宮 沢 賢 治 論
一死と再生のドラマー
岡 屋 昭 雄 1.はじめに 宮沢賢治について,中村稔はその著『宮沢賢治』(筑摩書房1972年)に次の ように述べる。 ぼくが宮沢賢治に心を惹かれるのは,かれが詩人であうたからでもなく, かれが農業技師であったからでもない。詩人であると同時に農業技師である ことがなんら矛盾していなかった。そういう人間の精神の奇怪な眺望がぼく を把えるのである。 以上の中村のことばを借りるならば,詩人であると同時に農業技師であるこ とが何の矛盾もなくひとつのすっきりした像を作っているのである。 また,賢治研究の先駆的存在であり,かつ賢治の理解者でもあった小倉豊文 は,「この詩人・科学者・宗教信者・行動的実践者という四要素は,複雑に交 錯し,微妙に共存して一個の人間宮沢賢治を形成している。」と嘩べ,中村と同 様の立場に立ち,賢治の多彩な活動が何ら矛盾なく成立しているところの不思 議さの秘密を探り当てている。 さらに,賢治は,明治以降の作家たちが西欧の近代思想の息吹きに触れつ つ,自己の作家的処り所を確立したのに対して,東洋的世界に沈潜しつつ,岩. 手県稗貫那花巻町を舞台にして,そこに住む人間にかかわって生き続けてきた のである。.つまり仁賢治が最初に手がけた短歌にしろ,詩にしろ,童話にし ろ,決して既製の枠組のそれでほなかった。したがって,賢治の作品を見てい くとき,囚われた見方は許されない。「賢治は表現手段として小説を選ばない で,なぜ童話を選んだのだろうか。」という問いそれ自体が無意味なのである。岡 屋 昭 雄 40 ところで,生前出版された唯一の童話集『イーハトヴ童話 注文の多い料理 店』ほ,大正13年12月1日発行,定格1円60銭,発行者 盛岡市の近森善一, 印刷者 東京巣鴨町の吉田春蔵,発売元として,盛岡市の杜陵出版部と,東京 巣鴨町の東京光原社の二つが記載されている。 上記の童話集の刊行趣意書に,賢治が童話についてどのように考えていた か,その処り所がわかるので,次にその全文を掲げたい。 イーハトヴは一つの地名である。強て,その地名を求むるならばそれは, 大小クラウスたちの耕してゐた,野原や,少女アリスが辿った鏡の国と同じ
世界の中,テパンクールの砂漠ゐ遥かな北東,イヴソ王国の遠い東と考へら
れる。 00000 実にこれは筆者の心象中に,この様な状況をもって実在したドリームラン ドとしての日本岩手県である。 そこでは,あらゆることが可能である。人ほ一瞬にして氷雪の上に飛躍し 大循環の風を従へて北に放する事もあれば,赤い花杯の下を行く蟻と語るこ とも出来る。罪や,かなしみでさへそこでは聖くきれいにかがやいてゐる。深い掬の森
や,風や影,(肉之)華や,不思議な都会,ベーリング市迄続々電柱の列,そ
0000く〉00000
れはまことにあやしくも美しい国土である。この童話集の一列は実 0000000000 に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終り頃から,アド レッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとってゐる。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 この見地からその特長を数へるなれば次の諸点に帰する。 一、これは正しいもの々種子を有し,その美しい発芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や,道徳の残澤を色あせた仮面によって純真な
心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない。二、これは新しい,より好い世界の構成材料を提供しやうとはする。けれど
もそれは全く,作者の未知な絶えざる驚警に値する世界自身の発展であっ
て,・決して崎型に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。
三、これは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分折とはあっても,たしかにこの通りその時心象の
中に現はれたものである。故にそれは,どんなに馬鹿げてゐても,難解で も必ず心の琴部に於て万人の共通である。卑怯な成人達に畢尭不可解な丈 である。 四、これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつやゝ
かな果実や,青い読菜を一緒にこれらの心象スケッチを世間に提供するも
のである。 以上の賢治の文学観から,次の四つのことが考えられる。 先ず一番目は,賢治の童話が決して子どもだけを対象として善かれたもので はない,ということである。読者として予想されるのは児童であっても,大人 であってもよいのである。「この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一 部である。それは少年少女期の終り頃から,アドレッセンス中葉に対する一つ の文学としての形式をとってゐる。」と書いてある。「一つの文学としての形式 をとってゐる。」という表現に着目すると,決して児童,つまり,少年少女だけ を対象として書いているのではないことがわかるであろう。 二番目に,読者として純真な心意の所有者と規定していることの意味につい て考察してみたい。「既成の疲れた宗教や,道徳の残揮を色あせた仮面によっ て……」は,1926年賢治30歳の時,4年間の花巻農学校教師をやめ,1925年6 月25日,友人の保阪嘉内にあてた次の手紙のように本統の百姓になるため,下 板子桜に羅須地人協会を設立し,「農民芸術概論」を書くが,その文章によって さらに確かな実践理論として結実するのである。 もとより,賢治の死後発見された手帳に,「高知尾師ノ奨メニヨリ 法華文 学ノ創作云々」と善かれているように,文学によって大乗経典の真意を宣布し ようと心ざし,人々に理解されやすい童話という形態を用いたとも考えられる が,何よりも,樹木,風,光,雲,動物,鉱物,草筆とも交歓できる世界構造ノ を持つものとして童話を採用した,と考えられる。だから賢治の作品では,動 物が話していても,擬人法と異質であることに気づくはずである。 三番目に,「心象スケッチの一部である。」ということの意味である。心象ス ケッチということばは『春と修羅一』の「序」の二連日にも善かれている次の ことばに吸収されるものであろう。岡 鼻 昭 雄 42 これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね/(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)/ここまでたもちつづけられた 明暗交替のひとくさりづつ/そのとほりの心象スケッチです(傍点岡庭) 以上の詩の内容を要約すれば明らかな如く,すべてわたしの心の中に明滅し 続け,かつまた,すべての人間が同時に感じ続けるものの素直な心にもとづい た粗硬なスケッチだという意味である。ともかくも,貿治が既成の文学のジャ ンルからきわめて自由であったことは特筆されてよい。胸中に浮かぶ感懐を自 由に吐露すること,つまり,自己の生きる感性に忠実であろう,としたことの 意味を重視したい。 四番目には,地方性・土俗性ということである。賢治の童話にもよく見られ る土の匂い,草の匂い,風の匂い等,つまり風土の香りのする作品が多いこと である。「注文の多い料理店」,「風の又三郎」,「めくらぶどうと虹」,「グスコー プドリの伝説」,「ポラーノ広場」等々,どの作品をとってみてもト賢治が岩手 にいなくては書けない作品である。 確かに,大正10年,東京にある国柱会へ訪れるために家出するが,しかし, 東京での生活は決しで快いものではなかった,と推測される。その理由とし て,友達の一人もできていないし,また国柱会での仕事にも十分に満足いくも のではなかった,と思われる。帰花するのは,妹トシの病気に付き添って帰る ことが理由となっているが仁賢治の心にほ,東京での生活は・,故郷での生活の ひとつの助走にしか過ぎなかったと把捉できる。何回かの上京の一つひとつを 詳細に検討すると明らかになると思うが,決して居心地のよいものではなかっ た。東京に於いて学んだことも多かった。セロ・オルガン・エスペラント, 等々。しかし,賢治の作品全体をトータルに評価するならば,やはり岩手とい う地方にこだわったが故にこそ,普遍性を獲得したのである。 以上,賢治がイーハトヴ童話として出版した『注文の多い料理店』の趣意書 の内容を四つの視点から考察した。 もう一つ,『注文の多い料理点』の「序」を次に紹介しよう。 わたしたちは,氷砂糖をほしいくらゐもたないでも,きれいにすきとぼつ
た風をたべ,.桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは,はたけや森の中で,ひどいぼろばろのきものが,いちば
らしゃ んすばらしいびろうどや羅紗や,宝石いりのきものに,かはってゐるのをた
びたび見ました。 わたくしは,さういふきれいなたべものやきものをすきです。にじ これらのわたくしのおはなしほ,みんな林や野ほらや鉄道線路やらで,虹
や月あかりからもらってきたのです。 ほんたうに,かしはばやしの青い夕方を,ひとりで通りかかったり,十一 月の山の風のなかに,ふるへながら立ったりしますと,もうどうしてもこん な気がしてしかたないのです。ほんたうにもう,どうしてもこんなことがあ るやうでしかたないといふことを,わたくしはそのとほり書いたまでです。 さらに,賢治の童話は「みんな林や野はらや鉄道線路やらで,虹や月あかり からもらってきたのです。」と述べる。そして,「すきとほったはんたうのたべ もの」になることを願う,と結ぶのである。つまり,賢治にとっては童話を書 くことは,読んでくれる人に,心の食べ物を与えることに他ならないのである。 したがって,読者であるわたくしたちが賢治の作品を読むことは素直に作品 の声に耳を傾けることであり,自己の生きている人生に鮮烈に対略することで ある。汚れのない賢治のことばのひとつひとつを食べればよいのである。つま り,現在人間の忘れているものの一つひとつを発見することができるのである。 『注文の多い料理店』の目次を次に揚げる。 どんぐりと山猫(1921.9.19) 1
狼森と旅森,盗森 (1921.11…‥う 23 注文の多い料理店 (1921.11.10) 43 鳥の北斗七星 (1921.12.21) 65 水仙月の四日(1922.1.19) 83
ですから,これらのなかにほ,あなたのためになるところもあるでせう し,ただそれっきりのところもあるでせうが,わたくしには,そのみわけが よくつきません。なんのことだか,わけのわからないところもあるでせう が,わたくしにもまた,わけがわからないのです。岡 屋 昭 雄 44 けれども,わたくしは,これらのちいさなものがたりの幾きれかが,おし まひ,あなたのすきとぼったほんたうのたべものになることを,どんなにね がふかわかりません。 大正十二年十二月二十日 宮沢 賢治 以上の「序」からもわかるように,賢治め童話は,「きれいにすきとぼった風 をたべ,桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができ」,また,「ほたけや森 の中で,ひどいぼろばろのきものが,いちばんすばらしいびろうどや羅紗で, 宝石いりのきものに,かわってゐるのをたびたび見る。」というのである。 山男 (1922・4・7) かしはばやしの夜
(1921.8.25)123
月夜のでんしんばしら (1921.9.14)155 鹿踊のほじまり(1921.9.15)171
以上∴賢治の生前,発刊された『イーハトーヴ童話注文の多い料理店』の趣 意書と「序」を取り上げることによって,賢治の童話の特質について論及した。 2.賢治童話の特質について 本論稿では,賢治の死と再生のドラマを中心にして論及することとしている が,『注文の多い料理店』の最初にある「どんぐりと山猫」について論じること にしたい。 「ぉかしなはがきが,ある土曜日の夕がた,一郎のうちにきました。」で始ま る冒頭,そしてはがきの文章は次のように善かれている。 かねた一郎さま 九月十九日 あなたは,ごきげんよろしいぼど,けっこです。 あした,めんどなさいばんしますから,おいでんなさい。とびどぐもたな いでくなさい。 山ねこ拝 一郎はうれしくてうれしくて早速出かけることにした。当然その日は日曜日 であるから学校は休みである。 先ず栗の木に山猫のことを聞く,そして次に,笛ふき滝に,三番目に白いきのこに,四番目には栗鼠に聞く。それぞれ,東,西,南,北に行ったと答える。 そして,「そこはうつくしい黄金いろの草地で,草は夙にざわざわ鳴り,まはり は立派なオリーグいろのかやの木のもりでかこまれてありました。」と善かれ た場所で山ねこの馬車別当に会う。すぐに山ねこが戻って来ることを告げる。 山ねこが現われる前の表現は次のようになっている。「そのとき,風がどう と吹いてきて,草はいちめん波だち,別当は,急にていねいなおぢぎをしまし た。」と,幻想的な場面としての状況は整えられている。黄いろな陣羽織のやう なものを着て,線色の限をまんまるにして立っている。そして,巻煙草をくわ えている山猫の姿は一種異様である。 三日も裁判をしてもまだ決着しない裁判とは,どんぐりの中でどれが一番 か,を決定できないのである。「まるいのがえらい。」「大きいのがえらい。」「せ いの高いのがえらい。」「押しっこのえらいのだ。」等々,騒ぎ立てて裁判が決着 できないのだ。そこで,一郎が,「このなかでいちばんばかで,めちゃくちゃ で,まるでなってゐないやうなのがいちばんえらいとね,ぼくお説教できいた んです。」と判決を下すのである。山ねこも「このなかで,いちばんえらくなく て,ばかで,めちゃくちゃで,てんでなってゐなくて,あたまのつぶれたやつ が,いちばんえらいのだ。」と宣告して裁判ほ無事に終わるのである。 一郎は山猫から,お礼にどんぐりをもらう。 帰りに馬車別当に送ってもらうが,一馬串が進むにしたがって,どんぐりほだ んだん光がうすくなって,まもなく馬車がとまったとき,あたりまえの赤色の どんぐりとなっていたのである。幻想性の無くなるのが効果的に表現されてい る。入沢康夫が『銀河鉄道の夜』(旺文社文庫)の解説で「自然や宇宙との全的 な交流・共鳴の感覚である。」と述べる如く,一木一草一石のディテールを新 鮮,かつ詳細に措くことの巧みさである。とりわけ,一郎がお説教で聞いた, という判決は,まさにトリックスター的解決である。 大江健三郎はトリックスター的な解決法について次のように述べる。 ……… このように世界をさすらうトリックスターの冒険を媒介に,世界の ダイナミックな様相が,いかに生きいきととらえられることか。ひとりの人 間の右手と左手が,それぞれに相手を他者と認識するくだりは,世界の基本
岡 屋 昭 堆 46 構造の宇宙論的な見方につながっていよう。人間と動物,小動物,草木は概 念的に固定した意味合いを洗い流され,想像力的弾性をそなえたものに構成 しなおされる。われわれはトリックスターとともに,この世界の全体をいち いち自分の経験にとりこみ,それに自分の表現をあたえる。人間の行為たる 狩猟の根源的な意味から,なぜ尻に割れ目があるかにいたるまで,われわれ ほトリックスターによる世界の見方を徹底的に教わる。しかも笑いながら, 固定観念をうちやぶられるのである。(1) 以上の大江の解説にもあるように,固定的な意味合いが洗い直され,想像的 弾性をそなえたものに構成し直されるのである。世界の全体をいちいち自分の 経験にとりこまれ,それに自分の表現を与えることとなる。 「どんぐりと山猫」では,一郎がまさにトリックスターなのである。競争原 理の見方から他の見方へ視点をかえることによって解決することができたので ある。丸いとか,大きいとか言っても,どこまでいっても解決できないことを 知っていた一郎は,説教で聞いた,といって,角つき合わせることの無意味さ を教えたことになり,新しい世界の見方を自分自身も,周囲の人間も身につけ たこととなる。 「狼森と筑森・盗森」に見られる自然と人間の交流し合う世界,本当の交響 し合う世界であるが,次の表現の持つよさがわかるであろうか。 そこで,四人の男たちほ,てんでにすきな方へ向いて,声を揃へて叫びま した。 「ここへ畑起してもいいかあ」 「いいぞ。」森が一斉にこたへました。 みんなは又叫びました。 「ここに家建ててもいいかあ。」 「ようし。」森は一ペんにこたへました。 みんなはまた声をそろへてたづねました。 「ここで火たいてもいいかあ。」 「いいぞお。」森は一ぺんにこたへました。 みんなはまた叫びました。
「すこし木賃ってもいいかあ。」 「ようし。」森は一斉にこたへました。 『注文の多い料理店』は,東京書籍の五年生の教科書に掲載されている。都 会から山に猟に釆た二人の紳士が,おなかがすいて料理店に入り,自分たちの 欲のために,山猫から要求されていることが見抜けない愚かさが主題となって いる。 現実から非現実に入る入口は次のように設定されている。 「風がどうと吹いてきて,草はぎわざわ,木の葉はかさかさ,木はごとんご とんと鳴りました。」 出口のところも;入口と同じことばとなっている。 「鳥の北斗七星」の最後の場面で少佐の次の叫びは,賢治の叫びでもあった のたろう。 (あゝ,マヂェル様,どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに 早くこの世界がなりますように,そのためならば,わたくしのからだなどは 何べん引き裂かれてもかまひません。)マヂェルの星が,ちゃうど釆てゐる あたりの青ぞらから,青いひかりがうらうらと湧きました。 「水仙月の四日」は,死と再生のテーマを扱った作品である。 その冒険は次のようになっている。 雪婆んごは,遠くへ出かけて居りました。 猶のやうな耳をもち,ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごほ,西の山 脈の,ちぢれたぎらぎらの雲を越えて,遠くへでかけてゐたのです。 ひとりの子供が,赤い毛布にくるまって,しきりにカリメラのことを考へ ながら,大きな象の頭のかたちをした,雪丘の裾を,せかせかうちの方へ急 いで居りました。 (そら,新聞紙を尖ったかたちに巻いて,ふうふう吹くと,炭からまるで青 火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて,それからザラメ を一つまみ入れる。水をたして,あとはつく つくと煮るんだ。)はんたうに もう一生けん命,こどもはカリメラのことを考へながらうちの方↑急いでゐ ました。
岡 屋 昭 雄 48 お日さまは,空のずうっと遠くのすきとぼったつめたいとこで,まばゆい 白い火を,どしどしお焚きな その光はまっすぐに四方に発射し,下の方に落ちて来ては,ひっそりした 台地の雪を,いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。 二匹の雪狼が,べろべろまっ赤な舌を吐きながら,象の頭のかたちをし た,雪丘の上の方をあるいてゐました。こいつらは人の限には見えないので すが,−一ペん風に狂い出すと,台地のはづれの雪の上から,すぐぼやぼやの 雪雲をふんで ,空をかけまはりもするのです。 「しゆ,あんまり行っていけないったら。」 雪狼のうしろから白熊の毛皮を三角帽子をあみだにかぶり,顔を畢果のやう にかがやかしながら,雪童子がゆっくり歩いて来ました。 雪狼どもは頭をふってくるりとまはり,またまっ赤な舌を吐いて走りまし た。 以上の冒頭の文章からもわかるように,雪婆んごは遠くへ出かけて不在であ るが,やがて帰って来ることをも示唆し,今の平安は束の間である。子供は赤 い毛布にくるまり,カリメラのことを考えている。生の象徴であり,かつ地に 属する人間である。それに反して,雪婆んごと雪童子は死・天に属する立場を 与えられている。子供からは雪婆んご・雪童子は見えないし,ことばもわから ない。 寺田透は,『水仙月の四日』と『ひかりの素足』は,かくて,わが国の雪を描 いた文学作品として当然最高のものと,評価しているが,雪童子の心情を考え ると,まさに自己の立場を離れた行動をとることによって自己と子供が救済さ れる着藤場面を考えると,納得できる。 とりわけ,子供を助けようとする行為そのものの持つ意味は大きいと言わな ければならない。 「お日さまは,空のずうっと遠くのすきとぼったつめたいとこで,まばゆい 白い火を,どしどしお焚きなさいます。」(傍点岡屋)と文末に敬語表現してい るのは,自然それ自体を人格と見ているからである。ここでほ,自然形象が生 命を持って,躍動するのである。
さらに,至る所に散りばめられた色彩感にも注目したい。 「カシオピア、 もう水仙が咲き出すぞ おまへのガラスの水車 きっきとまはせ。」 「アンドロメダ、 あぜみの花がもう咲くぞ、 おまへのランプのアルコホル、 しゅうしゅと噴かせ。」 以上の呪文のようなことばは,必ずしも意味ははっきりしていないが,賢治 作品の中では有効な働きをなすのである。「風の又三郎」はその代表的な例で あろう。 宙童子が子供を救う場面を取り上げよう。 「毛布をかぶって,うつ向捌こなっておいで。毛布をかぶって,うつむ桝こ なっておいで,ひゆう。」雪童子は走りながら叫びました。けれどもそれほ子 どもにほただ風の声ときこえ,そのかたちほ限に見えなかったのです。 「うつむけに倒れておいで。ひゆう。動いちゃいけない。ぢきやむからけつ とをかぶって倒れておいで。」雪わらすはかけ戻りながら又叫びました。子 どもほやっぱり起き上がろうとしてもがいてゐました。 「倒れておいで,ひゆう,だまってうつむ桝こ倒れておいで,今日はそんな に寒くないんだから凍えやしない。」 雪童子は,もう−ど走り抜けながら叫びました。子供ほ口をびくびくまげ て泣きながらまた起きあがらうとしました。 「倒れてゐるんだよ。だめだねえ。」雪童子は何ふからわざとひどくつきあ たって子供を倒しました。 雪婆んごの/命令によって雪嵐を巻き起こしながらも,子供にそっと声をかけ る雪童子,同じように,死と再生のテーマを扱った「ひかりの素足」では,父 の山小屋を訪れた兄弟カ㍉帰り道に雪嵐にあう。弟は亡くなるが,兄の一郎は
岡 庭 昭 雄 50 「にょらいじゅりゃうぼん」というつぶやきによって仏に会うこととなる。「お 前はもう一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないい子供だ,よしあ の辣の野原で弟を棄てなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうほだし で悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国に はここから沢山の人たちが行ってゐる。よく捜してほんたうの道を習へ。」こ のことばによって,生まれかわる,つまり再生するのである。雪嵐という暗い 闇に遭遇する時は,祈りによってしか救われないのである。「グスコープトリ の伝記」のブドリがサンムトリ火山を噴火させる時の祈り′「よだかの星」にお ける昇天する前の祈りも,深い闇の中から生まれたのである。 そして,「水仙月の四日」の終りは次のようになっている。 「お父さんが釆たよ。もう限をおさまし。」 雪わらすほうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びまし た。子どもはちらっとうごいたやうでした。そして毛皮の人は一生けん命 走ってきました。 佐藤通雅は「水仙月の四日」の最後の場面を次のように高く評価する。 ……・ しかし,救われたのは子供だけだろうか。それは勿論ちがう。真に救 われたのはむしろ雪童子というづきであろう。おのれの宿命的存在を逆転し ようという不可能な試みに願け,しかも可能にした。不可能が可能になった とき,天地自然はまばゆいばかりに輝き,絵の具箱がひっくりかえされたよ うに色彩が交錯したのだ。 「水仙月の四日」はまことにすぐれた交響曲の印象を与える。その迫力は最
後の最後まで読者をひきつけてやまないだろう。それは,存在の分裂のうめ
きが底にあり,それ故にこそ雪嵐ほ激しかったからだ(2)(傍点岡屋) 佐藤がここでいう「存在の分裂のうめき」とは一体何であろうか。「よだかの 星」のよだかの苦悩がまさにそうである。つまり,「かぶと虫や,たくさんの羽 虫が,毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。 これがこんなにつらいのだ。ああつらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死な う。いやその前にもう鷹が僕を殺すだらう。いや,その前に,僕ほ遠くの遠く の空の向ふに行ってし首はう。」の会話に表現されている自己の生きていく存在そのものが分裂の危機に頻していることである。 雪童子も自己の全存在を否定し,子供を救済することに賭けたのは,自分の 生き方に疑問を持っていたことに他ならない。さらに言えば,新しい自己の再 生にかけていたからでもある。つまり,わわわれ人間も死と再生のくり返しに よって人間としての違った生き方を創造することにつながるのである。した がって,死と再生のドラマによって人間がよの人間らしいものに生まれかわる のである。そのためにほ,存在の分裂の闇をくぐり抜けなければならないこと だけは確かであろう。 はかに,『注文の多い料理店』に掲載されている「山男の四月」「かしはばや しの夜」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊のはじまり」があるが,いずれも,自 然・動物・人間の調和の世界であり,とりわけ「鹿踊のほじまり」では,嘉十 が鹿の踊りを見ているうちに一緒に踊り出す場面は圧巻である。 3.死と再生のドラマ 大正11年11月27日の妹トシの死はど賢治が全存在にかかわる精神的危機を味 わったことほないであろう。だから,「永訣の朝」「松の針」「無声働突」を書く とセヶ月間も沈黙を守るのである。 このことについてほ,『宮沢賢治 −こころの軌跡−』(講談社学術文庫 昭和60年)の著者 福島章は次のように指摘する。 ‥・……愛する者の死の日,詩人の精神の緊張は異様なまでに高揚し,ほりつ め,死んでゆく老に対する配慮や,死んでゆく老を見送るおのれの心の光景 を凝視する力の強さほすさまじい。読む老に強烈な印象をあたえないではい ない。これに対して,第二群の詩の時期,詩人の精神は悲哀・傷心などに よって深く傷つき,疲れはてていた。セヶ月の中絶は,愛するものの死の打 撃の大きさを物語っており,冗長な詩とその内容ほ,精神の緊張の低下,弛 緩をあらわしている。(3) それでは,具体的に「永訣の朝」,「松の針」,「無声働実」の三編の詩によっ て,賢治の苦悩を検討してみよう。 中村稔の次のことばに注目してみたい。
2 岡 屋 昭 雄 ……… 名高い「無声働突」がすぐれているのは,勿論死んでいった殊にた いする哀傷の痛烈さにもよるけれども,同時に,さらにそれ以上に,修羅に たいする忠実と亡妹にたいする哀傷によってひき裂かれた魂の,あるがまま を直視しようとする姿勢のみごとさにかかっている(4)。 中村の指摘する所の詩を検討してみよう。 (おら おかないふうしてらべ) 何をいふあきらめたやうな悲痛なわらいをしながら ま■たわたくしのどんなちいさな表情も けっ おまへはけなげに母に訊くのだ (うんにゃ ずいぶん立派だぢやい けふはほんとに立派だぢやい) ほんたうにさうだ 髪だっていっさう黒いし まるでこどもの率果の頻だ どうかきれいな頼をして あたらしく天にうまれてくれ (それでもからだくさえがべ?) (うんにゃ いつかう) はんたうにそんなことはない かへってここはなつののほらの ちいさな白い花の匂でいっぱいだから ただわたくしはそれをいま言へないのだ (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから) わたくしのかなしさうな限をしてゐるのは わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ ああそんなに かなしく限をそらしてはいけない 以上の詩から分明の如く,妹トシの死を見守りながらも,眼差しはトシの釆 5
世のことを望みながらも,自己の心の奥深いところでは修羅としての自分につ き当たって何もできないのである。 だからこそ,7ヶ月後ほ,小岩井農場の徒歩の旅,樺太への妹†シを求める 旅へと続くこ・ととなる。 「風林」「白い鳥」の詩に表現された妹トシに対する悲痛・哀切な叫びを聞い てみよう。 とし子とし子 野原へ来れば また風の中に立てば きっとおまへをおもひだす おまへはその巨きな木星のうへに居るのか 鋼青荘巽のそらのむかふ (ああけれどもそのどこかも知れない空間で 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか ……… 此処ほ日ほ永あがくて 一日のうちの何時だが もわがらないで……… ただひときれのおまへからの通信がいつか 汽車のなかでわたしにとどいただけだ) とし子 わたくしは高く呼んでみやうか (以下略) 「風林」 二疋の大きな白い鳥が 鋭くかなしく囁きかほしながら しめった朝の日光を飛んでゐる それはわたしのいもうとだ 死んだわたしのいもうとだ 兄が来たのであんなにかなしく噂いてゐる (それは一応はまちがひだけれども まったくまちがひとは言はれない) (以下略) 「白い鳥」
岡 庭 昭 雄 54 以上二つの詩に見られる賢治の心は悲痛を通り越して悲惨とさへ言える。晩 年の宮沢が「友一人なく,同志一人もなく……… 」と書こうとした意味は,唯 一の信仰の友は妹トシー人であったという告白と重なる。ほかの,父母・弟 妹,友人として信じていた保阪さんも法華経信仰に導き入れることができな かったことを指すと思われる。 大正12年の北海道・樺太の旋は賢治の心の内面を知ることができるが,≪手 紙≫囲によって賢治の迷いの内実を見てみよう。
わたくしはあるひとから云ひつけられて,この手紙を印刷してあなたがた
に鱒わたしします。どなたか,ポーセが痛んたうにどうなったか,知ってゐ るかたほありませんか。チユンセがさっばりごはんもたべないで毎日考へて ばかりゐるのです。 ポーセはチユンセの小さな妹ですが,チエンセはいつもいぢ悪ばかりしま した。ポーセがせっかく植ゑて,水をかけた桃の木になめくぢをたけて置い くつかぶとむし たり,ポーセの靴に甲虫を飼って,二月もそれをかくして置いたりしました。 ある日などほチユンセがくるみの木にのぼって青い実を落していましたら, ポーセが小さな卵形のあたまをぬれたハンカチで包んで,「兄さん,くるみ ちゃうだい。」なんて云ひながら大へんよろこんで出て釆ましたのに,チエ ソセは,そら,とよてごらん。」とまるで怒ったやうな声で云ってわざと顔に 実を投げつけるやうにして泣かせて帰しました。 にわ ところがポーセは,十一月ごろ,俄かに病気になったのです。おつかさん くちびる もひどく心配さうでした。チユンセが行って見ますと,ポーセの小さな 唇め はなんだか青くなって∴眼ばかり大きくあいて,いっぱいに涙をためてゐま
した。チユソセは声が出ないのを無理にこらへて云ひました。「おいら,何でく も呉れてやるぜ。あの鋼の歯車だって欲しけややるよ。」けれどもポーセほ
だまって頭をふりました。息ばかりすうすうきこえました。 チユンセは困ってしばらくもぢもぢしてゐましたが思い切ってもう一ペん 云ひました。「雨雪とって来てやろうか。」「うん。」ポーセがやつと答へまし てっぼうだま た。チユソセはまるで鉄砲丸のやうにおもてに飛び出しました。おもてはう すくらくてみぞれがびちよびちよ降ってゐました。チュンセは松の木の枝から雨雪を両手にいつぱいとって来ました。それからポーセの枕もとに行って 皿にそれを置き,さじでポーセにたべさせました。ポーセはおいしさうに三 さじばかり喰べました。急にぐったりとなっていきをつかなくなりました。 おつかさんがおどろいて泣いてポーセの名を呼びながら一生けん命ゆすぶり け ましたけれども,ポーセの汗でしめった髪の頭はただゆすぶられた通りうご とら くだけでした。チユンセはげんこを限にあてて,虎の子供のやうな声で泣き ました。 以上のことからも,前掲の三つの詩のことが善かれている背景がわかる。と りわけ,「永訣の朝」の背景が目に見えるようである。 それから春になってチエンセは学校も六年でさがってしまひました。チユ ソセはもう働いてゐるのです。春に,くるみの木がみんな青い房のやうなも のを下げてゐるでせう。その下にしやがんで,チユソセはキヤベヂの床をつ
かへる くってゐました。そしたら土の中から−ぴきのうすい簸いろの小さ
は よろよろと這って出て来ました。
つぶかどいしたた 「かへるなんざ,潰れちまへ。」チエソセは大きな稜石でいきなりそれを叩き
ました。 それからひるすぎ,枯れ草の中でチユンセがとろとろやすんでゐました ら,いつかチユンセはぼおつと貴いろな野原のやうなところを歩いていくや うにおもひました。すろと向ふにポーセがしもやけのある小さな手で限をこ すりながら立ってゐてぼんやりチエンセに云ひました。 「兄さんなぜあたいの青いおベベ裂いたの。」チエソセはびつくりしてはね 起きて一生けん命そこらをさがしたり考へたりトてみましたがなんにもわか らないのです。どなたかポ⊥セを知ってゐるかたほないでせうか。けれども 私にこの手紙を云ひつけたひとが云ってゐました。「チエンセはポーセをた づねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも,また,はたけではたらいりんご てゐるひとでも,汽車の中で畢果をたべてゐるひとでも,また歌ふ鳥や歌ほ
ない鳥,青や窯やのあらゆる魚,あらゆるけものも,あらゆる虫も,みん な,みんな,むかしからのおたがひのきやうだいなのだから,チエソセがも しもポーセをほんたうにかあいさうにおもふなら大きな勇気を出してすべて岡 崖 昭 雄 56 のいきもののほんたうの幸福をさがさなければいけない。それはナムサダル アプフソダリカサスートラといふものである。チユソセがもし勇気のあるは んたうの男の子ならなぜまつしぐらにそれに向って進まないか。」それから この人はまた云ひました。「チユンセほいいこどもだ。さアおまへはチユン セやポーセやみんなのために,ポーセをたづねる手紙を出すがいい。」そこ で私ほいまこれをあなたに送るのです。 以上のことから,兄妹の絆を超越しないかぎりチュソセの悲しみを脱するこ とはできないのである。すべてのいきもののはんとうの幸福をさがすことが, つまりポーセを救済するという命題である。つまり,妹というものから,すべ てのいきものという,来世的な普遍性へと拡大されるのである。「銀河鉄道の 夜」のジョバンニとカムパネルラとの別れは次のようになっている。 「カムパネルラ,僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斬う云ひながら ふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカ ムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかってゐました。ジョバ ンニほまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやう に窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれから 咽喉いっぱい泣き出しました。もうそこらが一べんに、まっくらになったやう に思ひました。 カムパネルラとどこまでもー緒に行こう,といいながら,生者であるジョバ ンニと死者であるカムパネルラは別れねばならない。生ある老は必ず死ぬので あり,人間ほどのように愛し合っていようとも,必ず別れがある。しかし,あ らゆる生き物ほむかしからきょうだいであるのだから,みんなの幸福をさがす ことによって無上道で再び殊に会うことができる,と信じるより他ほないので ある。 大正十一年十一月二十七日,トシ永眠,同二十九日,安浄寺で葬儀。寺が浄 土真宗のため賢治は法要には出ず,出棺と共に火葬場へ行く。遺骨を二つにわ け,一つを二階自分の部屋の国柱会援支御重陀羅の前に安置するこ といわれて いるが仁賢治は自分の修羅をあからさまに出したものである。 「ジョバンニの孤独は,おしまい,みんなの孤独であり,そのことが,求心
的なこの童話の核にほかならない。そして,その普遍性こそが,かえって,こ の童話の社会性であると,そう考えることもできる。」(5)と,原子朗は,「銀河鉄 道の夜」のジョバンニの孤独は,つまり近代がもたらしたものとして位置づけ る。だからこそ,みんなの孤独につながるのである。 また,佐藤通雅は次のようにジョバンニの孤独をとらえている。 鉄道に乗車するまでのことをもう一度ふりかえってみるならば,ジョバン ニほ自分を受け入れぬ現実世界を離脱しようとしつつ,一面ではカムパネル ラという憧憬の友と同行したいという願いを持っていた。それは生への一筋 のえにしさえ意味していたのだ。銀河鉄道を通して「はんたうの芽」を共に 求めようというところまで昇華したが,実は二人の乗車資格が最初から違っ ていたから,訣別の時はそう遠い先のことではなかった。だがそれら一切の ことを知らぬジョバンニにとって,カムパネルラの喪失は生を支えてきた最 後の喪失に等しかった。 かくして赤い腕木を境に,ジョバンニは生の世界へと暴力的につれもどさ れる。(中略)だが,ある日突然,それら愛する老が,とりわけ志を同じうし 共に進むことを誓い合った相手が亡くなったとき,人は以後の生をどう展開 するのか,ジョバンニはその過酷な課題を,最も純粋なかたちで背負ったの だ。(6) 以上の二氏の批評ほ,ジョバンニの孤独がカムパネルラとどこまでもー緒に 行けないこと,つまり妹トシが亡くなってたった一人の信仰の道づれを失くし てし辛った孤独と重なるのである。 「銀河鉄道の夜」の初期形でほ,セロのような声で,「みんながカムパネル ラ」といわれて,「あらゆるひとのいちばんの幸福」のために生きる志を手に入 れるのである。にもかかわらず後期形ではここが省略されている。 まだ,真むと納得できないものが賢治にはあったのであろうか。 マロリ・フロムほ「みんながカムパネルラだ」−これが真実である。そし て《手紙≫㈹と結びつけて解決する(れ。つまり,あらゆる生き物がすべてきょう だいということであることほ,「みんながカムパネルラだ」という認識と同じ になるというのである。
岡 星 昭 雄 58 以上のことこそが再生のドラマということができるのである。 大正7年の短歌,作品番号680∼689は「青びとのながれ」と題されている。 賢治二十二歳の時である。この時すでに修羅意識が生まれたのではないだろう か。作品番号686の「青人のひとりははやく死人のたゞよへるせなをはみつく したり」は無気味としかいいようがないであろう。 それ故にこそ悩むのである。 M.エリアーデはイニシエーションのきびしい試練に耐えられない人や,死 を経験しなかった人々には近づきがたい存在に到達する,として次のように述 べる。 すべての再生や復活の儀礼と,それを含む象徴は,修練者が別の存在形 式,つまりイニシエーションのきびしい試練に耐えられない人や,死を経験 しなかった人々にほ近づきがたい存在に到達したことをしめしている。われ われはこの古代心性(archaic mentality)の特徴に注意しなければならな い。すなわち,一つの状態はまず滅去させられることなしに変更され待ない という信仰, なしには変革させられ得ないという信仰である。この始源に結びつくことの 重要性,つまり絶対的始軌天地開聞と結びつく羊との重要性はどんなに強 調してもしすぎることはない(8)。 「銀河鉄道の夜」のジョバンニに即して述べれば,孤独でありつつも,その 孤独と真正面から対略していることである。カムパネルラと汽車の中で話し 合ったことは,つまり本当の幸せとは何かを絶えず考えることの存在としての 人間,他人の幸せのためには百ぺんでも死ぬ,という象徴的意味をつかんでい るはずである。ザネリを救うために水にとび込んだカムパネルラ,タイタニッ ク号事件に材料をとったと思われる家庭教師とか挙る子,少年にしろ,他人の 幸せを一番に考えている。それにもかかわらず,救済されているぁか,いない のかはまだほっきりしていない。つまり,ジョバンこ は,賢治の悩んだ時によ く使う語彙「つらい」がよくでているし,何回となく泣くのである。 したがって,イニシエーションとしての修業はしているはずである。以後の ジョバンニほ,「みんながカムパネルラだ」ということをひたすらに信じて,他
の幸せのために努力・献身さへもいとわないはずである。つまり今までのジョ バンニを脱して,再生として人生をジョバンニは歩むはずである。 4.おぁりに 「農民芸術概論綱要」の「結論」では賢治は次のように述べる。 ……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である。‥… われらの前途は輝きながら険峻である 峻唆のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる 詩人は苦痛をも享楽する 永久の未完成これ完成である 理解を了へばわれらは斬る論をも棄つる 畢意ここに宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである。 今回は仁賢治の死の族と再生のドラマを中心に纏めたが,なお未完成の思い しきりである。 文 献 (1)大江健三郎『小説の方法』(岩波書店1978年) p.p135∼136 (2)佐藤通雅『宮沢賢治の文学世界一短歌と童話−』(泰流社1979年)P.133 (3)福島 章『宮沢賢治−こころの軌跡−』(講談社学術文庫1985年)p.146 なお上揚の福島の著書は賢治の全生活を病跡学から分析し,5・6年を周期として, マニーとメランコリーのファーゼが訪れていることを明示している。つまり,マ ニーのファーゼの時,多くの作品が創作されている,という。 (4)中村 稔『宮沢賢治』(筑摩書房1972年)P.10 (5)原 子朗『宮沢賢治』(角川書店1981年)p.151 (6)(2)の P.P270∼271 (7)マロリ・フロム『宮沢賢治の理想』(晶文社1984年)P.81 フロムはジョバンニの孤独は,宇宙の真理の開示,つまり「みんながカムパネルラ だ」という真実によって垢が落ちるように脱け落ちたととらえる。≪手紙≫囲の「み んな,むかしからのおたがひのきゃうだいなのだから。」のことばを重視する。 (8)M.エリアーデ『生と再生−イニシエーションの宗教的意義−』 (東京大学出版会1971年)P.PlO∼11