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大正十四年七月七日岐阜附近の地震

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(1)

4、 円 七 O れ る J 是は地震専門皐者によ

b

て解かれなければな

ι

ぬ問題と思ふ。(大正十四年入月廿五目、 中 央 信 州 象墓に於て) 大正十四年 七 月 七 日

,ョ手 厚乏

-- E ・E

- - - z . , E E

, /

l=I li=i1

一 ? 緒 言 去る大正十四年七月七日午前一時四十六分頃美濃図岐阜市附近に後現せし強震に就きて少し く調査じたるを以て件犯に-記述し以て諸⋮賞の御数一不を希はんと欲するものである。 岐阜?名古屋市地方が害℃明治廿四年十二月二十八日濃尾大地震の震源に隣接し此大地震の結果とじ て地表に今も向大地鑓の跡を止め、且つ乙の大地震以後に於ても岐阜・愛知腕下若くは近畿地方は屡々 強震を後じ本邦地震活動地域として此後と雌も決して注意を怠る可からまるの地方である。今回の強震 々央の四聞には測候所が都合よく存在して所謂地震観測網にて間続 3 れ隠って是れが研究調在に最屯妓 都合の地域をなしてゐる。 調査に就いては此地方の測候所諸賢の厚主御好意を辱して其地震記録紙叉は詑象の寓異潟しを借用す る を 得 て 、 一 更 に 本 墓 に 於 て 再 び 是 れ を 約 三 倍 大 に 撰 大 し た る 官 何 回 鼻 、 を 作

b

以て-詑象各部の請取ちに便する を共に成る可く其れ等"の精確なる値を求むる事を得る様に努めたのである。

(2)

'設に夫れ等地震記象紙を拝借する乙とを直に快諾せられし諸測候所長及び各位に深︿戚謝すると同時 に詑象引延し潟異の作製に闘し多大の努を寄まれゴ h J し本墓地震係員高田,黒川、及び木津の三君に謝 する次第である。 地震事項の調査に於ては第一に其殺現の位置を正確に判定する乙と最も必要とする所であ る。過る大正十二年の関東大地震の如き大規模なる烈震に於ては震動著し︿大にして怨に測候所に於り る観測詑象は地震計の測

b

得る能率以上を越へ℃地震詑象紙よ

b

の値を以て震央叉は震源を論ずる乙と が頗る困難なるのみならず始めの主震が誘殺の原因を作

b

て四国に隣接せる地殻の卒衝を打ち破

b

て 引 一 、 震 央 ぬ - t 緩舎で可成

b

の優勢なる第二第三の地震叉は是れに件ふ地援を生ぜしめ最初の地震々、娠の四閣の相官 大なる控積を含 h u 地域会体が凡て震源たる肢を呈し随℃盆々始めの地震の後源結の精査剣断をして不明 瞭とならしむることは営然な

b

し事と思はれる。即ち関東大地震の場合或は叉今回の強震と殆んど同一 地貼附近代その後現地を存すると忠はる、明治二十四年の濃尾大地震に於ても共の地震報北口等の詑載に 就いてみるも営時の大地震目撃者は地震振動の中途よ

b

叉は地震に引緩急て彼の有名なる大断層の地援 を次第に生じたるとのことである。 然るに今回の如

3

小地震却も震央に最も近接せる位置にある岐阜測候所に℃強震 ( m m き方)(震度階絞 四)の程度を戚じたるものにあ

b

ては各測候所地震許認象も皆大体完全に観測せられしを以

τ

是れ等の 七

(3)

日 七 二 記象よ A M 論争べ

3

値は正篠なるものなるを信宇るものである。震央を一求むるの常例たる地震記象紙ょ

b

検測したる初期微動総額時間を以てする乙とは今暫く後にゆずる乙と、、し先づ、始めに於℃は詑象紙の 値じ擦ることなくミ y y 数授の所謂ポ λ トカ!ド‘メソッド仁よりて大略の震央を求めんがため今各測 候所管内町村の人体戚受仁よる地震報告を以℃第一国の如くに某れの震動方向を矢を以てし震度張と報 告ある区域を熱線の ρ ヅチにて現はしてみる、而して園よ h J 震動方向を考察せんに岐阜

l

i

彦根の方向 なる岐阜市の北西側に於ての震動方向は南東にして岐阜の北東側村落に於ては大躍の向

3

南西

ll

北京 にして概観に於℃岐阜市の北東附近を基とすべ

3

事を考へ得らる Q 叉ニれ等振動の方向中或は地震に伶 へる地鳴の響

3

し方向を混じ報告せ.るものあるも乙れを調査するに岐阜市附近に於ては共著し

3

地鳴セ 南々東へ向って響き行

3

し と 云 ム 。 前述の如く乙れ等管内の報告に基含℃判断せる震央が岐阜市に近接せる北々束叉は北東に位するもの と 考 へ ら る 、 、 に よ

b

更に此等の管内.人身戚費による振動方向が賓際の器機による精密記象と果して符 A 口す可き哉否やを験するの必要がある。 乙れ等の震動方向なるものは地震計詑象にては主要動部の極大動 ( h ) にして此場合は最大横波たる 一 S の振動方向にして其方向は震央に向ひ賂直角なるものと考へらる、今岐阜測候所強震計詑象紙よ

b

この極大動を抜測するに

(4)

南 方 へ 三 二 粍 東方へ六・七五粍 週 期 一 ・ 三 秒 犯して是れを組合せたる最大振動は 南六五度東へ七・五粍 をな

b

てみ苫︿岐阜測候所に於げる人身戚血買による観測及び管内諸町村の震動方向と一致するをみる。今 簡の地震詑象紙よ

b

鵡るに岐阜測候所詑象に℃は極大動は極めて規則正し

3

一往復振動をなすをみる、 隠って人躍に戚貸せるものも可成

b

間違なく共振動方向を一不すぺく以上の故を以℃せば管内報告振動方 向其他は可成

b

の正確

3

を有するものな

b

と思 p 戸、隠って考ふる震央位置も大なる談

b

なかるべしと思 はれる。凡地震に際じて物鰻の倒る、方向は大概に於℃震央と直角の方向である。 叉管内報告の震度よりみる比其震度強とある地域の形放は前述震央を中心とする正し

S

国を示 3 ゴ る は元よ

b

の事にして北東

l

南叉は南西へ向ひ長

3

大にして束阿側は是よ

b

短︿(琶琵湖西岸

) l

(

中部日 本ア Y プス商賛)を界とす、又南北側は尾張渥美学島、伊勢海沿岸 1 附近に及ぶ、即ち第二固にてみる 対︿この強震区域は地震計観測よ

b

せる初動及初期微動総績時間の轄向固(後章に述ムペし)に比して 北東にては狭く南西方向に於て撲るを乙とを知る、地質問問中的には乙れ殆かも此地方の地質構造と符 A 口 を 一夜すものにして叉後代述べる震源運動の般犯より考へでよく合理するものであって前述せし如く考へし 一 七 三

(5)

一 七 回 -震央位置に封じ支一障を来すものではないのである。 J 本地震の被害として伊勢海沿岸なる四日市市街代℃は振動割合に張︿同市中の戎る煙突の倒れしもの 友ぴ某高塀一の破損せるものあ

b

しと一去ふも元来同市街は‘三瀧川河口にあって洪積層、か狭︿第三組居の ,--. -gト 間に挟まれ居る状態を一不す士地なることよ

b

判断し得ぺく震央に近、

3

との詮にはもとよ

b

ならないので ある。叉震度区域を園、によ AY てみるも強震直域内にて震央の北東の測が南方側の同一距離にある伊勢湾 沿岸の地方に比し著しく弱き理も叉地質的に営然の結論にして且つ叉後輩に記載する震源に作用せる地 震原動力の作用朕態にも因すぺ

3

筈である。試みに前記岐阜測候所強震計詑象よ

b

検測せる最大動によ 多今回の地震の同測候所に於ける最大加速度を算出せんに.前記の如く同所の最大動は比較的規則正し 酔 え ﹀ ・

2

回 ∞

. 5

〆 含一回の往復振動をなすを以て翠一段運動の一部と七て普通の如く

P

1

1

4

IH--割 引 ー し て算出し得るものとせば毎秒毎秒約九十ミクメ!ト

w

とな

5

て此の値のみが果して地震破壊力営示すも の な λ y せば元よ

b

岐阜附近に何等被害を輿ヘゴるは営然の乙乏である。、 ・次に詑象紙上に於ける主夏部の振動方向に就いて見るに岐阜測候所詑象紙は前惑の如く其の最大振動 の 向

3

.

か前詑震源と直角の方向に向へるが他の測候所に於℃は如何なるかを考ふるに元来震源を距たる に従って共の距離に-比例して地震計詑象は次第に不明瞭とな

b

殊に其主要動は他の影響によ

b

て撲差を 含

U

ぺ︿依一定、近地地震に℃は極大主要動と同一なる性質を有すると考へらる、初期微動の終

b

にして主

(6)

要 動 の 始 め な る 主 要 動 初 動 一

s

⋮t f 夫一々の測候所詑象紙よ

b

議 み 取

b

し に 明 瞭 な

b

しものを掲じれば第一 表 の 如 ( で あ る ‘ 此 の 震 波 は 陣 性 横 波 な る S にして然かも震源よ

h

最短の路を遁過し来るべ

3

の性質の ものな

b

とせば此振動の方向は夫々の測候所在震源への方向色直角をなして振動すぺ

3

ものである。 そ:-~,.. 第 表 沼 大 入 京 彦 津 名 岐 測 古 川 候 屋 阜 所 主 要 動 初 動 の 方 向 及 び 振 幅 ( 粍 ) 北二・三三'れ町一一一・二五 北 々 束 へ ‘ 向 7 振 幅 不 明 南

0

・ 四 四 束

0

・ 入 北 一 一 ・

O

岡 三 ・ 六 北

0

・ 九 八 回

0

・ 四 五 北

0

・ 五 八 四

0

・ 六 四 南

0

・ 一 九 東

0

0

八 南

0

・ 三 二 東

0

・ 二 一 週 期 ( 秒 ) 一 ・ 五 一S 波 津 阪 木 都 根 一 ・ 一・ 九 ご ・ 四 此の表の ι ベクト M F は第二闘にが、て結線の欠を以て示せるものにして前詑の如︿考ムる震央の方向とは瓦 比 庶 角 を な し 然 か も 岐 阜 測 候 所 の も の は 最 大 に し て 前 に 仮 定 せ る 震 央 の 大 、 過 な 舎 を 謹 す る の 一 助 と な る Q 隠って今回の地震に於ても主要動初動は一 S である宇﹄とを立鐙するものである。 明 七 五

(7)

七 ...L ノ、 この弾性横波にては初期微動の初動的ち P 波の如く震源よ h J 或る距離にて共振幅及び方向に封する不 運綬線の部分は不明瞭のもの、如くにして其振幅の減衰度は震源距離の自乗に反比するよ

b

も更記念激 代表ふものである、而して此の授精の大

3

は震源の運動の方向に関係を有するものの様である。 ︹ 第 問中の初動の,ヘクト Y の 大

3

ξ

主要動の初動(結線の矢)のぺグト Y の大

3

は其れを番

3

現す単位か等 し ・ く な い ︺ 初動の方向 諸測候所詑象紙を践大してそれよ A リ初動方向を験測するに確保貝に瞭かであったものは左表 ぞ あ る 。 甲 演 京 稲 津 彦 名 岐 浪

f

古 イ度 所 本会都 井- 根 屋 阜 名 西 京 北 北 西 西 東 初 ' ¥ J ¥ J ¥ J ¥ J ¥ J ¥ J ¥

三 七 一 一 一

二 七

0 * 0二

0 0七

r

0 0

向 北 北 及 J ¥ ρ、 関 東 南 北 南

J ¥ J ¥ J ¥ J ¥ J ¥

一 一 一

-回~・ -ーー・a・ 国自・4・・ ーーー-圃. 共.

一 一 一

九 三 四 二 七

OOi¥.Q

大 上 下

3

方 方 〆-、、 J ¥ ,、、 、、‘、 五

O

O

r,

O

I

a ロy 、--../ 縦 P 波 の 区 }3Jj

(8)

乙 金 柿 沼 伏 入 大 漆 戸 津 木 木 阪 東へ一二 東へ一九 北へ一四 東へ六・七 北へニ 北へ一七 北 へ

0

・ 五 北へ三三

南 へ 四 ・ 二 束 へ 一 ・ 西 べ 一 ・ P 下方

- A

u r

w m

m )

右第二表の内甲は初動乙に比して著しく大なるものである、之れを第二固には貸線の矢のイクト Y 量 と し て 国 一 不 す る も の で あ る 。 辺 第三固に℃各測候所の位置は夫々英の測候所の経緯度によりて園上に定めたるものであるによ

b

其周

上位置は正確なるもので、右表の初動ペクト Y の値を-記入するに固に℃も明瞭である様に岐阜、名古屋、 彦根、津、一澗井の五測候所に於けるもの邸ち第二表甲のものは非常に理想的に岐阜の北東約十粁附近の 貼に於て相交叉するをみるのである。而して表、乙のものは多少の偏りを生るも大鰻此の一黙に向つ

τ

ゐる、向この初動は後に詳述す可舎も表甲のものが震源よ

b

直 接 に 京 市 る 一 P 波なれば其方向は震源を正 し︿指示すべ︿事表乙は P 波なれば蛍然多少の偏

b

をなすぺ

3

筈てある。叉初期微動に於ては地表に℃ その分子水卒動のために魅縮の場合は上方へ行

S

粗波の来る瞬時には下がるぺ 32C 考へらる﹀を以てよ 一 七 七

(9)

一 七 八 下動は地表代て前者或は後者と一致する夫々の場合により上下動の貨際の値

t

b

も大とな

b

て隠って比 上下動のために初動方向に多少の偏差を奥へるものであると思ふ、叉或る積の地震計ては上下動のため 著しく水卒動振子を乱してしまふ様な場合あれども本地震に於ては前記の如く非常によく震央の方向を 示してゐる。これは更に後記する如(震源の幾位の方向が垂直の方には少なく水卒の・一﹂りの方が大な

b

し結果とも考へ得らる、のである、兎に角斯様に初動方向よ

b

せるものも前に考へたる震央の位置によ ︿↓致する乙と、なる。 以上の各候件と後述する震源の運動放侃等を考慮して本地震の震央を岐阜測候所所在地加納町の北々 、 句、 東方約→粁に存在するもの左定める。震源或は震央は幾何血中上に於ける一黙にては元より非ずして相官 の鰹積を有す可

3

も俄

b

k

英中心を一知ーと倣すニとは本地震の如き小地震の相場 A 口 に あ

b

ては不都合な会 のみならず是れが調査上の取扱に便利とするところである。 一、初期微動機雌績時間今回の地震が震度大ならず英人館戚貸の区域、東方は沼浄附近を限

b

西部は 徳島市附近を援とせるの程度に過ぎゴるを以て震央よ

b

b

3

測候所記象にあ

b

ては位相不明となつ って居る。次に諸測候所よ

b

奔借せ七詑象紙から自分が讃み取

b

て明瞭にして何人も直に肯定し得る確 貨なるものを左の第三表として掲げる。記象は三倍大に披大したるを以て秒の十分一位の値までは確実 であると信ずる。

(10)

, ー・ ・d・ 七 九 表 一 第 大 伏 入 金 波 京 高 桶 涼 彦 名 岐 古 阪 木 木 津 松 都 山 - チ

1

・ 根 屋 阜 .圃圃- ‘ーーー・唱畠 国岡島圃恒・・ ・-司・圃 ー・園回周. -圃圃~・ -・・ 一 一 九 八 七 四 四 二 一

o

0

八 六 四

• • • • •

八 二 六 九 三 四 四 一 一一 一

O

一 四

(

P

ノ速度)一ーはノ速度) (Pノ速度〉ー(Sノ誌度〉 a 束 熊 ー 前 沼 豊 長 神

1

イ民<<I} , 京 谷 橋 涼 岡 野 戸 所名 初 一 ー 一 ー → 一ー一・ー 一ー・ 一-, 一- 一- 一- 微期 三

O

八 二 三 二 一 績時縫 --Ea

・・・.・・・

ハ 四 六 六

O

八 六 秒 、 ¥}ノ の初

P-

瓦 巨期 微 別動

i

l

t

l

l

{ 戻 所 名 初 期 微 績動 時縫 問 " 旬 、 ‘ 秒、 、ー../ の初 I 陣ず微期 別動 。

(11)

A 0 1 初期微動綴緩時間と震源又は震央距離との関係はミ Y ジ数授の研究以来諸先生が研究せられ殊中我

u

本じでは大森博士は深く研究せられ極め℃便利なる﹁大森公式﹂を賃験的代作られ吾々地震観測に従事 する者仁は日々乙れを余とする事緩めて多大てゐる、叉輪切近代ては図富技師ぽ本邦地形の形肢によ

b

地 震波の各波の通過路程によ

b

夫々速度の異る・﹄唱とを接見せられて以来是等の関係は一一層の注意を促し且 つ蹄性論よ

h

せる理論的方面と共に現今に於て過渡時代比置かれつ L ある 9 3 て本地震に於りる初期微動一線績時間 ξ 震央距躍と一の関係を明かな p u しなる矯め第三表の値を縦座椋 軸に前記震央よ

b

夫与の測候所迄の距離を横座椋軸として第三闘を作る民固にでみる知(之等の座標は 極めてよく或る一曲線の上に乗良で修正を施

3

ずし℃も座標を各々漣ねたると殆んど等し

3

如きの観が あるこは初期微動となる蹄性縦波と横波の、通過せる地層が複雑ーな

b

しじも闘らず本地震の場合にが、℃は 丁度速度の差相殺して其差一様なるが如・

3

状態を呈したるものなるべ

3

かとも考へられる。 而して此曲線を視るに震央より凡そ百二十粁附近に於℃二つに匝別すべ

B

ものなるべく卸ち 一 震 央 よ

h

百二十粁までの曲線(司

l

叫 ) 二 百 二 十 粁 以 上 の 直 線

3l

叫 ) 之 な

b

此の始めの曲線を震央距離との関係を数式にて表示すれば卸も(一)近地々震べ百二十粁)の式と(ニ) ぞれ以上の駅隊の近地々震の場合とに分れ、,

(12)

(ー)

'

b

M

W

I

0

・ ∞

主 山

+ コ

・ 品

j

g

. ∞

戸園町、 ‘ょく 百. t

場ヲ J4

.

' (二) kyH 吋 ・ 0 可 ︿可③ HM 学史

l r

﹀ ヘ 可 う き 遺 骨 湾 煙 隷 鵡 諜 亙 パ 剤 三 / 戸 4 / h V L d 鴻 治 問 欝 ( 均 ) ﹂ 竺 ︺ にして之の式の値が一般の地震に精ぐ遁臆するものにては元よ

b

非まるも本地震と深

3E

b

に異らゴ る地震に於ては大約懸用して支障無かるべく砂︿とも本邦内陸宥くはその近接地に殺をし地震の多くの 場舎に於ても参考材料、として多少の債値あるべ L T Y -) 思ふり叉前競和逢皐士のヨ返地々震﹂を参照せられたい。 斯様に此の曲線が震央附近に於て曲率を増す事は、すでにクキ

1

Y トの若叉は

3

1

ぺ Y グ氏の茶番 社 守 に 記 載 3 れて明かな事貨である。 叉此の曲線が百二十粁に於て二種類に分る、の理論は第二固に於てみる如く初動がこの少しく以前の所 に於て不運績の区劃ある事を見℃も明かなる如く夫々遁路異なる震波な AY を云ふの詮擦にして、即も始 の波は欧洲にてはすぐにモホロポチック氏の波と鵜⋮ 3 る 一 P 及 一 S にして墓長岡田博士始めて邦語にて紹 介せられたるものにして本年八月競の気象集誌に和遠路胸中士若﹁但馬地震に於けるモホポチヅク波の存 在﹂を多照せられたい。今回の地震にては震央距離九十粁までの初期微動縫績時間は矧

i

叫なるものに-して九十粁以上の初期微動縫諸問時間は

]

γ

ー 耐 と な る 。 λ

(13)

八 只初動の縛方固にてはその不蓮緩の距離が震央よ b 九十粁附近に存するも此の曲線にては百二十粁の 所にて始めて不漣緩線ーとなるは地震計の詑象上に此の不注績が現はれる場合には甥論止から出じた場合 より少しく遅れ始て明瞭に現はれる矯めてはあるまいかと考へられる。 〆菩々地震観測者が屡々大森公式を震央に接近の測候所にても一様に用ひて同会式の異債を疑ふ事あ A Y せば同博士の矯め遺憾とするところである。大森先生の論文にも明かに臼はれてある如︿先生の公式 e -は震央よ

b

も率ゐ震源を求むるに近

3

伎にして同先生の卓見に敬意、を禁ずる龍はゴる次第である、例 へば此回の地震に於℃も岐阜測候所の初期微動縫緩時間四秒四を以℃大森会式の近地式を用いんか、 リ ー ・ h S × 酔 ・ h同 H H

ω ・ 吋 嶋 一 哨 とな

b

て震央が岐阜よ ι リ三十三粁の水平距離にあること、なる、叉極端な 2 場合なる震源の直上にて水卒距離零なる震央に於ても第四国の曲線に擦れば初期微動四秒強あ

b

て 随 っ て 吋

- S X

A R

-- s

・ ぷ 4 となる。斯の如

3

は極めて瞭

D

3

った事ではあるが頃目、.震央算出会式 w ,に闘して他所よ

b

照 合 同 文 あ

b

b

との事なれば煩雑をも顧み十蛇足するの次第である。 二 震 源 の 深 さ

3

て初期微動繕緩時間なるものは略性縦波と横波との速度の差なる事は一般に承認・

3

るとこみにして我図にては長岡博士、下日部博士が掠性論の見地よ

b

本邦産の各積、新奮の岩石によ

b

て賃験せられし'縦横波の速度の差はよく是れと合理し且つ此の速度は等方穂中にては等速度なるは理 論よよ h J も疑いないととにして大森博圭の公式に於てみる如ぐ等速度なる一次式て略示 3 れてなぐては

(14)

ならぬ何故ならば縦波

(

p

p

)

も横波 ( S 、 一 S) も加速度を?もたまれば従ひ℃その速度の差なる初期 微動織績時間も一夫式印も直線でなければならない。的ち大森博士の論文﹁近距離地震の初期微動繕緩 時間﹂にて論ぜられてある遁 λ ソ賃験せられたる場所は信州浅間山にじて同山の爆殺を向山腹の観測所、 噴火口よ

h

夫 々 一 一 ・ 四 粁 五 ・

O

粁及び六・入粁の三ヶ所にての観測せ 3 れたるものにして是等観測所と震 動、起源貼

t

限定 3 れし噴火口との垂直の差は噴火口の方が略

0

・四粁内外の高所に在存するを以て爆 殺に起因せる震動の墓源が噴火口の多少下部に存在すると限定するも山腹の観測所の観測値は深 3 を省 略して考へ得らる L を以て大森公式は震源を一市す式とな

b

、的ち震源距離と初期微動の長きとは一次式 を 以 て 一 不 3 ること、なる。たピ浅間火山山腹の如

3

極めて新し

3

火山噴出物の盈積せる地層の表面を通 過する震波の速度は‘通過物館の密度と弾性・率等によって異る普遁の地震の如︿地下相営の深所に起源 結ある場 A 口に於けるものは此の公式よち出したる震源と精密に一致せゴるは元よ

b

ぐ あ る 。 3 て P S 等は加速度なきによ

b

第五闘の震央距離と初期微動縫緩時間との関係式を示せる曲線の部分 は若し深 3 の値を入れて震源からの距離との聞係とせば一次直線式を以て表し得なければならない。(極 精密に云へば深 3 によっ℃速度の差はあるがそれは省国各したものと見倣しても支障はない。) 今本地震の震源の深きを種々に m 限定して見る、例へば本時報第二鋭の﹁東京湾及び其附近の地震﹂の ん十九頁第二閏

ib

して e 考察して深さを三十五粁ど侭定し各測候所迄の此の深 3 よ l y の距離は 一 八 三

(15)

一 人 四 大 ( 削 指 間 混 同 V ω + (

ぎ ∞ 句

読 ) 川

を縦軸に採

b

て闘を作ってみる。 の関係よ A Y 求めて日疋れを横座標軸に初期微動縫緩時間(第三表の債) 震源代遅

3

測候所にてゅは震波は後設するが如︿震源よ A Y 最短距離を遁過して且つ此の遜路は直線てあ ると見倣すも其の賓際の遁路との殻差は僅少にして是れを省略し℃考ふも支一障な

3

を以て、此の深さ三 十五粁の仮定が真に遅

3

ものとせばこ、に採

b

し座標の各々は前詑の斑論によっ℃一直線上に配列しな ︿てはならぬ。邸ち此の方法は震源の深

3

を種々に仮定して最小自乗法に依 AY 求むる場 A 口 に 相 営 す る 。 第五闘は此の撲にして作品 J しものにして座標は極めてよく一直線上に配されてゐる l ( 深 3 四十粁とし ての座標を採ってみると具合よ︿ゆかなかった以て共の深

3

の仮定の大

3

過ぎる事を知った)其故に今 回の地震に於ける震源は地下三十五粁の深さに存在することを知る。是の深

3

は本邦内陸叉はその近︿ 代後する地震に就いて以前よ

b

他の方法によりて多少の営

b

をつけられし値なる三十粁乃至四十粁の深

3

と一致するものである。和建狙撃士は叉初期微動機綴時間の比を使ひる作闘によ A Y 本地震の深さを算 出せられしに此の伎と殆ん吉会︿同一するの数を得られた。 第王国の直線に於ても第四国の曲線に於ける様に震源よ

b

百二十粁附廷に於て不透綾の直線となる印 ゆり此の直線は近ぎ方にては

b

n

∞ ・ ぞ

三 U 円 営 法 察 側 討 議 濡 忍 亙 ( 噂 ) にして.震源距離百二十粁以上にては k v l

吋 ・ ぞ

k y 一 件 湖 箔 間 蒋 ( 雫 )

(16)

で現は!得るものである、乙の不漣績の起る距離は初動方向に於℃は第二固にて結線の周にて現したる ものに相営するものにして毛ホロピチック氏の総へられし波なる?と一 S とにして即ちこの波の速度の 差は絞'にては初期微動縫績時聞となるものである、而して後の

b

u

の 値 は 一

skp

との速度とな ること大森博士の論ぜられし公式と略ぼ等し

3

値のものである。 地震の深さじ就

3

ては古来震動の射出角却も縦波の水平動と上下動とを組合せて求むる訟あ

b

しも此 の方法は快結を有すべく地震波が地下の暦から地表の包閣に近づ

3

来るに従ひて波動は漸次に垂直の方向 に近、づ会℃質際の震源の向

3

を 一 不

35

る 乙 ECL 、波動が地表上に置かれたる地震計に到達する瞬間に著 しく屈折をなすぺ

3

てある。第四固にても今回の地震にて岐阜及び彦根測候所に於ける初動を組合せた るものと震源の方向とは格段の差を示すことを知る、而して岐阜の射出角が鈍角をなす事は後に記越す る震源の運動紋態によ

b

て説明し得るものであると思ふ。 一、初動の方向よりみたる震源の愛位朕態 前述の第二固に就

3

てみるに震央よ ι リ 一 稲 井 市 仁 至 る の 約 九十粁の宇径を以て結線に℃示せる範閣に於ては初動大にして此れを経ゆれば非常に著しく小とな

b

且 つ其方向にも異るものある ' f みる、初動若し

3

部分は所詰毛ホロポチック波の一 P にして隠って震源に 於ける運動の般況某ま、を一不すものに:しで即ち震源の運動は第二闘に於℃太き矢代て一不すが如

t

岐阜の 北東方が津、名古屋の方向よ

b

魅迫を受け且つ震源に於て少し︿陥落しっ、一臓弁の方向なる北西方にし﹄ 白 人 五

(17)

一 八 ム ハ -y 落ちたるものにして岐阜の初動の割合に小なると其の向舎とは震源陥落の作用が北京への・乙

b

の作用 一 よ

b

も著しく小規模なるを示すものなるべく津、一踊井の初動が他よ AY も大なるの狸も叉し﹂

b

の運動が大 なるを立-諮問すものぐゐる、而して震源の陥溶の作用が著し︿小にし℃彦根の距離に歪りでは、すでに此 の陥落の勢力は著しく小とな

b

て却って震源の東及び南東側よ

b

の麿迫の勢力及びとりの勢力に打ち消 されたるものと考へらる、更に一八五頁の岐阜の初動射出角よ

b

みるも叉陥蕗の作用は小な

b

しを立議 するものである。又一 P 国以外の初動に就きてみるも・一

L

b

の勢力大なる北西側の金、棒、南向きの側にあ る八木、演松の初動波 P 波 は 一 P 波と同一の向会を一不すも其他の初動の方向は互に反野なるこ組に分れ ﹁京都、大阪、紳戸 L 。﹁沼津、飯田、甲府、高山、長野﹂二群を表はして居る.而して是等は前述の震 源の運動朕態を一不すに合理のものである。 之を要するに本地震の震原の運動は岐阜の北東十粁附近の地殻が北西方に向ひて地表と小なる角をな して少しく陥落しつ¥横と

b

をしたるべく而して此の陥落は横

L

L

b

に随伴して生じたるものにして主な る 愛 位 は 横 ・ に

b

なるべく且つ乙の運動は西方へ向ふ偶カを生じ、之れを地上よ AY 卒面的に観察し見ると き は 此 の 横 ・ 一 ﹂

b

の運動は北西方よ

b

少しく西方に廻轄運動と振れの現象をな

L

て藤原博士の所謂地殻の 渦動の運動を口王す事第二闘の如くである‘而して此の運動は次章の地震原動力なる山長からの歪カの作 用方向と符合するものである。

(18)

第二国(下悶)は震源に於ける運動を想像せるものである。且つ本地震後なる八月十九 H 一二時五一分 頃にも涼にて弱震震度三なる地震を戚じ、其震源は津 ξ 名古屋の問なる亀山町に存在するは今回の地震 にて津の方面の初動大な

b

し之とよ

b

考へても此の方面の地殻が前の地震のため大なる張力を受けし結 果此の余震を後ししと料し得ぺ

3

ものと思はる。 一、今回の地震の原動力 前述の如く今回の強震が第二国の如く南西、南、南東方よ A Y歪カを受けし 結果と考へたが然らば何故にか 3 る座カを受けつ、あるかを考へて見る。先づ地質固によりて少しく此 の地方の地層の構造を知るを要するのである。新し

3

地層につ

3

ては暫くを

3

て本邦の摺曲山美とし℃ 最も有名なる赤石山脈から紀伊牛島を経て四図.九州まて一一連をなす山美を形成する山骨は結品片山石と 古 生 麿 に し ℃ こ の 山 骨 の 上 皮 に 中 、 新 雨 生 暦 が 成 層 な す は 地 質 問 唱 者 の 一 一 一 一 n 唱ふる庭である。此の外本邦を 成層するの古

3

地層を地質固に L就きてみれば第六固にて一不す如く是れは日本の地鰭構造を一不すものにし て東北地方から北海道、樺太に掛けて其地層の向会は沿岸州の地層の走向と少しく鋭角をなすも兎も角 (明かに併走し、叉南日本にては支那や朝鮮牛島のものと方向か併行である、然るに本州中部の赤石山 版の走層のみは溺

b

前-詑の如︿近畿地方よ A Y 北々束に念に轡司曲をなす乙冒と第六回中の A B 線にて明かで あ る 9 近時地質患者併に地球物理患者に肯定 3 れ つ 弘 、 あ る r

君 。

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8

2

氏の大陸西方移動設による過去にあ b 一 八 七

(19)

一 八 八 し陸地移動が現在も向縫緩しつ、あ A Y とは測地皐的観測よ

b

も之を肯定するところにして即ち地質時代 の年数にて現在の移動位置を除した卒均の距

b

と年々の賓測の移動の値と大なる差はないと稀へられる 又是等の椅曲山蒙の作用は現今も街休止せ、ざるとは η ノヒトホ

1

ヘシ氏等の論中るところである。 第六園の A B の地層轡曲が何れの時代よ A Y 開始

3

れしや元より知るを得ゴる所なれぜ﹂も現今も命此の 祷曲が止まらや常に或る作用をなしっ、ぁ

b

E

と見倣す事を得るならば此回の地震の原動力たるや多言を 要せずし℃明かなるところではあるまいか。 即ち今回の地震は此の山美の楕曲による歪カに因すると考へらるるものぐ、叉後記する明治二十四年 濃尾大地震の有名なる断層の向

3

は是れを裏書きするものてはあるまいか。又本地震の副因たる気魅傾 度の方向は後記するが如く此設を肯定するものてあ

b

、前章に述べしところの初動方向

I

b

考察せる震 源の運動朕態は此設に符合するものである。果して然らば明治二十四年の濃尾大地震も同様な現象によ

b

て起ったものではないか次章にて之れを考察せんとする。 一、濃尾穴地震の考察 大地震後或る年聞に於ては始めの大地震が原凶をなして所謂余震を誘起すべ

3

はすでに明かなるこ'乙であるが今回の如く例へ同一地鮎に殺現したる地震な

b

と錐も濃尾大地震後銃 に三十余年を経過したるを以て本地震が先志の大地震が直接の誘因によ

b

て援せしとは考へられ、ぎる所 である 0 ・ 前 -浦 、 山 集 如 何 曲 の 歪 に 原 因 す る が 魚 め 先

3

の濃尾大地震もホ其の震源的使位が本

M

の も の と 同 一

(20)

の運動吠態をなせしことど考へらる、を以て第八固に営時の振動紋泌を一不す闘を轄載する。先

3

の 大 地 震営時は今日の如

3

探機観測によ

b

て之れを明にするの途な

3

も第入国中の最大隆起地帯と最大陥落地 備官等が今回の岐阜測候所地震計の初動吠態及び其震動方向等よ AY み℃も決して前章の考へと不合理ぐは 念い、只此の如き大地震に察しては大地獲を生ずるを以て貸際の震動方向を戚覚するに設 AY を生ずる乙

2

か多い。更に有名なる水烏断層は南は美濃西維子よ

b

北々西に二十里徐の延長を有する断緩線にして 庇断層方向も叉前述の山品目祷曲の向

3

E

不 A 口理なく然かも此水鳥断層に沿ふ℃東北部は沈下し北西方に 積 、 ・ 一 ﹂ A Y を伴ぴ叉水烏村根尾谷にては南北に遁やる道路を断層によて切断せられ北部にては隆起すること 二十尺に達し叉西方に横と

b

をなすこと十三尺に及んでゐる。 以上を以てすれば明治二十四年の濃尾大地震の原因か今回、乙会く同一にして何れも等しく本州中部山 金の摺曲作用に基くぺ

B

ことと息はる。然らば此後左雌も此向島実務曲作用の止まゴる限 AY は濃尾地方は 均今も常にこの山棄の歪を受くけつ、、あるの状態に在る乙とを考へらるのてはあるまいか。 此地震の原動力は前設の如しとし斯かる歪力を受りつ L ある地殻がその蹄 て気塵愛動の及す効果 作家の極限近くに達しっ、あるの時若し他の外力の作用が加はらば直に鐙位をなすは考へらる、と乙ろ

k

して今回の地震に於てもか、る副因の力として先や第一に地上に働

3

っ、ある太気の歴カを考察すぺ

3

で あ る 。 一 八 九

(21)

一 九

Q

七日午前六時の天気園をみるに第九回の如く震源の北西側は気麿傾耕著し︿念にして高座部は前白よ

b

漸次東北東に移動せるによ

b

震源なる断層と卒行なる気回歴傾斜による力は更に此の高気回歴の移動によ る捻れの力を生じ此等のカム﹂震源に於ける別表の如きは一岐阜測候所前日よ

b

の 気 回 喧 日 升 騰 か 降 下 に 念 特 使 せ る 衝 撃 が 蓋 一 一 し 此 の 地 震 後 一 現 の 一 一 分 力 と な

b

た る も の と 岡 山 は れ る 。 本地震の殺せる臼の七月七日,伊勢津市にて殺行

3

る冶新聞紙の報ずる E P -} 乙みによれば伊勢湾沿岸は 潮位苧常よりも日升ま b ℃沿岸の住民は更に大地震の来らん乙となさ哉を恐れしと云ふ詑事を本憂へ宛℃ 同測候所よ

b

塗って来られた ρ 叉千葉牒銚子測候所長技師前田直吉氏、は房総宇島,九十九里沖叉は鹿島 灘等に楼現する地震に闘し銚子測候所観測の潮位によ

b

統計的に地震活動力の消長を研究せられた。 是等は恐︿は気麿の特使動が地震後生の副因たるに密接なる要素であるの詮擦ぐはあるまいか、詑して数 を乞ふものである Q 市して明治二十周年十月廿入 H 濃美大地震に於ける天気固と今回に於ける芯のとを比較してみるに中 -央 気 象 墓 月 報 よ

b

常時の天気闘を作るに左闘の如く等し

3

等麿線の型式をなす、た、、濃尾大地震の際と 今回のものとは闘にて明なる如く低麿一部一と高麿部の位置が皮封である、隠って岐阜に於ける気座の前日 よ よ y の昇降はみエ︿皮針てある、而も岐阜気摩日々の竣動は濃美大地震の方今回よ

b

も迄かに大である。 占 ー 忽 表 に 岐 阜 測 候 所 に 於 け る 七 月 一 一 一 日 よ

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(22)

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。>1:..司 bt44ロ22 ー 以上を第七闘の如︿悶一不し℃みるに岐阜以下三測候所気回腔の昇降をみるに本地震の後震時七月七日午 前一時間十五分頃よ AY 二書夜前の七月五日午前零時頃若くはその少しく以前よち気感は次第に上昇の一 迭をた

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b

岐阜にては地震前約二時間学なる七月六日午後十時の観測に於て七百五十入粁九に達し以後 は気麿少し︿下降﹄し地震後震の営時は七百五十八粍四にして他の二測候所比一於℃も気回庇昇降の股態略同 一 で あ る 。 火山の噴火若

C

は爆殺とその地の気回松山肌態とは頗る密接の関係あれぢも本地震に闘し℃も叉驚︿程、 九

(23)

九 筑間腔との関聯を示してゐるものにして岐阜測候所の気歴よ

b

みるに七対五日の午前入時の七五三粍四よ

h

次第に上昇し、即丸六日午後十時よ

b

は少しく気座下降し直に地震殺生したる事貸よ

b

気歴頂上の七 月六日午後十時七五人粍九との之の気臨段差とこの念獲動とは前述の地殻歪力によって地震後現の限度近 (に達しっ、ある蹄生率限度をこゆるの力であらう。叉第入闘に於ける前震後現の時刻も叉興味あるも の で あ る 。 此の震源に於けるん一筑摩特使化の外‘震源の四国に向ム気回腔傾度を如何とするに此の気麿傾度の最大の向 きは前節にで述べし初動の向

3

と一致し且つ震源が受︿る原動力の方向と頗る A 口斑する。故に此の力も 可な

b

に 地 震 後 原 カ を 捉 す ・ へ

3

ものな

b

と考へ得らるであらう。 楼震時は七日の午前一時過ぎなるを以て前日の六日の卒均気麿

Ib

気 岡 崎 傾 度 を 求 む る に 震 、 源 は 岐 阜 附 近なるを以て岐阜測候所の気岡崎は震央に於けるものと見倣し、之を基本として計算するに完表の如︿な 4 0 0 傾度の最大なるは左表に示すが如︿岐阜││名古屋線にして其他のものにあ

b

て は ' ﹄ の 値 よ h J 若しく 小てある以て岐阜

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名古屋へ向ム方向なる南東

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北西に受る之の気懸の差ょ・ 9 来るカが重要なる副 図の作用カなるぺ︿是れは地震の初動方向と一致し殊中前述せる本地震の原動力として作用する山集歪 カの方向と会く一致するものである。

(24)

七 月

臼 岐 阜

i

J!lJ 候 所 気 !墜 を 基 と せ る 諸 測 候 所 気 ! 墜 と の 傾 E 度 岐

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~~ 一 一 一 一 一 一 I 阜│海

皇室、日訪日突きおおさ

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)離I更: 一 一IlE を 漉 せ る も の 測 候 所 名 (七月七臼の卒均気麿) 岐 阜 七 五 八 松 長 高 伏 金 豊 大 入 京 彦 津 演 甲 飯 │ 松 府 回 全 屋 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 七 五 五 五 五 五 五 五 五 五 五 五 五 五 五 六

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札魅特使動が其他の地震に於ても有

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しかを調査せんに(こは今倫調査中にして詳細は次銃又 一 九 三

(25)

一 九 四 は気象集誌次銃にて述べんとす﹀闘に一不す如︿関東大地震及びそれの前震とも一広ふべ

3

大正四年六月二 十 H の相模慢の地震も前述の気魅鈴鹿動に関漣する効果明かであ

b

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更に大正十三年一月十五日の丹調停山 の地震と務

3

れし地震及びそれと殆んど同一震源を有する大正七年六月廿六日甲府市に被害あ

b

同市の 水道を破損せし地震に於ても叉明かに此闘漣がある。

y スタジ!論の如く地殻の卒衝扶態は極めて不安定のものとせば気回栓特使動が之れに及す効果は可な

b

銃繁なるものにして地震後現の宇一なる直接の原因が却って気魅力の消長に影響する事が大であると考 へらる、本文を草するに L就

3

ては岡田宮室長併に本肇の諸先生の御指導の深

3

を 謝 す る 。

本年五月二十三日午前十一時十分頃の北但馬

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涼居山沖合

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の地震は激動と共に可也強

3

一 音 響 を 伴った。乙の一音響こそ戸一障子等建築物の震動よ AY 生ずる一音響にあらずして山谷原野等にても観測し得る 地響即も地鳴であるととは嘗時似馬豊岡地方に居合せた人々に聞げば明白である。斯様な一音響は日本の 地震のみなら?外闘の地震にても屡々伶ふ現象である事は彼の地の報告にて了解し得る乙とである。但 馬地震以後七月四日四時二十一分頃の美保憾の地震及び七月七 H 一時四十六分頃の岐阜附近の地震にも

(26)

(石川堅人的凶)

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参照

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Utoki not only has important information about the Jodo Shin sect of Buddhism in the Edo period but also various stories that Shuko recorded that should capture the interest

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   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

大正13年 3月20日 大正 4年 3月20日 大正 4年 5月18日 大正10年10月10日 大正10年12月 7日 大正13年 1月 8日 大正13年 6月27日 大正13年 1月 8日 大正14年 7月17日 大正15年

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