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統一新羅時代の九州と五小京の考古学的研究

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Academic year: 2021

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統一新羅時代の九州と五小京の考古学的研究

滋賀県立大学大学院人間文化学研究科地域文化専攻 李 在桓

-論文の要約-

本論文の研究対象は統一新羅時代の地方都市であった九州と五小京が置かれた地域である。

本論文では、統一新羅時代の九州と五小京の関連遺跡をまとめ、考古学的な分析・検討して 統一新羅時代の地方都市構造の全般的な様相を考察してみた。

本論文では、九州と五小京の考古学的検討を目的として、最近までの九州と五小京に関連 する遺跡をまとめて分析した。九州と五小京は統一新羅時代の地方行政区域であるが、州と 小京の中心地域であり、治所が設置された都市の名称でもある。したがって、本文では‘九 州’と‘五小京’を九州と五小京の治所が設置された都市の意味で使うことにした。

すなわち、本論文の考古学的研究の対象は、九州と五小京の治所が置かれた地域の考古資 料である。基本的には九州と五小京が設置された地域の考古資料を中心とした検討であり、

各対象地域の考古学調査の成果によって、検討の範囲や分析の量は異なっている。本論文の 目的である九州と五小京に対する考古学的検討のためには不十分である地域も多少あるが、

現段階で検討可能な考古資料をまとめることに集中した。

考古資料の検討の範囲としては、基本的に九州と五小京の設置地域とし、州と小京の中心 地と推定される地域の考古資料および、関連遺跡を集中的に検討した。主に州と小京の設置 時期や運営時期である統一新羅時代の遺跡が検討対象であるが、他の時期の遺跡でも州と小 京に関連される場合は検討対象にした。特に、州と小京の都市構造に関連する遺跡(道路遺 構、城郭)などを中心に分析と検討を行った。

第2・3章では主に九州と五小京の推定中心地に分布する州と小京に関連する考古資料を 検討した。特に、州と小京の都市構造と関連する道路遺構、建物跡、竪穴建物跡、城郭、そ のほか寺院関連遺跡、墳墓遺跡、生産遺跡などを検討した。

関連考古資料の検討では、特に、小京では金官小京、九州では沙伐州を主に検討してみた。

金官小京は古邑城の考古学的検討を行い、金官小京が中心地を囲む城郭をもつ都市構造であ ることを示した。このような都市構造は州と小京の一つの類型として考えられ、中原小京の 都市構造の検討でもでもその可能性を提示してみた。

また、沙伐州では推定中心地に見られる区画地割の範囲内から道路遺構、建物跡、竪穴建

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2 物跡が確認され、州の中心地の都市構造を一部の様相を考古学的に検討できた。この他、西 原小京でも都市構造と関連する道路遺構が、牛首州では、集落遺跡が確認されていた。

まだ、州と小京の都市構造と関連する考古資料不十分ではあるが、州と小京の関連遺跡は 確かに確認され、増えているのである。

本論文の結論として、州と小京の中心地に関連する考古資料と旧地籍図の検討によって既 存研究とは異なる結論を提示した。

九州と五小京の都市構造には次のような要素が見られる。すなわち、中心地には区画地割 が施行され、その中心地の範囲と関連する施設(城郭、土塁、塀、堤防など)が存在して、近 接して防禦に関連する城郭が位置することである。しかし、この要素が九州と五小京にすべ て適用されるのではない。

九州と五小京の中心地には王京のように区画地割が施行された特徴が見られるが、その施 行には地域ごとに異なる様相が見られる。すなわち、州と小京の区画地割の形態は唐の坊里 制の影響および王京のものとは異なる様相があったと推定される。基本的な区画地割の形態 や施行方向は王京の影響を受けた可能性を排除できないが、一律的に九州と五小京の都市構 造に代入して把握することには無理がある。

したがって、各地域の地形や立地によって変形した適合な区画地割の施行と城郭の築造な どで州と小京の都市構造には変化が生じたと思われる。九州と五小京の都市構造を検討して みた結果、九州と五小京の都市構造には典型的な類型は見られず、各設置地域の特性がより 強く反映されていることがわかった。

今後、九州と五小京を含む統一新羅時代の地方都市関連の調査は必然的に増加すると思わ れる。本論文ではこれからの九州と五小京を含む統一新羅時代の地方都市関連の調査・研究 において、多様な様相と事例を提示し、さらなる研究と調査の方向を導きたい。

参照

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