「 −. ‐
171
一米価問題の展開
昭和三十年度を一転期とする米の迎年にわたる豊作とそれに符節を合わせるように累増する食粗哲理特別会計の赤
字という現実を前にして︑食粒とくに米の統制可否の問題が近要な農政問題として毎年論議されており︑ことに北陸
序 鰯三節生産手段 節二節経営耕地 第一節家族および労力 l現地調盃結果から 第二章時期別格差と腿業経営概造 支払状況 第五節米の売渡および時期別格差金の 第四節早場米生産地帯化 第三節米の生産費 I水稲単作地帯性の成立I 第二節石川県農業の経営綱造 第一節段民腫の分解と農村の地位 鯏一章石川県農業と水稲早場地帯構造 序
・一役家密
.二肥料と早場米
三農機具 時期別格差金制度にっ
目次
四農薬
蛎三軍水稲の経営節一節作付面蔽卵二節早朝米主義の砿立第三節早稲銘柄への単純化第四節反当収量の増加第五節早場米生産への工夫第六節出荷第四章農家経済と時期別格差︑一稲作収入二農業支出三段業所得四租税・公課・撫負担1万雑について
五家計費 結び
石井俊・之
、。
て
−
一
172
のような水稲単作地帯においては︑この統制の撤廃が農業経営・農家所得の上に大きな不利益をもたらすものとし
て︑県・農業団体・農民が一致してその存続を要求し続けている︒
知らるるごとく米価を含む米の統制は戦時における食轍の軍事的符理・碓保を目的としてはじめられたものである
が︑終戦後や極度の食職危磯をむかえてその統制は新たな意味をもって継続され︑その後いわゆる﹁戦後腿政の三
期﹂をへて今日に至っている︒
この峨後股政の三期の特徴について詳しくのべることはわれわれの差し当りの任務ではない︒しかし食符問題←股
産物価絡問題←時期別格差金の存廃問題が︑いずれもこの農政問題の飛要な一部であることは間違いないところであ
り︑本碕の目的である時期別格差の問題にこたえるためには︑その根源としての日本農政の展開についてふれること
︵毛B︶が必要と思われるので︑以下この三期の特徴換言すれば戦後農政変転の背景について要約しておこうと思う︒
戦後鰻政の第一期は終戦から二十四ないし二十五年の朝鮮勁乱までの食綴危機︑世愉不安の中にあって︑食轍増産
と強椛的食細統制︑ジープ供出を伴う米ょこせ迎助の活発化をみせた占航期典政の時代であり︑再生産磯をはるかに
下まわる供出価格をもって艇民からその労働の価値を収恋した時期であった︒︾︐一の期に行われた腱村民主化政策l股
地改革・腱業会の解体Ⅱ農業協同組合の誕生lは︑一つにはかかる危椴にある食轍事摘に対して典民の生産意欲を尚
めるとともに︑そのような収奪によって尖鋭化しつつあった農民Ⅱ生産者の不満を鈍化させ︑占領政策をスムーズに
逐行させもって日本資本主義再建のための経済的・思想的総じて政治的基盤をつくり出すことであった︒
農政の第二期は︑朝鮮動乱Ⅱ特需ブームによる日本資本主義の﹁復興﹂と世界的食糧過剰のすう勢︑その中にあっ
て諸外国とくにアメリカ独占資本が︑日本市場かく得のために︑制限的かつ表面的な農業保謹政箪を打出した時期で
ある︒MSA小麦に典中的にみられるアメリカの﹁恐慌輸入﹂I外側食猟の輸入が貴本家の取引上の政策に大きな影
︵④●︶響を及ぼしてきたので供出割当てをゆるめ米価にも加算金をつけるという形でIのために︑日本の腿業に対して︑きめ
「
173
の細かな保遡が加えられねばならなかったのである︒税制改正Ⅱ所得税等の租税負担の軽減・各溌補助金の散布・食
管制度による価桁政箪︵加算金︒時期別格差金制度も二十五年度にはじまっている︶の実施︑秋寒法の制定︵二十六年︶な
がどその例である︒この時期においてはまだ農業生産力も十分には高まっておらず︑作柄も不安定であり農業資本の蓄
積も不充分で﹁内地米の供給はなお不足の状態にあったため︑国としてはその集荷を確保︵とくに培境期において︶し
て配給の円滑化を期すること︑さらに米増産の諸施策を識じてその供給力を増大させることがひき続き主要な政策上
の課題であった︒しかもこの時期にはいわゆる﹃経済ベース﹄にしたがって買上価絡の引上げをはからざるを得ず︑
さらに米生産力の墹強をはかるため土地改良邪莱を中心とする財政資金の農村への散布を秋極化せざるをえなかつ
農政の第三期は昭和三十年以降からおおむね三十六年の農業基本法成立の段階までであり︑第二期の農業政策によ
って農村を一応支配するだけの﹁政治力﹂をもつことができた保守党政権が︑農政の基調を﹁経済的合理主義﹂﹁適地
適産﹂﹁もうかる農業︑そろばん農業﹂lこの考え方は︑もうからない農業は切りすてる︑つまり日本内地で生産するよ
りも外圃で生産した方が生産賀が安くつくならば︑それを輸入して日本農業はすててもよいという思想に通ずるIと
︑︑︑いわれるものに転換した時期である︒いいかえれば﹁経済的合理主義﹂という名で股業の合理的経視政策がとられたの
である︒この第三期の特徴は日本資本主義が帝国主義的Ⅱ国家独占資本主義的復活のためにあらゆる力を結集したこ
とであり︑このために農政は当然にその保護主義から本質的に後退しはじめたのである︒これを農林関係予算によっ
てみると︑膨張する国家財政規模の中にあって︑二十八年の一六・六%をピークとして三十年には九・五︑三十一年
八・四︑三十二年七・九︑三十三年七・七%となり三十四年には実に七・四%l国家予算総額一兆四千九百二億円中
︵□︒︶一千六十三値五千万円Iに低下したのである︒一方︑節二期において腿業保溌のために支払われた時期別格迷金も二
十八年の一四四・四偉円から三十年には九四・四憧円︑三十一年には五○・五億円と減少するに至った︒ ︵3︶た﹂のである︒
1刑
このような農政の修正Ⅱ後退の根拠は何であったか︒それは日本資本主義が神武景気とか﹁も早戦後ではなくなっ
た﹂ほどの戦後の復興段階を了えて︑新たな拡大・成長l国家独占資本主義Ⅱ帝剛主義的復活lとその活況を続ける
必要があったからであり﹁復興段階において好況から不況へと動揺を余儀なくされた日本経済が︑一応安定をみせる
︵・勺︶にともなって︑政治の部面においても保守合同に象徴される政局の相対的な安定がもたらされた﹂からであり︑つまり
独占資本主義的政治体制が﹁確立﹂したからであろう︒保護農政への批判が経済的合理主義者からやかましくいわれ
るようになり農村への財政資金の散布政策を修正せよとの要請が強められてきた︒それは一つには三十年以降の連続
豊作という事実︑二つには外貨の節約︑三つには﹁より多く輸出するためにより多くの食溌輸入を﹂という資本の要
謂︑四つには供給﹁過剰﹂によって増大した食箭会叶の赤字をうち止めそれを独占企業に融わそうとする財政政策お
よび第五には低価格政策にもとづくものであり︑その本質はいずれも資本のための農業政莱の﹁合理的﹂振換であり
資本のための農業の犠牲を﹁国民経済﹂の立場から強要するものであった︒挫業保護政策資金の一つとしての三十・
三十一年の時期別格差金の大幅な削減はこのような政治的経済的背競をもつものであった︒そしてまた保護のこのよ
うな後退に対する農民の不満を抑制するための﹁飴﹂が﹁新農村建設計画﹂や﹁新らしい村づくり通勤﹂や﹁農業団
体の再細成﹂でありこれによって艇村を保守党の政治的雅鍵として碓保しようとするものであった︒
三十年以降における米生産力水単の上昇これに加うるに食轍の世界的過剰化は内地米の儒給関係を緩和しただけで
なくむしろ供給は過剰気味となり政府手持米にはゆとりができ︑公定価格と間価格が接近しさらに輸入価格が国内価
格を大幅に下まわるという形で日本農業を圧迫するとともに︑集荷すればするほど食管会計の赤字が増大するという
矛盾した事態が生れたのである︒食管会計の合理化や農業の合理化︑生産コストの引下げ論餓が﹁国民経済﹂的立
場Ⅱ社会平原瞼的立場から強棚されるに至った︒腿業韮本法はこのような﹁国民軽済﹂Ⅱ寅本主溌的﹁平原﹂強の推
進が日本の小農制農業柳造との深い矛盾をひき起した結果生れたものであり︑いいかえれば資本の要求と農民の要求
I −訂一一一一
175
という対立物の統一Ⅱ妥協点において成立したものであった︒
︵6︶一方︑﹁早場米の出荷ならびに格差支払額の地域的不均衡が拡大﹂して行き時期別格差の受益の少い西日本と受益
の多い東日本との対立が激化して大きな政治問題となってきた︒三十・三十一年において大幅に整理され縮減の方向
をたどるかに見えた時期別格差金はここで再び拡大の方向に転じた︒︵節一表︶すなわち時期別格差の支払対象とな
る米の政府買入総量にしめる割合は二十九年の九一・八影から三十一年の三九・八%に激減したが三十二年度から再
び増加し三十六年度は六一・六%となった︒食管の赤字は三十五年度二八五億円︑三十六年度七三○億円に達しこれ
とともに格差金支払額は一二・一億円となった︒
第 一 表 時 期 別 格 差 金 の 支 払 状 況
臘謹米│全、
内
11
│総"。 支払額帖蓋金
百万円 6,082.0 3,046.9 11,4弱.3 1494弱.6 7,959.4 90447.1
溺妬幻鎚釦瓢鯉認拠鋸躯昭
千 ト ン
4,100.3 1,501 36.5
140913464010由白●C●口︒︒︒B擁刎岬蝿芯郵趣卿磁蠅郷
34334445566 900$3099019 1,373 36.1
3,245 76.9
①やゆ●■●●eひ秘刎加稲妬細怨卸遜
232122333 ︐39999919 88.3
91.8
45.3認銅娼訂印 ●●DDC︑ 801306 111 567012 09199$041041 妃鯛皿⑬ ●︑●ゆ︒● 026625
傭考:①「日本の農業」(12号)7〜8ページにより作成
②卵一期中,27,28,31の三年は時期区分がそ れぞれ10月6日,10月15日,10月3日となって いるので,第一期から除いた。
二時期別格差金の問題点
時期別格差金の問題は今や食符制の合理化とい
︵中0︶う兇地から論じられており︑食衝制の不合理と矛
盾が頂点に達した現在︑米価の一柵成部分となっ
た時期別格差金が注目の的となりその検討をせま
られるに至ったことは当然かもしれない︒
時期別格差金制度は﹁もともと端境期における
米の集荷を確保するとともに水稲単作地滞の農家
所得を保陣し︑ひいては米の増産をはかるという
三つのねらいをもって壁場した﹂ものとされる
が︑現在中央で農政担当者が問題としているのは
︵︽巳︶およそつぎの諸点である︒
1花
③時期別格差は米の出荷を一時的に集中きせ米穀検壷事業など買入事務を加重する︒
④この制度は単作地帯を保謹するというねらいをもっていたが︑現在では地域的アンバランスが大きすぎる︒ま
た階屈間の不均衡を大きくしているのではないか︒
⑤米の等級間格差にくらべ時期別格差が大きすぎるため乾燥などの不充分な品質劣悪米が多くなっている︒した
がって前者を拡大し後者を縮小して米質の向上をはかるほうが合理的である︒
このような問題視点が農業政策の上から︑また事実の上からみて果して正しいかどうか︑本論において詳細に検討
したいのであるが︑さし当り右のような観点について論評しておこう︒
日それが端境期対策であるか否かにかかわりなく︑北陸︵石川県︶の農家は政府の﹁奨励﹂にしたがって後述の
ような多くの困難をのりこえながら早場米の生産に努力してき︑今や股業の経営柵造Ⅱ営農形態は早場米生産を基軸
として運営され展開されつつある︒したがって︑いまこの時期別格差金を廃止することは早場米奨励金というえさを
もって農家を釣りあげ釣り上げた魚はこちらのものとばかりに農民をつき放すことであり早場米経営の櫛造的成立ま
での農民や指導者たちの努力・犠牲を認めない冷たい政治的措置といわなければならない・端境期における米の集荷
対策そのものとしての意義が全国的早場化の傾向の中で減殺されつつあることは認めるとしても︑格差金制度の他の
目的とくに単作地幣の農家の所得を保障しあわせて生産の近代化と米の墹産をはかるという目的はなお十分に逮せら
れていないことは後述の通りであり︑またこの奨励金が腿家の収入にとって相当大きな役割全ハないし十%︶を果して ②右の密原因となる︒ ①米の生産趾がふえ稲作の全般的早期化が進んで年末までにほとんど全部の米が出荷されるようになった現在︵戦前は六割程度︶端境期対策としての時期別絡差金支払の本来の意義はなくなってきた︒②右の事悩のもとでなお時期別格差をつけて米の早期供出を促進することは食管会計の赤字を増大させる有力な
I
177
いることも紀憧されなければならない︒
目﹁米の生産髄がふえ﹂たことしたがって供給通が増大したことを理由に奨励金の廃止Ⅱ米価の切下げをはかる
ことは︑こと農業に関しては問題であろう︒物価が需要と供給の関係によってきまるということは一般的な傾向とし
ては正しい︒しかしながらこのような価格理論は資本や労働や商品の自由な移動を条件とするものであり︑自由はま
た平等を前提としてはじめて真にその存在価値をもつものである︒現在の日本において資本主義と農業がその経済的
性格において異なるもの︑いわば次元の異なる︑非平等な構造Ⅱ範韓であることはここで詳述するまでもあるまい︒
したがって農産物価格︵米価︶問題をこのような資本主義的価格論一般の中で理解することは理論上一つの誤りをお
かすものといわなければならない︒価格論は価値論の上に立ってはじめて正鶴をえたものとなると思われる︒米価を
一般物価の脆落聯にあわせて決定しようとしたパリテー方式の本質的欠陥はここにあるのであり︑このことが農業の
再生産ならびに所得の保障と腿民の米穀増産意欲を刺激する上に大きな障害となったことは知らるる通りである︒
それは生産性の低いしたがって﹁価値﹂の高い農産物と︑生産性の高いしたがって価値の低い資本主義商品とを同
一の経済的範璃として処理しようとしたことでありその結果が農産物の低価格︵価値に対して︶を生み生産の意欲を減
︵9︶退させることとなったのである︒時期別格差金はこの﹁欠陥を補う役割を果し﹂たのである︒だが現在においてもなお
麗業と資本主義との次元的相異は解消していないばかりでなくむしろその格差は拡大しつつあるのであり︵第一回股
政審譲会報告書その他︶︑したがって農業保護の必要性は増しこそすれこれを減らすことは論外であろう︒ことに米を
もって唯一ともいえるほどの作目としている北陸Ⅱ石川県鹿業はその単作性のもつ弱点を何らかの形で補強されなけ
ればならないのであるが︑この場合格差金のもつ意誕は表日本に比しはるかに大きいのである︒
㈲時期別格差金が食管会計の赤字を噌大させる有力な原因となるということについて考えてみよう︒
高い価格で買上げて低い価格で販売するという食管会計がその結果として赤字を生み出すことは当然であり始めか
1沼
ら予定されているはずである︒食管制度はこれによって一つには農業I農民を保護するとともに他方において消費者
を保識するという二つの目的をもっており︑この赤字は一種の社会保障喪とも解されるものであり︑農民と消費者双方
のいわば共同蛍任でもあるのであり︑それを一方的に艇民だけの我めにしてしまうことは理くつに合わないことであ
る︒食笛制の問題は右の意味で財政的には縫済政莱の問題というよりむしろ社会政簸的性質の問題といえよう︒本質
的には社会政策的経費であるものを軽済政策的経費として取扱おうとするところにIというのは社会政策費は本来胸
与であり経済政策費は利潤を目的とするからであるlこの論者の混乱があると思われる︒とくに政府買入Ⅱ農家の取
得米価中︑格差金の比率は第二表の如く全国平均で二七六円Ⅱ二・六%︵三十五年度︶にすぎず︑格差金が全国第一位
である石川県でも三十五年七一五円Ⅱ六・六%︑三十六年七○八円Ⅱ六・二%にすざないのであって︑この額が﹁食
︑︑︑管会計の赤字を増大させる有力な原因﹂となっているとは考えられないのである︒︵全国支払は三十五年度二四億二千九百二十万円︑三十六年度三二億四千九百五十万円でこれは総支払額5517四︑五六二憶円の二・七%にすぎないのである︒︶しかもまたこの零細な絡差唖年唖蕊畑祁
金が後述のように腱家個々の零細にとっては相当重要な収入であるのであっ麺弱皿皿て︑ここに問題の深刻さと重大性があるのである︒50差l剛lllllIl釧叫l
格年煙妬函加
食種管理制度は本来日本資本主義自身の問題であり保守政権の温存のために睡弱q011設けられた二重価格制的な妥協の産物である︒それは資本主義の維持のため畔l釧創斗判割に︑つまり低い農産物価格l低賃銀制と資本主義のための国内市場の砿保とい取差差取恥取蛇う背反した要蛸の結節点Ⅱ生みの子であり盗本主義の矛盾の生産物であるとと表拐
一一
手時手時 期卿
もにそれにょって腿民と消費者大衆の対立を般小限にくいとめ︑そこに政椛の卵II全国石川安定をもとめようとする制度でありその意味でそれは前述のように一つの社会
179
政策的な性格をもつ財政制度なのである︒時期別格差金制度がもたらした倣少な政府の﹁損失﹂を大げさにとり上げ
ることは︑これがあたかも食管赤字の亜要要素であるかの如くいうことによって食管自体の廃止をもくろむことに通
じるものであり資本主義の矛盾が保守政権の政治的意図を食管制度の問題に熔小化しこれに責任を転嫁しようとする
ものとさえ考えられるのである︒食管の赤字を大きくしたものは格差金の存在というよりも現行米価の体系そのもの
であり格差金の比重は驚くほどの大きさではないのである︒食管赤字に驚くのあまり農民の収入l幸福と生産者とし
ての彼等のこれまでの労苦を忘れてはならないのである︒
掴時期別格差が米の出荷を時期的に集中して米穀買入班務を加亜していることは蛎実である︒だがこの問題は農
民の側の出荷組織と川荷Ⅱ検在制度の改革Ⅱ拡充・強化によって解決しうるはずである︒捌在部落たる羽咋市次場
︵すば︶では出荷日には部落災の統制のもと︑部落民が受検組合をつくり自主的に自己の出荷日や数批をきめ検在に
応じており農民逮は安心して検査官に協力しているのであって︑それによって検査はスムーズに行われ検査日が一時
に染中することも緩和され︑また検査上の間違いなど少しも起っていないのである︒
検査事務の問題は︑①出荷が一時に集中するために検査が粗雑・不正確となりはしないか︑②土曜の午後あるいは
日照祭日にも検査しなければならないため検査官の労働過亜が発生し労働組合などから批判されはしないかというこ
とであろう︒①の問題については調査したどの農家も﹁検査は厳重すぎるほど厳重で見ちがいや品目のちがいなど全
然ない﹂といっているし︑②についていえばもちろん組合の立場からは反対ではあるが︑このような時間外勤務や超
過勤務に対してはそれ相応の措世lたとえば検在官の増貝︑収納人夫の墹加︑超勤手当の十分な支給などIをとるこ
とによって解決しえられるのである︒つまりこれらの制庇が充実していないことが問題なのであって築荷時期が一度
に災中することが問髄の核心ではないのである︒
倒格差金が地域間及び階層間のアンバランスを作り上げるのではないかという問題について一言しておこう︒
−一
1鋤
一︑○八四円︵一五○欲当り︶で格差は七八七円にも達している︒しかしながら三十一年皮になると一七六円対七一○
円と格差は五三四円に収緬し三十六年度は二九三円対七○九円︑その絡差四一六円とさらにその禍を縮めている︒同
頁第二表を整理してみると第四表Iのようになり全国的にみても︑稲作の全国的早期化とともに格差の輻は縮小←均
衡化傾向を示しているのであって単作地帯の農業保護制度としての意味はこの限りにおいて漸次うすくさえなってい
階届的アンバランスもいわれるほど大きいとは考えられない︒たとえば二町歩と一町歩屑の差を︑反当生産量三・
五石︑石当り早場金を二九三円として試算すると二町歩の場合は二○︑五一○円︑一町歩はその半分の一○︑二
五○円でその差は一万円にすぎないし︑全国と石川県の石当り差四一六円としても百石で四万円そこそこしかちが
わないのであってこのことが階層間アンバランスといわれるほどの格差をつくり上げ重大な階厨間の対立︑不和を るのである︒
第三表I150kg当り平均時期別格差金
(円)
備考:「日本の艇業」10ページ
当り平均時期別格差金 第三表Ⅱ150kg
の変化
備考gr日本の股業J15ページ
地域間格差の存在は﹁
日本の農業﹂一○ページ
のいうごとく︑たしかに
明らかであり︑とくに﹁
石川県を先頭とする北陸
は群をぬいて高﹂くなっ
ている︒すなわち全国平
均と石川県をくらべてみ
ると︑三十年度は前者の
二九七円に対して後者は
昭30 31 36
均城形馬葉潟山川井山賀
平宮山群千新富石福岡佐 勁郵︲獅碗函獅螂師
1
,
埖酌麺豹麹怨麹加躯 491 翻鎚麺鯛恋翅認祁卸鯛弱
181
題︑ことにその一部分にすざない時期別椎差金制庇の改廃を言々することは︑本質問題を現象問題に︑盗本主抵的柵造
の問題を腿産物価絡問題に︑全部問題を部分問題にすりかえることとなるであろう︒賂差金制度が典民に早勘米をと
り入れさせたことが決定的に亜要な点ではなくて︑その結果として農業の基擬整備や機械化その他の技術改革が行わ
れ生産力が昂揚したという事実が重要なのである︒格差金を入手する以上に農業生産力が︑したがって農業総収入が
基本的に増大したことが肝心なのである︒眉間の格差は緒差金によってではなくて艇業﹁資本﹂装傭率や経営規模︑経
営饗︑耕地蕪雛︵耕地の形状︑位置︑水利などを含めての︶などの相異から生れるのである︒たとえば一石一万円として
反当三・五石の場合︑二町歩の経営では総収入七○万円︑一町歩では三十五万円であるからその差三十五万円となるわ︑︑︑︑けでこれこそが﹁燗的枯差﹂といわれるものであって椿差金による﹁脇差﹂はこの場合削記のように世かに一万円Ⅲ
後にすぎないのである.問題をこのようにその全体性・根本性においてとらえずに部分的に解決しようとすることは 生じるものとは思えないであろう︒アンバランスの問題は腿業と非腿業との生産性および所
︑︑得の格差︵先述の価値差︶
の問題がより決定的に重
大であり︑これを放潰な
いし軽視してl絡差縮小
のための根本政策をたて
ずにl食管制度や米価問
題︑ことにその一部分に
格 差 の 繍 小
第四表 I
腔墜
'30年度
泌mO46
格差金100円以下の県
〃 1 0 0 〜 2 0 0
5275711
″″″〃
200〜300 300〜500 500〜
第四表Ⅱ150kg当り時期別格差金
(36年度分)
グ ル ー ブ 県 名
山梨,
岡山, 大阪,奈良,
愛椴,柧岡,
宮 塊 鳥取,
50円以下 大分
岩手,群馬,畏野,香川,
佐賀,熊木 100円〃
福島,東京,神奈川,岐阜 静岡,愛知,京都,兵叩,
和歌山,島根,広島,長崎 200円〃
S0O円〃 青森,山形,埼玉,滋賀,
山口,宮崎,鹿児脇 北海通,秋田,栃木,三菰 500円〃 徳島
│薪'職翻,瀧山,
1,000円〃
本の農業」10ページにより作成。
伽考8「日
182
無意味であり︑ある意味では危険でもあろう︒さらに石当り経営斑をみると全側平均六︑五○○円に対して石川蝶は
七︑六○○円でこの差一︑一○○円は格差金四一六円をもってしては吸収しえないのである︒このようにして生熊饗
︵︶の方が格差金の方よりもはるかに大きな階層差や地城差をつけるのである︒
㈹等級間格差よりも時期別絡差が大であるから前者を拡大し後者を縮小して米質の向上をはかることが合理的で
あるという主張も一応うなずけるところである︒しかしながら等級間絡差と時期別格差はその根拠が本質的にちがっ
ておりしたがって時期別格差の縮小と等級間絡差の拡大は直接に結びつけられない問題である︒等級間格差は米の品
質とその管理に関する問題であり容積量・整粒度・水分含獄・被審粒・死米・異和穀粒および異物によってその等級
雌雌がきめられるが︑これらは﹁追放品砿を検従に出さないという自主的申合わせあるいは追放品種の低位格付け﹂
︵実際上このことはお川肌︑測炎地区においても実施されている︒後述︶さらには職種的な品諏・賑米改良巡勁によって合緒
し昇格しつつあるのである︒一昨年度悪評を難った石川県産米が昨年以来とくに本年度において関西等の市期から
﹁石川の良質米を早く輸送せよ﹂との催促をうけるほどの好評を博するに至ったことでもこのことは明らかであろ
う︒︵この点についてはなお旬日木の農業﹂二八ページ以下参照︶等級差は品種及び衙理の問題から生れるものであり時期
差・地域差の問題とは別の問題なのである︒
以上︑中央農政担当者の考え方に対するわれわれの考え方の一端をのべた︒時期別格錐に関しての農政担当者の前
記の考え方が誤っているとはいわないが︑問題はそれ以上に︑日本の農業lその経済椛造それ自身の中にあるのであ
りいいかえれば蛮本主挺との柵造的関辿がより根本的であり時期別絡差制度はその矛届の一つの部分的現象形想に
すぎないものである︒さらにこの時期別格錐金が小抓ながらも腿業経懲を早期米生箙に椛迭し︑典氏がこの早塒米
生産栂造によって自己の経営の改良・合理化をすすめるようになったという秋極而を忘れてはならないのである︒
とくに単作地柵においては早場化傾向が耕地整理・交換分合・乾凪化を促がし機械化を導入させ育苗技術を商め早
「
1鯛
昭和三十年以降とくに日本経済の﹁高度成長﹂が続いたここ数年は︑艇村人口の減少Ⅱ都市への流出Ⅱ離腱と農業
労働人口の老令化・女性化の全国的傾向をもって特徴づけられる︒石川県もまたこの一般的傾向の例外ではありえな
かった︒すなわち次表によれば腿家数は二十五年度の八七・九七二戸から三十五年度には八五・一○九戸へ︑三十七
年二月現在では八二・四○八戸と十二年間に五・五六三戸︵対二十五年六・四%︶が減少しているが︑そのスピードは
二十五年から三十五年までは年率にして○・三二%であるが三十五年から三十七年度にかけては年率一・六形とその
テンプを早めている・つまり二十五年から三十五年までの十年間に比敵するだけの艇家減がこの二年間に行われてい
るのである︒︵人口に関しては註⑫をみられたい︶ ︵棚︶植栽培を普及させ除草剤や駆除剤の普及と作業の共同化を促進し裏作導入の気遮を作り出しただけでなく農作業を︑︑︑早仕舞することによって兼業の機会と時間を多く作ったつまり分解の正常化を一歩前進せしめたいという積極的側面が生まれたのである︒ことに石川県では早場米は明治期からすでに取入れられており早場米を基軸としてその生産Ⅱ経営櫛造が歴史的に成立しているのであり︑時期別絡差制によってその構造はさらに強化されているのである︒したがって不用意に︑すなわち新しい有利な営腿類型の見通しなくして単に前述のような理由で時期別格錐をなくすることは︑︲一つには腿民の︑これまでもり上った菰極的生産意欲に水をさすこととなり二つには経鴬枇造の歴史性Ⅱ主産地形成の方向を破製することであり三つにはこれまでに支払った胆民の尊い椴牲︑指導肴述の熱心な努力を無にするものとなるであろう︒
第一節腿︑
一農民層の分解
第一章石川県農業と水稲早場地帯概造
節腿民層の分解と農村の地位
一
1
規 模 別 農 家 数
(戸) 賀 地 域 能 登 地 域
5'0反''0'5反''520周'20‑反総数│5反トー'0反│''5反''5 劇20〜反 。
19
唾蠅面︐DB555
953098211
999977111
︑99幅鯉
099222
930344
999777 砺畑率
哩皿血 9分日 蝿池理
比
(完)
○○ウ010
1
■●●122; 43.643.4、5 11.413.513.5
の旬︒蝿
変 動 率
(形)
鯏鴛:Ⅱ:
麓│,:』1,,1、削!
β
伽群:石川統計捌詣I嚇所(罰.9.12発表)資料
戸 一 一 一 ‑ ‑ − − − − − − − − − − − − . . − . . − ‐ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑
1鰯
第 五 表 軽 営 耕 地
栂 成
1
41. 銘.
38.
222︐●○
聾弱諏 100.0
100.0 100.0
137●●●諏妬鋸
14.3 15.8 16.0
皿 . 0 3 9 . 6
〕0.037.5 1 0 − 0 妬 = G
闘 迩 期 別
」割爵 :
%・
%.
聾弱//弱諏
地 域 別 榊 成 比 ( 3 7 . 2 )
(%)
總 数 〜 5 反 5〜10反 10〜15反15〜20反 20〜反 総 数 〜 5 反
●■● 222
溺弱説 87, 2
85p1的 82,4伽
皿醗醐811
妬艶艶 躯釦調 口99 480節卯鯉
12,581 13,431 139210
339記︑Ⅳ031
455 222 ︐99 唖卿恋 42,555
41,090 豹,541
16,854 15,418 14,579
県 叶 加 孤 能 登
100.0 48.0 52.0
100.0l100.0 45.936.8 5 4 . 1 . 2
100.0 56.2 43.8
100.
82. 17.
lul劃I副I
100.0 妬.9 13.1
一
1艇
この農家戸数の減少を加賀地区と能登地区に分けてみると︑加賀のスピード性一十五年から三十五年の十年間に
三・四妬︵年率○・三四妬︶︑三十五年から三十七年の二年間に三・八%︵年率一・九%︶であるが︑能登は年率それぞ
︵狸︶れ○・三二︑○・一三妬で加賀にくらべてその減少速度は緩慢である︒
次に両地区の農家階層概成をみると︑三十七年二月において加賀は一町歩以下が六三・三%でこれに対して能豊は
八三・五%︑三町以上のいわば大農は加賀六・一%︑四・二五六戸もあるのに能登は他かに○・八%︑一三ハ五戸があ
るにすぎない︒階層別存在形態を地域別椛成比からみると加賀と能畿が逆の関係になっていることがわかる︒すなわ
ち石川県の中で上届占拠率は加賀において︑下屈占拠率は能幾において対照的になっているのであってこれをもって
みても能幾腿業の経営規模の零細性は明らかである︒ではこの股家の減少はどの階臓においてみられたか︒県平均で
は前述のように全体としての腿家戸数減少傾向の中で一町五反二町脳の倣かな地加を除いてどの屑も絶対数におい
て減少しており︑中でも五反一町脳のそれが耕しい︒これを比率でみると一町以下肘の減︑以上燗の燗という幟ぃ
両極分解の型を示している︒
この分解l艇家柵成の変化を加硬・能幾両地区に分けて伽察すると加劉では一町以下脳の減︑以上燗の期で卯平均
よりさらに明確な両極分解の型を示し絶対数からみても一町遮反以下の減少に対して一町五反以上肘は珊加さえして
いるのであるが︑能登では各肘とも例外なく減少しまた階肘枇成では五反以下がむしろ界率しそれ以上脳は減率ない
し停滞して零細化的分解・総川解的分解の槻相を示している︒このことは端的に加誕地区にくらべて能盗地区農村で
その経営軽済的悪条件の故に肌壊の速度が早まりまた一般化していることを示すものと考えられる.
つぎに農家の兼業化傾向についてのくよう︒麗業経済の相対的不利が農家総戸数の減少を促がしつつある現在の一
般的状況の中で︑専業農家の著しい減少︑したがって兼業農家の顕蕃な増加に雛ろかされるであろう︒すなわち二十五
年度三四・二影をしめていた専業農家は三十五年には一八・七影となりそれから随か二年後の三十七年二月には一
「
187
一・四%と全農家の九割が兼業農家︵うち七四・四形が﹁やとわれ﹂︶として分解して行ったのである︒その分解の速度
をみると専業農家は二十五三十五の十年間に三○・二四七戸から一五・九○七戸へ五二・六%つまり年率五・二六
%の速度で減少したのに対し三十五年から三十七年の二年間には一五・九○七戸から九・三七○戸に年率二九形の急
速度をもって減少して行ったのである︒﹁澗度成災﹂の影にはこのように腿業だけでは生活できないで他に職を求め
て行かねばならない腿家が激期しているのである︒とくに注目したいのは分解の方向が専業から兼業へという形の外
に兼業が第一種から節二棚へ向ってきたという堺実である︒すなわち第一極兼業は二十五年に三七・八%︑三十五年
に四○・六%と進んだが三十七年には三一・一妬と下降してきたのに対して第二秋兼業は二十五年の二七・八形から
三十五年には四○・七形となりそれから二年後には五七・五彩と二十五年の二倍の率に急増したのである︒このよう
な農民層の急速な分解I離農化が何によって促進されたかの説明は今さら不要であろう︒
次に専・兼業別分解の状態を階層別にしらべてみよう︒専業農家は表に明らかなように一町一・五町層の比率が
最も高くついで五一○反︑一・五二町︑五反未満︑二町以上層となっている︒これを反対につまり兼業化の面か
らみると一町以下届はその兼業化率はますます高まりそれ以上の届は若干低下しており︑とくに一町から一町五反層
︑︑の兼業化が鈍化している︒しかしながらこれは全体として減ったものに対する比率にすぎないのであって絶対数から
いえば各屈とも専業農家が賊り兼業股家が増加していることにはかわりがないのである︒ことに雌近においては兼業
化する階層が上脳へ昇ってきたこと︑しかも加速度的となったことが特徴的である︒すなわちいわゆる上届ないし中
脳に閥する一町五反以上届をみると二十五年度では三○・五影の兼業率が三十五年には四七・五%となり三十七年に
は六八・三%と急激に上昇し︑また上価たる二町以上届も二○・三%から三五・九%と上り三十七年には五八・二%
の高さを示すに至ったのである︒分解基軸のこのような上層化は端的にいえば現段階においては二町以上の上層腿で
すら何らかの兼業をもたなければ生活できなくなったことを示すものである︒しかもすでにのべたように第二種兼業
− 1
1餌
卵六表軽営階個別・専兼業別農家数
l・︲ 11 07︐
9#55
: 蕊
#
記謁 ︒︒ 37::::i::::
i 汁 総
訓談群
l■■■ⅡⅡⅡI■■01︲60■■■B■11日
●●︽55H
I 訓銅田 日色色031 妬花
●●︽ 536
I 唖鴎醐
︒■▲ 09息 蝿蛇蛎
兼 業 率
俄考:
1石川統計捌錘l蛎所股統25により作成。加賀・能登別兼業率は全所統計妻2に よる。
2全統計我3によると「兼某の亜類別腿家数」で次のような興味ある事実をみる ことができる。
a兼業をやとわれ雅兆と自営兼業別にみると,35年から37年にかけてやとわれ 兼業が117.2%にふえたのに〔1営兼粟は81.9%に減っている。しかしてこれを 加賀と能壁に分けてみると,削者ではやとわれ兼業は116.2%への後者では118
.0%への墹加を,自営兼兆ではそれぞれ85.7,79.3妬への減となっている。分 解が,本格的分解コースにはいりつつあること,能登地帯の分解の速度の早さ をみることができる。
b兼業秘類別にみると,やとわれ兼莱の内沢は(37.2現在)加賀では職員,役 員蝉が23.5,値荊的賀労鋤者34.2,季節出稼0.4,人夫・日屈18.2%に対して,
能登ではそれぞれ16.7,26.0,5.6,24.6%となり能登での分解が鋭い形を示 している。
実 数
反
〜 5 5〜10"‑嘘│' 20〜 計●
左 の 百 分 率
〜
反 5 5 〜
10 10
〜
15 15
〜
釦 即 〜
専 業
22●■弱釘 郵麺21 90 5弛副9941 函顕21釦⑬5143 蛎唖819911
15,9 9, 0
,4.428.6
卜
.
』
16.1
56ゆ■蝿閲
16.9 17.5
11.4 12◇5
第 一 兼
22■●弱師 惑唖51 98 函397011 23釦鋤9988
2,M9 3,316
函 10593
伽誤669B型鱒
岸
15.1 5.6
75●●閉鯉
6.7 14.6
60◆●37
第 二 兼
22■︑鋸師 19巽鮖蝿閉
8,5配 16,579 10718
駈麹 伽
34,602 47,413
73.024.6
60.9│35・0
06c●23 24●■00 10PDO0
13,431 13.210
「一一一号 、‐‐.‐
189
次に石川県径済における農村の地位について概観しておこう︒
これまでにのべたように石川県においても日本経済の﹁商度成長﹂の過程において︑農家は各層にわたって減少し
あるいは第一種または第二種兼業農化することによって収入上の不足と不利を補充しようとする勢が苫しくなってき
た︒しかしながら次表にみるようにこれを人口数から全則の平均と比較してみるとき︑総人口に対する農家人口は全
国三七影︵三十五年度︶に対し石川県は四七%であり三十六年皮においても三四・三%対四四・八%とその比亜が大き
いことが知られるであろう︒このことは胆家戸数の比較においてもほぼ側じ対照をみせているのであって︑つまり石
川県における腿村の地位はなお相当に問いということを理解しなければならない︒地区別総戸数・総人口の統汁をも
たないので速断はできないが︑雌内においては艇家・典此の企世柵・全人口に対する比率は恐らく加到地区の力がは
るかに大であると考えられる︒︵なお注⑫併瀦︶
つぎに県民所得から麗村の比亜をみたのが第八表である︒それによれば総所得に対する鯉業所得の割合は三十六年
度において全国平均が一○・三%でありこれに対して石川県は一二・九影と全国平均を上まわっているのである︒こ 農家としての増加であることは農村経済が日本資本主義経済の﹁発展﹂のもとでいかなる運命をたどりつつあるかを明瞭に示唆しているといえよう︒なお兼業別分解を地域的にみるとまず加賀にくらべて能幾地区が総体として兼業化率がはるかに商く三十七年度で三五・五対六四・五%−なっていることが目につく︒しかしてさらに注目すべきことは加賀ではこの兼業化傾向が二十五年から三十五年にかけては若干期加したが以後はむしろ低下して行っているのに対して能登では一質して兼業化が進み︑しかもそのスピードが早いという対照である︒われわれはここに加賀艇村と能登農村の経済的︑社会的﹁格差﹂︑加賀股業の相対的術裕性と能避のそれの零細・脆弱・貧困性をみることができるであろう︒
二︑農村の地位
1 1
190
第 七 表 人 口 と 戸 数
割 鯛
人 I I % │罵 、 墓
瓢 . 3 ; 2 9 . 9│ 駕 雲 '
0411IZ皿・[
,408%・ビ
団 ⑥ 堂
J739418 457,69C
47.〔
刃6904610〔
437, 89§
AAR
俄考:石川リILは統叶孤貧料(10.1現在)但し36年度の農家戸数及び人口(37.2.1現在)
及び全図分(10.1)は石川銃訓・鋼f郵務所による。36年度人口は総理府統ill・局盗 料。
1−rpぼも夕438
榊 成
の
県 民 所 3 4 年 3 5 年
所得額|栂成比所{!)額|構成比
FrE§客9.
(万円)
弱 年瓠如飢砺弱弱叩
|284129577354
得一獅挫唖挫︾池一1所一
ゞ058075
比・・....
︑釦肥認塑妬成1#1一
9019りり021324 硴岬錘理証函 991099 188022砺切鯉理 ︑●︒︒吾●111億画l︲︲のらO夕︽x︾︽エソ戸h︾ 柵成比
1 744924●︒□句七○●躯︑廻蜘︑恋911119皿沌嘔麺躯2214351 991119 100.0
17.5 14.1 33.7 26.8 48.8
100.0 16.4 12.9 34.8 28.2 48.8 100.0
100.0
1聾.7 101.4
151.7 1随.1
経済白沓3蝿ページ,リ ↓民所得は石川典統計書(但36年度は県統汁課推定)によって作成
r ‑̲ ‑.一‐−‐
191
れを年度別にみると全国は三十四年一二・六影︑三十
五年二・一%︑三十六年一○・三%︑石川県はそれ
ぞれ一六・八︑一一四・一︑二・九%と減少の巾にも
つねに全国平均を上まわっているのである︒ただ農業
の伸び率が全図の一四・三%に対して県は六・一%に
すぎないことが注目されなければならない︒このこと
を第九表でより詳しく検討すると石川県の農民の所偲
が大きいのは三十二年に対する三十五年度比は全図
一二○・八%︑石川県二三・三%であるI農業によ
ってというよりもむしろ農外所得の増加によっている
のである︒
農業所得ももちろん伸びている︒すなわち三十二年
に対して三十五年には全国二三・八形に対して蝶は
一二九・九%となっている︒これに対して鰻外所得は全
国二九・九%の伸びであるが石川雌は伽かに五・八%
にすぎない︒換言すれば石川雌腿民は腿業︵Ⅱ米︶の
生産性の墹大をはかるとともに艇外所得をふやすこと
によって漸く全国水地を僅かに追いこしているのであ
学︵︾︒
第 八 表 県 民 所
抑 (10値)
民 所
国
|雌
一栂︾河
所 紳 所
一一
段一総第第 狐次兆業 畑卸麺蝿暉卸911324
8 100.0
140 17.0哩弱 ●◆●615?■IF0IIII11I0I0l8Ilr
巣次次莱
一一
製 通三鯏農
第伸び率 47.97
1 、0 100.0
伽謝:国民所19:国民所得は国内国民所得とし海外からの純所得を除く。資料:国民所得は37年度
し た 。 ,
『
一 一 一 ‑ ‑ 一 − 宇 司
192
第 九 表 所 得 内 容 の 比 較
月 J I f
備考:金沢農地邪務局資料による。但し石川リスは石川統計調近蛎務所の鯛査であるが全 数調査ではないので,傾向を示すものとして掲げた。
I農業所得 聖拠
35
300
浬恥懇 999 沌晩↓型 円
1760773 171,491 192, 7
哩唖噸999麺麺麹 秘唖99tO22釦迦瓢 諏池唖199妬麺
拠劉弱I農外所得 752469111 唾函函 噸姻麺 理皿
118 1詔 147
唖函麺 ︑蜘麺 迦即唖 麺塞罪 函錘芯
鍵認弱I
農家所得 割訂虹 021 却却麺 麺知蝿 勁蝿油 知蝿癌 珂煙唖 344 氾鯛皿 麺魎哩 麹繩鋤 遜皿卸
I農業所得 鯉鋤
35
誕拠弱I鯉外所伴
100.0%
100.0 1 、0 100.0 1 、0 1 .O‐
799599●e●|●らゆ卯躯師一Ⅳ鴻理−111 48●●劉鰯11
・ 1 3 1 . 4 80.2 80.7 76.7
1 、2 102.8
%、7−
059210111 002
91.1 101.4 1".0 174 1弱 141
287
艶艶妬I
農家所得 1㈹
100 100
000 102
102 104
902
110 107 105
899 111
108 102
026 1
116 121
378
2453331腱業所得
1㈹
1 W 113
038 100
109
000 031001111 073
100 105 105
097 100
119 1
059
2453331農外所得 鯉誕弱I農家所得
1 "
112 1
的釦111 029058
100 120 135
叩肥理111 028053
100 112 124 100 106 115
092063
100 107 118 100 106 111
062075
100 87 105 100 100 115
058046
庁
193
石川県において何故にこのように水稲の比近が上昇し他の作目とくに裏作物が伸びないか︒︵﹁石川典における桝股
類型とその耕穂技術体系L昭︒三五・三によると裏作面獄は二十六年を一○○として三十三年には八六%に下っている︒一三九ペー
ジ︶その原因については研究すべき多くの問題があろう︒それは気象その他の自然的条件の外に歴史的には前田藤
がその封建政治の物的精神的基礎を米作においたこと︑明治期以後政治Ⅱ民衆の支配と民心の把握のために米が最も
好適な作物であったということ︑同じことであるが明治以後現在に至るまで農政Ⅱ指導の中心が水稲の経営におかれ
ていたということ︵技術改善・耕地整理・価格保護政策など︶︑また経済的には米が最も安全にして有利な経営でありま
たあったこと︑技術的にも米作技術が最も高かったことなどによるものであろう︒ この水稲単作化の傾阿は﹁節三期﹂以後ますます顕蕃になってきた︒次の第十表によると腿業総生蕨額中米の比飛
は三十二年の六九・七影から逐年墹大し三十五年には七四%に上っている︒これに対して﹁選択的拡大﹂部門である
畜産は容易に伸びず枇ぱい状態で三十五年の如きはむしろその比菰は低下してさえいるのである︒︵邦二率第三節参照︶
石川県においては胆業生産額の一○%に述しているものは米以外には兄当らない現状である︒︵三十六年に至って帝産
だけが漸く一○%をこえた︶ ︵脚︶%に述しているのである︒ 第二節石川県農業の経営柵造
I水稲蝋作地楴性の成立l
石川県の農業は水稲を避軸として営まれている︒石川喋史︵現代筋︶によれば総作付而職八三︑二○○町歩中水稲
は明治四十三年に五二︑○○○町歩で六二・四影に連していた︒その後︑年を経るにしたがって水稲の比爪は燗大
し大正期平均六八%︑昭和三九年平均で七○・二%︵七七︑○○○町歩中五四︑○○○町歩︶にまで述し十二十五年
の戦時中も七○・七影台と維持し昭和三十三十三年平均では七四︑一四三町歩のうち五三︑三九七町歩の七二影
の商さを続けており︑石川郡のごときは同期に八○影であり羽咋郡も七○・一%︵三十六年度︶︑鳳盃郡さえ五二・四