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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教への道」─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景 利用統計を見る

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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教への道」─主著

『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とそ

の背景

著者

岡崎 秀紀

雑誌名

アジア文化研究所研究年報

53

ページ

160(79)-168(71)

発行年

2019-02

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010985/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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はじめに  能海寛は1893年 7 月に哲学館を修了し,11月に『世界に於ける佛教 徒』を自費出版している。同書の研究は,これまで読み下し文や難解 用語の概説がある程度で,内容に踏み込んでのテキストの解析は十分 とは言えなかった。そのための第一歩として,能海が言及した,仏教 学・宗教学・哲学関係の研究者,宗教家とその著書を調べ,能海寛研 究会機関誌『石峰』第23 号(2018.3)に発表した。能海が参照した文 献は,当時としては国内で得られる最新の書籍であり,また大部分が 英語をはじめとした原書であることがわかった。  本稿では,その後判明したことも含め,調査結果の概要とその背景 について考察する。 1 .『世界に於ける佛教徒』の概要  出版概要は以下の通りである。 発行書肆 哲学書院・明教社・興教書院,発行 1893年11月18日 印刷部数 1000部 定価15銭 全国委託販売,内容構成 全18章 本文98頁 B 6 版サイズ  内容のポイントとしては,比較仏教学の提唱,サンスクリット学研究と西蔵国探検が急務,仏教 徒連合=総会議所の提案などであろう。本書を通して,能海は新仏教徒運動と「世界仏教」の実現 を訴えたのであった。 2 .言及した人物と著書  ここでは,19世紀に活動した人物,特に仏教研究者を中心に概説する。※人名の次の(P)は主 著の記述頁を示す。 序文 大内青巒=おおうち せいらん(1845-1918)  号は藹々(藹あいあい々居士)。仏教学者,『明教新誌』創刊,東洋大学長(大正 3 )。新仏教徒運動を支援。 大内と能海は青年仏教会,釈尊降誕会などで何度か顔を合わせている。第二回仏教夏期講習会(明 治26年 7 月,於伊勢二見)では,大内靑巒とともに講演した。大内からの能海宛書簡が残っている。

哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教」への道

─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景─

岡 崎 秀 紀

『世界に於ける佛教徒』

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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教」への道─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景─ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 161 第 1 章 宗教の大革新 ドレーパー氏(P 3 ,P 9 )= John William Draper(1811-1882) J.W. ドレイパー  能海の言及「理学宗教衝突ヲ読ムモ其誤ラザルヲ知ルナリ」, 「History of the Conflict hママetween Religion and Science(小栗栖氏譯学教史論)」  英国系アメリカ人の科学者 ・ 哲学者 ・ 物理 ・ 化学者 ・ 歴史家 ・ 写真家など。『理学宗教衝突史』 で宗教と科学の関係における本質的な敵意を提唱した衝突原理を社会に広めた。この著は 9 か国語 以上に翻訳された。  言及した「理学宗教衝突」は,『History Of The Conflict Between Religion And Science』(1875) である。能海はこの著で,キリスト教が西洋で排斥される理由が分かると書いている(P 9 )。日 本語訳は,小栗栖香平訳『學教史論』(一名 ・ 耶蘇教と実学の争闘。明治16年版および24年版)で ある。訳書で原著者名は戎維廉達勒巴児 (ジヨン・ウヒルリアム・ドレパル)と書き,序文を大内 靑巒が寄せている。小栗栖香平は,明治期の官僚,教育者,児童新聞社長である。 レラニレビ氏(P 4 )= Leone Levi(1821-1888) レオン・レヴィ  能海の言及=「統計学者博士レラニレビ氏の調べによれば,耶蘇紀元以来,基督教国中に起こり たる大戦争十一種二百八十六中二十八は,純然たる宗教戦争にして,その他のうちにも王位の争い のごとき内乱のごときも,宗教の関係せる戦争,はなはだ多しという。」  イタリア系英国人。法律家・統計学者・経済学者。ロンドン統計協会で活動した。著書に『The  Law of Nature and Nation』(1855)があり,本文 PP67-68で286の戦争を11種類に分類し,「28wars  on account of Religion」と記録している。日本語になった著書では,豊島佳作訳『万国商法』(1877) がある。  レオン・レヴィ氏がどうしてレラニレビ氏となったかは,『石峰』24号(2019年 3 月刊行予定)を 参照。 フランシスカアラーンデル(P 7 )= Francesca Arundale(1847-1924) F. アランデール  能海の言及=ゲルマン国アラーンデルの海外通信から,キリスト教は死に絶えており,仏教の清 浄な教義を世界に広めたい,との彼女の意欲を述べている。  英国生まれ。神智学協会員。1902年神智学協会の本部アディヤールに移る。H.P. ブラバッキーや アニー ・ ベサントらと親交があった。著に『The Idea of Re-birth, with Karl Heckel』(1890)が ある。『反省会雑誌』等に海外通信を寄せている。 ラッセルウヱッブ氏(P 8 )= Alexander Russell Webb(1846-1916) A. ラッセル・ウエッブ  能海の言及=米国でキリスト教が抛ほう棄きされている傾向とその原因論を紹介している。  アメリカ人。1887年フィリピン領事就任。ジャーナリスト・新聞主。1888年イスラム教に改宗し た最初の米国人として知られる。『Islam in America』(1893)などの著書がある。『反省会雑誌』 にしばしば投稿している。 オルコット氏(P 9 )= Colonel Henry Steel Olcott(1832-1907) H.S. オールコット  能海の言及=  『仏教問答』(15ケ国語で翻訳),来日時の演説(南北仏教徒の連合),仏典翻訳の 事例で紹介する。  ニューヨークで神智学協会を創設(1875)。日本には A. ダルマパーラと共に1889年来日し,各地 で演説した。著『A Buddhist Catechism』(1881)。日本語版では今立吐酔譯『仏教問答』,仏書出  78

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版會(1887)がある。原書は世界15か国で翻訳された。 ジョンストン嬢(P 9 )= Miss Edith Johnston か?  能海の言及=「愛蘭土にありてはジョンストン嬢の熱心仏経を説くが如き」 『反省会雑誌』(1888),『海外仏教通信』(1888,1889)に名前が載る。 ショツペンハウヱル氏(P 9 )= Arthur Schopenhauer(1788-1860) A. ショウペンハウアー  能海の言及=欧州哲学の到達点,インド仏教を研究,哲学上の仏教は途上,と紹介する。  ドイツ哲学者。多くの哲学者,芸術家,作家に重要な影響を与え,生の哲学,実存主義の先駆と みなされる。主著には『Die Welt als Wille und Vorstellung』(1819)がある。同書には,英語版『The  World as Will and Idea』(1788-1860),日本語版・姉崎正治訳『意志と現識としての世界(上中下)』, 博文館(明43- 大正 9 )などがある。 フライデレル氏(P10)= Otto Pfleiderer(1839-1908) O. プライデレル(プライデラーとも)  能海の言及=「氏の宗教哲学」とのみ紹介する。  ドイツ神学者。能海が記した宗教哲学は,『Philosophy of Religions』(1886-88)を指していると 思われる。能海はこの英語版を手にした可能性がある。明治期の日本語訳版では,プライデレル著 田中知四訳『基督教の真相』(明28.5),プライデレル著金森通倫訳『自由神学』(明25.7)がある。 マックスミユーラ―氏(P10)= Friedrich Max Müller(1823-1900) F. マックス ・ ミューラー  能海の言及=「宗教哲学」,梵学の大儒(碩学),大乗非仏説論者,仏学研究の功績大と評価する。  ドイツ出身のインド学 ・ サンスクリット学 ・ 東洋学者,オックスフォード大学教授。『東方聖典 叢書 Sacred Books of the East』全50巻(1879-1910)等の業績がある。南條文雄,笠原研寿,高 楠順次郎が M. ミューラーのもとに留学し,インド学仏教学を学んだ。彼等は帰国後,日本の近代 サンスクリット学に貢献した。 エドウ井ンアーノルド氏(P10)= Sir Edwin Arnold(1832-1904) エドウィン ・ アーノルド卿  能海の言及=『亜細亜の光』,氏より贈呈された英詩を紹介する。  英国のジャーナリスト ・ 詩人。著作『The Light of Asia』(1879)で世界的名声を博す。日本語 版では中川太郎訳『亜細亜之光輝』興教書院(1890)等がある。能海は,明治23年 2 月19日に慶応 義塾を訪問した E. アーノルドと会っている。その後麻布の自宅を 2 回訪ね,能海が英訳した『仏 説無量寿経』を持参した。添削してもらった上に,卿からは能海の熱意に対して英詩が贈呈された。 第 2 章 新仏教徒 中西牛郎(P12)=なかにし うしろう(1859-1930)  能海の言及=『宗教革命論』,新旧仏教徒の比較に共感,と書く。  宗教思想家。米国に留学後,本願寺文学寮教頭となる。「新仏教論」で仏教改革を説き,雑誌『経 世博義』を刊行し国粋主義を主張。著作『宗教革命論』(1889)など多数。能海は中西牛郎の仏教 改革論に共感していた。能海記録には「「宗教革命論」中西牛郎著を論説」(明23年 4 月16日)とあ る。

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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教」への道─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景─ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 163 第 3 章 宗教学上の仏教 ロツツエ氏(P18)= Rudolf Hermann Lotze(1817-1881) ルドルフ ・ ヘルマン ・ ロッツェ  能海の言及=宗教哲学とのみ記述する。  ドイツ哲学者 ・ 医学者。ベルリン大学教授などを務める。ドイツ観念論の思弁哲学と実証的自然 科学の機械論的自然観の調和としての哲学を意図した。主著『ミクロコスモス』 Mikrokosmos( 3 巻,1856〜1864),『論理学』など多数。能海が言及した著書は『Outline of the philosophy of  religion』(1885)と思われる。 ケアルド氏(P18)= John Caird(1820-1898) ジョン・ケアード  能海の言及=宗教哲学   スコットランドの神学者。宗教哲学は,『An introduction to the Philosophy of religion』(1881) のことと思われる。「円了文庫洋書目録」に記載がある。 モハツト氏(P18)= James Clement Moffat(1811-1890) モファット  能海の言及=宗教歴史,とのみ記述。   スコットランド生まれ。1832年アメリカに移住,その後プリンストン大学などの教授となる。教 会史,ギリシャ ・ ラテン語文学 ・ 歴史の研究者。著書『A comparative history of religions』(1873), 『Outlines of church history:from the birth of Christ to A.D. 1648』(1885)など。 モーリー氏(P18)= Frederick Denison Maurice(1805-1872) F.D. モーリス  能海の言及=世界宗教とのみ記述。  イギリス国教会の神学者。キリスト教社会主義の提唱者の一人。主著『The Kingdom of Christ』 で,キリスト教の諸種の伝統から積極的要素を引出し,それらの統一を試みた。著書『Moral and  Metaphysical』,『Philosophy』,『Theological Essays』,『The Religion of The World』(『世界宗教論』

3 版1854,第 6 版1886)などがある。 クラーク氏(P18)= James Freeman Clarke(1810-1888) J.F. クラーク  能海の言及=十大宗教論とのみ記述。  米国人牧師,神学者ユニテリアン派牧師,ハーバード大学で自然神学教授。クラークのことは日 本では明治初期より紹介されている。『仏教評論』巻 1(明治 9 年 9 月)巻 2(明10年10月刊行)で クラーク著が翻訳(山崎久太郎訳)され,論評(石川舜台)が加えられている。能海著 P62にはク ラーク調査として宗徒数が書き込んであるが,各宗徒の数値は,クラーク著『Ten Great Religion』 (1871)とは異なっている。 アルバイテ氏(P18)= Eugene Goblet d'Alviella(1846-1925) ウージェーヌ ・ ゴブレ ・ ダルヴィ エラ  能海の言及=「英米及印度宗教思想進化論」とのみ。  ベルギーの宗教史家,法律家。能海が言及した書名では,仏語原書で『L'évolution religieuse  contemporaine chez les anglais, les américains et les hindous』(1884),英語版で『Contemporary  Evolution of religious thought in England, America and India』(1885)が該当する。  ダルヴィエラ氏がどうしてアルバイテ氏となったかは,『石峰』24号(2019年 3 月刊行予定)を参 照。  76

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第 4 章 哲学上の仏教  能海は本文で 3 人の哲学者スピノザ氏(P26),カント氏(P26),ヘーゲル氏(P26)をあげ,そ れぞれ「凡ママ神論」「唯心論」「理想論」と書き,「仏教の説と相似たる所決して少なからず。西洋哲 学の発達は仏教の道理益々明白となるものなり。」と指摘している。 スピノザ氏(P26)= Baruch De Spinoza(1632-1677) バールーフ ・ デ ・ スピノザ  オランダの哲学者。形而上学体系の創始者。デカルト哲学から決定的な影響をうけた。主著『神 学・政治論』(1670),『エチカ』(1675)など多数。 井上円了とスピノザ  井上円了はスピノザの哲学に関心を持っていた。この点ではライナ・シュルツァらの比較研究が ある。 Rainer SCHULZER 著「井上円了による大乗哲学とスピノザ哲学の比較について」, 『国際井上円了研究』1 ,pp.184-194(2013)  シュルツァによると,円了の宗教哲学講義は,Otto PFLEIDERER(前述)『The Philosophy of  Religion on the Basis of its History』(1886)に基づいたものであると指摘している。 カント氏(P26)= Immanuel Kant(1724-1804) イマヌエル・カント   哲学者。『純粋理性批判』,『実践理性批判』,『判断力批判』で知られる。認識論における,いわ ゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。ドイツ観念論哲学の祖。 井上円了とカント 井上著『哲学要領 前編』(明19)同書第49節(p.96)に韓圖(カント)氏学派の項あり。  ヘーゲル氏(P26)= Georg Wilhelm Friedrich Hegel(1770-1831) G.W.F. ヘーゲル  ドイツの哲学者。自然・歴史・精神の全世界を,矛盾を蔵しながら常に運動・変化する弁証法的 発展の過程としてとらえた。ドイツ観念論の完成者。主著『精神現象学』(1807),『法哲学』(1821), 『大倫理学』(1812-16)など多数。 井上円了とヘーゲル  哲学館では井上哲次郎著の講義録『近世哲学史』,井上円了著『哲学要領 . 前編』(1887)などで ヘイゲル(ヘーゲル)が講義されていた。 第 5 章 歴史上の仏教 井上圓了(P28)=いのうえ えんりょう(1858-1919)  能海の言及=『仏教活論』を紹介し,「哲学面からの仏教考究で足りる」を誤りと指摘する。哲 学者・教育者。新潟県生まれ。欧化思潮に対して東洋思想を強調し仏教哲理を説いた。妖怪学の祖。 明治20年哲学館(のちの東洋大学)創立。著書『仏教活論』など多数。 第 7 章 比較仏教学  ブラバツキー(P47)= Helena Petrovna Blavatsky(1831-1891) ヘレナ ・ ペトロヴナ ・ ブラヴァ ツキー  能海の言及=仏教との関係がどうかと簡単に書く。  ロシア生まれ。世界の神話・宗教をもとに,神秘思想・オカルト思想を誕生させた。NYで神智 学協会を創設(1875)。初代会長は H.S. オールコット。米国,インド(アディヤール),英国で活

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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教」への道─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景─ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 165 動した。 スエデンボルグ(P47)= Emanuel Swedenborg(1688-1772) エマヌエル ・ スウェーデンボルグ  能海の言及=仏教との関係がどうかと簡単に書く。  スウェーデンの科学者 ・ 神学者 ・ 神秘主義思想家。フィランジ ・ ダーサ著 ・ 中西牛郎校閲『瑞派 仏教学(原書名 Swedenborg the Buddhist 佛者瑞典保里)』(明26.5.5発行)がある。序文にドレーパー (前述)の記載がある。また,鈴木大拙(貞太郎)には,スウェーデンボルグ著の翻訳がある。 第 8 章 サンスクリット(梵学) 笠原研壽(P54)=かさはら けんじゅ(1852-1883)  仏教学者。東本願寺から派遣され,南条文雄と共に英国へ留学,オックスフォード大学の M. ミュー ラーから梵語を学ぶ。病に倒れ帰国した。著書『仏教学徒将来の方針』『錫蘭紀行』など。 南條博士(P54)=南條文雄 なんじょう ぶんゆう(1849-1927)  岐阜県生まれ,真宗大谷派の僧侶・仏教学者。英国の M. ミューラーに梵学を学ぶ。仏教経典の 研究で先駆的業績を残す。『大明三蔵聖教目録 “ 南條目録 ”』(Oxford,1883)。大谷大学学長など 歴任。 第 9 章 仏教国の探検 西蔵国探検の必要 鈴木氏(P55)=鈴木券太郎 すずきけんたろう(1863-1939)  能海の言及=「鈴木氏著の亜細亜人等の報に由れば米国発見は已にコロンブスに先だつ数百年前 に於て亜細亜人の発見したりし所にして,特に仏教の僧侶なりと云う」と書く。  ジャーナリスト,教育者。慶応義塾卒業後,新聞雑誌の記者となる。政教社では機関誌『日本人』, 『亜細亜』などで「亜細亜人」「興亜策」の論陣を張った。 第10章 仏教徒の連合 フヲンシス氏(P63)= Pierre François Charles Foncin(1841-1916) P.F.C. フォンサン  能海の言及=仏国地理学者フヲンシス氏最近調査  フランスの歴史学 ・ 地理学教授。フォンサン著『Geographie Generale』p.228(1887)を調べると, 能海著と一致する各宗教の宗徒数のデータがあった。フォンサン氏がどうしてフヲンシス氏となっ たかは,『石峰』24号(2019年 3 月刊行予定)を参照。 ダビツヅ氏(P64、P65)= Thomas William Rhys Davids(1843-1922) T.W. リス ・ デイヴィッズ  能海の言及=宗徒の統計データで調査を紹介する。  英国の東洋学者。パーリ語,上座部仏教の研究者。パーリ聖典協会を設立(1881)。著書『Buddhism』 は仏教概説書であるが,多くの版を重ねている(初版1877)。 『Buddhism: being a Sketch of the Life and Teachings of Gautama,the Buddha.(1878) 邦訳 ライス ・ デヴィズ著 ・ 桑原啓一訳『菩提の花』,教典書院他(1887)  能海が引用した,世界宗徒に関する統計数値はダビッヅ著とよく合致している。 第11章 仏蹟回復 菅桐南(P68)=菅了法,号は桐南。すが りょうほう(1857-1936)  74

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 能海の言及=菅がセイロンで詠んだ漢詩を紹介し,インドの現状と仏蹟回復への注意を喚起した。  島根県川本町出身(光永寺)。川本小学校初代校長。慶應義塾の後,英国オックスフォード大留学。 帰国後は政治家へ。日本で最初にグリム童話を翻訳『西洋古事仙叢話』(1887)した。 第12章 総会議所 ダンマパーラ(P70,P84)= Anagārikā Dharmapāla(1864-1933) アナガリーカ ・ ダルマパーラ  能海の言及=セイロンの護法居士ダルマパーラが仏蹟霊場を参詣して,その荒廃をなげき,回復 運動への決意を紹介する。経典翻訳で英語と梵学に精通するが大切と,来日した氏と共感した。  ダルマパーラはセイロン出身の仏教徒。仏蹟回復運動で世界的に活動した。明治22年来日し京都 で能海と交流した。 第14章 海外宣教 ウイリアムキユーヂヤツジ氏(P77)= William Quan Judge(1851-1896) W. クアン・ジャッジ  能海の言及=米国神智学会と連絡を取った際,Q. ジャッジから返信があったことを書く。   米人,神智学協会創立に関わる。『反省会雑誌』等に海外通信を寄稿。 人物・文献調査のまとめ  『世界に於ける仏教徒』では,外国人35名(哲学・科学者 9 名,宗教家17名,仏教者 5 名,歴史 上の人物 4 名),日本人17名(近代仏教者・研究者 7 名,歴史の人物10名)が取り上げられている。 本稿ではこのうち,哲学・科学・宗教関係の外国人25名と日本人 7 名を取りあげ概説した。能海が 言及した彼らの著作は計20冊。この内,原書(日本語訳版)は,英語14冊( 5 冊),ドイツ語 4 冊( 0 冊),フランス語 2 冊( 0 冊)であった。年代的には明治維新以前の本で,ドイツ哲学の 3 冊のみ, 他すべては維新後の刊行の書であった。 3 .考察・検討 ~能海の情報源と背景~ 3 - 1  哲学館で宗教学・チベット仏教学に打ち込む 1 )能海寛著「宗教学の必要」,『東洋哲学』第 4 編第 3 号 pp.130-134(明治30年 5 月12日発行)には, 12名の名前が載る。『世界に於ける佛教徒』に登場しない外国人 4 名の名があった。 Tiele = Cornelis Tiele(1830-1902)コルネーリス ・ ティーレ。オランダの神学者,宗教学者。 Saussage = Pierre Daniel Chantepie de la Saussaye(1848-1920) シャントピー ・ ド ・ ラ ・ ソーセイ ※ Saussage は能海のミススペル。 オランダの神学者。『(Manual of the)Science of religion』(1891)。原著は独語版。 Salter = William Mackintire Salter(1853-1931)ウィリアム・マッキンタイア・ソルター。 アメリカの哲学者。シカゴ大学等で教鞭。 Drummond = Henry Drummond(1851-1897)ヘンリ ・ ドゥラモンド。英国の伝道師,生物 学者。 2 )能海著のチベット探検の決意  能海のチベット行の決意の経過をまとめ,そのことと,学問的基礎固めを考えたい。 ①蚊野僊次郎 「活眼」(明治19年10月23日) 能海の壮大な将来計画を「石見一傑士」と讃えた激励文。西蔵の文字はなく,何を指していたか は不明。『能海寛遺稿』(大正 6 )で,南條文雄は「君の西蔵探検の志は已に此時に発起せり」と 書き,普通教校時代(在学,明治18年〜20年)にさかのぼると述べている。

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哲学館で育んだ能海寛の「世界仏教」への道─主著『世界に於ける佛教徒』で言及した人物・著書とその背景─ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 167 ②東温譲のインド留学送別会にて西蔵探検を公言する。(明治21年) ③能海自筆「履歴書」(記述年不明)「蔵行は明治25年に発心」したと書く。 ④「西蔵国探検の必要」,『天則』第 6 編第 1 号,pp.18-20(明治26年 7 月17日) ⑤「西蔵国探検の必要」,『反省雑誌』第 8 年第 7 号(明治26年 7 月31日) ⑥『世界に於ける仏教徒』(明治26年11月18日発行) ⑦「口代」(明治27年 2 月27日) ⑧「予と西蔵」(明治30年 5 月 9 日記)  能海は明治31年10月 4 日に故郷・波佐を出発し,同年11月11日に本山からのダライ・ラマ宛親書 を受け取ると,翌12日には神戸港を出発したのであった。  哲学館時代(明治24年〜26年)の研究を基盤に,能海は『東洋哲学』に多くの論文を投稿している。 『東洋哲学』寄稿論文  〜世界の宗教 ・ 哲学研究から東洋学・チベット仏教研究へ〜 能海寛「宗教学の必要」,第 4 編第 3 号,pp.130-134(明治30年 5 月12日発行) 石峰記「西藏國新教の開祖ツヲンクハバ略傅」第 4 編第 4 号,pp.185-189(明治30年 6 月 5 日) 石峰生「東洋學に就きて」第 4 編第 5 号,p.258(明治30年 7 月 5 日) 石峰生「漢學と支那語」第 4 編第 6 号,pp.308-309(明治30年 8 月 5 日) 石峰誌「ツヲンクハバの年代異説」第 4 編第 7 号,pp.348-349(明治30年 9 月 7 日) 石峰「佛教研究の三方面」第 5 編第 2 号,pp.100-102(明治31年 2 月 5 日) 石峰「西藏國大蔵経總目録」第 5 編第 3 号,pp.153-154(明治31年 3 月 5 日) 石峯「支那學の勃興」第 5 編第 4 号,pp.211-212(明治31年 4 月 5 日) 「能海寛等演説」第 5 編第 4 号,p.220(明治31年 4 月 5 日)※『仏教』改題十周年紀記念講話  論文は明治30年,31年の刊行が殆どである。能海は哲学館時代にチベット仏教関係の学習・研究 を積んだ。さらに南條文雄宅での梵学研究(29年 3 月〜31年)があった。それらの成果が『東洋哲 学』に結実した。哲学館でチベット探検行の学問的基盤を一層固めたと考える。 3 - 2  明治初期の洋書 ~井上円了の周辺~ 1 )「東洋大学・円了文庫(洋書)図書目録」  円了は明治21年 6 月 9 日より 1 年間,米英仏独などに出かけ,欧米の盛況ぶり,東洋学の研究状 況を視察している。円了著『欧米各国政教日記』(明22)には,能海が言及した書籍情報はなかった。 2 )東洋大学所蔵文献 東洋大学所蔵の図書目録にあたった。 「哲學研究會圖書目録」(明治二拾六年九月)No.1〜139,「哲學館蔵書目録」甲壱〜甲1316, 「新入圖書目録」(明治39年 5 月以降) 総数28点 これらの目録から能海が言及した洋書を見出すことはできなかった。『哲学館講義録』を精査 すると,円了の講義で聴いたドイツ哲学関係の書籍情報が出てくる可能性はあろう。 3 )内閣府・帝国図書館  『内閣文庫類別目録 英書門』内閣書記官室記録課(明治29年 3 月19日発行),および『帝国図書 館洋書目録』(1898 年・明治31 年)にあたった。同じく,能海が言及した洋書を見出すことはでき なかった。 3 - 3  最新かつ広範な人物と著書に言及 ~仏教・キリスト教・宗教学・哲学・神智学・科学~   能海は当時外国人の著作をどこで入手できたのであろうか。『世界に於ける仏教徒』では,西洋  72

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の宗教 ・ 仏教研究者の20点の著作に言及していた。地域的には英仏独米の文献がほとんどで,年代 的には19世紀後半に刊行されたものが多かった。ドイツ哲学関係では18世紀後半のものも含まれて いた。20 点のうち,『世界に於ける仏教徒』が出版される1893 年(明26)までの時点で,日本語訳 版が刊行されていたのは 9 点ほどであった。邦訳がない文献については,能海は原書に目を通して いたと考える。原書の取り上げは,内容的に深く突っ込んで言及しているわけではないが,能海の 英語力は普通教校や慶応義塾時代,原書や外国人教師による講義によって鍛えられ,英語の原書が かなり読める程度であったと判断する。西洋の研究情報は哲学館で井上円了の講義で得ていた可能 性がある。いずれにせよ,能海が言及した文献は国内に入っていた最新の情報であった。  また1890年前後の神智学関係者の 5 名の名前の記述が目立っている。当時,京都を中心に新仏教 徒運動が盛んとなり,仏教の一派とも思われた神智学への関心が高まった時代でもあったからであ ろう。 4 .今後の課題  能海のチベット行前の研究・研鑽では,特に哲学館時代の外向的な研究姿勢と仏教学・宗教学の 研究を評価したい。哲学館は能海がチベットへ向かう大きな学問基盤を固めるステージであった。  能海が言及した著書・情報の入手ソースの特定はできなかったが,一般的にこの種の特定は困難 であるとの話も聞く。また言及した文献の内容的解説は,著者の能力をはるかに超えている。今後 の専門家の研究を期待したい。また『世界に於ける佛教徒』の内容研究は,まだまだ第一歩を踏み 出したばかりの状況である。記述の批判的検討,テクストクリティークがようやく始まろうとして いる。 謝辞  今回の能海寛生誕 150年記念シンポジウムの企画開催をはじめ,一連の記念事業の推進に多大な ご尽力ご後援をいただいた,東洋大学関係者の皆さまに能海寛研究会として深く感謝申し上げます。 また,文献調査では飯塚勝重氏,北田健二氏にお世話になりました。   (能海寛研究会会長)

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