41 した硬脳膜が露出す,痩孔(一),試験穿刺では0・5cm の深さで濃厚膿汁少量を証明した。該部に交叉切開を 加え硝子ドV4ンを挿入し排膿を計った。膿汁の反復 培養で連鎖状球菌を検出した。経過:翌日一一般状態は: 急速に軽快したが健忘性失語症を認め之は退院頃まで 多少遺った。髄液穿刺16回,べ筋注1,840万単位,ズ‘ 剤内服659,オーレオマイシン局所注入を行い術後44 日ドレイン除去,85日で膿瘍腔閉鎖し100日目に軽快 退院した。 11.気管内挿管麻酔後に生じた喉頭内肉芽腫症例 (耳鼻科)窪 敦 子 (至誠心病院耳鼻科)(演)新田志ず子 喉頭ポリープの発生に就では:発声其他による機械的 刺戟が重大なる因子となることは既に周知の事実なる も,明かに外的機械的刺戟である気管内挿管に:引続き’ 発生せる3症例に出て述べ,気管内挿管麻酔に関与す る者の注意を喚起したい。 症例ぽ何れも肺結核患者,気管内挿管麻酔下に肺切 術を受げ,術後数ヵ月にて叫声並に喉頭異常感を訴え て受診した。 症例1.27才男,術後2ヵ月頃より主訴あり,3ヵ月 後初診,両側声帯後部に対称的広基性に夫々小豆大ポ リーープを認む。 症例2.41女男,術後1ヵ月半泊より自覚,3ヵ月半 後初診,左声帯後部に碗豆大有茎性ポリープ様腫瘤あ りQ 2例共聞接及直接喉頭鏡下に摘出しで治癒。病理組 織学的には非特異性肉芽組織であった。 症例3.31才女,術後1ヵ月位から喉頭異常感,3カ 月頃から宿跡著明となり工週雪後初診,左声帯後部に 小豆縞の画意性ポリープあり,摘出術を嫌iっている聞 に約1ヵ月半商自然に脱落喀出されて息急に音声は明 澄となり治癒した。喀出2ヵ月後再診蒔喉頭所見は全 く正常であった。 他に,気管内挿管麻酔後1∼2日にで呼吸困難を訴え て往診を歪められた2症例に於で,喉頭内所見として 両側声帯間特に声帯突起を含む後半部並に披裂軟骨内 面に厚い被苔を有する損傷部,即ち接触潰瘍を認め た。此事実ぽ声帯後半部は:気管内挿管に際しで損傷 を受け易い事を意出し,且此損傷は後来肉芽発生に関 係ある事を示唆するものである。 G亘野口) 窪 敦 子 先に喉頭ポリープの臨床的並に組織的研究について 発表したが,その結果従来臭性腫瘍に編入されでい た喉頭ポリープが組織的には淡症性産物であり,成因 は発声過労等の声帯に加わる刺戟と考えられた。本日 の演題もこの刺戟発生を裏書するものレG・しかもaの 原因に関係ある麻酔医が知らずに済む可能性があるの で注意を喚起したい。 12.超微小電極法による網膜内活動電位 (生理)菊 地 錬 二 1952年,冨田,船石はGranitの用いた電極を改良 し,Ringer液中の抵抗値約10K:nの,先端直径20μ以 下の微小電極を食用蛙の網膜の内面より挿入し,その 活動電位の変化を追求し,receptor la鵬r及びbi− polor cell layerぽslow action potential lこ関聯カミ あるごとを報告したが,今回,先端直径1μ以下の3M KCIを満した超微小電極を,食用蛙の豪1離網膜の内面 及び外面より徐々に挿入し,その活動電位を逐次記録 し,一方顕微鏡下にて,旧離網膜の厚さをin viVO で測定する方法を考え,活動電位と,網膜内に於ける 電極の位置との関係を求めた。又其後なされたSvaet− ichinの実験等を考慮して考察を試みた。. 13.貧血時における血液蛋白 (千葉大・医・石川内科)吉原百合枝 諸種内科的疾患においで」血液蛋白の二大成分たる血 色素(Hb)と血漿蛋白と両者が如何なる関係に謡いで 変動するか。.特に貧血を呈する場合にHb濃度と夫々 血漿の総蛋白濃度並びに各蛋白藁屑濃度との関係を統 計数学的に観察し此等疾患時の蛋白代謝の臨床的考察 に寄与せんとした。 検査対象}よ昭和27年1月目り昭和29年4月に至る聞千 葉大学石川内科入院並びに外来患者160余例,対照と しで健康三男8例,女10例である。 Hb濃度並びに血漿蛋白総濃度の測定には硫酸銅法 を用い,血漿蛋白分屑の測定はlTiselius装置を用い 電気泳動研究会の規定に従い実施した。 既に一品目成績は電気泳動研究会並びに生物物理化 学誌上に発表したが,今回は肝疾患並びに重症感染症 にっきHb濃度9.59/d1を境として貧血の比較的軽度 の群と比較的高度の群の=二群に分けて検討し興味ある 知見を得た。 即ち二次的貧血が見られる場合血液濃縮や水血症等 特別の事がない場合にはHb及び血漿蛋白の生物学的 意義から此ら疾患時における血液蛋白像の一般状態の 考察延いでは臨床上蛋白代謝の考察に意義があると考 えられる。 14.窒息の循環好酸球数に及ぼす影響 (法医学)(演)吉成京子 阿部和枝 白鼠を実験材料とし急性窒息による循環好酸点数の 変化を観察した。 実験方法:1群の白鼠は固定台に腹臥位に四肢を固 定し,尾静脈より術前の採血を行い,好酸球数を多田 秘法により算定し,直ちに絞頸により1分間窒息さ 一 240“ 一
42 せ,恢復後4時聞,24時間,48時間目に同じく尾静脈 より採血し,好酸球数を算定した。 実験成績:その結果は,窒息後4時間目の好酸球減 少率は,12例平均一64%であり,24時間で術前値に近 く迄恢復し(一15%),48時間では,後前値以上に増加 していた。 然し白鼠の四肢を固定せず,大なるガラス鐘をかぶ・ せ尾静脈より術前の採血を行い,次で絞頸し,恢復後 4時間,24時間と採血した場合は,窒息後4時間目の好 酸球数は,術前値に比し,8例平均一31%で,24時 聞,48時聞では大部分の例に於で術前値以上に増加し でいた。 此成績は急性窒息の際,好酸球数は余りへらないと 云うGtegory Pincusの成績(一35∼一39%)に近い 値であったが,術後4時眠目.に減少しでいた好酸球数 が,24時聞,48時聞で恢復していた事は,窒息が好酸 球数に影響を与えた事を示している事と思う。 更に,同時に白血球数,ヘモグラムを参考にする と,絞頸恢復時間後にぽ,白血球数増多,ヘモグラム で好中球増多淋巴球減少等の所見があり,ストレスの 警告反応の血液所見の特徴を示していた。 15.戦後における本邦心臓疾患死亡率の研究 (衛生) 安楽城 元 近代の治療予防医学の発達は急性及慢性の伝染病に よる死亡を激減させ,その結果平均余命は延長し,心 臓疾患を含む琴唄性疾患による死亡率が高くなったご とに注目し,老入性疾患の一つの心臓疾愚につき,戦 後の動向をみるべく,主としで国勢調査の行われた昭 和22年及昭和25年の本邦心臓疾患死L“率tCつき両年の 年次による変化を観察しでみた。 1)昭和22年より昭和26年までの聡数・男子疎女子 の粗死亡率を比較すると,年次を経るにしたがい高率 となつでくる。各年とも粗死亡率では女子ぽ男子より 高率である。しかt昭和22年掛昭和25年を訂正死亡率 で比較すると男子は女子より訂正死亡率では高率とな る。 2)昭和25年遅:昭和22年より,全国総数及男女別, 府県別総数及男女別とも粗及訂正死亡率ともに心臓疾 患死亡率は1上昇しでいる。 3)両年とも,総数及男女ともに北海道,東北地方 及東京,神奈川,大阪などの都会地方では訂正死亡率 は粗死亡率より高率となっている。総数において,死 亡率の最:高は,昭和22年は1山形県,昭莉25年は秋田県 で,最低は両年とも高知県となつでいる。 4)性別年令別では:,両年とも,男女ともに高年に なると死亡率は急激に上昇している。昭和25年は昭和 22年より,死亡率ぱ高年層で特に上昇している。又両 年とも,若年層における女子の高率,老年層における 男子の高率,男女の死亡曲線の40∼50才での交叉が特 徴である。 以上の如く年次を経るにしたがい,心臓疾患死亡率 は高くなり,特に老年層における死亡率の上昇は,近 年になるに伴い,老入性疾患としての心臓疾患死亡率 が他の死因を凌駕しで表面に現れで来たためではなか ろうか。 16.僧帽弁々膜症に於けるEsopha藍。墓「am (予報) (三神内科) 三紳美和小山千代 渡辺英子 大久保つる 食道の左心房の高さvc ba11oonを位置せしめ,左心 房の搏動を記録するEsophagogramを心疾患の診断 に用いる事ぽ既に古くから行われ,その臨床的価値を 認められでいるが,最近心臓外科の発展に伴い僧帽弁 狭窄症には一般に臨床的に推察されるよりも遥かに種 々の程度の閉鎖不全を合併しでいる事が明かになり, 其の有無及程度の術前の診断を必要としその特別診断 法の一つとしでW飢er, Abelmann, Ellis, Harkenn 等が之を行いCtの方法は逆流の測是には敏感すぎる方 法であると述べでいる。私共は之を追試し本症に於て は如何なる波形を示すかを目下検討しているが今回は 先づ第一報としで正常入のそれに醜いで述べて見応