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特集 : 今日における教育経営学の意義と課題 学校経営の自律性確立課題 と公教育経営学 京都教育大学堀内 孜 1 課題設定 本特集が, 今期の紀要編集委員会が担当する3 巻を通じて設定したテーマ 教育経営概念及び研究の有効性と限界 の下で, 今日における教育経営学の意義と課題 を問うものであり, 本

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特集 今日における教育経営学の

意義と課題

教育経営概念及び

研究の有効性と限界⑶

学校経営の自律性確立課題と公教育経営学 堀内  孜 学校の組織と経営をめぐる改革と教育経営学 竺沙 知章 「地域教育経営」論の再検討課題と教育経営学 北神 正行 教育課程経営論の到達点と教育経営学の研究課題 植田 健男 教育行政研究の今日的課題から学校経営研究を考える  小川 正人

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学校経営の自律性確立課題

と公教育経営学

京都教育大学 

堀内  孜

● 特集:今日における教育経営学の意義と課題

1 課題設定

 本特集が,今期の紀要編集委員会が担当する3巻を通じて設定したテーマ 「教育経営概念及び研究の有効性と限界」の下で,「今日における教育経営学の 意義と課題」を問うものであり,本紀要第49号の「教育経営をめぐる環境変 動」,第50号の「教育経営概念の今日的検討」を受けるものとなっている。  各期の編集委員会は独立してそのテーマを設定しているが,第46号から第48 号までを担当した前委員会が設定したテーマは「教育改革と学校経営の構造転 換」であり,その3巻のテーマは,「学校の自律性確立条件と公教育の在り方」 (46号),「自律的学校経営を担う学校経営者の在り方」(47号),「学校経営の自 律化に向けた評価と参加の在り方」(48号)となっている。  前期と今期の特集テーマは,一対の関係において捉えられる。前期のテーマ は,教育改革の展開によって変容しつつある学校とその経営をどのように対象 化できるのかを問うものであり,学校経営研究における客体的状況の在り方を 課題としている。これに対して今期は,同じ状況下において教育経営研究の在 り方を問うという主体的な課題設定となっている。ここには共通するキーワー ドとして「学校経営の自律性」があり(1),単に研究主体の主観や思いとして ではなく,制度実体からする「教育経営」と「学校経営」の概念上の意義,有 用性を検討することの必要性が含意されている。  こうしたテーマ設定の背景として現在に至る地方分権改革の進展があり,そ れが公教育経営システムにおける学校経営の枠組みを変え,学校の経営的自律 性の実体をいかに確立するかが課題とされてきた。そしてこのことが,地教行

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学校経営の自律性確立課題と公教育経営学 法体制下においてその理念的枠組みと制度的枠組みとが錯綜し乖離してきた教 育経営や学校経営の概念の再検討を迫ることとなったのである。筆者が担当す る本小論は,こうした文脈の上で次の2点を課題とする。  第一は,学校経営の自律性がどのような状況において課題とされ,いかなる 条件の下で何がどこまで可能となるかの検討である。第二には学校経営の自律 性が制度実体を伴わないことから,「単位学校経営」 に対する「教育経営」概 念の設定がなされたとすれば,現下の状況において両者の整理をどのようにし, 教育組織体経営の制度実体からする概念設定をいかにすべきか,である。

2 国民形成課題の変容と公教育システムの転換

 筆者は「公教育」を「国家(公権力)による国民形成」と定義しているが(2) 19世紀後半に日本を含む主要国において成立した公教育制度が国民社会を基盤 とし,その確立強化を課題とする限りにおいて,この定義は今日に至るまで普 遍的たりうる。だが19世紀的な国民国家は二度の世界大戦を経て,また戦後の 東西対立が瓦解することによって大きく変容し,国民国家の枠組みを維持しな がらも政治的,経済的,軍事的に多様な結合関係を相互に取り結んでいる。こ のことから,個別内国的に設定されてきたその国民形成課題も「国際的」な共 通性,普遍性を基盤とすることが求められるようになってきた(それは「総合 的な学習」で「国際」「環境」「人権」「福祉」が例示的領域とされたように, 「環境」や「人権」等と関わることなく国民形成課題を設定することができな いことを示している。)。  日本の国民社会が,その領土や民族,言語,宗教において国際社会の中で極 めて特異な存在たることは確かであり,その国民社会の枠組みを強固に維持し てきたことも確かであるが,後発資本主義国としての近代化過程を辿ることに おいて西欧近代的な市民社会を基盤とすることはできなかった。このことは, 明治期―戦前においては天皇制の確立に向けた国民意識の形成と「富国強兵」 を担う労働能力の均質化,高度化を,戦後においては戦後改革期の一時期を除 いて,経済発展に向けた人的能力の形成と配置を国家が直接に目的設定するこ とによって,効率的に遂行してきたことを意味している。つまり,国家が明確 な国民形成課題を設定し,一定の強権的措置を伴ってその実現を図るシステム として,公教育経営が成り立ってきたが,それは国民個々人がその生活の維 持・向上から設定する教育を通じた自己実現課題を集約するものではなかった。

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大正期北海道における庁立中等学校

整備政策

―設立方法の転換に注目して―

筑波大学 

大 谷  奨

《研究論文》

はじめに

 大正半ば,原敬内閣のもと政府は高等教育機関の拡張に着手した。これに伴 い,それまで進学先である上級学校の不在を理由として中等教育機関の拡充に 消極的だった文部省は,「最近に於いて高等学校拡張をやつた故に此際府県に 在つては中等教育の拡張を」とその方向を転換させる(1)。本稿で検討の対象 とする北海道でも,大正に入ってから散発的な設立にとどまっていた北海道庁 立(以下,庁立)中等学校は,1921年以降の5年間で一気に18校増設されてい る。本稿はこの時期の北海道会(以下,道会)とその周辺における議論をもと に,増設の際における設立方法に関心を寄せながら,大正後年の北海道におけ る庁立中等学校の整備政策を検討しその特質を指摘しようとするものである。  道庁府県立中等学校の整備に際しては,常にその新設経費が問題とされ,た いていは地方団体やその住民が費用を担うこととなった。山谷は「設立地の郡 市町村が施設設備費の一部あるいは全部を負担することは全国的に見て珍しい ことではなく」「福島県では1898(明治31年)の中学校増設以降,県立学校の 設置に関してほとんどこの方法が採られている」と述べており(2),また坂本 は本稿が対象とする北海道においても,1901年の道会発足以前からすでに中等 学校誘致に際しては地元からの学校用地の寄付があったことを指摘してい る(3)。道庁府県立中等学校新設に際する費用を設立地方の寄付によって賄う ことは常態化していたといってよい。  ところで筆者は,その北海道においては昭和初期になると,地元が新設費を 負担して初めから庁立中等学校を設立するのではなく,既存の市町村立中等学

(5)

大正期北海道における庁立中等学校整備政策 校を設置者変更によって庁立学校に移管していく事例が数多く見られることを 指摘したことがある(4)。地方団体が新設(および経常)費を支出して運営し ていた学校を無償で北海道地方費に移しているのであるから,この移管方式に よる庁立学校の増設は明治期から見られる地元寄付,地元負担による道庁府県 立学校の設立の応用ないし変形ととらえうる(5)  本稿が大正期北海道の庁立中等学校の整備過程に着目するのは,新設費用を 地元が負担するという単純な方法から,上のような移管方式に変化していった のがこの時期ではないかと考えるからである。結論を概略しておくならば,庁 立学校の増設によりその経常費負担に耐えきれなくなると予想した道庁が,庁 立設置を望む地域の中等学校を市町村立の状態にとどめおき,自らの財政状況 に応じ移管するかどうかをその条件も含めて判断するという調整方法を見いだ したのであり,また市町村立よりも庁立が望ましいという地方における庁立志 向がこの方法を支えたのであった。  もともと庁立学校の設置費用を地元に負担させることで新設費と経常費の出 所が異なることになるのであるから,設置者負担主義を持ち出すまでもなく, 当時においても「(北海道・筆者註)地方費ガ当然為スベキ事業ニ向ツテ」「地 元ノ地方ヨリ寄附金ヲ受クルト云フコトハ,深ク論議スルマデモナク,其ノ当 ヲ得ザルコトハ明カ」,という指摘は頻繁になされていた(6)。移管方式による 庁立学校の整備はこの問題をさらに複雑化させることになるが,公立中等教育 機関を支えるのは誰なのかという問題を考える上できわめて示唆的と思われる。  本稿では北海道会議事速記録などを資料としながら,まず1921年の通常道会 において庁立中等学校の増設計画が答申されるまでの過程とその効果について 明らかにする。次に戦後不況と関東大震災の影響を被りこの計画が徐々に頓挫 していく中で,計画済みの庁立学校を確実に入手するため,市町村立中等学校 を設立しておきそれを移管するという手法が着目されていく経緯を分析する。 最後に道庁主導による移管方式の先駆となった余市,留萌の両町立中学校が大 正末期,実際に庁立に移管されるまでの過程について考察を加える。

1 1921年北海道会における諮問とそれに対する答申

 大正前半に開設された庁立中等学校は,すでに明治末年に設立が決定済みだ ったものを除くと,中学校2(室蘭,滝川),高等女学校2(室蘭,釧路),実 業学校1(札幌)のわずか5校であった。一方,中等学校の開設要求は高まり,

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道会では例年各地からの要求に基づく多くの中等学校設立の建議が成立してい た。1921年に至り,ついに道庁は会期末の北海道会に対し「地方費教育施設拡 張ニ関スル件」として道内の中等学校については「現下ノ情勢ニ鑑ミ大ニ拡張 ヲ要スル」ので「之カ計画ニ関シ本会ノ意見ヲ諮フ」との諮問を行う(7)。こ れに対し道会が答申した年度別の開設計画は下表の通りであった。5年間で42 の中等学校を各地に開設するという相当に大規模な計画であるが,当時におい てもまずは「総花的に各支庁管内に庁立中等学校の分布設置を為さんとするも の」(8)と評されるものであった。 表 答申に示された庁立中等学校年次開設計画 開設年度 中学校 高等女学校 実業学校 師範学校 計 1922年 岩見沢・名寄網走・倶知安 野付牛 網走 帯広農業・函館工業 旭川・釧路 10 1923年 八雲・帯広稚内 岩内・根室 永山農業・苫小牧工業 7 1924年 余市・江別留萌・小樽 岩見沢・七飯 室蘭商業 7 1925年 紋別郡 深川・名寄帯広 大野農業・旭川工業札幌商業・釧路商業 釧路管内実業・江差実業 札幌女子 11 1926年 富良野・函館 倶知安 伊達農業・美唄工業当別実業・浦河管内実業 7 計 15 9 15 3 42  もともとこの年の夏頃から道庁では内務部長の尾崎勇次郎らによって庁立中 等学校の増設が検討されていたようで,秋口には,今期道会においては「多年 の懸案たる中等学校の基礎計画を樹て之が提案を見るべし」「実業学校中学校 高等女学校の如き新設は十二三校に及ぶ」と報じられるようになる(9)。10月 に入り青森県知事に転じた尾崎の後を服部教一が引き継ぎ立案された計画は, その事業継続年数から「七年計画」と呼ばれることになるが,この概要が明ら かになると,道会開催前には「計画に漏れたる町村や又計画に含まれし町村で 年度繰上を欲するものやで運動却々猛烈」という状態となった(10)  そのため開会当初からこの拡張案に対しては「吾々ガ観ル所ニ依リマスルト

参照

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