<調査報告>「東北インテリジェント・コスモス構 想」と東北開発
著者 仁昌寺 正一
雑誌名 東北学院大学東北産業経済研究所紀要
号 13
ページ 41‑61
発行年 1994‑02‑15
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024480/
<調査報告>
「東北インテリジェント ・コスモス構想」と東北開発
仁昌寺正一
報告したものを文章化したものである。
はしがき
東北産業経済研究所の本年度(1993年度)の 年間テーマは、 「今日の東北地方における重点 的開発構想」であり、具体的には、 ここ数年来 東北地方の重点的開発構想と目されてきた「東 北インテリジェント ・コスモス構想」を現時点 で評価・検討して雄ようというものであった。
このようなテーマを設定してみ、たのば、 1987年 初頭以来、東北地方の産業技術開発構想として 大きな話題を呼んできたこの構想が、実際に産 業技術開発を行うR&D(研究開発会社)のい くつかが研究期間を終了し閉鎖されるなど、明 らかに一つの節目を迎え、推進者によっても「第 二ステージ」に入いったことが表明されている からである。
ところで、 このようなテーマの下、東北産業 経済研究所では、 7月中旬から8月上旬にかけ て、運営委員を中心にして、 これまで設立され たR&D、 この構想の推進機関(「東北インテ リジェント ・コスモス研究機構」など)、経済 団体、企業などを対象として、 ヒアリング調査 を実施した。 このような調査をベースにし、 ま たその際入手した若干の資料に依拠しつつ、 こ の構想が今後も東北地方の重点的開発構想とし て位置付けられていくことが妥当なのかをここ で考察して魂たいと思う。
尚、本稿は、 1993年9月18日に開催された、
東北産業経済研究所主催の第1回研究会で口頭
I . 「東北インテリジェント・コスモス構 想」のねらいと現段階までの進行状況
1 . この構想のねらい
「東北地方を日本の頭脳と産業開発の国際的 拠点に」をキャッチフレーズにしているこの構 想は、文字通り、今後も進展が予想されるわが 国産業の高度技術化に対する支援機能を東北地 方内部で育成してL,こうとする点に大きな特徴 がある。そのために、次のような戦略がたてら れている。
① 「仙台都市圏」を 学術・技術・情報 の拠点とし、新潟県を含む東北各県にも同 様のサテライト的拠点をつくり、それらを 情報・通信手段の整備によって結び付け、
相互の有機的連携をはかる。
②コアとなる「仙台都市圏」にば、 この構 想を推進していく際の一連の中核的機関、
すなわち、東北インテリジェント ・コスモ ス研究機構(ICR)、高等総合科学・技術 研究院、テレポート及び国際的総合データ バンク、人材育成・新産業育成支援機構(広 義のインキュベーター)などを設立する。
③ 「産学官」 (産業界、大学、 自治体)の 強固な協力体制を構築する。
④ICRは、産業技術開発のテーマの発掘、
R&Dの設立に関する業務、 R&Dの研究
図‑1 R&Dと政府特別認可法人との関係
高辱総合科学・技術研究錠
インテリジェントコスモス研究櫓轍
( CR ) 宮城県 仙台市,東北電力ほか
|民間会社 艮
郵 通 量 民
が
間 政 産
会 省 省
社
室司 ナ
| 政隅穂別麗可遥人
研究開発会社
〈 R & 、 〕
1
①加工米育囲研究 9徳円東北■力・キリンビール・ 日本たばこ歯講など
(東北ご力以外は中央資本)
1 1
’
1
②アモルファス ■子デバイスの研究 28億円 三昼宜工黛など2B社(中央 地方資本)
③小■力高速通仙の基礎研究 20画円
東北■力などご5社(中央 地方資本〕
j
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0
7
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一
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究
一
研
出
一生物系特定産粟技術研究推進柚構
︵
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︶
基盤技術研究促遭センター
︵ 基 昼 研
︶
一 丁
︑一
−⑪
(涜料)東北インテリジェントコスモス構想推進協議会
成果の実用化への支援、研究開発用施設の 貸与などを行う。 ICRの設立資金は50億 円とし、そのうち29億円を中央財界に、 21 億円を地元「産官」 (宮城県、仙台市、民 間企業など)に出資してもらう。 したがっ て、企業形態を第三セクターとする。
R&Dは、一定の期間(ぼとんどが5−
7年)に産業技術の開発を行う。その研究 費は、全体の7割を国の特殊法人(基盤技 術研究促進センター、生物系特定産業技術 研究推進機構など)から出資させ、 3割を 中央と地元企業から出資させる (図‑1参 照)。
⑤R&Dでば、大学教官を中心とする研究 者の研究指導の下、世界のトップ・レベル の産業開発を目指す。そして、その産業技 術を東北地方において重点的に実用化し、
「先端技術で高度化された産業群が理想的 な姿で調和した未来型産業社会を、東北地 方において形成していく」 (マスター・プ
ラン)。
⑥こうした目標に到達する期間は、 「現在 から21世紀の第一・四半期に及ぶ概ね30年 間」 (マスター・プラン) とする。
2.今日までの進行状況
このようなねらいをもって1987年にスタート したこの構想は、その後のどのように進行して きたのであろうか。一通り蕊て諦こう。
上の②に関していえば、 この構想の中心機関 のうち、 ICRが1989年3月に仙台市の南吉成 地区に設立された。敷地面積約2万㎡の中に、
事務所棟と研究棟が建てられ、研究棟には三つ のR&D(「加工米育種研究所」「アモルファス
図−2 東北インテリジェントコスモス櫛想推進機構略図
(1988年2月現在)
賎|
賎|
|
政 府
政 府
|
l
l l
「コスモス概想」推進筈員会1) 要員輯成 (会長石田名香雄東北大学学長)
」
七県協箪会
’
会長石田東北大学学長 七県協箪会 会長石田東北大学学長
﹁コスモス購患﹂推進
国会瞳員団憩頗会︵自民党︶
東北インテリジェント︑コスモス︵七隈十大学学長︶
大学連合協力櫓禰︲害貝長石田東北大学学長
|
「コスモス溝想」推進姜貝会 (部会長岡本友幸東北大学教授)Ⅳ
(四全緯)
マスタープラン策定韓日会
ト
要員会
渡辺典掴秋田大学学長 マスタープラン策定韓日会
要員会
渡辺典掴秋田大学学長
事 務 局
(事路局長阿部四郎東北大学助教授)
JP dr
上 科 学 技 術 庁 一 坐 運 軸 省 建
殴 省 聖 昌 水 省
建 殴 省
運 軸 省
h
一L一L−−通 産 省
国 土 庁 文
部 省
郵 致 省
幹 事 会
(ワーキングケループ)
幹事長
新家健用福島大学教授
「コスモス樽想」描睦 宮城県要員会2) (, 、226)
(会長石田東北大学球長)
「コスモス樽想」描睦 宮城県要員会2) (, 、226)
(会長石田東北大学球長)
h ー
│
専門要貝会蕊 聯
(日名) 委貝長下 河辺淳・純合研 開発轍趙理事卜
(財)東北開発研究センター (作紫婁託)
婁貝 伊藤普郎 掘潮 博 閂本友幸 西沢潤一 障鳳まり子 宮沢英智鯉
東京女子大学教授 学術憶判センター所長 東北大学鯉 東北大学教授
…
生活総合研究所客員研究日 社会開発栓合研究所長
(資料)東北インテリジェントコスモス推進協議会
で13件であり (「河北新報」 1993年6月16日)、
現在ICRの管理下に置かれているが、今後ど の地域でどのようにして開花(=企業化) して いくかが注目されるところである。 この研究所 に続いて、 1994年3月には、研究費28億円・研 究期間7年を費やした「アモルファス・電子デ バイス研究所」が、研究期間7年・研究費9億 円の「加工米育種研究所」が研究を終え閉鎖さ れる予定である。
ところで、今回われわれが訪れたある研究所 で、R&Dの位置づけに対する政府の姿勢に大 きな変化が湘きているという、興味深い話を聞 いた。それを紹介しておこう。前述のように、
R&Dの研究費のうち70%は政府系特別法人か らの出資(1986年度から開始した産業投資特別 会計からの出資)であるが、当初、出資に際し ての政府からの制約条件は皆無とL、えるもので あった。つまり、 「カネは出すが口は出さない」
・電子デバイス研究所」「高度通信システム研 究所」)が入っている。社長は、前東北大学学 長の石田名香雄氏である。それ以外の機関につ いては、いつ、どこに、どのような規模で設立
されるかは、今のところ不明である。
③についていうと、 これまでの経緯をみるか ぎり、 「産学官」の連携はかなり強化されて、、
る (図−2参照)。
④に関していうと、 ICRへの出資金は、当 社の設立以降、中央財界の増額により50億円を かなり上回り、 1993年7月現在67億3100万円に なっている。この構想に対する中央財界の関心 が高いことが窺われる。
また、 R&Dは、 これまで11社設立され(表
‑1参照)、そのうち研究期間6年・研究費20 億円を費やした「高速力学研究所」が1993年3 月で研究期間を終了し、 6月末に閉鎖された。
この期間中の出願パテントば国内で46件、外国
表‑1 R&Dの設立状況
(1993年9月現在)
所在地 玲研 齢]間ず資本金
研 究 所
小電力高速通信研究所
アモルファス・電子デバイス研究所 加工米育種研究所
冷水性高級魚養殖技術研究所 機能性ペプチド研究所 高速通信システム研究所 糖類工学研究所 植物防御システム研究所 創薬技術研究所 真菌類機能開発研究所 生体光情報研究所
仙 台 市
仙 台 市
仙 台 市
釜 石 市
山 形 市
仙 台 市
弘 前 市
新潟県西川町
福 島 市
秋田県西仙北町
上 山 市
1987年(6年)
1987年(7年)
1987年(7年)
1988年(7年)
1989年(7年)
1989年(7年)
1990年(7年)
1992年(7年)
1992年(7年)
1993年(7年)
1993年(6年)
約20億円 約23億円 約8.6億円 約10億円 約8.4臆円 約31.6億円 約10億円 約10億円 約24憶円 約11億円 約34.5億円 (資料) 「ICR期報』 l〜3号より。
というのが政府の基本姿勢であり、研究成果の 還元も求めなかった。事実、生物系特定産業技 術研究推進機構が発行した『21世紀を拓く生物 系産業技術』の中でも、 「研究開発の成果は、
その法人等に帰属します。その成果の公表の義 務は負いません」とされている。ところが、近 年になって、 このような政府の姿勢が変化し、
出資金を回収する方針を打ち出し始めたという のである。
このような政府の姿勢変化については、 『日 経バイオテク』 (1992年2月17日)でも次のよ うに報じられている。 「86年度にこの制度がス タートした当時は産業投資特別会計にも余裕が あった。事業に参加した民間企業などにも当時 の農水省担当者は企業に対して『当機構から出 資する7割分は補助金と考えてL,ただいて結構 だ』と説明していた。 ところが、その後の金利 引き下げやバブル崩壊など産投をぬぐる環境は 一変してしまった。補助事業としての姿勢を通 したかった農水省だが、 『投資というからには 回収するのは当り前』とする大蔵省に押し切ら れてしまった。この結果方針転換を余畿なくさ れた生研機構は、今になって同機構が出資した
分を返却するよう参加企業に打診しはじめ、企 業側をあわてさせている。来年度以降終了する 法人のなかには、 「研究成果のレベルは確かに 高いが、すぐ‑実用化しろというのば無理』とい う企業が少なくない。そうした法人の処遇、 さ らには投資資金の回収をめく.って、機構と参加 企業との間で水面下での交渉が始まっている」
と (14ページ)。
もしこの通りであれば、長期的なスタンスで、
世界のトップ・レベルの産業技術を開発し波及 させていこうとするこの構想の戦略は、修正を 余儀無くされること必至であろう。いずれにせ よ、非常に大きな問題が生じているのである。
Ⅱ. この構想が浮上した背景
1 .遠退く「10%経済」
さて次に、 このような構想が東北地方でなぜ 1980年代後半に急浮上してきたのかという点に ついて検討して象たい。
この構想が初めて我為の前に登場したのは 1987年1月上旬であった。その後、東北の経済 界・自治体・国立大学の指導層が結束して四全
総への盛り込みを目指した結果、名称それ自体 は使われなかったものの、 「仙台については、
・ ・ ・‑東北内の各地域との連携を強化しつつ国際 的な学術研究の交流機能や業務機能の充実を図 り、東北全体の国際化、情報化の促進を捉す」
という一文が四全総(同年6月30日閣議決定)
に登場し、 この構想の実質的採用となったので ある。政府によって調査費も計上された。
ではなぜ、彼らは四全総への盛り込象=ナシ ョナル・プロジェクト化を目指したのか。それ は、端的にいえば、このプロジェクトを遇して、
国の財政資金(公共投資)の東北地方への重点 配分を期待したからにほかならない。いうまで
もなく、資金基盤の脆弱な東北地方に溌L,ては、
公共投資の果す役割は極めて大きく、 これまで も、経済基盤の構築に際してこれに大きく依存 してきた。 とくに1970年代の「地方の時代」に は、財政トランスファー効果が他地域と比して 有利に作用し、 またそれに誘因されるかたちで
(高速交通網の整備・延長などによって)ハイ テク産業をはじめとする工場の立地も相次ぎ、
東北経済は他地域に比し相対的に大きな成長を 遂げた(図−3、及び図−4参照)。
しかし、 1970年代末から開始された財政再建 のあおりを受け、東北地方への公共投資の配分 比率は減少傾向を辿り、その過程で1970年代に 図−3地域別行政投資シェア(対全国)
(%)
30
20
東北 榊一雲蕊
10~
北海道
北陸
0 I
1965 70 75 80 84
(年度)
(注) 東北地方には新渇県を含む。
出典経済企画庁調査局縄「昭和62年地域経済レポートー円高を乗り越え新 たな発展をめざす地域経済』 1987年, 140ページ。
図−4 1人当たり県民分配所得の推移
(全国平均=100) 130
120 一 一一 関ノザ 東
+ ‐・−−.− 、−
I 、.、
近畿 、
一一一一一
110 、
、
、
、
、
〆、、東海・北陸 、一一 一一一一一
J −− … ‐ ‑‐
〆 L、
/ 、
昌 ず一 雪 =
、〆 、 ‐̲−− ‐‑ =
。 .。 ‐………三二二二一
、
kL=一‑し=〆一〜ここ息孟
100
90
一〆筌・一.動二‑二−二‑‑言一一‑−−‐
〜
、〆
〜
〆
〜
〆
80
70 東北
I 1
84年
1955 60 65 70 75
(注) l 東北地方は新潟を含む。関東の30年は, 数値不明◇
2 .原資料は,経済企画庁「県民所得統計』, r県民経済計算年報』。
(宙料) 『北海道東北開発公琿三十年史』330ページ。
80
は縮小傾向にあった全国との所得格差も再拡大 しばじめた(図−4参照)。
その中で、 1980年代半ばからの産業構造転換 政策の展開である。これによって、工場の海外 移転に拍車がかかり、 とくに加工組立産業部門 において、工場の閉鎖・縮少・撤退が相次いだ。
新規の工場立地件数も大幅に落ち込んだ。また、
長きにわたって東北経済を支えてきた一連の産 業も大きな打撃を蒙り、素材産業についていえ ば、釜石に妬ける新日鉄の高炉休止、東北一円 における鉱山一掃とL,う事態となった。 このよ うな例は枚挙にいとまがないが、要するに、東 北経済を成立させている基盤そのものが大きく
動揺・不安定化する状況となったのである(こ のときの状況については、拙稿「円高不況・産業 構造転換と地域経済・雇用」〔農林統計協会「農 林統計調査』 1987年8月号〕を参照されたい)。
ところで、東北経済連合会は、かつてから国 土の約18%を占める東北地方に、経済のあらゆ る指標が対全国シェアで10%を占める「10%経 済」をつくることを一大目標に掲げてきた。
1986年に策定した『新東北開発の基本構想』に おいても「1割突破の経済」を達成するために、
「工業生産額の対全国シェア1O%突破」、 「先端 技術産業分野での立地件数を30%確保」、 「農林 水産額の対全国シェア20%以上を維持」といつ
表−2東北経済諸分野の対全国シェアの推移
(胃%)
県 内 総生産
農 業 粗生産額
工 業 出荷額
商店年間 叛売額
百貨店 売上高
新設住宅 若工戸数
民間設備 投資額
公共工事 茜工数
預貯金 残 高 年 総人口
0 6 7 8 9 0 3 7 7 7 7 7 8 8
91
10.9 10.4
20. 1 22.2
19.4 21.2 21 .2 21 .3 21.8 21,3
10.4 13.9 14.8 15.3 16.2 12.3 15.2 13‑9 13. 4 13 9 10.3 9.2
9.4 9.4 9. 1 8.9 8 7 8.0 7.9 4 5 7.0 7.3
5.6 5.6 5.6 5.8 7. 1 7.4 8.0 7.4 4.5 4.0 6.4 8
8 8 3 9 9 0 2
士叶■q由■■■
8 8 8 8 8 8 7 8
6 6 6 7 7 7 6 8 0 0 2
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8 9 9 9 8 8 7 6 4 2 0
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6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 10.4
10.4 10,3 10.3 10,3 10.3
10.3
10. 1 10. 1 10, 1 84 85 86 87 88
8. 1 8.2 8,2 (注) 東北iよ新潟を含む
(資料) 東北経済速合会「東北の概要」各年版より作成。
た目標が掲げられている。 しかし、 1980年代を 振り返ってみると、表一2のように、いくつか の経済指標を録ても、第1次産業を除く殆どの 分野で、対全国シェアは低下傾向、あるいは伸 び悩みといった様相を呈し、そうした目標に到 達することがそう簡単でばない状況となってい た。
このような状況を打開しようと、東北経済界 の指導層は、ちょうど1980年代半ばに四全総が 策定過程であったことから、それに関連させて、
東北経済の地盤沈下打開のために国家財政の東 北への重点配分を求め、それに相応しいプロジ ェクトを模索したのである。 この動きは、四全 総の中間報告(1986年12月)が、中曽根首相の 一声で東京一局集中を是認・地方軽視の方針を 打ちだしたことから、一層強ま‑>た・ こうして
「東北インテリジェント ・コスモス構想」の誕 生となったわけである。この経緯について、石
田名香雄氏ば次のように述べている。
「昭和61年(1986年) 12月に四全総の中間 報告が出されたが、それを見て驚いたことは、
どこを探しても東北という文字が見つからな かったことである。その頃私達は、四全総で は、東北がかなりのウエイトで取り上げられ ると聞いていたので、 これでは大変だと危機 感を覚え、関係方面への運動を展開した。 コ スモス構想はその過程で生まれてきたプラン であ為が、出発点において東北をどうにかし なければいかんという使命感、敢えて言わせ て貰えば、やむにやまれぬ大和魂が根底にあ って、おのずと動き出したということである」
(東北開発研究センター『東北開発研究』
1989年8月号)。
ナショナル・プロジェクト化にあたって、研 究開発機能が中央へのセールスポイントにされ たのは、創造的技術開発で国際社会へ大きな貢 献をしていこうと1980年代初頭に打ち出された
「技術立国」路線の展開過程で、それに大きな 貢献をする可能性を秘めた、東北大学というか なり大きL、国際的蔵評価のある研究機関が存在 すること、 また南東北などで関東内陸に次いで 多いハイテク産業の立地がなされ「産業の高度
化」が一定程度進んでいることがあったからで あると思われる。
のなか産業が低迷して企業進出も思うにまかせ ない現状を踏まえて、新しい産業を振興」する 必要性などから、 「東北7県の産官学の協力に よる国際的頭脳センター構想を提唱する」とし ている。これは東北の政財界があげているのと ばぼ同じ理由である。
彼らのこの間の積極的な活動はこうした理由 からだけでは説明できそうにない。何か別の事 情があるはずである。それは大学の研究費に関 することではないだろうか。
わが国の研究費の動向を一瞥して象ると、民 間会社、各種研究機関、大学の三つをあわせる と、総額では、 1977年から1987年の1O年間に、
3兆6千万円から9兆8千憶円まで増えている が、各機関の全体に占めるシェアでは、同期間 に民間会社が、 57.8%から66.0%までシェアを 拡大しているのに対し、大学は27.7%から19,9
%までシェアを縮小させている (表−3)。 日 本の研究開発能力や技術力は海外から高い評価 を受けているといわれるが、 これは民間会社の 2. 「"学 主導」の意味
ところで、 この構想の策定・推進過程で、マ スコミからしばしば「"学 主導」と報道され たように、東北大学長をはじめとする国立大学 の指導層が表舞台で目立った動きをした。特定 政党との関係でも、 これまでのワクを大きく抜 け出たことが指摘された。例えば、 1987年3月 頃には、 自民党の国会議員だけで構成する「東 北インテリジェント ・コスモス構想推進議員懇 談会」の設立総会に出席したり、またこの構想 を四全総に盛り込むために自民党の国会議員に 陳情しにいったりした。彼らが、あえていえば、
なりふりかまわぬ行動に出たのば雄ぜであろう か。 1987年2月10日に設立された「東北インテ リジェント ・コスモス大学連合協力機構」の設 立趣意醤でば、その理由の一つとして「中央か らの財政的援助が先細り傾向にあり、円高不況
表−3 研究主体別研究費の推移
区 分 総 額会社等研究機関大学等
1977年度 36.513 21,095 5,295 10, 123
実 82 83 84 85 86 87
65,287 71,808 78,939 88,903 91,929 98.366
40,390 45,601 51,366 59,399 61,202 64,943
9,493 9,710 10,331 11,606 12,402 13,845
15,404 16,496 17,242 17,898 18,326 19,579
額︵億円︶
1977年度 100.0 57.8 145 27.7 構
成 比
︵
%
︶ 82 83 84 85 86 87
100.0 100.0 100.0 100.0 10().0 1OO-O
61.9 63.5 65. 1 66‘8 66.6 66、0
l4.5 13.5 13. 1 13. 1 13、5 14. 1
23 6 23、0 21.8 20. 1 19,9 19.9 (資料)総務庁統計局「科学技術研究調査報告」 (1988年)
こういう年々増額する研究費に支えられての実 績に対する評価といってもいいだろう。今日で は売上高の10%を研究開発費に注ぎ込む巨大エ
レクトロニクス企業が軒並み出現している。
大学の研究費ば、実額でば、同期間に若干増 となっている。 しかし、 「技術立国」路線の中 で21世紀に向けての主要投資部門の開拓という 要請に積極的に応えていこうとすれば、大学は、
研究部門としては、主として膨大な経費を必要 とする「基礎研究部門」を担当してL、るだけに
(図−5を糸るように、 1986年度では全研究費 の55%)、 この程度の研究費の伸び率で足りる ばずがない。 しかも、国際化の推進ということ で、 「一方で、 アジアを中心として留学生の積 極的な受け入れ体制がとられるため、工学系や 理学系の研究室ば機材や空間も不足するという 状況を呈しはじめているのだ。先端的な研究の 中心に大学が位置することは考えられない、 と いう声が大学の内部から起き始めている」 (田 中直毅「世界に貢献するための前提条件」、 『朝 日ジャーナル』 1989年9月8日号、 57ページ)。
大学の研究条件は実質的に悪化しているといっ てもいいのである。
因みに、こうした状況打開のために、大学は、
いわゆる産学共同を強化せざるをえなくなって いる。つまり、国立の大学が民間企業から資金 や研究者を受け入れて行う共同研究を推進せざ るをえなくなっている。 1980年代にはいってか らこうしたやり方が急速に進み、例えば、大学 の受託研究予算は1980年と1989年を比較してみ ると、 21億円から63億円へと3倍に増加してい るし、受託件数は1983年の56件から1989年の 480件へと急増している (図‑6)。 この共同研 究分野ば、件数別にみると、セラミ ック関係の 材料開発、電子顕微鏡関係の機器開発、バイオ テクノロジー、 ソフトウエアなどの順になって いる。
東北地方の国立大学の指導層が東北インテリ ジェント ・コスモス構想の推進、ナショナルプ ロジェクト化に積極的だった理由は以上のよう な状況からよく理解できるわけである。要する に、 この構想を籏印にして、多元的導入による
図−5 性格別研究費の構成比(自然科学部門の自然科学研究費)
基礎 応用 開発
11
I
’
111
1982
年度 14.1 25.9 60.1
/ I /
86 13.3 24.4 62.3
I
4.
87 14.0 24.3 61.7
'661 21 7 1
、〜−
5.8 1 26 0
−=====二二二
54.2
' 8 4 1
会社等 71.7
研究機関 58.2
大学等 37.4
力
(資料) 総務庁銃計局「科学技術研究調査報告宙」 (1988年)
ております。 しかしながら大学財政の貧窮 というのはものすごいスピードで進んで無 り、高等教育関係の文教予算が硬直化して いる。 この中でやはり国立大学としては、
何とか文部省以外の予算にねらいをつける 以外ない。通産省・郵政省等々、そういっ たところから金を出させる、研究費を出さ せる、 といった方法をあ象ださなきゃいか ん、むろん企業からでもいいと。産学共同、
あるいは産学官共同ということになるので すが、 とにかく科学技術発展のために投入 する研究費が足りない、あるいはないとい った方がいいかも知れませんけれども、そ ういう事態の中で行政改革を打ち破るだけ の政治勢力がない、 この時点で、われわれ は、資金の多元的導入を考えざるをえなか ったという面がございます」 (山田瞬「東 北インテリジェント ・コスモス構想とは」、
『日本科学者会議第12回東北地方区シンポ ジウム報告集』、 1989年、 100‑101ページ)。
このことに関してこれ以上言及する必要はも はやなかろう。だが、大学のこの構想への関与 がこのような動機であるということは、誤解を 恐れずいえば、開発された産業技術の東北企業 への移転によって東北経済のレベル・アップを 図ろうとするこの構想の大目標には関心が薄L,
ということを意味してはいないだろうか。 「産 官」の思惑とは大きな隔たりがあるように思え
てならない。
図−6産学共同研究の進行状況
①急増する企業と大学との共同研究予算
( )は件数(1悪、鱒年度は予算ベースの#錨)
配⑯
~
33.70 (480件)
20
10
↑
年度 1蝿3 84 85 齢 87 88 89
②受託研究予算の推移
単位:百万円
蠅 一
… i唾
郵蝿諏軸
39コ1
−
2488重型
「
︾|
碑一
曲 一 2 F 3
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1噸
年圃 19釦81 睡田 84 85 蝿 B7 B8 B9
③大学と企業との鉗百鰯究の分野:I研究蝿激・審洽
ど
係)
研究費増額を目ざしたのである。
1989年7月に日本科学者会議東北地方区の大 会が山形市で開かれたが、そこで、東北インテ リジ霊ンI、 . コスモス大学連合協力機構の有力 メンバーの一人であった福島大学長の山田瞬氏 ば、 この構想推進に関与した理由につL、て次の
ように述べている。
「もうひとつは、臨教審と国立大学との関 係でございます。 とにかく、国立大学を守 る >という点で国大教は一致したわけで、
その線は守ることができたという風に思っ
Ⅲ、技術移転の可能性に関する問題
地元の「産官」が最も期待しているのば、上 述のように、 R&Dで開発された世界のトップ
・レベルの産業技術が東北企業において実用化
・製品化され、やがて東北経済の浮揚と結び付
いていくことである。 この通りになるのであれ ば問題はない。
まず、実際に進行している状況からこの問題 を考えてみよう。
上述したように、研究開発を実際に行うR&
Dの統括機関はICRであるが、 これの設立時 の出資構成比をみると、中央の大企業が50億円 のうちの29億円であり過半数を占めている。 ま た、R&Dば政府の特殊法人から7割、民間企 業から3割を資本調達することになっている。
この3割にあたる部分の出資状況を現在までに 設立されているR&Dについてぷると、例えば、
図−7を盈るように、 アモルファス・電子デバ イス研究所の場合には、三菱重工業㈱がトップ、
それから次に東北電力㈱・ …。、 というように続 いていくのであるが、 この表の26社のなかで純 然たる東北の企業と黙なされるのは、ずっと下 位のほうにいる東北金属工業鵠とか、東北特殊 鋼㈱とか、ほんの数社にすぎない。大半が中央 企業である (東北電力㈱についてL、えば、 1951 年の電力再編成でたまたま東北地方を管轄する ことになったのであるから、東北地方内部から 成長してきた企業とは異質であるように思われ る。) また、同図を桑るように、小電力高速遇 信研究所の場合には、地元企業の資本参加はも っと少ない。残りの研究所も、 これらと似たり 寄ったりである。
ICRとR&Dのこのような出資比率をみて 危倶されるのは、 もしR&Dで新技術の開発に 成功した場合でも、そのパテントが出資比率の 大きな中央の企業に帰属してしまうのではない か、そして実用化もそれらの手でなされるので はないか、 ということである。出資比率が大き いということはそれだけ優先的利用権が大きい ということを意味するから、 こうした危倶が現 実になる可能性はかなり高いといえよう。
次に、研究員の派遣状況を象て染よう。図一 7をみ、るように、アモルファス・電子デバイス 研究所の場合にば、純然たる地元企業から派遣 されている研究員は皆無という状況である。 ま た同図をみるように、小電力高速通信研究所も、
その他の研究所も同じような状況である。 この ような状況で、果して地元企業への技術移転が 可能と考えられるであろうか。
因染に、研究員を派遣している中央の企業に とっては、 もしここで新技術の開発に成功しな くても、大学で行われている基礎研究の水準を 知り、その内容を企業に持ち帰ることが可能で あるから、かなりの見返りがえられるわけであ る。
では、東北の企業は、 このような産業技術開 発構想にどのように対応しようとしているのだ ろうか。
東北開発研究センターが1989年8月に東北の 大企業・中堅企業358社を対象に行った「地域 技術の振興に関する調査」を参考にしてみると
(回答198社)、図‑8をみるように、 「研究開 発上の問題点」として、 「研究・技術者が不足
・確保難である」が87.2%(複数回答) と最も 多く、次いで「自社内の研究開発が未整備であ る」58.7%の順になっている。 してゑると、や はり産業技術の必要性を強く感じていること、
しかしながら同時に自社独自でそれを行うこと には限界があると感じているようである。では、
それを克服する有力な方法としての産学官共同 研究に対しては、どのように感じてい為のだろ うか。これについてば、図−9を黙るように、
現状では参加は無理という回答(「積極的に将 来すすめたい」46.4%、 「現在の当社の力では 無理」が合せて14.3%、 「自社独自に研究開発 を進める」が10.3%)が大勢を占めている。 こ の理由は、表−4を象るように、研究の水準や
図‑7 R&Dへの民間企業の出資状況、及び研究員の派遣状況(2研究所のケース)
R&D
│ {r,
鰊)アモルファス・電子デバイス研究所
研究期間 7年(1987年度 l鰐3年度)
| ,罰
㈱小電力高速通信研究所 6年(1987年度〜1"2年度)
⑪ 研究期間
設立時における共同出資法人、出資額及び出資比率 法人名三錐盟工業株式会社ほか26社
設立時における共同出資法人、出資額及び出資比率 予定法人名東北電力株式会社ほか24汁 法 人 名 出宙囲(百万円) 出資比率(%) 予定法人名 出賓額(万円) 出膏比率(%)
三襲画工業㈱
束北踊力㈱
新日本製鉄㈱
㈱日珈製作所 富 士 通 ㈱ 富士耐機㈱
川崎製鉄㈱
住友金属工業㈱
住友而気工業㈱
東京電力㈱
㈱ 東 芝
日 本鋼管㈱
日 本電気㈱
日 立金属㈱
古河電気工業㈱
三艶電機㈱
㈱ 明 冠 舎 アルゾメ電気㈱
関西電ノJ鯛 セイコー電子工業㈱
ユ ニ チ 力㈱
通研面気工業㈱
東北金属工業㈱
東北電子産業㈱
東北特殊鋼㈱
東北リ コー㈱
松下電器産業㈱
1 .85 1 .75 1 .65 1 .65 1 .65 1 .65 1 .45 1 .45 1 .45 1 .45 1 .45 1 .45 1.45 1 .45 1 .45 1 .45 1 .45 1 . 10 1 . lO llO 1 . 10 0.45 0.45 0.45 0.45 0.45 0.45
1.7 1.6 15 1.5 1.5 1 .5 1.3 1.3 1 .3 1 .3 1 .3 1 ,3 1 .3 1 .3 1 .3 1.3 1 .3 1.0 ] ,0 1 −0 1 .0 04 0.4 0.4 0.4 0,4 0.4
東 北 価 ブ』 ㈱ 日本電信電話㈱
住友電機工業㈱
㈱ 東 芝
日 本 危 気 ㈱ 古河電気工業㈱
㈱ 日 立製作所
三菱重工業㈱
東 京 電 ノノ ㈱ ア ン リ シ ㈱ 沖電気工業鶴 関 西 電 力 掬
三 洋 電 機蝿
シ 十 一 ゾ ㈱
セイゴー電子工業㈱
東洋通信機㈱
三 菱 晒 機㈱
輔 リ ゴ
鞠小松製作所 東北金属工業梯
富 士 通 ㈱
松下電器産業㈱
松 下 電 工 ㈱ 通研電気工業鰐 東北電子産業㈱
220 140 135 135 135 135 130 130 130 60 60 60 60 60 60 60 60 60 30 30 30 30 30 10 10
3.39 2. 16 2,08 2 08 2.08 2.08 2.00 2.00 2,00 0.92 0.92 0.92 0.92 0.92 0.92 0.92 0.92 0.92 0.46 0.46 0.46 0.46 0.46 0. 16 0. 16 出賓合計額 33.25 30.0 出資合計額 2,000万円 30,77
研究員派遺状況 新日鉄 1ll崎製鉄
鋤電気磁気材料研究所 3
日立金属
基Lニチカ
日本鋼管
セイコー電子工業抑 三襲踊機
三笠璽工 宮士通 東北電力
合計13(名)
研究員派遺状況
半導体研究所 3
三洋電機 l
古河電気工業 1 小松製作所
東北電力 l
NTT 通研電気工莱 セイコー電子工業 l
リ コー
合計1l(名)
(資料)東北インテリジェント ・コスモス構想推進協謡会提供漬料により作成。
表−4産学官共同研究の障害(複数回答)
社 学官との出会いの場が少ないため共
同研究を行う機会に恵まれない 短期間では成果が出にくく長期的と
なり企業ニーズとかみあわない 65(40.1) 39(24. 1)
地元大学の憎報が得難くどこに持っ て行けば良いかわからない 成果が目て見える形で得たいが、そ
の為の研究テーマの設定が難しい 48(29.6) 36(22.2)
成果物に対する帰属等利害関係の調 整が非常に難しL,
産学官が取り組みたL,研究分野が異
なり、良いテーマが得られない 46(28.4) 13 (8.0)
研究費や技術者の出向とL、う面から 見て、負担が大きすぎる
当社のノウハウを出す方が多く、得 る物が少ないので積撞的にはしない
43(26.5) 9 (5.6)
自社に大学の研究室と対応できる研
究者がいない 41(25.3) その他 5 (3. 1)
自社の研究テー‑才に合った研究者が
地元大学にいない 40(24.7)
(資料)東北開発研究センター『東北開発研究」 1989年8月号。
図−8研究開発上の問題点(3つ以内回答) 図−9産学官共同研究について
1% 鋤
帥 加 釦 釦 釦
釦
㈹ 0 く
1 0 10 釦 40 馳帥 7。 釦榊 1 (%)
│,職|
,,社|
[11.1%)
ロ
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鰯,│熱
/ 1
│ 、患, |
、 /
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1巽社 (87‑2%〕
蝋! 〔錨, ;蝋, |,職|
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", │"! i 《熟! 側
、、 −−−−
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1,鰯,│熱》
12社 13牡
(輻3%) (胡2%)
一一/ 1
磯, |錨, | 熟, | 、患, |
I −−− 、/
腫鴎! i 《鵬! │ #」駒│ │
L21i (7
I社Ⅱ1915
i全 社
j地慨
I5
1C5社 (閉7別!)
−
金且釦工型
73杜 (ぬ、8田)
−
1
甜碓
51
基理資亜型 甜社
(:理.4%〉
−
記社 (煙4%)
−
杜
(18.4%)
、
1
1社 地方賢型型 偲6%)
3社 [107%)
$%)
雄貨型
号
月
8不十分である
年
研 究 開 尭 珂 境 が 9
8
9
1
情 報 が 入 手 砥 で あ る 矧 必 固 唾 技 術 皇 一
︐ ズ 研
発
開
活 か せ な い 汁
﹄
研究開発の成果が
東
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体 型 が 未 昼
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外部襲閤との漣カ
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研 究 蝿 尭 に 対 す る 墜
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目社内の研究開発
発
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る
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可 不足■保睡で東研究技術者が
j
料
資
1
口積極的に現在行っている 口圃極酌に将来逆めたL,
口現在の自社の力では屋理 口自社社目に研究閲発を週める
□その他
(資料) 同上
内容が自社のニーズと噛み合わないことや、研 究成果が得られるまでかなりの時間が必要とさ れることなどがあげられている。
もとより、 ここでアンケートに回答した198 社は、東北の製造企業3万8千社の最上層に位 置すると思われるから、 これら以外の圧倒的な 中小・零細企業では、 もっとも大きな困難を感
じているものと思われる。
このように、高度な新産業技術を東北の企業 に移転することによって企業体質を革新し、や
がては東北地方の経済水蝿の飛躍的向上を図る という戦略の現状は、決して明るいものではな い。そこには簡単に埋めることのできないギャ
ップが存在しているとし、えよう。
Ⅳ、地元負担増大の恐れ
東北地方としては、 もう一つの大きな不安が ある。東北経済への見返りの保障が明確でない まま、ずるずると地元負担が増大していくので
はないかという不安である。
この構想は、 これまでみ、てきたことからも明 らかなように、中央の大企業が長期的・継続的 に資金を提供しつづけるということを前提にし てたてられている。すでに設立されたICRの ように、過半数にも及ぶ資本部分を中央企業に 依存しながら、 これに地元の「産学官」も加わ るというやり方で資金調達を行っていこうとし ている。 しかし、いうまでもなく、中央の大企 業が、 この構想で予定されている数々のプロジ ェクトに対して大きな関心を持ち続け、今後も 資金を提供し続けるという保障はまったくない のである。
実際に研究開発を行うR&Dの場合を例にと って象よう。 この会社は、期限付きの設立であ り、例えば、アモルファス・電子デバイス研究 所のケースでは、 1987年度から1993年度までの 7年間である。一つのテーマが終了すれば、た とえ新技術の開発に成功してもしなくとも、 こ の研究所は閉鎖されることになるわけである。
しかし、この構想では、 30年という計画期間中 にR&Dは新技術を創造しつづけることになっ ているから、次々に新テーマが発掘され、新た なR&Dが設立されることになるだろう。
しかし、その場合、そうした新テーマに、前 と同じく、国の特殊法人や中央の大企業が資金 提供をするかどうかはわからない。それらが新 テーマに関心を示さない場合もありえよう。そ うした事態が実際に起こり、資金提供がストッ プした場合にはどうなるのか。地元サイドとし ては、そうした事態を黙認するというわけには いかず、研究継続のための資金を、 自治体が負 担したりする措置をとらざるをえないかもしれ ない。
実際、 この構想が「第二ステージ」に入った 1993年度から、宮城県はICRに対する出資を
1億5千万円増額した。
V.東北地方における地域間アンバラン スを助長するこの構想
1 . 「仙台広域経済圏」構想と連動する「東 北インテリジェント ・コスモス構想」
この構想を今日の国土政策と関連づけて位置 づけてみることにしよう。
周知のように、 1987年6月に閣議決定された 四全総は、東京に過度に集中した諸機能を地方 に分散する「多極分散型国土の形成」を基本目 標としている。そうした諸機能の重点的な分散 先は地方中枢都市や地方中核都市とされてお り、そのため、 これらの都市においてば、従来 の都市機能を、国際交流、研究開発、業務機能 の高度化の視点から再編するプロジェクトが打 ち出されている。また、分散先との連携が密に できるように、高速交通体系、高度情報・溺信 体系の全国的ネットワーク化を促進するプロジ
ェクトが重点的事業とされている。
そうした方針の東北地方での具体化が1989年 3月に発表された『東北開発促進計画』でなさ れている。これをふて、まず驚くことは、図‑10 をぷるように、 「仙台広域都市圏」の範囲が北 は石巻周辺、西は山形県の西川町のあたりまで、
南は福島県の福島市周辺まで広がり、全体とし て1万kiとされていることである。この範囲は、
恐らく合併して政令指定都市になった仙台市の 影響を第一次的に及ぼす範囲として設定されて いると思われる。東北地方の中での仙台の位置 付けがかってなく大きくなっている。また、地 方中核都市との連携を強化するために、高速交
通ルートや高度情報通信手段の整備が強調され
ている。地方中枢都市としての仙台の集積の効 果の影響力を、 まず地方中核都市へ、次にはさ
らに小さい都市へと広げ、最終的には東北7県 全体に広げてL、こうとしているように思われ る。 これば、東京都から、 60h1, 300kmと外延 的に経済圏を拡張していこうとする展都構想
(図‑11参照) とよく似た発想である。 ともあ
れ、 このような都市改造戦略を基本に捉えた開 発計画の推進の結果、 1985年から2000年という 15年の計画期間において、東北7県の人口は、
1221万人から1310万人に、つまり90万人増加す ることになっている。
図一10仙台広域都市圏地図
nL。
田子町
騨喜
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涌巷町河史 石審市女川町町 尾花況市、小野小野 田F1大西村 大石田
大石田石田 町
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吋山串
吋山串 女麺T Cs
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軍梗市 多宮 七ケ蔀1
曙
車珂江市
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大江町大江町 天其市鴛
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豊燕
固王町ゾ
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噸訓
禽田耐h元町
画丘町 上山市市
白石市 七ケ福町
新地町 丸騨町 蝿I 蝿1 町
錠 j1町 扣日市
L桑折町
錨?
器
月蝉T ■函錘市 駈舘# 尿■T帝
/ 芯テ小酌小酌 川唖T
(資料) 『東北開発促進計画』
「東北インテリジェント ・コスモス構想」も、
研究開発機能を突出させているとはいえ、 「仙 台都市圏」をコアとし、新潟県を含む東北各県 に学術研究拠点(サテライト)をつくり、情報
・通信手段の整備によって相互の有機的連携を はかる、 というものであり、基本的には、四全 総に沿った『東北開発促進計画』の中に包摂さ れる性質のものといえる。
でも、図‑12をゑるように、 1960年から90年ま でをふりかえってみ、ると、底域圏別でば、人口 が大幅に伸びているのは「仙台都市圏」だけで ある。その他の地域は停滞ないし減少しており、
国による過疎指定自治体も、 71町村中24町村で 38%にも達している。このようなこの状況が今 後さらに進むことが予想される。
このことに関してよく考えて象なければなら なL,のは、 このような状況の中で、 「仙台都市 圏」だけが将来にわたって成長し続けることが 可能かということである。 というのは、 「仙台 都市圏」は、労働力などをはじめとしてその経 済基盤の少なくない部分をヒンターラソドに依 存しており、 したがって、 こうした地域の経済 力が限りなく弱体化していくならば、やがては
「仙台都市圏」自体の成長も頭打ちになる可能 性があるからである。このような点からも、上 2.小都市・豊山漁村部の一層の衰退と「仙
台都市圏」での環境変化
では、 このような開発戦略によって、どのよ うな事態の進行が予想されるだろうか。
一つは、 「仙台都市圏」に人口をはじめとす る経済力が集中することによっておこる東北各 地での、農山漁村部を含む小都市経済圏の経済
・生活基盤の不安定化の進行である。宮城県内
図−11東京300km鴎の構図
300km圏
○ 金沢
宮山 睦
⑰‐亜昌
新渇⑰‐亜昌
新渇 名銅Q由、0識、、、綴
⑤
0②
仙台
⑩
⑥
⑩
⑥
①
⑪ ②
謁蘆電
7放射ルート①〜⑦ 4環状ルート①〜⑲
(資料) 「大都市問題'ノーキング・グループ報告」 (1987年6月) より
図−12宮城県内地域別人口動向(広域鵠別)
(1960年=100)
190
180
170
160
150
140 130
120
110
100
90
80
70
仙台 179.6
宮城県 1290
石巻102.5 仙南 101.6 気仙沼・本吉 大崎93.5
199.1
〜竜弓 一一毛
へ
、 両一一一二五一写で‐官一二=●看
、
、 ‐−‐‐登米80.6
。、
百一一一一栗原71.1
'" '65 70 '75 │80 '85 '90 (年)
7広域圏の区分
仙台都市圏一仙台市、塩竃市、名取市、多賀妓市、
岩沼市、亘理郡、名取郡、官報郡、
煕川郡
仙南広域圏一白石市、角田市、刈田郡、柴田郡、
伊具郡
大崎広域圏一古ノI│市、加異郡、志田郡、玉造郡、
遠田郡 栗原広域圏一栗原郡 登米広域圏一登米郡
石巻広域圏一石巻市、桃生郡、牡鹿郡 気仙沼・本吉広唾圏一気仙沼市、本吉郡 (資料) 『国勢調査』各年版より作成
は、仙台市における地価の急上昇が顕著になり、
商業地で、前年度比、 1986年度12.4%(全国第 4位)、 1987年度11.7%(第14位)、 1988年度26.
6%(9位)、 1989年度18.8%(10位) となって いた(現在はバブル崩壊で下降気味でばあるが、
長期的にぶれば高値安定であるといえよう)。
そして、その結果、市内商業地(とくに都心 部)の人口が急激に減少している。図‑13は、
その一例として、都心部の小学校(東二番町小 学校)、過疎地域の小学校(鉱山不況により人 口が減少してきた細倉小学校)、旧仙台市の郊 外にある小学校(旧宮城町の大沢小学校)の児 述のような開発戦略の問題点が指摘できるよう
に思われる。
もう一つは、 「仙台都市圏」における、集中 に伴う環境変化である。
ここ1O年間を詮ても、中枢管理拠点化が強ま るにつれ、仙台市の都市環境は大きく変化して いる。政令指定都市への昇格、地下鉄開業とい った動きの中で、市街地には、高層のいわゆる インテルシェントヒル、マンション、ホテルが 次々に建設されている。また、首都圏からの住 宅需要の増加もあって、宅地開発の波が郊外に 及んでいる。そうした影響で、 1980年代後半に