現在、 大気中に約320ppb の濃度で存在する N2O (亜 酸化窒素) は、 地球環境に対する2つの重要な関わり方 から注目されている。 1つは、 N2O が7.8μm の赤外領 域に強い吸収帯を有するため、 温室効果ガスとして CO2、 CH4とともに温暖化を促進していることである (Prinn et al. 1990)。 もう1つは、 N2O が化学的に安定である ため、 対流圏では変化せず成層圏に到達し、 オゾン層の 消長に重要な影響を及ぼしていることである (寺井 1996) 。 N2O は 年 間 0.2∼0.3% の 割 合 で 増 加 し て い る (Prinn et al. 1990) と言われており、 それ故、 N2O の 放出量と吸収量を含めた収支の見積もりの提示が急がれ ている (IPCC 2007)。 N2O の生成は大部分が土壌や水中に存在する脱窒や 硝 化 な ど を 行 う 微 生 物 に よ る も の と さ れ る ( 寺 井 1996)。 近年、 農耕地において施肥の利用が増大してお り 、 そ れ に 伴 う N2O 放 出 の 増 加 が 報 告 さ れ て い る (Bouwman 1998;Akiyama et al. 2000)。 また、 施肥 由来の NO3−は集水域を介して容易に流出し、 沿岸域に 集積する。 そのため、 沿岸域からの N2O の放出量は無 視できないと予測されている (Senga et al. 2006, 2009; Hirota et al. 2007)。 しかしながら、 陸域と水域の境界 である沿岸域は、 多様な生物が存在する非常に複雑な場 である。 特に水生植物が生育する湿地では環境が非常に 不均一であり、 N2O 生成および放出量の評価は難しく、 正確な見積もりはなされていない。 湿地を構成する大型の水生植物には、 生態系の機能の 面で主に2つの重要な役割がある。 一つは、 主要な一次 生 産 者 で あ り 、 沿 岸 域 の 物 質 循 環 の 起 点 と い え る (Mitsch & Gosselink 2000)。 もう一つは、 土壌と大気 間をつなぐガスの交換経路になっていることである。 水 生植物は、 嫌気的な底質に地下部を持ち呼吸に必要な酸 素を獲得するために通気組織系を発達させている。 この 通気組織系を介して酸素を輸送すると同時に土壌中で生 成される様々な気体を大気に放出させることが知られて いる (野内ら 1999)。 このような、 水生植物体を介した 気体の交換機能は、 温暖化ガスを大気へ放出するという 点で非常に注目されており、 CO2や CH4を中心に野外 (Butterbach-Bahl et al. 1997;Hirota et al. 2005) や 室内 (Nouchi et al. 1990;Mariko et al. 1991) で盛ん に研究がおこなわれている。 しかしながら、 N2O も CH4 などと同様に湿地の底質土壌中で生成される (寺井 1996) ことを考慮すると、 水生植物体を介して、 放出さ れている可能性が高い。 しかしながら、 N2O は、 大気 中で微量である上、 水に溶けやすいなどの特徴がある (Middelburg et al. 1995) ため、 湿地において水生植物 を介した放出量を評価した知見は非常に少なく、 特に測 定が困難な野外での測定例はほとんどない。 本研究では、 湿地における水生植物を介した N2O 動 態の解明を目的として、 代表的な水生植物である水稲イ ネを介した N2O の輸送を測定した。 本研究では、 N2O の動態を精度よく定量化するために、 室内実験にて密閉 式チャンバーを用いた測定を行った。 これまで地下部か ら地上部への N2O の放出フラックスが注目されてきた が、 本研究では地上部から地下部への N2O 吸収にも着 目し、 吸収フラックスの測定も行った。 また、 N2O 放 出とイネの蒸散との関係を検討した。 2−1. 実験条件 「水生植物を介した」 N2O の放出と吸収の検討は、 水生植物イネ (Oryza sativa L., 品種:日本晴れ) を 対象として用いた。 イネは、 体内に通気組織系を発達さ せた空洞があり、 分子拡散による気体交換を行うことが
1. はじめに
2. 方 法
* 立正大学地球環境科学部環境システム学科 ** 筑波大学生命環境科学研究科 *** 国立環境研究所アジア自然共生研究グループキーワード:N
2O 放出、 N
2O 吸収、 水生植物、 湿地、 沿岸域
水生植物を介した N
2O 輸送に関する研究
千
賀
有希子
*廣
田
充
**野
原
精
一
***できることが知られている (Mariko et al. 1991;Nouc hi and Mariko 1993)。 イネの種を30℃の恒温槽で発芽 させ、 培養土で約1週間生育させた。 その後、 木村氏B 水耕液 (一井 1995) で2週間培養し、 生育状態のいい ものをサンプルとして用いた。 イネを介した N2O フラックスを測定するために、 密 閉式チャンバーを作製した (図1)。 イネの地上部と地 下部をゴム栓で挟み分け、 シリコンチューブで隙間を埋 めた。 イネを挟み分けたゴム栓は中心に穴が開いたシリ コン板にしっかり固定し、 ガラス製チャンバーのグリー スが塗ってあるスリガラス上に置いた。 この時、 イネの 地下部はガラス製チャンバー内の800ml の水に浸るよう にした。 イネの地上部には、 アクリル製チャンバーを被 せ、 ガラス製チャンバーと支柱でしっかり固定し、 外気 が入らないようにした。 地上部が入っているチャンバー を大気系、 地下部が入っているチャンバーを根系とした。 実験中は、 チャンバー内で不均一化が起こらないように、 大気系はポンプで空気を循環させ、 根系はスターラーを 用いて水を撹拌した。 大気系への N2O 放出を見積もるために、 ガラス製チャ ンバーに固定したパッキンから既知濃度の N2O 溶解水 をシリンジによって添加し、 0.01, 0.3, 8, 80mgN l−1 となるように調製した。 大気系へ放出する N2O 量を時 間を追って測定し、 放出フラックスを算出した。 根系へ の N2O 吸収を見積もるために、 アクリル製チャンバー のパッキンから既知濃度の N2O をガスタイトシリンジ によって添加し、 2, 20, 200, 1000μgN l−1となるよ うに調製した。 根系へ移動する N2O 量を時間を追って 測定し、 吸収フラックスを見積もった。 放出フラックス と吸収フラックスは、 暗条件下と明条件下でそれぞれ測 定し算出した。 明条件での実験は、 光チャンバー内で行っ た。 白熱電球の下に透明アクリル水槽を置き、 光による 急激な温度の上昇を避けた。 チャンバーへの光量子密度 は約1200μmol m−2 s−1であった。 また、 根系への光の 影響を防ぐため、 ガラス製チャンバーの周りを黒い布で 覆った。 イネの蒸散と N2O 放出の関係は、 根系の N2O 濃度を 50mgN l−1になるように調製し、 大気系の N 2O 濃度増 加を時間を追って測定した。 同時に大気系で湿度と気温 を1分ごとに連続観測した。 全ての実験は20℃の恒温室で行った。 繰り返しは8回 とした。 2−2. サンプリングと測定 大気系の N2O 量の測定をするために、 アクリル製チャ ンバーのパッキンに採血針を刺し、 真空にしたバイアル 瓶 (容量5ml) にチャンバー内の空気を回収した。 ま た、 根系の溶存態 N2O 量の測定をするために、 ガラス 製チャンバーのパッキンに採血針を刺し、 真空にしたバ イアル瓶 (容量20ml) にチャンバー内の水を回収した。 この時、 根系の圧力が低下しないように、 回収した水サ ンプル分を水が入ったパックからコックを介して供給し た。 大気系のサンプルの回収量は、 チャンバー内の空気 の1%以下であったため、 圧力の変化は無視できるもの とした。 放出フラックスおよび吸収フラックスは、 0分 後、 10分後、 20分後、 30分後のサンプル中の N2O の変 化速度から見積もった。 N2O は ECD 検 出 器 付 き ガ ス ク ロ マ ト グ ラ フ ィ ー (6850, Agilent) で測定した。 溶存 N2O 量は、 Weiss と Price の式 (1980) を用いて算出した。 大気系の湿度の 変化は、 湿度計を設置しデーターロガー (Thermic 2300 A, Eto Denki) に値を取り込んだ。 また、 温度の変化 は 温 度 計 (Data Logger Stowaway TIDBIT 32K, Onset Computer Co.) によって測定した。
測 定 値 の 多 重 比 較 検 定 に は 、 Turkey-Kramer 法 (StatView software Version J 5.0, SAS Institute) を 用いた。
根系への N2O 添加濃度が0.01, 0.3, 8, 80mgN l−1 の時の大気系への N2O 放出フラックスは、 N2O 添加濃 度が高くなるほど大きくなった (図2)。 前述したよう にイネは体内に通気組織系を発達させており、 地上部か ら地下部へと空洞を有している。 したがって、 イネは土 壌―大気間で分子を輸送するパイプの役割を果たしてい ると考えられている (Mariko et al. 1991;Nouchi and Mariko 1993)。 一般に、 分子は拡散によって高濃度の 場から低濃度の場へ移動し、 濃度を均一にする特性があ る。 根系へ添加した N2O 分子は、 イネの通気組織系を 介して大気系へ放出したと考えられた。 N2O 添加濃度 が低濃度の時、 暗条件と明条件の N2O 放出フラックス に差は観られなかったが、 添加濃度が高濃度 (8および 80mgN l−1) の場合は、 暗条件の N 2O 放出フラックス の方が明条件よりも有意に高かった (P < 0.01)。 中海 における塩生植物オオクグ (Carex rugulosa Kukenth.) 帯での N2O 放出フラックスを測定した野外観測では、 日中のフラックスは夜間より大きいと報告されている (Hirota et al. 2007;Senga et al. 2009)。 本研究の結果 は、 野外観測の結果と一致しなかった。 野外においては、 日中と夜間で地温は大きく変化し、 日中の地温が高い時、 微生物の活性は高くなりより多くの N2O を生成するた め、 オオクグを介して放出する N2O フラックスが大き くなったと考えられる (Hirota et al. 2007;Senga et al. 2009)。 これらのことから、 温度が変化せず、 また N2O 濃度が比較的高濃度でかつ一定の場合には、 大気 への N2O 放出フラックスは暗条件で大きくなることが 明らかとなった。 大気系への N2O 添加濃度が2, 20, 200, 1000μgN l−1 の時の根系への N2O 吸収フラックスにおいても、 N2O 添加濃度が高くなるほど大きくなった (図3)。 このこ とから、 イネの通気組織系を介して、 分子拡散により N2O は根系から大気系へ移動するだけではなく、 大気 系から根系へ移動することも明らかになった。 このこと は、 水生植物が大気中の N2O の吸収源にもなる可能性 を示唆している。 植物体内を通して吸収された N2O は、 還元的な土壌に接すると脱窒細菌によって N2へ還元さ れると予測されるからである。 大気中の N2O 濃度を決 定する要因として、 放出と吸収のどちらの過程の寄与が 大きいか、 今後検討する必要がある。 N2O 吸収フラッ クスは、 明条件と暗条件に有意な差は観られなかったが、 暗条件の方が僅かに高い傾向が認められた。 N2O 放出と蒸散との関係は、 根系への N2O 添加濃度 が50mgN l−1の時、 暗条件および明条件における大気系 への N2O 濃度増加と湿度を時間を追って測定すること により検討した (図4)。 両条件とも N2O 濃度および湿 度は時間とともに増加した。 しかしながら、 湿度は、 暗 条件においては30分後に約80%近い値となったのに対し、 明条件では暗条件より高く約95%とほぼ飽和に近い値で あった。 この結果から、 イネの蒸散は明条件で活発であ ると言える。 N2O 濃度の増加についても両条件で差が 観られ、 暗条件 (図4a) よりも明条件 (図4b) で低 かった。 暗条件と明条件の N2O 濃度増加に差が生じた 要因として、 蒸散量の差が考えられた。 明条件では活発
3. 結果および考察
図2. 根系から大気系への N2O 放出フラックスな蒸散によって大気系チャンバーの側面に水滴が付いて いた。 N2O は水に溶けやすいという物性を持っている (Middelburg et al. 1995)。 したがって、 明条件では、 蒸散水に N2O が溶け込み、 見かけ上大気系への N2O 濃 度増加が暗条件よりも低くなったと推察された。 さらに、 大気系内の温度は、 暗条件 (図4a) よりも明条件 (図 4b) の方が高かった。 一般的に分子運動は温度が高い 方が活発である。 イネの通気組織系を介した N2O 分子 の移動が分子拡散だけによるものであれば、 当然温度が 高い明条件下で N2O の移動は活発化すると考えられる。 したがって、 明条件の N2O 増加の方が暗条件より大き いと予測される。 しかしながら、 実際は明条件の大気系 への N2O 放出は暗条件よりも低かった。 このことから も、 やはりイネの蒸散水に N2O が溶け込み、 結果とし て大気系への放出が低くなった可能性が示唆された。 ま た、 蒸散水への N2O の溶け込みは、 地上での N2O 動態 を左右すると考えられる。 水に溶け込むことによって、 N2O は水の流れにそった範囲で輸送されることとなる。 N2O が溶存した水が蒸発しなければ、 溶存 N2O は還元 的な環境へ輸送されることによって脱窒などを通して消 失される可能性がある。 大気圏での N2O は化学的に安 定しており、 消失過程はほとんどない。 N2O が水に溶 解することで消失過程へたどり着けるのであれば、 溶存 N2O 動態は大気中の N2O 濃度を決定する上で非常に重 要であると考えられる。 さらに、 蒸散水への N2O の溶 解の重要性について検討していく予定である。 水生植物イネは、 分子拡散により N2O を地下部から 大気へ放出するだけでなく、 大気から地下部へ吸収する
まとめ
図3. 大気系から根系への N2O 吸収フラックス 図4 N2O 濃度、 湿度および気温の時間変化 (a) 暗条件下 (b) 明条件下機能を持つことが解った。 イネの通期組織系を介した大 気から地下部への N2O の移動は、 大気中の N2O 吸収源 として重要であると考えられた。 また、 大気への N2O 放出は、 明条件下よりも暗条件下の方が高かった。 その 要因として、 明条件下でのイネの活発な蒸散により、 N2O が蒸散水に溶解し、 見かけ上 N2O 放出が低くなっ たことが考えられた。 蒸散水への N2O の溶け込みは、 N2O 動態を決定する重要な因子であると推察した。 地球上での温暖化が進む中で、 温暖化ガスの放出量と その寄与の正確な見積もりが必要とされている。 N2O の大気濃度は他の温暖化ガスより低いが、 その温室効果 は1分子当たり CO2の数百倍、 CH4の数倍とされている (玉置ら 1989)。 さらに大気中での寿命が約100年と非常 に長い特徴を持つ (Khalil & Rasmussen 1992)。 その ため、 将来 N2O の温室効果への寄与は、 他の温暖化ガ スを上回る可能性があり懸念されている。 したがって、 これまで注目されてこなかった沿岸域や湿地など水辺の N2O 動態の解明が急務とされている。 本研究は、 これ まで困難とされていた水生植物を介した N2O の輸送を 室内実験で特徴付けた。 さらなる研究により、 野外の水 生植物帯における N2O 動態の解明に貢献したいと考え ている。 謝 辞 本研究は、 2003年住友財団環境研究助成 「水生植物帯におけ る亜酸化窒素の収支に関する研究」、 文部科学省科学研究費若 手研究 (B) 「沿岸域における異化型硝酸還元過程の解明に関 する研究」 (研究課題番号:20710011、 研究代表者:千賀有希 子) による研究成果の一部です。 また、 イネの栽培に関しては 川上農場の松本勝美氏、 松本幸子氏にご協力いただきました。 ご夫妻のご尽力に深謝申し上げます。 参考文献
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SENGA Yukiko*
, HIROTA Mitsuru**
, NOHARA Seiichi***
*Department of Environment Systems, Faculty of Geo-environmental Science, Rissho University **Graduate School of Life and Environmental Science, University of Tsukuba
***Asian Environment Research Group, National Institute of Environmental Studies
Keywords: Nitrous oxide emission, Nitrous oxide adsorption, Aquatic plant, Wetland, Coastal area