知的障害児の歩行運動に音楽が及ぼす影響
田原 敬*・大場郁海**・勝二博亮*(2018 年 8 月 31 日受理)
Effects of Background Music on Walking Movement
in Children with Intellectual Disabilities
Kei Tabaru*, Ikumi Ohba**, Hiroaki Shoji*
(Accepted August 31, 2018) はじめに 知的障害児は,健常児と比べて運動発達に遅れがみられるとされ,その運動能力を向上させるた めに様々な工夫や取り組みが行われている。例えば,朝のランニング時に背景音を流すといったこ ともそれらの工夫の一つである。特別支援学校の教員を対象に,学校で活用している音楽の効果に ついてアンケート調査を行った水野(2009)によると,「動きの遅い子が音楽によって走ることが できる」,「ふだんあまり動かない生徒でもリズミカルな音楽で身体を動かすことが多い」という記 述や,「音楽を用いることで行動をスムーズにさせる」,「精神的に不安定な子どもを音楽で落ち着 かせる」などの記述がみられ,多くの教員が音楽の効果を実感し,普段の実践の中で活用している 様子がうかがえる。 一方で,これまで健常成人を対象として背景音が運動に及ぼす影響について検討されており, テンポの速い背景音を聞かせると周期的なリズム運動のペースは速くなり,歩行運動や走行運動 についても同様の影響がみられることが知られている(栗林・入戸野,2014)。例えば,Styns et al.(2007)は,健常成人を対象に50~190BPMの音楽とメトロノーム音の2種類の音を聞きなが らトラックを歩行する課題を実施した。その結果,テンポの速い音楽の方が歩行速度が速くなるこ とや,遅いテンポと速いテンポは中間のテンポと比べて歩幅が小さくなることを明らかにした。ま た,Leman et al.(2013)では音楽の性質に応じて歩行の特徴に変化が生じることが報告されている。 彼らの研究では,Active(活動的)と評価された音楽とRelax(鎮静的)と評価された音楽を52曲 用意し,参加者はランダムな順序で呈示されるそれらの音楽を聞きながら直径15mの円を歩行し た。その結果,Activeな音楽では歩行速度が速く,Relaxな音楽ではActiveなものと比べて遅くなる
*茨城大学教育学部障害児生理学研究室(〒 310-8512 水戸市文京 2-1-1; Laboratory of Physiology, College of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan).
**つくばみらい市立谷井田小学校(〒 300-2337 茨城県つくばみらい市谷井田 2047;Yaita Primary School, Tsukubamirai 300-2337 Japan).
ことが明らかとなっている。その一方で,畑山ら(2008)は,ビートのある音楽,ビートのない 音楽,そしてメトロノーム音をそれぞれ聞かせた際の歩行への影響について検討している。その結 果,メトロノーム音が最も同期しやすかったが,その同期を持続させるにはメトロノーム音よりも ドラムやベースパートを強調したビートのある音楽の方が効果のあることを報告している。さらに, Leow et al.(2015)では,親密性が高い背景音を呈示することで歩行速度が向上すると報告している。 以上のように,健常成人を対象とした研究において,音楽を聴取することによる歩行運動の変化や, 音楽の違いによる歩行運動に及ぼす影響が報告されている。 他方で,知的障害児の歩行運動については,「腕の振りが不自然である」,「歩くリズムが不規則 である」,「上半身の揺れが目立つ」といったように外見上の特徴からもその困難さがうかがえる(豊 村・能瀬,2000)。知的障害児が有するこれらの運動面の困難に対しては,椎名ら(2015)が行っ たような直接的な介入に加え,背景音を活用するという間接的な支援(水野,2009)も有効であ ると思われる。しかし,知的障害児を対象にStyns et al.(2007)やLeman et al.(2013)のような実験 的方法を用いて検討した研究は少なく,背景音が知的障害児の歩行運動にどのような影響を及ぼす のかという点については十分に検証されていない。実際に,知的障害児のリズム同期について検討 した齋藤(2005)では,健常児に比べリズムを同期させることを苦手とする事例が報告されており, 健常児と異なる傾向を示す知的障害児も一定程度いる可能性が考えられる。 そこで,本研究はLeman et al.(2013)の研究を参考に,知的障害児における音楽聴取時の歩行の 特徴を分析することで,音楽が歩行運動に及ぼす影響を明らかにすることを目的とする。 方 法 1 .実験参加者 A特別支援学校の中学部,高等部に在籍する知的障害のある生徒14名(男子10名,女子4名) が参加した(表1)。また,対照群として歩行や聴覚に問題がない大学生20名(男子8名,女子12名) が参加し,実験参加時の年齢は19歳から23歳(平均21.2歳,SD±1.4歳)であった。 なお,本研究は茨城大学教育学部研究倫理委員会の承諾を受けており(承認番号17P1700),参 加者本人,あるいは参加者の保護者から書面にて同意を得られた者のみを対象とした。 2 .実験場所 健常大学生については茨城大学の体育館で実施し,知的障害児についてはA特別支援学校の体育 館で実施した。いずれも歩行進路を示す直径10mの円をビニールテープで作成した。 表1 知的障害児のプロフィール 参加者 A B C D E F G H I J K L M N 性別 M M F M M F M M M M M M F F 学年 中学部1年 中学部1年 中学部2年 中学部2年 中学部3年 中学部3年 高等部1年 高等部1年 高等部1年 高等部2年 高等部2年 高等部2年 高等部3年 高等部3年 IQ - 38 43 76 43 62 61 40 35 26 50 - 29 40 障害種 知的障害 知的障害 ダウン症 知的障害 知的障害 知的障害 知的障害 知的障害 ダウン症 知的障害 自閉症 知的障害 ダウン症 知的障害 *参加者AとLについてはIQに関する情報が入手できなかったため「-」と示している。 茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号(2019) 276
3 .課題及び背景音 (1)課題 様々な背景音を呈示し,背景音に合わせて円の外周を歩行する課題を実施した。 (2)背景音 背景音として1種類のメトロノーム音と6種類の楽曲を用いた。メトロノーム音は130BPMの クリック音であり,波形編集ソフトウェア(Audacity,フリーソフト)にて作成された。楽曲につ いては,Leman et al.(2013)が用いた刺激をもとにActiveと評価されたもの3曲(The ballad of El Efe,Out to get me,Ouverture no.5(b-major) allegro),Relaxと評価された3曲(Courante,Eye Spy,Sad Song)の計6曲を使用した。これらの曲は,すべて130BPMのテンポであり,国外の楽 曲であるため,参加者が聴取経験を有する可能性が極めて低いもので構成された。波形編集ソフト ウェア(WAVELAB,Steinberg)を用いて前奏などの歌詞を含まない20秒間を切り取り,すべて の曲に500msのフェードイン・フェードアウトを設定し,各背景音のRMS値が等しくなるように 音圧を編集した。
背景音は,ノートパソコン(LIFEBOOK AH45/X, FUJITSU)をオーディオインターフェイス (UR22mkⅡ,Steinberg)につなぎ,円の外周から約3mの位置で,床から約1mの高さに設置した スピーカ(HS5, YAMAHA)より60dBの音圧にて呈示された。 4 .実験手続き 測定は,個別にて行われた。課題が始まる前に,測定の順序や内容について参加者に説明し,以 下の課題を実施した。 (1)パーソナルテンポの測定 知的障害児に関しては,パーソナルテンポを計測した。測定の際には,「いつも通りの速さで円 の周りを歩いてください。終わり,というまで休まないで続けてください」と教示し,参加者は 30秒間,円の外側を歩行することが求められた。 (2)歩行課題 参加者は,まず練習試行として130BPMのメトロノーム音に合わせて円の周りを1周歩行する ことが求められた。その際,実験者は参加者の横で一緒に歩き,音に合わせた歩行を促した。本 試行では,初めに20秒の無音区間があり,その後20秒間のメトロノーム音に続けて背景音であ る楽曲を順次呈示した。各背景音(楽曲)の間には5秒間の無音区間を挿入し,前半課題として3 曲を続けて呈示した。後半課題3曲においても,同様に20秒間の無音区間から開始し,20秒間の メトロノーム音の後に背景音である楽曲が呈示された。なお,楽曲の呈示順序について,連続する 3つの背景音においてActiveとRelaxの楽曲が連続しないように疑似ランダムとした。試行開始前に は,いずれの参加者にも「なるべく,音楽に合わせて円の周りを歩くようにしてください。途中で 音楽が止まることがありますが,気にせずに歩いてください。終わり,というまで休まないで続け てください。」と教示した。
5 .歩行運動の計測
課題中における歩行運動の様子を動画で撮影した。また,歩行距離は,参加者の左手首付近に装 着した腕時計型のGPS計測器(vivoactive J HR,Garmin International)を用いて計測した。
6 .分析 (1)知的障害児におけるパーソナルテンポとメトロノーム音への同期率 知的障害児においてのみパーソナルテンポとメトロノーム音への同期率を分析した。30秒間の 自由歩行のうち,歩行速度が定常状態に達したと思われる20秒間の歩数を数え,その数を3倍す ることで,一人ひとりの1分間のパーソナルテンポ(BPM)とした。メトロノーム音への同期率 においては,前半課題および後半課題の冒頭で流れたメトロノーム区間の歩数を数え,それぞれ 44(20秒間で130BPMのメトロノーム音が鳴る回数)で除すことで,同期率を求めた。 (2)ピッチ,歩幅,歩行速度 ①ピッチ:映像記録を見直し,それぞれの曲(20秒間)が流れている区間の歩数を数え,その 数を3倍することで,それぞれの曲の1分間あたりのピッチ(歩数)とした。 ②歩幅:GPS計測器から,1秒ごとの歩行距離(m)を取得した。前半課題および後半課題とも, メトロノーム音(課題開始から20秒~40秒の間),1曲目(課題開始から45秒~1分5秒の間), 2曲目(課題開始から1分10秒~1分30秒の間),3曲目(課題開始から1分35秒~1分55秒の間) の呈示区間である20秒間について,それぞれ総歩行距離を算出し,①で数えた20秒間の歩数で 除すことにより,曲ごとの平均歩幅を算出した。 ③歩行速度:②で求めた曲ごとの歩行距離を3倍することで,1分間あたりの速度(m/分)を算 出した。 (3)音楽聴取時の変化量 足の長さや体重の違いなど個々の身体的特徴による影響を避けるため(Leman et al, 2013),そ れぞれの楽曲呈示時におけるピッチ,歩幅,歩行速度をメトロノーム音聴取時の数値で除すことに より変化量を百分率で求めた。その際,メトロノーム音の呈示は前半課題と後半課題で2度実施し ているため,メトロノーム音聴取時の数値はそれぞれの課題の平均値を用いた。また,ピッチ,歩幅, 歩行速度については,楽曲ごとの値を算出し,Activeと評価された3曲の歩行運動データをActive 条件,Relaxと評価された3曲の歩行運動データをRelax条件として,各条件の平均値を参加者ごと に求めた。さらに,健常大学生および知的障害児を群とするグループ平均をそれぞれ算出した。 その後,各群においてメトロノーム音聴取時と音楽聴取時のピッチ,歩幅,歩行速度にそれぞれ 差があるかを検討した。具体的には,各対象者における条件ごとの平均値とメトロノーム音聴取時 の平均値について対応ありのt検定を群ごとに実施した。 結 果 1 .健常大学生における歩行運動データ 健常大学生群における各条件のピッチ,歩幅,歩行速度の変化量の平均を図1に示した。 ピッチに関して両条件の変化量をみると,Relax条件の平均は89.20%(SD=11.80)を示し,メ 茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号(2019) 278
トロノーム音聴取時よりもピッチが減少したのに対して,Active条件の平均は99.75%(SD=5.11) であり,メトロノーム音聴取時とほぼ同じピッチ数であった。t 検定の結果,Relax条件ではメトロ ノーム音聴取時との有意差がみられた(t(19)=4.76,p<.05)が,Active条件では有意差がみられ なかった(t(19)=0.35,n.s.)。 歩幅に関して両条件の変化量をみると,Relax条件の平均は114.10%(SD=20.18)を示し,メト ロノーム音聴取時よりも増加したのに対して,Active条件の平均は101.10%(SD=10.99)であり, メトロノーム音聴取時とほぼ同じ歩幅であった。t検定の結果,Relax条件ではメトロノーム音聴取 時との有意差が確認された(t(19)=3.52,p<.05)が,Active条件ではメトロノーム音聴取時との 有意差は確認されなかった(t(19)=0.30,n.s.)。 歩行速度に関して両条件の変化量をみると,Relax条件の平均は100.36%(SD=9.49),Active条 件は100.82%(SD=10.03)であり,両条件ともメトロノーム音聴取時の速度と比べて大きな違い がみられなかった。t 検定の結果,基準値のメトロノーム音聴取時とRelax条件(t(19)=0.06,n.s.), Active条件(t(19)=0.10,n.s.)ともに有意差はみられなかった。 以上より,健常大学生に関しては,Relax条件でピッチが減少する一方で,歩幅は増大し,歩行 速度は変化しないという結果であった。またActive条件ではピッチ,歩幅,歩行速度ともにメトロ ノーム音聴取時との変化が確認されなかった。 2 .知的障害児における歩行運動データ (1)パーソナルテンポ及び同期率 各知的障害児のパーソナルテンポ及び同期率を表2に示す。 パーソナルテンポの平均値は127.29BPM(SD=18.20)であった。全体をみると,14名のう ち8名が平均±1SD以内に位置していたが,4名は1SDを上回っていた(B児:147BPM,E児: 153BPM,G児:147BPM,I児:153BPM)。一方で,2名は1SDを下回っており(F児:108BPM,K児: 87BPM),参加者間での個人差がみられた。また,前半課題及び後半課題のメトロノーム音に対す 図1 健常大学生群における歩行運動データの平均変化量 5 結果 .健常大学生における歩行運動データ 健常大学生群における各条件のピッチ,歩幅,歩行速度の変化量の平均を図1 に示した。 ピッチに関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 89.20%(SD=11.80)を示し,メ トロノーム音聴取時よりもピッチが減少したのに対して,Active 条件の平均は 99.75%(SD=5.11) であり,メトロノーム音聴取時とほぼ同じピッチ数であった。t 検定の結果,Relax 条件ではメト ロノーム音聴取時との有意差がみられた(t(19)=4.76,p<.05)が,Active 条件では有意差がみら れなかった(t(19)=0.35,n.s)。 歩幅に関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 114.10%(SD=20.18)を示し,メト ロノーム音聴取時よりも増加したのに対して,Active 条件の平均は 101.10%(SD=10.99)であり, メトロノーム音聴取時とほぼ同じ歩幅であった。t 検定の結果,Relax 条件ではメトロノーム音聴 取時との有意差が確認された(t(19)=3.52,p<.05)が,Active 条件ではメトロノーム音聴取時との 有意差は確認されなかった(t(19)=0.30,n.s)。 歩行速度に関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 100.36%(SD=9.49),Active 条 件は100.82%(SD=10.03)であり,両条件ともメトロノーム音聴取時の速度と比べて大きな違い がみられなかった。t 検定の結果,基準値のメトロノーム音聴取時と Relax 条件(t(19)=0.06, n.s),Active 条件(t(19)=0.10,n.s)ともに有意差はみられなかった。 図1 健常大学生群における歩行運動データの平均変化量 以上より,健常大学生に関しては,Relax 条件でピッチが減少する一方で,歩幅は増大し,歩行速 度は変化しないという結果であった。またActive 条件ではピッチ,歩幅,歩行速度ともにメトロノ ーム音聴取時との変化が確認されなかった。 *:メトロノーム聴取時との差が有意(p<.05)であったことを意味する. 5 結果 .健常大学生における歩行運動データ 健常大学生群における各条件のピッチ,歩幅,歩行速度の変化量の平均を図1 に示した。 ピッチに関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 89.20%(SD=11.80)を示し,メ トロノーム音聴取時よりもピッチが減少したのに対して,Active 条件の平均は 99.75%(SD=5.11) であり,メトロノーム音聴取時とほぼ同じピッチ数であった。t 検定の結果,Relax 条件ではメト ロノーム音聴取時との有意差がみられた(t(19)=4.76,p<.05)が,Active 条件では有意差がみら れなかった(t(19)=0.35,n.s)。 歩幅に関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 114.10%(SD=20.18)を示し,メト ロノーム音聴取時よりも増加したのに対して,Active 条件の平均は 101.10%(SD=10.99)であり, メトロノーム音聴取時とほぼ同じ歩幅であった。t 検定の結果,Relax 条件ではメトロノーム音聴 取時との有意差が確認された(t(19)=3.52,p<.05)が,Active 条件ではメトロノーム音聴取時との 有意差は確認されなかった(t(19)=0.30,n.s)。 歩行速度に関して両条件の変化量をみると,Relax 条件の平均は 100.36%(SD=9.49),Active 条 件は100.82%(SD=10.03)であり,両条件ともメトロノーム音聴取時の速度と比べて大きな違い がみられなかった。t 検定の結果,基準値のメトロノーム音聴取時と Relax 条件(t(19)=0.06, n.s),Active 条件(t(19)=0.10,n.s)ともに有意差はみられなかった。 図1 健常大学生群における歩行運動データの平均変化量 以上より,健常大学生に関しては,Relax 条件でピッチが減少する一方で,歩幅は増大し,歩行速 度は変化しないという結果であった。またActive 条件ではピッチ,歩幅,歩行速度ともにメトロノ ーム音聴取時との変化が確認されなかった。 *:メトロノーム聴取時との差が有意(p<.05)であったことを意味する. 田原ら:知的障害児の歩行運動に音楽が及ぼす影響 279
る同期率を算出したところ,いずれの参加者も概ね100%に近い値を示しており,同期ができてい たが,D 児の後半,E 児の後半,G 児の前半,I児の前半と後半のようにメトロノーム音に比べて 早いテンポで歩行したり,N 児の後半のように遅いテンポで歩行したりする様子も認められた。 (2)ピッチ・歩幅・歩行速度における変化量 知的障害児における各条件のピッチ,歩幅,歩行速度の変化量の平均を図2に示した。 ピッチに関して両条件の変化量をみると,Relax条件の平均は96.04%(SD=5.42)を示し,メ トロノーム音聴取時によりもピッチがやや減少したのに対して,Active条件の平均は99.29% (SD=4.98)であり,メトロノーム音聴取時からの変化はみられなかった。t検定の結果,Relax条 件ではメトロノーム聴取時との有意差がみられた(t(13)=3.12,p<.05)が,Active条件では有意 差がみられなかった(t(13)=0.80,n.s.)。 歩幅に関して両条件の変化量をみると,Relax条件は106.22%(SD=17.36),Active条件では 101.61%(SD=18.05)を示し,Relax条件においてメトロノーム音聴取時に比べて歩幅がやや大き くなる傾向にあった。t検定の結果,Relax条件ではメトロノーム音聴取時との有意差が確認された (t(13)=2.48,p<.05)が,Active条件ではメトロノーム音聴取時との有意差は認められなかった (t(13)=1.05,n.s.)。 歩行速度に関して両条件の変化量をみると,Relax条件では101.72%(SD=15.64),Active条件 では100.46%(SD=15.57)とほぼ100%に近い値であり,条件のいかんにかかわらずメトロノーム 音聴取時に比べて差はみられなかった(Relax条件:t(13)=1.14,n.s.,Active条件:t(13)=1.20,n.s.)。 表2 各知的障害児におけるパーソナルテンポ及び同期率 参加者 A B C D E F G H I J K L M N パーソナルテンポ (BPM) 114 147 117 135 153 108 147 120 153 123 87 123 135 120 メトロノーム同期率 (%) 前半 後半 93 95 105 100 95 98 100 111 102 120 98 91 111 107 95 95 118 114 100 100 95 98 100 100 100 100 100 86 図2 知的障害児群における歩行運動データの平均変化量 茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号(2019) 280
以上より,知的障害児においてもRelax条件ではピッチが減少し,歩幅が大きくなり,歩行速度 は変化がないという結果であった。また,Active条件ではピッチ,歩幅,歩行速度ともにメトロノー ム音聴取時との変化は確認されず,両条件とも健常大学生と同様の結果であった。 3 .メトロノーム音聴取時と楽曲聴取時に顕著な変化が認められた 2 事例の歩行運動 以下では,メトロノーム音聴取時と楽曲聴取時の歩行運動に顕著な変化が認められた I 児とL児 に着目し,歩行課題実施時の特徴等を述べる。 (1)I 児 I 児の歩行運動データの変化量(図3の左)に着目すると,Relax条件,Active条件ともに,メ トロノーム聴取時よりもピッチが減少した一方で,歩幅と歩行速度は大きく増大している点が他の 参加者と異なっていた。 I 児の歩行運動を観察すると,広めの歩幅で,足をあまり上げず,早歩きで移動することを基本 としていた。課題開始直後の無音区間でも同様の歩行パタンで歩いている様子が観察されたが,メ トロノーム音が呈示されると,完全な同期は難しかったものの,ピッチが緩やかになり,足を高く 上げ,狭い歩幅で床を強く踏みつけるような歩行パタンに変化した。メトロノーム音の呈示が終わ り,楽曲が呈示されるようになると,徐々に歩幅が大きくなり,それに伴い速度も上昇していく様 子が観察された。 (2)L児 L児の歩行運動データの変化量(図3の右)に着目すると,Relax条件,Active条件ともに,メト ロノーム音聴取時よりもピッチ,歩幅,歩行速度が減少した点が他の参加者と異なっていた。 L児の歩行運動をみると,ピッチはやや遅めであったが,平均的な歩幅,速度で歩行していた。 課題中にメトロノーム音が呈示されるとピッチが増大し,100%の同期率を示した一方で,I 児と 同様に,歩幅が狭くなり,床を強く踏みつけるような歩行パタンに変化した。メトロノーム音呈示 後も同様の歩行パタンを示したが,楽曲の呈示区間ではピッチがやや不規則になり,歩幅もさらに 狭くなったことで,歩行速度が低下していく様子が観察された。茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号㻔㻞㻜㻝㻥㻕 8 図3 メトロノーム音聴取時と楽曲聴取時の歩行運動に顕著な変化が 認められた2 名の歩行運動データの変化量 考察 .知的障害児の歩行運動に音楽が及ぼす影響 本研究では知的障害児を対象としてActive や Relax といった楽曲の違いが歩行運動にいかなる影 響を及ぼすのかについて検討した。その結果,楽曲の違いが歩行速度には影響しなかったものの, Relax と評価された楽曲では歩幅が増え,結果としてピッチは減少することが明らかとなった。こ れらの歩行運動への楽曲呈示による効果は比較対照群である健常大学生でも同様の結果を示してい た。つまり,知的障害の有無に関わらず,Relax な音楽は歩行運動に一定の傾向をもった変化を生 じさせることが明らかとなった。 このことに関して,水野(2009)は特別支援学校教諭を対象として,音楽が知的障害児の身体運 動に及ぼす影響について調査を行っており,運動時に音楽を活用することで子どもの行動変化が期 待できると多くの教員が実感していることを報告している。本研究の結果は,音楽が運動に与える 効果を実証するものではあったが,一般的には,運動時に音楽を用いる場合,動きを促進させた り,気分を高めさせたりするなどActive な音楽がもたらす効果に注目しがちである。しかし,本 研究ではActive 条件というよりもむしろ Relax 条件で歩行運動に影響を及ぼしていた。したがっ て,音楽の質によって運動に及ぼす影響が異なる可能性のあることが推察され, Relax な音楽は 動きを落ち着かせ,かつ可動範囲を広げる効果が期待できることが示唆された。他方で,Active な 楽曲ではメトロノーム音聴取時からの目立った変化は確認されなかったものの,見方を変えると, Active 条件においては一定のピッチ・歩幅・速度を保っていることがわかる。リズムパタンやビー トの有無は楽曲への同期率に影響を及ぼすとされている(畑山ら,2008)。本研究の Active 条件に おいて用いられている楽曲は,ドラム等のリズムパタンが含まれているものが多く,参加者にとっ てもそれらの情報を抽出しやすいことが同期のしやすさに影響したと推察される。 なお,同様の実験を行ったLeman et al.(2013)の知見では,音楽の質にかかわらず楽曲聴取時 には歩行速度が上昇することを報告しており,ピッチについてはいずれの音楽でも変化を示さなか った。つまり,音楽を呈示することで歩行運動に何らかの変化が生じるという点ではLeman et al.(2013)と本研究の結果は一致していたが,その様相はかなり異なっていた。この点に関して,音 楽経験の差や刺激の呈示方法(ヘッドホン呈示か,スピーカ呈示か),文化的な差異などの背景要 因が考えられるが,その検証には今後のさらなる研究が必要であろう。 , 児 / 児 図3 メトロノーム音聴取時と楽曲聴取時の歩行運動に顕著な変化が 認められた2 名の歩行運動データの変化量
考 察 1 .知的障害児の歩行運動に音楽が及ぼす影響 本研究では知的障害児を対象としてActiveやRelaxといった楽曲の違いが歩行運動にいかなる影 響を及ぼすのかについて検討した。その結果,楽曲の違いが歩行速度には影響しなかったものの, Relaxと評価された楽曲では歩幅が増え,結果としてピッチは減少することが明らかとなった。こ れらの歩行運動への楽曲呈示による効果は比較対照群である健常大学生でも同様の結果を示してい た。つまり,知的障害の有無に関わらず,Relaxな音楽は歩行運動に一定の傾向をもった変化を生 じさせることが明らかとなった。 水野(2009)は特別支援学校教諭を対象として,音楽が知的障害児の身体運動に及ぼす影響に ついて調査を行っており,運動時に音楽を活用することで子どもの行動変化が期待できると多くの 教員が実感していることを報告している。本研究の結果は,音楽が運動に与える効果を実証するも のではあったが,一般的には,運動時に音楽を用いる場合,動きを促進させたり,気分を高めさせ たりするなどActiveな音楽がもたらす効果に注目しがちである。しかし,本研究ではActive条件よ りもむしろRelax条件が歩行運動に影響を及ぼしていた。したがって,音楽の質によって運動に及 ぼす影響が異なる可能性のあることが推察され, Relaxな音楽は動きを落ち着かせ,かつ可動範囲 を広げる効果が期待できることが示唆された。他方で,Activeな楽曲ではメトロノーム音聴取時か らの目立った変化は確認されなかったものの,見方を変えると,Active条件においては一定のピッ チ・歩幅・速度を保っていることがわかる。リズムパタンやビートの有無は楽曲への同期率に影響 を及ぼすとされている(畑山ら,2008)。本研究のActive条件において用いられている楽曲は,ド ラム等のリズムパタンが含まれているものが多く,参加者にとってもそれらの情報を抽出しやすい ことが同期のしやすさに影響したと推察される。 なお,同様の実験を行ったLeman et al.(2013)では,音楽の質にかかわらず楽曲聴取時には歩行 速度が変化することを報告しており,ピッチについてはいずれの音楽でも変化を示さなかった。つ まり,音楽を呈示することで歩行運動に何らかの変化が生じるという点ではLeman et al.(2013)と 本研究の結果は一致していたが,その様相はかなり異なっていた。この点に関して,音楽経験の差 や刺激の呈示方法(ヘッドホン呈示か,スピーカ呈示か),文化的な差異などの背景要因が考えら れるが,その検証には今後のさらなる研究が必要であろう。 個別の事例をみると,I 児やL児のようにメトロノーム音聴取時と楽曲聴取時の歩行運動の様子 が顕著に異なる事例が確認された。I 児については,完全な同期は難しかった(前半118%,後半 114%)ものの,メトロノーム音の呈示とともにピッチを低下させる姿が観察された。また,L児 については,メトロノーム音に合わせてピッチを増大させ,100%の同期率を示していた。さらに, 2名に共通して,メトロノーム音聴取時に床を強く踏みつける歩行運動がみられ,これらの姿から, 歩行パタンを意識的に変化させながら,メトロノーム音に合わせようとしていた様子がうかがえる。 しかし,楽曲の聴取時では,歩幅が大きくなり加速する様子( I 児),あるいは歩幅がさらに小さ くなり減速する様子(L児)が確認された。この背景には,楽曲が複雑な要素で構成されているこ とが影響していると考えられる。音楽は,音色,リズム,旋律,音階や調などの様々な要素で形作 られており,それらの様々な要素の中からリズムに関する要素を抽出し,自身の行動を適応させて 茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号(2019) 282
いく必要がある。一方で,楽曲の中のドラム音などに比べ,メトロノーム音は明確なテンポ情報を 呈示できるという利点がある(畑山ら,2008)。それらを考慮すると,I 児とL児については,メト ロノーム音であればテンポを感じて同期することが可能であるが,旋律や音色など楽曲の要素が複 雑になると,手がかりとなる情報を抽出することができなかった可能性が考えられる。そのため, I 児においては手がかりとなる情報を抽出できず,歩幅を調整することが難しくなり,L児におい てはそれでも同期を試みたために,ピッチの不規則さや歩幅の減少につながったと推察される。 2 .まとめと今後の課題 本研究では背景音が知的障害者の歩行運動に及ぼす影響について,実験的手法を用いて検討した。 その結果,特にRelaxな音楽において,歩行のペースを落ち着かせ,動きを大きくする効果がある 可能性が考えられた。一方でActiveな音楽については,歩行運動に変化はみられなかったものの, リズムパタンが明確なものが多く,楽曲のテンポを感じ取って同期しやすいという点で有効である と考えられた。また,個別の事例をみると,メトロノーム音に合わせることは可能であるが,複雑 な楽曲に合わせることに困難さを有する者が存在する可能性がうかがえた。以上より,活動の目的 や個人の特性を考慮しながら背景音を活用していく必要性が示された。 本研究ではLeman et al.(2013)を参考として実施したため,参加者が初めて聴取する未知の楽曲 を使用した。また,同先行研究におけるActive,Relaxという観点に基づいて楽曲を選定した。一方で, 畑山ら(2008)が指摘するような楽曲のテンポの捉えやすさや,楽曲の親密性や好み(Leow et al., 2015)なども運動全般に影響を及ぼす可能性がある。今後はこれらの他の要因にも着目しながら, 音楽を効果的に活用するための支援のあり方について検討する必要がある。 謝 辞 本研究にご協力いただいた参加者の皆様,及びA特別支援学校の先生方にこの場を借りて御礼 申し上げます。なお,本研究の一部は日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(B)(課題番号 16H03807,研究代表者:勝二博亮)の助成を受けて行われた。 引用文献 畑山由佳・天賀典彦・市江雅芳.2008.「健常者歩行実験によるMIDIペーシング音楽の評価」『バイオメカニズ ム学会誌』32, 83-89. 栗林龍馬・入戸野宏.2014.「背景音のテンポが行動ペースに与える効果」『広島大学大学院総合科学研究科紀 要 I 人間科学研究』9, 17-29.
Leman, M., Moelants, D., Varewyck, M., Styns, F., van Noorden, L., & Martens, J. P. 2013. “Activating and relaxing music entrains the speed of beat synchronized walking”, PloS ONE, 8, e67932.
Leow, L. A., Rinchon, C., & Grahn, J. 2015. “Familiarity with music increases walking speed in rhythmic auditory cuing”. Annals of the New York Academy of Sciences, 1337, 53-61.
良女子大学スポーツ科学研究』11, 49-56.
齋藤一雄.2005.「知的障害児におけるリズムパターン同期の誤反応の分析」『特殊教育学研究』43, 193-201. 椎名幸由紀・髙草木博・滑川昭・勝二博亮.2015.「運動が苦手なダウン症児への体育の授業作り―投能力の
向上を目指して―」『茨城大学教育実践研究』34, 259-267.
Styns, F., van Noorden, L., Moelants, D., & Leman, M. 2007. “Walking on music”. Human Movement Science, 26, 769-785.
豊村和真・能瀬真奈美.2000.「知的障害児の歩行に見られる外見的特徴に関する考察」『北星論集』37, 43-48. 茨城大学教育学部紀要(教育科学)68 号(2019)