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微生物学講義

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Academic year: 2021

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(1)

病原微生物学の歴史

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衛生学と感染症学の誕生

古代には、感染症は他の天災と同様に一種 の神罰と考えられていた。 身分や人種などには無関係に、また一カ所に 集中して蔓延し、それがときには信仰を異に する複数の国にわたって発生することから、こ の考えは次第に否定されていった。 そして紀元前4世紀頃、【 】により ミアズマ説(瘴気説)と呼ばれる説が提唱され た。 ヒポクラテス

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Hippocrates (460 - 377BC)

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ミアズマ説(Miazuma Theory)

何らかの原因によって汚染された空気(瘴気、ミアズ マ)に、ヒトが触れることによって病気になるという説。 「瘴気」の存在は19世紀以降に否定されたが、「外因 性の原因物質によって病気が発生する」という病原 体の基礎概念が初めて提唱されたことは、医学上の 重要な転機となった。 この古くからの考え方は、長い間信じられ、現在でも 【 】(イタリア語で「悪い空気」を意味する mal ariaに由来)、 【 】 (天体の運行や 寒気によって「影響される」という意に由来)などの病 名にその名残りが見られる。 マラリア インフルエンザ

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コンタギオン説 (Contagion Theory)

14~16世紀にかけて、天然痘、ペスト、梅毒などが ヨーロッパで大流行すると、これらにかかった患者の 移動に伴って感染が拡大することから、瘴気では説明 のつかない「病気を媒介する何か」の存在が漠然と認 識されるようになった。 1546年、フラカストロはこの考えをさらに押しすすめて、 コンタギオン説(接触伝染説)を提唱した。 この中で彼は、生きた【 】(contagium vivim, contagium animatum)との接触によってヒトが発病し、 さらにこれらが他のヒトに伝達されて広まるという考え を示した。 伝染性生物

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Girolamo Fracastoro (1478-1553)

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伝染の様式も予言

さらに、フラカストロはこの伝染の様式を、 (1) 患者との直接接触によるもの、 (2) 何らかの媒介物を経るもの、 (3) 離れた患者から伝染する(空気感染する)もの、 の3つに分類して伝染病が広まるメカニズムを説明し た。 この説は、病原体の本体が【 】であることを示す ばかりでなく、その伝染についても的確に予言したも のであった。 生物

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論争の継続

現代の観点からは、ミアズマ説ではなくコンタギオン 説の方が真相に近いことが判明しているが、当時は このフラカストロの説についても、科学的に証明する ことはできなかった。 このため、ミアズマ説とコンタギオン説は多くの論争 を起こしながらも、互いに決め手となる証明がないま ま、ともに単なる【 】として扱われた。 当時の人々は、やがて病気の種類によってミアズマ が原因になる場合とコンタギオンが原因になる場合 の両方があるものと考えるようになった。 仮説

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細菌学・微生物学の誕生

一方、この医学的な流れとはまったく独立に、 17世紀にロバート・フックやレーウェンフックが 顕微鏡を改良して、さまざまな微生物を発見し、 細菌学(微生物学)という学問分野が開拓され た。 ただし当時の細菌学は【 】な研究を中 心としたものであり、これらの微生物が、人間の 生活と何らかのかかわりを持つとは、全く考え られなかったようである。 博物学的

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Robert Hooke(1635-1703)

微生物を顕微鏡で見た最初の人物 1665年頃、あまり精密ではない顕微鏡により、 植物の【 】構造をみた。 また、カビを観察し、スケッチしている。 しかしながら、彼のレンズの性能が乏しかった ため、 【 】を見ることはできなかった。 細胞 細菌

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Anton Van Leeuwenhoek

(1632-1723)

1684 【 】の発見

レーベンフックは、自分の作った一枚の

レンズからなる単眼顕微鏡、いわば虫

眼鏡にすぎないが、これで未だ人類が

見たことのない細菌を観察した。

そして、その形をスケッチして

【 】

に投稿した。

細菌

学会

Phil.Trans.Roy.Soc.

London(1684)

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18世紀の終わり頃には、微生物学の進展に 伴って、既に伝染病患者の病理組織や血液、 糞便などに特定の【 】が存在するという 知見が積み重ねられ、コンタギオン説を支持し ていた医学研究者にとって重要な論拠になっ ていた。 しかしながら、当時はまだ細菌を【 】して純 粋培養するための技術が確立していなかった ため、ミアズマ説支持者の反論をかわすことが できず、決定的な証明には至らなかった。

論争の継続

微生物 分離

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パスツールの細菌説

19世紀になって、ルイ・パスツールは細菌の液体培 養法を確立し、細菌学の進展に大きく貢献した。 彼は医学ではなく醸造学から発酵の研究に携わり、 そこから【 】の検証へと進んでいった。 さらにこの細菌の知識を医学の方向にも発展させ、 微生物が作り出す【 】物質が一種の毒素としてヒ トに作用し、病気が発生するという説を唱えた。 そして、空気中の埃には微生物が多数いること、そ れらの中にはどんな危険なものが含まれているかも しれないとの懸念を発表した。 自然発生説 腐敗

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Louise Pasteur (1822-1895)

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生物自然発生説について

Spontaneous Generation

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Pasteur’s Swan Neck Flask フォトサイエンス 生物図録より

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このパスツールの考えはコンタギオン説を支 持するものであり、細菌こそがコンタギオン説 に言う「生きた伝染性生物」の本体であるとい う新しい概念(細菌説)を示した。 同時に、腐敗という現象を明らかにし、その病 原性のメカニズムをも説明しようとするもので あった。 しかしながら、パスツールの液体培養法では 複数の細菌が混じった状態での培養しかでき ず、病原菌を単独で分離し【 】すること ができなかったため、これもまた病原体を実験 的に証明したことにはならなかった。 純培養

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ペッテンコーフェルの環境説

パスツールによる腐敗現象の発見は、決定的 な証明にこそならなかったがコンタギオン説に とって大きな支えになった。 しかしこれに対して、マックス・フォン・ペッテン コーフェルは、従来のミアズマ説にパスツール の発見を取り入れた環境説という新しい概念を 提唱して反論した。 ペッテンコーフェルは【 】の整備によって さまざまな疫病の発生を食い止めたという実績 から、環境(特に土壌)汚染との関連が説明し やすいミアズマ説を支持していた。 下水道

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Max von Pettenkofer (1818-1901)

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両説の比較

細菌説 環境説

(1)細菌がヒトに感染 (2)ヒトの【 】で腐敗物 質を作り出す (3)その腐敗物質が毒素 になり発病する (1)ヒト体内の細菌(これは そのままでは病原性を 持たない)が排泄されて 土壌や水を汚染 (2)汚染した細菌が土中や 水中で【 】して腐敗 物質を作り出す (3)その腐敗物質がミアズ マとしてヒトに作用して 発病させる 体内 増殖

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コッホによる実験的証明

パスツールにやや遅れて、ドイツのロベルト・コッホが 医学の分野から、病原体としての細菌の研究を開始 した。 コッホは切ったジャガイモの断面に生えたカビをヒント に、液体培地を【 】などで固めた固体培地を発 明して細菌の固体培養法を確立した。 固体培養法では液体培養法とは異なり、病原菌と他 の他種類の細菌が混じり合った中から、それぞれを 独立した別々のコロニーとして分離し、 【 】を 行うことが可能となった。 これにより目的とする細菌について、個別にその病原 性等の性状を研究することが可能になった。 ゼラチン 純培養

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Robert Koch (1843-1910)

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コッホは、この手法により、学生時代の恩師で あったヤコブ・ヘンレが提唱した、病原体を証明 するのに必要な原則(ヘンレの原則、コッホの 原則の1-3に対応)に従い、細菌説の証明に取 り組んだ。 そして1876年に、炭疽にかかった動物から分離 した炭疽菌が、この原則を満たすことを示した。 また、実験的に【 】動物の体内から 炭疽菌が分離できることも証明し(コッホの原則 の第4条件)、細菌説が科学的に正しいこと立 証した。 感染させた

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コッホの4原則の完成

さらにコッホは1882年に、ヒト結核の病原体と して結核菌を分離し、ヒトの病気についても細 菌説が正しいことを実験的に証明し、同時に4 条件からなるコッホの原則を公表した。 これを受けて、医学研究者らの関心が一気に 細菌学に向けられることになり、20世紀の当 初までに、主要な伝染病の病原体が発見され ていった。

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Koch の4原則

ある微生物が特定の【 】 であると するための条件 1.ある特定の感染症にかかった個体の病変 から特定の微生物が常に見いだされる。 2.その微生物は、感染個体から純粋に分離培 養される。 3.その純培養は、感受性宿主(実験動物)へ 接種されると同一の感染症をおこす。 4.その感染した動物から再び同一の微生物 が分離される。 病気の原因

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ペッテンコ-フェルの反論

一方、環境説を支持していたペッテンコーフェ ルは、コレラの病原体が細菌であるとする説に 異を唱えて、1892年に【 】を自ら飲む 自己実験を行い、自説の正しさを証明しようと した。 この結果、ペッテンコーファー自身は激しい下 痢を起こしたが、コレラの主症状である【 】 症状を起こさなかったため、細菌説に対して反 論することができた。 コレラ菌 脱水

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論争の決着

しかしその後、他の研究者による追試が行わ れ、発病するかどうかは病原菌の【 】と宿 主の【 】のバランスによってが決まるこ とが最終的に明らかにされ、長く続いた環境 説やミアズマ説との論争にようやく決着がつ けられた。 毒性 抵抗力

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主な病原細菌の発見者

オーベルマイヤー(Obermeier ):  回帰熱ボレリア(1868年) コッホ(Koch):  炭疽菌が炭疽の原因であることを確定(1876年)  結核菌(1882年)  コレラ菌(1883年) *コレラ菌の発見者はパッチィニ(Pacini)(1854年) ベーリング(Behring)と北里柴三郎 :  ジフテリア菌(1883年)  破傷風菌(嫌気培養法の確立も)(1889年) 北里柴三郎:  ペスト菌(1894年) 志賀 潔 :  赤痢菌(1897年)

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Filippo Pacini (1812-1883)

イタリアの内科医、解剖学者。 1854年、最初にコレラ菌を発 見した。 コレラで死んだ患者の小腸 粘液にユニークなコンマ形 の菌を顕微鏡で見つけた。 当時学会はこれを無視した。 1965年、細菌学会によって 認められ、コレラ菌の正式学 名として Vibrio chorelae Pacini,1854と命名された。

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Robert Koch (1843-1910)

1876 【 】 の分離 1881 【 】による純粋培養法確立 1882 結核菌の分離 1883 コレラ菌の分離 1884 コッホの【 】発表 1890 ツベルクリンの開発 炭疽菌 4原則 固形培地

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北里柴三郎

(1853-1931) 1889 【 】菌の分離 1890 ジフテリアおよび 破傷風の抗毒素血 清療法の確立。 (Behringと) 1894 【 】菌の分離。 (Yersinと) 破傷風 ペスト

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志賀 潔

(1871-1957)

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細菌以外の病原体の発見

発見の経緯から、19世紀には病原体はすべ て細菌であると考えられていた。 その後、微生物学の発展に伴ってその分類 が進み、真正細菌だけでなく菌類や原生生物 にも、宿主に病気を起こす性質(病原性)を持 つものが見つかった。 ロツシュ(Loesch ):  赤痢アメーバの発見(1875)

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ウイルスの発見

また細菌を取り除くことが可能な素焼き陶器 製の濾過器を通過しても病原性が残る濾過 性病原体として、ウイルスが発見された。

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イワノフスキー(Iwanowsky 1892):  タバコモザイク病の病原体が細菌濾過器を通過 する微小なものであることを報告した。  この報告は,病原因子が毒素蛋白のようなもので, 増殖能を有する生物とは考えなかった。 レフレル(Loeffler)とフロシュ(Frosch):  ウシの口蹄疫の病原に関する研究委員会報告 (1898)で,細菌濾過器で濾過した水疱内容液中 に,細菌より小さな生物が存在することを多角的 に検討し推論した。 ベイエリンク(Beijerink 1899):  タバコモザイク病の原因として,可溶性微生物 (Contagium vivum fluidum;液性の生きた伝染源) の存在を報告した。

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ウイルス増殖法の開発

その後この種の病原体が続々と見出される 一方,ウイルスの増殖にも成功し現代ウイ ルス学の発展のみならず,遺伝学,分子生 物学の発展の基礎となった.

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1948

アール(W.Earle )&ゲイ(G.O.Gey)

培養細胞株(L細胞:マウス線維芽細胞)の 樹立に成功。

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1952

ゲイ(G.O.Gey)

ヒト子宮頸部癌細胞 (HeLa細胞)の培養細 胞株樹立。 1951年冬、Johnes Hopkins 大学病院に入院し 8ヶ月後に子宮がんの転移で亡くなった31歳の 女性 Henrietta Lacks から組織診断のために 取られた癌の一部が培養され、現在も世界中 の研究機関等で生き続けている。

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1949

エンダース(Enders,J.F. 1949)ら

培養細胞でのポリオウイルスの増殖培養 に成功。

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感染症対策の歴史

紀元前400年頃のペロポネソス戦史の中に,ギリシア のアテネに流行した疫病(伝染病)に関する記述があ り,疫病耐過者は同じ疫病に二度と罹らないことが述 べられている。 このように,古代から,伝染病耐過者が抵抗性を獲 得する現象について経験的に知られていたが、これ を感染予防に応用したのがジェンナーの【 】であ る。 種痘

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Edward Jenner (1749-1823)

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Edward Jenner (1749-1823)

牛痘に罹ったウシと接触した牧童や乳しぼり 女が,手指に軽い痘疹と腋窩リンパ節の腫脹, 倦怠感,頭痛を覚えるのみで,数日で症状は 消退し,その後は【 】(痘瘡)に罹らな いことを16例について詳細に観察した。 そこでジェンナーは8歳の少年に牛痘の痘疱 内容液を接種し,翌年,痘瘡患者から採取し た痘瘡内容液を腕に接種したが,なんらの症 状も現さなかった。 天然痘

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Smallpox

Semiconfluent Type

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予防接種の実用化

この観察・実験結果は1798年に発表されたが、 その機構についての理解がなかったので、応 用は出来なかった。 後年、この成果は【 】に受け継がれ, 各種の病原体の発見と相俟って,19世紀後 半には伝染病に対する予防法としての死菌, 弱毒生菌ワクチンの開発へと発展した. パスツール

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Louise Pasteur (1822-1895)

1857 乳酸菌の発見 1861 生物【 】の否定 1861 酪酸菌の発見 1867 Pasteurization の確立 1881 【 】ワクチンの開発 1885 狂犬病ワクチンの開発 自然発生説 炭疽

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予防接種

パスツールによる【 】の開発が最初で ある。 これは、まず弱毒化させた病原体を接種して、動物体 に免疫をつけさせるという理論的裏付けあり、応用が 可能であった。 彼はその後、狂犬病やニワトリコレラのワクチンも開発 した。 この技術によって多くの伝染病に対して予防接種で対 抗することが可能となった。 また、北里らによる血清療法は、この原理に基づきな がら、 【 】にまで応用の幅を広げたものである。 炭疽菌ワクチン 治療

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消毒法

ワクチンは人間の生体防御の機構を利用した ものであるが、これに対して病原体を直接に攻 撃対象とする最初の方法は、リスター(Lister) の【 】による消毒法(1867年)である。 これは手術等の際の細菌感染による敗血症な どの発生を抑えるのに大きな効果があった。 石炭酸

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Joseph Lister (1827-1912)

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Operation using Lister's carbolic spray invented in 1869

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化学療法剤・抗生物質の発見

1912年、エールリッヒ(Ehrlich)は、秦佐八郎と共同 で最初の化学療法剤である【 】治療薬サルバル サンを開発した。 1929年にアレクサンダー・フレミングは、アオカビの 一種が細菌の生育を阻害するのを観察し、その原 因の化学物質を取り出し、これを【 】と名 付けた(最初の抗生物質である)。 この物質は特にグラム陽性菌に強い効果を示した。 これに刺激を受け、微生物の産生する抗菌性の物 質探しが行われるようになり、放線菌からワックスマ ンが発見した【 】を始め、多くの抗 生物質が発見、使用されるようになった。 梅毒 ペニシリン ストレプトマイシン

(74)

Paul Ehrlich (1854-1915) 1912 秦佐八郎と共同 で梅毒治療薬 サルバルサンを 開発 これは世界初の化学 療法剤であった。

(75)

Alexander Fleming (1881-1955)

1929 最初の抗生物質 を発見 ペニシリン

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1.細菌を発見したのは誰か

① ジェンナー

② レーベンフック ③ パスツール

(79)

2.初めて炭疽ワクチンを開発したのは

誰か。

① パスツール ② コッホ ③ メチニコフ ④ エールリッヒ

(80)

3.志賀 潔が分離した病原体はどれか。

① ペスト菌

② 病原性大腸菌 ③ 赤痢菌

(81)

4.生物の自然発生説を完全否定した

のは誰か。

① ジェンナー ② レーベンフック ③ パスツール ④ コッホ

(82)

5.北里柴三郎が分離した病原体は

どれか。

① ペスト菌 ② コレラ菌 ③ 赤痢菌 ④ 梅毒スピロヘータ

参照

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