博 士 ( 法 学 ) 山 田 裕 子
学 位 論 文 題 名
法的紛争解決における公正の心理学
一被害者側当事者のセルフ.エステイームに着目して−
.学位論文内容の要旨
1.問題関心
「正義・公正」は法の重要な内在的価値であるが、社会心理学においても1961年のホーマンズの分 配的公正についての先駆的な研究以来、重要なテーマである。公正の社会心理学(社会心理学では psychology of justiceをこのように訳す)は1960年代に分配的公正研究として始まり、1970年代に法 律学との共通の問題関心のもとに手続的公正研究が興隆し、1980年代以後は人にとっての根源性ゆえ に応報的公正の重要性が指摘されている。社会心理学の公正研究が主に扱うのは、人々が何を基準に手 続や資源の分配結果についての公正さを感じるかとぃう主観的公正である。公正研究の知見から、人の 思考、感情、行動が、公正・不公正に関する判断によって大きな影響を受けることがわかっている。本 稿は、応報的公正は分配的公正と手続的公正の統合の上に成り立っと考え、犯罪被害者問題に公正の心 理学の知見を適用することを考えた。犯罪被害者問題は、最初に絶対的な、しかも多くの場合回復不可 能な不公正が存在し、しかも不本意な司法手続きの結果であってもそれを受容しなければならないこと が多い。このような問題に心理学的公正研究を適用することは、理論的側面からも、制度の有効性を考 える点からも意義があると考えたからである。
以上の問題関心のもと、公正研究と犯罪被害者問題をっなぐキー概念として、本稿ではセルフ・エス ティームに着目した。人にとってのセルフ・エスティームの重要性は1世紀に及ぶセルフ・エスティー ム研究の歴史において繰り返し指摘されてきたことであるが、ハイダーの指摘する通り、被害を受ける ことを地位のデロゲーションであると考えた場合、犯罪被害者にとっては傷ついたセルフ.エスティー ムを回復することは特に重要であると考えられる。そこで、犯罪被害者のセルフ.エスティームの回復 が公正感の取得と結果の受容の促進にっながるとの仮説を立てた。
以上の問題関心を背景に、本稿は第1部で公正研究についての概観を、 第2部でそれらの知見を犯罪 被害者問題に適用した実証研究を行った。
2.理論的背景
本稿第1部第1章では分配的公正研究の概観を行った。分配的公正研究の本稿の問題関心にとっての 重要な知見は、分配的公正基準としての衡平である。衡平は、社会的交換関係におけるインプットに見 合ったアウ卜カムを与えるという基準であり、加害―被害関係においては負のインプッ卜に対する負の アウトカムの釣り合いを意味する。しかし、加害―被害関係の文脈では、単に衡平の実現では解決でき なぃ、価値の冒涜という側面がある。また、最終的な結果に至るまでの決定過程の公正さの重要性も指 摘され、公正問題を考える上で分配的公正のみでは不足である点が指摘される。第1章ではさらにセル
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フ・エスティー ムの心理学から、人にとっ ての集団と個人の関係におけるセルフ・エスティームの重要 性を指摘した。
第2章では手 続的公正を概観している。手 続的公正研究は、決定過程 における手続のどのような側面 が公正と知覚さ れるかという問題を検討し 、特に手続の過程において発言の機会を有することが重要で あることが見い 出された。また、手続的公 正研究の発展の中で、手続を運用する際の対人的態度の重要 性が指摘され、 発言に対し誠実に応答する こと、尊重的態度を持って接することが地位と価値に関する 情 報 を 伝 達 し 、 セ ル フ ・ エ ス テ ィ ー ム や 公 正 感 を 高 め る と い う 集 団 価 値 モ デ ル を 紹 介 し た 。 第3章の応報 的公正の概観では応報的公正 動機を考える際に感情を考 慮することの重要性を指摘し、
応報的公正が実 現されるまでの心理的過程 に分配的公正、手続的公正、セルフ.エスティームを統合し て 、 第 2部 の 実 証 研 究 で 検 証 す べ き 応 報 的 公 正 実 現 の モ デ ル の 全 体 像 を 描 い た 。
3.実証研究
第2部の実証研究で は、上記の応報的公正モデル を検証するために行った質 問紙調査とシナリオ実験 の結果を報告している 。
第4章では、被害経 験の内容と解決に至る過程に っいての質問紙調査を行い 、応報的公正が実現され るまでの心理的過程のモデルに沿った分析と、セルフ.エスティームとの関わりを探索した。その結果、
被害者のどのような感 情がどのような応報動機に っながり、結果の公正さや過程の公正さの知覚にどの よ.うに影響を与えるかという認知的な経路をたどることができ:また、応報的公正感が結果の公正と過 程の公正の統合として 理解され、特に結果の公正 さの影響が強いことがわかった。しかし、セルフ・エ スティームと応報的公 正感の関係については必ず しも十分には仮説を支持する結果とはならなかった。
第5章では、セルフ .エスティームと応報的公正 感の関係を明らかにするた め行ったシナリオを用い たシミュレーション実 験の結果を報告した。実験 で用いたシナリオでは、犯罪被害者の刑事裁判への関 わり方(被害者連絡制度の有無や証人としての証言の機会の有無)と、加害者について出された判決(執 行猶予の有無や刑期の 長さ)のパターンを操作し 、そうした条件の違いとこそれに対応したセルフ.エ スティームと応報的公 正感の変化を調べた。そし て、共分散構造分析により手続的公正を構成する被害 者への連絡や証言機会 、および被害者の証言に対 する応答が被害者のセルフ.iスティームを高め、応 報的公正感を高め、最 終的な判決の受容を促進す るという応報的公正モデルが有効であるという結果を 得た。
以上の知見から、被 害者のセルフ・エスティー ムに対する考慮が、被害者の観点から見た刑事訴訟制 度の設計と運用にとっ て重要である点を指摘し、 終章において、昨今の国際的潮流である修復的司法と 本稿の知見との関係に ついての考察を試みた。
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学位論文審査の要旨
主 査
教 授 松 村 良 之
副 査教 授 白 取 祐 司
副 査助 教 授
尾 碕 一 郎
学 位 論 文 題 名
法的紛争解決における公正の心理学
一被害者側当事者のセルフ・エステイームに着目して−
(論文の 要旨) 、
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.問 題関心「正 義 ・ 公正 」は 法の重 要な内在 的価値 であるが 、社会心 理学に おいても
1961
年のホ ーマ ン ズ の分 配 的 公正につ いての 先駆的な 研究以 来重要な テーマ である。 公正の社 会心理 学(社会 心理学 ではpsychology of justiceをこのように訳す)は1960年代に分配的公正研究 とし て 始 まり 、1970
年 代に法 律学との 共通の 問題関心 のもとに 手続的 公正研究 が興隆 し、1980
年代 以 後 は人 に と って の 根 源性 ゆ え に 応報 的 公 正の 重 要 性が 指 摘 されて いる。 本研 究で は 、 応報 的 公 正は分配 的公正 と手続的 公正の 統合の上 に成り 立っと考 え、犯罪 被害者 問題を公 正の心 理学の枠 組みを用 いゝて 研究する ことを 試みている。犯罪被害者問題は、最 初に 絶 対 的な 、 し かも多く の場合 回復不可 能な不 公正が存 在し、 しかも司 法の結果 が不本 意な も の であ っ て も受容し なけれ ばならな いこと が多い。 このよ うな問題 に心理学 的公正 研究 を 適 用す る こ とで、犯 罪被害 者の問題 を理論 的側面か ら考え 、被害者 を巡る制 度の有 効な 運 用 を考 え る ことがで きると 考えらえ るから である。 以上の 問題関心 のもと、 公正研 究と 犯 罪 被害 者 問 題をっな ぐキー 概念とし て、セ ルフ・エ スティ ームに着 目した。 人にと って の セ ルフ ・ 工 ステ ィ ー ムの 重 要 性は1
世 紀に 及ぶセル フ・エ ステイー ム研究の 歴史に おい て 繰 り返 し 指 摘されて きたこ とである が、ハ イダーの 指摘す る通り、 被害を受 けるこ とを 地 位 のデ 口 ゲ ーション である と考えた 場合、 犯罪被害 者にと っては傷 ついたセ ルフ・エス テ ィ ーム を 回 復するこ とは特 に重要で あると 考えられ る。ま た、個人 の尊厳、 人格的 利益 な ど の法 学 的 な概念と セルフ ・エステ イーム は強い関 連を持 つと考え られるの で、法 学に お い ても セ ル フ・エス テイー ムを論じ ること は有意義 である 。そこで 、犯罪被 害者の セル フ ・ エス テ ィ ームの回 復が公 正感の取 得と結 果の受容 の促進 にっなが るとの仮 説を立 てた 。 以 上の 問 題 関心 を 背 景に 、 第
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部 で 公 正 研究 に つ いて の 概 観を 、 第2部でそ れらの 知見を犯 罪被害 者問題に 適用した 実証研 究を行っ た。2
.第1
部第
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章 では分 配的公正 研究の概 観を行 った。分 配的公 正研究の 重要な 知見であ る衡平は、社会 的 交 換関 係 に おけるイ ンプッ トに見合 ったア ウトカム を与え るという 基準であ り、加 害― 被 害 関係 に お いては負 のイン プッ卜に 対する 負のアウ トカム の釣り合 いを意味 する。
しか し 、 加害 一 被 害関係の 文脈で は、単に 衡平の 実現では 解決で きない、 価値の冒 涜とい う側 面 が ある 。 ま た、最終 的な結 果に至る までの 決定過程 の公正 さの重要 性も指摘 され、
公正 問 題 を考 え る 上で 分 配 的公 正 の みで は 不 足であ る点が指 摘され る。第1章では さらに セル フ ・ エス テ イ ームの心 理学か ら、人に とって の集団と 個人の 関係にお けるセル フ・エ
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ステイームの重要性を指摘した。第2 章では手続的公正を概観している。手続的公正研究 は、決定過程における手続のどのような側面が公正と知覚されるかという問題を検討し、
特に手続の過程において発言の機会を有することが重要であることが見い出された。また、
手続的公正研究の発展の中で、手続を運用する際の対人的態度の重要性が指摘され、発言 に対し誠実に応答すること、尊重的態度を持って接することが地位と価値に関する情報を 伝達し、セルフ・工ステイ,ームや公正感を高めるという集団価値モデルを紹介した。第3 章の応報的公正の概観では応報的公正動機を考える際に感情を考慮することの重要性を指 摘し、応報的公正が実現されるまでの心理的過程に分配的公正、手続的公正、セルフ゜エ ステイームを統合して、第2 部の実証研究で検証すべき応報的公正実現のモデルの全体像 を描いた。
3 .第2 部
第2 部の実証研究では、上記の応報的公正モデルを検証するために行った質問票調査と シナ1 」オ実験の結果を報告している。第4 章では、被害経験の内容と解決に至る過程につ いての質問票調査を行い、応報的公正が実現されるまでの心理的過程のモデルに沿った分 析と、セルフ・エステイームとの関わりを探索した。その結果、被害者のどのような感情 がどのような応報動機にっながり、結果の公正さや過程の公正さの知覚にどのように影響 を与えるかという認知的な経路をたどることができ、また、応報的公正感が結果の公正と 過程の公正の統合として理解され、特に結果の公正さの影響が強いことがわかった。しか し、セルフ・エステイームと応報的公正感の関係については十分には仮説を支持する結果 とはならなかった。第5 章では、セルフ・エステイームと応報的公正感の関係を明らかに するため行ったシナリオを用いたシミュレーション実験の結果を報告した。実験で用いた シナリオでは、犯罪被害者の刑事裁判への関わり方(被害者等通知制度の有無や証人とし ての証言の機会の有無)と、加害者について出された判決(執行猶予の有無や刑期の長さ)
のバターンを操作し、そうした条件の違いと、それに対応したセルフ・エステイームと応 報的公正感の変化を調べた。また、公正な扱いがなぜセルブ・エステイームを高めるのか を説明する概念として、社会への信頼感、被尊重感、等価値感を内容とする共生感という 変数を設定した。そして、共分散構造分析により手続的公正を構成する被害者への連絡や 証言機会、および被害者の証言に対する応答が共生感を介して被害者のセルフ・工ステイ ームを高め、応報的公正感を高め、最終的な判決の受容を促進するという応報的公正モデ ルが有効であるという結果を得た。
以上の知見から、応報的公正にとってセルフ・エスティームの回復が重要であり、セル フ・エステイームの回復にとって個人を取り巻く社会が果たす役割がどのような意味で重 要であるかということが確認できた。さらに、最終章において、修復的司法が犯罪被害者 にとってなぜ有効であるのかの理論的な基礎を提供し、対人的公正を介した個人の尊重の 重要性を指摘した。
(評価の要旨)
本論文は、法心理学、特に公正の心理学と法の分野での、初めての本格的な研究であり、
非常に高く評価される。以下具体的に、積極的に評価すべき特長を述べる。(i )公正の心 理学を構成する、分配的公正、手続的公正、^応報的公正(さらに、対人的公正)を理論的 にも実証的にも統合的に扱っている。(ii) 公正の心理学の理論枠組みに、セルフエスティ ーム、帰属理論など社会心理学での重要な関連概念(公正の心理学ではしばしば忘れられ る)を取り込んで、本研究の理論枠組みを組み立てている。(iii) そして、筆者の公正の心 理学についての理解は非常に深く、本論文前半の理論的部分も公正の心理学と法の理論枠 組みの提示として高く評価できる。さらには、被害に遭うということの本質と関連するセ ルフエスティームに着目したことは本論文の独創性を示すものであり、法学研究にとって のレレヴァンスも高い。(iv) リサーチデザインはアイディアに富んでいて、かつ現実的で 的確である。そして、高い完成度で事前のモデルと仮説を設定し、それに基づいてりサー チデザインが的確に設定されている。 (v) データハンドリング(統計的手法の選択などを 含む)の信頼性は非常に高く、デー夕処理の技法の熟達度洗練度という点では、本論文は 日本の法社会学研究のなかではトップクラスであろう。なお、本論文の問題点として (i)
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本研究は被害者学とか修復的司法などと深く関連している研究であるが、それらの問題に ついての理論的政策的インプリケーションについて十分検討していない、(ii) 論文の形式 の面で、法学の分野の論文としては、論文の作法として適切ではない部分があるというよ うな点があるが、以上のように、本研究は法社会学にとって非常に独創的刺激的で価値が 高いとともに、どちらかというといままで教義学的であった刑事法関連分野にとっても有 意 義 な 研 究 で あ り 、 博 士 ( 法 学 ) の 学 位 を 授 与 す るに 十 分 値す る 研 究で あ る。
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