• 検索結果がありません。

[Continuity and Discontinuity of Politics in Thailand]

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "[Continuity and Discontinuity of Politics in Thailand]"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

タイ国政 治 の連続性 と不連続性

1. タ イ 国 政 治 の 連 続 性 タイ国 にお け る近代 的統治構造 確立 の決定 的契機 は,1932年 6月24日のいわ ゆ る 「立 憲革 命」 に求 め られ る。 この クーデ タは,絶対 王制 の もとで行 わ れた国家体制 近代 化へ の努 力, いわ ゆ るチ ャ ク リ改革 を , その前 史 と して もち,また その歴史 的 因果 は,1935年春 頃 にまで直 接 に及ん で い る。 それ だけ に, この クーデ タは, その具体 的経 過 の あ っ さ り した宮 廷革命 的性格 に も拘 らず, タイ国近代政 治史上 劃期 的な時点 を劃す るので あ る。すな わ ち, それ は,従 来の国王専 制 の統 治様式 にか えて,新興 の官僚 身分層 を権 力的 中核 とす る新 たな支 配 関係 を もた ら し,同 時 に,国家 の形 式 的制 度 を一 挙 に民主 化 した点 で,正 しく飛躍 的な政治的変革 で あ った。 (拷 木 正 道 編 「タイ ・ビル マ の 社 会 経 済 構 造 」所 載 の拙 稿 「タ イ国 政 治 の 近 代 化 」 参 照 ,) この クーデ タの焦点 も しくは歴史 的意義 は,具体 的 には次 の3点 において求 め られ よ う。 ヽヽ ヽ まず第 1に, それ は, 国王 の政治 的実 力を剥奪 し,かつ ,王族一般 が一体 と して政 治 的勢 力 た りうる可能性 をな くな ら しめた。1935年 3月 の ラマ上世 の退位 , それ に続 くわずか10才 の ラ マ八世 の登位 は, 国王 の実 際政治 にたいす る発 言権 の喪失 を ば象徴 的 に示 した事 件 で あ った。 また,1933年 10月 の王族坂 乱 が ,新 興 の軍 部権 力 に よ って平定 せ られ た際 に,王 族 の政 治的潜 在 力は, こん りん ざい去勢 され て しま ったのだ った。 ヽヽヽ 滞 2に, この クーデ タは,職業 政 治家 と しての国家官僚 の圧 倒 的優位性 を確立 したO クーデ プー・コー・カーソ・ノヾテイワツト タを担 った いわ ゆ る 「推 進 者 た ち」 は,絶対 王制 の不条理 さに不満 を抱 く国家官僚 の 集団 だ った。 この100名足 らず の推 進者 た ちは,外 部 的 ・内部 的 に人 的淘汰 を重 ねつつ, クー デ タ政 治過程 の最 後 まで , 一旦 獲得 した実体 的権 力を掌 中 にま も り続 け ることに よ って, 爾 後,権 力核 心 を独 占 しうる立 場 に立 つ ので あ る。 と りわ け,物理 的強制力を備 え る軍 部官 僚の 権 威 は他 を圧倒 し,漸 次軍 部中 心 の独 裁性向が タイ政界 にび まんす る。 いずれ にせ よ, 「推 進 者 た ち」 の勝 利 に よ って,国家官僚 と政 治権 力 との間 隔 は短絡せ られ る ことにな った。 ヽヽヽ 第 3に, この クーデ タは, その立 憲革命 的性格 に も拘 らず, タイに立 憲民主制 を定 着 せ しめ る契機 とな りえず , む しろ,民主主 義 的 諸制 度が超制 度 的権 力 に よ って懇意 的 に乱 用 され る契 機 を もた ら した01932年 クーデ タ政 治過程 の主題 の一 つ は,西 欧的政 治理 念 を信奉 す る近代主 義者 の敗北 で あ る。1933年 4月 の 社会経 済計

法案事件 で ,近代主 義者 の無 力 さは露骨 に暴露

(2)

され た。 かれ らの敗北 と共 に, タイの権 力政 治 は,理 念 に よ る規制 のモ メ ン トを喪 い,政権 の 授受 ,民主 的諸制度 の運営 , その他 の面 で,非民主 的な特 殊 タイ的政 治的慣行 がつ くり出 され て い くので あ るO 国王 ・王 族 の無 力性 , 国家官僚 の圧倒 的優位 性 ,政 治体制 の非民主 性01932 年 クーデ タの歴史 的帰結 が この3点 に求 め られ るとす るな らば,現在 の タイの政 治が や は りそ ヽ ヽヽ の3点 を主 た る特 色 と してい ることに鑑 みて, その クーデ タの根本 的 な意義 を, それが タイの ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽ 現代 政 治 の基本 的パ ター ンを はや30年 代 の初 頭 にまたた くまに創造 した点 に求 め ることが で き るとい え よ う。 この点 に関連 す る ことだが ,通 常, 多 くの学者 は,1932年 以 後 の タイの政治 に,政 治構造 の 基本 的変化 を認 め よ うと しな い。すな わ ち,32年 以 降の タイ政 治- の,研究者 の主 た るアプ ロー チは,誰 が政権 を握 るか の差 が あ るだけで, 同一 の権 力構造 が存続 す るとい う前提 の もとに, リ-ダー シ ップの構造 的把握 とエ リー トの行 動様 式 の把 握 とい う類 いの非 歴史 的 問題 意識 の も とにな され るのが常で あ る。 そのため にか,32年 以 降の政 治 の転変 を固有歴 史学 的手 法で脈絡 づ け る政 治史学 的研究 は, ほ とん どな されな い宿命 にあ るよ うだ。 1932年 以 降の政治 に構造 的変 化 を見 よ うと しな い ことの是非 は問わぬ と して,事 実,32年 ク ーデ タが現在 の軍部独 裁 の原型 を成 立 せ しめた こと, それ だ け に, クーデ タ後 ,少 くと も本質 的次元 で の統 治構造 の変 化が な い ことは否定 で きな い。 ひん ぽん な クーデ タや憲 法改正, 30回 に近 い 内閣改組等 ,政体 の変更 を暗示 す る諸事 件 の反 覆 に も拘 らず,政 治 の あ る局面 は,同質 的 ・連続 的で あ る。 その意 味 で の タイ政 治 の無 変化性 ,連続性 は,少 くと も,次 の三 つ の面 で顕著 で あ る. ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽ ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ まず第 1は,寡頭支 配 の鉄 則が, それ も特 殊 タイ的様 式 で貫 かれ て きて い る点 で あ る。 タイ の寡頭制 は,一 次 的 には,社 会経 済構造 の後進性 に基 くもので あ り,直接 的 には,政 治 的関心 者 層 の稀薄 さに基 因す るもので あ るといえ る。伝 統 的な 自給 自足 的生 活様 式 か ら離脱 しえず, い くぱ くか の社会 的 問題 意識 も仏教 に よ り形 而上 的 に屈折 せ しめ られ , タイの民 衆 の大方 は, 実質 的 に政府 過程 か ら阻外 せ られ た ままで あ る。政 治意識 にめ ざめ,効果 的 に政 治過程 に参 与 しうるの は,仝成人人 口の 1な い し 2%で しかな い。 その少 数者 が広 義で の政 治的指導 者 層 を 形成 す るわ けだが, その層 自体 が ,下 図 の如 き横 断的 区分 を備 えた権 力階梯 を構成 す る。 権力核心をなす狭義の エ リー ト エ リー トの地位 ・活動 を支えるアクティヴ 政治的世論を形成 する政治的大衆

(3)

第 Ⅰ層 は, タイ政 界 の権 力 の核心 で あ るが ,せ いぜ い10人 な い し15人 で しか な い。 これ は反 抗 権 力 の核 心 を も含 ん で い る 。(1954-1957のピブ- ン体制でこの層に相応する地位にあったのは, ビブ -ン首相のほかサ リット・タナラット,パオ ・シーヤノン, ピン ・チュン- ワン,ユタサ ット・コ-ソン, 7- ン・ロンナパカー ト,ウォラカーン ・パ ンチャー,タノム・キチカチ ョーン,プラパー ト・チ ィルサチア ン -以上権力側,クオン・アパイオン,セ一二一・プラモー ト,ダ二・二ワット皇子その他-以上反抗権力側,であ った)。反 抗 権 力関係 者 を 除 くと, その数 は6人 な い し8人 とな る。 第 Ⅲ層 は, 第 Ⅰ層 の地位 の安定 や活 動 を支 え るア クテ ィ ヴの層 で あ るが , 同時 に それ は, 第 Ⅰ層 の補 充 の基 盤 をな し て もい る。 この層 は, しめ て 1,000名 ほ どの官 僚 よ りな るが ,年 令 ・所 属 部 門, 権 力核 心 と の関係 な どに よ り,上 層 ・下 層 にわ か れ うる。 (ある学者が 「現在の支配集団は 400名ほどよりなる」 と推定す るとき,それは第1層 とこの上層 とをあわせ考えてのことであろう。cf.

.

Mosel:"ThaiAdmi

n-istrativeBehavior''in W .Sittn(ed.)TowardtheComparativeStudyofPublicAdministration 1957,p.307)。 第 Ⅲ層 と一般 大 衆 とを決定 的 に 区分す る要 因 は高 等 教 育 の有 無 で あ る。 各層 間 の境 界 は厳 密 で はな く,上 下 の流 動性 が存在 す るが ,各 層 が それ ぞ れ特 殊 な帰 属要 件 を備 え て い る Oタイ政 治 文化 の一 つ の特 色 は ,業績 主 義 とい う近代 的原理 と あ る種 の非 近 代 的原理 とが交 錯 して活 用 され て い る点 で あ るが ,第 Ⅲ層 に所 属 す るには ,公務 員 試験 も し くは士 官 学 校 で の学 業 成績 の優 秀 さと,第 Ⅰ層 の政 治 家 と忠 誠 -恩 恵 の互 助 関係 を結 ん で い る こと との二 つ の要 件 が 必 要 で あ る。第 Ⅰ層 の エ リー トは, も っぱ ら各 省 の大 臣 に任 じて い るが ,官 僚 出身 で あ る こと, クーデ タを組 織 Lかつ成 功 した経 験 を有 す る こと, 指導 者 資 質 を有 す る こと, な どの要 件 に 合 致 しな けれ ばな らな い。 (1932年から58年のサ リット内閣に至るまでにしめて 27の内閣が成立 してい るが,それ らに入閣 した計212名の大臣の経歴を見 ると,75%に相当する160名が官僚出身者一内88名が文官 で72名が武官-である。他方32年 ク-デタの推進者およそ70名のうち35名がのちに入閣を許 されている-35 名の全員がもとより官僚出身者であり,その内の20名が武官一陸軍15・海軍 5-残 りの15名が文官である。 1947年 クーデタの参加者中やは り21名が58年までには閣僚となっている。 また特殊タイ的指導者資質に閑 しー

ては,D.A.W ilson:Politicsin Thailand,pp.132-137が くわ しい。)

第 Ⅰ層 が 内 に敵対 分子 を含 み ,第 Ⅲ層 が 第 Ⅰ層 との人 的紐 帯 を条 件 に成 立 して い るた め に, 上 記 三 層 の横 断 的 区分 の ほか に, タ イの寡 頭制 に は常 に縦 断 的 区分 を も考 え る ことが で き る。 第 Ⅰ層 で の人 的対 立 は, 通 常第 Ⅲ層 まで を 明確 に縦 割 り し て しまい, そ こで , いわ ゆ る閥 (cliques) が形 成 され る。 閥 は ,特定 の個 人 を 中核 と して形 成 され る非 公 式 の政 治 集 団 で あ り, ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ その凝 集 の要 因 は,忠 誠 一 恩 恵 の封建 的原理 で あ る。 タイの政 治 の実体 は, 政府 権 益 を め ぐる ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 官 僚 閥 同志 の斗 争 で あ る。 その意 味 で は, タイの寡 頭制 構造 の横 断 的把 握 以 上 に,縦 断 的 把 捉 の ほ うが よ り重要 な 意 味 を もつ。 タ イの寡 頭制支 配 に関 して, よ く 「安定 的 不安 定 」 とい うこ とが いわ れ るが , それ は, この寡 頭 制 構造 が ,横 断 的 には, 常 に安定 性 を維 持 して い る反 面 , クリーク 縦 断的 に見 ると,複 数 の 閥 が相 互 に意思 疏 通 を欠 くま ま緊 張 しあ って い て, 不安定 極 ま りな い点 を指 す 。

(4)

ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ 32年 以 後 の政 治史 を貫 く第 2の連続 的特 徴 は, 権 力授 受 の方 式 と して ,政 権 の立 憲 的授 受 は ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 稀 で , も っぱ ら非 合 法 的 な権 力 移動 す な わ ち クーデ タが行 わ れ る点 で あ る。過 去30年 間 に,タ イ政 治 の大 規 模 な エ リー トの交 替 は 四 つ の時 期 に集 中的 に行 わ れ て い る。 す な わ ち,1932年 ,

4

4

,4

7

年 ,お よび

5

7

年 の

4

回 で あ るが ,その うち

3

回 まで が クー デ タに よ る もので あ る 。その 30年 間 に生 じた主 な クーデ タ (権力担当者が政局安定のために仕組む coup demain,countercoup も含めて考える)を下 に表示 す る。 年 ・月 ・日 種 別 1932. 6.24 ㊥ 33. 4. 1 ※ 33. 6

.2

0

3

3

.10.1 2-39. 1.29

4

7

.ll. 8 48. 4. 6 48.10. 1 49. 2

.2

6

50. 1.27 51. 3. 8 51.

6.2

6′

-

51.ll.29 52.ll.1

0-5

7.

9

.1

6

58.10.21 hlL u a ( ( ( ′t \ ( ( ) ) ) ) ) ) ) ) 畑 柵 ㊥ ※ 柵 畑 禍 根 畑 × 柵 ㊥ ※ 組 織 主 体 tt推 進者 た ち" プ ラヤ ー ・マ ノバ コー ン tt推 進者 た ち" 王 族 プ ラヤ ー ・ソ ン派 ピ ブ- ン派 ピ ブ- ン 陸軍 参 謀本 部 将 校 ル ア ン ・プ ラデ イ ツ ト 陸軍 将 校 (ル ア ン ・カ ー ト) 海 軍 (タ- - ン) 海軍 ピ ブ- ン派 共 産主 義者 サ リッ ト派 サ リッ ト ⊂註コ ㊥--・エ リー トの大幅な交替を もたらした三大 クーデタ ×---実質的権力保持者が企図する,形式的権力担当者を追放するための, もしく は反抗権力を阻害するための COupdemain ( )- (未然)は事前に露見 し,陰謀事件 として処理 されたもの。反対勢力抑圧の 口実としてデ ッチあげられたものが多い。 (失敗)はことに及んで鎮圧 されたもの クー デ タの政 治過 程 は, ほぼ類 型 的 で あ る. タイの政 治 権 力核 心 が め った に一 枚 岩 的 た りえ ず ,絶 えず競 合 しあ う複数 の閥 を含 ん で い る ことは,先 に述 べ た。 クーデ タ遂行 の趣 旨の もと に い くつ か の閥が 団結 し,特 定 指導 者 の指 揮 の もと にenblocに行 動 す るは あ い, その集 団 を 「カ ナ」 とい うO (32年以後,少 くとも四つのカナが有名である。32年のプ一・コ一・カーン ・パテ ィワッ

(5)

ト-推進者たち,47年のカナ・ラタプラ-ーン- クーデタグループ,57年のカナ・タ--ン-後の革命団,およ び戦争中のセ- リー ・タイ- 自由タイ運動。) カナは秘密結 社 的性 格 を有 す る。成 員 に関 して は排他 的 で あ り,企 画 ・決定 ・行 動 の一 切 に関 して秘 密 を ま も るた め ,外 部 よ り内部事 情 を 伺 い知 る ことは不 可能 で あ る。成 員 は,通 常 カナ にた い して生 命 を賭 して もの忠誠 を誓 わせ られ る。指 導 者 は い ろい ろな配 慮 の もとに互 選 され る。 この カナが軍 部 の支 持 を獲 得 した と きに, クーデ タの成 否 は きま る。軍 部 の動 向を正確 に探 知 し,事 前 に ことを感 知 す る ことは極 度 に困難 で あ る。(しか し,事前に巷間にかな り正確なクーデタ勃発の噂が流れることが多い.)クーデ タは, 通 常撫 血 裡 に完 了す る 。(ただ し過去三度の失敗に終 ったクーデタの折には, 鎮圧の過程で相当の死傷者が出て いる。)敗 北 した側 の主 要 人 物 は,死 刑 に処 せ られ ず に, 国外 に亡命 を強 い られ るのが 常 で あ る 。 (この不文律のために,タイの一流政治家は外国銀行に多額の預金をする習慣にある。)クーデ タが成 功 す ると, カナの成 員 は,役 割相 応 の価 値配 分 を受 け るが , それ は, つ ま ると ころ,統 治機 構上 の 有 力 ポ ス トの分 配 で あ る。 (首相,各省大臣,副大臣,警察総監,バ ンコック地区衛戊司令などのポス トは,クーデタ首謀者のあいだでわ りふ りされる第1級のポス トである。タイでは政治職 と行政職との兼任 は常識化 している

) しか し, クーデ タに向 け られ る国の 内外 か らの非 難 を避 け るべ く, クーデ タの成 功 に も拘 らず ,組織 主 体 が ,有 力 ポ ス トに直 ちに就 任 しな い ケー スが 多 い 。 (47年11月ク ーデタ後,ピブーンは,対外関係を考慮 して民主陣営諸国にうけのよいクオン ・アパイオ ンを首相につけ, 5カ月後に改めて自ら首相となっているっ57年 9月 クーデタ後 もサ リットは,前駐米大使のポ ット・サ ラシ ンを首相とし,翌58年10月になっては じめて政権を掌捉 している。) タイに, この よ うな クーデ タが頻 発 す る理 由 と して は,32年 の立 憲 クー デ タを通 じて政 権 の 立 憲 的授 受 の制 度 が事 実 的規 範性 を帯 び えなか った こと,政 権維 持 の基本 的条 件 が民 衆 の支 持 で はな く物理 的 強制 力 の威 信 で あ る こ と, タ イ政 治 に伝 統 的 に職 務 の任 期 性 の観 念 が な い こ と,な どを 列挙す る ことが で きよ う。 しか し,決定 的 な理 由 は,政 治 が 利権 と不可 分 に結 びつ い て い るた め に,政 治 家 が半 永 久 的 に政権 に固執 しが ちで あ る ことで あ る。 タイで は, クーデ タは, 「政 府 変 更 の一 手段 と して, 裁判 所 に よ り,事 莱上 , 法 的承 認を得 るに至 って い る」 (Mosel:op.°it.,p.299)の で あ る。 ヽヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ タイ政 治 の過 去30年 の無 変 化性 を裏付 け る第 3の特 色 は, 国家政 治 を特導 す る根本 的 政治理 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 念 が 欠 如 して い る ことで あ る。植民地 支 配 を経 験 した 国 々の憲 法が た い て い条 文 中 に国家政 策 の指導 原 則 を うた って い る (典型的な例は,ユーゴスラグィア46年憲法を模倣 したビルマの48年憲法) の に反 し,主 権 独 立 を全 う した タイの 憲法 が,32年 の12月憲 法 以 来現行 の59年 臨時 憲 法 に至 る まで , 国家機 構 の形 式 的個 別 規定 に終 始 して い るの は興 味深 い。 タイ政 界 で頻 用 され る言語 象 7'ラチ ヨ- ・ベ ー ンデ イ ン サ - ト ・サ ナ ー /I- ン ・カー ト ラッ チ イ ・プ ラチ ャ テ ィバ タイ 徴 には, 「国 王

「宗 教

「民 族

「民 主 主 義」 な どが あ る。 こ う した言 語 象徴 の存在 は,政 治 に理 念 的 な ものが皆 無 で はな い ことを示 して い る反 面 , タイ社 会 の伝 統 的 構造 が 今 日まで 温存 され て い る ことを も示 して い る。東 南 ア ジアの政 治 が 古 来 明確 な理 念 に - 3

(6)

5-規 律 され ていた ことは, た とえ ば R.Heine-Geldern;ConceptionsofStateandKingshipin SoutheastAsia,1956な どに述べ られて あ る通 りで あ る。 タイ国政 治 を伝統 的 に規律 した政 治 理 念 は,国家秩 序神 聖性 の観 念 ,一元 的秩 序維持 の観 念 で あ った。 この秩序観念 は,現代 にま で存続 し,特 殊 タイ的政治理 念 の核心 をな して い る。(タイの憲法は,かならず冒頭に「一体不可分」 という表現で国体の性格規定をするのが常である。32年12月シャム国憲法第1条,59年1月タイ王国臨時憲 法第2条など参照。) タイの近代化 の端 初 をな した ラマ四世 以 降の チ ャク リ改 革 を貫 いた理 念 は, 神聖不可侵 た るタイ民 族 国家秩序 を維持 す る上 での やむを えな い西 欧合理主 義 との妥協 , とい うことで あ った,1932年 クーデ タの成 功 を支 えた エ ネル ギ ーの一端 は,一群 の西 欧型 近代 主 義 者 に担 われ ていたが,先 に述 べ た よ うに,かれ らの社会 変革志 向は,クーデ タ後 の政 治過程 で揺 藍 の うち に生 命 力を喪 って しま った。かれ らの敗北 に よ って,32年 クーデ タの遺 産 と して 「民 主 主 義」 とい う言語 象徴 だ けは残 ったが ,民主主 義 の実質 は喪 われ る ことにな った。 タイで は 「民主主 義」 は,上位 の権 力者 が民衆 の幸 福 を ひ そか に案 ず る,とい うニ ュア ンスの noblesse oblige的観念 で あ り,制 度 的な性 格 を奪 わ れ ,極 度 に精 神主 義的な観念 と化 してい る点 に特 色 が あ る。 この よ うに して,今 日に至 るまで ,古 来 タイ社 会 の伝 統 的構造 の安定 性 を支 えた秩 序 維持 の観 念 が, その まま排他 的 に基 本 的政 治理 念 と して生 き残 って きて い るわ けで あ る。秩序 の理 念 は, あ る状況 で は正 当な政 治理 念 と して有 効 に働 き うるが,生 産 的 ・創造 的な 「作 用す ヽヽ ヽヽ る理 想」 た りえな い ば あいが多 い。 その意味 で , タイには,国家政治 を前 向 きに幣導 す る政 治 理念 が基 本 的 に欠如 して い るとい って よい。 ヽ タ イ国政 治 にお け る理念性欠如 の現 実 的 問題 点 は二 面 的 に捉 え られ る。第 1の 問題 点 は,近 ヽヽ ヽヽヽ ヽ ヽヽヽ ヽヽヽ 代 化志 向の無定 型 さ,生 温 さで あ る。一 部 の学者 は, タイ社 会 に積極 的 な近代 化 の意 欲 を探 知 し,タイ政 治 を近代 化 寡頭制 (modernizingoligarchy)と規定 してい る。 か りに19世紀 中期 の社 会 構造 と対 比 す るな らば,現在 の タイ社会 は相 当 に近代 化 してい る。 これ は, チ ャク リ改 革 に 始 ま る上 か らの強権 的近代 化政 策 の結果 で あ る。 しか しな が ら

,

「近代化」が常 に権 力担 当者 の adhocな思 い付 きを通 じて しかな されな い点 , (ちなみに,今 日にいたるまで,社会経済構造の改編 ヽヽヽ につながる長期的計画はタイでは一皮として試み られたことはない。サ リットは,政権掌握後,長期および 短期の経済政策を検討せ しめるために,経済発展計画局を設けているが,いわばタイとしては劃期的な試み である), また 「近代 化」 それ 自体 が政治理念 体 系 で 決 して首位 た りえな い点 ,な どを考 え るな らば,近代 化寡 頭制 とい う発想 を行 うことは, い ささか椿 堵 せ ざ るを え まい。率直 に判定 して , タイ国 の歴代 の政 治家 が, 近代主 義一般 に心底 か ら共感 しえて いたか ど うか は疑 わ しいo 国 家近代 化 の課題 性 を充 分 わ きまえて いたか もあや しい。 その意 味 で ,な ん らか の近代主 義 を主 軸 とす る

2

0

世 紀 の歴史 的趨勢 にた いす る適 応能 力 は,一 応 疑わ れ て しか るべ きだ 。 (ピブーン首 相が,共産主義に関する基本的知識を欠いていたことは,元駐泰米大使が暴露 している。c

f

.

E.

F.Stanton: BriefAuthority,1956,P.221.またチュラロンコーン大学文学部には,哲学ない し思想史の講座は設けられ - 36

(7)

-ヽヽヽヽヽヽヽヽ ていない。) タイ国政治 における理念性欠如 につなが るいま一 つの問題点 は,政界 におけ る恐 る ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽ べ き倫理性 の欠如で ある。倫理性 の欠如 は,少 くとも二 つの形 で見 て とれ る。一つは,政治的 腐敗 の 日常化 であ る。近代化志 向があいまいな タイで は,国家政治機能 に秩序維持以上 の内容 を与え る手続 きが,歴史的 にまだ完 了 していな い。 そ して,閥同志の凄恰な抗争 が政治 の実体 で あ るタイでは,権 力核心 の座 の維持 ・奪取を 目論 む主要 政治家達 は, 自己の足場 を閉 め るた めには一人で も多 くの支持者を閥に加 え る必要 があ り, また,支持者維持 の唯一 の方便 が 「お 祝 儀

で あるか らには,財源を無限 に求 め る必要 があ る。他方, この よ うな政治家にたい し結 果責任を倫理的に厳密 に問 う主体 は, タイの政治過程 には まだ介在 しえていない。 こうした も ヽヽヽヽ ろ もろの理 由か ら, タイでは,政治的腐敗 は常識化 してい るので ある。倫理性欠如 のい ま一 つ の醜悪な あ らわれは,いわゆ る 「官庁資本主 義 (bureaucraticcapitalism)」で あ る。 タイの行政 機構 を構成す る諸省 ・諸部局 は,法人であ る。 それ らは, いずれ も,主体的責任 において企 業 に投資 し,かつ企業 を経営 しうる慣行であ る。国家政策執行 に専 念すべ き各省 の上層幹 部が, 国策遂行 を二 の次 と し,企業経営 に専念 し, その利潤で私腹 を肥 や しうるとい う習慣 は,他 国 にはあま り例 を見な いよ うだ 。(企業経営への熱心さは,予算規模の大きい防衛省においてもっとも大で

ある。cf.D.A.Wilson:=TheMilitaryinThaiPolitics'',ini.Johnson (ed.):TheRoleofthe MilitaryinUnderdevelopedCountries,pp.268-9) この慣行 は,筆者 の想像 では,絶対王制時 代 の官省 自給 自足制 に起源す るものと思 われ るが, この官僚資本主 義 は,いわば,政治的腐敗 の源泉 が公式 に制度化 された ものといえは しまいか ? 2. タ イ 政 治 の 不 連 続 面 これ までのと ころで, タイの政治 が,寡頭支配の鉄則 ・権力授受方式の特異性 ・政治理念 の 欠如 の少 くと も3点 において,無変化性 ,連続性 を極立 たせてい ることを見 たが,同時 に, そ の三つの特色 が, いずれ もなん らか の意味で,歴史 的社会 的必然性 を宿命 づけ られてい ること も見 た。 それだけに,以上の 3局面 において, タイの政治は将来 も現在 の態様 を保 ち続 け るこ とが予想 され る。 しか しなが ら, たとえ統治構造 や政治 の実体面での進歩的変化 に乏 しいとはいえ, タイの近 代政治 は,よかれ あ しかれ,別 の局面での変化 に富んでい る.従来, クーデタの頻発 にも拘 ら ず,政治の動 向に明 白な変化 が生 じなか ったのは,1932年 クーデ タの推進者達 が当時世代的 に も若 く,爾後相 当期間排他 的 に政権 を掌握 し続 けえた こと,かれ らの社会 的性格 に基本的 に差 異 がなか った ことな どに基いてい る。 しか し, い までは もはや,32年革命の推進者 の時代 は完 了 してい る。かれ らが歴史的使命 を果 しおえた ことそれ 自体 が, タイ国政治 になん らかの局 面 で不連続面 が存在す ることを暗示 してはいまいか。 この点はと もか くと して, タイ政治の不連続面 に固執 し,政治の動 向に強いて変化 を求 め る - 3

(8)

7-ことは, それ と して無意義で はな い。 タイ政治 の基本 的指 向性 をと らえ るために も, また,皮 面 の無変化性 ・連続性 の事実的重 みを適格 に測定 す る上 か らも,不連続面 に こだわ る試 みは不 可欠 で あ る。 タイ国政治の不連続面 は, クーデ タによ って もた ら さ れ る リーダー シ ップの交替 か ら生 ず る。一般 に, リーダー シ ップの交替 は, その社会 的基盤,社会 的性格 ,政治的思惟行動様 式, 社会 的適応性 な どの違 いか ら,政治 の実質 に少 くと も部分的 にはなん らかの変化 を もた らす も ので あ る。 タイのばあい,権 力の争奪 が カナ集団間でな され,権 力獲得 に成功 した カナ集団 の 内部 で順 を追 って権 力の授受 がな され る習慣で あ るため,集団 の共通 的社会 的性格 が リーダー シ ップの一切 のケースを貫 き, リーダー シ ップの交替 が, 政治変質 の契機 とな りえていな い ヽヽヽヽ ヽヽヽ 感 じで あ る。 しか し, タイの歴代 の リーダー シ ップに,寡頭制 的寡頭制 と専制 的寡頭制 との二 つ の タイプがあ る点 に着 眼す るな らば,政治的変化 の契機 を もとめ る ことが可能 で あ る。 タイ の政治 を寡頭支配 の鉄則 が貫徹 してい ることは先 に述 べ たが, しか し, その寡頭構造 の差異 に 応 じて,政治 の動 向は微妙 に変化す る。特定個 人 の権威 が優越 的で あ るばあい,す なわ ち寡頭 制 が専制支配 に傾斜す るばあいには, その変化度 は大 きい。 その反面 ,寡頭構造 が複数 の権 力 単位 よ りな るばあいには, タイにおいては,権 力単位 問 の相互索制作用で,政治 は停滞す る。 以上 の よ うな観 点か ら, タイ国政治 に非連続面 を認知す るための有効な視 角と して,次 の二 ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ つを考 え ることがで きよ う。一 つ は,寡頭的権 力の核心すなわ ち内閣 の 内部的異質性 の均質化 ヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ の度合 ,で あ り, いま一 つは,専制 的寡頭制 のばあいの独裁性 向の傾 向的特質 ,で あ る。 この 二 つの視 角か ら, 次 の二 つの時点をば, タイ国政治史 の劃期点 と見徹す ことがで きるO- つ は,1947年11月の陸軍 クーデ タ, も しくは1948年4月 の第3次 ピブ ン内閣 の成立 で あ り, もう 一 つ は,1957年9月のサ リッ トクーデ タ, も しくは1958年10月 のサ リッ ト内閣 の成立で あ る. それぞれ につ いて,具体 的な説 明を加 えてみ よ う。 (1) 1947年 クーデ タ 日本 の敗色 が濃厚 とな った1944年夏 , 38年 以 降精力的 に政界 の主役 を演 じていた ピブ- ン ほ,一切 の公職 を退いた。賢明 に も終戦 1年前 に政権 を手離 した ことによ って,戦争責任 をな ん とか免れ え,かれ の政治 的生命 は断たれず にすん だ。44年夏以 降, タイの政権 は, ル ア ン ・ プ ラデ イ ッ トを中心 とす る文官派 が掌撞す る。44年 以降の歴代 内閣 は,防衛 大 臣以外 は,すべ て文官派で構成 され る点 に特色 を有 した。 日本 と結 んだ軍部 が政治的威信 を喪失 していた に も 拘 らず, 当の文官派 も,46年 の国王変死事件 ,政治的腐敗 の暴露,経済政策 の失敗 な どで威信 を喪 い,つ いに,47年11月 に ピブ- ンの率 い る陸軍 グル ープが クーデ タを組織 し,権 力を掌握 す る。 ピブ- ンは,翌48年4月 に,久 しぶ りに政権 を握 る。 この第3次 ピブ- ン内閣成立 の歴史的意義 は,32年 の立 憲革命以来の武官派 と文官派 との抗 争 に最後的 にけ りがつけ られた点 に求 め られ る。通常, タイが32年以来継続 的 に軍部支 配 を受 - 3

(9)

8-けて きたかの よ うにいわれ るが,必 ず しもそ うで はな い。 この間,文官派 は,常時権 力核心 に 地 歩 を保 っていた。た とえば,32年 クーデタ後の人的淘汰 が一段落ついたと ころで成立 した34 年9月のパ ホ ン内閣 は, よ く軍部支 配のは じま りと解 され るが, それ は,武官派 (しか も陸軍 派 ・海軍派 の対 立 を含 む) お よび文官派 との勢 力均衡 の上 に構成 されていた01938年12月,戦 争勃発両前 タイの国粋主 義 が もっと も高揚 した時 期 に成 立 した第 1次 ピブ- ン内閣 の構成 とて 同様 で あ り, これ には,文官派 は8名を送 り込 んでお り,海軍派 は4ポス トを確保 してい る。 それ が,48年 4月の ピブ ン内閣 にいた っては じめて,32年革命 につなが る文官派 は一 掃 され, 陸軍 の優位性 が断乎 と して確 嘉-.され る。 その陸軍 の優位性 は,49年 2月の文官派頻乱,51年11 月の海軍坂乱 の平定 によ り,歴史的 には っき り再確認 され るので あ る。 1947年 クーデ タのいま一 つの歴 史的意義は, この際反軍部色が一 掃 され た こ と の反面 と し て,従 来政界 で名 を知 られ てなか った新人 が, 多数 脚光 を浴びた ことで あ る。 この折 ,急激な

代 の交替 があ った ことは, た とえば1908年生 まれのサ リッ トや1909年生 まれのパ オらの拾頭 の そ もそ もの機会 が この クーデ タで あ った ことで よ くわか るo この両新人 の代表す る新

代勢 力は,51年12月の第6次 ピブー ン内閣 に,急激 な反 映を示す ので あ る。 しか し, 当の ピブ∼ ン が依 然健在 で あ る限 り, この

代の交矧 こは, まだ この段 階で は積極 的な意 義 を認 め ることは で きな い0 47年 クーデタの最後な が らもっと も肝要な意義 は,文官派 ・海軍派 の失墜 お よび政治的経験 に乏 しい新世代 の登場 とを補 助要 因 と して, ピブ- ン ・ソ ンクラームの個 人 的専制支 配 が生 じ た ことで あ る。1898年生 まれの ピブ- ンは,永年 の経歴 ・経験,天賦の指導者資質 ,広汎な知 己関 係 を十 全 に活用 し, 自己を中心 とす る超制 度的権 力体 系 を形成 した。 ピブー ンの統 治下 の タイ政治の軌跡 は,かれの その都度 の恩 いっ きによ って,政 治 が民主 化 した り反 動 化 した こと を, 明 白に物語 ってい る。 また, ピブー ンの もとで は,政 治 の不純 化 も顕著 で あ る。国家体 制 の民主 化 を志 向 し,人材 の 合理 的活用 を心掛 けた文官派な きあと, それ は 当然 の趨 勢 で あ っ た。 いずれ にせ よ,政治の啓蒙性 を意識 せず,厚顔 な便宜主 義 を特 徴 とす るタイの独裁性 向が 問題性 をは らむの は, この段 階 にお いてで あ る。 (2) 1957年 クーデ タ 57年 クーデ タは, ピブ- ンの後継者 た るべ く,サ リッ ト・タナ ラ ッ トが, ピブ- ンお よびパ オ大将一派 にたい して,組織 した もの で あ る。51年6月の海軍飯乱 の鎮 圧 に際 して功績 をあげ た ことに よ って, サ リッ トとパ オの政界 での地盤 は一様 に同時 に間 ま り,かつ, ピブ- ンの後 継者 が この両者 の いずれかで あ ることは,衆 目の一致す ると ころとな った。次頁 の経歴 表 が示 す通 り,両者 が実 力者 と して拾 頭 した経 緯 は,卵 が卵 に似 てい るよ うに類似 してい る。 - 3

(10)

9-サ リ ッ ト 1908 陸軍将校を父 としてバ ンコックに生まる 1929 陸軍士官学校を卒業 〝 近衛歩兵連隊に勤務 (第二次大戦中,第三十三歩兵連隊長,モ ンパ ン駐 屯軍司令官等を歴任) 1946 バ ンコック近衛歩兵第一連隊長 (大佐) 1947 ピプ- ンの陸軍 クーデタに参加 1948 (1月)陸軍少将 となる 1949 (2月)第一軍団長 となる 1950 (6月)欧米視察旅行 1951 (6月)海軍叛乱鎮圧の総指揮官 と して 活 躍,陸軍大将 となる 〝 (12月) 防衛副大臣および陸軍司令官 1954 (6月)陸軍総司令官 ノヾ オ 1909 国家公務員を父 としてバ ンコ ックに生まる 1930 陸軍士官学校を卒業 1933 三党叛乱にピプ- ン大佐 の副官 として参加, ピブ- ンと親密になる 1939 ピブ- ン内閣の王室財産局長 1944 ピブ- ンの下野 と共に退官 (それまでにピブ - ンの親友で政界の大物 ピン ・チ ュン- ワン の娘 と結婚 している) (第 2次大戦後失職映画館等経営) 1947 ピブ-ンの陸軍 クーデタに参加 1948 (2月)一躍警察中将 に昇進,警察副総監兼 内務次官となる 〝 (10月)陸軍参謀本部将校の陰謀を事前に搾 知,未然に防 ぐ 1951 (6月)海軍叛乱鎮圧で活躍,警察総監 とな る 〝 (12月)内務副大臣および官選国会議員とな る 1954 (3月)大蔵副大臣兼任 パ オ が縁 故 関 係 で 得 を して い るの にた い して , サ リ ッ トが実 力型 の 人 間 で あ る こ と は面 白 い。 いず れ にせ よ, 1956年 頃 よ り両 者 の抗 争 は激 化 し, ピ ブ- ンが両 派 の均 衡 を は か りか ね る に至 り, 遂 にサ リッ トが ,軍 部 の 強 力 な支 持 の もと に,権 力 を掌 握 す る。(このクーデ タで ピブー ンとパオは共 に亡命 したが,パオは一昨年死亡 した。なおピブーンほ当年65才である。) ヽヽヽ この57年 クー デ タの 歴 史 的 意 義 は , まず 第 1に, ピ ブ- ンの失 脚 が 象 徴 す るよ うに ,32年革 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 命 につ な が る層 が,新 しい世 代 層 に よ って完 全 に 置換 され た点 に求 め られ る。 ピ ブ- ン政 権 と サ リッ ト政 権 との社 会 的性 格 の 差 は顕 著 で あ る. その社 会 的性 格 の 差 異 は, い ま一 つ 重 大 な歴 史 的 意 義 を57年 クー デ タに与 え る こと にな る。 それ は , ピ ブ- ンまで は残 存 した西 欧 的 政 治理 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 念 に心 理 的 に拘 泥 す る傾 向 , い うな れ ば偽 善 的理 想 主 義 噂好 の 傾 向 が 消 え,特 殊 タ イ的 リア リ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ズ ム が政 治 を色 ど りは じめ た ことで あ る。 そ の意 味 で , タ イ型 の 独 裁 は , サ リ ッ トで は じめ て 完 成 した と断 じて よ か ろ う。 1957年 クーデ タの直 接 的原 因 は , 同年 8月14日の 官 吏 軍 人 商 業 関 与 禁 止 条 令 に求 め る ことが で き る。 す な わ ち, ピ ブ- ンは , パ オ とサ リッ トの 強 大 な権 力 を削 減 し, タイ政 治 の 「民 主 化 」 を試 み るべ く, 大 臣等 が企 業 に関 与 す る ことを禁 じた の だ った。 その た め に富 我 発 行 所 そ の他 数 十 の 関係 商 社 か らの資 金 が絶 た れ る こ と に な った サ リッ トは , 即 座 に一 切 の公 職 を 退 き,一 旦 ピ ブ- ンの辞 職 とパ オの公 職 追 放 を要 求 して退 け られ た あ とで , クー デ タを 決行 した の で あ った。 ヽ -

(11)

40-1958年 ,英 国旅行 よ り帰 国 したサ リッ トは,陸海空 3軍 ,警察 の代表者 をつの って革 命 団 を 組 織 し,全 国 に戒 厳令 を施 行 した上 で , 国会 解 散 ・政 党解 散 ・進 歩 的 知識 人 逮 捕 ・集会 結 社 の 禁 止等 の措 置を と った。 更 に,翌 年 2月 ,革 命 団 が解 散 し第 1次 サ リッ ト内閣 がす ると,直 ち に行 政改 革 が行 わ れ ,首 相 の行 政権 限 拡 大 の た めの策 が ほ ど こ され た。新 た に制 定 され た 臨時 憲 法 は,首 相 に, 緊急事 態 に 「防圧 し粛 清 す る」権 限 を認 め, か つ 国会 議 員の全 員指 名制 を定 めて いた。 か か る一 連 の措 置は, サ リッ トの人 間 的特 性 を反 映 して い る。 かれ は,第 1に, ミ リタ ン ト な性 格 を有 して お り,第 2に,実行 力 に富 ん で お り,第3に,西 欧的政 治理 念 にた い しア プ リ オ リに反 感 を もって い るO(軍人の家に生まれタイの士官学校に学び,過去をず っと軍人 として過 ごして きたかれの経歴がかかる人間的特性の形成に大きく影響 していると考え られる。) サ リ ッ トの統 治体 制 は, 従 来の政 治体 制 との対 比 にお い て,少 くと も次 の 2点 で特 徴 的で あ る。 まず第 1点 は, サ リッ トの もとで , 政 治機 構 が上 意下 達 の趣 旨の もと に, い いか え る と, サ リッ トの専 制 的権 力の対 内的行 使 を 円滑 化す る 目的 の もとに, 目的合理 的 に改編 され た点 で あ るO か れ が首 相 就 任 後 に行 った総理 府 の組織 変 え に よ って,情 報 ・計 画 ・統 制 ・教 育等 の管 制 権能 を首 相 が独 占 しうる し くみ が もた らされ ,行 政 権 力 は,首 相 の一 身 に実質 的 に集 中す る ことにな った。 臨時 憲法 に よ り, 立 法府 は行 政部 に完 全 に従 属 す る ことにな り, また, 首 相 は, 緊 急事 態 発 令権 な どを認 め られ , その立 法 的権 限 は これ まで にな く高 め られ た。 この よ う に して, 首相 の個 人 的意 向 が,直接 無 媒 介 的 に国家 政 治 に反 映す る専 制 的 メ カニズ ムが完 成 し たので あ る。1959年 2月 の最初 の組 閣 にあた って, かれ が,軍人 をわず か 3名 だ け しか入 閣 さ せ ず ,残 りの ポ ス トは, いず れ も有 能 な民 間政 治 家 で埋 めた点 に も, か れの政 治 的叡 知 は読 み とれ る。(ただ しその軍部の 3人のうち2人はタノム・キチカチ ョン陸軍大将一副首相兼防衛大臣,ブラパー ト・チャルサチャン陸軍大将一内務大臣であるが,いずれ もサ リットの後継者 と目されるべき人物である。) こ う した か れ の一 連 の措 置の趣 旨は,単 に専 制支 配 の 円滑 化 とい うことだ けで な く,従 来 の 寡 頭制支 配 の反 省 , す な わ ち容 易 に反抗 権 力 が生 じうるよ うな権 力体 制 - の反省 に基 く,支 配者 の地 位 の安 全 化 とい う点 に もあ るよ うだ。 サ リッ ト支 配 の第 2の特 徴 は, か れ が特有 の政 治理 念 を は ぐ くんで い る点 に あ る。 か れ は, 生 来西 欧 的政 治理 念 を好 まな い よ うだ。 ピ ブー ンが しき りに立 憲民 主 主 義者 を 自称 した り, ま た1955年 当時,気 ま ぐれな思 い付 きで国政 の民主 化 をはか った り したの に反 し,サ リッ トは, 民 主 主 義 - の リ ップサ ー ヴ ィスは 断乎 と して拒 んで い る。(かれとて 「民主的」という言葉をいい意 味において もつかうが,かれの民主主義の概念は 「仏教の理想 と,古来のタイ王制の敵情主義とにならう慈 恵的政治」 という内容である。サ リットは ドゴールの第五共和制を理想の政体 と考えているらしい。事実か れの臨時憲法は,フランス第五共和制憲法,アラブ連合共和国憲法,パキスタン憲法などの感化を強 く受けて ヽ ヽ ヽ ヽ いる。) この意 味で は, か れ には,積極 的 な政 治 理 念 を求 め る ことはで きな い。 む しろ過 去 の ど -

(12)

41-の政 治 家 よ りも没理念 的で あ ろ う。しか し,別 の 角度 か ら見 るな らば,か れの施 政 は,従 来 にな 、 く,首尾一 貫 して特定 の理 念 に樽導 され てい るので あ る。サ リッ トの政治理 念 は,絶対 的権 威 の もとで の秩 序維持 ,とい うことで あ る。 かれ は,その観念 的 イ メー ジと して,家父長支 配 的家 族 国家観 を想定 して い る感 じで あ る。西 欧民主主 義 と タイ との必然 的結 びつ きを き っぱ り否定 す ることに よ って,か え っては っき りと特殊 タイ的政 治理 念 を押 し出す ことがで きたわ けで あ る 。 (サ リットの西欧民主主義観は,かれが58年12月10日憲法記念 日に行 った演説に明確に示 されている

)

常時 国家存 亡 の危機 の存在 を強調 し, それ によ って 自己の統 治様 式 を正 当化 す るサ リッ トの独 裁 は, よ く,前 世紀 中期以 降の ラマ四 ・五 世 の強権 的 中央 集権化 政 策 になぞ らえ られ るが,事 実 ,政治 的発想 において, また行 動様 式 にお いて,サ リッ トは当時 の国王 に よ く似 て い るよ う だ

1957年 クーデ タの歴 史 的意義 は, 要 す るに, 支 配層 の社 会 的 ・世 代 的基 盤 の変化 を もた ら ヽヽヽ ヽヽ し,特殊 タイ的 リア リズ ムで貫 かれ た先祖 帰 り的 政治体 制 を タイに も た ら した点 に求 め らる べ きで あ ろ う。(サ リット体制については F.C.Darling: HMarshalSaritand AbsoluteRule in Thailand"PacificAffairsVol.XXXHINo.4,Dec.1960.および D.Insor:Thailand,A Political, Socia,1andEconomicAnalysis,1963,pp.92-110が くわ しい

)

3.

あ と が き こ う してみ ると, 同 じ軍部独裁 といわれな が らも, ピブー ン体 制 とサ リッ ト体 制 とで ,相 当 な差異 があ ることがわか った。 タイ国政 治史 にお け る ピブ- ン政権 期 (1948年 以 降) の歴史 的 意 義 の汲 みか た も, サ リッ ト体 制 との関連 にお いて,今 後考 え直 され ね ばな らぬ面 が多 い よ う だ。少 くと も ピブ- ン体制 には,1932年 革命 の推進者 と,次 の世代 とをつな ぐ過渡 期 的性格 が あ る ことが否定 で きな い。 いず れ にせ よ, タイ国政 治 には,恒 久不 変 的 な面 と共 に, や は り変化 しつつ あ る面 の あ る こ とがは っき り した。 その連続 性 と不 連続 性 との 関係 が問題 だが,端 的 にい って, その両 面 は, 相 互 に無 関係で はな く, しか も, それぞれ相互 に テ コ入 れ しあ う関係 にお いて結 びつ いてい る。 すな わ ち, タイ国 政治 の連続 面 は不連続 面 の存在 に も拘 らず連続 し, む しろ, その不連続 性 の故 に連続 の必然 度 は強化 され る。 その反面 , タイ国政 治 の不連続 面 は,政 治の無変 化性 を ヽ ヽ ヽ 充 分 わ きまえた上で の それ にたいす る反省 的 チ ャ レ ンジとい う形 で は生 じな いで ,飽 くまで も 連続 性 の設定 す る現 実 的枠のな かで しか生 じな い。 ヽヽヽ しか しな が ら, それ に も拘 らず ,専 制 的寡頭制 と もい うべ き統 治 の類型 が永続 化 す る趨勢 が 生 じて い る ことは注 目に値 す る。す な わ ち,専 制 的 リーダー シ ップの もとで は, リーダ ー シ ッ プの 断続 に相応 す る政策 的変化 は馬鹿 にな らな いか らだ

(サ リットのもとでの政策的変化は,つと に注 目を集めている。かれが,農業や経済の振興の必要を感 じ,長期的な経済発展計画の立案を考慮 してい ること,自らを委員長とするさまざまな計画委員会を組織 したりしていることは,将来における大規模な社 - 4

(13)

2-会的流動化の素因となりかねないだけに一応注 目しないわけにはいかない

O

)

その意 味で , タ イ政 治 の 研 究者 は ,従 来 に もま して,政 治 的 エ リー トの動 物 学 的 な個 体 識 別 と性 格 把 握 を心 掛 け る必要 が あ ろ う。 とは い え, サ リッ ト独 裁 それ 自体 は,飽 くまで も特 殊 タ イ的必 然性 の流 れ の 中で 生 じた もの だ。も っぱ ら秩 序 維 持 にの み任 じよ うと して い るサ リッ トの専 制 支 配 は, 従 来 の どの体 制 に も

ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ま して, 次 の よ うな欠 点 を有 して い ると考 え られ る。 第 1に

,2

0

世紀 の必 然 的趨勢 にた いす る ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 適 応性 を欠 く。 先 に掲 げ たパ オ とサ リッ トの経 歴 表 が暗示 す るよ うな サ リッ トを支 え る社 会 的 性 格 は,西 欧の 近代主 義 それ に共 産 主 義 - の共 感 も理 解 も欠 い て い る点 ,危 険 を秘 めて い る。 ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ 第2に,独 裁 一般 とひ と し く寛 容性 と気 長 さを欠 くサ リッ トの専 制支 配 は, 国民 に,進 取性 の ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 意義 を教 えず ,民主 主 義 的訓 練 を も与 えな い点 ,新 興 諸 国 政 治 に不可 欠 な 啓 蒙性 を欠 く。 こ う した欠 点 それ 自体 が, いず れ タイの独 裁者 の生 命 と りの原 因 にな らぬ と も限 らな い。 タイ国政 治進 歩 の希 望 が,政 治 を特 徴 づ けて い る精 神的 ・制 度 的後 進性 にか け られ ね ばな らな い , とい う逆 説 は , タイ国政 治 近代 化 の業 の深 さを感 じさせ て余 りあ る。

参照

関連したドキュメント

供することを任務とすべきであろ㌔そして,ウェイトの選択は,例えば政治

在宅医療と介護の連携推進については、これまでの医政局施策である在

アメリカとヨーロッパ,とりわけヨーロッパでの見聞に基づいて,福沢は欧米の政治や

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

政治エリートの戦略的判断とそれを促す女性票の 存在,国際圧力,政治文化・規範との親和性がほ ぼ通説となっている (Krook

結果は表 2

3  治療を継続することの正当性 されないことが重要な出発点である︒

主権の教義に対する政治家の信頼が根底からぐらつくとすれば,法律家の