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イタリアの黒死病関係史料集(一〇)

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イタリアの黒死病関係史料集(一〇)

著者 石坂 尚武

雑誌名 人文學

号 194

ページ 225‑363

発行年 2014‑11‑30

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014099

(2)

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料

集 ︵ 一

︶ 編 訳

石 坂 尚 武

第 二四 章 大規 模ペ スト 期の 遺言 書 目

﹇ 解 説 と 考 察

﹈ 相 続 と 贖 罪 と し て の 遺 言 書

│ 世 俗 性 と 宗 教 性 の 交 錯

│ は じ め に

﹇ 一

﹈﹁ 世 俗 性

﹂ と

﹁ 宗 教 性

﹂ の 二 元 的 文 書

︵ 一

︶ 遺 言 書 の 成 立

︵ 二

︶ ア リ エ ス の 見 解 に 対 す る 第 一 の 批 判

︵ 三

︶ 健 康 時 か ら 書 か れ た 遺 言 書

︑ 書 き 換 え ら れ た 遺 言 者

│ ア リ エ ス に 対 す る 第 二 の 批 判

﹇ 二

﹈ 終 油 の 秘 跡 と 遺 言 書 の 結 び つ き

﹁ 医 師

﹂ と

﹁ 司 祭

﹂ と

﹁ 公 証 人

﹂ の 交 錯

︵ 一

︶ 臨 終 時 に 終 油 の 秘 跡 と 遺 言 書 の 作 成 は ど の よ う に 結 び つ け ら れ た か

︵ 二

︶ 贖 罪 の 最 後 の チ ャ ン ス

― 225 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(3)

﹇ 三

﹈ 公 証 人 の 業 務 と ペ ス ト

︵ 一

︶ 公 証 人 の 業 務

︵ 二

︶ ペ ス ト の な か の 公 証 人

﹇ 四

﹈ 遺 産 を め ぐ る 臨 終 で の 対 立

│ 遺 族 と 聖 職 者

︵ 一

︶﹁ 遺 族

﹂ 対

﹁ 聖 職 者

︵ 二

︶﹁ 家 族

﹂ 対

﹁ 個 人

│ 家 族 の 不 満 と 憤 り と 旅 立 つ 者 の 救 済 志 願

﹇ 五

﹈ 遺 言 書 の 作 成 の 手 順 の 問 題 は 政 治 問 題 化 し た

︽ ロ ー マ 教 皇= フ ィ レ ン ツ ェ 司 教

︾対

︽ フ ィ レ ン ツ ェ の コ ム ー ネ

︾と の 戦 い

︵ 一

︶ フ ィ レ ン ツ ェ 司 教 区 の 司 祭 の 困 窮

︵ 二

︶ フ ィ レ ン ツ ェ 司 教 に よ る

﹁ 司 教 区 規 則

﹂ の 改 革 案

︵ 一 三 二 七 年

︶ と そ の 修 正

﹇ 六

﹈ ペ ス ト 前 の 遺 言 書 と

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ の 遺 言 書

︵ 一

︶ リ ー ド す る 公 証 人

︵ 二

︶ ペ ス ト 前 の 遺 言 書 と

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ の 遺 言 書 の 違 い そ の 一

│ 生 の 不 確 か さ

︑ 死 の 確 か さ

︑ 神 の 裁 き へ の 言 及 に つ い て

︵ 三

︶ ペ ス ト 前 の 遺 言 書 と

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ の 遺 言 書 の 違 い そ の 二

﹁ 霊 魂 の 救 済 の た め に

﹂ の こ と ば の 多 さ に つ い て

│ 史 料 大 規 模 ペ ス ト 期 の 遺 言 書 第 一 遺 言 書 一 三 四 八 年

︑ マ ル コ

・ ダ テ ィ ー ニ の 遺 言 書 第 二 遺 言 書 一 三 五 一 年

︑ ア マ ー タ

・ ダ

・ ク レ ス ピ ア ー テ ィ カ

︵ 故 フ ラ ン キ ー ノ

・ ダ

・ ク レ ス ピ ア ー テ ィ カ の 妻

︶ の 遺 言 書 第 三 遺 言 書 一 三 五 七 年

︑ ロ ー デ ィ 市 民 カ ラ ベ ッ ロ

・ オ ル ゾ ー ノ の 遺 言 書 第 四 遺 言 書 一 三 七 八 年

︑ パ ド ヴ ァ の シ ニ ョ ー レ

︑ フ ラ ン チ ェ ス コ

・ ダ

・ カ ッ ラ ー ラ の 妻 フ ィ ー ナ

・ ダ

・ カ ッ ラ ー ラ の 遺

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

― 226 ―

(4)

言 書 第 五 遺 言 書 一 三 八 八 年

︑ ベ ル ナ ル ド

・ タ ラ ス コ ー ノ の 遺 言 書 第 六 遺 言 書 一 四

〇 年

︑ ロ ー デ ィ 市 民 ジ ャ コ モ

・ ダ

・ ラ ヴ ァ ー ニ ャ の 妻

︑ ク レ ッ シ ー ノ

・ ブ ラ ー コ の 娘 ジ ョ ヴ ァ ン ナ

・ ダ

・ ラ ヴ ァ ー ニ ャ の 遺 言 書 比 較 参 考 史 料 一 三 世 紀 に 書 か れ た 遺 言 書 第 七 遺 言 書 一 二 二 九 年

︑ ロ ー デ ィ 市 民 ブ レ ゴ ン デ ィ オ

・ デ ナ ー リ の 遺 言 書 第 八 遺 言 書 一 二 三 六 年

︑ ロ ー デ ィ 市 民 ブ レ ゴ ン デ ィ オ

・ デ ナ ー リ の 遺 言 書 第 九 遺 言 書 一 二 四 八 年

︑ ロ ー デ ィ 市 の 公 証 人 ジ ャ コ モ

・ モ レ ー ナ の 遺 言 書 第 一

〇 遺 言 書 一 二 五 二 年

︑ ジ ェ ノ ヴ ァ 市 民 オ ベ ル ト

・ ロ メ ッ リ ー ノ の 遺 言 書 第 一 一 遺 言 書 一 二 六 三 年

︑ ロ ー デ ィ の 公 証 人 故 ジ ャ コ モ

・ モ レ ー ナ の 妻 ベ ッ ラ カ ー ラ

・ モ レ ー ナ の 遺 言 書 一 四 世 紀 前 半 に 書 か れ た 遺 言 書 第 一 二 遺 言 書 一 三 三 五 年

︑ ロ ー デ ィ 市 民 ス テ ー フ ァ ノ

・ ヴ ォ ル ト リ ー ノ の 遺 言 書

﹇ 解説 と考 察﹈

相 続 と贖 罪 と して の 遺 言書

│ 世俗 性 と 宗教 性 の 交錯

│ は

じ め に ペ

スト

︵黒 死病

︶は 人び との 心性 に影 響を 及ぼ した

︒そ のこ とは

︑個 人が 書い た遺 言書 にど う現 れて いる ので あろ

― 227 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(5)

0 100km トリノ

コモ

ベルガモ

ヴェローナ パドヴァ

マントヴァ

パルマ

モデナ ボローニャ フェッラーラ

ヴェネツィア

ルッカ ピサ

プラート フィレンツェ

シエナ

オルヴィエート アッシジ

ローマ ペルージャ アレッツォ

ウルビーノ アンコーナ ミラノ

ローディ

トレント

ジェノヴァ

パヴィーア クレモーナ

うか

︑あ るい は現 れて いな いの であ ろう か︒ 本 章は

︑﹁ 疫 病よ り前 の時 代に 書か れた 遺言 書﹂ と﹁ 疫病 以降 に書 かれ た遺 言書

﹂と を紹 介︑ 比較 し︑ 遺言 書に 刻ま れて いる かも しれ ない 心性 の変 化に 対し て︑ 関心 を向 ける 素材 とし たい

︒後 者の

﹁ 疫病 以 後

﹂に つ いて は

︑と り わ け ペ ス ト が 次 々 と最 も激 しく 猛威 を振 るっ た最 初の 半世 紀間 の遺 言 書︑ すな わ ち

︑﹁ 大 規模 ペ ス ト 期 に 書 か れ た 遺 言書

﹂を 扱う

︒ 私 がミ ラノ 大学 のル イー ザ・ キア ッパ

・マ ウー リ︵LuisaChiappaMauri

︶ 教授 から 入手 し︑ 翻訳 した 遺言 書︵ ラテ ン語

︑未 刊行 史料

︶は

︑北 イタ リア のロ ーデ ィ司 教館 に所 蔵さ れて いた もの であ る︵ 九 通︶

︒ 本 章 で は ほ と ん ど ロ ー デ ィ の 遺 言 書 を扱 っ た が

︵例 外 は

︑プ ラ ー ト︑ ジ ェ ノ ヴ ァ︑ マ ント ヴ ァ 各 一通

︶︑ こ れは

︑同 じ 地 域 に限 定 し て︑ 異な る二 つの 時期 によ る遺 言書 の違 いを 見た

第24章関係地図

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

― 228 ―

(6)

方が 客観 的で あろ うと いう 判断 によ るも ので ある

︒北 イタ リア のロ ンバ ルデ ィー ア地 方は

︑﹁ 遺 言書 の宝 庫﹂

︵マ ウー リ︶ と言 われ るほ どで ある から

︑他 のい くつ もの 都市 につ いて も︑ 異な る二 つ の 時期 に よ る 遺言 書 の 違い を 見 てい く研 究の 展開 が可 能で あろ う︒ 本章 では

︑第 一通 から 第六 通︵ 年代 順︶ まで が﹁ 大規 模ペ スト 期﹂ の遺 言書

︑第 七遺 言書 から 第一 一遺 言書

︵年 代順

︶ま で が︑

︽ 比 較参 考 資 料︾ とし て

﹁一 三 世紀 に 書 か れた 遺 言 書﹂ と﹁ 一四 世 紀 前半 に 書か れ た 遺 言書

﹂で あ る︒ 残 念な が ら︑ 扱 う数 が 極 め て少 な い︒ そ れで も 原 稿 枚数 で 言 え ば

︑一 二

〇 枚 程 度 に な る︒ 数が 少な い分

︑綿 密な 分析 が可 能で ある ので

︑そ れを 試み たい

︒ な お︑ ここ で一 次史 料と して 遺言 書の 全文 の翻 訳を 紹介 する のは

︑遺 言書 がお よそ どの よう なも ので ある かを 日本 でも 一般 にわ かっ ても らい たい と思 った こ と︵ そ れ は日 本 で はこ れ ま でな か っ た︶

︑ さら に

︑よ く ある よ う に︑ 遺言 書に つい て︑ 表や グラ フや 数値 など

︑得 られ た研 究の 結果 のみ を示 すだ けで はな く︵ それ はも ちろ ん価 値が ある

︒コ ー ンは 中 部 イ タリ ア の 三三 八 九 通も の 遺 言 書を 解 析 した

︶︑ そ れ を素 材 と し て︑ 文学

・文 献 学 的に

︑他 の 研 究者 に よっ て利 用さ れる こと があ れば と考 える から であ る︒ 日本 でも 西欧 中近 世の 遺言 書の 研究 は︑ 都市 史的 な観 点な どか ら展 開さ れて いる

︒た だ︑ 西欧 の遺 言書 につ いて の基 本的 な研 究は

︑日 本 で はま だ 少 な く︑ ペス ト そ のも の へ の関 心に 向か う前 に︑ まず 基本 的な 事柄 や背 景に つい て見 なく ては なら ない だろ う︒ また

︑遺 言書 は︑ その 時代 の家 族構 成を 知る 貴重 な史 料に もな りう るで あろ う︒

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ に つ い て

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ と は

︑ 私 の 分 類 で あ り

︑ 一 四 世 紀 半 ば か ら 発 生 し た 死 亡 率 の 非 常 に 高 い 一 連 の ペ ス ト 期 を 指 す

︒ 黒 海 沿

― 229 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(7)

岸 か ら ジ ェ ノ ヴ ァ 人 が 持 ち 込 ん で

︑ 人 口 の 約 二 分 の 一 を 奪 っ た と 考 え ら れ る

﹁ 一 三 四 八 年 の ペ ス ト

﹂ を 始 め と し て

︑ 次 に

︑ 各 地 で 非 常 に 多 く の 子 ど も の 命 を 奪 っ た と い う 二 度 目 の

﹁ 一 三 六 三 年 頃 の ペ ス ト

﹁ 子 ど も の 疫 病

﹂ と い わ れ

︑ 次 世 代 の 人 口 回 復 を 困 難 に し た

│ な ど

︑ 約 一

〇 年 毎 に 発 生 し

︑ 全 部 で 五 回 に 及 ぶ

︒ こ の

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ の 黒 死 病 が 人 び と に 最 悪 の 事 態 を も た ら し た の は

︑ 当 時 の 人 び と に 全 く 免 疫 が な か っ た こ と

︑ 凶 作

・ 飢 饉 の 時 期 と 重 な っ た こ と

︑ さ ら に

︑ 戦 乱

・ 内 乱

・ 不 況 が 重 な っ た こ と

︑ 無 策

︵ 対 処 の な さ

︶︑ 生 物 学 的

︑ 生 態 学 的 な 諸 条 件

︵ ノ ミ

︑ ネ ズ ミ

︶ な ど の 理 由 に よ る も の で あ り

︑ 一 四 世 紀 に 特 徴 的 な も の が 多 い

︒ 発 生 し た 年 号 を

︑ 史 料 に 恵 ま れ た フ ィ レ ン ツ ェ を 中 心 に 言 う と

︑﹁ 一 三 四 八 年

﹂︑

﹁ 一 三 六 三 年

﹂︑

﹁ 一 三 七 三 年

﹂︑

﹁ 一 三 八 三 年

﹂︑

﹁ 一 四

〇 年

﹂ の 計 五 回 で あ る

︒ 厳 密 に は

︑ ひ と つ の ペ ス ト は 複 数 年 に 及 ぶ の で

︑ こ の 年 号 は 便 宜 的 な も の で あ る

︵ こ れ に つ い て は

︑﹁ 第 二 一 章 サ ン タ

・ マ リ ア

・ ノ ヴ ェ ッ ラ 聖 堂 の

﹃ 死 者 台 帳

﹄ よ り

﹂ の

﹁ 表 5 56 年 間 の 夏 と 冬 の 死 亡 率

﹂ を 参 照

︶︒ も と も と

︑﹁ 疫 病

﹂︵ 一 般 の 流 行 病 全 般 を 指 す

︶︵ 伊 語pestilenza

︶ は

︑ フ ィ レ ン ツ ェ で は 一 三 四

〇 年 か ら 発 生 し て い る が

︑ そ れ は 本 史 料 集 で 扱 う 特 定 の 病 気

﹁ ペ ス ト

﹂︵

﹁ 腺 の ペ ス ト

﹂pestebubbonica

︶ で は な か っ た の で

﹁ 大 規 模 ペ ス ト 期

﹂ の 期 間 か ら は ず す

︒ ま た

︑ そ の 一 三 四

〇 年 の 数 十 年 間 前 か ら

︑ 地 球 が 寒 冷 期 に 入 っ た こ と で 類 似 し た 苦 難

︵ 飢 饉 の 多 発

︶ が 始 ま っ て い た の で

︑ 後 述 す る が

︵ 本 章

﹈ の

︵ 三

︶ の

﹁ 付 記

︵ 二

︶﹂

︶︑ 一 四 世 紀 の 前 半 の 時 代 に つ い て も

﹁ 疫 病 よ り 前 の 時 代

﹂ か ら は ず し て い る

︵ 本 章 の 第 一 二 遺 言 書 だ け が こ の 曖 昧 な 時 期 の 遺 言 書 で あ る

︶︒ ま ず︑ 次に

︑遺 言書 が西 欧の 中世 後期 にお いて どの よう にし て成 立し 普及 した かを 扱い

︑そ れか ら︑ 遺言 者が 遺言 書を 作成 する 一般 的な 場面

︑さ らに

︑そ れが 重大 な﹁ 政治 問題

﹂に さえ なっ たフ ィレ ンツ ェの 一四 世紀 初頭 の事 例に 触れ る︒ それ から

︑最 後に

︑考 察と して

︑一 三世 紀に 書か れた 遺言 書と

﹁大 規模 ペス ト期

﹂の 遺言 書の 違い を若 干示 唆し てみ たい

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

― 230 ―

(8)

﹇ 一

﹈﹁ 世 俗 性

﹂と

﹁ 宗 教性

﹂ の 二元 的 文 書

︵ 一︶ 遺言 書の 成立 西 欧中 世後 期に なっ て遺 言書 は幅 広い 層の 人び とに 書か れる よう にな った

︒そ れは

︑こ の時 代を 背景 にし て聖 俗両 面の 要素 を備 えて いた

││ す なわ ち︑ ヨー ロッ パの 中世 後期 は︑ 長距 離の 交易 が復 活し

︑必 要と され る売 買契 約の ゆえ に︑ ロー マ法 の支 配が 復活 し︑ 個人 の法 意識 が普 及し た︒ 大学 の法 学部 の設 立も そう した 世俗 の法 的社 会の 反映 であ り︑ 世俗 社会 の高 い必 要 性か ら う ま れた も の であ っ た︒ そ して

︑そ の 法 的 な世 俗 社 会の 前 線 に 立っ た の が︑ 都市 で 活 躍し た 公 証 人 で あ っ た︒ 中世 後期

・ル ネサ ンス 期は 公証 人文 化の 時代 であ った

︒公 証人 は︑ 貨幣 経済 の高 まり のな かで 遠隔 商業 や小 作雇 用契 約や 土地 の売 買・ 賃貸 借の 仲介 役︑ さら には 都市 国家 の政 務の 議事 録・ 公文 書の 書記 とし て︑ 法社 会の 中核 を担 った

︵彼 らの 活躍 のお かげ で法 契約 の様 式は

︑広 く西 欧 に お いて 統 一 され た も のと な っ た︶

︒ 各都 市 で 従事 し た 公証 人の 数は 非常 に多 く︵ フィ レン ツェ 領の 一五 世紀 初頭

︵一 四二 七年

︶で 公証 人が 少な くと も﹁ 三〇 七人

﹂い たの に対 し て︑ 二〇

〇 年 の日 本 の 場合

︑全 国 で わず か

﹁五 四 三 人﹂ いる に す ぎな い

︶︑ 現 代日 本 な ど その 比 で は な い

︒こ うし て中 世後 期の 世俗 的な

﹁市 民社 会﹂ を支 えた もの は︑ 法と 契約 意識 であ った

︒都 市を 中心 にお こな われ た世 俗的 な富 の追 求は

︑あ くま で法 的根 拠を 得る こと で︑ 正当 化さ れ︑ 文字 どお り合 法化 され たも ので あっ た︒ し かし なが ら︑ その 時代 は︑ 世俗 性の 高い 要素 を備 える とと もに

︑同 時に

︑宗 教的 には

︑上 から は︑ グレ ゴリ ウス

― 231 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(9)

改革 から 始ま り︑ 下か らは 一二 世紀 の福 音主 義の 運動

︑一 三世 紀の 托鉢 修道 会の 広汎 な信 仰の 運動 によ って 高ま った 宗教 的要 素の 高い 時代 であ った

︒こ の時 代に おい てこ そ︑ 相対 的に 見て

︑そ れま でに なく

﹁キ リス ト教

﹂が 広く かつ 深く 浸透 した とい える

︒こ うし て

︑こ こ に﹁ 市 民社 会

﹂と

﹁キ リ スト 教

﹂と は まさ に 重 ね 合わ さ れ たの で あ る︒

﹁清 貧﹂ 一辺 倒で あっ た価 値観 に﹁ 富﹂ の価 値観 が重 ね合 わさ れる

︒こ こに 両者 がほ とん ど対 等な 関係 とし て二 重の 要素 をも つ時 代が 現出 され た︒

││ この 中世 後期 の聖 俗両 面の 際だ った 性格 をそ のま ま象 徴す るも のが

︑ま さに 遺言 書で あっ た︒ す なわ ち︑ 遺言 書は

︑遺 言者 が家 族な どに 対し て︑ 世俗 的遺 産を 厳密 に法 的に 分配 する とい う﹁ 世俗 的な 意味

﹂を もつ とと もに

︑﹁ 宗 教的 な意 味﹂ もも って い た

││ すな わ ち︑ 来 世に 旅 立 つ者 が

︑遺 言 書 によ っ て︑ 生 涯に 犯 し た罪 の見 返り に慈 善の つと めを 果た し︑ そこ から 恩 恵 を 受け る

﹁宗 教 的な 意 味﹂ も 帯び て い て いた

︒イ タ リ アに お い て︑ この 遺言 書の 二重 の性 格は

︑お そら く一 八世 紀ま で続 く︑ 中近 世に 一貫 して 認め られ る性 格で あっ た︒ 本章 で紹 介す る一 二通 の遺 言書 を見 れば すぐ わか るよ うに

︑ど の遺 言書 にお いて も︑ 宗教 的な 要素 は極 めて 濃厚 であ る︒ 大 きな 傾向 とし て︑ この 遺言 書の 作成 が︑ 中世 で書 き始 めら れた のは

︑例 外は ある が︑ およ そ一 二世 紀後 半か らで あっ た

︒ キリ スト 教社 会の 観点 から 見て

︑こ の時 代は 転換 点で あ っ た︒ すな わ ち︑ こ の 時代 こ そ︑ キ リス ト 教 的救 済シ ステ ム︵ 秘跡

︑煉 獄︑ 聖母 崇拝

︑と りな し︶ が広 く定 着し 始め た時 期で あり

︑こ の時 期か ら︑ よう やく 信仰 が個 人 の問 題 と し て︑ それ ま で にな く 強 く自 覚 さ れ︑ 一 人一 人 の 個人 の 宗 教 性に 関 心 が向 け ら れる よ う に なっ た の で あ る︒ 王や 君主 など の死 者︵ 個人

︶の 横臥 像の 墓が 現れ

︑秘 跡と して の告 解が 個人 の問 題と なっ たの であ る︒ 個人 の財 産の 尊重 の意 識と 共に

︑こ の時 代の 信仰 の﹁ 個人 化﹂ とい う意 識の もと に︑ ロー マ法 的な 形式 とし ての 個人 の遺 言書

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

― 232 ―

(10)

が登 場す るの であ る

︵ 二︶ アリ エス の見 解に 対す る第 一の 批判 研 究史 から 見る と︑ 遺言 書に 注目 した のは フラ ンス の社 会史 の研 究者 であ る︒ 特に 遺言 書の 成立 につ いて

︑心 性史 的に 論じ たの がフ ラン スの 研究 者F

・ア リエ スで ある

︒ア リエ スに よる と︑ 遺言 書は

︑一 二世 紀に なっ て︑ 臨終 の際 の最 後の 秘跡 と結 びつ けら れて

︑義 務的 なも のと して 定着 した とい う︒ 義務 的な もの とし て課 され たこ とか ら︑ 遺言 書を 作成 しな いで 死ん だ者 は︑ 教会 の墓 地に 埋葬 する こと を禁 じら れた とい う︒ つま り︑ 彼ら の霊 魂は

︑自 殺者 のそ れと 同様 に︑ 行き 場を 失い

︑地 獄行 きと なる ので ある

︒ア リエ スは

︑次 のよ うに 述べ てい る

│ 遺 言 書 は 古 代 ロ ー マ 期 に あ っ て は

︑ 単 な る 遺 産 相 続 を 定 め る た め の 私 法 上 の 法 的 行 為

│ そ れ は 一 八 世 紀 末 に そ う し た も の に な る

│ だ っ た

︒ と こ ろ が 遺 言 書 が 一 二 世 紀 に 慣 習 の 中 に 再 登 場 し た 時 に は

︑ 遺 言 書 は そ う し た も の で は な く な っ て い た

︒ そ れ は ま ず 教 会 が ど ん な 貧 者 に も 課 し て く る 宗 教 的 行 為 で あ っ た

︒ そ れ は 洗 礼 と 同 様 の 一 種 の 秘 跡 と み な さ れ

︑ 教 会 は そ の 使 用 を 課 し

︑ 義 務 づ け

︑ も し 違 反 す れ ば 破 門 す る と 言 っ た

︒ 遺 言 書 を 書 か ず に 死 ん だ 者 は

︑ 原 則 と し て 教 会 に も 墓 地 に も 埋 葬 さ れ な か っ た

︒ 遺 言 書 の 作 成 者 と 保 管 者 は 公 証 人 と 主 任 司 祭 だ っ た

︒ ア リエ スは

︑こ のよ うに 一二 世 紀 以 降︑ 遺言 書 の 作成 が 広 く﹁ 義務

﹂づ け ら れ︑

﹁ 違反 す れ ば破 門

﹂さ れ て︑ 埋葬 を許 され なか った と言 い切 って いる

︒し かし なが ら︑ ここ には 若干 疑問 があ る︒ その 性質 上︑ 遺言 書の 作成 が実 際に はそ れが どれ ほど 徹底 して おこ なわ れた かは 疑問 であ る︒ とい うの も︑ いつ の時 代で もそ うで ある が︑ とり わけ 中世 の時 代に おい て︑ 不意 の事 故や 急病 によ って 思い がけ ず命 を失 い︑ 遺言 書を 書か ずに 死ぬ 者が 少な くな かっ たは ずだ

― 233 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(11)

から であ る︵ また

︑最 底辺 の貧 民に は︑ 遺産 どこ ろか

︑遺 言書 の作 成料 を支 払う 金す らも たな い者 も多 くい たは ずで ある

︶︒ イ タリ アの シエ ナの 中近 世の 遺言 書を 研究 した S・ コー ンは

︑シ エナ では 九〇 パー セン トの 者が 遺言 書を 書い たと 述べ てい る

︒ 我々 から は考 えら れな い高 い作 成率 に驚 かさ れる が︑ それ で も やは り

︑一

〇 パ ーセ ン ト の者 は 遺 言書 を書 けず に死 去し たと 考え られ る︒

︵ 三︶ 健康 時か ら書 かれ た遺 言書

︑書 き換 えら れた 遺言 者│

│ア リエ スに 対す る第 二の 批判

││ ア リ エ ス の見 解 に 対す る 第 二の 批 判 は︑ 遺 言書 の 作 成が

︑強 制 さ れた も の で ある と い う見 方 に つ い て で あ る

︒当 初︑ 部 分的 に そ う いう 部 分 もあ っ た かも し れ な いが

︑む し ろ それ は

︑キ リ ス ト教 徒 の 一種 の 権 利の よ う な も の で あ り︑ みず から 進ん で書 いた 自主 的な もの では なか った だろ うか

││ 遺言 書の 作成 こそ は︑ 基本 的に

︑進 んで おこ なう 自主 的な 要素 の強 い行 為で あっ たと 考え る︒ 遺 言書 の作 成は

︑こ の世 を去 る旅 立ち の者 にと って 極め て重 要な こと であ り︑ 人生 の最 後の 段階 にお いて 出来 るだ けお こな うべ き事 柄で ある と考 えら れて いた だろ う︒ 当時

︑遺 言書 作成 の有 用性 は︑ 一般 的に 認識 され てい たよ うで あり

︑急 死に よっ て遺 言書 が書 けず に死 ぬよ うな こと がな いよ うに

︑健 康な 時に 書い てお く方 がい いと さえ 考え られ てい た︒ 実際

︑そ う思 って 自主 的に 健康 な時 に書 く者 も少 なく なか った

︒当 時︑ 商人 など は︑ 長距 離の 交易 のた めに 旅行 をす るこ とが あり

︑そ の頃

︑街 道は 警察 権力 や司 法権 力の 及ば ぬ事 実上 無法 状態 だっ たか ら︑ 非常 に危 険が 伴う もの であ った

︒そ こで 旅行 前に

︑万 一に 備え て旅 人は 遺言 書を 作成 する こ と が少 な く な かっ た と いう

︒遺 言 書 が一

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

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(12)

方的 な義 務で あっ たと いう アリ エス の認 識で は︑ この よう なこ とは 説明 でき ない であ ろう

︒ 実 際︑ 研究 者マ リア

・R

・ロ ケッ タの ロン バル デ ィ ー ア地 方 の 遺言 書 の 調査 に よ る と︑ 一四 世 紀 半ば

︑す な わ ち︑ 一三 四四

〜六 一年 に公 証人 とし て活 動を した オベ ルト

・デ ル

・ボ ル ゴ︵ObertodelBorgo

︶ が 扱っ た 八 八人 の 遺 言者 の うち

︑そ の 八 割 の遺 言 者 は︑ 作成 か ら 数 日 以 内 に 死 亡 し た と い う

︒ こ れ は︑ 逆 に 見 る と

︑残 り の 二 割 の な か に は︑ 遺 言書 を 作 成 せず に 死 んだ 者 と 共に

︑す で に 健 康時 に 遺 言書 を 作 成 して い た 者が い た とい う こ と で あ ろ う

︒ま た︑ 中近 世の シエ ナの 膨大 な量 の遺 言書 を研 究し た研 究者 コー ンは

︑健 康時 の遺 言書 の作 成が ペス ト前 には 二〇 パー セン ト程 度で あっ たの に対 して

︑ペ スト 期に 入り

︑三

〇パ ーセ ント に上 昇し

︑さ らに は︑ 一五

〇〇 年以 降は 四四 パー セン トに まで 高ま った と述 べて いる

︒ 事 実︑ 本章 の第 一遺 言書 から 最後 の第 一二 遺言 書ま でを 見て みる と︑ その 一二 通の 遺言 書の なか で﹁ 先に 作成 した 遺言 書を 無効 とす る﹂ とい う内 容の 条項 にし ばし ば 出 会 う︵ この 一 二 通の 遺 言 書の 抽 出 に 作為 性 は ない

︶︒ 全 一 二遺 言書 中︑ 八通 がこ の条 項を 記載 して いる

︒す なわ ち︑ その 条項 を含 む遺 言書 は︑ 第一

︑第 二︑ 第三

︑第 四︑ 第五

︑第 六︑ 第七

︑第 九の 遺言 書で あり

︑全 体の 第六 七パ ーセ ント であ る︒ 興味 深い こと に︑

﹁ 大規 模ペ スト 期﹂

︵一 三四 八年 から 一四

〇〇 年ま での ペス ト︶ に作 成さ れた 六つ の遺 言書 すべ てが この こと ばを 含ん でい る︒ ペス トに よる 急死 を覚 悟し て事 前に 作成 して いた とい う可 能性 も考 えら れる が︑ 断定 はで きな い︒ とい うの は︑ この 条項 の記 載が ある から とい って

︑そ れが すべ て過 去に 遺言 書を 作成 した こと を 意 味 する と は 限ら な い から で あ る︒ 公 証人 が 用 心深 さ か ら︑ 複数 の遺 言書 が存 在す る混 乱を 回避 する こと をね らっ たも のか もし れな いし

︑ほ とん ど決 り文 句的 な挿 入だ った かも しれ ない

― 235 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(13)

し かし

︑そ れで いて おそ らく その かな りの もの が︑ 本当 に過 去に 遺言 書を 作成 して いた 場合 があ った

︒例 えば

︑一 二二 九年 に書 かれ たロ ーデ ィ市 民ブ レゴ ンデ ィオ

・デ ナー リ︵ デナ ーリ オ︶

︵BregondioDenari

︶の 遺言 書︵ 第七 遺言 書︶ に はこ う 書 か れて い る│

│﹁ 遺 言者 は

︑以 前 に作 成 し た 他の 遺 言 書に つ い て は︑ こ れ を 無 効 と す る﹂

︒ こ れ は︑ 公証 人が

︑同 一の 遺言 者が 書い た複 数の 遺言 書が もた らす 混乱

・い ざこ ざを 回避 する ため に︑ 助言 して 挿入 させ たも ので ある が︑ それ を書 く必 要が ある ほど まで に遺 言書 は臨 終に 先立 って 書か れ得 たと いう こと であ る︒ しか も︑ その よう に述 べた ブレ グン ディ オ・ デナ ーリ は︑ 七年 後の 一二 三 六 年 にな っ て さら に 遺 言書 を 書 き 換え て い るの で あ る︒ これ は︑ 成長 した 息子

︑あ るい は愛 情を いっ そう 深く 感じ るよ うに なっ た息 子の ため であ ろう か︑ 遺贈 の増 額が 決定 され てい る︒ この こと から

︑遺 言者 が︑ 状況 の変 化に 応 じ て︑ 遺 言書 を 比 較的 気 軽 にお こ な っ てい た こ とが わ か る︒ ここ には 遺言 書の 作成

︵更 新︶ がか なり 自主 的な もの であ った こと が示 唆さ れて いる ので はな いか

︒こ れは 教会 から 強制 され た義 務と いう 観点 から だけ では 説明 でき ない

﹇ 二

﹈ 終油 の 秘 跡と 遺 言 書の 結 び つき

﹁ 医師

﹂ と

﹁司 祭

﹂ と﹁ 公 証 人﹂ の 交 錯│

︵ 一︶ 臨終 時に 終油 の秘 跡と 遺言 書の 作成 はど のよ うに 結び つけ られ たか 一 二世 紀か 一三 世紀 の頃 から

︑カ トリ ック の救 済シ ステ ムが 定着

・確 立す るに つれ て︑ 遺言 書を 通じ てお こな う宗 教的 行為 は︑ 遺言 書の 重要 な部 分と なっ た︒ 臨終 時に おい て︑ 遺言 書は 終油 の秘 跡と 緊密 に結 びつ けら れて

︑い わば

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︵ 一

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(14)

ひと つの セッ トと なり

︑救 済の 確信 の強 力な 方向 づけ とな った

︒こ の両 者は どの よう に結 びつ けら れた ので あろ うか

││ 人 が重 病に 瀕し た場 合︑ ふつ う︑ 家に はま ず医 師が 呼ば れた

︒し かし

︑危 篤状 態の 場合

︑医 師を 抜き にし てす ぐに 司祭 を呼 んだ かも しれ ない

︒医 師が 呼ば れた 場合 でも

︑中 近世 の場 合︑ この 医師 は︑ 危機 的な 時点 では

︑病 人の 治癒 や回 復の ため の治 療行 為の 努力 をお こな うと いう よ り は︑

︽ 死が す ぐ に迫 っ て いる か 否 か︾ の 判断 を 委 ねら れ る 存在 であ った

︒そ して 医師 が﹁ 死が 間近 であ る﹂ と判 断し た場 合︑ 責任 は﹁ 肉体 の治 癒者

﹂か ら﹁ 霊魂 の治 癒者

﹂に 委ね られ る︒ 司祭 が呼 び求 めら れる ので ある

︒こ こか ら︑ 死を 前に した 一連 の事 柄が おこ なわ れた ので ある

︒│

│ 司 祭は 病人 の家 に来 ると

︑ま ず家 族と 病人 に対 して 慰め のこ とば をか ける

︒こ れは

︑事 情が 許せ ば︑ 数時 間に 及ぶ こと も あ る︵ 時に 司 祭 は 何日 も 通 って

︑病 人 と 数日 に わ た って 生 涯 の罪 を 語 るこ と も あ った と い う

︶︒ ふ つ う 司祭 は最 初︑ 遺言 書の 作成 がで きて いる かを 尋ね る︒ まだ なら

︑す ぐに その 手配 を取 らせ る︒ そし て司 祭は

︑家 族を 病人 の部 屋か ら離 して

︑告 解聴 聞師 とし て︑ 告解 の秘 跡を おこ なう

︵今 日そ うで ある よう に︑ 式服 の一 部と して 紫色 の帯 を自 分の 首か ら肩 にか けた かも しれ ない

││ これ で聖 霊が 天か ら降 り注 いで きて

︑司 祭は

﹁神 の代 理人

﹂と して 機能 す る︶

︒司 祭 は

︑家 族 に聞 こ え な い よ う に

︵一 方

︑家 族 は 遺 産 へ の 関 心 か ら 近 く で 聞 き 耳 を 立 て て い た か も し れ な い︶

︑ 耳元 でさ さや くよ うに

︑重 病人 にこ の世 で犯 し た 罪 の是 非 を 問う

︵﹁ 姦 淫 の罪 を 犯 さ なか っ た か﹂

﹁貪 欲 の 罪は

・・

・﹂ など

︑七 つの 大罪 が主 であ る︶

︒ 重病 人 は︑ こ こで そ の 罪の 数 々 を告 白 す る︒ 司 祭は 神 の 代理 人 で あり

︑神 は事 のす べて を知 って いる のだ から

︑ふ つう 嘘は つき にく い︒ しか し病 苦が 何ら かの 作用 を来 した かも しれ ない

― 237 ― イ

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︵ 一

(15)

︵ 二︶ 贖罪 の最 後の チャ ンス こ うし て︑ 告白

︵懺 悔︶ の後 に︑ 遺言 書の 作成 に向 けて

︑こ の世 で犯 した 罪の 最後 の贖 罪︑ つま り遺 言書 を通 じた 喜捨

・慈 善の 約束 がお こな われ る︒ 死ね ばも う罪 を犯 し得 ず︑ 贖罪 はも はや 不要 であ るか ら︑ これ が名 実共 に︽ 最後 の贖 罪︾ であ る︒ 中世 後期 から 近世 のカ トリ ック 世界 では

︑急 死や 不本 意な 死に 遭遇 せず に︑ この 機会 を無 事に 得た カト リッ ク者 は幸 いと 見な され た︒ こう して

︑自 分の 遺産 のう ちか ら教 会へ の喜 捨︑ 供養 ミサ 料︵ これ は死 者の 煉獄 の苦 しみ の緩 和・ 短縮 のた めの もの であ る︶

︑ 貧民

・病 人な ど へ の慈 善 の ため の お 金の 額 が 具 体的 に 約 束さ れ る ので ある

││ これ によ って 司祭 から

︑最 終的 には 晴れ て天 国に 達す るこ とが 約束 され るの であ る︒ 重病 人の なか には

︑司 祭か ら︑ 罪相 応の 過酷 な罰 が煉 獄で 待っ てい るぞ と脅 され て︑ 自責 の念 から 遺贈 の奮 発に 走っ た者 もい たか もし れな い︒ 大商 人や 銀行 家の 場合

︑そ れま での 貪欲 の悪 徳が 司祭 から 強調 され たか もし れな い︒ それ まで 業務 上避 けが たか った

﹁高 利﹂

︵ ウス ラ︶ など の不 当利 得を 指摘 さ れ︑ 遺 言書 を 通 じて

︑あ る い は内 々 に︑ 教 会 に返 還 す る約 束 が 交わ され たの であ る︵ その 額は 一軒 の家 が建 つ以 上の 高額 な場 合も あっ た︶

︒ 遺 言書 は﹁ 天国 への パス ポー ト﹂

︵ ル・ ゴッ フ︶ であ った

︒こ れは 遺言 書の 作成 の﹁ 自主 性﹂

︵義 務と 共に

︶を 促し たか もし れな い︒ 確か に︑ 天国 に達 する まで の長 い 道 の りの 途 中 では

︑ご く 普 通の 人 間︵

﹁ 全 面的 に 善 くも 悪 く もな い 人間

﹂︶ の 場 合︑ 煉 獄の 存 在 が大 い に 気が か り で あっ た

︒ふ つ う人 は 誰 でも 煉 獄 の 試練

︵罪 の 浄 化の 場

︶を 経 な くて はな らな かっ たの であ る︒ それ でも

︑﹁ い つか は 必 ず天 国 に 行け る

﹂と い う明 確 な 見 込み が

︑こ の パス ポ ー トに よっ て与 えら れ︑ 勇気 づけ られ たの であ る︒ これ は死 にゆ く者 には 大き な慰 めで あっ た︒ この 慰め は︑ アリ エス の言 う﹁ 義務

﹂の 念か らで は︑ 決し て得 られ な い も ので あ る︒ そ して

︑こ の 慰 めは

︑﹁ 遺 言 書 の作 成

﹂と セ ット を な すも

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

― 238 ―

(16)

う一 方の

﹁終 油の 秘跡

﹂の なか で︑ 体に 塗ら れる

﹁聖 香油

﹂│

│こ れは 復活 祭の 朝に 特別 に聖 別さ れて 採取 され たオ リー ブ油 であ った

││ とと もに

︑遺 贈︵ 贖罪

︶の 見返 りと して 与え られ るも ので あっ た︒ こ の時 代︵ それ 以後 もそ うで ある が︶

︑ 遺言 書を 書 き︑ 終 油の 秘 跡 を無 事 受 ける こ と は︑ 死 を意 識 し た人 間 が 是非 とも 果た した い人 生最 大の

︑最 後の 必須 のイ ベン トで あっ た︒

││ 仮に 家族 のひ とり が︑ 不幸 にし て︑ 遥か 遠い 地で 死去 した 場合

︑そ の知 らせ を受 けた 身内 の者 は︑ 死に 際し て自 分の 家族 がき ちん と︽ パス ポー ト︾ をも って 旅に 出る こと がで きた かど うか

︑こ れが

︑遺 族の 最大 の気 がか りで あっ た

︒ 家 族と の別 れを 前に

︑聖 体拝 領や 塗油 や聖 歌の 歌唱 など がお こな われ る︒ この 聖体 拝領 では

︑聖 別さ れた パン

︵ホ ステ ィア

︶︑ す なわ ち﹁ 聖体

﹂は

︑今 まさ に来 世に 旅立 つ病 人に 与え られ る︒ これ は特 に﹁ ウィ アテ ィ ク ム﹂viaticum

││

﹁旅 のた め の 食 糧﹂

︵文 字 ど おり に は﹁ 道│ 君│ 共 に﹂ の意

︒古 代 ロ ー マで は

﹁餞 別﹂ の 意︶ と呼 ば れ︑ こ れを 食べ るこ とで 臨終 の者 は︑ ただ 一人 で死 ぬの では なく

︑キ リス トと とも に死 んで

︑そ れか ら永 遠の 生に 向け 旅立 つと 理解 され た

︒ まさ に旅 人に キリ スト の永 遠の 糧が 与え られ るの で あ る︒ そし て

︑そ れ か ら重 病 人 は︑ ベッ ド に 集ま った 家族 や親 族を 前に して

︑こ れま で自 分が 犯し た過 ちの 赦し を皆 に乞 い︑ ひと りひ とり に別 れの こと ば│

│感 謝や 教 訓│

│を 告 げ るの で あ る︒ これ は

︑モ レ ッリ 家 の グ ァル ベ ル トの 感 動 的な 臨 終 が 示す よ う に

︵本 史 料 集 第 二 三 章

﹇ 四﹈

︶︑ 家 族に とっ て生 涯忘 れが たい 場面 であ った

― 239 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(17)

﹇ 三

﹈ 公証 人 の 業務 と ペ スト

︵ 一︶ 公証 人の 業務 死 を意 識し た人 が︑ 遺言 書を 作ろ うと 思っ た時

︑そ の家 に来 てく れる 公証 人は ふつ う二 人い た︒ 遺言 書の 作成 を委 ねら れた 主た る公 証人 のほ かに

︑も うひ とり

︑公 正さ と客 観性 のた めに 第二 公証 人が 付き 添っ た︒ さら に証 人︑ すな わ ち家 族

︵直 接 の 利害 関 係 者︶ 以外 の 者 が五 名 程 度 出席 を 求 めら れ る︒ 彼 ら は急 遽 呼 び出 さ れ た知 人 や 聖 職 者 で あ る︒ 公証 人は

︑ま ず重 病人 の頭

︵知 力︑ 記憶 力︶ がし っか りし てい るか

︑法 的能 力を 確か める

︒こ れは ロー マ法 の原 則で ある

︒こ うし て︑ 法的 能力 が保 証さ れる と︑ 遺言 者は

︑臨 終の ベッ ドか ら口 頭で

︑先 に司 祭と 約束 した 宗教 的遺 贈の ほか に︑ 家族 や親 族内 の相 続︑ 包括 相続 人の 指名

︑遺 言執 行人 の指 名を おこ なう

︒公 証人 は︑ それ を覚 書き に記 す︒ 公証 人は

︑経 験上

︑後 の法 的な いさ かい を避 ける ため に︑ いく つか の助 言を して いく

︒例 えば

︑既 成の 遺言 書の 無効 化の 宣言 のほ かに

︑相 続人 に指 名し たも のの

︑そ の相 続人 が早 世し た場 合の 措置

︑ま た︑ 遺言 書の 作成 後︑ 思わ ぬと ころ から 負債 が出 た場 合の 措置 など であ る︒ 口頭 に よ る 遺産 の 伝 達等 が 済 んだ 後

︑公 証 人 は事 務 所 に持 ち 帰 り︑ 羊皮 紙に 丁寧 に克 明に 清書 する

︒こ れは かな り労 力を 要す る大 変な 作業 なの で相 当の 時間 や日 数を 要す る︒ その 間に 遺言 者が 死亡 して しま うこ とも 多か った だろ う︒ いず れに せよ 羊皮 紙に 書き 込ま れた 完成 した 遺言 書の 内容 は︑ おそ らく 第二 公証 人が 確認 した ので あろ う︒ 公証 人は

︑そ れを 遺言 執行 人に 持参 する こと にな る︒ 公 証人 は︑ 遺言 書に 自分 の署 名を 書く 時に

︑そ ばに 手書 きの 自分 自身 の模 様﹁ 書き 判﹂ を記 した

︒図 1﹁ 公証 人の

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

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(18)

図1 公証人 の 書 き 判(Storia della parrocchia di S. Agata in Como, Documenti D’archivio, a cura di Carlo e Vittorio Rusconi, Como, 1983.)

― 241 ― イ

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︵ 一

(19)

書き 判﹂ は︑ 北イ タリ アの コモ の公 証人 の﹁ 書き 判﹂ の例 の数 々を 参考 とし て示 した

︵こ の図 は利 用し た著 作の 裏表 紙に ある

︶︒ な お︑ 公証 人に なる には ボロ ーニ ャ大 学な どで 専門 的に 法律 を学 ぶ者 もい たが

︵例 えば

︑プ ラー トの 商人 ダテ ィー ニの 友人 セル

・ラ ーポ

・マ ッツ ェイ

︵姓 名 の 前 の﹁ セル

﹂は 公 証 人な ど に 付け る 敬 称︶ な ど︶

︑親 方 の もと で 見 習っ て力 をつ けて から

︑資 格試 験を 受け る者 もい た︒ 公証 人は

︑ラ テン 語を 学ぶ 必要 から 古代 文学 に解 れた ので

︑し ばし ば都 市の 教養 人と して

︑人 文主 義文 化な どを 担っ た︒ 父親 が公 証人 であ った 有名 人と して は︑ ペト ラル カ︵ 一三 七四 年没

︶︑ マ ザッ チョ

︵一 四二 八年 没︶

︑レ オナ ルド

・ダ

・ヴ ィン チ︵ 一五 一九 年没

︶︑ マ キャ ヴェ ッリ

︵一 五二 七年 没︶ など がい る︒ 公証 人の なか には

︑遺 言書 の余 白に

︑他 の者 に違 法な 書き 込み をさ れな いよ うに

︑羊 皮紙 の余 白い っぱ いに ダン テの

﹃神 曲﹄ の詩 を書 き込 んだ 者も いた

︵ 二︶ ペス トの なか の公 証人 実 は︑ 公証 人も なか なか 大変 な職 業で あっ た︒ ひ とた び都 市に 疫病 が流 行す ると

︑死 を間 近に した 人 び と の家 族 か ら︑ 遺言 書 の 作成 の 要 請 が殺 到 し たの で あ る︒ そこ で急 いで 臨終 の人 たち の家 に次 々と 駆け つけ

︑遺 言の 聞き 取り と正 式の 遺言 書の 作成 に当 たり

︑多 忙を 極め たの であ る

︒ しか し︑ それ 以上 に重 大な こと があ った

︒と いう のは

︑疫 病死 す る 患者 と 向 き 合う こ と で︑ 公証 人 自 身も 疫病 の感 染に さら され ると 考え られ たか らで ある

︒今 日の 研究 では

︑つ ばな どの 飛沫 によ る感 染を 引き 起こ す肺 ペス トで ない かぎ り︵ 中近 世の ペス トは

︑そ の多 くが ノミ に 刺 さ れる こ と から 生 じ る腺 ペ ス ト であ っ た︶

︑ 患者 の 家 に行

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

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(20)

って も︑ すぐ にノ ミに 噛ま れる とは かぎ らな い︒ しか し︑ 公証 人の なか には

︑ペ スト が猖 獗を 極め る都 市か ら逃 亡す る者 が出 てき たの であ る︵ そし て逃 亡先 の農 村で

︑同 じ く 逃 亡し た 富 裕者 の 遺 言書 作 成 の 仕事 に 関 わっ た

︶︒ そ れに 対し て︑ ヴェ ネツ ィア の政 府な どは

︑霊 魂の 救済 に重 大に 関わ る公 証人 が︑ 職務 を放 棄し て農 村に 逃亡 する こと を禁 じ︑ それ に反 すれ ば︑ 罰則 とし て公 証人 の業 務資 格を 剥奪 する 措置 を 講 じた の で あ る

︒ なお

︑ペ ル ピ ニャ ン の 公証 人の 死亡 率に つい ての R・ W・ エマ リー の優 れた 研 究 が ある

︵ペ ル ピ ニャ ン で は︑ 一二 五 人 い た公 証 人 がペ ス ト 後︑ 四五 人に 減少 して いる

︒ペ スト によ る死 亡率 は︑ 五八 パー セン トか ら六 八パ ーセ ント と推 定さ れて いる

︶︒ こ の疫 病患 者と 向き 合う リス クは

︑医 師と 司祭 にも 痛 感 さ れ︑ 彼ら の 多 くも 疫 病 のな い 地 域 に逃 げ た ので あ っ た︒ 終油 の秘 跡が 救済 には 決定 的に 重要 であ ると 信じ ら れ て いた こ と から

︑一 三 四 八年

︑黒 死 病 が ヨー ロ ッ パを 急 襲 し︑ キリ スト 教徒 が司 祭を 呼ん で告 解や 終油 の秘 跡を 受け る 間 も なく 次 々 と死 去 し てい く 緊 急 事態 が 生 じた

︒こ の 時 に︑ アヴ ィニ ョン の教 皇ク レメ ン ス六 世

︵在 位 一 三四 二

〜一 三 五二

︶は

︑英 断 を 敢行 し た

││ すな わ ち︑

︽ 罪を 改 悛 しつ つ疫 病死 して いく すべ ての 信徒 に加 え︑ 病人 の看 護

︑死 者 の 埋葬 に 携 わっ て 罪 を改 悛 す る すべ て の 信徒 に

︑︵ 告 解が なく とも

︶正 式の 赦免 を与 える

︾と いう 趣旨 の教 令︵ 一三 四八 年︶ を発 布し たの であ る

﹇ 四

﹈ 遺産 を め ぐる 臨 終 での 対 立

││ 遺 族 と聖 職 者

││

︵ 一︶

﹁遺 族﹂ 対﹁ 聖職 者﹂ 臨 終の ベッ ドで はい くつ かの 利害 関係 が錯 綜し た︒ それ は︑ いつ の時 代で もそ うで あろ うが

︑遺 産を めぐ って 生じ

― 243 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(21)

るも ので あり

︑時 に次 に見 るよ うに

︑一 四世 紀の フィ レン ツェ にお いて そう であ った が︑ 重大 な﹁ 政治 問題

﹂に さえ なっ た︒ その 前に

︑ま ず﹁ 遺族

﹂対

﹁聖 職者

﹂の 利害 対立 を見 よう

︒ お そら く多 くの 場合

︑司 祭が

﹁霊 魂の 治癒

﹂を おこ なっ てい る最 中や その 直後 に公 証人 が呼 ばれ た︒ しか し重 病人 の体 調の 状態 や︑ その 地域 や時 代の 慣習 によ って

︑司 祭と 公証 人の 業務 の手 順・ 順番 は様 々で あっ ただ ろう

︒ ひ とつ のパ ター ンを いう なら

︑ま ず司 祭が

︑重 病人 から 人生 全般 につ いて 罪の 告白 を聴 く︒ その なか で明 白な 高利 貸し が認 めら れた 場合

︑教 会法 に従 って その

﹁汚 れた 金﹂ の返 還手 続き がお こな われ る︒ この 返還 手続 きの 有無 につ いて は︑ 表﹁ 大規 模ペ スト 期の 遺言 書と 一三 世紀

︑一 四世 紀前 半に 書か れた 遺言 書﹂ の﹁ 不当 返還

﹂の 欄を 参照 され たい

︒返 還さ れた とい う記 述の ある もの を○

︑さ れな かっ たも のを

×で 示し た︒ それ を経 て次 に司 祭か ら赦 免を 与え られ

︑終 油の 秘跡 が与 えら れる

││ しか る後 に︑ 待た され てい た公 証人 は遺 言書 の作 成に 取り かか るの であ る︒ そし て司 祭は その 場に 留ま り︑ 遺贈 の場 面に 立会 う︒ 聖 職者 側に とっ てこ の順 番は 模範 的な もの とし て尊 重さ れる べき こと であ った

︒司 祭に よっ て人 生の 罪の 告白 とそ れに 伴う 改悛 がし っか りと おこ なわ れた 場合

︑病 床の 遺言 者は

︑告 解か ら引 き起 こさ れた 強い 贖罪 意識

・自 責の 念か ら︑ おの れの 遺産 の多 くを 宗教 的遺 贈に 注ぎ やす かっ たか らで ある

││ 一方

︑そ こで

︑は らは らし たの は︑ でき るだ け多 めの 遺産 を相 続し たい と思 う家 族や 親類 であ った だろ う︒ 臨終 の者 が︑ 死後 の霊 魂の 救済 を強 く願 うほ ど︑ 注ぎ 込 む宗 教 的 遺 贈が 多 く なり

︑遺 族 に 残さ れ た 財 産は わ ず かな も の と なっ て し ま う︒ 臨 終 に 際 し て︽ 教 会︵ 聖 職 者︶

︾ と︽ 家族

・親 族︾ との 間に 利害 対立 が認 めら れる ので ある

︒ さ らに 遺言 書の 作成 に立 ち会 った 証人 の存 在も 圧力 をあ たえ ただ ろう

︒証 人の なか に聖 職者 や何 らか の団 体の 仲間

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

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(22)

︵ 例え ば︑ 信心 会員

︶が いた 場合

︑そ の存 在は 遺言 者 に はプ レ ッ シャ ー に なっ た こ と だろ う

︒例 を あげ る と︑ ま ず本 章で 紹介 する 第二 遺言 書の 作成 者ア マー タ・ ダ・ クレ スピ アー ティ カの 場合

︑わ ざわ ざロ ーデ ィの ウミ リア ーテ ィ修 道会 の教 会の 主席 司祭 が︵ 日頃 から の関 わり であ ろう か︑ 病人 の意 思で あろ うか

︶証 人と して 臨席 して いる

︒結 局そ こで 作成 され た遺 言書 では

︑娘 の死 後︑ 遺言 者の 所有 する 土地 は︑ すべ てウ ミリ アー ティ 修道 会に 遺贈 する と思 い切 った 決定 を下 して いる

││ この 遺贈 の判 断に は︑ 多か れ少 なか れ主 席司 祭の 出席 が作 用し てい たで あろ う︒ ま た︑ 第七 遺言 書︵ 一二 三六 年︶ の作 成者 ブレ グ ン デ ィオ

・デ ナ ー リの 場 合︑ 妻 子が 存 命 で いる に も かか わ ら ず︑ 住 ん で い る 家 を ま る ご と 修 道 会 に 遺 贈 し て い る│

│﹁ 遺 言 者 は こ の 家 を ロ ー デ ィ の ウ ミ リ ア ー テ ィ 修 道 会 に 与 え る﹂

︒ 今を とき めく ウミ リア ーテ ィ修 道会 が信 徒 に 強く 作 用 して い た のだ ろ う︒ こ の 修道 会 は︑ 一 二世 紀 か ら︑ ロー ディ やミ ラノ など

︑北 イタ リア を中 心に 勢力 を伸 ばし 庶民 の信 仰生 活に 大き な影 響を 及ぼ して いた もの であ る︒ ウ ミ リ ア ー テ ィ

︵ フ ミ リ ア テ ィ

︶ 修 道 会 に つ い て ウ ミ ア ー テ ィ 修 道 会

︵ilConventodegliUmiliati

︶︵

﹁ 謙 遜 派 修 道 会

﹂︶ は

︑ 一 二 世 紀 半 ば 頃 に ロ ン バ ル デ ィ ー ア に 生 ま れ た

︒ 下 層 の 人 び と を 中 心 に し た

︑ 清 貧 と 霊 的 刷 新 を 訴 え る 神 秘 的

︑ 社 会 的 な 傾 向 を も つ 民 衆 的 な 運 動 の ひ と つ で あ る

︒ そ の 大 衆 性

︑ 世 俗 性

︑ 福 音 主 義 に お い て

︑ 後 に 生 ま れ る フ ラ ン チ ェ ス コ 修 道 会

︑ ド ミ ニ コ 修 道 会 な ど の 托 鉢 修 道 会 の 前 触 れ の よ う な 存 在 で あ る

︒ 伝 承 に よ る と

︑ こ の 修 道 会 は

︑ 聖 ジ ョ ヴ ァ ン ニ

・ オ ル ド ラ ー テ ィ

・ デ ィ

・ メ ー ダ

︵S.GiovanniOldratidiMeda

︶ に よ っ て 創 設 さ れ た

︒ こ の 修 道 会 は 宣 誓 を 拒 否 し

︑ 週 に 三 回 節 食

︵ 断 食

︶ を お こ な い

︑ 集 ま っ て 多 数 で 祈 り

︑ 自 国 語 の 聖 書 を 読 み

︑ 広 場 で み ず か ら 説 教 を お こ な っ た

︒ ま た

︑ 貧 民 や 病 人 へ の 援 助 に も 積 極 的 で あ っ た

︒ ア レ ク サ ン デ ル 三 世

︵ 在 位 一 一 五 九

〜 八 一

︶ は

︑ 彼 ら の 運 動 を 推 奨 す る 一 方 で

︑ 彼 ら が 説 教 を お こ な う こ と を 禁 止 し た

︒ 禁 止 さ れ た こ と で 修 道 会 は 公 然 と 反 乱

― 245 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

(23)

を 起 こ し

︑ ル キ ウ ス 三 世

︵ 在 位 一 一 八 一

〜 八 五

︶ に よ っ て 彼 ら は 破 門 に 処 さ れ た

︵ 一 一 八 四 年

︶︒ イ ン ノ ケ ン テ ィ ウ ス 三 世

︵ 在 位 一 一 九 八

〜 一 二 一 六

︶ は

︑ 彼 ら の な か の カ ト リ ッ ク の 信 仰 に 留 ま っ た 修 道 士 に 対 し て は

︑ 教 令

︵ 一 二

〇 一 年

︶ で 修 道 会 を 三 つ の 階 層 に 分 割 し て 活 動 を 認 め た

︒ 第 一 会

﹁ 戒 律 修 道 士

・ 戒 律 女 子 修 道 士

︵ ま た は

﹁ 参 事 会 員

﹂ と

﹁ 修 道 女

﹂︶

﹂︑ 第 二 会

﹁ 修 道 会 の 共 同 体 で 生 活 す る 俗 人

︵ 男 子

・ 女 子

︶﹂

︑ 第 三 会

﹁ 世 俗 で 生 活 す る 俗 人

︵ 既 婚 者 ま た は 未 婚 者

︶﹈ で あ る

︒ こ う し て 活 動 を 公 認 さ れ た 者 に よ っ て

︑ こ の 修 道 会 は

︑ 一 三 世 紀 末 に は 四

〇 も の 修 道 院 を 有 し た と い う

︒ し か し 結 局

︑ 反 宗 教 改 革 期 の 厳 格 な 教 皇 ピ ウ ス 五 世

︵ 在 位 一 五 六 六

〜 七 二

︶ に よ っ て 一 五 七 一 年 に

︑ こ の 修 道 会 は 廃 止 さ れ て し ま っ た

︒ し た が っ て 現 在 こ の 修 道 会 の 建 物 は あ ま り 残 存 し て い な い が

︑ 北 イ タ リ ア の コ モ に あ っ た ウ ミ ア ー テ ィ 修 道 会 の 建 物 の 一 部 が

︑ コ モ の 私 立 学 校 コ レ ッ ジ ョ

・ ガ ッ リ オ

︵CollegioGallio

︶ の 校 舎 の な か に 認 め る こ と が で き る

︒ な お 図 2

﹁ ウ ミ ア ー テ ィ 修 道 士 が 織 物 業 を お こ な う 様 子

﹂ は 同 校 の 沿 革 を 扱 っ た 書 か ら 利 用 し た

︒ ま た 本 章 で し ば し ば 登 場 す る サ ン

・ ク リ ス ト ー フ ォ ロ 教 会 は ウ ミ リ ア ー テ ィ 修 道 会 の 教 会 で あ る

︵ 二︶

﹁家 族﹂ 対﹁ 個人

﹂│

│家 族の 不満 と憤 りと 旅立 つ者 の救 済志 願│

│ さ らに

︑第 五遺 言書 のベ ルナ ルド

・タ ラス コー ノは

︑自 宅で はな く女 子修 道院 で遺 言書 を作 成し てい るが

︑こ の場 所で の作 成そ れ自 体が 聖職 者の 優位 を意 味し てい る︒ すな わち

︑タ ラス コー ノは

︑息 子た ち︵ パオ ロ︑ ボー ノ︶ には わず か五 帝国 ソル ドと いう 少額 の遺 産を 与え るだ けで

︑自 分の 土地

・家 をす べて この 女子 修道 院に 遺贈 して しま うの であ る︒ タラ スコ ーノ は︑ 息子 たち から 不満 が出 るの を感 じて

︑遺 言書 でわ ざわ ざこ う繰 り返 して いる

││

﹁五 帝国 ソル ドの 他に はい かな る財 産も どの よう な理 由に よっ ても

︑法 律に 基づ いて も︑ ある いは 裁判 や訴 訟に よっ ても

︑先 に述 べた 彼の 財産 を要 求し ては なら ない

﹂︒ 息 子た ちの 無 念 や憤 り が 目に 見 え るよ う で あ る︒ 現代 の 多 くの 日 本 人に

イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

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(24)

は 考え られ ない こと かも しれ ない が

︑死 後︑ 来世 で永 遠に 生き なが ら える はず の霊 魂が

︑早 く天 国で 至 福の 生活 にあ ずか るか

︑そ れと も

︑長 く煉 獄で 苦し むか

││ それ を 思う と︑ 教会 への 思い 切っ た遺 贈 など は︑ タラ スコ ーノ にと って 安 い も の と 思 わ れ た の で あ ろ う︒ こ こ に は

︑﹁ 遺 贈 者﹂ 対﹁ 家 族﹂ の 対立 があ る︒

図2 ウミリアーティ修道士が織物業をおこなう様子(E. Pifferi, G. Scotti, G.

Bonacina, A. Spallino,Gallio Collegium Comense,Como, 1983, p.24.)

― 247 ― イ

タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集

︵ 一

図 1 公証人 の 書 き 判(Storia della parrocchia di S. Agata in Como, Documenti D’archivio, a cura di Carlo e Vittorio Rusconi, Como, 1983.)
図 2 ウミリアーティ修道士が織物業をおこなう様子(E. Pifferi, G. Scotti, G.
表 大 規模ペスト期の遺言書と一三世紀、一四世紀前半に書かれた遺言書 不当返還 ◯××◯×× 生の不確かさ、死の確かさ、神の裁きへの言及なし賢人がいうには、我々の生きている日々は闇のように過ぎ去ってしまうのだから、生き延びる願いを抱きながら急死に陥るよりは、死を恐れつつ生きていく方が好ましい・・・主のもとで死にゆく者は幸いであるから、聖書の他のところにもこう書かれているのである。「我々は皆神の裁きの目の前にいる。この生涯において我々が果たした行い、それが善きことであるにせよ、悪しきことであるにせよ、あるいは
図 5 1351 年、フランキーノ・ダ・クレスピアーティカの遺言書 イタリアの黒死病関係史料集︵一 〇 ︶ ― 280 ―
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