Franz Schubert Winterreise Op.89 淡野太郎バリトン リサイタル 89 Franz Schubert Winterreise Op. 89 Ein Cyclus von Liedern von Wilhelm Müller [ バリトン ]Taro Tanno, Bar

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全文

(1)

よ そ 者 と し て や っ て 来 て 、 よ そ 者 と し て 去 っ て い く …

Fremd bin ich eingezogen,  fremd zieh’ ich wieder aus...

淡 野 太 郎 バ リ ト ン ・ リ サ イ タ ル

撮影:風間久和

Franz Schubert Winterreise

Op.89

ピアノ■武久源造

サントリーホール

ブルーローズ(小ホール)

2009.1.23

19:15

18:30開場)

開演

Taro Tanno Baritone Recital

Genzoh Takehisa: Piano

主催■ http://www.musicapoetica.jp

フランツ・シューベルト:〈冬の旅〉作品89

(2)

Franz Schubert

Winterreise

O p .8 9

Gute Nacht

1

さらば

Die Wetterfahne

2

風見

Gefrorne Tränen

3

凍った涙

Erstarrung

4

凍りつき

Der Lindenbaum

5

菩提樹

Wasserflut

6

洪水

Auf dem Flusse

7

川面で

Rückblick

8

回顧

Irrlicht

9

鬼火

Rast

10

休息

Frühlingstraum

11

春の夢

Einsamkeit

12

孤独     

Die Post

13

郵便

Der greise Kopf

14

白髪頭

Die Krähe

15

カラス

Letzte Hoffnung

16

最後の望み

Im Dorfe

17

村で

Der stürmische Morgen

18

嵐の朝

Täuschung

19

たぶらかし

Der Wegweiser

20

道しるべ

Das Wirtshaus

21

宿屋

Mut

22

から元気

Die Nebensonnen

23

幻日

Der Leiermann

24

ライアー弾き

淡野太郎 バリトン・リサイタル

フランツ・シューベルト

〈冬の旅〉

作品

89

ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集

Franz Schubert

Winterreise

Op. 89

Ein Cyclus von Liedern von Wilhelm Müller

淡野太郎

[バリトン]

Taro Tanno, Bariton

武久源造

[ピアノ]

Genzoh Takehisa, Klavier

※途中休憩はございません。どうぞご了承ください。

ZWEITE ABTEILUNG

 第二部

ERSTE ABTEILUNG

 第一部

(3)

 私の記憶が確かであれば、私が〈冬の旅〉に初めて触れたのは高校時代である。 当時私は岡 實俊先生の許で声楽のレッスンを受けており、「ドイツものもやって みたい」という私の希望に応えて岡 先生が選んでくださった曲が〈冬の旅〉の中の 第11曲、Frülingstraum(春の夢)であった。  今思うと恥ずかしい話だが、当時の私はドイツ語の理解があまりにも乏しく、この FrülingstraumをFrüling ¦ straumと区切る言葉と思い込み、「フリューリングシュ トラウム」などと発音してしまう始末であった(正しくはFrülings ¦ traum、真ん中のs は「シュ」にはならない)。そんな理解度でこの曲をまともに歌えるわけもなく、「とて も歌いにくい曲」という印象しか残らなかったと記憶している。他にも An die Musik (音楽に寄す)など、シューベルトの他の名作にも挑戦してみたのだが、やはり曲の 解釈以前の問題で悩みは増す一方。  それまで母の指揮するハインリヒ・シュッツ合唱団等でドイツ語テキストの宗教曲 を数多く歌う経験に恵まれ、いささか調子に乗っていた時期の私にとって、音楽を やる上で「言語理解の圧倒的な不足」という現実を突きつけられたショックは大きく、 かといって自分の不勉強を反省するわけでもなく、「シュッツやバッハの曲を歌う時 には、あんなに楽しく歌えるのに。きっとシューベルトの作品は俺には合ってないん だろうな」などと傲慢な考え方をすることで逃避していた。  自分の音楽がうまく噛み合わないという思いは、一浪を経て藝大に入り、留年を 繰り返した後にやっとの思いで卒業に漕ぎ着けるまで続いた。浪人時代に教えを 受けた佐々木正利先生、また大学時代の専攻担当教官の嶺貞子先生は、ろくに勉強 もして来ず上達もせず、しかも態度はでかいという、この救いようのない生徒にさぞ ご苦労なさったことと思う。  転機は1996年の暮れにやって来た。次の年の3月にシュッツ合唱団がバッハの 〈マタイ受難曲〉を演奏することになり、イエス役として白羽の矢を立てられたのだ。 受難曲のイエスといえば、普通は格上の歌い手が務め、私のようなペーペーの出る 幕などない。指揮をしているのが実の母とはいえ、この母親、ソリスト選びのような 大事なことに肉親の情など決して持ち込まない人。なぜ? すると母が「アグネス・ギー ベルがこう言ったのよ。『イエスを年寄りがやるのはおかしい。彼が宣教していたの は30過ぎくらいのときでしょう。若い人がやるべきなのよ。タローがいるじゃない。 私がみっちり教えるから、彼に歌わせなさい』って。そこまで言ってくれているんだ から、お言葉に甘えて教えてもらってきなさい」と。  自ら進んで勉強しに行くわけではないところが問題だが、このようにチャンスが 与えられるという果報に感謝しつつ(というか、これで行かないのはあまりにも罰当 たりだという思いから)、ケルンのアグネス・ギーベル女史の家に1ヶ月余り内弟子と してお世話になることに。この時に習ったことの詳細は割愛するが、特に重点的に 指導されたのは発音であった。一語たりともおろそかにせず、正しい発音で歌える まで先に進ませてもらえなかった。大変ではあったが、ここまでみっちりやったことで、 自然と単語ひとつひとつの意味を考えるようになり、それが理解出来ている時とそう でない時の声の違いを実感するようになっていった。ただ対訳を読んで、テキストを あらすじとして頭に入れておくだけのやり方とは、明らかに違う世界がそこにあった。  言語の習得の重要性をこれ以上ない形で実感した私は、当時進行中だった〈ハイ ンリヒ・シュッツ全作品連続演奏〉の完結を待って、またドイツへと向かった。まだ 片言で話す、というレベルにも達していなかったドイツ語力をなんとかしなければ、 自分の音楽家としての未来がない、という思いだった。  時は2002年初頭。三十路を目前にした、遅い旅立ちだったといえるだろう。当初 は1年くらい滞在してドイツ語をできるだけレベルアップできれば、くらいに考えていた が、生来の受身気質と、納得するまで先へ進まない性格が災いしたか、自分の語学力 は亀の歩みの如しであった。しかし逆にそれで、より腰を据えて学ぶ態勢になれた のだとも思う。

Rückblick

初リサイタルに臨んで

(4)

 途中何度か短期帰国を挟みつつ、ドイツ滞在は約5年に及んだ。その間にたく さんの人々から数え切れないほどの刺激を受け続けたのだが、中でも忘れがたいの はツェーガー・ファンダステーネ氏とヘルマン・クリスティアン・ポルスター氏の教えを 受けたことであろう。  ファンダステーネ先生のマスタークラスに参加した時、フランスのソプラノ歌手、 イヴァ・バルテレミ女史が提唱する発声のためのトレーニングを学び、それ以来声が 劇的に変わった。限界値が上がったとでもいおうか、自分の声でやれる範囲が (音量も音域も、上にも下にも)大きく広がり、俄然歌うことが楽しくなってきたのだ。  このころファンダステーネ先生に〈冬の旅〉全曲のレッスンを受けた。忘れもしない、 元旦から3日間かけてのレッスンであった。全曲通してみて、ようやく〈冬の旅〉の粗筋 の一端をつかんだような気がした。これはいつかぜひ歌わなければ、と思った。  その後、ゲヴァントハウス室内合唱団のメンバーとして採用され、せっかくなので 住処をライプツィヒに移すことにし、そこでポルスター先生のレッスンを受けた。彼は バッハのスペシャリスト。バッハの四大宗教曲のみならず、すべてのカンタータ(!)と ミサ曲もレパートリーとしておられる。まずは四大宗教曲のバスソロパートをすべて レッスンしていただいた。歌詞のみならず、和音や音型からも歌い手の心理を追求 するという解釈の手法が、元来がこだわり屋の私には最高の勉強となった。その ころ残念なことに、せっかくメンバーに加えてもらえたゲヴァントハウス室内合唱団が 資金難で解散することが正式に決まり、その後に帰国するまでの限られた期間、さて 何を学ぼうか、と考えた時に真っ先に浮かんだのが〈冬の旅〉であった。ファンダス テーネ先生とはまた違った視点による、ポルスター先生の解説を聞いている時、それ まで漠然と考えていたことが確信に至った。 ──どんなに素晴らしい内容の解説を聞いても、受け売りのままで演奏しては意味が ない。どんな解釈であろうと、自分の考えで納得し切れなければ、それは解釈とは いえない。逆に言えば、自分で考えることを続ければ、何をやってもそれは「自分の 音楽」になる。奇をてらう必要などない。自分の考えがオーソドックスであるか、はた また突飛な発想かなど、実は大した問題ではない。音楽家にとって重要なのは、「自 分の音楽」を表明することなのだから──  日本に帰ってきた頃、シュッツ合唱団ではまだ20歳にならないUという若い新入 団員を迎えていた。Uは浪人生で、どこにいてもかなり目立つ男だった。音楽を愛す る心は誰よりも強く、それを隠すこともないが、プライベートでは受験の失敗などいろ いろな悩みを抱え、鬱病を患っていたのだ。  鬱の気質を持っている人、また実際に鬱病と診断された人など、なぜか私のそれま での知り合いにもたくさんいたのだが、彼ほどの重症は初めて見たと思った。太宰治 の愛読者で〈冬の旅〉の愛聴者だろうな、と思ったら案の定だった。  歌わせてみるといい声を持っている。病の心配は付きまとうが、音楽を愛する気持 ちは誰にも負けないし、将来が楽しみだと思っていた。  私は指揮者として活動していく一方、ぼちぼちソロリサイタルを開きたいと考える ようになっていた。しかし最初にやりたかったのは〈冬の旅〉ではなく、実はシュー マンの〈詩人の恋〉であった。理由は単純で、〈詩人の恋〉こそが数あるドイツリート のツィクルスの中で一番好きなものだったからだ。  ある日の夜、武久源造さんと久しぶりに酒席で一緒になった。そこからの帰途、 そろそろリサイタルやってみようかと思ってるんだけど、という話をしたら、酔っ払って ろれつの回らない状態の武久さんに「最初にやるのは〈冬の旅〉がいいよ。あれは 太郎に合ってるよ」と言われ、思わず考え込んだ。むむむ、合ってるって言われても なあ……自分ではそれほどとは思ってないんだけど…。

(5)

Franz Schubert

Winterreise

O p .8 9  夏のある日、Uが自殺したとの知らせが入った。鬱病が悪化ししばらく伏せって いたのだが、そろそろ立ち直りつつあるので、来週からまた練習に来ます、という連絡 があった矢先だった。  棺の中のUの姿を見た時、真っ先に思い浮かんだ言葉は「しょうがない奴だな…」 だった。威勢よく「練習来ます」「本番出ます」と言っておきながら、何回すっぽか されたことか。夜中、というより未明にいきなり電話がかかってきたことも一度や 二度ではない。しかしそんな時に「ふざけるな」でも「この馬鹿野郎」でもなく、いつも 「しょうがない奴だな」で済ませたくなる、不思議な奴だった。  Uの死から数ヶ月が経ったある日、ふと〈冬の旅〉の楽譜を開いてみた。それまでに 見ていたものとはどこか違って見える気がした。1番から24番まで歌詞を読み直して みて、「あいつを思い出させるな」と思ったのだ。  正直なところ、それまで〈冬の旅〉の主人公にはそれほど共感しているわけでは なかった。しかし、今読み直しているこの詩には明瞭なリアリティを感じる…。 ──これは、 ひょっと、 して、 歌え、ってこと、 なの、 かな──  これまでに経験してきたことをざっと並べてみたが、すべてが今日のために準備 されていたことのように思えてならない。本日、1時間前後の短い演奏時間の中、 それらがどのような形で私の歌に現れるのか、正直言って私にも全容がつかめない。 ただ、これだけは言える。「これが私の音楽です。どうぞお聴きください」と。  最後になりましたが、このリサイタルを開催するにあたって、快くピアノを引き受け てくださった武久源造さん、彼の活動をいつも献身的にサポートしてくださる奥様 の洋子さんと山川節子さん、チラシのための素晴らしい写真を撮影してくださった 風間久和さん、その写真を見事にデザインしてくださった岡部満さん、マネージメント をお引き受けくださったアレグロミュージックの皆さん、これまでに多くの有形無形の 多大なご支援をいただいているムシカ・ポエティカのスタッフの皆さん、並びにハイン リヒ・シュッツ合唱団、メンデルスゾーン・コーア、ユビキタス・バッハのメンバーの 皆さん、これまでに数多くのことを学ばせていただいた恩師の方々に、心より感謝 申し上げます。  そして何よりも、常に私を支え励ましてくれる私の家族、特に私のテキストの暗記 地獄に辛抱強く付き合ってくれた母に、言い尽くせぬ感謝を捧げます。 2009年1月23日 淡野太郎(たんの・たろう)

(6)

Profile

淡野太郎

[バリトン] Taro Tanno: Bariton

1972年、リオ・デ・ジャネイロに生まれる。幼時より主にバロックを中心とした音楽に 興味を持ち、10歳頃からハインリヒ・シュッツ合唱団他で歌い始める。東京都立芸術 高校音楽科を経て東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。この間、声楽を岡崎實俊、 佐々木正利、嶺貞子、リコーダーを守安功、濱田芳通、ファゴットを山上貴司、室内アン サンブルを野村満男の諸氏に師事。藝大在学中にはバッハ・カンタータクラブに在籍、 小林道夫氏の薫陶を受ける。1989年から2001年まで12年の歳月をかけて行われた 「ハインリヒ・シュッツ全作品連続演奏」プロジェクトのほとんどに参加、その際に演奏 したシュッツ作品は合計で450曲以上にのぼる。1997年以降度々渡欧し、声楽及び 歌曲解釈等をケルンにてアグネス・ギーベル女史に、パリにてカミーユ・モラーヌ氏に、 ゲントにてツェーガー・ファンダステーネ氏に、ライプツィヒにてヘルマン・クリスティアン・ ポルスター氏に師事。また2003年から2004年にかけてドイツ・ヘアフォルトのヴェスト ファーレン教会音楽大学に学び、声楽をザビーネ・シャマイト女史に、リコーダーをエリ ザベート・シュヴァンダ女史に、合唱指揮をヒルデブラント・ハーケ氏に師事。2004年 から06年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス室内合唱団メンバー。2007年、前年の 同団解散を機に帰国。帰国の前後より指揮活動を本格化させ、リスト〈レクイエム〉、 バッハ〈ヨハネ受難曲〉や数々のカンタータ、ディストラーの合唱曲等の指揮で好評を 博す。指揮の他にもリートやオラトリオの歌い手、またリコーダーやドゥルツィアン奏者 として活動。現在、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京で常任指揮者を務める。ユビキタス・ バッハ、メンデルスゾーン・コーア、各指揮者。「ムシカ・ポエティカ」スタッフ。

武久源造

[ピアノ] Genzoh Takehisa: Klavier

東京芸術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種 鍵盤楽器を駆使して中世から現代の幅広いジャンルで様々なレパートリーを持つ。 特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品の解釈には内外から支持が寄せられ ている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。楽器製作についても造詣が 深く、楽器の構造的特色を最大限に引き出す演奏が、製作家からも高く評価されて いる。91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(米国・アトランタ)、また97年・第7回 および01年・第11回「古楽コンクール」(山梨)、ほか多数のコンクールに審査員として 招かれる。ソロ活動と共に、00年 に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェ ルスム・ムジクム」を結成、指揮・ 編 曲 活 動にも力を注いでいる。 02年から毎年、韓国からの招請に より訪韓し、両国の音楽文化の交 流に貢献。91年よりプロデュース も含めおよそ30作品のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵 盤音楽の領域」(Vol.1∼6)、チェン バロによる「ゴールトベルク変奏曲」 など多数の作品が「レコード芸術」 誌の特選盤となる。02年、著書「新 しい人は新しい音楽をする」(アル ク出版企画)を出版。05年より鍵 盤楽器の新領域とも言えるシンフォ ニーのピアノ連弾版に取り組む。 06年NHK第一ラジオ「ときめきカル チャー」コーナーに年間を通して 出演。現在、フェリス女学院大学音 楽学部及び同大学院講師。

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参照

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