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組の分野間相互移動状況の特徴点,移動に影響を与えた要因,移動技術の 特徴について機会を改めて整理したいが,移動要因としては都市化,軍備拡張,教育改

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それぞれ 6 組の分野間相互移動状況の特徴点,移動に影響を与えた要因,移動技術の 特徴について機会を改めて整理したいが,移動要因としては都市化,軍備拡張,教育改

革,経済の好不況,産業構造の長期的変化,植民地経営の進展が考えられた。これらの 影響のもとに同一分野内にとどまることなく相互移動をくり返すことにより,技術普及・

定着,移転技術の深化が一層進んだ,と捉えたい。

1 )植村正治(2015a)「明治前期における技術者の経歴と統計観察」, 『社会科学』(同志社大学 人文科学研究所)第 44 巻 4 号。同(2015b)「近代日本における工学士経歴の統計観察序 論」,『流通科学大学論集』経済・情報・政策編,第 24 巻第 1 号。同(2016a)「近代日本に おける工学士経歴の統計観察」,『流通科学大学論集』経済・情報・政策編,第 24 巻第 2 号。

同(2016b)「逓信省・大蔵省・植民地統治機関における工学士経歴の統計観察」,『社会科 学』第 45 巻第 4 号。同(2016c)「近代日本の教育機関における工学士の勤務先の統計観 察」,『流通科学大学論集』経済・情報・政策編,第 25 巻第 1 号。同(2016d)「近代日本の 教育機関における工学士経歴の統計観察」, 『社会科学』第 46 巻第 2 号。同(2017a)「近代 日本における工学士勤務先の産業分類手順」, 『社会科学』第 46 巻第 4 号。同(2017b)「近 代日本における工学士勤務先の産業分類−技術移転に関する統計観察」, 『社会科学』第 47 巻第 1 号。

2 )学士会事務所編(1893・1901・1910・1920)『学士会々員氏名録』学士会月報第 63 号号外・

学士会月報第 165 号付録・学士会月報第 273 号ノ 2・学士会月報第 393 号ノ 2,学士会事務 所。学士会事務所編(1930)『会員氏名録』昭和 6 年用,学士会事務所。

3 )植村正治(2017c)「近代日本における工学士の省庁・地方庁・民間部門間の移動−技術普 及に関する統計観察(1)」,『社会科学』第 47 巻第 3 号。

4 )植村同上書(2017c),3 頁,11 頁。

5 )奈倉文二(1998)「第 1 次大戦期における日本製鋼所の発展と英国側株主の関与後退」, 『社 会科学論集』(茨城大学人文学部紀要)第 31 号,4 頁。

6 )彼は,ニトロセルロースと無煙火薬に関する卒業論文を提出して 1909 年火薬学科を卒業し

ているが,卒業論文作成に必要な実習研究のために,1907 年 7 月宇治陸軍火薬製造所,1908 年 9 月岩鼻陸軍火薬製造所,1908 年 12 月王子陸軍製薬場,そして卒業年の 1909 年 1 月,

板橋陸軍火薬製造所に派遣されている(旧制大学工学部[10477]List(東京大学学術機関 リポジトリ)には,工部大学校以降の卒業生の卒論テーマと実習研究先が学科ごとに記さ れているが,網羅的なものではなく,追々整備されていくものと考えられる。高橋雄造・

前島正裕編(1991)『工部大学校・帝国大学工科大学,電信学科・電気工学科,明治年間卒 業論文及び実習報告リスト』東京農工大学高橋研究室)からも明治期電気工学科卒業生に 関する同一情報が得られる)。火薬研究所は火薬製造所内に設置されていたので,藤田は取 りあえず氏名録に同研究所を記載したものと考えられる。

7 )印刷局編(1916)『職員録』大正五年(甲),印刷局(国立国会図書館デジタルコレクショ ン。以下,右端に * を付した資料は同コレクションからのものである)。「海軍技師藤田邦 太郎休職ノ件」,国立公文書館デジタルアーカイブ(以下,公文書館資料とする)。「内務属 天矢景光外二十二名任官並命免ノ件」,公文書館資料。

8 )小池重喜(2003)『日本海軍火薬工業史の研究』日本経済評論社,42 頁。

9 )専門学科については植村前掲論文(2017b,2 頁)で詳述した。

10)飯塚陽介(2009)「明治後期資本財産業の成長と機械商」,Hitotsubashi University Center for Japanese Business Studies Working Paper Series, No.94, p.16.

11)近藤市郎(1985)「日本海軍造機技術の回想」, 『日本舶用機関学会誌』第 20 巻第 10 号,647 頁。

12)本原耿介(1917) 「潜水艇ノ潜航準備作業間ノ復原力ニ就テ」, 『造船協会会報』第 20 号。同

(1919)「潜水艇円筒形船殻の耐圧強度に就て」,『造船協会会報』第 24 号。

13)川崎造船所はすでに 1905 年から潜水艦の建造を始めていたが,1915 年にイタリア・フィ アット社から潜水艦製造特許権を獲得するとともに技術者を同社に派遣し,潜水艦建造技 術を導入し,翌年,海軍から潜水艦建造命令を受けている(阿部市助編(1936)『川崎造船 所四十年史』川崎造船所,33 頁,47 頁。堀元美(1959)『潜水艦−その回顧と展望』出版 共同社(原書房復刻 1987 年),86 頁)。

14)阿部市助編同上書(1936),82 頁。

15)「第七十潜水艦沈没事件調査会報告(3)」,国立公文書館アジア歴史資料センター(以下,ア ジ歴資料とする)。

16)愛知時計電機 85 年史編纂委員会編(1984) 『愛知時計電機 85 年史』愛知時計電機株式会社。

同書によると,飛行艇製造技術は,イギリスのショート社,ドイツのハンザ・ブランデン ブルク社,同国のハインケル社から移転された。ハンザ・ブランデンブルクについてはド イツから戦利品として接収した同社製水上偵察機を模倣したものであった。リバースエン ジニアリングにあたろう。

17)沢井実(2012)『近代日本の研究開発体制』名古屋大学出版会,90 頁。

18)「元海軍技師有田平一郎特旨」,アジ歴資料。

19)「繋留気球用水素瓦斯ノ発生方法ニ就テ」,アジ歴資料。

20)「高級染料「オーラミン」製造奨励ニ関スル件」,アジ歴資料。

21)小池前掲書(2003),32 頁。奈倉文二(2013) 『日本軍事関連産業史−海軍と英国兵器会社』

日本経済評論社,105 〜 126 頁。

22)山本裕(2003)「満鉄オイルシェール事業」,『三田学会雑誌』第 95 巻第 4 号,183 頁。

23)「秋田穣外八名任免ノ件」,公文書館資料。

24)脇英夫・大西昭生・兼重宗和・冨吉繁貴(1989)『徳山海軍燃料廠史』徳山大学総合経済研 究所,139 〜 140 頁。

25)海軍燃料廠発行の『研究実験精製報告』第 1 号において,秋田穣は中心執筆者として他の 研究部員とともに「「ノッキング」に関する実験報告−「テトラエチル」鉛の影響に就て」

を執筆した。出版は 1930 年 9 月だが,脱稿は 1929 年 11 月であった。同報告第 2 号(1930 年 9 月)では「揮発油品位簡易判定法に関する実験報告」,同報告第 3 号(1930 年 11 月)

では「揮発油類の密閉貯蔵に関する実験報告」を執筆している(九州大学附属図書館九大 コレクション)。

26)以下の文献を参照した。安永義章(1888)「赤羽工作分局製紡績機械」,『工学会誌』第 81 巻。三枝博音・飯田賢一編(1957)『日本近代製鉄技術発達史』東洋経済新報社,201 頁。

中岡哲郎・石井正・内田星美(1986)『近代日本の技術と経済政策』東京大学出版会,136 頁。鈴木淳(2007)「フランス語学習者から機械技術者へ−小野正作の明治」, 『法政大学イ ノベーション・マネジメント研究センター・ワーキングペーパー』第 42 号,20 頁。

27)「東京砲兵工廠より安永御用掛 2 番形中折拳銃払下の件」,アジ歴資料。

28)「アームストロング社員へ旅行状下付の件」, 「安永五等技師下志津原へ出張の件」, 「安永技 師下志津原へ出張の件」,アジ歴資料。

29)富田仁編集(2005)『海を越えた日本人名事典』紀伊國屋書店,688 頁。公文書館資料やア ジ歴資料ではヨーロッパ派遣と記されていたが,国名は見いだせなかった。

30)長野暹編著(2003)『八幡製鉄所史の研究』日本経済評論社,103 〜 178 頁。

31)以下の文献を参考にした。松下芳男(1979) 「一年志願兵」,国史大辞典編集委員会編(1979)

『国史大辞典』第 1 巻,吉川弘文館,647 頁(本文の各表作成にあたって『国史大辞典』を 利用する際はインターネット辞書・事典検索サイト「ジャパンナレッジ」に依拠した)。三 上敦史(2007)「近代日本における「中学校程度」の認定史」, 『北海道大学大学院教育学研 究院紀要』第 103 号,62 頁。中野実・佐々木尚毅(1989)「(資料)初代総長渡邉洪基提出

「一年志願兵規則改正ニ関スル建言」について」,『東京大学史紀要』第 7 号,120 頁。

32)植村前掲論文(2017c),7 頁。

33)工学会編(1931)『明治工業史』火兵・鉄鋼篇,工学会明治工業史発行所,352 頁。

34)「石藤技師出発ニ関スル件」,アジ歴資料。井関九郎(1930)『大日本博士録』第 5 巻・工学 博士之部,発展社,31 頁。

35)中川健二(1914)「「ラムスボツトム,パツキングング」に就きて」, 『造船協会会報』第 14 号。海外出張後には,同(1921)「仏国航空界雑感」(『造船協会会報』第 28 号),同(1925)

「空中輸送用飛行機に就て」(『造船協会会報』第 37 号)を著している。

36)「官報 *」第 1587 号(大正 6 年 11 月 15 日), 「海軍技師中川健二外十名任官ノ件」(公文書 館資料),中川前掲論文(1921,28 頁)による。

37)梅地璉造(1911)「黃銅靑銅及其他非鉄属合金ニ関スル輓近米国政府ノ規格」,『工芸記事』

第 34 輯。同(1912)「シャーピー式打擊試験機ニ就テ」,『工芸記事』第 46 輯。

38)農商務省(1923)『農商務省職員録 *』農商務省,150 頁。

39)梅地璉造(1944)「異形型鋼材の圧延に就て」,『工作機械』第 7 巻第 12 号。

40)各年の印刷局編前掲書『職員録 *』を参考にした。

41)各年の『職員録 *』。「鉄道技師幸川茂助外一名命免ノ件」,「鉄道技師幸川茂助休職ノ件」,

公文書館資料。

42)斉藤は 1926 年,内務省技師の肩書きで,ダイナマイトなどの爆発物の危険性や扱い方につ いて講演した(斉藤晴五(1926)「火薬類の危害に就て」,日本火薬製造株式会社編(1926)

『火薬講演集 *』三松堂,119 〜 129 頁)。

43)植村前掲論文(2016a),同(2016b)。前稿では,教育機関に勤務する工学士の延べ人数を 1527 人として統計観察したが,その後,若干の修正を加えるとともに,勝田一編纂(1932)

『帝国大学出身名鑑』(校友調査会)に依拠して新たに判明した勤務先を加えることによっ て,延べ人数は 1540 人となった。

44)京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 *』従明治 34 年至明治 35 年,京都帝国大学。

45)天野郁夫(1977)「日本のアカデミック・プロフェッション : 帝国大学における教授集団の 形成と講座制」,『大学研究ノート』(高等科学技術教育研究プロジェクト)第 30 号(同

(1997)『教育と近代化』(玉川大学出版部)所収)。天野氏は,講座制導入前においては帝 国大学工科大学教員の移動が多かったことを同論文で検証した(表 7,18 頁)。

46)帝国大学編(1889)『帝国大学一覧 *』明治二十二年・二十三年,帝国大学。

47)恩田宮五郎(1889)「佐渡鉱山塊鉱焼鉱炉」,『日本鉱業会誌』第 5 巻第 50 号。

48)古河合名会社内五日会編(1926)『古河市兵衛翁伝 *』五日会,212 〜 214 頁。

49)西川虎吉(1895)「無水硫酸ニ就テ」,『東京化学会誌』第 16 帙。

50)高松博士祝賀伝記刊行会編(1932)『高松豊吉伝』化学工業時報社 , 82 〜 92 頁。

51)高松豊吉(1912)「石炭瓦斯精製法の改良に就て」,『東京化学会誌』第 33 帙。

52)井関前掲書(1930),9 頁。土崎紀子・沢良子編(1995)『建築人物群像』住まいの図書館 出版局,77 頁。

53)教育史編纂会編修(1965)『明治以降教育制度発達史』第 5 巻,教育資料調査会(原著出版 1936 年),1193 〜 1240 頁。文部省編輯(1942)『学制七十年史 *』(帝国地方行政学会,65

〜 70 頁)でも同じ内容が同一史料に依拠して記述されている。天野郁夫(1989)『近代日 本高等教育研究』(玉川大学出版部,273 〜 280 頁),三好信浩(2005)『日本工業教育発達 史の研究』(風間書房,205 〜 208 頁)においては,実際に新設・増設された各学校の予算 額や定員数などについて詳細に分析している。

54)桐生高等工業学校編(1942)『桐生高等工業学校二十五年史 *』桐生高等工業学校,25 頁。

55)木村三郎編輯(1934)『早稲田大学理工学部一覧 *』昭和 9 年度,早稲田大学理工学部,5

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