1.はじめに
⑴ 問題の所在 小論の目的は、タイにおける中等学校をめぐる 格差とその要因の社会・文化的側面について、基 礎教育改革施策の検討と教育行政官ならびに大学 生、卒業生への聞き取り調査から得られた知見を 手がかりに考察することである。 タイでは1950年代末から始まる「開発の時代」 以 降、初 等 教 育 が 量 的 な 拡 大 を 遂 げ た(野 津 2005)。他方、中等教育は世界銀行の『東アジア の奇跡』においてその普及が遅れていると指摘さ れたのを契機として、農村部の初等学校に前期中 等教育課程を附設した機会拡大学校(Rongrian khayai okat)が設置されたり、授業料、教科書、 給食の無償化や、国内外からの奨学金援助、学校 教員による保護者や児童に対する進路指導が実施 されたりしたことにより、1990年から1997年の 短期間のうちに進学率が39.7% から74.2% へと 急上昇した(箕浦・野津1998)。 教育段階毎に、量的拡大のプロセスに違いは見 られたものの、2013年から2017年までの学齢期 の子ども(3∼17歳)の総人口に占める就学者の 割合は96% 前後で推移しており、基礎教育(タ イの場合、後期中等教育段階までを含む)は、概 ね普遍化している(OEC 2019)。しかしながら、 全国1万2,000校の中等学校の約6割(7,000校) を占める機会拡大学校では、初等教員が、前期中 等教育段階の教育内容についても教授するという 点において、教授・学習の質は、一般的な中等学 校には遙かに及ばないことは、実施前から明らか であった。結果的に、上述の通り、進学率は急上 昇し、国際的なタイの面子は保たれたが、教育の 普遍化の進行により、教育の質に格差が生じたの である(船津2003)。 船津(2003)は、こうした中等学校の量的拡大 が生徒の社会経済文化的背景と強く結びついてい ることから「階層化」された普遍化と呼んだ。船 津(2003)は、1950年代末からの中等教育の量 的拡大プロセスを、教育省のデータベースならび に自ら行った質問紙調査をもとに量的かつ空間的 に把握するとともに、学校規模と入学者の出身階 層、修了後の進路、予算配分、教員配置などの観 点から多面的に分析・考察している。その結果、 学校規模がより大きければ大きいほど、すなわち 生徒数の多寡により、教員や施設・設備の充実し た首都、地方都市部の超大規模校や大規模校か ら、それらが貧弱な農村部の中・小規模校に至る までの中等学校間の序列が形成されていることを 明らかにしている。 その後、船津(2003)が指摘した「階層化」は、 PISA(OECD 生徒の学習到達度調査)ならびに O-NET(Ordinary National Education Test)と 呼ばれるタイの全国学力調査の結果と生徒の社会 経済文化的背景指標や、学校の施設・設備等の関 係についての統計的分析からも実証されている (Lathapipat 2018)。また、ラッタピパットは、別 稿において、教育格差は長期的な要因(両親の学 歴、居住地、世帯の社会・経済的階級、世帯人 数、家庭環境などの子どもの学力を決定づける要 因)の影響が強く、短期的な財政的支援(授業料 などの支援)ではなく、とくに、社会的経済的に 不利な家庭の子どもたちの学力を幼少期から向上 させる施策が必要であるこ と を 実 証 し て い る (ラッタピパット2012)。 こうしたタイの中等学校をめぐる格差につい て、これまで何ら対策が講じられなかった訳では ない。1990年代中頃から、首都、地方都市部でタイにおける基礎教育改革と中等学校をめぐる格差
―「分を知る」社会の二者間関係―
牧 貴愛
広島大学 E-mail:[email protected] 国際開発研究 第29巻第2号(2020)は入学試験の廃止や復活が繰り返されたり、学区 制が導入されたり、有名校の地方校が設置された り、農村部では、有名校の授業を衛星放送を用い て提供したりといった種々の対策が講じられてい た(船津2000)。しかしながら、2019年3月の総 選挙後に教育大臣に就任したナッタポン・ティー プスワン(Nattaphol Teepsuwan)が、エリート 校と困難な状況にある学校の格差是正を筆頭課題 と し て 掲 げ た こ と に 端 的 に 示 さ れ る よ う に (Bangkok Post 2019年7月19日)、今日なお、 首都や地方都市部の超大規模校や大規模校に生徒 が集中する傾向に歯止めをかけることは出来てい ない。 以上の先行研究からは次のことが明らかにされ ている。すなわちタイの中等学校には格差があ り、それは首都、地方都市部、農村部といった学 校の立地や規模、生徒の社会経済文化的背景と密 接に関係していること。また、1990年代には格 差是正のための様々な取り組みがなされたことで ある。しかしながら、2000年以降、タイの基礎 教育改革ではどのような施策が講じられてきた か。また、中等学校をめぐる格差には何らかの変 化が見られるか。そもそもタイ人にとって格差と はどういうものか。タイ社会論で言われる「分を 知る」(ホームズ・タントンタウィー2000)、す なわち自らの分をわきまえたり、現状を肯定した りするといったタイ人のメンタリティを前提とし た時、本特集総説にある是正対象としての格差と その要因について、タイ人はどのように認識して いるかといった社会・文化的側面については未解 明である。 そこで、筆者は、冒頭に示した目的を設定し、 その目的を明らかにするために、次の4つの具体 的研究課題について定性的な調査を行った。1) 2000年以降のタイにおける基礎教育改革の諸施 策について格差是正の観点から検討すること。2) 中等学校をめぐる格差に見られる変化、特徴を知 るために、最近5年間の O-NET(タイの全国学 力調査)のスコアを用いて、都市部、農村部とい う学校の立地別、また、前期中等教育段階と後期 中等教育段階毎に分析すること。3)基礎教育を 担当する教育行政官ならびに、4)大学生、卒業 生への聞き取り調査を通して格差とその要因の社 会・文化的側面について考察することである。 基礎教育を担当する教育行政官は、格差是正策 を講じる只中にいる人物であり、極端に言えば、 この人物の格差認識に施策の実効性が左右され る。他方、大学生、卒業生は格差が渦巻く中等教 育を経験して大学に入学、卒業した経験を持ち、 1970年代の学生運動を彷彿とさせる昨今の反政 府活動に象徴されるように(Bangkok Post 2020 年8月17日)、これからのタイをつくっていく人 材である。言い換えれば、タイにおける教育格差 の是正を短期的に担う教育行政官、公正な教育の 実現を長期的に考える大学生、卒業生、この二者 の格差認識を明らかにすることは重要である、と 筆者は考える。なぜなら、上述した統計的分析を 用いた実証的な研究成果をもとに、質の高い就学 前教育へのアクセスの改善や、学校への効果的な 資源配分等々の格差是正の提言がなされている が、それら格差是正策の実効性も、「分を知る」 社会に生きる、ひとりひとりのタイ人の認識にか かっているからである。 ⑵ 研究方法 上述の4つの具体的研究課題ごとに採った研究 方法は、次の通りである。 1)タイの基礎教育改革の種々の施策について は、一定程度、先行研究が蓄積されている。小論 では、それらを手がかりとしながら、筆者自身 が、これまで折に触れて行った学校訪問調査から 得られた資料や学校管理職や教員に対する聞き取 り調査から得られた知見を用いながら論じる。 2)O-NET スコアの統計的分析については、筆 者自身が、2019年8月15日(木)に O-NET の実施 主体である国家教育試験機構(National Institute of Educational Testing Service:NIETS)を訪問 して、直近 の5年 分(2014∼2018年)の 前 期 中 等教育3年次(日本の中学3年生に相当)、後期 中等教育3年次(日本の高校3年生に相当)のス コアを入手した。その後、統計的分析を専門とす る研究協力者のサポートを得てグラフ化した。 3)基礎教育を担当する教育行政官への聞き取 り調査は、依頼状(タイ語)を作成し、タイ教育 省基礎教育局長宛に事前に送付した。受け入れの 快諾を得た上で、筆者と現地の研究協力者(タイ 人1名、日本人1名)の計3名で、2019年8月16 日(金)に、同局の副局長に対して、1時間程度、 タイ語と英語を交えながら行った。聞き取り調査 では『基礎教育局の政策』に記載されている政策 のうち、格差是正に関わる施策を中心に話を聞い
た。また「教育機会の拡充」といった文脈で説明 がなされたイングリッシュ・プログラムなどの特 別教育課程や、先行研究で言及のあった有名校の 地方校の設置についても尋ねた。 4)聞き取り調査の対象となった大学生、卒業 生は、筆者が2020年2月24日(月)から同年3 月19日(日)までの27日間、客員研究員として 滞在した国立A大学のB学部 生1名(仮 名、ス チュさん)、C学部生1名(仮名、バッシさん) ならびにB学部卒業生1名(仮名、センさん)の 計3名である。聞き取り調査の対象者数が極端に 少ないのは、新型コロナウイルスの感染拡大によ り、筆者が14日間の宿舎待機を命じられことに よる。実証主義の立場から見れば代表性に乏しい 等の課題はあるものの、タイの未来をつくる大学 生、卒業生が、自らの経験を振り返って語ってく れた貴重な記録である。 聞き取り調査の対象者は、筆者の受け入れ先の B学部の教員から、筆者とも面識のあるスチュさ んを紹介してもらい、スチュさんから、バッシさ ん、センさんを紹介してもらうかたちをとった。 また、紹介者のスチュさんには、他2名の聞き取 り調査に同席してもらった。調査対象者が偏って いるというデメリットも考えられるが、限られた 時間の中で、格差とその要因について、自らの経 験や考えを率直に語ってもらえるというメリット もあると考える。聞き取り調査の冒頭では、調査 目的や調査結果の取り扱いについて説明をし、同 意を得た。 聞き取り調査では、自らの生い立ちから現在に 至るまでを語ってもらい、とくに、中等学校への 進学や、中等学校で楽しかったこと、嫌だったこ と、学校教育をめぐる格差とその要因など1時間 程度、自由に語ってもらった(1) 。聞き取り調査で は、英語とタイ語の双方を柔軟に用いることで調 査対象者が語りたい内容を正確に把握することに 努めた。英語を用いたのは、国立A大学は英語を 教授言語としており、とくに、外国人である筆者 に対しては、日常的に、英語で語りかける機会が 多いことによる。聞き取り調査結果は、逐語で、 文字起こしを行った上で、特別教育課程、人間関 係、「分を知る」、という共通して語られたテーマ を中心にまとめた。 次節以降、上述の4つの具体的研究課題につい て順次論じ、最後に、各節の考察を踏まえてまと める。なお、小論では、基礎教育改革の種々の施 策、O-NET スコアの統計的分析、教育行政官な らびに大学生、卒業生への聞き取り調査などの 様々な資料やデータを用いて、タイの中等学校を めぐる格差についての研究の糸口を提示すること を企図した。逆に、一、二の切り口に絞って深く 論じることもできよう。先行研究への目配りが不 十分である。寄せ集めでまとまりがない等々の読 者諸賢の批判が寄せられるとすれば、それらは もっともであり、小論の限界である。
2.基礎教育改革―学校の多様化と法人化―
2000年以降の基礎教育改革の種々の取り組み は、1999年に制定された、日本の 「教育基本法」 に相当する「国家教育法」を契機として、本格的 に始動した。種々の改革施策は、分権化を基調と したもので、次の16施策あったことが確認でき る(森下2004、森下・村田2004)。すなわち、1) 教育地区や学校への地方分権、2)教育の質保証 制度の導入、3)「学校別カリキュラム」の編成、 4)6年間から9年間への義務教育年限の延長、5) 12年間の基礎教育の無償化、6)学習者に重きを 置いた教授学習過程、7)教育専門職免許制度の 導入、8)5年制の教員養成カリキュラム改革、9) ナショナルテストの導入、10)公私協働、11)基 礎教育機関の法人化、12)ICT の活用、13)一 郡あたり1校のモデル校を指定して重点的資源配 分を行い教育の質の向上をねらう「一郡一夢」学 校プロジェクト、14)仏教原理に基づく学校プロ ジェクト、15)優秀教員報奨制度、16)英語を教 授言語とするプログラム(イングリッシュ・プロ グラム)である。 これらのうち、小論の目的との関連で、筆者が 注目するのは、16)イングリッシュ・プログラム と11)基礎教育機関の法人化を背景とする学校 の寄付金募集行事である。また、これらには含ま れていない施策として、有名校の地方校の設置、 日本の先進的な理数系教育による創造性豊かな人 材の育成を目指す高等学校等(スーパー・サイエ ンス・ハイスクール)に相当するチュラーポー ン・サイエンス・スクール(Princess Chulabhorn Science School)の設置について紹介する。 ⑴ イングリッシュ・プログラムの開設 これは、ひとつの学校の中に、一般の教育課程に加えて、特別に授業料を徴収するかたちで英語 を教授言語とする教育課程を設けるものであり、 全国に200校強(2019年10月現在)存在してい る。イングリッシュ・プログラムを開設するため には、教育省基礎教育局が定める教員、履修者選 抜、学習指導計画、施設設備、プログラムの運用 などに関する基準を満たす必要がある。 タイの基礎教育段階の教育課程は、教育省が定 める「基礎教育コア・カリキュラム(2008年版)」 を指針として学校毎に編成されている。イング リッシュ・プログラムでは、タイ語、数学、理 科、社 会・宗 教・文 化、保 健・体 育、芸 術、職 業・テクノロジー、外国語のうち、タイ語と社 会・宗教・文化の「タイらしさ」、タイの法律、 伝統、文化に関わる内容を除いて全て英語を教授 言語としている。また、外国人教員が指導にあ たっているところに大きな特徴がある(牧2018)。 ちなみに、外国人教員は、ネイティブ志向の強い 保護者の多い学校では欧米人が採用されており、 リンガフランカと捉える学校ではフィリピン人、 アフリカ諸国にルーツをもつ外国人が雇用されて いる(牧2020)。 イングリッシュ・プログラムの授業料は、学校 毎に定められているが、筆者が訪問した複数の学 校では、概ね、前期中等教育課程では、1学期あ たり3万5,000バーツ(日本円に換算して12万 円強)であり、年間(2学期)で、24万円強であ る。後期中等教育課程では、1学期あたり4万 バーツ(日本円に換算して14万円強)である(牧 2020)。これは、タイの平均賃金(月収)が1万 1千バーツ(3万8,000円強)であることを考え ると(熊谷2013)、6∼7か月分にあたる金額であ り、遍く市井の人々にとって、我が子を送り出せ るものではない。 ⑵ 有名校(エリート校)の地方校の設置 船津(2003)が明らかにした階層化された中等 学校は、最近の研究によれば18種類に分類され ている(Nakornthap 2018)。すなわち1)有名校 (エリート校)、2)ミッション系の学校、3)寺院 系の学校、4)大学附属校、5)マグネット・スクー ル、6)王宮系の学校、7)イスラーム教系の学校、 8)バンコク都庁下の学校、9)内務省管轄下の学 校、10)オルタナティブ・スクール、11)県代表 校と機会拡大学校、12)NGO、NPO が設置する 学校、13)国立の支援学校、14)イクイバレン シー・プログラム、15)「一郡一夢」学校、16) バイリンガル学校、17)インターナショナル・ス クール、18)ホーム・スクール、である。 筆頭に挙げられている「有名校(エリート校)」 は、タイ語で「学校」を指す「ロングリアン」、「持 つ」を意味する「ミー」、そして「名高い」を意 味する「チュー・シアン」を合せて「ロングリア ン・ミー・チュー・シアン」と言われる。「ロン グリアン・ミー・チュー・シアン」は、教育関係 者や生徒・保護者の間では日常的に使われる口語 的なものであり、タイの受験競争の文脈で用いら れることが多い(尾中1992)。ひろく有名校と考 えられている学校をまとめたものが、次の表1で ある。 1990年 代、当 時 の 教 育 大 臣 ポ ー ン ポ ン・ア ディレクサーン(Pongphon Adireksan)の下で、 バンコクに所在するいくつかの有名校の地方校の 設置が進められた(船津2000)。その筆頭は、ト リアムウドムスクサー校である。同校は、バンコ クの中心部に位置し、後期中等教育課程のみを開 設している国立学校である。同校の初代校長はピ ン・マラグーン(Pin Malakul)氏であり、チュ ラーロンコーン王期の近代 化 の た め の 諸 改 革 (チャクリー改革)において、タイの近代的学校 教育制度の創設に貢献したピア・マラグーン(Pia Malakul)氏の長男である(赤木1981)。 同 校 の 地 方 校 と し て は、1997年 に 南 部 校、 1999年に東北部校、2003年に北部校が開設され ている。いずれも新設するのではなく、各地方の 既存の中等学校が改称するかたちをとっている。 また、トリアムウドムスクサー地方校の開設に先 立って、1978年にトリアムウドムスクサー2と いう学校がバンコク都内のパッタナカーンに設置 されており、今日、同校(トリアムウドムスク サー・パッタナカーン)の地方校も設置されてい る。この他、スワングラーブ校、テープシリン校 も同様に多くの地方校が設置されている。 こうした有名校への入学は、成績優秀かつ入学 時に求められる寄付金である「御茶代(pae chia)」 を支払えるだけの経済的な豊かさがなければ難し い(Nakornthap 2018)。ち な み に、こ う し た 有 名校や地方校では、先述のイングリッシュ・プロ グラムを開設していることがままある。実際、筆 者が訪問した有名校の地方校では、一般教育課程 とイングリッシュ・プログラムが併設されてい
た。一般教育課程に学ぶ生徒に、なぜこの学校で 学んでいるかと尋ねたところ「両親に、この学校 に行けば、頭がよく(chalat に)なると言われた」 と言い、また、イングリッシュ・プログラムで学 ばない理由については「うちにはお金がない」と いう端的な回答が返ってきた(筆者フィールド ノーツ、2019年12月9日)。 ⑶ チュラーポーン・サイエンス・スクールの設置 チュラーポーン・サイエンス・スクールは、 1993年に、前国王の三女で、科学者であるチュ ラーポーン王女の誕生日を記念して設置された科 学・数学分野の教育(STEM 教育)に重点を置 く国立の中等学校である。2010年から2011年頃 にかけて、タイ初の科学・数学分野の英才学校と して改編されたマヒドンウィタヤヌソーン高等学 校(2000年設置)に範を求めたカリキュラムが 導入されている(森下・村田2004、俵2015、大 田2017)。 同校は、 全国に12校設置されている。 12校の内訳は、北部2校(チェンラーイ、ピサ ヌローク)、東北部3校(ルーイ、ムックダーハー ン、ブリラム)、中部4校(ロッブリー、パトゥ ムターニー、ペッチャブリー、チョンブリー)、 南部3校(ナコンシータマラート、トラン、サ トゥーン)であり、チェンマイ大学、コンケン大 学、ソンクラーナカリン大学といった1960年代 に地方の拠点として創設された国立大学が所在し ない地域に設置されている。 同校の全国学力調査(O-NET)の順位は、上 位は4位から98位までの間に位置しており(俵 2015)、全国約2,500校の中で二桁に入るくらい の成績優秀校である。各校、日本のスーパー・サ イ エ ン ス・ハ イ ス ク ー ル と の 交 流 協 定 を 持 ち 「日・タイ高校生サイエンス・フェア」などを通 して交流が行われている(俵2015)。また、同校 の生徒は、近年、日本の高等専門学校(高専)教 育モデル(KOSEN)のタイへの移植に伴い(下 田2020)、タイ政府の奨学金等を得て、高専に長 期留学している。 ⑷ 学校の寄付金募集行事 分権化を一つの基調とする基礎教育改革では、 一定程度、地域の実情に応じた教育内容を盛り込 むことのできる「学校別カリキュラム」の編成や、 自律的学校経営(school-based management)の 考え方が持ち込まれた(森下2007)。2003年に、 学校に法人格が付与されて以降、学校は比較的自 由に資産を活用することができるようになった。 従来、極端に言えば、「鉛筆一本の購入でも許可 が必要であった」(森下2008、p. 240)ことに鑑 表1 タイの有名な中等学校(エリート校) 国立学校 大学附属校 私立学校 マヒドンウィタヤヌソーン チュラーロンコーン大学附属校 アサンプション・カレッジ トリアムウドムスクサー カセサート大学附属校 バンコク・クリスティアン・カレッジ サトリー・ウィティヤー(女子校) シーナカリンウィロート大学附属校 (パトゥムワン) チットラダー(宮殿) スワングラーブ シーナカリンウィロート大学附属校 (プラサーニミット) ワチラウット(寄宿制、男子校) テープシリン(男子校) チェンマイ大学附属校 プリンス・ロイヤル・カレッジ ダラー・アカデミー マーテル・デイ(女子校) 聖ガブリエル ワッタナ ー・ウ ィ テ ィ ヤ・ア カ デ ミー(女子校) (出所)Nakornthap(2018、p. 140)を参照し、筆者が整理、訳出。
みると、非常に大きな変化である。これに伴い、 学校は、寄付金募集行事に精力的に取り組むよう になった。そうした寄付金募集行事の代表的なも のが「トート・パーパー(Thot Pha Pa)」(2)
と呼 ばれる仏教儀式に、教育を意味する「ガーンスク サー」を付け加えた「トート・パーパー・ガーン スクサー(Thot Pha Pa Kansueksa)」である。 筆者が訪問した小学校では年一回の「トート・ パーパー・ガーンスクサー」行事で、60万バー ツ(約200万円)ほどが集まるとのことであった (筆者フィールドノーツ、2019年8月14日)。 タイでは、こうした学校への寄付の歴史は古 く、たとえば、1970年には、学校祭からの収益 金は寺を経由して学校へ再配分されることが報告 されている(綾部1973)。この他、先述した「御 茶代」は、学校の図書室、コンピュータ室の整備 やその他の学習活動支援費という名目の寄付金で あり(Nakornthap 2018)、学校の収入源となる。 こうした寄付金募集行事をどの程度展開できるか は、学校管理職のネットワーク、より正確には、 学校長と寄付者(パトロン)の二者間関係(パト ロン・クライアント関係)次第である(3) 。また、 そもそも学校が所在する地域が、バンコクか地方 都市か農村かによって、状況は大きく異なってく るとされる(森下2007)。学校間の格差は、タイ 人の人間関係、都市と農村の経済的な格差と密接 な関係にある。 次節では、こうした学校間の格差と地理的な配 置、すなわち中等学校の地域間格差について、近 年の O-NET(全国学力調査)の結果をもとに確 認する。ちなみに、寄付ができるだけでは十分で はない。後述の大学生の語りにもあるように「知 り合いかどうか(タイ的な人間関係)」が大きく 作用する。最近は「御茶代」を支払えるのは当た り前のことで、子どもがおなかの中にいる頃か ら、学校の様々な行事に参加することが、有名校 に入学させるためには必須である、とも聞いた (筆者フィールドノーツ、2020年3月17日)。こ れは、学校行事への参加を通じて、学校管理職や 教職員とのよい人間関係(二者間関係)を構築す ることの必要性を示すエピソードである。また、 後述する大学生の聞き取り調査からは、アジアの どこかの国立大学を彷彿とさせるが、教育省のプ ロジェクトへの応募、参画による競争的資金の獲 得も、学校の収入の一つであり、学校管理職の実 績になるのである。
3.全国学力調査結果にみる中等学校の地
域間格差
先述の「国家教育法」に基づく教育改革の一環 として、2006年度から O-NET と呼ばれる全国学 力調査が実施されている(森下2009)。同学力調 査は、12年間の基礎教育課程を対象とするもの で、初等教育段階の6年次、前期中等教育段階の 3年次、後期中等教育段階の3年次の児童・生 徒、日本で言うところの小学6年生、中学3年 生、高校3年生が受験する。 これまで幾度か試験科目が変更されているが、 タイ語、数学、理科、社会・宗教・文化、保健・ 体育、美術、職業・技術、外国語といった基礎教 育カリキュラムにある8つの学習内容グループ (日本の教科に相当)を対象に試験が行われてき た(牧2016)。 本節では、直近5年の2014年から2018年まで の 中 学3年 生、高 校3年 生 の O-NET の 得 点 差 を、都市部と農村部という学校の立地毎に、教科 別で、縦断的に比較した(4) 。その際、年次変化を 追うために、連続して試験対象となった学習グ ループ(教科)に限って分析した。学校数も、年 度によって若干の変動があるが、都市部の高校は 1,086校∼1,103校、農 村 部 は2,721校∼2,797 校 の 範 囲、都 市 部 の 中 学 校 は2,440校∼2,454 校、農村部は9,395校∼9,469校の範囲である。 以上の分析の結果、高校3年生の時点では、得 点差がほぼ固定化していること、また、中学3年 生についても数学と理科の得点差は、ほとんど変 化なく在ることが確認できた。得点差に変化が見 られたのは、中学校のタイ語、英語である。得点 差が固定化している高校との比較のために、中学 校と高校のタイ語と英語の得点の推移を、学校の 立地(都市部と農村部)別に示したものが次の図 1である。なお、図1は、実際の得点の数値であ り、グラフの縦軸の目盛りが異なっている。図1 から大きく2つの事柄を指摘しうる。 第一に、高校の結果を見ると、都市部と農村部 の得点差は、継続的に4∼5ポイント差、開いて おり、格差が固定化していることが読み取れる。 他方で、中学校の得点差を見ると、タイ語は、 2014年時点では0.57ポイント差だったが、2018 年時点では2.08ポイントまで拡がっている。さ らに、英語は、0.89ポイント差(2014年)から㧗ᰯ ⱥㄒ 㧗ᰯ ࢱㄒ ୰Ꮫᰯ ⱥㄒ ୰Ꮫᰯ ࢱㄒ ೧ ೧ ೧ ೧ ೧ ࢤ෨ ଞ෨ ೧ ೧ ೧ ೧ ࢤ෨ ଞ෨ ೧ ೧ ೧ ೧ ࢤ෨ ଞ෨ ೧ ೧ ೧ ೧ ೧ ࢤ෨ ଞ෨ 3.39ポイント差(2018年)まで、得点差が開き つつあることがわかる。タイ語と英語の得点差が 開きつつあることについては、優秀な生徒が都市 部に集まる傾向が強まっていることや、厳密には 言えないが上述のイングリッシュ・プログラム や、アセアン共同体の構築に向けて英語教育に注 力されたことなどの影響を考えることができる。 先述の通り、イングリッシュ・プログラムは、高 額な授業料を支払える経済的な余裕が必要で、そ れは概して都市部に限られている。 第二に、学力格差が、高校から、中学校へと下 降している可能性を指摘できる。このことは、前 項で紹介した子どもがおなかの中にいる頃から学 校関係者との良好な人間関係を築くことが求めら れるというエピソードとも符合する。船津(2003) ならびに Lathapipat(2018)が指摘した 都 市・ 農村間の中等学校の「階層化」は、現在も進行し ており、それが徐々に後期中等教育段階から前期 中等教育段階へと下降している可能性が考えられ るのである。
4.基礎教育局の政策にみる格差是正と教
育行政官の認識
⑴ 基礎教育局の政策 2019年8月16日(金)、筆者はタイ教育省基 礎教育局の副局長を訪ねて、基礎教育局の格差是 正の取り組みについて、タイ語と英語を適宜用い ながら1時間程度の聞き取り調査を行った。その 際、同局の『2018年度 基礎教育局の政策』な らびに『2019年度 基礎教育局の政策』を入手 した。その後、『2020年度 基礎教育局の政策』 も入手した。各年版に掲げられた政策を比較対照 したものが次の表2である。この比較対照から大 きく2点指摘しうる。 第一に、筆頭政策として2018年度版から一貫 して国家安定のための教育という、国家社会経済 開発の目標の一つを反映した政策が掲げられてい ること。 第二に、2018年度から教育機会の公平、平等 が掲げられており、2019年度、2020年度では、 質の高い教育の機会拡充と不平等の是正へと文言 が変化していること。公平、平等から不平等の是 図1 O-NET の学校立地別の得点の推移 (出所)NIETS から入手したデータに基づき、研究協力者の サポートを得て、筆者作成。正と用語に変化は見られるが、具体的な内容は、 困難な状況にある子どもたちへの教育機会の拡充 のための関係機関の連携やデジタル・テクノロ ジーの活用(2018年度版)、後述する「公正な教 育 の た め の 基 金(Equitable Education Fund: EEF)」との連携による重点的な資源配分とデジ タル・テクノロジーの活用(2019年版、2020年版) であり、概ね同じような施策が掲げられている。 教育機会や不平等の是正が、国家安定のための 教育に並ぶ政策目標の一つとして、継続的に掲げ られていることは、学校教育をめぐる格差問題 が、大きな課題の一つとして認識されていること を示していると考えることができる。他方で、困 難な状況にある子どもを対象とする「公正な教育 のための基金」の設置や、デジタル・テクノロ ジーの活用といった特別措置が、前節で紹介した 恵まれた子どもを対象とする特別教育課程、特別 な学校の設置という改革施策と並行しているとこ ろに、所与の格差を問題としない「分を知る」社 会が垣間見える。 ⑵ 教育行政官の格差認識 筆者が、基礎教育局の副局長に対する聞き取り 調査の中で、上述した有名校(エリート校)の地 方校の設置や特別教育課程の開設について、格差 を助長するのではないかと尋ねたところ、「イン グリッシュ・プログラムやチュラーポーン・サイ エンス・スクール、芸術、スポーツに重きを置く 諸学校や有名校の地方校の設置は、様々な機会の 拡充である。国家開発に必要な人的資源を育てる ためのもの。学習者の多様な能力に応じた教育機 会を開いていると捉えて欲しい。全国にイング リッシュ・プログラムを設置しようとしても、そ れは予算的に難しい。少しずつ機会を開いている と理解して欲しい」と回答した。さらに続けて「全 国の学校に、平等に、予算配分を行い、施設・設 備の整備を行っている。また、困難な状況にある 子どもたちのための基金が設置されており、基礎 教育局との連携もある」と回答した。 これらの回答からは、タイの基礎教育における 格差是正措置は、特別教育課程や特定分野の重点 校の設置など多様な能力に応じた様々な教育機会 の拡充にあり、長期的に見れば、公正を目指した 過渡期にあると見ることもできる。一方で、エ リートと困難な状況にある子どもの格差はしばら く縮まらないとも考えられる。さらに言えば、教 育行政官の話からは、二つの学校教育の在りよう が描かれているともとれる。すなわち一部の能力 の高いエリート層を伸ばす学校教育、もう一つ は、困難な状況にある子どものための「福祉とし ての教育」のあり方である。 ⑶ 「公正な教育のための基金」の設置 上述の基礎教育局の副局長からの回答にあった 基金は「公正な教育のための基金(EEF)」と呼 ばれるもので、首相府の下に、2018年に設置さ 表2 基礎教育政策の変化 2018年版 2019年版 2020年版 政策1 安定のための教育 安定のための教育 人類と国家の安定のための教育 政策2 学習者の質の向上と競争力を備え た教育経営の促進 学習者の質の向上 国家競争力を高める教育経営 政策3 教員と教育職員の職能開発の支 援・促進 学校管理職、教員、教育職員の職 能開発 人的資源の開発・能力強化 政策4 教育機会の公平、平等 質の高い教育の機会拡充と不平等 の是正 質の高い教育の機会拡充と不平等 の是正 政策5 環境と調和した生活の質を高める 教育経営 教育経営の効率化 環境と調和した生活の質を高める 教育経営 政策6 教育経営の改善と参加の促進 調和のとれた教育行政の改善・開発 (出所)タイ教育省基礎教育局政策各年版を基に筆者作成。
れたものである。同基金は、困難な状況にある子 どもたちが基礎教育を受ける機会が得られるよう な財政的支援を行うことを主たる目的としてい る。しかしながら、上述の有名校(エリート校) への進学や、特別教育課程の授業料をカバーする ものではない。この他、同基金は、就学前教育の 普及・促進のための研究や技術的な支援、教員の 職能開発、奨学金授業などを行うとされる。各種 奨学金事業は、職業教育、教員養成、そして博士 学位の取得といった3つのタイプが示されてい る。しかしながら、実際のところ、こうした奨学 金事業は小規模(かつ不安定)であることが多 く(5) 、同基金のターゲットである学齢期児童・生 徒、約57万人のごくわずかしか受けることがで きない。ただし、同基金は設置されて日が浅いた め、各種事業の実効性については今後の検討課題 である。
5.中等学校をめぐる格差とその要因―大
学生と卒業生への聞き取り調査から―
⑴ 学校管理職の実績としての特別教育課程 センさん(A大学B学部卒業生)とバッシさん (A大学C学部生)の二人は、高校時代、それぞれ の出身県を代表する中等学校(Rongrian pracham changwat)の理数科コースに学んでいた。スチュ さん(A大学B学部生)の出身校は、県の代表校 ではないものの、県内唯一の歴史ある女子高等学 校であり、同様に理数科コースで学んでいた。と くに、C学部のバッシさんは、ギフテッド・プロ グラム(英才コース)に学び、国立A大学にクオー ター入試制度により入学し た 優 秀 な 学 生 で あ る(6) 。3名の語りからは共通して、先述したイン グリッシュ・プログラムなどの特別教育課程への 言及があった。 バッシさんは高校時代を振り返り、「(高校に は)、理数コース、社会・数学(言語)コースの 2コースがあった。理数コースには、ギフテッ ド・プログラムというサブ・プログラムがある。 僕はギフテッド・プログラムで学んでいた。EP (イングリッシュ・プログラムの略称)が2番手 だが、(生徒の学力は)そんなにすごくない。た だ、学校管理職にとっては、EP は実績になる。 タイの教育は、学校と学校管理職の利益を中心に まわっている。特別教育課程を持っていれば、予 算が多く配分される。これが格差の原因になる」 と語った。(丸括弧内筆者、以下、同じ) 続けて「(学校管理職は自らの)昇進のために、 生徒をフル活用する。教育省のプロジェクトを受 け入れて、予算を増やして自らの実績を積むん だ。1つの プ ロ ジ ェ ク ト は1万 バ ー ツ(約3万 4,000円)程度だが、全てのクラスで、様々なプロ ジェクトを行えば、それだけで、かなりの金額に なる。たとえば、1プロジェクト、1クラスあた り1万バーツの予算配分がなされるとすると、12 学級6学年だと72万バーツになる。1万バーツ の使途は、生徒は紙だけ使う(紙代はわずかな) ので、残りは、学校が全て吸収している」と語った。 紹介者として同席していたスチュさんも、学校 教育の格差に関して「学校管理職が最も大きな問 題だ」と語った。学校管理職の中には、自らの昇 進のことしか考えておらず、自らの昇進に関係の ない問題については、ほとんど関心を示さない者 もいるという。 ⑵ 「二者間関係(パトロン・クライアント関係)」 による進学・就職 シングルマザーのもとで、一人っ子としてタイ 北部A大学のある県で育ったセンさんは、A大学 卒業後、バンコクにある民間のイベント会社で一 年間ほど働いた後、A大学の教員の紹介で、A大 学の職員として就職。将来は、学位を取得してA 大学の教員になり、インパクトを残せる仕事がし たいと語る。センさんには、幼少期から大学進学 に至るまでを振り返ってもらった。まず、教員養 成大学附属の幼稚園に通っていたが、服装、頭髪 の規則が厳しく、男の子にいじめられることもあ り、居心地が悪かったという。そこで、小学校 は、県の中心都市にある私立の小学校に通った。 その際「高い学費の学校であれば、それ相応の子 どもたち、よい家庭の子どもたちが集まる」とい う思いを家族の間で共有したと語る。英語はフィ リピン人の先生が教えてくれたし、補助教員も付 いていたという。服装、頭髪が自由だったことが 良かったと、大学附属の幼稚園と比べながら語っ てくれた。 A大学のある県の中心には、有名な中等学校が 2校存在するが、両校の入学試験日は、同じ日に 設定されており、子どもたちはどちらかを選ぶ必 要があったという。その際、センさんは、家族の出身校でもあり、校長と叔父が知り合いである中 等学校を選んでいる。その背景には、入学試験に 失敗したとしても叔父が校長と知り合いなので 「預かってもらう(fak)」ことができるという思 惑があったと語る。センさんの母親は4人兄弟 で、教師、看護師、警察官と、全員が国家公務員 (Kha rachakan)としての身分を有しており「住 んでいる地域では、私の名字を知らない人はいな い」と自慢げに語った(7) 。 センさんの語りからは、タイ社会における人間 関係が、極端かもしれないが人生を決定づけるほ どに重要であることがわかる。有名校への進学、 現職への就職、それぞれセンさんの身内と有名校 の校長先生の関係、センさんとA大学の教員の関 係、こうした二者間関係が人生を左右しているの である。逆に言えば、タイでは、こうした二者間 関係がない場合、有名校への進学や就職など、 様々な機会は相対的に限られてくるということで ある。 ⑶ 「分を知る」社会 聞き取り調査の中で発せられた「ハイ・ヨー ム・ラップ・ガップ・シン・ティー・ペン・ユー (現状を許容する)」や「全ての子ども、家族の So-cial determinants(社会的決定因子)が同じであ れば公正だと思うが、そのようなことはない。ま すます社会的決定因子の影響が大きくなっている と思う」というバッシさんの一言は、小論の冒頭 でも紹介した「分を知る」というタイ社会を端的 に示している。また、先行研究(ラッタピパット 2012)の長期的要因の影響が強いという指摘とも 符合する。 バッシさんの一家は、医者の家系であり、両親 の勧めもあり、バッシさんは、歯科医を志してい る。このことについて「タイ人は、父母がその学 校の卒業生であれば、自分の子どもも同じ学校に 通わせたい」と考える。また、これは大学の場合 でも同じであり「チュラーロンコーン大学、チェ ンマイ大学の出身であれば、子どももチュラーロ ンコーン大学、チェンマイ大学に通わせたいもの だ」と語った。これはタイ社会が、年配の考えを そのまま正しいこととして受け入れることとも関 わっている。父、母、教員が「よい、正しい」と 言ったら、それが「正しい」のである。続けて「タ イ社会は、政府が思っているほど美しいものでは ない。貧しい子どもは勉強ができるというのは本 当かもしれないが、貧しければ、教科書がない、 大学受験のための予備校にいけないなど機会が限 られてくる。〈中略〉農民の子どもは、農民以上 にはなれない。現状を許容する。昔から良いもの は良い。これは変わらない」と語った。バッシさ んの語りは、タイ社会論(ホームズ・タントンタ ウィー2000)が指摘する「分を知る」社会に通 じるものである。 聞き取り調査の終盤、バッシさんは、将来、C 学部の教員として働き、A大学の副学長になって 変えたいと語った。具体的に何を変えたいかを語 ることはなかったが、それまでの語りを踏まえる と、大学教育を通してタイ社会のあり方を変えた いということであろう。
6.おわりに
小論の各節の考察を通して、タイにおける基礎 教育改革の種々の施策や中等学校をめぐる格差と その要因の有り様は「分を知る」社会(ホームズ・ タントンタウィー2000)と形容されるタイの社 会構造、現状を肯定するタイ人のメンタリティに 深く根ざしていることが明らかになった。 2000年以降、基礎教育改革の一環として種々 の施策が講じられてきたが(第2節)、全国学力 調査結果の分析(第3節)からは、先行研究が指 摘する中等学校の地域間格差は、れっきとして存 在し、それが後期中等教育段階から前期中等教育 段階へと下降している傾向が確認できた。しかし ながら、基礎教育局の政策や教育行政官の認識の 分析(第4節)からは、寄付金や高額の授業料を 支払えるだけの経済的な余裕や、強い二者間関係 をもつ家庭の子どものための特別教育課程や特別 な学校と、困難な状況にある子どものための特別 措置、いわば「福祉としての教育」のあり方が、 過渡期的なものとはいえ、ある種の正当性を持っ て並行していることが明らかになった。 こうした二つの教育の有り様を、過渡期的なも のとして、将来、本特集総説で整理された公正な 教育を実現しうるか否かは、次世代タイ人の双肩 にかかっている。大学生、卒業生の語り(第5節) からは、先行研究が明らかにした生徒の社会経済 文化的背景の背後に、二者間関係(パトロン・ク ライアント関係)や、「分を知る」といったタイ 人のメンタリティがあること、また、学校管理職の職能成長を所期のねらいとする人事評価制度 が、特別教育課程の開設、運営の強いモチベー ションとなっていることが明らかになった。 タイ(Thailand)は、自由を意味するタイ(Thai) の土地(land)ではあるが、その自由や、タイ人 が許容している平等、公正は、本特集の総説で整 理された一般に想起するものとは異なっている。 二者間関係が重宝され、格差ある現状を肯定する 「分を知る」社会では、極端に言えば、生まれた瞬 間から人生はほぼ決まってしまう。確かに、国家 発展のために特別教育課程や特別な学校は必要で あり、困難な状況にある子どもを対象とする質の 高い就学前教育へのアクセスの改善等の特別措置 は喫緊の課題であろう。しかしながら、近年設置 された「公正な教育のための基金」の取り組みが 今後実質化するにつれて「福祉としての教育」が 正当化される傾向がより強まるようにも思え、悲 観的な気持ちになる。と同時に、筆者が出会った 現世代タイ人は苦笑を浮かべることの多かったタ イ社会の在りようについて、大学生、卒業生が赤 裸々に語ってくれたことは、昨今の反政府運動と 相俟って、「分を知る」という伝統が突き崩されて いくかもしれないという希望を持たせてくれる。
謝辞
本研究は JSPS 科研費 JP19H00620の助成を受 け た も の で す。現 地 調 査 で は、Ms. Pattanida Puntumasen 氏(元タイ教育省教育審議会事務局 国際教育センター長)、安宅理恵氏(教育コンサ ルタント、元タイ教育省科学技術教育振興研究所 (IPST)アドバイザー)の助言、協力を得ました。 また、塚脇涼太氏(比治山大学現代文化学部・准 教授)には全国学力調査結果の統計的分析のサ ポート、小川未空氏(大阪大学大学院人間科学研 究科・助教)には草稿に貴重な助言を頂きました。 末筆ながら、筆者の調査への協力を快諾下さった タイ教育省、学校関係者ならびに大学生、卒業生 に感謝します。注記
⑴ それぞれ、スチュさんは、2020年3月11日(水) 13∼14時。センさ ん は、2020年3月16日(月) 15時40分∼16時40分。バッシさんは、2020年3 月17日(火)17∼18時、に聞き取り調査を行った。 ⑵ 在家信者が比丘僧侶に衣を献上する仏教儀式。 寺院の修理・増改築にかかる資金集めの儀式と しても重要とされる(パーリー学仏教文化学会・ 上座仏教事典編集委員会編2016、p. 363)。 ⑶ パトロン・クライアント関係とは「伝統的社会 の価値と社会関係に基づく異なった地位にある 個人間の全人格的互恵関係に基づく二者間関係」 と定義される(永井2017、p. 184)。 ⑷ 都市部、農村部という学校の立地区分は、デー タ提供元の国家教育試験機構(NIETS)による ものであり、バンコク都、地方都市(県庁所在 地)、郡・区の中心市(市・区自治体)に立地す る場合が都市部であり、そうした中心部から離 れたところに立地する場合が農村部である。な お、NIETS のデータでは、都市部が urban、農 村部は suburb と表記されている。 ⑸ 同基金のターゲットとは異なるが、2004年の教 員養成課程に学ぶ学生を対象とした奨学金事業 は、政府の財源的な制約等の理由により一期生 にのみ支給された(堀内2009、p. 137)。 ⑹ 一般に、クオーター入試と言うと、困難な状況 にある子どもを対象 と し た 特 別 枠 の よ う な イ メージを持つが、タイには成績優秀者のための 特別枠(クオーター)も設けられている。日常 的な口頭のやりとりでは、どちらの場合にも「ク オーター」という言葉を用いる。 ⑺ 国家公務員はタイ語で「僕(しもべ)」を意味す る「カー」と王を意味する「ラチャガーン」を 組み合わせて「カー・ラチャガーン」、すなわち 「王事を行う下僕」(村嶋1996、p. 163)と訳さ れる。王様に仕える者、より正確には、タイの 近代的な官僚組織に属していることから、社会 的地位が高く、人間関係も広く豊かである。参考文献
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Samnakngan khanakamakan kansueksa khanphun-than. Nayobai Samnakngan khanakamakan
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Abstract
Basic Education Reform and Disparities Related to Secondary School in Thailand: Patron-Client Relationships of the Hierarchical Society
Takayoshi MAKI Hiroshima University E-mail:[email protected]
This paper aims to understand the disparities in secondary schools in Thailand and their underlying factors. Data was obtained by tracing the basic education reform measures that have been taken over the last 20 years, and by conducting interviews with an official of the Basic Education Commission in the Ministry of Education, university students, and a graduate. The review of the National Test(O-NET)scores indicates that the disparity of schools in urban and the rest is gradually shifting down-wards from high school to junior high school. Results from the interviews with the university students highlight the decisiveness of human relationship; that is, a patron-client relationship, where, for Thai people, life and career seem to be determined from the moment of one’s birth. Similarly, interviews with the Ministry official imply that there is a pessimistic feeling that this tendency will be strength-ened particularly in the context of legitimization of education as welfare through the efforts made by the Equitable Education Fund. Parallelly, the Ministry enhances and promotes luxurious education pro-grams for the few. However, the narration of the next generation of Thais(university students)on their actual experiences about the disparities of the secondary school, the traditional Thai values, and the influential human relationships, etc. gives new hope that the next generation will transform the Thai traditional society and its values by considering the common good in the context of universaliza-tion and the disparities of educauniversaliza-tion. These findings confirm the existence and continuauniversaliza-tion of the dis-parities in secondary school reported by previous researchers(e.g. Funatsu 2003, Lathapipat 2018). One important discussion point is that the disparities of secondary schooling are deeply rooted in the hierarchical structure of the Thai society(Holmes et al. 1995=2000). Another point is that although Thailand is“the land of the free,”its freedom, equality and equity are different from those recalled in the review articles of this special issue.