Title
ペイトン学説における損益計算の胎動
Author(s)
奥山, 正剛
Citation
沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 10(1-2): 55-67
Issue Date
1986-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6753
ペイトン学説における損益計算の胎動
奥山正剛 1はじめに 2勘定体系 3損益勘定の意義 4費用収益対応思考の芽生え 5おわりに 1.はじめにペイトンが初めて会計学の著書を公刊したのが1916年であり(1)それは、ス
ティーブンソンとの共著書「会計学原理子)であった。
ペイトンは、リトルトンと並び、アメリカにおける動態論的会計学者であると一般に言われており、また、いわゆる企業実体論を展開し、費用収益対応思
考の素地を築いたとも言われていろ。そうであるならば、この1916年の著書
の中に、ペイトンがその後に展開した損益計算の胎動とも言うべきものを探り
出そうとしてみることも、あながち、無駄なことでないであろう。むしろ、そ れは、ペイトン学説における損益計算論の解明にとって必要なことであろう。 本稿の狙いはここにある。 この,900年代初期のアメリカ会計学においては、財産計算を目的とした会 計が支配的地位を占めており、純財産増加説的利益概念が一般的に受入れられていたJ(3)こうした支配理論の状況の中で、ペイントは、果たして、その胎動ら
しきものの展開を見せたのであろうか。このことは、損益勘定を勘定体系的にいかに位置づけたか、そして、損益勘
定あるいは損益計算書にいかなる意義を与えたかを探る中で明らかにし得ろと
-55-考える。 2.勘定体系 1900年代初頭、アメリカ会計学において、「資産一負債=資本主持分」と いう会計等式でもって、諸勘定間の基本的関係は示されると考えるのが支配的
であった)の
この会計等式を主張することは、貸借対照表を勘定体系の中核に位置づける ことを意味していろ。例えば、スプレイグが「貸借対照表は会計の基礎であり、すべての勘定の出発点であり、また、終着点であるp」と述べており、また、
ハットフィールドがF・…一定の取引がどのようにして貸借対照表の中で明ら かにされるかを考察すること、これが会計人が常に心に留めておくべき目的である)61」と述べているのは、まさに、そのことを意味していろ。したがって、
収益勘定(あるいは利益勘定)や費用勘定(あるいは損失勘定)は、資産勘定、 負債勘定、資本主持分勘定のいずれかの勘定に属する、従属する勘定として 位置づけられる必要がある。そこで、それらは資本主持分勘定に従属する勘定 として理解され、収益あるいは利益は資本主持分の増加を意味し、費用あるいは損失は資本主持分の減少を意味するとされ翻したがって、損益勘定は、
資本主持分の純変化の内訳明細表であり、資本主持分勘定に従属する一時的・ 暫定的性格の勘定と性格付けられろ。 1818年にこの等式を掲げて複式簿記の原琿を説いたクロンヘルムにおいて、 費用勘定、収益勘定また損益勘定は、個々の取引が生じる毎に資本主持分勘定 に記入するという不便を避ける為に設定されたものであり、資本主持分勘定へ の定期的振替のための集合場所にすぎ、資本主持分勘定の単なる分岐にすぎないと考えられたのであるP
この会計等式を基本とした勘定体系の下では、損益勘定は、勘定体系的には 重要でないのである。 ここでの損益勘定あるいは損益計算書は、独自に費用・収益を把えて、それ らを集合して作成されたものではない。貸借対照表によって計算された利益の -56-雰鰯蕊孚譽鴛二重菫二麟苧冑鰄董二二三字三雲三二
純財産増加説的利益概念が妥当するのである。他方、ペイントは「資産=持分ICという会計等式でもって諸勘定間の基本的
関係を示そうとした。この等式は、負債と資本とを、持分という概念で一元的 に把えようとしている点で「資産一負債=資本主持分」という等式と異なってはいるものの、両等式とも、貸借対照表上の要素を勘定体系の基礎とする点で
同じくする。ペイトンは、貸借対照表が会計の土台であるとしたスプレイグの 言葉に賛意を表わしつつ、「貸借対照表は、複式簿記システムの基礎であるところの事実(資産と持分-筆者)の分類を表示しているJjjIと述ぺているので
ある。やはり、費用勘定、収益勘定は、貸借対照表上の要素たる資産もしくは 持分の勘定のいずれかに属する、従属的勘定として位置づけられなければなら ないのである。「したがって、費用勘定・収益勘定は持分従属勘定として考え られるのが適当であり、それぞれ、資本主持分勘定からの総控除と資本主持分勘定への総追加とを記録するのである12hと述べていろとおり、費用勘定.収
益勘定は資本主持分勘定に従属する勘定であり、したがって、損益勘定は、資本主持分勘定に従属する一時的.補助的勘定なのである13
勘定体系的には、損益勘定あるいは損益計算書は、貸借対照表に従属する付 属物なのであり、重要性はもたない。支配琿論と同じ勘定体系を有していたと 理解できろ。そのため、ペイトンにおいても「期首と期末の貸借対照表を比較 することによって、損益計算書の助けがなくとも、相当程度に当該期間中の状 況を知ることができる。……当該期間中の総利益は=つの連続する貸借対照表の比較によって確かめ得ろ。処分されなかった利益はすべて資本主勘定の中
に表示されろ。資本主勘定の増加額と配当処分された額とを加え、それから新規の投資(もし存在すればだが)を差し引けば、当該期間中の総利益が算出さ
れるj4bと述べられ、純財産増加説的利益概念が採り入れられているのである。
とすれば、基本的には、支配理論と同じ勘定体系を持つペイトンにおいても、 損益勘定は、所詮、資本主持分の変動の内訳明細表にすぎないのであろうか。 ペイトンはこのことについて以下のように述べていろ。「損益計算書は、- -57-定期間の企業の径営活動の歴史的表示を提示するものl’であり、「そういう情
報は、歴史的状況を要約した形で示すが故に、いかなる企業においても極めて
重要なものである。それは、経営者、取締役会、資本主にとって、極めて貴重
な情報なのであるJiq,
これは、損益計算書が単なる資本主持分の変動の内訳明細表であってはなら
ず、種々の利害関係者のために、経営活動に関する1盾報を提示すべきものでな
ければならないことを意味しているのではないだろうか。 3損益勘定の意譲ペイトンは、当時の支配理論も同じ勘定体系を有しながらも、損益勘定ある
いは損益計算書に支配理論に見られるのと異なった意義を与えたのであろうか。
もし、そうであるとすれば、その理由は何だったのか。それを探る中にペイト
ン学説の損益計算の胎動を感じ取ることができるのではないだろうか。
「資産一負債=資本主持分」という会計等式が主張された理由は、一つには、
当時のアメリカ会計学は、いわゆる資本主理論の支配下にあったことである擬
もう一つは、との等式の背後には、貸借対照表重視という会計思想が存してい
るのであり10そのため、この等式が当時のアメリカで自然な形で採り入れられ
たと思われろ。すなわち、当時のアメリカにおいては、銀行が事業会社との信
用関係を維持する場合に、受信者の貸借対照表を分析して、信用能力を判定す
る慣行が発達してwJ1,この判定のための基礎として、会計士による監査済貸借
対照表の提出を受信者に対し要求したのである。いわゆる貸借対照表監査であ
る。そこでは、貸借対照表上の記載項目の正確性を検証し、企業の支払能力を明
らかにすることに主眼がおかれプヨビO貸借対照表監査は非常な勢いで普及するに
至り、その結果、貸借対照表の様式の標準化、その作成の基準の設定を必要と
するようになり、貸借対照表に関する研究が刺激され、その時代の理論的基盤
は必然に貸借対照表問題を中心とし、貸借対照表重点主義の会計学の発展をみ
~⑫’ たのである。 -58-貸借対照表が会計報告書として重視され、上述の会計等式が受入れられるだ
けの社会的経済的状況が存していたのである',
しかし、単に貸借対照表が重視されたというだけでなく、こうした貸借対照 表は、評価の報告書であったという点が、当時の支配理論における特質であっ たのである。. つまり、貸借対照表に対し、当時、それは記録の結果というよりは、むしろ、 棚卸・評価の所産であるという性質付けがなされていろ。それは、帳簿から離 れて、独立に資産・負債の有高の状態を調査・評価し、その結果を表現するも のとして貸借対照表を意義づける側面が見られるのである。例えばハットフィ ールドは、「棚卸を通じて正しい数値が導入されろという点で、貸借対照表は試算表と異なるのである'3bと述べているし、また、ハットフィールドが取り
上げた中心問題は貸借対照表評価理論であったのである。具体的な例として、ハットフィールドにおいて、減価償却は「固定資産を評価する票ためのものな
のである。そこでの貸借対照表は価値報告書あるいは評価報告書なのである'0
とのように、評価の会計として特質づけられ得る当時の支配理論において、 費用と収益とを把えて、比較して損益計算を行うことなど考えられ得る状況で はなかった。当然、損益計算書の公開に関心が向けられろとともなかったのである10
したがって、純財産増加説的利益概念が採り入れられたことは当然の結果と いえよう。それは、費用と収益とを直接に把えて、両者を比較・対応すること で把えようとする利益の概念ではない。あくまでも、貸借対照表上の評価に重 点を置き、したがって、利益計算は、ほとんど無視するか、あるいは、考慮さ れたとしても、それは、評価をし、貸借対照表を作成することの結果生じる副 産物であり、せいぜい二義的にしか考えられなかったのである。 他方、ペイトンにおいてはどうであったのだろうか。評価という事について、 ペイトンは以下のように述べていろ。「現時点での資産の手許有高と前期の報 告書の提示以来、資産がどの程度消費ざれたかの額とを決定せねばならないあらゆる場合に、棚卸と評価とが必要なのである'111と。これは、棚卸あるいは
-59-評価を通じて初めて正しい数値が導入されろとするハットフィールドの見解に
通ずろ。ペイトンにおいても、会計は評価のプロセスとして考えられていたの
ではないだろうか。減価償却について、次のように述べている。「との勘定
(建物勘定一筆者)は、1月31日現在、$130,000の借方残高を示してい
る。……1ケ月の間に合%の価値減少があったと決定された。つまり、評価の結
果、現在、$129,350の価値であることが判明した。したがって、資産の消費
額、すなわち、減価鬮額は$650となる銘と。この文言の中に、ペイトン
は、支配理論と同じく、会計を評価のプロセスとみなしていたことが明瞭に読
み取れる。減価償却は、固定資産の価値を決定するためのものとして意味があ
り、ハットフィールドの見解と軌を-にする。そこでは、明瞭な表現はないものの、貸借対照表に関心は向けられ、貸借対
照表は評価の所産であり、評価報告書と考えられるのである19
とすれば、ペイトンにおいても、支配理論におけると同様、損益計算に対し
てほとんど関心を払うことはなく、そのため、損益勘定あるいは椙徳計算書は、
貸借対照表上に算出される利益の内訳明細表にすぎず、貸借対照表に付属する、
従属的・下位的な意義しか与えなかったのであろうか。
ペイトンは次のような事を述べていろ。「広義において、会計とは、梓済プ
ロセスを明らかにすべ<企てられた情報を提示し、分類しようと試みる科学で
あるPqjと。このことは、支払龍力表示ということを主目的としていた当時の
支配理論と異なり、企業を生産的組織体とみなし、企業の内部者・外部者を問
わず、あらゆる利害関係者に対し、その意思決定のために、企業の梓営活動に
関する'情報を提示することを目的とした会計が考えられているのである。ペイ
トン学説は、財務会計と管理会計とを基礎的には一体視しているものだと言わ
れたり、経営管理的側面を持っていると言われたりする所以である。
こうした立場から、ペイトンは、「会計は価値を扱うMlajだと考えていろ。
この言葉の背後には、価格が経済活動の合囲的な方向づけ老可能にするもので
あるという考えが存していろ。会計は、その対象となるあらゆるものを貨幣的に
表現するという原理に基礎づけられているのであり、したがって、会計におい
て、常に価値が扱われねばならないと考えられているのである19
-60-それは、絶えず変動する経済環境の中にあって、会計が適切な'情報を提示す るには、絶えず外界の変化をもその中に取り入ればならないと考えられている ことである。 そのためにこそ、ペイトンにおいて、評価に関心が向けられたのである。 当時の支配理論と同じく、会計を評価のプロセスとしながらも、支配理論と
は目的を異にする13そのため、支配理論が貸借対照表重視であるのに対し、
ペイトンは、支配理論に見られる程に損益計算書を下位的な地位に落とさなかったのである夢むしろ、ペイトンは、「企業の会計記録は二種の情報を提示す
べきである。(1)会計期間中の企業の営業の歴史、(2)期末時点での企業の財政状態勵と述べており、損益計算書を貸借対照表と同程度に重要な報告書とみな
そうとさえしていろ。 すなわち、会計を評価のプロセスとみなす中での損益計算書ではあっても、 それに企業の利害関係者に対し、企業の経済プロセスに関する必要な経済事実 を提示するという目的を与えたのであり、それは、損祐計算書を単に貸借対照 表の付属物として考える立場を取るものではなかったのである。 4.費用収益対応思考の芽生え このように、当時の支配理論と異なり、ペイトンは、企業の経済プロセスを明 らかにするという観点から、当時の支配理論には見られなかったところの損益 勘定あるいは損益計算書の意義づけを行ったわけであるが、そのような意義づ けの下で、ペイトンは以下のような事を述べていろ。「収益、すなわち、資本 主持分従属勘定は、製品の中に具体化された資本主の用役の売上を通じて生じ た資本主持分への追加を記録するのに必要である。製品の売上によって盲蕉の 増加が生じると同時に、その製品の製造過程で生じた資産のあらゆる費消を決 定するのは、実務上は不可能である。そういう寶用は活動の進行につれて、ま た、時の繰過につれて生じるものである。……その結果、製品が他の資産と交 換された時、収益勘定に記入される資本主持分の追加は``総鋤であり``純喚で はない。したがって、前もって認識されていない資産の減少を、一定の間隔を -61-おいて、資本主持分から控除することが必要となる。このことは、収益勘定か
ら直接に控除するか、あるいは、これらの控除を別個の費用勘定に計上してお
くのである。後者の場合、資本主持分の純変化は、損益計算書の中で、これらの勘定の両方を集合し、比較することによって決定されるl36ijと。ここに、費
用と収益との対応思考が明瞭に感じ取れるのである。つまり、製品の売上から、
その製造・売上に係るあらゆる費用が差し引かれねばならず、損益計算書にお
いて、この費用と収益とが比較され、利益が決定されるとした考えである。そもそも、ペイトンにおける、企業の経済プロセスを明らかにすることとは、
すなわち、企業内での財貨・用役の流れを把えることであると理解できる。ペ
イトンは「設備資産、すなわち、土地、建物、道具、原材料等のような物的資
産と労働力、経営能力のような用役とは資本主の特定の用役と一体となって、
消費者に販売される製品一商品であれ、用役であれ-の流れを生み出す。
こうした商品・用役の絶えざる生産は、資産の絶えざる寶消.取替・変化を通
じてのみ可能となるPillと述べていることである。
資産とは「種々の有形の財だけでなく、価値ある用役・権利・特許等、また、
他人に対する請求権をも含む勵のであり、費用とは、こうした「資産の費消
(expMion1G1なのである。両者は、生産過程の中で、いわゆる同質視されて
いるのである。財貨・用役の費消によってこそ、製品の流れが生み出されるのである。費用
によって収益が生み出されるのであり、こうした両者の対応関係が事実として
生じている以上、これを数的に把えることで、企業の経済プロセスが明らかに
し得るのである。ペイトンにおいて、損益計算書が、かく意義づけされたことによって、費用
収益対応思考が採り入れられねばならなかったのである。 5.おわりにペイトンは、会計学者としての誕生期において、会計を評価のプロセスとみ
なしていたことは否定できない。評価としての会計を展開する中で、損益計算
-62-に独自の意義を与え、損益計算の胎動とも言うべき費用収益対応思考を芽生え させたのである。しかしながら、ペイトンにおいては、勘定体系的には、純財 産増加説的利益概念が妥当した。それは、「資産=持分」という会計等式でも って、諸勘定間の基本的関係を示をうとしたことと結びつく。純財産増加説的 利益概念においては、費用と収祐との対応という考えが入り込tF余地はない。 費用と損失、また、収益と利益とが区別される論理的理由すらない。ここに当 時のペイトン学説の矛盾が存しているのではないだろうか。:例えば、ゼフはペイ トンの評価論について、「あたかも著者達はw彼ら自身の会計上の概念を充分
に把握していないかのように、優柔不断さを呈している1lbと述べているが、
このゼフの言葉は、単に評価論に限らず、損益計算の領域についても言えるの ではないだろうか。 本稿において明らかにしたことは、ペイトン学説における損益計算論を解明する上で必要なことである。何故なら、ペイトン学説において、その後、何が
継承され、何が変化するのかを明らかにし、そして、その蝿由孝跡づけることが必要だからである。上述の矛盾が、いかなる形で解決されていくのかを跡づ
けることが必要である。 (注) (1)StephenAZeff,PatonontheEffectsofChangingPrices onAccounting,inEssaysinHonorofWilliamA、Paton, editedbyS・AZeff,J・DemskiandN・Dopuch,1979,P、91. (2)WBA、PatonandRA・Stevenson,PrinciplesofAccounting (1916),reprinteded.,1976. (3)例えば、1911年に、スパニヅシュ・プロスペクテイブ事件において「利祐(profits)は、通常一年間の間隔をおいた特点の二時点での営業の状態
を比較することを意味していろ。それは、基本的には、当該年度中の営業活動によって得られた利得(gain)の額を意味していろ。これは、二時点のそ
-63-れぞれの企業財産の比較によってのみ確かめられ得る。」という判決が下さ れていろ。(StudyGrouponBusinesslncome,Americanlnsti-tuteofAccountants,ChangingConceptsofBUsinesslncome, reprinteded.,1975,P、24.)また、今世紀初頭における英米会計学の
権威者と言われているディキンソンは、「利益(profits)は、企業に投資
された全額の価値の実現した増分として考えられるものであり、……ある特定時点に価値を見積り、二時点間のその見積の増加もしくは減少を利益もし
くは損失として考えろととが必要である。」と述べたのである。(A・LDic-kinson,Accounting,practiceandprocedure,reprinteded.,1975,P、67.)
(4)例えば、CESprague,thephilosophyofAccounts(1908),
reprinteded.,1972,P,23.また、H,RHatfield,MbdernAc-counting(1918),reprinteded.,1969,R1. (5)Sprague,op、Cit.,P、30. (6)Hatfield,op・Cit.,prefacev.(7)Sprague,op,Cit、pp、24-25.Hatfield,op.cit.,P、8.
(8)A・CLittleton,AccountingEvolutiontol900,1966,P、170. (9)Hatfield,opcit.,R196.⑩PatonandStevenson,op・Cit.,P、23.
qDibid.,P、19Jまた、この文言だけでなく、「簿式記入システム」と いう章について、貸借対照表に関する説明から書き始めているのであり、そ れは、貸借対照表が勘定体系の基礎に置かれていることを示しているのであ る。(ibid.,PR19-36.) ⑫ibid.,P、30. 03ibid.,P,46. ⑭ibid.,P、197. ⑬ibid.,P、197. q6ibid.,P、62.⑰資本主理論は、中世イタリアの商業諸都市における商業の発展の中から育
まれたところの、当時の資本主の利益・財産の計算を目的とした記帳技術た -64-5複式簿記の拠るべき論理として出現した最も初期の理論である。そのため、 当然に「資本主持分Jという概念が中核となるざ資産は資本主の財産、負債 Yは資本主の債務、利益は資本主持分の増加として考えられ、会計上の記録・ 報告は資本主の立場からなされろ。そこでの会計は資本主の純財産の変化の )測定q分析を目的とするb会計,プロセスは、〆資本主の利害をその中心軸とし ていろ。(WJ・Vatter,theFundTheoryofAccountingandIts `LnplicationsforFinancialReportS(1947),reprinteded・j lW41PP、2-3。)」i ⑬例えば、この等式を説Wとクロンヘルムは、!常に資本全体の価値とその各構 成部分の価値とを知り得るように財産を記録する方法として簿記を定義した のであり、この定義においては、会計の目的についての貸借対照表的見解が
明確に述べられているのである。(Littleton,oncit.,P、169.):I
⑲若杉明著『企業利益の測定基準』中央経済社昭和60年116頁。 、〔)例えば、ハットフィールドは貸借対照表の持つ第一の目的は、支払能力に 関する情報を示すことだとしていろ。(Hatfield,op.cit:,P、54.) ⑳黒沢清稿「米国会計学発展史序説」『経営学全集第三巻一米国経営学 (上)』東洋経済新報社昭和31年242-243頁。 ⑳貸借対照表が重視されたことには、15世紀以降の会計思想の影響が存し ていることも指摘されるべきだ。すなわち、15世紀中葉、所有する財産に 対し課税額の自己査定が要求され、そのための基礎として複式簿記が利用ざ オL、財産目録が作成されたという事実、また、17世紀には、ジモン・ステピン は、貸借対照表の表題の後に、“資本有高借方““資本有高貸方塾というタ イトルを付し、損益データに対しては、り資本の証明凸と称される程度の下 位的。,従属的な報告書としての地位しか与えなかったという事実である。… (Littleton,op・Cit.,PP、1別-153.Littleton,EssayOnAcco-untany,1961,PP、112-113.) ⑬Hatfield,Op・Cit.,P、37. ⑭ibid.,P、121.E C,例えば、Ⅲヘンドリクセンは「1930年以前において、貸借対照表を評価報 -65-が,告書として扱った事は、多くの企業の年次報告書から明らかなことである。」
`ずと述べている6(E、S、Hendriksen,AcCountingTheory,P、61.)
⑱例えば、ブラウンは、当時の主たる企業20社の報告書を検討し、損益計算
…書の公表に向けての動きはほぼ1920~1930年に始まったとと指摘していろ。
(C、UBrown,theBalanceSheettothelncome,Statement:A
FStudymtheHistoryofAccountingThought,,1983,PP、80-
88.)また、ヘンドリクセンは、「損益計算書は、ある場合には全く公開
されることなく、また、ある場合には、収益を公開しなかったり、費用の分
廿類がなされなかったりで、,損益計算書は全く不充分なものであったのであっ
たのである.」と当時の状況を指摘している。(Hendriksen,。p・Cit.,
P、60.):ベハ⑰PatonandStevenson.。p・Cit.,P、89.
⑱ibid.,P、558③例えば、「機械また諸設備等の価値は、貸借対照表から明らかになる。」
と述べていることが、このことを示していろ。(ibid.,P、189.)
e0ibid.)P、13~ GDibid6,P、14.⑳ペイトンは、以下のようなミヅチェルの言葉を引用していろ。「価格は、
へ会計を通じて、経済活動の合理的方向づけを可能にしていろ。というのは、
;会計は、当該企業が関係する異質の財貨・用役・権利等すべてを貨幣価格で
もって表現するという原理に基礎を置いているからである。」(ibid.,P、
14.)との考えは、ゼフによれば、ペイトンとスティープンソンの基本的
な哲理である。(Zeff,op・Cit.,P、94.)
⑱ペイトンにおいても支配理論においても資産評価が問題とされるのではあ
るが、こうした違いから、評価尺度の選択に違いが生じろ。ハットフィール
ルドにおいては、支払能力の表示のための滴切な尺庖は何かが論じられ、ペ
イトンにおいては、企業の経済プロセスを開示する上で適切な尺度は何かが
論じられたのである。鋤例えば、フォックスは、「損益計算書は第二義的な重要性しか持たない
-66-とした当時の支配理論に対し、ペイトンは同調的立場をとらなかった。」と 述べていろ。(J、G・Fox,AComparativeStudyofSelectedAre-asoftheAccountingThoughtofWilliamAndrewPatonand PrevailingAccountingThought:1915to1970,1B82,E172.) G9PatonandSteveson,op・Cit.,P、16. GOibid.,Po30. ⑰ibid.,P、24. G3ibid.,P、19.用役をも資産概念に含めているペイトンの考えは、当時 の支配理論とは異なっていろ。(Cf・Hatfield,op・Cit.,P、27.