連体修飾節の日中対照研究
著者
曾 曾
学位授与機関
Tohoku University
学位授与番号
11301甲第19335号
博 士 論 文
連体修飾節の日中対照研究
曾 曾
2019 年
i
目 次
第 1 章 序論 ... 1
1.1 研究の背景と目的 ... 1 1.2 研究課題 ... 3 1.2.1 課題1:主要部外在型連体修飾節 ... 4 1.2.2 課題2:主要部内在型連体修飾節 ... 5 1.2.3 課題3:空所のない連体修飾節... 6 1.2.4 課題4:人魚構文 ... 7 1.3 研究方法 ... 8 1.4 論文の構成 ... 8第2章 主要部外在型連体修飾節 ... 9
2.1 はじめに ... 9 2.2 先行研究および問題点 ... 13 2.3 連体修飾節の使用実態 ... 20 2.4 総合的分析 ... 28 2.4.1 情報構造による分析 ... 28 2.4.2 連体修飾節の機能による分析 ... 37 2.4.3 主題の位置に現れる連体修飾節に対する分析 ... 40 2.5 本章のまとめ ... 43第3章 主要部内在型連体修飾節 ...45
3.1 はじめに ... 45 3.2 中国語における主要部内在型連体修飾節 ... 47 3.3 日中両言語の相違 ... 53 3.4 本章のまとめ ... 56ii
第4章 空所のない連体修飾節 ...57
4.1 はじめに ... 57 4.2 短絡した内の関係 ... 59 4.2.1 日本語における短絡した内の関係 ... 59 4.2.1.1 先行研究及び問題点 ... 60 4.2.1.2 考察 ... 64 4.2.1.2.1 述語動詞が「ル形」を取る場合 ... 65 4.2.1.2.2 述語動詞が「タ形」を取る場合 ... 68 4.2.1.3 まとめ ... 74 4.2.2 中国語における短絡した「内の関係」関係節 ... 74 4.2.2.1 「ル形」 ... 74 4.2.2.2 「タ形」 ... 78 4.2.3 本節のまとめ ... 81 4.3 外の関係 ... 82 4.3.1 日本語における外の関係 ... 83 4.3.1.1 下位分類と特徴 ... 83 4.3.1.2 感覚の名詞とその感覚の内容 ... 86 4.3.1.3 短絡した内の関係との関連性 ... 88 4.3.1.4 まとめ ... 90 4.3.2 中国語における外の関係 ... 90 4.4 本章のまとめ ... 101第5章 人魚構文 ... 103
5.1 はじめに ... 103 5.2 日本語の人魚構文 ... 104 5.3 中国語の人魚構文 ... 109 5.3.1 人魚構文の表す意味 ... 112 5.3.1.1 「感じ」の類 ... 112iii 5.3.1.2 「状況、状態」の類 ... 116 5.3.1.2.1 样子(様子) ... 116 5.3.1.2.2 形象(イメージ) ... 119 5.3.1.2.3 印象(印象)、情形(様子)、状态(状態) ... 121 5.3.1.2.4 气氛(雰囲気)、氛围(雰囲気) ... 123 5.3.1.2.5 节奏(テンポ) ... 124 5.3.1.2.6 まとめ ... 125 5.3.1.3 「性格、性質」の類 ... 125 5.3.1.4 「無生物の構成」の類 ... 127 5.3.1.5 まとめ ... 128 5.3.2 中国語における人魚構文の構文的な位置づけ ... 128 5.3.2.1 関係節化 ... 130 5.3.2.2 主題化 ... 132 5.3.2.3 他の修飾語との共起 ... 134 5.3.2.4 指示詞・数量詞との共起 ... 136 5.3.2.5 まとめ ... 137 5.3.3 通時的変化 ... 138 5.3.3.1 「感じ」の類 ... 138 5.3.3.2 「状況、状態」の類 ... 139 5.3.3.2.1 样子(様子) ... 139 5.3.3.2.2 形象(イメージ)、情形(状況) ... 145 5.3.3.2.3 印象(印象)、状态(状態)、气氛(雰囲気)、氛围 (雰囲気) ... 146 5.3.3.2.4 节奏(テンポ) ... 146 5.3.3.2.5 まとめ ... 147 5.3.3.3 「性格、性質」の類 ... 148 5.3.3.4 「無生物の構成」の類 ... 149 5.3.3.5 通時的変化のまとめ ... 149 5.4 本章のまとめ ... 150
iv
第6章 結論... 154
6.1 本研究のまとめ ... 154 6.2 本研究の意義と今後の課題 ... 160参考文献 ... 162
日本語文献 ... 162 中国語文献 ... 164 英語文献 ... 164 用例出典 ... 165謝 辞 ... 167
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第 1 章 序論
1.1 研究の背景と目的 文は主語と述語からなり、それらの要素を修飾する付加要素が現れることがある。名詞 には形容詞や連体修飾節などを付加することにより、複雑な意味を表すことができる。 (1) a. 私は書店で本を買った。 b. 旅行好きの私は駅前の書店でイギリスについて書かれた本を買った。 (日本語文法記述研究会 2008:43) 日本語文法記述研究会(2008)によれば、「旅行好きの」が加わることで「私」の性質が 述べられ、また「駅前の」「イギリスについて書かれた」によって、「書店」「本」の指示対 象が限定されているという。(1a)に比べると、(1b)に含まれた意味はさらに具体的で豊 富である。 本研究は、「イギリスについて書かれた」のように、日中両言語における連体修飾節につ いて考察する。日本語と中国語では語順が異なり、それぞれ SOV 型と SVO 型であるが、 連体修飾節による修飾構造に関しては、日中両言語において、英語などのヨーロッパ言語 に見られない特徴や共通点など数多く存在する。たとえば英語では主名詞が修飾節に先行 しているのに対し、日本語と中国語ではともに修飾節が主名詞に先行する修飾節前置型で ある。また例文(2)に示すように、日中両言語の修飾構造において、主名詞と修飾節の間 に英語の“that, witch ,who”などのような関係代名詞が介在せず、主名詞と修飾節の格関係 が明示されない点も共通している。(2) a. 本を買った学生 (Matsumoto 1997:6) b. 买了 书 的 学生
mǎile shū de xuéshēng 買う-完了 本 DE 学生
(3) The student (who) bought a book (同上) また、連体修飾節には、通言語的に制限的用法と非制限的用法が見られる。日本語と中 国語にもこの二つの用法がある。
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(4) a. イギリス留学から帰ってきた大学院生 (三原 1994:211) b. イギリス留学から帰ってきた山田さん (三原 1994:211) (5) a. 去年 没有找到 工作 的 大学生(制限的) (陳 2009:52)
qùnián méiyǒuzhǎodào gōngzuò de dàxuéshēng 去年 見つけない 仕事 DE 大学生 「去年就職できなかった大学卒業生」 b. 曾经 战胜过 自己 的 美国队(非制限的)(陳 2009:52) céngjīng zhànshèngguò zìjǐ de měiguóduì かつて 勝ったことがある 自分 DE アメリカチーム 「自分たちに勝ったことのあるアメリカチーム」 (4a)の連体修飾節「イギリス留学から帰ってきた」は、主名詞「大学院生」の指示対 象を特定する機能を果たしている。一方、(4b)の場合、主名詞「山田さん」の指示対象は すでに特定されているため、連体修飾節「イギリスから帰ってきた」は主名詞に対する背 景的な情報を提示する働きをする。 中国語においても(5)に示すように、この二つのタイプが見られる。しかし日本語でも 中国語でも、連体修飾節の機能を判断するのに統語上の指標がない。コムリー(1992)に よれば、英語では、修飾節が制限的であれば、関係代名詞の介在が任意であり、音調的に 主節と切り離す必要がなく、書記上はコンマなしで書かれるのに対し、非制限的関係節の 場合、“who”や“which”のような関係代名詞あるいはその屈折型“whom”“whose”が要 求され、音調的にも主節と切り離され、書記上はコンマで区切られる。(4,5)に見られる ように、中国語と日本語の場合には、このような相違が見られない。 このほか、日中両言語の連体修飾節には、(6,7)に示しているように英語などに見られ ない修飾構造も存在する。 (6) a. 太郎が魚を焼く匂い (Whitman 2015: 189-190) b. 太郎 烤鱼 的 香味
tàiláng kǎoyú de xiāngwèi 太郎 魚を焼く DE いい匂い
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(7) a. 喝 一杯 茶 的 感觉 非常 好。 (Huang 2013:196) hē yībēi chá de gǎnjué fēicháng hǎo
飲む 一杯 お茶 DE 感じ とても 良い 「(直訳)一杯のお茶を飲んだ感じが非常に良い。」 b. お茶を一杯飲んだ感じがとても良かった。
c. the feeling by drinking a cup of tea is so good.
(6b)(7b)に示すように日本語と中国語で連体修飾構造を使用した構造をほぼそのまま 対応させることができる。しかしこれらの用例に対し、英語では必ず(6b)(7b)のように、 複合名詞句で対応させなければならない。この点も日中両言語における連体修飾節の特徴 である。 これまでに見てきたとおり、日中両言語ともに連体修飾構造に関しては英語とは異なる 特徴を示し、共通点も多く見られる。しかし、相違点もある。下の用例(8)に示している ように、日本語の連体修飾節による修飾構造が問題なく成立しているのに対し、中国語で は同じように連体修飾節を取った構文は容認度が低い。 (8) a. タバコを買ったおつり b. ? 买 香烟 的 找头
mǎi xiāngyān de zhǎotóu 買う タバコ DE おつり (楊 2011:3) 一見非常に良く似ており、共通点を持つ日中両言語の連体修飾節ではあるが、日本語よ り中国語の方が厳しい制限を課せられているようである。本研究は、日中両言語における 連体修飾節において、どのような相違点が見られるか、なぜそのような相違点が見られる かを明らかにすることが目的である。 1.2 研究課題 本研究は日中両言語の連体修飾節を研究対象に、主に次の 4 つの構造について考察を行 う。すなわち、主要部外在型連体修飾節、主要部外在型連体修飾節、空所のない連体修飾 節、そして人魚構文である。
4 1.2.1 課題1:主要部外在型連体修飾節 課題1では、日中両言語における主要部外在型連体修飾節について考察を行う。主要部 外在型連体修飾節は日中両言語で多く使用されるが、以下のような相違点が見られる。 (9) a. 酒瓶を戸棚に入れた中尉 (『黒い雨』、日中対訳コーパス) b. 把 酒瓶 放进 橱柜里 的 中尉
bǎ jiǔpíng fàngjìn chúguìlǐ de zhōngwèi を 酒瓶 入れる 戸棚の中 DE 中尉
(10) a. それで私、庄原の伯母に頼みまして、一升瓶を都合つけて風呂敷に包んで届け に行きますと、酒瓶を戸棚に入れた中尉は風呂敷を床板に投げつけて、『こんな
もの、持って帰れ』と云いました。 (同上)
b. ? (直訳) 于是, 我 托 庄原的伯母 给弄来 一瓶酒, yúshì wǒ tuō zhuāngyuándebómǔ gěinònglái yīpíngjiǔ そして 私 頼む 庄原の伯母 入手する 一本の酒 用 包袱皮 包好 送了去。
yòng bāofúpí bāohǎo sòngleqù で 風呂敷 包む 届けて行った 把 酒瓶 放进 橱柜里 的 中尉, bǎ jiǔpíng fàngjìn chúguìlǐ de zhōngwèi を 酒瓶 入れる 戸棚の中 DE 中尉
把 包袱皮 往地板上 一扔 说: “这东西, 拿走吧。” bǎ bāofúpí wǎngdìbǎnshàng yīrēng shuō zhèdōngxī názǒuba を 風呂敷 床の上に 投げる 言う こんなもの 持って帰れ c. 于是, 我 托 庄原的伯母 给弄来 一瓶酒,
yúshì wǒ tuō zhuāngyuándebómǔ gěinònglái yīpíngjiǔ そして 私 頼む 庄原の伯母 入手する 一本の酒 用 包袱皮 包好 送了去。
yòng bāofúpí bāohǎo sòngleqù で 風呂敷 包む 届けて行った
5 中尉 把 酒 放 在 橱柜里, zhōngwèi bǎ jiǔ fàng zài chúguìlǐ 中尉 を 酒 置く に 戸棚の中
把 包袱皮 往地板上 一扔 说: “这东西, 拿走吧。”(同上) bǎ bāofúpí wǎngdìbǎnshàng yīrēng shuō zhèdōngxī názǒuba
を 風呂敷 床の上に 投げる 言う こんなもの 持って帰れ 「(直訳)そして私は庄原の伯母に頼んで一升瓶を都合つけて風呂敷に包んで届 けに行くと、中尉は酒を戸棚に入れて、風呂敷を床板に投げつけて、『こんなも の、持って帰れ』と言った。」 (9)の連体修飾節は両言語で問題なく対応しているように見えるが、(10)に示してい るように名詞句をそれぞれ文脈の中に置くと、日本語の例文(10a)は依然として自然であ るが、中国語の(10b)は文法的ではあっても、不自然である。中国語では同じ意味を表す 場合、(10c)のように連体修飾構造を取らずに、他の従属節を使用するほうが自然である。 課題1では、なぜ(9, 10)にはこのような相違点が見られるかについて考察する。 1.2.2 課題2:主要部内在型連体修飾節 課題2では、主要部内在型連体修飾節について考察する。日本語では、(11)のような主 要部内在型連体修飾節が存在し、これまで多くの議論がなされているのに対し、中国語で は同じ構造が存在することが報告されていない。 (11) a. [駅で[酔っ払い]が騒いでいたの]が警官に捕まった。 b. [太郎が[林檎]が皿の上にあるの]を取った。 (黒田 1999:27) しかし中国語においても日本語のような主要部内在型連体修飾節と思われる構文が見ら れた。(12)はそれを示している。 (12) a. [[ 申请人] 对决定 不服 的], shēnqǐngrén duìjuédìng búfú de 申請者 決定に 服さない DE
6
可以 在 接到 决定 时 申请 复议 一次。 kěyǐ zài jiēdào juédìng shí shēnqǐng fùyì yīcì できる に 受ける 決定 時 申請する 再議 一回
「(直訳)申請者が決定に不服なのが、判決が下りた時に再議を申し出ることが できる。」
(『中華人民共和国民事訴訟法』第四章第四十七項) b. [[现役军官] 按照规定 服役 已 满最高年龄 的],
xiànyìjūnguān ànzhàoguīdìng fúyì yǐ mǎnzuìgāoniánlíng de 現役軍人 規定に沿う 兵役に服する すでに 年限に達する DE 退出现役。 tuìchūxiànyì 退役する 「(直訳)規定によって軍人が年限に達したのが、退役する。」 (『中華人民共和国兵役法』第四章第二十九項) 例文(12)は主要部内在型連体修飾節による修飾構造の特徴を示している。このように、 中国語に見られる主要部内在型連体修飾節と日本語主要部内在型連体修飾節とどのような 相違点が見られるのかについて、課題2として考察する。 1.2.3 課題3:空所のない連体修飾節 課題3では、空所のない連体修飾節による修飾構造について考察する。1.1 節で述べたよ うに、日本語と中国語には英語などのヨーロッパ言語には見られない、(6a, 7a)のような 空所のない連体修飾節が存在する。寺村(1992)はこのような構造を「外の関係」と呼ん で、詳しく分析を行っている。 (13) a. 太郎が魚を焼く匂い (=6a) b. 喝 一杯 茶 的 感觉 非常 好。 (=7a) hē yībēi chá de gǎnjué fēicháng hǎo
飲む 一杯 お茶 DE 感じ とても 良い
7 寺村(1992)は、もう一つ別の空所のない関係節が存在することを指摘し、これを「内 の関係の短絡」と呼んだ。このタイプの連体修飾節構造は、日本語では成立するが、中国 語では言えない、あるいは容認度が低い。 (14) a. 頭のよくなる本 (寺村 1992:214) b. * 脑袋 变 聪明 的 书 nǎodài biàn cōngmíng de shū 頭 なる 賢い DE 本 課題3では、(13,14)に示した二種類の空所のない連体修飾節による修飾構造を中心に 考察し、日中両言語の比較を行う。 1.2.4 課題4:人魚構文 課題4では、連体修飾構造と関係が深い人魚構文について考察する。 日本語のコピュラ文には、主名詞である述語が内容節を取るとき、「人魚構文」という一 種奇妙な構文が見られることがある。(15)では、文の前半「政府は米の輸入を認める」、 「雪は夕方まで続く」、「政府は野党と話し合う」という部分が動詞述語文であり、そのま までも文として成立するが、その後ろに「見込みだ」、「予想です」、「段取りだ」という「名 詞+コピュラ」が接続し、文全体が名詞述語文となっている。この構文は世界的に見ても 珍しく、日本語以外にはアジアの七つの言語とアフリカの一つの言語にしか見つかってい ない(角田 2012:3)という。 (15) a. 政府は米の輸入を認める見込みだ。 b. 雪は夕方まで続く予想です。 c. 政府は野党と話し合う段取りだ。 (角田 2011:57) 中国語においても人魚構文と思われる構造が見られる。(16)はその用例である。 (16) 小姑娘 眼见 自己和陈翔的争吵 已经 惹出 事 来, xiǎogūniáng yǎnjiàn zìjǐhéchénxiángdezhēngchǎo yǐjīng rěchū shì lái 小娘 見る 自分と陳翔との口争い すでに 招く 出来事 来る
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是 一副 吓得要哭 的 样子。 shì yífù xiàdéyàoku de yàngzǐ コピュラ 一つ 怖くて泣こうとする DE 様子 「(直訳)小娘は自分が陳翔との口争いですでに面倒なことになったのを見て、怖く て泣きそうな様子だ。」 (CCL コーパス) 課題4として、日本語に見られる人魚構文を手がかりにし、中国語の人魚構文の特徴を 明らかにした上で、日本語との対照研究を行う。 1.3 研究方法 本研究は、以下のソースから、日中両言語における連体修飾節の用例を集め、対象研究 を行う。 i) 現代日本語書き言葉均衡コーパス(国立国語研究所) 日中対訳コーパス(北京日本学研究センター) CCL コーパス(北京大学) BCC コーパス(北京語言大学) ii) 上記以外の日本語と中国語で書かれた文章 iii) 先行研究の用例 iv) 作例 1.4 論文の構成 本論文の構成は以下のとおりである。 第 1 章は序論で、研究の背景と目的、研究課題、研究方法について述べた。 第 2 章は、課題 1 の主要部外在型連体修飾節について考察する。 第 3 章は、課題 2 の主要部内在型連体修飾節について考察する。 第 4 章は、課題 3 の空所のない連体修飾節について考察する。 第 5 章は、課題 4 の人魚構文について考察する。 第 6 章は結論で、本論文のまとめ、本研究の意義及び今後の課題について述べる。
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第2章 主要部外在型連体修飾節
2.1 はじめに この章では、主要部が修飾節の外側に位置する連体修飾構造について考察する。このよ うな外在型修飾構造は制限の多い内在型とは異なり、両言語では無標の構造である。 日本語でも中国語でも、連体修飾構造で主要部が外側に位置すると、いずれも「修飾節 +主名詞」という語順となり、修飾節の中には主名詞に対応する空所が生じる。 (1) a. [少女がi 赤い服を着た] 少女i b. [女孩i 穿 红 衣服 的] 女孩ichuān hóng yīfù de nǚhái 着る 赤い 服 DE 少女 「赤い服を着た少女」 (作例) (2) a. [魯迅が 本をi 書いた] 本i b. [鲁迅 写 书i] 的 书i lǔxùn xiě de shū 魯迅 書く DE 本 「魯迅が書いた本」 (作例) では、主名詞が文全体で果たす機能をも含めて、日本語と中国語の連体修飾節を比較し よう。以下、連体修飾節は一重下線、主要部名詞は二重下線で示す。 (3a)では、主名詞は主節の主語で、修飾節の主語に対応する。(3b)でも主名詞は主節 の主語であるが、修飾節の目的語に相当する。(3c)の主名詞は主節の目的語で、修飾節の 中の空所は目的語である。(3d)では、日本語の主要部名詞は間接目的語、中国語では前置 詞の目的語になっているが、どちらも修飾節の中の空所は目的語であり、やはり対応して いると考えられる。(3e)の例では、主要部は主節の述語名詞となっている。いずれも直訳 しても問題なく、日本語と中国語で大きな差は無いように見える。特に、次章で考察する 中国語の主要部外在型連体修飾節のように、主語でなければならないというような制限は 見られない。
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(3) a. 站 在 中间 带着 眼镜 的 老者 是 我爷爷。 zhàn zài zhōngjiān dàizhe yǎnjìng de lǎozhě shì wǒ yéyé 立つ に 真ん中 かけている めがね DE 老人 コピュラ 私の祖父
「真ん中に立ってめがねをかけた老人が私の爺さんだ。」 (作例) b. 从 早市 买回来 的 苹果 又 红 又 大。
cóng zǎoshì mǎihuílái de píngguǒ yòu hóng yòu dà. から 朝市 買ってくる DE りんご かつ 赤い かつ 大きい
「朝市で買ってきたりんごが赤くて大きい。」。 (同上) c. 我 喝光了 妈妈 出门前 给我 煮 的 中药。
wǒ hē guāngle māmā chūménqián gěiwǒ zhǔ de zhōngyào. 私 飲み干した 母 出かける前に 私に 煎じる DE 漢方薬 「私は母が出かける前に煎じてくれた漢方薬を飲み干した。」 (同上) d. 梶 只是 对 年轻女子 耳垂上 悬挂 的
wěi zhǐshì duì niánqīngnǚzǐ ěrchuíshàng xuánguà de 梶 ただ 対する 若い女性 耳たぶの上 かけている DE
这件小东西 感到 新奇, 其他的 则 概无兴致。 zhèjiànxiǎodōngxī gǎndào xīnqí qítāde zé gàiwúxìngzhì この小さな物体 感じる 目新しさ その他の すると 関心を持たない 「梶は若い女が耳たぶにつける小さな物体に、奇異な感じこそ抱け、他になん の関心も持っていない。」 (井上靖『あした来る人』、日中対訳コーパス) e. 学生会主席 是 xuéshēnghuìzhǔxí shì 生徒会会長 コピュラ 不怎么 学习 但 期末考试 总 考满分 的 小王。 bùzěnme xuéxí dàn qīmòkǎoshì zǒng kǎomǎnfēn de xiǎowáng. あまり 勉強する しかし 期末テスト 常に 満点を取る DE 王さん
「生徒会会長はあまり勉強しないが、期末テストではいつも満点を取る王さん
11 さらに、日中両言語で(4a)のように、連体修飾節の中の空所が時を表す副詞節の中に 埋め込まれていても、文法的である。英語ならば(4b)のように非文となってしまうとこ ろである。このように、日中両言語における主要部外在型連体修飾節は、非常によく似て おり、制約もほとんどないように見える。 (4) a. 这些 病例 多数 是 zhèxiē bìnglì duōshù shì これら 病症 多数 コピュラ 因牙痛 而 服用 止痛药 后 疼痛 又 起 的 病人。 yīnyátòng ér fúyòng zhǐtòngyào hòu téngtòng yòu qǐ de bìngrén 歯痛で そして 服用する 鎮痛剤 後 痛感 また 起こる DE 患者 「(直訳)これらのケースの多くは歯痛で鎮痛剤を飲んだ後にも痛みが起こった
患者だった。」 (BCC コーパス)
b. * Whati did he go home [before Mary finished ti] (Sportiche, Koopman & Stabler: 273)
上で見たように、両言語で主要部外在型の修飾構造が対応しているように見えるが、実 際には、中国語は日本語ほど連体修飾節の使用が多くないようである。堀江・パルデシ(2009) によると、日本語の小説『キッチン』の連体修飾節 166 例のうち、連体修飾節の形のまま で中国語に翻訳されたのは半数の 83 例のみである。また(5)の連体修飾節は両言語で問 題なく対応しているように見えるが、(6)に示しているようにこの二つの名詞句をそれぞ れ文脈の中に置くと、日本語の例文(6a)は依然として自然であるが、中国語の例文(6b) は文法的ではあっても、不自然である。中国語では同じ意味を表す場合、(6c)のように連 体修飾構造を取らずに、他の従属節を使用するほうが自然である。 (5) a. 酒瓶を戸棚に入れた中尉 (井伏鱒二『黒い雨』、日中対訳コーパス) b. 把 酒瓶 放进 橱柜里 的 中尉
bǎ jiǔpíng fàngjìn chúguìlǐ de zhōngwèi を 酒瓶 入れる 戸棚の中 DE 中尉
(6) a. それで私、庄原の伯母に頼みまして、一升瓶を都合つけて風呂敷に包んで届け に行きますと、酒瓶を戸棚に入れた中尉は風呂敷を床板に投げつけて、『こんな
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b. ? (直訳) 于是, 我 托 庄原的伯母 给弄来 一瓶酒, yúshì wǒ tuō zhuāngyuándebómǔ gěinònglái yīpíngjiǔ そして 私 頼む 庄原の伯母 入手する 一本の酒 用 包袱皮 包好 送了去。
yòng bāofúpí bāohǎo sòngleqù で 風呂敷 包む 届けて行った 把 酒瓶 放进 橱柜里 的 中尉, bǎ jiǔpíng fàngjìn chúguìlǐ de zhōngwèi を 酒瓶 入れる 戸棚の中 DE 中尉
把 包袱皮 往地板上 一扔 说: “这东西, 拿走吧。” bǎ bāofúpí wǎngdìbǎnshàng yīrēng shuō zhèdōngxī názǒuba を 風呂敷 床の上に 投げる 言う こんなもの 持って帰れ c. 于是, 我 托 庄原的伯母 给弄来 一瓶酒,
yúshì wǒ tuō zhuāngyuándebómǔ gěinònglái yīpíngjiǔ そして 私 頼む 庄原の伯母 入手する 一本の酒
用 包袱皮 包好 送了去。 中尉 把 酒 放 在 橱柜里, yòng bāofúpí bāohǎo sòngleqù zhōngwèi bǎ jiǔ fàng zài chúguìlǐ で 風呂敷 包む 届けて行った 中尉 を 酒 置く に 戸棚の中 把 包袱皮 往地板上 一扔 说: “这东西, 拿走吧。”(同上) bǎ bāofúpí wǎngdìbǎnshàng yīrēng shuō zhèdōngxī názǒuba
を 風呂敷 床の上に 投げる 言う こんなもの 持って帰れ 「(直訳)そして私は庄原の伯母に頼んで一升瓶を都合つけて風呂敷に包んで届 けに行くと、中尉は酒を戸棚に入れて、風呂敷を床板に投げつけて、『こんなも の、持って帰れ』と言った。」 堀江・パルデシ(2009)の調査と(5, 6)から分かるように、中国語における連体修飾節 には、日本語に比べると制約が多いようである。本章では、(1-6)に見る連体修飾構造に 着目し、(5,6)に見られる両言語の相違点はどのようなものか、なぜそのような相違点が 生じたのかを考察する。
13 2.2 先行研究および問題点 本節では日中両言語における連体修飾節の使用に見られる制約に関する先行研究及びそ の問題点をまとめる。 まず、連体修飾節の二つの用法について説明する。連体修飾構造は主名詞と修飾節の意 味関係から、通言語的に制限的用法と非制限的用法に分けられる。例えば(7a)のように
The man left this morning. という文だけでは、聞き手が問題の男を特定できず、下線部の修
飾節で表す情報を付け加えることで具体的にどの男のことを話しているのかを明確にする ことができる場合を限定的用法と呼ぶ。一方、(7b)の下線部の修飾節 who had arrived
yesterday がなくても、聞き手にとって話の対象となる男を同定することが可能であれば、
指示対象を限定しない非限定的用法と呼ぶ。
(7) a. The man that I saw yesterday left this morning. (制限的)
b. The man, who had arrived yesterday, left this morning. (非制限的)
(コムリー 1992:148) 日中両言語の連体修飾節においても制限的用法と非制限的用法が見られる。しかし、英 語では、関係代名詞や接続詞の使用、音調的に主節と切り離されるか否か、書記上コンマ があるかどうかなどで、両タイプを区別することができる(コムリー 1992)が、日本語と 中国語には、そのような統語上あるいは音調・書記上の区別がなく、修飾節と主名詞の意 味関係から判断するしかない。日本語の場合、次の(8a)は限定的用法の例文で、(8b)は 非限定的用法の例文である。益岡(1997)によると(8a)の「株」は、「証券マンの勧める」 特定の株を問題にしており、「株」という名詞の指示対象が限定されている。これに対し、 (8b)では「最初に丁寧に答えた」という連体修飾節は「麻知子」を限定しておらず、連 体修飾節の表現の有無に関わらず、「麻知子」という名詞の指示対象は変わらない。 (8) a. しかし、証券マンの勧める株を買っても必ずしもうまくゆくものではない。 b. 最初は丁寧に答えていた麻知子も、次第に疲れてきた。 (益岡 1997:167) 中国語では(9a)が制限的用法の、(9b)が非制限的用法の用例である。
14 (9) a. 经常 锻炼 身体 的 人 不爱感冒。 jīngcháng duànliàn shēntǐ de rén búàigǎnmào 常に 鍛える 体 DE 人 風を引きにくい 「よく運動する人はあまり風邪を引かない。」 (陳 2009:51) b. 中国女篮 在决赛中的对手 将是
zhōngguónǚlán zàijuésàizhōngdeduìshǒu jiāngshì 中国女子バスケットボールチーム に決勝戦の対戦相手 コピュラ 曾经 战胜过 自己 的 美国队。 céngjīng zhànshèngguò zìjǐ de měiguóduì かつて 勝ち取った 自分 DE アメリカチーム 「中国女子バスケットボールチームの決勝での対戦相手は、自分達に勝ったこ とのあるアメリカチームである。」 (陳 2009:52) 中国語で制限用法と非制限用法を区別するには、主名詞と修飾節の意味関係以外にも判 断基準がある。Huang, Li and Li(2009)は、連体修飾節と指示詞・数量詞などと共起する 場合、修飾節の用法は語順によって決まるという。Huang, Li and Li(2009:214)によれば、 中国語の連体修飾節は、(10)に示す I、II、III という三つの位置に生起できるが、II は修 飾節の位置としてはあまり自然ではなく1、I と III が一般的である。また I の位置に現れる
連体修飾節は制限的で、III の位置に現れる連体修飾節は非制限的であるとしている。 (10) Demonstrative + Number + Classifier + Noun
I II III
(11)の修飾節はそれぞれ I と III の位置に出現しており、(11a)は制限的用法、(11b)は 非制限的用法である。
(11) a. 他 喜欢 的 那 (一)个 孩子 tā xǐhuān de nà (yī)gè háizǐ 彼 好く DE その 一つ 子ども
「(直訳)彼が好きなその一人の子ども」
1 容認度が高い場合もあるが、(11b)の語順を変えた「*那他喜欢的一个孩子」のように非文と
15 b. 那 (一)个 他 喜欢 的 孩子
nà (yī)gè tā xǐhuān de háizǐ その 一つ 彼 好く DE 子ども 「その彼の好きな子ども」 (Huang, Li and Li 2009:214 を改変) 対照研究の立場で日中両言語に見られる連体修飾節の使用を考察した先行研究には、堀 江・パルデシ(2009)の他に、孫(2009)、楊(2011)などがある。孫(2009)は日中両言 語の非制限的連体修飾節に着目し、その使用に当たっては、(12, 13)のように、日本語で は新情報を表すのに対し、中国語では非制限的連体修飾節で表される内容は旧情報であり、 新情報の場合は不自然な構文になるという。 (12) a. 昨日私は友達から誕生日のプレゼントをたくさんもらった。アルバムをくれた 人もいるし、チョコレートをくれた人もいる。今日はチョコレートをくれた友 達が家へ遊びに来た。 (孫 2009:73) b. 昨天 我 收到了 很多 生日礼物, zuótiān wǒ shōudàole hěnduō shēngrìlǐwù
昨日 私 もらう-完了 沢山 誕生日プレゼント
有的朋友 送 我 相册, 有的朋友 送 我 巧克力。 yǒudepéngyǒu sòng wǒ xiàngcè yǒudepéngyǒu sòng wǒ qiǎokèlì ある友達 贈る 私 アルバム ある友達 贈る 私 チョコレート 今天 送 我 巧克力 的 那个朋友
Jīntiān sòng wǒ qiǎokèlì de nàgèpéngyǒu 昨日 贈る 私 チョコレート DE その友達
来 我们家 做客了。 (孫 2009:73-74) lái wǒmenjiā zuòkèle
来る うち 訪ねる-完了
「(直訳)昨日私は沢山の誕生日プレゼントをもらった。ある友達がアルバムを くれ、ある友達がチョコレートをくれた。今日はチョコレートをくれたその友 達がうちに来た。」
16
(13) a. 子どもがいたずらした。怒った親は子どもをしかった。 (増田 2001:57) b. ? 孩子 做了 恶作剧。 生气 的 父亲 斥责了 孩子。
háizǐ zuòle èzuòjù shēngqì de fùqīn chìzéle háizǐ 子ども する-完了 いたずら 怒る DE 父 叱る-完了 子ども 「(直訳)子どもがいたずらをした。怒った父は子供をしかった。」 (孫 2009: 74) 孫(2009)によると、(12)の場合、連体修飾節が表す内容が文脈上の既知情報であるた め、両言語ともに自然な構文となるが、(13)のように下線部の修飾節の内容が新情報であ れば、日本語では容認されるが、中国語では不自然になるという。連体修飾節の使用に情 報構造からの制約があるという孫(2009)の主張は正しいように思われるが、その分析は 妥当性を欠いている。 まず、孫は(12)の連体修飾節を非制限的であるとするが、これは明らかに誤りで制限 的である。また孫(2009)は(13a, 14)のように、名詞句が主語に位置する場合しか扱っ ていない。しかし、情報構造を考えるのであれば文頭以外の位置も考慮すべきである。 (14) 殆ど映画を見ていなかった彼はだまっているしかありません。 (増田 2001:51、孫 2009:77) さらに、中国語でも新情報を表す内容の非制限的連体修飾節の用例は多く見られる。以 下の(15,16)のような用例はいずれも孫(2009)の主張に対する反例である。 (15) 二位的回答使静宜扫兴。偏偏一直跟着母亲并睁大了眼睛盯着姨姨和姥姥的倪萍说了一 句话。她说的是:“只要我妈和我爸爸一‘和’,我姥姥和我姨就不乐意。”这句话一下子 把三个大人都惊呆了。沉默三分钟以后,三个人一起骂起倪萍来。骂的话相当狠重,骂 得倪萍面如土色,翻起了白眼。 连 并没有听全 也没有在意去想 那些“骂誓”的内容 的 倪藻 lián bìngméiyǒutīngquán yěméiyǒuzàiyìqùxiǎng nàxiēmàshìdenèiróng de nízǎo さえ 最後まで聞かず 気にもせず その罵言の内容 DE 倪藻 也 内心怦然 起来。
yě nèixīnpēngrán qǐlái も 胸が騒ぐ し始める
17 「ガックリする静宜をよそに、その背後からじっと祖母と伯母の顔を見つめていた倪 萍が不意に口走った。「ママとパパが仲直りすると、婆ちゃまと伯母ちゃまは、気に いらんがやね」大人三人は唖然として言葉を失った。三分間の沈黙ののち三人は一斉 に倪萍を叱りつけた。相当にきつい言葉で叱られて、倪萍は真青になり目を白黒させ ている。その罵言の意味には無頓着な倪藻でさえ、ドキンと胸に応えたほどだ。」 (《活动变人形》、日中対訳コーパス) (16) 当陆文婷再次脱下身上的长袍,伸出手臂去套另一件新袍的一刹那,她忽然感到眼前冒 起一排金星。她把眼闭了一下,把头晃了几晃,然后慢慢地把手伸进袖子里。护士过来 给她束好腰带后,忽然端详着她问道:“陆大夫!你怎么嘴唇发白?” 正在 一边 换 手术袍 的 姜亚芬 回头一看, zhèngzài yībiān huàn shǒushùpáo de jiāngyàfēn huítóuyīkàn ちょうど 傍ら 着替える 手術衣 DE 姜亜芬 振り返って見る 不禁 也 吃惊地 问(略)。 bújìn yě chījīngde wèn 禁じず も 驚いたように 聞く 「陸文婷はもう一度着ている手術衣を脱いで、新しい手術衣に手を伸ばそうとした瞬 間、突然、眼前にパチッと星が走った。眼を閉じ、頭を振ってから、ゆっくり手を袖 に通した。看護婦が後ろに寄り添って帯を結んでくれながら、つと彼女の顔を覗き込 むようにしながら言った。「陸先生、お顔の色がよくありませんが?」ちょうど手術 衣を着替えていた姜亜芬も、後ろを振り返って鷲いたように言った(略)。」 (《人到中年》、日中対訳コーパス) (15,16)の主名詞は特定の人物を表し、修飾節は背景情報を提示する非制限的連体修飾 節であるたが、修飾節が表す内容は前の文脈で提示されておらず、いずれも新情報である。 しかし、これらの用例は孫(2009)の予測とは異なり、いずれもごく自然である。 (15,16)のような新情報を表す非制限的連体修飾節を取る構文は中国語においても多く 見られる。ただし、(13b)のような中国語構文は確かに不自然である。(13b)と(15,16) にはなぜこのように容認度の差異が生じたのかについては、孫(2009)の考察だけでは十 分に説明できない。
18 日中両言語の連体修飾節に関わる制約の研究には楊(2011)も挙げられる。楊(2011) は日本語には「視点」による制約があるため(17b)は(17a)に比べて日本語らしさがや や劣るという。 (17) a. 突然そう訊かれた私は、さても柏木らしからぬ質問だと思った。 b. 柏木が私に突然そう訊いたが、私はさても柏木らしからぬ質問だと思った。 (楊 2011:17) 楊(2011:17)は、日本語の構文では一つの文に話者を含めた複数の主語が存在する場合、 主語を一つに統一し、自分よりの視点を置くことが要求されるという制約があり、たとえ 発話当事者が介在しない場合でも、視点の一致を図ろうとする傾向があるという。(17a) の場合、確かに連体修飾節を用いることで視点の一致を実現させているから、視点が統一 されない(17b)より日本語らしいことになる。それに対し中国語には視点の統一という制 約が課されておらず、(18)のように連体修飾節を使用しない構文でも容認される。 (18) 柏木 突然 问 我, 我 觉得 根本 不象 从前的 柏木的 脾气。 bǎimù tūrán wèn wǒ wǒ juédé gēnběn búxiàng cóngqiánde bǎimùde píqì 柏木 突然 聞く 私 私 思う 全然 似ていない 以前の 柏木の 気質 「(直訳)柏木は突然私に聞いた。私は完全に以前の柏木らしくないと思っている。」 (楊 2011:17) 中国語の例(18)は、日本語の例(17b)と構造は同じで、連体修飾節を使用していない。 一方、日本語の例(17a)と同じく連体修飾節を使用する(19)は逆に不自然となる。 (19) ?突然 被 那样 质问 的 我, 觉得 根本 不象
tūrán bèi nàyàng zhìwèn de wǒ juédé gēnběn búxiàng 突然 受身 そのように 質問する DE 私 思う 全然 似ていない 从前的 柏木的 脾气。
cóngqiánde bǎimùde píqì 以前の 柏木の 気質
19 同様に、(20)(21)に示すように主節と従属節とは主語が同一人物であれば、日本語で は連体修飾節が使用できるのに対し、中国語では連体修飾節を使った(21)は(19)と同 じく不自然である。 (20) a. いったん曾根二郎と別れて、百貨店で時間をつぶした八千代は、五時きっかり に立花病院の真向いにある小さい喫茶店の中へはいって行った。 b. 八千代 告别 曾根 后, 逛了 一圈 商店。 bāqiāndài gàobié zēnggēn hòu guàngle yīquān shāngdiàn 八千代 別れを告げる 曾根 後 回る-完了 一回り 百貨店 整五点, 她 走进 立花医院 正对面的 zhěngwǔdiǎn tā zǒujìn lìhuāyīyuàn zhèngduìmiànde 五時きっかり 彼女 入っていく 立花病院 真向かいの 饮食店中。 yǐnshídiànzhōng 飲食店の中 「(直訳)八千代は曾根二郎と別れた後、百貨店で時間をつぶした。五時きっか りに彼女は立花病院の真向いにある小さい飲食店の中に入った。」 (井上靖『あした来る人』、日中対訳コーパス) (21) ? 暂时 告别了 曾根二郎, 逛了一圈百货商店 的 八千代,
zànshí gàobiéle zēnggēnèrláng guàngleyīquānbǎihuòshāngdiàn de bāqiāndài いったん 別れを告げる 曾根二郎 百貨店を一回り回る DE 八千代
整 五点时 走进了 立花医院 正对面的
zhěng wǔdiǎnshí zǒujìn lìhuāyīyuàn zhèngduìmiànde ちょうど 五時の時 入っていく-完了 立花病院 真向かいの 一间 小咖啡厅。(cf.20b) yījiān xiǎokāfēitīng 一軒 小さい喫茶店 「(直訳)いったん曾根二郎と別れて、百貨店で時間をつぶした八千代は、五時きっ かりに立花病院の真向いにある小さい喫茶店の中に入った。」
20 このように、中国語では視点を統一することが要求されず、また連体修飾節を使用する 構文は不自然になる場合があるため、連体修飾節は日本語ほど多くない。しかし楊(2011) は中国語には視点の制約がないというだけで、なぜ中国語(21)に不自然さが生じたのか には触れていない。 不自然さがあるということは、中国語の連体修飾節にのみ適用される規則も存在してい るはずである。これまでに見てきた中国語の用例では、連体修飾節自体は文法的であるが、 (6, 19, 21)のように文脈に置かれると不自然になることがある。このことは、連体修飾節 の使用に談話構造に関わるルールが存在することを示している。孫(2009)と楊(2011) は中国語に適用される制約を示しているが、いずれも不十分である。 次節では、日中両言語における連体修飾節の使用実態を見たあと、両言語に見られる制 約を情報構造と連体修飾節の機能の側面から詳しく考察する。 2.3 連体修飾節の使用実態 2.1 節と 2.2 節では、連体修飾節の使用に中国語にのみ課される制約があること、またこ の制約は連体修飾節が置かれる文脈に起因していることを見た。その制約がどのようなも のなのかを確かめるために、日中両言語における連体修飾節の使用実態を把握しておこう。 まず、コーパスの例文では、日本語の連体修飾節が必ずしも中国語でも修飾節とは限ら ない。 (22) a. この光景を眺めていた丑松は、可憐な小作人の境涯を思いやって――仮令音作 が正直な百姓気質から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、(略)。 b. 丑松 看着 这种 情景, 很 同情 佃户的 chǒusōng kànzhe zhèzhǒng qíngjǐng hěn tóngqíng diànhùde 丑松 眺める このような 光景 とても 同情する 小作人の
悲惨处境。 他 想, 尽管 音作 禀性 正直, 不忘 旧恩。 bēicǎnchùjìng tā xiǎng jìnguǎn yīnzuò bǐngxìng zhèngzhí, búwàng jiùēn 悲惨な境地 彼 思う たとえ 音作 性格 素直 忘れない 昔の恩義 「(直訳)丑松はこの光景を見ていて、小作人のことを可哀想に思っている。 彼は思った。たとえ音作が素直な性格で昔の恩義を忘れないとはいえ、(略)。」
21
(23) a. 一昨年の夏帰省した時に比べると、こうして千曲川の岸に添うて、可懐しい故 郷の方へ帰って行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のような心 地がする。
b. 前年 夏天, 丑松 回家 探亲 时, qiánnián xiàtiān chǒusōng huí jiā tànqīn shí 一昨年 夏 丑松 家に帰る 親に会いに行く 時
也 是 这样 沿着 千曲川河岸 走回 日夜 yě shì zhèyàng yánzhe qiānqǔchuānhéàn zǒuhuí rìyè もまた コピュラ このように 沿う 千曲川の岸 歩いて帰る 日夜 怀恋的 故乡 去 的。
huáiliànde gùxiāng qù de 懐かしい 故郷 行く のだ
可是 现在的 心情 同 那时候 比较 起来, kěshì xiànzàide xīnqíng tóng nàshíhòu bǐjiào qǐlái しかし 現在の 気持ち と あの時 比較する し始める
连 丑松 自己 也 觉得 完全 是 不同的 两个人 了。 lián chǒusōng zìjǐ yě juédé wánquán shì bútóngde liǎnggèrén le さえ 丑松 自分 も 思う 完全に コピュラ 違う 二人 完了 「(直訳)一昨年の夏に帰省した時も、丑松はこのように千曲川の岸に添って、 懐しい故郷へと帰ったのだった。その時の気持ちに比べると、丑松は自分で自 分ながら、殆んど別の人のような心地がする。」 (同上) (24) a. そのとき、私は自分が石に化してしまったのを感じた。意志も欲望もすべてが 石化した。(略)。叔父の家を脱け出して、白い運動靴を穿き、暁闇の道をこの 欅のかげまで駈けて来た私は、ただ自分の内面を、ひた走りに走って来たにす ぎなかった。 b. 刹那间 我 觉得 自己 仿佛 变成了 一块 石头。 chànàjiān wǒ juédé zìjǐ fǎngfú biànchéngle yīkuài shítóu 瞬く間 私 思う 自分 まるで 変える-完了 一つの 石
22
胆量 和 欲望 也 都 一下子 凝滞了。 dǎnliàng hé yùwàng yě dōu yīxiàzǐ níngzhìle 勇気 と 欲望 も 全て 一気に 滞る-完了
我 从 叔父家 出来, 穿着 雪白的 运动鞋, wǒ cóng shūfùjiā chūlái chuānzhe xuěbáide yùndòngxié 私 から 叔父の家 出てくる 履く 真っ白な 運動靴
摸黑 跑 到 这棵 大树下-- 这 不过 是 mōhēi pǎo dào zhèkē dàshùxià zhè búguò shì 暗闇を抜ける 走る まで この 木の下 これ に過ぎない コピュラ 我 自己 一厢情愿。 wǒ zìjǐ yīxiāngqíngyuàn 私 自分 一方的な考え 「(直訳)私は叔父の家から出て、白い運動靴を履き、暁闇の道を抜け、この木 の下まで駈けて来た。これはただ私自身の内面を、ひた走りに走って来たにす ぎなかった。」 (三島由紀夫『金閣寺』、日中対訳コーパス) (25) a. 風のさわがしい日であった。学校からかえって、何気なしに机の抽斗をあけた 私は、白い紙に包まれたものを見た。包んであったのは、例の写真である。 b. 这 是 一个 刮风天。 放学回来 随便 翻
zhè shì yīgè guāfēngtiān fàngxuéhuílái suíbiàn fān これ コピュラ 一つ 風の吹く日 学校帰りに 何気なく かき回す 抽屉 时,我 发现了 一个 白纸包, 包里 竟 chōutì shí wǒ fāxiànle yīgè báizhǐbāo bāolǐ jìng 引き出し 時 私 見つけた 一つの 白い紙包み 包みの中 まさに 是 我 买下的 那张 照片。 shì wǒ mǎixiàde nàzhāng zhàopiàn コピュラ 私 買い取った あの 写真 「(直訳)これは風のさわがしい一日であった。学校から帰って何気なく引き出 しをかき回したとき、私は白い紙に包まれたものを見た。包んであったのは、 私の買い取った例の写真である。」 (同上)
23
(26) a. ボクと組ませたことで叱責されこそすれ、感謝の言葉を言われるなんて思って もみなかった先生は、思わず面食らってしまったらしい。
b. 本来 高木老师 还 担心 听凭学生 与残疾学生结对 běnlái gāomùlǎoshī hái dānxīn tīngpíngxuéshēng yǔcánjíxuéshēngjiéduì もともと 高木先生 また 心配する 学生に任せる 不自由な学生と組む
做操 会 受到 家长们的 指责,
zuòcāo huì shòudào jiāzhǎngmende zhǐzé 体操をする かもしれない 受ける 保護者たちの 非難
没想到 家长们 竟 说了 一大堆 感激 的 话。 méixiǎngdào jiāzhǎngmen jìng shuōle yīdàduī gǎnjī de huà 思いがけず 保護者たち まさに 言った 一杯 感謝 DE 言葉 高木老师 显得 不好意思。
gāomùlǎoshī xiǎndé bùhǎoyìsī 高木先生 見える 恥かしがる 「(直訳)もともと高木先生は、学生たちに任せて体が不自由な学生と組んで体 操をしたことで保護者たちから非難されるかもしれないと心配していたが、思 いがけずかえって保護者たちから感謝の言葉をたくさん言われた。高木先生は きまりが悪そうだ。」 (乙武洋匡『五体不満足』、日中対訳コーパス) (27) a. 待合室の入口近くに立ったまま、暫くその混雑ぶりを見回していた曾根は、人 混みを縫うようにして克平を目指して歩き出した。 b. 曾根 站 在 候机厅 靠近门口的 地方,
zēnggēn zhàn zài hòujītīng kàojìnménkǒude dìfāng 曾根 立つ に 待合室 入り口近くの ところ 四下 观望了 一会 这 混乱 光景, sìxià guānwàngle yīhuì zhè húnluàn guāngjǐng 四方 見回す-完了 しばらく この 混乱の 光景 然后 顺着 人群空隙 朝 克平 走去。 ránhòu shùnzhe rénqúnkōngxì cháo kèpíng zǒuqù それから 沿う 人混みの隙 へ 克平 歩き出す
24 「(直訳)曾根は待合室の入口近くに立って暫くその混雑ぶりを見回して、人混み の隙に沿って克平に向かって歩き出した。」 (井上靖『あした来る人』、日中対訳コーパス) 例文(22-27)において、日本語原文はいずれも連体修飾節が使われているのに対し、中 国語訳は連体修飾節を取っていない。これを連体修飾節のままに中国語に訳すと(28)に なる。(28a)は可能であるが、他の用例はいずれも容認度が低い。 (28) a. 看着 这种 情景 的 丑松, 很 同情 佃户的 kànzhe zhèzhǒng qíngjǐng de chǒusōng hěn tóngqíng diànhùde 眺める このような 光景 DE 丑松 とても 同情する 小作人の 悲惨处境。(略) bēicǎnchùjìng 悲惨な境地 「(直訳)この光景を眺めている丑松は、小作人のことを可哀想に思っている(略)。」 b. ?? 和 去年 回家探亲 时相 比, 也 是 这样 沿着
hé qùnián huíjiātànqīn shí xiàngbǐ yě shì zhèyàng yánzhe と 去年 帰省する 時 比べる も コピュラ このように 沿う 千曲川河岸 走回 日夜 怀恋的 故乡 去 的 丑松, qiānqǔchuānhéàn zǒuhuí rìyè huáiliànde gùxiāng qù de chǒusōng 千曲川の岸 歩いて帰る 日夜 懐かしい 故郷 行く DE 丑松 连 自己 也 觉得 完全 是 不同的 两个人 了。 lián zìjǐ yě juédé wánquán shì bútóngde liǎnggèrén le さえ 自分 も 思う 完全に コピュラ 違う 二人 完了 「(直訳)去年に帰省した時に比べると、このように千曲川の岸に添って、懐し い故郷へと帰った丑松は、自分でさえまるで完全に別人になったかのように思っ ている。」
c. ?? 从 叔父家 出来 穿着 雪白的 运动鞋 摸黑 cóng shūfùjiā chūlái chuānzhe xuěbáide yùndòngxié mōhēi
25
跑 到 这棵大树下 的 我,体会到 这 不过 pǎo dào zhèkēdàshùxià de wǒ tǐhuìdào zhè búguò 走る まで この木の下 DE 私 認識する-完了 これ ただ 是 我自己 一厢情愿。 shì wǒzìjǐ yīxiāngqíngyuàn コピュラ 私自身 一方的な考え 「(直訳)叔父の家から出て、白い運動靴を履き、暁闇の道を抜け、この木の下 まで駈けて来た私は、これはただ私自身の内面を、ひた走りに走って来たにす ぎなかった。」 d. ? 放学回来 随便 翻 抽屉 的 我, 发现了 fàngxuéhuílái suíbiàn fān chōutì de wǒ fāxiànle
学校帰りに 何気なく かき回す 引き出し DE 私 見つかる-完了 一个 白纸包, 包里 竟 是 我 买下的 那张 照片。 yīgè báizhǐbāo bāolǐ jìng shì wǒ mǎixiàde nàzhāng zhàopiàn 一つ 白い紙包み 包みの中 まさに コピュラ 私 買い取る あの 写真 「(直訳)学校から帰って何気なく引き出しをかき回した私は白い紙に包まれた ものを見た。包んであったのは、まさに私の買い取った例の写真である。」 e. * 本来还 担心 听凭学生 与残疾学生 结对 做操
běnláihái dānxīn tīngpíngxuéshēng yǔcánjíxuéshēng jiéduì zuòcāo そもそも 心配する 学生に任せる 体の不自由な学生と 組む 体操をする 会 受到 家长们的 指责, 没想到 竟 被 huì shòudào jiāzhǎngmende zhǐzé méixiǎngdào jìng bèi かもしれない 受ける 保護者たちの 非難 思いがけず まさに 受動 家长们 说了 一大堆 感激的话 的 高木老师 显得 不好意思。 jiāzhǎngmen shuōle yīdàduī gǎnjīdehuà de gāomùlǎoshī xiǎndé bùhǎoyìsī 保護者たち 言う-完了 一杯 感謝の言葉 DE 高木先生 見える 恥かしがる
「(直訳)もともと学生たちに任せて体が不自由な学生と組んで体操をしたこと で保護者たちから非難されるかもしれないと心配していたが、かえっておもい がけず保護者たちから感謝の言葉をたくさん言われた高木先生は、決まり悪そ うだ。」
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f. ?? 站 在 候机厅 靠近门口的 地方, 四下 观望了 一会 zhàn zài hòujītīng kàojìnménkǒude dìfāng sìxià guānwàngle yīhuì 立つ に 待合室 入り口近くの ところ 四方 見回す-完了 しばらく 这 混乱光景 的 曾根, 顺着 人群空隙 朝 克平 走去。 zhè húnluànguāngjǐng de zēnggēn shùnzhe rénqúnkōngxì cháo kèpíng zǒuqù この 混乱ぶり DE 曾根 沿う 人混みの隙 へ 克平 歩き出す 「(直訳)待合室の入口近くに立って暫くその混雑ぶりを見回していた曾根は、人 混みの隙に沿って克平に向かって歩き出した。」 このように、日本語原文における連体修飾節に対し、中国語ではそのまま対応させるこ とが難しいことが多い。ではどのような場合に対応がないのであろうか。 (28a)と他の例文との違いは、連体修飾節“看着这种情景的(このような光景を眺める)” が比較的短いからではないかとも考えられるが、そうではない。連体修飾節が長くても問 題なく成立する用例も存在する。 (29) a. 沉默三分钟以后,三个人一起骂起倪萍来。骂的话相当狠重,骂得倪萍面如土色, 翻起了白眼。 连 并没有听全 也没有在意 去想
lián bìngméiyǒutīngquán yěméiyǒuzàiyì qùxiǎng さえ 最後まで聞かず 気にもせず 考える 那些 “骂誓”的 内容 的 倪藻 也 内心怦然 起来。 nàxiē màshìde nèiróng de nízǎo yě nèixīnpēngrán qǐlái その 罵言の 内容 DE 倪藻 も 胸騒ぐ し始める b. 三分間の沈黙ののち三人は一斉に倪萍を叱りつけた。相当にきつい言葉で叱ら れて、倪萍は真青になり目を白黒させている。その罵言の意味には無頓着な倪 藻でさえ、ドキンと胸に応えたほどだ。 (《活动变人形》、日中対訳コーパス) (30) a. 诸位来客的心情各异。有诚心诚意来贺喜,并将全始全终地呆上一天的,如薛纪 跃的大姑妈;(略)。当然, 也 有 完全 是为了 dāngrán yě yǒu wánquán shìwéile もちろん も ある 完全に のために
27
足撮一顿、 摆好了 架式 要大吃大喝 zúcuōyīdùn bǎihǎole jiàshì yàodàchīdàhē
思う存分に食べる 構っている 姿勢 多めに飲食しようとする 到底 的 卢宝桑... dàodǐ de lúbǎosāng とことんまで DE 盧宝桑 b. 来客のほうになると、人さまざまだった。紀躍の上の伯母は、心からお祝いに来 て、今日一日はここでゆっくりしていくつもりでいる。(略)もちろんそのほか にも、思う存分飲んで食ってやれと、手ぐすねひいて待ちかまえている盧宝桑の ようなやからもいる。 (劉心武《钟鼓楼》、日中対訳コーパス) (31) a. 也许 是 烟袋斜街, 或许 是 鸦儿胡同中,
yěxǔ shì yāndàixiéjiē huòxǔ shì yāérhútòngzhōng もしかすると コピュラ 烟袋斜街 或いは コピュラ 鴉児胡同の中 传来了 墩鼓、 号筒、 唢呐、 韵锣、 海笛 等 chuánláile dūngǔ hàotǒng suǒnà yùnluó hǎidí děng 伝わってくる-完了 太鼓 メガホン チャルメラ ドラ 笛 など 乐器 和鸣 的 声音, 一定 是 哪家
yuèqì hémíng de shēngyīn yīdìng shì nǎ jiā 楽器 共鳴する DE 音 きっと コピュラ 誰かの家
娶 新媳妇的花轿 已经 过来了... qǔ xīnxífùdehuājiào yǐ jīng guò lái le
娶る 嫁を乗せたかご すでに やってくる-完了 b. 烟袋斜街だろうか、あるいは鴉児胡同だろうか、そう遠くない路地から、銅鑼 や太鼓、チャルメラなどの音が聞こえてきた。誰かの家に花嫁を乗せたかごが 着いたにちがいない。... (同上) (32) a. 一个 中等身材, 面目英俊, 有些 秃顶 的
yīgè zhōngděngshēncái miànmùyīngjùn yǒuxiē tūdǐng de 一人 中肉中背 顔立ちがりりしい 少し 禿げる DE
28 四十多岁的 男同志 跑了进来。 他 是 sìshíduōsuìde nántóngzhì pǎolejìnlái tā shì 四十歳前後の 男性 駆け込んでくる-完了 彼 コピュラ 陆文婷的丈夫 傅家杰。 lùwéntíngdezhàngfū fùjiājié 陸文婷の夫 傅家傑 b. 中肉中背の知的な容貌の、少し頭の禿げ上がった、四十歳前後のおとなしそう な男性が駆け込んできた。陸文婷の夫傅家傑である。 (谌容《人到中年》、日中対訳コーパス) (29a-32a)において下線部の連体修飾節は決して短くはないが、いずれも問題なく成立 する。つまり中国語において、連体修飾節の長さによって容認度が決まるわけではないの である。 次節では、日中両言語における連体修飾節を使用する構文を、情報構造の面と修飾節の 機能の面から分析する。 2.4 総合的分析 2.4.1 情報構造による分析 本節では、情報構造、特に主題と焦点の点から連体修飾節を考察する。日本語記述文法 研究会(2009:204)によると、聞き手が指示対象を特定できると話し手が考えているもの については主題として「は」で示すのに対し、談話に新たに導入されるものなど、聞き手 が指示対象を特定できないと話し手が考えるものは、主題として示すことはできない。こ れを(33)で示す。 (33) 私の友人に佐藤という男がいる。この男は外科医である。 (日本語記述文法研究会 2009:204) (33)では、「佐藤という男」が談話に新たに導入された焦点で、これを背景情報として、 「この男」が次の文の主題となる。 中国語には主題を表すマーカーが存在しないため、統語的特徴と談話から判断しなけれ ばならない。徐・劉(2017)によると、中国語の談話では、主題は文頭に位置し、その後
29 ろにポーズを置くことができ、自然なストレスが置けないなどの性質を持つ。また談話の 面から見ると、主題は定であり、既知情報で聞き手と話し手双方が共有する情報である。 それに対し、焦点は話し手が聞き手に最も注意して欲しい部分で、情報を付与する強さが 最も高い部分でもあり、文の如何なる位置にも存在することができる(徐・劉 2017:113)。 中国語における焦点は日本語と同じく、文脈から推論できない新情報である。 では、上で見た用例をもう一度見てみよう。 (34) a. この光景を眺めていた丑松は、可憐な小作人の境涯を思いやって――仮令音作 が正直な百姓気質から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、(略)。 (=22a) b. 一昨年の夏帰省した時に比べると、こうして千曲川の岸に添うて、可懐しい故 郷の方へ帰って行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のような心 地がする。 (=23a) 例文(22-27)において、連体修飾節による修飾を受けた主名詞はいずれも文の主題とし て「は」で提示されている。また、これらの例文は全て小説の中から抽出されたもので、 (22)と(23)の「丑松」は文の主題であり、この「丑松」に対する背景情報はすでに前 の文脈によって提示されている。他の例文も同じである。このように、主名詞が主題の場 合、中国語では連体修飾節を取る構文は中国語らしさが低くなる。中国語では主題に対す る情報は、連体修飾節を用いずに他の従属節を使用して提示したほうが自然であると考え られる。 一方、例文(29-32)では、連体修飾節とともに共起している主名詞は主題ではない。例 えば例文(29)は(35)の文脈に現れている。 (35) 二位的回答使静宜扫兴。偏偏一直跟着母亲并睁大了眼睛盯着姨姨和姥姥的倪萍说了一 句话。她说的是:“只要我妈和我爸爸一‘和’,我姥姥和我姨就不乐意。”这句话一下子 把三个大人都惊呆了。沉默三分钟以后,三个人一起骂起倪萍来。骂的话相当狠重,骂 得倪萍面如土色,翻起了白眼。连并没有听全也没有在意去想那些“骂誓”的内容的倪藻 也内心怦然起来。 (=15) 「ガックリする静宜をよそに、その背後からじっと祖母と伯母の顔を見つめていた倪 萍が不意に口走った。「ママとパパが仲直りすると、婆ちゃまと伯母ちゃまは、気に いらんがやね」大人三人は唖然として言葉を失った。三分間の沈黙ののち三人は一斉
30 に倪萍を叱りつけた。相当にきつい言葉で叱られて、倪萍は真青になり目を白黒させ ている。その罵言の意味には無頓着な倪藻でさえ、ドキンと胸に応えたほどだ。」 この場面での登場人物は、姉の倪萍、弟の倪藻と姉弟の母、叔母、祖母の五人で、姉の 倪萍の発言で目上の三人が激怒し、彼女を叱っている場面である。連体修飾節を伴う主名 詞“倪藻”はもちろん新たに談話に導入された人物ではない。またここでショックを受け たのは姉の倪萍と弟の倪藻であり、弟の倪藻の後ろには“也(でさえ)”を付け、焦点とし て取り立てられている。つまり連体修飾節と共起した主名詞“倪藻”は、この文脈では主 題ではなく、焦点である。 つぎに、(30)について見てみる。(30)は(36)の文脈で現れている。 (36) 诸位来客的心情各异。有诚心诚意来贺喜,并将全始全终地呆上一天的,如薛纪跃的大 姑妈;有本身并无感情可言,但主人盛情难却,所以也就抱“不吃白不吃”宗旨而来的, 如王经理;有虽来真情祝贺,但患有胃溃疡症,对宴席望而生畏的,如佟师傅;有主要 是冲着长辈而来,对薛纪跃其实非常隔膜的,如殷大爷;有一到场便感到腻烦,恨不能 道完喜、撂下礼物就告辞,却又碍于情面,不得不坐下与宴的,如那位戴眼镜的表姐夫 ——他是薛氏姻亲中唯一的一位知识分子,“文革”前的大学毕业生,现在某设计院的 助理工程师;当然,也有完全是为了足撮一顿、摆好了架式要大吃大喝到底的卢宝桑…… 「来客のほうになると、人さまざまだった。紀躍の上の伯母は、心からお祝いに来て、 今日一日はここでゆっくりしていくつもりでいる。また取りたててどうという気持ち もないが、主人側の好意をむげに断わることもできず、「食べるだけ食べてやれ」と いう考えてやってきた者もいる。王店長がそうである。佟組長のように、心からお祝 いに来たのだが、胃潰瘍なので、宴会が苦手だという人、紀躍本人とはかかわりがな いが、親の顔を立ててやってきた殷おじいさんのような人もいる。めがねをかけた従 姉の夫などは、できることならお祝いを渡したら、さっさと引きあげたいところだが、 義理上そうもならず、しぶしぶそこに坐っている。彼は薛家の親族中、ただ一人のイ ンテリである。「文化大革命」前に大学を卒業し、いまはある設計院で、技師輔をし ている。もちろんそのほかにも、思う存分飲んで食ってやれと、手ぐすねひいて待ち かまえている盧宝桑のようなやからもいる。」 (劉心武《钟鼓楼》、日中対訳コーパス)
31 ここは披露宴の参加者について描写している場面で、主人公の伯母、王店長、佟組長、 殷おじいさん、従姉の夫、盧宝桑といった主人公と関わりのある人物が次々に登場し、お のおのについて紹介するシーンである。したがって、下線部を含めた文全体が焦点であり、 連体修飾節と共起する主名詞の「盧宝桑」は当然、文の主題ではなく、焦点に含まれる。 また(31)の場合は(37)の文脈で使用されている。主名詞「声音(音)」は「传来了(伝 わってきた)」の目的語で、文全体が焦点であるため、修飾節を含めた名詞句が焦点内にあ ることになる。 (37) 那日午正时分,钟楼悠悠然地撞着钟,什刹海银锭桥一带,人们仍象往日一样地照常活 动着。走过来了用一对小铜碗(名日“冰盏儿”)相击、卖酸梅汤和炒红果的小贩,又走 过来了手持梭子(名曰“唤头”)、发出嗡嗡响声的剃头匠,还过来了一位卖“仙鹤灯” 的……不远的街巷中——也许是烟袋斜街,或许是鸦儿胡同中,传来了墩鼓、号筒、 唢呐、韵锣、海笛等乐器和鸣的声音,一定是哪家娶新媳妇的花轿已经过来了…… 「その日の正午。鐘楼の鐘の音はのどかにひびき、什刹海の銀錠橋かいわいの人たちも、 これまでどおりの営みをつづけていた。酸梅湯売りや炒紅果児売りが、「氷盞児」を鳴 らしながら通りすぎる。手にもった「喚頭」をビーン、ビーンひびかせながら、床屋が行 く。かと思えば提灯売りもやってくる。烟袋斜街だろうか、あるいは鴉児胡同だろうか、 そう遠くない路地から、銅鑼や太鼓、チャルメラなどの音が聞こえてきた。誰かの家に 花嫁を乗せたかごが着いたにちがいない。……」 (同上) (32)の文脈は(38)である。ここでは、主名詞で表す人物「傅家杰(傅家傑)」がはじ めて登場したシーンであり、下線部を含めた文が焦点であるため、修飾節が埋め込まれた 名詞文も焦点内にある。 (38) 孙逸民抬头望着阴森森竖立在墙角的氧气筒,又盯着床头的心电监视仪。当他看到示波 器的荧光屏上心动电描图闪现着有规律的 QRS 波时,才稍许放心。他又扭过头看了看 病人,挥了挥手说:“快去叫她爱人来!”一个中等身材,面目英俊,有些秃顶的四十 多岁的男同志跑了进来。他是陆文婷的丈夫傅家杰。 「孫逸民は部屋の隅に冷たく立っている酸素ボンベを眺めたり、ベッドの頭部に置か れてある心臓監視器モニターを見たりしていたが、心電図が規則的な波形を描いてい るのを見て、漸く安心したようであった。彼がまたつと顔を患者に近づけてから、俄