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御用御誂物としての染織輸入 ―「御用御誂切本」の紹介を兼ねて―

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御用御誂物としての染織輸入 ―「御用御誂切本」

の紹介を兼ねて―

著者

石田 千尋

雑誌名

鶴見大学紀要. 第4部, 人文・社会・自然科学編

48

ページ

23-50

発行年

2011-03

URL

http://doi.org/10.24791/00000127

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御用御誂物としての染織輸入

─ 「御用御誂切本」の紹介を兼ねて ─

石田 千尋

Chihiro ISHIDA

「鶴見大学紀要」第48号 第4部 人文・社会・自然科学編 (平成23年 3 月) 別刷

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はじめに 筆者は先に「近世後期におけるオランダ船の御用御 誂物輸入について」(『鶴見大学紀要』第47号第4部、平 成22年)を報告した。この拙稿においては、近世後期 にオランダ船が持ち渡った将軍の注文品である御用御 誂物について調査研究し、日蘭貿易における位置付け を試みようとしたものである。考察の結果、日蘭双方 にとって御用御誂物は、幕末になるに従って本方貿易 用の荷物よりも重要視されてきていることが判明した。 また、その過程でオランダ側が日本側の要求に何とか 応えようとする姿勢がみてとれ、それは、オランダ側 の日本貿易を介しての対日交流継続に対する強い姿勢 のあらわれと読み取った。 本稿は、上記の拙稿でおこなった研究をより具体的 に継続・発展するものであり、将軍の注文品である御 用御誂物の内、特に染織品に焦点を絞り、実物の裂を 貼り込んでいる「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂切本」 (鶴見大学図書館所蔵)(以下、「御用御誂切本」または 「切本」とも略称)を、オランダ側史料と突き合わせる ことにより、その詳細な取引を明らかにし、御用御誂 物における染織輸入の実態と意味を明らかにしようと するものである。なお、本稿は「御用御誂切本」の内 容に則して文政7年(1824)から天保7年(1836)まで に限って考察する。 第1章 御用御誂物内の染織品 近世のオランダ船積荷物の中で誂物は、将軍をはじ めとする幕府高官、長崎地役人等によってオランダ船 に注文されたものの持ち渡りである。(1)誂物は前年度 に発注されたものが全て翌年持ち渡られるとは限らず、 持ち渡られるまで何度も注文が繰り返されることもあ った。しかし、本稿で考察対象とする文政7年(1824) から天保7年(1836)までの御用御誂物内の染織品に関 しては、ごく一部の品物を除き前年に注文されたもの の持ち渡りとみてよい。(2) オランダ船が持ち渡った品々は、貨物を船積みして送 付する際、貨物の受取人に宛てて作成された積荷明細 目録であるFactuur「送り状」によって知ることがで きる。「送り状」は出島のカピタン部屋において商館長 から年番町年寄に提出され、阿蘭陀通詞をまじえて翻 訳されるわけであるが、提出されたものは入港船が持 ち渡った「送り状」ではなく、商館長が前もって日本 側に知られないように元値を抜かして写し取った「送 り状」のコピーであった。(3) 文政7年(1824)∼天保7年(1836)の誂物の場合、オ ランダ側史料となるオランダ船が持ち渡ったFactuur 「送り状」は、全て現存している。その上、天保2年 (1831)以降(安政2年(1855)まで)には、Opge-gevene Factuur(提出送り状)すなわち、日本側に提 出された「送り状」のコピーが残されている。次に、 オランダ船が持ち渡った誂物を記す日本側史料(積荷 目録)としては、現時点で文政9年(1826)を除いて日 本各地に所蔵されている史料を挙げることができる。 (表1の末に出典となる日蘭両史料名・所蔵地を記す。) したがって、文政7年(1824)∼天保7年(1836)に オランダ船が持ち渡った御用御誂物内の染織品の各品 目に対して日本側(阿蘭陀通詞)がどのような訳語を 当てていたか。また、数量に関しては、オランダ側と 日本側でどのような異同があるかに着目し一覧表にし て示すと表1のようになる。 表1からわかるように文政7年(1824)∼天保7年 (1836)の御用御誂物には毎年染織品が含まれており、 金巾・奥島・皿紗といった綿織物が最も多く、次いで 海黄などの絹織物であり、毛織物は、天保5年(1834) と同7年(1836)の猩々緋数反のみである。 御用御誂物はオランダ側から日本側(長崎会所)に 売却されると品物そのものは出島から長崎会所に引き 渡されたが、(4)その後全て江戸に運ばれたのであろう か。誂物の取引を担当した御内用方通詞の記録である 「 御 内 用 方 諸 書 留 」( 5 )に は 、 天 保 7 年 の 記 事 と し て 「向々誂之内、入用之分請取、残会所江相渡候品立書」 が残されている。これは、御用御誂物以外の誂物の発 注者が必要とする品物を受け取り、残りの物を長崎会 所へ渡し「入札」に付すことにしたリストであり、そ れぞれの品物には御内用方通詞が代銀の額を書き入れ ている。この事例によれば、長崎奉行以下非常に高い 割合で会所へ誂物が引き渡され、入札に付されること

御用御誂物としての染織輸入

─ 「御用御誂切本」の紹介を兼ねて ─

A Study of

Eischgoederen

of a Duch VEssel which arrived in Nagasaki in 1837

石 田 千 尋

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24 御用御誂物としての染織輸入

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になっている。この割合( )は全体では 73.6%であるが、誂物全てを受け取った久松・高嶋連名 (Fisamats Sekiziro en Takasima Sirotaju Sama Opperburgemeesteren)の品を除くと何と89.8%を示 すことになる。これは、当然、長崎奉行・長崎代官・ 鉄砲方・町年寄・町年寄見習としての特権を生かした 誂物を使用しての商売であり、果たしてどれだけの収 益を得ていたか今のところその史料を得ていないが、 かなりの収益が見込まれていたと推測される。(6)誂物 が長崎会所で取引にかけられることは、御用御誂物も 例外ではなかったと考えられる。次章で紹介する「御 用御誂切本」には、商品名、反数、反物の「幅」・ 「長」の下に「元」・「拂」の記事があるが、「元」は オランダ側から日本側(長崎会所)が購入した価格で あり、「拂」は長崎会所で五ヶ所商人等に売却された価 格と考えられる。(7) なお、表1の「送り状」と「積荷目録」との突き合わ せによって明らかになった御用御誂物内の染織品は、 全て「御用御誂切本」で扱われているわけではなく、 表1の「切本」の有無で示したように46品目中30品目 (65%)が記され、16品目(35%)は記されていない。 すなわち、「御用御誂切本」は、輸入された御用御誂物 としての染織品(=反物)を網羅的に扱っているもの ではなく、長崎会所で五ヶ所商人等を相手に取引にか けることを前提とした反物を扱ったものと考えられる。 第2章「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂切本」につ いて 「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂切本」は和紙仮綴 にして縦27.3㎝、横19.8㎝(縦帳)で、30丁、103裂 (最大裂15.9㎝×14.0㎝、最小裂5.8㎝×3.0㎝)からなる。 本史料の作成者は表紙に示すように反物目利の山本で ある。山本家における反物目利初代は、山本太十郎で あり、由緒書によると「寶永五子年 別所播磨守様四御 在勤之節被召出、御物端物目利役見習被為 仰付四ヶ 年相勤、正徳元卯年 久松備後守様二御在勤之節御物 反物目利役被為 仰付」(8)た。長崎地役人として反物 目利が始まったのが寛文11年(1671)であるから、反 物目利職のはじまりから数えて40年目に正式に反物目 利に任命されたことになる。「御用御誂切本」は五代山 本甚左衛門(在職、享和元(1801)∼天保4年(1833)) と六代善右衛門(在職、天保4年(1833)∼天保14年 (1843))の二代にわたって作成されたものか、あるい は六代善右衛門の時に五代甚左衛門時代に扱った反物 にまでさかのぼって作成されたものと考えられる。 本史料は文政7年(1824)から天保7年(1836)まで にオランダ船が輸入した御用御誂物としての反物を貼 り込んでいるが、表題に「從文政七申年至(アキママ) 御用 御誂切本」と記されていることより天保8年以降にも貼 り込む予定があったのかもしれない。 また、先にも記したように、御用御誂物の反物を全 て扱っているわけではなく、長崎会所で取引にかけら れることを前提とした反物の裂を貼り込んだ「切本」 とみることができる。 次頁以降に本史料「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂 切本」を写真を添えて紹介し考察を加えていきたい。 (28頁∼35頁参照) 28頁∼35頁に紹介したように「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂切本」は御用御誂物の反物の内、長崎会所で 取引にかけられることを前提としたものに関して輸入 年と反物名・反数・幅・長・元・拂が記され、それに 相当する実物の裂が貼り込まれたものである。しかし、 貼り込まれた裂は全て残っておらず、一部といってよ い。裂が剥ぎ取られたのが取引にかかわる時点(オラ ンダへの注文見本などのため)であったか、または後 年第三者によっておこなわれたかは不明である。本 「切本」作成の第一の目的は、恐らく長崎会所において 五ヶ所商人等を相手に取引にかけられる際の手元資料 とするためであったと推測される。その他には、その 後の取引段階で現物と照合したり、後年の参考の意味 合いもあったと考えられる。 第3章「從文政七申年至(アキママ) 御用御誂切本」とオ ランダ史料 本章においては、第2章で紹介した「從文政七申年至 (アキママ) 御用御誂切本」で扱われている反物の名称は なにを表し具体的にどのようなものなのか、また、長 崎においてどれくらいの価格でオランダ側と長崎会所 で取引され、さらに、長崎会所でいくらで五ヶ所商人 等に売却されたのか、現存するオランダ側史料と突き 合わせて考察してみたい。なお、オランダ側史料は先 述の「送り状」の他、主に「日本商館勘定帳」付録文 書の「御用御誂売上計算書」(9)を用いて考察する。 (36頁∼44頁に掲げる表2∼12では、「品名」、「反数」、 反物の「幅」・「長」、「元」(1反に付いての長崎会所 購入価格)、「拂」(1反について長崎会所が五ヶ所商人 等に売却した価格)、「貼付裂数」を「御用御誂切本」 によって記し、「品名」、「反数」、「元」をオランダ側史 料「御用御誂売上計算書」によって「御用御誂切本」 記事に照合する形で記す。) 文政7年(1824)(表2) 白金巾 witte hamans 「金巾」はポルトガル語canequimの転じた語。(10) カネキンはインドの西岸コンカン地方(現マハラシュ トラ州)に古くから住んでいたマラータMaratha部族 会所への引き渡し額 商館からの仕入額

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が話すマラータ語(Konkani-Marahti)のKhankiに由 来するとされる。(11)witteは「白色の」の意。hamans は堅い厚地の金巾のこと。(12)「切本」の裂は剥がされ ていて確認できないが、堅く撚った糸で織った目の細 かい綿布と考えられる。 「送り状」によれば仕入値は1反に付14.0テール。(13) これはバタヴィアでの仕入値であり、出島仕入値には バタヴィアから長崎までの輸送経費が加えられなけれ ばならないが、本稿では、残存史料の都合上、「送り状」 の数値を各商品の仕入値としてみていく。本品をオラ ンダ側は、御用御誂物として7.0テールで日本側に販売 している。1テールは宝銀で10匁、正銀で5匁になるこ とより「切本」の「元」35匁は正銀で記されているこ とがわかる。 新織算崩島 geblokte taffachelassen 「新織」とは従来輸入されたものとは違うニュータ イプの染織を意味すると考えられる。「算崩島」の「島」 は、現在の「縞」を意味するが、本来は海外からの持 ち渡り(島渡り)の反物に縞柄のものが多かったこと より、島が現在の縞を意味するようになったといわれ る。(14)「算崩」は算木を崩した形の意。「算崩島」は経 緯の色の排列の仕方によって三筋ずつ縦横に石畳のよ うに織りだした碁盤縞模様の織物である。(15)geblokte は「碁盤縞」の意。taffachelas(-sen)は縦縞の絹織物、 交織または綿織物といわれるが、19世紀輸入のものは 綿織物であったと考えられる。(16)「切本」には裂がな いため確認できないが、経糸・緯糸共に二本ずつ引き 揃えの双糸を用いて平織(斜子織)にした碁盤縞の綿 織物と考えられる。 「送り状」によれば仕入値は1反に付12.75テール。 本品をオランダ側は、御用御誂物として1反10テール (50目)で日本側に販売している。 文政9年(1826)(表3) 尺長白金巾 hamans 「尺長」は標準の長さ(定尺)より長い意。本品が 上述文政7年輸入の「白金巾」の長さ(3丈4尺)に比べ て長いことがわかる(8丈9尺)。「白金巾」・hamansの 意は上述。 「送り状」によれば仕入値は1反に付16.75テール。 本品をオランダ側は、御用御誂物として1反8.0テール (40目)で日本側に販売している。その後、長崎会所は この品を3.5倍の1反140目で売却している。 文政11年(1828)(表4)

白金巾 hamans fijn、壱番尺長白金巾 hamans 1e. soort、

弐番同(=尺長白金巾) hamans 2e. soort、三番同

(=尺長白金巾) hamans 3e. soort

「白金巾」・hamansの意は上述。fijnは、「質のよい、 (織目の)細かい」の意。1e. soort、2e. soort、3e. soortを

日本側は、壱番、弐番、三番と訳しているが、soortは 等級ではなく、種類を意味しており、1種、2種、3種と いうことになる。したがって、「切本」の「弐番同(= 尺長白金巾)」に「但、壱番 品合少々宜」、同じく 「三番同(=尺長白金巾)」に「但、壱番同品」と但し 書きが記されていることに首肯できよう。 「送り状」には、この4品目の仕入値は合計で記され ているため詳細は未詳であるが、平均値を出せば、1反 に付9.47テールになる。オランダ側は御用御誂物とし て「白金巾」を1反4.0テール(20目)、「壱番尺長白金 巾」を1反8.4テール(42匁)、「弐番同(=尺長白金巾)」 を1反8.0テール(40目)、「三番同(=尺長白金巾)」を 1反6.6テール(33匁)でそれぞれ日本側に販売してい る。その後、長崎会所はそれらを3∼3.5倍で売却して いる。 文政12年(1829)(表5)

壱番上奥嶋 taffachelassen verbeterde l. J 1r e. zoort

「奥嶋」の「奥」とは日本から遠く離れた漠然とイン ドあたりを指すものと考えられる。「嶋」は上述の如く 現在の「縞」の意。verbeterdeは「改良された」の意。 lr.(=letter)Jは「文字(符号)い」を意味する。 taffachelas(-sen)・1e. zoort(=soort)の意は上述。 「切本」には裂が4枚貼付けられている。経糸・緯糸 共に二本ずつ引揃えた双糸を用いて平織にしたいわゆ る斜子地であり、細い綿糸を用いて織りあげた密な地 合としなやかさ、滑らかな光沢などが特徴といえよう。 糸込みは1㎝間に経34本の2倍、緯30越の2倍になってい る。奥嶋は本来インド産であるが、当時はすでにヨー ロッパ産(模造奥嶋)が日本に輸入されており、(17) 品は染料のあでやかさからみてヨーロッパ産と考えら れる。(図1・2参照) 本品は、本来本方荷物の取引用として輸入されたも のであり、「送り状」によれば仕入値は1反に付9.3テー ル。これをオランダ側は御用御誂物として1反10.5テー ル(52匁5分)で日本側に販売している。その後、長崎 会所は6倍の1反320目で売却している。

白金巾 wit katoen、尺長白金巾 wit katoen

「白金巾」・「尺長」・witの意は上述。katoenは 「綿布」の意。「送り状」によれば仕入値は、「白金巾」 は1反に付5.6テール、「尺長白金巾」は1反に付13.8テー ル。オランダ側は「白金巾」を1反3.0テール(15匁)、 「尺長白金巾」を1反8.4テール(42匁)で日本側に販売 している。その後、長崎会所は「白金巾」を3.3倍の1 反50目、「尺長白金巾」を3.6倍の1反150目で売却して いる。 「切本」の文政12年の記事には「色大海黄并弐番上 奥嶋・新織奥島手本切不見候」とあり、この3品目が長 崎会所で売却の対象になったかどうかは未詳ではある

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38 御用御誂物としての染織輸入 が、オランダ側史料より作表し解説を加えておく。 色大海黄 gekleurde armozijnen 「色」はここでは色のついた無地物を意味する。「大」 は定尺に比べて長さか幅が大きいことを意味する。「海 黄」はペルシア湾にある島名に由来するといわれてい る。(18)gekleurdeは「色のついた」の意。armozijn (-en)はペルシア湾の一小島にあった独立都市Orumus に由来する薄くて丈夫な絹織物。原産地はベンガル。 海黄は経糸が細く、緯糸に太目の平糸を用いて平織に した絹織物。(19)染織の詳細については「切本」に裂が 現存している天保4年の項で詳述する。 本品は、本来本方荷物の取引用として輸入されたも のであり、「送り状」によれば仕入値は1反に付15.0テ ール。これをオランダ側は御用御誂物として1反5.6テ ール(〔28匁〕)で日本側に販売している。

弐番上奥嶋 taffachelassen verbeterde l. J 2r e. soort

商品名については上述。本品は、本来本方荷物の取 引用として輸入されたものであり、「送り状」によれば 仕入値は1反に付9.3テール。これをオランダ側は御用 御誂物として1反8.4テール(〔42匁〕)で日本側に販売 している。

新織奥島 taffachelassen extra fijn 1e. soort l. Jr

extraは「特別上等の」の意。その他の商品名につい ては上述。本品は、本来本方荷物の取引用として輸入 されたものであり、「送り状」によれば仕入値は1反に 付11.9テール。これをオランダ側は御用御誂物として1 反11.5テール(〔57匁5分〕)で日本側に販売している。 文政13年(1830)(表6) 上白島金巾 kambriek diemet kambriekは、原産地であるフランス北部の都市カン ブレCambraiに由来する薄地で上質なカナキン。(20) diemetは模様を織り出した丈夫な綿織物。(21)「切本」 の裂は剥がされていて確認できないが、日本側の商品 名より縞柄(地文カ)で上質なカナキン(綿布)と思 われる。 「送り状」によれば仕入値は1反に付10.85テール。 本品をオランダ側は御用御誂物として1反8.0テール (〔40目〕)で日本側に販売している。その後、長崎会所 はこの品を3.5倍の1反140目で売却している。 「切本」の文政13年の記事には「しゆりしや嶋・し ゆくたす島・更紗・上奥嶋・新織同 切本無之」とあ り、この「しゆりしや嶋」以下5品目が長崎会所で売却 の対象になったかどうかは未詳ではあるが、オランダ 側史料より作表し解説を加えておく。 しゆりしや嶋・しゆくたす島 armozijnen 商品名については後述天保2年の項参照。本品は、本 来本方荷物の取引用として輸入されたものであり、「送 り状」によれば仕入値は1反に付15.0テール。これをオ ランダ側は御用御誂物として1反5.6テール(〔28匁〕) で日本側に販売している。 更紗 Bengaalsche sitsen 更紗の原語であるオランダ品目名はsits(-en)(= chitz(-en))。sits(-en)は「さらさ」の意。sitsは 「染め分けの、まだらの」という意味の梵語citráに由 来するとされ、(22)綿布を花鳥・人物・幾何学文様等、 種々様々な文様に染め分けたものである。 Bengaalscheは「ベンガル産の」の意。従って、本 品はオランダ側の商品名からはベンガル産の更紗とな る 。 し か し 、 本 品 に 相 当 す る も の は 「 送 り 状 」 に Europ: Patnasche chitzen、Europ: Patna chitsen(ヨ ーロッパ産のパトナ更紗)とあり、オランダ側史料の Pakhuisboek(倉庫商品出納簿)(23)にはEuropesche

Patna-sitsen. Volgens de Japansche sortering Bengaalsche sitsen. (ヨーロッパ産のパトナ更紗。日 本の分類によりベンガル更紗。)と記されている。すな わち本品はヨーロッパで作製された模造のパトナ更紗 であり、日本ではこれをBengaalsche sitsen(弁柄更紗) とされているわけである。なお、パトナはベンガルに 隣接するビハール州の首都で、Patnasche chitzenは本 来パトナで仕入れた更紗を意味する。この時期はイン ド産の更紗は輸入されず、ヨーロッパ産の更紗が持ち 渡られていた。(24)したがって、本品はヨーロッパで模 造されたパトナ更紗である。現物に関しては、「切本」 に貼付裂のある天保5年の項で述べる。 本品は、本来本方荷物の取引用として輸入されたも のであり、「送り状」によれば仕入値は1反に付3.07テ ール。これをオランダ側は御用御誂物として1反2.25テ ール(〔11匁2分5厘〕)で日本側に販売している。 上奥嶋 verbeterde taffachelassen 商品名については上述。本品は、本方荷物の取引用 として輸入された40反と、御用御誂物として輸入され た30反が使用されており、「送り状」によれば仕入値は 40反が1反に付8.93テール、30反が1反に付15.0テールで ある。これをオランダ側は御用御誂物として1反10.0テ ール(〔50目〕)で日本側に販売している。

新織同(=奥嶋) extra fijne taffachelassen

商品名については上述。本品は、本方荷物の取引用 として輸入された120反と、御用御誂物として輸入され た70反が使用されており、「送り状」によれば仕入値は 120反が1反に付13.11テール、70反が1反に付15.0テール である。これをオランダ側は御用御誂物として1反11.5 テール(〔57匁5分〕)で日本側に販売している。 天保2年(1831)(表7) 色 大 海 黄   armozijn gekouleurd、 し ゆ り し や 島 sursianissen zijde、しゆくたす島 suktassen zijde

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ゆりしや島sursianissen zijde、しゆくたす島suktassen zijdeは海黄(armozijn)と同じ糸使いによる絹織物で あり、日本側商品名は原語を音訳していることがわか る。また、各語尾の「島」は上述の如く現在の「縞」 を意味する。オランダ側商品名のzijdeは家蚕の生糸を 材料とした絹織物を意味する。「しゆりしや」・「しゆ くたす」については、地名との説もあるが管見の限り それらの地名をいまのところみつけることができない。 色大海黄・しゆりしや島・しゆくたす島の詳細な織り については、「切本」に貼付裂のある天保4年の項で記 す。 この3品目は、本来本方荷物の取引用として輸入され たものであり、「送り状」によれば仕入値は1反に付 15.0テール。これらをオランダ側は御用御誂物として1 反5.6テール(〔28匁〕)で日本側に販売している。 上奥島 taffacelassen verbeterd、奥島 taffacelassen、 い奥島 taffacelassen lr. J、ろ奥島 taffacelassen l. Lor 各商品名については上述。これら4品目は、本来本方 荷物の取引用として輸入されたものであり、「送り状」 によれば仕入値は1反に付9.56テールのものと、9.0テー ルのものがある。これらをオランダ側は御用御誂物と して1反7.0テール(〔35匁〕)から10.0テール(〔50目〕) で日本側に販売している。 なお、「送り状」には、この4品目に相当する品目を Europ: taffachelassenと記しており、ヨーロッパ産で あることがわかる。「切本」には「上奥島」の裂が4枚 貼付けられており、それを確認することができる。上 述、文政12年輸入の「壱番上奥嶋」と同様、全て上質 の非常に細い綿糸を二本ずつ引き揃えた平織(斜子織) の縦縞の綿織物である。濃紺を主体として、これに紅 や黄の細縞が入っている。 また、「切本」の「い奥島」に「地合本方弐番同物也」、 「ろ奥島」に「地赤計、本方三番同物也」と記されてい るが、オランダ側史料Pakhuis Rekenig 1831(倉庫商 品計算帳)(25)の商品勘定科目taffachelassenの貸方に、

Onder de eischgoederen voor den Keizer, welke op komps. voldaan worden , opgenomen:

〔日本商館勘定帳で処理された将軍への注文品の 中から〔下記商品が〕引き出された。〕

extra fijn, 1e. soort, lr. J ps. 24

〔奥島〕 do. 2e. 〃 75 〔い奥島〕 do. 3e. 〃(roode stukken) 97 〔ろ奥島〕 verbeterde  64 260 〔上奥島〕

Verkocht(Zie Komps. Rekenig Courant)

〔販売〔本方取引〕(日本商館勘定帳参照)〕 extra fijn, 1e. soort ps. 60

〔奥島〕

do. 2e. 〃 1159

〔い奥島〕

roode stukken 110 〔ろ奥島カ〕

extra fijn, 3e. soort 341

〔ろ奥島〕

verbeterde  36 1706 〔上奥島〕

とあり、「い奥島」・「ろ奥島」の但し書きの意味する ところが明らかとなろう。

上白島金巾 dimet、白金巾 witte hamans fijn、尺長白 金巾 witte hamans lang

商品名の内、langは「長い」の意。その他の商品名 については上述。dimetは「送り状」では、gestreepte hamansと記されており、仕入値は1反に付17.7テール。 本品をオランダ側は、御用御誂物として1反8.0テール (〔40目〕)で日本側に販売している。この品は「切本」 に「但、此品御用ニ不成追而高之侭拂ニ成ル」とある ことより、長崎会所は1反40目で売却したと考えられる。

witte hamans fijnは「送り状」では、kambriksと記 されており、仕入値は1反に付15.0テール。本品をオラ ンダ側は御用御誂物として1反3.2テール(〔16匁〕)で 日本側に販売している。

witte hamans langは「送り状」では、madapolams と記されており、仕入値は1反に付7.3テール。本品を オランダ側は御用御誂物として1反4.0テール(〔20目〕) で日本側に販売している。なお、gestreepte hamans・ kambriksについては上述。madapolamsはキャリコほ どには堅くも厚くもないが、モスリンほどには柔くも 薄くもないものといわれる。madapolamsはインドの コロマンデル沿岸マスリパタンMasulipatamの近郊に 注ぐ大河ゴダワリ川のデルタにあった地名マダポラム Madapollamに由来する。(26) 天保3年(1832)(表8) 色 大 海 黄 gekluerde armozijn 、 し ゆ り し や 島 cercanijs、しゆくたす島 siocoutassen 各商品名については上述。これら3品目は、本来本方 荷物の取引用として輸入されたものであり、「送り状」 によれば仕入値は1反に付15.0テール。これらをオラン ダ側は御用御誂物として1反5.6テール(28匁)(27)で日 本側に販売している。その後、長崎会所は、「色大海黄」 を3.2倍の1反90目、「しゆりしや島」・「しゆくたす島」 を3倍の1反85匁で売却している。

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40 御用御誂物としての染織輸入

(21)
(22)

42 御用御誂物としての染織輸入

上 奥 嶋 taffacelas verbeterde、 い 壱 番 新 織 奥 島 taffacelas extra feine 1e. zoort letter J、ろ壱番同(=

新織奥島) taffacelas extra feine 1e. zoort letter Lo、

弐番新織奥島 taffacelas extra feine 2e. zoort

各商品名については上述。これら4品目は、本来本方 荷物の取引用として輸入されたものであり、「送り状」 によれば仕入値は「上奥嶋」は1反に付9.75テール、そ の他の3品は1反に付8.4テール。オランダ側は御用御誂 物として「上奥嶋」を1反9.9テール(47 (ママ) 匁5分)、「い壱 番新織奥島」を1反11.5テール(57匁5分)、「ろ壱番同 (=新織奥島)」を1反10.7テール(53匁5分)、「弐番新 織奥島」を1反10.0テール(50目)で日本側に販売して いる。その後、長崎会所は、「上奥嶋」を5.7倍の1反 280目、「い壱番新織奥島」を6.6倍の1反380目、「ろ壱 番同(=新織奥島)」を5.6倍の1反300目、「弐番新織奥 島」を3.6倍の1反180目で売却している。 「切本」にはこれら4品目の裂が貼付けられている。 「上奥嶋」は文政12年・天保2年の項でみたものと同様 であるが、他の3品目(新織奥島)は「上奥嶋」に比べ て縞柄は太目で、糸込みは若干粗いが(1㎝間に経26本 の2倍、緯22越の2倍になっているが、これはほとんど 平絹と同数の糸込みである)、染めがしっかりしており、 「上奥嶋」より洗練された綿織物で、よりインド製のオ リジナルに近いといえる。(図3・4・7参照)

い尺長白金巾 hamans lang zoort l. J、ろ尺長同(=白r

金巾) hamans lang zoort lr. Lo

各商品名については上述。「送り状」によれば仕入値 は、「い尺長白金巾」は1反に付18.75テール、「ろ尺長 同(=白金巾)」は1反に付13.5テール。オランダ側は 御用御誂物として、「い尺長白金巾」を1反7.4テール (37匁)、「ろ尺長同(=白金巾)」を1反7.0テール(35 匁)で日本側に販売している。その後、長崎会所は、 「い尺長白金巾」を5.9倍の220目、「ろ尺長同(=白金 巾)」を5.7倍の200目で売却している。 天保4年(1833)(表9)

色大海黄 gekleurde armozijnen、たあれす嶋 dherrijs、 しゆりしや嶋 surchanis、しゆくたす嶋 sjoecoetassen 商品名の内、「たあれす嶋」の「たあれす」dherrijs は齋藤正雄氏によると「Durijas、Doriya、Dereaなど に 呼 ば れ た 名 称 の 転 訛 で あ る 。 ド リ ア ス は 梵 語 の doriya(縞織物)、dor(筋、柳條)に由来する」とさ れる。(28)また、山脇悌二郎氏はベンガルの地名デリー dherrijから来ているとされている。(29)ここでは、二説 を紹介するにとどめ、後考を俟つこととする。 上記4品目は、本来本方荷物の取引用として輸入され たものであり、「送り状」によれば仕入値は1反に付 15.0テール。これらをオランダ側は御用御誂物として1 反5.6テール(〔28匁〕)で日本側に販売している。 「切本」にはこれら4品目の裂が貼付けられている。 「色大海黄」は、糸使いが経糸が細く緯糸に引き揃えを 用いて平織にしたもので、1㎝間の経の糸込みが40本、 緯が30本になった経と緯が同色の無地海黄である。「た あれす嶋」「しゆりしや嶋」「しゆくたす嶋」は、いず れも「色大海黄」と同じ糸使いによる縞物で「たあれ す嶋」はごく細い等間隔の縦縞、「しゆりしや嶋」は一 重の格子、「しゆくたす嶋」は一重と二重、および二重 の格子織物となっている。(図10∼図15参照) なお、オランダ側史料には御用御誂物となった中に gestreepte armozijn 1反(通常「嶋海黄」と訳され、 縦縞の柄は「たあれす島」より太い)が記されている。 オランダ側は本品を5.0テール(〔25匁〕)で日本側に販 売している。 い上奥嶌 taffachelassen verbeterd lr. J、ろ上奥嶌

taffachelassen verbeterd lr. Lo、 新 織 奥 嶋

taffachelassen extra fijn

各商品名については上述。これら3品目は、本来本方 荷物の取引用として輸入されたものであり、「送り状」 によれば仕入値は1反に付9.37テール。オランダ側は御 用御誂物として「上奥嶌」を1反10.0テール(〔50目〕)、 「ろ上奧嶌」を1反5.0テール(〔25匁〕)、「新織奥嶋」を 1反6.0テール(〔30目〕)で日本側に販売している。 「切本」にはこれら3品目の裂が貼付けられており、 上述の「上奥島」・「新織奥島」と同様のことがいえ る。 天保5年(1834)(表10)

新織奧嶋 taffachelassen extra fijne

商品名については上述。本品は、本来本方荷物の取 引用として輸入されたものであり、「切本」にも「当節 本方之口 引分」と記されている。「送り状」によれば 仕入値は1反に付8.5テール。これをオランダ側は御用 御誂物として1反9.0テールで日本側に販売している。 9.0テールは正銀で45匁であるが、「切本」には30目と 記されている。この点については未詳である。長崎会 所は、本品を1反140目で売却している。 「切本」にはこの裂が貼付けられており、上述の 「新織奥島」と同様のことがいえるが、縞柄のバリエー ションがふえている。(図5・6・8参照)

弁柄更紗 Bengaalsche sitsen、い更紗 Patnasche sitsen la. J

この2品目は「送り状」にはnagemaakte Bengaalse chitzen、nagemaakte Patnasche chitzenと記されてお り、両者共ヨーロッパで作製された模造品であること がわかる。(詳細は上述文政13年の項)

「弁柄更紗」・「い更紗」共に本来本方荷物の取引 用として輸入されたものである。「送り状」によれば 「弁柄更紗」は、仕入値1反に付3.23テール、「い更紗」

(23)

は仕入値1反に付2.86テール。オランダ側は御用御誂物 として「弁柄更紗」を1反3.2テール(16匁)、「い更紗」 を1反2.25テール(11匁2分5厘)で日本側に販売してい る。その後、長崎会所は、「弁柄更紗」を3.4倍の1反55 匁、「い更紗」を4倍の1反45匁で売却している。 「切本」にはこの2品目の裂が貼付けられている。両 者共に上質の木綿にプリントされた二色更紗である。 「弁柄更紗」は褪紫色を基調として黄色を添えており、 (図16・17・18・20参照)「い更紗」は赤紫色を基調と して黒色を添えている。(図18・19・21参照)ヨーロッ パでわざわざインド更紗の模倣品として藍抜きの二色 更紗を作製・輸出し、日本において御用御誂物として 使用されている実例といえる。 天保6年(1835)(表11)

い新織奧嶋 taffachelassen extra fijn 2e. soort、ろ新織

奧嶋 taffachelassen extra fijn 3e. soort

商品名については上述。この2品目は、本来本方荷物 の取引用として輸入されたものであり、「切本」にも 「本方弐番之口同」・「本方三番之口同」と記されてい る。「送り状」によればtaffachelassenは、この年、種 類として‘ordinaire’1500反・‘verbeterde’900反・ ‘extra fijne’800反・‘supra fijne’100反の合計3300 反輸入されており、仕入値を合計で記しているため詳 細は未詳であるが平均値を出せば、1反に付9.2テール になる。オランダ側は御用御誂物として「い新織奧嶋」 を1反10.0テール(50目)、「ろ新織奧嶋」を1反6.0テー ル(30目)で日本側に販売している。その後、長崎会 所は、それらを4倍の1反200目と120目で売却している。 「切本」には「い新織奧嶋」を10枚貼付けており、 上述の「新織奥島」と同様のことがいえる。 天保7年(1836)(表12)

新織奧嶋 taffachelassen extra fijn 1e. soort lr. Lo,

taffachelassen extra fijn 2e. soort

商品名については上述。本品は、本来本方荷物の取 引用として輸入されたものであり、「切本」にも「本方 ろ壱番 分ル」とある。しかし、オランダ側史料より 「ろ壱番」に相当するtaffachelassen extra fijn 1e. soort

lr. Lo(123反)だけでなく、taffachelassen extra fijn 2e.

soort(「弐番」カ)からも17反分けられていることがわ

かる。「送り状」によればtavachelassenは、この年、 種類として‘verbeterde’1400反、‘extra fijne’600 反、‘ordinaire’700反の合計2700反輸入されており、 仕入値を合計で記しているため詳細は未詳であるが平 均値を出せば、1反に付9.75テールになる。オランダ側 は御用御誂物として、1反10.0テール(50目)で日本側 に販売している。その後、長崎会所は、それらを3.8倍 の1反190目で売却している。 「切本」には濃紺を主体とした縦縞の「新織奥嶋」 裂が10枚貼付けられており、先述の「新織奥島」と同 様のことがいえる。(図9参照) おわりに 以上、「御用御誂切本」の裂について詳細に考察して きたが、オランダ側の仕入値と、日本への御用御誂物 としての売値との関係をみると、全体的に仕入値より 売値の低価格が目につく。天保2年(1831)の白金巾 witte hamans fijn(仕入値15.0テール、売値3.2テール) 0.21倍が最低であるが、海黄(armozijn)類がコンス タントに低く(仕入値15.0テール、売値5.6テール) 0.37倍で売られている。奥嶋類は仕入値より売値が高 値に設定されているものがあるが、先述したように、 本稿であつかっている仕入値はバタヴィアでの仕入値 であり、長崎までの輸送経費を加えた出島仕入値は、 バタヴィア仕入値より数パーセント高くなるわけであ るから、奥嶋類においても仕入値と売値はかなり近似 することになり、御用御誂物としての染織品に関して 数値上の収益はまずなかったといえる。これは、誂物 全体にいえることであり、「御内用方諸書留」にみられ るように「御誂物之儀者昔年 商賣方ニ付、格別蒙 御慈(恩カ)澤候ニ付、右為御恩謝於彼邦茂厚心配仕差越」さ れたわけであり仕入値より全体的に安値で販売されて いても不思議ではないであろう。 また、「御用御誂切本」で扱われている染織品の内、 本来の生産地がインドであった綿織物(奥島類や更紗 類)は、この時期ヨーロッパ産(模造品)となってい るが、これは、当時、オランダがインド市場をイギリ スによって奪われ、物資を獲得することが困難な状況 にあったことのあらわれである。(30) 次に本方荷物の取引用から御用御誂物にされた反物 がかなりあるが、このことに関して「御内用方諸書留」 の天保10年8月15日の記事には次のように記されてい る。 一、是迄 御用御誂物之品御代官 御誂ニ相成来 候得共、右之内ニ者本方ニ持渡候品も有之候 付、御代官 御誂品立書付御渡ニ相成候共、 本方内江有之品者別段持渡ニ不及旨、一昨年 會所 談合有之候故其心得ニ而取計来候處、 (後略) すなわち、本方での取引内にある品は、長崎代官より 注文がされていても御用御誂物として特別に持ち渡り を要求しないようになっており、上記のように本方荷 物(本方貿易)として日本に持ち渡られてから取り入 れられていたわけである。これは、基本的に、本方貿 易を圧迫させないために誂物の中には「本方商賣ニ差 支候品者決而持渡不申候儀ニ御座候」(31)ということか ら処理されていたものと考えられる。染織品は本方荷

(24)

44 御用御誂物としての染織輸入 物の代表的商品であったことから以上の現象がおきて いたわけである。 最後に、本方荷物の取引から御用御誂物にされた品 物について、本来の本方取引時と御用御誂時では、オ ランダ側の日本への売値、および長崎会所の五ヶ所商 人等への売値にどのような違いがあったか比較検討し てみたい。天保5年(1834)を例にとりあげてみると、 表13のようになり、3品目に関して本方取引時と御用御 誂時で、日本への売値については違いがないことがわ かる。それに対して、長崎会所の五ヶ所商人等への売 値は、御用御誂物が本方荷物よりも2倍近くの価格がつ いている。同じ品物でも御用御誂物としての商品価値 が本方荷物よりもかなり高かったことを示すものであ り、いかに御用御誂名目に価値があったか知れるとこ ろである。 従来考察してきた反物目利によって作成された、本 方荷物としての反物の裂を貼り込んだ単年度の「反物 切本(帳)」(32)は、輸入反物の荷改めの際に、後の覚 えとして作成されたものであり、それは、まず、「直組」 すなわち価格評価のためであり、その他、大改下調べ、 商人見せ、荷渡し等の際に現物と照合するためのもの であったと考えられる。(33)本稿で考察した「御用御誂 切本」は文政7年(1824)から天保7年(1836)までの 御用御誂物としての反物の内、長崎会所で取引にかけ られる反物の裂を貼り込んだ「切本」であり、本方荷 物の反物裂を貼り込んだ単年度ごとの「反物切本(帳)」 とは自ずと性格は異なるが、御用御誂物として日本側 に入った反物の取引を記し、また、一部ではあるが現 物の裂を確認することができる実際的な史料として非 常に価値の高いものといえよう。 (1) 従来、オランダ船の誂物輸入にふれた研究としては、主 に注文書をめぐっての考察が多く、板沢武雄『日蘭文化交 渉史の研究』(吉川弘文館、昭和34年)、岩生成一「海外文 書館所蔵の日蘭交渉史関係資料について」(『蘭学資料研究 会研究報告』第196号、昭和42年)、同『明治以前洋馬の輸 入と増殖』江戸時代日蘭文化交流資料集(一)(日蘭学会、 昭和55年)、大森實「江戸時代に長崎出島オランダ商館に手 交された注文書について−オランダ国立総合文書館所蔵史 料の紹介を中心として−」(箭内健次編『鎖国日本と国際交 流』下巻、吉川弘文館、昭和63年)、永積洋子「将軍家治が 注文した紅毛服飾」(『日蘭学会会誌』第19巻第2号、平成7 年)、J. Mac Lean,“The Introduction of Books and Scientific Instruments into Japan, 1712-1854.”Japanese Studies in the History of Science No.13. Tokyo.1975. Martha Chaiklin, Cultural Commerce and Dutch Commercial Culture. Leiden. 2003.等を挙げることができる。また、筆者 も先に拙著『日蘭貿易の構造と展開』(吉川弘文館、平成21 年)において19世紀前半のオランダ船の誂物輸入に焦点を

(25)

図1 文政12年輸入の「壱番上奥嶋」 図3 天保3年輸入の「い壱番新織奥島」「ろ壱番同」 図5 天保5年輸入の「新織奥嶋」 図2 図1の左上裂(×30) 図4 図3の右裂(×30) 図6 図5の裂(×30)

(26)

46 御用御誂物としての染織輸入

図7 天保3年輸入の「弐番新織奥島」

図9 天保7年輸入の「新織奥嶋」

(27)

図10 天保4年輸入の 「色大海黄」 図11 図10の裂(×30) 図12 天保4年輸入の 「たあれす島」 図13 天保4年輸入の 「しゆりしや嶋」 図14 図13の裂(×30) 図15 天保4年輸入の 「しゆくたす嶋」

(28)

48 御用御誂物としての染織輸入 図20 天保5年輸入の「弁柄更紗」(×10) 図16・17 天保5年輸入の「弁柄更紗」 図21 天保5年輸入の「い更紗」(×10) 図18 天保5年輸入の「弁柄更紗」「い更紗」 図19 天保5年輸入の「い更紗」

(29)

絞り、事例中心にその性格と史料を検討し、日蘭両貿易史 料の照合をおこないその実態を考察した。

(2) 本稿で扱う文政7年(1824)から天保7年(1836)までの 御用御誂物内の染織品については、1825年・1826年輸入の goud stof, zilver stofや1834年輸入のsitsen in soortenなどを 除き、前年に作成された下記「注文書」にほとんど記され ている。

De eijsch voor zijn Kijzerlijk Majesteit voor 't aanstaande Ao. 1824. [Japan Portefeuille No. 21. 1823] MS.N.A.Japans

Archief, nr.1444(K.A.11796).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-76-12). Eijsch van zijn Kijzerlijk Majesteit voor het jaar 1825. MS. N.A. Japans Archief, nr.1418(K.A.11775). (To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-63-15). De eisch voor zijn

Keizerlijk Majesteit voor het aanstaande Ao. 1826. [Japan

Portefeuille No. 24. 1826] MS.N.A.Japans Archief. nr. 1447

(K.A.11799).(To-dai-Shiryo- Microfilm: 6998-1-78-16). De eisch van zijn Keizerlijk Majesteit voor het aanstaande jaar 1827. [Japan Portefeuille No. 25. 1827] MS.N.A.Japans Archief.

nr. 1448(K.A.11800).(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-79-13). De eisch voor zijn Kijzerlijke Majesteit voor het aanstaande Ao. 1828. [Japan Portefeuille No. 26. 1828]

MS.N.A.Japans Archief, nr.1449(K.A.11801) .(To-dai-Shiryo-Microfilm: 6998-1-80-9). De eisch voor zijn Keizerlijke Majesteit voor het jaar 1829. [Japan Portefeuille No. 26. 1828]

MS.N.A.Japans Archief, nr.1449(K.A.11801) .(To-dai-Shiryo-Microfilm:6998-1-80-5). De eisch van zijn Keizerlijke Majesteit voor het jaar Ao. 1830. [Japan Portefeuille No. 28.

1830] MS.N.A.Japans Archief, nr.1451(K.A.11804) .(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-82-10). De eisch van zijn Keizerlijke Majesteit voor het aanstaande Ao. 1831. [Japan

Portefeuille No. 28. 1830] MS.N.A.Japans Archief, nr.1451

(K.A.11804).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-81-18). De eisch van zijne Majesteit den Keizer, verdere Heeren enz. voor den aanstaanden handel jare 1832.(シーボルト資料 (83)、東洋文庫所蔵フォトシュタット版) De eisch van zijn Majesteit den Keizer enz. voor het aanstaande jaar 1833.[Japan Portefeuille No. 30. 1832] MS.N.A.Japans Archief.

nr.1453(K.A.11806).(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-83-10). De eisch van zijne Majesteit den Keizer. [Japan Portefeuille No. 31. 1833] MS.N.A.Japans Archief. nr.1454(K.A.11807).

(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-84-3). De eisch van zijne Majesteit den Keizer en verdere Heeren.[Japan Portefeuille No. 32. 1834] MS.N.A.Japans Archief. nr.1455(K.A.11808).

(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-84-17). De eisch van zijne Majesteit den Keizer en verdere Heeren. [Japan Portefeuille No. 33. 1835]MS.N.A.Japans Archief. nr.1456

(K.A.11809).(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-85-4). (3) 拙稿「近世日蘭貿易品の基礎的研究−正徳2年(1712)を 事例として−」(『長崎談叢』第69輯、昭和59年)111頁参照。 (4) 御用御誂物が出島から長崎会所へ引き渡されることに関 しては、誂物の取引を担当した御用方通詞(阿蘭陀通詞の 加役、先の御内用方通詞)が書き留めた「天保十三寅年ヨ リ 御用方諸書留」(長崎歴史文化博物館所蔵)に天保15年 (1844)8月6日の記事として「御用之品々會所渡致ス」、同7 日の記事として「御用其外御誂之品會所渡致ス」とみえて いる。また、オランダ側史料Eischgoederen en Inventaris 1831.[Japan Portefeuille No. 29 1831]MS. N.A. Japans Archief,

nr.1452(K.A.11805).(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-83-5) にも御用御誂物の記事の横に以下のように記されている。

Afgeleverd aan den Keizerlijken Zaakbezorger en de geldkamer, blijkens hier geannexeerd proces-verbaal en bij de komps. rekening verantwoord.

(御内用方通詞と長崎会所に引き渡された。〔それは〕 付録文書の報告書でわかるように、日本商館勘定帳に 記されている。) (5) 「御内用方諸書留」(長崎歴史文化博物館所蔵)。 (6) 拙著『日蘭貿易の構造と展開』(吉川弘文館、平成21年) 「第2部第2章 近世後期のオランダ船誂物輸入について−天 保8年(1837)を事例として−」172∼176頁参照。 (7) 長崎会所が売却した相手は、五ヶ所商人に限ったことで はなかったのではないだろうか。現時点において十分な史 料を得ていないので、「五ヶ所商人等 . 」と記しておき、後考 を俟つこととしたい。 (8) 「反物目利について−『天保十一子年九月 由緒書 蘆 塚』の紹介を兼ねて−」(『鶴見大学紀要』第39号第4部、平 成14年)64頁参照。 (9) 本稿で使用した「日本商館勘定帳」付録文書の「御用御 誂売上計算書」は下記の史料である。

1824年:Memorie van het geen door den Japanschen Keizer is betaald voor de aangezondene eischgoederen. [Japan Portefeuille No. 22. 1824] MS.N.A.Japans Archief,

nr.1445(K.A.11797).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-77-7). 1826年:Memorie van het geen door Z. M. den Keizer is betaald voor de aangezondene eischgoederen. [Japan Portefeuille No. 24. 1826] MS.N.A.Japans Archief, nr.1447

(K.A.11799).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-79-2). 1828 年:Memorie van het geen door den Japanschen Keizer is betaald voor de aangezondene eischgoederen. [Japan Portefeuille No. 26. 1828] MS.N.A.Japans Archief, nr.1449

(K.A.11801).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-80-14). 1829 年:Memorie van het geen door den Keizer voor de aangezondene eischgoederen op komps. betaals is.[Japan

Portefeuille No. 27. 1829a-b] MS.N.A.Japans Archief, nr.1450

(K.A.11803).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-81-8). 1830 年 : Aantooning van het geen voor de Keizerlijke eischgoederen op komps. rekening ten goedegebragt

(30)

50 御用御誂物としての染織輸入

wordt.[Japan Portefeuille No. 28. 1830] MS.N.A.Japans

Archief, nr.1451(K.A.11804).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-82-13). 1831年:Lijst van de prijsmaking der goederen dewelke in dit jaar voor zijne Majesteit den Keizer zijn aangebragt. [Japan Portefeuille No. 29.

1831]MS.N.A. Japans Archief, nr.1452(K.A.11805) .(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-83-3). 1832年:Prijsmaking van de goederen dit jaar voor zijne Majesteit den Keizer aangebragt. [Japan Portefeuille No. 30. 1832]MS.N.A. Japans

Archief, nr.1453(K.A.11806).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-83-12). 1833年:Notitie der komps. prijzen dit jaar

voor de Keizerlijke eischgoederen betaald. [Japan Portefeuille No. 31. 1833]MS.N.A. Japans Archief, nr.1454

(K.A.11807).(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-84-14). 1834 年:Notitie der komps. prijzen, dit jaar voor de Keizerlijke

eischgoederen betaald. [Japan Portefeuille No. 32.

1834]MS.N.A. Japans Archief, nr.1455(K.A.11808) .(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-84-23). 1835年:Notitie der komps.

prijzen, dit jaar voor de Keizerlijke eischgoederen betaald. [Japan Portefeuille No. 33. 1835]MS.N.A. Japans Archief,

nr.1456(K.A.11809).(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-85-2). 1836年:Verantwoording van de goederen dit jaar voor den Keizer afgeleverd. [Japan Portefeuille No. 34.

1836]MS.N.A. Japans Archief, nr.1457.(K.A.11810) .(To-dai-Shiryo- Microfilm:6998-1-86-10).

(10) 『日本国語大辞典』第2版第3巻(小学館、平成14年) 861頁参照。

(11) 山脇悌二郎『事典絹と木綿の江戸時代』(吉川弘文館、 平成14年)162頁参照。

(12) Pieter van Dam, Beschrijvinge van de Oostindische Compagnie. 2de boek, deel II., 's-Gravenhage, 1927, p.454. hammans. (13) 「送り状」には仕入値はグルデン(gulden)で記されて いるが、本文ではテール(theil)に換算して記す。テール: グルデン=1:1 −3 1 。 (14) 拙著『日蘭貿易の史的研究』(吉川弘文館、平成16年) 「第5章 奥嶋考」158頁参照。 (15) 同上。

(16) Pieter van Dam, op. cit., 2de boek, deel I., p.834. taffachelas.(14)参照。

(17) (14)参照。

(18) 拙著『日蘭貿易の史的研究』「第7章 オランダ船の海黄 輸入」参照。

(19) 同上。

(20) Van Dale, Groot Woordenboek der Nederlandse Taal. Van Dale Lexicografie. Utrecht/Antwerpen. 1984, p.482. cambric, p.1271. kamerdoek.

(21) op. cit., p.593. diemit.

(22) H.Yule & A.C.Burnell, Hobson-Jobson. A Glossary of Colloquial Anglo-Indian Words and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical, Geographical and Discursive. London, 1969, pp.201-202. Chitz. R.L.Turner, A Comparative Dictionary of the Indo-Aryan Languages. London: Oxford Univ. Press, 1966, p.261. citrá. 山脇悌二郎 「スタト・ティール号の積荷−江戸時代後期における出島貿 易品の研究−」(『長崎談叢』第49輯、昭和45年)11頁参照。 (23) Pakhuisboek. Japan 1830. [Japan Portefeuille No. 28. 1830]

MS.N.A.Japans Archief, nr.1451(K.A.11804) .(To-dai-Shiryo-Microfilm : 6998-1-82-18).

(24) 拙著『日蘭貿易の史的研究』「第6章 オランダ船の更紗 輸入」参照。

(25) Pakhuis Rekening 1831. [Japan Portefeuille No. 29.

1831]MS.N.A. Japans Archief, nr.1452(K.A.11805) .(To-dai-Shiryo- Microfilm : 6998-1-83-4).

(26) 前掲山脇著154頁参照。H.Yule & A.C.Burnell,op. cit., pp.531-532. madapollam. (27) 「御用御誂切本」(12丁オ)には「 」と記されている が、これは当時の取引帳簿類に使用されていた蘇州碼字で あり「二八」匁と読める。(拙著『日蘭貿易の史的研究』 118頁参照) (28) 齋藤正雄「紅毛舶載の織物考(三)」(『古美術』18巻10 号、昭和23年)29頁参照。 (29) 前掲山脇著22頁参照。 (30) (24)参照。 (31) 本史料は、「御内用方諸書留」の「申六月」(=天保7年6 月)の奥付をもつ「御誂物并脇荷物之儀ニ付取調子申上候 様被仰付候付、左ニ申上候」と題する書留に記されている。 (32) 反物目利および取引にかかわった五ヶ所商人等によって 輸入反物の裂を貼り込んで作成された「反物切本(帳)」と 称する史料は現在、東京国立博物館をはじめ、長崎歴史文 化博物館・長崎市教育委員会・九州大学九州文化史研究 所・神戸市立博物館・関西大学図書館・財団法人武田科学 振興財団杏雨書屋・京都工芸繊維大学美術工芸資料館・鶴 見大学図書館・鶴見大学文学部文化財学科・東京大学史料 編纂所・国立歴史民俗博物館等に所蔵されており、この他、 個人蔵を含めて各所に散在していると考えられる。 (33) その他、「反物切本(帳)」の中には、裂の剥ぎ取られた 部分に「注文帳之節取之」と記されているものがあり、注 文見本としても「反物切本(帳)」の裂が使用されたことが わかる。さらに、「反物切本(帳)」はその残存形態からし て、後年の参考として作成・保管する意味合いもあったと 推測される。 [付記1]本稿の染織に関する記述については、日本女子大学教 授の小笠原小枝先生に数々の御教示を賜りました。記 して深甚なる謝意を表します。 [付記2]本稿は、平成22年度科学研究費補助金基盤研究(C) による成果の一部である。

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