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カール・アインシュタインの いくつかの概念について

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(1)

カール・アインシュタインの いくつかの概念について

―― 同時性,平面性,構築的形態,幻覚 ――

(付録:カール・アインシュタイン「方法的アフォリズム」

「パブロ・ピカソ,

1928

年のいくつかのタブロー」江澤健一郎訳)

江 澤 健 一 郎

絵画とは,見る行為,視覚行為の変革でなければならず,芸術とは,現 実の因習的な複製ではなく,新たな現実の創造とならなければならない.カ ール・アインシュタイン

(Carl Einstein, 1885 - 1940 )

の芸術論を貫いてい るのは,そのような苛烈な要求である.彼は,そのような変革の実現を,

当時のキュビスム絵画に見出した.

アインシュタインが執筆した芸術論の邦訳は,現在のところ,『黒人彫刻』

(Negerplastik, 1915 )

の翻訳を収めた桐島敬子編訳『アフリカの彫刻』(岩崎 美術社,

1984

年),ならびに同書の新訳である鈴木芳子訳・解説『黒人彫 刻』(未知谷,

2005

年)しか存在しないが,日本語で読める文献が少ない こともあって,彼の芸術論は日本ではほとんど知られていない.しかしア インシュタインは,

20

世紀初めのドイツにおいて,アフリカ彫刻の芸術 性について初めて本格的に論じたのみならず,フランスで活躍するキュビ スムの画家たちと親交を結び,その芸術の革新性を積極的にドイツに紹介 した批評家であった.そしてそのようにドイツにおいて先駆的活動を果た しただけでなく,彼は,フランスにおいて,さまざまな前衛的な芸術家や 作家たちと交流し,そしてフランス語による執筆活動を展開した.つまり,

カール・アインシュタインは,

20

世紀前半の独仏における前衛芸術運動 について考察する上では,欠かすこのできない重要人物である.彼はまさ に,国境を越えて(ドイツ,フランス,そしてスペインへ),そして同時 に,美術,文学,映画,演劇,民族学といったカテゴリーを越えながら,

領域横断的に活躍した作家であった.しかし,ごくわずかな人々の注目を 除けば,この作家は,

1940

年のその悲劇的な死から

20

世紀後半に至る間,

ほとんど忘却されていたと言っていい.その要因の一つは,彼のテクスト

(2)

に接すること自体が,一般の読者にとっては困難であったことにある.例 えばフランスにおいては,

1934

年の『ジョルジュ・ブラック』

(Geroges

Braque, 1934 )

以後,

70

年代に至るまで,フランス語で読める彼のテクス

トは,ほとんど公になっていない1).つまり,図書館や古書店以外では,

彼のテクストに接することは,ほとんど不可能であった.しかしその後,

状況が徐々に好転してきた.

1980

年,ドイツにおいて『全集』

(Werk, 1980 - 1992 )

の刊行が始まり,そしてフランスにおいても,

70

年代後半か ら,徐々に彼のドイツ語テクストの仏訳や,フランス語で執筆されたテク ストが出版され,そして彼についての研究書が現れ始めている2).だが,

それでもこの作家の実像は,まだ明らかになっているとは言えない.まし てや日本においては,彼の小説『ベビュカン,あるいは奇蹟のディレッタ ントたち』以外は,ほとんど知られていないのが現状である3).したがっ て,本論においてわれわれは,彼の芸術論に接近するための第一段階とし て,そのいくつかの主要概念について考察し,輪郭を捉えにくい彼の概念 を明確に規定したい.また,彼の邦訳がほとんど流布していない現状を改 善するべく,参考資料として,アインシュタインがフランスの雑誌『ドキ ュマン』

(Documents, 1929 - 1930 )

創刊号(

1929

年)に掲載した,二つの 短い論文の拙訳を,本論末尾に併載する4)

カール・アインシュタインとは誰なのか?

ユダヤ系ドイツ人であった作家アインシュタインは,アフリカ彫刻の紹 介者,そしてキュビスムの造形的革新を分析した美術批評家として知られ ている.彼は,

1940

7

5

日にゲシュタポの手を逃れるために自殺す るまで(ピレネー山脈のポー川に身投げした),多くの美術論,例えば,

1926

年の段階で

20

世紀芸術を総括してしまった『

20

世紀の芸術』5)を執 筆し,それ以外にも,キュビスム的といわれる難解な小説『ベビュカン,

あるいは奇蹟のディレッタントたち』(

1912

年),詩や戯曲,あるいはジ ャン・ルノワール

( Jean Renoir, 1894 - 1979 )

が監督した映画『トニ』

(Toni, 1935 )

のシナリオなどを執筆している.

1906

年頃から,彼はフラ ンスにおいて,パブロ・ピカソ

(Pablo Picasso, 1881 - 1973 )

,ジョルジ ュ・ブラック

(Georges Braque, 1882 - 1963 )

,ホアン・グリス

( Juan

Gris, 1887 - 1927 )

といったキュビストたち,あるいはモイーズ・キスリン グ

(Moïse Kisling, 1891 - 1953 )

や画商ダニエル=ヘンリー・カーンワイラ ー

(Daniel-Henry Kahnweiler, 1884 - 1979 )

とも親交を結んでいたが6)

(3)

1928

年からは活動の場をフランスに移している.そして

1929

年には,パ リで,ジョルジュ・バタイユ

(Georges Bataille, 1897 - 1962 )

やミシェ ル・レリス

(Michel Leiris, 1901 - 1990 )

と共に雑誌『ドキュマン』

(Documents)

の創刊に携わり,以後

1930

年の最終号まで,同誌に多くの

論考をフランス語で寄稿した7).『ドキュマン』は,バタイユが事務局長を 務めたグラビア雑誌であり,その名が示すとおり多様な「ドキュマン(ド キュメント)」が併置され交差する場であった.そこで扱われたのは,雑 誌の表紙に記されているように〈学説,考古学,美術,民族誌学〉といっ た横断的な領域であり,寄稿者も,アカデミックな研究者から元シュルレ アリストたちといったヴァラエティに富む面々であった(そして

1929

年 第

4

号の表紙からは,〈学説〉という文字が消え,代わりに,雑多なもの の集まりを意味する〈雑録ヴァリエテ〉という語が現れる).アインシュタインが,

どのような経緯で『ドキュマン』に参加するようになったのかは分かって いないが,彼は,レリスとは,すでにドイツ時代に,遅くとも

1926

4

26

日には知り合っており(おそらく

D

H

・カーンワイラーか,その 娘で

1926

年にレリスの妻となるルイーズ・ゴードン

(Louise Godon)

を 介して),年代は不明だが,レリスの紹介でバタイユと知り合ったという8). また,『ドキュマン』創刊時に編集委員の一人であったゴットリープ・フ リートリッヒ・レーバー博士

(Gottlieb Friedrich Reber, 1880 - 1959 )

は,

アインシュタインのドイツ時代からの友人である9).いずれにせよ,その ような人脈上のつながりから,この雑誌に参加することになったのであろ う.バタイユの回想によれば,アインシュタインは同誌の〈正式な編集長〉

であったが,バタイユやレリスが次第に主導権を握りはじめたため,

10

歳 以上年下の彼らと時には対立しながらも,同誌の発行にあたって中心的役 割を果たしたとされる10).実際,彼は『ドキュマン』に,それまでフラン スではよく知られていなかったドイツ語圏における美術史研究の成果,そ してドイツ民族学の成果,つまり非ヨーロッパ芸術についての知見をもた らしたとされ,おそらく彼の人脈に属する何人かの研究者が,同誌に寄稿 している11).それに先立つドイツ時代,彼はすでに

1915

年に『黒人彫刻』12)

1921

年に『アフリカ彫刻』13)を発表し,安易なエキゾチシズムを排して,

アフリカ彫刻の造形的価値を分析していた.ドイツにおけるそれまでのア フリカ芸術研究は,むしろ民族誌学的な関心に基づいていたが,アインシ ュタインは初めてアフリカ彫刻の造形的価値に重点を置き,その創造性を 論じたとされる14).そして当時,キュビストたちは,アフリカ彫刻に深い

(4)

関心を寄せており,彼らと親交のあったアインシュタインの革新的著書は,

キュビスムによる造形上の革新と反響しあっていたとされる.このような 執筆活動の延長線上で,アインシュタインは,『ドキュマン』に民族学的 な論考を寄稿する.そしてそれ以外にも,同時代の造形芸術について論じ た論考を多数寄稿した(ピカソ,ブラック,アンドレ・マッソン

(André Masson, 1896 - 1987 )

,フェルナン・レジェ

(Fernand Léger, 1881 - 1955 )

, ハンス・アルプ

(Hans Arp, 1887 - 1966 )

などについて).アインシュタイ ンにとって,同時代芸術についての考察と民族学的論考は,造形的問題と して連続していたのである.

主要概念について

参考資料として訳出したテクストは,

1929

年の『ドキュマン』創刊号 に掲載された二つの論考である.「方法的アフォリズム」

(« Aphorismes méthodiques », 1929 )

は,アインシュタインの批評宣言とも読めるテク ストであり,彼の問題意識がここに凝縮している.そしてもう一つの「パ ブロ・ピカソ,

1928

年のいくつかのタブロー」

(« Pablo Picasso, quelques tableaux de 1928 », 1929 )

は,その方法論の具体的な応用となっている.

そしてこの論考にも見られるように,アインシュタインにとって,キュビ スムの絵画は特権的な対象であり,この後も彼は,同誌にピカソやブラッ クについての論考を寄稿する.これらのキュビスム論において,鍵となっ ている概念が,まず「同時性

(simultanéité)

」と「平面性

(planéité)

」で あり,つぎに形態のアナロジー(あるいはテレパシー)を実現する「構築

的形態

(forme tectonique)

」,そして因習的現実と絶縁した「幻覚

(hallucination)

」である.これらの概念は,『ドキュマン』に掲載された

論考においては,あまり厳密な規定を与えられていないが,

1934

年の大 著『ジョルジュ・ブラック』15)においては,厳密な概念規定がなされてい る.ここで,おもに『ジョルジュ・ブラック』における定義に準拠しなが ら,これらの用語についての解説を試みたい.

まず,分析的キュビスムにおいて頂点に達する技法,「同時性」と「平 面性への還元」について考察したい16).二次元的な絵画空間に三次元的な 奥行きの錯覚を生み出す技法として,ルネッサンスに発明された「遠近法

(透視図)」があるが,アインシュタインは,遠近法空間を激しく批判して いる.遠近法は,不動の主体(作者や観者)に立脚して安定した空間を構 成する.この空間は,視覚主体の脊柱という一本の軸を起点にして,静止

(5)

した時間を表象する.つまりこの表象は,変化を排し,死を排した,永遠 性の空間,錯覚による幻影であり,体験として生きられる空間ではない.

それに対して,現実の視覚体験は,変化する多様な軸に従って展開する多 層的な空間体験である.例えば一個のリンゴは,遠近法空間においては,

一つの視点から見られた一つの対象として表象されるが,現実の視覚体験 においては,リンゴは様々な角度から多様な視点によって見られるのみな らず,際限なく変化する明暗の度合いの中で,その姿を変え,あるいは移 動されることによって,異なった空間構成の中に編入される.そのように

「ひとつ」とされるリンゴの姿は,空間という無限の連続性のただ中で不 断に生成する物質の,一つの切断面のようなものである.遠近法は,その ような切断面に従って時空間を構成し,他の経験の地層を抑圧するが,キ ュビスムは,まったく異なる構成法を発明した.現実の視覚体験は,時間 の流れに従って多様な地層を形成しているが,キュビスムは,それらの地 層の集積から,多様な反撥しあう地層を選別し,同時的に併置して,隣接 させ,交差させたのである.つまり異なる経験の地層が,ひとつひとつの

「平面

(plan)

」として等価的に併置され,二次元空間において同時的に圧

縮されたのだ.これが,アインシュタインが注目する「同時性」と「平面 性」である.そして,「構築的形態」は,例えばこの場合は,その「平面」

の形態であると考えられる17)

ここで注意したいことがある.われわれが「構築的」と訳した形容詞は,

フランス語では「

tectonique

」であるが,通常この単語は,名詞としては

「構造地質学」,形容詞としては「構造地質学的な」という意味で使われる.

これはドイツ語の名詞「

tektonik

」と形容詞「

tektonisch

」に関しても同 様である.しかしこの「

tektonik

」という用語は,ドイツ語圏の美学・美 術史では,地質学とは独立した意味で,「構築」「構造」という意味で用い られる伝統があり,ハインリヒ・ヴェルフリン

(Heinrich Wölfflin, 1864 - 1945 )

やウィルヘルム・ヴォリンガー

(Wilhelm Worringer, 1881 - 1965 )

,あるいはアロイス・リーグル

(Aloïs Riegl, 1858 - 1905 )

の著作に おいて,そのような意味で用いられている.とりわけヴェルフリンは,こ の用語を「概念化」して,美術史研究のための基礎概念として用いている.

例 え ば 彼 は , そ の 主 著 『 美 術 史 の 基 礎 概 念 』

( Ku n s t g e s c h i c h t l i c h e Grundbegriffe, 1915 )

において,

16

世紀のクラシックと

17

世紀のバロッ クを対比しながら,垂直線と水平線に従って構成された前者の「閉じられ た形式」を「構築的

テ ク ト ニ ク

」と呼び,それに対して対角線を強調する後者の「開

(6)

かれた形式」を「非構築的ア テ ク ニ ト ク

」と呼んでいる(ちなみに「美術史の基礎概念」

とは,「線的なもの」と「絵画的なもの」,「平面」と「深奥」,「閉じられ た形式(構築的)」と「開かれた形式(非構築的)」,「多数性(多数的統一 性)」と「統一性(単一的統一性)」,「明瞭性(無条件の明瞭性)」と「不 明瞭性(条件付き明瞭性)」である).ヴェルフリンのこの著書は,アイン シュタインの『黒人彫刻』と同年の

1915

年に出ているが,アインシュタ インは,同書の段階では,まだ「構築的」という用語をほとんど用いてい ない.彼がこの用語を主要概念として用い始めるのは,おそらく『

20

世 紀の芸術』(

1926

年)におけるキュビスム分析においてであるから,その 間にヴェルフリンの影響が介在している可能性は十分に考えられる.ただ しアインシュタインは,この概念を導入するに当たって,自分なりの加工 を施している(例えば,彼が「構築的」と呼ぶ芸術は,およそ「ルネッサ ンス的」ではない,古代芸術やキュビスムの芸術である).以上のように,

この「構築的」という用語は,ドイツ語圏特有であり,アインシュタイン はこの文脈に従って,フランス語においても「

tectonique

」という単語を 用いている18).したがって,この用語には地質学的な意味は込められてい な い と 考 え ら れ る . よ っ て , 仏 訳 に あ た っ て は , 場 合 に よ っ て は

architectonique

」(形容詞としても名詞としても用いられ,「建築術の」

「構造的」などを意味する)と訳した方が適切な場合も多いと思われるが,

この訳語は最近のフランス語訳でも用いられていない.ただし,アインシ ュタインの芸術論に地質学的な性格がないわけではない.彼は,「地層」

という語彙を頻繁に用いており,空間や時間を多様な地層の堆積として捉 え,芸術体験を地質学的に考察しているからである.

さて,彼が「構築的テクトニック」と呼ぶ形態だが,それはキュビスムの絵画に見ら れる平面的で明瞭な形態のみならず,古代エジプトやアフリカ彫刻にも見 られるような堅固な形態を指す.例えばアインシュタインは,「方法的ア フォリズム」において,死者を表象する二つの様式について論じている.

まず死者を生前のように生き生きと表す自然主義的表象,もうひとつは形 而上学的レアリスムと呼ばれる様式で,死者そのものではなく,その分身 や魂を表象する方法であり,これが構築的形態(非自然主義的な)による 表象である.『ジョルジュ・ブラック』における歴史的定義に則るならば,

前者は遊牧性やアニミズム的な自然主義の産物であり,後者は堅固な様式 を形成する定住性の帰結とされる.あるいはヴォリンガーの有名な公式に 当てはめるならば,おそらく構築的形態は「抽象的で無機的」であり,

(7)

「感情移入的で有機的」な形態に対立していると言えるだろう19).このよ うな構築的形態は,静的で幾何学的な構築物であり,混沌とした怪物的な 形態に対する防御壁となる.つまり幻覚,見えないものや死の恐怖のよう な混沌としたのものを形態に収め,安定させる.しかし堅牢な形態といっ ても,先ほど述べたように,キュビスムの構築的形態は,因習的で安定し た遠近法的形態とは異なり,むしろそれを解体している.キュビスムの前 段階に,印象主義による革新が位置しているが,この流派が用いた筆触分 割という技法は,すでに遠近法空間を解体していた.しかし印象派は,空 間全体を一挙に混沌とした色彩の微粒子へと分解してしまった.それに対 して構築的形態は,そのような色彩空間を制御する形態として,キュビス ムにおいて復権する.しかしそうはいっても,もちろん前印象主義的な遠 近法空間へと回帰するわけではない.キュビスムは,印象主義が混沌へと 解体した空間を,構築的形態によって制御し,新たな空間を構築するのだ.

その空間は,先ほど言及したように,同時的で平面的な空間だが,ただ単 に平板なわけではない.キュビスムの空間は,遠近法的な奥行きを解体す るが,一点透視図的な立体感を解体することによって,別のヴォリューム を構成する.それは,例えば分析的キュビスムにおいては,複数の平面に よって構成されるヴォリュームであり,そこでは,異なる平面の併置,集 積,交差によって,絵画的(つまり

2

次元的)なヴォリュームが構築され る.そして,複数の平面によるこの空間造形において,「形態のアナロジー」

が実現されるのだ.つまり構築的形態は,因習的で自然主義的な対象の形 態から自律した,抽象性を帯びた幾何学的形態であり,対象の同一性を模 倣的に再構成するよりも,むしろ空間構成的に機能しているため,ひとつ ひとつの対象固有の同一性を離れ,空間を構成する形態同士で関係して反 響しあう.例えばリンゴの形態の一部は,テーブルや椅子の形態の一部と アナロジーの関係を結び,連続性を形成し始める.しかも,平面の間の差 異を介して.このような不連続な連続性が,構築的形態によって実現され る形態のアナロジーに他ならない.

さらにアインシュタインは,キュビスムの絵画における「幻覚」という 要素を重視する20).幻覚的な形象は,とりわけ分析的キュビスムに続く段 階,アインシュタインが「ロマン主義的」と名付ける絵画に顕著である21). 空間分析の極限に達した分析的キュビスムを経たピカソやブラックの絵画 には,解体され変形された怪物的な身体が現れ始める.これらの幻覚的形 象は,先ほど論じた分析的解体法とはまた別の方法で,合理的(遠近法的)

(8)

空間を解体し,理性的な安定した自我(主体)を崩壊へと導く.分析的キ ュビスムが,空間を多層的に分解し再構成することによって,主体と客体 の安定した二項関係を解体したように,幻覚的形象は,既定の形象という 視覚対象を不定形へと変質させることによって,それに対応していた静的 な主体を解体する.そして前者の分析的方法が,空間体験の多層性に訴え るのに対して,後者は,とりわけ心理過程の多層性に訴える.例えば精神 分析によって「無意識」と名付けられる不安定な深層を,幻覚は活性化す る.無意識の地層と意識の地層の間で展開する,幻覚の領域において,形 象は圧縮されて形成されるのだ.そして分析的キュビスムにおいては,時 間的空間的に対立する多様な視覚断片が同時的に構成されることで,空間 と形象が形成されたのに対して,「心理図

(psychogramme)

」を用いる幻 覚的キュビスムにおいては,通常は結びつけられない表象が,つまり理性 的観点からは対立するような形象記号が(例えば矢印形の顔,縦並びの眼 など),同時に共存するような幻覚が,形成されるのである.

こうしてアインシュタインは,キュビスムによる視覚行為の革新に注目 し,新しきものの創造を重視する.そして彼にとってこの創造は,死との 対峙を要請する.なぜなら新しきものは,古きものの破壊,つまり死によ って誕生するからである.これは同時に,自我という過去の遺物の死,そ の卑小な殻からの脱却によって,集団的な力へと参入することの要請でも ある.そしてこの個人主義への批判と集団性の重視は,ドイツ時代の共産 主義への共感,スパルタクス団への賛同や,スペイン内戦における反フラ ンコ闘争への参加22)といった,新しき世界を求める彼の政治的活動へとつ ながっていく.しかし注意しなければならないのだが,常に新しきものを 希求したアインシュタインは,決して進歩主義に則った進化論者ではない.

彼の歴史観はむしろ「退行的」であり,「時間錯誤的

(anachronique)

」で ある.例えば彼は,最先端の芸術であったキュビスムに,太古の構築的形 態の復活を見いだした.つまり新たな質の獲得は,それに対応するアルカ イスムを覚醒させるのだ.例えば幻覚は,理性の軛から観者を解き放ち,

「原初的状態への退行」を引き起こし,未開拓の「太古の地層」を活性化 させる23).あるいは構築的形態は,新たな空間構成や幻覚的形象の構成を 実現するが,この形態は同時に古代エジプトや,あるいは原初的といわれ るアフリカ彫刻の形態と相同的である.つまり,構築的形態を見つめるこ とは,原初の形態体験への時間錯誤的な退行を引き起こし,観者を,埋も れた太古の地層へと遡行させる.現在時においてそれを見つめる者に,い

(9)

にしえの構築的形態がもたらした体験を同時に反復体験させる.要するに,

それは「新しいもの」を「古いもの」に結びつけ結晶化するといえる.こ れは幻覚に関しても,とりわけ構築的形態によって形成された幻覚におい ても顕著であり,幻覚は,観者を無意識の地層へと,アルカイックな地層 へと退行させる.つまり,そのような芸術において,「今」と「かつて」

が弁証法的に結びつけられ,そこに不安定な弁証法的なヴィジョンが現れ る.だから歴史は,アインシュタインにとって,遠い過去という起源から 発して未来へと続く出来事の羅列,単線的で進歩的な年代記ではない.む しろ歴史は,決して安定したものではなく,現在から発して過去へと逆流 するのであり,失われたもの,未開拓の過去の地層は,現在の投影によっ て再び輝きはじめる.こうして現代芸術は,いにしえの神話のように,埋 没した集団的力を覚醒させるのだ.

以上,カール・アインシュタインの芸術論をめぐって,ごく限定的に,

そのいくつかの主要概念について論じてきた.アインシュタインのテクス トに接近するためには,まず第一段階として,定義の不鮮明なこれらの概 念を明確に規定する必要がある.この論考は,そのような導入部にほかな らない.つまり本論は,来るべきアインシュタイン研究の単なる序奏に過 ぎない.より広く,そして深く,アインシュタインの芸術論について考察 するためには,稿を改めねばならないだろう.

参考文献 最後に,いくつかの参考文献を挙げておきたい.

雑誌『ドキュマン』に関しては,同誌の復刻版が存在する

(Documents, Jean- Michel Place, Paris, 1991)

.また,同誌に掲載されたアインシュタインの論文は,

『現代芸術の民族学』という題で一冊の本にまとめられている

(Carl Einstein, Ethnologie de l’art moderne, présentée et annotée par Liliane Meffre, André Dimanche Éditeur, Marseille, 1993)

研究書としては,カール・アインシュタインについてのフランスにおける最初の 本格的研究書,リリアーヌ・メッフル『カール・アインシュタインと造形芸術にお け る 前 衛 の 問 題 』 が 重 要 で あ る

( L i l i a n e M e f f r e , C a r l E i n s t e i n e t l a

problématique des avant-gardes dans les arts plastiques, Peter Lang, Berne,

Francfort-s. Main, New York, Paris, 1989)

.そして同じ著者による伝記『カー ル・アインシュタイン

1885

1940

年,ある現代思想が歩んだ道』

(Carl Einstein

(10)

1885-1940, Itinéraires d’une pensée moderne, Presses de l’Université de Paris- Sorbonne, Paris, 2002)

も必読文献である.アインシュタインが執筆したテクス トやその仏訳,ならびに彼についての研究書に関しては,同書巻末にある参考文献 一覧が詳しいので,そちらを参照されたい.メッフルの著書以外にもいくつかの研 究書があるが,特にジョルジュ・ディディ=ユベルマンは,いくつかの本でアイン シュタインについて論じており,その中でも『時間を前にして』の第

3

章は刺激的 である

(Georges Didi-Huberman, Devant le temps, Les éditions de minuit, Paris, 2000)

.また,『ドイツ研究』

(Études germaniques)

誌の

1998

年第

1

1

3

月)と,ポンピドゥ・センターが発行している『国立現代美術館手帖』

(Cahiers du Musée national d’art moderne)

誌の第

1

号(

1979

7

9

月),第

58

号(

1996

年冬),第

62

号(

1997

年冬)は,それぞれアインシュタインを特 集しており,重要である.

参考資料 方法的アフォリズム

カール・アインシュタイン 江澤健一郎 訳 美術史とは,あらゆる視覚体験,創作された空間, 形 象

フィギュラシオン

が 闘 争 あ る.

ここ

20

年,機械化された現実が影を潜め,幻覚的で神話的な創作の数が増えて いる.

タブローとは圧縮であり,心理過程の中断,時の流れに対する防衛,つまりは死 に対する防衛である.さまざまな夢の濃縮と言うこともできるだろう.

特徴的なことに,最もめざましく変化したのは,永遠性の徴を帯びた抽象観念で あり,それに対して,視覚的直感は蔑ろにされ,ほとんど使用人のような変わらぬ 働きを求められていた.堅固な対象は,ほとんどの場合,視覚の内容となるが,視 覚はそれらの対象と同一視された.不変の言葉によって表されたそれらの対象は,

-

機能的に表された.こうして,心理過程によって満たされたいわゆる機能的時 間が,時間や心理的なものとは無関係に存在する堅固な空間と対比されていた.し かし抽象化によって表明されるこの堅固な時間もまた,空間の観念と同じように運 動性に欠けていることは,理解されなかったのだ.

この空間を動的で心理的な機能へと変えるには,まず因習の塊である堅固な対象 を除去しなければならなかった.このようにして,視覚そのものが問われなねばな らなかった.

(11)

空間はわれわれの存在の堅固な土台とみなされ,持続の徴そのものとみなされて いた.そのような意味で,芸術は死者を表象するために用いられ,イメージは死後 の存続を保証していたはずである.異なった二種類の死者の表象があることを確認 しよう.

1

・自然主義的表象であり,これはほとんどの場合,生きる悦びによって 説明されているが,ここでは死を前にしての恐怖によって説明されるべきである.

死の恐怖によって取り憑かれ,ひとは先祖の存在を永遠化し,そして家族や部族の 恒久的な連続性を確かなものにしようとする.というのは,そのように家族という ものは,生者の結びつきであるばかりでなく,死者の霊魂と生者の集まりだからで ある.イメージにおいて死者を生き生きと表せば表すほど,ひとはさまざまな悪し き霊魂の怪物的な形態から遠ざかり,そうしてそれらを忘れる.それはほとんど一 種の御祓いといえるだろう.

2

・エキゾチックな芸術や古代の芸術には,一種の形 而上学的レアリスムがある.ひとは死者そのものを表象するのではなく,そのカー..

24),や影の魂...

を表象しようとする.そして破壊しえないそれらの実体の表象から,

静的なものと永続的なものの芸術が生じる.そのような芸術作品にみられる構築的テクトニック な性格は,こうして説明することができるだろう.

宗教的な芸術作品は,いわば見えないものによって生み出され,消滅によって,

ひとつの存在の非

ノン

生 存

エグジスタンス

によって引き起こされる.見えないものは,あらゆる場 所に現れて恐怖を引き起こすが,芸術作品はそれから身を守るための手段なのだ.

漠然としたアニミズムは,信者を身も砕けるような脅威に曝すが,芸術作品はそれ に対する防御壁である.宗教的な人間が抱く自然主義は,宗教的幻影の怪物性に対 する防衛である.宗教的想像にみられる無限や素早い類比に対して,ひとびとは規 範やアカデミックな形態を突きつけるのだ.このアカデミズムは心理的限界の徴で あり,精神のびくついた偏狭さの徴である.

宗教的な芸術作品は魔術的であるゆえに規範に適合している.つまり目的となる 魔術的効果を引き起こすためには,その芸術作品は明確な特質を備える必要があり,

まさにそのために,その作品は細部にいたるまで忠実に再現されなければならず,

ほんの少しの変化が結果を台無しにすることがある.古代の芸術やエキゾチックな 芸術にみられる保守的な性格を,部分的にはそのように説明できるだろう.このよ うな教条主義は,最終的にその芸術を歴史的過程の外に位置づけてしまう.そして すっかり機械化された形態の記憶術へと最後には陥ってしまう.

それらの芸術作品にみられる均衡,その構成を決定しているのは,自然主義的意 味ではなく,象徴的意味である.つまりおそらく形態的には重要ではない要素が,

その神話的な重要性ゆえに 造 形

フィギュラシオン

全体の中心となることがある.

それらの先祖の彫像は,一種の固定された記憶として定義されうる.持続性のあ るものは,死に従属しないものとされ,そこから静的な作風が生まれた.崇拝の念 を引き起こす神格化された死者たちのイメージ,そして完璧な世界のイメージが生

(12)

み出される.その意味でこそ,宗教的自然主義を論じることができるのであり,そ の自然主義においては,死者はまさに超越論的存在であるゆえに,そしてすでに死 せるものであるゆえに,生者そのものよりも強力である.

宗教的自然主義,つまりひとは世界を神による創造として認め,楽観的な信仰に よってその観念を確固たるものにする.しかし懐疑論が広まるにつれて,信仰と抽 象的観念ばかりでなく視覚と視覚的伝承とが分離する.世界と事物は,かつては神 的で永遠な 原 型

プロトタイプ

であり,ひとは宗教的な恭順によって,そしてさまざまな力が 事物によって生み出されるのを期待しながら,そのような原型を模倣していたが,

世界と事物はもはやそのありかたを変える.

しかしそのように抽象的観念を疑い始めても,ひとはまだ無邪気にも視覚や空間 を不変なものと想定して,そう信じ続けている.しかしさらに後には,人間の些細 な自由の徴である同じ懐疑論によって,ひとは不変で一様とみなされる空間を批判 する.そしてさまざまな特殊な空間による多元論が見いだされる.もはや事物を通 じて遠回りに作業するのではなく,直接的な形象制作フィギュラシオンが試みられる.そのようにし て,モチーフというものは直接的な視覚過程の遮断とみなされ(モチーフは今とな ってはひとつの障害である),内省的オーティスト過程に対応する幻覚的な形 象フィギュールが生み出される.

因習的な世界は廃

すた

れた記号の集合とみなされる.そして特殊な空間を築き上げる数 学者や物理学者にならって,ひとは心理的次元において問題を鮮やかに解決......

するた めに,主体に適合した 形 象

フィギュラシオン

を生み出そうとする.機械化された因習的な記号 の集合と事物の間の完全な分裂が確認される.それらの記号は容易く理解され,ま たさまざまな用途に利用されるため,生物学的に捉えられている.それに対して事 物は混成的な経験の集合であり,だからこそ多様な多くの反応がひとつの事物によ って引き起こされたりする.

しかしながら形象は,純粋に視覚的な過程によって生み出され,混成的経験から すっかり遠ざかった,絵画特有の記号である.したがって形象は,そのように心理 過程において自律した役割を果たす視覚器官にしたがって特殊化されている.

ルネッサンスにおける現実主義的表象は,ほとんどユートピア文学に対応してい る.それらのタブローには楽観的な目的論が現れている.つまり古代神話にあるよ うな英雄化が,彼岸と入れ替わるのだ.

ルネッサンスの時代には,マクロコスモスとミクロコスモスが一致していた.規 範と原型による一種の自然主義があったのだが,心理過程と自然の過程が適合して いるとされていたため,そのような自然主義が信じられていたのだ.

今日においては,心理過程と自然の過程との間の不均衡が歴然たるものとなって いる.自然の過程は,心理的次元や自律的経験に関わるものをもはやなにも示さな い.さまざまな法則が暴力的に専門化され,その力の及ぶ範囲が限定されているこ

(13)

とにわれわれは気づく.物理と科学的思考のそのような専門化を原因として,自然 はいわば科学的で限定的な因習と化し,視覚はより自律的に,より内省的にそして より人間的になったのだ.

それぞれの心理法則は純粋に質的なものであり,それらの法則の結果は矛盾した ものとなりうる.つまり同じひとつの心理過程がさまざまな矛盾した反応を引き起 こすことがあるのだ.

ルネッサンスの目的論的心理学は,心理的な諸能力を唯一の意味において解釈し ていた.心理過程ではなく客観的内容に基づいて静的な心理学が作り出された.そ れはドラマに目を閉ざした時代であった.

ルネッサンスは自然をひとつの芸術作品として定義していたが,その作品は心理 法則に適合すると同時に人間の理性に完全に適合していた(これはカトリシズムの 異教的解釈である).そのように芸術作品は,自然の作品と同じ次元にあり,即自 的な真理を宿すと信じられていた.そしていわば比例や遠近法の規則といった数学 的規則に則ることによって,芸術作品を作りだすことができると信じられていた.

そこにみられるのは姿を変えた科学的フェティシズムであり,それは現実を閉じこ め,人間と外的現実との同一性を確立しようとする.

しかしながらわれわれは,われわれは自由な類比と一連の生物学的形態をはっき りと区別する.生物学的形態にしたがって形成されるイメージは,単にわれわれが 捕われの身であることを示している.自然の観念は,非常に特殊な構成の集成と化 したので,ほとんど人間的な重要性を持たなくなってしまった.その観念は,計算 と構成の影響を非常に深く受けているので,もはや知的な幻覚でしかなく,もはや 直接的な現実を含まない.つまりそれはほとんど恣意的な理性的記号の世界なの だ.

内省的で自由な形象制作は,そのような人為的な複合体にこそ対立するのだ.科 学的着想は恣意的な公準の結果であるが,それでもひとは画一的論理によってそれ らの着想に普遍的な価値を与えようとする.しかし芸術家は科学者ほど自惚れ屋で はないし,統一性に呪縛されてもいない.学者がなんらかの信頼を再び勝ち取ろう とするならば,彼らはこの統一性に対するフェティシズムから逃れなければならな いし,彼らの法則の価値を制限しなければならない.そのような意味で,最初の一 撃は,宗教的な遺産である無限という観念を除去することによってなされた.

まさにそれぞれの芸術作品の具体的な意味作用こそが,その恣意的で幻覚的な側 面こそが,われわれを因習的現実のメカニズムから助け出し,単調な連続性という 欺瞞から救い出すのだ.

『ドキュマン』第

1

号,

1929

年,

32

34

(14)

(Carl Einstein, « Aphorismes méthodiques » , Documents, n° 1, 1929, pp. 32-34)

(15)

パブロ・ピカソ,1928年のいくつかのタブロー

カール・アインシュタイン 江澤健一郎 訳 ピカソの最近のいくつかのタブローを掲載する.

これらのタブローにおいて,構成は構築的

テクトニック

な幻覚に基づいている.しかし静的な アクセントが,ヴィジョンの流失に抗うような要素が取り出されただけだ.われわ れはそこに幻覚に対する規律をみることができる.心理過程という波は,形態とい う静的な防波堤によっていわば跳ね返される.

かつて停滞をもたらしていたものはすべて,つまり事物や保守的原理そして因習 という記憶術は乗り越えられる.玄人業の詐術はもう最小限にしか用いられない.

実際,直接的な構成はすべて虚無を前提としている.事物はむしろ,幻覚的な 形象制作

フィギュラシオン

に対する障害となる.なぜなら事物は心理過程を二つの現実へと分割し,

いかなる集中も不可能にしてしまうからである.

通常は甘んじて受けるしかない同じものの繰り返し も,これらのタブローにおい ては回避されており,習慣的な生物学的形態の繰り返しも取り除かれている.われ われが眼にしているのは,主体と同じようなさまざまな被造物であり,それらは視 覚や,視覚の混成的な構成とは無縁である.隠喩的イメージとはまったく無関係な のである.つまりもはや現実を寓意化することが問題なのではない.そしていかな る実証も不可能である.不調和な想像的要素は実証不可能なのだ.現実の因習は,

通常は超越論的実体のようにまさに崇拝され続けているが,ここではもはや忘れ去 られている.われわれは標準的なもの......

から引き離される.標準的なもの......

とは,機械 化された表象による単なる抽象であり,そのような表象はいたるところに〈整然と 配置されている〉.生物学的な単調さは,幻覚にいたるには力不足であり,遠ざけ られた.

力及ばぬ者たちは,既存のものをまだ超越論的実体のように崇拝しているが,ピ カソはそのようなものを受け入れない.われわれは彼とともにフロイトにおける運 命論的で静的な幻覚を離れる.フロイト的幻覚は,限定的な紋切型であり,そこで 無意識は恒常的な実体として形而上学的に表象されている.しかしこれらのタブロ ーにみられる静力学は,長いが素早い進展過程の結果なのである.それは圧縮であ り,その圧縮が激しければ激しいほどそこから生じる反応は強力になる.これらの タブローは,芸術家が導くさまざまな心理過程の交差点なのだ.形態による幾何学 ほど人間的で無意識的なものはないという意味でいえば,これらの構成は非常に奥 深い層の重なりに基づいている.しかしこの場合に問題とすべきなのは,太古性アルカイズムで も退行的で原始的なヴィジョンでもない.つまりそれらの形態は見た目は単純だが,

複数の解釈を可能にするさまざまな方向性を,空間において示しているのだ.幾何

(16)

学的な一本の線はひとつの解答へ向かうように方向づけられている.つまりピカソ が描くさまざまな線の力は,統合されたさまざまな軸の多様性から生じており,そ れぞれの形態が,タブローにおけるあらゆる形態と一種のテレパシーによって呼応 しているのだ.

11

年と

12

年のタブローは25),一般的なタブローの構成よりも自由に考えられ た多量な一連の細部を示している.親しみやすい拍子が予期せぬ韻によって満たさ れ,そしてさまざまな形象を貫く軸の多様性によって,空間はいわばほとんど中性 化される.今日においては記号の数は減少しているが,タブロー全体の孤絶がはる かに明白になった.かつてはさまざまな透明な面

プラン

が交差して,不連続な形態を生み 出していた.しかし現在では,類似した形態を結ぶある種の連続性が生み出されて いる.

ルネッサンスのタブローが呈示していたのは,造形的なひとつの身体と調和した ひとつの軸にしたがって行われる,不統一な視覚運動の総体であった.しかし逆に われわれの時代においては,複数の軸に対応するさまざまな目の動きが,ただひと

つの平面プ ラ ンへと圧縮される.ジオット以後の絵画は建築から生じ,建築における視覚

システムと似たいくつかのシステムの選択を示していた.しかしわれわれの時代に おいては,絵画的な発見を活用することによって,画家から彫刻家や建築家が生まれ るのだ.セザンヌは,彼の時代には最高の建築家であり,現在ではピカソがそうだ.

建築固有の視覚運動に対して,静的で平面的なヴィジョンが突きつけられる.複 数の視覚の総体化やさまざまな軸の間の平衡関係が,そのようにして生み出される.

脊柱に基づく因習は終焉を迎える.

最初の三枚のタブローは26),空間にかんする多様な問題を示しているが,ここに 見られる表層におけるポリフォニーに注目したい.これをさまざまな形象をおさめ る〈形態場〉への分割と言うこともできるだろう.

これらのタブローにおいて,形態は截然と分割された活動の場を見いだす.それ を形態の放射ということもできるだろう.そしてそこに嵌め込まれている記号は,

形象や構図を貫く垂直軸に対応している.これらのタブローが表しているのは,純 粋主義的な配列や薄片化とは正反対のものである.つまりそこに現れているのは幾 何学的な誤解とはまったく別物なのだ.

描き込まれた形象は,まったくの創造の産物であり,形態の彼岸から生じている.

それらの形象を構成するあらゆる部分は,構成全体の相同物として表され,そして それらの部分の間に生じる質的な度合 は,想像上の類似した諸形態とその変異形ヴァリアシオンと の間に生じるテレパシーによって生み出される.ここで決定は,生物学的規範によ ってではなく,直接的で人間的な構成にしたがってなされる.類似した形態が表さ

(17)

れているが,それが創造された構成であるという意味でいえば,それらは真実の形 態なのである.

これらのタブローは,まったく修辞学的ではない.風俗画にみられるような描写 とは何の関係もないし,心理過程のこれこれの描写 ―― そのような描写にみられ る興奮した機械的な隷属性は,刺繍を施されたスリッパの表象を思わせる ―― と も無関係である.その描き方がいかに明快であろうとも,線によるこのカリグラム は非常に複雑なものであり,それを省略というかたちで問題とするべきではない.

自律的な創造が問題なのだから.

われわれはそれに加えて二つの人物像 ―― 形態の神話学の産物 ―― も掲載する27). これらのタブローは既存の現実の注釈でもパラフレーズでもない.それらは直接的 内在性の彼岸から生じている.実際,模倣的な類型ともっとも隔たっているのは,

心理的な中心であり,ほとんどの芸術作品は直接的な幻覚を発見するための回り道 でしかない.重要なのは,ピカソが想像力における退行的な傾向には与していない ことだ.なぜなら彼のタブローが表す心理的要素は,いまだになにものにも順応し ていないし,その速度は,生物学的な保守主義をはるかに追い越しているからであ る.

『ドキュマン』第

1

号,

1929

年,

35

38

(Carl Einstein, « Pablo Picasso, quelques tableaux de 1928 » , Documents, n° 1, 1929, pp. 35-38.)

1

)

唯一の例外は,

1961

年に雑誌『メディアシオン』

(Médiations)

に掲載され た『黒人彫刻』の仏訳である

(«La sculpture nègre», traduit par Jacques Matthey-Doret, Médiations, n° 3, Paris, 1961, pp. 93-114)

2

)

『全集』は,版元が替わったこともあって,未だに完結していない(版元は,

当初はメドゥーザ

(Medusa)

であったが,

1992

年の第

4

巻からファンナイ&

ヴァルツ

(Fannei & Walz)

に替わっている).フランスにおける関連文献につ いては,以下の注,ならびに本論末尾の「参考文献」の頁において言及した.

3

)

この小説の邦訳は二つ存在する.土肥美夫訳「ベビュカン ―― あるいは奇蹟 のディレッタントたち」(前田敬作他訳『表現主義の芸術』河出書房新社,

1971

年)と鈴木芳子訳・解説『ベビュカン,あるいは奇蹟のディレッタント たち』(未知谷,

2003

年)である.

『ベビュカン』は,

1906

年から

1909

年にかけて執筆された.ドイツでは,

1907

年に雑誌『ディ・オパール』

(Die Opale)

1

4

章が部分掲載された後,

(18)

1912

年に『ディ・アクツィオーン』

(Die Aktion)

誌に連載され,同年

12

月に 出版される

(Bebuquin oder die Dilettanten des Wunders, Verlag Die Aktion, Berlin-Wilmersdorf, 1912)

.改訂版が

1917

年に出ている.フランスでは,

1918

年以後,何度か雑誌に部分訳が掲載されている.

1922

4

10

日付の アインシュタインの書簡によれば,ブレーズ・サンドラール

(Blaise Cendrars,

1887-1961)

が仏訳する予定だったが,実現していない.また,

30

年代に,ク

ララ・マルロー

(Clara Malraux, 1897-1982)

(アンドレの妻)が,アインシ ュタインと共に仏訳を試みるが,草稿を紛失,出版には至っていない

(cf. Carl Einstein, Daniel-Henry Kahnweiler, Correspondance

1921

-

1939

, André Dimanche, Marseille, 1993, p. 24)

.フランス語全訳は,

1987

年になって初 めて出ている

(Bébuquin ou les dilettantes du miracle, traduction et postface par Sabine Wolf, Samuel Tastet, Paris, 1987)

.同訳書は,

2000

年に別の出 版社レ・プレス・デュ・レエル

(Les presses du réel)

から復刊されている.

4

)

アインシュタインは,ドイツ語とフランス語で執筆しており,今回訳出したテ クストはフランス語で書かれている.彼は,書簡やフランスで発表したいくつ かのテクストをフランス語で執筆したが,当然のように,大部分のテクストを ドイツ語で執筆している.しかし本拙論の執筆に際しては,残念ながらドイツ 語テクストを参照していない.筆者の能力不足ゆえである.そのため,ここで の紹介は,不完全という謗りを免れないだろう.以下に挙げる書誌情報にも,

ドイツ語文献はほとんど含めなかった.おもにフランス語と日本語のものに言 及する.読者の寛恕を請いたい.

5

) Die Kunst des

20

. Jahrhunderts, Propylaen Kunstgeschichte Band 16, Propyläen, Berlin, 1926.

改稿された第

2

版が

1928

年,第

3

版が

1931

年 に出ている.

1931

年版からのフランス語部分訳が存在する

(« Aspects de la théorie de l’art de Carl Einstein », textes traduits et commentés par Liliane Meffre, Cahiers du Musée national d’art moderne, n° 1, juillet- septembre 1979, pp. 14-39)

.この本については,ウヴェ・フレックナー「カ ール・アインシュタインとその一部の読者,国家社会主義(ナチス)における

20

世紀の芸術』の受容について」池田祐子翻訳・解題(『西洋美術研究』第

6

号,

2001

10

10

日,

94

109

ページ)も参照.

6

)

アインシュタインとカーンワイラーが交わした書簡が,フランスで出版されて いる.

cf. Carl Einstein, Daniel-Henry Kahnweiler, Correspondance

1921

-

1939

, op. cit.

7

)

しかし,読みやすいフランス語に直すために,時にはレリスとバタイユが手を 入れたという.

cf. Carl Einstein, Ethnologie de l’art moderne, André

Dimanche, Marseille, 1993, p. 7.

(19)

8

)

レリスの妻ルイーズ(別名ゼット

(Zette)

)は,

D

H

・カーンワイラーの妻

リュスィ

(Lucie)

の妹とされていたが,実際は娘である.アインシュタインは,

カーンワイラーに宛てた

1926

4

26

日付けの書簡で,すでにミシェル・

レリスとゼットの名に言及している

(cf. Carl Einstein, Daniel-Henry Kahnweiler, Correspondance

1921

-

1939

, op. cit., p. 73)

.アインシュタイン とレリスの関係は,『ドキュマン』廃刊後も続いた.また,リリアーヌ・メッフ ルによると,バタイユをアインシュタインに紹介したのは,レリスである

(cf.

ibid., p. 105)

9

)

アインシュタインがカーンワイラーに宛てた

1926

4

26

日付けの書簡 を参照.

cf. Carl Einstein, Daniel-Henry Kahnweiler, Correspondance

1921

-

1939

, op. cit., p. 71.

10

)

バタイユは,

1954

年頃に書かれたと思しきテクストで,『ドキュマン』の正 式な編集長であったアインシュタインと自分が対立していたと回想している.

cf. Georges Bataille, Œuvres complètes, tome XI, Gallimard, Paris, 1988,

p. 572.

また,

1958

年に書かれたとされる「自伝ノート」においては,自分

自身が,『ドキュマン』の〈編集長〉を,〈カール・アインシュタインによる概 ね理論的な指導の下で〉務めたと記している.

cf. Georges Bataille, « Notice autobiographique », Œuvres complètes, tome VII, Gallimard, Paris, 1976, p.

460.

コナー・ジョイスは,『『ドキュマン』におけるカール・アインシュタイン』

において,アインシュタインとバタイユの対立関係が,同誌の全体に渡って潜在 的に現れていることを,緻密に立証している

(cf. Conor Joyce, Carl Einstein in Documents and his collaboration with Georges Bataille, Xlibris Corporation, 2003)

11

)

アインシュタインの人脈と『ドキュマン』の関係については,以下の研究を参 照されたい.

cf. Liliane Meffre, Carl Einstein

1885

-

1940

, Itinéraires d’une pensée moderne, Presses de l’Université de Paris-Sorbonne, Paris, 2002, pp.

238-242. Conor Joyce, Carl Einstein in Documents, op. cit., pp. 32-43.

12

) Carl Einstein, Negerplastik,Verlag der Weissen Bücher, Leipzig, 1915.

フ ランスでは,第

1

章が,

1921

年に雑誌『アクシオン』

(Action, 1920-1922)

に掲載されている.

1998

年に,新しい仏訳が,図版とドイツ語原文を収録し た形で出ている

(La sculpture nègre, traduction et introduction de Liliane

Meffre, L’Harmattan, Paris, 1998)

.図版には,アフリカ彫刻のみならず,オ セアニアの彫刻なども含まれているが,それは,当時その厳密な区別がなされ ていなかったことに原因がある.また,邦訳も存在する(桐島敬子編訳『アフ リカの彫刻』前掲書,ならびに鈴木芳子訳・解説『黒人彫刻』前掲書). 13

) Afrikanische Plastik, Orbis Pictus Band 7, Wasmuth Verlag, Berlin,

(20)

1921.

仏訳は,

1922

年に,まず第一部が,訳者無記名で,雑誌『アクシオン』

に「黒人芸術について」という題で掲載され

(« De l’art nègre », Action, Mars-Avril, 1922, pp. 47-56)

,その後に,おそらく別の訳者の翻訳書が同年 に上梓されている

(La sculpture africaine, traduction de Thèrese et Raymond Burgard, G. Crès, Paris, 1922)

14

)

民族誌学的研究としては,アフリカ旅行記も執筆したドイツ人博物学者ゲオル ク・シュヴァインフルトゥ

(Georg Schweinfurth, 1836-1925)

の『アフリカ の芸術』

(Artes Africanae, 1875)

や,レオ・フロベニウス

(Leo Frobenius, 1873-1938)

の『アフリカの仮面と秘密結社』

(Die Masken und Geheimbün

Afrikas, 1898)

などが,アインシュタインに先駆けている.また,アインシュ

タインが『黒人彫刻』を執筆したのと同じ時期である

1913

14

年に,ウラジ ミール・マルコフ

(Vladimir Markov)

(ラトビアの画家ウラジミール・マトヴ ェイ

(Vladimir Matvei)

の筆名)も,『黒人の芸術』

(Iskusstvo Negrov)

を執筆 している(出版は,

14

年に作者が死亡したために,

19

年になった).フランス におけるポール・ギヨーム

(Paul Guillaume, 1893-1934)

の図版集『黒人彫 刻』

(Sculptures nègres)

は,

1917

年のものである(ギヨーム・アポリネール

(Guillaume Apollinaire, 1880-1918)

の序文付き).

cf. Ezio Bassani, « Les œuvres illustrées dans Negerplastik (1915) et dans Afrikanische Plastik (1921) » , Études Germaniques, « Carl Einstein », n° 1, janvier-mars 1998, pp. 100-101.

ちなみにポール・ギヨームは,遅くとも

1920

年にはアインシュ タインと知り合っている.アインシュタインは,モイーズ・キスリング宛の

1920

年の書簡で,ギヨームからの手紙を受け取ったことに言及している

(cf. « Lettres de Carl Einstein à Moïse Kisling (1920-1924) », Les Cahiers du Musée national d’art moderne, n° 62, hiver 1997, p. 80)

.また,レオ・フロ ベニウスは,おそらくアインシュタインを介して,後に『ドキュマン』に寄稿 している.

以上述べたようなアフリカ彫刻の受容史については,ウィリアム・ルービン

( W i l l i a m R u b i n )

編 『

2 0

世 紀 美 術 に お け る プ リ ミ テ ィ ヴ ィ ズ ム 』

(“Primitivism” in

20

th Century Art, The Museum of Modern Art, New York, 1984)

に収録されたジャン・ルイ=ポドラ

( Jean-Louis Paudrat)

の論文

「アフリカから」

(« From Africa »)

が詳しい(吉田憲司他監修『

20

世紀美術に おけるプリミティヴィズム――「部族的」なるものと「モダン」なるものとの 類縁性』淡交社,

1995

年,

125

175

頁).

15

)

この難解な大著は,ドイツ語で執筆されたが,本国ドイツでは出版されず,

1934

年にフランス語訳のみが出ていた

(Georges Braque, traduction de M.

E. Zipruth, Éditions Des Chroniques du Jour, Paris, Zwemmer, Londres,

(21)

Weyhe, New York, 1934)

.ただし,その仏訳とドイツ語原稿(加筆がなされ ている)の間にはかなりの相違がある上,翻訳の精度にも問題があるという.

ドイツ語テクストは,

1985

年になって初めて出版された(『全集』第

3

巻所収). また,

2003

年に,ドイツ語原稿を底本にした新しいフランス語訳が,ベルギー で出版されたので,そちらを参照されたい(ただし

1934

年版の巻末に掲載さ れた図版は削除されている)

(Carl Einstein, Georges Braques, Publié sous la direction de Liliane Meffre, Traduction de Jean-Loup Korzilius, La Part de l’Œil, Bruxelles, 2003)

.以下の論述において,われわれが参照するのは,

この

2003

年の仏訳である.

16

)

これらの概念は,アインシュタインのキュビスム論のいたるところに現れるが,

とくに『ジョルジュ・ブラック』を参照.

cf. ibid., pp.98-99, pp. 104-113.

17

)

「構築的形態」については,特に『ジョルジュ・ブラック』仏訳の

pp. 108- 113

を参照.

18

)

アインシュタインが用いるこの概念の,ドイツにおける文脈については,『ジ ョルジュ・ブラック』の新訳に付されたリリアーヌ・メッフルによる注を参照

(cf. ibid., p. 105)

.また,コナー・ジョイスは,アインシュタイン論で,この 用語について詳しく論じている

(Conor Joyce, Carl Einstein in Documents, op.

cit., pp. 279-296)

.ジョイスによれば,アインシュタインは,ヴェルフリンよ

りもむしろアロイス・リーグルの影響下で「構築的」という用語を用いている.

この用語が持つこうした背景は,おそらく当時のフランスにおいては,ほとん ど理解されていなかっと考えられる.ヴェルフリンやヴォリンガーといったド イツ語圏研究者の仕事そのものが,当時のフランスにおいては,一般的には知 られていなかったからである.

①ピカソ『アトリエ』(

1928

年)

②『人物』(

1912

年)

(22)

③『室内』(

1928

年)

⑧『頭部』(

1912

年)

⑦『頭部』(

1912

年)

④『画家とモデル』(

1928

年)

⑤『人物』(

1928

年) ⑥『人物』(

1928

年)

(23)

⑩『頭部』(

1912

年)

⑨『頭部』(

1914

年)

(24)

19

)

『ジョルジュ・ブラック』におけるこの用語の歴史的定義については,仏訳の

p. 109

を参照.ウィルヘルム・ヴォリンガーの公式については,『抽象と感情移

入――東洋芸術と西洋芸術――』

(Abstraktion und Einfühlung, 1921)

(草薙 正夫訳,岩波文庫,

1953

年)や『ゴシック美術形式論』

(Formprobleme der Gotik, 1911)

(中野勇訳,岩崎美術社,

1968

年)などを参照.

20

)

「幻覚」については,「ピカソ」

(« Picasso », 1930)

(『ドキュマン』

1930

年第

3

号掲載)や,特に『ジョルジュ・ブラック』第

7

章の全体を参照.

21

)

「ロマン主義的」という時にアインシュタインが考えているのは,ドイツ・ロ マン主義の文学や思想であり,フリードリッヒ

(Caspar David Friedrich,

1774-1840)

などの絵画のことではない.また彼は,アンドレ・マッソン,ホ

アン・ミロ

( Joan Miró, 1893-1983)

,ガストン=ルイ・ルー

(Gaston-Louis Roux, 1904-1988)

といった画家たちを「ロマン主義世代」と呼んでいる

(cf.

Liliane Meffre, Carl Einstein et la prblématique des avant-gardes dans les arts plastiques, Peter Lang, Berne, Francfort-s. Main, New York, Paris, 1989, p. 81)

22

)

彼は,アナルコ・サンディカリスト(労働国民同盟=イベリア半島アナーキス ト連合

(CNT-FAI)

)を支持し,ドゥルティ

(Buenaventura Durruti Dumange, 1896-1936)

の部隊に参加する.

23

) cf. Carl Einstein, Georges Braque, op. cit., pp. 39, 149, 151 et passim.

また,おそらくアインシュタインの用語法にも揺れがある.今回訳出した「パ ブロ・ピカソ……」においては,「太古性」や「退行」という語彙は,否定的に 用いられている.

24

)

古代エジプトで精神的存在を意味し「自己の分身」を指していた.

25

)

このテクストと共に,ピカソの絵が図版として併載され,そこには制作年度が 付記されているが,その中に

1911

年のものはない.掲載されたタブローは以 下の通り.『アトリエ』

(Atelier, 1928)

(図①),『人物』

(Figure, 1912)

(図②),

『室内』

(Intérieur, 1928)

(図③),『画家とモデル』

(Le peintre et son modèle, 1928)

(図④)とその部分の拡大図

3

枚,『人物』

(Figure, 1928)

(図⑤),『人 物』

(Figure, 1928)

(図⑥),『頭部』

(Tête, 1912)

(図⑦),『頭部』

(Tête, 1912)

(図⑧),『頭部』

(Tête, 1912)

(図⑨),『頭部』

(Tête, 1914)

(図⑩). 26

)

掲載順に従えば,『アトリエ』①,『人物』②,『室内』③であるが,おそらく

2

番目の『人物』は含まれず,

4

番目の『画家とモデル』④が

3

枚目であると 考えられる.『人物』(

1912

年)を除く

3

枚が

1928

年の制作であり,アインシ ュタインのこの論考の題名が「

1928

年のいくつかのタブロー」であることから 考えて,その組み合わせが妥当であると推測される.

27

) 5

枚目と

6

枚目の『人物』(⑤と⑥)を指すと思われる.

参照

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