花一 もんめ」は東京都をはじめ全国各地で歌われるが,
その中で『集成』三の埼玉県に伝わる「花一もんめ」
には「蜜柑まるめて,田舎へ送る」という一節があ
井上ひさしの乃木大将とわらべうた
(21)悪口唄 j.安ちゃん屋根から落っこちて赤いちんぽをすりむい た。
(22)悪口唄k.義ちゃん夜中に嫁とって嫁かと思ったら猫だった,ニャ ンニャンニャン。
(23)悪口唄l.鉄ちゃん鉄びん引っくりかえして火事だした,大家さ ん迷惑恥かいた。
(24)悪口唄m.鉄ちゃん手もなし足もなし,だるまの形によく似てる。
(25)悪口唄n.敬ちゃん毛だらけ灰だらけ,お尻のまわりは糞だらけ。
(26)悪口唄o.泣き虫毛虫,はさんですてろ。
五-123東京都
五-123東京都。ただし「ニャ ンニャンニャン」なし。
五-122東京都
五-123栃木県,五-179福島 県
五-122東京都 五-117東京都
Ⅵ (27)悪口唄p.一で芋食って,二で逃げて,三で三介,四で縛られて,
五で牛蒡で叩かれて,六で牢屋に入れられて,七で尻ぺ た削られて,八ではりつけ,九で首切られ,十でとうと う死んじゃった。
(28)悪口唄q.さいなら三角,また来て四角,四角は豆腐,豆腐は白い,
白いは兎,兎ははねる,はねるは蚤,蚤は赤い,赤いはほ おずき,ほおずきはなる。
(29)悪口唄r.雄ちゃん,浴衣がつんつるてん,ゆるいフンドシぴーら ぴら,油断大敵ユーラユラ,指より小さいチンポコリン。
(30)別れの唄.あばよ,しばよ。蛙が鳴くからまたいつか。
五-130神奈川県,五-130栃 木県他。
五-189岩手県他。
井上の創作か。
五-126東京都。ただし「蛙 が鳴くから」以下なし。
五-126群馬県は「あばね,し ばね,蛙が鳴くからまたあし た。」
Ⅶ なし
Ⅷ なし
Ⅸ なし
Ⅹ なし
なし
備考:井上1984bより作成。( )内の数字は通し番号。『日本伝承歌謡集成』は漢数字とアラビア数字で巻数と頁を示す。
※数え唄を転用
※しりとり唄を転用
まとめて」に替えたのではないか。
第5場の悪口唄15曲は夕焼けの唄「からす,か らす」をはさんで前後に二分される。前半の第1 グループ6曲は種々の悪口唄を集めている。悪口 唄a「ヤーイヤイ,畳が痛いって泣いてるよ」は転 んだ子を囃し立てる歌で,『集成』五には東京都の 悪口唄「地みたが痛い」(142頁)があり,井上は 畳にこぼした茶ですべった者をからかう歌として使 うために「地みた」を「畳」に替え,悪口唄 b「大 きにお世話…お茶でもあがれ」(『集成』五では東京 都126頁)につなげた。悪口唄 c「向うに見えるは」
は禿げ頭をからかう唄であり(『集成』五では東京 都113頁),井上は明治という時代設定に合わせて
「電気」を「洋燈ランプ」に替えた。悪口唄 d「うちの子 はいつできた」は怒りや恥ずかしさで顔を赤くした 子をからかう歌であるが(『集成』五では奈良県245 頁),赤い顔を赤子に見立て子守唄として歌う場合 もある (『集成』 一では関東地方11頁)。 悪口唄 e「蟻が十なら」は「ありがとう」と言う子をから かう歌である(『集成』五では東京都125頁)。悪口 唄 f「痛けりゃ鼬の糞つけろ」は喧嘩して痛いと泣 く子を囃し立てる歌である(『集成』五では東京都 126頁)。次に夕焼けの唄「からす,からす」(『集 成』二では東京都158頁他)は真っ赤に染まる西の 空を火事に見立て,ねぐらへ急ぐ烏に水をかけろと 歌うもので,類歌は全国にある。後半の第2グルー プ9曲のうち8曲は名前をからかう歌であり,こ れらは『集成』五(関東地方)の122頁から123頁 にかけて,ちょうど見開き2頁に掲載されており,
井上は東京都の悪口唄を集中的に選曲したとみられ る。すなわち悪口唄 g「勝ちゃん」,h「喜いちゃん」,
i「道ちゃん」,j「安ちゃん」,k「義ちゃん」,l「鉄 ちゃん鉄びん」,n「敬ちゃん」の7曲が東京都,残 り1曲の m「鉄ちゃん手もなし」は栃木県・福島 県である。これらの悪口唄はもとは同じ形であり,
名前を入れ替えて次々と類歌が生み出されたのであ ろう(5)。井上は「敬之助」という名前をからかうつ もりが,悪口唄n「敬ちゃん」をなかなか思い出せ ないという設定にして,名前を代えながら悪口唄を 延々と続けた。最後の悪口唄n「泣き虫毛虫」(『集 成』五では東京都117頁)は喧嘩に負けて泣き出し た子を囃し立てる歌である。
他,類歌が多い)を転用したもので,井上は村田三 介という人物に歌わせるために「三でさがして」を
「三で三介」と替えた。悪口唄q「さいなら三角,
また来て四角」(『集成』五では岩手県189頁他,類 歌が多い)もしりとり唄を転用したものである。悪 口唄 r「雄ちゃん」は『集成』には見当たらず,悪 口唄 g「勝ちゃん数の子…」に倣って「ゆうちゃん・ ゆかたがつんつるてん…」と「ゆ」の音で頭韻を踏
・
むように井上が創作したものであろう。そして別れ の唄「あばよ,しばよ」(『集成』五では東京都と群 馬県117頁)で一連の悪口唄を締めくくる。
なお『集成』と照らし合わせてみると,『しみじ み日本・乃木大将』は関西よりも関東地方,中でも 東京都のわらべうたを多く採用しており,名前をか らかう悪口唄ではその傾向が強い。乃木は長府藩
(現在の山口県下関市)出身であるが,乃木の人生 を演じる馬たちの厩舎は東京の乃木邸にあり,馬た ちは東京言葉になじんでいるからだろうか。
3.わらべうたを歌う馬たち
『しみじみ日本・乃木大将』では馬たちが人真似 の演技するばかりか,わらべうたも歌って観客の笑 いを誘う。第2場ではじゃんけんの「合い子」が 続くという設定で馬たちがじゃんけん唄を9曲も 歌う。じゃんけんをするのは「璞號」の前足(役名 あら)と後足(役名たま)で,一心同体なので同じ ものを出すため勝負がつかない。ところが第3場 では5頭の馬の前足と後足が分離独立し(前足と 後足の役名で言えば壽號はこと・ぶきに分かれ,璞 號はあら・たまに分かれ,乃木號は乃の字・木の字 に分かれ,紅號はくれ・ないに分かれ,英號ははな・
ぶさに分かれる),前足組(こと,あら,乃の字,
くれ,はな)と後足組(ぶき,たま,木の字,ない,
ぶさ)はどちらが優秀かを論じ合い,その最中に遊 戯唄「花一もんめ」を歌う。論争で優勢な方は「勝っ てうれしい花一もんめ」と歌って気炎を上げ,劣勢 な方は「負けてくやしい花一もんめ」と歌って巻き 返しを図る。「花一もんめ」の歌の掛け合い形式が 生かされ,片足を蹴り上げる所作も馬たちの演技に 合っている。
第5場では,馬たちは悪口唄の応酬をしながら
青年時代の乃木と実弟の玉木正諠の対立を再現する。
悪口唄a~oは乃木(=こと)を訪ねた正諠(=
乃の字)が乃木の副官河原林敬之助(=あら)に茶 をこぼされたのに腹を立て,悪態をつく場面で歌わ れる。実は明治政府軍の連隊長である乃木と反政府 の不平士族に与する正諠は敵対関係にある。それで も幼い頃は夕焼けの唄「からす,からす」を一緒に 歌うような仲の良い兄弟だったので,乃木は敬之助 ではなく正諠に加勢してしまう。悪口唄の応酬の末 に乃木兄弟は敬之助の名前をからかう悪口唄 n「敬 ちゃん毛だらけ灰だらけ」を歌って敬之助をやりこ め,さらに悪口唄 o「泣き虫毛虫はさんですてろ」
を歌って逃げる敬之助に追い打ちをかけた。しかし,
正諠は兄が放った密偵(=ぶき)に気づき,兄弟の 縁を切る。ついに兄弟は萩の乱(1876)で戦い,
弟は戦死し,乱を討伐した兄は弟殺しと故郷への裏 切りに苦しむ。
第6場では西南戦争(1877)における乃木の連 隊旗喪失事件を政府軍の敬之助(=あら)と薩摩軍 の村田三介(=たま)による悪口唄合戦(悪口唄 p~r)で再現する。乃木兄弟に自分の名前をからか われた敬之助は雄太と改名し,連隊旗を背負って参 戦した。しかし,敬之助と応戦した村田三介は敬之 助の新しい名前を探り出し,悪口唄 r「雄ちゃん浴 衣がつんつるてん」を歌って斬りつける。敬之助は
別れの唄「あばよ,しばよ」を歌って絶命し(その ため『集成』五では「蛙が鳴くからまたあした」と いう部分を井上は「またいつか」と替えた),連隊 旗は薩摩軍に奪われてしまう。連隊旗を失った乃木 は戦場に死に場所を求めたが,乃木を皇軍政策に利 用しようとする政府高官たち(=はな,ぶさ)は明 治天皇の命として乃木を生かし,忠臣の手本となる ように求めた。しかし,馬たちは西南戦争以後の乃 木を演じるとき,わらべうたを歌うのを止めた(し たがって表1では第7場から終幕の第11場までわ らべうたの使用はない)。天皇の忠臣を熱演する乃 木のため,馬たちが歌ったのは明治政府が小学校の 音楽教育に導入した唱歌であった。
4.唱歌を替歌で歌う馬たち
表2に示すように,『しみじみ日本・乃木大将』
では「はなさかじじい」,「春がきた」,「一寸法師」,
「虫のこえ」,「ふじの山」(現ふじ山),「水師営の会 見」,以上6曲の唱歌が歌われる。ただし馬たちが 歌うのは「はなさかじじい」,「春がきた」,「一寸法 師」,「虫のこえ」,「ふじの山」の5曲で,しかも 劇中劇に関連した歌詞に替えて歌う。それに対して
「水師営の会見」は馬たちによる劇中劇とは無関係 で,乃木に心酔し書生になろうと乃木邸に押しかけ
井上ひさしの乃木大将とわらべうた
表2.『しみじみ日本・乃木大将』の唱歌-本歌と替歌の対照-
場面
唱歌(本歌) 唱歌(替歌)
Ⅰ なし なし
Ⅱ ①はなさかじじい
(一)うらのはたけで ぽちがなく しょうじきじいさん ほったれば おおばん,こばんが,ざくヘざくヘ
(以下略)
(一)おらの主人の 乃木大将 大層 様子がへんなのだ
おお怖 心臓がドキヘドキヘ
(以下略)
Ⅲ なし なし
Ⅳ ②「春がきた」
(一)春がきた 春がきた どこにきた 山にきた 里にきた 野にもきた
(二)花がさく 花がさく どこにさく 山にさく 里にさく 野にもさく
(三)鳥がなく 鳥がなく どこで鳴く 山でなく 里でなく 野でもなく
(一)頭にきた 頭にきた カッときた
エリート意識 鼻もち為らぬ あきがきた
(二)腹が立つ 腹が立つ なぜに立つ 品がなく 誇りもなくろくでなし
(三)幕があく 幕があく ここであく
乃木さん死ぬ気か 死なぬつもりか 齣くらべ
Ⅴ なし なし
Ⅵ なし なし
た本多武松少年が楽譜どおりに歌う。
第2場では大正元年(1912)9月13日の明治天 皇大喪の日,乃木は殉死する直前に馬たちにカステ ラを与えて別れを告げるが,馬たちは主人の尋常な らぬ気配を感じて「はなさかじじい」を替歌で歌う。
以下,本歌と替歌を併記する。
(本歌)うらの畑でぽちが泣く(中略)大判小判 が ざくヘ ざくヘ
(替歌)おらの主人の乃木大将(中略)おお怖こわ 心臓がドキヘ ドキヘ
第4場では,馬たちは第3場からの続きで前足 と後足の優劣論争をしているが(「春がきた」1番 と2番の替歌),やがて主人の人生を芝居で再現し て真意を探ろうと歌う。3番の本歌と替歌を示す。
(本歌)鳥がなく 鳥がなく どこでなく 山で なく 里でなく 野でもなく
(替歌)幕があく 幕があく ここであく 乃木 さん死ぬ気か 死なぬつもりか齣くらべ 第7場では馬たちは「一寸法師」の替歌で連隊 旗喪失を恥じる乃木の心情を歌う。
小さい体に 大きな望み お椀の船に 箸のかい 京へはるばる 上りゆく
(中略)
(五)鬼が忘れた うちでのこづち 打てば不思議や 一寸法師 ひと打ちごとに 背が伸びて 今は立派な おおおとこ
面目ないとて 大いに悩み 怪我の身体でモッコに乗って 今日も戦場へ死にに行く
(中略)
(五)乃木のおこした この出来事を 使えば不思議な ききめがあるぞ 軍旗は大事と 教え込み
作れ,立派な大陸軍
Ⅷ ④「虫のこえ」
(一)あれ松虫が 鳴いている
ちんちろちんちろちんちろりん あれ鈴虫も 鳴きだした
りんりんりんりんりいんりん 秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
(以下略)
(一)あれ乃木さんが 泣いている しくしくしくしくしくしくりん あれいつまでも 泣いている
おんおんおんおん うおおおん 明けても暮れても 泣き通す
ああ胸せまる 乃木の声
(以下略)
Ⅸ ⑤「ふじの山」
(一)あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見下ろして かみなりさまを 下に聞く ふじは日本一の山
(二)青ぞら高く そびえたち からだに雪の きものきて かすみのすそを とおくひく ふじは日本一の山
(一)あたまを前に 深くたれ 両手をしきりに 上げ下げし 天皇さまを 慕い泣く 朕思うに乃木は日本一の武士
(二)髭づらかたく こわばらせ からだに忠義の きものきて 天皇さまを 慕い泣く 乃木は日本一の武士
Ⅹ ⑥唱歌「水師営の会見」(1回目)
(一)旅順開城 約成りて 敵の将軍 ステッセル 乃木大将と 会見の 所はいずこ 水師営
(以下略)
替歌をしない
⑥唱歌「水師営の会見」(2回目) 替歌をしない 備考:井上1984aより作成。唱歌には丸数字で通し番号をつけた。
(本歌)指に足りない一寸法師(中略)京へ は るばる上り行く
(替歌)旗をなくした連隊長は(中略)今日も戦 場へ死にに行く
さらに馬たちは乃木を利用して皇軍を作るという 政府高官たちの思惑も「一寸法師」の替歌で歌う。
(本歌)鬼が忘れたうちでのこづち うてばふし ぎや一寸法師
(替歌)乃木のおこしたこの出来事を 使えばふ しぎなききめがあるぞ
(本歌)ひとうちごとに背がのびて 今はりっぱ なおおおとこ
(替歌)軍旗は大事と教え込み 作れ,立派な大 陸軍
第8場では明治天皇から死ぬなと諭された乃木 が感涙にむせぶ様子を「虫のこえ」の替歌で歌う。
(本歌)あれ松虫が鳴いている (中略)ああお もしろい 虫のこえ
(替歌)あれ乃木さんが泣いている(中略)ああ 胸せまる 乃木の声
第9場では,明治天皇(=乃の字)が両手を上 げ下ろして万歳をする乃木に対して「ふじの山」の 替歌でねぎらい,天皇と臣下の関係はいかにあるべ きかという手本を示す。
(本歌)頭を雲の上にだし 四方の山を見下ろし て
(替歌)あたまを前に深くたれ 両手をしきりに 上げ下ろし
(本歌)雷さまを下に聞く 富士は日本一の山
(替歌)天皇さまを慕い泣く 朕思うに乃木は日 本一の武士
最後に馬たちは「ふじの山」の替歌で乃木を讃える。
(本歌)青ぞらたかくそびえたち からだにゆき のきものきて
(替歌)髭づらかたくこわばらせ からだに忠義 のきものきて
(本歌)かすみのすそをとおくひく 富士は日本 一の山
(替歌)天皇さまを慕い泣く 乃木は日本一の武 士
馬たちは日本一の山である富士山を讃える旋律に 乗せて乃木を「日本一の武士」と歌い上げるが,大 仰で露骨な称賛がかえって乃木への当て付けになっ ているのに気づいているのだろうか。
以上で,馬たちによる唱歌の替歌が終わる。その 後,乃木邸に押しかけた本多少年が乃木の気を引こ うと「水師営の会見」を歌う。自分を書生にと売り 込むためには,唱歌教材となった「水師営の会見」
を正確に歌うのが得策と判断したからだろう。
ところで,少年時代の井上も『しみじみ日本・乃 木大将』の馬たちのように音楽の教材曲を替歌で歌っ ていた(1982b)。井上少年はたとえば「流浪の民」
(シューマン作曲)ならば「慣れし故郷を放たれて」
の「放はなたれて」を「鼻は汁な垂れて」,「君よ知しるや南みなみの 国くに
」(トマ作曲)ならば「君の汁しるや みな実みの雲う丹に」 と歌い替え,西洋クラシックの高尚な歌を下卑た歌 におとしめて面白がっていた。替歌を歌う井上少年 は,得意げにピアノを弾いて女子に人気があった若 い男性音楽教師や,音楽室のサロン的雰囲気を茶化 し,からかったのであり,替歌は田舎の男の子が
「西欧のものはすべてすばらしい」という発想で行 われていた明治以来の音楽教育に反抗するために考 えついた武器であったと言う。そのような経験をも つ井上なら言葉を入れ替えて次々に類歌を生み出す わらべうたに関心をもつのは当然のなりゆきと言え るだろうし,『しみじみ日本・乃木大将』では唱歌 も替歌で歌わせた。しかし,井上は「水師営の会見」
だけは替歌にせず,この唱歌をわらべうたから最も 遠いところにある歌として位置づけたことになる。
5.わらべうたにみるパロディ精神
井上は『しみじみ日本・乃木大将』の中で明治天 皇(=乃の字)に「この明治という時代は,さまざ まな場所で,さまざまな人々が,忠臣や,篤農や,
節婦や,孝子などの型を演じ,その型を完成させ,
周囲の手本たらんとつとめる時代なのだ。国民に型 を示し,そのうちのひとつを選ばせる。これが国家 というものの仕事なのだ」(63頁)と言わせており,
乃木は国家から「忠臣の型」の完成を求められたと する。その乃木が演じた忠臣の型を国民に教え広め るにあたり少なからぬ貢献をしたのが「水師営の会 見」という唱歌であった。実際,明治政府は西洋音 楽を導入し,従来から歌われていたわらべうたに代 わり唱歌という「子どもの歌の型」の完成を目指し た。明治政府は明治5年(1872)の学制公布時に 教科目の一つとして「唱歌」を定めたが,そもそも 西洋音楽を知らないで唱歌を教えるのが無理であり
井上ひさしの乃木大将とわらべうた
歌集が出版されるようになった。明治40年(1907) になって文部省は唱歌を必修化し,それに伴って文 部省は唱歌の教科書を編纂して唱歌の手本を世に示 した。『しみじみ日本・乃木大将』で歌われる唱歌 で言えば,「はなさかじじい」(『幼年唱歌』明治34 年6月)と「一寸法師」(『尋常小学唱歌』明治38 年10月)は唱歌必修化以前に作られた。「ふじの山」,
「春がきた」,「虫のこえ」,「水師営の会見」の4曲 は文部省が明治43年 (1910) に編纂した教科書
『尋常小学読本唱歌』に掲載された。のち「ふじの 山」は『尋常小学唱歌』第2学年,「春が来た」と
「虫のこえ」は同3学年,「水師営の会見」は同5 学年の教材曲になり,全国で歌われた(現在の小学 校の音楽教育でも「春がきた」と「虫のこえ」は第 2学年,「ふじ山(ふじの山改め)」は第3学年の共 通教材になっている)。このうち乃木を讃える「水 師営の会見」は「ふじの山」とともに唱歌の典型を 示す。すなわち歌詞は七五調四句(7音句+5音句 で4行),旋律はヨナ抜き音階(ドレミファソラシ の七音階のうち第4音ファと第7音シを欠く)に 基づく16小節(4小節×4)で,各行に4小節ずつ 旋律をあてる。「春が来た」は短縮型(5音句×6 で8小節),「虫のこえ」は拡張型(七五調四句だ が1行目と2行目に虫の鳴き声が加わる分,旋律 も4小節増えて20小節)である。(ちなみに「一寸 法師」は4行の歌詞のうち前半2行が七七調,後 半2行が七五調であり,各行に4小節ずつ旋律を あてて16小節とする。「はなさかじじい」は歌詞は 3行で,七五調の第1行と第2行にはそれぞれ4 小節の旋律をあて,八八調の第3行には前半の8 音句に4小節,後半の8音句に4小節の旋律をあ て全部で16小節とする。旋律は2曲ともヨナ抜き 音階で作っている。)『尋常小学読本唱歌』はその名 が示すように読本教材を歌曲化したので歌詞の意味 内容が大事であり,「水師営の会見」は本多少年の ように楽譜に忠実に歌えば高く評価され,井上少年 のように替歌を作れば悪ふざけと見なされた。
ところが「水師営の会見」はお手玉唄としても歌 われたという報告がある(園部1974:161)。「水 師営の会見」がお手玉唄になったのは歌詞の意味内 容からではない。「水師営の会見」は口調がよくて 覚えやすい上に全9番と長大なので,子どもたち
「のぎさんは,えらいひと」というわらべうたもあ る(『集成』三では神奈川県343頁)。「のぎさん」
は鬼遊びなどで1から10までを数えるときに歌 う(6)。「のぎさん」は歌詞の内容から「水師営の会 見」で乃木は忠臣の鑑であると教わった時代の子ど もたちの間で歌われ出したと推測される。ただし子 どもたちは「のぎさん」を歌の意味内容ではなく
「の・ぎ・さ・ん・は・え・ら・い・ひ・と」と10 個の音でできていることに関心をもち,数え唄とし て利用した。こうして「水師営の会見」は子どもた ちによって遊び唄に作り替えられ,乃木はわらべう たの世界に取り込まれていった。「水師営の会見」
は昭和戦後期の教育の民主化の中で音楽の教科書か ら削除されたが,「のぎさん」の方はわらべうたで あるために問題視されることもなく,忠臣乃木はわ らべうたの世界に生き続けている。わらべうたには 江戸と明治,あるいは戦前と戦後という時代区分を 嗤うようなパロディ精神が脈打っている。それこそ 井上が『しみじみ日本・乃木大将』でわらべうたを 活用した理由であろう。
注.
(1)『うかうか三十,ちょろちょろ四十』の劇中歌
「弥生のあられ」は2013年5月のこまつ座公演で は荻野清子が作曲して歌われた。
(2)岩波文庫本『わらべうた』は「いわゆる悪口唄 のような種々の囃し唄は,音楽・文学の両面から みて「わらべうた」の第一義とすべきものではな いという見解から,本書はこれを割愛した」(町 田・浅野 1993:278-279)とある。
(3)昭和9年生まれの井上は唱歌教材としての
「水師営の会見」を歌った最後の世代と言える。
(4)『しみじみ日本・乃木大将』と同じく明治人の 樋口一葉を主人公とし,わらべうたを活用した音 楽劇『頭痛肩こり樋口一葉』(1984年4月こまつ 座初演)の場合,仙台文学館で開催された「井上 ひさし資料特集展vol.2~『頭痛肩こり樋口一葉』」
(2013年1月26日~4月7日)に出展された岩 波文庫本『わらべうた』(出版年は1962年。遅筆 堂文庫蔵)は「ホーホー螢こい」のページ(162 頁)の小口が折られており,この『わらべうた』
を井上は劇中で歌われるほたるの唄の参考にした
と推測される。なお『頭痛肩こり樋口一葉』の劇 中歌については坂本2004参照。
(5)参考までに,『集成』では秋田県の悪口唄「健 ちゃんけがつく健左衛門,健公のけんもくれ,け いにかけて,けつぐけつぐ」に関して「この唄の 形にて誰の名にも合わせてうたう」という注記が ある(『集成』五179頁)。
(6)「のぎさんは,えらいひと」以外にも1から10 までを数える歌には「はまぐりは,むしのどく」
(『集成』三神奈川県343頁,『集成』四長野県510 頁),「しうあんたこかいな,だるまさんがころん だ」(『集成』四長野県510頁),「かきのたね,う まくなれ」(同前),「おじさんの,はげあたま」
(同511頁)がある。筆者も「だるまさんがころ んだ」と歌った記憶がある。
参考文献.
井上ひさし(1982a)「悪口雑言戯論-ある「助六」
論」(初出1971)『パロディ志願』(エッセイ集1) 所収,32-38頁,東京:中央公論社
井上ひさし(1982b)「パロディ思案」(初出1972)
『パロディ志願』(エッセイ集1)所収,39-45 頁,東京:中央公論社
井上ひさし(1982c)「文体よ,油揚やるから飛ん でこい」(初出1976)『パロディ志願』(エッセイ 集1)所収,125-132頁,東京:中央公論社 井上ひさし(1984a)『うかうか三十,ちょろちょ
ろ四十』『井上ひさし全芝居 その一』 所収,5- 29頁,東京:新潮社
井上ひさし(1984b)『しみじみ日本・乃木大将』
『井上ひさし全芝居 その三』所収,5-70頁,
東京:新潮社
北原白秋[編](2003)『日本伝承童謡集成』全6巻 初版1947の復刻版 東京:三省堂
北原白秋[編](2003a)『日本伝承童謡集成第一 巻 子守唄篇』
北原白秋[編](2003b)『日本伝承童謡集成第二 巻 天体気象・動植物唄篇』
北原白秋[編](2003c)『日本伝承童謡集成第三 巻 遊戯唄篇(上)』
北原白秋[編](2003d)『日本伝承童謡集成第四 巻 遊戯唄篇(中)』
北原白秋[編](2003e)『日本伝承童謡集成第五 巻 歳事唄・雑謡篇』
北原白秋[編](2003f)『日本伝承童謡集成第六 巻 遊戯唄篇(下)・総索引』
坂本麻実子(2004)「役者に歌わせる井上ひさしの 手法-『頭痛肩こり樋口一葉』の場合-」『桐朋 学園大学研究紀要』第30集,10月,37-48頁 仙台文学館[編](2013)「井上ひさし資料特集展
vol.2~『頭痛肩こり樋口一葉』」仙台:仙台文学 館
園部三郎[編](1974)『日本歌唱集』(日本の詩歌 別巻,中公文庫)東京:中央公論社
町田嘉章・浅野健二[編](1993)『わらべうた』
(岩波文庫)東京:岩波書店
(2013年5月20日受付)
(2013年7月10日受理)
井上ひさしの乃木大将とわらべうた