人間発達科 学部紀要 第 1巻 第 2号 :35‑56(2007)
社寺の分布密度 と霊場について
田上 善 夫
The Density Distribution of Temple and Shrine and the Sacred Place Yoshio TAGANII
E― mail:[email protected]― toyama.acjp
Abstract
ln this study,typical sacred places and their surrounding temples and shrines are investigated in Tohoku, Hokuriku,and Kinki district. On typical sacred places in the whole country,the pllgrirnage way and the density distribution of sacred points,temple or shrine,are analyzed.In addition,a clarincation of the structure of the sacred place is tried to clarify,based on the comparison of the sacred place and the regional feature of the belief facilities such as temple and shrine. The rnain results of this study are as follows: 1)SaCred places ofthe same scale in a region usually locate in di∬erent areas and do not isolate frorn each other,coexisting in that region. In addition,these sacred places may be connected together and have a kind of structure such as spatial nesting. 2)An adrninistrative unit such as a city or prefecture has related to the areal unincation of sacred places after the rnodern age,while a county,province or state related to it before the recent age. 3)To the estabhshing of an areal unincation of sacred places,the reglonal belief base which is found in the distribution of the behef facilities has contributed.4)In the background,there is a regional natural
base that makes people accept the sacred place as the areal unincation.Especially,the social space based on the natural base such as an island,peninsula,basin and plain is related to the areal unincation in local areas.5)ヽ4oreover,believed
spaces such as lnountains and lnountain ranges have fundamental relations. The innuence of the rnountain behef appears strongly in the early established sacred place.
キー ワー ド : 寺 院, 神 社 , 霊 場 , 巡 拝
Keywords:temple,shrine,sacred place,pilgrirn
I は じめ :こ
日本各地に,さまざまな性格の多数の霊場がある。
霊場の空間的な範囲が広域的あるいは局地的である にせよ,札 所の数は三十三や八十八な どの聖数にも とづいてほぼ一定である。西洋でのpilgrimageがお よそ聖地 ・大本山への参詣であるのに対 して,日 本 での巡礼や巡拝では,霊 場に並列的に配置された複 数の札所が廻 られる。ただ し同 じ寺院内に,さ まざ まな規模や種類の霊場の札所が置かれ ることも多 い。そのため同じ寺院内におかれた,異 なる霊場の 札所 も,そ れぞれの霊場において占める位置は異な るもの と考えられ,札 所 と霊場の性格を複雑にさせ ている。
中世よ りさまざまな霊場が開創され継承される背 景には,霊 場についての理解の一般的な定着,受 容 がある。 こうした特定の範囲が,霊 場 とい う地域的 まとまりとみなされるところには,中 心 となる有力 寺院や,霊 場に接続する著名な修行地な どが,し ば しばみ られる。霊場の札所は主に寺院に置かれるが,
古来,また地方では神社 な どに置かれ る ことも多 く, 霊場 には,寺 社のよ うな施設 に示 され る地域の信仰 的基盤がかかわ る と考 え られ る。
ところで霊地では,五 穀豊穣の祈願,ま た大風 ・ 洪水 ・雷のよ うな災害除祈願 な どの行事 ・祭事が行 われてきた。霊地 にはさらに神社や神仏習合 の寺院 な どの信仰施設がおかれ る。近世以前 に開創 された 霊場や地方の霊場では とくに,神 仏習合の霊地が札 所 とされ,さ らに札所を連ねて巡礼がなされ る。 さ まざまな行事 ・祭事 の行われ る霊地が一定数集 まっ て組織 された霊場 と,そ の背景にある地域の信仰的 基盤 との関係が解明され るな ら,霊 場 に関 して開創 は じめ性格や意義な どが明 らかになる。 さ らにさま ざまな行事 ・祭事の行われ る霊地を巡礼す る人 々の 行動や 目的が明 らかにされ るな ら,中 世以来各地 に 残 される経塚や納経帳な どの記録 は,歴 史時代の災 害やそれを もた らす気候変遷の復元 に資す ることが 期待 され る。
霊場 には多 くの事象がかかわるために,種 々の側
‑35‑
面か ら解明を進め る必要がある。 は じめに霊地 とい う場所があ り,場 所 に関す る解明によ り,人 々の巡 礼 とい う行動の解明が進 め られ,さ らに関連 した諸 事象の解明 も可能 になるもの と考 え られ る。そのた め本論では,ま ず東北,北 陸,近 畿の典型的な霊場 について,札 所 の実態を周辺の環境な どを通 して明 らかにす る。一方で,寺 社な どの信仰施設な どの分 布密度 にもとづいて,地 域 の信仰的基盤を明 らかに す る。 さ らに霊場 の場所 の性格お よび地域の信仰的 基盤 の特色 に もとづ き,霊 場の諸構造 について検討 す る ことを試み る。
Ⅱ 山 岳 社 寺 と周 辺 の 霊 場 1.秋 田の寺社の混在す る霊場
秋 田三十三観音霊場 (以下,秋田観音霊場 と略記) は,秋田県下 に昭和62(1987)年 に開創 された (田 上 善 夫,2004b)。 長 久 年 間 (1040‑44)に 定 め ら れた と伝わる秋 田六郡三十三観音霊場 (以下,秋 田 六郡霊場 と略記)を もとに してい る。秋 田六郡霊場 は,含 まれ る比内の庄が陸奥国か ら出羽 国に編入 さ れた時期 な どか ら,天 正年間 (1573‑92)以 降の開 創 と考 え られている (高橋富美雄,2002)。 菅江真 澄は文化十 (1813)年 に,花の出羽路 :秋 田 ・山本, 月の出羽路 :河 辺 ・仙北,雪 の出羽路 :雄 勝 ・平鹿 のよ うに分 けて,地 誌の編纂 に着手 した。現在 は鹿 角 ・大館 。能代 ・秋 田 。本荘 ・大 曲 ・横手 ・湯沢の
8広 域都市圏が設定 されている。
秋 田観音霊場お よび秋 田六郡霊場の札所 の所在地 (秋田魁新報社 出版部編,1998)か らその位置や推 定 され る順路 を示 す (図 1)。 秋 田観音霊場 の札所 の位置 は半数近 くが大 き く変更 されているため,札 所の順番 はやや不規則である。おおよそ羽州街道 に 沿 った地域 に分布 してお り,ま ず 1)横 手周辺 に始 ま り, 2)湯 沢 ・本荘を経 て,横 手の北の 3)大 曲 に戻 り,北 上 して 4)秋 田を通 り,海 側の 5)能 代 を巡 った後 に,内 陸の 6)大 館 0鹿 角 に至 る。
現在の秋 田観音霊場の概要を,上 記 の地域 にま と め て記 す。 なお秋 田観 音霊 場 の三十 三寺 は,曹 洞 宗24を は じめ禅系が27寺 を 占める。他 は真言系 3, 浄土系 3寺 である。古 く天台 ・真言系の寺院が改宗
した ものが多い。
横手周辺
横手盆地南部 には,第 一番か ら第六番がある。 と くに横手市を中心 としてい る。第一番正伝寺は,横
手市 の 中心部 か ら南方約 4kmの 同市大屋新 町字鬼 嵐 にあ る。 も とは南西 lkmほ どの大屋沼 の近 くに あ った密教寺 院で,明 暦三 (1657)年 以 降 に現在 地 に移転 した曹洞宗寺院である。寺の門前に桜並木 が続 き,山 門,鐘 楼 ,本 堂があるもなだ らかな小丘 の西麓 にある禅寺の造 りの本堂 は,入 国がやや左寄 りにある。 また本堂裏手 には,新 たな墓地が造 られ る。
また,横 手市 中心部か ら 3km北 の同市追廻町に, 第二番光明寺がある。応仁以前の開山であるが,横 手 市 の 中心 部 か ら,こ の比高 10mほ どの小 高 い地 に移転 した。浄土宗 で,本 堂の建物 は新 しい。 さ ら に,第 二番三井寺 は横手市街の鍛冶町にある黄栗宗 寺院で,境 内には墓地を併設す る。以前は通 りの向 かいの前郷一番町にあ り,さ らに坂上 田村麻 呂の こ ろに,旭 岡山に観音が祀 られた といわれ る。秋 田六 郡霊場で も,第 三番 は三井寺観音 である。
横手市は横手盆地の東縁 にあるが,横 手川 の開口 部 にあたっている。現在 も秋田道が,北 上市か ら脊 梁 山脈を越 えて横手 に入 る。第一番か ら二番の位置 は,横 手盆地のみな らず,秋 田への入 口にあたって いる。 また,秋 田六郡霊場の第一番 は,横 手市街の 北東 8kmに そびえる御嶽 山 (751m)の 自滝観音で ある。山頂 の塩湯彦神社 は,秋 田県 内の 3式 内社の
1つ である。
続 く第四番か ら六番 は,横 手盆地の南縁 と西縁 に あたる。第五番蔵光院は真言宗御室派で,雄 物川町 沼館字沼館 (現横手市)に ある。長治年間 (1104‑5) に,現 在地の南方の雄勝郡羽後町に開創 され,大 永 二 (1522)年 頃小野寺 氏 とともに移転 した。応徳 三 (1086)年 の後 三年 の役 での沼 の柵 の本丸跡 に あ り,現 在 も高 さ 6〜 10mの 土塁で囲まれ る内に, 山 門,本 堂 が あ る。 この観 音 堂 は天 和 三 (1683) 年 に建立 され,宝 永年 中 (1704‑H)に 仙北三十三 観 音 の 第 二 十 二 番 札 所 とな っ た。 ま た天 保 十 四 (1843)年 には雄勝 山三十三所観音が,境 内の池水 を巡 って安置 された。
湯沢 0本 荘周辺
横手盆地南部の湯沢 と,沿 岸 の本荘周辺 には,不 規貝吐に第七番か ら第十番がある。本荘市 (現由利本 荘市)は ,子 吉川の河 口に開けた港町である。
本荘市街 か ら 4kmほ ど内陸側 の赤 田に,第 八番 長谷寺 が あ る。安永 四 (1775)年 開山の曹洞宗寺 院である。赤 田大仏 といわれ,大仏殿 内に高 さ7.87m
‑36‑
の十一面観音像が祀 られ るほか,山 神な ども祀 られ てい る。 8月 22日 の赤 田大 仏 まつ りは,同 寺 と神 明社が一体 とな って行われ る豊作予祝の祭 りで,胎 内仏 が御輿 で lkmほ どの神 明社 に運 ばれ,ま た戻 る (齊藤壽胤,1997)。
本荘市街を囲む寺町の一角に,第 十番永泉寺があ る。寛永十 六 (1639)年 の開 山で,本 荘藩 六郷家 の菩提寺 であ る。高 さ8mの 大 きな山門があ り,境 内に三十三観音や出羽三山の石碑が建つ。
大曲周辺
横手盆地の北側,雄 物川が盆地か ら流 出す る大曲 周辺 には,第 十一番か ら第十七番がある。雄物川に 臨む平賀郡大森町 (現横手市)の 中心部を見下 ろす 小 山の麓 に,第十一番大慈寺がある。長和三 (1013) 年今宿 に開創 された密教寺院だが,応 安二 (1369) 年 に曹洞宗寺院 として再興 された。本堂の本尊左手 に,観 音が祀 られてい る。
横手市 中心部 か ら北 に 7km,横 手盆地東部 の丘 陵の一つ に,後 三年役 で金沢の柵 が置かれた。清原 家衡 は 15km南 西 の沼 の柵 か らここに移 ったが,義 家 ・清衡 の連合軍の前に寛治元 (1087)年 に滅んだ。
先述のよ うに沼の柵 には第五番蔵光院があるが,金 沢柵の鬼門方 向に,第 十三番祇園寺がある。真言宗 か ら曹洞宗 とな った。金洗沢鍛冶屋敷金洗観音 とい われ るよ うに,祇 園寺 は厨川が流れ出る谷 中の,一 番奥 まった平地 にある。祇園寺境 内の裏手,金 沢の 柵 の本丸下斜面 には,天 保の頃に開かれた三十三観 音 が あ り,高 さ数 十cmの 石 仏 が数mほ どの 間隔 で 並 ぶ (図 2)。 またそばの道 には,大 正 15(1926) 年 ころの十六羅漢が並ぶ。
横手盆地 の北部,仙 北郡 六郷 町 (現横手市)は , 東方 の真昼 岳 (1060m)な どか ら流 れ る丸子川 の 形成 した扇状地上 にある。六郷扇状地の扇端部 の湧 水群があ り,ニ タイ コツ (アイ ヌ語 で,森 林 の中に 清い水 たま りがある,の 意)に 由来す るニテ コ清水 のそ ば には,仁 手 古 神社 の小祠 が祀 られ る。 六郷 町 に南北 に延 び る寺 町 の一角 の広大 な境 内に,第 十 四番本覚寺がある。真昼山の麓 にあ ったが,弘 治 三 (1557)年 に天台宗 か ら浄土宗 とな り,慶 長八 (1603)年 に現在地 に移 った。参道脇 に墓石群が並 び,赤 い山門の奥の本堂 と,右 手 に観音堂がある。
本覚寺 の西方 lkm,六 郷 町のはずれ に,第 十五 番 栄 泉 寺 が あ る。 真 言 宗 の 宝 珠 院 が,文 和 年 間 (1352‑6)に 曹洞宗 の栄泉寺 として開山 した。秋 田
六郡霊場 は,半 分 は神社であ った といわれ,祇 園寺 や本覚寺 な どは札所 であったが,栄 泉寺 は現秋 田観 音霊場で札所 となった。
なお秋 田六郡霊場 での第十五番 は黒尊仏森 の観音 であるが,角 館か ら約30km,ま た田沢湖岸 か ら北 8kmに あ り,現 在 は鳩峯神社 と称 してい る。菅 江 真澄 によれば,秋 峯 では第一番の自滝観音か ら真弘 の嶽 (真昼岳),薬 師 ケ嶽 に この黒尊仏 を巡拝 して 十三 日で自滝 に帰 った とい う。 さ らに田沢湖か ら南 に院内観音 (現大蔵神社),蓮池観音 (現金峰神社), 小沼観音 (現小沼神社)が 角館 の東方へ と続 くが, 真言密教や修験道の中心地である黒尊仏森の観音 に 関係 していた と考 え られている。 また小沼観音,院 内観音 は,角 館北方の小山田の真 山寺,小 杉 山の第 十六番 円満寺 とともに この地方の密教の四大寺院で あ った (高橋富美雄,2002)。
横手盆 地 の北 東 部,角 館 町 (現仙 北 市 )に は第 十二番常光 院が あ る。寛正元 (1460)年 常 陸 に開 山され,佐 竹氏 とともに移 った。城 山か ら南 に武家 屋 敷 が続 き,保 存 され た河原 田家 な どは,間 口20
〜 30m,奥 行 100mほ どもあ り,庭 には大 きな樹木 が茂 る。 旧町の南端 に寺が集 め られてお り,町 中の 細 い参道 の奥 に,明 和三 (1765)年 に完成 した大 きな伽藍がある。
なお横手盆地北西部の大 曲の下流,雄 物川 と玉川 が合流す る大仙市神宮寺 の羽黒 山い こいの森 には, 明 治 元 (1868)年 に作 られ た三十 三 体 の 「地 蔵 」 がある とい う。 この神宮寺岳 には秋 田の 3式 内社の
1つ ,副 り1隊申社が鎮座 していた。秋 田六郡第十七番 の高善寺 は,雄 物川 の 10kmほ ど下流である。.
秋 田周辺
太 平 山 (H70m)の 山麓部 か ら,旧 八郎潟 の周 辺 には,第 十八番か ら第二十四番がある。八郎潟を 開め切 る船越 防潮水 門付近,寒 風 山 (355m)の 東 方 に,第 二 十番 龍 門寺 が あ る。 中世 の 開基 とい わ れ るが,堂 宇 は再建 中で,庭 石 のみ残 されてい る。
参道左側 に砂岩の数十cmの 三十二観音石像が並ぶ。
石像 には祖先供養の名前 も刻 まれ,実 数 は40近 い。
八郎潟の西岸,南 秋 田郡若美町 (現男鹿市)に 第 二十二番永源寺がある。沿岸砂丘の内陸側 に集落 と 街道が走 るが,八 郎潟を向いて建つ。室町末期 の開 創 といわれ る曹洞宗寺院で,本 堂の左寄 りに上 り口 がある。
能代周辺
社寺 の分布密 度 と霊場 につ いて
‑37‑
県南部 と異な り北部の沿岸 には札所が連 な り,第 二十五番か ら第二十八番がある。米代川河国の能代 港を見下 ろす位置 に,第 二十五番龍泉寺がある。仏 教伝来直後 に鳳凰庵 とな り,永 禄三 (1560)年 に 湯殿 山傘 下 とな る。秋 田市街 と八 郎 潟 の 間の上新 城 にあ った,や は り養老 年 間 (717‑23)開 山 と歴 史 の古 い龍泉寺 を,明 治 19(1886)年 に合併 して 寺 院 とな った。 円空 作 の十一 面観 音 勢至 菩薩 像 を まつ り,「御神燈」 の提灯 がかか る。 なお石段下 の 二十七番 ・二番観音堂 と書かれた堂宇 には石仏を祀 り,太 鼓が置かれ る (図3)が ,龍 泉寺 とは全 く別 で町場の もの とい う。
米代川河 口か ら南 に続 く砂丘は,海 側か ら頂部 ま で松林 となる。その内陸側 に,第 二十七番長慶寺が あ る。 境 内は広 く,山 門 に仁 王像 が立 つ。 貞観 四 (862)年 に白神 山地の田代岳 (H78m)に 開山 し, 長久 年 間 (1040‑4)に 秋 田六郡 霊場 の第 二十番七 倉観音の別院 となったが,長 禄年 間 (1457‑60)に 能代 に移 った後 ,現 在地 には昭和25(1950)年 に 移転 した。
大館 ・鹿角周辺
大館 ・鹿角周辺 には,第 二十九番か ら第二十二番 がある。米代川 に自神山地か ら流れ る藤琴川が合流 す るニ ツ丼町 (現能代市)に ,第 二十九番梅林寺が ある。小高い地で,登 り道 に三十三観音が並ぶ。秋 田六郡霊場では高岩 山高岩寺 と記 され るが,高 岩山 は篠后阪の頂上 に天安年 間 (857‑8)に 天台宗 とし て開かれた。現在 も頂上下 の227m地 点 に,高 岩神 社があ り,藤琴川 に高岩橋がかか る。慶長十 (1605) 年 には曹洞宗 と して高岩 山麓 に開 山 し,元 禄 十二 (1693)年 にニ ツ丼 町 の荷 上場 町 に移 り,昭 和63 (1988)年 に墓地 とともに現在地へ移転 した。
米代川 の上流,鹿 角市の尾去沢 に第三十番 園通寺 がある。江戸時代 中期頃か ら多 くの末庵があ り,大 正末 に合併 して大盛寺 とな り,昭 和 15(1940)年 に園通寺 となった。尾去沢鉱 山に向か って墓があ り, ま た昭和 H(1936)年 H月 20日 の鉱 滓 ダ ム決 壊 による犠牲者380名 を まつ る慰霊観音堂がある。秋 田六郡霊場では,第 二十番 は七倉 山宝蔵観音である が,七倉 山 (200m)は ニ ツ丼 の約20km南 方である。
米 代 川 が流 れ の 向 きを変 え る大館 の市街 に,第 二十一番玉林寺 があ る。大永七 (1527)年 に浅利 氏の居城の,鳳凰 山 (520m)麓 に建立 し,東館村 (現 大館市)を 経 て,慶長七 (1602)年 に現在地 に移 っ
た。近 くの有浦観音堂 は観音堂有浦神社 ともいわれ, 蔵 のよ うな堂 には木造観音像が祀 られ,大 館神明社 の札が貼 られ る。
鹿角市 の十和 田には,第 三十二番仁斐寺 があ る。
境 内裏手の斜面の墓地 には,和 丼 内貞行,内 藤湖南 の墓 が あ る。応永二 (1395)年 に千徳氏 が岩手 に 善勝寺 を開 山 し,天 文三 (1532)年 に桜 庭氏 が 中 興 し,さ らに明暦三 (1657)年 に宝珠寺跡 に移 し て仁雙寺を開山 した。天文以来 の住職の墓碑がある。
秋 田六郡霊場の第二十二番 の松峰山は大館市街 の 4 km北 方である。
結願 の第二十二番信正寺 は,大 館市街 か ら 6km 北方,大 館盆地の縁 にあ る (図 4)。 も とは下 内川 を 4kmほ ど北 に遡 った男神 山 (340m)・ 女神 山の 麓の真言宗寺院であ った。天正の ころ現在地 に移転 し,承 応元 (1652)年 に曹洞禅林 とな って信正寺 と改称 した。 出羽六郡の満願札所である。
2.秋 田観音霊場周辺の社寺等 笹森丘陵周辺
横手盆地 と日本海間,雄 物川 と子吉川 に挟 まれて 笹森丘陵が伸 び,そ の中に保 呂羽 山 (438m)が そ びえる。波宇志別神社 は,秋 田県 内の式 内社を代表 す る。 ただ し式 内社の塩湯彦神社 ,副 川神社が,秋 田六郡霊場 で重要な位置を 占める一方,波 宇志別神 社は,秋 田六郡霊場 に含 まれない。
保 呂羽山の320m付 近か ら上 は,細 い山道 となる。
途 中には鳥居 もな く,女 人の入れ るのは下居堂 まで である。 さ らにブナ林 中に,鎖 場,子 守石,佐 竹藩 と亀田藩の境 に作 られた とい う一夜盛 と,峻 険な道 が続 く。山頂付近 は稜線が北 に伸び,波 宇志別神社 の 4,5間 四方 ほ どの社殿 が北 向きに建つ (図 5)。
内部 には壇 が あ り,ま た万治元 (1658)年 の棟札 がある。
保 呂羽 山 は横手 盆 地 と日本海側 の分 水界 であ る が, 5km東 の八沢木木根坂 に,波 宇志別神社 の里 宮がある。 なだ らかな沢 に沿 う標高 120mほ どの地 は,田 はわずかで,家 も境 内周 囲に 3戸 のみであ り, 里宮 とはいえ,山 間部にある。 この波宇志別神社の 里宮 は ここ1ケ 所 だけで,天 平宝字元 (757)年 に 勧請 された。
里宮 の神職 を退職 した96歳 の女性 に よれ ば,こ こで霜月神楽が行われる。3戸 だけで神社を維持 し, 神楽を伝 えてきた。女子 たちが小学生 の ころか ら稽
‑38‑
古を し,同 人が教 える。今 は大森町 (現横手市)の 病 院勤務 の看護 師,同 人 の孫,40歳 くらいの女性 が舞 う。霜月神楽 は H月 初 めの雪 は まだない紅葉 の季節 に行われ る。舞を見 に,広 島や北海道か らも や って くる。以前 は300人 が周 囲に集 まって夜通 し であ った。今 は遠 くか ら来 る80人 ほ どの人 は夜 か
ら朝 までいるが,車 で来て車で帰 る人たちの出入 り も多い。
保 呂羽山頂 は本殿 だが,本 殿 は明治の頃に再建 さ れ,仁 王 門が室町時代の ものである。近 くに神楽殿 があ り, 5月 8日 に舞が行われ るが,里 宮の神楽 と は別である。太鼓は獣の皮 なので持 ち込 まないため 鳴 り物 はな く,舞 うときも板を叩いた りして音をた てる。
波宇志 別神 社 か ら最 も近 い札所 は,里 宮 か ら 6 km余 東 にあ る大慈寺 で:秋 田六郡霊場以来,秋 田 観音霊場 において も第十一番が置かれている。
沿岸部周辺
秋 田六郡霊場 では,第 二十六番長谷寺 を除いて, 海を望む地 に札所 は置かれなか った。ただ し,そ う した地 において も,類 似 した信仰施設はみ られ る。
秋 田市街 か ら 4kmほ ど南,現 在 の雄 物川河 口右 岸付近,勝 平寺 に隣接 して石 山観音が建つ。文治年 間 (1185‑90)│こ 引 き上 げ られ た石仏 であ る。 こ の 比 高30mほ どの 海 岸 段 丘 上 の 100m× 50mに わ た って,昭 和27(1952)年 5月 に三十三観 音が安 置 された (図 6)。 海あるいは川を見おろす方 向に, 砂岩製の石仏が順不 同に安置 され る。地蔵や一部に 三尊,ま た新 たな平和観音な ども安置 され る。
米代川 河 国の南 には,長 さ 14km,幅 1.5kmほ ど の砂丘帯が続 き,風 の松原 とよばれ る。海側 は新 し い能代港 と工業 団地で,漁 船 も停泊 してい る。サイ
クリングロー ド,あ ず まや,パ ル プ撒 きで歩 きやす い健康作 りの道が続 く園地 となる。松が多 く,細 く ひね くれ た樹幹 はやや内陸側 に傾 き,一 番上の神社 に近 い あ た りで と くに顕著 で あ る。 お よそ25mほ どの小丘 に,大 森稲荷 が建つ (図 7)。 砂丘 の一番 高 い位置 にあ るが,海 側 を見通す ことはで きない。
境 内には八大竜王神が祀 られ,赤 い鳥居が続 く奥 に 本殿があ り,左 手 に 5つ の境 内社がある。石や陶製 の七福神像や小 さな稲荷,そ の他 さまざまな神仏像 な どが祀 られ る。 また,お 堂 な どは持ち込 まないよ うに,と の但 し書 きがついてい る。津軽の稲荷 に大 変似てい る。
風 の松原北端 の米代川 をみお ろす 日和 山 (33m) には,関 ,能 代 出入方役所 ,沖 の回御番所跡の碑が 建つ。敷地の奥が,県 社 日吉神社の御旅所 で,12m
×12mほ どが石垣で囲まれている。一番高い位置が 県社八 幡社 の御旅所 で,10m× 10mが 石 で囲われ, 入 口に も道 はない。左側 に八 幡大 師 と書 かれ た70
〜 80cmほ どの石が安置されている。 また脇に墓石 も置かれてい る。
もともと河 口付近 には湊が位置 し,雄 物川河 口に 秋 田,米 代川河 口には能代が発展 した。雄物川 は旧 河道か ら大 き く付替 え られているが,周 辺 は住宅地 として発展 している。そ うした都市部 に も霊場類似 の信仰施設がみ られ るが,と くに秋 田六郡霊場の札 所が置かれなか った ことは,同 霊場の性質 に起 因す
るもの と考 え られ る。
3.白 山 と周辺 山岳社寺 平泉寺 自山神社
とくに秋 田六郡霊場の札所 には,神 仏習合の寺社 また修験 の寺社が随所 にみ られ る。北陸では白山修 験 が主要であるが,そ の加賀,美 濃 とな らぶ越前馬 場 に,現 在の平泉寺 白山神社がある (図 8)。
麓の勝 山は城下町で,九 頭竜川の物資 も積み卸 し されていた。高度 170mほ どの下馬大橋 か ら長 く延 び る丘の上を,杉 の巨木が並ぶ参道,菩 提林の石畳 道が緩やかに上 る(図 9)。道の脇 に金札,牛磐,馬岩, また昭和 4(1929)年 の西 国三十三観音が並ぶ。
境 内には,祠 の中に二つ の石 がおかれ た結神社, 東尋坊の跡,大 乗妙典六十六部 日本廻 国供養搭,室 町 時代 の高 さ 1.4mの 泰 澄 大 師墓 な どが立 ち並 ぶ。
六千坊の一つ であ った顕海寺 と玄成院庭 園が残 る。
御手洗池,平 泉 は,平 泉寺 の名の由来 であ り,泰 澄 大師が訪れ る と,池 中央の影 向岩 に自山の女神,権 現が現れ,女 神の導 きで白山頂上へ至 った とい う。
参道 に,神 仏習合 の様式である屋根の付 いた二の 鳥居 が建つ (図10)。かつ て境 内に四十八社 あ った が,二 の鳥居 よ り上 に も,今 宮や 中谷か ら移 された 縁結観音菩薩 0池 尾明神,今 宮神社,鎮 守宮や,稲 荷大明神,辻 之宮社 な どの祠が建つ。
高度約300mに 位置す る拝殿 には,中 宮平泉寺 の 扁 額 がかか り,天 正 三 (1574)年 まで幅 四十五 間 あ った とい う。 中央の本社 は白山妙理大権現,右 の 別山社 は天忍穂耳尊 ・別山大権現 ,左 の越南知社 は 越南知大権現,先 に金 剣 社 と加宝社 の五社 がな ら
社寺 の分布密度 と霊場 について
‑39‑―
ぶ。六十六部では越前で,法 華経を ここに納 めた。
坂 の上 にある三之宮は,安 産の守護神,拷 幡千 々 姫尊を祀 る。 また延元年間 (1336‑40)の 楠正成公 の墓,五 輪搭がある。平泉寺 は,後 醍醐天皇方 につ い て い た。 さ らに 自山禅 定道 平泉寺登 拝 の道 が続 く。 さ らに自山頂上 は越前室で,加 賀の室堂 は大汝 にあ った。
南谷 には,低 い岩壁の前 に若宮神社,杉 の神木が たつ。南谷坊院跡 には,石畳の道が発掘 されてい る。
僧達 は居住地か ら平泉寺 に通 っていた。 さ らに行場 の瀧がある。
平泉 白山神 社 を創建 した泰澄 大 師 は,天 武天 皇 十 (682)年 に現在の福井市 に生 まれ,丹 生郡の越 知 山 (612m)で 修行 し,養 老元 (717)年 に平泉 か ら白山頂上 に登 り,千 日修行を した と伝わ る。嘉 承三 (850)年 には三所 の社壇 があるのみであった が,久 安三 (H47)年 に平泉 を延暦寺 の末寺 に と 訴 え,平 泉寺 とよばれ るよ うになる。境 内は東西 2 km,南 北 lkm,僧 ら8,000人 に及 ん だが,天 正三 (1574)年 に加賀の一向一揆 に敗れ,後 に秀吉 によ り中心部が再建 された。修験 の地であ り,御 前峰は 大宮妙理大権現 ―伊丼冊尊 ―十一面観音,大 汝峰は 越南知大権現 =大 己貴尊 ―阿弥陀如来 ,別 山は小 白
建つ。平泉寺の南の女神川 と九頭竜川間の赤尾の段 丘上には,大 渡神社 ・白山神社が鎮座す る。段丘下 の九頭竜川 の宮の渡 は,泰 澄大師が渡 り,中 世 には 平泉寺衆徒が利用 していた とい う。
白山神社平泉寺 か ら 8km南 西 にあ る大野 は,金 森長近が城下を東西六筋,南 北六筋 に区画 して東端 を寺町 として固めたが,現 在 も寺町通 りとよばれ南 北約 lkmに わ た って20余 の寺院が並ぶ。寺 院の宗 派 は,天 台系,真 言系,浄 土系,禅 系,日 蓮系 な ど 多岐にわたる。神社 も郷社の 日吉神社,熊 野神社 な ど山岳 に縁が深い。 また,時 宗梅渓山知足院恵光寺 には天満宮御 肖像が鎮座 し,川 濯大権現祈願所 な ど もあ り,神 仏習合 を示す。 時宗遍照 山奥之 院では, 毎月 10日に観音講が行われ る。
大野付近 に も霊場札所 はあ り,天 台真盛宗蓮光寺 は慈摂大師二十五霊場の第十二番である。 また正平 年 中 (1346‑70)倉J建の高野山真言宗恵 日山大責寺 には,境 内に亀 田八 十八 とよばれ る 「八 十八簡需 観 世音菩薩 」 の石 像 が並 ぶ。 これ らの仏 像 は四 国 八十八 ケ所 の写 しで,大 正 8(1919)年 な どの銘 がみ られ る。 また,大 野城 の頂 (249m)に は権現 宮跡があ り,山 内に凝灰岩 で作 られた高 さ lmほ ど の仏像33体 が20mほ どに並 び・亀 山観 音 といわれ る。像 には大正 7(1918)年 没 の銘 がみ られ,新
しい。
江戸初 めの越前 の国中三十三所観音廻札所 では, 大野付近 では第十二番が黒谷に,第 十四番が木 の本 に置かれてい る (杉原丈夫,1980)。 しか し,ど ち らも大野市街ではな く,南 方の山麓 にある。
越前五 山と越前観音霊場
白山 に福 丼 平野周 辺 部 の四 山を含 め,越 前 五 山 とよばれ る (福井県立博物館,1987)。 福丼市 中心 部 か ら南西20kmの 丹生 山地 にあ る越知 山 (613m) は,自 山に次いで大 き く,泰 澄大師に縁の大谷寺が あ る。 さ らに,鯖 武盆地南端 の 日野 山 (795m)は 朝 遇突知神 を祀 り,福 丼 平野 と鯖 武盆 地 間の文殊 山 (351m)は 泰澄大 師 によ り開かれ,福 丼市 の東 10kmの 吉野岳 (547m)に は蔵王大権現が祀 られ る。
越知 山には,大 御前 ・十一面観音,別 山権現 ・聖 観音,大 巳貴権現 0阿 弥陀の三峰な どが祀 られてい る。 山頂 か ら東 に 5kmの 谷合 に,天 台宗 の越知 山 大谷寺があ り,門 前 に立石が並び,境 内に大師堂や 神社がある(図H)。 大谷寺は越知神社遥拝所 (里宮) の位置 にあ り,越 知神の大講堂 とい う。泰澄が持統
あめのおしほみみのみこと
山行司別 山権現 ― 天忍穂耳尊 ―聖観 自在菩薩 とさ れる。越前禅定道 には正面本堂十二宿 があ り,ま た 金剣の峰,釈 迦の原 ,法 音,払 川,温 川 ,伏 拝,河 上, 秘密谷,一 之瀬,檜 之宿 ,尾 平,弥 陀之原で,礼 拝 された (勝山市教育委員会,1992)。
この平泉寺 白山神社 は,昭 和56(1981)年 開創 の北陸三十三観音霊場,昭 和59(1984)年 開創 の 北 陸三十 六不 動尊霊場 (田上善夫,2003)の ,札 所 には含 まれない。 ただ し延宝年間 (1673‑81)頃 に成立 した,越 前の国中三十三所観音廻札所 (越前 国地西 国)で は,平 泉寺の観音堂 は第十二番 とされ ている (田上善夫,2004a)。 同霊場 は坂丼 ,福 井 , 奥越 ,丹 南 に展 開 してお り,平 泉寺 白山神社 もその 中の霊場 に組み込 まれていた。
奥越の寺院
平泉寺門前の集落 には,四 十八社,三 十六堂の一 つ辻観音堂があ り,平安後期の桧 の仏像が残 され る。
神社 とは別に,天 台宗霊応 山平泉寺 も伝わる。 さら に,一 向一揆平定後 の天正八 (1580)年 に築 かれ た勝 山城が,参 道入 口前の猪野瀬 に復元 され,隣 接 の小丘 に,四 十八社の自山稚児神社や 日之御前社が
―‑40‑―
2 6 長 楽 寺●
図5 霊 場 に隣接する式 内社 保呂羽山山頂の波宇志神社
図6 沿 岸部 の 三十 三観音 雄物川河 日の段丘上の石山観音
ン:11t,':,'1■1'ir
図 7 第 二 十 五 番 長 慶 寺 近 接 の 社 海側 , 風 の松原 にある大森稲荷
社 寺の分布密度 と霊場 につ いて
寺 面 観 音 寺 観 音 日 岡 観 音 武峯観音
図 1 新 旧 の 秋 田観 音 霊 場 赤字 : 現 在 の秋 田二十二観音霊場 黒字 : 旧 秋 田六郡 三 十二観音霊場 巡拝路はゼ ン リン電子地図帳Z P 4 に よ り設定。 丘陵には波宇志別神社。
吉野岳 :
。文殊山 fコ
日野山
図2 札 所寺院 の子霊 場 秋 田霊場第十二番祇園寺の境 内にある三十三観音
図3 札 所寺院 に隣 接する観 音 第二十五番龍泉寺門前の観音堂 1 書│ = ■「‐ │ ■■│ : ■. ■
図4 秋 田観音 霊 場 の結願 現在の第二十二番信正寺の付近
¬, 。白山比畔神社 =豪. ̲ 千,
濯 打・菫 ‐ ・
̲■11■│,l
中 雪静警│‐ ■ヽ農:三 │
■.11■●:11 ヽ 尾,橿 : ■ l.I=白¬・・
1 ̲ 1 : . . 1 本 法 鷲" │ ■. 轡 ,
` 勝 山│
・
1単 泉 峯灘 │ギ
■な ∵ 1̲.FⅢ :Ⅲ
f・T心
、宗. ・
‐≒
、f事 白山神社
0 5 10 20 1en
l i l l ・ 1 1 : l l l ・ 28
l t , , 彙
置 屡専 :
図8 白 山の 三 馬場 と越 前 五 山
白山に向かつて禅定道が,越 前は平泉 白山神社か ら,加 賀は白山比畔神社か ら, 美濃は長滝 白山神社か らのびる。 自山を含め,福 井平野周辺に越前五山が位置す る。
‑ 4 1 ‑
帥¨
の
白 山 へ 疇
寺剛
睡 畑 滉 . マ
図1 0 白 山神社二の鳥居 境内に寺社がともにまつられる
図 1 1 越 知 山 山麓 の寺社 大谷寺境内に越知神社を祀る
●友ゲ島
図 15 吉 野 山奥 千本 山頂付近の金峰神社の南,標 高 8 00 m付近に,西 行庵が位置する
爾
図 1 7 御 破 裂 山か らの飛 鳥 談山神社の境内の北側にそびえ, 大和三山が遠望 され る
図 1 2 文 殊 山 越前五山。 山麓に 多 くの寺社がある。
山中渓 関 L lひ
翌臨凄」鷹
金轟蓬.
0 5 1 0
図 1 4犬 鳴 山七 宝瀧 寺 不動前で柴燈護摩を厳修
図 1 6 吉 野 山 中千本 長 くのびる尾根上の標高3 6 0 m 付近に金峰山寺が位置す る
lll:::::ギ ス η 「 :為 :山
イ
一 一
・
. ヽ︑ 一
初の
L六 山
7● 吉野山
図 13 葛 城 二 十八宿 と大 峰奥駆 道 1 1 ★̀ tの葛城は回峰入峰の地で,加 太友 ヶ島か ら大和川亀の瀬に至る。赤色の大峰では吉野か ら 熊野の稜線沿いに,75の なびきとい う行所が連な
る。両者の位置には, 青色の西国観音霊場 と密接 な関係がみ られる。
図 1 8 信 貴 山朝 護 孫子 寺 信貴山麓に位置 し, 境 内に入る 深い谷に沿つて, 堂 宇がな らぶ
図 1 9 生 駒 山 費 山 寺 聖 天 さん とよばれ, 崖 の般若 窟前 に本堂が あ る
山
一‑42‑
社寺の分布密度 と霊場について
天皇九 (695)年 あ るいは六 (692)年 に,越 知 山 三所大権現の本地の地主大聖不動明王を彫 って,安 置 した ことに始 まる。泰澄 は越知山,日 野山,文 殊 山,吉 野岳,自 山等 々に登 峰 して修行 した後,天 平 宝字二 (758)年 に77才 で帰山 し,神護景雲元 (767) 年 に この寺で遷化 した。お墓 と伝 え られ る九輪塔が ある。
泰澄由来の寺 は秋 田か ら長崎 まであるが,か つて 日本海側 は船 で容易 に行ける ところであった。 また 新潟では多いが,富 山で少 ないのは,立 山信仰が影 響 してい る とい う。かつて平泉 に六千坊があ った と きには,大 谷寺 に一千坊があ った とい う。数年前の 頂上付近 での試掘調査 で仏具の破片が出たが,泰 澄 の時代か ら60〜 70年 ほ どしか違わず,泰 澄伝承 に つ ながるものである。越知 山 ・越知神社 は山岳信仰 発祥 の地 で,山 上 の室堂 で宿泊 ・修行 も行 われ る。
大谷寺付近 は,越 知神社 とは異な りやや低いが,日 本海の見 える位置にある。
大谷寺 の 5km南 ,越 知川 の鯖 江盆地へ の開 田部 に神仏習合 の八坂神社 があ る。 その南 の福通寺 は, 真言宗東寺派朝 日観音別当 といわれ る。本堂の木造 196cmの 正観世音菩薩 は,養 老元 (717)年 の泰澄 大 師御 山籠 り作 と伝 わ り,観 音堂 の像高 120cmの 千手観音菩薩立像 も泰澄作 と伝わ る。隣接 した八幡 社,稲 荷 は泰澄が鎮守 とした と伝わ る。福通寺 は現 在,北 陸三十三観音霊場第九番,北 陸三十六不動尊 霊場第二十一番,越 前 国三十三観音霊場第二十番で ある。
文殊 山 は角 原 富士 ともいわれ る。泰 澄 が養老 元 (717)年 に,大 文殊 (365m)に 文殊菩薩,西 の奥 の院に観世音菩薩,東 の室堂 (小文殊)に 阿弥陀如 来を安置 したが,五 台 山を移 し国家鎮護 に備えた と い う。 また文殊山には,金 剛岩,胎 内 くぐりの巨岩, 観音聖場 ・三十三 ヶ所,岩 洞な どがあ り,南 麓 には 自山神社 があ る。大文殊 か らは,4,300年 前 の縄文 土器片が出土 した(図12)。文殊 山には大正寺,大村, 南井,西 袋,帆 谷,二 上,角 原の登 山口がある。 4・
月25日 の文殊祭 は周辺 の村 々の春祭 であ る。大村 の文殊山拐厳寺 は養老元 (717)年 に,泰 澄が開い た と伝わ る。その観音堂 には,鎌 倉時代 の作 と伝わ る薬師如来,十 一面観音菩薩,阿 弥陀如来が祀 られ る。 また文殊 山の西 3kmの 二十八社 には,泰 澄 が 誕生 した地の泰澄寺があ り,現 在 は真言宗智山派で ある。
先述 のよ うに,越 前 では近世初めに国中三十三所 観 音廻 札 所 が 開創 され てい た。越 知 山の東 麓 の杖 立 に始 ま り,坂 丼,奥 越 ,福 丼,丹 南 を廻 つて越 知 山の大 谷寺 に戻 る。泰 澄寺 は第 二十 五番,ま た 福通寺 は第二十番 として含 まれてい る (北川弥平, 1974)。 同霊場 は神仏習合 の寺院を連ね,泰 澄の開 創伝承を共有 してお り,越 知 山を中心 に構成 されて いる。
4.西 国観音霊場 と周辺の山岳社寺 西国観音霊場
日本の霊場の噌矢 は,西 国三十三観音霊場 と考 え られ る。大阪平野 0奈 良盆地周辺 には,西 国観音霊 場 の多 くの札所があ る (田上善夫,2006)。 また周 辺 には多 くの山岳社寺がある。
大阪平野を西流す る大和川 の南 に,西 国観音霊場 の第五番札所紫雲山葛丼寺がある。平安末 にはすで に著名 な観音霊場 であった とい う。大阪平野か ら奈 良盆地への要地で,周 辺のやや小高い地 に応神天皇 陵をは じめ多 くの古墳がある。葛丼寺の名 は,葛 丼 連 と改姓 した王仁一族 にちなみ,隣 接 した式 内大社 の幸 国神社 も,物 部氏一族の幸国連 の名 にちなむ。
大阪平野の南部 に,西 国観音霊場 の第 四番札所槙 尾 山施福 寺 が あ る。槙 尾川 の渓流 沿 い に参 道 が 1 km余 り続 き,満 願 滝弁財天 な どが祀 られ,尾 根上 (485m)に 本 堂 が あ る。槙 尾 明神 社 の裏手 の経塚 か ら,保 延五 (1139)年 銘 の経筒 が 出土 してい る が,「巻尾 山」 の山号 は,役 小角 が法華経一部八巻 二十八 品の最後 を埋納 した ことにちなむ とされ る。
ただ し,以 下の葛城第二十八宿 とは異 な り,ま た和 泉 山脈の主稜部か らは 4kmほ ど北 に離れている。
葛城 山
大阪府 一和歌 山県境 の和泉 山脈か ら,大 阪府 一奈 良県境の金剛山地は,葛 城 とよばれ る修行 の地であ る (檜谷健一,2000)。 葛城二十八宿 は,友 ケ島か ら亀 ノ尾 までで,葛 城の峰の山林科撤で験力を得 る (図13)。
葛城第八宿 のある犬鳴山七宝瀧寺 は,斉 明天皇七 (661)年 に役行者 が創建 した。大峯 山 よ り 6年 早 いため,元 山上 ヶ岳 といわれ る。後 に,役 行者 の終 焉の地である。境 内に四十八瀧があ り, 9世 紀初 め に淳和天皇が七寅瀧寺 と名付 ける。 中世 には,七 宝 瀧寺 は根来 寺 の も とにあ った (丼田寿邦,2005)。
修験 道最 高権威 の熊野三 山検校 であ る聖護 院 は 15
‑ 4 3 ‑
世紀 に本 山派 を結成 していたが,根 来寺 は高野 山, 粉川寺 とともに敢 えて当山派 となった (関口真規子, 2006)。 昭和25(1950)年 に真言宗犬鳴派 とな り, 修験道部が置かれている。
粉川道か ら和泉砂岩層を侵食 した大木渓谷沿いに lkm余 の参道 が あ り,山 内二十八宿 が設 け られ て いる。両界の滝,犬 鳴山総門,瑞 龍門,中 世の板碑, 護摩場を経て,本 堂があ り,そ の奥 に,行 者 くぐり 岩,行 者 の滝がある。護摩場では,般 若心経,不 動 明王 の経,倶 利伽羅不動明王への経,優 婆塞 の経が あげ られ る。行者の滝 には,三 宝大荒神 の剣婆荒神 が祀 られ る。
本堂下の不動明王の前 に,護 摩場がおかれ る。平 成 17(2005)年 H月 6日 には,午 前 10時 ころよ り 柴燈大護摩 が行 われ,開 始後 17分 か ら太鼓,般 若 心経 ,法 螺貝,般 若心経が繰 り返 され る。犬鳴山は 女 人大峯 と言 われ,39分 か ら女 人行者 に修験 間答 がされ る。法螺貝が吹かれ,「案 内申す―」 に,「 ど うれ―」 と応 じ,修 験,役 行者,根 本,な どを問 う。
55分 か ら,護 摩 に矢 を放 ち,結 界作 法 で は四隅 で 矢を放つ (図 14)。 69分 か ら太鼓が打 たれ,柴 燈護 摩が焚かれ,護 摩木 が投 じられ るが,小 雨に濡れた 檜の葉 か ら,濠 々たる白煙が上が る。
七宝 瀧寺 には,倶 利伽 羅大 龍不 動 明王 や生命 乞 不 動 尊 が 祀 られ,昭 和54(1979)年 開創 の 近 畿 三十六不動尊霊場の第三十三番札所 になっている。
大峰山
大峰は葛城 とともに金 剛界 ・胎蔵界 を構成す る と され,修 験 の中心の地である。大峰は中央構造線の 南 に位置 し,北 の大和平野 との間に竜 門岳 (904m) がそびえ,ま た紀 ノ川上流の吉野り││が西流す る。入 国の吉野 か ら尾根 が南 に伸 びて 8km先 には青根 ケ 峯があ り,東 に温泉谷 ・泉湯谷,西 に南院谷 ・左曾 谷が入 る (図 15)。
先述 の葛城 に続いて,役行者が山上 ヶ岳 (1719m) の大峯 山寺 と,吉野山の金峯 山寺 に蔵王堂を開いた。
修験 の地 であ り,昭 和23(1948)年 に金 峰山修験 本宗 となった (役行者霊跡札所会,2002)。 現存の 金峯 山寺 の蔵 王堂 は,天 正三十 (1592)年 に建立 された。金 剛蔵王権現が祀 られ るが,釈 迦如来,千 手観音,弥 勒菩薩の垂述 である。深い青色を した憤 怒相の像が並び,中 央の ものは高 さ7.3mあ る。
金峰山寺 の周辺 には,多 くの寺社がある。大峯 山 東南院は,木 曾の御嶽 山中興の覚明行者 が,蔵 王堂
の東南,巽 の方 向に建てた もので,金 峰山修験本宗 の別格本山である。入 口にある勝手神社あるいは山 口神社 は,平 成 13(2001)年 に焼失 したが,吉 野 八社明神の一つで,大 山祇,木 花咲耶姫な どを祀 る。
大峰山 (護法山)喜 蔵院は,聖 護院門跡 の本 山修験 宗別格本山であ り,本 山修験の大先達を努め,吉 野 山四宿坊の一つであ り,山上 ケ岳 にも宿泊所がある。
上千本か ら上 には,自 然を崇敬 した寺社な どが多 い。吉野 山は南大和の水源神 (水分神)と して信仰 されたが,上 千本 には吉野水分神社がある。式 内大 社 で,豊 臣秀頼が再建 した桃山様式の三連の美 しい 社殿があ る。高城 山 (702m)は ,高 御産巣霊神 に ちなみ,同 神 は高木神 ともいわれ,犬 鳴山に も同名 の山がある。奥千本入 国の金峯神社 は,吉 野 山の総 地主神の金 山彦命を祀 る式 内社で,金 精明神 ともい われ る。大峯 山への第二の門,修 行門があ り,境 内 には義経の隠れ塔がある。 さらに稜線を超 えた南斜 面の林 間には,明 治 まで宝塔院や安禅寺 な どの寺院 群があった。また谷の中に苔清水 とい う湧水があ り, 30m四 方 ほ どの平坦 地 に,二 間四方 の西行 庵 が あ る。
金峰山寺 の南朝妙法殿 は,後 醍醐天皇の行宮 であ る。また中千本か ら谷一つ隔て東 に如意輪寺があ り, 隣接 して延元 四 (1339)年 に崩御 した後醍醐天皇 の塔尾稜 があ る (図16)。吉野 の周辺 には西 国観音 霊場の札所 はないが,大 和国の一 国霊場 としての写 しもみ られなぃ。現在 で も多 くの修験 の施設があ り, また大峰にかけて も同様 であるが,中 世 には南朝の 拠点であ り,他 地域 とは異なる ことが考 えられ る。
奈良盆地の周辺 山地
奈良盆地 には西 国観音霊場をは じめ多 くの霊場が 開かれているが,そ れ らの札所が周辺 山地の寺社 に 多 くみ られ る。飛鳥 か ら 4km南 東,多 武峯 の谷 中 に談 山神社がある。飛鳥か らみて,二 上 山は夕 日が 沈むのに対 し,多 武峯 は朝 日が昇 る地である。斉明 天皇二 (656)年 に,た む の嶺上 に石垣 を巡 ら し, 槻 の樹 の下 に宮 を建 て た と記 され るが,そ れ らは たわ (鞍部),岩 境,依 代 を示 してお り,ま た十三 重塔 は鎌足の塔婆である (談山神社編,1998)。 境 内には関伽 丼 屋 が あ り,竜 王 が 出現 し,さ らに山 神神社 ,杉 山神 社 ,神 明神 社 な どの小 祠 が あ る。
ま た談 山 (566m),談 所 の森 で蘇我入鹿討 が謀 ら れ,御 破裂 山 (628m)に は周 囲85mの 鎌足 の円墳 がある。大和三山を一望す るこのあた りを磐余 とい
一‑44‑―
い,日 本 国 と名づ けた饒速 日命の地 であるが,後 に 入 った神武はカムヤマ トイ ワ レヒコ と名乗 った (図 17)。多武峯 の談 山神社 は,朝 日が昇 り水神 ・山神 を祀 り,葛 丼寺 同様 に饒速 日命 と物部氏縁 の地であ り,西 国観音霊場の札所ではないが,後 述の大神神 社,朝 護孫子寺 とともに,大 和七福八宝め ぐりの札 所である。
大和川 (初瀬川)の 奈良盆地への開口部 に,三 輪 山 (467m)が そび える。 その大神神社 は大和 国一 宮 で三輪明神 といわれ,大 物主大神 を祀 る。三輪 山 に奥津磐座,中 津磐座,辺 津磐座があ り,聖 天石 と いわれ る夫婦岩 は辺津磐座の一つである。 山麓の参 道 に祓戸社,磐 座神社,霊 泉 のある狭丼神社,智 恵 の神 の久延彦神社,大 直禰子神社 (若宮社),琴 平 社 な ど20余 社 が あ る。 また大神神社 は酒 の神 0醸 造 の神 で,酒 祭 り,酒 栄講があ り,拝 殿正面 に 「し る しの杉玉」が さが る。大神神社の神宮寺 で,三 輪 社奥 の院の平等寺 は,581年 に聖徳太子 が大三輪寺 として開いた とされ る。室町 ・江戸時代 には修験道 の霊地 で,大 峯 に向か う修験者が波切不動明王の滝 で行を した。平等寺 は十一面観音,三 輪不動尊 な ど を祀 り,現 在大和霊場第八十一番 となってお り,大 神神社 自体 も,大 和七福八宝め ぐりの札所である。
三輪 山の北 7km,布 留川 の開 口部 に近 い布留 山 (266m)麓 に南面 し,石 上 神 宮 が鎮座 す る。拝殿 の後 方 の禁足 地 に,布 都御 魂 大 神 を祀 る。 平 国之 剣 ,天 璽十種瑞宝,天 十握剣や七支刀 にまつわ り, 後 に石上氏 と改 めた物部氏の総氏神 である。布留石 上明神 の神宮寺 の内山永久寺 に,後 醍醐天皇が一時 身を隠 した といわれ るが,明 治 に廃絶 した。
奈 良 盆 地 西 縁 に あ る 生 駒 山 地 南 部 の 信 貴 山 (437m)南 麓 に,信 貴 山 朝 護 孫 子 寺 が あ る (図 18)。毘沙門天 (多聞天)が 現れて聖徳太子 を守護 した ことか ら信貴 山 と名付 け,延 喜二 (903)年 に 醍醐天皇が病気平癒 して朝護孫子寺 となる。現在 は 信 貴 山真言宗 総本 山であ る。大 門池 を隔 てた斜 面 に,懸 造 りの堂がある。大和十三仏第十一番,真 言 宗十八本 山巡拝,大 和七福八宝め ぐり,役 行者霊蹟 札所巡礼の札所 であ り,ま た信貴 山奥之院は大和北 部八十八箇所第 四十五番である。
生 駒 山 地 北 部 の 生 駒 山 (642m)の 北 東 麓 に, 生駒 山費山寺がある (図19)。天智天皇三 (664)年 , 役行者 が修行 し,こ の地を内院,大 峯 山を外院に擬 した とい う。延宝六 (1678)年 に湛海律師が開き,
貞享三 (1686)年 に歓喜天をまつ る聖天堂を建立 する。本堂か ら上方に,永 代浴湯や報恩謝徳の石柱 が並 び,数 十 メー トル先 の岩壁 に,高 さ10m,奥 行 き 3mほ どの般若窟がある。 ここは近畿三十六不 動第二十九番,大 和十三仏第一番,西 国愛染明王第 十四番,仏塔古寺十八尊第十五番などの札所であ り, また観音講でのお参 りの行事案内が書かれる。
大 阪平野 の北縁,中 山 (478m)の 南麓 に,清 荒神清澄寺がある。寛
平八 (896)年 に荒神社を鎮 守 として開山 し,昭 和22(1947)年 に真言三宝宗 の大本山となった。中山山麓には寺社や古墳が多数 並ぶ。阪急宝塚線の清荒神駅から曲が りくねった参 道に商店が並び,山 麓の渓流の奥に,左 手が清三宝 大荒神王,正 面 と右手が蓬莱山清澄寺 となる。主な 祭は三宝荒神にかかわ り,三 宝荒神が大きく描かれ る。寺院本堂 と神社本殿間には,宝 稲荷明神,荒 神 影向の榊,龍 王堂,奉 納の火箸,神 変大菩薩 (役小 角)な どが祀 られる。 lkm東 が西国観音霊場の第 二十四番中山寺である。
Ⅲ 巡 拝 路 ・札 所 の密 度 と寺社 の影響 1.全 国各地の霊場の巡拝路 と札所密度
全国の神社 と寺院,ま た主要な30余 霊場を選び, 巡拝路 と札所密度について分析する。まずゼンリン 社の電子地図帳ZPR4上 で,神 社 と寺院や札所の経 緯度座標を得る。また霊場の札所の順か ら,ル ー ト 探索機能により巡拝路の経緯度座標を得る。さらに ESRI社のArcGIS9を利用 して,神 社 と寺院や札所の 経緯度座標か ら位置を示 し,さ らに密度分布を等値 線で描いた (表 1)。 この寺社や札所の密度分布 と 巡拝路にもとづいて,地 域の信仰的基盤について検 討を試みる。
北海道
北海道三十三観音霊場は,北 海道を8の字を描 く ように巡る。札所密度は札幌から旭川にかけてきわ めて高 く,道 北 と道東では低 くなる (図20)。諸寺 院は都市部に多 く開創され,明 治以後の社会の影響 が分布に強 く表れている。北海道 には先住民の霊 地 ・聖地があ り,集 落の広場な どで祭祀が行われ, また沖縄よりもさらに本土の影響を受けるのが遅い ため,他 に霊場が潜在することが考えられる。北海 道への修験の伝播は不明であるが,北 辺の地での山 林科撤,山野跛渉は様相が異なることが考えられる。
東北
社 寺 の分布密度 と霊場 について
‑45‑
東北 東北 東北 東北 東北 東北 東北 東北 関東 関東 関東 関東 関東 関東 関東 関東 関東 関東 中部 中部 中部 近畿 近畿 近畿 近畿 近畿 近畿 中国 中国 四国 九州 九州 九州 九州
奥州 津軽 秋 田 庄 内 最上 置賜 会津 信 達 坂東 那須 下野 秩父
十二観音霊場 十三観音霊場 十三観音霊場 十三観音霊場 十三観音霊場 十三観 音霊場 十三観音霊場 十三観音霊場 十二観 音霊場 十三観 音霊場 十三観音霊場 十四観音霊場 新上総 国三十三観 音霊場 安房三十四観音霊場 御府 内八十人 ヶ所霊場 昭和新撰江戸三十三観 音霊場 豊島八十人 ヶ所霊場 鎌倉三十三観音霊場 越後三十二観音霊場 信濃三十三観音霊場 伊 豆横 道二十三観 音霊場 西 国三十三観 音霊場 葛城 二十人宿 大峰奥駆道 京都 大廻
洛陽三十三観音霊場 洛西三十三観音霊場 出雲二十三観音霊場 広 島新 四国人十人ヶ所霊場 四国人十人 ヶ所霊場 九州八十人 ヶ所霊場 九州二十四地蔵尊霊場 九州三 十六不動霊場 九州薬師四十九院霊場
阿波, 讃 岐 , 松 山, 今 治付近 九州北部, 筑 紫平野周辺 直方平野西部お よび佐 世保周辺 筑紫平野 と国東 半島
筑紫平野 と直方平野 表1 主 要な地方霊場 の札所分布の中心
ヽら旭 りl 仙 台平野北部
弘前東部 か ら岩木川 沿い に十三湖 秋 田県南, 横 手盆地
庄 内平野の周辺 山麓 山形市付近, 山 形 盆地北部 白鷹 ,長 井,米 沢付近 会津若松 か ら喜多方 にか けて
福 島盆地の東部 ,福 島市 と伊 達町 の境付近 鎌 倉周辺 , 筑 波 山付近
那須町周辺 ,大 田原 市周辺
栃木市か ら宇都 宮市南部 , 日光か ら大 田原 秩父の市街地, 秩 父神社付近
東京湾側 , 鹿 野 山 ( 3 7 9 m ) の北西側 ,富 津市 内房側 , とくに館 山市の周辺 山麓 外堀 の外側 の上野,浅 草,芝 ,四 谷
南部 の芝 ・高輪周辺 と北部 の上野 ・小石川周辺 東西方 向へ の列状 の配置
鎌倉 の市街地 , 若 宮大路 の鶴 岡人幡宮寄 り 長 岡市か ら出雲崎,と くに三島町付近 長野盆地, とくに川 中島付近 松崎 ,下 田,河 津付近 京都付近
葛城 山周辺 / /
京都 市東 山区, 六 波羅蜜 寺付近 桂川 沿い と西山の山麓付近 松江付近 と斐伊川 沿岸
広 島市街 , とくに中区北部の広島城周辺地域
の,津 軽三十三観音霊場の札所が集 中するのは,岩 木山を望む地域であ る (図22)。密度分布の中心は弘前 の東方にあ り,密 度の高い地域が岩 木川に沿って十三湖へ と伸びる。一 方で陸奥湾沿岸には少ないが,ア イ ヌ文化の影響の強い地域である。札 所 にさまざ まな起源 がみ られ,寺 院 とは限 らずに神社 も多い。秋 田 三十三観音霊場の密度は,秋 田県の 内陸中部 ・南部地域で高 く,最 大の 中心 は横手盆地 の横手市付近 にあ る。また秋田か ら能代,大 館周辺で も高い。
南東北の,庄 内三十三観音霊場の 札所分布は,庄 内平野周辺の山麓に 沿 う (図23)。羽黒付近でやや高い が,一 極 に集 中せず に分散 してい
奥州三十三観音霊場の分布密度 は,大 きな偏 りが ある (図21)。奥州観音霊場 の札所密度が高いのは, 宮城県北部の岩手県境の地域であ り,仙 台平野北部 の栗駒 山麓 にあたる。一方,海 岸部には少な く,ま た岩手県北部の 3寺 院は とくに隔たっている。小 山
に位置す る修験寺 院 が 多 く,「詞倉J は この地 域の開発 に結 びつ く。大和 勢力の進 出が遅れ たゴヒ部 に 少 が 流為の故 地の胆沢 地方には とくに少 ない。
ゴヒアにJ ヒ
る。最上三十三観音霊場 には,密 度 分布の大 きな中心が 2つ あ り,一 つ は山形市付近,他 は山形盆地北部の大石 田か ら尾花 沢 にかけてである。最上川の上流部の米沢盆地 にあ
図 22 津 軽三十三観音霊場
る置賜 三十三 観音霊 場 は, 密度分 布の中 心が 3 つ に別 れ,自 鷹,長 井,米 沢付近 にある。会津三十三観音霊場 で も,他 の盆地
と同様 に周縁部に札所が連な り,会 津若松か ら喜多 方 にかけて南北 に分布密度が高い。ただ し盆地 中央 の阿賀野川沿いにも密度の高い地域があ り,北 は飯 豊 に連 なる。信達三十三観音霊場 では,福 島盆地の 東部の福島市 と伊達町の境付近 に多い。その東方 に は,霊 山 (806m)が そびえている。
関東
坂東三十三観音霊場では,札 所 は鎌倉周辺 に最 も 集 中 してい る。 また筑波山付近 な どに も分布の中心 がある。
い て三 な
ぁ阿
図 21 奥 州三十二観音霊場
‑46‑
社寺の分布密度 と霊場について
北 関 東 : の , 那 須 '三 十三観音 霊場 は,鹿 島灘 に注 ぐ 那珂川 の上 流部 に位置 す る。那須 町周辺 と大
‐田原市周辺
、 に , 2 つ の 中 心 が あ . る 。 下 野 三十三観音 霊場 は,栃 木市か ら宇 都宮市 にか 図 23 庄 内三十三観音霊場 け て,また, 日光か ら大田原にかけて東西に,分 布密度の高い地 帯が現れる。
南関東の秩父三十四観音霊場 は,札 所 は秩父の 市街地に集中 している (図24)。かつて札所であっ た,秩 父 神社付近 に中心が ある。新 上 総 国 三十三観 音霊場 で は,札 所 は東京湾 側 に偏在
図 25 安 房三十四観音霊場
配置がみ られ る。鎌倉三十三観音霊場 は,周 囲を丘 陵で囲まれた地の中心部 にま とまる。 中心は鎌倉の 市街地,と くに若宮大路の鶴 岡八幡宮寄 りの位置 に
ある。
中部
越後三十三観音霊場では, 札 所 は海岸部 に多い
ヽ
灘
△ ヽ
`` 螢諮
図 24 秩 父三十四観音霊場
してお り,と くに鹿野 山 (379m)の 北西側,富 津 市 に集 中 してい る。安房三十 四観音霊場 で も,内 房 側 に集 中 してい る (図25)。 とくに館 山市 の周辺 山 麓 に多いが,清 澄 な ど鴨川 か ら東 は孤立 してい る。
御府 内八十八 ケ所霊場 では,外 堀 よ り外側 に環状 に 密度 の高 い地域 があ らわれ る。 中で も上野,浅 草, 芝,四 谷 な どでは とくに高い。昭和新撰江戸三十三 観音霊場 では,南 部の芝 ・高輪周辺 と北部 の上野 ・ 小石川周辺 に 2つ の中心があ る (図26)。 多いのは 江 戸城 の北 と南 であ り,東 と西 には少 ない。豊 島 八十八 ケ所霊場 は,武 蔵野台地の北縁 に位置 し,札 所 は全般的に分散 しているが,東 西方向への列状の
図 26 昭 和新撰江戸三十三観音霊場
図 27 越 後三十三観音霊場
‑47‑
島町付近にあ り,上 越市や新潟市は中心か ら大きく 外れる。信濃三十三観音霊場の札所は諏訪以北にあ るが,分 布の中心は長野盆地にあ り,と くに川中島 付近に集中 している (図28)。伊豆横道三十三観音 霊場は,安 房観音霊場 と同様に,半 島の最南端に位 置 し,また紀伊半島の熊野 とも類似 した位置にある。
山々の連なる地は,南 朝に先ん じて源氏が度々依る ことになった。密度が高いのは沿岸であるが,下 田 付近,河 津付近,と くに西岸の松崎付近が高い。
近畿
西国三十三観音霊場では,札 所は京都付近に顕著 に集中している。坂東観音霊場で札所が鎌倉に集中 する以上である。
葛城二十八宿は,西の紀淡海峡から東の和泉山脈, 金剛山地に至 る。葛城山 (858m)周 辺に,多 くの 宿がみ られる。大峰奥駆道は,近 畿地方の最高所の 大峰山脈に南北に続 く。大峰は京か ら飛鳥への道の 南方に続 くが,近 代の聖護院では峰入前,峰 入,峰 入後で修行の性質が異なる。
京都大廻では,比 叡山の回峰に続いて,京 都市街 にある霊地を結ぶ (図29)。その順路は復活 した洛 陽三十三観音霊場の巡拝路 と類似する。 この洛陽観 音霊場の札所は京都市の東山区付近に集中 して,中 心は六波羅蜜寺付近にあ り,密 度の高い地域は北西
の北野に延 び る ( 図 30)。 洛 西 三十三観音 霊場の札所 は,桂 川沿 い と西山山 麓 に 多 い が,と くに 西京区,南 区,向 日市 の境付近に 集 中 している。
中国
出雲 には古い神社が多 く,特 有の信仰的基盤があ るが,曹 洞宗寺院の多い地域で もある。 出雲三十三 観音霊場 は,申 国地方で最 も古い霊場 といわれ,松 江付近 と斐伊川沿岸 に 2つ の中心があるが,島 根半 島東部 は入 らない (図31)。 広 島新 四国八十八 ケ所 霊場 は,宮 島の弥 山を含 む霊場 であ る (図32)。 し か し札所 は広 島市街地 に多 く,と くに中区,南 区, 東 区付近 に集 中 し,広 島城周辺地域で最多 となる。
四国
四国八十八 ケ所霊場は,阿 波,讃 岐,松 山,今 治 付近 に集 中 してお り,小 松,土 佐 にも小 さな中心が み られ る。土佐 は四国遍路では特異 な地域であるが, その札所密度 はかな り低い。
九州
九州八十八 ケ所霊場 は,本 尊 は阿弥陀が多いが, 真言宗寺院には諸尊が祀 られるため,観 音や不動霊 場 が重 な る こ とが あ る (図33)。 札所 は九州北部, 筑紫平野周辺 に とくに集 中 している。九州二十 四地 蔵尊霊場 は,九 州北部 に広が り,分 布は 2つ に別れ, 直方平 野西 部 お よび佐 世保周辺 に中心 が あ る (図 34)。 九州三十六不動霊場 は,筑 紫平野 と国東半 島 が二つ の大 きな中心 であ る (図35)。 ほかに九州南 部 に も中心 があるが,こ の 2地 域 に比べて小 さい。
九州薬師四十九院霊場 は,筑 紫平野 と直方平野 に中 心がある (図36)。 また大分付近 に も中心があるが, 南九州 には少 ない。
2.全 国各地の寺社の密度
地域 の宗教的基盤を信仰施設 としての神社お よび 寺院か らみ る と,全 国の宗教法人の数 は神社,寺 院
ヽ 岬
が, と くに越 後平野 の周辺 音Бに多 い ( 図 2 7 ) 。 本L 戸斤 は, Jヒ は本寸」ヒ ま で, 内陸は 塩沢ま である が,中 心は長 岡市か ら出雲 崎,と
くに三
図 30 洛 陽二十三観音霊場
‑ 4 8 ‑
図20北 海 道 三十 三観 音霊 場 ルー トはゼンリンZP4による探索結果で示す。
他の図でも同様。
図32広 島新四国霊場
宮島の弥山山頂が結願で,札 所は広島市街に多い
図31出 雲 三 十二観 音 霊 場 開創は古 く,札 所は出雲国一円に広が 社寺の分布密度 と霊場について
図2 9京 都 大廻 り
比叡山の千 日回峰行に連な り,京 都 市中の寺社が廻 られる
要l ゝ 簑二=ξ
マヽξ参 マ:L 一一︵︶
︸﹄一ヽ
図34九 州二 十 四地蔵 尊 霊 場
昭和61(1986)年に開創 され,北 九州,筑 後,西 海,筑 前の各六地蔵尊霊場か らな り,九 州北部の平野部を巡 る
♀ , T , 7 ̀ . . l P 輌 メートル.
図3 3 九 州八十八ヶ所霊場 昭和59(1984)年開創 ,全 て真言系寺院 で, 玄界灘寄 りに多 くの札所がある。巡拝路 を 1/4づつ別色で示 し,35,36図 も同様。
図 35九 州 三 十 六 不 動 霊 場 昭和60(1985)年開創 で,国 東 か らは じま り,国 東半島 と筑紫 山地周辺 に札所 が多い
一‑49‑
: ̀ T . T , … 甲秘 ' ル.
図36九 州 四十 九院 薬 師霊 場 平成H(1999)年の開創で,大 宰府に始ま り,筑 紫山地の南側 に札所が多い
■0
0 0
図44寺 院 の密度
密度分布を等値線で示す。資料 として全国寺院 大観 (法蔵館,1991)を用いた。
図45神 社の密度
密度分布を等値線で示す。資料として,全 国神社祭祀祭礼総合調査(神社本庁,1995)を用いた。
一‑50‑―
A N
0 135 270