地婆訶羅訳『大方広仏華厳経入法界品』と
『華厳経』諸テクストの形成
中 西 俊 英
1.
はじめに
『大正新脩大蔵経』(以下,大正蔵)第10巻所収の『大方広仏華厳経入法界品』(以 下,「D訳入法界品」)には,『華厳経』入法界品の摩耶夫人の後から弥勒菩 まで の善知識のエピソードが記される.7世紀後半にインドから来中した地婆訶羅 (613–688)が永隆元年(680)に訳出したものである. 先行研究は法蔵(643–712)の著作と地婆訶羅の来中とを関連づけて著作年代を 考察するものが中心であり1),本稿のように,テクスト形成との関わりの中で 「D訳入法界品」に注目するものは管見の限りでは存在しない.後述するように, 現行の版本である大正蔵およびその底本である高麗版大蔵経(以下,高麗蔵)さら には聖語蔵写本など,現在我々が目にすることのできる『華厳経』諸テクスト は,地婆訶羅訳相当箇所を含むもの,もしくは欠くものなど,実は様々な状況で あって整理が必要なのである.それゆえ,本稿では「D訳入法界品」関連箇所を 中心に各種写本を対照してテクスト形成についての基礎的考察をおこなう.な お,仏駄跋陀羅および実 難陀による訳出直後の『華厳経』テクストをそれぞれ 「B訳」「Ś訳」とし,写本や版本の名称は「晋訳」「唐訳」という表現を使用する.2.
地婆訶羅による訳出経緯の整理
地婆訶羅による訳出の経緯について,まずは法蔵の『華厳経探玄記』(以下,『探 玄記』)(巻一.T35, 122c)の記述を確認したい. 以晋義熙十四年歳次鶉火三月十日,於揚州謝司空寺別造護浄法堂於中訳出此『経』.(中略) 至元熙二年六月十日出訖.至大宋永初二年十二月二十日,与梵本再校勘畢,於法界品内従 摩耶夫人後至弥勒菩 前所闕八九紙経文.今大唐永隆元年三月内有天竺三蔵地婆訶羅,唐 言日照,有此一品梵本,法蔵親共校勘,至此闕文.奉勅与沙門道成・復礼等訳出補之.「B訳」訳出後,永初二年(421)のサンスクリット語原本との対校の際に, 八・九紙相当の入法界品中の欠落箇所が判明し,約160年後の地婆訶羅と法蔵に よる校勘作業の後で,道成や復礼によって補われたという.欠落箇所とは,「天 主光」「遍友」「善知衆芸」「賢勝」「堅固解脱」「妙月」「無勝軍」「尸毘最勝」「徳 生」「有徳」の10人の善知識で,これが「D訳入法界品」相当箇所に他ならない. 一方,慧苑(673?–743?)2)の『続華厳略疏刊定記』(以下,『刊定記』)(巻一.X5, 48b)は上記の記述と少し異なる内容を記載する.([1]∼[4]は筆者挿入.) 此『経』前後翻訳補闕,四本不同.[1]初本者,晋義熙十四年,此天竺三蔵仏度跋陀羅, 此云覚賢,於揚州謝司空寺,翻梵本三万六千頌,成漢経五十巻或六十巻.(中略)[2]第 二本者,大唐永隆元年,中天竺三蔵地婆訶羅,此云日照,於西京大原寺,訳出入法界品内 両処脱文.一,従摩耶夫人後至弥勒菩 前中間,脱天主光等十善知識.二,従弥勒菩 後 至普賢菩 前中間,脱「文殊師利申手過百一十由旬按善財頂」等半紙余文.大徳道成律 師・薄塵法師・大乗基法師潤色,依六十巻本為定.[3]第三本者,証聖元年,于 国三蔵 実 難陀,此云喜学,於東都仏授記寺,再訳旧文,兼補諸欠.計益九千頌.通旧,総翻 四万五千頌,合成漢本八十巻.大徳義浄三蔵・弘景禅師・円測法師・神英法師・宝法法 師・華厳和上等同訳,復礼法師綴文.[4]第四本者,謂前第三本中,雖繕数処,然復漏脱 日照三蔵所補入法界品内「文殊手按善財頂処」一段要文.由此遂令前文虚指於後,後経来 無所因.(中略)是故,知上以新旧両経与梵本讎校,還将日照補文,安喜学脱処.遂得断 文,再続欠義復全.今之所伝. 『刊定記』は,「四本不同」として4種類のテクストの存在を指摘する.[1]は 「B訳」,[2]は「D訳」,[3]は「Ś訳」である.ここでは以下の2点に注目した い. ・[2]の下線部にあるように,「B訳」には10名の善知識のエピソード以外にも う1箇所の欠落がある.この欠落箇所とは,文殊師利菩 のエピソードの一部 (以下,「D訳文殊師利善知識」)3)である. ・[4]の下線部にあるように,「Ś訳」は不備のある箇所を数カ所補っているも のの,[2]が指摘する一節を欠く.この箇所が無いと内容に齟齬を来すため, 「B訳」「Ś訳」とサンスクリット本とを対照し,「日照補文」を用いて「Ś訳」 の不備を補った.これが「今之所伝」とされる[4]のテクストである. 『刊定記』の指摘のように,地婆訶羅訳を契機とし,『華厳経』テクストには幾 つかの種類が生じた.以下では写本をふまえてテクスト形成の問題を考えたい.
3.
各種写本との対照一覧
考察の前提として確認した写本の状況を大正蔵もあわせて表で示したい.「晋訳」 [a]東大寺図書館所蔵「紺紙銀字華厳経(二月堂焼経)」: 奈良時代中期書写4) [b]聖語蔵第Ⅳ類(神護景雲二年御願経)第十号「華厳経」: 宝亀元年頃書写5) [c]金剛寺所蔵「華厳経」: 平安時代後期書写6) [d]七寺所蔵「華厳経」: 平安時代末期書写7) [e]聖語蔵第Ⅵ類乙種写経第十五号「華厳経」: 南北朝時代書写8) 「唐訳」 [f] 聖語蔵第Ⅳ類(神護景雲二年御願経)第十号「華厳経」: 宝亀元年頃書写 [g]東大寺図書館所蔵・貴重書X1–101–25「新華厳経」: 平安時代院政期書写9) [h]金剛寺所蔵「華厳経」: 平安時代後期書写 [i] 七寺所蔵「華厳経」: 平安時代末期書写 [j] 興聖寺所蔵「華厳経」: 平安時代書写10) [k]東大寺所蔵・宝物目録Ⅳ書蹟(1–35)「紺紙金字華厳経」: 鎌倉時代書写
4.
諸テクストの形成
4.1. 「晋訳」 まず,「B訳」への「D訳入法界品」相当箇所の挿入について,この作業は「D 訳入法界品」訳出後すぐ行われたと思われる.地婆訶羅来中以前に『華厳経』を 注釈した智儼(602–668)の『捜玄記』は善知識を45名とみており12),智儼がみた テクストは地婆訶羅訳の10名を欠くと推定される.一方で,法蔵『探玄記』は 〈表1: 当該箇所と「晋訳」の写本・版本との対応〉 【D訳入法界品】 【D訳文殊師利善知識】 [a]東大寺図書館「紺紙銀字華厳経」 不明(該当箇所欠) 不明(該当箇所欠) [b]神護景雲二年御願経 不明(巻五十七欠) × [c]金剛寺本「晋訳」 × 不明(巻六十欠) [d]七寺本「晋訳」 × × [e]聖語蔵第Ⅵ類乙種写経 〇 不明(巻六十欠) 大正蔵本「晋訳」 〇(巻五十七) 〇(巻六十) 〈表2: 当該箇所と「唐訳」の写本・版本との対応〉 【D訳入法界品】 【D訳文殊師利善知識】 [f]神護景雲二年御願経 〇 × [g]東大寺図書館「新華厳経」 〇 〇 [h]金剛寺本「唐訳」 〇 × [i]七寺本「唐訳」 △11) 不明(巻八十欠) [j]興聖寺本「唐訳」 〇 × [k]東大寺「紺紙金字華厳経」 〇 × 大正蔵本「唐訳」 〇(巻七十六・七十七) 〇(巻八十)欠落箇所を指摘せず,上記10名の善知識が補完されたテクストを対象として注 釈する13).「D訳入法界品」は訳出後すぐ「B訳」に挿入された可能性が高い. この点については『開元釈教録』(巻十一.T55, 590c)の記載も参考になる. 大方広仏華厳經続入法界品一巻〈或無続字〉 大唐中天竺三蔵地婆訶羅譯〈出大周録〉 右一経続旧華厳経入法界品〈或有経本続入大部之中在第五十七巻〉 巻十一は「有訳有本録」であり,下線部にあるように,『開元録』成立当時 (730年)には「B訳」に「D訳入法界品」が挿入されたテクストが存在している. 「D訳文殊師利善知識」相当箇所については,10名の善知識だけを補完すると は考えがたく,「D訳入法界品」の挿入と同時に「B訳」に加えられたと思われ る.法蔵『探玄記』はこの箇所がすでに補われたものとして注釈する14).しか し,表に示したように[b]神護景雲二年本や[d]七寺本はこの箇所を欠く.特 に[d]七寺本は「D訳入法界品」相当箇所も欠いており,地婆訶羅による訳経 をきっかけに,「B訳」と「B訳+D訳入法界品+D訳文殊師利善知識」の二種 類のテクストが誕生した可能性が高い.後者の系統が高麗蔵・大正蔵などの「晋 訳」テクストの元となると考えられる. 4.2. 「唐訳」 「Ś訳」の「D訳入法界品」相当箇所は四十二字門の箇所を除いてほぼ同様で, 実 難陀が翻訳に際して先行する「D訳入法界品」を参照したと思われる. 注意すべきは「D訳文殊師利善知識」相当箇所である.[g]の東大寺図書館本 以外,ほとんどの写本で欠落している.『刊定記』の指摘のとおり,「Ś訳」訳出 当初から欠落していたのであろう.また,『刊定記』は「安喜学脱処」と述べ,「Ś 訳」の欠落が補われたかのように記載していたが,日本の古写経の多くはこの箇 所を欠く.澄観(738–839)はこの補完作業を法蔵に帰す15)が,中国の地で本当に 補われたのか疑問が残る.結果として,[g]の東大寺図書館本のみが高麗蔵・大 正蔵などの系統に属している.この点には注意しておきたい.
5.
おわりに
仏駄跋陀羅訳『華厳経』の2箇所の欠落は地婆訶羅訳で補われ,現行の「晋 訳」テクストとなる.実 難陀訳『華厳経』は仏駄跋陀羅訳の不備を補ったが, 文殊師利善知識のエピソードにおける一節を欠く.もしこの箇所が中国の地で補 完されたなら,実 難陀訳完成から慧苑『刊定記』執筆16)の間すなわち699年から743年の間となる.しかし,日本の古写経の多くはこの箇所を欠いており, 「唐訳」テクストの形成は,東大寺図書館所蔵写本の独自性に留意しつつ,敦煌 写本など範囲を広げて考察する必要がある.この点は今後の課題としたい. 〈附記〉 写本の調査・研究に際しては,国際仏教学大学院大学・古写経研究所より,多大 なるご高配・ご高恩を賜りました.心より感謝申し上げます. 1) 吉津1994, 135–140など. 2) 慧苑の生没年については,坂本1956, 6–7を参照. 3) 内容は大正蔵本「晋訳」「唐訳」の脚注校異で確認可能である. 4) 東大寺図書 館(2006, 9–15)の調査報告による. 5) 東大寺図書館(2005, 23–27)の調査報告に よる. 6) 落合(2007)の調査報告よる. 7) 七寺一切経保存会(1968)の 調査報告による.承安五年(1175)∼治承四年(1180)の間の書写. 8) 各巻の巻末 識語から判断. 9) 文化庁文化財部美術学芸課作成の「東大寺聖教目録」(内部資 料)による. 10) 京都府教育委員会(1998)の調査報告による. 11) 巻 七十六欠であるが,巻七十七の冒頭には善知識の記述が確認される. 12) 木村 (1992, 35)の指摘による. 13) 法蔵『探玄記』(巻二十.T35, 483b): 第二大段「摩 耶夫人」下明会縁入実相知識.(中略)以初摩耶得智幻法門末後童子童女亦得幻住法門. 「童子童女」は「徳生童子」「有徳童女」である. 14) 法蔵『探玄記』(巻二十. T35, 490b): 於中初申手摩頂.言「過一百一十由旬」者,徹過如前差別之位至此平等普門 之所.「摩善財頂」者,示以普法灌其頂也.(※下線部が欠落箇所の経文部分). 15) 澄観『華厳経疏』(巻三.T35, 523c–524a). 16) 『刊定記』の 述年代は坂本 1956, 6–7および宮崎2006, 209を参照. 〈一次文献(大正蔵以外)〉 『刊定記』続蔵第5冊. 〈二次文献〉 落合俊典2007『金剛寺一切経の総合的研究と金剛寺聖教の基礎的研究』第二分冊,平成15 年度∼18年度科学研究費補助金報告書(基盤研究(A) 15202002). 木村清孝1992『中国華厳思想史』平楽寺書店. 京都府教育委員会1998『興聖寺一切経調査報告書』京都府古文書調査報告書第13集. 坂本幸男1956『華厳教学の研究』平楽寺書店. 東大寺図書館2005「正倉院聖語蔵経巻調査報告(1)―奈良時代書写の華厳経について ―」『南都仏教』86: 1–98. 東大寺図書館2006「東大寺収蔵経巻調査報告(1)―奈良時代(1)―」『南都仏教』87: 1–37. 七寺一切経保存会1968『七寺一切経目録』尾張史料,七寺一切経保存会. 宮崎健司2006『日本古代の写経と社会』塙書房. 吉津宜英1994『華厳一乗思想の研究』大東出版社. 〈キーワード〉 華厳経,地婆訶羅,仏駄跋陀羅,実 難陀,法蔵,慧苑,澄観 (東大寺華厳学研究所研究員,博士(文学))