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(1)

・教育機関間の移動 : 技術普及に関する統計観察(

2)

著者 植村 正治

雑誌名 社会科学

巻 47

号 4

ページ 29‑66

発行年 2018‑02‑28

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000016

(2)

近代日本における工学士の

陸海軍・民間部門・省庁・教育機関間の移動

─ 技術普及に関する統計観察(2) ─

植 村 正 治

本稿では,1893 年,1901 年,1910 年,1920 年,1930 年の『学士会会員氏名録』に 依拠して,それぞれの年代にまたがる 4 つの期間について工学士の勤務先移動状況を 統計観察した。観察対象になったのは,それぞれ 2 つの年代に勤務先が判明する同一 人物である。1893 〜 1901 年では 205 人,1901 〜 1910 年では 647 人,1910 〜 1920 年 では 1,788 人,1920 〜 1930 年では 3,770 人を見いだすことができた。彼らの勤務先を 省庁,地方庁,陸海軍,教育機関,民間部門の 5 分野に区分し各分野相互間の移動状 況を検討しようとしたが,すべてについて検討すると煩雑になるので,相互に親和性 もしくは関係性が相対的に大きい分野間に関する移動状況に焦点をあてた。工学士た ちはそれぞれの分野に特徴的な工学技術を他の分野に普及させたこと,また彼らは一 定の社会経済的要因に影響されて移動していたことをうかがうことができた。紙幅制 約のため 2 分割して,前稿では省庁と地方庁,省庁と民間部門,地方庁と民間部門,そ れぞれの間の相互移動について検討したが,本稿では陸海軍と民間部門,陸海軍と省 庁,教育機関と民間部門について論じた。

は じ め に

近代日本の経済発展にとって欧米からの近代工業技術の移転は不可欠であった。帝国 大学工科大学(工学部)の機械工学科,応用化学科,採鉱冶金学科などにおいて,基本 的には欧米発の機械工学,応用化学,採鉱冶金学などの各種工学技術を学んだ工学士た ちは,卒業後に様々な分野に就職してそれらの技術を伝えたばかりでなく

1)

,勤務先で一 層高められた技術を別の勤務先に就職することにより,近代工学技術を普及させていっ たと想定できよう。

本稿では,1893 年,1901 年,1910 年,1920 年,1930 年の『学士会会員氏名録

2)

』(以

下,氏名録とする)に基づき,それぞれの年代にまたがる 4 つの期間について工学士の

勤務先移動状況を統計観察することにより,人的移動を介した工学技術の普及過程に影

(3)

響を与えた社会経済的要因について,また分野間に普及した技術にどのような特徴が あったのかを検討したい。前稿に引き続き,工学士勤務先を省庁,地方庁,陸海軍,教 育機関,民間部門の 5 分野に区分し,それぞれ相互間の移動について検討を加えるが,紙 幅の制約により,前稿では省庁・地方庁・民間部門間の工学士移動について検討したの で

3)

,本稿では陸海軍と民間部門,陸海軍と省庁,教育機関と民間部門の相互移動につい て検討する。

1 陸海軍と民間部門

表 1 は,前稿で紹介した各 4 期間における 5 分野別勤務先移動人数を再掲したもので ある

4)

。陸海軍に勤務する工学士移動人数は全体の 6%前後を占めるにすぎない。1893 〜 1901 年と 1901 〜 1910 年の陸海軍と民間部門との相互移動を見たのが,表 2 と表 3 であ る。人数が少ないので,統計的傾向を見いだしがたいが,まず卒業学科が多岐にわたっ ており,軍事には多様な技術が必要とされたことがうかがわれる。製造業,とくに海軍 の場合,輸送機械(造船)が若干多くなっている。1901 〜 1910 年において陸軍からの移 動は 1 例のみであった。また建設業の土木建築業に関して双方向に移動している。民間 部門からの移動は両期間とも 2 人にすぎない。村井幸三のみが大阪汽車製造会社に勤務 して陸軍東京砲兵工廠に移動しているが,他の 3 人については建設業と鉱業からの移動 で,所属部署を見ると,彼らに代わりうる人物も多かったのではと推測される。

表 4 は 1910 〜 1920 年における相互移動状況を見たものである。第一次世界大戦によ

る好景気と軍需産業の民間委託の進展によるものと考えられるが,1901 〜 1910 年に比し

多数の陸海軍勤務の工学士が民間に移動した。表 5 は陸海軍別および産業別に民間への

移動人数を見たものであるが,海軍では 16 人中 12 人,陸軍では 15 人中 11 人が民間製

造業に移動している。米村敏郎は 1910 年段階に海軍造兵少監として勤務していたが,こ

れ以前の 1909 年,初代海軍監督官として日本製鋼所に赴任していた

5)

。藤田邦太郎は 1910

年氏名録には陸軍東京砲兵工廠板橋火薬研究所勤務とあったが,まだこの段階で正式採

用ではなかったと考えられる

6)

。1911 年(明治 44)に海軍技師に任用されている。休職

する 1916 年まで海軍呉海軍工廠火薬試験所に所属し,1918 年に体調不良のため海軍を退

職する

7)

。移動先の帝国火薬工業会社は 1919 年に海軍用火薬製造のために海軍の支援を

受けて設立され

8)

,少なくとも 1920 年には藤田は同社に在籍していた。正確には海軍か

ら民間部門への移動ということになろう。また,前期間と同様に工学士の卒業学科は多

(4)

表 1 各 4 期間における 5 分野別勤務先移動人数

勤務先 1901 年氏名録

不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間部門 合計

1893 年 氏名録

不明 31 17 1 5 12 13 79

省庁 13 35(28) 7 3 4 12 61

地方庁 9 9 11 (1) 3 2 1 26

陸海軍 6 1 11(10) 4 16

教育機関 5 6 21(17) 1 28

民間部門 19 9 3 2 3 57(28) 74

合計 83 60 21 19 30 75 205

勤務先 1910 年氏名録

不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間部門 合計

1901 年 氏名録

不明 66 41 14 11 11 63 206

省庁 16 165(126) 7 8 37 217

地方庁 9 11 24(10) 1 10 46

陸海軍 3 7 1 38(38) 2 8 56

教育機関 5 4 3 72(57) 7 86

民間部門 32 44 2 5 191(124) 242

合計 131 231 35 41 87 253 647

勤務先 1920 年氏名録

不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間部門 合計

1910 年 氏名録

不明 109 29 12 12 19 169 350

省庁 45 376(340) 17 3 12 155 563

地方庁 4 15 52(17) 1 32 100

陸海軍 8 5 2 85(85) 11 31 134

教育機関 8 8 1 1 141(102) 16 167

民間部門 66 30 16 6 25 747(393) 824

合計 240 434 88 95 190 981 1,788

勤務先 1930 年氏名録

不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間部門 合計

1920 年 氏名録

不明 170 26 18 15 22 101 352

省庁 150 522(461) 42 2 27 142 735

地方庁 38 16 104(39) 10 37 167

陸海軍 32 13 3 146(135) 15 44 221

教育機関 24 9 2 16 256(203) 22 305

民間部門 260 98 48 7 115 2,074(1,306) 2,342 合計 674 658 199 171 423 2,319 3,770 出所: 植村正治(2017c)「近代日本における工学士の省庁・地方庁・民間部門間の移動−技術普及に

関する統計観察(1)」, 『社会科学』第 47 巻第 3 号。かっこ内の数値は期間内に同一勤務先に勤

務していた工学士数を示す。

(5)

様で,帝国大学工学部に設置された 8 学科すべてを見いだすことができる

9)

。機械工学科 8 人,応用化学科 4 人,造船学科 6 人,電気工学科 2 人,土木工学科 4 人,建築学科 2 人,

造兵学科 4 人,火薬学科 1 人であった。

表 5 のように,陸軍については武器製造業に分類した工学士が他産業・業種に幅広く 移動しているので,好況の影響が反映されているのかもしれない。上述の村井幸三は東 京砲兵工廠から東京製綱会社に移り,技師長として炭鉱や鉱山用の鋼索を製造するばか

表 2 1893 〜 1901 年における陸海軍と民間部門との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1893 年 1901 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

陸海軍から 民間部門

杉谷安一 1884 東京帝大 造船学 海軍 横須賀鎮守府

造船部 製造業 輸送機械

(造船) 三菱造船所 長崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

逵邑容吉 1880 東京帝大 土木工学 海軍 呉鎮守府建築

部 建設業 土木建築業 函館船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

今田清之進 1879 東京帝大 機械工学 陸軍 大阪砲兵工廠 製造業 武器製造 住友別子鉱業

所 鉱業 金属鉱業

森省吉 1879 東京帝大 応用化学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 弁理士 その他サー ビス業 弁理士業 民間部門か

ら陸海軍 間宮伊賀次

郎 1884 東京帝大 採鉱冶金学 古河・足尾

銅山 小瀧支局 鉱業 金属鉱業 海軍 艦政本部採

炭所 鉱業 石炭業

渡辺譲 1880 東京帝大 建築学 清水組 建設業 土木建築業 海軍 舞鶴鎮守府

建築課 建設業 土木建築業

出所: 1893 年氏名録,1901 年氏名録。『学士会々員氏名録』と同一年次の東京・京都・九州・東北・北海道帝国大学 一覧。印刷局編(1893・1901・1910・1921・1930)『職員録』明治 26 年(甲,乙)・明治 34 年(甲,乙)・明 治 43 年(甲,乙)・大正 9 年・昭和 5 年,印刷局。工業之日本社編(1909・1919・1930)『日本工業要鑑』明 治 43 年度用・大正 9 年度用・昭和 6 年度用,工業之日本社。井関九郎(1930)『大日本博士録』第 5 巻・工学 博士之部,発展社。勝田一編纂(1932)『帝国大学出身名鑑』校友調査会。手塚晃編集(1992)『幕末明治海外 渡航者総覧』全 3 巻,柏書房。土崎紀子・沢良子編(1995)『建築人物群像』住まいの図書館出版局。富田仁 編集(2005)『海を越えた日本人名事典』紀伊國屋書店。国立国会図書館デジタルコレクション所収の各種関 連文献。神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ。渋沢社史データーベース。ジャパンナレッジ所収の各種辞 書・事典(『国史大辞典』吉川弘文館,『日本大百科全書』小学館,『世界大百科事典』小学館,『日本国語大辞 典』小学館,『日本歴史地名大系』平凡社,『日本人名大辞典』講談社)。さらにネット検索でダウンロードし た各種論文(専門誌掲載)にも依拠した。

注: 筆者の一連の論文では,技術移転という視点から通常の産業分類法に修正を加えた(植村正治(2017a)「近代日 本における工学士勤務先の産業分類手順」, 『社会科学』第 46 巻第 4 号)。また植村正治(2017c)「近代日本にお ける工学士の省庁・地方庁・民間部門間の移動−技術普及に関する統計観察(1)」(『社会科学』第 47 巻第 3 号)

では修正分類法に若干の変更を加えた。

表 3 1901 〜 1910 年における陸海軍と民間部門との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1901 年 1910 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

陸海軍から 民間部門

間宮伊賀次

郎 1884 東京帝大 採鉱冶金学 海軍 艦政本部採炭

所 鉱業 石炭業 村井鉱業会社 鉱業 石炭業

目良恒 1891 東京帝大 造船学 海軍 横須賀鎮守府

海軍造船廠 製造業 輸送機械

(造船) 川崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

山崎甲子次

郎 1889 海軍工兵 応用学校

(仏)

造船学 海軍 佐世保鎮守府

海軍造船廠 製造業 輸送機械

(造船) バブコック・

エンド・ウィ ルコックス社

製造業 一般機械

船越欽哉 1883 東京帝大 建築学 海軍 呉鎮守府経理

部 建設業 土木建築業 大林組 建設業 土木建築業

宗兵蔵 1890 東京帝大 建築学 海軍 横須賀鎮守府

経理部 建設業 土木建築業 藤田組 臨時建築部 建設業 土木建築業 石黒五十二 1878 東京帝大 土木工学 海軍 海軍工務監 建設業 土木建築業 宇治川電気会

社 電気・ガス・

水道業 電気業

三宅徹男 1901 東京帝大 電気工学 海軍 技手 大阪電灯会社 電気・ガス・

水道業 電気業 雨宮春雄 1901 京都帝大 電気工学 陸軍 一年志願兵第

九聯隊 公務 陸海軍 満鉄

民間部門か ら陸海軍

村井幸三 1901 京都帝大 機械工学 大阪汽車製

造会社 製造業 輸送機械

(造船以外)陸軍 東京砲兵工

廠 製造業 武器製造

西尾虎太郎 1889 東京帝大 土木工学 犬島築港採

石場 建設業 土木建築業 海軍 呉鎮守府経

理部 建設業 土木建築業

出所:1901 年氏名録,1910 年氏名録。表 2 と同じ。

(6)

表 4 1910 〜 1920 年における陸海軍と民間部門との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1910 年 1920 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

陸海軍から 民間部門

米村敏郎 1901 東京帝大 造兵学 海軍 海軍造兵少監 製造業 武器製造 日本製鋼所 製造業 一次金属 井上親雄 1898 東京帝大 土木工学 海軍 臨時海軍建築

部 建設業 土木建築業 東洋製鉄会社 戸畑事務所 製造業 一次金属 那須章弥 1905 東京帝大 土木工学 海軍 横須賀鎮守府

経理部 建設業 土木建築業 川崎工場 製造業 一般機械

加藤良 1901 東京帝大 造船学 海軍 海軍大主計 浅野造船所 技術部 製造業 輸送機械

(造船)

上村行栄 1900 東京帝大 機械工学 海軍 佐世保鎮守府 海軍工廠造機 部

製造業 輸送機械

(造船) 浦賀船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

柴岡喜一郎 1897 東京帝大 造船学 海軍 佐世保鎮守府 海軍工廠造船 中監

製造業 輸送機械

(造船) 浦賀船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

牛奥劼三 1900 東京帝大 機械工学 海軍 海軍造船少監 製造業 輸送機械

(造船) 浦賀船渠会社 浦賀工場 製造業 輸送機械

(造船)

安井與一 1910 東京帝大 造船学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠 製造業 川崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

塚本紋三郎 1910 東京帝大 造船学 海軍 横須賀鎮守府

海軍工廠 製造業 内田造船所 製造業 輸送機械

(造船)

衣非圭蔵 1910 東京帝大 造船学 海軍 横須賀鎮守府

海軍工廠 製造業 三菱造船会社 長崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

奥平清貞 1903 京都帝大 土木工学 海軍 鎮海軍港臨時

建築支部 建設業 土木建築業 浅野造船所 製造業 輸送機械

(造船)

岩田武夫 1880 東京帝大 電気工学 海軍 海軍造船大監 製造業 輸送機械

(造船) 利根発電会社 電気・ガス・

水道業 電気業 篠原重太郎 1910 東京帝大 造船学 海軍 横須賀鎮守府

海軍工廠 製造業 湯浅貿易会社 卸売・小売

業 渡辺譲 1880 東京帝大 建築学 海軍 臨時海軍建築

部 建設業 土木建築業 浅野同族会社 金融・保険・

不動産業 財閥本社 早川喜夫 1898 東京帝大 機械工学 海軍 海軍省技師 帝国海事協会 大阪出張所 公務 灯台・管船・

海事 日向庄作 1892 東京帝大 造兵学 海軍 海軍造兵廠造

兵廠 製造業 武器製造 日本鋼管会社 製造業 一次金属

中井義雄 1907 京都帝大 応用化学 陸軍 被服廠 製造業 繊維 古河鉱業会社 院内鉱山 鉱業 金属鉱業

大倉直介 1910 東京帝大 建築学 陸軍 陸軍技師 大倉鉱業会社 鉱業 石炭業

庵地佑吉 1908 京都帝大 機械工学 陸軍 大阪砲兵工廠 製造業 武器製造 大日本製糖会

社 製造業 食料品

秋田久 1908 東京帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 大阪合同紡績

会社 神崎支店 製造業 繊維 松倉久夫 1907 京都帝大 応用化学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 日本舎密製造

会社 製造業 化学

藤田邦太郎 1909 東京帝大 火薬学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 帝国火薬工業

会社 製造業 化学

田原秀太郎 1908 京都帝大 応用化学 陸軍 被服廠 製造業 繊維 化学工業 製造業 化学 村井幸三 1901 京都帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 東京製鋼会社 製造業 一次金属 今村甚一 1907 京都帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 大島製鋼所 製造業 一次金属 萩野友助 1909 京都帝大 応用化学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 三菱製鉄会社 兼二浦製鉄

所 製造業 一次金属

中川良作 1902 東京帝大 造兵学 陸軍 大阪砲兵工廠 製造業 武器製造 漢冶萍煤鉄廠

鉱有限公司 製造業 一次金属

四元精 1908 京都帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 明治工作所 製造業 一般機械 友則伯治 1909 京都帝大 電気工学 陸軍 中野電信隊 運輸・通信

業 通信業 川北電気企業

会社 支店 製造業 電気機械

石川省三 1908 東京帝大 土木工学 陸軍 東京砲兵工廠

技術科 製造業 武器製造 大正水力電気

会社 電気・ガス・

水道業 電気業 原正年 1907 東京帝大 造兵学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 満鉄 本社 金融・保険・

不動産業 財閥本社

民間部門か ら陸海軍

加賀美授一 1902 東京帝大 応用化学 酒造業 製造業 食料品 陸軍 技術本部科

学研究所 製造業 武器製造 中村謙介 1900 東京帝大 土木工学 満鉄 工務課 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 青島守備軍

民政部土木 部

建設業 土木建築業

船田要之助 1906 東京帝大 機械工学 満鉄 車輌係 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 青島守備軍

民政部鉄道 部

運輸・通信

業 鉄道業

斉藤固 1905 京都帝大 土木工学 満鉄 工務課 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 青島守備軍

民政部鉄道 部

運輸・通信

業 鉄道業

笹島繁弥 1907 京都帝大 機械工学 満鉄 工務課 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 青島守備軍

民政部鉄道 部

運輸・通信

業 鉄道業

三輪経治 1902 京都帝大 土木工学 藤田組 工務 金融・保険・

不動産業 財閥本社 海軍 佐世保鎮守

府 建設業 土木建築業

出所:1910 年氏名録,1920 年氏名録。表 2 と同じ。

(7)

りでなく営業活動も行った

10)

民間部門から陸海軍への移動は相変わらず少数である。しかも満鉄勤務の 4 人は,ド イツから獲得した青島を統治するために青島守備軍民政部に駆り出された人たちであっ た。3 人が守備軍鉄道部門に従事した。

1920 〜 1930 年は不況期であったにもかかわらず,表 6 のように,多数の工学士が民間 製造業に移動した。ただし表 7 のように海軍からの移動が 24 人だったのに対して,陸軍 では 4 人にすぎなかった。海軍の場合,軍需産業の民間委託が一層進んだことを示して いよう。たとえばディーゼル機関についてイギリスのビッカース型は三菱神戸造船所,ス イスのズルツァー型は神戸製鋼所,ドイツの M.A.N 型は川崎造船所で製造された

11)

。表 6 に掲げた日本製鋼所,住友製鋼所,昭和製鋼所に勤務した工学士たちに関して軍事技術 との関連が想定できる。海軍技術本部に在籍した本原耿介は『造船協会会報』に潜水艦 に関する論文を掲載している

12)

。この技術を携えて,イタリアから潜水艦の技術移転を 行った川崎造船所に移動した

13)

。1923 年(大正 12)8 月,川崎造船所で建造されて試験 航行中であった潜水艦が沈没したが

14)

,この原因究明のために社内に設置された「第七十 潜水艦沈没事件調査会」のメンバーとして同社取締役田中龍男らとともに本原の名前が 見いだせる

15)

呉鎮守府と横須賀鎮守府の海軍工廠造機部にそれぞれ所属していた柴田秀生と野津勝 造は愛知時計電機会社(当初,愛知時計製造会社)に移動した。同社は社名に時計とあ ることから製造業の精密機械に分類したが,日露戦争以降,陸海軍から各種軍需部品の 発注を受け,とくに海軍との関係を深めていった。1918 年,飛行艇を製作するために海 軍から技術者を招聘し,1920 年,横須賀海軍工廠の支援を受けて小型水上飛行機を試作

表 5 1910 〜 1920 年における陸海軍から民間部門への産業別移動人数

不明 鉱業 製造業

電気・

ガス・

水道業

卸売・

小売業

金融・

保険・

不動産業

公務 小計

海軍

不明 1 1 2

製造業 8 1 1 10

建設業 3 1 4

小計 12 1 1 1 1 16

陸軍

不明 1 1

製造業 1 1 10 1 13

運輸・通信業 1 1

小計 1 2 11 1 15

合計 1 2 23 2 1 1 1 31

出所:表 4。

(8)

表 6 1920 〜 1930 年における陸海軍と民間部門との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1920 年 1930 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

陸海軍から 民間部門

小山利光 1912 京都帝大 応用化学 海軍 徳山海軍練炭

製造所 製造業 化学 日本精蝋会社 製造業 化学

稲川與一 1901 東京帝大 機械工学 海軍 技術本部海軍

造機中監 製造業 輸送機械

(造船) 神戸製鋼所 製造業 一次金属

塚本卯三郎 1903 東京帝大 機械工学 海軍 海軍造機中佐 製造業 輸送機械

(造船) 戸畑鋳物会社 製造業 一次金属 田原得三 1901 東京帝大 機械工学 海軍 造船監督官 製造業 輸送機械

(造船) 横浜船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

藤田益三 1899 東京帝大 造船学 海軍 佐世保鎮守府 海軍工廠造船 部

製造業 輸送機械

(造船) 浦賀船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

吉田安 1903 東京帝大 造船学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠造船部 製造業 輸送機械

(造船) 藤永田造船所 製造業 輸送機械

(造船)

本原耿介 1903 東京帝大 造船学 海軍 技術本部造船

官 製造業 輸送機械

(造船) 川崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

田路坦 1911 東京帝大 造船学 海軍 技術本部海軍

造船官 製造業 輸送機械

(造船) 三菱造船会社 製造業 輸送機械

(造船)

塩見和太郎 1906 東京帝大 造船学 海軍 艦政局海軍造

船中佐 製造業 輸送機械

(造船) 三菱造船会社 長崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

竹内正三 1902 東京帝大 機械工学 海軍 横須賀鎮守府海

軍工廠造機部 製造業 輸送機械

(造船) 浦賀船渠会社 製造業 輸送機械

(造船)

柴田秀生 1901 東京帝大 機械工学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠造機部 製造業 輸送機械

(造船) 愛知時計電機

会社 製造業 精密機械

野津勝造 1914 東京帝大 機械工学 海軍 横須賀鎮守府海

軍工廠造機部 製造業 輸送機械

(造船) 愛知時計電機

会社 製造業 精密機械

熊倉貞 1900 東京帝大 機械工学 海軍 造機大佐 製造業 輸送機械

(造船) 時計修理工作

所 製造業 精密機械

有田平一郎 1910 東京帝大 応用化学 海軍 海軍造兵廠製

造部 製造業 武器製造 保土谷曹達会

社 製造業 化学

若林求己 1911 京都帝大 機械工学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠砲熕部 製造業 武器製造 日本製鋼所 広島工場 製造業 一次金属 石川福三郎 1910 東京帝大 採鉱冶金学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠製鋼部 製造業 武器製造 住友製鋼所 製造業 一次金属 黒川慶次郎 1907 東京帝大 造兵学 海軍 技術本部海軍

造兵中佐 製造業 武器製造 日本製鋼所 室蘭工場 製造業 一次金属 伍堂卓雄 1901 東京帝大 造兵学 海軍 造兵大監 製造業 武器製造 昭和製鋼所 製造業 一次金属 中川健二 1908 東京帝大 機械工学 海軍 造兵監督官 製造業 武器製造 三菱航空機会

社 名古屋製作

所 製造業 輸送機械

(造船以外)

佐々木庄司 1912 東京帝大 造兵学 海軍 横須賀鎮守府 海軍工廠造兵 部

製造業 武器製造 渡辺鉄工所 製造業 一般機械

吉田太郎 1900 東京帝大 造兵学 海軍 海軍造兵廠 製造業 武器製造 川西航空機会

社 製造業 輸送機械

(造船以外)

坪井真男 1912 東京帝大 造兵学 海軍 技術本部第六

部 製造業 武器製造 東京計器製作

所 製造業 精密機械

上野七夫 1909 東京帝大 電気工学 海軍 呉鎮守府海軍

工廠水雷部 製造業 武器製造 日本放送協会 名古屋中央 放送局 運輸・通信

業 放送業

佐竹敬吉 1904 東京帝大 造兵学 海軍 舞鶴鎮守府海

軍工廠造兵部 製造業 武器製造 弁理士 その他サー ビス業 弁理士業 渡辺浚郎 1903 東京帝大 建築学 海軍 臨時海軍建築

部支部 建設業 土木建築業 清水組 建設業 土木建築業

中川鉄弥 1897 東京帝大 建築学 海軍 横須賀海軍経

理部 建設業 土木建築業 工務所 建設業 土木建築業

三輪幸左衛

門 1916 東京帝大 建築学 海軍 横須賀鎮守府

経理部 建設業 土木建築業 三輪建築事務

所 建設業 建築設計

星野一太郎 1897 東京帝大 土木工学 海軍 佐世保鎮守府

経理部 建設業 土木建築業 高尾登山鉄道

会社 運輸・通信

業 鉄道業

乾慶蔵 1901 京都帝大 土木工学 海軍 臨時海軍建築

部支部 建設業 土木建築業 顧問技師 その他サー

ビス業 技術顧問 鈴木軍蔵 1911 京都帝大 土木工学 海軍 呉鎮守府経理

部 建設業 土木建築業 会社員

松井清足 1903 東京帝大 建築学 海軍 海軍技師 大林組 建設業 土木建築業

茂木幹 1904 東京帝大 応用化学 陸軍 被服廠 製造業 繊維 弁理士 その他サー

ビス業 弁理士業 森川三郎 1916 東京帝大 機械工学 陸軍 航空部 製造業 輸送機械

(造船以外)日本航空輸送

会社 運輸・通信

業 その他運輸

業 深尾七郎 1903 東京帝大 火薬学 陸軍 技術本部火薬

研究所 製造業 武器製造 帝国火薬工業

会社 製造業 化学

石川重遠 1904 東京帝大 造兵学 陸軍 東京砲兵工廠 名古屋機器製 造所

製造業 武器製造 大隈鉄工所 製造業 一般機械

薬師寺主計 1909 東京帝大 建築学 陸軍 経理局建築課 建設業 土木建築業 倉敷絹織会社 製造業 繊維 中村謙介 1900 東京帝大 土木工学 陸軍 青島守備軍民

政部土木部 建設業 土木建築業 東亜土木企業

会社 建設業 土木建築業

中村琢治郎 1910 東京帝大 建築学 陸軍 経理局東京経

理部 建設業 土木建築業 昭和土木建築 建設業 土木建築業 田村鎮 1905 東京帝大 建築学 陸軍 経理局 建設業 土木建築業 建築士 建設業 建築設計 池田賢太郎 1896 東京帝大 建築学 陸軍 経理局東京経

理部 建設業 土木建築業 建築士 建設業 建築設計

井上二郎 1900 東京帝大 土木工学 陸軍 経理局東京経

理部 建設業 土木建築業 北総鉄道会社 運輸・通信

業 鉄道業

船田要之助 1906 東京帝大 機械工学 陸軍 青島守備軍民 政部鉄道部 運輸・通信

業 鉄道業 満鉄 鉄道部 運輸・通信

業 鉄道業

高宮元三郎 1913 東京帝大 建築学 陸軍 青島守備軍民 政部鉄道部 運輸・通信

業 鉄道業 満鉄 地方部

中村孝三 1919 東京帝大 機械工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 三井物産 支社 卸売・小売 業

(9)

した。これ以降,1933 年に艦上爆撃機を製造するまで主に各種飛行艇を海軍に納めた

16)

。 ちなみに 5 か年の氏名録の中で,愛知時計電機会社勤務工学士として名前があらわれる のは 1930 年氏名録においてのみで,15 人を見いだすことができた。うち 12 人は 1923 年 以降の卒業生であった。残りの 3 人は 1919 年以前の卒業生で,2 人が上記の柴田と津野 である。もう 1 人は 1919 年に卒業し 1920 年段階で商工省大阪工業試験所に勤務してい た荒木鶴雄であった。

1920 年段階で海軍造兵廠製造部・研究部,および火薬廠製造部に属していた有田平一 郎は,1923 年,複数の部局を統合して設立された海軍技術研究所研究部の科学班主任に 任じられたが

17)

,1925 年 6 月の組織改革前に退職して保土谷曹達会社に勤務した

18)

。こ れ以前の 1918 年,彼は陸軍科学本部の要請で,気球用の水素を発生させるための新たな 方法を研究した

19)

。退職当時,保土谷曹達会社では陸軍から得た軍需工業研究奨励金を 利用して毒ガスのホスゲンを量産していた。1926 年 9 月,保土谷曹達会社は平時に生じ た余剰ホスゲンを原料としてオーラミンという染料を生産する計画を立て,1927 年 1 月

民間部門か ら陸海軍

秋田穣 1917 九州帝大 応用化学 満鉄 地方部中央試

験所 製造業 海軍 呉鎮守府燃

料廠 製造業 化学

木村巽 1917 東京帝大 応用化学 日本爆発物

会社 製造業 化学 海軍 火薬廠 製造業 武器製造

久能寅夫 1915 九州帝大 応用化学 鉄合金製

造・販売 製造業 一次金属 海軍 呉鎮守府海

軍工廠造船 部

製造業 輸送機械

(造船)

伊藤辰吉 1887 東京帝大 造船学 墨田川造船

所 製造業 輸送機械

(造船) 海軍 予備海軍造

船中佐 製造業 輸送機械

(造船)

中川良作 1902 東京帝大 造兵学 漢冶萍煤鉄 廠鉱有限公 司

製造業 一次金属 陸軍 造兵廠 製造業 武器製造

長嶺敬三 1904 東京帝大 機械工学 横浜製鋼会

社 製造業 一次金属 陸軍 造兵廠技術

部 製造業 武器製造

千田武彦 1910 東京帝大 機械工学 井口鉄工所 製造業 一般機械 陸軍 造兵廠東京

工廠 製造業 武器製造

出所:1920 年氏名録,1930 年氏名録。表 2 と同じ。

注: 中川健二は,後述のように,1920 年段階で航空機研究に従事していたが,肩書きが造兵監督官であったので,こ の表では「武器製造」に分類した。

表 7 1920 〜 1930 年における陸海軍から民間部門への産業別移動人数

不明 製造業 建設業 運輸・通信業 卸売・小売業 その他

サービス業 合計

海軍

不明 1 1

製造業 22 1 1 24

建設業 1 3 1 1 6

小計 1 22 4 2 2 31

陸軍

製造業 2 1 1 4

建設業 1 4 1 6

運輸・通信業 1 1 2

公務 1 1

小計 1 3 4 3 1 1 13

合計 2 25 8 5 1 3 44

出所:表 6。

(10)

に商工省よりオーラミン製造奨励金を下付された

20)

陸軍について見ると,1910 〜 1920 年において製造業への移動が多かったが,1920 〜 1930 年では 3 人に減少し,建設業や運輸・通信業への移動が多くなった。前述のように,

不況期ながら土木関連事業は不況の影響が少なかったことによろう。

民間から陸海軍への移動については,予備海軍造船中佐とあった伊藤辰吉を除くと 6 人 にすぎないが,何れも軍需関連の会社からの移動で,軍からの要請によるものであった ろう。木村巽の場合,1920 年氏名録に 1919 年段階の勤務先である日本爆発物会社が記さ れていた。同社はイギリスのアームストロング社ほか 2 社により同社平塚製造所として 設立され,1908 年 12 月から火薬製造を開始した

21)

。10 年後に日本政府が買収するとい う契約が履行されて 1919 年 3 月に海軍火薬廠となったので,正確には 1920 〜 1930 年の 期間には移動はなかったことになる。秋田穣は満鉄中央研究所においてオイルシェール の研究をしていたが

22)

,1923 年に海軍技師・燃料廠研究部員として任用され

23)

,1928 年 には,実験科第 1 班「缶用燃料及潤滑油ニ関スル研究並調査及験査」の主任技師

24)

,研 究科第 2 班「液体燃料及潤滑油ニ関スル研究並調査」の兼任技師となって航空機燃料の 研究に携わった

25)

2 陸海軍と省庁

前掲表 1 のように,陸海軍との間に相互移動が民間部門に次いで相対的に多いのは省 庁であり,工学士を介した何らかの技術情報交換があったと想定されたが,各 4 期間に おける相互移動状況を見た表 8 のように移動人数は少ない。1893 〜 1901 年においては省 庁の建設業所属部署から海軍建設業関連部署に 3 人が移動し,陸海軍からは陸軍東京砲 兵工廠勤務の安永義章 1 人だけが農商務省八幡製鉄所に移動している。

安永は工部大学校機械科を 1880 年(明治 13)に卒業して工部省に入り,同期の坂湛と ともに紡績機械一式の製造を命ぜられ,愛知紡績所,千住製絨所,堺紡績所に設置され た機械類を参考にして 1883 年,これら諸機械を赤羽工作分局において完成させた経験を 持つ

26)

。同年東京砲兵工廠に入り小銃や大砲の研究開発に従事し,1884 年,勤務先から

「弐番型中折拳銃」の払い下げを受け

27)

,1888 年,千葉県下志津原大砲射的場において アームストロング社製 12 センチ隠顕砲の据え付けと試験発射のために出張した

28)

。また この間の 1885 年には兵器製造研究のためドイツとフランスに派遣されている

29)

1896 年,八幡製鉄所設立にともなって主要技術者の 1 人として,当初機械課長に,後

(11)

表 8 各 4 期間における陸海軍と省庁との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1893 年 1901 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

省庁から陸海軍

宗兵蔵 1890 東京帝大 建築学 宮内省 内匠寮 建設業 土木建築業 海軍 横須賀鎮守

府経理部 建設業 土木建築業 船越欽哉 1883 東京帝大 建築学 内務省 土木局臨時建

築掛 建設業 土木建築業 海軍 呉鎮守府経

理部 建設業 土木建築業 石黒五十二 1878 東京帝大 土木工学 内務省 第一区土木監

督署 建設業 土木建築業 海軍 臨時海軍建

築部 建設業 土木建築業 陸海軍から

省庁 安永義章 1880 東京帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 農商務省 八幡製鉄所

製品部 製造業 一次金属 氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1901 年 1910 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

陸海軍から 省庁

森川範一 1883 東京帝大 建築学 海軍 臨時海軍建築

部 建設業 土木建築業 大蔵省 横浜正金銀 行支店 金融・保険・

不動産業 金融業 橋本平蔵 1896 東京帝大 建築学 海軍 横須賀鎮守府

経理部 建設業 土木建築業 内閣鉄道院 運輸部 運輸・通信

業 鉄道業

石藤豊太 1879 東京帝大 応用化学 陸軍 大阪砲兵工廠宇

治火薬製造所 製造業 武器製造 中国政府 上海火薬製

造局 製造業 武器製造 有田彦信 1898 東京帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 関東都督府 官房営繕課 建設業 土木建築業 渋沢元治 1900 東京帝大 電気工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 逓信省 電気局 運輸・通信

業 通信業

野村年 1900 京都帝大 土木工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 内務省 名古屋土木

出張所 建設業 土木建築業 田中吉二 1900 東京帝大 土木工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 内務省 大阪土木出

張所 建設業 土木建築業 氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1910 年 1920 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

省庁から陸海軍

今藤良吉 1904 京都帝大 機械工学 内閣鉄道院 鉄道技師 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 近衛師団千

葉鉄道聯隊 材料廠

運輸・通信

業 鉄道業

大竹邦平 1908 東京帝大 土木工学 内閣鉄道院 北海道鉄道管 理局 運輸・通信

業 鉄道業 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍

中川健二 1908 東京帝大 機械工学 逓信省 東京逓信管理

局海事部 公務 灯台・管船・

海事 海軍 造兵監督官

(在外) 製造業 武器製造

陸海軍から 省庁

丸山莠三 1901 東京帝大 電気工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 農商務省 特許局 その他サー ビス業 弁理士業 梅地璉造 1904 東京帝大 造兵学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 農商務省 八幡製鉄所 製造業 一次金属 青柳松二 1907 京都帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 内務省 仙台土木出

張所 建設業 土木建築業 幸川茂助 1909 東京帝大 機械工学 陸軍 東京砲兵工廠 製造業 武器製造 鉄道省 工作局車輌

課 運輸・通信

業 鉄道業

石黒豊 1909 東京帝大 機械工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 鉄道省 札幌鉄道局 運輸・通信

業 鉄道業

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科 1920 年 1930 年

勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種

省庁から 陸海軍

白石誠夫 1912 京都帝大 土木工学 台湾総督府 土木局 建設業 土木建築業 海軍 建築局 建設業 土木建築業 服部保 1916 京都帝大 土木工学 中国政府 四鄭鉄路局 運輸・通信

業 鉄道業 海軍 呉鎮守府建

築部 建設業 土木建築業

陸海軍から 省庁

伊藤安吉 1899 東京帝大 機械工学 海軍 横須賀鎮守府海

軍工廠造機部 製造業 輸送機械

(造船) 貴族院議員 公務 行政・立法

有地藤三郎 1905 東京帝大 電気工学 海軍 海軍造兵廠製

造部 製造業 武器製造 貴族院議員 公務 行政・立法

日岡長明 1920 東京帝大 土木工学 海軍 臨時海軍建築

部 建設業 土木建築業 台湾総督府 交通局基隆

築港出張所 建設業 土木建築業 斉藤晴五 1900 東京帝大 火薬学 陸軍 大阪砲兵工廠 製造業 武器製造 内務省 警保局 公務 治安・警察 佐藤茂助 1911 東京帝大 建築学 陸軍 経理部 建設業 土木建築業 内務省 復興事務局

建築課 建設業 土木建築業 笹慶一 1913 東京帝大 建築学 陸軍 第三師団経理

部 建設業 土木建築業 朝鮮総督府 官房会計課 建設業 土木建築業 北沢五郎 1916 東京帝大 建築学 陸軍 経理局 建設業 土木建築業 内務省 警視庁保安部

建築監督官 公務 治安・警察 渡部善一 1918 東京帝大 建築学 陸軍 第一師団経理

部 建設業 土木建築業 文部省 九州帝大建

築課 建設業 土木建築業 斉藤固 1905 京都帝大 土木工学 陸軍 青島守備軍民

政部鉄道部 運輸・通信

業 鉄道業 朝鮮総督府 鉄道局 運輸・通信

業 鉄道業

和田広 1909 東京帝大 土木工学 陸軍 青島守備軍民 政部鉄道部 運輸・通信

業 鉄道業 台湾総督府 交通局花蓮港 鉄道出張所 運輸・通信

業 鉄道業

大竹邦平 1908 東京帝大 土木工学 陸軍 一年志願兵 公務 陸海軍 鉄道省 仙台鉄道局 運輸・通信

業 鉄道業

原伸太郎 1911 東京帝大 土木工学 陸軍 青島守備軍民

政部 内務省 都市計画福岡

地方委員会 建設業 土木建築業 松本盛四郎 1916 東京帝大 造船学 陸軍 浦塩派遣軍運

輸部 逓信省 広島逓信局

海事部 公務 灯台・管船・

海事

出所:1893 年〜 1930 年の氏名録。表 2 と同じ。以下,特記しない限り前掲表に記載の出所と同じ。

(12)

に製品部長に就任した(表 8)。八幡製鉄所長官の和田維四郎は工業用普通鋼材とともに 兵器用鋼材も製造することを目指したが,後者については海軍呉造兵廠に呉製鋼所を新 設することが政府決定となった。これに反対した和田は製鉄所内に兵器用鋼材製造工場 の設置を主張したが,これが受け入れられず,1901 年(明治 34),2 度にわたって辞表を 提出した。2 度目の 12 月提出についても受理されず,翌年 2 月には休職処分となり,8 月 には不正会計を行ったということで免官処分となった

30)

。安永が八幡製鉄所を去り,大 阪高等工業学校機械科教授に就任したのは同年の 1902 年 10 月のことであった。

1901 〜 1910 年においては陸海軍から省庁への一方向の移動のみであった。海軍からは 建築学科卒業の 2 人が,それぞれ横浜正金銀行支店,内閣鉄道院運輸部に移動した。支 店建設や駅舎建設などに従事したものとみられる。軍事技術と直接関係しているとみら れるのは,陸軍東京砲兵工廠技師の有田彦信であるが,1910 年には関東都督府官房営繕 課に移動していたので,武器製造から遠ざかった。一年志願兵として陸軍に所属した工 学士が 3 人いた。これは,中学校以上の卒業資格を持つ,満 17 歳から 26 歳の者に対し て与えられた優遇制度で,1889 年の徴兵令改正から 1927 年(昭和 2)の改正の時まで続 き

31)

,多くの工学士は陸軍の一年志願兵制度を利用した。1 年間の服役中の食料や被服な どの費用は自弁しなければならなかったので,勤務先とはいえないが,便宜的に公務の

「陸海軍」の業種に分類した。

石藤豊太は 1893 年,海軍目黒火薬製造所に勤務していたが

32)

,同年,同製造所が陸軍 に移管されるに応じて陸軍技師となり,1894 年には所長に就任していた

33)

。1901 年に大 阪砲兵工廠宇治火薬製造所に所属したが,1910 年段階では,清国に火薬製造技術を移転 するために上海火薬製造局に勤務した。1905 年に石藤と清国との間に雇用契約が交わさ れ,1913 年(大正 2)11 月まで契約が続いた

34)

1910 〜 1920 年に関して,鉄道院から陸軍へ移動した 2 人のうち,1 人は上記の一年志 願兵で,もう 1 人は陸軍においても鉄道事業に従事した。中川健二は逓信省で海事関係 の業務を行っていたが,1914 年,ピストンリングに関する論文を公表した

35)

。彼の海軍 技師着任は 1917 年(大正 6)11 月のことで,翌年 5 月に航空機調査のため欧米各国に出 張することとなった。旅費は海軍航空機試験所の負担であった。1920 年 5 〜 9 月,航空 機研究のため再びイギリスとフランスに出張した。1920 年段階では造兵監督官の肩書き であった

36)

一方,陸海軍から移動した工学士 5 人はすべて陸軍出身であったが,軍事技術との関

連で移動したとみられるのは造兵学科卒業の梅地璉造である。東京砲兵工廠勤務時には

(13)

各種金属組成の研究や金属材料硬度測定器の研究を行っていた

37)

。八幡製鉄所では鋼材 部第一製條課長の任にあり

38)

,各種断面形状の棒鋼を製造した。この経験もあってか,年 代は下るが,1944 年には「異形型鋼材の圧延に就て

39)

」という論文を著している。

農商務省特許局,内務省土木出張所,鉄道省札幌鉄道局にそれぞれ移動した丸山,青 柳,石黒に関して,彼らの配属部署や卒業学科などから,陸軍との間の軍事技術に関す る関連性は低かったと推測されるが,機械工学科卒業の幸川茂助についてもその可能性 は低い。1910 年段階で氏名録の勤務欄には東京砲兵工廠とあったが,同年の職員録にそ の名を見いだすことができなかった。就職後すぐに移動もしくは退職したものと考えら れるが,1912 年には鉄道院総裁官房監査課に技手として着任していた。1913 〜 15 年鉄 道院技術部技手,1916 年に 1920 年のポストと同じ内閣鉄道院(この年,鉄道省に改組)

工作局車輌課技師に昇進し

40)

,1922 年まで同一ポストにあった。しかし 1923・24 年には 経理局購買第一課技師に転じ,1924 年 8 月に工業品規格統一調査会幹事となったものの,

数日後に休職処分を受けている

41)

。このような彼の経歴から,1910 〜 1920 年における軍 事技術と鉄道技術との関連は稀薄だったと推定できよう。

1920 〜 1930 年について見ると,省庁出身の 2 人(うち 1 人は省庁の範疇に含めた中国 政府に雇用)が海軍の建築関連部署に移動したにすぎない。陸海軍からは合計 13 人が省 庁に移動している。海軍の 2 人は貴族院議員に転身し,1 人は台湾総督府基隆築港出張所 に移動し港湾建設に携わった。10 人は陸軍出身だが,4 人が浦塩派遣軍・青島守備軍に 従軍してそれぞれの専門部署を短期間担当していたので,陸軍における技術経験が移動 省庁において生かされた程度は低かったであろう。斉藤晴五を除く他の 5 人も建設業に 従事しており,陸軍における軍事技術との関連性は低い。斉藤は火薬学科卒業後,東京 砲兵工廠に着任し 1910 年段階には大阪砲兵工廠に移っているが,1930 年には内務省警保 局に勤務していた。ダム建設や鉱山爆破などに使用されるダイナマイトなどの爆発物事 故

42)

に対応するために警保局に勤務したのであろう。警保局で爆発物の研究開発に携 わったわけではない。

土木工学科や建築学科を卒業した工学士については卒業学科と,陸海軍や省庁におけ

る業務との間に関連性が認められるが,軍事技術に焦点を絞った場合,関連性が認めら

れるのは安永,石藤,中川,梅地ら数人ほどにすぎなかった。

(14)

3 教育機関と民間部門

3.1 1893 年から 1920 年までの 3 期間の移動状況

前稿では,工学士の教育機関勤務先を理系・工学系学校と文系学校の 2 つに分類し,さ らに前者を「大学」,「理系実業専門学校等」,「工業学校等」の 3 類型に区分した

43)

。本 稿でもこの分類を踏まえて,①帝国大学工学部,早稲田大学理工学部などを「大学」と し,②高等工業学校,鉱山専門学校,蚕糸専門学校などを「理系実業専門学校等」,③地 方庁・民間が運営する工業学校や工業系各種学校などを「工業学校等」とした。④これ ら以外の,高等学校,商業学校,中学校,女学校などの学校を,前稿では「文系学校」と したが,本稿では「非理工系学校」に変更した。4 類型の教育機関に所属する工学士の特 徴をきわめて大雑把であるが,次のように捉えた。①と②に勤務する工学士もしくは工 学博士は最新の工学技術を自ら修得するとともに修得技術を学生たちに伝える役割を持 つ。③は初級技術者もしくは技能工を養成する教育機関であったので,高度の専門知識 を持つ必要性は低く,④については専門性が一層低くなり,理科教員としての役割が大 きい。工学技術の移転・普及という観点からすると,「大学」や「理系実業専門学校等」

が重要であったと考えられる。

表 9 は,1893 〜 1901 年,1901 〜 1910 年の両期間における教育機関と民間部門の相互 移動を見たものである。1893 〜 1901 年においては民間部門から 3 人が教育機関に移動し ている。うち 2 人は 1897 年(明治 30)に設立された京都帝国大学理工科大学に移動した。

『京都帝国大学一覧』によると

44)

,それぞれ電気工学科と採鉱冶金学科の教授に就任して いた。

一方,教育機関から民間部門に移動したのは恩田宮五郎 1 人にすぎない。前掲表 1 の

ように,1893 年段階の氏名録に教育機関勤務とある工学士は合計 28 人見いだせたが,う

ち 19 人が東京帝国大学(以下,東京帝大とする)勤務であった。彼らのうち 1901 年に

おける東京帝大勤務工学士は 11 人,京都帝国大学(以下,京都帝大)勤務は 3 人で,他

は農商務省,宮内省,貴族院議員,不明各 1 人であった。1893 年,帝国大学において講

座制が導入されてエリート教授集団が形成されて以降,教員移動が少なくなったことが

指摘されていることに照応する

45)

。恩田は 1889 年の卒業と同時に工科大学採鉱冶金学科

助教授に就任し

46)

,同年, 「佐渡鉱山塊鉱焼鉱炉」という焼鉱炉に関する論文を著した

47)

1894 年に退職し,1901 年には東雲製煉所に勤務していた。同製煉所は古河市兵衛が各鉱

山から買い集めた金銀銅鉱石を精錬するためのもので 1895 年に竣工したが,鉱石運送の

(15)

困難,産出高の多くを占める銀の価格下落,競争相手の台頭により 1908 年(明治 41)に 閉鎖された

48)

。一定期間ではあったが,工科大学における移転技術に基づいて開発され た製煉技術が現場で応用されたと言えよう。

1901 〜 1910 年においては民間部門から 5 人の工学士が教育機関に移動した。西川虎吉 は卒業と同時に工科大学助手に着任,1894 年には助教授に昇進し,翌年に「無水硫酸ニ 就テ」を『東京化学会誌』に掲載している

49)

。1896 年に工科大学を辞職して日本舎密製 造会社(硫酸,塩酸,晒粉などの製造)に技師長として就任する。同社において常務取 締役,取締役兼技師長となるが,1908 年に辞職し,翌年,応用化学研究のためイギリス,

ドイツ,アメリカへの留学を文部省に命ぜられ,1910 年に再び工科大学応用化学科助教 授に着任した。彼以外の 4 人は,1905 年から 1907 年に設立された仙台高等工業学校(以 下,仙台高工とする)(2 人),第五高等学校工学部を改組した熊本高工(1 人),名古屋 高工(1 人)への移動であった。いずれも 1910 年段階で表に掲げた学科の教授のポスト

表 9 1893 〜 1901 年と 1901 〜 1910 年における民間部門と教育機関との相互移動

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科

1893 年 1901 年

勤務先 所属部署 産業/学校

分類 業種/管轄 勤務先 所属部署 産業/学校 分類 業種/管轄

民間部門か ら教育機関

渡辺芳太郎 1887 東京帝大 採鉱冶金学 三菱鉱山部 吉岡鉱山 鉱業 金属鉱業 東京帝大 工科・採冶

/教授 大学 文部省

小木虎次郎 1889 東京帝大 電気工学 熊本電灯会

社 電気・ガス・

水道業 電気業 京都帝大 理工科・電

気/教授 大学 文部省 朝永正三 1888 東京帝大 機械工学 九州鉄道会

社 運輸・通信

業 鉄道業 京都帝大 理工科・電

気/教授 大学 文部省 教育機関か

ら民間部門恩田宮五郎 1888 東京帝大 採鉱冶金学 東京帝大 工科・採冶/助

教授 大学 文部省 古河・東雲製

錬所 製造業 一次金属

氏名 卒業

年 卒業校 卒業学科

1901 年勤務先 1910 年勤務先

勤務先 所属部署 産業/学校

分類 業種/管轄 勤務先 所属部署 産業/学校 分類 業種/管轄

民間部門か ら教育機関

西川虎吉 1893 東京帝大 応用化学 日本舎密製

造会社 製造業 化学 東京帝大 工科・応化

/助教授 大学 文部省

鈴木都賀三

郎 1900 東京帝大 機械工学 石川島造船

所 製造業 輸送機械

(造船) 熊本高等工業 学校 機械工学科

/教授 理系実業専 門学校等 文部省 八木芳彦 1899 東京帝大 採鉱冶金学 古河鉱業事

務所 足尾鉱山 鉱業 金属鉱業 仙台高等工業 学校 採鉱冶金学

科/教授 理系実業専 門学校等 文部省 降矢芳郎 1898 東京帝大 電気工学 上田電灯会

社 電気・ガス・

水道業 電気業 仙台高等工業 学校 電気工学科

/教授 理系実業専 門学校等 文部省 鈴木禎次 1896 東京帝大 建築学 三井合名 建築掛 建設業 土木建築業 名古屋高等工

業学校 建築科/教

授 理系実業専

門学校等 文部省

教育機関か ら民間部門

高松豊吉 1878 東京帝大 応用化学 東京帝大 工科・応化/教

授 大学 文部省 東京瓦斯会社 電気・ガス・

水道業 ガス業 辰野金吾 1879 東京帝大 建築学 東京帝大 工科・建築/教

授 大学 文部省 建築業 建設業 建築設計

小木虎次郎 1889 東京帝大 電気工学 京都帝大 理工科・電気

/教授 大学 文部省 京都電灯会社 電気・ガス・

水道業 電気業 渡辺健雄 1888 東京帝大 応用化学 大阪高等工

業学校 染色科/教授 理系実業専

門学校等 文部省 特許代理事務

所 その他サー

ビス業 弁理士業 吉国彦二 1901 東京帝大 造船学 大阪高等工

業学校 造船部/教授 理系実業専

門学校等 文部省 川崎造船所 製造業 輸送機械

(造船)

藤根寿吉 1900 京都帝大 土木工学 第五高等学校

(熊本高工) 土木工学科/ 嘱託 理系実業専

門学校等 文部省 満鉄 工務課 運輸・通信

業 鉄道業

小宅千次郎 1892 東京帝大 電気工学 新潟県立長

岡中学校 非理工系学

校 地方庁 小樽電気会社 電気・ガス・

水道業 電気業

注 1: 教育機関の所属部署欄には所属学科・職名を加えた。大学の所属部署に工科,理工科とあるのは,それぞれ工 科大学,理工科大学を示す。大学や理系実業専門学校等の所属学科や職名は,各年もしくはその前後の職員録 や各学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション所収)を参考にした。学校一覧に所属学科が掲載されて いない場合,担当科目から所属学科を推定した。学科名称を略して,たとえば応用化学科の場合, 「応化」とし た。採鉱冶金学科は「採冶」とした。

注 2: 高松豊吉は,東京大学理学部化学科出身であったが,工学博士号を 1888 年に取得していたので工学士の範疇に

入れて集計した。

(16)

にあった。彼らの卒業学科,民間会社業務,学校への着任後の所属学科の間には技術的 関連性が認められる。

教育機関から民間部門への移動は 7 人見いだせた。3 人が帝国大学教授であった。高松 豊吉は東京大学理学部化学科卒業後,3 年間イギリス,ドイツで製造化学や染色化学の研 究を行い,帰国後東京大学理学部教授,同学部から派生した工芸学部と工部大学校が合 併してできた帝国大学工科大学の応用化学科教授に着任した。その後東京工業学校教授 も兼任したが,1903 年,渋沢栄一の要請により工科大学を辞職して東京瓦斯会社に常務 取締役として着任した

50)

。彼が 1912 年(大正 1)に「石炭瓦斯精製法の改良に就て」と いう論文を著したことは彼が製造現場で技術指導を行っていたことをうかがわせる

51)

辰野金吾も卒業後 3 年間ほどイギリスをはじめヨーロッパ諸国に留学した。帰国後工 部省技師に着任し,1884 年に工科大学建築学科教授に任ぜられ,1902 年までその任にあっ たが,翌年には辰野葛西建築事務所を設立した。1910 年までに彼が携わった主な建築物 は工科大学本館(1888 年竣工),日本銀行本店(1896 年),国技館(1909 年)などであっ た

52)

。小木虎次郎は,前述の 1893 〜 1901 年において熊本電灯から京都帝大に移動した 人物で,再び民間に移動した。京都帝大理工科大学教授在任期間は 1899 年から 1903 年 までのわずか 4 年間にすぎなかった。京都電灯は卒業後に彼が初めて勤務した会社で,

1912 年まで技師長としてその職責を果たした。渡辺と吉国は,理系実業専門学校等に分 類した大阪高工の染織科と造船学科の教授で,藤根は,1906 年に熊本高工となる第五高 等学校工学部嘱託であった。それぞれ特許代理事務所,川崎造船所,満鉄に移動したが,

いずれも教育機関勤務中の技術研究が民間部門に伝達されたと解釈できよう。小宅千次 郎は新潟県立長岡中学校に勤務し専門分野から遠ざかったように見えるが,移動先の小 樽電気会社において再び電気工学技術を生かすことができた。

1910 〜 1920 年には,教育制度の大改革が断行された。すなわち 1917 年 10 月に教育に

関する重要事項を審議するための臨時教育会議が開催された。この時の内閣総理大臣寺

内正毅の開会演説は,第一次世界大戦中のヨーロッパにおいて進められている教育改革

を見習って,日本においても戦後を見越して教育改革を断行すべきであるとしている。さ

らに「今回発布セラレタル臨時教育会議官制ハ中外ノ情勢ニ照シ国家ノ将来ニ稽ヘ教育

制度ヲ審議シテ多年ノ懸案ヲ解決シ以テ学界ノ振興ヲ図リ給ハムトスル叡慮」から出た

ものであるとしている。この会議の答申に基づき,1918 年,大学令の公布や諸学校令の

改正が行われた。さらに同年末の国会に「高等諸学校創設及拡張計画大要」が提出され

了承された。「大要」によると,近年における高等教育機関への入学志願者の急増に対処

(17)

しなければ,「其教育ノ欠陥ハ将来益々其ノ甚シキヲ見ルニ至ル」ので,「国家ノ須要ニ 応シ社会ノ各方面ニ活動スヘキ人材ヲ養成スヘキ高等教育機関ノ拡張ヲ図ルハ最緊要ノ コトニ属ス」とし,高等学校 10 校,実業専門学校 17 校,専門学校 2 校,帝国大学学部 4 学部,医科大学 5 校,商科大学 1 校を創設し,実業専門学校 2 校,帝国大学学部 6 学部 を拡張することとなった

53)

図 1 は, 『文部省年報』に基づいて 1905 年から 1930 年までの各種教育機関設置数の推 移を見たものである。全体に 1918 年頃まで緩やかな増加傾向を示していたが,これ以降 設置数が急増していることがわかる。このグラフと,表 10 に掲げた民間部門から教育機 関への移動状況とを対照させると,1910 〜 1920 年においては,1901 〜 1910 年に比して 移動人数は増加しているものの,1918 年以降ほどの急増はまだ示していない。1910 年に 米沢高工,旅順工科学堂,1911 年に九州帝大工科大学がそれぞれ設立されている。1915 年には桐生高工の前身の桐生高等染織学校が設立された。また 1909 年には私立明治専門 学校が設立された。これらの影響が表 10 にあらわれたものとみられる。たとえば,1910 年段階で日本セルロイド人造絹糸に勤務していた西田博太郎は桐生高等染織学校設立と 同時に着任し

54)

,学校名称が桐生高工となった 1920 年には校長に就任していた。また早 稲田大学は,1920 年,大学令により専門学校から名実ともに大学に昇格したが,小林久 平は大学令が公布された 1918 年 12 月に理工科応用化学科教授に着任した

55)

。大学への

出所:各年の『文部省年報』(文部大臣官房文書課編)。

注: 『文部省年報』の「工業に関する専門学校」の統計には,官立高等工業学校と私立の明治専門学校 1 校が含まれ ていたが,1921 年から同校は官立となった。1923 年以降の上記統計に私立 1 校がふたたびあられている。これ は同年に設立された東京専門写真学校であろう(文部省実業学務局(1926)『実業学校一覧』,6 頁)。

1 10 100 1000

1 9 0 5 1 9 1 0 1 9 1 5 1 9 2 0 1 9 2 5 1 9 3 0

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図 1 1905 〜 1930 年の教育機関数の推移(対数目盛)

表 1 各 4 期間における 5 分野別勤務先移動人数 勤務先 1901 年氏名録 不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間部門 合計 1893 年 氏名録 不明 31 17 1 5 12 13 79省庁1335(28)7341261地方庁9911 (1)32126陸海軍6111(10)416 教育機関 5 6 21(17) 1 28 民間部門 19 9 3 2 3 57(28) 74 合計 83 60 21 19 30 75 205 勤務先 1910 年氏名録 不明 省庁 地方庁 陸海軍 教育機関 民間
表 4 1910 〜 1920 年における陸海軍と民間部門との相互移動 氏名 卒業 年 卒業校 卒業学科 1910 年 1920 年 勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種 陸海軍から 民間部門 米村敏郎 1901 東京帝大 造兵学 海軍 海軍造兵少監 製造業 武器製造 日本製鋼所 製造業 一次金属井上親雄1898 東京帝大土木工学海軍臨時海軍建築部建設業土木建築業 東洋製鉄会社 戸畑事務所 製造業一次金属那須章弥1905 東京帝大土木工学海軍横須賀鎮守府経理部建設業土木建築業 川崎工場
表 6 1920 〜 1930 年における陸海軍と民間部門との相互移動 氏名 卒業 年 卒業校 卒業学科 1920 年 1930 年 勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種 陸海軍から 民間部門 小山利光 1912 京都帝大 応用化学 海軍 徳山海軍練炭製造所 製造業 化学 日本精蝋会社 製造業 化学稲川與一1901 東京帝大機械工学海軍技術本部海軍造機中監製造業輸送機械(造船)神戸製鋼所製造業 一次金属塚本卯三郎 1903 東京帝大機械工学海軍海軍造機中佐 製造業輸送機械(造船)戸畑鋳
表 8 各 4 期間における陸海軍と省庁との相互移動 氏名 卒業 年 卒業校 卒業学科 1893 年 1901 年 勤務先 所属部署 産業 業種 勤務先 所属部署 産業 業種 省庁から 陸海軍 宗兵蔵 1890 東京帝大 建築学 宮内省 内匠寮 建設業 土木建築業 海軍 横須賀鎮守府経理部 建設業 土木建築業船越欽哉1883 東京帝大建築学内務省土木局臨時建築掛建設業土木建築業 海軍呉鎮守府経理部建設業土木建築業 石黒五十二 1878 東京帝大 土木工学 内務省 第一区土木監 督署 建設業 土木建築業 海軍
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