企業倫理学 と企業の経済学
論 説
企業倫理学 と企業の経済学
田 島 ′ 慶 吾
問題の所在―企業倫理学の問題設定 とは何か―
Business Ethics(経 営倫理学,または,企業倫理学,以下では企業倫理学 と訳す)は 1970年 代 の成立か ら既に30年以上の歴史を もち,一つの確固たる学問領域 として認知 される段階にまでき た。 しか しなが ら,その30有余年の形成史 において,等閑視す ることので きない問題が明 らかに なってきたように思われる。方法論の問題である。企業倫理学 はもともと倫理学 と経営学,経済学 を中心 とす る社会科学の二つの学問分野の学際的研究 として成立 したが,倫理学が企業倫理学の形 成史において指導的役割を果た して きたことは否定できない。倫理学 という規範的性格の強い学問 と経営学,経済学 という実証的性格の強い学問の二つの学問分野が「融合」 して こそ,企業倫理学 とい う新 しい学問の意味があるのだが,この「規範的」 と「実証的」の二つの形容詞を「融合」 さ せることは最近の議論を顧みるまで もな く困難な課題であることは明 らかである①。
確かに,社会科学 の立場か ら見れば,「従来の」企業倫理学 は或 る意味では「企業」倫理学では ない。本論では企業倫理学における「 規範」対「実証」の議論に立ち入ることはできないが,企業 倫理学が「 企業」倫理学ではない,という言葉の意味は,従来の企業倫理学があまりに規範的に過 ぎるか らではない。つまり,小論が問題 とするのは,規範的対実証的企業倫理学の対立を前提 した,
従来の企業倫理学に対す る批判ではな く, これまで倫理学.(者)が主導 してきた企業倫理学の方法 論 に関するものである。
我々が考える企業倫理学 とは,企業 という制度が,それに関わる人間を して,非倫理的,反倫理 的な行為 に駆 り立てる制度的誘因を第一 に分析 し②,第二に, この分析に基づいて,プロ倫理的な 行動を導 くような制度設計を論 じるべ きものである。 このように考える時,これまでの多 くの企業 倫理学の方法論一倫理原則の企業行動への適用一 は誤 っているように思われ る。
―‑29‑―
第―節 企業倫理学の方法論一倫理学の適用問題―
第一項
企業倫理学と倫理学
企業倫理学の通常のテキス トの編男1によれば,最初 に,倫理学 (Ethics)が論 じられる。企業 倫理学 における「倫理学」 とは
,.「
遣徳的行為の諸原理,` また直 ´諸規則」③であり, この意味で,
倫理学 とは「正 しい行為の本質」,つまり,正しい行為の正 しさとは何か
?
及び,正しい行為 は いかなる意味で正 しいとされるか,を体系的に考察する学問 とされる。 しか しまた,企業倫理学に おける倫理学 とは倫理学一般ではな く,道徳哲学 (Moral Philosophy)と呼ぶべ きものであろう。道徳哲学 とは,「価値 と規範,正と不正,善と悪 との観念,為されるべ きことと為 されるべ きでな いこと,についての哲学的考察であり……個人的な関係において も,組織的社会 において も見いだ される規範的観念 (すなわち,価値の観念や何が為 されるべ きか という観念)についての検討を含 む」④とされる。
1
f従って,企業倫理学の倫理学 としての対象 は,人間の行為,または,行為の選択 にかか る「正 し さ」 とは何かである。核心 は,正しい (right)行為 と正 しくない (wrong)行為,良い (good) 行為 と悪い (bad)行為 とは何であるか,である。ある行為 (選択)は ,その行為を行 うことが正
しい」良いか ら行われ,ある行為がなされないのは,その行為を行 うことが正 しくない,悪いか ら 行 われない。「道徳的行為 の原理 または規則……正 しい (right)と 悪 い (band)‐ を定義す る社会 的実践(は)……特定の個人によって これ らの基準を受容 (或いは拒絶)される以前に存在する。従 っ て,道徳性 は個人的政策,または,コー ドではない」⑤
o i
行為 は,行為の動機,行為の経過,行為の帰結か ら構成 されるざ道徳哲学における中心問題は,
人間の利己心
(Self―
Interest)で ある。利己心 とはここで は,自分の欲望 を満足 させる (少なくと もぅr満足 させることを意図 した)あらゆる行為の内的動機 としよう。
.企業倫理学の中心問題 もまた「利己心」,或いは,肝J己心 に基づ く行為」 と「正 しい行為」の関 係 にあるも「「我々が倫理の領域 に入 るのは,,まさ しく,利己心 と私の他人 に対する義務 とが衝突す る場所である」
Q。
利 己心 に基づかない行為が存在す るか?
という問題 は重大な問題である。 こ の議論 は経済学においては複雑な展開を見せているが, この両者の関係については,あ らゆる行為 は結局のところ利己心 に基づ く(「啓蒙 された利己心」)とするか,行為の動機が利己心であれ,義務であれ;不J他心であれ,合理的な行為 は関知 しないとすることによって,両者の対立を無化する か,或いは,利己心 には還元できない,固有の倫理的領域 (或いは5道徳性の諸規則)の存在を認 めるか,の二つに大別 されよう。
,
企業倫理学では,利己心 に基づ く行為 (場合 によってはこれは「慎慮」 と呼ばれる)と倫理的な 行為 との区別,「慎慮 (利己心)の諸規則 と道徳的諸規則 とを区別すること」のが最初のステップで
企業倫理学と企業の経済学
ある。 ここでは,利己心に由来する行為 と利己心 に基づかない,「正 しい行為」(これは例えば,義
務 に基づ く行為,普遍的な道徳性 に基づ く行為,利他的な行為,等)の二つが存在することが前提 とされている。つまり,企業倫理学 は倫理学 として,利己心 に還元できない,「正 しい行為」を研 究の対象 としているのであ:る。
第二項
利己主義とその克服
行為の動機 は利己心であるとする立場 は,‐ 一般 に,利己主義 (Egoism)と される。 ある行為の 正 しさも,行為の動機,行為の経過:行為の帰結か ら考察 される。行為の正 しさを行為の動機 とし ての利己心 に求めれば;第一 に,心理学的利己主義 (記述的)と倫理的利己主義 (規範的)が,第
二に,義務に求めれば義務論
(カ
ント義務論)が要請 される。義務論の代表的な論者 は,Norman
E.Bowie(1999)0で ある。企業倫理学で援用 され る倫理学説で最 も好 まれ る説 はカ ン ト倫理学で あるので,BOwieの説を取 り上 げよう。
Bowieは ,カ ン ト倫理学か らPrinciples of a Moral Firmを 導出 し,「道徳的企業」「道徳的企 業経営」を提唱 した
0。
Bowieの主張す る,「道徳的企業」「 カ ン ト主義的企業」 は,カ ン ト倫理学 原理の企業 (ステークホルダー論 に基づ く)への適用 (Principles of a MOral Firm)で あると される。 この適用により,企業 は,ある行為が「利益 になる」 との観点においてではな く,それが「正 しい」 という義務か ら行為すべ きであるとされる。 そ して この「 カ ント主義的企業」 は経営学 理論によって経験性が保障 され,更にまた,経済学理論 (エージェンシァ理論 (モニタリングコス
トの減少),取引費用論 (取引費用を減少 させるものとしての「信頼」))によって競争的優位 (「費 用」の節約)を担保 され,かつ,道徳的なもの (信頼,協調行動)と して構想 されている。つまり,
Bowieは「 正 しいとい う義務の感覚」(義務論)から企業行動 はなされるべ きであるとし.たのであ る (しか しなが ら,Bowieが部分的に依拠 した経済学理論 は,「利益 にな る」「 効率的になる」 と の観点で分析がなされている)。 倫理学の企業倫理学へ の適用 という方法論 はこの場合 にはっきり
と現れている。
第二項
「 適用」問題
この方法論 とは,Bowieに限 らず一般的である。 つまり, 目的論,義務論,功利主義,徳論 と いった倫理学原則が企業行動に「適用 される (apply)」。
「企業倫理学 とは,複雑な道徳的 ジレンマを吟味 し,解決す るために,倫理的諸原理を適用する技 術 と訓練 (art and discipline)で ある」(1の
‑31‑
企業に適応された上記の意味での倫理学が企業倫理学 と定義される。従 って,企業倫理学 とは企業 の行為 (行為の選択)に おける倫理学である。この「適用」を可能 とするのが,「モラル主体 としての企業 (Corporation as a Moral Agent)」 の概念である。企業倫理学の基本的発想は,企業は利潤追求 を唯一の正当な (つまり,法律に違反 しない限 り)目的とするフォーマルな組織であるが,同時に,モ ラル・ エージェントとして,この自由は当該社会によって承認されている倫理規範に制約される,という ものである。D。
この「 モラル主体」ω)と しての企業を具体化 した企業概念が社会的企業,または,ステークホル ダー企業である°の。 ステークホル ダー・ アプローチとは
,現
代企業 は,プリンシパル (株主)一
エージェント(経営者)の間の受託義務 (利潤最大化)以外 に,従業員,供給者,消費者,地域社 会,更には,国家,環境に対 してさえ,「受託義務」を負 っているという思想である。 このアプロー チによれば,企業の目的 とは,利潤最大化ではな く,各ステークホルダーの利害を調整する,或い
は,各ステークホルダーの利害を「等 しく」考慮 し,調整することにあり,経営者はこれ らのステー クホルダーか ら, この目的実現のための「受託義務」 を負 っているとす る。 このアプローチは,
「人間を目的 として扱い,手段 として扱 ってはな らない」 というカ ン トの道徳原理 に基づ くもので あり,「カン ト主義的企業理論」 とも呼ばれる°の。
第二項
企業倫理学の掲げる諸問題
倫理学 は直接,企業 に内的,外的に関係す るステークホルダーに「適用」 される。具体的には, 企業を「構成する」諸 ステークホルダー (株主,経営者,労働者,消費者,地域社会,等)に関 し て,「経営の要請」 と矛盾す る,或いは,緊張関係 にある個人の道徳的意志決定 (道徳的選択行為
)
において,倫理学が「適用 (応用)される」αD。
これは例えば,「従業員のプライバ シーを侵す ことが何故悪 いか?」「 性別 による雇用差別 は何故 悪か?」「経営者 と従業員の間の信頼 に基づ く関係 は何故望 ま しいのか?」「労働者の権利を侵す こ とは何故,間違 っているのか?」 という倫理的判断に関わる問題 として具体化 される。 これ らの間 題 は多 くの企業倫理学の教科書が掲げる企業倫理問題であるが,倫理学をこの問題 に「適用」する 結果,最初の問題 は,次の問題を解 くことに帰結す る。「人のプライバ シーを侵す ことが何故悪い か?」「 性別 による差別 は何故悪 いか?」「人間の権利 を侵す ことは何故,間違 っているのか?」
「人を信頼す ることは何故正 しいのか?」 この企業倫理問題の倫理問題への一般化 は企業倫理学が,
人間の行為の正 しさの学である倫理学を,企業行動 (これは経営者の行為の問題 となる)と企業に 関わる諸個人 に「適用」するという方法に由来する。つまり,企業倫理学の方法論 とは,第一 に,
人間の行為の正 しさを考察する学問である倫理学を想定 し,第二 に,応用倫理学 として,その対象
としての企業,及び,企業のステークホルダーにこの倫理学を適用す るが,この適用の根拠 は,企
企業倫理学 と企業の経済学
業 とは,モラル・ エージェントであり得,従って,自然人 と同様に,自然人 との類推か ら,モラル・
エージェントとしての企業にも倫理学が適用できるとする。そ して,第二 に,企業倫理を人間行動 の正 しさの観点か ら分析,評価す る。当然 に,倫理学が正 しい行為の基準 とする諸原理 (効用,義
務,正義,自然権,契約,等々)が企業倫理の判断基準 とな り,企業倫理学 は結局倫理学 となる。
このような方法論を採ればっ企業倫理学 は「企業」倫理学でな くなる。つまり,企業倫理学の多 くは倫理学であって も,「企業」倫理学ではないのである。
第二節
批
第一項
批判一共同体主義一
以上のような企業倫理学 における方法論―倫理学原則のモラル主体 としての企業への適用上 に関 して,従来の企業倫理学の多 くは倫理学であって も,「企業」倫理学ではない, との批判が生 まれ ることは当然予想で きよう。例えば,Ro Solomon(1993)で ある°の。功利主義,カ ン ト義務論,
権利論,正義論 といった概念か ら議論 を展開す る伝統的な企業倫理学 に対 して,Solomonは,「こ れは倫理,或いは,倫理学であって,企業倫理学ではない」 と断定 した。 しか し,Solomonは従 来の企業倫理学の「個人主義的アプローチ」,すなわち,倫理学原則を企業を構成する個々人 (ス
テークホルダー)へと適用する方法論を批判 し,企業=共同体論 によって,企業倫理問題を解決 し ようとし,「古典的共和主義」的立場か ら,企業倫理 に共同体主義を「適用」 した。SolomOnは自 らの方法論を,「ア リス トテ レス主義的アプローチ」 とし,個人 の「徳 と卓越 さ」 は共同体の内部 でのみ達成 される, とした。Solomonのア リス トテ レス主義の基本 は,個人の利 己心 は,共同体 に属する個人の利己心 とは別物,或いは,個人の行動 は,共同体 に属す る個人の行動 とは区別 され ねばな らないとす る点 にある。「我 々は最初に共同体の成員であ り,個人の利己心 は,大部分,よ
り大 きな集団の利害関心 と同一である」 (SolomOn,1993,p.148)。 また,Solomonによれば,企
業倫理学が必要 とするのは,「グランドセオ リー」ではな く,「実践の理論 (theOry of practice)」っ つまり,「ビジネスを完全に人間的な活動 として説明する理論であり, ビジネス活動のフレームヮー クを提供する」理論 こそ企業倫理学であると主張す る。 これは,伝統的な共和主義的徳論の議論で ある。「企業 とは……同 じ目的の達成 のために,多くの人間が協働する共同体である」(ibid.,p.12
5。)。 この目的とは Integrityで ある。Solomonと本質的に同一な方法一共和主義的方法,ない し, 共同体論一 は,「人間は共同体の価値を内的に具現化 したものであ り,共同体 の生活を通 してそれ ぞ れ の 善 を 追 求 す る こ と が 人 間 に と っ て 最 もふ さ わ し い 生 き方 で あ る 」 と す る Communitarianismや,プラグマテ ィズムを取 り入れたC.Taylor Sandora,B.Rosenthal and Rogene A.Buchholz(2000)°つにも見 られる。つまり,企業倫理学 は企業 という共同体 における
―‑33‑―
人間の行為を議論の対象 とするべ きであ り,共同体を離れた,個人,従って,個人的行為なるもの は存在 しえないとしているのである
しか しなが ら, このアプローチの問題点 は,企業 と共同体の概念的区別のなされ得ないことであ る。Solomonにおいては,かっての伝統的な共同体 (家族,種族,等)が解体 した後の新 たな共 同体 として「企業」が考え られている (「価値を共有 していること」「協同によって,単なる諸個人 の集合体ではない」,がそのメルクマールである)⑩ が,SolomOnが,ア リス トテ レス主義 アプロー チを「企業」に適用 し得 るとする根拠 は,現代では,伝統的な共同体の役 目を「企業」が果た して いるという「類似性」のみである。企業 は共同体的な側面を も持 っている,というのが正 しい。
Solomonの議論 は一つの正 しさと一つの誤 りを持 っている。 その正 しさは,企業倫理 は,個人倫 理ではな くて,企業=共同体における個人に適用 されるべきだという主張である。企業か ら離れた 個人 とは違 ったあり方を企業における個人 は持 っているであろう。企業倫理 は企業 における個人の 倫理である。
その誤 りは,企業は確かに「共同体的な」あり方を持 ってはいるが,共同体ではない, とい うこ とである。企業を共同体 とすることは,企業を「家」 とする把握 と選ぶ ところがない。企業 は,企
業 目的を達成するための諸個人の共同的行為 (社会的行為)の総体であるが,同時に,企業を構成 する諸個人の利害 (利己心)は時 として対立 しあうこともある。社会科学 においてゲマイ ンシャフ トとゲゼル シャフ トの区別 は周知のことであるが,企業をその他の諸団体 (家や農村共同体,等
)
か ら区別するものは,まさに企業がゲゼルシャフ トであるという事実である。テンニェスの周知の,
「 ゲマイ ンシャフ トとゲゼル シャフ ト」(テンニェスは,企業 (「商事会社 と株式会社」)と市場 とは 共にゲゼルシャフ トであるとした)の区別を持ち出すまでもな く,企業 とは,共同体 (ゲマインシャ フ ト)ではな く,禾J益共同体 (ゲゼル シャフ ト)であ り, このゲマイ ンシャフ トとゲゼル シャフ ト の概念的区別を消 し去 り,企業を「共同体」であると主張することはできないであろう。
第二項 A.Starkの批判
上記の二つの企業倫理学の方法―個人主義的及び共同体主義方法一 について,「あまりに一般的,
理論的,非実践的」 として批判 したのが,AoStark(1997)で ある0。 Starkが今後の企業倫理学 の新 しい「原則」 として挙げているのは,第一 に,倫理 と利己心 とは対立するものであり, これを 議論の出発点 とすること:第二 に,利他主義 と利己心 とを抽象的に区別するのではな く,全ての従 業員の利他的で もあり,利己的で もあるモティベーションを認識 した上での意志決定プロセス,新
しい企業構造やインセンティヴ・ システム……こうしたものの構築にマネジャーと共に参加 させる」
仕組みを考察すること,の二点である (Stark,1997,p.496。)。
我々には,Starkのこの批判 は極めて妥当であるように思われる。
企業倫理学と企業の経済学
第一に,企業 という特殊な制度的環境 において生 じる諸個人の「倫理」 と「経営の要請」の緊張, ない し,対立関係か ら始めるべ きであって: この緊張,ない し,対立関係を生み出す ものは:組織 としての企業であり,従って,企業倫理学に特有 な倫理問題 とは,企業制度がいかなる意味で,個
人の行為の規定者であることにより,個人の倫理に対 して緊張,ない し,対立を生み出すかが,議
論の出発点であるはずである。従 って,例えば,企業倫理学 は「殺人 は何故,道徳的に非難 される べ きか」 とか,「公共の利益を犠牲にして,個人の効用を増大 させることは倫理的に正当か」 といっ た問いか ら始めるべ きではない。
企業倫理学 は,個人が企業 という制度的環境に置かれた場合に, この特殊な環境下で生 じる,企
業 における個人 と「経営の要請」 との倫理的緊張関係の存在の可能性,また,この緊張関係か ら生 じる個人の選択が,企業外の個人 に比べて影響す る程度の大 きさのために,通常の倫理的諸基準が より強 く脅かされる,或いは,それか ら逸脱する可能性を強める,という局面で問題 となるもつま り,企業倫理学 は,企業 という固有 の存立の場面において成立す ることは当然ではないだろうか。
従 って,企業倫理学では,何故,企業 という制度力ヽ 個人の倫理的選択 に「 より強 く」影響する のか?が議論の出発点 とな らねばな らない。簡単 に言えば,「個人 としてはこのような行為,或い
は,意志決定 は行わなか ったであろうが,組織人,企業人 としては……」 とい う事態が,企業倫理 学が存立する,特殊な状態である。 このように考え ると,個人倫理 と企業における個人三企業人の 倫理 は別物であると主張 し,この主張により批判 されることの多い Albert Carr(1968)(か も新た に評価 しなおす必要があろう。更にまた,Robert」ackall(1988)。)の主張―企業人固有の倫理特 性を「官僚主義的倫理 (buremcratic ethics)」 とし, これは企業 という場を離れた個人の抱 く道 徳 とは別物であるとした。 これを Jackallは ,「通常の倫理 を括弧 にいれ ること」 と表現す る一 も 正当化 されよう。
第二項
企業倫理学 と経済学
企業倫理学 は,企業 という制度が,それに関わる人間を して,非倫理的,反倫理的な行為に駆 り 立て る制度的誘因を第一 に分析す るべきであって,第二に, この分析 に基づいて,プロ倫理的な行 為を導 くような制度設計を論 じるべ きである。企業倫理学の固有の問題 とは,企業 という形を取 ら た「累乗化 された利己心」 とも言 うべ きものが,よ り強 ぐ個人を反倫理的行為に駆 り立てる制度的 誘因の分析である。つまり,企業倫理学 の存立の根拠 は,企業 とい う制度が,個人の行為の規定者 であることにより (或いは,企業 という制度が個人 の行為を律す る蓋然性の程度),個人が人 とし て もつ倫理 と緊張,ない し,対立関係を生み出す,という状況 にあると考え られよう。
従 って,企業倫理学 は,企業 とは何であるか,どのような制度であるかを考察の第一 としなけれ ばな らない。 もし,個人の行為が,経営の要請 に対 して,完全 に規定 されているな らば,倫理,な
―‑35‑―
い し,道徳的な問題状況は存在 しないであろう。企業 という制度が個人の行為を律する程度が,個
人の倫理,ない し,道徳を も律す る蓋然性を高めるか否かが問題の出発点である。つまり,企業 は,
個人を してより反倫理的行為へ と駆 り立てるイ ンセ ンティヴ・ メカニズムを持 っているのである。
第二節
企業倫理の経済学
Starkの批判の骨子,つまり,第一 に,倫理 と利己心 とは対立するものであり, これを議論の出 発点 とすること,第二 に,利他主義 と利己心 とを抽象的に区別す るのではな く,全ての従業員の利 他的で もあり,利己的で もあるモティベーションを認識 した上での意志決定プロセス,新しい企業 構造やイ ンセンティヴ 。システム…… こうした ものの構築にマネジャーと共に参加 させ る」仕組み を考察すること,の二点が継承 されねばならない企業倫理学の出発点であるとすれば,その方法論
は当然,経済学でなければならない。我々は既 にっ まだ端緒にすぎないが,経済学の企業倫理学へ のアプローチについては,幾つかの成果を得ている。
企業倫理学 にお ける経済学理論 の成果 の導入 の必要性 を訴 え る論者 は
,例
えば,LaRue T.Hosner and Feng Chen(2001)C22Dでぁるが,Hosnerと Chenは,経済学 と倫理 との接点 を効率 性 と公平性 との共力作用 (シナジー)に求め (従来の効率性 と倫理 との トレー ドオフではな くて
),
経済学の新 しい理論 (二人 は主 として,協カゲーム理論にその可能性を見ている)が企業倫理学 に いかに貢献できるかを明 らかに した。
また企業倫理学 に限 らず,「経済 と倫理」への経済学 アプローチとしては,合理的選択理論 も有 効 であろ う。合理的選択理論 (Rational Choice Theory)は
,実
際の,または,顕
示的な選好 (actu』 or revealed preference)に よる行為,つまり,推移性をみたす ことによって合理的であ り,かつ,自分の最 も欲 しいものを選択すると言 う意味で自由な選択を行為の理論 として,同時に,規範的行為の理論的基礎を与える0。「正 しい」「 良 い」行為 とは,「私 は代替的な行為か ら,それ を選択 した」を意味する。選好 には,利己主義の他,利他主義 も含め られ得 る。 また,利己心 と利 他心 との トレー ドオフ関係を含んだ二重選好 も,選好 に対す る選好 (secOnd order)も 考え られ 得 る。
更に,新制度派経済学による企業倫理学への応用 も無視できない。新制度派経済学の企業理論に よれば,企業を構成する株主,経営者,労働者の利害 は互いに対立 し得 る。株主,経営者,労働者 はそれぞれの効用関数,或いは,利己心 に基づいて行動する。従 って,ここでの倫理問題 とは,経営 者,労働者の「機会主義的行動」を抑制することとなる。更に,一般に企業行動に関 しては,「啓蒙 された利己心」を行為の動機とする。これは,短期的にはコストが便益を上回る力ヽ 長期的には「ペ イする」という考えである。新制度派経済学の立場からの一つの成果は,Josef Wieland(2000)(a
企業倫理学と企業の経済学
であり,Wielandは,企業において
,非
倫理的な行動 に駆 り立てる,所与の統治構造におけるイン センティヴとは何か?と
いう問題提起から始めている。我々は更に,規則功利主義 に関する議論の) や,期待効用最大化の観点から規範的倫理を説明 した,Jonathan Btton(1993)°°を挙げることが できる。ゲーム理論,合理的選択理論,新制度派経済学が企業倫理学へ貢献できる三つの経済学理論であ ろう。だが これ ら三者 は方法論的個人主義を原理 としている。 これ ら二者の理論母胎 は新古典派経 済学であ り,新古典派経済学の想定す るrational egoist―他者 との関係性か ら断絶 された個体一 という人間像を共有 している。企業倫理学の多 くの論者はこのような人間像を受 け入れないであろ う。 しか しなが ら,A.Starkの問題提起を真摯 に受 け止めるな らば,企業倫理学への経済学理論 の導入 は不可避であろう。
おわ りに。
本論で我々は従来の企業倫理学の方法論 に替えて,企業倫理学への経済学理論の導入が正 しい方 向性であることを示そ うと した。企業倫理学 にとって贖 きの石 は,rational egoistと い う経済学 の人間学的前提である。倫理,規範の原則 とは普遍妥当的な原則であ らねばな らず,また,倫理,
規範を利己心か ら導 くことはできないとの主張に企業倫理学が固執するならば,実り豊かな成果は 得 られないであろう。 もちろん,考察す るべ きことは多々ある。最近の新 しい経済社会学の発展や,
制度派経済学, とりわけ, コモ ンズの議論 も射程に収めるべきものであろう。本論は今後の企業倫 理学の発展の方向性を示唆 したに過 ぎない。
(1)「規範 的 ビジネスエ シックス」 と「 実証 的 ビジネスエシ ックス」 の対立,統合 の可能性 に関 し て,1992年アメ リカ経営学会社会 的諸 問題部会 で シンポ ジウムの形 で議論 が行 われた。 この議 論 は
,BEQ誌
,1994年,Vol.2,No。4。
にま とめ られて い る。Linda Klebe TrevinO and Gary Ro Weaver, Business ETHICS/BUSINESS ethics:One Field or Two",in BEo,Vol.4‑2, 1994.が企業倫理学の二つの研究方向,規範的か実証的か,についての整理を与えている。更に,Gary Ro Weaver ttnd L.K.Trevino,̀Normative and Emplrical Business Ethies",m BEQ, Vol.4‑2, 1994, Bart Victor and Carrol Uo Stephens, Business Ethics: A Synthesis of Normat市e Philosophy and Empirical Social Science",in 3Eo,VOl.4‑2,1994.を 参照。
(2)Dan R.Dalton and ldalene F.Kesner, On the Dynamics of Corporate Size and 1llegal Act市ity:An Empirical Assessment",in」
0じ rπ
αJ o/Bじsjん
S Eιんjcs,7(1988),pp.861‑70.‑37‑
は,企業 サイズ (売上高で計 った)が大 き くなればな るほど,よ り規模 の小 さな企業 に比べて,
法律 を犯す割合が高 くな ることを実証 した。Daltonと Kesnerは Fortune 500の企業 を考察 し,
大企業 (上位 1/3)、 は下位2/3に比 べて三倍 の違法行為 を犯す ことを明 らか に した。
(3)EtんjcαJ 7んοοろ′αんαB
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s,sixth Edition,eds.by T.Beuchanlp and N.Eo Bowie,Prentice Hall lnc., 2001,p.1。
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s Eιんjcs A Stα λθλοια″ απα lssじ 腕 れagettOλιノ毎フЮacん, Second Edition, The Dryden Press, 1990, p.7.uD 宮坂純一『 ビジネス倫理学の展開』晃洋書房,1999年,143頁。
ua 企業を「 モラルパ ーソン」,つま り,企業 は自然人 と同 じ道徳主体足 り得 る,何故な らば,企
業 は「企業内意志決定構造(Corporate lnternal DeciOion Structure)」 を持つ ことにより,自 然 人 と同 じように,「意図」を持ち得 るか らである,と したのは,Peter French, The Corporttion as a Moral Agency",in 4れοrj れPんjιοsopんjcαι Q αttθrり,16,1979。である(同論文は,Peter
French, ̀̀The Corporation as a Moral Agency",in Eι んjcs jtt Bじ
sjπ
θsS αんα Ecoれο″ιjCS,v01.I,eds by T.Donaldoson ttd T.Dufee,Ashgate,11997,pp.313‑21.に 採録 されて い る)。 企 業が モ ラル主体で はあ り得 ない と主張す るのは,Ladd, Morality and ldea of Rationality in Forma1 0rganization", in Eιλjcα
J Issじ
οs ,れ
Bsjれ
ass, edso by T. Donaldoson and P.H.Werahan9,Prentice Hall lnc。 ,1979,pp.102‑13.「行動 は二 つ の全 く異 な り,時には両立 しえ ない標準 に服従 させ られ る。社会的行動 は効率性 とい う基準 に従 うが,個人 の行動 は通常 のモ ラ リテ ィ基準 に従 う」。更 に,Thomtt Donaldson,Corpoκιjoぉ αんごνレαjり,Prentice Hall
hc。,1082,pp.20‐34。 「 会 社 自体 」 とい う概 念 を導入 し
,企
業 自体 を principalに,経
営者 を agentと し,両者 の間 にプ リンシパ ル ーエー ジェ ンシー関係が成立す るとす るの は,宮坂『 ビジネス倫理学』190頁,であ る。宮坂 はプ リンシパ ルを会社 自体 とす ることによ り,株主 は特別 な ステークホル ダーで はな く,その他 のステークホル ダーと同列 にその利害 を考慮 され ることにな
企業倫理学と企業の経済学
るとした。「経営者 は会社 (自体)の agentと して,対外的に当該企業 の経営行動 にモラル責任 を負わされているだけでな く,上記の (株主,従業員,関連企業,消費者,地域社会)の各種の ステークホルダーの利害を調整 し,その会社を『 存続・ 維持』 していかなければならない」(191 頁)。
〔9 Edward Freeman,Strα ιcgic LZれ
agθ
θんι:A Sιαλθんο〃θr 4pproα(力,Oxford Un市ersityPress, 1984. Edward FreeFrlan, A Stakeholder Theory of the Modern Corporation", in
Eι
んjcαι=んοο′ッ αれd BttSjれa,s
aO Goodpasterは (K.Goodpaster, Business Ethics and Stakeholder Approach'',in Eι んjcαι 動 ω〃 αんdB
sjれ
θsめ Freemarlを 批判 し,全
てのステークホルダーの利害を「等 しく」調停 す ることは,不
可能で あ り,株
主 と経営者 の「 受託義務」 を軽視 す ることにな ると した。Goodpasterは
,株
主 と経営者 との間の受託義務 の観点か ら,他
のステークホルダーの利害を「戦略的に考慮する」戦略的ステークホルダー総合 と,Freeman的な「 ステークホルダー」 アプ ローチ,つまり,全てのステークホルダーの利害を等 しく考慮する「 マルチ受託型ステークホル ダー総合」 とを区別 した上で,「受託・ 非受託型 ステークホルダー総合」を提唱 した。 これは,
ス トックホルダー以外のステークホルダーとの間に経営者 は「非受託的義務」,つまり,他人 を 傷つけない,嘘を言わない,等の,社会の もつ倫理的期待に叶 う義務を もつ とするものである。
CD 代表的な教科書を挙 げれば,Richard T.De George,3じ
sj厖
s Eιんjcs,Prentice Hall lnc., 1999.10 Robert C.Solomon,Eιんjcs απα Eχ
Jた
んcο,Oxford Un市ersity Press,1993,p.98.171 C.Taylor,Sandora BoRosenthal and Rogene A.Buchholz,Rθ ιんjんλJれg BLsうん
s」Eι
んJcs
A Pragaαιjc 4"roOCん,OXford University Press,2000。 (岩田浩他訳『経営倫理学の新構想』
文員堂,2001年
)
OD
「卓越さ」に関 しては,例えば,Robert Solomon, Historicism,Communitarianism,andCommerce:An Aristotelen Approach to Business Ethics",in Coん ιο Porα弓″Ecoπ
o,電 jc Eι
んjcs
αんdB sjttθss」
『 ιんjcs, ed. by Peter Koslowski, Springer, 2000.
09 A Stark, What's matter with business ethics?",in Eι ん
jcs jん
Bじsjん
s αλα Ecoんοれjcs,
Vol. II, pp.491‑97.00 Albert Carr, Is Business Bluffing Ethical?", in B
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s Eιんjcs A PんjJoscPんjcαJ Rοααοr, ed. by Thomas Io White, Prentice Hall lnc., 1993.2D Robert Jackall,ルbrαJ ttθ 7んθ
"brlり
o/GorpOrαιοルにんagers,Oxford Un市ersity Press,1988.
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O David Gauthier,脇れた の スgraCれθ
ttι
,Clanrendon Press,1986。「道徳性についての伝統 的な概念は個人の利益の追求による合理的な制約であることを示す」(ibid。,p.2)。 合理的選択理 論を社会学 に導入 し,制
度の発生 と維持 とを説明す る試みは,SocjαJ Lsιjι
じιjo厖
s ttθjr
Ettθ
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れcら 動危jれιολαんce αttα EF/acιS,eds.by M.Hechter,Karl― Dieter Opp and Ro Wippler, Ald=e de Gruyter,1990。 の諸論考である。合理的選択理論の問題は,選好は,純粋に主観的,相対的であり,実質的・ 客観的な選択基準を欠き,ある人の選好と他の人の選好とを比較考量す ることがで きない とす る点 にある。
例 」osef Wieland, An lnstitutional Approach to Business Ethics", in Coπιθ″ρ
Orα
ッ Ecοんο″みjC」
『 ιんjcs αんごB
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οss」
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jcs。
9D 規則功利主義 に関 して はさ しあた り,Nicolas Rowe,R ι αんα Lsι
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ιjο
んs,The University of Michigan Press,1989。 を参照。90 」onathan Btton,ル化)rα