<論 説>
救済予定説とプロテスタントの職業倫理
山 本 通
主イエスは,ご自分の持つ神の力によって,命と信心とにかかわるすべてものを,わたしたち に与えて下さいました。それは,わたしたちをご自身の栄光と力ある業とで召し出して下さった 方を認識させることによるのです。この栄光と力ある業によって,わたしたちは尊くすばらしい 約束を与えられています。それは,あなたがたがこれらによって,情欲に染まったこの世の退廃 を免れ,神の本性にあずからせていただくようになるためです。だから,あなたがたは,力を尽 くして信仰には徳を,徳には知識を,知識には自制を,自制には忍耐を,忍耐には信心を,信心 には兄弟愛を,兄弟愛には愛を加えなさい。これらのものが備わり,ますます豊かになるなら ば,あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず,わたしたちの主イエス・キリストを知るよ うになるでしょう。……だから兄弟たち,召されていること,選ばれていることを確かなものと するように,いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば,決して罪には陥りません。こう して,わたしたちの主,救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるように なります。
「ペトロの手紙(二)」3〜8
,
10〜11目 次
はじめに:問題提起
第一章 イングランドにおける救済予定説の盛衰 1)前史(エリザベスの即位1558年まで)
2)エリザベス期(1558〜1603)
3)ジェイズム1世の即位から長期議会の開会まで(1603〜1641)
4)内乱期(1642〜1660)
5)王政復古から信教自由法まで(1660〜1689)
6)小括
第二章 パーキンズにおける救済予定説と職業倫理 1)パーキンズの予定説
2)パーキンズの決疑論 3)パーキンズの職業論 4)小括
第三章 バクスターにおける決疑論と職業倫理 1)バクスターの思想史的位置
2)バクスターの予定説と義認論 3)バクスターの決疑論と職業論 4)小括
第四章 カルヴァン主義者職業人の世界 1)N・ウォリントンの信仰日記 2)J・ライダーの信仰日記 おわりに:禁欲的職業倫理の行方
はじめに:問題提起
ヴェーバーによれば「近代資本主義の精神の,いやそれのみでなく,近代文化の本質的構成要 素の一つというべき,天職理念を土台とした合理的生活態度は,キリスト教的禁欲の精神から生 まれ出た(1)」。ヴェーバーによれば「キリスト教的禁欲」は,すでに中世カトリックの修道院生 活の中で完成されていた。それは「自然の地位を克服し,非合理な衝動の力と,現世と自然への 依存から人間を引き離して,計画的意志の支配に服させ,人間の行為を不断の自己審査と倫理的 意義の熟慮の下におくことを目的」とするものだった(2)。しかし「禁欲的生活」が,このように 世俗の外で行なわれる限り,それは社会を変革する力にはならない。これに対してヴェーバー は,「禁欲的プロテスタント」の職業倫理が社会に影響を与えるほど多くの数の人々に,世俗内 で「禁欲的生活」を継続的に実践させる精神的機動力を与えた,と考えたのである。
彼によれば,「禁欲的プロテスタント」とは,①カルヴィニズム,特にそれが17世紀に西ヨー ロッパの主要な伝搬地域でとった形態,②敬虔派,③メソディスト派,④洗礼派運動から発生し た諸信団である(3)。ヴェーバーによれば,それらのうちで②と③は①の「亜流」であるとされ る。したがってヴェーバーは①,とりわけ17世紀イングランドのカルヴィニズムを重視した。
カルヴィニズムの諸特徴のうちで,ヴェーバーが「キリスト教的禁欲」に関して注目するのは
「二重予定説」である。その内容を典型的に示すものとして,ヴェーバーは1647年の『ウェスト ミンスター信仰告白』の一部を抜粋する。「二重予定説」とは,神が自らの栄光を顕わすために,
「世界の礎が据えられぬうちに」「ある人びとを……永遠の生命に予定し,他の人々を永遠の死滅 に予定し給うた(4)」とする考え方である。ヴェーバーによれば,予定説はカルヴァンの『キリス ト教綱要』に見られるものの,それが神学において中心的な位置を占めるに至ったのは,17世 紀中葉においてであった(5)。この二重予定説はヴェーバーによれば,カルヴァン主義者信徒たち の心に恐るべき孤立感を与えたので,聖職者たちにとっては,それが信徒たちの心に引き起こす 不安と苦しみを克服することが重要な課題となった。そのため,カルヴァン主義者の牧師たちは 信徒たちに対して,絶え間ない職業労働を通して「自分は救われる」という確信を得ることを勧 めた(6)。ヴェーバーによれば,こうして,カルヴァン主義者たちは自分で自分の救いの確信を
「作り出す」のである。「しかも,どんな時にも[神によって]選ばれているか,捨てられている か,という二者択一の前に立つ組織的な自己審査によって作り出す(7)」のである。
ヴェーバーによればカルヴァン主義の信徒は,二重予定説の下での不安を克服し救済の確証を 得る手段として,世俗内の職業労働を禁欲的に合理化して推進することになった。信徒たちは自 分たちを世俗から区別された特別な「恩恵の地位」にあると考えたが,「恩恵の地位」を保持す るために,生活の全体を方法的に統御するべきことが勧められた。それは自分が救われているこ とを確信するために不可欠なことであった。「このような,来世を目指しつつ世俗の内部で行な われる生活態度の合理化,これこそが禁欲的プロテスタンティズムの職業観念が作り出したもの だった(8)」とヴェーバーは言う。
本稿は,主に17世紀イングランドのカルヴァン主義者たちの救済予定説と,その社会的なイ ンパクトについての,ヴェーバーのこのような仮説(これを以下では「倫理テーゼ」と呼ぶ)
を,現代イギリス歴史学の優れた研究諸成果を踏まえて検証するものである。以下,第一章で は,17世紀イングランドにおける救済予定説の歴史的展開について概観する。第二章では,主 に16世紀末に活躍したカルヴァン主義神学者
W・パーキンズの救済予定説とその職業論を検討
する。第三章では,それから1世紀後の17世紀後半に活躍したR・バクスターの救済予定説と
職業論を検討する。パーキンズとバクスターを別々に検討することには,特別な意味がある。ヴェーバーは,17 世紀カルヴァン主義の予定説の「理念型」を「ウェストミンスター信仰告白」を基にして構築 し(9),他方でバクスターの職業に関する決疑論などから禁欲的職業倫理の理念型を構築したうえ で(10),あたかも後者が前者の産物であるかのように論ずる。しかし,バクスターが「ウェスト ミンスター信仰告白」に表明されたタイプの予定説を支持しなかったことは,よく知られてい る(11)。したがって,この点でヴェーバーの方法論には重大な問題がある。予定説と禁欲的職業 倫理の関係を正しく把握するためには,例えばパーキンズやバクスターのような聖職者のそれぞ れの思想の中で,その二つがどのように結びついているか,を検討しなければならないのだ。
そのような検討を踏まえて,第四章では17世紀前半と18世紀前半に生きたカルヴァン主義者 の一般職業人が遺した日記の研究に基づいて,カルヴァン主義職業人の世界を垣間見る。以上の 検討を踏まえて,最後に我われはヴェーバー「倫理テーゼ」に修正を加えることになる。
なお,本稿では「ピューリタン」という語の使用を極力回避する。それは1970年頃以後の
「修正主義」と呼ばれる新しい研究の潮流の中で,特にコリンスン,タイアック,レイク以後の 歴史家たちの研究によって,「ピューリタン」という語が一つの文化的歴史概念を表わすもので はないことが明らかにされたからである。「ピューリタン」という語は綽名であり,それが指す 対象は,時期によって変化した。
エドワード6世,エリザベス1世,ジェイムズ1世の統治期においては,イングランド教会の 聖職者のほとんどがカルヴァン主義者であり,「ピューリタン」という語は国教会体制に反抗す
る人々(プロテスタント国教忌避者)だけを表わしていた。しかし,ロード主義者たちがイング ランド教会の高位を占めたチャールズ1世の時代には,ロー ド 体 制 を 批 判 す る 人 の 全 て が
「ピューリタン」と呼ばれ,その中にはカルヴァン主義の国教会聖職者が含まれた。内乱期には,
(カトリック教徒を除く)全ての反王党派が「ピューリタン」と呼ばれ,その中には反カルヴァ ン主義者も含まれた。更に王政復古期には「ピューリタン」は再びプロテスタント国教忌避者
Dissenter
と 同 義 語 に な っ た。名 誉 革 命 直 後 の1689年 に「信 教 自 由 法」が 公 布 さ れ る と,「ピューリタン」という綽名は使われなくなった(12)。
また研究史上,「アングリカン」という語が,しばしば「ピューリタン」の対概念として使わ れたが,「アングリカニズム」という語は,同時代には使用されておらず,それに相当する実態 も存在しなかった。「アングリカニズム」は,1840年頃にイングランド教会を再編する運動の中 で高教会派の聖職者たちが初めて使用した語なのである。
第一章 イングランドにおける救済予定説の盛衰
我が国で,神学研究の立場から,ピューリタニズムの世俗内禁欲を二重予定説によって説明す るヴェーバーの論理を批判したのは,大木英夫であった。大木によれば,ヴェーバーの強迫観念 説は,歴史研究に基礎づけられておらず,「一般的な理解を頼りとした推論の結果に過ぎない」。 また,「予定の教理」から世俗内禁欲労働を説明する「議論には無理があり」,その矛盾は「歴史 の実例によって暴露されてしまう」と大木は言う(13)。大木がこのように言うのは,ピューリタ ン倫理の形成が二重予定説からではなく「契約神学」から説明されるべきだ,と考えたからであ る。
他方,カナダの社会学者マッキノンは,17世紀イングランドのカルヴァン主義神学者たちが 契約神学を採用することによって,二重予定説が産み出す恐怖・不安を取り除いてしまった,と 言う。彼によれば,だから,カルヴィニズムはヴェーバーの言うような世俗内禁欲への推進力を 持たなかった。彼の議論の要点は,彼自身によって簡潔に纏められているので,長文であるが以 下に引用する。「カルヴァンの時代とウェストミンスター信仰告白の時代のあいだに,契約神学 がカルヴァンの予定説,従って彼の『信仰のみ』の教説を消し去ったので,救済を求めて誠実に 勤勉に努力する人の全てが救済を得られることになった。今や,恩寵の絶対的確実性は,神が命 じられた手段である彼岸(世俗外)的な業(other worldly works)を実践する全ての人によっ て,内省と霊的審査によって確かめられる。従って,教義における証明の危機は存在しないので ある。また,契約神学が『救いの確証』として認めるのは,此岸(世俗内)的な業ではなく,宗 教的で彼岸(世俗外)的な業である。……カトリシズムやルター主義と同じく,カルヴァン主義 の救済論においても,究極的な価値は聖霊の彼岸の方向にあるとされる。だから,カルヴィニズ ムは,ヴェーバーが主張するようなやり方では,資本主義の精神を推進できなかったし,また実 際しなかったのである(14)」と。
これらの議論に対しては,賛否両論がある。しかし「予定説」と一言で言っても,それが表わ す内容は神学者によって様々に捉えられ,また,それが各々の神学体系の中で占める重要性も異 なっていた。したがって,我われは,そのような論争を検討する以前に,16・17世紀イングラ ンドにおける救済予定説の盛衰を追跡しなければならない。予定説はキリスト教神学史上の重要 な問題であるから,多くの研究者がその研究に取り組んできた。その中でも,アメリカの神学者 ケンダルとアメリカの宗教史家ウォラスの研究が優れている。
ケンダルは,カルヴァンの予定説が「ウェストミンスター信仰告白」で表明された予定説と全 く異なるものだと主張し,前者から後者への展開を跡付ける。彼の議論の中心に置かれるのは
W・パーキンズの「実験的予定説」であるが,パーキンズはそれをカルヴァンではなく,その弟
子にあたるベーズの予定説を基にして発展させた。ベーズの予定説はカルヴァンのそれとは幾つ かの重要な点で異なったものだったのである。次いで,パーキンズの「実験的予定説」に内在す る弱点についてオランダの神学者アルミニウスが鋭い批判を投げかけたので,パーキンズの弟子W・エイムズはパーキンズの説に一定の変更を加えた。このエイムズの予定説が「ウェストミン
スター信仰告白」に反映された,というのがケンダルの著書の骨子である。ケンダルのこの著書 は「実験的予定説」については詳しいが,1630年代に登場した「経験的予定説」についての分 析はあるものの,イングランド教会聖職者の主流派の予定説については「信条的予定説」と形容 するのみであって,その内容の検討が行なわれない。また,バクスターの考え方については全く 触れられない(15)。ケンダルの著書の3年後に現れたウォリスの著書は,1525年から1695年までに公刊された
「恩寵論」に関するイングランドのプロテスタントの膨大な文献を読破して書かれたものである。
ウォリスはエリザベス期からジェイムズ1世期のイングランド教会においては,「予定説」が
「恩寵論」の中心を占めるようになった,と指摘する。こうしてウォリスは,16世紀中頃から17 世紀末までのイングランドのプロテスタント神学の「恩寵論」との関係で,「予定説」が様々な 意味を与えられて展開する様相を広い視野で描き出すのである(16)。このようなわけで,ケンダ ルもウォリスもヴェーバー「倫理」テーゼの是非という問題には全く関心を持っていない。した がって,我われは彼らの研究を利用して,「倫理」テーゼについてバイアスの少ない予定説史を 描くことができる,と思う。
1)前史(エリザベスの即位1558年まで)
救済予定説はカルヴィニズムに特有の教義ではない。それはプロテスタンティズムに特有であ るわけでもない。新訳聖書では「(神が)予定する」(オリゾー)という動詞が,「使徒言行録」
4:28,「ローマの信徒への手紙」8:29〜30,「コリントの信徒への手紙一」2:7,「エフェソの 信徒への手紙」1:5,11に現われ,「(神の)選び」に言及した箇所は旧約聖書にも新約聖書に も多数存在する。「予定」の根本的な意味は,神の内的意思決定を指すが,聖アウグスティヌス
(354〜430)が係った紀元5世紀初めの「ペラギリウス論争」以後,「誰が救われ,誰が救われな いかについての神の意思は,永遠の昔から神によって決定されていた」という意味で使われるよ うになった。聖アウグスティヌスは,人の救いが人の自由意志や善行によって左右されるという ペラギリウス派の考え方を批判して,次のように主張した。人は原罪によって死に定められてい るが,この「断罪された団塊」の中から神は自らの恩寵(恩恵・めぐみ:grace)によって永遠 の昔から救おうとしていた人々を救う。それは,我われが神の前で聖なる者,穢れのない者にな るためである,と。アウグスティヌスの予定論の特徴は,予定の無条件性と徹底した恩寵論にあ り,神の絶対的主導性と能動性,恩寵の非撤回性,そして限定贖罪論であった。この聖アウグス ティヌスの予定説はルターやカルヴァンに大きな影響を与えることになる。彼の予定説は恩寵の 神学として卓越したものであったが,厳格すぎる面があったので,カトリック教会内ではそれ以 後,予定説を巡って何度も論争が繰り広げられた。中世のスコラ学派の予定説は,無条件の予定 と条件付きの排斥を組み合わせたものであった。例えばトマス・アクイナスは,予定は無条件な ものであるが,その第一原因的な摂理の内側で,人間の意志が第二原因として働くとした(17)。
宗教改革期においてルターの予定説は『ローマ書講解』と『奴隷意志論』において示された。
出発点は「恩寵のみによる義認」の思想であり,神の絶対的な予定が説かれた。救いの実現につ いて人間の自由意志が働く余地は全くない,とされた。しかしルター派教会でも16・17世紀に 繰り返し予定説論争が起こり,1580年『和解信条書』では人間の自由意志の役割を認める「神 人協力説」が採用された。これ以後ルター派においては,予定説は重要な教義ではなくなった。
「信仰のみ」「聖書のみ」「恩寵のみ」のルターの宗教改革原理を徹底しようとしたツヴィング リやカルヴァンを中心とする「改革派」(このグループの神学者にはエコランパディウス,ブ ツァー,ブリンガー,マーター,ザンキウス,ベーズ,ウルシヌスなどが含まれる)は,恩寵論 を中心に神学を展開した。聖餐論についてルターと袂を分かった彼らは(18),恩寵論において
「神の予定」を強調した。彼らによれば,救済は全く神の恩寵によるものであり,人間の努力に よるものではなく,人間がそれに値するからでもない。人間は全て罪深いものであるが,神はそ の中から自由に特定の人々を選んで,彼らを義とされた。それは,彼らが個人としても集団とし ても,地上で神の意志を行ない,神の栄光を現わすためである(19)。
イングランドの宗教改革は,1634年以後国王ヘンリー8世の主導の下で行なわれたが,次の エドワード6世の時代(1547〜53)には,改革派的な「恩寵の神学」がイングランド教会の中に 定着した。ラインラントの改革派神学者であるブツァーはケインブリッジ大学の欽定神学教授 に,同じくイタリア生まれの改革派神学者であるマーターはオクスフォード大学の神学教授に就 任したが,その他にも多くのラインラントの改革派神学者たちがイングランドに来て,イングラ ンド神学界をリードした(20)。改革派の神学は,救済予定,無償の再生と聖化を強調することに よって,人間の救済における神の恩寵の大きさを説いた。救済予定説は改革派の恩寵論の必須の 部分であり,「信仰のみによる義認」という基本的信条を補完するものとなった。この恩寵論を
否定するものはペラギウス主義的な「業
work
による義認」論者として批判された(21)。2)エリザベス期(1558〜1603)
改革派の「恩寵の神学」は,大体ジェイムズ1世の統治の終りまで,イングランドのプロテス タンティズムの支配的なパターンであり続けた(22)。改革派の中でのカルヴァンの権威が高まる と,改革派神学は「カルヴァン主義神学」と呼ばれることになる。タイアックは「カルヴァン主 義の予定説は……(イングランド教会の)重要な共通の前提であって,エリザベス期とジェイム ズ1世期のイングランド教会の聖職者の大多数と,実質上全ての臣従拒否者
nonconformist op- ponents
によって支持されていた(23)」と述べる。事実,予定説はイングランド教会の公文書の中に明記された。エリザベスは『三十九箇条』と も呼ばれる『宗教条項』を1563年に発表してイングランド教会の宗教改革路線を明確にしたが,
その第17条ではカルヴァン的な「予定と選び」の教説が説かれた(24)。1571年の主教法規に よって学校の教科書として採用された
A・ノウェルの手になる『教理問答』は予定説を前面に押
し出し,それを改革派的に恩寵や聖化と関連付けた(25)。J・カーフヒル,M・ハットン,G・バ ビントン,J・ウールトン,R・フーカー,A・ラッドといったイングランド教会の主教たちが改 革派的な予定説を教えた。彼らにとっては,聖性holiness
が我われの選びの目的であり,信仰 の生活と神聖さsanctity
が選びの証拠であり,選びの確証の源泉なのであった(26)。ウォリスによれば,エドワード期までに改革派神学は神学者の間では主流になったけれども,
民間にはまだ浸透していなかった。しかしエリザベスの長い統治期(1558〜1603)の間には改革 派神学は,ウォリスがスピリチュアル・ライターと呼ぶ(イングランド教会の内と外両方の)聖 職者たちの神学論文
treatises
や説教を通して,民衆に教え込まれていった。改革派の恩寵の神 学は「救済の順序ordo salutis」の枠組みを通して説かれ,発展していった。すなわち,人は神
の恩寵によって,選びelection→有効召命 effectual calling→義認 justification→聖化 sanctification
→栄化
glorification
という順序で救済の階梯を昇っていく。したがって,人は神の恩寵を信じ,「救済の順序」を正しく理解して,自分の現状を検討するべきだ,と彼らは教えたのである(27)。 スピリチュアル・ライターたちによれば,救済への選びは,人間の功徳とは関係なく(すなわ
ち無償で
freely)
,神の恩寵のみによって行なわれる。選ばれた人々は,聖霊の働きによって召し出されてキリストと一体になる。これは,回心
conversion
ないし新生new birth
と呼ばれる。有効召命が行なわれると,その次に信仰と義認が与えられる。信仰は神からの贈り物である。義 認とは,罪人である人間にキリストによって功徳が注入されることである。そして,神に選ば れ,召し出されて,信仰をもって義とされた人は聖化の道を歩む。しかし,選民の中にさえ罪は 残っているので,聖化の過程は罪を克服する闘争の過程である。聖化によってキリスト者は慰め と「救いの確証」を得,そして神の栄光を示すことができる。……以上のような「救済の順序」
思想が,スピリチュアル・ライターたちによって繰り返して説かれたのである(28)。
ところが1590年代になると,イングランド教会の中に,ケンダルのいわゆる「実験的予定説」
とこれに対する反動とみられる普遍恩寵説=普遍救済説が登場する。前者が
W・パーキンズと
その仲間や後継者の神学であり,後者はアルミニウスとアルミニウス主義者たちの神学であっ た。ケンダルがパーキンズらの予定説を「実験的予定説」と呼ぶのは,一つには彼ら自身が使った 形容によるのだが,もう一つには,経験を引き合いに出しながらも,予定の確証を,仮説を実験 によって検査する方法で行なうからである(29)。この方法は実践的三段論法
practical syllogism
と 呼ばれるが,それはローマ・カトリックのスコラ哲学の方法の応用であった(30)。したがって,「実験的予定説」をウォラスは「改革派スコラ主義」と形容する。この実践神学は,救済予定説 を神学体系の中心に置き,選びの絶対性,限定的贖罪論(キリストが贖われたのは選民の罪だ け),(選ばれない者の)遺棄
reprobation
への予定を強く主張した(31)。そしてパーキンズらは,回心体験によって再生した人は,実践的三段論法によって自らの救いを確かめることができる,
とした(32)。
カルヴァンの予定説とパーキンズらの「実験的予定説」はいかに大きく異なっていることだろ うか。カルヴァンによれば,人は神の選びの定めを知ることはできない。それを知ろうとするこ とは畏れ多いことである。人間にできることは,救い主イエス・キリストにすがり,神の恩寵に よる救いを期待することだけである。カルヴァンは選びの確証を得ようとする人間の努力を禁止 した。それは,人を絶望に導くだけだ(33)。しかし,パーキンズらは,救済に関する神の予定を,
人間の手の届く問題にしてしまったのである。
3)ジェイムズ1世の即位から長期議会の開会まで(1603〜1641)
「実験的予定説」ないし「改革派スコラ主義」は「選ばれた者」と「遺棄された者」とを厳し く峻別しながらも,「選ばれた者」は自分の「選び」を「聖化」の結果を通して知ることができ るとした。しかも,この実践神学においては,人間が神の恩寵を拒否することができないとされ る。つまり,「聖化」の「善き業」という果実は,その人が選ばれているから必然的に実るので ある。パーキンズの救済論を批判したオランダ人神学者アルミニウスは,この論理を逆転した。
アルミニウスによれば,キリストによる救いを信じる者が選ばれ,信じない者が遺棄される。た だし,誰が信じ,誰が信じないかを神は予め知っておられる,というのだから,これもまた「予 定説」である。アルミニウスのこのような考え方を,ケンダルは「実存的予定説」と名付けてい る(33)。
アルミニウスを支持する神学者たちと正統的改革派の神学者の論争が続く中で,両者の立場は 鮮明に分かれて行った。1610年には,アルミニウスの弟子たちがオランダの改革派に対して
『抗議文』を提出したが,ケンダルによれば,その要点は次の4つからなる。①神はイエス・キ リストを人類の贖い主として定め,キリストを信じる全ての人を救うと定められた。②キリスト
は全ての人のために死んだが,彼を信じる者だけが罪の赦しを受ける。③人間は神の聖霊によっ て生まれ変えられる。④人間は恩寵に抗うことができる。⑤救いの状態を維持する堅忍
perse-
verance
は,聖霊の恩寵の働きによって可能となるが,人はそれから墜落することもあり得る。この5項目からなる信仰は,アルミニウス自身のものとは異なっており,もはや「予定説」では ない。オランダの改革派は,この抗議を受けて1619年にドルトレヒトで改革派国際会議を開催 して,改革派の「ハイデルベルク信仰告白」を支持し,救済予定の絶対性,キリストの限定贖罪 説,神の恩寵の不可抗性,選民の堅忍など5つの基準を発表した(34)。そしてこれ以後,「救い」
を主に人間の意志や業
work
に帰する普遍救済説が一般に「アルミニウス主義」と呼ばれるよう になったのである。スコットランドで改革派神学の教育を受けたジェイムズ1世(在位1603〜1625)は,改革派 を支持してドルトレヒト宗教会議にイングランドから6名の神学者を派遣した(35)。しかしイン グランドではこれ以前からアントニオ・デ・カロ,W・バレット,P・バロウ,J・オーヴァオー ル,S・ハーンズネットらによってアルミニウス主義の普遍恩寵説が唱えられた(36)。そしてジェ イムズ1世統治期の間に,改革派との一進一退の攻防を繰り広げながら,イングランドのアルミ ニウス主義はケインブリッジ・オックスフォードの両大学と主教団の中で次第に地歩を固めて いった。その理由をウォラスは,彼らが王権の忠実な支持者であったので,ジェイムズの寵愛を 受けたことに求めている(37)。
次いで王位に就いたチャールズ1世は,カルヴィニズムの教育を全く受けていなかったので,
アルミニウス主義を偏愛した。チャールズ1世の下でロンドン主教,次いでカンタベリー大主 教,さらにはオックスフォード大学名誉総長となった
W・ロードは,イングランド教会と大学
の人事権を握り,神学,礼拝と教会行政において「アルミニウス主義的」教会刷新を強行した。彼の働きによって,アルミニウス主義がイングランド教会の正統派になり,改革派とアルミニウ ス主義派は攻守ところを変えることになった(38)。
ロードのアルミニウス主義は,オランダのそれと違って,秘跡と典礼を重視するという特徴を 持っていた。彼は恩寵を得る手段としてのサクラメントを重視し,各小教区教会にも蝋燭や十字 架の使用,教会の聖別や装飾,聖壇に代えて聖餐台
altar
と聖餐柵を使用することなどを義務付 けた。ウォラスによれば,この秘跡重視と救済予定説の拒否には神学的な関連がある。つまり,罪の赦しが神の神秘的予定によって決定しているならば,教会を通しての秘跡の執行には意味が 無くなるのである(39)。
しかしイングランド教会の聖職者たちの中には,ロード主義に違和感を持つカルヴァン主義者 たちが多数いた。彼らはカルヴァン主義神学を採用しつつ,イングランド国定教会とその秘跡と 典礼をも重視する「エリザベスの解決」の原則を保持した。バクスターは彼らを「監督教会穏健 派」と呼ぶ。また,ケンダルは彼らを「信条の予定説」主義者と呼ぶ。例えばアボット大主教,
アッシャー大主教,モートン主教,ダヴナント主教,カールトン主教,ホール主教などは,この
ようなカルヴァン主義者だったのである。しかし,ロード主義者は彼らをも「ピューリタン」と 呼ぶに至る。そして逆に,ロード主義者は「反アルミニウス陣営」から「ローマ教皇主義者
Pa-
pists」と揶揄されるに至り,両者の対立は抜き差しならないものとなっていった
(40)。4)内乱期(1642〜1660)
1640年に長期議会(国会)が開催されると,国会は大主教ロードの宗教・教会政策を弾劾し,
ロード自身がアルミニウス主義の大義のために殉教した。また,内乱を経て,国王チャールズも 殉教した。国会はロード主義の教会体制を廃止し,1643年にウェストミンスター神学者会議を 招集した。同会議はカルヴァン主義長老制の国家教会の建設を答申し,1646年に「信仰告白」
を完成した。「ウェストミンスター信仰告白」は,「選び」と「遺棄」,そして限定贖罪を簡潔に 宣言した。「予定」に関する全ての要点をスコラ主義的に神の聖定のコンテクストの中で定式化 し,どの部分においても,贖罪における神の恩寵を称揚する(41)。これは基本的にはパーキンズ の予定説を踏襲する立場であるが,堕罪前予定説と一時的信仰説を明言しないという点から見れ ば,パーキンズよりは穏和な予定説であった(42)。
しかし,ロード体制が打倒されるとすぐに,国教忌避分離派の中に左派アルミニウス主義が出 現した。それは普遍恩寵浸礼派
General Baptists
やジョン・グッドウィンのような神学者たちで あり,その信仰は普遍贖罪説と聖霊主義と終末思想を特徴としていた(43)。1640,50年代において,神学者たちはキリスト者の救いにおける神の恩寵と救済予定の役割 について,激しい論争を繰り広げた。その過程で論争は次第に三つ巴の戦いという様相を呈して きた。第1のグループは,イングランド教会のアルミニウス主義者たちであって,彼らは救済に ついての人間の意志の自由を強調する「道徳主義者
moralists」であった。第2のグループは,
贖罪における恩寵の重要性を強調する高度カルヴィニズム
High-Calvinists
であり,その代表者 は独立派(会衆派)のJ・オウエンやトマス・グッドウィンであった。第3のグループは,改革
派の恩寵の神学の核心を維持しながら,新しい知的潮流に対応して,それを穏和化した神学者た ちであり,その代表者は長老派のR・バクスターであった。このような三つ巴の戦線が形成され
るうえで触媒となって働いたのが,律法無用論Antinomianism
である(44)。ケンダルは律法無用 論者の救済予定説を「経験的予定説experiential predestination」と名付けている
(45)。律法無用論は,救いにおける恩寵の役割の大きさを極限にまでに強調する立場であり,救いに とって「自然的なもの」が全く役立たないとする。イングランドの律法無用論の父と呼ばれる
J・イートンによれば,義認は神の恩寵のみによってもたらされる。救いの確証を「聖化」に求
めるのは,律法と恩寵を混同するものである。救いの確証は,キリスト者のいかなる業work
と も関係なく,彼の中に「キリストの義」が注入された,と信じる信仰から得られる。神は,選民 の中に欠点を見ず,キリストの義だけを見る,と言う(46)。彼らは,聖霊の働きによって「救い」を体験したことから,そのように主張したのである。
しかしさらに,イートン,W・エア,J・ソルトマーシュ,そして
T・クリスプらの律法無用
論者は,選民は実際に信仰を持つ以前に義認に予定されている,と論じた。これは,正統的改革 派の予定説とは非常に異なる考え方である。正統的改革派の予定説では,救済予定は,選び→有 効召命と実際の信仰→聖化→義認という「救いの順序」の中で,罪との戦いの中で実現されてい く。律法無用論者は,実際に信仰を得て再生する以前に義認が行なわれると論じたが,これを批 判者たちは,彼らが「無法な」行動に走ることの口実とみなした。また,アルミニウス主義者たちは,律法無用論がカルヴァン主義と予定論の帰結を示すもので あるとして,これをカルヴァン主義批判のために利用した(47)。彼らは,宗教におけるあらゆる 熱狂主義に反対し,特別な恩寵と啓示の主張に反対した。その中から,J・テイラー,H・ハモ ンド,H・ソーンダイクら,アリソンのいわゆる「道徳主義」の神学者たちが出現した。彼らは 福音の律法無用論的解釈を徹底的に排除するために,逆に救いのために人間の側が「清らかな生 活」を実践する努力を最大限に強調した。人間は全て罪びとであるが,罪びとが神の赦しを期待 するためには,罪の習慣を克服し,徳を身につけなければならない,とテイラーは言う。彼が大 衆の修養のために著した『清らかな生』と『清らかな死』の趣旨は,これである(48)。その結果,
彼らは恩寵論の予定説的な定式化を拒否したばかりでなく,「信仰による義認」というプロテス タントの基本的な教えをも明快に拒否した(49)。したがって,彼らはあらゆる方面から「ペラギ ウス主義者」であるとの非難を浴びた(50)。
他方「高度カルヴァン主義者」たちは,改革派の立場をさらに先鋭化して神の恩寵,キリスト の十字架刑による罪の贖い,「キリストの義」の選民への注入を強調した。彼らは「道徳主義者」
がキリストを単に道徳の鑑としか見ていない,と批判した。彼らは,教会論において真に再生し た信仰者のみから教会を形成する「会衆主義」の支持者であり,彼らが1658年に発表した「サ ヴォイ信仰告白」は「ウェストミンスター信仰告白」を会衆派的に修正したものであった。「高 度カルヴァン主義者」の指導者は
J・オウエン,H・ピーター,T・グッドウィン,G・ケンダル
などの聖職者であった。彼らは,選民の罪を贖うためのキリストの受難の意義を強調することに よって神の恩寵を称揚した。オウエンによれば,選民の義認はキリストの義の吹き込みimputa- tion
に由来し,これによって与えられる聖霊(神の息吹)が選民を再生させ,聖化に導く。この 聖化の帰結である聖性holiness
は,単なる徳性や外面的な正直さや生活の礼節なのではなく,魂の内的な再生である。それによって選民は,神の意志を遵守し,あらゆる義務を果たし,罪の 誘惑を避け,信仰と愛に生き,生活の全てが神の栄光のためになるよう努めるのである(51)。
第3に,キリストの無償の贖いの絶対的重要性を説く改革派神学者のうち,律法無用論の危険 性を克服しようとした人びとは「穏和化されたカルヴァン主義」を展開した。その先駆はフラン ス人神学者
M・アミローであり,その支持者はアミロー主義者と綽名された。その中には長老
派とインクランド教会聖職者の両方が含まれる。すなわち長老主義者のT・ガタカー,R・バク
スター,H・ヒックマン,E・カラミー,J・ハウといった神学者,そしてイングランド教会のJ・ホール主教,J・ダヴナント主教,アッシャー大主教が含まれる。彼らは,キリストの死は選
民に対してだけ有効だが,遺棄された者に対しても条件付きで有効だとした。またT・ガタカー
は,義認のために要求されるのは信仰のみであるが,「救いに向かう」ためには善き業work
と 聖なる生活が要求される,とした。またバクスターは,キリストを信じるより前に人が選びに定 められるはずはない,と信じていた。ヒックマンは,「普遍的な聖定」と「特殊的な聖定」の区 別を設け,キリストの贖罪は少なくとも条件付きで普遍的だ,と主張した。彼らの主張の一部は 時に危険なほどにアルミニウス主義に近づいたが,彼らは改革派神学の基本を踏み外すことはな かった(52)。5)王政復古から信教自由法まで(1660〜1689)
1640年代のイングランドの内乱は,反ロード主義の宗教戦争という性質を持っていた。前述 のように,庶民院議会はロード主義のイングランド教会を廃止して,長老制の国民教会の樹立を 図ったが,議会内部での宗教的対立や,軍隊による妨害,抵抗勢力のサボタージュなどによっ て,これは実現しなかった。1650年代になると,律法無用論者やアルミニウス主義の諸セクト が勢力を伸ばして,宗教界は無政府状態となった。1649年に成立した共和国は政治・経済にお いても不安定であった。
したがって,1660年に王政が復古して,貴族,地主,大商人といった社会の支配層が権力を 握ると,彼らは何よりも政治と宗教の安定を求めた。その結果,イングランド教会が再建され,
全ての聖職者が国王と国教会への臣従を宣誓するよう強要された。これを拒否するものは「臣従
拒否者
Nonconformists」として厳しく弾圧・迫害された。したがって王政復古期のイングラン
ド教会では,秘跡主義的で祭礼主義的なロード主義が復活されただけではなく,教会諸問題の処 理における国家の支配権を主張する「エラスタス主義」が強く押し出されたのである。
世界観においては,17世紀後半は機械論的自然哲学が興隆し,最先端の知識人の関心は「神 の恩寵」から「自然の哲学」に移行した。この時代は「科学革命」の時代なのである。逆の面か らみると,ウォラスが言うように「王政復古期は聖職者の世界が死にゆく時代」であった。この ような大状況の中で,内戦期に始まった「三つ巴の戦い」が続けられた。大まかに言えば,イン グランド教会聖職者はアルミニウス主義の立場に立って救済予定説を拒絶した。会衆派と特殊恩
寵浸礼派
Particular Baptists(その代表者は J・バニヤンである)は「高度カルヴィニズム」に固
執した。そして,長老派はその中道
middle way
を選んだ(53)。王政復古期のイングランド教会聖職者たちの中では,次のような極端な意見を表明する者もい
た。まず
E・ファウラーは,キリストがこの世に来られた目的は道徳の刷新である,とした。
S・パーカーは,全ての人は宗教において政府に服従するべきであり,国教忌避者は反政府的陰
謀の扇動者だ,と述べた。W・シャーロックは「キリストに一致する」とはキリストの教会のメ ンバーになることを意味するのだが,国教忌避者は人間としてのキリストに献身的な愛を捧げようとしている,と非難した。イングランド教会のこれらの論客はキリスト教を,道徳的な教えに 宗教的な承認を与えたもの,という程度に考えていた(54)。ここには救済予定説どころか,「原 罪」「キリストの無償の恩寵」「再生と義認」といったキリスト教の基本的な信条さえもが欠落し ている。ウォリスによれば「イングランド教会はますます反カルヴィニズムで固められていき,
その聖職者の間では合理的宗教が支配的になっていった。彼らにとってカルヴィニズムは愚かな 狂信に見えたのである(55)」。
「高度カルヴィニズム」の救済予定説を信じる会衆派と特殊恩寵浸礼派は,王政復古期におい て国定教会に包摂されることを拒否し,迫害を受けながら「信仰者のみからなる教会
believers’
church」を守り抜いた。ウォラスによれば,彼らが著した信仰書に繰り返し現れるテーマは,
聖霊の働きによって選民がキリストと一体となり,その魂が再生する,という事実である。これ によって,はるか昔の神の聖定が,特定の時期と場所のキリスト者共同体の中で,個々の信者の 温かく情緒的な信心となって実現するのである(56)。他方,バクスターを代表者とする長老派は,
改革派神学の立場を維持しながらも,律法無用論を恐れて「善き業」の重要性を説いた。彼らは
「選び」について語ったが,二重予定,遺棄への定め,救済の順序といった救済予定説のテーマ については口をつぐんだ(57)。
6)小括
以上,我われは16・17世紀イングランドにおける予定説の盛衰の歴史を概観した。ここから 導き出される論点は多々あろうが,以下の本論の展開のために,さしあたって「予定説の多様 性」と「予定説が恩寵の教えである」という2点を確認しておきたい。
「予定説」の根拠は聖書の文言の中にあるのだから,「予定説」を否定するキリスト教の宗派は 無い。全ての宗派の予定説の共通の要素は「神は永遠の昔から,ある人々を永遠の命に予定され た」というものである。しかし,それをどのように解釈するか,あるいは「予定説」について更 にどのような要素を付け加えるか,といった事柄については様々な考え方があり得た。例えばケ ンダルは,ベーズやパーキンズの「実験的予定説」のみならず,エリザベス期イングランド教会 の聖職者の「信条の予定説」,アルミニウスの「実存的予定説」,律法無用主義の「経験的予定 説」の存在を指摘したが,それらはいずれもカルヴァンの予定説とは異なるものであった。ま た,「ウェストミンスター信仰告白」や独立派の「高度カルヴィニズム」の予定説は「実験的予 定説」に近いものであり,バクスターの予定説はアルミニウス主義に近いものであった。した がって,ウェストミンスター信仰告白の「予定説」とバクスターの職業に関する決疑論を因果的 に結び付けるヴェーバーの方法は適切とは言えないのである。
第2に,ヴェーバーは予定説が信者の心に孤立感を与え,彼らを不安と恐怖に陥れた,という が,「予定説」は本来,信者にとって喜ばしい「恩寵」の教えなのである。キリスト教は,自然 な人間が全て「罪びと」である,と教える。性欲,食欲,金銭欲,名誉欲,権力欲を満たすため
にあがき,利己的に振る舞って邪魔者を排除しようとする救い難い存在である。予定説は,この ように罪に穢れ,滅びに定められた人間の中から,神がある特定の人々を選んで無償で救おうと し,キリストの十字架刑によってその罪を赦された,と教える。それは,この人々の功徳や「善 き業」に報いるためではない。神は,全く自由な選択によって,これらの人々を「救い」に定め られた。聖アウグスティヌスやカルヴァンは,したがって,「予定」を「恩寵」として捉えた。
カルヴァンは,「召し出し」が「選び」の証拠だと言い,「神の永遠の選び」の中に「最も甘味な 実り」が差し出されている,という。したがって「召し出された」と自覚する人々,つまり「キ リストによる救いを信じる人々」にとって大切なことは,自らの選びについての不安を抱かない で神を信頼し,キリストに向かい,「キリストの教会」に連なって生きて行くことである。逆に
「予定」への不安や恐怖を抱くことは,カルヴァンによれば,悪魔のささやきに耳を傾けること であり,それはすでに信仰の危機を意味している(58)。
したがって,「恵みの教え」であるカルヴァンの予定説の本来の意味から考えると,予定説は 信者を不安と恐怖に陥れるものではない。むしろ,人間の「善き業」を神の恩寵の前提とする
「ペラギウス主義」の方が,信徒を強迫観念に陥れる。「ペラギウス主義」は信者に禁欲的な善行 と清貧の生活を強く勧めるが,その実践は一般の信徒にとっては困難であり,彼らにとってスト レスとなる。人間の側の努力を重視するこのような教えは,人を「完全」に向けて追い立てる が,それは宗教的達人にしか成しえないことだからである(59)。
しかし,すでに見たように,カルヴァンの次の世代には「救済予定説」はカルヴァンが説いた 内容とは異なったものとして説かれるようになっていた。特に「実験的予定説」は,その「救い の確証」についての理論ゆえに,信者を不安と恐怖に陥れるものであった可能性がある。そこで 次章では,ヴェーバー『倫理』テーゼを検証するために,最も厳格な「実験的予定説」を説いた ウィリアム・パーキンズの予定説と,その決疑論および職業論を検討してみよう。
第二章 パーキンズにおける救済予定説と職業倫理
ウィリアム・パーキンズは1558年にウォリックシャーに生まれ,長じてケインブリッジ大学 クライスト・カレッジに給費生として入学し,在学中に突然の回心を体験し,神学研究に勤しん で学士号と修士号を取得した。1584年から1595年までクライスト・カレッジの特別研究員
fel- low
として研究に勤しみ,1595年に結婚。以後1602年に亡くなるまでケインブリッジのグレイ ト・スント・アンドリューズ教会の講師を務めた(60)。エリザベス女王は1558年に即位し1603 年に死去したので,パーキンズの生涯はほとんどエリザベス女王の治世と一致する。それはイン グランドがヨーロッパの辺境の弱小国家から強力な絶対主義国家に変貌する時期であった(61)。パーキンズは説教師として優れていた。また多くの神学論文
treatises
を著したが,それらは いずれも多くの読者を得て,17世紀末まで広く読まれた(62)。パーキンズの諸著作は,救済論を 中心とするものであり,イングランド教会の教会組織や典礼や教会法廷に言及したものは全くなかった。彼はしばしばピューリタン神学者といわれるが,彼はむしろイングランド教会の主流に 属していたのである(63)。一般的に受け入れられているピューリタンの定義に従うならば(64), パーキンズはピューリタンではない。彼の著作は多数あるが,以下では『黄金の鎖』によってそ の予定説を(65),『良心問題集成』によってその経済倫理を,最後に『召命論』によってその職業 論を検討していきたい。
1)パーキンズの予定説
パーキンズの『黄金の鎖』は二重予定説を主題としている。それは本書の最初に掲げられた異 様な一枚の図によって明らかになる。これは,「救済と遺棄
reprobation
の諸原因の順序を宣言す る図」と呼ばれ,字が読めない人に説明するための手段として書かれた(66)。[図1]がそれであ るが,その中央には三位一体から天地の創造,アダムの創造とその堕罪,キリストの降誕,キリ ストの福音と贖罪,その昇天から再臨,そして最後の審判にいたる救済史の流れが一つの鎖とし て描かれている。注目するべきは,選びと遺棄の聖定decree
が天地創造以前に置かれているこ とである。すなわち,パーキンズの予定説は「堕罪前予定説」である。中央の救済史の「黄金の 鎖」の横には4つの鎖が縦に並んでいる。一番左の鎖①は,救済に予定されているにもかかわら ず,自分の選びを疑う人々の鎖である。この人たちは,いずれかの段階で選民たちに合流する。救済史の「黄金の鎖」右側の一番離れたところには召命を受けることのない遺棄された人々の鎖
④がある。彼らは罪にどっぷりと浸かり,最後の審判において神に呪われて,地獄で永遠の苦し みを受ける。その左隣には,救済に予定されていないにもかかわらず,神の召命を受ける人々の 鎖③がある。その召命は無効召命なのであり,彼らは一時的に信仰を持ち,その中には聖化の一 定の結果を示す者さえいるにもかかわらず,いずれかの段階で信仰を失って,罪に浸り,最初か ら召命を受けていない人たちと同じ運命にあう(67)。
4番目の鎖は左から2つ目の,救済に予定されている選民たちの鎖②である。『黄金の鎖』は,
このような救済と遺棄の歴史を様々な聖書の字句で裏付けながら詳細に説明したものである。
パーキンズによれば,予定の聖定を執行する外的な手段は契約
covenant
である。契約には業works
の契約と恩寵grace
の契約があり,十戒は業の契約を要約したものである(68)。恩寵の契約は新約の福音によって具体的に示される。福音は神の言葉であり,人類がイエス・キリストの 血によって完全に贖われる,というメッセージを含む。今や,悔い改めてイエス・キリストを信 じる全ての者はその全ての罪を赦され,彼らに救いと永遠の命が用意されている(69)。福音は説 教によって人々に伝えられ,また,それを補完するものとして,サクラメントがある。サクラメ ントはキリストとその救いの恵みを,外的な祭儀によってクリスチャンに表わし,明示し,封じ 込めるものである(70)。
救いに定められた人々は,有効召命,義認,聖化という段階をへて栄化に至る。第1段階は有 効召命である。神は罪びとを俗世から切り離して,神の家族,つまり教会に招き入れられる。こ
[図1]
① ②
③ ④
こから「キリストとの一致
union」が始まり,選ばれた人はキリストに結ばれて成長する。キリ
ストとの一致の絆bond
は,神の聖霊によって作られる(71)。神は有効召命を3つの手段で執行さ れる。第1に,神の言葉の宣教によって,第2に,人間の石のように頑固な心を打ち砕いて,柔 らかくするmollify
することによって,第3に,聖霊の働きによって信仰を与えることによっ て(72)。第2段階は義認
justification
である。父なる神に対する子なるキリストの従順を通して,選民 は義とされる。人は自分の功徳ではなく,キリストの功徳によって義とされるのである(73)。第3段階は聖化
sanctification
である。聖化とは,心と記憶と良心の聖性を獲得していくこと であり,それは俗世の克服を意味する。聖化には罪の克服と聖性の醸成という二つの部分があ り,キリストへの信仰を持つ者は,罪の専制から救い出されて,少しずつ聖性と義の中に生まれ 変えられていく(74)。これは漸進的な過程であり,悪魔の誘惑との霊的な戦いの過程である。悪 魔は波状的に誘惑の攻撃を仕掛けてくる。最初の攻撃は召命に向けられる。悪魔は選ばれた人た ちの頭を鈍らせ,心を頑なにさせようとする。2番目の攻撃は信仰に向けられる。3番目の攻撃 は聖化に向けられる。悪魔の誘惑者は選ばれた人たちに,罪を犯させようとする。例えば,悪魔 がキリストを荒野で誘惑したように,富と名誉への欲望を抱かせようとする(75)。クリスチャン は,信仰,神の言葉と絶えざる祈りでもって誘惑と戦い,言葉と行いで信仰を宣言しなければな らない。また,善き模範,奨励,慰め,訓告でもってキリストの民を教化edify
し,金持ちのク リスチャンは貧乏で敬虔なクリスチャンを経済的に救済しなければならない(76)。選民の救済の第4段階は栄化
glorification
である。栄化とは,聖徒が神の子の似姿image
に完 全に変わるtransform
ことである。栄化の始まりは死であるが,栄化は最後の審判までは完遂さ れない(77)。では,選びの確証はどのように得られるのだろうか。まず,選ばれた人だけが,永遠の命への 選びを確信することができる。彼らは選びの最初の原因からではなく,その最後の結果から自分 の選びについての知識を得る。その結果とは,「聖霊の証し」と「聖化の業」である。神の「聖 霊の証し」が弱いならば,聖化の結果から選びを判断しても良い。聖化の効果としては,①罪に よって神に背いたことへの深い悔悛,②肉の不敬な衝動への強い抵抗,③神の恩寵への強い欲 求,④神の恩寵を大事にすること,⑤聖職者を愛すること,⑥神を熱心に呼び求めること,⑦キ リストの再臨と最後の審判を待ち望むこと,⑧罪の機会から逃れて,新しく生きるよう努力する こと,⑨死の間際までこれらのことをやり遂げること,が列挙される。これらを絶え間なく行 なっていることが,救いの確証になるのである(78)。
パーキンズはそれらを完遂できない人々への慰めの言葉を忘れない。また,誰も自分自身や他 の人が遺棄されていると決めつけてはならない,という。けれども,パーキンズの予定論は厳し い。特に,選びの確証の条件は大変厳しい。それらを完遂できない人は,自分の信仰が「一時的 信仰」にすぎず,自分の召命が「無効召命」なのではないか,と不安に駆られるであろう。最初
に述べたように,マックス・ヴェーバーは,予定説から生じる不安を解消するために,ピューリ タン牧師たちが信徒たちに「世俗内禁欲労働」を勧めたと論じた。けれども,パーキンズの予定 説の中には,世俗内禁欲労働の勧めは全く出現しない。上述のように,救いの確証の手段は,
パーキンズの場合には徹底的に彼岸的=世俗外的である。この点を確認するために,次にパーキ ンズの決疑論を検討しよう。
2)パーキンズの決疑論
決疑論
casuistry
は中世のカトリック教会で発展した実践神学である。カトリック教会では「ゆるしの秘跡」を認めている。これは人間の回心の行為と,教会を仲介とする神の行為とから なる。前者は,信者が自らの罪を痛悔して神に告白し,償いを行なうことであり,後者は,聴罪 者である聖職者が告白を聴いて,適切な訓戒を与えてから償いを課すことである(79)。カトリッ クの決疑論は,聴罪聖職者が良心の咎に関して信者を柔軟かつ適切に指導できるように,広い範 囲の問題に適合するような法則を例解するためのものであった。プロテスタントは「ゆるしの秘 跡」を認めないけれども,その「信仰のみ」の教え,とりわけ予定説の教えは,律法無用論の出 現からもわかるとおり,信者の道徳的な問題に空白を生じさせるものであった。したがってプロ テスタントにとっても,宗教改革原理を補完する道徳論の体系が必要になったのである(80)。
イングランド教会で,この要請に答えるために聖トマス・アクイナスの決疑論を参考にして最 初に決疑論を体系化したのがウィリアム・パーキンズであった。彼は幾つかの決疑論の神学論文
treatise
を著しているが,それらの中で最も包括的なものが1606年に死後出版された3巻からなる『良心問題集成』である(81)。その第1巻は,罪の性質を分析するものである。第2巻は神と の関係で生じる良心の問題を扱い,宣誓
oath,洗礼,主の聖餐,宗教的断食,安息日厳守と
いった問題が取り上げられる。第3巻は,家族,教会,コモンウェルスの中で徳を実践するべき ことを説くものである。我われの問題意識から最初に取り上げるべきは,「人は良心において,自らの救いを如何にし て確証できるか」と題された第1巻第6章である。「救いの確証」を論じる前提としてパーキン ズは,選び,召命,義認,聖化,栄化が人の救いにおいて切り離せないものであるから,これら のうちの一つが確認できれば,その他の全てが保証される,という(82)。人の救いは「神の聖霊」
と「我々の良心」が証する。つまり,「信仰によってキリストと結ばれる人」「キリストにおいて 神と交わっている人」「神の愛を確認する人」「清い心で主を呼び求め,正義と信仰と愛と平和を 追い求める人」は救いを確証できる(83)。
聖霊の証しが無く,聖化が不確かな場合にはどうすればよいか。その時には最初に戻って,聖 化の働きを求めなければならない。つまり,自分の罪を心底から憎む→悔い改める→罪を犯す契 機を避ける→罪深いことを望まないようにする→神の恩寵を切望して祈る,という一連のアク ションを起こすのである。そうすれば,神の聖霊が働き,聖化の過程が始まる。人は自分の救い
について絶望してはならない。良い手段をとるならば,そのうちに必ず救いを確認できる,と パーキンズは慰める(84)。そして救いの手ごたえを得た人に対してパーキンズは「ペトロの第2 の手紙」1章10節を与える。すなわち「だから兄弟たち,召されていること,選ばれているこ とを確かなものにするように,いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば,決して罪には 陥りません」と。ここで推奨される「これらのこと」とは同章の5節から7節までの内容であ る。つまり「力を尽くして信仰には徳を,徳には知識を,知識には自制を,自制には忍耐を,忍 耐には信心を,信心には兄弟愛(フィリア)を,兄弟愛には愛(アガペー)を加えなさい」とい うのである。
以上が「救いの確証」についてパーキンズが語る全てである。この中には,マックス・ヴェー バーが想定したような確証の手段は一切現われない。つまり,救いの確証を得るために世俗の職 業に打ち込んで,そこに成果が現れた場合にこれを「救いの確証」とみるという倒錯した論理 は,全く語られないのである。
次に我われは『良心問題集成』の第3巻を検討しよう。ここでの主題は,我われが神の聖霊の 賜物である徳
virtue
を,家族や教会やコモンウェルスの中でいかに実践するべきか,を考察する ものである。パーキンズによれば,徳には次のような種類がある。慎重prudence,寛容 clem-
ency(すなわち,復讐心の抑制)
,節制temperance(すなわち,欲望の抑制)
,気前良さliberal-
ity,公平 equity,正義 justice,不屈の精神 fortitude
である(85)。第3巻第2章の「慎重に関する諸問題」においては,経済・経営に関する慎重の勧めは全く語 られない。むしろ,策略
policy
を使うことが許される条件について細かい議論が行なわれてい ることが,目を引く(86)。経済倫理について詳しく検討されるのは,第4章「自制に関する諸問 題」においてである。富の所有についてのパーキンズの議論は,非常に柔軟である。富と財には 必要な物と過剰なものがあるが,両者を区別する基準はそれぞれの人の立場によって異なる。富 自体は悪いものではない。悪い目的に富を使い,貪欲に富を獲得しようとすることが悪なのだ。富の主人は神なので,金持ちは神の執事として,神の意志に沿って富を使わなければならな い(87)。リクリエーションやスポーツは体と頭のリフレッシュにとって必要なので,クリスチャ ンにとって合法的である。弓道,射撃,競走,レスリング,音楽は楽しんで良い。しかし,これ らを宗教行事に利用してはいけない。また,人を罪に誘うダンスや演劇,熊いじめや闘鶏のよう に悪意のある快楽,サイコロやトランプを使った賭け事は良くない,とパーキンズは言う(88)。
第5章「気前良さに関する諸問題」ではまた,貧困な人に対する救済
relief
の問題が扱われ る。パーキンズによれば,貧しさ自体に徳はない。また,乞食行為begging
は罪である。働く ことのできる貧民は救済されるべきではない。虚弱で働くことのできない貧民は自宅において救 済されるべきであり,私的に,あるいは教会を通して救済されるべきである。施しは罪の償いを 免除する手段とはならないが,神の恩寵の徴となる。また,施しは財を再配分する手段となり,貪欲の罪に対する卓越した対抗手段となる(89)。