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プ ラ ハ の ガ ス 灯

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Academic year: 2021

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プ ラ ハ の ガ ス 灯

小 葦 幸 夫

もう四半世紀 も前の話 になる。

当時はまだ東西冷戦の時代で、僕は西 ドイ ツのマールブルク大学 に留学 してい た。マールブル クは東西 ドイツの国境 に近か った こともあ り、テ レビでは東 ドイ ツの番組 も見 ることができた。西側 のニュースを都合よ く編集 して、勝手なコメ ン トを加 えた …schwarzerXanal"(「黒 いチ ャンネル」)というような番組 もあっ たが、一方東西双方で作 っていた子供 向けの …sandmannchen"(「砂男」が子供 が寝 る前にお話 をして くれ、その後で子供 の 日に砂 をかける。 この砂は 目に入 っ ても痛 くはな く、子供は砂がかかると寝入 って しまう)では、 明 らかに東側 の方 が レベルが高か った。

さて ある時学生 向けのプ ラハ行 きのツアー の広告が 目に入 った。幸 い休暇 中 だった し、 フランクフル トか らの往復 のバス代 と一週間の宿泊費込みでわずか2 万 円という当時で も破格の値段だったので早速 申し込んだ。

バスに揺 られて5‑ 6時間程度、途 中国境では全員がバスか ら降ろされ、半時 間はど入念にバスの中を検査 された。特 に西側 の新聞や雑誌が対象だった。

さ らにバス に揺 られて4‑ 5時間、 よ うや くプ ラハ に着 いたが両替はバスの中 でさせ られた。 1万円程度 しただけだ ったが、それで充分間に合 った。 当時は物 価が西側 の10分の1程度 に過 ぎなかった。

泊 まったのは学生寮だ った。机 とベ ッ ド、洗面台だけの簡単 な作 りだった。

ベ ッ ドが挨っぽ い感 じが したので、試 しに机 の上 を触 ってみると砂嬢が溜 まって ざ らざ らして いた。 トイ レッ トペーパー も粗悪 な ものだ ったが、朝食は ビュッ フェスタイルでソーセー ジもつ く豪葦な ものだった。

昼 と夜は外で食べな くてはな らないので市電 に乗って街 まで行 ったが、早速検 札にあった。他 の人を調べず いきな り我々のところに来たのを見 ると、 どうや ら 外国人を標的にしているようである。切符は買 っていたので恐れ る必要はなかっ たが、何だか少 し嫌な気が した。

街 の中心に着 きスタン ドで ジュース を飲 んだが、粉末 ジュースのような味で何

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ともまずかった。薄暗い上に店 の対応 も悪 く、 これが社会主義か と思 ったほどで ある。値段は20円くらいだった。

翌 日はカ レル大学のスカー ラ先生 と会い、文学カフェやカフカが勤務 していた 保険会社 を案 内していただいた。先生はその前年 に来 目して札幌 と広 島でそれぞ れ1週間初期新高 ドイ ツ語 のゼ ミを催 し、それ に僕 も参加 したのだが、その時恩 師の依頼で小樽や積丹 を車で案 内 した。そ の時 の ことをよほ ど恩 に感 じて くだ さったのであろう、大変歓迎 して くれ、プ ラハだけでな くカルルテユタイ ン城や ドヴォルザークの生家にまで案内 して くださった。カルル シュティ ン城は有名な 観光地なので観光バスな どのツアー もあるが、 ドヴォルザークの生家はスカー ラ 先生の助けな しでは行 けなかっただろう (事実そ の後4回もプ ラハ を訪れている のだが ドヴォルザー クの生家 を見学 したのは この時だけである)0

スカー ラ先生は ドイツ語 ‑チ ェコ語 の辞書 も編纂 している世界的に有名な大学 者であるが、なぜか教授ではな く講師だった。初めてお会 いした時 「チ ェコでは 教授 よ り講師の方が偉 いのだ」 とおっしゃっていたので、生来呑み込みの悪 い僕 は額面 どお りそ んな ものか と受 け取 って いたのだが、 ここにきてそ の真意 が分 かった。スカー ラ先生は共産党員 になるのを拒否 したため昇進できなかったので ある。おそ らく ドイツの大学か らもポス トの提供があったであろうが祖国を愛す る先生はチ ェコを離れる ことはなかった。 ビロー ド革命 の後 に早速教授 にな られ たのは言 うまでもない。

自由を求める人は他 にもいた。 旧市街 の レス トランで食事 をしていた時の こと である。30代 くらいの男性 が英語で話 しか けて きた。顔や服装で 日本人 と判断 したのであろう。 「プラハの春」の話や共産主義下でのソ連の圧制について熱っぽ く語 っていた。他 の人に聞かれては困るのでは とこち らが心配 したほどだが、庶 民の行 くレス トランだったので多分他の客は我 々の会話 を理解できなかったのだ ろう。

ヴェ トナムか ら来た学生に話 しかけ られた こともあった。最初は何で こんな所 にヴェ トナム人がいるのだろうと不思議 に思 ったのだが、少 し考 えて合点がいっ た。 当時ヴェ トナム人が行 ける外国 といえばチ ェコか東 ドイツが限度だったので ある。彼は しき りに西側 の様子 を聞きたがっていた。単なる好奇心 というよ りも

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幕末 に欧米 に渡 った若者 たちのよ うに、祖 国の未来 を見つめる真剣な眼差 しで あった。

さてプラハ に行 った ら誰 もが訪れる場所がある。カ レル橋 とプ ラハ城である。

プラハ城は聖ヴィ‑ ト大聖堂、 旧王宮、聖イジー教会、黄金小路な どか らなる巨 大な複合体である。黄金小路は

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年 に造 られた もので、最初は城内に仕 える召 使な どが住 んでいた。やがてその一角 に錬金術師たちが住むよ うにな り、 このよ うに呼ばれるよ うになった と言われている。 ここにはカフカが住 んでいた家があ る。カフカの 「城」 を読んだ時、城が街 になっているというイメー ジがつかめな かったが、 ここに来てそれが分かったような気が した。今では土産物屋が入 って お り、 しか も入場料 まで取 るので文字通 り 「黄金小路」 になっているが、以前は そ うではなかった。ひ ょっとした ら入場料は払 ったか もしれないが、少な くとも 土産物屋な どはな く、 しば しカフカの世界 に浸 ることができた。

カフカはプラハの 目玉の一つのようで今 までは旧市街広場の側 にある生家 しか なかったが、2005年 にヴルタヴァ (これはチ ェコ語の名称で ドイツ語ではモルダ ウ)川河岸 にフランツ ・カフカ博物館ができた。 レプ リカではあるが厳選 された カフカの 日記や手紙、写真や初版本な どがあ り、カフカの生涯がよ く分か るよう になっていて、カフカフアンな らず とも訪れてみたい ところである。

さてプラハ城 を後 にして旧登城道 を降 りてい くと (余談だがプ ラハ城は高い丘 の上にあるので文字通 り 「登城」とい言葉がぴった りである)、階段沿 いの細 い道 の所々に街灯がある。

初めて ここを通 りかかったのはち ょうど黄昏時。モルダウ川の向 こうに赤 い屋 根の旧市街が見 えるこの道 は、観光客 もまば らにな り、夕焼け雲 の浮かんだ空は 紫色 に変わ りつつあった。ふ と見 ると長い棒 を下げた男がや って くるO何かな と 思って見ていると街灯 に灯 りを点 し始 めた。 「星の王子 さま」で読んで知 ってはい たが、 まさか今で もこんな仕事 をしている人がいるとは思わなかった。電灯が一 気にパ ッとっ くのとは違 い、 目の前で一つ また一つ と灯 りが増えてい くのである。

当時はまだ暗かったプ ラハの通 りが灯 りが点 るごとに少 しずつ明るくなってい く。

まるでそ こだけ時間が止 まって いるか のよ うだった。 しば らくそ の場 に立 ち止 まってすべての灯 りが点 され るのを待 っていた ら空はす っか り暗 くなっていた。

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心の中まで温か くなるよ うなガス灯の光 を見 ることはもう二度 とないだろうが、

思い出す度 に社会主義の中で心の灯火 を点 し続けたチ ェコの人々の思いまでが重 なって くるのである。

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(ヴルタヴァ川の向 こうにプ ラハ城 を望む)

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中り■一柳̀'W/I'VWE咋ylpp、■VLシー仰 柵叩′ヽ汁〈fへ一√一〜

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(プラハ城か ら見た旧市街)

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(かつてのガス灯、現在は電化 されている)

参照

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