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宮城県南三陸町立戸倉小学校周辺の様子 次の文章は 南三陸町立戸倉小学校のホームページ 掲載記事からです その一部を紹介します 3 月 11 日午後 2 時 46 分の地震の後 午後 3 時 30 分頃到達した津波の第一波は 私たちの第一次避難場所である宇津野高台をのみ込み 避難していた乗用車や高台に

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出雲市立荘原小学校 2016.02.29 出雲市斐川町神庭273

働かせよう 心 頭 体

仲間と ともに

最高の自分を めざして

苦しいことにも 進んで挑戦する

今日、この今を せいいっぱい

3年前、東日本大震災の被災地に立って考えたことを再び

~生活すること・ふるさとや未来への希望を語ること……~

5年前のあの日あの時に何が起きたのか。そして、その後の被災地はどのような様子な のかを再び考える東日本大震災の日がまもなくやって来ます。 この機会に、私が2度にわたって被災地を訪問し、見たことや感じたことを保護者のみ なさんにもお伝えしたいと思います。 私は、3年前の平成24年7月と10月に、宮城県名取市・石巻市・南三陸町・気仙沼 市から岩手県陸前高田市の現地視察を行いました。 現地を訪れるまで、私自身被災地の状況について、書籍やインターネット上の画像デー タという間接的な情報からしか知り得ませんでした。「被災地へ出かけ、自分の目でその実 際を確かめることをしなければ…」という思いを持ちながらも、なかなか実現することが できませんでした。 当日は、レンタカーで三陸自動車道を北上し、南三陸町から海岸線に沿って名取市へ向 け南下していきました。この日の走行距離は250㎞。ざっと出雲~浜田間の往復距離と 同じくらいでしょうか。朝9時に仙台市内を出発し、再び市内へ戻ったのは夕方5時半で した。しかし、津波被災地は青森県・岩手県・宮城県・福島県の東北太平洋沿岸4県と、関 東地方の太平洋沿岸地方に広がる600㎞にわたる海岸線なのです。私が今回直接目にし た被災地範囲は70㎞、被災地のほんの一部でしかありません。被災地の旅で目の当た りにした現状について、みなさんにご報告したいと思います。 【東日本大震災被災地への旅①】 出発するまでに、訪問先に関する情報を様々な書籍 1.期 日 平成24年7月26日(木) や映像等で確認してきました。今回の旅は、地震発 2.訪問先 生から1年4ヶ月後の被災地の現実を確認し、忘れ ① 南三陸町立戸倉小学校 かけていたことや薄れかけてきたことを、再びより ・被災した戸倉小学校と学校周辺の状況 強く意識づけることになりました。7月26日は、 ② 南三陸町立志津川小学校 東北地方の梅雨の最後の日でした。それぞれの場所 ・戸倉小学校児童・教職員が学校生活を送っ の様子や、その時考えたことなどを少し紹介します。 ている志津川小学校の状況 【参考図書】 ・被災した志津川町の状況 ①『福島に生きる』玄侑宗久著・双葉社 ③ 石巻市立大川小学校 ②『三陸物語』萩尾信也著・毎日新聞社 ・避難場所の状況 ③『記者は何をみたのか3.11東日本大震災』読売新聞社 ・大川小学校の現在の状況 ④『それでもいまは、真っ白な帆を上げよう』旺文社 ④ 名取市立閖上小学校 ⑤『3.11キヲクのキロク』NPO 法人 20 世紀アーカイブ仙台 ・校舎や校地の状況 ⑥『春を恨んだりはしない』池澤夏樹著・中央公論社 ⑤ 海岸線の津波被害状況 ⑦『希望の地図3.11から始まる物語』重松清著・幻冬舎 ⑧『アサヒグラフ東北関東大震災全記録2011.3.30 号』朝日新聞出版

~満開の笑顔と夢~

学校だより

2月号

花咲く樹

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宮城県南三陸町立戸倉小学校周辺の様子

次の文章は、南三陸町立戸倉小学校のホームページ 掲載記事からです。その一部を紹介します。 3月11日午後2時46分の地震の後、午 後3時30分頃到達した津波の第一波は、私 たちの第一次避難場所である宇津野高台をの み込み、避難していた乗用車や高台にあった 二階建てのアパートをいとも簡単に流しまし た。津波の来襲をみて、数分前に高台から階 段を上がり、五十鈴神社の境内に逃れていた 私たちは、なんとか難を逃れることができま 【▲ 津波で水没被災した戸倉小学校校舎】 した。 この時の津波は、後から見ると高台に生え ていた杉の木の5mぐらいの高さまで至って いたように感じました。しかし、五十鈴神社 の鳥居までには達していませんでした。その 後一旦水が引き始め、宇津野高台が表れてき た時に携帯電話で撮った写真が次の写真で す。 向こうにかすんで見えているのが、一度水 没した戸倉小学校です。……(中略)…… 【▲ 五十鈴神社から学校を望む 保育所の子ども達と、高齢者、小学校1年生 奥の高台に建つ建物は戸倉中学校】 から4年生までは、社屋の中に泊まりました。 大人と5、6年生はたき火をしながらすごし ました。雪も降り、寒い一晩でしたが、卒業 の歌、川嶋あいさんの「たびだちの日に」を 歌いながら、励まし合いました。 …(後略) … 戸倉地区では、戸倉中学校には約200人、 宇津野高台には170人が避難したと報じら れています。(2011.3.13 調べ) 戸倉小学校は、海のすぐ近くに建っている 学校です。すでに戸倉小学校の体育館は解体 【▲ 津波はこの避難場所・宇津野高台まで達した】 されており、その姿を確認することはできま せんでした。また、校舎裏には瓦礫が山のよ うに集められ、処理を待っている状態でした。 当日は、校舎1階の壁の取り壊し作業が行わ れているところでした。瓦礫がなくなり、新 たな建物も少しずつ建ち始めています。しか し、住民の生活は依然厳しいままです。

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宮城県南三陸町の中心・志津川町の様子

南三陸町は、平成の大合併によって、平成17年 10月1日に歌津町と志津川町とが合併してできた 町です。人口は、17,382人(2011.2 調べ)。町 の中心は、この志津川町で、町庁舎や防災対策庁舎 があります。 今回の津波により、防災対策庁舎から防災無線で 住民に最後まで避難を呼びかけ殉職された遠藤未希 さん(24 歳)をはじめ、屋上に避難した町職員30 名のうち、20名が津波にのまれました。3月11 日午後3時34分の出来事です。遠藤さんの必死の 呼びかけで高台に避難し、難を逃れた住民は多いは ずです。 志津川町には、公立志津川病院があります。5階 建ての病院の4階まで津波が襲い、入院患者107 【▲ 津波で水没した防災対策庁舎】 名のうち72名が死亡・行方不明となりました。病院 スタッフも死を覚悟し、自分の腕にマジックで名前 を書いたり、普段は外していた結婚指輪を指にはめ 身元確認できるよう覚悟を決めたと言われています。 この中で懸命に救命活動をした菅野武医師の行為は、 アメリカの雑誌タイムが発表した2011年度「世 界で最も影響力のある100人」のひとりに選ばれ 広く報道されました。 車載ナビで志津川町を走ると、かつてあった店舗 名や信号を目印とした音声案内の声が響きます。「次 【▲ 中央の白い建物が公立志津川病院】 の交差点を左折。大型飲食店が目印です。」突き出た 人工物は、ことごとく津波で破壊され、目印となる ものは一切ない状態です。音声案内が在りし日の町 の姿を空しく紹介します。 全てが失われてしまった志津川町。散乱していた 瓦礫は海岸部に集められ、処理作業は進んでいます が、生活の場としての復興は、まだずいぶん先の話 です。 南三陸町は、人口に占める死者・行方不明者の割合 が宮城県内の市町村の中で、女川町に次いで高い町 【▲ 津波で志津川港の堤防は無残な姿に】 です。死者565名、行方不明者280名(2012.3.11 現在)という数字が記録されています。

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石巻市立大川小学校の周辺の状況

南三陸町の海岸をずっと南下していくと、やがて 北上川の河口付近につながります。そのまま川上に 向かって車を走らせるていくと、対岸に石巻市立大 川小学校の姿が見えてきます。 この石巻市立大川小学校では、全校児童108人 中死者70人、行方不明4人と、東日本大震災にお いて最も多くの児童が津波の犠牲となりました。津 波は北上川河口から約4キロにある大川小学校の2 階建ての校舎を越え、校庭から避難を開始した子ど もたちと先生の列をのみ込んだのです。 学校の目の前には北上川の堤防があります。そし て、新北上大橋のたもとが高台になっていました。 学校の裏山は、杉山で一部竹林となっていました。 【▼ 校舎近くの慰霊碑には生花が飾られていた】北上川の高台に向けて出発した列の後ろを歩き、と っさに裏山に駆け上った児童と教職員は、竹林に駆 け込み助かったと報道されています。 大川小学校への津波到達時刻は、午後3時37分。 校舎の時計は、その時刻を指し止まったままでした。 現在も行方不明のままの児童がいます。 【▲児童教職員が目指した高台・右が北上川堤防】 志津川小学校● 戸倉小学校● 南三陸町 北上川河口 ●大川小学校 石巻市 【▲ 津波は校舎の屋根を越えた】 津波は校舎の屋根を越えた

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宮城県名取市立閖上小学校と海岸付近の状況

ゆ り あ げ 大川小学校を後にし、内陸の三陸自動車道で一気 に南下して仙台市を通過し、名取市へ入りました。 仙台東部道路を境に景色は一変しています。海岸に 面した東側は津波の被害を受け、西側は東部道路が 堤防となって津波を受け止め、被害はわずかとなり ました。 訪れた名取市立閖上小学校の校門は、津波による ゆりあげ 瓦礫のために破損。流されてきた自動車が激突した ためと伝えられています。 誰もいない校庭や校舎は、閑散としていました。 体育館の壁に次のような張り紙をみつけました。 「10月以降も 展示は継続します 閖上思い出探し隊」 体育館用の下駄箱の中には、津波にさらわれたラ ンドセルがぎっしりと収められています。そして、 体育館に入ると、そこには、卒業アルバムや家族の アルバム、レコード等が、ボランティアの手によっ てきれいに分類整理され、段ボール箱に収められ並 べられていました。 これらの思い出の品の数々は、持ち主の手へ戻さ れる日が果たして来るのでしょうか。 閖上小学校からさらに海へ向けて車を走らせてい くと、ぽつんと小さな小山が目に入ってきました。 近づくと、どうやら神社のようです。地図で確認す ると、「日和山富士主姫神社」でした。祠は津波で流 され、ご神体を示す2本の柱が立てられているだけ でした。 その日和山の上から周囲を眺めると、遮るものは 何一つありません。ずっと続くのは、家々のコンク リート基礎ばかり。左の写真は、日和山から撮影し た北方向の写真です。その方角の先に名取川があり、 その向こうは仙台市荒浜へとつながってきます。 日和山の草むらに、津波で倒された石碑が横たわ っていました。刻まれた文字から、それは昭和三陸 津波の教訓を刻んだものでした。果たして、その教 訓は現代の生活に活かされ、人々の心に深く刻まれ てきたのでしょうか。豊かな生活になり、何十年と 平穏な生活が続けば、やがて過去の教訓は忘れられ ていくもの。今回の震災による名取市における死者 は911名、行方不明者は45名。あまりにも大き な犠牲です。

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今回の被災地の旅の中から、あらためて東日本大震災が、いかに未曾有の甚大な被害を もたらしたのかを実感としてとらえることができました。そして、これまで書籍や画像等 で確認してきた震災当日の様々な状況が、ある種の奥行きをもって、立体的にとらえるこ とが少しだけできるようになりました。 これまで出逢ったいくつかの言葉が、あらためて心に突き刺さってきます。 「…遊んだ思い出や育った町の風景すべてが、一瞬にしてゼロになったこの感覚は、味 わった人でないとわからないでしょう。故郷のはずなのに、自分の知っている過去がど こにもないのです。…」 『希望の地図』からNHK 仙台放送局津田義章アナウンサー(石巻市出身)の言葉より 「…自然は、人間に対して無関心だ。自然にはいかなる意思もない。自然が今日は雪を 降らそうと思うから雪になるわけではない。大気にかかわるいくつもの条件が重なった 時に、雲の中で雪が生まれて地表に達する。それを人間は降る雪として受け取り、勝手 に喜んだり嘆いたりする。その感情に自然は一切関与しない。無関心は冷酷よりもっと 冷たい。感情の絶対零度。…」 『春を恨んだりはしない』池澤夏樹著・中央公論社2011.9 より またやってきたからといって 春を恨んだりはしない 例年のように自分の義務を 果たしているからといって 春を責めたりはしない わかっている わたしがいくら悲しくても そのせいで 緑に萌えるのが止まったりしないと 『終わりと始まり』沼野充義訳・ビスワバ・シンボルスカヤ作より 被災地に立って感じたことや考えたことはたくさんありました。 ○ 懐かしいふるさとの景色すら奪ってしまう自然の力 ○ 何百㎞に及ぶ海岸線という海岸線はすべて津波被害を受けている事実 ○ もう絶対住めないという人と、そこから離れられないという人との集団移転開始 ○ 瓦礫は撤去されたが、その処理はこれからの作業 ○ 店舗も住宅もすべてが仮設。これから先の生活が見通せない不安 ○ 復興支援ボランティア不足に悩む被災地の現状 ○ 復興税の課税によって進む被災地に対する関心の低下 ○ 東日本大震災から学び、子どもらに伝えていくべきこと ○ 日常の生活から「東日本大震災の記憶」を薄れさせないための手立て ○ 「生きていること」や「繰り返される当たり前の日常」への感謝 今回被災地を訪れ、自分自身は何もできませんでした。 しかし、決して「忘れないこと」と、教育者として何ができるかを「考えること」は、 自分の役割として大切にしていかなければならないことだと感じています。 きっとこれから少しずつ災害の傷跡は姿を消していき、整理され・片付けられていくこ とでしょう。そしてその上に新しい生活が築かれていくのです。 しかし、今回の地震・津波の犠牲となった16,000人を超える尊い命の上に、何を 築き上げなければならないのでしょうか。 再びこの地を訪れて、その後の復興する様子を確かめていきたいと思いました。

参照

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