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駒澤大学佛教学部論集 43 009清野 宏道「道元禅師における仏身観 : 修証論と重ねて」

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Academic year: 2021

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駒澤大學佛教學部論集   第四十三號   平成二十四年十月 二二一     は じ め に   原 始 仏 教 以 来 、 仏 身 に 対 す る 観 念 が 多 岐 に 分 化 し て き た こ と は 周 知 の 通 り で あ り 、 そ れ を 体 系 化 し た の が 仏 身 論 で あ る 。   教 学 的 に 見 る と 、 仏 身 の 分 類 は 基 本 的 に 仏 に 対 す る 理 ・ 智 ・ 用 の 配 置 に よ っ て 成 立 す る と 言 い 得 る 。 最 も 一 般 的 な の は 、 こ れ を 法 身 ・ 報 身 ・ 応 身 に 配 す る 三 身 説 で あ ろ う が 、 他 に も 一 身 ・ 二 身 等 の 諸 説 が あ る 。 一 身 説 は 一 実 性 仏 の み を 立 て 、 二 身 説 は そ れ を 化 身 ( 法 身 )・ 生 身 に 分 け る 。 四 身 説 は 三 身 に お け る 智 を 自 受 用 と 他 受 用 に 分 け 、 五 身 説 は 四 身 説 の 用 を 応 身 と 化 身 に 分 け る 。 ま た 、 他 に 五 身 説 に 生 身 を 加 え る 六 身 説 や 、『 華 厳 経 』 の 十 身 説 な ど も あ る が 、 こ う し た 種 々 の 仏 身 説 も 三 身 説 が 基 本 に な っ て い る と 見 て 差 し 支 え な い で あ ろ う 。   こ の よ う に 、 仏 身 に 対 す る 解 釈 は 仏 教 思 想 の 展 開 と 共 に 多 様 な 発 展 を 見 せ る 。 し か し 、 そ れ が 仏 教 思 想 史 上 に 形 成 さ れ た も の で あ る こ と を 考 慮 す れ ば 、 各 々 を 単 一 的 に 捉 え る こ と は で き な い と 考 え る 。   本 稿 の 目 的 は 、『 正 法 眼 蔵 』 ( 以 下 、 道 元 禅 師 に 関 連 す る 典 籍 は 『 道 元 禅 師 全 集 』〈 以 下 『 全 集 』〉 を 用 い 、『 正 法 眼 蔵 』 は 巻 名 の み を 記 す ) 等 を 用 い 、 道 元 禅 師 ( 一 二 〇 〇 ― 一 二 五 三 ) に お け る 修 証 論 の 構 造 を 通 し て 仏 身 観 を 解 明 す る と 共 に 、 そ の 教 理 的 背 景 を 探 る こ と に あ る 。 従 来 も 禅 師 の 仏 身 思 想 に 関 す る 考 察 は 様 々 に 行 わ れ て き た )( ( が 、 そ の 多 く は 『 正 法 眼 蔵 』 等 の 記 述 の み を 手 が か り と し て 論 考 を 行 う こ と が 殆 ど で あ っ た 。 そ れ ゆ え 、 教 理 的 な 視 点 で そ の 思 想 形 成 を 考 察 し て い る も の は 皆 無 と 言 っ て も 過 言 で は な い 。   か つ て 衛 藤 即 応 氏 は 『 正 法 眼 蔵 序 説 』 の 中 で 、 宗 門 の 本 尊 は 歴 史 上 の 釋 尊 で あ る こ と は 、 何 人 も 異 議 の な い 所 で あ る が 、 教 學 で は 樹 下 成 道 の 釋 尊 を 生 身 佛 、 ま た は 應 身 佛 と 稱 し て 、 佛 身 觀 の 上 で は 最 下 位 に お か れ て い る の で 、 こ れ を 單    

道元禅師における仏身観

 

―修証論と重ねて―

  

  

  

   

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二二 に 應 身 と し た の で は 滿 足 が 出 來 な い か ら 、 宗 門 で は 普 通 に 三 身 一 體 の 釋 尊 と い つ て い る の で あ る 。 し か し 、 天 台 で も 華 嚴 で も 、 ま た は 報 身 と し て の 阿 彌 陀 佛 を 本 尊 と す る 淨 土 門 で も 、 結 局 は 三 身 一 體 説 に な る の で あ る か ら 、 そ れ だ け で は 宗 門 獨 自 の 立 場 は あ ら わ れ な い 。 考 え て み る と 、 樹 下 成 道 の 釋 尊 を 應 身 と 言 う そ の こ と が 、 す で に 教 學 上 の 解 釋 で あ つ て 、 教 學 を 捨 て て 行 の 上 に 立 つ 宗 門 の 本 尊 は 、 決 し て 教 學 に よ つ て 解 釋 さ れ た 佛 で あ つ て は な ら な い か ら 、 法 身 や 報 身 で な い と 同 時 に 、 應 身 で も な い 。 そ れ な ら ば 一 體 な に か と い え ば 、 教 學 上 で 佛 身 觀 の 發 展 す る 基 本 と な る 史 上 の 釋 尊 で あ る 天 台 學 に い わ ゆ る 境 本 定 身 )( ( で あ る 。 … 行 の 立 場 に 立 つ 宗 旨 の 基 本 を 忘 れ て 、 ど こ ま で も 教 學 上 の 佛 身 觀 に 捉 わ れ る か ら 、 史 上 の 釋 尊 は 應 身 で 、 大 弟 子 迦 葉 は 聲 聞 だ な ど と 考 え る の で あ る が 、 そ の こ と 自 體 が す で に 誤 っ て い る 。  ( 前 掲 、 一 九 一 頁 ) と 述 べ 、 教 学 的 見 解 を 捨 て た 三 身 未 分 の 釈 尊 を 本 尊 と し 、 行 を 主 体 と し て こ れ を 観 じ る べ き 旨 を 提 言 し た 。 し か し 、 禅 師 の 仏 身 観 に は 教 理 的 背 景 が 全 く 具 わ っ て い な い の で あ ろ う か 、 疑 問 で あ る 。   道 元 禅 師 が 「 行 」、 特 に 坐 禅 を 枢 軸 と し て 自 身 の 法 門 を 構 築 し た こ と に 異 論 を 挟 む 余 地 は な い 。 そ の 宗 義 の 根 幹 は 「 修 証 一 等 」「 証 上 の 修 」 等 と 言 わ れ る よ う に 、 修 行 と 証 果 の 同 一 性 を 説 く と こ ろ に あ る 。 換 言 す れ ば 、 そ れ は 修 証 の 一 体 論 と 言 え る の で あ り 、 こ こ に 禅 師 特 有 の 修 証 観 を 見 出 し 得 る と 考 え る 。   修 証 論 と は 、「 い か に 証 果 を 獲 得 す る か 」「 い か に 証 果 を 実 証 す る か 」 と い う 論 理 で あ る か ら 、 こ れ は 成 仏 論 に も 繋 が る と 言 い 得 る 。 ま た 、 成 仏 論 は 「 ど の よ う に 仏 に 成 る か 」「 ど の よ う な 仏 に な る か 」 と い う こ と で あ る か ら 、 こ れ は 仏 身 論 に 関 連 す る と 言 え る 。 禅 師 の 修 証 論 が 仏 教 に お け る 従 来 の そ れ に 比 し て 特 異 な も の で あ る と す れ ば 、 そ の 仏 身 観 も ま た 独 特 の も の で あ る こ と が 推 察 さ れ る の で あ る 。   し か し 、 そ う し た 道 元 禅 師 の 修 証 観 や そ れ に 裏 付 け ら れ た 仏 身 観 が い か に 独 創 的 で あ っ た と し て も 、 そ の 法 門 が 伝 統 的 な 仏 教 の 土 壌 と 隔 絶 し て 構 築 さ れ た も の で な い 以 上 、 そ こ に は 従 来 の 教 理 や 仏 身 論 に 通 じ る 面 が あ る と 考 え る 。 禅 師 の 思 想 を 正 し く 理 解 し よ う と す れ ば 、 そ の 点 を 解 明 し な け れ ば な る ま い 。   そ こ で 、 今 回 は 特 に 天 台 智 顗 ( 五 三 八 ― 五 九 七 、 以 下 智 顗 ) や 荊 渓 湛 然 ( 七 一 一 ― 七 八 二 、 以 下 湛 然 ) の 中 国 天 台 学 と 重 ね て 考 察 を 行 う こ と と す る 。   以 下 、 始 め に 智 顗 の 仏 身 観 と 天 台 の 行 位 論 で あ る 六 即 説 に つ い て 考 察 を 行 い 、 次 に そ れ ら と 道 元 禅 師 の 修 証 論 等 を 重 ね つ つ 、 最 終 的 に 禅 師 の 仏 身 観 と そ の 教 理 的 背 景 に つ い て 言 及 し た い )( ( 。

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二三     一   智 顗 の 仏 身 観   天 台 の 教 理 が 『 法 華 経 』 を 正 依 と す る も の で あ り 、 本 迹 二 門 の 解 釈 が 智 顗 に 始 ま る こ と は 周 知 の 通 り で あ る )( ( 。 加 え て 、 智 顗 が 龍 樹 の 空 思 想 の 流 れ を 承 け 、 鳩 摩 羅 什 の 諸 法 実 相 の 思 想 を 基 礎 と し て い る こ と も 弁 え な け れ ば な ら な い 。 天 台 の 一 心 三 観 や 三 諦 円 融 と い っ た 円 教 教 理 は 、 こ れ に よ っ て 成 立 し て い る か ら で あ る 。 従 っ て 、 そ の 仏 身 論 )( ( も 基 本 的 に 円 融 相 即 の 諸 法 実 相 論 を 基 調 と し た 『 法 華 経 』 本 迹 二 門 の 上 に 構 築 さ れ て い る と 言 い 得 る の で あ る 。   さ て 、 智 顗 は 著 述 の 随 所 で 仏 身 に つ い て 論 じ て い る が 、 そ こ に 法 ・ 報 ・ 応 の 記 述 が 見 ら れ る こ と か ら 、 そ の 立 場 は 法 身 ・ 報 身 ・ 応 身 の 三 身 説 で あ る こ と が 解 る 。 そ の 教 理 は 『 摩 訶 止 観 』 ( 以 下 『 止 観 』) や 『 法 華 玄 義 』 ( 以 下 『 玄 義 』) 等 に 散 見 さ れ る が 、 詳 細 な 論 述 は 『 法 華 文 句 』 ( 以 下 『 文 句 』) の 「 釈 寿 量 品 」 で 展 開 し て い る 。   「 釈 寿 量 品 」 は 、『 法 華 経 』 本 門 の 枢 軸 で あ る 「 如 来 寿 量 品 」 の 解 釈 で あ る 。 智 顗 は 先 ず 、 仏 の 寿 量 ・ 遠 近 ・ 常 不 常 に 対 す る 先 人 の 説 を 種 々 に 挙 げ て 通 釈 し 、 こ れ を 諸 経 に 重 ね な が ら 問 答 料 簡 し て 破 し て い る 。 そ の 後 、 仏 身 に つ い て 詳 し く 論 じ る の で あ る が 、 始 め に 品 題 の 「 如 来 」 に 対 す る 解 釈 の 中 で 三 身 の 規 定 を 行 っ て い る 。 該 当 箇 所 を 記 せ ば 以 下 の 通 り で あ る 。 法 身 如 来 名 二 毘 盧 遮 那 一。 此 翻 二 遍 一 切 処 一。 報 身 如 来 名 二 盧 舍 那 一。 此 翻 二 浄 満 一。 応 身 如 来 名 二 釈 迦 文 一。 此 翻 二 度 沃 焦 一。 是 三 如 来 若 単 取 者 則 不 可 也 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 八 頁 上 )   智 顗 は 法 身 を 毘 盧 遮 那 仏 、 報 身 を 盧 舎 那 仏 、 応 身 を 釈 迦 仏 と 定 め 、 こ れ を 各 々 理 ・ 智 ・ 用 の 仏 身 と し て 位 置 付 け る の で あ る 。 天 台 の 仏 身 論 は こ の 三 身 観 を 基 準 と す る が 、 重 要 な の は 、 こ こ の 「 是 三 如 来 若 単 取 者 則 不 可 也 」 と い う 記 述 で あ る 。 即 ち 、 法 身 ・ 報 身 ・ 応 身 の 各 々 を 単 一 的 に 捉 え て は な ら な い と い う こ と で あ る 。 言 わ ば 、 智 顗 は 三 身 を 立 て な が ら も 各 々 を 分 断 的 に 見 る の で は な く 、 不 離 の 関 係 に 捉 え る べ き 旨 を 主 張 し て い る の で あ る 。   こ う し た 見 解 を 土 台 と し て 、 智 顗 の 三 身 相 即 論 が 成 立 す る 。 そ の 主 意 は 、 相 即 を 以 て 仏 の 真 実 性 の 不 二 平 等 を 立 証 す る こ と に あ っ た と 考 え 得 る が 、 例 え ば 品 題 の 「 寿 量 」 に 対 す る 解 釈 の 中 に 、 一 身 即 是 三 身 不 レ 一 不 レ 異 。 当 レ 知 一 仏 身 。 即 具 二 諸 身 寿 命 功 徳 一。 随 二 縁 感 見 一 長 短 不 レ 同 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 上 ) と い う 記 述 が あ る 。 こ こ で は 、 一 身 即 三 身 を 根 拠 と し て 一 仏 身 と 他 身 に お け る 同 等 の 寿 命 功 徳 を 説 い て い る 。 ま た 、 経 文 の 「 如 来 秘 密 神 通 力 」 (『 大 正 』 九 、 四 二 頁 中 ) を 解 釈 し て 、

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二四 秘 密 者 。 一 身 即 三 身 名 為 レ 秘 。 三 身 即 一 身 名 為 レ 密 。 又 昔 所 レ 不 レ 説 レ 名 為 レ 秘 。 唯 仏 自 知 名 為 レ 密 。 神 通 之 力 者 。 三 身 之 用 也 。 神 是 天 然 不 動 之 理 。 即 法 性 身 也 。 通 是 無 壅 不 思 議 慧 。 即 報 身 也 。 力 是 幹 用 自 在 。 即 応 身 也 。 仏 於 二 三 世 一 等 有 二 三 身 一。 於 二 諸 教 中 一 秘 レ 之 不 レ 伝 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 下 ) と 述 べ て い る と こ ろ に 、 三 身 に 対 す る 智 顗 の 意 識 が 明 示 さ れ て い る 。 即 ち 、「 秘 」 を 一 身 即 三 身 ・ 爾 前 の 教 、「 密 」 を 三 身 即 一 身 ・ 唯 仏 与 仏 の 教 と 定 め 、「 神 」 を 理 の 法 身 、「 通 」 を 智 の 報 身 、「 力 」 を 用 の 応 身 と し て 一 身 即 三 身 ・ 三 身 即 一 身 で あ る 三 世 平 等 の 仏 身 を 主 張 し て い る 。   智 顗 は 以 上 の よ う に 、 三 身 を 理 の 法 身 毘 盧 遮 那 仏 ・ 智 の 報 身 盧 舎 那 仏 ・ 用 の 応 身 釈 迦 仏 と 規 定 し な が ら そ の 相 即 を 説 い た わ け で あ る が 、 そ う し た 仏 身 論 の 中 心 は 実 に 報 身 に あ っ た 。 そ れ は 品 題 の 「 寿 量 」 を 解 釈 す る 中 で 、 此 品 詮 量 通 明 二 三 身 一。 若 従 二 別 意 一 正 在 二 報 身 一。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 上 ) と 明 言 し て い る こ と か ら 明 ら か で あ る 。 即 ち 、 智 顗 は 報 身 仏 を 正 意 と し 、 こ れ を 『 法 華 経 』 の 本 仏 と 見 な し た の で あ る 。 そ の 理 由 は 、 こ の 文 の 後 に 、 義 便 者 。 報 身 智 慧 上 冥 下 契 。 三 身 宛 足 故 言 二 義 便 一。 文 会 者 。 我 成 仏 已 来 甚 大 久 遠 。 故 能 三 世 利 二 益 衆 生 一。 所 成 即 法 身 。 能 成 即 報 身 。 法 報 合 故 能 益 レ 物 故 言 二 文 会 一。 以 レ 此 推 レ 之 正 意 是 論 二 報 身 仏 功 徳 一 也 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 上 ) と 記 さ れ て い る 。 要 す る に 報 身 仏 を 、( 一 ) 法 身 の 理 と 会 通 し 、( 二 ) 応 身 の 用 に 契 い 、( 三 ) 久 遠 に 菩 薩 道 を 修 行 し て 衆 生 を 利 益 す る 仏 と 見 た の で あ る 。 こ こ に 三 身 の 相 即 を 主 張 し な が ら 報 身 を 正 意 と し た 智 顗 の 本 旨 が あ る 。   智 顗 に と っ て 理 で あ る 法 身 は 常 住 で あ り 、 法 そ の も の で あ る 。 従 っ て 、 そ れ は 能 動 的 な 仏 で は な い 。 し か し 、 智 で あ る 報 身 は ― 常 住 で は あ る が )( ( ― 働 き が あ り 、 加 え て 実 際 に 修 行 し て 仏 に 成 っ た と い う 修 因 証 果 を 具 え て い る 。 た だ 、 い く ら 報 身 仏 に 智 の 働 き や 因 果 が あ る と 言 っ て も 、 そ れ は 本 地 自 行 の 仏 で あ る た め 、 我 々 に 直 接 法 を 説 く わ け で は な い 。 だ か ら こ そ 、 本 地 垂 迹 の 応 身 仏 が 具 体 的 な 仏 と し て 働 く の で あ る 。   実 際 、『 法 華 経 』 の 久 遠 仏 は 、 例 え ば 『 涅 槃 経 』 で 説 か れ る よ う な 常 住 法 身 の 仏 と は 言 い 得 な い 。 経 文 に 「 我 成 仏 已 来 甚 大 久 遠 」 (『 大 正 』 九 、 四 二 頁 中 ) と あ る こ と か ら 、 そ れ が 修 行 に よ っ て 成 仏 し た 仏 で あ り 、 修 因 証 果 を 具 え て い る こ と が 解 る 。 加 え て 、 久 遠 仏 か ら 垂 迹 し た 応 身 の 釈 迦 仏 は 、「 方 便 品 」 の 四 仏 知 見 に 代 表 さ れ る よ う に 一 切 衆 生 の 教 化 を 一 大 事 因 縁 と し て 出 世 し た と さ れ る 。 即 ち 、 衆 生 の 教 化 こ そ 応 身 の 応 身 た る 所 以 な の で あ る 。 従 っ て 『 法 華 経 』 の 久 遠 仏 は 、 常 住 と い う 法 身 的 要 素 を 含 み な が ら も 智 の 働 き や 修 因 証 果 を 具 え た 報 身 的 性 質 の 仏 と 言 え る の で あ り 、 更 に は 応 身 仏 と し て

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二五 現 実 的 に 衆 生 を 教 化 し 得 る 働 き を 有 し て い る と 考 え ら れ る 。   智 顗 が 本 門 の 久 遠 仏 を 報 身 と 定 め 、 そ れ を 正 意 と す る 仏 身 論 を 打 ち 出 し た 所 以 は 、 以 上 の よ う な 教 理 に 着 目 し た か ら で あ ろ う 。   で は 、 智 顗 が 他 の 二 身 を ど の よ う に 見 て い た か と い う と 、 端 的 に 言 え ば 、 三 身 相 即 の 報 身 正 意 を 根 拠 と し て 、 常 に 報 身 と 不 離 の 法 身 ・ 応 身 を 論 じ な が ら 、 両 者 の 相 即 を 主 張 し て い る と 言 え る 。「 釈 寿 量 品 」 の 具 体 的 な 記 述 を 通 し て 見 る と 、 『 像 法 決 疑 経 』 や 『 観 普 賢 菩 薩 行 法 経 』 に 依 拠 し て 、 普 賢 観 結 二 成 法 華 一。 文 云 。 釈 迦 牟 尼 名 二 毘 盧 遮 那 一。 乃 是 異 レ 名 非 二 別 体 一 也 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 八 頁 上 ) 等 と 述 べ 、「 釈 迦 牟 尼 名 二 盧 遮 那 一 と 明 記 し 、 毘 盧 遮 那 仏 と 釈 迦 仏 、 即 ち 法 身 と 応 身 の 一 致 を 説 い て い る 。   通 常 の 理 解 で あ れ ば 、 仏 身 の 性 質 や 時 間 的 観 点 か ら 三 身 の 位 置 付 け は 法 身 ― 報 身 ― 応 身 と な る 。 従 っ て 、 そ の 場 合 は 報 身 を 挟 ん で 法 身 が 先 、 応 身 が 後 と な る た め 、 法 身 と 応 身 が 直 に 結 ば れ る こ と は な い に 等 し い 。 勿 論 、 智 顗 も 、 若 但 性 徳 三 如 来 者 是 横 。 但 修 徳 三 如 来 者 是 縦 。 先 法 次 報 後 応 亦 是 縦 。 今 経 円 説 二 不 縦 不 横 三 如 来 一 也 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 八 頁 中 ) と 説 い て い る か ら 、 伝 統 的 な 三 身 説 の 概 念 を 把 握 し て い た と 言 え る 。 そ れ で も 法 ・ 応 の 相 即 を 説 き 得 る の は 、 そ の 根 底 に 三 身 相 即 の 論 理 を 据 え る か ら で あ ろ う 。 こ の 文 に も 「 今 経 円 説 二 不 縦 不 横 三 如 来 一 」 と あ り 、 法 華 円 教 の 立 場 か ら 三 身 を 不 縦 不 横 に 捉 え て い る 様 子 が 窺 え る 。 ま た 、 他 の 箇 所 で は 「 顕 二 応 身 不 一レ 離 レ 法 身 」 (『 大 正 』 三 四 、 一 三 二 頁 上 ) と 、 法 身 と 応 身 の 直 接 的 な 結 び つ き を 明 言 し て い る 。   因 み に 、『 維 摩 経 玄 疏 』 の 「 類 通 三 種 法 身 」 に も 、 七 類 通 三 種 法 身 者 。 一 法 身 仏 。 二 報 身 仏 。 三 応 身 仏 。 真 性 解 脱 即 是 法 身 。 毘 盧 遮 那 仏 性 浄 法 身 。 実 慧 解 脱 即 是 報 身 。 盧 舎 那 仏 浄 満 法 身 也 。 方 便 解 脱 即 是 応 身 。 釈 迦 牟 尼 仏 応 化 法 身 也 。 義 推 可 解 。  五 (『 大 正 』 三 八 、 五 五 三 頁 中 ― 下 ) と い う 明 快 な 記 述 が あ る 。 こ こ で 「 釈 迦 牟 尼 仏 応 化 法 身 也 」 と 、 応 身 の 釈 迦 仏 を 法 身 の 具 現 と 定 め て い る こ と か ら 、 こ れ が 法 応 の 二 身 に 対 す る 智 顗 の 一 貫 し た 見 解 で あ っ た こ と が 理 解 で き る 。   更 に 、「 釈 寿 量 品 」 で は 、 こ の 三 身 を 本 迹 の 二 面 か ら 種 々 に 論 じ て い る 。 中 で も 注 目 す べ き は 、 復 次 如 レ 是 三 身 種 種 功 徳 。 悉 是 本 時 道 場 樹 下 先 久 成 就 。 名 レ 之 為 レ 本 。 中 間 今 日 寂 滅 道 場 所 二 成 就 一 者 。 名 レ 之 為 レ 迹 。 諸 経 所 レ 説 本 迹 者 。 即 寂 滅 道 場 所 成 法 報 為 レ 本 。 従 レ 本 所 レ 起 勝 劣 両 応 為 レ 迹 。 今 経 所 レ 明 取 二 寂 場 及 中 間 所 成 三 身 一。 皆 名 為 レ 迹 。 取 二 本 昔 道 場 所 レ 得 三 身 一。 名 レ 之 為 レ 本 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 上 )

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二六 と い う 記 述 で あ る 。 即 ち 、 本 地 所 成 の 法 身 ・ 報 身 を 「 本 」、 「 本 」 よ り 生 起 す る 勝 劣 の 両 応 身 を 「 迹 」 と す る 諸 経 の 説 に 対 し 、 智 顗 は 三 身 相 即 の 仏 身 を 前 提 と し て 本 地 所 成 の 三 身 を 「 本 」、 今 日 及 び 中 間 所 成 の 三 身 を 「 迹 」 と 位 置 付 け る の で あ る 。 こ こ に 智 顗 特 有 の 本 迹 三 身 説 が 認 め ら れ る 。   た だ し 、 こ の 文 の 後 で 、 非 レ 本 無 二 以 垂 一レ 。 非 レ 迹 無 二 以 顕 一レ 本 。 本 迹 雖 レ 殊 不 思 議 一 也 。  九 下 (『 大 正 』 三 四 、 一 二 九 頁 上 ) と 論 じ て い る 通 り 、 智 顗 は 本 迹 二 門 を 不 思 議 一 と 定 義 し た 。 要 す る に 、「 本 」 に よ っ て 「 迹 」 が 示 さ れ 、「 迹 」 に よ っ て 「 本 」 が 立 証 さ れ る と い う 相 互 相 即 の 立 場 か ら 本 迹 を 捉 え て い る の で あ る 。 こ こ で 本 迹 論 を 以 て 三 身 を 論 じ て い る こ と か ら 、 智 顗 の い う 三 身 が 単 な る 法 身 ・ 報 身 ・ 応 身 で は な い こ と が 解 る 。 即 ち 、 そ れ は 本 迹 二 門 に 渡 る 不 思 議 一 の 三 身 と 言 い 得 る の で あ る 。   以 上 の よ う に 、 智 顗 は 三 身 相 即 の 仏 身 観 を 基 礎 と し て 報 身 正 意 の 立 場 に 立 ち 、 法 身 ・ 応 身 の 相 即 を 説 き な が ら 、 三 身 を 本 迹 二 門 に 照 ら し て そ の 不 思 議 一 を 主 張 す る 。 で は 、 そ う し た 仏 身 論 に は ど の よ う な 背 景 が あ る の か 。 こ れ に つ い て 花 野 充 道 氏 は 、 智 顗 の 仏 身 論 は 、 学 問 的 考 究 の 結 果 と い う よ り も 、「 大 蘇 開 悟 」 「 華 頂 頭 陀 」 と い う 二 度 の 宗 教 体 験 を ふ ま え て 確 立 さ れ た も の で あ っ た 。 そ れ は 、 釈 尊 が 瞑 想 を 行 じ て 真 理 を 覚 り 、 衆 生 を 教 化 し た こ と を 仏 道 の 規 範 と し て 、 智 顗 自 身 が 止 観 を 行 じ て 諸 法 の 実 相 を 覚 り 、 衆 生 を 教 化 し よ う と し た か ら で あ る と 考 え ら れ る 。  「 智 顗 と 吉 蔵 の 法 華 仏 身 論 の 対 比 」( 前 掲 、 一 〇 八 頁 上 ) と 述 べ て い る 。   こ の 説 に 倣 っ て 言 え ば 、 智 顗 の 仏 身 論 は 、 自 身 の 修 行 を 実 際 に 成 仏 し て 説 法 教 化 を 行 っ た 釈 尊 の 境 涯 に 重 ね て 構 築 さ れ た も の と 言 い 得 よ う 。 智 顗 が 法 身 の 常 住 と 共 に 実 修 実 証 の 因 果 を 重 ん じ て 報 身 仏 を 正 意 と し た の は 、 現 実 の 仏 道 修 行 を 重 視 し た た め と 思 わ れ る 。     二   天 台 の 六 即 説   仏 身 論 に 関 連 し て 修 行 論 が 重 要 な 位 置 に あ る と す れ ば 、 六 即 の 教 理 が 関 わ る と 考 え る 。   六 即 説 は 菩 薩 の 行 位 を 説 く 円 教 の 行 位 説 で あ り 、 止 観 に よ っ て 実 証 さ れ る 境 地 を 理 即 ・ 名 字 即 ・ 観 行 即 ・ 相 似 即 ・ 分 真 即 ・ 究 竟 即 の 六 に 分 け 、 い ず れ も 真 実 と 相 即 す る こ と を 説 く 教 理 体 系 で あ る )( ( 。 こ れ は 三 大 部 の 外 、 天 台 典 籍 の 随 所 に 散 見 さ れ る が 、 そ の 内 容 は 『 止 観 』 の 発 大 心 章 に 最 も 詳 し い 。   『 止 観 』 が 五 略 十 広 よ り 成 る こ と は 周 知 の 通 り で あ る が 、 五 略 の 一 つ で あ る 発 大 心 章 は 、 そ の 始 め に 、

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二七 云 何 発 大 心 。 衆 生 昏 倒 不 二 覚 知 一。 勧 令 二 醒 悟 上 求 下 化 一。  一 上 (『 大 正 』 四 六 、 四 頁 上 ) と あ る よ う に 、 衆 生 に 仏 道 の 眼 を 開 か せ る た め に 発 心 が 重 要 で あ る こ と を 説 く 。 智 顗 は こ れ を 三 段 に 分 け て 詳 述 し て い る が 、 そ の 大 綱 を 述 べ れ ば 、 始 め に 発 心 の 語 義 を 述 べ 、 次 に 誤 っ た 発 心 を 示 し 、 最 後 に 正 し い 発 心 の 在 り 方 を 明 示 す る 。 六 即 説 は 、 最 後 の 正 し い 発 心 を 説 く 部 分 で 、 生 滅 か ら 無 作 の 四 種 四 諦 と 四 弘 の 誓 願 と 合 わ せ て 説 か れ る 。   原 文 の 要 所 を 記 し な が ら 各 々 の 内 容 を 見 て み る と 、 理 即 で は 始 め に 「 一 念 心 即 如 来 蔵 理 。 如 故 即 空 。 蔵 故 即 仮 。 理 故 即 中 」 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ) と 述 べ 、 三 観 に 約 し て 如 ・ 蔵 ・ 理 を 示 し た 後 、 三 智 一 心 中 具 不 可 思 議 。 如 二 上 説 一。 三 諦 一 諦 非 レ 三 非 レ 一 。 一 色 一 香 一 切 法 。 一 切 心 亦 復 如 レ 是 。 是 名 二 理 即 是 菩 提 心 一。 亦 是 理 即 止 観 。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ) と 論 じ て い る 。 こ こ で は 、「 三 智 が 一 心 中 に 具 わ る 不 可 思 議 で あ る 」 と か 、「 三 諦 は 一 諦 で あ り 、 三 で も な く 一 で も な い 」 と 述 べ て い た り 、 一 色 一 香 ・ 一 切 心 に 一 切 法 が 具 足 す る こ と を 説 い て い る 。 従 っ て 、 こ れ が 円 頓 止 観 の 境 地 を 説 く も の で あ る こ と が 解 る 。 こ の よ う に 、 六 即 説 は 真 理 と 自 己 の 不 二 一 体 を 示 す こ と か ら 論 を 起 こ す の で あ る 。   名 字 即 で は 、 名 字 即 者 。 理 雖 二 即 是 一 日 用 不 レ 知 。 以 レ 未 レ 聞 二 三 諦 一 全 不 レ 識 二 仏 法 一。 … 或 従 二 知 識 一 或 従 二 経 巻 一。 聞 二 上 所 レ 説 一 実 菩 提 一。 於 二 名 字 中 一 達 解 了 。 知 二 一 切 法 皆 是 仏 法 一。 是 為 二 名 字 即 菩 提 一。 亦 是 名 字 止 観 。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ) と 示 す 。 こ こ で は 、 理 即 の 正 当 性 を 明 記 し た 後 、「 未 だ 三 諦 の 教 理 を 聞 か な い の は 全 く 仏 法 を 知 ら な い こ と と 同 じ で あ る 」 と 言 い 、 三 諦 を 弁 え る べ き 旨 を 説 く 。 続 け て 、「 知 識 ・ 経 巻 に 従 っ て 一 実 の 菩 提 を 聞 き 、 名 字 に お い て 理 解 し 、 一 切 法 が 仏 法 で あ る と 心 得 な け れ ば な ら な い 」 と 述 べ る 。 即 ち 、 三 諦 と い う 具 体 的 な 教 理 を 示 し 、 言 語 を 通 し て 真 実 の 境 界 を 知 る べ き 旨 を 教 示 す る の で あ る 。   観 行 即 で は 、 必 須 二 心 観 明 了 理 慧 相 応 。 所 レ 行 如 レ 所 レ 言 。 所 レ 言 如 一レ 所 レ 行 。 … 此 心 口 相 応 是 観 行 菩 提 。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ― 下 ) と 説 い て い る 。 こ こ で は 、「 必 ず 心 を 明 ら か に 観 察 し て 理 と 智 慧 が 相 応 し 、 行 い が 言 語 の 通 り に な り 、 言 語 が 行 い の 通 り に な ら な け れ ば な ら な い 」 と 説 く 。 ま た 、「 心 と 口 が 相 応 す る の を 観 行 の 菩 提 と い う 」 と あ る 。 即 ち 、 言 語 を 聞 く ば か り で は な く 、 観 心 に よ る 理 と 慧 の 相 応 、 言 と 行 の 一 体 を 示 す の で あ る 。 換 言 す れ ば 、 観 行 即 は 名 字 即 の 内 容 を 心 に 観 じ て 修 行 す べ き 旨 を 説 く の で あ る 。   相 似 即 で は 、

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二八 相 似 即 是 菩 提 者 。 以 二 其 逾 観 逾 明 逾 止 逾 寂 一。 如 二 勤 レ 隣 一レ 名 二 相 似 観 慧 一。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 下 ) と 示 し て い る 。 こ こ で は 、「 い よ い よ 観 じ て 、 い よ い よ 明 ら か に な り 、 い よ い よ 止 め て 、 い よ い よ 寂 な れ ば 、 射 に 励 む と 的 に 隣 り 合 う よ う に な る 」 と 言 う 。 つ ま り 、 観 行 に お け る 修 行 が 高 ま る と 、 そ れ に 準 じ て 修 行 が 深 ま り 、 仏 の 境 界 に 似 て く る と い う こ と で あ る 。   分 真 即 で は 、 分 真 即 者 。 因 二 相 似 観 力 一 入 二 銅 輪 位 一。 初 破 二 無 明 一 見 二 仏 性 一。 開 二 宝 蔵 一 顕 二 真 如 一。 名 二 発 心 住 一。 乃 至 等 覚 。 無 明 微 薄 智 慧 転 著 。  一 下 (『 大 正 』 四 六 , 一 〇 頁 下 ) と 説 く 。 こ こ で は 、「 相 似 即 の 観 行 の 力 に よ っ て 十 住 の 位 に 入 る 」 と 具 体 的 な 階 位 を 示 し た 後 、「 初 め て 無 明 の 惑 を 破 し て 仏 性 を 見 、 宝 蔵 が 開 け て 真 如 が 顕 わ に な る の を 発 心 住 と 名 付 け 、 等 覚 に お い て 無 明 が 薄 ら い で そ の 分 、 智 慧 が 顕 れ る 」 と 言 う 。 要 す る に 、 相 似 即 の 観 行 が 深 ま る と 、 真 理 の 一 部 が そ の 身 に 顕 れ る と 言 う の で あ る 。   究 竟 即 で は 、 究 竟 即 菩 提 者 。 等 覚 一 転 入 二 於 妙 覚 一。 智 光 円 満 不 二 復 可 一レ 。 名 二 菩 提 果 一。 大 涅 槃 断 更 無 レ 可 レ 断 。 名 二 果 果 一。 等 覚 不 レ 通 唯 仏 能 通 。 過 レ 荼 無 二 道 可 一レ 。 故 名 二 究 竟 菩 提 一。 亦 名 二 究 竟 止 観 一。  一 下 (『 大 正 』 四 六 , 一 〇 頁 下 ) と 論 じ る 。 こ こ が 六 即 説 の 極 果 で あ る 。 こ こ で は 「 等 覚 か ら 一 転 し て 妙 覚 位 に 入 り 、 智 慧 が 円 か に 満 ち て こ れ 以 上 得 る も の が な い の を 菩 提 の 果 と 称 し 、 大 涅 槃 の 断 が 更 に 断 ず べ き も の が な い の を 果 の 果 と 名 付 け 、 等 覚 に お い て 通 じ る こ と が な か っ た 仏 と 仏 と の み が 通 じ る 境 界 が 成 就 す る の で あ り 、 こ れ 以 上 説 く べ き さ と り は な い 」 と 言 う 。 即 ち 、 真 理 が 円 満 に 身 に 顕 れ 、 仏 の 境 界 そ の も の で あ る こ と を 示 す の で あ る 。   六 即 の 内 容 は 大 凡 以 上 の 通 り で あ る 。 智 顗 は こ う し た 六 の 次 第 に よ っ て 行 位 を 示 し 、 修 行 の 向 上 を 主 張 す る の で あ る 。 こ の よ う に 階 位 を 立 て る と 、 そ の 深 度 に よ っ て 修 行 の 成 熟 具 合 が 明 確 に な る 。 そ れ を 現 実 の 修 行 に 重 ね る と 、 自 己 の 位 置 が 明 確 に な る 。 そ れ と 同 時 に 実 践 方 法 が 定 ま る こ と に な る 。   智 顗 は そ う し た 点 も 考 慮 し て 六 即 を 立 て た と 考 え 得 る が 、 注 意 す べ き は 、 各 々 が 隔 絶 せ ず 、「 即 」 の 関 係 で 結 ば れ る 点 で あ る 。 そ れ は 六 即 を 説 く 始 め に 、 約 二 六 即 一 顕 レ 是 者 。 為 二 初 心 是 後 心 是 一。 答 。 如 二 論 焦 炷 一。 非 レ 初 不 レ 離 レ 初 。 非 レ 後 不 レ 離 レ 後 。 若 智 信 具 足 。 聞 二 一 念 即 是 一 信 故 不 レ 謗 智 故 不 レ 懼 。 初 後 皆 是 。 若 無 レ 信 高 推 二 聖 境 一 非 二 己 智 分 一。 若 無 レ 智 起 二 増 上 慢 一 謂 二 己 均 一レ 。 初 後 俱 非 。 為 二 此 事 一 故 須 レ 知 二 六 即 一。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ) と 明 示 さ れ て い る 。   六 即 が 菩 薩 の 行 位 説 で あ る こ と を 踏 ま え る と 、 初 心 ・ 後 心

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二二九 は 修 行 に お け る 初 と 後 の 心 の 在 り 方 と 言 え る 。 こ こ で 注 目 す べ き は 、 智 顗 が 「 非 レ 不 レ 。 非 レ 不 レ 離 レ 後 」 と 示 し 、 初 後 の 不 離 を 主 張 し て い る 点 で あ る 。   通 常 の 理 解 で あ れ ば 、 修 行 の 初 後 に は 浅 深 が 立 つ で あ ろ う が 、 智 顗 の 見 解 は そ う で は な い 。 文 に 「 初 後 皆 是 」 と あ る よ う に 初 後 を 共 に 「 是 」 と し て 押 さ え る の で あ る 。 即 ち 、 「 即 」 の 義 に よ っ て 理 即 か ら 究 竟 即 ま で を 不 離 の 関 係 に 見 て い る の で あ る 。 勿 論 、 そ れ は 単 に 六 即 を 一 体 と す る こ と で は な い 。 六 の 各 々 を 認 め つ つ 相 互 の 不 離 を 説 く の で あ る 。 こ れ を 「 是 の 発 心 」 と し て 論 じ て い る こ と を 考 慮 す れ ば 、 智 顗 は 発 心 と 修 行 、 更 に は 菩 提 ・ 涅 槃 ま で を 構 想 し て い る と 考 え ら れ よ う 。 要 は 、 修 行 者 そ れ ぞ れ の 境 界 に お け る 菩 提 の 成 就 を 主 張 し て い る と 言 い 得 る の で あ る 。   さ て 、 こ う し た 六 即 説 で は 、 修 行 に よ っ て 証 果 に 到 る と い う 次 第 の 面 と 、 六 を 「 即 」 で 結 ん だ 真 理 の 面 と い う 二 面 が 立 つ こ と に な る 。 こ れ を 成 仏 論 に 当 て は め て み る と 、 前 者 に お い て は 実 際 の 修 行 に よ っ て 究 竟 位 を 目 指 さ な け れ ば な ら な い が 、 後 者 に お い て は 、 例 え ば 『 玄 義 』 の 「 類 通 三 菩 提 」 の 段 に 、 一 切 衆 生 理 性 菩 提 。 五 品 名 字 菩 提 。 六 根 相 似 菩 提 。 四 十 一 位 分 真 菩 提 。 妙 覚 究 竟 菩 提 。  五 下 (『 大 正 』 三 三 、 七 四 五 頁 上 ) と あ る よ う に 各 々 が 菩 提 ( 理 即 仏 ) と し て 位 置 付 け ら れ る 。 こ れ を 単 に 六 即 の 二 面 性 と 捉 え る こ と も で き よ う が 、 智 顗 の 説 く と こ ろ は そ う で は な い 。   先 に 記 し た 六 即 の 冒 頭 文 に は 「 初 後 皆 是 」 と 示 し た 上 で 、 「 信 が な い こ と に よ っ て 己 を 卑 下 し た り 、 智 が な い こ と に よ っ て 増 上 の 慢 心 を 起 こ す の は 「 初 後 俱 非 」 で あ る 。 そ の た め 六 即 を 説 く 」 と あ る 。 そ れ を 踏 ま え る と 、 智 顗 は 六 の 「 次 第 」 と 六 の 「 即 」 の 両 面 を 相 即 的 に 見 て い る と 言 い 得 る 。 換 言 す れ ば 、 六 即 は 仏 の 境 界 を 離 れ な い 現 実 の 修 行 に よ っ て 究 竟 の 極 果 を 実 証 す べ き 旨 を 説 い て い る と 言 い 得 る の で あ る 。 こ の 六 即 説 の 背 景 に 、 報 身 仏 を 正 意 と し た 智 顗 の 仏 身 観 が 潜 ん で い る こ と は 推 し て 知 ら れ よ う 。     三   道 元 禅 師 の 修 証 論 と 六 即 説   通 仏 教 的 に 見 る と 、 殆 ど の 場 合 、 修 行 は 証 果 を 獲 得 す る た め の 手 段 と し て 位 置 付 け ら れ る 。 し か し 、 道 元 禅 師 は そ う し た 立 場 を 取 ら な い 。 そ の 修 証 論 は 「 修 証 一 等 」 等 と 言 わ れ る よ う に 「 修 行 が 証 そ の も の で あ る 」 と い う 修 行 と 証 果 の 一 体 論 と 言 え る 。 こ の 場 合 、 修 行 に 力 点 が 置 か れ る こ と は 言 う ま で も な い 。 そ の 修 証 論 が 坐 禅 を 基 調 と す る こ と は 衆 目 の 認 め る と こ ろ で あ ろ う 。   道 元 禅 師 が 仏 道 修 行 の 根 幹 に 坐 禅 を 据 え た 所 以 は 、 偏 に 釈

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三〇 尊 八 十 年 の 生 涯 に 通 底 す る 四 時 の 坐 禅 を 根 拠 と し 、 歴 代 祖 師 が 日 常 的 に こ れ を 行 じ て い た 事 実 を 重 視 し た た め と 考 え 得 る 。 だ か ら こ そ 禅 師 は 祗 管 打 坐 の 坐 禅 を 強 調 し た の で あ ろ う 。   さ て 、 そ う し た 道 元 禅 師 の 修 証 論 は 「 修 証 一 等 」 の 他 、 「 証 上 の 修 」「 本 証 妙 修 」「 行 持 道 環 」 等 と い う 言 葉 に よ っ て 表 現 さ れ る 。 そ れ が ど の よ う に 先 の 六 即 説 と 関 わ る の か と 言 え ば 、 そ れ は 『 宝 慶 記 』 の 記 述 と 「 行 持 道 環 」 と い う 具 体 的 な 修 証 の 体 系 に あ る と 考 え る 。   言 う ま で も な く 、『 宝 慶 記 』 は 正 師 で あ る 天 童 如 浄 禅 師 ( 一 一 六 二 ― 一 二 二 七 、 以 下 如 浄 ) に 対 す る 参 問 の 記 録 で あ る 。 そ の 大 部 分 は 如 浄 と 道 元 禅 師 の 問 答 に よ っ て 構 成 さ れ る が 、 留 意 し て お く べ き は 、 例 え ば 第 一 〇 条 や 第 一 八 条 に 「 能 礼 所 礼 性 空 寂 、 感 応 道 交 難 思 議 」 (『 全 集 』 七 、 一 四 頁 ) )(( の 文 が 見 え た り 、 第 二 八 条 ( 書 簡 の や り と り ) が 天 台 の 教 理 を 基 準 と し て い る )( ( こ と か ら 、 両 者 に お け る 共 通 の 背 景 と し て 天 台 学 を 推 察 し 得 る こ と で あ る )(( ( 。   そ の 点 を 踏 ま え て 第 四 四 条 の 記 事 を 見 て み る と 、 そ こ で は 道 元 禅 師 の 「 然 則 為 下 用 二 初 心 一 上 レ 道 、 為 下 用 二 後 心 一 上 レ 道 」 (『 全 集 』 七 、 四 八 頁 ) と い う 質 問 に 対 し 、 如 浄 が 次 の よ う に 応 答 し て い る 。 仏 々 祖 々 正 伝 云 、 不 二 但 初 心 一、 不 レ 離 二 初 心 一。 為 レ 甚 恁 麼 。 若 但 初 心 得 道 、 菩 薩 初 発 心 便 応 二 是 仏 一。 是 乃 不 可 也 。 若 無 二 初 心 一、 云 何 得 レ 有 二 第 二 ・ 第 三 心 、 第 二 ・ 第 三 法 一。 然 則 後 以 レ 初 為 レ 本 、 初 以 レ 後 為 レ 期 。 今 以 二 現 喩 一 喩 二 此 初 後 一。 譬 如 下 焦 レ 炷 、 非 レ 初 、 不 レ 離 レ 初 、 非 レ 後 、 不 レ 離 レ 後 、 不 レ 退 、 不 レ 転 、 非 レ 新 、 非 レ 古 、 非 レ 自 、 非 上 レ 他 也 。 灯 喩 二 菩 薩 道 一、 炷 喩 二 無 明 一。 焰 如 二 初 心 相 応 智 慧 一。 仏 祖 、 修 二 習 一 行 三 昧 相 応 智 慧 一、 焦 二 無 明 惑 一、 非 レ 初 、 非 レ 後 、 不 レ 離 二 初 後 一。 乃 仏 祖 正 伝 之 宗 旨 也 。  『 全 集 』 七 ( 四 八 頁 )   こ こ で 如 浄 は 、 始 め に 「 初 心 を 問 題 と し て 仏 道 の 肝 要 が 初 心 の み で も 初 心 を 離 れ る こ と で も な い 」 と 示 し た 後 、 後 心 は 初 心 を 本 源 と し 、 初 心 は 後 心 を 目 当 て と す べ き 旨 を 説 い て い る 。 言 わ ば 、 初 心 と 後 心 を 各 々 認 め つ つ 、 両 者 が 隔 絶 し て い な い こ と を 主 張 し て い る の で あ る 。 こ う し た 如 浄 の 見 解 は 、 そ の 後 の 譬 喩 の 部 分 で よ り 鮮 明 に な る 。   先 の 文 を 見 る と 、 如 浄 が 初 後 の 関 係 を 「 炷 」 に 例 え て 「 非 レ 初 、 不 レ 、 非 レ 、 不 レ レ 後 」 と 示 し て い る こ と が 解 る 。 即 ち 、 灯 身 が 焼 け 進 む の を 修 行 の 深 度 に 準 え 、 初 後 は そ れ ぞ れ 固 定 的 で は な い が 、 そ れ は ま た 、 各 々 を 離 れ な い こ と を 説 い て い る 。 そ し て 、 そ の 初 心 ・ 後 心 の 在 り 方 を 「 非 レ 、 非 レ 後 、 不 レ 離 二 初 後 一 と 述 べ 、 初 後 が 不 離 で あ る こ と を 明 示 す る の で あ る 。   道 元 禅 師 と 如 浄 の や り と り は 以 上 の 通 り で あ る が 、 こ れ を 先 に 記 し た 六 即 説 の 冒 頭 部 分 の 、

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三一 約 二 六 即 一 顕 レ 是 者 。 為 二 初 心 是 後 心 是 一。 答 。 如 二 論 焦 炷 一。 非 レ 初 不 レ 離 レ 初 。 非 レ 後 不 レ 離 レ 後 。  一 下 (『 大 正 』 四 六 、 一 〇 頁 中 ) と い う 記 述 に 照 ら す と 、 両 者 の 問 題 点 や 応 答 の 内 容 、 更 に は 「 炷 」 の 例 え ま で が 同 じ で あ る こ と が 解 る )(( ( 。 こ の 状 況 を 見 る と 、 如 浄 と 道 元 禅 師 が 確 認 し 合 っ た 修 証 観 の 背 景 に 六 即 説 を 推 察 し 得 る と 考 え る 。   次 は 「 行 持 道 環 」 に つ い て 考 察 を 行 い た い 。 こ れ が 「 行 持 上 」 巻 の 、 仏 祖 の 大 道 、 か な ら ず 無 上 の 行 持 あ り 、 道 環 し て 断 絶 せ ず 、 発 心 ・ 修 行 ・ 菩 提 ・ 涅 槃 、 し ば ら く の 間 隙 あ ら ず 、 行 持 道 環 な り 。  『 全 集 』 一 ( 一 四 五 頁 ) と い う 一 文 の 言 葉 で あ る こ と は 論 を 俟 た な い 。 従 っ て 、「 行 持 道 環 」 は 発 心 ・ 修 行 ・ 菩 提 ・ 涅 槃 の 四 種 に よ っ て 構 成 さ れ る こ と に な る 。 こ の 論 理 に 従 え ば 、 文 に 「 道 環 し て 断 絶 せ ず 」「 間 隙 あ ら ず 」 と あ る こ と か ら 、 仏 法 ・ 仏 道 を 不 退 転 に 修 行 す る と こ ろ に 発 心 か ら 涅 槃 、 更 に は 証 果 ま で も が 僅 か の 間 隔 も な い 螺 旋 構 造 の よ う な 向 上 向 下 を 見 せ る こ と に な ろ う 。 こ れ が 道 元 禅 師 の 修 証 論 の 特 徴 で あ る 「 行 の 全 体 に 仏 の 証 が 現 成 す る 」「 行 が 証 そ の も の で あ る 」 と い う 観 念 に 基 づ い て い る こ と は 推 し て 知 ら れ る 。   こ れ を 体 系 的 に 見 る と 、 発 心 の 時 点 に 修 行 か ら 涅 槃 ま で が 予 測 さ れ て お り 、 逆 に 涅 槃 に も 向 上 の 発 心 か ら 菩 提 ま で が 予 見 さ れ て い る と 考 え 得 る 。 し か し 、 そ れ を 単 に 四 者 の 一 体 論 と 見 な す こ と は で き な い 。 例 え ば 、「 発 無 上 心 」 巻 に は 「 一 発 菩 提 心 を 百 千 万 発 す る な り 、 修 証 も ま た か く の ご と し 」 (『 全 集 』 二 、 一 六 四 頁 ) と い う 説 示 が あ る 。 こ こ に 「 一 発 菩 提 心 」 と あ る よ う に 、 禅 師 は 「 一 発 心 」 を 認 め な が ら そ れ を 修 証 に 重 ね て い る 。 そ れ が 「 百 千 万 発 」 と い う こ と で あ る か ら 、 前 後 際 断 の 発 心 を 無 窮 的 に 連 続 す る も の と し て 示 し て い る と 言 え よ う 。 こ れ を 「 行 持 道 環 」 に 重 ね る と 、 外 の 三 も 同 様 で あ る こ と が 推 察 さ れ る 。 従 っ て 、 発 心 は 発 心 と し て あ り な が ら 修 行 ・ 菩 提 ・ 涅 槃 を 具 え る こ と に な る 。 言 わ ば 、 こ の 四 者 は 各 々 が 他 の 三 を 具 え て お り 、 発 心 か ら 涅 槃 が 「 即 」 の 関 係 で 結 ば れ て い る と 言 い 得 る の で あ る 。   先 述 の 通 り 、 六 即 の 教 理 は 『 止 観 』 発 大 心 章 に お い て 「 発 心 の 是 」 を 論 じ る 一 段 で 展 開 し て お り 、 修 行 の 深 度 を 六 に 分 け つ つ 、 そ の 不 離 を 説 く 行 位 説 で あ る 。 従 っ て 、 六 即 説 は 発 心 を 基 準 と し た 修 行 論 と 言 え る 。   一 方 、「 行 持 道 環 」 の 論 理 構 造 は 、 発 心 を 起 点 と し て 、 修 行 ・ 菩 提 ・ 涅 槃 を 立 て つ つ 相 互 の 不 離 を 主 張 し て い る 。 そ の 点 な ど は 、 六 即 説 に 重 な る 面 が あ る と 考 え る 。『 宝 慶 記 』 に お い て 道 元 禅 師 と 如 浄 が 六 即 説 を 共 通 の 土 台 と し な が ら 修 行 の 初 後 に つ い て 問 答 を 行 っ て い る こ と な ど を 考 慮 す る と 、 禅 師 の 修 証 論 の 形 成 に 六 即 説 が 関 わ っ て い る こ と が 推 察 さ れ よ

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三二 う 。 勿 論 、 禅 師 は 修 行 に 明 確 な 階 位 を 立 て な い わ け で あ る か ら 、 両 者 を 同 列 に 見 な す こ と は で き な い 。 し か し 、 互 い に 発 心 を 基 準 と し て い る 点 や 修 証 の 初 後 を 「 即 」 の 関 係 で 結 ん で い る 点 な ど は 関 連 す る 部 分 と 言 え る 。   六 即 説 に 照 ら し て 見 る と 、 道 元 禅 師 は 天 台 の 教 理 を も 射 程 に 入 れ て そ の 修 証 論 を 構 築 し た と も 考 え ら れ る の で あ る 。     四   本 証 妙 修 の 解 釈   「 行 持 道 環 」 の 他 、「 修 証 一 等 」「 証 上 の 修 」「 本 証 妙 修 」 等 と い う 言 葉 は 、 禅 師 の 修 証 論 を 象 徴 す る も の と し て 位 置 付 け ら れ る )(( ( 。 そ の た め 、 従 来 の 研 究 で は こ れ ら の 四 句 を 同 義 同 格 に 扱 う こ と が 多 く あ っ た 。 し か し 、 私 見 で は 、 各 々 は 同 格 で は あ る が 同 義 で は な く 、 厳 密 に 区 別 す べ き で あ る と 考 え る 。   先 述 の 通 り 、「 行 持 道 環 」 は 「 行 持 上 」 巻 を 根 拠 と す る が 、 後 の 三 句 は 『 辦 道 話 』 第 七 問 答 の 、 そ れ 、 修 ・ 証 は ひ と つ に あ ら ず と お も へ る 、 す な は ち 外 道 の 見 な り 。 仏 法 に は 、 修 証 こ れ 一 等 な り 。 い ま も 証 上 の 修 な る ゆ え に 、 初 心 の 辦 道 す な は ち 本 証 の 全 体 な り 。 か る が ゆ え に 、 修 行 の 用 心 を さ づ く る に も 、 修 の ほ か に 証 を ま つ お も ひ な か れ 、 と を し ふ 。 直 指 の 本 証 な る が ゆ え な る べ し 。 す で に 修 の 証 な れ ば 、 証 に き は な く 、 証 の 修 な れ ば 、 修 に は じ め な し 。 こ こ を も て 、 釈 迦 如 来 ・ 迦 葉 尊 者 、 と も に 証 上 の 修 に 受 用 せ ら れ 、 達 磨 大 師 ・ 大 鑑 高 祖 、 お な じ く 証 上 の 修 に 引 転 せ ら る 。 仏 法 住 持 の あ と 、 み な か く の ご と し 。 す で に 証 を は な れ ぬ 修 あ り 、 わ れ ら さ い は ひ に 一 分 の 妙 修 を 単 伝 せ る 、 初 心 の 辨 道 す な は ち 一 分 の 本 証 を 無 為 の 地 に う る な り 。 し る べ し 、 修 を は な れ ぬ 証 を 染 汚 せ ざ ら し め ん が た め に 、 仏 祖 、 し き り に 修 行 の ゆ る く す べ か ら ざ る と を し ふ 。 妙 修 を 放 下 す れ ば 、 本 証 、 手 の 中 に み て り 、 本 証 を 出 身 す れ ば 、 妙 修 、 通 身 に お こ な は る 。  『 全 集 』 二 ( 四 七 〇 ― 四 七 一 頁 ) と い う 一 段 に 拠 る 。   記 事 の 内 容 を 見 る と 、 先 ず 「 修 証 一 等 」 は 、 文 中 の 「 修 証 こ れ 一 等 な り 」 を 根 拠 と す る 成 句 で あ る こ と が 解 る 。 そ れ が 「 仏 法 に は 」 と し て 示 さ れ て い る こ と か ら 、 禅 師 は 「 仏 法 に お い て は 修 と 証 が 一 等 で あ る 」 と 主 張 し て い る と 言 え る 。 こ の 意 義 を 推 し 量 る と 、 同 じ 第 七 問 答 の 中 に 宋 国 の 宗 師 に 禅 師 が 語 ら れ た こ と と し て 「 仏 法 の 大 意 を と ぶ ら ひ し か ば 、 修 証 の 、 両 段 に あ ら ぬ む ね を 、 き こ え き 」 (『 全 集 』 二 、 四 七 一 頁 ) と あ る 。 こ こ で 「 仏 法 の 大 意 」 と し て 修 と 証 の 一 体 が 説 か れ て い る こ と は 明 白 で あ る 。 そ の 点 を 踏 ま え る と 、「 修 証 一 等 」 は 「 仏 法 に お け る 修 行 の 正 し い 在 り 方 」 を 示 す 言 葉 と し て 理 解 し 得 る と 考 え る 。   次 に 「 証 上 の 修 」 に つ い て 見 て み る と 、 文 に は 「 い ま も 証

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三三 上 の 修 な る ゆ え に 、 初 心 の 辦 道 す な は ち 本 証 の 全 体 な り 」 と あ る 。 こ の 文 を 便 宜 的 に 区 切 っ て 解 釈 す れ ば 、「 い ま 」 も 「 証 上 の 修 」 で あ る た め に 「 初 心 の 辦 道 」 は 「 本 証 の 全 体 」 と な ろ う 。   始 め に 「 い ま 」 と あ る こ と か ら 、 三 世 の 概 念 を 具 え つ つ 而 今 に 焦 点 を 定 め て い る と 言 え る 。 そ れ が 「 証 上 の 修 」 で あ る と 言 う が 、 そ れ を 「 初 心 の 辦 道 」 で 受 け る 。 道 元 禅 師 が 初 心 と 不 離 の 後 心 を 主 張 し て い る こ と を 前 提 と す れ ば 、「 初 心 の 辦 道 」 は 発 心 か ら 涅 槃 ま で を 具 足 す る 修 証 一 体 の 辦 道 と 考 え 得 る 。 そ れ が 「 本 証 の 全 体 」 で あ る と 言 う 。 こ の よ う に 見 る と 、「 い ま 」 の 「 初 心 の 辦 道 」 が 「 証 上 の 修 」 で あ る 「 本 証 の 全 体 」 と 解 釈 し 得 る 。 即 ち 、「 い ま 」 と 「 初 心 の 辦 道 」、 「 証 上 の 修 」 と 「 本 証 の 全 体 」 が 結 ば れ る の で あ る 。 勿 論 「 証 上 の 修 」 と い う か ら 、 主 意 は 修 行 ( 修 証 ) に あ る と 言 え よ う 。 以 上 を 考 慮 す る と 、「 証 上 の 修 」 は 「 本 証 上 の 修 証 」 と 考 え 得 る の で あ る 。 そ し て 、 こ れ が 「 而 今 に お け る 初 心 の 辦 道 」 に 重 な っ て い く の で あ る   そ し て 、「 本 証 妙 修 」 に つ い て で あ る が 、 文 を 見 る と 「 本 証 」「 妙 修 」 と い う 文 言 は あ っ て も 両 者 が 別 々 に 使 用 さ れ て い る こ と が 解 る 。 従 っ て 、「 本 証 妙 修 」 と い う 言 葉 自 体 は 、 本 来 、 道 元 禅 師 の 言 葉 と は 言 い 得 え な い )(( ( 。 そ れ を 弁 え た 上 で 「 本 証 妙 修 」 の 意 義 を 推 察 す れ ば 、 先 の 文 の 終 わ り に 「 妙 修 を 放 下 す れ ば 、 本 証 、 手 の 中 に み て り 、 本 証 を 出 身 す れ ば 、 妙 修 、 通 身 に お こ な は る 」 と あ る 。 こ こ で 「 本 証 」 と 「 妙 修 」 が 不 離 の 関 係 に あ る こ と が 解 る 。 そ の 意 義 を 解 明 す る 手 が か り は 、「 証 上 の 修 」 が 「 本 証 の 全 体 」 と 結 ば れ る こ と か ら 、 先 述 の 文 に あ る と 考 え る 。   こ の 文 と 「 い ま も 証 上 の 修 な る ゆ え に 、 初 心 の 辦 道 す な は ち 本 証 の 全 体 な り 」 と い う 文 を 重 ね る と 、「 本 証 」 と 「 証 上 の 修 」、 「 妙 修 」 と 「 初 心 の 辦 道 」 が 対 応 す る と 考 え る 。 更 に 、 「 初 心 の 辦 道 」 は 「 い ま も 」 を 受 け る わ け で あ る か ら 、「 妙 修 」 に は 「 而 今 」 の 概 念 が 伴 う 。 以 上 の こ と か ら 「 而 今 の 辦 道 を 妙 修 た ら し め る 根 拠 と し て の 本 証 、 本 証 に よ っ て 証 明 さ れ る 妙 修 」 と い う 構 図 が 成 立 し よ う 。 従 っ て 、「 本 証 妙 修 」 は 「 証 上 の 修 に 証 明 さ れ た 、 而 今 に お け る 自 己 の 修 証 」 と 言 え る の で は な か ろ う か 。   「 修 証 一 等 」「 証 上 の 修 」「 本 証 妙 修 」 と い う 三 句 を こ の よ う に 見 る と 、 各 々 は 道 元 禅 師 の 修 証 論 を 言 い 表 す 言 葉 で は あ る が 、 厳 密 に 区 別 し て 弁 え る べ き で あ る と 考 え る 。 中 で も 、 「 本 証 」 と 「 妙 修 」 は 禅 師 の 修 証 論 と 仏 身 論 の 双 方 に 関 わ る と 推 察 す る 。   知 ら れ る 通 り 、 従 来 の 「 本 証 妙 修 」 に 対 す る 殆 ど の 研 究 は 、 こ れ を 中 古 天 台 の 本 覚 思 想 と 重 ね 、 そ の 関 連 性 の 有 無 を 論 じ る こ と に 主 眼 が あ っ た )(( ( 。 言 わ ば 、 禅 師 の 修 証 論 が 本 覚 思 想 の

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三四 系 譜 に 属 す る か 否 か を 定 め る こ と に 考 察 の 焦 点 が あ っ た の で あ る 。 こ れ は 、 本 覚 思 想 の 「 本 覚 」 と 「 本 証 」 を 重 ね る こ と に よ る 問 題 意 識 と 言 え る が 、 そ こ か ら 派 生 し て 「 本 証 妙 修 」 を 本 覚 門 的 修 証 観 )(( ( と す る 見 解 が 生 起 し た 。 こ れ に よ っ て 従 来 「 本 証 」 は 、 そ の 大 半 が 「 本 覚 」 の 意 味 を 多 分 に 含 み な が ら 「 本 来 仏 で あ る 自 己 」 と か 「 自 己 本 具 の 仏 法 ・ 仏 性 」 等 と 解 釈 さ れ て き た )(( ( の で あ る 。   し か し 、 齋 藤 俊 哉 氏 が 指 摘 し て い る )(( ( 通 り 、 そ も そ も 「 本 証 」 を 本 覚 思 想 に 重 ね る の は 面 山 瑞 方 ( 一 六 八 三 ― 一 七 九 六 ) に 始 ま る と さ れ る 。 当 の 禅 師 は 、 例 え ば 「 海 印 三 昧 」 巻 で 「 お ほ よ そ 、 本 覚 等 を 現 成 せ し む る は 仏 祖 の 功 徳 な り と い へ ど も 、 始 覚 ・ 本 覚 等 の 諸 覚 を 仏 祖 と せ る に は あ ら ざ る な り 」 (『 全 集 』 一 、 一 二 〇 頁 ) と 述 べ て い た り 、「 行 仏 威 儀 」 巻 で 「 行 仏 は 本 覚 を 愛 せ ず 、 始 覚 を 愛 せ ず 、 無 覚 に あ ら ず 、 有 覚 に あ ら ず と い ふ 、 す な は ち こ の 道 理 な り 」 (『 全 集 』 一 、 六 六 頁 ) と か 、「 い ま 凡 夫 の 活 計 す る 有 念 無 念 ・ 有 覚 無 覚 ・ 始 覚 本 覚 等 、 ひ と へ に 凡 夫 の 活 計 な り 、 仏 仏 相 承 せ る と こ ろ に あ ら ず 」 (『 全 集 』 一 、 六 六 頁 ) と 示 し て い る よ う に 、 始 本 二 覚 と い う 相 対 的 な 見 地 に 立 っ て い な い の で あ る )(( ( 。   こ う し た 『 正 法 眼 蔵 』 等 の 記 述 を 踏 ま え る と 、 道 元 禅 師 が 説 く と こ ろ の 「 本 証 」「 妙 修 」 の 、 特 に 「 本 証 」 の 意 義 を 明 ら か に す る 有 効 な 手 段 は 、 本 覚 思 想 と 重 ね る 考 察 以 外 に も あ る と 考 え る 。 私 見 で は 、 禅 師 に お け る 最 多 の 引 用 典 籍 が 『 法 華 経 』 で あ る と 共 に 智 顗 や 湛 然 の 天 台 典 籍 を 種 々 に 使 用 し て い る 状 況 )(( ( を 考 慮 す れ ば 、 そ れ は 本 迹 思 想 に 求 め 得 る と 推 察 す る 。     五   本 証 妙 修 と 本 迹 思 想   本 迹 思 想 と は 、 言 わ ば 『 法 華 経 』 の 本 迹 二 門 を 基 礎 と す る 仏 身 論 で あ る が 、 こ の 視 点 で 「 本 証 」 を 見 て み る と 、 例 え ば 『 辦 道 話 』 一 八 問 答 の 前 に は 、「 自 受 用 三 昧 中 の 坐 禅 に お い て は 仏 法 が 余 す と こ ろ な く 自 己 に 及 ぶ た め に 身 心 脱 落 し 、 仏 向 上 の 法 を 激 揚 す る 」 と い う 主 旨 の 一 段 が あ り 、 そ れ に 続 け て 、 こ の と き 、 十 方 法 界 の 土 地 ・ 草 木 ・ 牆 壁 ・ 瓦 礫 、 み な 仏 事 を な す を も て 、 そ の お こ す と こ ろ の 風 水 の 利 益 に あ づ か る と も が ら 、 み な 甚 妙 不 可 思 議 の 仏 化 に 冥 資 せ ら れ て 、 ち か き さ と り を あ ら は す 。 こ の 水 火 を 受 用 す る た ぐ ひ 、 み な 本 証 の 仏 化 を 周 旋 す る ゆ え に 、 …  『 全 集 』 二 ( 四 六 三 頁 ) と い う 記 述 が あ る 。   こ の 一 段 で は 、 始 め に 「 み な 甚 妙 不 可 思 議 の 仏 化 に 冥 資 せ ら れ て 」 と 、 自 受 用 三 昧 に お け る 修 証 一 体 の 坐 禅 に お い て 仏 と 親 し い さ と り を あ ら わ す の は 、 不 可 思 議 な 仏 の 化 儀 に よ る と 説 い て い る 。 こ の 記 事 や 『 辦 道 話 』 冒 頭 部 分 の 「 こ の 法 は

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三五 人 人 の 分 上 に ゆ た か に そ な は れ り 」 (『 全 集 』 二 、 四 六 〇 頁 ) と い う 記 述 な ど を 考 慮 す る と 、 修 行 に 先 行 す る も の と し て 「 法 」 を 認 識 す る 禅 師 の 姿 勢 が 見 受 け ら れ る 。 そ こ で 注 目 す べ き は 、 最 後 の 「 み な 本 証 の 仏 化 を 周 旋 す る 」 と い う 部 分 で あ る 。 こ こ で 「 本 証 」 が 「 仏 化 」 の 前 提 と し て 位 置 付 け ら れ て い る こ と が 解 る 。 即 ち 、 前 の 部 分 に 重 ね る と 「 甚 妙 不 可 思 議 」 に 対 応 す る と 考 え 得 る わ け で あ る か ら 、 こ の 「 本 証 」 は 仏 の 在 所 や そ の 性 質 、 或 い は 仏 化 の 根 本 と な る 「 法 」 と し て 解 釈 し 得 る で あ ろ う 。   こ れ を 本 迹 思 想 に 重 ね 、 仏 の 在 所 ・ 仏 の 性 質 と し て 「 本 証 」 を 捉 え れ ば 、 前 者 は 「 本 門 」、 後 者 は 「 本 仏 」 に 通 じ る こ と に な る 。 更 に 「 法 」 に つ い て 言 え ば 、 こ れ は 「 仏 に 証 明 さ れ て い る 根 本 の 真 理 」 と か 「 本 門 の 法 」 と い う 意 味 に 理 解 し 得 る よ う に 思 わ れ る 。   で は 、「 本 証 」 を 「 本 門 」「 本 仏 」 と 見 な し た 場 合 、 そ の 性 格 が 問 題 と な る 。 つ ま り 、「 本 証 」 は 理 ( 法 身 ) 的 で あ る の か 智 ( 報 身 ) 的 で あ る の か と い う こ と で あ る 。 そ れ に は 、 法 と 仏 に 対 す る 禅 師 の 見 解 を 考 察 し な け れ ば な る ま い 。   著 述 の 記 事 を 見 て み る と 、 例 え ば 先 述 し た 『 辦 道 話 』 の 一 段 の 後 に 、 こ れ ら の た ぐ ひ と 共 住 し て 同 語 す る も の 、 ま た こ と ご と く あ ひ た が ひ に 無 窮 の 仏 徳 そ な は り 、 展 転 広 作 し て 、 無 尽 、 無 間 断 、 不 可 思 議 、 不 可 称 量 の 仏 法 を 、 遍 法 界 の 内 外 に 流 通 す る も の な り 。  『 全 集 』 二 ( 四 六 三 頁 ) と い う 記 述 が あ る 。 こ の 文 が 、 先 述 し た 「 み な 本 証 の 仏 化 を 周 旋 す る ゆ え に 」 と い う 一 文 を 承 け て い る こ と を 考 慮 す る と 、 こ こ の 「 ま た こ と ご と く あ ひ た が ひ に 無 窮 の 仏 徳 そ な は り 」 「 展 転 広 作 し て … 遍 法 界 の 内 外 に 流 通 す る 」 と い う の は 、 仏 の 化 儀 に 導 か れ る と 同 時 に 無 窮 の 仏 徳 を 具 え て 法 を 尽 界 に 敷 衍 し 得 る こ と を 説 い て い る と 言 え よ う 。 ま た 、 一 八 問 答 の 直 前 に は 、 こ こ を も て 、 わ づ か に 一 人 一 時 の 坐 禅 な り と い へ ど も 、 諸 法 と あ ひ 冥 し 、 諸 時 と ま ど か に 通 ず る が ゆ え に 、 無 尽 法 界 の な か に 、 去 ・ 来 ・ 現 に 、 常 恒 の 仏 化 道 事 を な す な り 。 彼 彼 と も に 一 等 の 同 修 な り 、 同 証 な り 。  『 全 集 』 二 ( 四 六 四 頁 ) と い う 記 述 が あ る 。 こ こ で は 坐 禅 に 焦 点 を 絞 り 、 修 証 一 体 の 坐 禅 は 諸 法 と 融 じ て 諸 時 と 円 通 す る た め に 三 世 尽 界 に 渡 っ て 常 恒 の 化 導 ・ 仏 事 を な す と 説 い て い る 。 言 わ ば 、 禅 師 は 而 今 の 自 己 を 「 法 に 導 か れ な が ら 修 行 す る と 同 時 に 、 仏 と し て 尽 界 に 法 を 敷 衍 す る 存 在 」 と し て 認 識 し て い る と 考 え ら れ る の で あ る 。 ま た 、 こ こ の 「 常 恒 の 仏 化 道 事 を な す 」 と い う 一 文 か ら 、「 法 」 や 「 仏 」 が 常 住 で あ る こ と が 解 る の で あ る 。   こ う し た 「 法 」 と 「 仏 」 の 関 係 は 、『 正 法 眼 蔵 』 を 見 る と 一 層 明 確 に な る 。 例 え ば 、「 行 仏 威 儀 」 巻 に は 、

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三六 い は ゆ る 、 ほ と け 、 法 を と く こ と は 、 き く と こ ろ な り と い へ ど も 、 法 、 ほ と け を と く こ と は 、 い く か さ な り の 不 知 を か わ づ ら ひ こ し 。   し か あ れ ば す な は ち 、 三 世 の 諸 仏 は 、 三 世 に 法 に と か れ 、 三 世 の 諸 法 は 、 三 世 に 仏 に と か る る な り 。  『 全 集 』 一 ( 七 四 頁 ) と あ り 、 仏 は 法 を 説 く も の で あ る と 同 時 に 法 に 説 か れ 、 法 は 仏 を 説 く も の で あ る と 同 時 に 仏 に 説 か れ る も の と 規 定 し て い る 。   ま た 、「 仏 教 」 巻 で は 九 分 教 を 示 す 際 、『 法 華 経 』「 方 便 品 」 の 「 我 此 九 部 法   随 順 衆 生 説   入 大 乗 為 本   以 故 説 是 経 」 (『 大 正 』 九 、 八 頁 上 ) と い う 重 頌 を 引 き な が ら 、 こ の 経 文 の 「 入 大 乗 為 本 」 に 対 し て 、 入 は 、 本 な り 、 本 は 、 頭 正 尾 正 な り 。 ほ と け 、 法 を と く 、 法 、 ほ と け を と く 。 法 、 ほ と け に と か る 、 ほ と け 、 法 に と か る 。  『 全 集 』 一 ( 三 九 一 頁 ) と 述 べ て い る 。 こ こ で も 、 先 と 同 様 の 関 係 で 「 法 」 と 「 仏 」 を 示 し て い る こ と が 理 解 で き よ う 。 し か も 、 通 例 「 入 大 乗 為 本 」 は 「 入 二 乗 一 為 レ 」 と 訓 む 。 要 す る に 、『 法 華 経 』 で は 「 大 乗 に 入 る 本 と 」 と し て 九 分 教 を 定 義 す る の で あ る が 、 禅 師 は そ の よ う に 見 な い 。 こ こ に 「 入 は 、 本 な り 」 と あ る よ う に 、「 入 」 と 「 本 」 を 同 義 と し て い る 。 そ れ を 前 提 と し て 「 本 」 を 頭 正 尾 正 と 定 め る の で あ る 。 つ ま り 、「 本 」 を 本 門 的 に 捉 え た 上 で 「 法 」 と 「 仏 」 の 関 係 を 説 い て い る と 考 え ら れ る の で あ る 。   こ う し た 説 示 は 他 に も あ る )(( ( が 、 道 元 禅 師 は 「 法 」 や 「 仏 」 を 常 恒 の も の と 認 識 し つ つ 、 両 者 を 相 即 的 に 捉 え て い る こ と が 解 る 。 更 に 、「 仏 」 を 「 法 に 説 か れ な が ら 法 を 説 く も の 」 と 規 定 し て い る こ と か ら 、 そ れ に 智 の 働 き が あ り 修 証 の 因 果 を 具 え て い る こ と が 解 る 。 従 っ て 、 禅 師 が い う 「 仏 」 は 、 極 め て 報 身 的 性 格 の 強 い 久 遠 の 仏 と 考 え 得 る の で あ る 。 こ の 点 を 踏 ま え て 先 の 「 本 証 」 ( 本 門 ・ 本 仏 ) の 本 義 を 推 し 量 れ ば 、 そ れ は 理 的 で は な く 、 智 の 働 き が あ る 久 遠 の 本 門 ・ 本 仏 ・ 本 源 の 法 と し て 弁 え る べ き で あ る と 思 わ れ る 。   以 上 の 考 察 を 前 提 と し て 道 元 禅 師 の 「 本 証 妙 修 」 説 を 考 え る と 、 そ れ が 中 古 天 台 の 本 覚 思 想 と 重 な ら な い こ と は 明 白 で あ ろ う 。 そ も そ も 「 本 証 妙 修 」 の 力 点 は 「 本 証 」 で は な く 「 妙 修 」 に あ る と 言 え る の で あ る か ら 、 そ れ を 観 心 に 特 化 さ せ た 「 本 覚 」 と 同 列 に 見 な す こ と は 不 可 能 と 考 え 得 る の で あ る 。 従 っ て 、「 本 証 」 は 「 本 門 」 的 な 意 味 に 捉 え る の が 適 切 で あ る と 言 え よ う 。 こ れ を 以 て 「 本 証 妙 修 」 を 言 え ば 、 そ れ は 「 本 覚 門 的 修 証 観 」 で は な く 「 本 門 的 修 証 観 」 と 結 論 し 得 る よ う に 思 わ れ る 。   で は 、 禅 師 の い う 「 本 証 」 が 「 本 門 」 を 指 し て い る と す れ ば 、 そ こ に 見 ら れ る 報 身 的 性 質 の 久 遠 仏 と は 具 体 的 に ど の よ

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道元禅師における仏身観   ―修証論と重ねて―(清野) 二三七 う な 仏 で あ る の か 。 次 に 、 そ の 点 の 考 察 を 行 い た い 。     六   久 遠 の 釈 迦 仏   道 元 禅 師 の 仏 身 観 を 考 察 す る に 当 た っ て 第 一 に 重 要 な 点 は 、 禅 師 が 根 幹 に 据 え た 仏 で あ る 。 こ れ は 従 来 の 研 究 に よ っ て 明 ら か に さ れ て い る 通 り 、 釈 迦 仏 と 言 い 得 る 。   具 体 的 な 記 述 を 通 し て 見 る と 、 例 え ば 「 即 心 是 仏 」 巻 に は 、 い は ゆ る 諸 仏 と は 、 釈 迦 牟 尼 仏 な り 。 … 過 去 ・ 現 在 ・ 未 来 の 諸 仏 、 と も に ほ と け と な る と き は 、 か な ら ず 釈 迦 牟 尼 仏 と な る な り 。 こ れ 即 心 是 仏 な り 。  『 全 集 』 一 ( 五 八 頁 ) と あ る 。 こ こ で 「 諸 仏 」 を 「 釈 迦 仏 」 と 定 め て い る こ と か ら 、 禅 師 が 釈 迦 仏 正 意 の 立 場 に 立 っ て い る こ と は 明 白 で あ る 。 こ れ は 衆 目 の 一 致 す る と こ ろ で あ ろ う 。 そ こ で 、 第 二 に 考 え る べ き は 、 こ の 釈 迦 仏 の 性 質 で あ る 。 つ ま り 、 禅 師 の い う 釈 迦 仏 を い わ ゆ る の 応 身 ( 化 身 ) と し て 理 解 し 得 る か と い う こ と で あ る 。 こ れ に 関 し て 禅 師 の 説 示 を 見 て み る と 、「 大 悟 」 巻 で 次 の よ う に 述 べ て い る 。 こ れ は 、 大 悟 は 作 仏 の ご と し 、 却 迷 は 衆 生 の ご と し 、 還 作 衆 生 と い ひ 、 従 本 垂 迹 と ら い ふ が ご と く 学 す べ き に は あ ら ざ る な り 。  『 全 集 』 一 ( 九 六 頁 )   こ の 文 は 「 現 成 公 案 」 巻 の 「 迷 を 大 悟 す る は 諸 仏 な り 、 悟 に 大 迷 な る は 衆 生 な り 」 (『 全 集 』 一 、 二 頁 ) と い う 文 に 照 ら し て 理 解 す る こ と が で き よ う が 、 こ こ で 「 大 悟 」 と 「 作 仏 」、 「 却 迷 」 と 「 衆 生 」 を 同 義 と し て い る こ と が 解 る 。 そ こ で 注 意 す べ き は 、 禅 師 が 「 還 作 衆 生 」 と 併 せ て 「 従 本 垂 迹 」 を 否 定 し て い る こ と で あ る 。「 還 作 衆 生 」 は 『 大 乗 起 信 論 』 (『 大 正 』 三 二 、 五 八 〇 頁 上 ) や 湛 然 の 『 止 観 大 意 』 (『 大 正 』 四 六 、 四 一 六 頁 上 ) 等 に 見 ら れ る 一 句 で あ る が 、「 従 本 垂 迹 」 は 「 本 地 垂 迹 」 と 同 義 で あ る 。「 従 本 垂 迹 」 も 「 本 地 垂 迹 」 も 共 に 本 迹 二 門 を 前 提 と し て 仏 に 対 し て 用 い ら れ る 言 葉 で あ る こ と を 考 え る と 、 道 元 禅 師 は 、 仏 が 証 果 を 成 就 し て 本 地 か ら 垂 迹 す る と い う 見 解 を 有 し て い な か っ た と 言 え よ う 。   ま た 、「 発 菩 提 心 」 巻 で は 、 衆 生 の 寿 行 が 生 滅 し て 止 ま ら な い こ と に つ い て 、 わ れ ら が 寿 行 、 生 滅 刹 那 、 流 転 捷 疾 な る こ と 、 か く の ご と し 。 念 念 の あ ひ だ 、 行 者 、 こ の 道 理 を わ す る る こ と な か れ  (『 全 集 』 二 、 三 三 八 頁 ) と 説 い た 後 、 こ れ に 続 け て 、 こ の 刹 那 生 滅 、 流 転 捷 疾 に あ り な が ら 、 も し 自 未 得 度 先 度 他 の 一 念 を お こ す ご と き は 、 久 遠 の 寿 量 、 た ち ま ち に 現 在 前 す る な り 。  『 全 集 』 二 ( 三 三 八 頁 ) と 示 し て い る 。 こ れ が 修 証 の 一 体 を 前 提 と し て 修 行 に 焦 点 を 当 て た 説 示 で あ る こ と は 内 容 か ら 推 し 量 れ る が 、 こ こ で 先 の

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