曹 洞 と 初 期 黄 藁 と の 交 渉 ( 松 井 )
曹
洞
と
初
期
黄
漿
と
の
交
渉
-曹
洞
宗
授
戒
會
の
成
立
に
關
連
し
て-松
井
昭
典
閣 明 曾 道 者 超 元 及 び 隠 元 隆 碕 と そ の 一 團 の 來 朝 に よ る 黄 漿 派 の 開 立 は 、 低 迷 し て い た 日 本 繹 宗 に と つ て 大 き な 刺 激 と な つ た 事 は 周 知 の 如 く で あ る 。 以 下 に 近 世 曹 洞 の 復 興 と そ の 一 環 と し て の 授 戒 會 の 成 立 に 關 連 し つ つ 、 初 期 黄 漿 と の 交 渉 に つ い て 考 察 し て 見 た い と 思 う 。 曹 洞 教 團 は 中 世 末 期 全 國 的 展 開 實 現 に 至 る 間 に お い て 、 各 地 方 に 在 つ て 門 派 別 に 獲 展 傳 播 す る と い う 地 方 分 散 的 獲 展 形 態 を と つ た が 、 近 世 初 頭 に 至 り 江 戸 幕 府 が 成 立 し 、 そ の 政 策 下 に 全 國 的 敢 團 禮 制 を 整 え た 。 爾 後 、 教 團 に 於 て は 幕 府 政 策 の 影 響 下 に 、 學 問 ・ 宗 學 研 究 の 氣 運 が 漸 次 盛 り 上 り 、 ま た 近 世 封 建 肚 會 の 理 論 的 根 幹 と な つ た 儒 學 の 興 隆 に よ る 排 佛 論 の 擾 頭 、 そ れ に 俘 つ て 寺 院 ・ 僧 侶 の 整 理 が 行 わ れ る 等 の 事 に よ つ て 、 宗 内 に そ れ に 封 す る 反 機 、 或 は 自 己 批 到 な ど が 起 り 、 次 第 に 復 興 の 氣 蓮 が 醸 成 さ れ て 行 つ た 。 こ う し た 状 勢 を 背 景 と し つ つ そ の 復 興 は 、 且 ハ 艦 的 に は 學 林 學 寮 を 創 設 し て 學 僧 を 養 成 し 、 一 方 で は 萬 安 英 種 な ど 心 あ る 人 達 に よ つ て 道 元 輝 師 の 語 録 ・ 清 規 等 の 宗 典 が 上 梓 開 版 さ れ つ つ あ つ た 。 斯 様 な 動 き の 中 に 慶 安 三 年 ( 一 六 五 〇 ) 道 者 超 元 を 、 そ の 四 年 後 の 承 鷹 三 年 に は 隠 元 隆 碕 及 び 門 下 の 猫 湛 性 螢 等 の 一 團 約 三 十 名 が 、 翌 明 暦 元 年 に は 隠 元 の 法 嗣 木 庵 性 稻 が 、 更 に 二 年 後 に は 木 庵 と 併 構 さ れ る 印 非 如 一 等 の 揮 匠 が 相 次 い で 來 朝 し 、 そ の 下 に 曹 洞 輝 中 興 の 租 と 云 わ れ る 月 舟 宗 胡 を は じ め 、 曹 洞 下 の 鐸 々 た る 宗 匠 が 集 つ て い る の で あ る 。 二 道 者 超 元 は 慶 安 三 年 來 朝 し 長 崎 崇 編 寺 第 三 代 佳 持 と な り 、 ま た 肥 前 普 門 寺 に 佳 し て 道 俗 の 教 化 に 從 い 、 . 八 年 後 の 萬 治 元 年 ( 一 六 五 八 ) に 編 國 し て い る 。 學 徳 兼 備 の 僧 で あ つ た が 滞 在 年 月 が 短 か く 、 而 も そ の 活 動 範 園 が 肥 前 の 一 劃 に 限 ら れ る 等 し て 、 隠 元 ほ ど 知 ら れ て い な い が そ の 下 に は 洞 濟 の 有 力 な 人 達 が 参 じ て お り 、 當 時 の 輝 宗 に 與 え た 影 響 は 少 な く な い 。 濁 奄 玄 光 は 道 者 の 語 録 に 序 を 寄 せ 、 そ の 下 に 八 ・ 九 年 に-324-亙 つ て 随 侍 し た 事 を 記 し 、 亦 そ の 語 録 に は 猫 蕎 の 師 月 舟 宗 林 、 並 び に 鐵 心 道 印 ・ 雲 山 愚 白 等 に あ て た 偶 が 見 ら れ る 。 凋 蕎 の 語 録 に も 道 者 の 露 明 に 寄 せ た 迭 別 の 詩 、 他 に 印 非 如 一 の こ と な ど が 見 ら れ 、 そ の 親 睨 の ほ ど が 知 ら れ る 。 こ の 他 悦 巖 不 輝 ・ 職 室 焉 知 ・ 惟 慧 道 定 ・ 大 用 龍 存 ・ 雲 漢 洞 水 ・ 普 峰 京 順 等 が そ の 下 に 集 つ た 。 月 舟 宗 胡 は 承 鷹 元 年 肥 前 圓 鷹 寺 に 受 業 師 華 嶽 の 老 衰 を 思 う て 赴 い た お り 、 松 雲 宗 融 と 崇 幅 寺 に 道 者 を 訪 ね て -お り ( 行 歌 ) 、 ま た 濟 派 か ら 奨 派 に 韓 じ た 龍 漢 性 漕 が 海 囎 に 襲 わ れ て 寂 し た と き 、 弔 詩 一 片 を 呈 し て い る ( 遺 録 ) 事 等 か ら 黄 奨 と 交 り の あ つ た 事 が 知 ら れ よ う 。 吹 い で 承 鷹 三 年 隠 元 の 東 渡 を 見 る が 、 先 の 鐵 心 は そ れ を 聞 き 六 十 二 歳 の 老 齢 に も 拘 ら ず 長 崎 興 幅 寺 に 行 つ て 蓼 見 し 、 の ち 撮 津 普 門 寺 に 再 度 訪 ね 、 ま た 興 聖 寺 住 山 中 の 龍 幡 松 雲 は 、 萬 頑 寺 隠 元 と 親 し く 往 來 し て い る 。 宗 學 復 興 の 中 椹 と な つ た 卍 山 道 白 は 二 十 一 歳 で 舘 林 に 木 庵 の 資 潮 音 道 海 に 見 え 、 三 十 四 歳 の 時 黄 奨 山 に 隠 元 ・ 木 庵 に 参 見 し て い る が 、 特 に 潮 音 と 親 交 が 有 つ た ( 年 譜 。 宗 統 復 古 志 ) 。 徳 翁 良 高 ・ 惟 慧 道 定 ・ 丹 嶺 祀 衷 ・ 無 得 良 悟 等 は 、 隠 元 の み な ら ず 黄 奨 に 親 爽 し た 人 達 で あ る が 、 中 で も 徳 翁 は 隠 元 ・ 木 庵 ・ 潮 音 に 参 じ 、 二 十 歳 で 木 庵 か ら 黄 奨 戒 を 受 け 、 二 十 三 歳 の 時 潮 音 の 結 制 に 所 悟 を 呈 し て 印 可 を 得 、 そ の 後 潮 音 と は 二 十 年 鯨 に 亙 り 深 交 を 績 け て い る 。 徳 翁 の 資 黙 子 素 淵 も 高 泉 性 激 ・ 鐵 牛 道 機 に 参 謁 し ( 語 録 ) 、 そ の 資 頑 極 官 慶 も ま た 黄 漿 と 交 渉 が 深 く 祀 眼 元 明 ・ 大 鵬 正 鯉 の 漿 山 晋 佳 に 當 り 賀 詞 を 贈 つ て い る ( 語 録 ) 。 更 に 月 披 道 印 ・ 大 梅 法 理 ・ 隠 之 道 顯 ・ 黙 玄 元 寂 ・ 龍 睡 愚 穏 等 が 奨 下 に 集 つ た が 、 他 に も 有 名 無 名 の 修 行 者 が 多 数 い た に 違 い な い 。 隠 元 は 來 朝 後 、 道 俗 を 教 化 す る こ と 幾 許 も な く し て 寛 文 元 年 ( 一 六 六 一 ) 宇 治 に 黄 奨 山 萬 幅 寺 を 開 創 し 、 同 三 年 十 二 月 に は 同 山 に 戒 壇 を 設 け 、 所 謂 、 黄 漿 三 壇 戒 會 を 開 く が 、 そ の 報 傳 わ る や そ れ を 傳 聞 し た 洞 濟 の 道 侶 が 多 敷 そ の 下 に 集 つ て い る 。 三 壇 戒 會 は 隠 元 の 在 世 中 に 三 同 開 か れ 、 約 二 千 人 位 の 者 が 受 戒 し て い る 。 三 壇 戒 會 の 順 序 方 法 を 詳 細 に 記 し た も の が 隠 元 の 編 成 に な る 弘 戒 法 儀 で あ る 。 三 斯 様 な 道 者 に 始 ま り 隠 元 を 中 心 と す る 黄 奨 の 獲 展 期 に お け る 洞 門 と の 交 渉 は 、 曹 洞 教 團 に 大 き な 影 響 を 與 え た 。 奨 輝 参 叩 者 の 多 く は 黄 奨 の 琿 風 を 鼓 吹 す る よ う に な り 、 曹 洞 の メ 大 勢 は 速 か に 奨 風 化 さ れ て 行 つ た 。 卍 山 が ﹁ 昔 螢 山 浸 而 此 書 ル レ テ ス 隠 此 書 隠 而 叢 林 慶 ﹂ ( 螢 山 清 規 序 ) と い う が 如 き 状 態 で あ つ て 見 れ ば 首 肯 し 得 る で あ ろ う 。 封 客 閑 話 ・ 羅 敲 髄 ・ 洞 上 伽 藍 雑 記 ・ 僧 堂 清 規 行 法 砂 ・ 同 考 訂 別 録 ・ 面 山 廣 録 ・ 租 規 復 古 雑 稿 等 に よ れ ば 、 隠 元 の 弘 戒 法 儀 に 則 つ た 戒 會 が し き り に 開 演 さ れ る よ う に な り 、 僧 堂 は 黄 奨 様 の 輝 堂 が 流 行 し 、 讃 経 の 時 に 明 様 の 法 器 を 用 い た り 、 更 に 一 部 で は 経 文 を 明 音 で 讃 諦 す る よ う に な る な ど 、 そ の 消 息 を 大 乗 寺 中 興 碑 は ﹁ 蘂 輝 西 來 機 曹 洞 と 初 期 黄 藁 と の 交 渉 ( 松 井 )
-325-曹 洞 と 初 期 黄 壁 と の 交 渉 ( 松 井 ) 峰 甚 鏡 。 無 レ 有 二 能 當 爲 者 ↓ 天 下 洞 宗 靡 然 從 レ 之 L と 傳 え て い る 。 前 代 か ら の 自 宗 内 の 齪 れ と 共 に 此 様 な 漿 風 化 進 展 の 風 潮 を 歎 じ 、 永 孕 の 祀 規 に 復 編 せ ん と す る 運 動 が 起 つ て く る 。 印 ち 古 規 復 古 運 動 が そ れ で 、 具 髄 的 に は 寛 文 七 年 光 詔 智 堂 の 永 卒 清 規 の 開 版 に 始 ま る と い え よ う 。 そ の 直 後 に 成 る 月 舟 ・ 卍 山 の 雲 堂 常 規 ・ 椙 樹 林 清 規 に は 漿 規 の 影 響 が 多 分 に 認 め ら れ る が 、 永 螢 二 規 が 世 に 出 て 日 術 お 淺 く 、 而 も 前 述 の 如 き 時 勢 で あ つ て み れ ば 尤 も な 事 で あ ろ う 。 授 戒 會 も こ の 様 な 背 景 の 下 に 儀 規 復 興 の 一 環 と し て 成 立 す る の で あ る 。 四 洞 門 で は 道 元 繹 師 以 來 在 俗 へ の 菩 薩 戒 授 受 が 盛 ん に 行 わ れ て き た が 、 そ れ は こ こ に 云 う 授 戒 會 と は 蓬 庭 が 存 す る よ う に 思 わ れ る 。 授 戒 會 と は 圭 と し て 在 俗 教 化 の 施 設 で 、 戒 師 敏 授 師 引 請 師 の 三 師 を 立 て て 多 数 の 受 戒 者 ( 戒 弟 ) に 七 日 間 禮 繊 を 修 せ し め て 戒 師 か ら 十 六 條 戒 を 授 與 す る 大 法 會 で あ る 。 輝 戒 訣 ・ 洞 門 鞄 鑑 に よ れ ば 、 當 時 曹 洞 で は 血 脈 の 授 受 の み で そ の 儀 規 は 行 わ れ て い な か つ た 。 斯 か る 時 月 舟 は 戒 儀 を 興 し ( 潭 戒 游 匁 ) 、 戒 會 を も 行 つ た 事 が 暗 々 裡 に 伺 わ れ る ( 遺 録 ) が 、 延 寳 四 年 ( 一 六 七 六 ) 蔭 涼 寺 に 鐵 心 が 戒 會 を 開 き 丹 嶺 が 随 喜 し た 事 が 知 ら れ る ( 幽 谷 鯨 韻 ) 。 卍 山 年 譜 の 同 八 年 の 項 に ﹁ 冬 慮 二衆 請 一 啓 二 建 戒 會 ↓ 全 法 二 室 内 所 傳 古 儀 ↓ 山 門 至 レ 今 違 行 ﹂ と あ り 、 宗 統 復 古 志 に も 同 様 の 記 事 が 見 ら れ る 虜 か ら 卍 山 が 租 規 に 基 づ い た 戒 會 を 開 い た 事 が 知 ら れ 、 そ の 三 年 後 の 天 和 三 年 に は 天 桂 傳 尊 が 道 俗 の 懇 請 に よ つ て 揮 戒 會 を 開 き 百 飴 入 の 戒 弟 が あ つ た ( 年 譜 ) 。 こ れ 以 後 元 緑 期 よ り 盛 ん に 開 か れ て い る 事 か ら し て 、 授 戒 會 は 延 寳 ・ 天 和 の 前 後 に 月 舟 ・ 卍 山 と そ の 周 圏 の 人 達 に よ つ て 成 立 し た も の と 見 て よ い で あ ろ う 。 そ れ に は 黄 奨 と の 缶父 渉 が 刺 ⋮激 と な つ た と 思 わ れ る 。 卍 山 は 奨 門 戒 を ﹁ 非 二 大 宋 所 傳 輝 戒 式 絢 而 太 明 洪 武 年 中 所 二 撰 次 殉 大 小 通 受 之 新 規 則 也 ﹂ ( 封 客 閑 話 ) と し て 斥 け て い る が 、 而 し ﹁ 豫 昔 謁 二木 庵 和 爾 一登 二 其 戒 壇 幅親 領 二 授 受 儀 ﹂ ( 同 書 ) と 云 つ て お り 、 漿 僧 と 交 り の 深 か つ た 事 等 か ら し て 、 戒 儀 は 永 李 の そ れ に よ り つ つ も 、 そ の 復 興 に 際 し て は 何 か を 得 た こ と が 想 定 さ れ よ う 。 授 戒 會 成 立 の 頭 初 に は 、 徳 翁 ・ 惟 慧 ・ 丹 嶺 等 の 黄 漿 と 密 接 な 關 係 に あ つ た 人 達 に よ つ て し き り に 開 か れ て お り 、 徳 翁 等 は 實 に 生 涯 二 十 同 近 く も 行 い 、 元 緑 十 三 年 春 の 戒 會 に は 六 千 人 飴 の 戒 弟 が あ つ た ( 年 譜 ) 。 今 日 そ れ 等 の 内 容 に 就 て は 詳 ら か で な く 、 弘 戒 法 儀 や 奨 規 の 梵 行 章 な ど か ら 得 る 庭 が あ つ た の で は な い か と 思 わ れ る が 、 そ の 詳 細 に つ い て は 他 日 を 期 す る こ と に し た い 。 上 に 見 た 如 く 初 期 黄 壁 く と の 交 渉 は 、 曹 洞 宗 内 を 速 か に 奨 風 化 し て 行 つ た 。 而 し そ の 後 宗 學 の 復 興 と 共 に 奨 繹 的 な も の は 批 釧 を 受 け 、 吹 第 に 梯 拭 さ れ る 。 儀 規 の 復 興 が 軍 な る 復 興 に 留 ら ず 、 宗 旨 に 則 り 在 俗 の 敏 化 を 意 圖 し た 授 戒 會 と い う 大 法 會 を 生 み 出 し た 虜 に そ の 意 義 が 存 す る と い え よ う 。 ︿註 略 ﹀