はじめに
19世紀が知性や理性を基盤とした自然科学の世紀であったならば,ヨー ロッパで20世紀前半に神秘主義研究が活気づいたのはその反動だったとも 言える.辞典的な定義をみれば,『19世紀ラルース大辞典』の「mystique」
や「mysticisme」の項には,病や盲目といった言葉や神秘主義を反理性的
なものとみなす言説が溢れている1).20世紀の神秘主義研究はある意味 でこうした言説との対決であり,心理学・哲学・神学・文化人類学など学 問領域をまたぎ,盛んに議論されていった.エミール・プーラ(Émile Poulat, 1920-2014)の著作『神秘学に直面する大学』(L’Université devant
la mystique, 1999)は,当時の神秘主義研究の隆盛を網羅的に捉えた著作
である.だが,プーラの著作は網羅的である反面,個々の研究の詳細を追 うまでには至っていない.
本稿の主眼は,さまざまな神秘主義研究を追うことで,各思想家たちが どのように神秘主義を思考していったのかを考察することにある.まず心 理学の領域で神秘主義が病とは同一視されなくなっていった推移を,ウィ リアム・ジェイムズとアンリ・ドラクロワの研究に求めたい.続いて,神 秘主義が哲学の領域で取り上げられ,哲学に貢献するものとして位置づけ られていった議論を,ジャン・バリュジとモーリス・ブロンデルの研究に 探りたい.次に,神秘主義と神学との共存を主張するジャック・マリタン の思索を辿っていく.最後に,神秘主義が社会形成に必須であると考えた レヴィ=ブリュールの所論を追う.こうした一連の展開を考察すること で,彼らが一群となって神秘主義の解明へと向かっていった理由に迫るこ とができるだろう.
20 世紀前半期フランスにおける 神秘主義研究の諸相
平 賀 裕 貴
1
.ウィリアム・ジェイムズ(
William JAMES, 1842-1910):病からの 解放
神秘主義が病とみなされる19世紀を経て,神秘主義を別の角度から考 究しようとする思想家たちが次第に出現する.そのひとりがウィリアム・
ジェイムズだ.彼はアメリカで活動したが,フランスの神秘主義研究を考 え る 際 に そ の 影 響 は 無 視 で き な い.19世 紀 末, ヴ ン ト(Wilhelm Maximilian Wundt, 1832-1920)らによる実験心理学の成立により,心理 学はその科学的性質を高めた.ヴントらに影響を受け心理学の道に進んだ ジェイムズは,ギフォード講演をまとめた『宗教的経験の諸相』(The Varieties of religious experience, 1902. 以下『諸相』と略記)を1902年に世に 出す.
『諸相』でジェイムズは神秘経験や「回心conversion」の内実を分析し ようと試み,対象は古今東西の宗教家,ユダヤ教やキリスト教やイスラム 教の神秘家にとどまらず詩人や作家にまでおよぶ.ジェイムズが主に関心 を向けるのは個人の心的感覚である.
宗教はそれゆえ,〔中略〕各々の孤独のなかで,なんであれ神的なものとみな4 4 4 4 4 4 4 4 44 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 されるものと関係していると気づく限りでの,4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 44 個人の感覚,行為,経験4 4 4 4 44 4 44 4 4を意味 するだろう2).
「何であれ神的なもの」と述べることで宗教性を含意しつつ,彼が重点を 置くのは「孤独」状態であるようにみえる.というのも『諸相』では宗教 教義に言及することは少なく,むしろ個人経験における幻覚,強迫観念,
興奮,見神,抑鬱等の分析が優先される傾向にあるからだ.なぜ個人経験 が優先されるのだろうか.じつのところ『諸相』自体が,ジェイムズの個 人経験を端緒としているのだ.ジェイムズは大学卒業直後から憂鬱症や体 調不良に悩まされ,回復のきっかけとなったのはシャルル・ルヌヴィエ
(Charles Renouvier, 1815-1903)の哲学との出会いだったとしばしば語 られる3).ジェイムズは自らが憂鬱を体験したときに感じたものを他人の 経験という形を借りて,『諸相』第六・七講内で吐露した4).20世紀の神 秘主義研究に決定的な影響力をもつ著作の出発点が,まったくの個人経験 だったことは大変示唆的である.というのも神秘主義研究には絶えず,経 験を普遍化できるのか,経験を客観的に把握できるのか,という命題がつ きまとうからだ.
『諸相』では,宗教的神秘経験の原因を病的なものとみなす見解をジェ イムズは否定しない.「神秘経験やそのなかにみられる見神などはたんな る病の表れにすぎず,原因は身体的要因のうちに求めることが可能だ」と いう当時流通したであろう批判をジェイムズは取り上げ,こうした批判を
「医学的唯物論」と呼びつつ一旦認めたうえで,神秘経験が有する病とは 異なった価値について述べる.
彼の論はこうだ.なるほど神秘経験を経過した神秘家の身体を診断すれ ば,病者と同様に,遺伝的性質,臓器や血液の異常に原因が認められるか もしれない.その点で病者と神秘家に差異はない.しかし,病者にとって 病は治療を要し改善されるべきものだが,反対に神秘家にとって神秘経験 は治療されるべきものではなく,生涯において価値をもつ.換言すれば,
同じ幻覚であっても病者にとっては原因を除去すべき治療対象であり,神 秘家にとってはそこから自身の活動を広げていく重要な契機なのだ.つま りジェイムズにとって,神秘経験の要因が病的であっても,神秘経験の価 値はまったく損なわれない.原因ではなく結果に重きを置いた価値判断 が,まずはジェイムズの研究の特色と言える.
では神秘家は,その合一経験で具体的になにと結ばれるのか.ジェイム ズは回心や合一経験を経過する者たちが接触するものを,仮説と断ったう えで「われわれの意識生活の潜在意識的連続」と呼ぶ.
仮説として以下のことを提唱させてほしい.わたしたちが宗教的経験で結ばれ ると感じる「より以上のもの」は向こう4 4 4側ではなんであろうと,こちら4 4 4側では われわれの意識生活の潜在意識的連続である5).
日常的感覚とは異なる次元,つまり「精神のなかに隠された能力」に意識 が接続されることで,人は「新たな人間」へと生まれ変わる,とジェイム ズは主張する.回心や合一経験で感得されるものを,心理学的文脈にもと づくとはいえ「われわれの意識生活の潜在意識的連続」と言語化したこと は,ジェイムズの功績だと言えるだろう.
以上でみたように,ジェイムズは個人的経験を分析し神秘主義の価値の 転換を図った.神秘体験が病と同質であっても,ジェイムズにとって神秘 経験の価値は揺るがない.それはあくまでも,個人的苦悩を癒す有益な経 験なのだ.そして,神秘家の合一対象を心理学的に説明するジェイムズの 方法は,宗教的経験を心理学へと還元することをたんに意味しない.なぜ
なら,こうした姿勢の基礎には「多元的宇宙」をめぐる彼の哲学があるか らだ.
1909年の講演「多元的宇宙」によれば,「潜在意識的連続」は通常の心 理状態以上の感覚をわれわれがもちうること,また宇宙は一元的世界とし て構築されるのではなく一元的絶対者の外部にも多元的宇宙が存在するこ との証拠となる6).このように,ジェイムズにとって個人における神秘体 験や超感覚的存在との遭遇は,宇宙そのものへの態度と密接に結びついて おり,宇宙を受け入れることが安堵と救済の感覚を与えるとジェイムズは 述べる7).別言すれば,ジェイムズにとって,回心や宗教的合一体験は,
苦悩の原因であった宇宙がまったく異なる姿をわれわれに呈示する過程な のだ8).
このような視点にたてば,ジェイムズは心理学的知見のみにもとづいて 神秘主義を語るのではなく,自身の哲学の一部に組み込みながら神秘主義 を読み解いていることがわかる.ジェイムズは神秘主義研究に新たな一歩 を加えた.それは神秘主義の価値の呈示だけでなく,神秘主義はさまざま な思考をうながす媒介となりえることを暗示している点だ.だからこそ神 秘経験における「潜在意識的連続」は多元的宇宙論にも適用されるのだ.
2
.アンリ・ドラクロワ(
Henri DELACROIX, 1873-1937):経験の体系 化
20世紀フランスで神秘主義を病から救った人物のひとりがドラクロワ だが,彼もまた神秘主義を哲学的に考察することから出発している.ドラ クロワは1900年に博士論文『14世紀ドイツにおける思弁的神秘主義試 論』(Essai sur le mysticisme spéculatif en Allemagne au XIVème siècle, 1900)を 執筆し,14世紀の神秘家エックハルト(Meister Eckhart, vers 1260-vers 1328)の哲学を,神秘主義とスコラ哲学との結合である「思弁的神秘主 義」とみなすことで,そこで展開される存在と思考との調和を論じた9). さらに,彼は1903年に『形而上学・道徳評論』(Revue de métaphysique et
de morale)でジェイムズの『諸相』の書評をおこなうが,書評にはドラク
ロワ自身の方法論確立への意志も読み取ることができる.
書評内でドラクロワは,宗教的生の価値をめぐる問いは神学的問題では なく実践的問題であり宗教は論理ではなく欲望や感覚に基礎づけられる,
と主張することで,ジェイムズと同様心理学的視点を導入する.ゆえに,
「孤独」における「個人の感覚,行為,経験」というジェイムズの宗教定
義にドラクロワが注目する際も,そこで出会う「神的なもの」とは存在や 真理の優位的形態であり必ずしも神そのものではないと彼は説く10).ド ラクロワはジェイムズ以上に宗教と距離を取っていることがわかる.ドラ クロワは,多様な経験を列挙するジェイムズの方法論は「経験によって経 験を判断する」11)ことにあり,その方法論が疑念を招きやすいと指摘す る.つまり,個人的で内的な経験に客観性を付与できるのかという疑念で ある.「われわれはつねに客観的基準を発見することの不可能性に立ち返 る」とドラクロワも自戒している.
では,こうした疑念を払拭するためにどのような方法を選ぶべきか.
ここでドラクロワが着目するのが,宗教的生における「コンテクスト」
だ12).曰く,人が諸々の事象の真理を認識可能なのは,経験にかんする
「全体のコンテクスト」と真理とを比較対照させるからだ.内的世界にも その方法が採用されるべきであり,無数の宗教経験から偶発的なものを退 け,内的世界にも「コンテクスト」を発見すべきである,とドラクロワは 説く.そしてジェイムズの「潜在意識的連続」も,宗教経験把捉の手がか りになるとドラクロワは考えた.「潜在意識的連続」もわれわれの意識的 生の閾下の連続であるならば,われわれはその「堅固な被膜層」にはすで に到達していると彼は述べる13).こうした主張は,意識が必ずしも意識 外の領域と分断されないという,同時代の心理学研究の議論を反映したも のだ.そのうえでドラクロワは,彼は「潜在意識的連続」を「神秘的領域」
とも呼び変え,そこから「インスピレーション」や「活力」が発生すると 語る14).こうした主張からは,ドラクロワがジェイムズの研究を継承し ながら,そこに新たな要素を付加しようとしていたことがうかがえる.た とえばドラクロワが経験における「コンテクスト」を明確化させようと意 図したのは,「コンテクスト」というひとつの論理を神秘経験から抽出で きると考えたからだろう.こうしてドラクロワは,次第に「コンテクス ト」に即して神秘経験を俯瞰する姿勢を全面的に展開していく.そうした 展開を追うために1905年のフランス哲学会での講演をみてみよう.
ドラクロワは,1905年にフランス哲学会においてアビラの聖テレサ
(Thérèse d’Avila, 1515-1582)を主題に据えた講演をおこなう15).この講 演は後に著作『神秘主義の歴史・心理学研究:キリスト教大神秘家たち』
(Études d’histoire et de psychologie du mysticisme : Les grands mystiques
chrétiens, 1908)に組み込まれた.ここでドラクロワは,回心を世界が一
変する契機と考えたジェイムズとは異なる見解を示す.回心の特徴である
「忘我」は神秘的生において最終段階ではなく,以下で語られるようにそ れに続く段階がむしろ重要だと彼は告げる.
〔前略〕聖テレサは忘我が破壊したものを再構築し,より豊かな広がりをもつ 綜合を実現する.この綜合は,一層力強い統一性のなかに多数の要素を含んだ ものである16).
ドラクロワにとって「忘我」は通過点にすぎない.むしろ聖テレサが呈示 するさまざまな「要素」を含んだ合一経験の構造に関心を寄せるドラクロ ワは,その神秘経験を体系的に解釈することを目指した.ドラクロワは,
神秘体験は主に4段階に整理可能だと唱えた17).第1段階は主体が導か れると漠然と感じる,受動的「不安」や「動揺」の段階である.第2段 階は受動的なまま,そこに「神的至福」に満ちたヴィジョンが含まれる状 態.第3段階は「衰弱」や「苦痛」の状態であり,ここでは主体は前段 階で得た「歓喜」を剥奪され苦しむ.最終段階は主体自身が「拡張」する 感覚を安堵のなかで味わう状態である.これら「極めて厳密な秩序」が多 くの神秘家たちの経験にみられることから,神秘体験について論理を構築 し,経験の体系化も可能だとドラクロワは訴える18).
諸神秘家の経験から共通の「コンテクスト」を抽出し体系化することに ドラクロワが執着するのは,彼が神秘経験と知性との両立を目指すから だ.ここでの両立とは,事後の分析で神秘体験を論理的に体系化すること だけでなく,神秘家の経験の最中にも知性的側面が働いていることを意味 すると理解すべきだ.というのも,「祈りの知性」とドラクロワが呼ぶと ころの知性によって,神秘家たちは自身が浸っている状態の価値を認識し ているからだ19).したがって,以下のように経験の最中にも論理的なも のが作用し続けると彼は主張する.
経験が進展するにつれて論理的性格が高まる.継起する諸々の状態は互いを照 らし合う.そして,それらの継起がひとつのプログラムの実現のようにみえる 瞬間が訪れる.そこでは,これらの総体の設計というものは,諸要素からは逃 れている.この瞬間に教義が構築され,経験は決定的に確かなものになる20). このような瞬間を経ることで,神秘家も自身の経験の「法則」を発見し,
一貫性のもと経験を体系化できるとドラクロワは考えた.知性の有用性を
重視するドラクロワの姿勢は,場合によっては知性偏重とも取られかねな いが,必ずしもそうではない.ドラクロワは神秘経験を体系化し,知性と の共存を唱えながらも,あらゆる規定から逃れる直観こそが忘我の根底に あると考えた21).ドラクロワにとって知性にもとづく論理とは,神秘体 験の分析において論理的思考の限界を明らかにしたうえで,それを越えて 直観の必要性を示すものでもあるのだ.
以上のようにドラクロワは,病という次元から抜け出し,神秘主義にお ける理性および知性と直観との両立について言及するが,これはまた彼の 哲学的信念でもある.科学的・実験的方法により心理学の刷新を図り,心 理学を哲学や形而上学から分離して実証科学にしようと当時の心理学者た ちが意図するなかで,ドラクロワはむしろ「哲学を心理学的に取り扱った のである」22).つまり,彼にとって心理学の諸問題も哲学の問題であり,
心理学と哲学とのあいだに境界線を引くことは意味を持たない.ドラクロ ワが神秘主義研究に続いて『言語と思考』(Le langage et la pensée, 1924) や『子供と言語』(L’enfant et le langage, 1934)などで言語研究に向かうこ とは大変興味深く,神秘主義を哲学的に探究するうえでドラクロワがなに を志向していたかがわかる.『言語と思考』でドラクロワは,「あらゆる神 秘家の技芸」は「言表不可能なものineffable」を示すために用いられると 語った23).神秘家が経験において感得するものを表現する際の,ときと してステレオタイプな言い回しと考えられがちな「言表不可能なもの」と いう表現を,ドラクロワは「言表不可能なもの」によってしか満たされな い感情が存在すると説きながら,「言表不可能なもの」それ自体を,言語 をめぐるひとつの問いとして提出しようとしたのではないだろうか.ドラ クロワは神秘主義研究を経ることで,神秘家の言語表現が秘める,哲学に 新たな転回をうながす可能性を感じ取ったと言えるだろう.
3
.ジャン・バリュジ(
Jean BARUZI, 1881-1953):神秘家の言葉
ドラクロワが直面した神秘経験と言語との関係という問いを新たな角度 から考察したのが,ジャン・バリュジである.彼の博士論文『十字架のヨ ハネと神秘経験の問題』(Saint Jean de la Croix et le problème de l’expériencemystique, 1924)は1924年に出版され,翌年にフランス哲学会で「十字架
のヨハネと神秘経験のノエシス的価値の問題」と題された講演がおこなわ れた.
発表の要点を以下に列挙してみよう24).バリュジはドラクロワ批判か
ら論を始め,ドラクロワのように各神秘家の経験を心理学的分析によって 比較することは各経験を抽象化することに他ならならず,ドラクロワ以上 に対象を絞り込み,特定の神秘家の経験に徹底的に集中せねばならないと 語る.バリュジの主張によれば,神秘経験の心理状態を知ることはもはや 問題でなく,哲学者の立場で神秘主義に取り組まねばならない.むしろ神 秘家が発見した精神的生が,いかなる哲学的修練でも到達できなかったも のではないかと哲学者は自問せねばならない,と彼は断言する25).なぜ バリュジが神秘家の心理状態の観察を重視しないかと言えば,心理状態を 心理学者が再現したとしても,それ自体が別の問題を生むことに自覚的だ からだ.それは,経験と経験を描写する言語との関係が喚起する問題であ る.おそらくここでバリュジは言語をめぐりドラクロワと同じ視点に立っ ている.そこでバリュジがフォーカスを当てるのが,十字架の聖ヨハネが 創り上げた詩作品である.
聖ヨハネを神秘家の基準として確立することで,神秘経験と他の宗教経 験とを峻別できる,とバリュジは主張する.とはいえ神秘家の経験自体は 描写不可能なものであり,だからこそ言語による経験の「翻訳」という神 秘家の試みを哲学者は看過してはならないと彼は言う.十字架のヨハネの 場合,経験の「翻訳」は彼が用いる「象徴表現」のうちに現れ,彼の詩作 における「イメージ」と「象徴」,そしてその「註釈」を解釈せねばなら ないとバリュジは語る26).ゆえにバリュジにとっては,神秘家のテクス トは支離滅裂でも,宗教教義を敷衍したものでも,病理的痕跡を探すため のものでもない.むしろ神秘家のテクストこそが神秘経験へたどり着く糸 口であり,神秘家が彫琢した詩は「忘我さえも越えた」ものだと彼は述べ る27).
ここでおそらく,神秘家たちの言葉から彼らの心理を再構成する心理学 者の方法と,経験の「翻訳」である「イメージ」や「象徴」を通じて神秘 経験を理解するバリュジの方法の差異を確認する必要がある.エミール・
プーラによれば,バリュジは神秘家の言語表現を介して神秘経験の再構成 を目指すのではなく,彼にとって重要なのはひとりの神秘家がどのように 神秘主義を「前進」させたかを知ることだ28).その際彼は言語に焦点を 当てることで,同じく言語によって思考を構築する哲学者と同じ水準にお いて神秘家を理解しようとしたのではないだろうか.
それでは16世紀スペインの神秘家十字架の聖ヨハネの詩的表現を,バ リュジの分析とともに具体的にみてみよう.バリュジが注目した聖ヨハネ
の詩のひとつが,主著『カルメル山登攀』(Subida del Monte Carmelo)の 第1部13章11節に記された以下の詩である.
その全てを味わうに到るためには/何ものにも味わいを得ようとしてはならな い.//その全てを知るに到るためには/何ものも知ろうとしてはならない.
//その全てを所有するに到るためには/何ものも所有しようとしてはならな い.//その全てであるに到るためには/何ものかであろうとしてはならな い29).
おそらく聖ヨハネの詩で最も知られたものであり,「全て」と「何ものに も〜ならない」という特徴的な語句の反復が詩を形作っている.「全て todo」「無nada〔「何ものも」と訳される語〕」という言葉が織りなす聖ヨ ハネの詩の「否定のリズム」と彼の「神感状態état théopathique」とが,
他の思考法によっては与えられない認識を秘めている,とバリュジは述べ る30).『十字架のヨハネと神秘経験の問題』のなかでバリュジは,こうし た否定が喚起する,聖ヨハネの詩に現れる諸々のイメージを以下のように 説明する.
われわれは無の刺すような味わいを見抜かねばならない.しかし,十字架の聖 ヨハネはこの無のなかでどのように全てがあるのかを,具体的方法によってわ れわれに理解させようと欲する.そして彼は,極めて濃密な格言により,まず 感覚的秩序に応じて理解しなければならない貧しさを打ち明ける.しかし,こ の貧しさは次に霊的秩序に応じて理解しなければならない31).
バリュジにとって聖ヨハネの詩で反復される否定の言葉は,あくまでも
「全て」を理解させるための媒介である.「無」を,つまり「貧しさ」を「味 わい」という感覚的秩序において感得し,次に感覚的秩序から次第に離脱 して,神を把握するための「霊的秩序」のなかでこの「貧しさ」を了解す る,というのがバリュジの解釈だ.このように彼は十字架のヨハネの詩 に,「無」との対比によって「全て」が強固なものになるプロセスを読み 解く.
1925年のフランス哲学会での発表後の討議で,ドラクロワは「ほとん ど全ての点に喜んで同意する」と述べ,バリュジを評価した32).他の出 席者たちも細部に異論はあるものの,一定の評価を示した.つまり心理学
的領域において探究されていた神秘経験を,言語表現あるいは哲学の次元 において考察するバリュジの試みは当時のフランスの哲学界で十分に正当 性が認められたのだ.バリュジが発表の冒頭で,神秘経験の「現象学」33) を解明するという目標を掲げることからわかるとおり,バリュジにとって 神秘主義および神秘経験は,もはや心理学の領域に限定されない.
しかしながら,神秘主義の哲学的考察を確かなものにするためには,考 察の方法を自明のものとせずに,そもそも神秘主義と哲学とはどのように 境界を接しているのか,と問う必要があるだろう.こうした本質的な問い は,バリュジより年長の別の哲学者によっても問われた.それがモーリ ス・ブロンデルである.
4
.モーリス・ブロンデル(
Maurice BLONDEL, 1861-1949) :哲学への 寄与
博士論文『行為』(L’Action, 1893)ですでにブロンデルは,自己否定を 通じて自己とは別の超自然的な神を受け入れることなくしては,行為は成 就されないと語っている34).神という因子が秘める問題は,ブロンデル にとって根源的で不可避のものなのだ.彼が同時代の神秘主義研究に反応 する際も,神の問題は重要な位置を占めることになる.まずは彼がどのよ うに神秘主義を考察していったのかをみよう.
1905年,フランス哲学会でのドラクロワの発表時,ブロンデルは出席 できず書面で質問を寄せている.ブロンデルはドラクロワを3つの点で 評価した.歴史的・心理学的・医学的視点から経験を考察した点,神秘経 験が「脈略のあるひとつの流れ」として呈示され,実証科学の対象となり えることを示した点,最後に,異なった神秘家たちの生涯についての記述 を比較することで堅固な結論を導き出した点だ35).だが他方で,神秘主 義についての哲学的研究は方法への問いに終始してはならず,神を含めた 宗教哲学全体に挑まねばならない,とブロンデルは付言する.神との対峙 というこの問題はブロンデル自身によって進められることになる.
1911年になると,ドラクロワの発表の出席者でもあったラランド(André Lalande, 1867-1963)編纂の『哲学語彙辞典』(Vocabulaire technique et critique de la philosophie, 1902-1923)の「神秘主義」の項に,「神秘家,神 秘主義」についての注釈をブロンデルは執筆する36).そこでは,神秘主 義という言葉の出自が『神秘神学』を記した偽ディオニシオス・アレオパ ギテスに求められつつ,同時代の研究成果を参照したであろう神秘家の心
理状態の各段階について言及されている.また,ドラクロワを始め多くの 研究者が指摘する,神秘家と芸術家との親和性をブロンデルは指摘する.
ブロンデルが同時代の研究の全体像を明確に把握していたことがうかがえ る.
1925年のバリュジのフランス哲学会での発表時もブロンデルは書面で の参加となった.バリュジがおこなった分析にたいして,そもそも外的で ある分析を徹底化することは原理的に不可能であること,個別例を対象に しつつ普遍的なものの抽出を目指すべきであること,聖ヨハネの理論的視 点と実践的意図を分離すべきでないこと等をブロンデルは進言した37). 彼はバリュジの研究をかなり批判的視点からみている.おそらくこのとき ブロンデル自身が,自ら神秘主義と正面から格闘し彼なりの論理を構築し つつあったことがその理由と考えられる.
ブロンデルは同年1月に『新日手帖』(Cahiers de la nouvelle journée)の 第8号「神秘学とは何か」特集号に「神秘学の問題」という長文の論考 を掲載した38).論考冒頭で,現在「神秘主義再生」39)の只中であると宣言 される.神秘主義を取り巻く環境のこうした成熟にあって,ブロンデルは 第1節の題目を以下のように掲げることにより論を開始している.
いかなる方法によって,いかなる尺度によって理性の検証に近づきうるだろう か.そしてこの分野における哲学の貢献とはなにか40).
このようにブロンデルは,神秘主義と理性とのあいだの関係を測ることで 神秘主義に対する哲学の「貢献」する部分を明らかにすることを意図す る.その一方で「神秘主義における哲学的問題」は二次的なものであり,
それは考察を深めるうえでの導入だとも語る41).それゆえブロンデルに おける神秘主義と哲学との関係を検討する場合,むしろ神秘主義からも哲 学への寄与があるという彼の発言に着目したい.
〔前略〕それ〔目下の研究〕は,下方においては哲学的側面において,神秘主 義をその特殊性あるいは独自性において定義するのに役立つだろう.しかしま た,極めて頻繁に,そして極めて不当に至る所で上から下まで狭められた哲学 領域の限界を探究することに役立つだろう42).
これが,哲学全体ではなくあくまで神秘主義研究における哲学の「限界」
を述べたものだとしても,ブロンデルにとって,哲学の「限界」を明らか にし哲学が本来もつ可能性を示す役割を神秘主義は担っている.もはやバ リュジのように神秘主義を哲学の対象にするだけでは不十分であり,神秘 主義にたいして哲学がどのような形態をもちうるのか,あるいは神秘主義 が哲学にどのような変容をもたらすのかを吟味しなければならない,とい うのがブロンデルの主意なのだ.こうした難題に答えるため,ブロンデル はひとつの概念に立脚し,彼自身の神秘主義解釈を構築していった.それ は「共本質性connaturalité」という概念である.
「共本質性」概念はトマス・アクィナス(Thomas d’Aquin, 1224/1225- 1274)が『神学大全』(Summa Theologiae)第2部2部第45問第2項で となえた文言に由来する.「然るに,判断の正しさは二通りの仕方で生じ ることが可能である.一つの仕方では,理性の完全な使用に基づいてであ り,いま一つの仕方では,それについていまや判断がなされるべきところ のことがらに対する或る種の共本質性のゆえにである」43)とトマスは記 す.トマスにおける「共本質性connaturalitas」とは,第1の意味では,
本性を指す.第2の意味では,対象への本性的関係あるいは一致,対象 への本性的傾向,対象への本性的誘引などを意味する44).要するに,本 性にもとづいた一定の関係性を指すものであり,とりわけ神の三位格相互 の関係が本質性に因るものであることを含意する言葉だ45).
とはいえ,じつのところブロンデルは必ずしもトマス的語法に厳密に則 って「共本質性」を神秘主義の議論に導入したわけではない.むしろ,こ の言葉の語源的意味だけに執着することには注意が必要だとブロンデルは 考える.彼は「共本質性」を以下のように説明する.「共本質性」は「省 略的でしばしば恣意的であるわれわれの観念」の「狭い枠組み」を乗り越 え,諸存在そのものの性質へと即融し,そして諸存在をわれわれに適合さ せるものなのである46).つまり,この「共本質性」こそが,人間と神とを,
同じ本性の力によって結合へと誘うものなのだ.「共本質性」によって,
本性それ自体が誘引性を発することにより神と子と霊が結ばれるように,
互いの本性によって存在同士が結ばれるというのがブロンデルの解釈だ.
さらに人間と神との合一の方法を考察を進めるために,ブロンデルは
「passif」という言葉の意味を語源的に探る.
彼によれば,中世において,「passif」とは「無気力inerte」を意味しな かった.「passif」とは自己において「運動原理」ではないが,ひとたび「揺 り動かされる」と作用し始めるなにものかを指す言葉だった.ブロンデル
にとって神秘家の「観想contemplation」がまさにこの状態である.それ ゆえ「観想」は停止ではなく,純粋な「行為action」なのである47).だと すれば,神秘家の観想とは神を外的表象として受容することではなく,神 に「揺り動かされる」ことによって自らの「行為」へと接続されていく状 態と理解するべきだろう.つまり行動としての「passif」による,「actif」
と「passif」との対立の乗り越えは,行動としての対象の認識による,主
体と対象との対立の乗り越えを思考することを可能にするのだ48).ヴィ ルマー(Heiner Wilmer, 1961-)によれば,ブロンデルは合一をめぐる思 索によって主体と客体との隔たりを乗り越える思考を手にし,そうした思 考に自らの哲学のなかで重要な位置を与えていった49).ヴィルマーの指 摘に鑑みれば,ブロンデルが神秘主義研究で獲得したこうした視点を哲学 への貢献とみなすことは可能だろう.
そして神秘主義が「哲学領域の限界」を探ることに役立つというブロン デルの発言に今一度立ち戻れば,神秘主義はたんに宗教的枠内および哲学 の枠内で議論されるものではなく,むしろ神秘主義は哲学の限界そのもの を拡張するものに他ならない.だからこそブロンデルは,神との合一経験 から,主客の融和という争点へのひとつの応答を引き出す.たしかに主客 の融和だけによって神秘主義と哲学との捉えがたい関係を結論づけられな いが,それでもブロンデルの試みは,神秘主義と哲学との交差のひとつの 重要な帰結と言えるだろう.
5
.ジャック・マリタン(
Jacques MARITAIN, 1882-1973):神秘主義と 神学
20世紀前半に神秘主義が考察される際,中心的な神秘家の多くがキリ スト教神秘家だった.すでにみたようにブロンデルも「共本質性」という トマス神学の概念により神秘主義にアプローチした.だが,キリスト教神 学にもとづく哲学によって神秘家の意義を探るジャック・マリタンは,ブ ロンデルの議論を批判する.マリタンにとってブロンデルの解釈は納得で きるものではなかったのだ.彼の批判に入る前に,まず彼がキリスト教神 学,特にトマス・アクィナスの神学に至るまでの歩みをみてみよう.
プロテスタントの家に生まれたマリタンは,1906年にカトリックの洗 礼を受けるまで哲学を学び,ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941) らに熱中した50).しかし,結果的にマリタンの哲学的欲求はベルクソン にも満たされなかった.彼は1914年に『ベルクソン哲学:批判的研究』
(La philosophie bergsonienne : études critiques, 1914)を出版する.この著作 でマリタンは,ベルクソンの思考に対する疑問を2点挙げる.それはベ ルクソンの知性批判的側面と,彼の持続概念についてだ.ベルクソンは直 観の側に立つことで,悟性や理性がわれわれを欺くゆえに知性は現実に適 合できていないと主張するが51),これにたいしてマリタンは,ベルクソ ンによる知性と直観との二元論は トマス・アクィナスが言うところの世 界を2つに分割する「マニ教」的方法論に陥っていると論難する52).ま たベルクソンは持続を「実体substance」として語るが,それは誤解であ り,ベルクソン哲学は本来の実体概念を根本的に排除している,とマリタ ンは指摘する53).彼によれば,ベルクソンがこうした思考に陥る原因は,
感覚へと現れるものによって知性の現実的対象を置き換えるからだ54). ベルクソンが物質の偶有的な第2性質を「実体」として了解していると マリタンは述べる.
このようにマリタンはトマス神学にもとづきベルクソン批判を展開し た.『ベルクソン哲学:批判的研究』最終部では,次第にベルクソンから トマスへと思索の重心が移されていく.ここで興味深いのは両者には「奇 妙な一致」があり,ベルクソン哲学はトマスの命題の「屈折」として示す ことが可能だとマリタンが説く点だ55).さらに彼はトマスの「共本質性」
をベルクソン哲学のうちにみいだしていく.人間的知性と物質とのあいだ に「共本質性」を認める点で,ベルクソン哲学はスコラ哲学との符号を果 たすとマリタンは論じる56).ベルクソンとトマスとのあいだを橋渡しし ようとするマリタンの姿勢は,彼の思想形成をなぞるものであり,ベルク ソンを経てトマス神学へと至ったマリタンは両者のあいだにひとつの途切 れぬ連関をみている.じつのところ,一見すると対立し合うようにみえる 二つのものの共存を探る手法は,マリタンが神秘主義と対面した際も彼の 基本姿勢となっている.
同時代の神秘主義研究にたいしても,マリタンがトマス神学という明確 な軸にもとづいて発言することは変わらない.彼が神秘主義について集約 的 に 論 じ た の が1932年 出 版 の『 合 一 の た め の 識 別: 知 の 度 合 い 』
(Distinguer pour unir : Les degrés du savoir, 1932)である.ここでの主な考 察対象は他の研究者たちと同様に十字架の聖ヨハネであるが,マリタンは 先行する者たちへの批判から始める.たとえば第1章でマリタンはバリ ュジへ抑えきれない苛立ちを向ける.
我が親愛なるバリュジ,貴方に対する私の友情がいかなるものであれ,こう告 白せざるを得ない.〔中略〕貴方は聖人のイメージを書き出したが,それは聖 人本人なら嫌悪するようなもので,それが備える甚だしい誤謬は熱意を持って 記されているが,われわれにとって困惑と苦痛の対象である57).
マリタンはさらにブロンデルにも批判を加える.論考「神秘学の問題」は 多くの混乱と誤解に満ちており失望させられたとマリタンは記す58).マ リタンが批判するのは,ブロンデルによる「共本質性」の独自解釈だ.ブ ロンデルは「共本質性」から知性や認識としての性格を排除し,「われわ れの内的性質を感じる相」に仕立ててしまっており,それは「全くの誤解」
だとマリタンは語る.「共本質性による認識」は,情動ないし欲求にもと づく力や行為が誘因になったとしても,それがひとつの認識であることは 揺るがない,というのがマリタンの持論だ59).マリタンが「共本質性に よる認識」をどう了解しているのかをみてみよう.
たとえば事物を純潔さによって判断する二つの方法がある,と聖トマスは語 る.それはわれわれの知性において道徳的学を有することだ〔中略〕.あるい は,われわれの欲求能力において純潔さの徳そのものを有することだ.受肉 し,われわれの心底に入り込んだこの徳を有することであり,もはや学の相で はなく,本能の相によってわれわれの適性をさぐりながら,純潔さによってわ れわれの共本質性への的確な応答を可能にするものを手にすることだ60).
このようにマリタンにとって「共本質性」を媒介とした知的認識は,「学 science」に依拠した認識ではなく,「心底〔臓腑〕entrailles」に侵入した,
「本能instinct」にもとづく認識であり,まったく自然的次元を超えたもの
である.そして,彼にとって神についての認識である神秘経験も,現実と かかわりをもつ「自然的認識」とは異なる.マリタンにとって「共本質性」
による知的認識は,判明な概念や明晰なものへの執着を放棄し,自然的・
人間的な相を超越することで可能になるゆえに61),マリタンによれば聖 ヨハネの神秘体験も知的認識そのものなのである.このように,知的認識 という平面において,「天賦の観想の汚れなき光が,闇夜に光る愛の熱情 からしか生じない」62)ようにトマス神学と聖ヨハネの神秘経験との共存可 能性をマリタンは呈示する.
だとすれば神秘経験自体がもつ認識としての性格,その認識の推移をマ
リタンはどのように解釈しているのだろうか.ここでマリタンが,芸術や 詩作を重要視していたことに注目しよう.マリタンにとって聖ヨハネが重 要視されるのは,彼が詩的営為によって自らの経験を発信しているから だ.マリタンはバリュジらと同様「その全てを味わうに到るためには〜」
で始まる『カルメル山登攀』の詩句を引用する63).詩で反復される否定 の語句は感覚に含まれる「不純」を治癒することを表現している,とマリ タンは解釈する.「感覚の夜」に現れる「空虚」こそが,治療薬だと彼は 語る.つまり感覚の抑制こそが治療薬であり,そしてこの夜のなかで観想 への呼びかけを聴解することをマリタンは経験の中心に置く64).このよ うに,神秘経験のなかで感覚が弱まり次第に認識へと移行していくこと を,マリタンは聖ヨハネの詩から読み取る.
マリタンが神秘主義をさまざまな角度から検討し自身の哲学内に吸収し ていった過程を追うことで,当時の神秘主義研究の射程の広がりを確認す ることができる.しばしば神秘経験は,心理学的アプローチにもとづき不 安や幸福の感覚から分析されがちであり,すでにみたように19世紀末か ら20世紀初頭にかけてはそうした方法が用いられた.だが,マリタンに とって神秘経験は観想以外のなにものでもなく,神秘経験における神は感 覚ではなく知性によって認識されるものだ.こうした思索によって,マリ タンは十字架の聖ヨハネの経験を,キリスト教神学の集大成ともいえるト マス神学と両立させることを図った.
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.リュシアン・レヴィ=ブリュール(
Lucien LÉVY-BRUHL, 1857- 1939):社会形成における神秘主義
次に文化人類学の分野で1910年代から1930年代にかけて発表された レヴィ=ブリュールの研究を通観する.これまでみた神秘主義研究は神秘 主義の多様な可能性を表明するという側面があった.それだけにとどまら ず,レヴィ=ブリュールにとって神秘主義は社会の根幹をなすものであ る.さしあたって彼の「神秘的」という語句の使用法を確認したい.
1910年刊行の『未開社会の思惟』(Les fonctions mentales dans les sociétés
inférieures, 1910)では,オセアニアやインド洋の諸島の習俗および「集団
表象」を対象に,現地民の「原始心性」が記されている.レヴィ=ブリュ ールは現地民のある種の思考法を「神秘的」と形容する.
最適なものがないのでこの語を用いるが,これは極めて異なる,われわれの社
会における宗教的神秘主義をほのめかしているのではない.そうではなく,狭 義に規定された意味において「神秘的」というのは,感覚では知覚できないに もかかわらず現実である,諸々の力や影響や行為に対する信仰のことだ65).
レヴィ=ブリュールはかならずしも「神秘的」という語を積極的に使用し たのではない.また,「神秘的」思考体系をレヴィ=ブリュールは総じて
「前論理prélogique」とも呼称する.はたして,ここでレヴィ=ブリュー
ルは西洋的論理と比較することで「前論理」概念を使用しているのだろう か.もちろんレヴィ=ブリュール自身,メンタリティーの問題に単純な二 項対立で優劣を示すのが不可能なことに自覚的だ.加えて,論理と「前論 理」を明確に分離すること自体困難であることを彼は認めている.死後刊 行の『手帖』(Carnets, 1949)で,「未開人のみに固有の心性」を認めるこ とも,心性にもとづいて未開社会とその他の社会を根本的に区別すること も,ひとりの人間の頭脳の働きにおいてさえ論理と「前論理」とを分離す ることもできない,とレヴィ=ブリュールは告白する66).論理と「前論 理」との区分不可能性という結論にたてば,あらゆる人間に「前論理」的 なものがみいだせると考えることも可能だ.レヴィ=ブリュールも「前論 理」的なもの,あるいは「神秘的」なものが必ずしも,いわゆる未開社会 に限られた現象ではないことを徐々に明らかにしていく.そしてレヴィ=
ブリュールは未開社会の神秘経験を分析していく.
キリスト教神秘主義では,神との合一経験が最重要な要素であることは 何度も述べた.その一方,未開社会においてもある種の合一状態あるいは 混淆状態がある.それは一部族または一氏族内で,現地民がひとつのトー テムである動物や植物ないし聖霊と結ばれているとみなされる状態であ る.この状態を指して,人がトーテム動物あるいはトーテム植物との「融 即participation」状態にある,とレヴィ=ブリュールは説明する67).この 言葉はプラトンの「分有」概念のフランス語の訳語だが,レヴィ=ブリュ ールはマルブランシュ(Nicolas de Malebranche, 1638-1715)経由でこ の概念に触れていたと考えられている68).
仮に西洋哲学のみならず西洋の諸文化を眺望するときに,「分有」概念 が本質的概念のひとつだと言えるならば,西洋文明の本質的概念を使用し ながらレヴィ=ブリュールは未開社会を分析しようとしたのであり,『未 開社会の思惟』の執筆時点で彼にとって「論理/前論理」という区分が成 立しえなかったとも言える.その場合,西洋的概念を強引に未開社会に当
てはめたというよりも,むしろ「分有」概念あるいは「神秘的」という言 葉の意味を,結果的に西洋社会とは別の文脈においてレヴィ=ブリュール が拡張していったと言えないだろうか.その証拠に未開社会における「神 秘的」状態に,より一層集約的に取り組んだ以下の著作でも,まさにあら ゆる社会にみられる「神秘的」状態の普遍性をレヴィ=ブリュールは探っ ている.
『未開人における神秘経験と象徴』(L’expérience mystique et les symboles
chez les primitifs, 1938)において,レヴィ=ブリュールは「神秘的」とい
う言葉を,経験という尺度から論じた.これまで同様彼が考察するのは,
いわゆる未開社会の事例だ.『未開社会の思惟』では「知覚できない」諸 力の存在を現地民が信じる様が「神秘的」と呼ばれた.『未開人における 神秘経験と象徴』では神秘経験という言葉が指すものは,より明確になっ ている.
この著作でレヴィ=ブリュールが神秘経験とみなすのは,「僥倖chance」
「偶発事accident」あるいは「偶然の出来事hasard」を表す事象との遭遇の
ことである.これら事象は「奇異なものinsolite」あるいは「超自然的なも
のsurnaturel」と総称される69).というのもこれらが非日常的現象だから
だ.レヴィ=ブリュールによれば,こうした非日常的現象が構成する神秘 経験は,日常経験との対比においてその特徴が示される.これらの現象は 日常生活において,不吉なことが起こる徴候になりえる.つまり,見知ら ぬものや新奇なものとの出会いは現地民にとって恐怖を生む因子となる.
レヴィ=ブリュールが挙げる例によれば,ある部族では通常の時間以外に 鳴くニワトリは,近親者が死ぬ徴候である.列挙される例は,いずれも日 常的に目撃される身近な動物や植物が非日常的な様子をみせる瞬間だ.こ うした瞬間との遭遇が,レヴィ=ブリュールにとって神秘経験と呼ばれる.
そしてレヴィ=ブリュールにおいて特徴的なのは,ニワトリが鳴くこと が近親者の死へと結びつくという現地民の思考回路の究明には向かわない 点だ.彼が注目するのはむしろ,こうした神秘経験が日常的経験にたいし て持つ関係性である.フレデリック・ケックによれば,『未開人における 神秘経験と象徴』の神秘経験とは,日常経験からの離脱の瞬間を意味す る.この場合に日常経験は「記号制度」70)の影響下にある.ここでケック が「記号」と呼ぶのは,不吉な結果を招く諸々の「奇異なもの」の徴候の ことだ.日常に現れる非日常的徴候を目撃することが,レヴィ=ブリュー ルにとっての神秘経験であることはすでに述べた.すわなち,非日常的な
徴候を感じ取ることを契機にして,日常的経験とは異なる経験が立ち現れ てくるのだ.経験のこの種の変容は,他の神秘主義研究者と同様に,レヴ ィ=ブリュールにとってもあらゆる種類の病的状態とは区別される.それ に加えて,レヴィ=ブリュールは神秘経験を動物が有する経験と区別する ことを強調する.
なぜ人間と動物とをここで区別する必要があるのだろうか.それは神秘 経験が人間社会固有の経験であることを呈示するためだ.たとえば動物も
「奇異なもの」の出現を感じるが,動物には情動的反応しか生じない一方 で,人間の反応には知性的・社会的なものが含まれている.人間は「奇異 なもの」に受動的に反応し恐怖するのでなく,それに対処しようと尽力す る71).ここでレヴィ=ブリュールは人間のこの反応を極端に延長させ,
対処に向けた努力を道具発明や技術発展と地続きのものだと結論付ける.
彼は,「奇異なもの」の出現において,動物たちが対象に張り付いたまま であるのにたいして,人間にとってそれはあらゆる心的発展の契機となり 得ると付け加える.したがって,レヴィ=ブリュールにとって,神秘経験 は「奇異なもの」との遭遇を意味するが,その遭遇は技術発展への誘因と なるのだ.
物事がそれらのあり方とは別様に4 4 4なりえる.こうした考えは神秘経験からしか 生まれなかっただろうし,この考えは,ホモ・ファベルの分節言語,社会制度,
心的進展によって可能となる72).
つまり世界が「別様に」なりえることを,世界が新たなものへと変化しう ることを,人は神秘経験を通して感じ取るのだ.レヴィ=ブリュールにと って神秘経験とは,人間が社会内で非日常的な対象に遭遇したとき,その 対象への対処に向け人間が知的努力をおこなうことまでも含んでいる.こ う語ることでレヴィ=ブリュールは,神秘経験を特異的経験というよりも むしろ社会が進展していくうえで必須の経験として規定する.人間社会 を,日常生活を維持することに起因する膠着状態から,別種の新たな進展 へと開いていく経験を,レヴィ=ブリュールは神秘経験と呼ぶのだ.
レヴィ=ブリュールの研究は,一瞥しただけでは同時代の神秘主義論争 から隔たっているようにもみえる.たしかに彼はキリスト教的文脈におけ る神との合一を神秘経験としては論じてはいない.とはいえ,レヴィ=ブ リュールが神秘主義にみいだしたものと他の先駆者たちがみいだしたもの
と決して無関係ではない.いずれの場合も,神秘主義を精神の停滞として 描くのではなく,むしろ精神のみならず人間そのものを賦活し,人間に本 来的に備わった一能力として神秘主義を呈示している.19世紀に病とし て扱われていた神秘主義の姿はもうそこにはない.レヴィ=ブリュールに よって,神秘主義は普遍性を確保し,人間に不可欠の経験としての位置を 与えられたのである.
おわりに
本稿では神秘主義研究が盛んだった20世紀前半の各研究を概観するこ とで,哲学者および思想家たちがどのように神秘主義を思考していったの かを追った.
研究全体の流れは直線的なものではなく紆余曲折を経ながら批判的に継 承され,絶えず新たな局面をみせつつ進展していったことが分かった.お そらくこうした神秘主義研究の展開を要約的に語ることは難しいだろう.
その反面特筆すべきは,神秘主義を媒介として繰り広げられた言説の多様 性であり,そのつど形態を変化させていくようにみえる神秘主義の姿であ る.心理学者や哲学者や神学者が一様に神秘主義研究に没頭したのも,神 秘主義のこうした柔軟な可塑性ゆえではないだろうか.もちろんこの点は 神秘主義が曖昧模糊としたものであると批判される原因でもある.とはい え,神秘主義に対峙していった思想家たちは,それぞれ独自の方法で神秘 主義を捉えようと試み,それぞれ固有に方法で新たな思考を紡ぎ出してい ったことは本稿でみた通りである.より踏み込んで言えば,結果的には彼 らの思想形成にとって不可避のものとなっていたのだ.それゆえ,神秘主 義研究は20世紀前半において間違いなくひとつの思想的トポスをなして おり,20世紀ヨーロッパの思想を議論する際には欠くことのできない論 点となっている.
注
1) Grand dictionnaire universel du XIXe siècle (1866-1888), dir. par Larousse Pierre, Nîmes, Lacour, 1990-1992, pp.754-758.と は い え19 世紀における神秘主義への視線は幾重にも錯綜しており,単純に否定的なだけ ではない.たとえばクーザン(Victor Cousin, 1792-1867)は哲学が観念論,
経験論,懐疑論と進展し最後に神秘主義に行き着くことを「人間理性への絶 望」ゆえと述べつつ,神秘主義は観念論などが与えない熱狂や信仰を与えるも のとみなしており,神秘主義を一方的に断罪するのではない.Cf. Cousin
Victor, Cours de l’histoire de la philosophie, histoire de la philosophie du XVIIIe siècle, Pichon et Didier, 1829.
2) James William, The Varieties of religious experience (1902), Longmans, Green & Co, 1920, p. 31.〔ジェイムズによる強調〕
3) Cf. 吉永進一「ウィリアム・ジェイムズと宗教心理学」『宗教心理学の探究』
所収,島薗進・西平直編,東京大学出版,2001年,81頁.
4) James, The Varieties of religious experience, op.cit., pp. 160-161.
5) Ibid., p. 511.〔ジェイムズによる強調〕
6) James William, A pluralistic universe : Hibbert lectures at Manchester College on the present situation in philosophy, Longmans, Green & Co, 1909, p. 325.
7) Ibid., p. 41.
8) 個人経験を重視するジェイムズのこうした姿勢は,同じプラグマティストと 呼ばれる哲学者たちとは一線を画す.たとえばデューイ(John Dewey, 1859-1952)は,超自然的で個人的な感覚と宗教とを分離する.デューイは宗 教の普遍性の称揚を目指しており,普遍性を欠くという観点から神秘経験を重 要なものとは認めない.Cf. Dewey John, A Common faith, Yale University Press, 1934.
9) Delacroix Henri, Essai sur le mysticisme spéculatif en Allemagne au XIVème siècle, Alcan, 1900, pp. 3-10.
10) Delacroix Henri, « Les variétés de l’expérience religieuse par William James » in Revue de métaphysique et de morale, vol. 11, n° 5, 1903, pp.
645-646.
11) Ibid., p. 644.
12) Ibid., p. 657.
13) Ibid., p. 659.
14) Ibid., p. 660.
15) これに先立ちアカデミックの場で神秘主義が扱われた事例として,ソルボン ヌに提出されたエドゥアール・レセジャック(Édouard Récéjac)の博士論 文『 神 秘 的 認 識 の 基 礎 に つ い て の 試 論 』(Essai sur les fondements de la connaissance mystique, 1897)や,1902年に国際心理学学院で行われたエミ ール・ブートルー(Émile Boutroux, 1845-1921)の講演などが挙げられる.
Cf. Poulat Émile, L’Université devant la mystique, Salvator, 1999, p. 27.
16) Delacroix Henri, Études d’histoire et de psychologie du mysticisme : Les grands mystiques chrétiens, Alcan, 1908, p. 61.
17) Ibid., p. 346.
18) Ibid., p. 347.
19) Ibid., p. 351.
20) Ibid., p. 352.
21) Ibid., p. 360.
22) 古野清人「宗教心理学」『古野清人著作集7』所収,三一書房,1972年,
216頁.
23) Delacroix Henri, Le langage et la pensée, Alcan, 1924, p. 378.
24) Cf. Baruzi Jean, « Saint Jean de la Croix et le problème de la valeur noétique de l’expérience mystique » in Bulletin de la société française de philosophie, t. XXV, mai-juin, Armand Colin, 1925, pp. 25-33.
25) Ibid., p. 32.
26) Ibid., p. 33.
27) Poulat, L’Université devant la mystique, op.cit., p. 147.
28) Poulat Émile, « Introduction » in Baruzi Jean, Saint Jean de la Croix et le problème de l’expérience mystique, 2ème édition (1931), Salvator, 1999, p. 22.
29) De La Coirx Jean, Œuvres, édition publiée sous la direction de Canavaggio Jean, Gallimard, Pléiade, 2012, p. 933.日本語訳は,鶴岡賀 雄『十字架のヨハネ研究』(創文社,2000年)内(29頁,註4)に挙げられ たもの.斜線は改行を表す.
30) Baruzi Jean, L’intelligence mystique, textes choisis et présentés par Vieillard-Baron Jean-Louis, Berg International, 1991, p. 64.
31) Baruzi, Saint Jean de la Croix et le problème de l’expérience mystique, op.cit., p. 488.
32) Bulletin de la société française de philosophie, t. XXV, op.cit., p. 33.
33) ここでの「現象学」が意味するものは単純ではない.バリュジの『神秘的知 性』(Intelligence mystique, 1991)の編者ジャン=ルイ・ヴィエイヤール=バ ロン(Jean-Louis Vieillard-Baron, 1944-)によれば,バリュジはヘーゲ ルからフッサールへと至る現象学の潮流は学派的ドグマを形成し挫折してしま ったと批判する.そのうえで,現象学的分析に限定されるのではなく,形而上 学的,宗教的,美学的,神秘主義的などの多様な平面のうえで分析が必要だと バリュジは考えた,とヴィエイヤール=バロンは指摘する.Cf., Baruzi, L’intelligence mystique, op.cit., p. 17. et p. 62.
34) Cf. 岩田文昭,第6章「ブロンデル『行為』における反省と宗教」『フランス・
スピリチュアリスムの宗教哲学』創文社,2001年,165頁.
35) Wilmer Heiner, Mystique entre action et pensée : une nouvelle introduction à la philosophie de Maurice Blondel, trad. Le Douaron Félicien et Duray Jean, BoD, 2014, pp. 30-31.
36) Blondel Maurice, « Mystique, Mysticisme » dans Lalande André, Vocabulaire technique et critique de la philosophie (1902-1923), vol.1, PUF, 1993, pp. 662-664.
37) Bulletin de la société française de philosophie, t. XXV, op.cit., pp. 85-88.
38) Blondel Maurice, « Le problème de la mystique » in Chant nocturne, Saint Jean de la Croix : mystique et philosophie, textes réunis et présentés par Coutagne M.-J. et Périco Y., Éditions universitaires, 1995, pp. 25- 58.
39) Wilmer, Mystique entre action et pensée : une nouvelle introduction à la philosophie de Maurice Blondel, op.cit., p. 39.
40) Blondel, « Le problème de la mystique », op.cit., p. 25.
41) Ibid., p. 27.
42) Ibid., p. 28.
43) トマス・アクィナス『神学大全』大鹿一正監訳,大森正樹・小沢孝訳,創文 社,1997年,165頁.
44) J. Deferrarid Roy and Barry M. Inviolata, with the technical collaboration of Mcguiness Ignatius, A lexicon of St. Thomas Aquinas : based on The Summa Theologica and selected passages of his other works (1948), Kyoto, Rinsen Book Co, 1985, p. 209.
45) Cf. 桑原直己「トマス・アクィナスにおける親和的認識について」『哲学・
思想論集』所収,筑波大学哲学・思想学系,1999年,51頁(一六四頁).
46) Blondel, « Le problème de la mystique », op.cit., pp. 43-44.
47) Ibid., p. 211, note 63.
48) 合一によって主客の隔たりが瓦解するという構図はある種手垢にまみれたも のだが,現在の神秘主義研究でも見慣れたその構図をいったん了解したうえで 合一経験における「接触」のイメージをより一層掘り下げていくことが目指さ れている.Cf. 鶴岡賀雄,第3部第3章第3節「接触としての神秘体験」『十 字架のヨハネ研究』創文社,2000年.
49) Wilmer, Mystique entre action et pensée : une nouvelle introduction à la philosophie de Maurice Blondel, op.cit., p. 115.
50) 石脇慶總『神秘との合一を求めて:J・マリタンにおける神実在の認識に関 する研究』南山大学学術叢書,エンデルレ書店,1994年,5-7頁.
51) Maritain Jacques, La philosophie bergsonienne (seconde éd. 1914), M.
Rivière, 1930, p. 143.
52) Ibid., p. 145. たしかにマリタンの指摘通り,ベルクソン哲学のうちに二元
論的側面があることは否定し難い.だが,ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch, 1903-85)が規定するように,それは「実体の一元論にして