フィッシャーによる
『経営管理の政策』についての一考察
牧
浦
健
二
本旨 本稿では,1962年に第2版として出版された,フィッシャー著『経営管理の政策』 (Politik der Betriebsfu¨ hrung)を,適宜に翻訳しながら,検討する。今日,大規模な経営
では,上位と中位の管理階級はこの経営政策に協力しているが,まず,彼は,このような分 業型の執行のために, 総ての関係者の協働を可能にする,1つの方法論(Methodik)を叙 述する。その際,計画と計画設定の間で区分することの必要性を指摘する。また,経営政策 の最も重要な領域と内容を検討する。 キーワード フィッシャー,『経営管理の政策』,経営政策 原稿受理日 2019年2月26日
Abstract In this treatise, we conducted research on Fischer’s book “the Policy of Business Management”, in German “Politik der Betriebsfu¨ hrung”, by discretionary translation. He published this book 1.ed., 1960, 2.ed., 1962. In modern big business, top and mid-del managers work togather under the business policy. He approached to refer about how all business menbers to work togather under the division of laber. He indicated that such approach are necesary to distinguish between plan (vision of the group) and planning (the way to achive such vision). He explaned main sphere and contents of business policy.
Key words Fischer, G., the Policy of Business Management(Politik der Betriebsfu¨ h- rung), business policy
は じ め に
フィッシャー(Fischer, G. 18991983)は,世界恐慌時(1930年)に,短期成果計算の 必要性について検討した著書「Die kurzfristige Abrechnung (Zwischenbilanz und kurz- fristige Erfolgsrechnung), Stuttgart.」を出版し,ニックリッシュにより,注目された (Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.658 Fußnote 1.)。彼は,第二次世界大戦後に,1938年に公 布された ISO¨ 評価規定が,1954年に公布された LSP 規定に変更された情況下で,戦後の 西ドイツの経済復興には,記帳と価格の評価規定の統一された指針が必要であるという認 識に基づいて,1949年に,「Neue Aufgaben des betrieblichen Rechnungswesens」,1954 年に,「die Kommentierung der “ISO¨ /LSP”, Preis und Kosten」(2.Aufl.)〈【筆者補 足】彼の学位申請論文〉などを公開した。 敗戦後の彼の著作からは,「敗戦国の西ドイツ の経済復興に役に立ちたい」という強い意欲を読み取れるが,同様な意欲から,第二次世 界大戦前(1935年)に出版された,『組織の基礎』(Die Grundlagen der Organisation. Aufgaben aus der praktischen Menschenkenntnis und ihre Lo¨ sungen.)が,戦後 (1948年)に,改訂版として公開された。そして,戦後(1950年と1955年)に,『Partnerschaft im Betrieb』(清水敏充訳『労使共同経営』ダイヤモンド社 1969年)を出版した。これら 著書は,1953年に, 法制化されたマインスター制度などが存在していたが,「生産・販売 の現場で働く人々には新しい協働意識が必要である」という,彼の認識に基づくものであ る。また,フィッシャーには,「英語圏での企業慣行を紹介し,西ドイツでの嫌悪感を弱 め,企業慣行のギャップの解消に努めたい」という, 強い意識があり,1960年代には, Betriebsfu¨ hrung を英米での management,Betriebsleitung を top management と解 するようになった。このため, 彼の主著『一般経営経済学』(Allgemeine Betriebswirt- schaftslehre)も,1961年に,第8版,1964年に,第9版が出版されたが,『一般経営経済 学』の体系化の試みでは,充分に検討できないモノ,つまり,彼が Die Fu¨ hrung von Be- trieben や Politik der Betriebsfu¨ hrung と呼ぶ理論(推敲)の重要性に気づいた。この ため,『経営管理の政策』(Politik der Betriebsfu¨ hrung)が,1960年に初版,1962年に第 2版として公開された。また,『経営の管理』(Die Fu¨ hrung von Betrieben)』が,1960年 に初版,1965年に第2版として公開された。これら著作には,世界恐慌と第二次世界大戦 の経験から,「個々の経営は,正に,経営内で与えられた,組織,経営技術と,資本上で の前提に従って,自らの製作を変更して実行する(anders aufziehen)」(Fischer, G. 1964.
S.430.;参照。清水敏充訳1962. 443頁)という強い認識が反映された。この点,フィッ シャーは,多数の個別問題で,ニックリッシュの主張を継承しているが,ここで,研究姿 勢について簡単に概観すれば, ニックリッシュと同様に,フィッシャーは,「経営経済学 は1つの経験的・実在論的科学(empirisch-realistische Wissenschaft)である」(Fischer, G. 1964. S.22.;参照。清水敏充訳1962. 23頁)とみなす。また,「経営経済学は実践的科 学(pragmatische Wissenschaft)になる」(Fischer, G. 1964. S.22.;参照。清水敏充訳 1962. 23頁)と考える。しかし,経営経済学では,「一定の観察期間が経過すれば,帰納的 に事実を究明して,演繹的に評価を始めなければならない。なぜなら,そうでないと, 個々の観察の集合(Summe)からは,体系(System)は展開されないからである」(Fischer, G. 1964. S.2122.;参照。清水敏充訳1962. 22頁)と主張し,多くの経営と,経営と市場の 間での様々な現象形態(Erscheinungsform)を集め,歴史分析(推敲)した。そこには, 『一般経営経済学』の改訂には,〈【筆者補足】英米語圏のように〉,業種別の特殊経営経済 学(speziellen Betriebswirtschaftslehre)があまり普及していない(Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.32.),ドイツでは,「一般経営経済学(allgemeine Betriebswirtschaftslehre) は,出来事(Ereignis)と事実(Tatsache)により,経営内で発生しうる原則上での原因 と結果(Wirkung)を呈示しようとするものである」(Fischer, G. 1964. S.28.;参照。清 水敏充訳1962. 33頁)が,「特に,一般経営経済学の領域では,[経営のための]管理(マ ネジメント)(Betriebsfu¨ hrung)とこれに必要な経営(経済)政策(Betriebspolitik)が 生ずる」(Fischer, G. 1964. S.28.;参照。清水敏充訳1962. 33頁)という見解が秘められて いた。更に,フィッシャーは,「経営経済学は,経営内で活動する人(die in Betrieb ta¨ - tigen Menschen)に,経済科学上での知識や,経営と市場での適切な作業(Arbeit)に 関する要求をするだけではなくて,むしろ,経営と市場における,総ての協力者や資本供 なお,1967年に,ガウグラーとの共著として,第10版が公開されたが,タイトルは『[経営に よる]管理』に変更された(Vgl.Fischer, G. u. Gaugler, E.:Betriebsfu¨ hrung, Bd.1. Allgemeine Betriebswirtschaft. 10.Aufl., Heidelberg.)。
吉田和夫教授は,ニックリッシュの研究は,経験的・実在的研究であると主張される(参照。 吉田和夫1982. 4頁 78頁)。この点,ニックリッシュが,資産の組織(価値の流れ)から組織 の問題(労働の問題)に研究領域を拡大したように(参照。吉田和夫1968. 7376頁;吉田和夫 1995. 13頁),フィッシャーは,経営計算制度,とりわけ,原価計算から,経営での労働過程,と りわけ,経営での人の管理(Menschenfu¨ hrung)に,研究課題を拡大した。 フィッシャーは「経営経済政策(Betriebswirtschaftspolitik)は,本質上で,ダイナミック な性格を有する。というのは,これは常に Betriebsfu¨ hrung(マネジメント)の様々な方策を, 他の経営や人に対するその効果(Wirkung)で考えなければならないからである。 このため, 経営経済政策の領域には, 個々の経営上での方策をそれ自体として(fu¨ r sich allein)考えない (u¨ berlegen)で,Betriebsfu¨ hrung(マネジメント)の側面からの, あらゆる可能な相互作用を 考慮に入れなければならない。原因となる(kausal),機能上での関連が特殊な意義を獲得する」 (Fischer, G. 1964. S.93.;参照。清水敏充訳1962. 157頁)と主張する。
与者,顧客,供給者,競争相手に対する態度(Verhalten)で,倫理上での規範(ethische Normen)〈【筆者補足】モラル〉も要求すべきである」(Fischer, G. 1964. S.22.;参照。 清水敏充訳1962. 23頁)ため,「経営経済学は規範的科学(normative Wissenschaft)〈【筆 者補足】モラル・サイエンス〉でもある」(Fischer, G. 1964. S.22.;参照。清水敏充訳1962. 23頁)と主張した。そこには,「経営経済学の最近の展開は, 経営経済での思考の中心に は,もはや価値の問題ではなくて,むしろ,[経営による]給付の製作とその制御(Kontrolle) が置かれ,その際,価値の問題は既に前提とする」(Fischer, G. 1964. S.23 u. Vgl.S.25.; 参照。清水敏充訳1962. 25頁 28頁)。つまり,「経営の経済上での側面と,その経済上での 実践(Wirtschaftspraxis)のみを見るだけでは充分でない。また,社会上での実践(Sozi- alpraxis)も,経営経済学により研究され,その効果の領域では経営が呈示されるべきで ある。経営は人の作業場(Arbeitssta¨ tte)である」(Fischer, G. 1964. S.24.;参照。清水 敏充訳1962. 25頁;Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.167.)という考えが存在した。つまり, 経営では,「真の協働者の情況(Mitarbeiterverha¨ ltnis)と,活発な経営共同体(lebendige Betriebsgemeinschaft)が発生しなければならない」(Fischer, G. 1964. S.24.;参照。清 水敏充訳1962. 26頁)。経済,政治上の出来事が承認する限り,「経営はできる限り〈【筆者 補足】存在保証の感じ(Gefu¨ hl der Existenzsicherheit)を〉創造する作業場でなければ ならない」(Fischer, G. 1964. S.24 u. Vgl.S.45.;参照。清水敏充訳1962. 26頁 54頁)。そ こには,[経済での]実践(Wirtschaftspraxis)の社会上での実践(Sozialpraxis)への 拡大がある(Vgl.Fischer, G. 1964. S.24.;参照。清水敏充訳1962. 26頁)。「この意味で, 経営は,1つの有機的な統一体(organische Einheit),すなわち,経済上と社会上での 活動(Leben)の領域での1つの独自な有機体(Organismus)である。経営経済学が, 総てのこのような影響要因を慎重に検討し,その関連を呈示し,実践上での経営の構成(Be- triebsgestaltung)のための結論(Eolgerung)を引き出せば,経営経済学は有機的経営 経済学(organische Betriebswirtschaftslehre)となる」(Fischer, G. 1964. S.25 u. Vgl. S.27.;参照。清水敏充訳1962. 27頁 31頁)という,彼独自の見解があった。 ところで,フィッシャーは,「経営の課題は,5つの主要機能〈【筆者補足】指導(Leitung)・ 処理(Verwaltung)・調達・製造,あるいは,在庫品管理(Lagerhaltung)・販売〉の異 なる部分機能を最高の経済性で実施することである」(Fischer, G. 1964. S.52.;参照。清 フィッシャーは,ニックリッシュに影響された,経営に対する理念(イデー)を有していたが, もし,1960年代に,先進的な経済科学者が主張し始めた,「経済科学はモラル・サイエンスにな るべきである」という主張に対する社会的な認知がなければ,フィッシャーも,ニックリッシュ のように,「規範論者」と誤解されたであろう。
水敏充訳1962. 62頁)と主張する。そこには,「[経営のための]管理(Betriebsfu¨ hrung) と経営の指導(Leitung des Betriebs)は区別しなければならない。……アメリカの経済 活動では,これが management と top management の区分で用いられてきたが,この 区分は,ドイツの経済活動では,Leitung des Betriebes と Betriebsfu¨ hrung と呼ばれる べきである。[経営のための]指導(Betriebsleitung)は,経営の5つの主要機能の1つ であり,他の4つの主要機能の上にあって,これらを計画し,制御する(lenken)(Fischer, G. 1964. S.104 u. Vgl.S.53.;参照。清水敏充訳1962. 131頁 6768頁)という戦勝国での経 営の実態を,敗戦国の西ドイツに適用させようという意識を有していた。このため,〈【筆 者補足】top management よる指導(Leitung)に関して〉,「総ての企業では,経営の指 導者(Leitung des Betriebs)〈【筆者補足】最高経営者〉が資本の適切な利回り(Verzinsung) とその収益性について配慮しなければならない」(Fischer, G. 1964. S.109.;参照。清水敏 充訳1962. 136頁)という課題が,過去には, 特に優先されるものとみなされ,[経営のた めの]管理(Betriebsfu¨ hrung)のその他の課題が強く背後に押しやられたため,「経営経 済学でも,長い間,収益性が総ての経済上での配慮と努力の頂点に置かれてきた」(Fischer, G. 1964. S.109.;参照。清水敏充訳1962. 136頁)という過去への反省を表明すると共に, 「人物との接触と,株主層に対する経営上での意見の尊重(Meinungspflege)が,今日,広 義の企業家の課題として常により広く認められるようになった」(Fischer, G. 1964. S.109.; 参照。清水敏充訳1962. 136頁)という現状に対する認識が反映されている。そして,最高 経営者と協働者(Mitarbeiter)の関係では,従来の,企業家が自らの意思と作業方法を押 しつける,家長的な[経営のための]管理(patriarchalische Betriebsfu¨ hrung)や自由・ 個人主義的な[経営のための]管理(liberal-individualistische Betriebsfu¨ hrung)に代 わって,[パートナーシャフト制による]経営(Pertnerschaftsbetrieb)が採用されてい るが,労働者や職員(Angestellter)に人としての人格(Perso¨ nlichkeit)と独自性(Eigenart) を認め,これに応じて経営の構成(Betriebsgestaltung)の組織上での方策(Maßnahme) を調整する社会的(人間関係的)な[経営のための]管理(soziale(=menschenbezigene) Betriebsfu¨ hrung)に変化してきているという,ビジョンも含まれていた(Vgl.Fischer, G. 1964. S.109110.;参照。清水敏充訳1962. 137138頁)。また,〈【筆者補足】management よる処理(Verwaltung)を含めた,全体の[経営のための]管理(Betriebsfu¨ hrung)に フィッシャーによれば,「[経営による]給付は,指導,処理,調達,製造,あるいは,在庫品 管理(Lagerhaltung),販売という経営の5つの主要機能の経済上での構造(Gestalt)と協力 (Zusammenwirken)により生ずる。この内,本質的な影響を及ぼすものが,調達,製造,ある いは,在庫品管理と販売の基本機能である」(Fischer, G. 1964. S.413 u. Vgl.S.52.;参照。 清水 敏充訳1962. 424頁 62頁)。
関して〉,「経営の処理(Verwaltung eines Betriebes)の課題は,使用できる人の労働力 と資本,並びに,ここから獲得した資産価値を大切に(pfleglich)取り扱い,その合目的 な投入と摩擦のない協働(Zusammenwirken)について配慮し,これにより[経営によ る]給付を経済的に創造する(erstellen)ことである」(Fischer, G. 1964. S.118.;参照。 清水敏充訳1962. 147頁)。「全体の[経営のための]管理(Betriebsfu¨ hrung)の精神上で の基本的態度と,その実現のための様々な方策(Maßnahme)は,これらが折々の可能性 に対応して選択されるように,経営政策(Betriebspolitik)の名称の下で統合される。つ まり,[経営のための]管理の計画上での方策は,常に,既存の内部経営での情況である, 特定の前提と,折々の市場の影響から開始され,同時に,このような影響を所与としなけ ればならない。なお,経営政策を企業家自らの方策とみなす時,企業家政策,あるいは, 事業政策(Unternehmer- oder Gescha¨ ftspolitik)と呼ばれる」(Fischer, G. 1964. S.93.; 参照。清水敏充訳1962. 156157頁)。また,[経営のための]管理内での必然的な分業は, 複数の人による,経営政策,その決定と執行を,同時にさせる。このため,経営政策は, 複数の人のこのような共同作業を可能にする, 体系的な方法(Methodik)が追求される (Vgl.Fischer, G. 1964. S.94.)。このため,総ての長期的な経営政策上での熟慮のために, とりあえず,遠い目標(Fernziele)が設定され,その後初めて近い目標(Nahziele)が追 求される。即座に短期に達成されうる近い目標に努めれれば,視野の狭さの脅威が存在す る。大きな関連についての見通しが失われるかもしれない。ある種の近い目標を達成する ことの必要性はしばしば全体の視点からのみ認識されうる。このため,経営政策にとり, 初めに,遠い目標と近い目標を区別することが必要である(Vgl.Fischer, G. 1964. S.94.)。 また,総ての経営政策上での方策では,[経済と社会上での]倫理の諸法則(Grundgesetzen der Wirtschafts- und Sozialethik)と国の立法〈【筆者補足】法律の規定〉の中に限界が 置かれている(Vgl.Fischer, G. 1964. S.100.;参照。清水敏充訳1962. 165頁)。そして,[経 営のための]管理により実施される,経営政策の総ての方策が,[企業家により負担される] 脅威(Unternehmerwagnis)に不可分に結び付いている(Vgl.Fischer, G. 1964. S.102.;参 照。清水敏充訳1962. 167頁)。なお,フィッシャーは,「時たま,実践での用語の使用で, しかもまた,経営経済学の文献でも,経営政策と計画設定(Planung)が同一視されてい る。しかし,これは正しくない。なぜなら,計画設定は,経営上での長期の見通しのため に立てられた構成(Gestaltung)であり,〈【筆者補足】計画設定に先行して〉,選ばれた 経営政策の範囲内において必要とされるものである。このため,計画設定は[経営のため の]組織(Betriebsorganisation)の一形態である」(Fischer, G. 1964. S.93.;参照。清水
敏充訳1962. 157頁)とみなす。 しかし,経営政策の実態を実施の側面から考えると,経営政策には,2つの大きな適用 分野,すなわち,内部経営上での分野と市場経済上での分野が問題になる。前者には,製 作,あるいは,在庫品管理(Lagerhaltung)などの主要機能,指導(Leitung)と処理 (Verwaltung),並びに,経営に対する労働と資産の投入から生ずる,総ての課題が含ま れる。また,後者には,経営と様々な市場,そこで現存する他の経営,処理(Verwaltung) などの間での総ての関係に及ぶ。ここでは,調達と販売の主要機能,〈【筆者補足】経営と 市場,とりわけ,経営外の利害関係者,たとえば,顧客,競争企業,政府,地域住民など を対象にした〉経営政策の領域,並びに,資本の調達(Kapitalbeschaffung),従って, 資本調達(Finanzierung)の全体の課題がある(Vgl.Fischer, G. 1964. S.98.;参照。清水 敏充訳1962. 162頁)。 また,フィッシャーによれば,「今日,見られる, 経営での[人による]労働での新し い展開により,「計画する,指導する,執行する(ausfu¨ hrend)労働という以前では普通 であった3分割はもはや妥当しなくなってきており,計画する(planend)と指導する(leitend) 活動が同時に起こる時には,2分割になる。今日では,むしろ,技術上での経営分野では, 商事上での分野と同様に,見られるが,経営での[人による]労働の5分割が必要である。 このため,経営における全体としての5つの主要機能,従って,指導,処理(Verwaltung), 製作,調達と販売では,このような5つの作業が存在することがより良いと言われる。こ れに対応して,圧倒的に指導する(u¨ berwiegend leitend),指示する,あるいは,処置す る(anleitend oder disponierend),執行すると,機械的な活動で区分すべきである」(Fischer, G. 1964. S.185186.;参照。清水敏充訳1962. 173174頁)。そこでは,「組織の課題につい ての精神上での理念(Idee)が見付けられるならば,その解決は,むしろ,技術上での問 題である」(Fischer, G. 1964. S.165.;参照。清水敏充訳1962. 97頁)という,価値判断は 出来る限り回避したい,技術論者に歓迎されそうな,フィッシャーの見解や,「個別組織 (individuelle Organisation)は,何らかの再組織(Neuorganisation)により,完全に 限定された課題が解決されなければならない場合には,常に,成果により護衛される(be- gleiten)」(Fischer, G. 1964. S.175.;参照。清水敏充訳1962. 121122頁)という見解が強 く働いている。 この点,資本調達については「自己金融では法律上での金利負担義務が生じないし,秘密準備 金が形成されうるため,経営の改善に特によく用いられる」(Fischer, G. 1964. S.291292.;参照。 清水敏充訳1962. 285287頁;Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.430 u. S.561562.)と補足している。
なお,第二次世界大戦後(1950年代)に,経済復興のための,新しいの経営活動の理念 として導入された,パートナーシャフトは,1960年代でも,フィッシャーの思考と著作で は存続している。たとえば,彼の『経営経済学総論』の第8版(1961年)と第9版(1964 年)には以下のような記載が見られる。すなわち,「近代的な技術の大衆化の脅威(Ver-massungsgefahr)に対抗するため,経営上でのグループの形成に注目し,育成すること が,古くから[経営上での]作業組織の課題になっている。非常に大きな経営と大規模経 営では,個々の協働者はもはや自らの経営の全体を展望できない(u¨ bersehen)」(Fischer, G. 1964. S.219220.;参照。清水敏充訳1962. 208頁)。だが,「経営と,総ての協働者の間, 共同体(Gemeischaft)としての経営の間で, 人間関係の広範囲な形成が,[経営として の]パートナーシャフト(betrieblichen Partnerschaft)で見付けられる。これは,経営 管理者の側と, また,協働者の側で, 作業者の肯定的な,主体的な,人格の形成(Per- so¨ nalichkeitsbildung)を目指す,精神上での法則(geistger Grundsatz)を前提にする。 しかし,このような法則と理念の認識は,これらが同時にまた,経営上での組織の方策の 理念の構成部分でない時には,実践上での意義はない。これは,専ら実際上で組織されな いで, むしろ,[経営としての]パートナーシャフトでは, 同時に人に関係した(社会的 な)ものである。[経営としての]パートナーシャフトの基礎としての, 精神上での基礎 の維持と組織上での実現というこれら2つの前提が認められる時,総ての従業員において, [経営としての]給付の共通の目標に対する新しい精神上での立場が生ずる。精神上での 給付の集中の形式での大きな経済性が成果(Folge)である。このため,[経営としての] パートナーシャフトの意義では,更に,この精神上での給付に関して,パートナー自身も, 成果参加(Erfolgsbeteilung),従って,給付参加(Leistungsbeteilung),収益参加,あ るいは,利益参加の可能な形式の1つに関与させられる」(Fischer, G. 1964. S.223.;参照。 清水敏充訳1962. 208頁;Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.280281.)。また,この「[経営とし ての]パートナーシャフトの導入にとり,総ての関係者での活発な精神が前提である。企 業家と協働者,上司と部下,並びに,協働者の様々な社会グループの間での人としての信 頼が既に存在し,これにより,[経営としての]パートナーシャフトの経営の雰囲気 (Betriebsklima)が良好であれば,必要な変更の時間は特に長くは掛からない(Vgl.Fischer, G. 1964. S.225.;参照。清水敏充訳1962. 215頁)。その際,成果(Erfolg)の分配が必要 なお,フィッシャーは,1951年に,モンタン共同決定法,1952年に,経営組織法が成立した後 でも,パートナーシャフトの経営(Partnerschaftsbetrieb)という用語を用いている(Vgl.Fischer, G. 1965. S.24 u. S.29 u. S.3334.)。
であるが(Vgl.Fischer, G. 1964. S.223.;参照。清水敏充訳1962. 212頁),まず,経営組織 としての日常生活における経営共同体(Betriebsgemeinschaft)に対する3つの期待があ げられる。すなわち,①経営と指導(Leitung)が,個々の協働者に対して安心感,特に, 経済の領域で可能である限り,存在保証の感じ(Gefu¨ hl der Existenzsicherheit)を与え ること,②作業条件の構成(Gestaltung)のための経営としての方策は,勤務時間中でも, 個々の作業者と職員の[人としての]品位(Menschenwu¨ rde)の権利を尊重し,彼に[人 としての]自由の気分を創造する(schaffen)ことと,③経営の総ての方策(Maßnahme), 物質上での領域と人としての領域で,「社会上での正当性」(soziale Gerechtigkeit)の基 本原則により支持されていることが現れておらなければならない(Vgl.Fischer, G. 1964. S.224.;参照。清水敏充訳1962. 213頁)。 本稿では,1960年代に,西ドイツでの経営管理論の代表者と認められるようになった, フィッシャーの著作,つまり,1962年に第2版として出版された,『経営管理の政策』(Politik der Betriebsfu¨ hrung)を,適宜に翻訳しながら,検討する。
前 書 き
フィッシャーは,1962年に第2版として出版された,『経営管理の政策』に,1頁の簡 単な前書き(Vorwort)を付けている。そこでは,この本が,1960年に出版された,『経 営の管理』(Die Fu¨ hrung von Betrieben)との双書であることを断る。そして,「長い期 間,経営政策は,上位の管理階級,[経営のための]指導(top management)(Betreibsleitung) の特徴とみなされていた。しかし,また,[経営のための]管理(management)(betriebs- fu¨ hrung)内で,その間に必要になった分業は,経営政策(Betriebspolitik)での思考と 決定を普及させ,このため,今日,大規模な経営では,上位と中位の管理階級はこの経営 政策に協力している。このため,このような分業型の執行のために,総ての関係者の協働 を可能にする,1つの方法論(Methodik)が展開されるべきである。 この方法論を叙述 することが,この出版物の1つの課題である」(Fischer, G. 1962. S.5.)。 用語の使用では,経営政策と計画設定(Planung)はしばしば明確に充分に区別されな い。計画設定は,常に,経営政策の実施(Vollzug)に過ぎない。すなわち,それは,下 された経営政策上の決定の執行(Ausfu¨ hrung)を内容とする。後者の決定は,それ自体, 計画設定ではなくて,むしろ単なる計画(Plan)である,当座の考慮(Voru¨ berlegung) に基づいて構築される。もちろん,経営政策上での決定に従った計画の制御から,新しい
経営政策上の考慮と決定は生ずる。計画,計画設定と経営政策の間での明確な区分は,手 元の公開物が設定した,第2の課題である(Vgl.Fischer, G. 1962. S.5.)。 第3の課題は,経営政策の様々な部分領域の範囲(Umfang)と内容を呈示することに ある。その際,以下では,最も重要な部分領域の本質的なモノのみを言及する(Vgl.Fischer, G. 1962. S.5.)。
Ⅰ.経営政策の意義と課題
1.経営管理と経営政策 [経営のための]管理(Betriebsfu¨ hrung)(マネジメント)は,責任を意識した行動 (Handeln)のために,経営政策論(Theorie der Betriebspolitik)の知識を必要とする。この経営政策論の知識が意識的(bewußt)に学ばれず,実行されなければ(u¨ ben),個々 の経営政策上の問題に対して感情的(gefu¨ hlsma¨ ßig)に振る舞う(verhalten)ことのみ が,[経営のための]管理には残される。しかし, これにより,意識的に実行された経営 政策によってのみ成果(Erfolg)が獲得されうるとか,この成果がまた感情的な行動(Han- deln)では可能ではないとは決して主張されない。だが,そこでは,様々な偶然の影響と, 採用能力(Einfu¨ hrungsvermo¨ gen)の折々の程度が,経営政策上での経験と知識の体系 的な評価(Auswertung)に基づいた意識的な行動より,非常に大きな役割をする。体系 的な経営政策により,必要とされる経営政策上での方策(Maßnahme)を認識し,このた めに必要とされる決定を首尾一貫して(folgerichtig)下す(treffen)ことがより容易に できる。その適用は増大する分業により絶対に必要になる(unumga¨ nglich werden)。と いうのは,統一された基礎に基づいて執行される経営政策のみが,必要な範囲で,経営の 様々な器官に配分され,再び調整されうるからである(Vgl.Fischer, G. 1962. S.7.)。 時々,非常に近い,あるいは,より遠い,将来に必要とされる経営政策上の決定は,ま た,巨大な電算機(Elektronen-Großrechenanlage)(コンピュータ)により,決定され うると信じられている。このような考慮は, 計画設定(Plannung)と経営政策が同一で あるという,間違った観念に基づいている。しかし,後で更に詳細に指摘されるように, これは実際には妥当しない。むしろ,計画設定は,既に下された,経営政策上の決定の下 準備された実施(eingeleiteter Vollzug)である。事前計画による,経営組織上での過程 (Vorgang)のあらゆる計画された方策をこのような巨大な計算装置に記録し,その後で, 個別のケースに対して,最善の数理上での解を見付けることは,充分に可能である。しか
し,計画設定では,常に繰り返して新しい理念(Idee),第三者の反論(Gegenspiel)と, 経営での折々に与えられる人間関係(menschliche Verha¨ ltnis)を扱う,多くの非常に変 動的(beweglich)で,柔軟な経営政策が問題になるのではない。 しばしば, 最良ではな くて,むしろ,最も合目的な解を見付けることが必要になる。これが,経営政策上での決 定の本来の課題であり,巨大な電算機により決して解決されない。今や,永続的な変動に 認められる影響が,完全に,あるいは,少なくとも広範囲に除外されるうるならば,残さ れた標準的なケースは事前に計画されうる。しかし,このようなことは,自由経済,ある いはまた,操作された市場経済(gesteuerten Marktwirtschaft)では,決して完全には 可能ではないが,これに対して,国家,あるいは,超国家の計画経済では考えられる。し かし,このようなケースでは,企業家により全く経営政策上の決定はもはや下されず,む しろただ,既に確定された計画設定の経営上での実施についてのみ配慮される(Vgl.Fischer, G. 1962. S.78.)。 経営において,[経営のための]管理により決定される, 経営政策上の方策は2つの大 きな方法のグループ(Methodengruppen)に区分されうる。最初のグループは,内部経 営と外部経営の領域での経済上の処置(Vorgehen)の手元の可能性の内で, その都度, 最良,あるいは,最も合目的な可能性を選択し,適用することに向けられている。最良と, 合目的な可能性の間での相違は後で更により正確に触れられる。[経営としての]経済広 告(betriebliche Wirtschaftswerbung)の領域では,たとえば,最良,あるいは,最も 合目的な広告手段(映像広告(Filmwerbung),コマーシャル広告)が調査され,その使 用(Einsatz)が決められる(beschließen)であろう(Vgl.Fischer, G. 1962. S.8.)。 経営政策の第2の方法のグループは,所与,従って,とりあえず目前にある情況に対し て,経営に有利なように影響を及ぼすことを,努力は内容とする。ここでも,再び,2つ の過程(Weg)が開かれている。すなわち, 経営政策者は,一方で,[経営としての]意見の形成の多様な方法を適用できる。〈【筆 者補足】たとえば,自社の環境保護活動やイベントの協賛を経営としての経済広告にす る〉,このような手続きは,外国,特に,アメリカの経済では,広範囲に,大きな技能(Kunst) により適用されるのに対して,ドイツの経営はこれらを躊躇しながら取り組んでいる。確 かに,この分野で既に成果をあげて(erfolgreich)活動している,少数のドイツの経営が 存在するが,[経営としての]意見の形成のこのような方法についてまだ知らない, ある いは,これについて僅かにのみ予想しているため,[経営としての]意見の形成を適用し ようとしない,あるいは,できない, 非常に多くのドイツの企業家がまだ存在する
(Vgl.Fischer, G. 1962. S.89.)。 〈【筆者補足】たとえば,自社のベビーフードの介護食への転用を,経済広告するよう に〉,予め見付けられている(vorfinden)情況を,経営に有利なように,変更する,経営 政策の,第2の,あげられた(genant)可能性は,内部経営での,あるいは,市場での出 来事の内に,新しい前提と事実を創造することに本質がある。そこでは,例として,広告 により,新しい消費者の慣習,あるいは,顧客の欲望を喚起するが,この場合,顧客の要 望を充たすことが重要である(Vgl.Fischer, G. 1962. S.9.)。 経営政策にとり,まず, 最上位の[経営のための]管理,従って,[経営のための]指 導(Betriebsleistung)に権限がある。アメリカでは,経営政策上の決定を下すための管 轄権(Zusta¨ ndigkeit)は,それどころか(sogar)しばしば,top management に帰属 する特徴として認められている。このような最高位の[経営のための]管理の領域で,確 かに,経営政策のベースライン(Grundlinie)と,大切な目標設定が規定されるべきであ る。しかし,これと共に,中位の[経営のための]管理の階級で明らかにされるべき,そ れ他の経営政策上の考慮がまだ存在する。そこでどのように広範囲に実際の経営政策が行 われうる(leisten)のかは,総ての個々のケースで調べられるべきである。中位の管理の 階級の所属者としての[経営としての]広告部門の部課長(Leiter)は,大規模経営では, 確かに,独立して,様々な可能な広告手段と広告方法の間での選択を行う,権利を有する。 彼には,必要となる決定権限が委譲され,彼は行われた方策と,その結果について報告す べきである(Vgl.Fischer, G. 1962. S.9.)。 零細な経営では,決定の委譲はしばしば異なる様相を見せる。そこで活動する広告担当 者,あるいは,外部経営の広告アドバイザーはただ広告政策上での方策を提案するのに対 して,経営政策上での決定は企業家にある。ここには,この場合,全く決定の委譲は存在 しないか,あるいは,強く制限された決定の委譲が存在する(Vgl.Fischer, G. 1962. S.9.)。 [経営のための]管理の手段としての経営政策の適用では, 常に, このような経営政策 の選択された基本的な態度が重要である。取り扱われる即物のみに関係した経営政策(nur sachbezogene Betriebspolitik)では,[経済と社会の]倫理(Wirtschaft- und Sozialethik) の領域での他の考慮での有効性(Nu¨ tzlichkeit)と合目的性の立場は広く背後に退けられ ている。〈【筆者補足】たとえば,道路の施設では,コストと距離に係わる課題は注視され るが,しばしば,排ガスや騒音による環境破壊や安全性の問題は軽視される〉。 だが, 政 策の総ての方策,これと共にまた,人に適用される,経営政策の方策は熟慮されるべきで ある。経営政策のこのような人間関係性(Personenbezogenheit)は,[経営のための]
管理(マネジメント)(Betriebsfu¨ hrung)により検討され,考慮されるべきである。これ は,[経済と社会の]倫理の法則が, また, 様々な経営政策の可能性の選択と適用でも, 広範囲に注目され,評価されることを意味する(Vgl.Fischer, G. 1962. S.910.)。 これは,これにより,[経営のための]管理の精神上での姿勢(Geisteshaltung)と, その経営政策の間での密接な関連を示唆する。経営政策論は,「それ自体」,行動する人と 分離されることは,このため,可能ではない。ここから,[経営のための]管理での精神 上での基本態度の意義が生ずる(Vgl.Fischer, G. 1962. S.10.)。 経営政策論にとり,[経営のための]指導(top management)(Betriebsleitung)と, 中位の[経営のための]管理の領域で,対応する決定の委譲を受けた,総ての者との責任 を,とりわけ,強調されること,これと共に,同時に,継続した確認とその後の展開に対 する,[経営のための]管理の総ての参加者の自己責任性を, 自らの専門上のみではなく て,むしろまた,彼らの性格上の特性(Eigenschaft)に対しても指摘することは,重要 で(wesentlich)ある(Vgl.Fischer, G. 1962. S.10.)。 多分(wohl),経営では,[経営のための]管理は制度上での性格を仮定できるため,こ れら[経営のための]管理は,特別な組織として,また,基礎となり(tragend),また, 執行する(ausfu¨ hrnd)人に関連した変更でも,継続して活動でき,有効である(wirksam)。 しかし,総ての制度は,これら制度を始めて活動させた,人に結び付いている。〈【筆者補 足】創業者の考えが会社の行動を特徴付けるとみなされるように〉, このため,「[経営の ための]管理」の制度の有効性は,[経営のための]管理で活動した,折々の人格(Perso¨ n- lichkeit)に左右される(Vgl.Fischer, G. 1962. S.10.)。 2. 経営政策の目標設定 今までは,名称は経営政策(Betriebspolitik)であるか,あるいは,経営経済学での整 理(Einordnung)が表わされるべき時には,経営経済政策(Betriebswirtschaftspolitik) の名称が使用された(Vgl.Fischer, G. 1962. S.10.)。 時たま,実践での用語の使用で,しかもまた,経営経済上での文献では,経営政策と計 画設定(Planung)は同一視されている。これは正しくない。なぜなら,計画設定は,こ れが以下で更に詳細に示されるべきであるように,この計画設定は,将来のために予め規 定される,経営上での方策(betrieblicher Maßnahme)の構成(Gestaltung)であり, これは既に下された経営政策上の決定と,予想される将来の展開の考慮下で必要となるか らである。このため, 計画設定は,[経営のための]組織の形式であり,経営政策上での
決定の成果(Folge)である。 これにより,経営政策は計画設定のその本質と目標設定で 先行している(vorausgehen)。これら経営政策は[計画のための]管理の姿勢(Haltung) と形式から生ずる。その長期的な目標設定と方策は,その際,計画設定と同様に,準備と実 施の手段として必要とする。これは経営政策の領域での様々な近い目標〈【筆者補足】直 接目標〉(Nahziel)に対して妥当するようにである(Vgl.Fischer, G. 1962. S.1011;Fischer, G. 1964. S.93.;参照。清水敏充訳1962. 157頁)。 他方,計画設定は,折々,経営政策上の決定に係わることなしに,可能である。すなわ ち,定型的な決定(Routineentscheidung)に還元されるべきである時には,常にそうで ある。このような定型的な決定は,独創(非定型)的な決定(Initiativeentscheidung) とは異なり,経営政策の対象ではない。具体例として,広告手段の投入の計画設定があげ られる。初めに, 新しい広告手段が適用されるべきである時,[経営政策としての]独創 (非定型)的な決定が必要である(Vgl.Fischer, G. 1962. S.11.)。 更に,経営政策としては,総ての[経営政策としての]個別の方策が,たとえば,財務 政策,[製作,あるいは,販売]政策のように,常に,これら政策での相互の依存効果と, [経営のための]管理の,総ての,その他の,[非経営政策としての]決定との関連内では, 認められるべきであることに,注目すべきである(Vgl.Fischer, G. 1962. S.11.)。 統一された経営政策のためには,1つの根本となる理念(tragende Idee)が前提にな る。このような統一された経営政策は,経営で経営管理(者)が従って作業する理念,彼 らの精神上での姿勢(Geisteshaltung)から生ずる。[経営のための]管理の理念は,指 導者(leitende Person),あるいは,また,外部の権力情況(国家)の影響下で,変化す この点,フィッシャーは,「時たま,実践での用語の使用で,しかもまた,経営経済学の文献 でも,経営政策と計画設定(Planung)が同一視されている。しかし,これは正しくない。なぜ なら, 計画設定は長期の見通しのために立てられた経営上での方策の構成(Gestaltung)であ り,〈【筆者補足】これら方策は,計画設定に先行して〉選ばれた経営政策の範囲内において必要 とされるものである。 このため,計画設定は[経営のための]組織の一形態である」(Fischer, G. 1964. S.93.;参照。清水敏充訳1962. 157頁)と述べている。また,『経営の管理』では,「計画 設定は,既に下された,経営政策上の決定の下準備された実施(eingeleiteter Vollzug)である。 ……しかし, 計画設定では, 常に繰り返して新しい理念(Idee),第三者の反論(Gegenspiel) と,経営での折々に与えられる人間関係を扱う,多くの非常に変動的(beweglich)で,柔軟な 経営政策が問題になるのではない。しばしば,最良ではなくて,むしろ,最も合目的な解を見付 けることが必要になる」(Fischer, G. 1962. S.78.)と説明する。 たとえば,従来の新聞広告の代わりに,ラジオ・テレビによる広告に変更することの是否を決 定する場合[経営政策としての]独創(非定型)的な決定が必要であるが,数種類の録画映像に よるテレビによる広告では,時間帯と録画映像の選択という,定型的な決定(Routineentscheidung) になる。 たとえば,手元資金を用いて,既存の製品Aを1,000個増産し,現金販売するという経営政策が 採用される場合での,製作・販売・財務に区分された個別の方策に係わる決定には,相互の依存 効果は認められるが,[経営のための]管理の[経営政策としての]決定とはみなされえない。
る。[経営政策としての]理念は,理想像(Leitbild),経営政策の目指すべき目標の観念 (Vorstellung)である。経営政策のこのような理念は,たとえば,内部経営の領域では, [経営としての]パートナーシャフトの導入,あるいは,経営で必要な後継者(Nachwuchs- kraft)の適宜の準備についての配慮,あるいは,技術上と商事上(kaufma¨ nnisch)での 事務所での作業評価の導入である。市場の領域では,経営政策上での理念は,新しい市場 の開拓,あるいは,新しい販売方法―分割払い事業,顧客サービス,セルフサービス― による,追加の購買意欲(Kaufwu¨ nsch)にその本質はある(Vgl.Fischer, G. 1962. S.11.)。 経営政策の理念の基礎では,1つ,あるいは,複数の一番獲得したい価値のある,遠い 目標(Fernziel)が生ずる。このため,そこへの途中で,経営政策のこのような精神上で の基本的態度(Grundhaltung)は,永続的に存在する[管理のための]理想(Fu¨ hrungs- ideal)を暗示する。このような遠い目標に到達するために,経営政策は,時間の経過で前 後して達成されるべき, 一連の近い目標(Nahziel)を定めるべきである。 早急に達成さ れうる近い目標は,それを達成し,経営政策を融通のきく,かつ,活発にする,意思を促 進する(Vgl.Fischer, G. 1962. S.12.)。 このような近い目標は,経営政策の経路(Linie)での特定時点である。しかし,他の近 い目標は,経営の経過での妨害(Sto¨ rung)を排除するために,必要とする,経営政策の 戦術上での方策(taktische Maßnahme)から生ずる。なぜなら,正に,その中に経営政 策の本質,すなわち,経営目標の過程で現れる,障害の回避,克服と,除去,が存在する からである。このような近い目標は,経営政策の構成では,たとえば,ストでは必要にな りうるし,あるいは, 貨幣市場と資本市場での国家としての影響が突然の計画の変更 (Umdisposition)を強制する時には, そうである。 経営政策のこのような短期の方策に より,経営政策の選択された基本方針(Grundrichtung)は決して見捨てられるべきでは ない。これは, 情況下では,非常に困難になる。 なぜなら,[経営のための]管理のイニ シァチブが取りあげられる(entwinden)からである。このようなケースでは,このため, 行動の法則(Gesetz des Handelns)〈【筆者補足】たとえば,百貨店やスーパーなどでは, 現金・正札販売〉を再び自らの手に取り戻すことが,自らの経営政策の課題に属する(Vgl. Fischer, G. 1962. S.12.)。
3.経営政策の範囲と限界
経営政策にとり,2つの大きな適用領域が問題になる。これはまた既に今までの説明で 認識できるように,内部経営と市場経済上での領域である。経営政策の内部経営上での適
用領域は,労働と資本の投入,経営に必要なサービス給付(銀行,保険,流通企業とその 他)の準備,販売準備までの[経営としての]給付の製作, 並びに,[経営のための]処 理(Verwaltung)を包括する。市場経済上での適用領域は,経営と様々な市場の間での 総ての関係,調達側と販売側と,そこで作業する他の経営に及ぶ。また,これには,資本 の 調 達 と, も ち ろ ん,連 盟(Verband),国 家 と 世 間(O¨ fentlichkeit)との結び付き (Verbindung)が属する(Vgl.Fischer, G. 1962. S.1213.)。 経営経済上の文献と, 実践での用語の使用では,しばしば,[経営政策としての]技術 が既に経営政策とみなされる。このため,しばしば,減価償却政策について語られ,その 下では,たとえば,決算のために,直接,あるいは,間接の減価償却の記帳法を用いるの か,あるいは,逓減的,あるいは,定額減価償却が選択されるのかという,減価償却の技 術上での実施と解される。これに対して,減価償却政策は,初めの,様々な可能な減価償 却法の間での意識的な選択,たとえば,逓減的な方法により行うべきであるという,決定 である。なぜなら,これにより, 決算の時点での該当する設備価値の規模のみではなく て,むしろ同時に,また,清算されるべき[減価償却としての]必要経費(Abschreibungs- aufwand)の規模が影響されるからである。実施の技術と,先行した[経営政策としての] 考慮の間でのこのような相違は,経営政策の総ての適用領域で注目されるべきである (Vgl.Fischer, G. 1962. S.13.)。 [経営のための]管理の総ての[経営政策としての]方策は,これらが即物に関係した (sachbezogen)思考形式内のみではなくて,少なくとも国家の法律(Gesetzgebung)で,
認知される時には,[経済と社会の]倫理の法則(Grundsatz der Wirtschafts- und Sozi-alethik)内に設定された限界(Grenz)である。[経済と社会の]倫理は,人の行動(Handeln) 内で,善と悪を相互に分ける。 これらは, 結局,2つの社会原則を, 社会上での正当性 この点,フィッシャーは,「経営政策には,2つの大きな適用分野,すなわち,内部経営上で の分野と市場経済上での分野が問題になる。前者には,製造,あるいは,在庫品管理(Lagerhaltung) などの主要機能,指導と処理,並びに,経営への労働と資産の投入から生ずる,総ての課題が含 まれる。また,後者には,経営と様々な市場,そこで現存する他の経営,処理などとの総ての関 係 に 及 ぶ。こ こ で は,調 達 と 販 売 の 主 要 機 能,経 営 政 策 の 領 域, 並 び に, 資 本 の 調 達 (Kapitalbeschaffung), 従って,資本調達(Finanzierung)の全体の課題がある」(Fischer,
G. 1964. S.98.;参照。清水敏充訳1962. 162頁)と説明する。 逓減減価償却(degressive Abschreibung)は,ドイツでは,1952年の所得税補正基準で認め られて以降,特に,注目されている(Vgl.Fischer, G. 1964. S.405.;参照。清水敏充訳1962. 415 頁)。 フィッシャーは,「減価償却政策の領域では,また,減価償却率などの規模が属する。減価償 却期間の長さ(La¨ nge)は,これにより,秘密準備金を創り出せる。実践のこの頃の慣行では, しばしば,加速的な減価償却を優先し,これにより,意図して秘密準備金が設定される」(Fischer, G. 1964. S.402.;参照。清水敏充訳1962. 411頁)と述べるように,減価償却法の選択は,財務政 策,あるいは,資本調達政策と密接に関連している。
(Gerechtigkeit)と社会上での好ましさ(Lieb)に関連させる。ここでは詳細については 触れない。ただ,適切な経営社会学と,一般の社会学の文献を参照すべきである。国家の 法律は,人の活動(Tun)の総ての振る舞い(Handlung)に認知可能な道徳規定(Sitten- ordnung)を,これらが折々の社会(Gesellschaft)の[所有と労働の]規則に由来する ように,設定する(einschranken)(Vgl.Fischer, G. 1962. S.13.)。 総てのケースで,経営政策の適用で注目されるべき,多様な責任が確定されうる。すな わち,社会(Gesellschaft),国家(Staat),経営と人に対する責任である(Vgl.Fischer, G. 1962. S.13.)。 社会は, これらが人の共同生活で必要であるように, 文化上と社会上で の限界(Gerenz)を設定する。そこで,自由主義的(lberal)な基礎に基づいて作用する 経営政策は,集産主義(kollektiv),あるいは,多元主義な(pluralistisch)社会での経 営政策とは異なる様相を示すであろう。というのは,経営政策上での決定の個々の方策を 指導する(leiten),精神上での基本姿勢(Grundhaltung)は,その都度,異なるであろ うからである。国家は,〈【筆者補足】たとえば, タバコのような発癌物質の使用のよう に〉,規則(Gebot)と禁止(Verbot)を発令し,その従順,あるいは,違反を,警察と して(polizeilich)監視する。このため,自らの才知(Klugheit)が,様々な可能な経営 政策上の決定の選択で,設定された限界に注目するように警告するであろう。しかもまた, 経営は,自らの制度上での現象(Erscheinung)に対する,このような責任を要求される。 総ての経営政策上での方策では,経営の存在(Bestand)と,経済性と収益性について監 視すべきであり,これにより,経営の目標は実現されうる。結局,経営政策の責任は人に 対して存在する。最終的には,経営の存在は社会によるその認知に左右されるため,即物 に関係する(sachbezogen)経営政策のみでは充分ではない(Vgl.Fischer, G. 1962. S.13 14.)。 [経済と社会の]倫理のこのような原則(Grundsatz)は,[経営のための]管理の経営 経済上での方策に対応すべきである。そこから,このような原則が,また,経営政策の総 ての遠い目標と近い目標にとり有効であるという結果になる。上記の(soeben),社会の 原則に基づいた,社会上での正当性(Gerechtigkeit)と社会上での好ましさ(Lieb)が 参照される時には, これらが,[経営としての]賃金政策の例で, 更に簡単に説明される べきである。このような[経営としての]賃金政策の領域では,社会上での正当性が,賃 この点,フィッシャーは,「総ての経営政策上での方策では,[経済と社会の]倫理の諸法則 (Grundgesetzen der Wirtschafts- und Sozialethik)と国の立法(法律の規定)の中に限界が
金体系の選択, その経営としての拡大された展開,[作業時間と作業場の]評価, 出来高 の確定での,適切な活動と,これによりできる限り『正当な賃金』(gerechter Lohn)を もたらすであろう。また,社会上での好ましさの原則は,[経営としての]賃金政策では, 実現され,そこで,たとえば, 高齢の協働者のために,割増の出来高(Schonakkorde= schonende Akkorde)が確定されたり,あるいは,対応した社会割増,あるいは,年齢割 増が支払われる時には,これにより,身体上での給付で低下した,高齢の協働者は,最近 では,作業活動では,若い協働者よりより少なく稼ぐのではない。 ここでは,[経営とし ての]賃金政策は[経営としての]社会政策では容認され,経営政策の個々の部分領域の 間での密接な関連が明らかになる(Vgl.Fischer, G. 1962. S.1415.;Nicklisch, H. 1929/32. S.283.)。 しかし,この意味では,経営政策は,その原則とその遠い目標においてのみ,確定でき るのに対して,これら経営政策は, このような限界の範囲内で,変更される(beweglich und aba¨ nderbar)べきである。正に,このような継続した適用が経営政策の特徴(Kenn-zeichen)である。このため,今まで追求された経営政策上の個別目標が今後も達成するよ うに努力されるのか,あるいは,これらに新しく限界が呈示されるべきなのかが継続して 調べられるべきである。経営政策の領域でのこのような変更は,たとえば,経営内で,新 しい技術上の発見により製作過程,あるいは,組織形態が根本的に変更されるべき時に, これが技術,あるいは,取引上の経営領域で自動化された経過(Ablauf)の導入で,実際 に起ったように,可能で,かつ,必要である。これらは,たとえば,新たに現れた競合製 品,新しい流行の傾向, 新しい欲求(Bedu¨ rfnis)と生活慣習の発生により,市場の情況 の変更が目立つ時に,必要になる(Vgl.Fischer, G. 1962. S.15.)。 4.経営政策と人格 経営政策はこれを構成する人の人格(Perso¨ nlichkeit)により非常に強く左右されるた め,これら経営政策は,また,彼らの特性 (Eigenschaft)と素質(Veranlagung)に非 常に影響される。慎重な企業家は,投機を好む者とは,異なる経営政策を実施する。公明 正大で,良く気配りする人,あるいは,思いやりのない人は,彼らの性格により,また, 彼らにより実施される経営政策を規定する。これは零細な経営に対してのみ妥当するので はない。同じことは,また,経営政策が人事専門委員会により規定される,大規模経営で も確認されうる。複数,あるいは,多数の委員会(Gremium)が経営政策に対して権限が あると,思いやりのない, あるいは,投機を好む人達(Personenkreis)が簡単に経営政
策の管理(Fu¨ hrung)を自分のものにする(Vgl.Fischer, G. 1962. S.15.)。 大規模経営では,複数,あるいは,それどころか多くの人々が,経営政策の構成とその 決定に共に作用してきたため,該当する人達は,また,経営政策の原則,遠い目標と近い 目標と,その際必要になる経営政策上での決定について報告する必要がある。経営政策の 方策は,[経営のための]管理(マネジメント)の高い階層のみで下されるのではなくて, むしろ,対応した決定の委譲では,また,[経営のための]管理の中位の階層が経営政策 上で活動する(wirken)ことに注目すべきである。 このため, 経営政策についての知識 (Kenntnis)と,経営政策での共同活動が,top management に対する所属のための基準 であるという,アメリカの見解は,少なくとも,ドイツの情況では正しくないと,私〈【筆 者補足】フィッシャー〉には思われる。経営政策の近い目標,たとえば,ある領域で意識 的に市場の構成を推進する(betreiben)〈【筆者補足】つまり,潜在的な顧客を動員する〉 ための,適切な広告の方策と広告手段の選択は, 総てのその結果(Konsequenz)での, このために必要な遠い目標が,最高位の経営階級だけではなくて,むしろ同様に該当する 中位の管理階級に通知されている時にのみ, 達成されうる(Vgl.Fischer, G. 1962. S.15 16.)。 しかし,しばしば,経営では,このような垂直的な共同作業(Zusammenarbeit)が欠 けている。 たとえ,対応した決定の委譲が呈示されても,簡単な指図(Anweisung)に よっては,中位の管理階級では,経営政策の意識的な構成は期待できないし,可能ではな い。経営政策は,分業で実施されるべき時には,無条件に,定期的な状況の相談(regel- ma¨ ßige Lagebesprechnung)をもたらすが,これは,また,[経営のための]管理の他の 課題領域に対しても妥当する。このような認識は,実践では更に,多く,より強く実施さ れるべきである(Vgl.Fischer, G. 1962. S.16.)。 経営政策の作用(Wirkung)は,これを実施する者の能力に応じて割り当てられる(be- messen)。すなわち,彼らが,折々の事実を評価し,促進したり,妨げる影響要因を認識 する方法,肯定的,あるいは,否定的な影響に対する手段を支配する,そして,彼らが経 営政策のこのような個々の方策と可能性の適用可能性と投入能力についてどのような経験 を有するのかに応じて割り当てられる。最後に,成果の豊かな経営政策には,近くと遠く この点,フィッシャーは,「共同決定『Mitentscheidung』という用語が適切かもしれないが, 経営での協働者に,経営の出来事についての通常の見通し(aufma¨ ßiger U berblick)を与え,こ¨ れにより彼らが知らないで,経営活動に参加していないと感じさせないだけではなくて,むしろ, 彼らが自らも経営活動の意識的な構成に共に参加すべきである」(Fischer, G. 1964. S.232.;参 照。清水敏充訳1962. 220頁)と主張する。
の将来がもたらし,促進する,必要性の鋭敏な発見が属する。このため,経営政策は,良 く,その基礎要素で示され,習得されうる(erlernen)が,これに対して,その熟達(Meiste- rung)は,活動経験,これに関する委任者の能力により,増大する。そこで,先行する説 明で既に認識されたように,経営政策は,密接に,人(Menschen)の人格の価値(Perso¨ n- lichkeitswert)と結び付いている。経営政策は,経営心理学と社会心理学の確かな知識な しには,有効に運営されえない(betrieben)。この有効さは,特定の知識を有する経済職 長(Wirtschaftsfaktor)と専門家(Fachmann)とみなされうるだけでなくて,むしろ, 総ての彼らを特徴付ける特性(Eigenschaft)により,経済と経営の政策上での行動(Handeln) に影響を及ぼす,人格とみなされうる,人に還元される。しかしまた,このような人は, 自身と,経営政策の手段と方策の選択と投入において彼を指導すべきである(leiten),人 間社会(menschliche Gesellschaft)に責任を負う。成果(Erfolg)のみが人の振る舞い (Tun)と活動(Handeln)について決定するのではない。このため,経営政策の方策と行 動(Handlung)が,これら経営政策が, 真の, 責任のある, 独創(非定型)的な決定 (Initiativeentscheidung)で生まれるように,個々の企業家,あるいは,個々の経営の有 益な努力(Nu¨ tzlichkeitsstreben)によってのみではなくて,むしろ,常に同時に,人間 社会に対する全体の作用により,評価される(bemessen)(Vgl.Fischer, G. 1962. S.16 17.)。 経営政策は,大抵,個々のモノのみではなくて,むしろ,複数のモノ,大規模経営では しかも多くのモノから構成されるべきであるため,とりわけ経営政策の分野では,集合的 な共同作業の法則(Grundsatz des kollegialen Zusammenarbeitens)が育成されるこ とが必要である。共同作業についてのこのような要求は,正に,才能のある,給付者(fa¨ - hige Leistungsperson)の個人主義(Individualismus)と対立している。これに結び付 いた人格の価値(Perso¨ nlichkeitswert)は,経営の管理力(Fu¨ hrungssta¨ rke)の重要な (wertvoll)構成部分である。今や,このような個人主義は,当該経営政策の決定での[経 営のための]管理内で,並列的な作業,あるいは,しかも対抗的な作業に誘導すべきでな い。むしろ,このような個人主義的な人格の価値(Perso¨ nlichkeitswert)を[経営のため の]管理の制度に組み込むことに成功すべきである。反対に,制度上での[経営のための] 管理はこのような個人の人格の価値を縮小したり,衰退させたりすることは認められない。 経営政策の領域で計画と決定の技能(Kunst)は,このため,このような個人の人格の価 値と,[経営のための]管理の制度の間での正しい相互作用を見付け, 可能にすることに 本質はある(Vgl.Fischer, G. 1962. S.17.)。
このため,今日では,経営政策の課題を有する[経営のための]管理内での委任者(Be-trauter)は,経営政策の範囲と内容と, 以下で詳細に記述される方法に習熟するだけで はなくて,むしろ,彼らは,その他,彼ら自身の人としての,特徴のある発達に更に努力 する(weiterarbeiten)覚悟をすることが必要であり,これにより,彼らは,責任を意識 した,かつ,豊かな独創的な人格として,自発的に(freiwillig),独自の見解から,経営 政策での制度上での共同作業に到達できる(Vgl.Fischer, G. 1962. S.1718.)。 5. 経営政策とリスク 経営政策の総ての方策は,[経営のための]管理により喚起されるように, 企業家の脅 威(Unternehmerwagnis)と 不 可 分 に 結 び 付 い て い る(Vgl.Fischer, G. 1962. S.18.; Fischer, G. 1964. S.102.;参照。清水敏充訳1962. 167頁)。(このため,分業型の経営政策 では,[経営のための]管理の脅威についてより良く語られる)。このような企業家の脅威 は,既に,[経営のための]管理が,そこから,経営政策の結果を目指すために,内部経 営上と市場経済上での情況と展開を評価すべきであることに本質はある。従って,経営政 策の方策は高い評価(Scha¨ tzung)に基づく。これら手段の選択では,通常,一連の可能 性がこれらには開かれている。更に,可能な異議と防止策が予め知られており,考慮され るべきである。あらゆるこのような異議と防止策では,数理上で予測可能な事実ではなく て,むしろ,最終的には主観的に根拠付けられ,見付けられる,考慮が問題になる。経営 政策の総ての方策は,このようなそれ自体の特性から,成功したり,あるいは,失敗した りする。これは,経営政策と必然的に(unabdingbar)結び付いている企業家の脅威,あ るいは,[経営のための]管理の脅威である(Vgl.Fischer, G. 1962. S.18.)。 [経営のための]管理の完全な責任に支えられている, このような経営政策は, このた め,[経済と経営の]組織の図式化された構成と, これにより図式化される構成とは明ら かに矛盾しているが,[経済と経営の]組織は,[経済上と経営政策上の]考慮(Wagen) を,個々の経営から取りあげ(abnehmen),上位に置かれた制度に譲渡させる。これは, 国家の経済形態(社会化,[国家による]経済指導(staatlich Wirtschaftslenkung))で と同様に,集中的に構成されたカルテルとコンツェルンを示唆する。このようなケースで は,この場合,経営政策の可能性を伴う自己責任としての[経営のための]管理は全く呈 示されないで,むしろ,個々の経営には,まだ,これらに義務付けられた規定の文字通り の執行(Ausfu¨ hrung)のみの義務がある。これは,また,[経営政策としての]決定が専 ら経営を上回る中央機関により下されるにも係わらず,個々の経営に,多分まだ,経営政