奈良国立文化財研 究所 が藤原宮跡 の発掘調査 をは じめてか ら今年 で18年とな った。 日本古文化研究所 の戦前 の調査、および国道165 号バ イパ ス建設計画 に ともな う奈良県教育委員会 の調査成果 を総合 す る と、大極殿 や朝堂院、宮 の外郭施設 や官衡地域 の解明 はもとよ り、藤原京 内の条坊制 も次第 に明 らか にな りつつある。 しか し、京 内の従来 の調査 は、お もに道路建設事業 や、比較 的小規模 な宅地開 発 な どに ともな うものであ ったため、大路、小路 の割付 けや幅員、
あるいは坪 内の状況 の一部 を確認 するに とどまっていたのが現状 で ある。
その中で1976年にお こなわれた藤原宮 の第19次調査 で は、右京七 条一坊西南坪 の北辺部 を調査 して、坪 の中軸線上 に位置す る掘立柱 建物 や坪 内 を仕切 る塀 を検 出 し、一坪全体 を敷地 とす る宅地の存在 が推定 されていたのである。今 回はその第19次調査 区の南 、坪 の中 心部 を含 む広 い範囲 を調査す る こととなった。 その結果、予想 の と お り正殿 を坪 の中心 に置 き、東西脇殿 や後殿 を規則的 に配 し、正殿 の前 に中門、 さらに南 に南 門をもつ建物群 の構成が明 らか とな り、
一坪全体 を敷地 とした高位 の官人 、 または貴族の邸宅であった と想 定 されるに至 ったのである。 このよ うに宅地内の】犬況 をほぼ↓巴握 で きた調査 は今 回が は じめてで、藤原京の調査研究 の うえに重要 な成 果 をあ,デた と言 うことがで きよ う。
なお、今 回の発掘調査 は、橿原市 の住宅建設 に ともな う事前調査 で、藤原京右京七条一坊発掘調査会が橿原市か ら委託 を受 け、奈良 国立文化財研究所飛′烏藤原宮跡発掘調査部 が調査 を担 当 した。 この 調査 の実施 にあた り、地元住民 の方 々か ら多 くの御協力 をいただい た ことに厚 く感謝す る次第である。
19874F3月
奈良国立文化財研究所飛′烏藤原宮跡発掘調査部長