1 は じ め に
本論文では1958年から1998年の暦年データを用いて,コインテグレーショ ン分析による戦後日本の家計貯蓄関数の推定を行う.また,得られた推定式 を用いて,家計貯蓄の上昇期や下落期における各々の説明変数の貯蓄変動に 対する寄与率を計算し,戦後日本の家計貯蓄変動の説明を試みる.
一般にマクロ経済で用いられるデータは非定常な変数を多く含んでおり,
これが見せかけの相関といわれる問題を引き起こす.見せかけの相関とは,
非定常な変数の間の系列相関を無視して通常の最小二乗法をおこなうと,お 互いに独立な変数の間でも有意な関係があるかのような結果が得られること をいう1).本論文で用いるコインテグレーション分析とは,このような問題 に対処するため1980年代から発展してきた時系列データの新しい分析手法で あり,ユニットルート検定,コインテグレーションテスト,動学的誤差修正 モデルの推定によって構成される.
このコインテグレーション分析を用いて日本の消費関数を推定した文献
【論 説】
戦後日本の家計貯蓄に関する実証的研究
*⎜コインテグレーション分析によるアプローチ⎜
東 良 彰
* 同志社大学の森一夫教授は学部時代からの恩師であり,計量経済学に関するさまざまなご指導を 頂いた.また同志社大学の中尾武雄教授からは,コインテグレーション分析やそのマクロ経済問 題への応用など,この論文の執筆のきっかけとなる多くのご指導を頂いた.ここに記して感謝し たい.なお,この研究は平成17年度私立大学等経常費補助金特別補助高度化推進特別経費大学 院重点特別経費(研究科分)の助成を受けている.
1)見せかけの相関に関する詳細な内容はGranger and Newbold(1974)を参照されたい.
に,Horioka(1996)や中尾(1997)がある2).Horioka(1996)は,1955年から 1993年の長期年次データを用いて,バブル経済期の資産価値の上昇が家計消 費に大きな影響をもたらしたことを明らかにしている.また中尾(1997)では,
1970年の第4四半期から1993年の第4四半期までの四半期データを用いた 日本の消費関数の推定を行っている.
本論文では,より最近のデータも取り入れた分析をとおして,バブル経済 崩壊以降の家計消費・貯蓄選択行動についても理解を深めたい.第 1 図は戦 後日本の一人あたり実質家計貯蓄(以降,単に家計貯蓄と呼ぶ)の時系列を示し たものである.この図から明らかなように,バブル経済の崩壊以降,日本の 家計貯蓄は上昇傾向にあり,この上昇傾向がどのような要因によってもたら されているのかを明らかにすることは,今後のマクロ総需要を推測する上で 重要な役割を果たすと思われる.
第 1 図 戦後日本の一人あたり実質家計貯蓄の動き
また,第1図より家計貯蓄の変動は1958年から1976年の上昇期,1976年
2 )関連文献として,コインテグレーション分析により日本の貯蓄率関数を推定した文献にホリオカ,
井原,越智田,南部(1992),Horioka(1997)およびAzuma and Nakao(2004)がある.
から1990年の下落期,そして1990年から1998年の上昇期の3期にわけられる.
これらはそれぞれ高度成長期,安定成長期およびデフレ不況期とほぼ対応し ている.本論文では,まず前半で,1958年から1998年の41年にわたる長期 暦年データを用いた家計貯蓄関数の推定を行う.その上で本論文の後半では,
前半に得られるコインテグレーション分析の推定結果にもとづいて,これら 3つの期間における家計貯蓄の変動を要因別に分解し,戦後日本の家計貯蓄 変動の説明を試みる.
本論文の構成は以下の通りである.2章では,仮説を提示した後,推定に 用いるデータについて説明する.3章では,家計資産データの一つとして郵 便貯金残高を用い,コインテグレーション分析にもとづいた家計貯蓄関数の 推定を行う.動学的誤差修正モデルの推定については補論で取り扱う.4章 では,郵便貯金残高を含むより広い資産概念の導入が推定結果にどのような 影響をもたらすかを分析する.5章では,家計貯蓄の上昇期と下落期にわけて,
各々の説明変数の家計貯蓄変動に対する寄与率を計算し,戦後日本の家計貯 蓄変動の説明を試みる.6章では,得られた実証結果を整理する.
2 仮説とデータ
仮説
家計貯蓄に影響を与える変数として多くの候補が考えられるが3),本論文 では,家計の可処分所得,家計の純金融資産,家計の住宅資産,高齢化の程度,
失業率そして実質利子率を考える.
日本では人々は家賃を支払って借家に住むよりも自らの家を購入すること を好むようである.これは借家の住環境が相対的に低いことが原因として考 えられる.しかし日本では銀行からの借り入れ額に限度があり相当数の家計 が流動性制約に陥っていると考えられる.例えば,家計は家屋を購入する際
3 )例えば,Cigno and Rosati(1997)は,年金受給者数が与えられたもとで,一人あたり年金受給額の 増大は貯蓄を減少させることを実証的に示している.貯蓄(率)に影響を与えるさまざまな変数に 関する議論は,例えば,Horioka(1991)を参照されたい.
に40%の頭金が必要といわれる.また一般に高齢者は自ら所有する土地を担 保に消費することができない.
このような流動性制約のもとでは,家計の消費は現在の可処分所得と安全 で流動性の高い純金融資産に依存して決定すると考えられる.このような消 費関数から,可処分所得は貯蓄に対して正の効果を持ち,純金融資産は貯蓄 に対して負の効果を持つことが予想される.また純金融資産や住宅資産の増 大は,流動性制約にある家計の割合を減少させて貯蓄を減少させる効果も期 待される.
次に高齢化が貯蓄に与える影響を考える.ライフサイクル仮説によれば,
人々は若年期に働いて貯蓄をし,老年期に仕事を引退して貯蓄を切り崩す.
したがって,高齢者比率の上昇は貯蓄を減少させる効果を持つはずである.
また実質利子率が貯蓄に与える影響は,所得効果と代替効果の大きさによっ て理論的には不確定である.
また失業率の上昇は,失業していない労働者に対して,第一に解雇される 可能性を高めることになるし,第二に条件のより好ましい職に転職する機会 を減少させる.これらは期待所得の減少となって,将来消費のために現在の 貯蓄を増大させる効果を持つことが予想される4).
データ
次に推定に用いるデータについて具体的に説明する.サンプルは暦年デー タで,推定に用いる期間は1958年から1998年の41年間のデータを用いる.
家計貯蓄と家計可処分所得のデータは,国民経済計算から個人企業を含む家 計貯蓄と家計可処分所得のデータを用いる.郵便貯金残高は郵政行政統計月 報からデータを得た.これらのデータは人口で割って一人あたりとし,家計 最終消費支出デフレーターで割って実質化している.変数はそれぞれ簡略化 して,SPN,YDPNおよびPSPNと表す.失業率には,労働力調査から完全
4)関連する実証研究についてはFlavin(1985)やCraigwell and Rock(1995)を参照されたい.
失業率(U)を用いる.男性の労働力人口比率(LPM)は男性の労働人口を男 性の15歳以上人口で割った値である.この論文では,1−LPM,すなわち男 性の非労働力人口を男性の15歳以上人口で割った値を高齢化の尺度に用い る.男性の非労働力人口には,男性の失業者および労働に参加していない学 生や高齢者が含まれる5).利子率には,国内銀行の貸出約定金利から家計最 終消費支出デフレーターの変化率をひいた実質利子率(IP)を用いる.
3 コインテグレーション分析による貯蓄関数の推定
コインテグレーション分析の第一ステップはデータの時系列的特性を調べ ることである。具体的に,それぞれの変数について,変数自身の時系列がユ ニットルートをもち、変数の第1階差をとった場合には定常変数となるか を確認するためにユニットルート検定を行う.ユニットルート検定にはさま ざまな方法があるが,この論文では最も強力とされるAugmented Weighted Symmetric Tau検定[Pantula, Gonzalez-Farias, and Fuller(1994)],最も一般的 と さ れ るAugmented Dickey-Fuller検 定[Dickey and Fuller(1979)], さ ら に Phillips-Perron検定[Phillips and Perron(1988)]を用いる.
第 1 表には,推定結果のタウ値とp値(括弧内)が示されている.これらの 推定結果はすべて定数項とトレンドを説明変数として含んでいる.これらの 結果について,変数自身の時系列をみると,すべての変数についてユニット ルートを持つことが確認される.一方,一階の階差をとった場合には,SPN
とUのDickey-Fullerテストでユニットルートを持つという帰無仮説は棄却で
きない.しかし,その他のテスト結果も含め総合的に判断するかぎり,すべ ての変数について定常変数であると結論してよいであろう.以上の分析から,
すべての変数が「I(1)変数」であると判断して分析を進める.
5 )60歳以上人口はI(1)変数ではなかったのでこの論文では用いないが,1960年から1997年のデー タを用いてLPMと60歳以上人口の相関係数をもとめたところ,−0.90と非常に高かった.なお,
男性と女性をあわせた労働力人口比率と60歳以上人口の相関係数は−0.65となり,高い値とはい えない.これは日本の労働市場において相当数の女性労働者がパートタイマーとして働いているた め,女性の労働参加率が安定的に推移しないためであると思われる.
(A)変数値のケース
SPN YDPN PSPN LPM U R
Wtd. Sym. −1.62 −0.47 −1.46 −1.80 −1.83 −1.91
(0.84) (0.99) (0.99) (0.76) (0.75) (0.70)
Dickey-F −1.79 −1.75 −0.08 −3.38 −1.83 −2.41
(0.70) (0.72) (0.99) (0.05) (0.68) (0.37)
Phillips −3.43 −2.59 0.06 −7.63 −6.17 −13.90
(0.91) (0.95) (0.99) (0.61) (0.73) (0.22)
(B)変数値の階差をとったケース
△SPN △YDPN △PSPN △LPM △U △R
Wtd.Sym. −2.79 −3.60 −3.59 −3.44 −2.88 −4.29
(0.14) (0.01) (0.01) (0.02) (0.11) (0.00)
Dickey-F −2.56 −3.86 −3.29 −3.50 −2.57 −4.01
(0.29) (0.01) (0.06) (0.03) (0.28) (0.00)
Phillips −28.34 −17.04 −38.30 −23.05 −28.65 −43.69
(0.01) (0.12) (0.00) (0.03) (0.01) (0.00)
第 1 表 ユニットルート検定結果
コインテグレーション分析の第2ステップは,これらの変数がコインテ グレートされるかどうかを検定することである.この検定のために,まず,
Engle and Granger(1987)によって提案されたコインテグレーション回帰分析
を行う.これは単に貯蓄関数を最小二乗法で推定することを意味する.もし この推定式の残差が定常的であれば,この推定結果は長期的に安定的な関係 で,経済学的には貯蓄関数であるとの解釈が可能となる.この推定結果は,
SPN=−11.46+0.33YDPN−0.02PSPN+0.11LPM+0.60U−0.04IP, (1)
(−4.11) (19.46) (−15.08) (3.59) (8.35)(−4.97)
自由度修正済み決定係数=0.977, and CRDW=1.21.
となる.残差項の分散が有限でないなどt検定のための条件が満たされてい ないが参考のため括弧内にt値を提示している.
Banerjee, Dolado, Hendry, and Smith(1986, pp.259-262)は,サンプル数が小さ い場合には推定された係数には無視できないほどの大きな偏りが存在するが,
決定係数が大きい場合には推定係数全体としての偏りが小さくなることを示 している.(1)式の場合は,自由度修正済み決定係数が0.977と非常に高い ためこの点で問題はないであろう.
CRDW(Cointegration Regression Durbin-Watson)の値は,通常の回帰分析のダー ビンワトソン値に該当する統計量で,この値を用いてコインテグレーション 検定を行うことができる.Sargan and Bhargava(1983)によれば,この値が 0.51以下であれば有意水準1%でコインテグレーションは棄却されるが,(1)
式では1.21であるから棄却されない.またEngle and Granger(1987)による Engle-Granger(tau)cointegration testsにおいてp値が0.1以下であればコイ ンテグレーションは棄却されるが,テスト結果はp値が0.63でありこの推定 では棄却されない.
コインテグレーション検定で最も強力な方法はJohansen(1988)やJohansen
and Juselius(1990)の最尤法による検定である.検定結果は第 2 表に示され
ている.ここでrはコインテグレーションベクターの数を表す.第2表が示 すとおり,コインテグレーションベクターが存在しないという帰無仮説は5%
水準で棄却される一方,コインテグレーションベクターが一つ以上存在する という帰無仮説は棄却されない.ここでは,コインテグレーションベクター が一つであり,(1)式がそのベクターを表すとして分析を進める.
仮説 r=0 r≦1 r≦2 r≦3 r≦4 r≦5 トレース値 105.34 59.37 33.74 13.11 5.53 0.75
p値 (0.04) (0.53) (0.74) (0.91) (0.81) (0.40)
第 2 表 Johansenのコインテグレーション検定結果
コインテグレーション分析の最後のステップは誤差修正モデル(Error
Correction Model: ECM)の推定である.(1)式が長期的関係を示すのに対して,
誤差修正モデルは短期の動学的な調整関係を示す.長期関係を示す(1)式の 推定係数が正しいコインテグレーションベクターであれば,一期遅れの残差 項の推定係数はマイナスで1より小さく,かつ統計的に有意でなければなら ない.ただし,この係数については,残差項が正規分布に収束しないため通 常のt検定を用いることができない.Hendry(1991)によれば,統計的に有意 であるためには,t値の絶対値がほぼ3以上である必要がある.本論文の関心 は長期的関係を示す(1)式にあるが,誤差修正モデルの推定結果に関心のあ る読者は補論を参照されたい.
4 資産と貯蓄
前章の推定結果から,郵便貯金残高の増大は家計貯蓄を減少させることが わかった.同じ分析結果は中尾(1997)でも得られているが,本章ではさらに 広義の資産を説明変数に用いた家計貯蓄関数の推定を試みる.資産のデータ は,長期遡及統計の国富統計より家計部門の株式以外の純金融資産(金融資産
−負債でADBPNと表記),株式(STPN),住宅(FAPN)そして土地(LPN)を用
いる.これらのデータは人口で割って一人あたりとし,家計最終消費支出デ フレーターで割って実質化している.
コインテグレーション分析の第一ステップとして,それぞれの変数のユニッ トルート検定の結果が第 3 表に示されている.この検定の結果から,土地に ついては(1)変数でないことは明らかであるが,その他の変数についてはI (1)I 変数と考えてよいであろう.
ユニットルート検定の検定結果に基づき,郵便貯金残高のかわりに株式以 外の純金融資産を用い((2)式),その他の資産として株式や住宅も考慮して コインテグレーション回帰分析を行った結果(それぞれ(3)式および(4)式)
が第 4 表にまとめられている6).t値も自由度修正済み決定係数もともに統計
6 )資産として,株式,株式以外の金融資産,住宅のすべてを説明変数として推定した場合,株式 の推定係数が0であるという帰無仮説は10%水準で,また住宅の推定係数が0であるという帰無
仮説は5%水準で棄却できなかった.またヨハンセンによるコインテグレーション検定で,コイ
ンテグレーションベクターが存在しないという帰無仮説も棄却できなかった.
(A)変数値のケース
ADBPN STPN FAPN LPN
Wtd.Sym. 0.73 −2.66 −0.85 −2.35
(0.99) (0.20) (0.98) (0.38)
Dickey-F −0.34 −2.40 −1.16 −2.82
(0.98) (0.37) (0.91) (0.18)
Phillips −0.30 −9.90 −4.65 −7.33
(0.99) (0.44) (0.84) (0.63)
(B)変数値の階差をとったケース
△ADBPN △STPN △FAPN △LPN
Wtd.Sym. −3.05 −3.79 −2.93 −2.35
(0.07) (0.00) (0.10) (0.38)
Dickey-F −2.86 −3.51 −2.74 −2.05
(0.17) (0.03) (0.21) (0.57)
Phillips −31.81 −35.97 −21.46 −13.38
(0.00) (0.00) (0.05) (0.24)
第 3 表 ユニットルート検定結果
(2)式 (3)式 (4)式 定数項 −13.05 −10.97 −13.63
(−5.01) (−4.14) (−5.51)
YDPN 0.32 0.32 0.38
(20.91) (22.03) (13.29)
ADBPN −0.07 -0.07 −0.08
(−16.34) (−16.47) (−16.99)
STPN −0.01
(−2.19)
FAPN −0.05
(−2.28)
LPM 0.14 0.11 0.14
(4.68) (3.81) (5.07)
U 0.34 0.30 0.39
(5.91) (5.18) (6.66)
IP −0.05 −0.04 −0.04
(−5.52) (−5.55) (−4.65)
自由度修正済み決定係数 0.980 0.982 0.982
CRDW 1.13 1.36 1.04
第 4 表 貯蓄関数の推定結果
的に有意で,かつCRDWから判断するかぎりいずれの推定式もコインテグ レートされた関係のようである.
第4表に示される3本の推定式がすべてコインテグレートされる関係をあ らわすのかどうかについてさらに厳密に判断するため,ヨハンセンの最尤法 による検定を行った結果が第 5 表に示されている.
仮説 (2)式 (3)式 (4)式
r=0 101.34 129.71 176.46
(0.08) (0.11) (0.00)
r≦1 53.14 86.99 82.21
(0.76) (0.41) (0.58)
r≦2 32.34 57.93 53.31
(0.79) (0.59) (0.76)
r≦3 15.18 38.13 35.30
(0.86) (0.56) (0.68)
r≦4 5.30 20.51 21.61
(0.82) (0.63) (0.56)
r≦5 0.63 5.43 10.58
(0.44) (0.82) (0.41)
r≦6 0.15 1.61
(0.58) (0.19)
第 5 表 Johansenのコインテグレーション検定結果
郵便貯金残高のかわりに株式以外のすべての純金融資産を用いた推定では コインテグレーションベクターが存在しないという帰無仮説は5%水準では 棄却されないが10%水準では棄却される.そこで,株式以外の純金融資産に くわえ株式を説明変数として加えるとコインテグレーションベクターが存在 しないという帰無仮説は10%水準でも棄却できなくなる.一方,株式以外の 純金融資産にくわえ住宅を説明変数として加えるとコインテグレーションベ クターが存在しないという帰無仮説は1%水準でも棄却されるという結果を 得た.以上の結果から,家計貯蓄に影響を与える資産として,株式以外の純
金融資産と住宅が影響を与えていると考えるのが妥当であろう7).
第 2 図には,戦後日本における株式以外の純金融資産,株式,住宅および 土地の一人あたり実質資産価値の動きがプロットされている.この図から明 らかなように,株式や土地の一人あたり資産はバブル経済の崩壊とともに実 質価値が大幅に下落したが,株式以外の純金融資産の一人あたり実質価値は バブル崩壊後も上昇を続けている.また,住宅資産の一人あたり実質価値に ついても,1980年代以降緩やかな上昇傾向にある.このように,景気の変動 に対して実質価値が敏感に反応する株式や土地に比べ,住まいや株式以外の 金融資産に対する収益は景気変動の影響が相対的に少ないと考えられる.ヨ ハンセンの最尤法による検定結果から判断すると,家計貯蓄は景気の影響を 受けにくいこれらの資産に依存して変動すると考えられる.
最後に資産以外の説明変数についても,簡単に推定結果を要約しておこう.
まず,一人あたり実質家計可処分所得の増大は家計貯蓄を増大させる.また この変数の時系列の動きは分析期間中ほぼ一貫して上昇トレンドを持つ.高
7 )(4)式に対応する動学的誤差修正モデルの推定に関心のある読者は補論の分析を参照されたい.
第 2 図 戦後日本における株式以外の純金融資産,株式,
住宅および土地の一人あたり実質資産価値の動き
齢化(ここでは男子労働力率の減少)は家計貯蓄を下落させる.一方,完全失業 率の上昇は家計貯蓄を増大させる.また完全失業率の時系列的動きについて は,1970年以降上昇トレンドを持つがバブル経済の崩壊後は特に急激に上昇 していることが観察される.また実質利子率については,その上昇が家計貯 蓄を下落させるという推定結果を得た.
5 家計貯蓄変動の要因分解
序論でも述べたとおり家計貯蓄は1976年まで年々上昇し続けたが,それ以 降は1990年まで下落トレンドをもち,1990年からは再び上昇トレンドに転 じている.本章では前章でえられた推定結果の(4)式を用いて,上記の3つ の期間におけるそれぞれの説明変数の家計貯蓄変動に対する寄与率を計算し,
戦後日本の家計貯蓄変動の説明を試みる.以下の第 6 表は寄与率の計算結果 をまとめたものである.
YDP ADBPN FAP LPM U IP 合計
1958-1976 1.50 −0.29 −0.16 −0.18 0.00 0.13 1.00
1976-1990 2.95 −2.45 −0.48 −0.74 0.05 −0.32 −1.00
1990-1998 2.05 −2.81 −0.05 0.02 1.58 0.18 1.00
第 6 表 各説明変数の家計貯蓄変動に対する寄与率
まずは第6表から読み取れる主要な特徴を説明変数別にまとめておこう.
実質可処分所得:一人あたり実質可処分所得増大の家計貯蓄増大に対する寄 与率は,分析期間中一貫して極めて高い水準にある.
株式を除く純金融資産:株式を除く純金融資産増大の家計貯蓄下落に対する 寄与率は,純金融資産の増大とともに増大し76年以降は極めて高い水準と なっている.特に1990年から1998年の寄与率の絶対値は,すべての説明変 数の中で最も高くなっている.
住宅資産,高齢化:住宅資産の増大や高齢化の家計貯蓄下落に対する寄与率は,
1976年から1990年を除いて低率にとどまっている.
完全失業率:完全失業率上昇の家計貯蓄増大に対する寄与率は,1990年から 1998年については相当高い値となっているが,その他の期間についてはほぼ 0の水準である.
実質利子率:実質利子率上昇の家計貯蓄変動に対する寄与率は,分析期間中 ほぼ一貫して低い水準にとどまっている.
次に,これらの説明変数別特徴をふまえ,第6表から読み取れる各期間別 の主要な特徴をまとめておこう.
1958 年から 1976 年:家計貯蓄の上昇期
この時期に観察された家計貯蓄の上昇に圧倒的に寄与していたのは家計可 処分所得の上昇である.この時期の純金融資産は過小であり,資産効果によ る家計貯蓄の減少分はわずかであった.
1976 年から 1990 年 : 家計貯蓄の下落期
1976年から1990年には,家計可処分所得上昇の家計貯蓄上昇に対する寄 与率は1958年から1976年のほぼ2倍に達したが,純金融資産上昇の家計貯 蓄下落に対する寄与率もそれ以上の圧倒的な勢いで上昇した.さらに金融資 産の増大に伴って家計の住宅環境も改善し,住宅資産増大の家計貯蓄下落に 対する寄与率も上昇した.その結果,株式を除く純金融資産と住宅資産をあ わせた資産効果による家計貯蓄の減少分は,所得効果による家計貯蓄上昇分 とほぼ拮抗する状況となった.しかし実際にはこの時期の家計貯蓄は全体と して下落した,これは高齢化が進んだことによる家計貯蓄下落の効果がこの 時期に強く働いたためである.
1990 年から 1998 年 : 家計貯蓄の上昇期
1990年から1998年には,高齢化や住宅資産の増大は家計貯蓄の下落にほ とんど影響をもたらさなかった.一方,純金融資産増大の家計貯蓄減少に対 する寄与率は可処分所得増大の家計貯蓄増大に対する寄与率を上回り,資産 効果と所得効果を相殺した結果としては家計貯蓄には減少圧力が加わった.
しかしながら,実際にはこの時期の家計貯蓄は全体として上昇した.これは 失業率の上昇が家計貯蓄上昇に大きく寄与したためである.
6 実証結果の要約
本論文では1958年から1998年の暦年データを用いて,コインテグレーショ ン分析による戦後日本の家計貯蓄関数の推定を行ってきた.具体的に,まず 2章で仮説を提示しデータを説明した後に,3章では,説明変数に一人あたり 実質可処分所得,一人あたり実質郵便貯金残高,男子労働力率,完全失業率 および実質利子率を用いれば,コインテグレーションベクターが存在しない という帰無仮説が5%水準で棄却されることを明らかにした.
4章では,郵便貯金残高を含む幅広い家計資産のデータを用いて,コイン テグレーションテストを行ったところ,郵便貯金残高のかわりに景気の影響 を受けにくい安定資産を説明変数として用いれば,コインテグレーションベ クターが存在しないという帰無仮説が棄却されることがわかった.具体的に,
株式を除く純金融資産を用いれば,コインテグレーションベクターが存在し ないという帰無仮説は10%棄却水準で棄却され,これに株式を加えれば10% 棄却水準でも棄却できなくなる.一方,株式を除く純金融資産に住宅資産を 加えれば1%水準でもこの帰無仮説は棄却されることが明らかになった.
そこで5章では,資産をあらわす説明変数として株式を除く純金融資産と 住宅資産を用いた推定式にもとづいて,1958年から1976年の家計貯蓄上昇期,
1976年から1990年の家計貯蓄下落期,および1990年から1998年の家計貯 蓄上昇期の3つの期間における各説明変数の家計貯蓄変動に対する寄与率を 計算して,以下の興味深い結果を得た.
まず1958年から1976年の家計貯蓄上昇局面において,家計貯蓄の上昇に 圧倒的な寄与をしたのは家計の可処分所得上昇であることがわかった.この 時期の家計純金融資産はまだ過小であり,資産効果による家計貯蓄の減少分 はわずかであった.1976年から1990年においては,株式を除く純金融資産
と住宅資産をあわせた資産の貯蓄下落効果は,可処分所得の貯蓄増大効果と ほぼ拮抗する状況となった.しかし,この時期には高齢化がさらに進んだこ とで家計貯蓄にはさらなる下落圧力が加わり,全体として家計貯蓄は下落し た.
1990年から1998年には,高齢化や住宅資産の増大が家計貯蓄の下落にほ とんど影響をもたらさなかった.一方,純金融資産増大による家計貯蓄減少 の寄与率が可処分所得増大による家計貯蓄増大の寄与率を上回り,家計貯蓄 には一層の減少圧力が加わった.しかしながら,実際にはこの時期の家計貯 蓄は全体として上昇した.これは,この時期に失業率の上昇が家計貯蓄上昇 に大きく寄与したためである.仮説でも述べたとおり,非自発的な失業率の 上昇は,失業していない労働者に対しても,第一に解雇される可能性を高め ることになり,第二に条件のより好ましい職に転職する機会を減少させる.
これらは期待所得の減少となって,将来消費のために現在の貯蓄を増大させ る効果を持ったことが推測される.
【参考文献】
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補論
この補論では,動学的誤差修正モデルの推定を行う.動学的誤差修正モデ ルは長期均衡への短期調整プロセスを表し,Salmon(1982)やNickell(1985)
で示されているように,調整費用や不完全情報などの存在を仮定すれば,消 費者の通時的な最適化行動から導出することができる.動学的誤差修正モデ ルは(1)式で用いられるすべての変数の第1階の階差をとり,(1)式で得ら れた残差項の一期遅れ(これをRESt−1と表記する)を説明変数として付加し最 小二乗法で推定する.ただし,RESt−1以外の説明変数については一般に最大4 期程度のラグをとり(SPNのラグについては1から4までとする),(5)式の推定 からはじめて最も良い組み合わせを発見する.
△SPNt=
∑
i=1βi△SPNt−i+∑
i=0Ϸ1i△YDPNt−i +∑
i=0Ϸ2i△PSPNt−i+∑
i=0Ϸ3i△LPMt−i+
∑
i=0Ϸ4i△Ut−i+∑
i=0Ϸ5i△IPt−i+ϹRESt−1, (5)RESt−1は次の期に貯蓄の不均衡がどの程度調整されるかを示す.もし(1)
式で示される長期関係が有効なコインテグレーションベクターであれば,
RESt−1の係数Ϲは統計的に有意でマイナスであり,かつ絶対値で1よりも小 さくなければならない.
誤差修正モデルの有意性を判断するためにt検定を用いる,ただし,RESt−1 の係数の有意性を判断する場合には,残差項が正規分布に収束しないため通 常のt検定を用いることができない.しかしt値が絶対値で3以上であれば RESt−1の係数が有意であることがHendry(1991)によって示されている.
3章の(1)式に対応する誤差修正モデルの推定結果は(6)式で表される.(6)
式から,RESt−1のt値は−3.90であり,これは絶対値で3を超えているため 有意である.また,RESt−1の係数は−1〜0の範囲にあり必要な要件をすべ て満たしている.したがって動学的誤差修正モデルの推定結果に統計的問題 はなく,長期関係を示す(1)式がコインテグレートされた関係を表すことが 確認される.
△SPNt=−0.25△SPNt−3+0.32△SPNt−4 (−2.14) (2.34)
+0.25△YDPNt+0.21△YDPNt−3−0.23△YDPNt−4 (4.44) (2.60) (−1.92)
−0.02△WPNt−1+0.11△LPMt−3−0.11△LPMt−4 (−4.31) (2.18) (−2.21)
+0.63△Ut+0.20△Ut−3−0.32△Ut−4 (5.70) (2.18) (−4.11)
−0.04△IPt−0.02△IPt−3−0.41RESt−1 , (6)
(−6.43) (−2.43) (−3.27)
決定係数=0.88,自由度修正済み決定係数=0.82.
資産を表す説明変数として郵便貯金残高のかわりに株式以外の純金融資産 を用い,住宅資産も説明変数に加えた(4)式に対応する動学的誤差修正モデ ルの推定結果は(7)式で示される.(7)式から,RESt−1の係数は−1〜0の 範囲にあり,RESt−1のt値も−4.72と十分で,統計的に必要な要件をすべて 満たしている.したがって長期関係を表す(4)式についてもコインテグレー トされた関係を表すことが確認される.
△SPNt=0.15△SPNt−4+0.38△YDPNt
(2.01) (8.53)
−0.05△ADBSTPNt+0.10△ADBSTPNt−1+0.08△ADBSTPNt−4 (−2.37) (−3.94) (3.29)
+0.10△LPMt+0.32△Ut−0.15△Ut−4 (2.97) (4.29) (−2.32)
−0.03△IPt−0.07△FAPNt−3−0.54RESt−1 , (7)
(−5.66) (−2.29) (−4.72)
決定係数=0.89,自由度修正済み決定係数=0.85.
The Doshisha University Economic Review Vol.57 No.3
AbstractYoshiaki AZUMA, An Empirical Analysis of Japan's Post-war Household Saving: An Application of the Cointegration Analysis
This paper analyzes the determinants of Japan's household saving using National Income Accounts data for the 1958-1998 period. In order to deal with spurious regressions often observed among macroeconomics variables, it employs cointegration analysis that consists of unit root tests, cointegration tests, and the estimation of error correction model. In addition, the behavior of household saving is explained by calculating the contribution ratios of each explanatory variable to the change in household saving.