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紫式部集の歌と詞書

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- 38 -式部は時代の和歌意識を学びとつた尋常な努力型の歌人であって'彼女の天才は物語創作にあったといえよう。 紫式部の作品として今日見られるものは'申すまでもな-源氏物語と'紫式部日記と'紫式部家集とであっ て'その文学的価値も'研究の進んでいる程度も'この噸序である。紫式部集は彼女の伝記研究の資料として、 次牙に光を当てられて釆たが'象集そのものの文学的研究は'充分な成果が発表されていない。私は紫式部の歌 と文章との関係を探ってみたいと思って紫式部集を読んで来た。 最近に今井源衛氏の「源氏物語と紫式部集」 (国語と国文学 42・6)南波浩氏の「千載集紫式部歌の詞書を めぐる問題」 (国語と国文学 4・5) 「定家本紫式部集についての一考察仁瑞光寺本紫式部集による-」 (国 語国文42・5)等相次いで発表され恩恵をいただいた。私はそれらとの重複をさけて小論を進めたいと思う。 二 紫式部の和歌を考えるには'才一に紫式部家集がある。次で日記の中に詠まれた歌。勅撰集・私撰集に採られ た歌。他の物語や他の家集に見えるものを集めれば、かな-多い。そのうち重複した歌を除き'家集中の他人の 歌を省き'彼女の自作歌のみをよ-出すと'99首集めることができる。また同一視することは出来ないにして ち,源氏物語中に詠み入れられている79 4首も対象にすべきものである。平安女流歌人の現存歌数としては,和泉 0 式 部 約 訓 首 , 赤 染 衛 門 約 6 0 0 首 , 伊 勢 大 輔 約 1 5 0 首 , 相 模 約 6 5 0 首 ( 集 中 の 他 人 の 歌 も 含 む ) と 比 べ て み て も , 和 泉 式 1 部に次で多いわけで、紫式部の和歌に対する自負と力量が思われるわけである。 ( 注 l ) 紫式部家集の諸本については先学の方々の精微な御研究があるが' 池田亀鑑博士は三類に分けていられる。 一類.定家自筆本系統(

(

)

-首)-流布本系統(群書類従本) ・異本系統(桂官本)

三類雑纂本系統(冒)

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紫式部集の歌と詞書 - 39 -三類本は歌数・歌序が一類本に近似Lp本文に異同がある。一類本に「いづ-とも身をやる方の知られねば愛 しと見つつもながらふるかな」の1首を加えたものといっていられる。従って本稿では一類と二類を見れば足-るわけである。また刊本には一類本系統の校合本である群書類従本があ-'二類本は桂宮本があるので'この両

者を用いた。一類本では書陵部蔵の谷森本(響

1 8 3

)と三条西本(讐且を,二類本では御所本(特垂

諒・制)を拝見した.流布本系統に類緊本を用いての研究は,讐男博士,翁源衛民も発表されているの

で'歌噸番号が一致し好都合なので、本稿でも群書類従本によって、歌唄を1から1 2 3までつけた。 紫式部の自作歌と見なされるものを'源氏物語の歌を別にして数えると99首あるがそのうちわけは左の通-で ある。 A   紫 式 部 家 集 ( 9 4 首 ) 1 流布本(類従本)123首申他人の歌37首を省-と,作者の歌は86首ある。 (2 異本(桂宮本)131首申'類衆本にない歌は10首。うち他人の歌2首。作者の歌は8首である。 B   紫 式 部 日 記 日記中に18首の歌があ狂うち他人の歌7首。紫式部の歌はH首。但しこれは家集の類従本と桂宮本に 全部収められている。 C 其の他(5首) 1 伊勢大輔家集にのみ見える歌。2首。 2 栄華物語に見える歌5首。うち3首は家集に入っているので'栄華物語にのみ見える歌は2首。 3 勅撰集に採られた和歌は59首あるが'岡一男博士の御研究によると'誤-や源氏物語中の歌がありなど して'自作歌は56首とな-∴つち55首は家集中にあり,勅撰集にのみ見られるものは,新千載集 恋五 「かき絶えて」の歌1首だけとなる。

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106 73 39 107 75 41 109 76 42 110 77 43 9 113 79 46 13 114 81 47 14 116 83 48 15 117 84 50 18 120 85 51 20 121 88 52 21 122 89 53 22 91 54 23 92 55 24 93 56 25 94 58 27 95 59 28 96 61 29 / 98 62 30 99 63 31 100 65 32 101 68 34 - 40 -9 - 40 -9首の自作歌を左に記す。但し頼家本は歌噸番号を示すこととする。 A l   類 衆 本 1     2     3 8 6 首 4 7 6     8 3     3 0     2 7     7 2 位官本のみにある歌 1 1 4 4 8 7 1 1 1 8首 ① を-からをひ七へにめづる花の色はうすきを見つつうずきともみず ④ 閉ぢた-し岩間の氷うちとけばをだえの水も静みえじゃは ④ み吉野は春のげしきに霞めども結ぼほれたる雪の下草 ④ いづ-とも身をやるかたの知られねば憂しと見つつもながらふるかな ⑥   水 鳥 を 水 の う へ と や よ そ に み ん 我 も う き た る よ を す ぐ し つ つ ⑦ 年-れて我よふけゆ-風の音に心のうちのすさまじさかな ⑨ 人にまだ折られぬものをたれかこのすさものぞとは-ちならしけん ⑲ よのなかをなになげかまし山桜花みるほどの心な-せば c l   伊 勢 大 輔 家 集 に の み 見 え る 歌     2 首 用 心ざし君にかかぐるともしびのおなじ光にあふがうれしさ 佃 お-山の松葉に氷る雪よ-も我身世にふるほどぞはかなき 2   栄 華 物 語 に の み 見 え る 歌     2 首 佃 あ-し世は夢に見なして涙さへとまらぬ宿ぞ悲しか-ける ㈲ 雲の上を雲のよそにて恩ひやる月は変らず天の下にて ( 岩 蔭 ) (日蔭のかづら)

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紫式部集の歌と詞書  41 -3   新 千 載 集 に の み 見 え る 歌     1 首 8 54 かき絶えて人も櫓の欺きこそ果はあはでの杜とな-けれ  (巻十五 恋五) ] ⊥ 備   考 岡博士は﹃源氏物語の基礎的研究﹄に新資料として'平兼盛集の巻末に添加されている供名歌集を挙げられた。その12首の 歌のうち9川 ‖ 12 の歌が紫式部の娘に関係の深い歌であ-、10の歌が紫式部の歌と考えるならば更に-首加えること になる。国歌大系兼盛集の補遺として収められている。 同じ官の藤式部'親の田舎なりけるに'いかになど雷きた-ける文を'式部の君なくな-て'そのむすめ見侍-て' 物思ひ侍-ける頃'見て書きつへ 9 雇き事のまさるこの世を見じとてや空の雲とも人のなりけむ まづかう-\侍-けることをあやし-'かの許に侍-ける式部の君の ◎1 0 雪つもる年にそへても頼むかな君をしらねの松にそへつつ 三 以上99首について歌風を考察していこう。紫式部集の歌の配列は既に先学者が述べていられる通-'大きい 流れは年代唄になっている。大まかにいって未婚の時代'結婚の時代'寡居の時代'宮仕の時代と並べられてい る。時にそれを破って序列を乱したものが見られる。 多感な娘時代は'交友の歌や父為時の任地越前への旅の歌など、新鮮で情感の豊かな詠作がある。結婚時代 は'婚前から結婚生活中の'宣孝との生彩あ.る恋の贈答歌があり'寡居の哀傷歌'物語絵の歌'身の不幸を歎-歌があ-'5 5番まで歌集の半ばに達している。5 6番からは宮仕生活を詠じている。彼女の生活を一変させた中宮 出仕によ-'公的な贈答や儀礼的な歌を作る機会も多-'折にふれての述懐の歌など深刻な暗い歌が多い。後半 に変化を与えるためか'宮仕以後に結婚生活中の詠と思われる恋歌や'越前からの帰途の旅の歌などが入ってい

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- 42 -る。それは歌集編纂の際の意識的な変位と思われへ流布本でいえば例えば'1 71 8の間、4 74 8の間、5 15 2の間' 7 57 6の間などのように'伝来の間の序列の乱れや敦脱の箇所もあ-'現存の家集は編纂時の形態を保っては居な い。歌集を内容によって分類して表示しよう。 3(ト) 6 8 ( ト ) 1 1 4 ( ゾ ) 4 ( ゾ )   7 ( ト ) 7 0 ( ト )   7 3 ( ゾ ) 禦 ト ) 9(ト) 9 8 ( ト ) ‖ ( ゾ )   1 5 ( ゾ ) 9 9 ( ゾ )   0 3 ( ト ) l 1 8 ( ト )   6 1 ( ト ) 06(ト) 1 3(ト)

桂宮本その'他

㊨(ゾ) ④(ゾ) ㊥(ト) 伊 侶 ( ゾ ) 揺 ( ゾ ) 旅 儀   礼

うた絵

哀   傷 1   2   1 4   5 2 ( ゾ )   5 3 ′ 0     7 1             1 =   臼             =   臼 4     5 5       5 ′ h )     8 5       5 4       亡 つ 9       9 ㊥   ⑤   ④   ⑦   ⑲ 3       ′ 0     8     0 1     3     3     n U 1 29(卜) 3 1(ト) 32(ゾ) 7 6(ト) 8 1(卜) 8 8(卜) o ; ( ト ) 3 4 ( 卜 ) 8 9 ( ト ) 5 0(ト) 5 1(ト) 9 1 92 93(ト) つ ん     3 ′ 0     / D つ ム     3 つ ム       2 8 3 ( ゾ ) 4     5 2     2 7       8 7       7 8 4   8 5 ( ゾ ) 9(ゾ) 0 1(ゾ) ‖(ゾ) 3 0 ( ト )   4 4 ( ゾ ) / 0     7 4     4 3 9 射(ト) 4 2(ゾ) 4 3(卜) 4 8 割(ゾ) l

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紫式部集の歌と詞書 - 43 -贈答歌。表に贈答歌は23首あるが'其の他所懐1 恋15 儀礼5 歌絵2 哀傷7が贈答歌であるから計53首 で'総歌数の半数以上を占めている。これは彼女の詠歌態度を示すものであるが,彼女に限ったことではない。 和歌が社交の要具Jjして日常生活に欠-べからざるものであったことは当時の社会の風潮である。女子は空の 学問として古今を詞んじ、歌人の家集をよみ'贈答の歌の修練に励んだ。従って他の女流歌人の家集を見ても, 贈答歌の占める割合は大きい。 贈答歌は時'事情'相手等による制約があって'折にふさわし-口疾-詠まぬばならない。必ずしも感動を待 って詠むというわけでな-、機に応じて詠むので情感のほとばしる歌というよ-も'達者に詠みこなす事が必要 となる。宮仕に出て後は中宮方の女房として代作や献詠など公的な機会が多-なった。道長から歌詠めと命ぜら れて対等に応酬しているLt同僚との応答など自由にこなし歌人としての資格を備えていたわけである。源氏物 語中の歌の大部分が贈答歌であることとも'考えあわせるべ軒である。家集には歌合の歌や犀風歌のないこと, 題詠歌の少いことも兄のがせない。赤染衛門や伊勢大輔に歌合せや犀風歌が見られるのは、彼女らが専門的歌人 として過されていたことう その長寿が歌人として長-活躍させたことを物語るものである。紫式部は家集編纂 後'久しからずして没したであろうことからして'そうした歌合せに召される折もなかったのであろう。同じく 贈答歌を多-詠んでも'赤染衛門は規定された枠の中で'精一ばい感動を盛-こむことに努力し,和泉式部は題 ∫ 詠や贈答歌の中に実感をこめ'魂の燃焼さながらに詠みあげているのに比べ'.紫式部の贈答歌には感動の乏しい 憾みはあると思う。 ( 注 4 ) 恋の歌については'既に岡一男博士'今井源衛氏へ中川浩文民らの秀れた論考があるので重ねては述べない。 恋の歌1 9首というのは少い。小野小町集'和泉式部集、中馬命婦集'赤染衛門集'相模集等,平安女流歌人の家 琴甲'紫式部の恋の歌は最も少い。宣孝との恋の応酬は2 9から3 5までは明瞭であるが'後半の宮仕以後にある相 手不明の恋歌も'宣孝とのものかと想像される81 89 91 92 107 109 1 10など,彼女の恋は宣孝とのものこ そ唯一の生彩を放つものと思う。婚前や寡居の後にも懸想文を寄せる者のあったらしいことは想像されるが,

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- 44 -彼女が心を動かし恋情巷育てていつたと思われるものはないように思う。宮仕する女房という身分柄'そうした 機会は多かった筈であるが'歌集からは考えられない.当時の男女関係に対する不信や批判は日記にも見られ る。恋の種々相を物語の中に描き出した彼女は'その末のはかなさや'宿命というものまで見透していた。彼女 自らは男女の情事には懐疑的で冷静、索漠とした孤独感が貫いているように思う。 (こよひ) し は す の 甘 九 日 に ま い る 。 は じ め て ま い -し も こ よ ひ ぞ か し と 愚 ひ い づ れ ば ' こ よ な く た ち な れ に け る も ^ フ イ う と ま し の 身 の 程 や と 愚 ふ 。 夜 い た -ふ け に け -。 ま へ な る 人 々 う ち わ た り は な ほ い と ' げ は ひ こ と な ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ り 。 さ と に て は 今 は ね な ま し 。 さ も い さ と き -つ の し げ さ か な と ' ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ⑦年-れて我よふけ行-風の音に心のうちのすさまじきかな い ろ め か し -い ふ を き -。 ( 桂 宮 本 ) 中宮還啓の行事果てて退出する上達部殿上人たちを見て、 ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ こ な た の 陣 の か た よ -い づ 。 お の が じ L t 家 路 と い そ ぐ も ' な に ば か -の 人 に は と 思 ひ お -ら る 。 (紫式部日記) と,人の世の恋には背を向けた態乾が見られる。自分のためでなく'小少将の君のためと弁解しているが'七う した荒家たる心には恋の種は育たずして'恋愛歌を質量共に寂しいものにしたと思われるのである。 四 自然観を見るためにへ99首を分類してみた。歌の中に季節や自然物を全-詠み込んでいないものは13首。あと の8 6首は季節をあらわすか自然物を詠み入れている。春2 0 夏1 3 秋1 6 冬1 4 李の雑2 3と'どの季節も大体に 万遍な-詠じている.春の歌には若い頃のものが多yt秋・冬の歌には寡居以後のものが多い.自然物は詠み込 まれているが,季節の定まらぬものを雑とした2 3首中には'越前への往還の旅の歌7首がある。無季無景物の1 3 首は,述懐5 恋3 哀傷3 賀1 歌絵1と自己をみつめる内省的なもので占められ'大部分が寡居後晩年の も の で あ る 。

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紫式部集の歌と詞書 歌 む 合 を 節季 57 36 14 76 62 4 63

らががは白

ぬ定季あ然

歌ま節る物

23 雑 101 46 ;:_∴ I-: 香 102 114 96 7863 3423 31 2 i 3 _____ー___. _十. _._ _ 栄⑤l伊 -1-- 45 -類           釆           本

三月一日被へどの神 路 北へゆく雁 2 8 白ねの雪 桃・桜 38 梨・桜 4 1 霞 青 柳 の 糸   9 8   霞   9 9 梅 の 花 3 4 00 1 散る花 八 重 桜 3 2   薄 ら 氷 5 1   鷺 の 宿 ・ 霞 ①花の色 ④氷解-④霞・下草 ⑲山桜 正月三日 朝顔 1 3 ほととぎす 22 五月五日 6 8 あやめの根 ほととぎす 8 1 夏衣 92 夕立 5 2 朝顔のつゆ 6 1 あやめ葦 7 0   -い な   7 2 -い な とこ夏 1 月 ( 七 月 十 日 )   2   虫 ・ 秋 の 別   3 7 3 女郎花・つゆ 8 3 もち月(九月) 露・虫のね_ 4 7 さを鹿・萩 8 4   月 の 影   8 9   月 影 ( 九 月 ) 9 1 秋・月 9 3 花す∼き 1 0 秋の月 日 菊のつゆ つゆ 0 6 霧・秋 0 7 天の河 1 6   秋 の 月   1 7   す ま ひ   ( 七 月 ) H H F : 9 も み ぢ ば   ‖   霜 氷 豊の宮人・ひかげ 鴨・冴え Oclはつ雪 l 5 2 3 0 1 雪 2 7 雪 4 2 をしの子 8 8 霜枯の浅茅 摺れる衣(五節) 1 3 時雨 -⑦年-れて 松ばに氷る雪 7 月 ・ 雲 の 通 ひ 路 ー 松浦・空 2 0 三尾の海・網ひく しほっ山 2 4おいつ島・わらはべの浦 2 9千鳥・野洲 2 1   磯 ・ た づ 3 0 海 ・ 塩 や -栄 佃 雲 ・ 月 後拾遺 みはらの池・堤 3 9雁 4 8煙・塩がまの浦 5 0岩・岸・あだ波 5 3若竹 かが-火の影・池水 6 5影・涙・滝の音 7 7猿・たこの呼坂 白山・伊吹の捺 7 9苔むすそとば 9 4かひぬまの池 9 5仝上 8 4 5 1 櫓・あはでの杜 4     4     5     ∠ U     9     5     ビ つ     n フ 1       2 4     5     5     5     t { )     7     8 0     つ ん     2 日 H               =               日 日 Ⅲ と も し 火

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- 46 --対象となっている自然物は表にも明らかなように'都での優美な生活を通して見る年中行事の景物や庭園の前 栽など、人事と調和する背景的役割をつとめる自然である。これは彼女に限らず'平安朝の詩歌'文学に通じた

特色である。長徳二年('聖と推定される父の為時と共に下った任露前への旅は'都から出る機会の少い深窓

の女性に,広い視野と新鮮な印象を与えた貴い体験となった。しかし都の生活を最上して'掛地になじめない都 ( 注 5 ) 恋しさの念や,何らかの事情のため'家族に先立って翌年の秋の終-頃には帰京したためへ地方の風土や生活に 対する秀れた詠作は乏しい。源氏物語にもそうしたものの投影は少ない。自然観照の深さ鋭さは'清少納言や菅 原孝標女の方がまきつているように思う。 13 ほととぎすこゑ待つ程は片岡の杜のしづ-に立ちや濡れまし 22 かき-ち-ゆふだつ浪のあらければ浮きたる舟ぞしづ心なき 28 春なれど白根のみ雪いやつも-と-べき程のいつとなきかな など若い頃の旅の歌には'若々しい情感がおっと-と自然に流れて美しいものがある。 述懐の歌。この家集で最も特色のあるのは所懐の歌である日。述懐の㌶首の他に贈答のS.④哀傷のm122 栄華 物語の2首 伊勢大輔集の佃の7首をも併せ考えると、彼女の感懐があ-あ-と伝わって-る。それは日記の述 懐の記述とも通じるものである。 天童孝の死を長保三年四月二十五日と'尊卑分脈には記してある。僅かな結婚生活で夫に急逝された紫式部 は、真実世の無常に直面した。家集には姐4 24 34 8にその死を悼んでいる。生来内攻的で批判的思考的な紫式 部にとって'人生最大の不事に遭遇した寡居の数年間は'貴重な思索の時期であった。我身の薄幸を嘆-ことか ら、世の人の宰不幸へ人生の帰趨へ宿命といったものを'つきづめて思索した。父譲-の学問好きは'夫の遺し た漢籍を耽読Lt仏典をもひもとき人生観照を深めて行った.雪っした傷心の彼女のつれづれを慰めたのは'く さぐさの物語を読むことであ-、また物語を創作することであった。源氏物語はこうした中から生まれたのであ る。

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紫式部集の歌と詞書 一一 47 -(2) (釘122 5 2 3 5 4 5 5 5 消えぬ間の身をばしるしる朝顔の露とあらそふ世を歎-かな 若竹の生ひ行-末を祈るかな此の世をうしと恩ふものから 数ならぬ心に身をばまかせねど身にレたがふは心な-け-心だにいかなる身にかかなふらん思ひしれども思ひしられず ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 「身を恩はずなると歎-ことのやうやうなのめに'ひたぶるのさまなるを思ひける」と54の詞書にあるが'無 常厭世の観が歌にあらわれるのは夫の没後からである。老いた父や幼い賢子将来のことを考えて'道長の懇望に 応え彰子中宮に出仕した。これは彼女の才二の人生の出発であった。心細い里居から一躍して'牙上の権勢と栄 華に耀-後宮生活を体験したことは'源氏物語に生きた資料を提供した。しかしそうした華やかさにも紛れず' 一そう身の憂さが感ぜられ'対人関係の煩わしさもあって'宮仕を厭う心が去らない。わずかに慰められるもの は'大納言・小少将など気の合った間際との友情であった。 1 - 5 ケち払う友なきころの寝覚めにはつがひしをしぞ夜はに恋しき ㊥ 水鳥を水のうへとやよそにみん我もうきたるよをすぐしつつ 紫式部が心から親愛と同情の念を抱いていた薄幸の佳人小少将は'彼女に先立って亡-なった。 l 寸 2 日 H 暮れぬ間の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかっは悲しき 誰れか世にながらへてみん書きとめし跡は消えせぬ形見なれども いづ-とも身をやるかたの知られねば愛しとみつつもながらふるかな お-山の松葉に氷る雪よ-も我身世にふるほどぞはかなき 憂愁はますます深いが'小少将への哀傷歌は家集の最後を閉じる役をつとめて居-'紫式部集はまもなくこの 年の暮に編纂されたと思われる。岡博士は紫式部命終の時を'その翌年長和三年二月(一〇一四)と推定されて いる。

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- 48 -以上家集を主にへ紫式部が自らの立場で詠んだ99首について考察した。これについで源氏物語の登場人物の立 場から'老若男女様々な仮面をつけた紫式部の詠み口を見なければならないが'それはまたの折のこととしたい。 家集を通観するに'少女時代から晩年までの心の遍歴を偽らず誠実に詠じている。表現も洗練され調べも美し い。しかし情感の溢れ出るといった歌でな-'思念をこめた暗い歌に秀れたものがある。また修辞上掛詞や縁語 をかな-用いている。掛詞を用いた歌3 1首。縁語1 2首'(うち5首は掛詞と併周。)地名や物の名を詠み入れた 歌1 1首。というように三代集に見られる形式的な修辞的努力もしているが、これは当時の歌風で彼女だけの特色 ではない。彼女自身こうした言語遊戯的なものに高い価値を置いていないことは'末摘花の縁語や掛詞に煩わさ れた歌を笑い、「和歌の髄脳いと所狭う」と面倒がった源氏の態度で明らかである。こうしセ言語遊戯的な修辞 は'旅の歌や儀礼的な質の歌や贈答歌などに見られ'彼女が真情を吐露した述懐の歌などには見られないのであ る。 五 次いで紫式部集の詞書の考察に移ろう。申すまでもな-詞書は'歌の詠まれた事情を述べる文章で'歌に先だ って置かれる。詞書で述べ足-ぬことや'異伝などを歌の後に記したものが左註であるからしてへ左註は詞書の 一部と見てよい。詞書は漢詩の題辞に倣ったものであるので'万葉集では漢文で書かれている。しかし記紀の歌 謡から既に歌の詠まれた事情の説明があるから'歌を記録すると同時に詞書は発生していたわけである。 万葉集では「山上臣憶良在二大唐毎'憶二本郷作歌」というふうに'いつピケいう事情で誰が詠じたかを説明 しているが'古今集以後は作者名は詞書中に書かずp別に記すようになつ烏。万葉集の詞書はおおむね簡単で、 「詠鳥己 「寄レ物陳〆思」など題詞が多い。 平安時代に入って仮名文が発達するにつれて'歌も詞書も仮名書きされて、(両者は調和のとれたものとなっ た。古今集は歌集の模範として、以後の撰集家集は詞書の形式をも踏襲した。後撰集の詞書は長-'物語に近

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紫式部集の歌と詞書 - 49 -づいたが,拾遺集以後は古今集の様式に戻った。新古今集以後は短く 十三代集では題詞になってしまってい る。 -当時和歌は消息に欠-べからざるものであったので、古歌は詠歌の手本とな久男歌は伝話され、歌にまつわ る話は歌語-として語-伝えられた。仮名文の発達は物語文学への志向を高め'詞書は発展し'虚構を加えへ伊 勢物語のような歌物語を生み'家集は物語に近づき'歌物語-の採録は大和物語となったのである。 紫式部集もこうした機運のもとに生まれたものであ-、既に彼女は源氏物語や紫式部日記を書いている。和文 の名手である彼女の家集の詞書が秀れているのは当然であろう。紫式部集の歌と詞書は同じ程度に鑑賞すべきも のと考える。私はこの家集の詞書を左の諸項につき述べたい。 1 2 3 4 紫式部集の詞書は一人称の立場'即ち白撰の立場の文章であること。 詞書の文体は簡潔な表現の中に、屈折の多い複雑な事情や心情を圧縮して表現していること。 詞書と和歌との照応が緊密であること。 歌絵・絵物語と歌との関聯について。 六 紫式部集は白撰の家集であることについて。 「 勅 撰 和 歌 集 の 詞 書 の 立 場 」   ( 国 文 学 3 5 ・ 1 0 ) 詞書がどういう立場で書かれているかについては'阿部秋生民に の御高説があるが'私家集である紫式部集の詞書の立場は' l 詞書が撰者の立場に立つものであるか 2 詞書が歌の作者の立場に立つものであるか について考えよう。前者は三人称の文章とな-'後者は一人称となる。家集の編集者と歌の作者が同一であれば 一人称の文章となじ編集者が他人であるならば三人称の文章となる。紫式部集の詞書はどちらの立場に立つも のであるかを見よう。

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77 56 48 24 13 - 50 -ヽ ヽ な む   ( 荏 ) ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 賀茂に詣でたるに'子規鳴かむという曙に' 水うみに、おいつ島といふすさきに向ひて' ヽ     ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 片岡の桁をかしう見えけり ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ わらはべの浦といふ入-海のY をかしきを口ずさみに ヽ     ヽ 世のはかなき事を歎-頃、陸奥に名ある所々'害いたるを見て ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ はじめて内わたりを見るにも'物のあはれなれば ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 都の方へとて帰る山越えけるに'呼坂といふ凝る所の'いとわ-なきかけぢにへ輿もかきわづらふを'恐 ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ ろしと思うに ヽ ヽ ヽ ヽ 111 九月九日菊のわたをうへの御方よ-賜へるに 詞書には主語は書かれていないが、一人称の主語を省いたものである。歌の作者が賀茂に詣でたと自らの立場 で述べ'片岡の桐を「をかし」と見たのである。類衆本の「子規鳴かむ」は'桂宮本では「鳴かなむ」と自らの 願 望 を 打 ち 出 し て い る 。 「 を か し ・ あ は れ な -・ 恐 ろ し ・ あ い な の お は や げ ご と ど も や ・ う る さ く て 」 な ど ' 主 観的な心情表現を一人称で述べている。この集の詞書は大部分この立場から叙述されている。 但しわずかに三人称的な表現を用いた箇所もある。 n U 4 35 7 8 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ こぞよ-薄鈍なる人に'女院か-れさせ給へる春、いたう霞みたる夕ぐれに'人のさしおかぜたる ヽ ヽ ヽ 世を常無しなど恩ふ人の'をさなき人のなやみけるに--ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ ヽ     ヽ     ヽ たまさかに返事した-ける人'後にも又も書かざ-けるに'をとこ 「こぞより蒋鈍なる人」とは'宣孝卒去以来'喪に服し薄鈍の衣を着ていた紫式部を'牙三者的に表現したも の。「世を常無しなど思ふ人」は作者自らであるのを'矛三者的にいっている.8 7「返事した-ける人」は作 者 。 恋 の 歌 の や -と -を ' 男 ' 女 と い う 書 き 方 を し た の は ' こ の 家 集 で は こ こ 一 箇 所 だ け で あ る 。 贈 答 の 歌 を ' ある男がある女に贈るという形式'即ち詞書を記述者が'三人称の立場で書-のは'伊勢物語'大和物語'和泉 式部日記'源氏物語など'物語を書-立場である。紫式部集中にこのような三人称表現の詞書が見られるのは'

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紫式部集の歌と詞書  51 -上渇の3例と'4 1の詞書の4例に過ぎない。それは作者があらわに表現することを避けて牙三者的にやわらげて 表現したものであって'牙三者が書いた詞書ではない。 詞書中の敬語の用い方を見ると'宮仕以前には'敬語は全-用いられていない。作者につけられていないのは 勿論のこと、二人称にも敬語がない。ところが宮仕以後は多-の敬語が見られるのである。 むかひたまへる人(大納言の君)ものし給ふ おし下し給へ-(小少将)殿御覧じて 折らせきせ給ひて 給 は ぜ た -( 道 長 ) 宵 の 御 う ぶ 屋   は じ め た て ま つ -  の の し -給 ふ   童 は す れ ば ( 仝 ) 問 ひ 給 へ る   ま ゐ ら す 童へる (所宰相)うへの御方よ-賜へるに すまひ御覧ずる日等 作者の立場から'殿・中宮・若宮・殿の北の方などに最上の敬語を用い'上東の女房にも敬語を使い、公的な 交際が多-なったことを示している。又自らにつける謙譲語の「侍-」が全-用いられていないのは'この家集 が私のものとして'撰せられたものであって撰集の資料などとして世に出すことを意識していないことを示して いる。 詞書の検討には'助動詞「き・け-」の用法が考えられているが'島田良二氏の「雅平本業平集の詞書の検 討」 (国語と国文学 3 5・7) のお説を摘記すると' 三代集では'古今集詞書は「き」5例。他はすべて「け-」。後撰集詞書は「き」はな-全部「け-」。拾遺 集詞書は「き」1例で他は全部「け-」と'勅撰集の詞書はほとんど「け-」で占めている。私家集では自撰 集と言われ、日記的性格を多少とも持っているものへ兼澄集 馬内侍集 元締集 相模集 雅平本業平集 建 礼門院右京大夫集 成尋阿聞梨母集などは「き」を主体として用いてあ-'他撰といわれる敦忠集 公任集 本院待従集 西本願寺本・東山御文庫本・前田家本業平集などは'「け-」を主体として用いて居る。伊勢物 語 大和物語 平仲物語 笠日記なども「け-」が主体である。他撰といわれる貫之集 伊勢集 桧垣姫集 遍照集などは'「き」 「け-」を混用している。 と い う こ と で あ る が へ 紫 式 部 集 で は 詞 書 は 「 け -」 が 「 き 」 よ -も 多 く 歌 で は 「 き 」 が 「 け -」 よ -多 -' 歌

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文 - 52 -と詞書を併せ考えれば'「き」 「け-」は同数に近い。表示すれば' 「き」は話し手自身で体験した事実を回想する場合に用いられ' 「け-」は確実でない過去の事実とか'自身で 体験しない事実を回想する場合に用いられる。しかし必ずしもこの区別が戯然と行われているわけでもなく' 「き」の緊迫した断定的表現と'詠歎余情を含む「け-」とは筆者の好みや、その情況によっても異るので、 「き」 「け-」の数だけで白撰他撰を定めるわけにもいかない。しかし島田氏の御研究は傾聴すべきものと恩 ぅ。この表を見て興味あることは、作者が自己の立場を以て一人称で記した紫式部日記は'「き」が主体となっ て居-'物語という三人称の立場で記した源氏物語では'.「け-」が主体となっている。自らの歌でも編纂者と いう客観的な意識の働いている家集では'「き」 「け-」混用ながら'詞書では「け-」が大勢を占め'歌詞書

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紫式部集の歌と詞書 - 53 -77 39 . J ; t 三 1 H H 併せると'「き」 「け-」の比率が物語に近似している。紫式部は三つの作品を通じて例えば「き」を主として も'「け-」が数例で他は「き」・Pあるとか'又その逆であるとかいう偏向はない。作者の立場によって「き」 「けり」いずれかにウエイトを置きつつ'語のニュアンスを生かして常に両者を適度に混用しているのである。 七 詞書の文体を考察しよう。家集編纂に当つては'歌も詞書もかな-な補筆修正が行われているはずである。編 纂の方針・配列・分類・体裁の統一・贈答の関係など'種々の考慮がなされて、加筆削除などの改変が行われた であろう。特に詞書は歌よりも大き-変わ-、編纂時の文体を示していると思う。現存の紫式部集は誤脱の箇所 もあり'編纂時の形態を完全に保ってはいないが'歌風や文体を知るには充分である。 家集は彼女の三つの作品中'最もおそいものであ-'紫式部晩年の文体を示しているわけである。今日見られ る他の私家集の詞書と比較すると'断然秀れていると思う。この詞書の文体は古今集の詞書よりも'伊勢物語の 文体に近い。和歌を主に立てて簡潔に記してあるが単純でない。圧縮し屈折した文体から複雑な事柄や'細かな 心情の動きが浮かび上ってきて'物語作者の冴えた筆致がうかがわれる。巻頭から巻末まで詞書の文体は洗練さ れ無駄がなく'緊張し一貫したものがある。前半の詞書は'歌にふさわしいロマンの香-と花やかでみずみずし い詩情が流れ、後半は公的な儀礼的な文章で短-なって居-'陀びし-沈んだ悲愁の感が深い。 15 姉な-し人な-な-'文人のおととうしなひたるが'かたみに行き逢ひて'なきがかはりに思ひかはさん といひけり。文の上に姉君と書き'中の君と書きかよはしけるが'おのがじし遠き所へ行き別るるに'よ そながら別れ惜みて 遠き所へ行きにし人のな-な-にげるを'親はらからなどかへ-きて、悲しき事いひたるに 都の方へとて帰る山越えけるに'呼坂をいふなる所の'いとわ-なきかけぢに、輿もかきわづらふを、恐 ろしと愚ふに、猿の木の葉の申よ-'いと多-出で釆たれば'

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- 54-8 9 2 2 3 遥かなる所に'行きやせん行かずやと'愚ひわづらふ人の'山里よ-紅葉を折-ておこせたる。 ● ( 桂 ) 近江の守のむすめに'懸想すとき-人の'二心なしなど'常にいひ渡やければ,うるさくて, もとより人のむすめを得たる人な-け-。文ちらしけ-と聞きて'あ-し文ども取-集めておこせずば, 返事書かじと'ことばにてのみいひや-ければ'皆おこすとて'いみじ-怨じたりければ,正月十日ばか けり (荏) -の事なか. む 月 の 三 か ' 内 よ り 出 で て ' 古 里 の た だ し ば し の 程 に ' こ よ な う 塵 積 -' 荒 れ ま き り に け る を , こ と 忌 み も し あ へ ず 小少将の君の書き給へる打解け文の'物のなかなるを見つけて'加賀少納言のもとに 面白い詞書は枚挙に達がない。姉を失った紫式部は'妹を亡-した人を姉君と呼び,その人も彼女を中の君と 書いて文通していたが'親と共に筑紫へ下-'紫式部も越前に赴いた。交通不便な世にも二人は遥かな便-を交 し合った。筑紫の人は彼地に没Lt紫式部は帰京後へそのことを聞き悼む歌を詠んだ。はかなく美しい純情物語 である。数行の短い文章の中に娘達の友情'離別'死などが拝惜豊かに叙述されている。7・7の詞書からは旅の情 景や作者の心情があ-あ-と浮かび上って{告 「行きやせん行かずやと思ひわずらふ」のは,恋する者の心の 愛をたたみこんだ表現である。32はこれ以上縮めることが出来ないまでに圧縮して,い-組んだ事情を述べ,双 方の掛引きを読み取らせる。主語や補語を省略して'屈折しっつ文をつないで,息の長い三のセンテンスに纏 めている。高度の文章技廟を要する文体である。小少将を悼む3首は悲愁の感が深い。「打解け文の,物のなか なるを見つけて」の中に無量の感慨が込められて'余情深-家集を閉じている。 家集にも日記にもある歌の詞書が'日記の文章からどのように圧縮されているかを見よう。

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紫式部集の歌と詞書 一ヽ 一一   ヽ - 55 ー 家 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 朝霧のをかしきほどに'おまへの花ども'色々 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ に乱れたる中に'女郎花いと盛-なるを'殿御 覧 じ て ' ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ         ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 枝折らせ給ひて'凡帳のかみより' 冒 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ わたどのの戸ぐちのっぽねに兄いだせば'ほのうちき ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ りたるあしたのつゆもまだおらぬに'殿あ-かせ給ひ ヽ て'御随身召して'通水はらはせ給ふ。橋の南なる女 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ これただにかへすなとて給はぜたり。 73 女郎花さか-の色を見るからに露のわきけ る身こそ知らるれ ヽ ヽ ヽ ヽ と 書 き た る を ' い と 疾 -7 4 白露は分さても置かじ女郎花心からにや色 のそむらん. ヽ     ヽ     ヽ         ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ 郎 花 の ' い み じ う さ か -な る を ' ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ 枝折らせ給ひて' 新古今集 巻十六 雑上 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 凡 帳 の か み よ -' さ し の ぞ か せ 給 へ -。 御 さ ま の ' いとはづかしげなるに'わが朝顔の思ひ知らるれば' ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 「 こ れ お そ -て は わ ろ か ら ん 」 と ' の た ま は す る に こ と づ け て 硯 の も と に よ -ぬ 。 女郎花さか-のいろを見るからに露のわきける身こ そ知らるれ ヽ ヽ ヽ ヽ 「あなと」と'ほほゑみて硯召しいづ。 白露はわきても置かじ女郎花心からにや色のそむら む 法成寺入道前太政大臣'女郎花をを-て'歌よむべきよし侍れければ 紫弐部 寛弘五年秋七月'中宮彰子はお産のために父道長の土御門邸に退出していられる。早朝秋草が咲き乱れる中 を'道長は遺遥する。紫式部日記冒頭の流れるような名文も'歌の詞書にすればなお冗漫である。・・・・・・ほどに・・・ -中 に -な る を -御 覧 じ て -給 ひ て ・ -と て 給 は ぜ た -。 と 一 つ の セ ン テ ン ス に 圧 縮 し て い る 。 こ れ 以 上 ≡.和も省-ことの出来ない珠玉の文章である。ところが新古今集の詞書になると,土御門殿の情景は消えてしま

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- 56 -う。紫式部集の歌は詞書ぐるみ鑑賞するところにおもしろみがあるのである。 次に詞書と歌との照応を見よう。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ はやうよ-'童友だちな-し人に'年頃経て行きあひたるが' ヽ ヽ て帰-にければ' ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ     ・ ・ ・ ・ . ・ ( 荏 )   ヽ   ヽ   ヽ   そ イ ヽ ほのかにて'十月十日の程、月にきほひ ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ 1 めぐ-逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ そ の 人 ' 遠 き 所 へ 行 -な -け -。 秋 の 果 つ る 日 ' き た る 暁 に ' ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 2 鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらん ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ     ヽ 虫の声あはれな-。 秋の果つる日とあるから'十月十日では遅過ぎる。桂宮本では「十月十日のほど」がない。新古今集の詞書は 「七月十日のころ」としている.昔'幼馴染だった友に'久しぶ-に解逼した。名残も尽きぬうちに友は帰って しまった。折からの十日の宵月が'ほのかに雲隠れてしまったように--と名残惜しさの感懐を盛-上げて歌に 入る。詞書と歌とが、互に映発し合って効果をあげている。その懐しい人は'会者定離の世の定めさながら遠国 に旅立つというので'秋の尽日暇乞いに訪れた。一夜語-明した暁、鳴き弱った虫の声は一入哀れが身にしみる。 景情一致してあわれ深い。文から歌へ'歌から文へと流れるように続-妙味は源氏物語には随所に見られる。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 月は入-かたの'空清う澄みわたれ.るに'風いと涼し-吹きて、章虹らの虫の声々、もよほし顔なるも'い とたち離れに-き草のもとな-0 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 鈴虫のこゑのかぎ-を尽-してもながき夜あかずふるなみだかな ( 桐 壷 ) この文と歌の照応の見事さ'続きの揮然とした美しきは'源氏物語に至って最高に達している。詞書と歌との 照応'緊密な響き合いは此の家集の特色である。 最 後 に 歌 絵 と 物 語 絵 の 歌 に つ い て 記 さ ぬ ば な ら な い 。 3 0 は 歌 絵 ' 4 8 は 名 所 絵 、 4 4   4 5   4 6   4 7   は 物 語 絵 を 詠 ん だ

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紫式部集の歌と詞書 - 57 -膏けい前項,詳仙 壬 H ・ V 一 、 小 ロ ' , ' o し   }     l l l ものであ-'9 4には歌語-が見える。 歌絵に'あまの塩や-かたをかきて'こ-積みたるなげさのものに'書きて返しやる 30 四方の海に塩焼-あまの心から焼-とはかかを欺きをやつむ 30の歌絵は吉沢義則博士の﹃源語釈泉﹄に述べて居られるように'「書き載せる歌意を表わした装飾絵であっ て'歌を書-為の下絵」と解してお-。歌が先にあってそのこころを絵にあらわす場合と'絵があってその情景 にふさわしい歌を書きこむ場合とあるわけである。詞書によると紫式部が海士の塩焼-さまを歌絵にかいて'積 んだ投木(薪) のもとに歌を書きつけたものを返歌としたことになる。桂宮本の異本に「返し」がないのがある が'続千載集巻十七 雑中には、「歌絵に海士の汐や-所にこ-つみたる木のもとにかきて人の許に遣しける」 とある。彼女に絵心のあることは'両夜の品定めや須磨の絵日記の-ど-にも窺えることで'恋の贈答にも用い たであろう。歌絵は絵と歌と筆跡とを綜合的に鑑賞したもので当時盛に行われていたことは'歌合や申務集・ 源重之集・栄華物語・大鏡などに見えている。また中宮彰子入内の際の調度に'「御厨子など御覧ずるに--弘 高が歌絵書きたる冊子に'行成の君の歌書きたるなど」 (栄花物語 耀-藤壷)と素晴しい歌絵の冊子あったこ とがわかる。 みにくき(荏) 絵に物怪つきたる女の'みなむきかたかきたる後′に,鬼に成-たるioとの女を,小法師のしぼりたるか た書きて'をとこは経読みて'物怪せめたる所を見て 44 なき人にかごとをかけてわづらふも己が心の鬼にやはあらん 返   し 45 ことわ-や君が心の闇なれば鬼のかげとはしる-見ゆらん 絵に'梅の花見るとて'女のつま戸押し開けて'二三人居たるに'みな人々寝たるけしき書車たるに' をもとの(桂) いとさだすぎたる男の'面杖ついて'眺めたるかたある所 と(荏) 46 春の夜のやみのまよひに色ならぬ心に花の香をぞしめつる

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- 58 -同じ絵に'嵯峨野に花見る女車あ-。なれたる童の'萩の花に立ち寄-て'折-取る所 47 さを鹿のしかならはせる萩なれや立ちよるからにおのれ折れ臥す ●(桂) 世のはかなさ事を歎-頃'陸奥に名ある所々'書いたるを見て'塩がまの浦 に ( 桂 ) 48 見し人のけぶ-とな-し夕よ-名もむつまじき塩がまの浦 44454647 は歌絵でなく物語のある場面を絵にしたものであろう.この家集に犀風の歌は見えないが'当 時厨風の絵(風景 名所 風俗等)を詠んだ歌を書き'絵と歌とを共に鑑賞し.たことから、手軽な小品の紙絵が 盛んになり'物語を絵に表わし'また画中の人物の心になって歌を詠じた。それは物語を享受しっつ創作するこ とである。4 4から48までは家集の配列上からは'宣孝没後幾許もない頃であ-'彼女は悲しみの衝撃が落着-に つれ'空虚なつれづれを慰めるべ-'最も熱心に物語を読み'また創作をしていた頃となるのである。これらの 歌を見ると'絵の読みが深いことを感じる。一枚の絵に無限の広が-を想像し'作中の人物と一体となって詠じ ている。物語の愛好者たちは'しばしば絵を見て'歌を読み返歌し物語を継いで行ったのであろう。さればこそ 源氏物語中の79 4首の歌が,登場人物それ-の心境になって,生き生きと詠みわけられたのである。 44の詞書の「みなむきかた」は解し難い。桂宮本・御所本の「みに-きかた」を取ろう。南波浩氏も瑞光寺本 紫式部集によってこのことを述べられた。僅か二行ばか-の詞書で'物語の筋の一部を述べ得ている。物怪が悪 い・て錯乱状態になった女(よ-まし)の後に'物怪となったもとの女(男のもとの情人)を'小法師が縛ってい る。男は経を読んで物怪を調伏しようとしている情景を描いた絵であろう。罪深いのは男'死して鬼になった女 こそ憐れである。 物僧のせいにして悩んでいるが'物怪は男の良心の影であろうと、批判的に詠じたのを'それに和して返歌を しているのは'彼女と共に物語絵を見ている女性であろう。4 6の絵は4 4と同じ物語絵の他の場面であろうか。 「心の鬼-心の闇-鬼の影-闇のまよひ」脈絡があるようである。4 7は4 6と同じ絵とある.同じ絵物語の他の場 ヽ 面とすると'4 4から4 7までは一連の物語絵ということになる。4 6の詞書の'「いときだすぎたる男」は桂宮本・

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紫式部集の歌と詞書 一一 59 -4 4 l l l l 口 上 Y 十 八 御所本「おもと」とある。女ばか-の場に男が居るのも不似合いで、「いとさだすぎたる男」では詩情に乏し い。「おもと」は女房の尊称で'若か-し頃の色ごとも昔の夢と消えて'今は色ならぬ心に梅の香をめでている のではないか。おもとの心境になって詠じている。 47は秋草の咲き乱れる嵯峨野に花見る女車。車の主の姿は見えない。召使の女の童が萩の花を折-取る。絵を 見ただけで「なれたる童」と解されるのは'物語の内容からであろう。歌の・「しかならはせる萩なれや」に照応 する。萩はおのれと折れ臥す。「なれたる童」の風情であ-'車の主をも暗示する。艶な気分が漂って詞書は深 い含蓄を持っている。玉葉集 巻四 秋上に「犀風の絵に花見る安寧あ-'わらはの立ちよりて萩の花折る所」 とあるのは単純な説明に過ぎない。 48は名所絵で犀風に書かれたものかも知れない。亡き夫を偲ぶ真情が静かに流れている。夕顔の巻の「見し人 の煙を雲とながむれば夕の空もむつまじきかな」のもとになった歌であろうが家集の歌の方が遥かによい。 と(荏) 煩ふことある頃な-け-。かひぬまの池といふ所なんある。人のあやしき歌語-するを聞きて,試みに 詠まんといふ。 世にふるになぞかひねまのいけらじと思ひぞしづむ底は知らねど 又心地よげにいひなさんとて 心ゆ-水のけしきはけふぞ見るこや世に経つるかひねまの池 貝沼の池はどこにあったのか'/悲しい伝説が語-伝えられていたのか'人が怪しい歌語-をしているのを聞い て、自分にも煩悶のある頃'歌語-の主人公のつも-で試みに詠もうという。生きる望を失って池の底に沈もう といい'思い返して「生けるかひあ-」と詠有。こうした試みが'物語の中に歌を詠み入れる修練となり,歌語 りは物語創作の素材となった。源氏物語は多-の苦物語-や歌語-を吸収し'漢籍仏典を駆使消化して,紫弐部 の抱懐する人生観や人間観を'具体的な人間模様をもって描き出したものである。 以上紫式部集の歌と詞書を眺めて釆たが'彼女が自らの生涯の心の記録として纏めた家集こそ,源氏物語や紫

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- 60 -式部日記共々'更に多-の人に読まるべき価値あるものと思う次牙である。 ︹注-︺ 遺著﹃紫式部日記﹄所収 紫式部家集 ︹注2︺ ﹃源氏物語の基礎的研究﹄所収 紫式部集の本文の成立とその文芸的価値 ︹ 注 3 ︺   紫 式 部 集 の 復 元 と そ の 恋 愛 歌   文 学 4 0 ・ 2 ︹注4︺ 紫式部集における恋の歌の姿勢 女子大国文 3 8・6 ︹注5︺ 角田文衛氏著﹃紫式部とその時代﹄所収 越路の紫式部 岡一男博士は長徳四年春帰京説

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