• 検索結果がありません。

序 文 本 市 に 所 在 の 吹 上 遺 跡 は 県 内 でも 古 くから 大 規 模 な 弥 生 時 代 集 落 遺 跡 として 知 られ 今 でも 遺 跡 のある 畑 では 土 器 や 石 器 を 拾 うことができます 遺 跡 はこれまでに 当 委 員 会 が 11 回 の 調 査 を 行 い

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "序 文 本 市 に 所 在 の 吹 上 遺 跡 は 県 内 でも 古 くから 大 規 模 な 弥 生 時 代 集 落 遺 跡 として 知 られ 今 でも 遺 跡 のある 畑 では 土 器 や 石 器 を 拾 うことができます 遺 跡 はこれまでに 当 委 員 会 が 11 回 の 調 査 を 行 い"

Copied!
106
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

2014年

市内遺跡発掘調査報告13

日 田 市 教 育 委 員 会

Ⅵ 2 0 1 4 年 日 田 市

-自然科学分析調査の記録・調査の総括-

日田市埋蔵文化財調査報告書第112集

― 自然科学分析調査の記録・調査の総括 ― 日 田 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 第 集 112 市内遺跡発掘調査報告  ・13

(2)

序      文

 本市に所在の吹上遺跡は、県内でも古くから大規模な弥生時代集落遺跡として

知られ、今でも遺跡のある畑では土器や石器を拾うことができます。

 遺跡はこれまでに当委員会が 11 回の調査を行い、当時の住居や墓などが発見

されると共に多くの遺物が出土しています。

 今回報告いたします自然科学調査の記録と総括は、11 次に及ぶ発掘調査にお

いて出土した遺物の科学的側面からの調査記録と吹上遺跡の評価を総括するもの

であります。昭和 54 年度から平成 12 年度までの 24 年間の発掘調査と平成 14

年度から平成 25 年度までの 12 年間の報告書作成の集大成といえます。

 この間、遺跡はその重要性が注目を浴び、豪華な副葬品が出土した墳墓群一帯

は県史跡として保存されるなど、遺跡全体が開発から護られてきました。さらに

は、墳墓群の出土品が一括して国の重要文化財に指定され、その価値は日田のみ

ならず、日本の歴史解明に大きく貢献する成果であることが認められています。

これらはひとえに、遺跡の保存にご尽力を頂いた関係者の方々の努力の賜物と言

え、吹上遺跡は多くの方々の努力によって守られてきたかけがえのない遺跡なの

であります。

 このような吹上遺跡の調査にかかる報告の第 6 巻にあたる本書には、これま

での調査に携わられ、ご指導いただいた各先生方のご協力により、最先端の自然

科学分野での調査成果が収録されており、今後の埋蔵文化財保護や地域の歴史、

学術研究等にご活用いただければ幸いです。

 最後になりましたが、吹上遺跡の保護にご理解頂くとともに甚大なるご協力を

賜りました地元地権者の皆様方、調査から報告書作成に至るまで、多大なるご協

力とご指導を賜りました関係機関の方々と、調査への協力をいただきました皆様

方に対し、心から厚くお礼を申し上げます。

 平成26年3月31日

       日田市教育委員会

      教育長 合原 多賀雄

(3)

本書は、日田市教育委員会が国庫・県費の補助を受けて実施した吹上遺跡の自然科学分析 調査・調査の総括の報告書である。 調査時の調査組織及び調査協力者については『吹上Ⅰ』第1章第4節に記し、本報告にお ける組織および協力者は第 14 章第 1 節に記載している。 本書の調査報告の記録に用いた航空写真は、平成 17 年に株式会社写測エンジニアリング に委託した航空測量の成果品を使用している。 地形図は株式会社写測エンジニアリングに委託した成果品を使用した。また、各遺構図合 成及び変遷図作成に使用した図面とその製図は、雅企画有限会社に委託した成果品を使用 した。 赤色顔料分析の一部には九州国立博物館に委託した成果品を使用している。 方位はすべて磁北を示し、座標数値は世界測地系による。 重要文化財『大分県吹上遺跡出土品』は大分県立博物館に保管されているが、それ以外の 出土遺物及び記録類(図面、写真等)は、日田市埋蔵文化財センターに保管している。ま た、出土人骨は九州大学に保管いただいている。 なお、本報告の作成において、関係機関及び各指導の先生方に報告を依頼し、玉稿を賜っ た。 第 14 章の関係する執筆者名は文頭に記載し、それ以外の第 14 章第 1・8 節、第 15 章の 執筆は渡邉が行った。全体の編集は渡邉が行った。 題字は、元日田市文化財調査員である武石邦男氏の揮亳によるものである。

例     言

1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 日田市の位置 0 50km

(4)

吹上遺跡の調査報告書については全 6 分冊である。これまでに 5 分冊を刊行しており、 本書が第 6 分冊「吹上Ⅵ」として、全 11 次の調査に伴う出土人骨や自然科学調査などの 分析の記録と調査総括の 2 章で構成される。 なお、全分冊の目次と内容については下表のとおりである。 10. 第1分冊 書名 吹上遺跡Ⅰ 3 ~ 5 次調査の記録 -発行年 2003 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 42 集、日田地区遺跡群発掘調査報告 3 内容 第 1 章 調査の経過 第 2 章 遺跡の立地と環境 第 3 章 3 次調査の記録 第 4 章 4 次調査の記録 第 5 章 5 次調査の記録 第 2 分冊 書名 吹上遺跡Ⅱ 9 ~ 11 次調査の記録 -発行年 2004 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 52 集、日田地区遺跡群発掘調査報告 5 内容 第 6 章 9 次調査の記録 第 7 章 10 次調査の記録 第 8 章 11 次調査の記録 第 3 分冊 書名 吹上遺跡Ⅲ 7・8 次調査の記録 -発行年 2005 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 57 集、日田地区遺跡群発掘調査報告 6 内容 第 9 章 7 次調査の記録 第 10 章 8 次調査の記録 第 4 分冊 書名 吹上遺跡Ⅳ 6 次調査の記録 -発行年 2006 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 70 集、日田地区遺跡群発掘調査報告 8 内容 第 11 章 6 次調査の記録 第 5 分冊 書名 吹上遺跡Ⅴ 1・2 次調査の記録 -発行年 2013 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 110 集、市内遺跡発掘調査報告 12 内容 第 12 章 1 次調査の記録 第 13 章 2 次調査の記録 第 6 分冊 書名 吹上遺跡Ⅵ 自然科学分析調査の記録・調査の総括 -発行年 2014 年 シリーズ名 日田市埋蔵文化財調査報告書第 112 集、市内遺跡発掘調査報告 13 内容 第 14 章 自然科学分析調査の記録 第 15 章 調査の総括

(5)

第 14 章 自然科学分析の記録  第 1 節 分析の概要と経過 ……… 3  第2節 吹上遺跡出土人骨について……… 4  第 3 節 吹上遺跡4・5 号人骨の装身具着装状態について ……… 21  第 4 節 吹上遺跡から出土した弥生時代青銅器の鉛同位体比 ……… 25  第 5 節 吹上遺跡出土ガラス管玉の調査 ……… 29  第 6 節 4・5号甕棺墓出土の勾玉の材質分析 ……… 34  第 7 節 吹上遺跡出土の赤色顔料について ……… 37  第 8 節 吹上遺跡 5 号甕棺墓出土イモガイ貝輪付着赤色顔料の分析 ……… 47  第 9 節 自然科学分析調査の総括 ……… 48 第 15 章 調査の総括  第1節 各調査区の概要   1. 各調査の概要 ……… 51   2. 補足遺物の記録と修正事項 ……… 56  第 2 節 吹上遺跡の出土遺物と遺構の特色について   1. 出土土器と石器の特色について ……… 58   2. 墳墓と副葬品の特色について ……… 65   3. 古代末の遺構と遺物 ……… 76  第 3 節 吹上遺跡の出土遺構の変遷について   1. 吹上遺跡の遺構変遷について ……… 77   2. 墓地の変遷について ……… 81  第 4 節 北部九州の弥生遺跡における吹上遺跡の位置づけ   1. 日田地域の弥生集落の変遷について ……… 85   2. 北部九州の弥生遺跡における吹上遺跡の位置づけ ……… 92  第 5 節 総括 ……… 98

挿  図 ・ 写  真  目  次

本  文  目  次

(第 14 章 自然科学分析調査の記録) 第 1 節 第 1 図 調査区配置図(1/2000) ………  2 第 2 節 第 1 図 中顔幅・上顔高(女性) ………  7     第 1 表 主要頭蓋計測項目の平均値比較(女性) ……… 14     第 2 表 頭骨形態小変異 ……… 14     第 3 表 上肢骨の計測値と他集団との比較(男性) ……… 14     第 4 表 下肢骨の計測値と他集団との比較(男性) ……… 15     第 5 表 上肢骨の計測値と他集団との比較(女性) ……… 15     第 6 表 下肢骨の計測値と他集団との比較(女性) ……… 15     第 7 表 身長の推定値と他集団との比較(藤井式を用いて算出) ……… 15

(6)

写真図版1 4次1号石棺出土頭蓋骨(正面観)       4次1号石棺出土頭蓋骨(側面観)       4次1号石棺出土頭蓋骨(上面観)       9次1号甕棺出土頭骸骨       6次4号甕棺出土頭蓋骨       6次3号甕棺出土頭蓋骨 写真図版2 4次1号石棺出土上顎骨       9次1号甕棺出土下顎骨       9次 12 号甕棺出土歯牙       4次1号石棺出土四肢骨       4次2号石棺出土四肢骨 写真図版3 6次 4 号甕棺出土上肢骨       6次 4 号甕棺出土下肢骨       6次 3 号甕棺出土大腿骨       9次 2 号甕棺出土左上腕骨       9次 3 号甕棺出土右上腕骨 写真図版4 4号人骨筋付着部の発達 写真図版5 5号人骨筋付着部の発達 第3節 図1.吹上4号人骨骨盤 ……… 21     図2.吹上4号人骨胸腰部 ……… 21     図3.吹上4号人骨寛骨背後 ……… 22     図4.吹上5号人骨出土状態 ……… 22     図5.吹上5号人骨イモガイ装着状態 ……… 22 第4節 図1 日田市吹上遺跡から出土した青銅器の鉛同位体比(A式図) ……… 28     図2 日田市吹上遺跡から出土した青銅器の鉛同位体比(B式図) ……… 28     図3 今までに測定された細形銅戈、中細形銅戈と吹上遺跡資料の鉛同位体比分布(A 式図) … 28     図4 今までに測定された細形銅戈、中細形銅戈と吹上遺跡資料の鉛同位体比分布(B 式図) … 28     図5 既測定の細形銅剣、把頭飾の分布と日田資料の鉛同位体比(A 式図) ……… 28     図6 既測定の細形銅剣、把頭飾の分布と日田資料の鉛同位体比(B 式図) ……… 28     表1 日田地域から出土した青銅製品の資料出土地 ( 日田市教育委員会所蔵 ) ……… 27     表2 日田地域から出土した青銅製品の鉛同位体比値……… 27     写真 1 2 号甕棺墓出土銅戈 ……… 27     写真 2 4 号甕棺墓出土銅戈 ……… 27     写真 3 1 号木棺墓出土銅剣 ……… 27     写真 4 1 号木棺墓出土把頭飾 ……… 27 第5節 Tab.1 元素分析結果 ……… 31 Fig.1 ガラス管玉に見られる螺旋状パターン Fig.2 分析試料実測図 Fig.3 試料A側面 Fig.4 試料B側面 Fig.5 試料A分析面の反射顕微鏡写真 Fig.6 試料B分析面の反射顕微鏡写真 Fig.7 試料A分析面の反射顕微鏡写真(拡大) Fig.8 試料Aの反射電子画像 Fig.9 試料Bの反射電子画像 Fig.10 物質 a・a` のラマン分光分析結果 Fig.11 物質 b のラマン分光分析結果 Fig.12 物質 c のラマン分光分析結果 第6節 第1図 吹上遺跡出土玉類の蛍光X線スペクトル ……… 35     第1表 分析試料と分析結果 ……… 34     第2表 蛍光X線分析による元素の強度と重量% ……… 35     写真1 4号甕棺出土勾玉 ……… 36     写真2 5号甕棺出土勾玉 ……… 36

(7)

第7節 表1 吹上遺跡出土赤色顔料の分析結果一覧……… 42     図 1-1 吹上遺跡出土の赤色顔料 ……… 43     図 1-2 吹上遺跡出土の赤色顔料 ……… 44     図2 吹上遺跡出土赤色顔料の蛍光X線スペクトル図……… 45     図3 吹上遺跡出土赤色顔料のX線解析図……… 46      第8節 図1 No.2-10 イモガイ貝輪とその分析箇所 ……… 47     図 2 No.2-10 イモガイ貝輪の蛍光X線分析スペクトル ……… 47 (第 15 章 調査の総括) 第1図 吹上原台地地形測量図(1/5500) ……… 50 第2図 調査区配置図(1/2000) ……… 52 第3図 遺構配置図(1/800) ………53-54 第4図 6 次調査 4 号甕棺墓出土ガラス管玉・5 号甕棺墓出土イモガイ貝輪(1/2、1/3) ………… 57 第5図 各地域の影響が見られる吹上遺跡出土土器(1/6・10) ……… 59 第6図 弥生前期後半の日田盆地の土器(1/15) ……… 59 第7図 弥生時代中期の日田地域の土器(1/15) ……… 60 第8図 弥生時代後期前半の日田地域の土器(1/15) ……… 62 第9図 弥生時代後期後半の日田地域の土器(1/15) ……… 63 第 10 図 日田地域の甕棺①(1/25) ……… 66 第 11 図 日田地域の甕棺②(1/25) ……… 68 第 12 図 日田地域の甕棺③(1/25) ……… 69 第 13 図 日田地域の甕棺変遷(1/30) ……… 70 第 14 図 出土副葬品類 ……… 73 第 15 図 市内出土金属器類及び副葬品 ……… 75 第 16 図 時期別領域変遷図(1/4000) ……… 78 第 17 図 吹上遺跡時期別遺構変遷図(1000) ………79-80 第 18 図 6 次調査区遺構変遷図(1/200) ……… 82 第 19 図 南西端墳墓群変遷図(1/500) ……… 82 第 20 図 日田地域弥生遺跡分布図(1/300,000) ……… 85 第 21 図 日田盆地の主要弥生遺跡 ……… 88 第 22 図 弥生集落変遷図(1/400,000) ……… 90 第 23 図 北部九州地域圏推定図 ……… 93 第1表 出土管玉観察表 ……… 57 第2表 出土石器組成 ……… 64 第3表 日田地域弥生遺跡消長一覧 ……… 86 第4表 北部九州主要厚葬墓一覧 ……… 93 写真1 出土管玉 写真2 4号甕棺墓出土ゴホウラ貝輪(右手4) 写真3 5号甕棺墓出土イモガイ貝輪(左手3) 写真4 5号甕棺墓出土イモガイ貝輪(左手 11)

(8)

第 14 章 自然科学分析調査の記録

(9)

2次 3次 4次 5次 6次 7次 8次 9次 10次 1次 11次 0 100m 第 1 図 調査区配置図(1/2000)

(10)

第 1 節 分析の概要と経過

 本章においては、これまでの各章の報告において、分析編に委ねるとしてきた人骨を含む自然科学分野での調 査記録を報告する。それぞれの内容は以下のとおりである。  第 2 節においては、第 4・6・9 次調査(各年度調査)において出土人骨の取り上げを九州大学に依頼した成 果を元に執筆いただいた。それぞれの調査体制は、第 1 章第 4 節に記載しているとおりであるが、改めて以下 に記す。( 職名は当時のままとする。) 第 4 次調査 土肥直美(九州大学医学部助手)、田中良之(同医学部助手) 第 6 次調査 田中良之(九州大学大学院教授)、金宰賢(同助手)、石井博司(九州大学比較社会文化研究科) 第 9 次調査 田中良之(九州大学大学院教授)、金宰賢(同助手)  第 3 節においては、第 6 次調査の墳墓より出土した青銅製品の分析を平成 7 年に東京文化財研究所平尾良光 氏(現別府大学名誉教授)に依頼し、成果の一部は平成 11 年発行の『古代青銅の流通と鋳造』にて報告されて いるが、その成果を元に改めて執筆いただいた。  第 4 節においては、第 6 次調査 4 号甕棺墓より出土したガラス管玉の破片の分析を平成 22 年に九州大学に 依頼した成果を執筆いただいた。なお、分析に用いた資料は破壊分析の素材となるため、重要文化財指定対象物 (当時は未指定)以外の微細破片 2 点を選別した。  第 5 節においては、第 6 次調査 4・5 号甕棺墓より出土した硬玉勾玉の材質分析を熊本大学大坪志子助教に依 頼した成果を元に執筆いただいた。分析は重要文化財指定以前の平成 19 年に行われた。  第 6 節においては、第 6 次調査の墳墓より出土した赤色顔料の分析を九州国立博物館志賀智史氏に依頼し、 執筆いただいた。赤色顔料のサンプル及び分析は、調査当時のものを対象として実施した。  第7節においては、平成 24 年度に重要文化財吹上遺跡出土品のイモガイ貝輪に付着していた赤色顔料を修理 受託業者である元興寺文化財研究所がその過程において分析し、執筆いただいた。  なお、これまでの調査組織及び調査協力者については『吹上Ⅰ』第1章第4節及び『吹上Ⅰ~Ⅴ』の各章第 1 節に記載しており、本報告に関する平成 25 年度の組織体制は以下のとおりである。  調 査 主 体 日田市教育委員会  調査責任者 合原多賀雄(日田市教育委員会教育長)  調 査 統 括 財津俊一(同文化財保護課長)  調 査 事 務 園田恭一郎(同文化財保護課埋蔵文化財係長)、華藤善紹(同係副主幹)  報告書担当 渡邉隆行(同係主査)第 1・9 節  分 析 執 筆 第 2 節;九州大学 舟橋京子・岩橋由季・米元史織・田中良之※ 各所属の詳細は本文に記載        第3節;九州大学 田中良之        第 4 節;東京文化財研究所 鈴木浩子・平尾良光(現別府大学名誉教授)        第 5 節;九州大学 谷澤亜里・足立達朗・小山内康人・田中良之        第 6 節;熊本大学 大坪志子        第 7 節;九州国立博物館 志賀智史        第 8 節;元興寺文化財研究所 川本耕三  調 査 協 力 大分県立歴史博物館第2節 出土人骨の分析

(11)

第2節 吹上遺跡出土人骨について

      舟橋京子1・岩橋由季2・米元史織2・田中良之3        1:九州大学総合研究博物館・九州大学アジア埋蔵文化財研究センター         2:九州大学大学院比較社会文化学府基層構造講座        3:九州大学大学院比較社会文化研究院・九州大学アジア埋蔵文化財研究センター

1.はじめに

大分県日田市吹上遺跡 4 次・6 次・9 次調査において検出された甕棺から人骨が出土した。調査を担当した日 田市教育委員会より九州大学医学部第二解剖学講座・九州大学大学院比較社会文化研究院基層構造講座に調査依 頼があり、3 度にわたり人骨の調査および取り上げを行った。その後人骨は九州大学へと搬入され、第二解剖学 講座・本講座および平成 25 年 5 月新設の九州大学アジア埋蔵文化財センターにおいて整理・分析をおこなった。 その結果を報告する。4 次調査出土人骨に関しては、第二解剖学講座により整理・分析・報告がすでに行われて いるためその結果を引用する(土肥他 1987)。なお、人骨は現在全て九州大学大学院比較社会文化学府古人骨・ 考古資料収蔵室に保管されている。

2.出土状態

≪4次調査1号石棺≫  本個体は、石棺内に頭位を東にとった仰臥伸展の状態で埋葬されている。  石棺内西側から下顎がオトガイを西に上面を上にした状態で出土しており、頭蓋は右側位転落し側頭部を上顔 面を西に向けた状態で出土している。左右上肢骨は肘関節を強屈した状態で出土している。石棺中央付近からは 左右寛骨が、さらに西側からは大腿骨と脛骨がほぼ解剖学的正位置を保った状態で出土している。 ≪4次調査2号石棺≫  本個体は、石棺内に頭位を北にとった仰臥伸展葬の状態で埋葬されている。  石棺内北側から頭蓋が顔面を南に向けた状態で出土している。頭蓋の南側からは躯幹骨および上肢骨が出土し ている。第3腰椎から仙骨は関節した状態で出土している。左右の上肢は肘関節を軽屈し手を下腹部においた状 態である。棺内南側からは下肢が膝関節を伸展した状態で出土している。左右寛骨と大腿骨もそれぞれ関節した 状態である。 ≪ 6 次調査 3 号甕棺≫  人骨は合わせ口式甕棺の下甕胴部付近からまとまった状態で出土している。頭蓋片が最も上から出土してお り、その直下から左大腿骨が近位を東に長軸を東西にした状態で出土している。左大腿骨直下からは左腓骨が大 腿骨と長軸をそろえた状態で出土している。これらの下肢の西側よりも低い位置から、右上腕骨が長軸を下肢同 様東西にした状態で出土している。これら四肢骨の南側からは頭蓋骨片が出土している。  以上のように人骨は解剖学的位置関係を全く示さず、関節状態にあったものが軟部組織の腐朽に伴い下方にず り落ちたという状態でもない。加えて、後述するように保存状態がよくないものの全身の骨格がそろっていたと は考えられない遺存の仕方である。したがって、本人骨に関しては、改葬の可能性が考えられる。 ≪ 6 次調査 4 号甕棺≫  本個体は三連甕棺の中甕肩部付近から頭蓋骨が出土し、下甕から頸椎以下の全身の骨が出土しており、頭位を 上甕側にとった仰臥屈葬の状態である。頭蓋骨は右側頭部を上、顔面側を北東側に向けた状態で出土している。 頭蓋の東側から、第 6 胸椎から仙骨までが、第 3 腰椎以下で右側に 1.5 ㎝ほど長軸がずれているもののほぼ関

(12)

節した状態で出土している。環椎・軸椎は転落して第 12 胸椎の南側から出土している。椎骨の両側からはそれ ぞれ左右の肋骨が腰椎付近まで落ち込みまとまった状態で出土している。右肋骨の西側からは右肩甲骨・右上腕 骨が出土している。右上腕は外側を上に近位を西にし長軸を東西にした状態で出土している。右上腕骨の東側か らは前腕が近位を西に長軸をほぼ東西にした状態で出土している。右橈骨は後面を上にし、右尺骨は後面外側を 上にし、肘関節を若干屈し前腕をやや回内した状態で出土している。左肋骨の東側からは左上腕骨・尺骨が出土 している。左上腕骨は近位を南に後面を上にし長軸を南北にした状態で出土している。左尺骨は近位を南東に し、左上腕骨と関節した状態で出土している。  下肢は膝関節を強屈し両膝が左右に開いて器壁にもたれかかった状態である。仙骨の左右からは仙腸関節がほ ぼ関節した状態で左右寛骨が出土している。寛骨の東側からは股関節が関節した状態で左右大腿骨が出土してい る。右大腿骨は内側を上にし遠位を南東にした状態で出土しており、その北側直下からは左脛骨・腓骨が出土し ている。左大腿骨も内側を上にし近位を北東にした状態で出土しており、左大腿骨遠位の南側に接して左脛骨が 出土している。  この他にも頭蓋西側の中甕胴部付近から肋骨片が出土し、左肋骨付近からは第一中足骨が出土している。 以上の出土状況から本人骨は下甕口縁側に頭をとり仰臥位で下肢を強屈した状態で埋葬されていたが、甕棺 の傾斜が大きいため、軟部組織の腐朽に伴い頸椎・左右肋骨および上肢が下方に転落あるいはずれたと推定され る。頭蓋西側の肋骨および第一中足骨は本来の位置関係からかなり動いた位置から出土している。これらの人骨 は甕内に雨水が流入した際に浮遊して本来の位置から移動したと推定される。 上甕には銅戈と鉄剣が置かれており、右前腕にはゴホウラ製貝輪の着装が認められる。右寛骨直上および胸 椎から寛骨の直下から管玉が並んだ状態で出土している。さらに腰椎付近からは勾玉も出土している。これらの 副葬品の出土状況に関する詳細は別項を設ける。 ≪6次調査 5 号甕棺≫  本個体は合わせ口式の甕棺の上甕から頭蓋骨から上部胸椎までが出土し、下部胸椎以下が下甕から出土してお り、頭位を上甕側にとった仰臥屈葬である。 頭蓋は粘土で設けられた枕の上から頭頂部を西にし顔面が南を向いた状態で出土している。頭蓋の西側から は上部胸椎および左右肋骨片と左右肩甲骨・左右鎖骨が出土している。これらの部位は胸椎を挟んでおおよそ北 側に右側、南側に左側が位置している。下甕の口縁付近から左上腕骨が近位を東に長軸を東西にした状態で出土 している。左前腕は近位を北東に遠位を南西にし、上腕と関節し回外した状態で出土している。この北側からは 左手の基節骨・中節骨が近位を南側にしまとまった状態で出土している。頭蓋の北西側からは右上腕骨が長軸を 東西に近位を東にした状態で出土している。この西側からは右前腕が近位を北に長軸を南北にした状態で出土し ている。右上肢は関節状態になく、肘関節を軽屈し前腕を回内した状態である。左右上腕骨間のやや右上腕寄り の位置から腰椎が上面を東に前面をやや斜め上にし関節した状態で出土している。さらにその西側からは仙骨・ 左寛骨が上面を上に前面を西にし、仙腸関節がほぼ関節した状態で出土している。これらの骨の西側からは左右 下肢が膝関節を強屈し膝が左側に倒れた状態で出土している。 以上の出土状況から、本人骨は上甕側(東側)に頭位をとり仰臥位で上肢を軽屈し、下肢を強屈し左側に倒 した状態で埋葬されていたと推定される。その後軟部組織の腐朽に伴い、傾斜のある上甕側に位置していた上肢 が下甕底部側にずり落ちた際、左上肢は手関節が外れ、掌は腹部付近に崩落し前腕部は甕棺壁に添って遠位側が 若干持ち上がったような状態になったと推定される。  本個体の頸部付近から勾玉が出土している。左右上肢骨は貝輪を着装した状態で出土している。特に左上肢は 肘関節付近から中手骨・基節骨まで貝輪着装範囲が及んでいる。

(13)

≪ 9 次調査 1 号甕棺≫  本個体は、接口式甕棺の上甕側に頭位をとった屈葬である。上甕の口縁付近から頭蓋片が出土している。下甕 からは、口縁側から頭蓋骨、左鎖骨、下顎骨、右上腕骨が出土している。さらにこれらよりも底部側(西側)か らは右大腿骨および椎体片が出土している。  以上のように本人骨は全く関節状態にないものの、上甕側から下甕底部側に向かって、頭蓋、上肢、下肢の順 で出土していることから、頭位を上甕側(東)にとった屈葬であると推定される。 ≪ 9 次調査 2 号甕棺≫  人骨は、接口式甕棺下甕の底部付近からまとまった状態で出土している。胴部よりから上腕骨が長軸を南北に した状態で出土している。この南西側からは肋骨・左脛骨・大腿骨・中足骨・歯牙がまとまった状態で出土して いる。以上のように本人骨は下甕底部付近に落ち込んだ状態で出土しており全く関節状態にないものの、おおむ ね上肢が北(下甕胴部側)下肢が南(下甕底部側)から出土していることから、頭位を上甕側(北)にとった屈 葬であると推定される。 ≪ 9 次調査 3 号甕棺≫  人骨は、接口式甕棺下甕に仰臥屈葬の状態で埋葬されている。最も口縁よりから左右の上腕骨が長軸を南北に した状態で出土している。左右上腕骨の間からは頭蓋片・歯牙・肋骨片が出土している。上腕の南西側すなわち 下甕底部側からは下肢がまとまった状態で出土している。右下肢は長軸を北西―南東にし、大腿骨が近位を南東 にし、脛骨が近位を北西にした状態で出土している。左下肢は右下肢の南側に重なるようにして、長軸を東西に した状態で出土している。これらの下肢は膝関節を強屈し膝が右側に倒れた状態である。左脛骨遠位端に接して その東側から左距骨・踵骨など足骨がまとまった状態で出土している。以上のように本人骨は頭位を上甕側(北) にとった仰臥屈葬であり、埋葬後下甕底部方向に上半身がずり落ちたと推定される。 ≪ 9 次調査 12 号甕棺≫  人骨は、合わせ口式の小児用甕棺から頭位を上甕側にとった屈葬の状態で出土している。おおよそ頭蓋が上甕 側(西)、下肢が下甕底部側(東)から出土している。人骨は上甕内胴部付近から頭蓋片・歯牙が出土しており、 その東側つまり上甕口縁側から肋骨および下肢が出土している。下肢は上甕と下甕の口縁付近から長軸をほぼ東 西にした状態で出土している。大腿骨は近位を東にし脛骨は近位を西にした状態で出土している。脛骨の回から は歯牙が 1 点出土している。以上のように本人骨は頭位を上甕側(西)にとった屈葬であり、埋葬後全体的に 下甕底部方向にずり落ちたと推定される。 ≪ 9 次調査 5 号石棺甕棺併用墓≫  本個体は、甕と石材を併用した棺内から、頭位を甕側にとった伸展葬の状態で出土している。甕内から椎骨片 が出土している。石棺内北西側からは椎骨・寛骨・大腿骨片が出土している。石棺の小口側(南東)からは左右 脛骨および距骨・踵骨が出土している。以上のように本人骨は石棺内の甕に近い北西側から腰部および大腿部が 出土し、小口側から下腿と足骨が出土していることから、石棺内に下半身が伸展した状態で埋葬されており、上 半身は甕内に位置していたと推定される。したがって、本個体は頭位を甕側(北西)にとった伸展葬であると推 定される。

3.人骨所見

 以下に人骨の所見を報告する。なお、4次調査出土人骨に関しては既報告文(土肥他 1987)の内容を引用す る。なお、体裁に関しては一部改編を加えている。

(14)

≪4次調査1号甕棺人骨≫  残存部位は以下に示すように下半身が大半である:上腕骨遠位部細片、仙骨小片、左右大腿骨骨体上半部、左 右脛骨下半部、赤色顔料の付着した頭蓋骨細片1個。  大腿骨はややきゃしゃな印象を受け、粗線の発達も不良であることから、女性の可能性が強いように思われ る。年齢については、骨端線が消失しており、成人に達していたことは確かであるが詳細は不明である。 ≪4次調査1号石棺出土人骨≫  【保存状態】  頭蓋骨は、比較的保存良好であったが、四肢骨の骨質は非常にもろく計測に耐えうるものはほとんどなかっ た。残存部位は以下のとおりである:右側頭部と下顎枝を破損する頭蓋骨、左右の肩甲骨片、左右上腕骨上半部、 左前腕骨骨体部、右橈骨骨体下半部、左右大腿骨下半部、右脛骨骨体部、左右寛骨片、及び少量の椎骨と肋骨片。  残存歯の歯式を以下に示す。 ×

M

1

P

2

P

1 ×

C

I

1

I

1

I

2

C

P

1

P

2

M

1

M

2

M2

M1

P2

P1

C

I2

I1

I1

I2

C

P1

P2

M1

M2

( ○歯槽開放 ×歯槽閉鎖 /欠損 △歯根のみ ●遊離歯 ( ) 未萌出 c 齲歯 以下同様) 【年齢・性別】  乳様突起・眉弓の発達は弱く、四肢骨もきゃしゃである。また、大坐骨切痕の角度も大きいことから、性別は 女性と推定した。  年齢は、頭蓋主縫合が内板・外板ともに全て開離していることと、歯牙咬耗度(Brocca1 ~ 2 度)から成年 (30 代 ) と推定した。 【形質】  計測値を表 1 に示す。脳頭蓋の各示数は、それぞれ中頭(M8 / 1)・正頭(M 17 / 1)・平頭(17 / 8) に属している。顔面の高径は低く、各示数は低顔の傾向を示している。図 1 は、周辺集団のものとともに上顔 高と中顔幅の分布を見たものであるが、本人骨は平均的な豊後古墳人(永井 1985)の特徴を持っているようで ある。眼窩は中~高型、鼻示数は広鼻型に属していた。また、鼻根部は表 1 の数値からも明らかなように扁平で、 歯槽性突顎の傾向がうかがえる。  さらに、頭蓋非計測的小変異の観察の結果、表 2 に示す ように、顆管欠如(右)前頭側頭連結(左)、眼窩上縁孔 (左)が認められた。 【特記事項】 頭蓋骨に赤色顔料の付着が認められた。 上顎左側切歯は矮小化し、円錐歯となっている(図版 2)。そして、先天的な欠如と思われる上顎右側切歯の位 置には上顎犬歯が転位している。本来の犬歯の位置は歯槽 が完全に閉鎖しており、小臼歯の舌側は近心側に捻転して いる。このような犬歯の転位は、側切歯が欠如する個体に おいて、乳歯と永久歯が交替する際にしばしば起こるとさ れている(藤田 1949)。また、その際、乳犬歯はそのま まある時期まで(若~壮年期まで残ることもある)残存す 図 1 中顔幅・上顔高(女性) 90 100 110 70 70 M48 M46 吹上1号石棺人骨 豊前北部古墳人 豊後古墳人 豊後南部古墳人

(15)

ることが多いが、次第に歯根が吸収され、遂には脱落すると言われている(藤田 1949)。本人骨はこの様な例 と思われる。永久歯の転位についてはしばしば報告されており(河西 1952;柏村 1954)、側切歯と犬歯が完 全に入れ替わることもあり得る(木本 1957)ため抜歯の可能性を全く否定してしまうことは出来ないが、一見 しただけでは、風習的抜歯と誤認してしまう危険性を持つ例であろう。この様な例は全体からすれば希有なもの であろうが、風習的抜歯を推定する際には、今後とも注意深い観察が必要と思われる。 また、本人骨の第 3 大臼歯は全て未萌出であった。レ線による観察が不可欠であることは言うまでもないが、 歯槽骨の形状等から推察すると、先天的な欠如の可能性が強い。 咬合型式は鉗子咬合、咬耗度は Brocca の 1 ~ 2 度であった。また、大臼歯の咬頭型は表 7 に示すように上 顎が 4・4 -型、下顎はすべて+ 5 型であった。う歯、歯周症等は認められなかった。 《4 次 2 号石棺出土人骨》 【保存状態】  1 号石棺人骨と同様に、保存状態は不良である。残存部位は以下の通りである:少量の頭蓋骨小片、右上腕骨 骨体部、左上腕骨遠位部、左右前腕骨の遠位部、左右寛骨(右は保存不良)、右大腿骨上半、遠位端を欠く左大 腿骨、左右の脛骨片。 残存歯の歯式を以下に示す。

M

3

M

1

(C)

(I

2

)

I

1

I

1

I

2

C

P

1

P

2

M

1

M3

M2

M1

P2

P1

C

I2

I1

I1

I2

C

P1

M2

【性別・年齢の推定】 大坐骨角はやや大きく、微かながら前耳状溝が認められるが、恥骨下角および恥骨の形状は男性的である。 また、四肢骨も太く頑丈なことから、性別は男性と推定した。 年齢は、歯牙咬耗度(Brocca の 1 ~ 2 度)と恥骨結合面観(埴原の 3 ~4期(埴原 1952))から成年(30 代)と推定した。 【形質】 1)四肢骨  計測表は表 5・6 に示す通りである。大腿骨に扁平傾向が認められる。 【特記事項】 ほぼ全身骨に赤色顔料の付着が認められる。 上顎右側切歯と犬歯は接合しており、また、上顎右第 3 大臼歯は矮小化している。1 号石棺人骨の例と共に 興味深い所見である。咬合型式は不明、咬耗度は Brocca の 1 ~ 2 度であった。表 7 に示すような咬頭型は上顎 第 1 大臼歯が 4 型、下顎第 1 大臼歯が Y5 、第 2 大臼歯が+ 5、第 3 大臼歯が+ 6 型であった。 ≪ 6 次調査 3 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。頭蓋骨はラムダ縫合を含む右頭頂骨片と後頭骨片が遺存している。主要三縫 合は、矢状縫合が外板は開いているが内板は閉じかけており、ラムダ縫合は内・外板ともに開いている。 上肢骨は、右上腕骨骨体部が遺存している。上腕骨三角筋粗面は発達しているものの骨体は細い。 下肢骨は、左大腿骨遠位側 3 分の 1、左脛骨近位端片、左腓骨遠位側 3 分の 1 が遺存している。 〈性別と年齢〉性別は、判定可能な部位が遺存していないため不明である。年齢は、頭蓋主要三縫合の閉鎖状況 から成人と推定される。

(16)

【特記事項】  頭蓋片には赤色顔料の付着が認められる。 ≪ 6 次調査 4 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態はあまりよくない。頭蓋は左眼窩付近を除く前頭骨・左右頭頂骨・後頭骨が遺存している。 冠状縫合は外板・内板ともに閉鎖している。矢状縫合は外板は閉鎖しかけであり内板は閉鎖している。ラムダ縫 合は外板が開いており、内板はほぼ閉鎖している。歯牙は上顎左犬歯もしくは下顎右第一小臼歯のエナメル質片 が遺存している。咬耗度は栃原の 2° b である。外後頭隆起・乳様突起は発達している。 躯幹骨は、環椎・軸椎の他第 6 -第 12 胸椎・腰椎 5 点および仙骨と左右肋骨数本ずつが遺存している。腰 椎にはリッピングが認められる。  上肢骨は、右肩甲骨と右上腕骨骨頭片および遠位片と左上腕骨遠位側 3 分の 1、右橈骨・尺骨および左尺骨近 位側 3 分の 1 が遺存している。  下肢骨は左右寛骨、右大腿骨および左大腿骨・右脛骨の近位側 3 分の 1、右腓骨骨体部、左脛骨近位端片およ び左右脛骨遠位端片が遺存している。他にも左右距骨が遺存している。寛骨の大坐骨切痕角は小さい。大腿骨の 粗線および脛骨ヒラメ筋線は発達している。 【年齢・性別】  年齢は、頭蓋主縫合の閉鎖状況と歯の咬耗度および腰椎のリッピングから熟年と推定される。性別は、大坐骨 切痕角が小さく大腿骨粗線および脛骨ヒラメ筋線が発達していることから男性と判定される。 【形質的特徴】  本個体は、四肢骨の計測が可能であったのでその計測値を表に示す(表 3・4・7)。橈骨は骨体の周径が計 測可能であり、いずれの値も比較集団と同じ程度である。尺骨は最大長は比較集団の中で津雲縄文集団と同程度 の値であり、周径は比較群中最も小さい値である。大腿骨は最大長・自然位長ともに比較群中最も小さい値であ る。矢状径は比較集団中最も大きく、横径は津雲縄文集団と同程度の値である。骨体中央断面示数は 121.2 で あり強い柱状性を示す。脛骨の計測値はいずれも北部九州古墳集団と同程度の値である。  大腿骨最大長を用いた藤井式に基づく推定身長は 153.2 ㎝であり、比較群中最も低い値である。 【特記事項】  頭蓋から大腿部にかけて赤色顔料の付着が見られる。  上述の下肢の発達以外にも、上肢の円回内筋・方形回内筋付着部や尺骨粗面および下肢の大殿筋粗面・腸腰筋 付着部など四肢骨全体的に発達が見られる。  腰椎および寛骨の閉鎖孔にリッピングが認められる。

(17)

≪ 6 次調査 5 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態はあまりよくない。頭蓋は冠状縫合を含む前頭骨片・右頭頂骨片と矢状縫合およびラムダ 縫合を含む左右頭頂骨片・後頭骨片が遺存している。冠状縫合は外板は開いており内板は閉鎖している。矢状縫 合は外板・内板ともに開いている。歯牙も依存しており、残存歯牙の歯式は以下のとおりである。 ● ●

● ●

P

2

P

1

P

1

P

2

M

3

M

2

P

2

M

1

M

2

● ● ●

C

歯牙の咬耗度は栃原(1957)の 1° c ~ 2° a である。 躯幹骨は、胸椎 10 点・腰椎 4 点および仙骨右側 3 分の 2 と左右肋骨数本ずつが遺存している。腰椎にはリ ッピングが認められる。  上肢骨は、左右肩甲骨の関節窩付近片と左および右鎖骨の内側 3 分の 1、骨頭を除く右上腕骨、骨体部をのぞ く左上腕骨、右橈骨・尺骨の遠位側 2 分の 1、左橈骨・尺骨、左第 1 - 5 中手骨・左三日月骨・左舟状骨・左 大菱形骨が遺存している。上腕骨三角筋粗面はやや発達している。  下肢骨は、腸骨翼および恥骨下枝を除く右寛骨、左寛骨の恥骨上枝、右大腿骨大転子付近片・骨体部・遠位端、 左大腿骨遠位端、骨体部を除いた右脛骨、左脛骨・右腓近位部、左腓骨骨体部・左距骨・左踵骨・左立方骨・左 内側楔状骨・左中足骨 2 点および右中間楔状骨・内側楔状骨・右中足骨 2 点が遺存している。寛骨の大坐骨切 痕角は大きい。前耳状溝が見られる。大腿骨の粗線および脛骨ヒラメ筋線はやや発達している。 【年齢・性別】  年齢は、頭蓋主縫合の閉鎖状況および歯の咬耗度から成年後半から熟年前半と推定される。性別は、上腕骨三 角筋粗面・大腿骨粗線および脛骨ヒラメ筋線はやや発達しているものの大坐骨切痕角が大きいことから女性と判 定される。 【特記事項】  上半身に赤色顔料の付着が見られる。  女性ではあるものの、上述の部位以外にも肋鎖靭帯・大胸筋・大円筋・広背筋・回内筋・方形回内筋など様々 な筋の付着部に発達が見られる。  第 4 腰椎の椎弓右上部に骨増殖が認められる。  前耳状溝が認められることから、妊娠・出産経験があったと推定される。 ≪ 9 次調査 1 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。頭蓋骨は右眼窩付近と冠状縫合を含む前頭骨片、右頬骨の眼窩付近片、ラム ダ縫合を含む左右頭頂骨片、鱗状部を除く右側頭骨、後頭骨および下顎体が遺存している。主要三縫合は、冠状 縫合が外板は閉じかけており内板は閉じている。矢状縫合が外板・内板ともに閉じており、ラムダ縫合は外板は 開いており内板は閉じかけている。眼窩上隆起はやや発達しており乳様突起・外後頭隆起は発達していない。歯 牙は上顎右中切歯のみが遺存している。残存している下顎は右犬歯および左小臼歯部以外は全て歯槽が閉鎖して いる。

(18)

躯幹骨は、椎骨片 5 点が遺存している。 上肢骨は、左鎖骨・左肩甲骨関節窩付近・左上腕骨骨頭・右上腕骨骨体部が遺存している。上腕骨三角筋粗 面はやや発達している。 下肢骨は、右大腿骨近位側片が遺存している。 【性別と年齢】性別は、眼窩上隆起・上腕三角筋粗面はやや発達しているものの、乳様突起・外後頭隆起が発達 していないため女性と判定される。年齢は、頭蓋主要三縫合の閉鎖状況および歯槽の閉鎖状況から熟年以上と推 定される。 ≪ 9 次調査 2 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。 歯牙は下顎左第一小臼歯と第一大臼歯が遺存している。歯牙咬耗度は栃原(1957)の 2° b である。 躯幹骨は、肋骨片が遺存している。 上肢骨は、左上腕骨骨体部が遺存している。上腕骨骨体部はやや細いものの三角筋粗面はやや発達している。 下肢骨は、左右不明大腿骨遠位端片、左脛骨骨体部・距骨片・中足骨 2 点が遺存している。脛骨骨体部はや や細い 【性別と年齢】性別は、上腕および脛骨の骨体が細いことから女性の可能性が考えられる。年齢は、歯牙咬耗度 から成人と推定される。 ≪ 9 次調査 3 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。頭蓋は右上顎骨の眼窩付近片と下顎の左下顎頭付近片が遺存するのみである。 歯牙も一部遺存しており、上顎左中切歯・犬歯・上顎右第二小臼歯・上顎左右第一大臼歯やその他部位同定困難 なエナメル質片が遺存している。歯牙咬耗度は栃原(1957)の 1° c である。 躯幹骨は、軸椎の歯状突起付近および肋骨片が遺存している。 上肢骨は、左右上腕骨骨体部と基節骨 1 点が遺存している。上腕骨三角筋粗面は発達している。 下肢骨は、左右大腿骨骨体片、右脛骨骨体部・左右脛骨近位端・左右脛骨遠位端・左腓骨片・左距骨・左踵骨・ 左立方骨・左第 5 中足骨が遺存している。大腿骨の粗線は発達している。 〈性別と年齢〉性別は、上腕三角筋粗面および大腿骨粗線が発達していることから男性と判定される。年齢は、 歯牙咬耗度から成年と推定される。

(19)

≪ 9 次調査 12 号甕棺出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。歯牙が一部遺存しており、残存歯牙の歯式は以下のとおりである。

(

M

1

) /

(

I

1

)

/ (

M

1

)

● ●

m

2

i

1

i

1

m

1

m

2

m

2

m

1

c

m

1

m

2

● ● ●

(

M1

) /

(

C) / (I1

) (

I1

)

/ (

M1

)

● ● ●

 第一大臼歯は歯冠のみ完成した状態である。 躯幹骨は、肋骨片が遺存している。 上肢骨は、左右不明尺骨骨幹部片が遺存している。 下肢骨は、左右不明大腿骨骨幹片、左右不明脛骨骨幹片が遺存している。 【性別と年齢】性別は、判定可能な年齢に達していないため不明である。年齢は、歯牙の萌出状況から幼児(3 歳前後)と推定される。 ≪ 9 次調査 5 号石棺甕棺併用墓出土人骨≫ 【保存状態】 本人骨の保存状態は良くない。 躯幹骨は、椎体片が遺存している。 下肢骨は、左右不明寛骨片・左右不明大腿骨片・左右脛骨遠位部片・左右距骨片・左右踵骨片・左右不明中 足骨片が遺存している。 【性別と年齢】性別および年齢は、推定可能な部位が遺存していないため不明である。

4.親族関係

吹上遺跡においては 4 次調査出土人骨間で親族関係の推定が可能であった。以下に 4 次調査の報告を引用す る(土肥他 1987)。 吹上 1・2 号石棺は主軸を直行させて築造されたものである。この頭位の差異については、甲元真之によって 被葬者の出自の差を反映したものであるとの解釈が示されている(甲元 1977)。これに即して本例を見るなら ば、1・2 号石棺に葬られた男女は血縁的におそらくは他人であり、しかもきわめて近接して葬られていること から夫婦であった可能性すらあることになろう。 そこで、歯冠計測値を用いた血縁者推定法(土肥他 1986)を本例に適用したところ、有効と考えられる歯種 の組み合わせ全てにおいて高得点を得ることができた(表 8・9)。しかも、その中にはイトコまで親等が離れ ると有効性を失う組み合わせ(P1P2 M1 P 1 P2 M1)も含まれている。甲元の仮説は弥生時代の北部九州~山口地 方について提唱されたものであり、本例とは時期・地域ともに異なることから甲元説自体を本例で云々し得ない ことは言うまでもない。しかし、表 5 の結果はこの 2 体が血縁関係にあった可能性を強く主張しており、甲元 説に即した解釈が成立困難であることを示している。 都出比呂志は、共同墓地の頭位について、甲元説をある程度承認しつつも、出自原理にもとずかない事例の

(20)

≪参考文献≫ 石川健・舟橋京子・渡辺誠・原田智也・田中良之,2004:長湯横穴墓出土人骨について.長湯横穴墓群 桑畑遺跡.大分県教育委員会. 河西秀智,1952:歯牙位置交換の 2 例.解剖学雑誌,27. 柏村 毅,1954:両側性に永久歯の位置交換と先天欠如をみた一症例.解剖学雑誌,29. 木本信義,1957:転換歯の 1 例.歯科学報,57 甲元真之,1977:弥生時代の社会.金関恕・佐原真編.古代史発掘.講談社. 田中良之,1995:古墳時代親族構造の研究 田中良之,2000:墓地からみた親族・家族.古代史の論点2.小学館. 田中良之・大森円,1999:陣ヶ台遺跡出土の人骨について.陣ヶ台遺跡.玖珠町教育委員会. 田中良之・舟橋京子・米元史織・高椋浩史・岩橋由季・谷澤亜里・早川和賀子・中井歩,2013:志津里遺跡B地区出土人骨について.志津里 遺跡B地区1~3次発掘踏査報告書.大分県教育庁埋蔵文化財センター 都出比呂志,1986:墳墓.近藤義郎他編,岩波講座日本考古学 4.岩波書店. 栃原 博,1957:日本人歯牙咬耗度に関する研究.熊本医学会雑誌,31-4. 土肥直美・田中良之・船越公威,1986:歯冠計測値による血縁者推定法と古人骨への応用.人類学雑誌,94(2) 土肥直美・田中良之・永井昌文,1987:吹上遺跡出土人骨について.日田地区遺跡群発掘調査概報Ⅱ.日田市教育委員会. 永井昌文,1985:北部九州・山口地方、シンポジウム「国家成立前後の日本人」.季刊人類学、16(3). 埴原和郎,1952:日本人男性恥骨の年齢的変化について,人類学雑誌,62. 藤田恒太郎,1949:歯の解剖学.金原出版,東京. 存在も示唆している(都出 1986)。よって、仮に出自によって頭位が規定される社会が存在したとしても、吹 上遺跡の事例は、都出が示したような、出自による頭位規制を行わない例の一つとして考えた方がいいだろう。 しかし、本遺跡における墓群の全体像も群構成も今のところ不詳であり、今回の事例のみで該期のこの遺跡にお ける親族関係を推定し得るものではない。したがって、本遺跡を含めた日田盆地における資料の増加を待ちた い。

5.まとめ

 以上出土人骨についての記載 ・ 報告を行ってきた。その結果は以下の通りである。 形質的特徴に関しては、本遺跡出土人骨は 4 次調査の 1 体を除いては保存状態があまり良くなく、計測に耐 えうる人骨は少なかった。その結果を見ると、眼窩はやや高く一方で顔が低く鼻が広いといった形質的特徴を示 している。4 次報告後の資料の増加により、このような北部九州・弥生・古墳人と豊後古墳人の形質的特徴を併 せ持つ様相が日田・玖珠など豊後山間部において見られることが明らかになってきており、豊後古墳人内の地域 性が指摘されている(田中・大森 1999;石川他 2004;田中他 2013)。本例もまた、個人的な特徴の可能性 を残す一方で、当該地域の形質的特徴を示す可能性も考えられる。 副葬品を豊富に有する 6 次調査 4 号・5 号甕棺出土人骨に関しては、ともに四肢の筋付着部に発達が見られ ることから、すでに田中が指摘していた様にある程度肉体労働を伴う生業活動に従事していたことは明らかであ ろう(田中 2000)。副葬品の出土状況に関しては興味深い所見が得られており、詳細は別項をご参照いただき たい。  親族関係に関しては、近接する石棺に埋葬された男女に血縁関係が推定されている。古墳時代前半期という石 棺の構築時期を考慮すると、4 次調査報告後に研究が大きく進展した古墳時代親族構造研究(田中 1995)のモ デル通り、埋葬の際に夫婦が単位となっていない状況を示しうる事例であるといえよう。  最後に本報告にあたり、日田市教育委員会各位にはご便宜を賜った。深謝したい。

(21)

4次1号 石棺 N M n M n M n M n M 1 頭蓋最大長 177 2 177.0 14 171.6 4 174.3 3 175.7 15 177.9 8 頭蓋最大幅 138 4 139.5 15 135.4 3 136.7 1 136.0 17 138.5 17 Ba-Br高 125 2 131.0 12 128.5 3 131.0 4 134.3 10 130.9 8/1 頭長幅示数 78.0 2 78.8 12 79.1 3 78.3 1 76.8 15 77.4 17/1 頭長高示数 70.6 1 74.0 9 74.7 3 74.3 2 73.0 8 74.1 17/8 頭幅示数 90.6 2 93.9 9 95.3 2 97.1 1 92.6 10 94.1 45 頬骨弓幅 (128) 2 130.5 12 129.9 2 131.0 3 136.0 6 133.0 46 中顔幅 97 3 102.0 18 98.2 3 97.3 4 102.0 16 99.1 47 顔高 104 0 - 7 106.4 1 114.0 1 114.0 4 115.5 48 上顔高 63 3 63.0 17 65.6 2 67.5 3 69.7 14 67.2 47/45 顔示数(K) 81.3 0 - 6 81.6 1 86.4 1 85.1 2 83.5 47/46 顔示数(V) 107.2 0 - 7 107.8 2 58.8 1 123.9 4 113.4 48/45 上顔示数(K) 49.2 1 48.3 12 50.2 2 51.5 1 49.3 5 51.7 48/46 上顔示数(V) 64.9 2 61.8 17 67.0 2 69.6 2 70.7 14 67.9 51 眼窩幅(左) 38 4 40.0 17 40.8 3 41.7 4 42.0 16 41.4 52 眼窩高(左) 33 4 32.3 17 33.4 3 33.7 6 33.5 17 33.9 52/51(L) 眼窩示数(左) 86.8 4 80.6 16 81.9 3 80.9 4 80.5 16 81.6 54 鼻幅 26 3 26.0 15 24.4 3 26.3 4 25.3 14 25.6 55 鼻高 47 3 49.0 16 48.1 2 49.0 3 47.0 13 48.4 54/55 鼻示数 55.3 3 53.1 14 51.0 2 55.2 3 55.0 13 53.2 Frontal Chord 90 - - - - -Subtense 11.7 - - - - -Index 13.0 - - - - -Simotic Chord 8.7 - - - - -Subtense 2.3 - - - - -Index 26.4 - - - - -Zygomaxirally Chord 96 - - - - -Subtense 23.6 - - - - -Index 24.6 - - - - -n M n M n M n M N M N M 1 頭蓋最大長 4 178.3 6 175.0 3 173.3 86 177.0 39 175.9 57 172.8 8 頭蓋最大幅 2 132.5 10 134.7 4 137.8 84 138.4 41 141.2 57 134.0 17 Ba-Br高 1 125.0 8 127.5 2 132.0 66 130.7 28 127.1 57 131.3 8/1 頭長幅示数 2 75.1 6 75.8 3 80.0 72 78.1 37 80.2 57 77.6 17/1 頭長高示数 1 70.2 5 72.5 2 76.3 62 74.1 28 72.2 57 76.0 17/8 頭幅示数 1 95.4 7 94.1 2 97.8 56 94.9 27 89.5 57 98.0 45 頬骨弓幅 2 129.5 9 131.4 3 132.0 61 131.3 15 132.6 57 123.9 46 中顔幅 3 98.7 11 96.6 4 98.0 67 99.8 21 99.6 57 93.4 47 顔高 2 115.5 7 106.6 4 105.5 45 116.3 21 106.2 14 112.9 48 上顔高 3 62.7 11 62.8 3 61.3 66 70.1 23 62.6 55 68.2 47/45 顔示数(K) 1 86.9 6 80.8 3 77.6 34 88.7 11 80.1 14 90.8 47/46 顔示数(V) 2 113.8 7 108.6 4 107.7 39 116.7 15 108.9 14 119.0 48/45 上顔示数(K) 1 52.5 8 47.2 2 43.6 49 53.7 11 47.6 55 55.0 48/46 上顔示数(V) 2 63.9 10 65.2 3 62.7 57 70.2 15 63.8 55 72.9 51 眼窩幅(左) 2 42.0 11 40.0 3 42.0 66 41.6 18 41.9 57 40.5 52 眼窩高(左) 2 33.5 11 31.9 4 32.0 65 34.1 14 31.2 57 34.0 52/51(L) 眼窩示数(左) 2 79.8 11 80.1 3 76.2 62 82.0 14 81.5 57 83.9 54 鼻幅 2 27.0 9 25.8 4 26.0 72 26.6 26 25.4 57 25.0 55 鼻高 4 45.8 10 47.4 4 45.3 71 49.8 25 46.2 57 48.6 54/55 鼻示数 2 57.7 9 54.5 4 57.7 69 53.5 23 54.7 57 51.4 1)土肥他(1987)2)田中他(2013)3)九州大学医学部解剖学第2講座(1987) 4)中橋・永井(1989) 5) 池田(1988)6)原田(1954) 吹上1) (古墳) (古墳) (弥生) (古墳) ♀ 豊後 3) 肥後3) 北部九州4) 南豊前3) (縄文) (現代) (古墳) (古墳) (古墳) 津雲5) 西日本6) ♀ 志津里 2) 筑前3) 筑後3) 肥前3) 北豊前3) (古墳) (古墳) R M L 1 . Ossicle at lamda -2 . Os inca -3 . Biasterionic stuture (10mm≦) -

-4 . Superior sagital sinuusgroove, turningto the left

-5 . Condylar canal, completely divided +

-6 . Ilypoglossal canal, completely divided -

-7 . Jugular foramen, completely divided -

-8 . Precondylar tubecle -

-9 . The third occipital condyle -

-10 . Asterionic ossicle -

-11 . Occipitomastoid ossicle(excl. asterionic ossicle) -

-12 . Occipitomastoid ossicle

(incl. asterionic ossicle) -

-13 . Pterygospinous foramen -

-14 . Tympanic dehiscence (1mm≦) -

-15 . Parietal notch bone (5mm≦) /

-16 . Parietal foramen absent -

-17 . Squamous ossicle /

-18 . Epipteric ossicle -

-19 . Frontotemporal articulation - +

20 . Metopism

-21 . Supra-orbital foramen(incl. frontal foramen) - +

22 . Accesory infraorbital foramen -

-23 . Medial palatine canal -

-24 . Maxillary torus -

-25 . Palatine torus

-26 . Posterior vestige of transverse

zygomatic suture (5mm≦) -

-27 . Zygo-facial foramen absent -

-28 . Clinoid bridge -

-29 . Multiple mental foramina -

-30 . Mandibular torus (incl. trace) -

-31 . Mylohyoid canal / / +有り -無し /不明 吹上1号石棺 (♀) TRAITS 第 1 表 主要頭蓋計測項目の平均値比較(女性) (㎜) 第 2 表 頭骨形態小変異 R L N M N M N M N M 橈骨 3 最小周 - 42 25 42.2 78 43.1 38 44.0 63 40.1 4 骨体横径 - 15 30 17.3 79 17.2 42 17.1 63 16.0 4a 骨体中央横径 - 15 10 16.7 50 16.0 - - 63 15.2 5 骨体矢状径 - 11 30 12.3 79 12.5 42 12.0 63 11.7 5a 骨体中央矢状径 - 11 10 12.3 50 12.6 - - 63 11.9 5/4 骨体断面示数 - 73.3 30 71.1 79 72.6 42 70.2 60 71.4 5a/4a 中央断面示数 - 73.3 10 74.1 50 78.6 - - - -尺骨 1 最大長 247 - 2 241.5 12 253.2 19 249.1 62 236.2 2 機能長 220 - 4 223.5 15 224.7 25 219.7 64 209.2 3 最小周 - 33 13 36.8 63 37.4 34 37.7 65 35.8 11 矢状径 - 12 24 13.4 100 13.2 50 14.3 63 12.8 12 横径 - 13 24 17.4 100 17.6 50 16.3 64 16.5 3/2 長厚示数 - - 4 17.3 15 16.8 25 17.4 63 17.0 11/12 骨体断面示数 - 92.3 24 77.3 100 75.4 50 88.5 63 74.9 (古墳) (弥生) (縄文) (現代) 吹上 1)九州大学医学部解剖学第二講座 2)中橋・永井(1989) 3)清野・平井(1928) 4)専頭 (1957)、溝口(1957) ♂ 北部九州 1) 北部九州2) 津雲3) 九州4) 6次4号甕棺 第 3 表 上肢骨の計測値と他集団との比較(男性)        (㎜)

(22)

R L N M N M N M N M 大腿骨 1 最大長 398 - 34 427.9 60 430.9 19 414.1 59 406.5 2 自然位長 392 - 19 426.0 18 427.7 19 411.0 59 403.2 6 中央矢状径 31.5 - 79 28.7 162 29.7 47 29.0 59 26.5 7 中央横径 26 - 80 27.6 166 28.0 47 26.0 59 25.6 8 中央周 92 - 74 88.5 161 90.8 47 87.4 59 82.4 9 骨体上横径 31 - 65 32.3 115 32.6 43 30.7 59 29.4 10 骨体上矢状径 28 - 65 25.7 115 26.2 43 25.5 59 24.3 8/2 長厚示数 23.5 - 19 20.4 18 21.4 19 21.2 59 20.4 6/7 中央断面示数 121.2 - 79 104.6 162 106.4 47 111.8 58 103.8 10/9 上骨体断面示数 90.3 - 65 80.1 115 80.5 43 83.1 58 82.8 脛骨 8a 栄養孔最大径 34 - 54 34.7 153 36.5 38 35.2 60 30.6 9a 栄養孔位横径 23 - 54 24.2 153 25.3 38 22.2 61 23.7 10a 栄養孔位周 94 - 54 94.3 151 96.9 38 92.8 61 88.9 9a/8a 栄養孔位断面示数 67.6 - 54 69.9 152 69.5 38 63.0 60 77.5 ♂ 吹上 北部九州1) 北部九州2) 津雲3) 九州4) 6次4号甕棺 (古墳) (弥生) (縄文) (現代) 1)九州大学医学部解剖学第二講座 2)中橋・永井(1989) 3)清野・平井(1928) 4)阿部 (1955)、鑄鍋(1955) 第 4 表 下肢骨の計測値と他集団との比較(男性)      (㎜) R L N M N M N M N M 上腕骨 7 骨体最小周 62 - 15 54.5 47 56.9 42 53.9 36 54.8 尺骨 3 最小周 36 - 8 33.3 34 34.4 24 32.8 12 32.1 (縄文) 4次2号石棺 吹上 1)九州大学医学部解剖学第二講座 2)中橋・永井(1989) 3)清野・平井(1928) 4)専頭(1957)、 溝口(1957) (現代) ♀ 北部九州1) 北部九州2) 津雲3) 九州4) (古墳) (弥生) 第 5 表 上肢骨の計測値と他集団との比較(女性)    (㎜) R L N M N M N M N M 大腿骨 6 中央矢状径 26 - 42 24.5 112 25.9 45 25.2 13 23.6 7 中央横径 31 - 42 25.9 112 26.6 45 24.2 13 23.2 8 中央周 94 - 40 78.9 111 82.2 45 78.0 13 74.2 9 骨体上横径 35 35 33 30.5 86 31.2 42 28.4 13 27.5 10 骨体上矢状径 26 26 33 21.9 86 23.2 42 22.2 13 21.3 6/7 中央断面示数 83.9 - 42 94.9 112 97.7 45 104.5 13 102.0 10/9 上骨体断面示数 74.3 - 33 72.0 86 74.9 42 78.2 13 77.1 脛骨 8a 栄養孔最大径 34 - 22 30.9 97 31.3 37 30.5 14 28.1 9a 栄養孔位横径 23 - 23 21.1 98 22.7 36 19.4 14 21.1 10a 栄養孔位周 94 - 24 82.9 96 84.0 35 81.3 14 78.2 9a/8a 栄養孔位断面示数 67.6 - 22 68.9 97 72.6 36 63.6 14 74.9 1)九州大学医学部解剖学第二講座 2)中橋・永井(1989) 3)清野・平井(1928) 4)阿部(1955)、 鑄鍋(1955) 九州4) (古墳) (弥生) (縄文) (現代) ♀ 北部九州1) 北部九州2) 津雲3) 吹上 4次2号石棺 第 6 表 下肢骨の計測値と他集団との比較(女性)    (㎜) 北部九州・山口(古墳)1) 162.6 (34) 南九州(古墳)2) 158.3 (7) 中国(古墳)2) 159.1 (14) 近畿(古墳)2) 160.8 (17) 関東・東北(古墳)2) 162.1 (28) 北部九州・山口(弥生)3) 162.6 (129) 津雲(縄文)4) 159.9 (13) 北部九州(近代)3) 157.7 (37) ():個体数 1)九州大学医学部解剖学第二講座 2)池田(1985) 3)中橋・永井(1989) 4)清野・平井(1928) 吹上遺跡6次4号甕棺出土人骨 ♂ 153.2 第 7 表 身長の推定値と他集団との比較(藤井式を用いて算出) R 特記事項 L 特記事項 R 特記事項 L 特記事項 MD UI1 8.8 8.8 - 9.7 UI2 - 欠如? - 円錐歯 - 欠如? 8.2 UC 7.6 転位 7.7 - 転位 8.6 UP1 7.6 7.7 - 8.2 UP2 7.0 7.1 - 7.3 UM1 10.2 咬頭型4 10.0 咬頭型4 - 咬頭型4 10.7 咬頭型4 UM2 - 10.0 咬頭型4 - -BL UP1 9.7 9.6 - 10.3 UP2 9.5 9.4 - 9.7 UM1 11.3 11.3 - 11.5 UM2 - 11.2 - -MD LI1 - - 6.1 6.0 LI2 6.0 6.1 7.0 7.0 LC 6.9 6.6 7.6 7.6 LP1 7.6 7.7 7.7 7.6 LP2 7.4 7.4 7.5 -LM1 11.6 咬頭型+5 11.6 咬頭型+5 12.1 咬頭型Y5 - 咬頭型+5 LM2 10.9 咬頭型+5 10.7 11 咬頭型+5 -BL LP1 8.2 8.0 7.9 8.0 LP2 8.0 8.2 8.7 -LM1 10.7 10.7 11.4 -LM2 9.8 9.6 10.4 -4次1号石棺人骨 4次2号石棺人骨 ペア 4次1号石棺 歯種 4次2号石棺 上下顎 I1I2CP1P2M1M2 0.581 上下顎 P1P2M1 0.571 上顎 CPPM1 0.617 下顎 P1P2M1M2 0.622 第 8 表 歯冠計測値 第 9 表 吹上遺跡石棺被葬者     の Q モード相関係数

(23)

写真図版 1

4 次 1 号石棺出土頭蓋骨(側面観) 4 次 1 号石棺出土頭蓋骨(正面観)

9次Ⅰ号甕棺出土頭蓋骨

(24)

写真図版 2

4 次 1 号石棺出土上顎骨

9次Ⅰ号甕棺出土下顎骨

9次 12 号甕棺出土歯牙

(25)

写真図版 3

6 次 4 号甕棺出土上肢骨

6 次 3 号甕棺出土大腿骨

(26)
(27)
(28)

第 3 節 吹上遺跡4・5 号人骨の装身具着装状態について

      田中良之1              1:九州大学大学院比較社会文化研究院・九州大学アジア埋蔵文化財センター

1.はじめに

 吹上遺跡では青銅器を中心とした副葬品が出土しているが、4 号甕棺と 5 号甕棺からは貝輪や玉類が出土して いる。これらは原位置に近い状態で出土しており、着装状態を知ることのできる興味深い事例である。したがっ て、以下にその状態を検討して、これらの使用状況を考察することにしたい。なお、人骨および副葬品の出土状 態は別項に詳述してあるので、ここでは簡単に触れることにしたい

2.4 号甕棺(人骨)

 4 号人骨は、頭のみが下甕口縁部に乗った状態で、体部は下甕内にあった。甕棺の傾斜が大きいため傾斜が水 平に近くなる甕棺胴部下半まで腰部が落ち込んでおり、胸椎も落下している。勾玉も腰椎の位置にあるが、頚部 から落下したものと考えられる。下肢を強屈した状態であり、一見すると坐葬のように見えるが、仰臥葬であ る。上肢は右腕を伸ばし、左は上腕骨が下に落ちてい るため本来の姿勢は不明である。  さて、4 号甕棺の上甕には銅戈と鉄剣が置かれてお り、ゴホウラ製貝輪が右前腕に、頭部から腰部・臀部 にはガラス管玉が検出された。このうち、ゴホウラ製 貝輪はいわゆる立岩型であり、回内した前腕からみて 螺頭部を上にした状態で手を挿入していたことが知ら れる。貝輪は 15 枚であり、近位から遠位へと順次サ イズを落として製作されていた。したがって、15 枚 セットの状態で入手して着装されたと考えられる。  ガラス管玉は総数 500 点を超え、頭部から腰部・ 臀部まで広く認められたが、主体は胸部下部から腰部 に分布していた。そして、寛骨上に乗った状態で出土 したものもあるが(図 1)、多くは人骨を取り上げた 後に検出された。すなわち、図 2 のように、胸椎・肋 骨を取り上げた下から検出されており、さらには図 3 は仙骨と左寛骨を取り上げた状態であるが、骨を除去 した下に管玉が位置していたことがわかるだろう。ま た、図 1 の上部にも腰椎取り上げ後に管玉が検出され た状態が見て取れる。  このように、ガラス管玉はほとんどが遺体と甕棺と の間に位置していた。この甕棺は傾斜角が大きいた め、上部にあったものが下に落下した可能性はある が、遺体と甕棺とに挟まれた状態のものが多く、特に 腰部では甕棺は水平に近くなっているため、原位置に 図 1.吹上4号人骨骨盤 図2.吹上4号人骨胸腰部

図 2 吹上遺跡出土赤色顔料の蛍光X線スペクトル図

参照

関連したドキュメント

 分析には大阪府高槻市安満遺跡(弥生中期) (図4) 、 福井県敦賀市吉河遺跡(弥生中期) (図5) 、石川県金

Ⅰ.. хайрхан уул) は、バヤン - ウルギー県 アイマク ツェンゲル郡 ソム に所在する遺跡である。モンゴル科学アカデミー

最後に要望ですが、A 会員と B 会員は基本的にニーズが違うと思います。特に B 会 員は学童クラブと言われているところだと思うので、時間は

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

中里遺跡出土縄文土器 有形文化財 考古資料 平成13年4月10日 熊野神社の白酒祭(オビシャ行事) 無形民俗文化財 風俗慣習 平成14年4月9日

断するだけではなく︑遺言者の真意を探求すべきものであ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので