日英語の過程型に関する考察 : the Kyoto Grammar による日本語過程型分析
著者 龍城 正明
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 83
ページ [69]‑98
発行年 2008‑10
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011494
日英語の過程型に関する考察
―the Kyoto Grammar による日本語過程型分析
龍 城 正 明
1.はじめに
言語を分析するにはその分析法としての枠組みが考えられるが,それは言 語理論と呼ばれ,それは対象とする言語の分析に一貫して適用されねばなら ない。したがって,言語理論としては,ある分析は形式主義で,ある分析は 機能主義という異なるアプローチを交錯して用いることは許されない。また,
言語理論としてある一つの枠組みを用いるなら,それを分析途中で変更する ことも許されない。しかし,それが一つの言語理論(本論の場合はSFL理論)
であっても,この理論を用いて分析される個別言語については,言語特有の 特徴がある以上,その記述方法はそれぞれの言語により異なることは言うま でもない。その意味で,本論は日英語の過程構成についての分析を機能主義 の枠組みで,Hallidayにより提唱された選択体系機能言語学(SFL)の枠組み を用いて行うが,日本語の記述分析には独自の方法論を用いて分析を行うも のとする。しかし,これが,言うまでもなく,SFLの理論的枠組みを崩すも のではなく,理論的な修正を加えようとするものでもない。言い換えれば,
言語理論が言語分析に普遍的に適用されるものであっても,個別言語にはそ れぞれの言語に適した分析方法が必要であるという観点から本論の考察を進 めていくものである。というのも,従来から,この点がともすれば,誤った 理解のもとに個別言語の分析が行なわれてきたことが否めないからである。
例えば,従来の形式主義の分析でも,多くの場合,理論的提唱がなされ,研
究対照として分析されてきた英語の記述をもとに,そこで分析された言語記 述をそのまま他の個別言語,例えば日本語の記述に応用する試みがなされて きた例には枚挙にいとまがない。歴史的に見ても,国語学の伝統があるにも かかわらず,明治期になって外国語としての英語が流用されると,多くの文 法用語が英語(印欧語)の概念に沿って記述されてきた現状を鑑みると,こ のような誤解は避けられなかったのかも知れない。しかし単純に考えても英 語と異なる構造をもつ日本語を分析するのに,英語の構造分析や文法概念が そのまま適応されるはずはなく,英語には英語の,日本語には日本語の文法 記述が成されて当然であろう。その意味で,言語理論と言語記述は全く異な る概念であることを理解すべきである。
本論はこの主張のもとに,S F Lでの日本語記述方法論をt h e K y o t o
Grammar1と呼び,SFLで提唱された言語学的概念を日本語に即した記述分析
の観点からthe Kyoto Grammarの枠組みで考察していくものである。本論で は特にSFLで提唱されている過程型(process types)について考察を進めて 行くが,これには英語の過程型を参考に,全く新しい日本語の過程型を提唱 するものである。特に英語の過程型が従来の動詞と呼ばれる文法範疇の意味 化(semanticization)に特化されていたのに対し,本論では日本語の形容詞と 呼ばれる文法範疇を再考し,これの意味化を厳密に行う。これにより,従来 の動詞と形容詞を融合した形で意味化するにあたり,それらを意味的素性の 観点から分析し,日本語の過程型体系網の構築を試みるものである。そのた め従来の形容詞と呼ばれてきた日本語の文法範疇を歴史的に振り返り,そこ での特徴を明らかにしながら,現在の日本語形容詞の立場を明確にし,その 上で意味化という観点から再考していく。その過程では言語類型論の立場か ら,いくつかの言語に見られる形容詞(あるいはそれに類似の範疇)と呼ば れる文法範疇を概観し,それらとの対照研究をすることにより,日本語形容 詞の特性を明らかにしていく。これらの分析を通して,英語と日本語の形容 詞の差異を明確にし,分析することで,日本語における形容詞も含めた新た
な過程型構築の必要性を提唱していく。
2.形容詞研究の変遷
本節では日本語の形容詞と呼ばれている語彙について,その扱い方を概観 し,日本語の形容詞が英語やフランス語,ドイツ語などの言語とは異なる性 質をもっていることを見ていくことにする。DixonやStassen, L2によると形 容詞と呼ばれる文法範疇は次の2つに分類される。一つは英語やフランス語,
ドイツ語などのように名詞を修飾する機能が主で,それ自体で時制の変化に 呼応しない,いうなれば,名詞の機能に近い機能をもつもの。今一つは,そ れ自体で述語(predicator)としての機能をもち,動詞の機能に近いものであ
る。3 これら2つの分類については後で詳述するが,例えば,英語の形容詞
に代表されるごとく,あるものの性質や状態(=属性)を述べるのに修飾的 な機能が多く,その属性が具現されるには必ず動詞が伴われるものがある語 彙で,これが形容詞と呼ばれる文法範疇とするもの。しかし一方では,属性 を表示するのに必要な修飾的機能に加え,動詞などの助けを借りずに,それ 自体で属性に代表される表現を具現することができる,いわゆる述語機能を もっているものが考えられる。英語の文法記述が一般的である現状で,形容 詞の機能とは前者に限られているように思われがちであるが,後者に属する 機能も世界の言語の中には数多く存在することが報告されている。この点に 鑑み,日本語の形容詞が現在までにどのように扱われてきたかを見てみると,
日本語の形容詞にあたる語彙は,専ら後者の範疇に属する語彙として扱われ てきたことがわかる。これは英語の形容詞が名詞との性質を共有し,名詞か ら派生したごとく考えられるのに対し,日本語の形容詞はその機能から動詞 との関連性が多い語彙であると言うことができる。
そこで,次節からは国語学の先行研究をもとに形容詞の分析について見て いくことにしたい。
2.1 平安期における形容詞研究
平安時代末までの日本語,即ち中古日本語ではほとんどの語彙が形態的特 徴により,ある単位として分類されていた。古語意識としての形容詞の記載 が始めて見られたのは,『古語拾遺』(807)4と呼ばれる書物で,ここでは語 の形態的変化を一つのまとまり,総体として捉えており,基本形と派生とい う意識が見られ,ここから活用形への漠然とした意識が芽生えたであろうと
される。5 しかし,これが現在でいう形容詞といわれる文法的範疇として分
類されていた,という根拠にはならない。しかしながら,この時点で形容詞 と分類される語彙に活用形の萌芽意識があった点は見逃すべきでない。
これ以後,歌学に関する研究とともに「てにをは」考察が盛んとなるが,
これに関しては,現存最古の書である『八雲御抄』(1234)6によれば,語を
「てにをは」,「詞の辞」,「物の名」という3つに分類し,これによって語彙分 類という認識が進んだことは明白である。当時,形容詞と呼ばれる語彙は形 容詞語尾としての「し」をもつ「てにをは」の部に包括されていた。この「て にをは」には活用の概念が反映されていなかったとみられるが,「てにをは」
の部である形容詞語尾が活用すると認識され始めたことが,この時代の認識 としては重要な点といえる。例えば,形容詞としての「き」語尾と形容詞語 幹と「み」との結合の置換可能を示唆している点からも,それらを同一語と して派生関係を表したものと見ることができ,さらにその分類された語彙の 中で,活用意識に繋がっていく形態変化への意識が見てとれるのは興味ぶか い。これらは「く,しく」活用など形容詞としての変化形確立につながって いく事象と読み取れるという。7 これらの点をふまえ,これ以後著される辞 書類でも形容詞活用語尾が,「てにをは」である「辞」としての語彙としての 認識が成されるようになっていった。
2.2 室町期から江戸期にかけての研究
室町時代には一条兼良が,1452年に語彙を「体言と用言」という二つに分
類する作業をはじめ,例えば,「長し」は体言で,「長き」は用言として分類 した。その後,応其(木食上人応其)が連化式目の三巻『無言抄』(1586)の 中で,国語学史上の問題点として「『し』 および『し文字』に見られる形容詞 の認識」,「活用の自覚」について,「ぬ」の区別,「切字節」などと共に考察 し,形容詞と呼ばれる語彙についての分析を進めている。
さらにこの室町時代にはポルトガルの宣教師によって編纂された『日葡辞 書』などと共に,ロドリゲスが日本語の文法記述に関わり,彼によって『日 本大文典』(1604)が著されたことは有名である。ロドリゲスによると,形容 詞はラテン語の形容詞との関係をふまえつつ,日本語の形容詞は動詞の一種 であると分析し,これを形容動詞と命名し,「く(しく),かり活用」と「な り活用」の二種の区別をたてた。ロドリゲスの記述は,この時点で日本語の 形容詞の特徴をよく見極めたものとして高く評価できるものである。
その後,江戸期に入り,近世日本語としては,形容詞が「形状言」として 独立して取り出されることになる。つまりその形状言にも活用の概念が多分 に反映することとなるのである。
2.3 江戸期における研究
江戸期に入って,富士谷成章はその著『あゆひ抄』(1773)の中で,語彙を
「名」,「装」,「挿頭」,「脚結」という四つに分類し,日本語語彙の研究を始 めた。このように語彙を分類することで,現在の品詞分類にあたる分類法を 提唱し,その点では語彙分類の先駆者と言うことができる。その意味で日本 語の語彙分類は富士谷によって始めて成されたと言えよう。中でも,動詞を
「事(こと)」と呼び,形容詞を「状(さま)」と呼ぶことにより,その活用を 八段に分けて分類したことで知られるが,さらにこの二つ,即ち,動詞と形 容詞に当たる語彙を「装」として同類に分類した点は興味深い分析である。
これもこの二つが活用という共通した言語現象を持った語彙であることから,
同じ類に分類されたのである。このような活用という観点からの研究は,後
の活用研究者として知られる鈴木朖や東条義門の活用研究に重大な影響を与 えることになる。前述の如く,この活用という言語現象を通して動詞にあた る語彙と形容詞に当たる語彙が,日本語の語彙分類の点からは同類として分 類されてきたことが重要で,さらに,これが日本語語彙分類の観点から今後 の分析に大きな影響を与えた事実が,本論考の分析にも大いに通じる点があ る。しかしながら,この時点でもまだ現在の文法用語である「形容詞」とい う術語は用いられてはいない。これが用いられるようになったのは明治期に 入ってからである。
2.4 明治期における研究
明治期に入り,オランダ,イギリスの文法書の流入にともない,日本語の 文法用語として,そこで用いられている用語を翻訳して用いられることが多 くなった。1871年に中金正衡が,その著『大倭語学手引草』で始めて英語か らの翻訳により,「形容詞」という用語を用いたことが知られている。しか し,この用語は日本語における名詞的修飾語のみに用いられ,現在のような 形容詞の概念ではなかったとされる。これは英語の形容詞が意味的には属性 を具現する語であるが,その機能は単に修飾語としてのみ用いられているこ とによるものであろう。したがって,ここでは本論で問題にする述語的機能 としての形容詞の概念はなかったようである。その後,B. H.Chamberlainに よる『日本小文典』(1887)には形容詞という用語が形状言と同じ概念で用い られ,そこでは述語機能に言及されている。この段階で現代日本語の形容詞 としての概念が確立したと言ってよいであろう。さらに大槻文彦はその著
『広日本文典』(1897)で日本語の形容詞が時制と述語機能をもっていること から,いわゆる西洋語で言うところの形容詞と同じ概念で捉えてはならない ことを主張している。この点に鑑み,松下大三郎は,「日本語の形容詞は動詞 と同じ文法範疇で扱われるべきもので,独立した文法範疇を設けるべきでは ない」,とした上で,彼の『標準日本文典』(1924)の中では,形容詞は動詞
と同じ文法範疇で分析されている。この二人の言語学者が日本語の形容詞に 関し,英語の形容詞とはその性質を異にする点を明確に述べている点は,今 後の日本語品詞分類研究で大いに参考にすべき点であると言える。
以上,日本語の形容詞と呼ばれる要素について歴史的観点をふまえ概略し てきたが,英語をはじめとする西洋語の文法が盛んに取りざたされている現 状では,母語としての日本語の正しい姿を見失っている感が否めない。そも そも英語の形容詞もギリシャ語やラテン語という極めて文法体系が明確で あった言語の中には存在しなかった品詞である。それを英語という言語実情 にあわせ,adjectiveという独立した品詞を設けたのであるから,言語の文法 範疇などというものは,言語普遍性の観点からみれば,動詞と名詞以外は極 めて個別言語的範疇と言えるであろう。とすれば,日本語の形容詞が決して 英語の形容詞と同等に扱われる必要もなく,以下に見る英語以外の言語の形 容詞に見られる自動詞述語的機能をもったものであると分析しても一向に問 題はないと考えられる。
本節を終わるにあたり,日本語の形容詞が英語の形容詞とはその性質を極 めて異にした文法範疇であることに警鐘をならしている時枝誠紀の『日本語 文法口語編』(p. 80)からの引用を挙げておく。
(1)(形容詞とは)本来adjectiveあるいはattributiveの訳語としてできたも ので,それはこれらの語の持つ機能の上から実質概念を表す名詞に対し て,属性概念を表す語として,名詞に付属する語であると考えるところ に成立した名称である。これに反して,国語において形容詞と呼ばれた 語は,元来,用言中の一部として認められたもので,それは,語形の変 わらぬ体言に対して,語形の変わる語として認められたものである。そ れが動詞と一類をなして,用言であると認められたとは同じである。国 語においては,以上のように語の機能的関係からではなく,全く語その ものの持つ性質上から分類されたものである。このように,adjectiveと
形容詞は全く異なった性質を持った語として理解されたものであるにも 関わらず,これに形容詞という属性概念の表現を意味するような名称が 与えられた結果,国語の文法操作の上に,少なからぬ混乱を招いたこと は事実である。(下線は筆者による。)
時枝をはじめ多くの国語学者が述べている点を参考に,英語以外の言語の 形容詞的表現をも参考にして,次節からはthe Kyoto Grammarによる過程型 分析を行うこととしたい。
3.形容詞の概念はいかに具現化されるか
形容詞という文法範疇が明治期に英語(あるいはオランダ語)から導入さ れた日本語であることが分かった。その為に,形容詞は属性を表す文法範疇 であり,それが時制をともなって単独で語尾変化するにもかかわらず,とも すれば助動詞(です)とともに具現されると思われている。例えば「花は美 しい。」を「花は美しいです。」と言うのが正しい表現のように思われている が,これは「花は美しいでした。」と言う過去形からの類推によるものである と推察できる。勿論この場合,「花は美しかった。」で,「花は美しいでした。」 とも「花は美しかったです。」とも言う必要はない。『広辞苑』によると,「『お もしろいです。』のような『です』が形容詞についた言い方は昭和10年代ま では由緒のないものとされていたが,現代は正しいものと認められている。」 と説明されている。8 これによれば,言語は常に変化しているので,現代で は「です」を含む表現が正しいとされても,歴史的,あるいは正用法という 観点からは,「です」は必要ないものであろう。この点からも,日本語の形容 詞は時制をもった語彙であることがわかり,英語のように形容詞が常にbe動 詞と共に用いられることがないことは明白である。そこで,世界の言語では,
形容詞と分類される要素が英語とは異なり,日本語のように用いられる言語 がどの程度あるのかを以下に見ていくことにしよう。
Zambiaで話されているBembaでは形容詞と分類される品詞は20語以下 であり,他の人間の特徴を表す語彙は抽象名詞を用いて具現されるという。
また,Ghanaの言語であるAkanは形容詞で表現される多くは動詞形を用い て具現され,例えばThe sun is bright today.はThe sun brightens today.と表現 され,形容詞としての bright は動詞brighten で具現されるという。9 したがっ て,ここでも英語のようにbe動詞の必要性はない。その他,形容詞的概念 を動詞によって表現する言語にはオーストロネシア諸語のSamoanがあり,
オレゴン州で話されているChinook ではi-t’ukti” good” は自動詞のt’ukti
“kind” と関係しているという。またDixonはカリフォルニア州のYurokで
は主要文法概念としては名詞と動詞しかもたず,この言語でも形容詞的概念 は動詞を用いて表現される例を紹介している。10 さらに,動詞を伴うことな く具現される形容詞的概念をもつ言語としては,アイヌ語,中国語(北京官 話),ベトナム語,ヨルバ語などが挙げられるが,その数はかなりの言語に上 るのは言うまでもない。これらの具体例については下記の例を見てみよう。11
(2) a. Mandarin
Ta gao
3rd sing. tall
“He/She is tall.”
b. Vietnamese
Giap khon
Giap clever
“Giap is clever.”
c. Maori
Ka pai tee whare nei
INCEP good ART house this
“This house is good”
以上のように見てくると,日本語の形容詞と言われる要素が動詞なしで具 現するのは決してまれな現象ではなく,世界の多くの言語が日本語と同じ方 法で形容詞的概念を具現していることが分かる。特に,これらの言語の多く が形容詞的概念を自動詞化(intransitive predication)して具現していることが 分かる。そこで,英語の形容詞構文が常にbe動詞を伴っていることから,日 本語にも「です」が伴わなければならないとするのは,言語分析上からは極 めて重大な問題と言わざるを得ない。日本語の「です」はあくまで助動詞で あり,現在ではそれが丁寧語としての付加語の機能をもっているにすぎない のではないかと言えるのである。上述したように,通常は「花は美しい。」で 十分であり,これを丁寧表現とした場合のみ「花は美しいです。」とすべきで
あろう。12 また,「花は美しい。」という節を否定にすれば,「花は美しくな
い。」,あるいは「花は美しくなかった。」と丁寧接辞の「です」を付加せずに 否定構文を作ることができる。このことからも従来の形容詞と呼ばれる語彙 が単独で述語としての機能をもつことが十分に理解できる。13
さらに最近の日本語形容詞研究によれば,八亀(2007:55)などは形容詞が 名詞と動詞の中間に位置し,この2つの品詞を連続相としてとらえることが 可能であると言い,そのような観点から,前者を第1形容詞,後者を第2形 容詞と呼ぶ。この点に関して,Wetzer (1996: :44)は名詞と動詞の連続体から なる文法的範疇スケールを “continuum hypothesis”と呼んで,その可能性の 具体化を論じている。すると,第1形容詞は名詞よりの形容詞,第2形容詞 は動詞よりの形容詞と呼ぶことも可能であるが,要は形容詞と呼ばれる文法 範疇には日本語のように,属性を具現する修飾機能をもつもの(名詞的)と,
述語としての機能をもつもの(動詞的)の二つに分類することが可能となる のである。
Wetzer (1996:271)は,また世界言語の形容詞類型論的観点からは,このよ うな二つの型をもつ言語は日本語に限らず,その他にも,Amharic, Ewe,
Shona, Vai, West Greenlandicなどがあることを指摘している。しかし,本論
ではこのような二つの形容詞の機能に関しては,形容詞の2つの型というよ りは,欧米の言語と同じ機能をもつ名詞型形容詞を形容詞と捉え,動詞に極 めて近い述語型形容詞は,時制をもつことからも動詞と同じ範疇と捉えるこ とにしたい。しかし,さらに考察をすすめると,動詞という文法的範疇・機 能というよりは,その語彙のもつ意味的素性を重視した考え方である「過程 構成」における「過程型」という観点から捉えて分析することが可能となる。
このように分析することにより,日本語では形容詞という文法範疇に入る語 彙を再分析する必要があるが,the Kyoto Grammarでは日本語における形容 詞という文法的範疇自体を無視するものではない。上述したように,修飾機 能をもつものは,それが属性を具現する語彙として文法的範疇からは形容詞 という範疇をとどめた上で,述語的機能を持つ語彙に関しては,その語彙が もつ意味特性を重視し,それらを意味化して過程型の中で分析していこうと するものである。
4.日英語の過程構成
前節で考察した点をふまえて,本節では日英語の過程構成を対照しながら,
日本語の過程構成に関して新たな体系網の構築を試みることにする。
英語の形容詞を含む過程構成では,常にbe動詞が具現するために過程中 核部beが関係過程として具現し,形容詞は参与者としての体現者(文法的 範疇では主語)に対する,もうひとつ参与者である属性(文法的範疇では補 語)と分析される。しかし,日本語では以下の(3)に見るように過程中核 部にあたる要素は存在しない。その点に鑑み,当然,形容詞と呼ばれる範疇
が過程中核部として具現することになり,言い換えれば,日本語の形容詞構 文の多くが自動詞文化(intransitive predication)されて具現されていると見る ことができる。とすれば,節の意味化を具現する過程構成では,形容詞を含 む日本語の過程構成は,日本語と英語ではその言語記述が異なるべきである ということになる。
(3) a. The mountain climbing is dangerous.
S./Ca. Pr.rel./pres. C./Attr.
b. 山登りは あぶない。
S./Ca. Pr. attr.(quality)/pres.
c. 山登りは あぶなかった。
S./Ca. Pr. attr.(quality)/past
S. = Subject, Ca. = Carrier, Pr. = Process, rel. = relational
pres. = present, C. = Complement, Attr. = Attribute, attr. = attributive
さらに(3c)に見られるように形容詞には時制が具現されている。これ は英語には見られない言語現象で,形容詞表現で時制を具現するには必ず,
be動詞が必要とされる英語とは異なり,日本語には時制のみを表す特定の具 現形(例えばbe動詞にあたる要素)は存在しないことになる。言い換えれば,
英語ではbe動詞も含め,過程構成における過程中核部は文法範疇でいう「動 詞」と同じものを指していたのに対し,日本語では,以上の観点から,動詞 に加え形容詞も過程中核部に加えて分析する必要があると言えるのである。
5.日本語の過程構成,特に過程型の新分析
前節までの分析で,日本語の過程型は動詞と形容詞とを併せ持った要素を
過程構成の体系網の中で分析していく方が望ましいということが明確になっ た。そこで,以下ではまず,文法範疇である動詞と形容詞という分類にはと らわれず,それぞれの要素を意味化して分析,分類することにしたい。
そもそも過程構成とは節の経験的意味から捉えたメタ機能であり,過程構 成にはそれを構成する参与者と過程中核部,さらに状況要素が認められ,そ れぞれの構成要素の意味的分析と捉えることができる。とすれば,例えば「作 る,走る,食べる」などの参与者の自発的行為からなる動的な選択と,「い る,ある,美しい,きれいだ,嬉しい,悲しい」などの物事の状態や属性を 表す,静的な選択という「動性」対「静性」という2つに分類することが可 能となる。したがって,日本語ではこの観点から過程型の選択体系網を始め るのが好ましいと言える。即ち,過程型体系網へのエントリ条件としては,
動性か静性かという第1次選択が成されることになる。そこで,本分析では 過程型選択網の第1次選択として,「動性過程(dynamic process)」と「静性 過程(static process)」という2つの過程型を設け,これを主要過程型と呼ぶ こととする。これによって,英語の過程型が,その第1次選択に「物質過程」,
「心理過程」,「関係過程」,「行動過程」,「発言過程」,「存在過程」という6つ の過程型を設ける中で,物質過程,心理過程,関係過程を主要過程型として いるのとは異なる体系網の構築を提唱することにしたい。14
(4) a. 日本語の主要過程型 b. 英語の主要過程型と副過程型
動性過程 過程型
静性過程
物質過程
行動過程 過程型 心理過程
発言過程 関係過程
存在過程
5.1 動性過程
本節では,動性過程とは何かを定義し,それにはどのような要素が含まれ ることになるのかを見ていくことにする。一般的に動性過程とは,その意味 的素性に「動き」が含まれるものをいう。しかし,これには単純に動的動作 が確認される「走る,作る,壊す」などにとどまらず,「笑う,喜ぶ」などの 感情的な動作,またある実体や状態が別の実体や状態に変容するような動的 動作もこれに含まれるものとする。したがって,動性過程はその意味的素性 から「顕在過程(overt process)」と「潜在過程(covert process)」の二つの選 択肢をもつ。それぞれの過程はさらに選択肢が細分化されていくこととなり,
以下ではそれらについて詳しく見ていくことにしたい。
先ずは,顕在過程について見てみよう。顕在過程には「行動過程(active process)」,「感情過程(emotional process)」,「言動過程(verbal process)」,「変 容過程(mutational process)」という4つの選択肢が設けられる。特に行動過 程はさらに「有生過程(animate process)」と「無生過程(inanimate process)」 の2つの選択肢に分類され,ここで始めて前者には,「作る,壊す,走る,登 る」などが具現され,後者には「(雨が)降る,(風が)吹く,(花が)咲く」
などが具現されるとする。また変容過程には「完全過程(complete process)」 と「不完全過程(incomplete process)」という2つの選択が可能となるが,前 者は「なる,似る,変わる」など,その過程が自然発生という共通素性をも つことから「発生型過程(evoltive process)」として具現される。一方,「死 ぬ,消える,融ける」などは「消滅型過程(extinctive process)」として具現 される。この2つが具現するには,ある実体が何らかの要因により変化する,
即ち変容に関わっている意味的素性をもっていることが共通しており,それ が単なる行動過程ではないことに留意する必要がある。また,変容過程の不 完全過程には「増える,太る,育つ」などある実体の段階的変化による「増 加過程(increasive process)」と,その反対の段階的変化である「減る,痩せ
る,濡れる」などの「減量(被害)過程(decrease process)」の2つとして具 現されることになる。ここで注意すべき点として,同じ変容過程でも,ある 実体がX>Yに完全に変容する場合(complete mutation)と,Xが段階的に 変容し,それには完全な到達点のない場合(incomplete mutation)が考えられ る。例えば,「濡れる」といっても「通り雨で軽く濡れる。」のか「嵐にあっ てずぶ濡れになる。」のかではその程度は大いに異なる。しかし,これが被害 やマイナスイメージに繋がる点は同じ意味的素性をもっていると分析できる。
以上の顕在過程の体系網を示すと以下のようになる。
(5)動性過程における顕在過程
次に潜在過程について見ていくことにしたい。ここではまず,「主観的過程
(subjective process)」と「客観的過程(objective process)」の2つの選択肢が ある。主観的過程とは参与者である,感覚者(Senser)が主観的にその事柄 を捉える感情を具現化することになるが,これにもその感覚者によってその 事象を主体的に捉えるか,あるいは客体的に捉えるかによって,日本語では その具現形が異なる。たとえば,「思う,信じる,疑う,知る」や「見る,聞 く」などは感覚者が自発的に感じることができる過程である。したがって,
次のように言うことは可能である。
有生過程 行動過程
無生過程 感情過程
顕在過程
発言過程
完全過程 変容過程
不完全過程
(6) a. 私はジャイアンツが勝つと思うし,そう信じる。
b. 私は富士山の山頂を見る。
おもしろいことに,英語ではこの感覚者が3人称に変化しても,その具現 形は許容される。
(7) a. Tom (He) thinks that Giants will win and he believes so.
b. Suzanne (She) sees the summit of Mt.Fuji.
しかし,日本語では,感覚者が3人称,即ち他者に変化した場合,その許 容度は極めて低くなる。
(8) a. ?太郎はジャイアンツが勝つと思うし,そう信じる。
b. ?花子は富士山の山頂を見る。
これは,「思う,信じる」などは感覚者自身の内的判断であり,第三者の 心の中まで入り込んで「思う」のか,「信じる」のかは判断できないことによ る。勿論,これが感覚者自身の心理行動であったとしても,それは他人の目 から見て判断できることではない。したがって,このような過程はすべて潜 在過程と呼ぶことにする。また「思う,信じる」なども第三者が知覚者となっ た場合は「思っている,信じている」などの具現形が好まれるようであり,
この点についても日本語は異なる要素を用いることに留意すべきである。さ らに,次のような過程では知覚者が第三者に移った場合,その容認性が如実 に問われることとなる。
(9) a. 私は悲しい,寂しいし,こわい。
a’ I am sad, lonely, and am afraid.
b. ??花子は悲しい,寂しいし,こわい。
b’ Hanako is sad, lonely, and is afraid.
(9a)は感覚者自身の心理内容であるから,「悲しい,寂しい,こわい」は
具現形としては容認可能である。しかし,これが第三者となると,英語では 可能な表現も日本語では極めて奇異に聞こえ,通常はこのような表現は許容 されない。それは,第三者である花子の心理状態の奥底まで入り込んで判断 することが許されないからである。したがって,英語では(9b’)のように 許容される表現でも,日本語では以下の(10)のように言うのが正しいとさ れる。
(10) 花子は悲しがり,寂しがり,怖がっている。
即ち,「〜がる」をともない「悲しがる,寂しがる,怖がる」と具現されな ければ正しい表現とはならないのである。これは言い換えれば,これらの過 程は主観的ではあるが,決して「意志的(volitive)」ではなく,「推量的
(suppositive)」として捉えるべきであると言える。したがって,(9)で見た
「悲しい,寂しい,怖い」はその意味的素性としては,発言者が特に第三者の 心理状態を言うときには「推量や推測」をともなうという点を見逃してはな らない。その観点から,主観的過程は意志過程と推量過程の2つの選択肢に 分かれることとなる。また,(9)で見てきた語彙は動性過程からの選択であ るが,これらの語彙の文法的な分類では「形容詞」と分類されてきた語彙で ある。したがって,本過程型体系網にある動性過程が「動詞」のみを扱った ものではない点にも留意する必要がある。
主観的過程に対する客観的過程とは主に,認知行動を具現した認知過程が 含まれるが,これらは外的判断によってその内容が理解できるものを言う。
例えば,「想える(remind),見える(seem)」などの認知行動がこれにあたる が,一方,「聞く(hear),見る(see)」などはその状況が同じために,第三者 からも容易にその知覚行動が判断できる。このような過程は知覚過程と呼び,
これには客観的に判断できる過程が含まれる。
以上見てきたことをまとめると,以下のような潜在過程の体系網が示され る。
(11)
以上,日本語の過程型の分析には一見同じ過程中核部が用いられても,そ の意味的特性は極めて多様な解釈を伴うことが分かった。さらに同じ語彙を 用いる過程でもそれが,一人称としての感覚者か,あるいは三人称の感覚者 ではその用いる過程を選択しなければならなくなるという言語現象も理解 できた。この点からも英語の過程型が最大公約数的に六つの選択網に分類さ れているのに対し,日本語ではかなり詳細な選択体系網を構築する必要があ ると言わねばならない。以上,動性過程について考察してきたが,次節では,
動性過程に対する静性過程の選択網について考察していくこととしたい。
5.2 静性過程
動性過程が一般的な動的動作を具現するのに対し,静性過程とはある静的 状態や属性を具現する過程をいう。日本語の形容詞といわれる文法範疇が英
意志過程 主観的過程
推量過程 潜在過程
認知過程 客観的過程
知覚過程
語の形容詞とは異なり,それ独自で属性や様態を具現することができるとい う性質をもっていることから,この要素自体が動詞をともなわずして具現可 能な要素であるということは上記の考察で明らかになっている。言い換えれ ば,これらの要素は「自動詞的述語型」と呼ばれる範疇に属すると言うこと ができる。したがって,これらの要素を過程型として分析することは妥当な 分析と言え,これらの要素がもつ意味的素性を詳しく分析することにより,
本節では英語には見られなかった新しい過程型選択体系網の構築を提案する ものである。
動性過程がその第一次選択に顕在過程と潜在過程の2つの選択肢を持って いたのに対し,静性過程では「状態過程(stative process)」,「所有過程
(possessive process)」「属性過程(attributive process)」「様態過程(manner
process)」という4つの選択肢をもつことになる。繰り返すが,この過程型体
系網では従来の動詞のみではなく,また動詞がすべて動的動作を具現しない ものがあるにも関わらず,動詞という文法範疇で記述されているところに問 題点を見いだし,再分析を行っているのである。したがって,本分析では動 詞でありながら動的動作をともなわない繋辞としてのbe動詞などは,意味 化という観点から静性過程として選択されることになる。日本語でいうなら,
これに当たる要素としては「いる,ある」が挙げられる。周知の如く,「い る」は生物,「ある」は無生物に適用されることから,これが選択される「状 態過程」には「有生」と「無生」という2つの選択肢が設けられる。
次に,所有過程であるが,これは一般的な「持つ」という意味的素性から
「所有する」という概念まで広く含まれるものとする。特に「持つ」とは手に 持つことを意味し,所有するとは家や車など手で持つことは不可能な事物の 所有をいう。したがって,これなども従来は動詞であっても実際の動的動作 を伴わない概念であることを理解する必要がある。
静性過程の第1選択(状態過程)および第2選択(所有過程)を具現する 過程型選択体系網は以下のようになる。
(12)
次に第3選択としての属性過程とは事物の属性を具現する過程をいうが,
これには「心的反応過程(mental responsive process)」,「資質評価過程
(qualitative process)」,「質量過程(quantitative process)」,「個性過程(personal process)」,「判断過程(judgmental process)」,「接合過程(connective process)」 の6つの選択肢が構築される。15
最初の心理反応過程とは「おもしろい,おかしい,悲しい」など,ある現 象に対する心理的反応を具現する過程が含まれる。また次の資質評価過程に はある事物の資質を具現する過程が含まれる。これには「厳しい,忙しい,
貧しい」など一般的にその資質を具現するのに一定の基準,評価を得ること ができるものと「美しい,清々しい,みずみずしい」など一定の基準を得る ことが難しいものの二つにその選択肢を分ける。例えば,「美しさ,清々し さ」などの資質は一定の基準があるように見えて,実はその判断基準は人 様々で,一様でないことから,これらに対する評価は絶対的でないと言える。
したがって,これらの評価は恣意的であるということになる。その点から,
資質評価過程の具現には話し手と聞き手が平等に捉えることが可能な「中立 評価(neutral)」と話し手と聞き手の恣意的な評価として捉えられる「恣意的 評価(arbitrary)」という2つの選択肢として具現されることになる。さらに,
後者の恣意的評価には,その意味的素性により,「肯定的評価(positive)」と
「否定的評価(negative)」の2つの選択肢に別れ,前者には「美しい,清々し い」などが具現されるが,後者は「汚い,うるさい」などの具現につながる とする。
有生過程 状態過程
静性過程 無生過程
所有過程
第3選択である質量過程は,事物の質量を具現する過程である。これには
「多い,少ない」などがその過程型として具現される。第4選択の個性過程と は人物がもつ個性としての性質を具現する過程であり,例えば「賢い,ずる い」などが含まれる。さらに第5選択の「判断過程」として具現するのは「良 い,悪い,正しい,易しい,難しい」など物事を判断する過程である。最後 の第6選択として挙げた接合過程とはXとYとを文字通り接合する過程の 具現を言う。これには「等しい,親しい,相応しい」など「XはYと(に)
〜だ」のように,必ず二つの参与者の具現が必要とされる。
以上見てきた属性過程の過程型選択体系網としての6つの過程型をまとめ て以下に示すこととする。
(13)
静性過程の第4番目として選択されるのが,様態過程であるが,これには
「感情過程(emotional process)」,「性質過程(propensity process)」,「疑似比 喩過程(pseudo-metaphorical process)」の三つがその選択肢として設けられ る。最初の感情過程とは「心配だ,愉快だ」など感情を具現する過程。次の 性質過程とは「優美だ,清潔だ」など人物を含む事物の性質を具現する過程。
心的反応過程
中立評価
資質評価過程 肯定的評価
恣意的評価
否定的評価 静性過程 属性過程 質量過程
個性過程
判断過程
接合過程
さらに疑似比喩過程とは「奇跡的だ,積極的だ,絶対的だ」などある事物の 評価に対して絶対的な尺度ではなく,ある事柄に対してどのように感じ取ら れているかを具現する方法として比喩的に表現する際に選択される過程をい う。即ち,「その事件は奇跡的だ。」と言ってもその評価は絶対的ではなく,
単に「奇跡的」という語彙を比喩的に用いているに過ぎない。同様に,「花子 は積極的だ。」と言う表現でも,何を基準に「積極的なのか」はその話し手の 意図と気分によって多分に左右される。話し手Aは「積極的だ」と思っても,
聞き手Bにとっては「積極的」でないかも知れない。これも「積極的だ」と いう語彙を比喩的に用いているとしか言えない。したがって,これらを具現 する過程を本論では「疑似比喩過程」と呼ぶことにする。
以上の様態過程は,以下の選択体系網として具現される。
(14)様態過程の選択体系網
以上,日本語の過程型としての選択体系網の構築を試みたが,日本語では 第1次選択として「動性過程」と「静性過程」の二つの選択がなされること。
さらに動性過程では第2次選択として「顕在過程」と「潜在過程」の二つの 選択がなされ,それぞれが意味的素性によってさらなる選択体系網が構築さ れていくこと。また静性過程には第2次選択として,「状態過程(stative process)」,「所有過程(possessive process)」,「属性過程(attributive process)」,
「様態過程(manner process)」という四つの選択肢が設定され,それぞれにさ らに細分化した過程が第3次,第4次選択肢として拡張されていくことが分 かった。特に日本語では動性,静性過程が主要過程型,またこれに続くそれ ぞれの過程において2つと4つという第2次選択肢までを副次過程型として 認識することとする。しかし,それらに続く更なる選択体系網は,それぞれ
感情過程
静性過程 様態過程 性質過程
疑似比喩過程
の過程がもつ意味的素性により,さらに細分化された選択体系網を展開して いく可能性があることを忘れてはならない。したがって,これらは将来的に はさらに細密化された過程型選択体系網の構築という結果を見ることになろ う。
本節を終えるにあたり,現時点で捉えられた日本語の過程型選択体系網と して集約した体系網を以下に示すこととする。
(15) 有生過程(animate)
行動過程(active)
無生過程(inanimate)
感情過程(emotional)
顕在過程(overt)
発言過程(verbal)
完全過程(complete)
変容過程(mutational)
不完全過程(incomplete)
動性過程(dynamic)
意志過程(volitive)
主観的過程(subjective)
推量過程(affective)
潜在過程(covert)
認知過程(cognitive)
客観的過程(objective)
知覚過程(perceptive)
過程型
PROCESS TYPE
有生過程(animate)
状態過程(stative)
無生過程(inanimate)
所有過程(possessive)
心的反応過程(mental responsive)
中立評価(neutral)
資質評価過程(qualitative)
恣意的評価(arbitrary)
静性過程(static) 属性過程(attributive) 質量過程(quantitative)
肯定的評価(positive)
個性過程(personal)
否定的評価(negative)
判断過程(judgemental)
接合過程(connective)
感情過程(emotional)
様態過程(manner) 性質過程(propensity)
疑似比喩過程(pseudo-metaphorical)
6.おわりに
英語の過程型は文法範疇の動詞のみの分析に終始していたが(英語では
Processに対する語彙は動詞のみなのでこれは仕方がないが),日本語では従
来形容詞として捉えられてきた品詞の大半を,動詞と同じ機能(Stassenが言 う Predicative Adjective)を持つものとして捉え,それらも含めた融合型の過 程型選択体系網として分析した。その為に,英語の過程型と比較した場合,
日本語の過程型はその選択肢が多様性を極めているように思えるが,これも 実は英語では第1次選択に6つの選択肢があるのに対し,日本語では第1次 選択としては2つの選択肢から始まっているという点に留意すべきである。
この第1次選択では2つであったものが,さらなる意味的素性の詳細化によ り,第2次選択で,その選択体系網が2つから4つに拡張され,さらにそれ ぞれがその選択の幅を拡張して行くのである。この点は,まさしくHalliday の言うデリカシーの深みを増していく故の拡張と考えると,言語の過程を決 定するプロセスとしては,ごく自然な選択体系網の構築と言える。
最初に述べたように,本論ではSFLの枠組みで,そこで展開されている経 験的意味というメタ機能の過程構成における過程型という概念を用い,その 中で日本語という個別言語に即した分析を試みたのである。その意味で,理 論的枠組みは崩すことなく,日本語記述という観点からのアプローチと言え る。言語を分析するSFLという理論的背景は同様であっても,それぞれの個 別言語における記述は,それぞれの言語により異なるものであるから,英語 と日本語では,それぞれの言語記述に沿った過程型の選択体系網の構築法が 異なるのは当然と言わねばならない。これこそが,the Kyoto Grammarの日 本語分析の理念であり,今回の日本語過程型体系網の提案も,この分析理念 に基づいた分析であると言える。今後,さらなる分析が進めば,将来的には 本稿で提案した体系網に加えて,さらなる新たな選択肢をもった体系網の構 築(Hallidayの言うデリカシーの深化)が必要となるかも知れない。しかし
現時点では従来の動詞や形容詞といわれる文法範疇にこだわらず,日本語に 見られる動詞や形容詞と呼ばれる語彙を意味化して分析し,それを意味化と いう観点から「過程中核部」として捉えた。これを元に日本語過程型の新し い分析法として日本語過程型選択網を構築した。本論の日本語過程型選択体 系網構築がSFLからみた日本語分析の一例としてSFLの研究者たちの一助 となれば,筆者としては望外の喜びである。
注
01 The Kyoto GrammarはSFLの日本語分析の方法論であることから,SFLのdialect であるという考えができる。この点に関しては,英語の分析でもt h e S y d n e y Grammar, the Cardiff Grammar, the Nottingham Grammarなどdialectと考えられる分析 法が多く存在している。ここでのKyoto,Sydneyなどは個別言語としての日本語や 英語を分析している場所を表し,同志社大学が京都に位置していることから,本論 で用いた分析方法をthe Kyoto Grammarと呼ぶ。
02 Stassenは,自動詞述語の分析に関して,言語類型論の立場から大いなる貢献をし ている。410言語の分析を基に,自然言語の自動詞述語分析の領域に関し,普遍的 に適用できるモデルを提唱している。彼によると,自動詞述語には,events (Sarah is walking),classes (Sarah is a secretary),properties (Sarah is tall),locations (Sarah is in the garden) の4つの領域が定義されている。
03 Stassenの形容詞分類法については1997年に出版された彼の著,Intransitive Predication に詳しいが,ここでもPredicative Adjective (p.30)という用語を用いて,形 容詞を2つに分類し,述語的機能をもつ形容詞を修飾機能のみの形容詞(英語など)
と区別している。
04 『古語拾遺』は「平城天皇の召問を機に,国史・氏族伝承に基づき,それを「古 語の遺りたるを拾ふ」と題して撰上したものであるが,記紀にない記載も含み研究 史上多くの示唆に富む文献として知られている。
05 飯田晴美「形容詞研究の歴史」p. 55
06 『八雲御抄』は,順徳(じゅんとく)天皇(1197〜1242年)が編集・集大成した
6巻からなる歌学書である。書名は,「それ和歌は八雲出雲の古風より起こる」の序 文より命名された。本書は,承久の乱により,佐渡に流されていた順徳天皇が加筆・
訂正した系統の本で,天皇の歌論をよく表し,和歌史・歌論史研究上に注目される。
07 飯田晴美「形容詞研究の歴史」p. 60
08 広辞苑第6版(岩波書店)の「です」の項参照。
09 Fromkin,V, Robert Rodman, Nina Hyams (eds.) (2007) 8th edition. p. 74にこの記述が見 える。
10 Dixon (1982) p. 5〜p. 7参照。さらに同書p. 35ではSwahili, Luganda, Bemba, Japanese, Sango, Hausa, Accoli, Hua, Alamblak, Telugu, Kiriwinian, Tzotzil, Chinook, Yurok,Samoan, Enlgish, Dyirbalの17言語に関してSpeed, Dimension, Physical, Property, Color, Human,
Propensity, Value, Ageという9タイプについてその表現形式を比較している。その
中で,日本語はすべてにおいて形容詞で表現されるとしているが,ここでは形容詞 の述語型については考慮されていないと思われる。しかし,形容詞をこのように意 味的観点から分析する手法は,本論での形容詞と分類される語彙の意味化につなが る分析としては共通するものがある。また述語型に関していえば,形容詞が動詞に より具現される例としては,Press(1975:203)によると,Chuemehueviと呼ばれる南カ リフォルニア及びアリゾナで話されているUto-Aztecan 言語では,“Adjectives are all
verbs in Chemehuevi” (形容詞はすべて動詞として表現される。)という記述が報告
されている(Wetzner(1996:10)) 。
11 Stassen(1997)p. 133, p. 134, および p. 160などに示されている各言語の例を参 照。
12 この点については形容詞構文を含む日本語教本の多くが「〜です。」を付加した表
現を正用法として挙げているようであるが,筆者は正しい文法的分析としては「美 しい。楽しい。」などとして,今後は修正が施されるべきであると考える。但し,丁 寧表現を教授する立場からは「〜です。」を付加した表現が好ましいが,その場合も 正確に述語形容詞と丁寧表現の区別をするべきである。
13 「*花は美しいないです。」「*花は美しいなかったです。」は極めて不自然な日本 語で,これらはよく日本語初習の外国語話者にみられる表現である。このことから も「です」はcopulaではなく,単なる丁寧接尾辞であることがわかる。因みに「花 は美しくないです。」や「花は美しくなかったです。」は上述のごとく,丁寧体の自 然な表現である。
14 英語の過程型に関しては,Halliday & Matthiessen (2004)や龍城編(2006)に詳し く説明されているので,それぞれの内容に関しては,これらの説明に譲ることとす る。
15 選択体系網の選択肢は意味的素性によって分析されているので,今後分析が進む とさらにその選択肢が増える可能性も否めない。delicacyの度合いが増加することに より,選択体系網はさらに詳細なものとなるのは当然である。
参照文献
飯田晴美(1974)「形容詞研究の歴史」『研究資料日本文法3』東京:明治書院.
工藤真由美(編)(2007)『日本語形容詞の文法』東京:ひつじ書房.
鈴木一彦,林巨樹(編)(1974)『研究資料日本文法3 用言編二,形容詞,形容動詞』
東京:明治書院.
龍城正明(編)(2006)『ことばは生きている,選択体系機能言語学入門』東京:くろ しお出版.
時枝誠紀(1950)『日本語文法:口語編』東京:岩波書店.
中田祝夫,竹岡正夫(1960)『あゆひ抄新注』東京:風間書房.
八亀裕美(2007)「形容詞研究の現在」『日本語形容詞の文法』東京:ひつじ書房.
Dixon, R.M. (1982) Where Have All the Adjectives Gone? Berlin: Mouton de Gruyter.
Dixon, R.M. (2004) “Adjective Class in Typological Perspective” In Dixon and Aikhenvald (2004).
Dixon, R.M. & A. Aikhenvald (eds.) (2004) Adjective Classes: A Cross-Linguististic Typology.
Oxford: Oxford University Press.
Fromkin, V., R. Rodman & N. Hyams (2007) An Introduction to Language (8th edition). Boston:
Thomson Higher Education.
Halliday, M.A.K. (1994) An Introduction to Functional Grammar (2nd edition). London: Edward Arnold.
Halliday, M.A.K. & C.M.I.M. Matthiessen (2004) An Introduction to Functional Grammar (3rd edition). London: Arnold.
Stassen, L. (1997) Intransitive Predication. Oxford: Oxford University Press.
Wetzner, H. (1996) The Typology of Adjectival Predication. Berlin: Mouton de Gruyter.
Synopsis
A System Network of Japanese Process Types:
A Semanticization of Japanese Verbs and Adjectives through the Kyoto Grammar Approach
Masa-aki Tatsuki
In M. A. K. Halliday’s treatment of the Transitivity system network in Systemic Functional Linguistics, English process types are classified into six different types: material, mental, relational, behavioural, verbal, and existential.
Although these process types are analyzed from the semantic viewpoint, they are, in fact, placed in the same grammatical category as verbs, since in English, the Processes can be regarded as the semanticization of verbs. Japanese process types, however, are relevant not only to verbs; adjectives are good candidates, too. This is because Japanese adjectives have two functions: a modifying function, the same as in English, and a predicative function, involving a tense system. Accordingly, it seems appropriate to incorporate Japanese adjectives into a system network of Japanese process types. First, the nature of Japanese adjectives will be explored with reference to several old Japanese grammars from the Heian period (ca700) to the Meiji period (ca1900), and an attempt made to give a clear picture of how Japanese adjectives have been treated so far. Second, a new system network of Japanese process types will be proposed by amalgamating the grammatical categories of verbs and adjectives for analysis from a semantic viewpoint. Consequently, the semantic features of both verbs and adjectives are taken into consideration, and the paper postulates a clear distinction of two types, dynamic and static, which can be regarded as
the first choice of the system network. These two choices are then extended more subtly into a detailed network of Japanese process types.