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視点「宝永期近松浄瑠璃について : その特質を中 心に」

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視点「宝永期近松浄瑠璃について : その特質を中 心に」

著者 山田 和人

雑誌名 同志社国文学

号 17

ページ 121‑123

発行年 1981‑03

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004944

(2)

視 視点

﹁宝永期近松浄瑠璃について

         1その特質を中心に!﹂

山 田和人

 近松浄瑠璃の展開過程において︑宝永期は模索期として位置

づげられてきたように思う︒事実︑その様相は複雑をきわめ︑

近松の試行錯誤の過程を物語っているようである︒ただし︑そ

の模索が浄瑠璃史上いかたる意義・可能性を持ちえているのか︑

また︑それがいかなる方法的模索たりえているのか︑にっいて

はまだまだ研究者の︑文字通りの模索が重ねられていかなげれ

ぱならないだろう︒そこで私も手探りでささやかな問題提起を

してみようと思う︒

 まず︑宝永期の近松浄瑠璃に特徴的た現象として︑上演彩式

の不安定さを指摘することができる︒時代浄瑠璃を中心に見て

いくと︑ノーマルな五段組織とともに移しい数の変則的な型式

の作品が並んでいる︒それを﹁義太夫年表﹂から拾ってみると

次のようになるが︑この時期の作品は上演年時の確定されてい る作品が少ないので型式ごとに掲げてみる︒  ﹁雪女五枚羽子板﹂ ﹁傾城反魂香﹂ ﹁傾城吉岡染﹂ ﹁曽我  扇八景﹂ ﹁曽我虎が磨﹂以上三巻型式︒  ﹁鎌田兵衛名所盃﹂ ﹁兼好法師物見車﹂ ﹁源氏冷泉節﹂以  上二巻型式︒  ﹁碁盤太平記﹂一巻型式︒変則的た型式を持っ作品十三作中︑九作までが宝永期に集中しており︑この傾向は他の時期には見られたい玩象である︒しかも︑それ以後︑正徳期の﹁傾城懸物揃﹂︑ 享保期の﹁唐船難今国性爺﹂を除くすべての時代浄瑠璃が五段組織へと再編成されていくことを参照すれば︑この時期が近松にとっての方法的模索期であったとすることは改めて言うまでもたいほどである︒もっともこの変則的た型式の作品になんらかの上演時におげる興行事情が影響を与えていることも事実であるが︑近松を含めた竹本座の芸能環境がそこには影を潜めているのであろう︒ また︑この時期には時代浄瑠璃のこうした傾向と並行して︑世話浄瑠璃が集中的に上演されている︒  ﹁薩摩歌﹂﹁丹波与作待夜の小室節﹂﹁淀鯉出世滝徳﹂﹁五十

  年忌歌念仏﹂﹁堀川波鼓﹂﹁心中二枚絵草紙﹂﹁卯月紅葉﹂

      二二

(3)

点視   ﹁卯月の潤色﹂﹁心中重井筒﹂﹁心中刃は氷の朔日﹂﹁心中  万年草﹂ 一般に世話物といわれている二十四作中︑十一作までが宝永期に執筆・上演されており︑世話浄瑠璃の多作期でもあった︒

しかも世話浄瑠璃の中にも変則的な型式の作品が含まれている

のである︒

 これら以外に執筆・上演された時代浄瑠璃としては数作をあ

げることができるが︑手妻・からくりの興味を中心にすえたも

のと曽我浄瑠璃をあげることができる︒しかし︑宝永期の主流

を次しているのは︑やはり︑時代浄瑠璃では変則的型式を持つ

作品群と五段組織を離れた世話浄瑠璃諸作とであったといえる

だろう︒ 次に時代・世話の分類区分のボーダiラィソに位置するとい

われる作品がやはりこの時期に集中していることを指摘してお

こう︒前掲諸作品中﹁雪女五枚羽子板﹂﹁傾城反魂香﹂﹁傾城吉

岡染﹂﹁薩摩歌﹂﹁丹波与作待夜の小室節﹂などがそれである︒

そして︑これらの諸作は観点をかえていえば︑すべて歌舞伎的

色彩のきわめて濃い作品群ということができる︒これらの中で

時代浄瑠璃として提示した三作は不測の興行事情から三巻に短 一二二

縮されたものではなく︑その長さから見ても当初から三巻で構

想されたものである︒これに準じるものとして前にあげた曽我

物の二作が想定できると考えている︒

 前掲の五作は戯曲構成・趣向・人物設定・発想たど多岐にわ

たって歌舞伎の大きな影響下に成立してきたものであり︑その

限りでは従来の時代・世話という区分を単純に当てはめて考え

ることは難しい︒では︑時代浄瑠璃・世話浄瑠璃・歌舞伎浄瑠

璃といった分類を設定すれぱよいのか︒しかし︑歌舞伎的基盤

の解明︑作劇法からの分析を経なげればこの五作を一括するこ

とはできない︒いずれにせよ︑これらの諸作が︑時代・世話の

分類概念を観定していく上で重要な位置にあることはいうまで

もない︒そして︑それらの諸作が宝永期の近松浄瑠璃を代表す

る作品であり︑近松の方法的模索を知る上で一つの鍵を握って

いることは確かであろう︒

 前掲の三作﹁雪女五枚羽子板﹂﹁傾城反魂香﹂﹁傾城吉岡染﹂

は従来時代浄瑠璃中︑時代世話物として分類されてきた︒これ

を仮に時代浄瑠璃中の歌舞伎物として設定してみよう︒﹁傾城

反魂香﹂は名優中村七三郎の諾芸をとりこみ︑彼の当り狂言

﹁傾城浅問嶽﹂の筋立てを構想の中心にすえている︒ ﹁雪女五

(4)

視 枚羽子板﹂も嵐三右衛門の諸芸をとりこみ︑ン︑れを五人兄弟に設定して縦横に活躍させている︒筋立ても歌舞伎の三番続きにたらっている︒ こうした役者の趣向・演技を当込んでいく方法はすでに元禄期から盛んに行次われている︒﹁賀古教信七墓廻り﹂﹁日本西王母﹂﹁天鼓﹂たどの例をあげることができる︒こうした作品は五段組織という枠組みの中で部分の趣向として役者の諸芸を当込んできているのだが︑宝永期の三作の場合にはこれらとは異たり︑戯曲構成・人物設定・発想︵追善当込み︶にいたるまで︑歌舞伎に依拠している︒元禄十年前後からの方法が必然的にたどるべき一っの終局点であったといえるかもしれたい︒ この傾向は宝永期の曽我物の二作にもあてはまるものではないかと私は想定している︒ しかも前掲の﹁丹波与作待夜の小室節﹂を含めるとこれらの諸作は宝永四︑五年以降に集中しており︑元禄十年前後を第一期とすれぼ︑この時期は第二期歌舞伎時代ともいえる様相を呈している︒︵﹁薩摩歌﹂の上演時期も従来よりは下ってくるかも

しれない︒︶

 ちょうどこの時期は近松が︑歌舞伎作者から浄瑠璃作者へと 転身し世話浄瑠璃を執筆するようになっていった動きと軌を一にしている︒と同時に−それは元禄歌舞伎の消長とも重たっており︑著しい元禄劇壇の変化を暗示している︒ 歌舞伎の全面的な影響を受げて成立してきた時代浄瑠璃の歌舞伎物が︑宝永期以降︑その姿を消してしまうのは︑歌舞伎物のマソネリ現象ということ以上に浄瑠璃史の大きな流れが影響しているはずであり︑それはおそらく時代浄瑠璃の方法とも関連しているというべきであろう︒近松という一個の作者の間題を超えたものかもしれない︒しかしながら︑宝永期の大きな動揺の道を歩み︑あるいはそれを作り出していかざるを得たかった近松の方法的模索の足どりを私たちは着実に埋めていかなげれぼならない︒

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