石 川 伍 一 日 記 を 読 む ︵ 四 ︶
大 里 浩 秋
まえ がき ここ に載 せる 石川 伍一 日記 の解 読文 は︑ 本誌 第一 九一 号︑ 一九 二号
︑一 九三 号に 掲載 した 文の 続き に当 る︒ 石 川伍 一の 経歴 につ いて は︑ 第一 九一 号に 簡単 に紹 介し
︑さ らに 詳し くは 第一 三五 号に
﹁石 川伍 一の こと
﹂を 発表 して いる ので
︑参 照し てい ただ きた い︒ 解読 文は
︑原 文中 のカ タカ ナは ひら がな にし
︑人 名を 除く 漢字 の旧 字体 は新 字体 に改 め︑ 適宜 句読 点を 付し て いる
︒ま た︑
︹
︺に よっ て文 字の 不足 や不 明な 点を 補っ たと ころ があ り︑ 原文 中に 数字 分の 空白 があ る箇 所は
︑ その 通り に空 白に した
︒解 読で きな かっ た文 字は
︑一 字分 を□ 一個 で示 した
︒解 読に 際し て︑ 今回 も常 民文 化研 究所 田上 繁教 授の 援助 をい ただ き︑ おか げで 解読 不明 の文 字を だい ぶ減 らす こと が出 来た
︒ 当初 の心 づも りで は今 回で 解読 文の 掲載 を終 える はず だっ たが
︑準 備の 都合 で次 号を 期す こと にな った こと を お断 りす る︒
明治 十九 年七 月か ら八 月の 日記 七月
日記 一日
晴 木 午前 島氏 を訪 ふて 書を 西氏 に送 り予 を薦 挙す るを 請ふ
︒氏 諾し 明日 送る を約 して 帰る
︒郵 便︹ 船︺ 横浜 丸来 る︒ 此日 より 夜肆 を開 く︒ 二日
前曇
︑下 雨 金 三日
前曇
︑下 小雨 土 書を 西氏 に送 り自 薦す
︒予 か性 質︑ 志向
︑履 歴等 を云 ふ︒ 此夕 小笠 原氏 を訪 ふ︒ 北京 澤村 氏よ り信 来れ り︑ 通信 会の こと を言 ふ︒ 荒賀 君の 所に 談話 す︒ 四日
曇︑ 晴 日 午前 横浜 丸に て来 りし 会津 の人 木村
︑望 月両 氏を 吉島 に訪 ふ︑ 在ら ず︒ 乃ち 河野 氏之 室に 話す
︒又 山ノ 内を 訪ひ 閑談 数刻
︑氏 曰く
︑予 は腕 力者 流の 雲を 捉へ 風を 捕ふ る如 き者 を好 まず
︑予 は只 権力 は金 力に 帰す るの 金言 を信 す︑ 故に 金力 を養 成す るを 務む へし
︑之 を成 すに 航海 者と なら ん︑ 此の 如く にし て事 有る に臨 ては 敵の 糧を 途に 奪ひ 或は 虚に 乗し 内浦 外洋 跋 せさ るな く︑ 充分 に金 力を 有せ は国 家の 事に 於て 為さ んと 欲す るこ とを 為し 得へ し︑ 且つ 腕力 者流 は只 に目 前の みに 注意 せり
︑凡 そ大 事を 思ひ 立に 少く も十 年の 日子 を費 すへ し︑ 其内 に清 国の
形勢 如何 に変 すへ きか を計 らさ るは 愚な り云 々︒ 氏は 父臝
□十 弟な りて 為め に少 しく 意を 労せ り︒ 予思 ふに
︑充 分の 財を 得る に日 を費 せは 予等 か志 す所 の業 の機 を失 ふべ し︒ 此事 両立 する 実に 難し
︒故 に此 両者 を合 し相 連合 して 後万 全を 期す へし
︒已 むな くん は富 豪に 取る 何そ 不可 なら ん︒ 夫れ 然り
︑山 ノ内 氏は 時を 得は 圧墊 する 者に 非さ る也
︒ 三日 の続 通信 を開 くの 説に
︑有 志者 の事 業を 為す 一個 人独 立し て為 し得 へき 者に 非ず
︑故 に事 を為 すの 方法 を異 にし
︑又 は説 の大 同小 異に 因て 相分 離す るは 志士 の為 めに 取ら さる 所︑ 宜し く結 合一 致せ さる べか らす 云々
︒而 るに 此事 行は るへ き模 様な し︒ 思ふ に︑ 氏は 多く の同 盟党 を有 せず 北京 に在 り事 情を 詳か にす る能 はさ るに 起し もの なら んか
︒ 五日
晴︑ 暑太 甚︑ 六時 頃驟 雨 月 午後 望月 氏及 木村 氏を 訪ふ
︒望 月氏 は才 略あ り︒ 氏は 黒田 内閣 顧問 の西 伯利 亜行 を評 して 無用 の遊 歴と なせ り︒ 若し 候︹ 侯︺ をし て魯 国東 洋攻 略を 知ら んと せは
︑ 甘粛
︑四 川よ りト ルキ スタ ン︑ アフ ガニ スタ ンを 経て コン スタ ンチ ノー ブル に出 つへ し︑ 而る に此 路は 危険 なれ ば少 人に ては 通り 難か るへ し︑ 今此 を棄 てゝ 曾て 華族 すら 旅行 した る西 伯利 亜の 漠地 流人 の中 を歴 遊す
︑候
︹侯
︺平 生の 気質 に似 ず︑ 候︹ 侯︺ の為 めに 取ら さる 所な り云 々︒ 此評 当を 得た り︹ と︺ 謂ふ へし
︒ 氏問 ふて 曰く
︑予 君の 志を 問は さる べく
︑又 予か 志を 言は さる べし
︑而 るに 今清 に志 ある もの あれ は︑ 必す 一地 方に 起ら ば一 鎮を 倒す 如き こと は易 事の みに
︑而 るに 此の 如き こと はな さし
︑或 は四 川の 強氏 と富 族に 拠り
︑福
州の 慷慨 の士 を用 ひ︑ 天津
︑上 海︑ 南京
︑広 東の 地に 基を 立つ べし
︒予 曰く 然り
︒氏 又曰 く︑ 之を 成す に金 を要 す︑ 金を 出す に商 か工 か又 内地 の豪 傑に 説く へき か︒ 予曰 く︑ 商工 皆資 を要 す︑ 且つ 風俗 時好 を知 らさ るべ から ず︑ 先つ 商な るへ しと 答へ たり
︒談 未た 尽き すし て別 る︒ 宗方 氏を 訪ふ て新 紙を 借り 赤穂 忠臣 内伝 鏡を 貸す
︒帰 途驟 雨に 会す
︒小 笠原 氏に 寄る
︒ 凡そ 日本 より 来る 者は 気宇 大に 計画 規模 宏な り︒ 予等 の如 き屢 々衣 食に
﹇の
﹈為 めに 役せ られ 意志 不伸
︑又 群駑 囂々 の中 に在 り︑ 徒に 時と 日を 消す こと 多し
︑可 悲哉
︒而 るに 是れ 予か 罪な り︑ 自ら 戒め ずん はあ るへ から ず︒ 此夜 牟田 氏に 送る の信 を草 す︒ 澤村 氏の こと
︑望 月の 話︑ 山ノ 内の こと
︑白 井及 東京 のこ と︑ 予か こと 等な り︒ 又彼 地之 種々 に付 て問 ふ︒ 六日
晴 火 牟田 氏に 送る の信 を木 村氏 に托 す︒ 七日
晴 水 郵船 横浜 丸三 時出 港︑ 東京 丸入 港︒ 此夕 木村 氏富 有号 に乗 し福 州に 至ら んと す︒ 送て 船に 至る
︒留 別と して 聚豊 園に 支那 料理 の あり
︑会 者望 月︑ 松木
︑山 下︑ 吉島 と予 なり
︒十 一時 過ぎ に至 る︒ 又船 に至 り︑ 別を 告け て帰 る︒ 八日
炎暑 如焼 木 下痢 の為 めに 苦し む︒ 望月 来訪 せら る︒ 此日 一日 横臥
︒ 九日
同前 日 金
風邪 に犯 され たる を覚 ゆ︒ 小田 切天 津よ り来 信︑ 来津 の事 を云 ふ︒ 十日
〃 午下 嶋氏 を訪 ふ︑ 在ら ず︒ 小笠 原に 至る
︒此 夜望 月氏 と逍 遥︑ 松尾 に茶 を飲 む︒ 氏の 処に 至り 談話
︒ 十一 日
〃 前又 島氏 に面 し芝 罘よ りの 返答 を問 ふに 未た し︒ 乃ち 望月 氏を 訪ふ
︒閑 談数 刻︑ 佳人 奇遇 数冊 机上 に散 せり
︑乃 ち取 て其 慷慨 憤の 詩を 抽し 予に 示し 共に 読む
︒此 書は 氏の 叔氏 芝君 の著 す所 にし て︑ 氏は 米国 に在 て遊 学七 年深 く杞 憂を 東洋 に抱 き︑ 清︑ 西班 ︑ 波蘭 人を 仮て 以て 其感 憤の 情を 述へ し者 と云 ふ︒ 氏は 社会 学及
学両 学士 の誉 を受 け︵ 学費 は岩 崎氏 弁せ んと 云︶
︑帰 朝の 後専 ら三 菱の 顧問 と為 り屢 々召 徴を 蒙れ とも 曾て 応せ ず︑ 近々 谷氏 に勧 め欧 行せ しめ て自 ら随 従せ しと
︒ 又氏 は会 津の 豪傑 長岡 氏の 事を 語る
︒長 岡氏 は前 原奥 平を して 西陸 に起 らし め︑ 前原 より 熊本 神風 連に 気脈 を通 し︑ 神風 連よ り逸 見等 に通 せり と︶
︑而 して 自ら は佐 倉分 営を 一聯 隊奪 ひ︵ 分営 長及 隊長
︑参 謀等 は曾 て其 党た りし と︶
︑宇 都宮 分営 一聯 隊を も併 せ︵ 分営 にも 其党 あり し︑ 秋田 より 仙台 鎮台 を圧 せし め︑ 越後 は遠 藤な る人 あり て其 地に 起ら んと せり
︒遠 藤は 藤原 の末 流に して 其地 に流 され
︑新 田数 千町 を拓 き素 封︑ 曾て 諸侯 に隷 属せ さり しと 云ふ
︒謀 熟し 将に 会津 落城 の日
月 日を 以て 事を 発せ んと し︑ 其期 に至 り同 志十 数人 墨田 川よ り船 佐 倉に 至ら んと 思案 橋に 至る に︑ 巡吏 の怪 む所 とな り︑ 衆之 を破 り通 り抜 けん と健 闘す
︒其 内長 岡も 亦傷 を蒙 りた れ︹ ど︺ も一 方を 破り 舟に 乗し 墨田 川に 出つ れは
︑両 岸皆 人快 舟を 以て 追ふ
︒逃 る可 から さる を知 り曰 く︑ 事を 創す る始 より 死を 期す
︒今 事破 る天 なり と︒ 乃ち 敵せ さる を言 へと も畏 れて 近か ず︒ 刃を 棄て 初め て捕 へし と云
︒
後幾 くな くし て長 岡は 獄中 に死 せり
︑三 十余 歳と 云ふ
︒木 村信 次君 も亦 同志 にし て思 案橋 にて 奮闘
︑思 らく 死は 何時 にて も出 来へ し︑ 逃る ゝ丈 は逃 れて 後図 を計 らん と舟 に乗 し墨 田川 を溯 り千 平に 至り 逃れ
︑長 岡氏 の伝 に就
□て 聞く
︒仮 令事 露は るゝ とも
︑此 の如 き計 画し たる こと 一敗 を以 て画 wな すへ けん や︒ 且つ 地方 未た 尽く 露は るゝ ベか らず
︒越 後は 拠て 以て 事を 挙く るに 足れ りと
︒夜 行昼 伏新 潟に 至り 深笠 を戴 き道 路を 徘徊 する に︑ 遠藤 氏已 に伝 に就 くを 聞く
︒時 々巡 吏笠 内を 窺ふ
︒氏 已に 成す べか らさ るを 知り 曰く
︑我 は木 村信 次な り︑ 伝せ られ よ︒ 是よ り先 き氏 等の 姿絵 諸方 に遍 かり しと 云ふ
︒是 より 先き 警部 等身 を奴 僕に
し長 岡の 宅を 窺ひ しも 知る 所と なり
︑而 るも 氏の 書生 二名 反心 する 者あ り事 大に 泄れ しと 云ふ
︒山 川氏 も氏 の党 なり しと
︒而 る﹇ に﹈ 山川 は已 に事 の成 る可 から さる を未 発に 察し 其党 を脱 せん と︒ 因て 此時 山川 に属 する 者多 かり しと なん
て前 原も 露見 し神 風連 のみ は未 た知 れす して 鎮台 を襲 ひ長 官を 殺し たる も事 遂け ず︒ 木村 氏は 長く 獄内 の内 に在 り︑ 出て ゝ清 地に 来る に先
﹇立
﹈ち 写真 術を 学ひ
︑此 を以 て一 個の 基を 福州 に建 てん とて 発せ るな り︒ 十二 日 月 此夜 家に 在り
︑戸 を開 き窓 を放 ち涼 を入 れ蚊 帳の 内に 横に なり て書 を見 居た りし に︑ 何時 の間 にか 窃盗 あり て我 か此 頃求 めた る鞋 子を 盗み 去れ り︒ 予は 久し く剃 頭せ さる によ り浪 人の 月代 とも 云ふ へき に此 の炎 天の 日に 帽子 をも 戴き 居れ ば︑ 人に 怪み て間 々何 故に 帽子 を被 り居 るや など 問は れ困 るこ と往 々あ り︵ 此れ は支 那人 は常 に剃 頭し 夏に なれ ば帽 子を 戴か さる 風習 なれ ばな り︶
︑予 か髪 も随 分長 くな りて 弁子 に結 ひ付 けら るれ とも
︑二
︑三 日に て直 に壊 るゝ なり
︒而 るに 予は 此の 度々 の剃 頭料 をも 弁せ さる に此 度の 事は 泣面 に蜂 とも 云ふ へき か︒
十三 日 火 此夕 望月 氏を 訪ふ
︑在 らず
︒依 り﹇ て﹈ 小笠 原氏 に至 り談 話︒ 十四 日 水 晴 此夕 仏国 革命 の日 に当 り仏 租界 は燈 光天 を輝 かし たれ とも
︑雨 ふり て遺 憾に も見 るを 果さ さり し︒ 十五 日 木 晴 此日 九時 東京 丸解 䌫︑ 歯医 西村 氏及 瀧︑ 加藤 の両 生帰 校の 途に 就く
︒五 十銭 金を 給せ らる
︒邦 山氏 吉島 に移 る︒ 此日 島氏 を訪 ひ回 書の 事を 問ふ に︑ 西氏 より 予に 送る の一 通あ り開 き見 るに
︑花 坂氏 の言 間違 に出 てな るな らん
︑ 此方 にて 入用 なし 云々
︒邦 山氏 を訪 ひ此 夕望 月氏 を訪 はん とせ しに
︑途 に氏 及宗 方︑ 荒賀
︑島 津及 木脇 諸氏 に会 す︒ 何れ に之 くを 問ふ
︒曰 く同 芳に 茶を 飲ま んと すと
︒今 将に 子を 誘は ん﹇ と﹈ せし に幸 に此 に遇 ふ︑ 共に 興々 すべ しと
︒乃 ち之 く︒ 蓮子 羔︑ 杏仁 茶を 飲む
︒甘 餂言 ふ可 から す︒ 十一 時頃 帰家
︒家 弟よ り信 至る
︒内 に畠 山氏 の信 を包 む︒ 氏か 祖父
︑老 母の 遠逝 を告 く︒ 十六 日 金 晴 此日 嶋氏 を訪
﹇ね
﹈序 に小 笠原 氏及 荒賀 氏に 至り
︑帰 路望 月氏 に寄 り帰 家︒ 復た 望月 氏を 訪ふ
︒松 木氏 在焉
︑仏 の談 話を 成し 有た りし
︒旧 友吉 田清 揚氏 来訪 せら る︒ 氏は 楽善 堂に 寓せ り︒ 十七 日 土 晴 此朝 望月 氏を 訪ふ 未起
︑乃 ち宗 方氏 を問 ふて 談話 午下 三点 鐘に 至る
︒互 に打 ち解 け人 を評 し快 大﹇ に﹈ 甚し
︒ 此夕 岸田 氏を 訪て
︑予 か貴 店に 人多 きに 強て 煩は すに 忍ひ す︑ 天津 に行 かん と欲 す︑ 願く は少 の旅 資を 貸与 せら
れよ と︒ 氏話 を転 して 曰く
︑書 肆の 一人 杭州 に赴 き未 た不 帰︑ 暫可 在即 処︒ 予は 乃ち 書を 小田 切に 寄せ 旅資 を得 るこ とに 決せ り︒ 帰路 望月 氏に 寄り 懇話 数刻
︑中 野及 白井 氏分 派之 事︑ 及東
︑白 井両 氏の 評︑ 又芝 氏兄 弟五 人︑ 岡本 氏生 来居 止異 常な るへ し︑ 氏等 か創 業の 方法 及守 成の 法制
︑爆 烈﹇ 裂﹈ 弾の 事︒ 十八 日 日 晴 此よ り先 小笠 原氏 より 招れ たる を以 て行 く︒ 此朝 丁度 主人 始め 店掃 除を なせ にし にも 関せ ず外 出せ り︒ 素麵 之馳 走を 受く
︒午 下宗 方︑ 荒賀 二氏 と望 月氏 を訪 ひ︑ 共に 浦東 に遊 ぶ︒ 閑静 にし て清 風俗 塵を 洗ひ 寂に 清涼 之気 人を 襲ひ
︑況 んや 不凡 の英 士と 共に 楽し み大 に正 志を 愉ま しめ たり
︒一 瓶の 威児 米酒 と一 包の
□阿 糕と を齎 られ
︑酒 を飲 み糕 を食 ひ︑ 飽酔 交至 る︒ 各横 臥或 は書 を読 み夕 日更 に至 り︑ 此処 に飯 せん こと を計 る︒ 且つ 何処 にか 鶏を 得ん と宗
︑望 二氏
︑予 と新 船渠 の傍 の村 落に 求む
︒村 人二 氏を 見て 高価 を貪 る︒ 乃ち 予独 り一 村落 に入 り奔 走遂 に一 羽を 三十 銭に 得て 帰り 自ら 料理 し︵ 極て 不規 則︶ 自︹ ら︺ 煮て 漸く 食ふ を得 たり
︒而 るに 衆酔 飽の 為め に快 食せ さり し方 惜し
︒宿 主人 懇切 に し素 麵等 を出 せり
︒之 か為 めに 礼と して 一元 を給 せり
︒費 皆な 望月 氏に 出つ
︒ 夜月 を蹈 て帰 る︒ 黄口 にて 氷を 吞み 荒賀 氏に 至り 息ひ
︑十 一時 帰家
︒ 十九 日 月 晴 此朝 店主 人種 氏予 をし て去 らん こと を求 め曰 く︑ 始め 曽根 氏の 予を 托す る︑ 岸田 氏着 申 の約 束な り︒ 此れ 信義 の事 にし て其 後遷 延今 日に 及ふ
︑我 か父 をし て知 らし めば 予か 迷惑 なり 云々
︒此 の原 因は 予か 此頃 外遊 する と近 日客 少く 用な きに 基く 者な り︒ 乃ち 小笠 原氏 を訪 ふ︒ 氏は 宿酔 の為 めに 困め り︒ 氏予 をし て来 り共 に宿 する こと
を勧 む︒ 予は 氏を 煩す を以 て辞 し岸 田に 入る を決 す︒ 此夜 二た ひ岸 田を 訪ふ て遂 に面 する を得 ず︒ 二十 日 火 晴 朝九 時岸 田氏 を訪 ふて 面晤 暫時 の寄 食を 託す
︒氏 予を して 書肆 に在 らし む︒ 店内 に在 る者
︑濱
︑島 田︑ 小山
︵二 氏は 画を 学ひ 店に 多く 関係 を有 せさ るか 如し
︶三 人に して
︑支 那番 頭三 人︑ 小僧 三人
︑正 誤老 先生 一名
︑印 刷者 三名 及賄 也︒ 番頭 は売 及帳 を司 る︒ 日本 人は 之を 監督 し不 正の こと なか らし むる なり
︒予 等楼 上に 寝す
︒楼 上印 刷場 あり
︒予 は此 日よ り此 に移 るこ とに 決し 晝食 して 運搬 の為 に外 出す
︒錦 芝洋 行に 至る に主 人在 らず
︑乃 ち家 に行 き妻 氏に 辞し
︑望 月氏 を訪 ふ︒ 福州 より 書至 れり と云 ふ︒ 天津 行を 止め て福 州に 赴か んか など 云居 れり
︒又 中野
︑鈴 木両 氏は 築地 に在 る寧 波人 某に 就て 寧波 語を 学ひ 居る も︑ 二氏 等は 僧学 を学 ひ僧 とな る計 なり
︒河 野氏 に面 し岸 田に 移る を告 け︑ 邦山 氏に 至り 金子 より 出さ れて 暫く 岸田 に在 り天 津に 行か んと する 旨を 云ふ
︒氏 は予 の天 津行 を惜 んて 曰く
︑予 をし て早 く知 らし めば 如何 にか 世話 すべ し︑ 来年 我旅 行す るに 必ず 子を 携へ んと 欲す
︑ 而る に今 如何 とも すべ きな し︑ 天津 より 返信 若し 好音 なり しば 予必 ず世 話せ ん云 々︒ 尋て 小笠 原氏 を訪 ふ︒ 氏は 病未 た全 く癒 へず
︒東 京よ り送 来た る菓 子を せ らる
︒帰 路長 尾之 処に 至り 綿衣 一領 及竹 籠を 貰来 る︒ 是よ り先 き予 は羊 毛皮 の褂 子を 住宅 の方 に持 て行 きし て︑ 此頃 之を 尋ね しも 見へ ず︒ 予は 此度 錦芝 洋行 を出 てた るに 付て 該店 売買 上の 事得 失如 何を 記す るは 必要 なこ とな るべ し︒ 資本 金は 幾何 なる やを 知る 能は ずと 雖も
︑肆 内の 品価 合計 三︑ 四千 元な るべ し︒ 曾て 一西 人あ り店 を挙 て五 千元 に買 はん と言 ひし に︑ 主人 は七 千元 に非 され ば売 らず と︒ 而る に五 千元 にて も充 分利 益あ る由 なり
︒凡 て時 好に 適し たる 品は 元価 の二 倍或 は三 倍に して
︑旧 なる に及 て漸 く其 価を 減す るな り︒ 聞く 十年 以前 の物 もあ りと
︒此 の如 きは 只々 店肆
を充 たす のみ
︒此 の店 の尤 も意 を注 くべ きは 時好 に投 する にあ り︒ 意匠 の奇 工造 の妙 なる もの を選 ふべ し︒
摩 の古 陶及 尾州 の新 器︑ 金色 燦爛 其画 の密 にし て麗 なる を愛 す︒
は 大皿 の額 に供 する 者及 花瓶 に適 し︑ 尾は 茶道 具及 皿又 花瓶 に好 し︒ 九谷 は次 き有 田は 劣る
︒銅 器は 多︹ く︺ 花瓶 なり
︒着 色尤 も佳 而し 退色 の憂 あり
︒又 銅線 を編 み竹 に擬 した る︑ 雑種 形の 花瓶 小箱 及巻 烟立 其他 小器
︑象 細 工は 精緻 真に 近し
︒価 賤な らず
︒鉄 額及 木額
﹇に
﹈巧 に象 ︑ 鹿角
︑貝 殻を 嵌め 花鳥 を画 した る者
︑又 絹手 巾︑ 布団 等繻 子地 に花 鳥を 縫入 せし の如 き掛 物
﹇は
﹈精 巧美 麗真 に¯ る︒ 外漆 器及 種々 数ふ 可か らず
︒買 人に 対し ては 尤も 意を 用て 款待 其歓 を買 ふべ し︒ 品物 を送 るに 約に 違は ず速 にす べし
︒又 名声 を売 るに 新聞 に広 告に
︑其 他名 を顕 は︹ す︺ べき もの は之 をな さ︹ ざ︺ るな かる べし
︒ 錦芝 洋行 は父 子相 和せ さる か如 き有 様あ り︑ 父は 横浜 より 送る に一 割の 口銭 を取 り︑ 子は 時に 適す へき 者を 郵船 のボ ーイ に托 し其 店に 自分 の商 売を 営む か如 きは 不足 の事 なり
︒而 るに 時好 を択 ふ如 きは 少く 意を 注き 居る 如し
︒ 只買 人を 待す る大 に粗 にし て為 めに 大に 其歓 心を 害し
︑今 や名 望と 信用 を失 ひ︑ 或る 夫人 の如 きは 主人 に対 して 此店 は永 く存 立す るを 得ず と言 ひし とか
︒目 前の 小利 に 々と して 永遠 の大 益を 思は ず︑ 一文 惜み の百 文失 ひの 如く
︑新 聞紙 等に 名声 を広 むる の益 を知 らず
︒又 自ら 其分 に安 じ外 に願 ふ所 なき か如 く益 々其 業を 拡充 する に意 なく
︑其 内費 を省 くに 々 とし て一 小不 利の 事を なせ ば反 眼し て怒 り︑ 誠に 此の 如き 店に して
︑此 の小 器に ては 行末 寧ろ 大な る能 はず
︑縮 むこ と鏡 に掛 けて 見る 如し
︒斯 る人 の習 とて 己れ に優 りた る人 を容 るゝ 能は ず︒ 雇人 の如 きは 学文 ある もの 一人 もな く︑ 唯々 黙々 只命 是に 従ふ のみ なれ ば︑ 其失 を聞 て改 むる など 云ふ こと なし
︒金 銭に 吝に して 雇人 を籠 絡せ んと すれ ば︑ 雇人 は主 人に 服せ す内 に不 平を 鳴す あり
︒為 に鞠 躬の 節を 致す もの なし
︒
誠に 惜む べく
︑慨 すへ し︒ 店は 一日 に平 均に 二十 五元 より 三十
□位 の商 買あ り︒ 而る
︹に
︺暑 に入 る︒ 以来 来客 少く 大に 其額 を減 せし なる べし
︒ 若し 一人 あり 一の 雑貨 店を 此地 に開 かば 錦芝 洋行 の信 用を 失ひ
︑藤 井の 未た 大な らさ るに 乗せ は大 に利 を博 すへ しと 愚考 せり
︒ 二十 一日
水 晴 此夜 小笠 原氏 を訪 ふ︒ 荒賀 氏明 日島 津︑ 木脇
︑税 所三 氏と 浦東 に遊 はん とす と予 を誘 ふ︒ 予之 を辞 す︒ 荒賀 氏之 処に レモ ンを 飲む
︒ 二十 二日
木 朝雨
︑午 霽 此夜 吉田 氏と 島津 氏を 訪ふ
︒宗 方氏 在焉
︒ 二十 三日
金 晴 此日 下痢 にて 一日 横臥
︒夕 吉田 氏と 散歩
︒ 二十 四日
土 晴 青山 芳得 氏よ りの 書を 領す
︒天 津よ り送 る︒ 二十 五日
日 晴 午下 望月 氏︹ を︺ 訪ふ て快 談︒ 小笠 原︑ 荒賀 諸氏 の寓 に至 る︒ 宗方
︑□ 川在 り︑ 予か 来る を見 て金 米糖 を出 し︑ 攻む る百 五十 を喫 する を以 てす
︒乃 ち之 を喫 し了
︹り
︺飯 を食 ひ︑ 食後 宗方
︑小 笠原 二氏 と散 歩を 花園 序に 予の
寓に 来る
︒山 本予 に告 けて 曰く
︑佐 々木 氏来 り予 を訪 へり と︒ 予乃 ち二 氏と 佐々 木氏 を金 子に 訪ふ
︒変 事な し積 氏よ り予 を携 ふる こと を托 され たり 云々
︒ 二十 六日
月 炎 此夕 又た 佐々 木氏 を訪 ふ︒ 二十 七日
火
〃 此日 邦山 氏に 面し 佐々 木氏 来申 積氏 より 予を 帯来 する を託 せら
︹れ
︺た りし こと を告 げ︑ 予か 天津 行せ さる 可か らざ る所 以を 言ふ
︒又 望月
︑荒 賀︑ 島津
︑宗 方諸 氏に 此の こと を告 く︒ 牟田 より 信達 す︒ 畠山 忠朗 氏に 送信 し︑ 其祖 父︑ 老母 の死 を弔 し︑ 又目 下我 党有 志者 の形 勢を 述ふ
︒ 佐々 木氏 を訪 ふ︒ 商業 の事 を談 し話 遂に 故郷 の事 に及 ふ︒ 毛氈 買売 を托 せら る︒ 此夕 画家 小山 松溪 氏帰 国︒ 二十 八日
水
〃 家郷 に送 る信 を草 す︒ 此日 吉島 を訪 ふて 佐々 木毛 氈の 事を 談す
︒邦 山氏 の処 に話 し晩 の に 預る
︒佐 々木 氏に 寄り 絨氈 の事 を告 け︑ 共に 公園 に遊 ふ︒ 巡吏 呵す
︒弁 解し て入 る︒ 二十 九日
木
〃 盛田
︑片 岸及 種市 に送 るの 書を 草す
︒片 岸の 信に は先 つ久 闊を 述べ
︑平 素の 安否
︑予 の□
□に 及ひ
︑亜 州隣 人の こと
︑清 国の こと
︑異 邦の 覇客
︑古 国農 工の 興ら さる を慨 する も国 人の 恬た るこ と等
︑米 内へ は平 素を 陳へ
︑田 舎︑ 都の ︑ 唐土 之事 に付 て云 々︒
三十 日 金 小雨 青山 氏に 答ふ るの 信及 舎弟 への 書を 草す
︒ 三十 一日
土 曇 此夕 小笠 原氏 を訪 ふ︒ 共に 佐々 木氏 之錦 芝洋 行の 寓に 至る
︒ 岸田
書房 及び 薬店 共に 可成 の売 高な り︒ 而れ とも 店内 規律 なく 十有 余人 の日 本人
︑八
︑九 人の 支那 人を 使へ とも
︑ 事務 却て 挙ら ず︒ 薬店 は二
︑三 人︑ 書房 は四
︑五 人に
︹て
︺事 足る べし
︒翁 も改 革せ さる べか らさ るを 知れ とも
︑ 因循 姑息 決断 に乏 し︒ 八月
日記 一日
日 夕大 雨 此日 小笠 原氏 の所 に至 る︒ 曾て 佐々 木氏 の晩 の を 受た る約 束あ るを 以て 共に 行く
︒西 川氏 伴焉
︑錦 芝洋 行に 至る
︒佐 氏不 在︑ 乃遊 西花 園︑ 天驟 漲黒 雨将 大至 急復 訪佐 氏︑ 須臾 而大 雨如 流車 軸凡 半点 鐘而 止︒ 道路 為川
︑上 車至 四馬 路海 天春
︒ 二日 月 午下 吉田 氏と 共に 税所 氏を 中西 書院 に訪 ふ︑ 不在 乃ち 望月 氏の 所に 至る
︒荒 賀氏 在焉
︒復 共に 荒賀 氏の 寓に 赴く
︒ 小笠 原氏 の室 に夕 饌を 喫し
︑望 月氏 来り 談話 十一 時に 至り 乃ち 帰る
︒至 れば 小
告け て曰 く︑ 此日 佐々 木氏 予
を訪 四度 今夕 正さ に上 船天 津に 行か んと すと
︒予 其急 なる に驚 く︑ 乃ち 錦芝 洋行 に至 る︒ 佐々 木在 らず
︑待 つ須 臾に して 至る
︒予 氏に 告け 少く 此行 を緩 ふせ んと 欲し 明日 を以 て発 せん こと を言 ふ︒ 而る に氏 聞か ず︑ 遂に 此行 を決 す︒ 依て 帰て 岸田 氏に 面し 厚情 を謝 し︑ 急に 行李 を装 し行 を同 窓に 告け 発す
︒夜 更人 定︑ 而る に曾 て邦 山氏 に行 を告 くる を約 する を以 て其 寝を 犯し 氏に 辞す
︒氏 亦其 急な るに 愕き 予か 為め に二 元を 贐す
︒望 月氏 に辞 し︑ 小笠 原︑ 荒賀
︑島 津諸 氏に 別を 告ぐ
︒小
︑荒 二氏 送て 船に 至る
︒小 氏予 に菓 子を 送ら る︒ 佐々 木氏 前に 船に 至る
︒ 此行 や意 外に 出て 遂に 予を して 前数 日草 する 所の 書信 を送 るの 暇な から しめ たり
︒且 つ親 友諸 子に 別を 告く るに 時あ らざ りし
︑予 佐氏 か何 故に 如此 急卒 なる かを 窃に 疑へ り︒ 三日 早朝 夢裡 に発 す︒ 予か 天津 航海 記は 前二 回に 詳か に記 せる を以 て此 回は 之れ を記 すの 労を 取ら さり し︒ 五日
曇︑ 或﹇ は﹈ 雨或
﹇は
﹈晴 四時 頃芝 罘に 着す
︒佐 氏上 陸︑ 予留 る︒ 白須 及佐 埜二 氏至 る︒ 先つ 久闊 を叙 し︑ 談頻 りに 上海 故友 の事 に及 ひ稍 旅情 を慰 めり
︒氏 等曰 く︑ 幸便 に托 して 天津 に遊 はん と︒ 十二 時半 出帆
︒ 六日 半晴
八十 二度 七時 頃太 沽に 着す
︒直 に南 砦の 前を 過く
︒黄 泥壁 塁厳 然た り︒ 北砦 を過 るに 一所 の修 築を 為す あり
︒予 思ら く︑ 東洋 第一 の堅 塁と も称 せら るゝ もの なれ は定 めて 中間 は鉄 或は 石な らん と之 を見 れは 土の み︑ 灰土 の如 し︒ 溯り てタ ーチ ャー ヤヲ に至 る︒ 船停 て動 かず
︒時 十二 時過 なり
︑佐 氏行 を急 ぎ直 に上 陸馬 に乗 しつ 去る
︒予 は船 を雇 ひ行 李を 運ひ
︑順 風に 帆を 張り 漸く 紫竹 林碼 頭に 至る
︑蓋 し三 十余 里と 云ふ
︒直 に上 り領 事館 に至 る︒ 佐々 木氏
を訪 ふに 氏は 天津 に上 れり と︒ 小田 切氏 に会 し其 厚意 を謝 し︑ G氏 に無 音を 序し
︑佐 氏帰 る︑ 曰く 伍廷 芳を 訪ひ 材木 の車 漸く 定る と︒ 此に 於て 始め て知 る︑ 氏の 偶然 とし て上 海に 至り 急遽 旅程 に上 りし を︒ 蓋し 鉄道 敷木 二万 本を 売り しと 云ふ
︒積 氏の 至る に遭 ひ面 して 此度 の礼 意を 述べ 以後 を托 す︒ 領事 に面 す︒ 種々 の話 あり
︑中 に清 軍二 万余 海光 寺門 の外 広原 に簡 閲し たる 其盛 況が 弊を 言ひ
︑又 日本 鉄道 中仙 道を 廃し 東海 道に 移架 する こと に付 て云 々︒ 此日 積氏 の宅 に移 る︒ 此夜 徳丸 氏来 り当 地商 買﹇ 売﹈ のこ と︑ 日本 商人 のこ とに て論 せり
︒ 積氏 は先 つ予 を戒 むる に︑ 土日 の外 は遊 ふべ から さる を以 てし
︑又 一た ひ志 した る上 は之 を貫 徹す べし
︑若 し望 まば 海軍 の方 に世 話す べし 等云 々せ り︒ 氏は 寛優 厚待
︑予 を大 に力 を専 らに すを 得せ しめ たり
︒此 夜螫 の為 に寝 る能 はず
︒ 七日
晴 八十 七度 土 戴先 生と 会話
︒午 下領 事館 に至 り小 氏及 佐氏 を訪 ひ︑ 豫氏 の寓 に至 り久 闊を 叙す
︒又 武藤 を武 齋号 に訪 ふて 談話
︒ 帰路 張先 生を 尋て 清先 生の 事を 托し て還 り︑ 積氏 と計 り文 先生 に語 を学 ひ張 先生 に文 学を 学ぶ こと にな した り︒ 夜佐 氏来 訪︒ 八日
晴 九十 一度 日 此日 積氏 と馬 に騎 る︒ 久し く乗 らさ るを 以て 蹬不 定落 んと する 屢々 なり
︒又 心胸 痛し
︒雨 を以 て直 に帰 る︒ 此夜 領事 より 温飩 の を受 く︒ 領事
□夫 人︑ 積︑ G︑ 佐︑ 小︑ 徳︑ 武︑ 徳及 予也
︒完 り闘 fを 遊ふ
︒ 此夕 雨降 路泥 濘不 可歩
︒ 九日 晴 月
午下 佐々 木氏 来り 予に 税関 に行 くを 托せ らる
︒張 氏を 訪ひ 明日 より 読書 を始 るこ とを 約す
︒蓋 し氏 に就 て詩 文を 学は んと 欲せ り︒ 伊犂 将軍 金順 死し たる の諭 令あ り︒ 李氏
□︒ 十日
天気 晴︑ 夕大 雨 火 此日 より 張氏 に就 き照 会文
︑上 奏文 及詩 を学 ぶこ とを 始め たり
︒蓋 し詩 は支 那人 と交 際す るの 一助 とな さん か為 めに 学ふ 者に して
︑文 は積 氏の 為め に上 奏文 及び 新聞 等を 解訳 せん か為 めな り︒ 又夜 積氏 と共 に文 竹泉 なる 者に 就き 言語 を学 べり
︒此 頃は 何故 にや 心気 鬱々 不楽
︑徴 兵の 為め 留学 届を なさ んと して 張に 照明 書を 写さ しむ
︒張 先生 に行 く途 に雨 に ひ全 身為 めに 湿る
︒ 十四 日 照明 書出 来し たる を以 て届 書を 以て 出︹ し︺ たれ とも
︑G 氏未 た取
︹り
︺扱 はさ る故 如何 なる 法則 なる か一 向不 分︑ 照明 書法 不要 なる 書換 を命 せら る︒ 委細 は武 藤氏 之を 知る を以 て行 き訪 ふ︑ 不在
︑次 日聞 之︒ 十五 日 晴 日 両三 日以 前よ り佐 々木 氏は 家を 紫竹 林に 借り 普請 に取
︹り
︺掛 れり
︒此 日朝 より 行き 幇弁 す︒ 午下 搬去
︑家 は大
︹太
︺沽 路上 にあ り元 と税 関書 記生 が好 みて 城郭 の形 に模 した るの 由な れと も︑ 一年 余人 の住 むな きを 以て 大に 荒敗
︑草 は奔 々危 壁剝 落瓦 落雨 漏殆 と狐 狸の 棲な りし も︑ 人工 を施 し之 を修 成す れは
︑亦 た一 の雅 家な り︒ 二房 一楼 屋下 窖あ り之 を修 補す るに 五十 元許 を費 し︑ 一月 六元 に賃 せり と︒ 此夜 領事 客を 招く
︒予 も伴 焉︒ 蓋四 人︒ 十六 日 終日 雨 月 此よ り先 き雨 大に 降り
︑河 水漲 漬浴 河の 難を 被り し者 少な かさ りし と︒ 此夜 驟雨 屢々 降り 加ふ るに
︑此 の一 日の
長雨 を以 てす れは 大に 災害 をな した るな ら︹ ん︺
︒元 来此 地は 平地 原野
︑河 床よ り低 しと 云ふ 位な れは なり
︒ 十七 日 晴 火 十八 日 曇︑ 夕大 雨 水 夕暮 大雨
︑盆 を覆 すか 如く 終夜 不止
︒ 十九 日 雨 木 此日 雨未 た霽 ます
︒益 々甚 し︒ 雨漏 り壁 潰る
︒予 等宿 する 所は 泥造 支那 家の 頂好 新築 なる もの なれ とも 未た 此を 免れ ず︒ 思ふ に︑ 天津 太沽 辺の 土屋 の壊 倒せ る者 幾何 そ︒ 此日 雨の 為め 又た 有事 に因 て課 を欠 く︒ 煙台 白須 氏よ り万 国史 及字 引を 送り 来る
︒清 国よ り十 隻の 軍艦 を琉 球に 派し たる
を 日本 より 領事 に聞 合せ たる 由︑ 当地 にて は未 た全 く此 等の こと を聞 かず
︒ 二十 日 晴 金 午前 事あ りて 紫竹 林に 赴く
︒法 租界 西方 一統 に水
れ
︑浩 蕩其 勢威 実に 盛な り︒ 東三 省電 線総 弁余
氏よ り霖 雨潦 水の 為め に吉 林地 方の 架線 の困 難な るこ とを 李氏 に稟 告し た旨 時報 に見 ゆ︒ 北京 地方
︑又 南方 も大 雨水 漲の 由︑ 領事 李鴻 章に 謁し 前件 問合 の一 件を 聞か んと せし に︑ 李氏 は長 崎に ある 提督 丁汝 昌よ り日 本巡 査□ 軍艦 水夫 を□ 五名 を殺 し四 十余 名を 傷け たり との 電報 に接 せし を以 て大 に怒 り︑ 此れ 地方 官の 治理 の好 から さる に因 る︑ 中国 の軍 艦に 不礼 之如 此︑ 其意 なら ば戦 を始 むべ しと
︑意 気甚 た決 した る模 様な る由
︒領 事は 狼狽 諸人 に頼 み方 々に 聞合 せ︑
³々 戦を なす 意な るか を伺 ふ︒ 二十 一日 土
此日 積氏 電信 を送 る︒ 領事 館よ りも 送れ り︒ 人或 は前 事を 以て 李氏 は喧 嘩を 仕掛 け琉 球事 件を 再興 せし むる 計画 なる へし なと 云ふ もあ り︒ 予は
︑此 事は 此の 如き 意を 持て は清 政府 より 正々 堂々 と談 判す へし
︑此 位の こと に和 好を 破る こと ある まし く︑ 又喧 嘩を 仕掛 て琉 球事 件を 持出 す如 き拙 策あ るべ から ず︑ 長崎 事件 にて は到 底琉 球の 口実 にな らさ るな り︒ 只に 夫の 事件 は李 氏の 脳底 に蔵 して 忘れ さる べく
︑早 晩事 ある へし と思 はる
︒日 本の 老練 将校 方も 矢張 到底 は一 戦を 遂け さる べか らず との 意見 を持 てる 由︒ 或る 人は 此の 事に 付き 羅豊 録氏 に問 ひた るに
︑氏 は充 分の 償金 と謝 罪状 より 日本 より 取り 閉口 せし むる なる べし と答 へた りし とか
︒片 山氏 及北 條鷗 所北 京よ り来 着︒ 二十 二日 日 此夕 佐々 木氏 支那 料理 の を受 く︒ 二十 三日 月 此日 日本 より 電報 あり たる 由︑ 日本 人は 四人 死し 十九 名傷 きた り︑ 正理 証拠 充分 にあ ると か︑ 領事 は直
︹ち に︺ 李鴻 章に 面し たる
︑此 度は 大に 和ら き温 順平 安な りし とか
︒ 貞助 氏の 書至 る︒ その 兄死 す︑ 及徴 兵の 事︒ 二十 四日 火 此夕 北條 氏の 南下 をす るを 以て 吉田 氏へ の書 状を 托す
︒中 に小 笠原 氏に 送る 信︑ 其内 に片 岸︑ 種市 に送 る二 通あ り︒ 此れ は先 月中 に草 たれ とも 未た 出す 便あ らざ りし
︒ 二十 五日
水 晴︑ 有雲
仏人 ガレ ー氏 の妾 前房 に来 る︒ ガレ ーの 日本 語を 善く する は︑ 隣室 に居 て之 を聴 き分 ち難 き程 なり
︒氏 は維 新の 頃は 榎本 氏な どと 箱館 に據 て︑ 又越 後辺 にも あり たる 由︒ 其後 公使 書記 とな り︑ 清仏 起る に及 ひ氏 は清 にあ り︑ 諸方 に奔 走尽 力し たれ とも 政府 と論 合は さる を以 て官 を辞 し︑ 此度 は鉄 道会 社に 聘せ られ 売込 の為 め当 地に あり
︒ 二十 八日
雨 土 此日 積氏 大に 予か 懦弱 を攻 む︒ 氏曰 く︑ 予は 子を 遇す る厚 し︑ 金を 投し て呼 ひ︑ 師に 就て 学は しめ 卓を 同ふ して 食す
︒堂 々鞠 躬の 節を 致す へし
︒而 るに 不満 の色 あり て事 を治 めす
︑此 れ何 そや
︒予 は此 の如 き人 を要 する なし と︒ 予一 言の 以て 答ふ るな し︒ 予は 元と 害鈍 敢進 勇為 の才 なく
︑因 循姑 息の 気あ り︒ 常々 自ら 省す るも 改む る能 はず
︑可 悲哉
︒此 日家 郷に 信を 送る
︒此 信は 上海 に在 るの 日に 草し たれ とも
︑当 地に 来り て教 師に 就き たる 故徴 兵令 の届 をな すに 手間 取り 遷引 した るな り︒ 貞助 に信 を送 り其 兄の 死を 弔す
︒安 保氏 の信 を包 む︒ 三十 一日 此夜 はà 日な るを 以て 勘定 なす に二 時頃 に及 ひた り︒ 八月
中 此月 随分 多事 の月 にて
︑兵 卒船 に上 り︑ 又々 天津 に来 るこ とと なり
︑来 後暫 くの 間は 何故 か心 中悶 し︑ 世事 に疎 とく なり たる か如 くな りし
︒継 て長 崎事 件起 り皆 な一 驚を 喫し
︑其 後何 分穏 なら ず︒ 俄は 朝鮮 の或 る港 を艦 船の 碇泊 所と なさ んか 為め に強 談し たる によ り︑ 李氏 の援 助を 仰く に至 り︑ 張道 憲︑ 文侍 郎の 如き も其 の為 めに 派し
︑ 又旅 順よ り提 督宋 慶が 三営 の兵 を率 て朝 鮮に 行き たり との
も あり
︑鉄 道は 間平 より 台 に増 設す るこ とに 決し
︑
敷木 も売 れ︑ 仏人 某は 支那 固 者流 の自 大自 尊の 鼻を 挫き 文明 の悟 を開 かし めん か為 めな るへ し︑ 紫竹 林墓 地前 に軍 用鉄 路を 布き 敷木 を要 せさ る者 運転 の試 験を なし
︑其 妙用 を感 せし め︑ 而る 後売 込ま んと の巧 みな り︒ 其の 考の 大な るこ とは 日本 人に 思ひ 寄ら ぬな り︒ 清国 は益 々力 を尽 して 鉄道 を開 くに 至る べし
︒先 つ 台よ り太 沽︑ 太沽 より 天津 より 通州 及北 京︑ 又天 津よ り山 海関 に通 する 目論 見も ある 様子 なり
︒武 備堂 新築
︑煥 輪中 堂臨 験し 生徒 は已 に徒 れり
︒又 博学 館と て洋 務者 を造 出せ んと の目 的に て︑ 天文 地理
︑測 量︑ 機器
︑軍 械︑ 理学 を修 めし ける 由︒ 此れ は海 軍の 助け にも なさ んと の見 込な るべ し︒ 当地 半年 許り も居 らさ る内 に︑ 新造 美麗 の家 一数 家も 出来
︑追 々駸 々と 盛大 に赴 く景 況な り︒