163 知農ロボットの探索
1.単 収 増 大 技 術
世界の食糧需給逼迫を緩和するためにも,また農産物 の安定出荷による収益性向上のためにも,単収の増大と 維持のためのシステム技術が現代の農業食料問題を解く キーテクノロジーとなっている.ちなみに,単収とは, 単位面積当たり収穫量を表す生産性指標である. 食料の需給関係を簡単に振り返ってみよう [澁澤 01]. 過去 50 年間,主食である世界の穀物生産は右肩上が りに向上してきた(図 1(a)).この生産増は単収増大 技術によりもたらされたものであった.この間,農地面 積は漸減傾向にあり,人口増による一人当たり収穫面積 が 10 アールまで減少した.農地面積の漸減と人口増に よる主食需要増は,単収増大への圧力を一層高めるが, その増加率の低下傾向は続いており,閉塞感がまん延し ている. 最近 10 年間の食糧需給の特徴は,生産が需要に追い つかず,在庫が危険水準の 15%を下回ったことにある (図 1(b)).需要増大の原因は,人口増と経済成長を背 景にした食生活の変化,および燃料資源の需要増にある. 単収技術は,品種改良と化学資材および機械化に依存し てきたが,従来の延長線では世界的需要増に応えられな い. 世界の 193 か国の穀物単収実績の一例を示す(図 1 (c)).上位 20 国の平均は 6.7 t/ha,下位 20 国の平均が 0.6 t/haと 10 倍の差があり,世界平均が 3.3 t/ha,大穀 倉地帯をもつロシアが 1.8 t/ha,大人口をもつインドが 平均以下の 2.4 t/ha である.これらの国の技術革新によ る単収増大の余力には望みがあり,そして,米と食用穀 物で高い単収技術を誇る日本の農業に期待が集まらざる を得ない. ただし,モンスーン気候の中で発達した日本の農業技 術を支えた農業者のほぼ 7 割が,今後の 10 年間に離農し, 新規就農者は年間 7 万人,39 歳以下が 1 万人,自立し た農業者になるには少なくとも 10 年の経験が必要なの で,予定される約 200 万人の離農者の穴を埋めることは 困難である.改めて,単収増大技術および農法の翻訳と 普及移転が緊急課題として浮上してきたのである.知農ロボットの探索
Exploring the Agro-wisdom Robotics
澁澤 栄
東京農工大学大学院農学研究院Sakae Shibusawa Institute of Agriculture, Tokyo University of Agriculture and Technology. [email protected], http://www.tuat.ac.jp/~sakaes/
Keywords:
precision agriculture, agricultural robotics, agro-informatics, decision support. 「人工知能と農業」164 人 工 知 能 30 巻 2 号(2015 年 3 月) 農法とは,農産物安定出荷のために地力維持と農業生 産力の強化に必要な技術的諸要素を農業者の生産現場で 統合したシステム技術であり [澁澤 02],その着目すべ き構成要素には,作物品種,圃ほ場,技術,生産者の資質, そして地域システムがある(図 2).それぞれの農法構 成要素は多数の要素技術から構成されており,その要素 技術がさらにサブシステムを伴うという,全体として重 層構造をなすシステム技術になっている. 例えば,農法構成要素としての技術は,栽培方法や作 業判断などのソフト技術および農業機械や施設構造物に 代表されるハード技術から構成される.ハード技術は簡 単に変更できないので農法変革に対する障害となる場合 もあれば,逆に農法革新を決定付ける.
2.精密農業のコンセプト
精密農業とは,複雑で多様なばらつきのある農場に対 し,平均を目安とした従来農法ではなく,事実の記録に 基づくきめ細かなばらつき管理をして,地力維持や収量 と品質の向上および環境負荷軽減を総合的に達成しようと いう農場管理戦略である [農林水産術会議 03, 澁澤 02]. 図 3 に具体的な作業サイクルを示す.まず圃場の空間 的ばらつきの克明な記録から始まる.土壌や雑草あるい は病害虫発生のばらつきである.その結果,多数パラメー タの時間的空間的ばらつきを表現する圃場マップが創成 される.続いて過去の蓄積された情報を参照しながら, ばらつきに対応した栽培作物や管理法あるいは作業内容 を決定する.例えば,肥沃度のある土壌には過度の施肥 をする必要がなく,雑草のないところに除草剤を散布す る必要もない.作業サイクルの最後は農産物の収量と品 質のばらつきの観測である.収量モニタ付きコンバイン の開発や選果ロボットの開発により,作業しながら収量 マップと品質マップが作成できる. 作業結果の評価は,当該年の収量や収益性のみならず 長期的な地力維持や農作業の安全性あるいは環境保全効 果などから実施され,次のサイクルに進む. 精密農業の作業サイクルを実行すると,図 4 に示すよ うに,土壌・作物の管理に関する「情報付き圃場」およ び履歴と品質に関する「情報付き農産物」が誕生する.「情 報付き圃場」と「情報付き農産物」を活用することにより, 地力維持を図りながら,コスト削減と良質農産物の生産 および消費者ニーズに対応した市場戦略や収益性の向上 を同時に狙える農業が誕生する. 精密農業に必要な技術の大半はすでに開発されてお り,現在ではその運用方法が課題になっている. 土壌マッピング技術の例として,著者らが開発したト ラクタ装着型リアルタイム土壌センサを紹介する. 土中に水平トンネルを連続的に形成して可視・近赤 外光を底面に照射し,その土壌反射スペクトルから成分 を推定するスマートセンサであり,GPS データと結合 して詳細な土壌マップを提供できる.北海道の 4 ha 畑 地にて実施した,参照用土壌サンプル 70 点によるマッ プと土壌スペクトル 700 点によるマップを図 5 に示す [Kodaira 04].およそ 1 時間の走査で収集しデータによ り 12 土壌成分の詳細な土壌マップが正確に創成された. 図 2 農法の 5 大要素と主な要素技術群 図 4 情報付き圃場と情報付き農産物 図 3 精密農業の作業サイクル165 知農ロボットの探索
3.知農ロボットの構想
精密農業におけるマッピング技術と可変作業技術の自 動化に判断機能をもたせたシステム機械が農業用ロボッ トである.すでに耕うんから収穫にわたる多くの圃場作 業のロボット化が図られ,温室などの施設内ロボットも 開発されている [近藤 05, 近藤 06].また,高度な情報 処理や知識処理によるスマート農業が取り組まれている [農業情報学会 07]. しかしながら,1980 年代に日本で最初の果実収穫ロ ボットが開発されてからすでに四半世紀が経ちながら, いまだ期待されるほど普及していない.コスト問題や安 全問題などが障害であるとよく議論されるが,著者は, 問題の立て方が違うのではないかと感じている.これら の技術開発には,担い手や事業体のニーズを直視する態 度が欠落しているからである.そこで,生産現場の視座 から農業技術の総体を組み立て直す試みを開始した.そ れが知農ロボット構想である. まず,次のような作業仮説を提案した.知農ロボット とは,次世代農業に要求される機械機能の仮想総体を示 し,実作業と農作業判断支援を同時に実行するシステム をいう.判断文脈の構成には,利用可能な機械や技術手 段の評価,土壌・作物の特性把握,市場動向,リスク評価, 自らの体力・知力の正確な見積りが必要になる. 判断支援システムの随伴システムとして知農ロボッ トに要請される機能は次のとおりである(図 6)[澁澤 08]. (1)知財情報収集・保護機能:農家や技術者の思考プ ロセス記録し発明・発見を保護する. (2)感性コミュニケーション機能:農家の暗黙知を伝 達し再現する非言語対話手法を活用する. (3)農場情報収集・管理機能:土壌情報や作物・病害 虫情報を収集・記録し正確に管理する. (4)農業福祉支援機能:高齢者や障害者とともに農場 管理を作業する. (5)農作業記録・経営支援機能:農作業を正確に記録 し実績に基づいたリスクへの対策を支援する. 判断シミュレータの部分をもう少し検討してみる. 農作業の判断と行動を記録・解析するにあたり,個々 の作物や作付け体系を追跡しただけでも,数百に及ぶ作 業項目や工程が連続して存在しており,また個々の項目 や行程において幾重もの判断選択肢が存在することが判 明している.例えば,1 回の除草作業の判断支援を取り 上げても,11 個の記録・学習・解析を担うシステム要 素が必要であり,推薦行為の提案まで 13 工程の要素間 コミュニケーションが必要である [澁澤 09]. そこで,農業者の判断プロセスを模倣しながら,知農 ロボットで扱う農業情報を活用したノウハウや技術の再 構成・再発見プロセスの構想を提案した [澁澤 10].ま ず有益な農業情報の生産者と情報加工製品の利用者を設 定した.利用者が求める情報製品を統合農業知と名付け 図 6 知農ロボットのスキーム 図 5 リアルタイム土壌センサの能力 ( a )トラクタ装着型リアルタイム土壌センサ 1 水分, 2 土壌有機物, 3 pH, 4 電気伝導度, 5 陽イオン交換容量, 6 全炭素, 7 アンモニア, 8 腐食, 9 硝酸イオン, 10 全窒素, 11 有効態リン, 12 リン酸吸収計数 ( b )土壌成分マップ(左:土壌分析,左予測モデル)166 人 工 知 能 30 巻 2 号(2015 年 3 月) 20 ha以上経営体に集積している.1 億円以上出荷額が 2 000経営体,3,000 万円以上では 3 万経営体,1,000 万 円以上の経営体は 14 万経営体で,その 90%以上で女性 が経営参加している.さらに 50 歳未満の農業者が 17 万 人で,農業人口比にして 10%にあたる.これらの農業 者が産業として日本の農業を担う人々であろう.もちろ ん,直売の地産知商や耕す市民も重要な農業の担い手で ある.このような担い手と協調作業できる知農システム が期待される.
◇ 参 考 文 献 ◇
[Kodaira 04] Kodaira, M. and Shibusawa, S.: Using a mobile real-time soil visible-near infrared sensor for high resolution soil property mapping, Geoderma, Vol. 199, pp. 64-79(2013) [近藤 05] 近藤 直,門田充司,野口 伸:農業ロボット(Ⅰ),p. 225,コロナ社(2004) [近藤 06] 近藤 直,門田充司,野口 伸:農業ロボット(Ⅱ),p. 242,コロナ社(2006) [農業情報学会 07] 農業情報学会 編:スマート農業,p. 399,農林 統計出版(2014) [農林水産術会議 03] 農林水産術会議:日本型精密農業を目指した 技術開発,農林水産研究開発レポート,No. 24, p. 18(2008) [澁澤 01] 澁澤 栄:第 5 世代の精密農業─日本から発信するコミュ ニティベース精密農業,特技懇,Vol. 256, pp. 31-37(2010) [澁澤 02] 澁澤 栄 編著:精密農業,p. 199,朝倉書店(2006) [澁澤 08] 澁澤 栄(研究代表):篤農技術継承のための知農ロボッ トスキーム,科学研究費助成事業基盤研究(A)成果報告書, 2011 ∼ 2013 年度,p. 6(2014) [澁澤 09] 澁澤 栄:作業決定支援装置および方法,並びに記録媒体, 特許第 4202328 号(2007) [澁澤 10] 澁澤 栄:統合農業知の可視化によるユーザーイノベー ション実践科学,日本学術会議学術大型研究計画【区分 1】学術 領域:食料科学委員会,15-8 統合情報システム化によるフード イノベーション,計画番号 45, p. 2(2014) 2015年 1 月 19 日 受理 た.情報の生産者は,農作業実績をもつ熟練農業者,技 術体系を熟知する専門技術者,知の整理法に熟練した研 究者である.利用者は,産業競争力を目指す農業法人企 業経営者,地元産業の中核を目指す地産知商の農業者, 農のある豊かな生活を目指す「耕す市民」である.これ らの農業者・専門家・研究者がシームレスに交流できる 仕組みを,とりあえず,コンカレント実践教育システム と名付けて,その機能を知の蓄積ステージ,統合ステー ジ,活用ステージの三つに整理した(図 7). 判断・行動の記録と解析は必然的に大規模データ解 析システムと三次元 GIS を用いた可視化システムなど, 先端 ICT の活用が必要になり,農業科学が工学の最先 端と生産現場で接続し融合することが求められ,統合農 業知が先端科学の対象として浮上する.