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九 十 年 代 批 評 に お け る ゴ ー リ キ イ
松 本 忠 司
ロシ ヤ文 学 に おけ る 九 十 年 代 は,「 世 紀 末 」 とい う言葉 の含 蓄 にふ さわ し く,古 い世 代 と新 しい 世 代,リ ア リズ ム と反 リア リズ ム,伝 統 と革新 の激烈 な葛藤 が 特 徴 的 で あ った。
先行 す る八 十 年 代,人 民 主 義運 動 の決 定 的破 綻 と反 動 攻 勢 の全 面 的 強化 と い う一 般 的 社 会 状 勢 を反 映 して,ロ シヤ文学 は 「た そが れ の時 代 」 の薄 闇 の 中 に低 迷 しなけ れば な らなか った。 帝制 下 に お け る ロシ ヤ人 民 の苦 悩 にみ ち た生 活 を深 く真 実 に 描 き出 し,そ の解放 の 道 を帝 制 廃 止 に指 向 した ゴ ー ゴ リ ー シ チ ェ ドリー ンの批 判 的 リア リズ ムの文 学 伝 統 は ,㍗グ レー プ ・ウスペ ン
ス キ イや,こ の年 代 に 登場 した チ ェーホ フ,コ ロ レソ コらに よ って 継 承 さ れ,そ の 手法 の極 限 まで 深 化 させ られ てい った が,社 会 閉塞 の圧 力 の も とに 失 意 ・幻 滅 に消 沈 す る多数 の作 家 ・詩 人 が この伝 統 に背 馳 し,批 判 的 リア リ
ズ ム文 学 の流 れ は衰 弱 して新 しい文 学 潮 流 の 出現 を条 件 づ け た。
九十 年 代 に入 る と,こ の傾 向 は顕 在化 し,リ ア リズ ムは現 実 ・生活 の諸 相 に対 す る批 判 力 を失 い,「 事 実 」 を無 選 択 に描 くとい う 平 板 な 自然 主 義 に 堕 して い った 。 これ と並 んで,こ の時 代 に は も う一 つ の文学 傾 向 が現 われ は じ め た 。 そ れ は 解放 運 動 へ の幻 滅,そ れ へ の変 節 を 思想 的 土 壌 と して,人 民派 的 理 念 を含 め て一 切 の社 会 的 理 想 に不 信 と懐疑 を もって対 し,現 実 世界 か ら の逃 避 を 指 向す る傾 向で あ り,ニ ーチ ェ,シ 。一ペ ンハ ウ ア ー らの個 人 主 義 的,厭 世 主 義 的 哲 学 や イプ セ ソか らボ ー ドレエ ル まで の多 彩 な西 欧 近代 派 文 学 の影 響 を強 く受 け つ つ,反 リア リズ ムを一 般 的性 格 とす る ロシヤ独 自の近 代 主 義 文 学 の諸 潮 流 が 形 づ く られ た ので あ る。
1892年,メ レシ コー フス キ イは,そ の詩 集 にr象 徴 』 の表 題 を冠 して,新
しい文 学 の道 を シ ン ボ リズ ムへ と指 向 した が,そ の翌 年 に は論 文 『現代 ロシ ヤ文 学 の衰 頽 の原 因 お よび新 しい 諸 潮 流 につ い て』 を発 表 し,六 十年 代 以 来 の ロシ ヤ文 学 に おけ る先 進 的伝 統 革命 的 民 主 主 義 の精 神 と批 判 的 リア リ ズ ムを基 調 とす る伝 統 を,功 利 的 ・卑 俗 的 ・傾 向的 な非 芸術 的文 学 と財 し, そ の社 会 性 の 中に こそ文 学 衰 頽 の原 因が 存在 す る と断 じ,新 しい文 芸 復 興 の 方 向 を反 社 会 性,反 リア リズ ム の神秘 的 象徴 主 義 の 道 に 求 め るべ きで あ る と い う宣 言 を行 な った。
しか し,八 十年 代 の 「沈 滞 期 」 が ロシヤ社 会 の表 面 を お お う静 け さ の内奥 か ら,や が て解放 運動 の決 定 的 段 階 へ と・ うき進 む 力 つ よい奔 流 を準 備 してい った よ うに,こ の奔 流 の根 原 的 活 力 に よって 胚 胎 され つ つ,「 翼 を失 った 」 リア リズ ムを ロマ ンチ カの 霊感 に よ って魅 え らせ なが ら,さ らに一 つ のi新し い文 学 潮 流 が 九 十年 代 に 登場 す る,一 これ が マ ク シ ム ・ゴ ー リキ イを そ の 最大 の代 表 者 とす る女 学 傾 向で あ る。
ゴ ー リキ イが 処 女 作 『マ カ ール ・チ ェ ー ドラ』 に よ ってそ の文 学 活 動 を 開 始 した の は,い み じ く も,メ レシ コー フス キ イ の 詩 集 『象微 』発 表 と同 じ 1892年 で あ った。 この二 つ の 作 品 の 出現 は,本 質 に おい て,世 紀 末 か ら大 革 命 期 に至 る ロシ ヤ文 学 にお け る 「新 しい 芸術 」 創 造 を追 求す る二 つ の,峻 烈 に対 立 ・抗 争す る基 本潮 流 の発 達 の方 向 を予 告 す る もので あ ったが,'1892 年 の時 点 に おい て は,メ レシ コー フス キ イが若 冠 二 十 六 歳 な が らす で に詩 壇
の 明星 た る地 位 を 得 てい た の に対 し(第 一詩 集 は1888年 発 表),ゴ ー リキ イ は二 十 四歳 に して よ うや く作 品発 表 の機 会 を得 た にせ よ,そ れ が僻 遠 の一 地 方 紙 の文 芸 欄 で あ って,読 書 界 に よ っては ま った く顧 み られ る こ との な い, 無 名 の,独 学 の 労働 青年 で あ った ので あ る。 そ の後 に おい て も,前 者 は詩 ・ 散 文 ・評 論 の各分 野 に お い て多 才 を発 揮 し,ロ シヤ近 代 主 義文 学 の総 帥 と し 曽
てつ ね に文 壇 の焦 点 とな る華 や か な活 動 を展 開 して い った の に対 し,後 者 は
な お しば ら くは 中央 の批 評 界 に も読 書 界 に も知 られ る こ とな く,ヴ ォル ガ地
方 紙 で の 地 道 な創 作経 験 の 積 み重 ね を 続 け なけ れ ば な らな か った。 そ して
九十 年代批 評におけ る ゴー リキイ(松 本) (21) 1897年,『 コ ノ ヴ ァ ー ロ フ 』,『マ ー リヴ ァ』,『 オ ル ロ フ夫 妻 』 そ の 他,ゴ ー
リキ イ の 作 品 が 相 次 い で 首 都 の 大 雑 誌 に 掲 載 さ れ た 後 で さ え,彼 の 作 品 集 の 出 版 を 引 き 受 け る 出 版 社 は そ う容 易 に は 現 わ れ な か った 。B.A.ポ ッセ に よ れ ば,出 版 社 主O.H.ポ ポ ー ヴ ァは,自 尊 心 を も っ て い る 出 版 社 が 地 方 の 雑 文 書 き の 仕 事 を 出 版 す る わ け に は い か ぬ,と 語 っ た とい う。 しか し,専 門 家 で は な い ア マ チ ュナ の,ド ロ ヴ ァ トー一フ ス キ イ とチ ャ ル ー シ ニ コ フ の 出 版 所 が 新 人 の 二 巻 作 品 集 刊 行 と い う営 業 的 冒 険 を あ え て 行 な っ た とき,作 家 も 出 版 者 も ま っ た く予 期 し得 な か っ た ほ ど の 大 成 功 が もた ら さ れ た 。 ゴ ー リキ イ は た ち ま ち,全 ロ シ ヤ 的 名 声 を 獲 得 し,さ ら に 二,三 年 の うち に 全 世 界 的 に 著 名 とな った 。G几 バ ル ハ ー ト ゥ イの 調 査 に よ れ ば,ゴ ー リキ イ の 作 品 に 関 す る 批 評 的 反 響 は1897年 に は10点,1899年45点,1900年 一 一 一一166 点,1901年 約300。 二 十 世 紀 初 頭 の 西 欧 で は,そ れ ま で ま った く知 られ
な か った ゴ ・ 一 リキ イ が す で に トル ス トイ,ド ス トエ ー フ ス キ イ と 同 列 に 論 じ られ る よ うに な った 。
しか し,二 十 世 紀 に 入 っ て か ら も,な お しば ら くは,ゴ ー リキ イ の 文 学 は 必 ず しも正 しい 評 価 を 与 え られ な か っ た 。 読 書 界 に お け る 異 常 な 反 響 に は, 無 責 任 な ジ ャ ー ナ リズ ム に よ っ て 粉 飾 さ れ た,「 伝 説 的 な 」 作 家 の 生 活 経 歴 に 対 す る卑 俗 な興 味 に よ っ て 喚 起 され た 部 分 も少 な くな か っ た し,批 評 界 も
ま た,作 家 を 浮 浪 人 の 精 神 的 指 導 者 とみ な した り,当 時 の 流 行 思 潮 の伝 道 者 ニ ーチ ェ流 の 「力 の 讃 美 者 」,あ る い は デ カ ダ ン ス 的 「ネ オ ・ロマ ン チ シ ズ ム」 の使 徒 と見 る傾 向 が 強 か っ た 。 九 十 年 代 の 末 か ら ゴ ー リキ イ と深 い 友 情 を 結 ん だ チ ェ ー ホ フ は,1903年 の ユ ー ジ ン宛 書 簡 に,・ 「私 の 思 う に は,ゴ ー リキ イ の 作 品 が 忘 れ られ る時 も あ ろ う,し か し,彼 自身 は 千 年 た
っ て も忘 れ られ る こ と は あ る まい 」 と書 い た が,こ の 言 葉 は 人 間 ゴ ー リキ イ
の そ の 人 間 的 魅 力 を 最 も端 的 に 表 現 す る も の で あ るが,同 時 に,ゴ ー リキ イ
を 良 く知 る チ ェ ー ホ フに と っ て さ え,こ の 頃 まで の ゴ ー リキ イ の 文 学 が,い
か に 理 解 に 困 難 で あ っ た か を 語 る言 葉 で も あ る。
本 稿 の 課 題 は,ル ナ チ ャ ー ル ス キ イ,ヴ ォ ロ ー フ ス キ イ ら マ ル ク ス主 義 文 芸 学 者 に よ る ゴ ー リキ イ 批 評 活 動 に 先 立 つ 時 代,い ま だ 評 価 の 定 ま らな か っ た 九 十 年 代 に お け る ゴ ー リキ イ批 評 を 掘 り起 こ し,批 評 に お け る ゴ ー リキ イ 像 の 変 遷 を 跡 づ け よ う とす る も の で あ る 。 文 献 のす べ て に 触 れ る こ とは 出 来 な か っ た が,各 年 度 ご とに,発 表 され た ゴ ー リキ イ の 作 品 に 対 す る 批 評 的 発 言 の 中 か ら特 徴 的 と思 わ れ る も の を 拾 い 上 げ て ゆ く。
本 稿 の 中 で 取 り上 げ た 雑 誌 ・新 聞 の 原 名,訳 語,発 行 年,発 行 地(ペ テ ル ブル クー 皿 モ ス ク ワーMと 略 記)を 以 下 に 掲 げ て お く。
BHp》KeBbleBeAoMOCTH‑《 株 式 報 知 》,日 刊 紙,1861年 創 刊.中 断 を 含 み
1917年 ま で 。H。
KHH》KKH《HeAem・i》 《 週 間 》 付 録 文 庫,月 刊 誌,1878‑1901.n。
>KH3Hb《 生 活 》,月 刊 誌(1899年2月 ま で 旬 刊),1897‑1901,n。
Kypbep《 急 使 》,日 刊 紙,1897‑1904.「1。
瓢Hp60)Krm《 神 の 世 界 》,月 刊 誌,1892‑1905,rl。
MocKoBcKHeBeJioMocTH‑《 モ ス ク ワ 通 報 》,日 刊 紙.1756‑1917,M。
HoBoeBpeMfi《 新 時 代 》,日 刊 紙,1868‑1917,R。
HoBoec認oBo‑《 新 し い 言 葉 》,月 刊 誌,1894‑1897,n。
HoBocTH・ 《 ノ ー ヴ ォ ス チ 》,日 刊 紙,1880‑1906,H。
HoBb‑《 処 女 地 》,隔 週 刊 誌,1884‑1898,n。
06pa30BaHHe《 教 化 》,月 刊 誌,1892‑1909,n。
O,qeccKHeHoBocT?1‑《 オ デ ツ サ 新 報 》,日 刊 紙1884‑1917.オ デ ツ サ 。 PδCCIiH《 ロ シ ヤ 》,日 刊 紙,189‑1902,H。
PyccKafiMblenb‑《 ロ シ ヤ 思 想 》,月 刊 誌.1880‑1918,M。
PyccKHeBeAoMGCTI・1《 ロ シ ヤ 通 報 》,日 刊 紙1863‑1819,M。
PyccKWtBecTHHK《 ロ シ ヤ 報 知 者 》.月 刊 誌1856‑1906。
PyccKoe60raTcTBo《 ロ シ ヤ の 富 》,月 刊 誌1879‑1918,n。
PyccKoocJloBo《 ロ シ ヤ の 言 葉 》,日 刊 紙1897‑1917,M。
CaHKT‑1'leTep6yprc‑ieBe210MocTIa‑《 サ ン ク ト=ペ テ ル ブ ル ク 通 報 》,日 刊 紙,1728‑1917,n。
CeBep《 北 方 》,週 刊 誌,1888‑1914,n。
CeBepHblthBecTH服 一 《 北 方 報 知 者 》,月 刊 誌1885‑1898.H。
CeBepHblthKypbep・ 《 北 方 急 使 》,日 刊 紙?‑1900,n。
九十年 代批評に おけ る ゴー リキイ(松 本) (23)
Cb!HoTeqecTBa‑《 祖 国 の 子 》,日 刊 紙,1862‑1905,n。
1893年
10月 ヴ ォ ル ガ 地 方 新 聞 《ヴ ォ ル ガ ー リ》(26日 付)に 短 編 『マ カ ー ル ・チ ュ ー ドラ』 が カ フ カ ー ス 地 方 新 聞 《カ フ カ ー ス 》 よ り転 載 され た 。 短 編 に は 次 の よ うな 紹 介 文 が 付 記 さ れ た,一 「こ の 短 編 小 説 の 作 者 は ま だ 書 き始 め た ば か りの 作 家 で あ る。 しか し,こ の 短 編 に よ っ て,お よび 本 年 の 夏,《 ロ
シ ヤ 通 報 》 に 掲 載 さ れ た 短 編 『エ メ リヤ ン ・ピ リ ャ ー イ 』 に よ っ て 察 す る に,独 特 な 詩 文 学 的 天 稟 を 有 して い る 。」 これ は ゴ ー リキ イ の 創 作 に 関 す る 公 刊 物 に お け る 最 初 の 反 応 で あ っ た 。(以 下 の 記 述 に お い て は,地 方 紙 に つ い て の 調 査 は 目下 の と ころ 極 め て 不 充 分 な の で,主 と して 首 都 お よび モ ス ク
ワ に お け る 公 刊 物 に 対 象 を 限 定 し,作 家 ・批 評 家 た ち の 書 簡 ・回 想 記 な ど に よ っ て補 足 す る こ とに す る 。)
1895年
6月 短 編 『チ ェル カ ッ シ 』 が 《ロ シ ヤ の 富 》7月 号 に 掲 載 され た 。 これ に よ り,ゴ ー リキ イは 初 め て,首 都 の 大 雑 誌 に 作 品 発 表 の 機 会 を 得 た 。(こ の 号 の 雑 誌 の 扉 に は,ゴ ー リキ イ の 推 薦 者 で,前 年 か ら編 集 部 に 加 わ っ て い た ウ ラ ジ ー ミル ・コ ロ レ ン コの 名 が 雑 誌 の 発 行 人 と して,大 文 字 で 初 め て 印 刷 さ れ た 。)
《ロ シ ヤ 思 想 》(Ng8)の 書 評 「定 期 出 版 」 がrチ ェル カ ッシ 』 を 取 り上 げ, 作 品 の 内 容 を つ た え る と と も に,「 芸 術 の ま っす ぐ な 道 」 を 歩 み つ つ あ る新 人 作 家 の,「 正 真 正 銘 の 」 芸 術 的 才 能 に 注 目 し,「 正 確 な 描 写 は,チ ェル カ ッ シ が,本 物 の,つ く り物 で は な い 百 姓,金 銭 亡 者 で あ る,み じめ な 経 営 農 民
との 比 較 に お い て 進 歩 的 現 象 で あ る と い う こ と を 諸 君 に 認 め させ る も の で あ
る」 と述 べ た 。 しか し,短 編 の 導 入 部 に 「若 干 の 社 会 的 ペ シ ミズ ム 」 の徴 候
が 見 られ る と して作 者 の前 途 に対 す る危 惧 の念 を表 明 した 。
《祖 国 の 子 》(7月4日)で は,M.K.〔 ク プ レ ツ キ イ 〕が 短 編 を 「興 味 が な くは な い エ ピ ソ ー ド」 と評 し,《 株 式 報 知 》(7月20日)で は,M・ ボ ル タ フ ス キ イ が 短 編 の 中 に 「若 干 の,純 粋 な 才 能 の 萌 芽 」,「叙 述 の 絵 画 性,詩 的 と さ え 呼 び 得 る もの 」 が あ り,さ らに 「内 面 的 真 実 」に 付 随 して 「生 活 的 真 実 」 が 存 在 す る と指 摘 した 。
『チ ェル カ ッシ 』 に 対 して ロ シ ヤ 批 評 界 が 全 面 的 分 析 を 捧 げ る の は 後 年 に な っ て か らで あ るが,B.A.ポ ッセ は 翌 年9月,こ の 作 品 に 高 い 評 価 を 与 え
た(25〜26ペ ー ・ ・ 一 一ジ 参 照)。
9月 短 編 『あ や ま ち 』 が 《ロ シ ヤ 思 想 》9月 号 に 掲 載 され た 。 短 編 は,初 め コ ロ レ ン コを 通 じて 《ロ シ ヤ の 富 》 編 集 部 に 送 られ た の で あ る が,編 集 長 H・K・ ミハ イ ロ ー フ ス キ イ の 反 対 に 遭 い,な が く放 置 され た 後 で 不 採 用 と決
く
定 さ れ た の で あ った 。
《ノ ー ヴ ォ ス チ 》(10月5日)でA.ス カ ビ ー チ ェス キ イは,こ の 短 編 に つ い て 「デ カ ダ ソ 的 小 説 」 と規 定 し,「 題 材 や 登 場 人 物 の 状 況 ば か りで な く, 用 語 そ の も の に お い て も チ ェ ー ホ フ の 『六 号 室 』 の 粗 野 な 奴 隷 的 模 倣 で あ る 」 と酷 評 した 。 また,《 祖 国 の 子 》(10月6日)で はM・K‑CK曲 〔ク プ レ ツ キ イ 〕が 同 じ よ うに 「イ デ ー の鮮 明 な らざ る 失 敗 作 」 と よ ん だ 。 これ に 対 し, M.ボ ル タ フ ス キ イは,《 株 式 報 知 》(11月23日)で,『 あ や ま ち 』 を 「思 想 に お い て 深 く,完 成 度 に お い て 成 功 せ る ゴ ー リキ イ氏 の 絶 妙 な る短 編 」 と し て 読 者 に 紹 介 した 。
当 時 の ロ シ ヤ 出 版 界 に お い て は,例 年,年 頭 の 雑 誌 ・新 聞 の 紙 面 を 過 去 一 年 間 の 文 学 活 動 に 対 す る総 括 的 批 評 論 文 に よ っ て 飾 る こ とを 通 例 と して い た が,1896年1月1日 付 け の 《ロ シ ヤ 通 報 》は 「1895年 の文 学 」 とい う論 文 を か か げ,こ の 一 年 間 に お い て 《ロシ ヤ の 富 》 に 掲 載 され た 文 学 作 品,特 に コ
(1)拙 稿 「ゴ ー リキ イ に 関 す る 覚 書 一 コ ロ レ ソ コ と の 交 友 を め ぐ っ て 〜 そ の
2」,小 樽 商 大 人 文 研 究 第24輯29ペ ー ジ 。
九十年 代批評 におけ る ゴー リキイ(松 本) (25)
ロ レ ン コ 『言 葉 な く して 』,ガ ー リン=ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ,ゴ ー リキ イ 『チ ェル カ ッシ 』,ヴ エ レサ ーエ フ 『道 な く し て 』,マ ー ミン=シ ビ リ ャ ー ク 『穀 物 』 そ の 他 な どが 「現 代 生 活 の 諸 現 象 に 対 す る文 学 本 来 の 関 心 」 を示 した̀
と を 認 め た 。 これ と正 反 対 の 見 解 を示 した の は 《オ デ ッサ 新 報 》 で,こ こで は この 一 年 間 は 「極 端 な 反 動 時 代 」,す な わ ち 出 版 弾 圧 が 相 次 い だ 八 十 年 代 よ り も 更 に 不 作 の 年 で あ り,芸 術 が 過 去 の伝 統(ナ ロ ー ドニ キ 主 義)か ら後 退 し下 り坂 を 辿 っ て い る との 主 張 が な さ れ,こ の 傾 向 を 代 表 す る も の と して, 新 人 作 家 た ち ヴ ェ レサ ー エ フ,ゴ ー リキ イ の 前 記 作 品 や セ ラ フ ィモ ー ヴ
ィチ の炭 坑 生 活 を 扱 っ た 一 連 の 記 録 小 説 が 挙 げ られ た 。
1896年
7月 短 編 『トス カ(あ る製 粉 所 主 の 生 活 の 一 頁)』 が 《新 しい 言 葉 》(施 絶 9〜10,6〜7月)に 掲 載 され た 。
《オ デ ッサ 新 報 》(7月22日)は,ゴ ー リキ イ の 新 作 を,も し も 「メ ロ ド ラ マ 的 効 果 が な か っ た な ら,申 し分 の な い 」rチ ェ ル カ ッシ 』 に 数 段 見 劣 り す る,と 評 価 しな が ら,特 に 憂 慮 す べ き 欠 点 と して,描 き 出 され る 対 象 の
「極 端 な例 外 性 」,「 過 剰 で 極 端 な 写 実 主 義 へ の,最 も汚 らわ しい 生 活 現 象 の 描 写 へ の 傾 向 性 」 を 指 摘 した 。 《祖 国 の 子 》(8月7日),《 ロ シ ヤ 通 報 》(8月
8日)《 ノ ー ヴ ォ ス チ 》(8月29日)も と も に,基 本 的 に は 批 判 的 な 反 響 を 示 した 。 と りわ け き び しい 批 判 を 『トス カ 』 に 浴 び せ た の は,《 週 間 》 付 録 文 庫(Ng11)に 発 表 され たH・ エ ン ゲ リガ ル トの 論 文 「似 而 非 人 民 主 義 」 で あ った 。 評 者 は,短 編 の 中 に 似 而 非 人 民 主 義 的 傾 向 の 「典 型 」 を 見 て と り,ゴ ー リキ イ が こ の 作 品 の 中 で ,あ た か も 「他 人 の 不 幸 を 喜 ん で い る」 か の ご と き態 度 を も っ て,「 酒 場 の デ カ ダ ン ス」 を 「結 核 の,無 気 力 な 衝 学 者 一 教 師 」 に 対 置 さ せ て い る,と き め つ け た 。
『トス カ 』 お よび ゴ ー リキ イ の 他 の 作 品 を 高 く評 価 した の はBA.ポ ッセ
で あ る。 彼 は 《教 化 》(Ng9)に 書 い た,「 ゴ ー リキ イ氏 の 小 さい 短 編 小
説,と くに 『チ ェル カ ッ シ 』 と 『トス カ 』 は … … わ が 国 の 最 良 の 作 家 た ち, ツ ル ゲ ー ネ フ,ト ル ス トイそ め 他 の 作 品 の ご と き もの で あ る,記 憶 の う ち に 深 く刻 み こ ま れ る の だ … … 」 ゴ ー リキ イ は 傾 向 性 に よ っ て 生 活 に 強 制 す る の で は な く,彼 の ス タ イ ル が 「鮮 や か な 大 胆 さ」 に よ っ て 生 活 を き わ 立
ク ラ ク
た す の で あ る。 「農 村 の 富 農 の 外 見 の も とに,心 を 埋 め つ くす 日常 的 が ら く た を 投 げ 棄 て よ う と こ こ ろ み る,感 じ易 い,愁 い が ち な 魂 の 存 在 を 指 摘 した の で あ る 。」
《ロ シ ャ 思 想 》(1897,Ngl)の 皿 Φ・ニ コ ラ ーエ フ は,一 年 間 の 文 学 現 象 を総 括 しな が ら,「 生 活 自体 に お い て も,文 学 に お い て も古 い 型 式 を うち 破 る 」 と ころ の,「 社 会 生 活 の 活 動 舞 台 に デ モ ク ラ シ ー の 進 出 」 を 歓 迎 し,「 い ま だ わ れ わ れ に と っ て は 未 知 の,深 い,新 しい 過 程 」 に つ い て 証 明 す る も の は,マ ル ク ス の 「大 量 の,ロ シ ヤ に お け る弟 子 た ち の 登 場 」 で あ る と述 べ, そ の 教 義 に つ い て は 「信 じが た い 」 け れ ど も,「 益 な しに あ らず 」 と い う考 え を表 明 した 。 《神 の 世 界 》(1897,Ngl).で は,A・B・ 〔ボ グ ダ ー ノ ヴ ィチ 〕 が,社 会 的 関 心 の 昂 揚 に 関 連 して歴 史,経 済,自 然 科 学 の 諸 問 題 に 関 す る 文 献 の 需 要 が 増 大 した こ とを 指 摘 し,「 生 活 全 般 に わ た り 一 層 広 汎 な 知 識 を 得 よ う とす る」 特 殊 な 読 者 が 多 く現 わ れ た こ とを 喜 び,1895年 以 降 の 「喧 燥 な デ カ ダ ン 的 空 騒 ぎ」 が 鎮 ま った こ とに つ い て 満 足 を こめ て確 認 した 。
しか し,文 芸 部 門 に つ い て は 悲 観 的 評 価 が 多 く,A・M・ ス ヵ ビ ー チ ェ ス キ イ は 《新 しい 言 葉 》(1897年1月,Ng4)に 発 表 した 論 文 「病 め る文 学 の 病 め る 主 人 公 た ち 」 の 中 で,「 ソ ログ ー プ と ギ ッ ピ ウ ス の み な らず,チ ェ ・ 一ホ フ(『 中 二 階 の あ る 家 』,『私 の 生 活 』)と ク プ リー ン(『 モ ロ フ 』)に お い て も, 不 本 意 な が ら,優 柔 不 断 の 精 神 病 者 」 を 見 る と語 っ た し,ス ク リー バ 〔EA・
ソ ロ ヴ ィヨ ー フ=ア ン ドレ ー ヴ ィチ 〕 も,《 ノ ー ヴ ォ ス チ 》(1月2日,9日)
の 「1896年 詩 文 学 総 評 」 の 中 で,rl896年 の 文 学 は,事 実 と して,注 目に 価
す る作 品 を 何 ひ とつ 与 え な か った 」,特 に デ カ ダ ン派 の 文 学 は 「淫 らな 感 情
九十 年代批評 におけ る ゴー リキイ(松 本) (27)
と死 の 恐 怖 」 とい う,た だ 二 つ だ け の モ チ ー フ の 一 千 もの バ リエ ー シ ョン を 作 り出 して い る に す ぎ な い と し,現 代 文 学 の 停 滞 を 慨 嘆 した 。
1897年
3月 短 編 『コ ノ ヴ ァーnフ 』 が く新 しい 言 葉 》(施6)3月 号 に 掲 載 され た 。 短 編 は,検 閲 官 に よ って 「極 端 に 傾 向 的,か つ 有 害 で あ る」 と され,「 社 会 主 義 的 な,ど ぎ つ く煽 動 的 性 格 」 を 有 す る 「多 く の個 所 」 が 大 幅 に 削 除 ・修
く
正 され な け れ ば な らな か った 。 この た め,雑 誌 の この 号 は 組 み 直 しを 余 儀 な く され,発 売 日が い ち じ る し く遅 れ た 。
《北 方 》28号(6月28日)の 書 評 家,陪 審 読 者 〔A・A・ コ リン フ ス キ イ 〕 は,文 学 界 に 最 近 現 わ れ た ば か りで あ るが,す で に 「そ の 深 く思 索 す る リア リズ ム芸 術 の 発 達 へ と向 か う 広 い 道 の 上 に 」 立 つ 作 家,ゴ ー リキ イ の 短 編 が,「 この 雑 誌 の 指 導 者 た ち に よ っ て 永 久 的 に 選 び 出 され た と こ ろ の,リ ベ ラ リズ ム の 紋 切 り型 へ 奴 隷 的 に 従 属 す る」 文学 の 「死 ん だ よ うに 無 気 力 な 背 景 の も とで 」 ひ と き わ 光 彩 を 放 っ て い る と書 い た 。 コ ノ ヴ ァー ロ フの 形 象 に つ い て は,こ れ を 人 民 の な か か ら出 て き た 「新 しい 余 計 者 」 と して と らえ, そ の 魂 は,イ ン テ リゲ ソ ツ イヤ に お け る と 同 様,「 化 膿 せ る潰 瘍 」 に よ っ て 浸 食 され て い る と述 べ た 。q・ ヴ ェ ト リン ス キ イ も こ の 短 編 の 出 現 に 注 目 し,
《教 化 》7‑8号 に,「 ます ます 自分 の 上 に 読 者 の 注 意 を 定 着 さ せ る」 作 者 の
「疑 い な く,充 分 に 独 創 的 な 才 能 」 が 輝 き だ した こ と を 指 摘 した 。
8月 短 編r乱 暴 者(オ ー チ ェル ク)』 が 《北 方 報 知 者 》(・V98)に 掲 載 され た 。
B.A.ポ ッセ は8月23日 付 け,ゴ ー リキ イ宛 書 簡 に 書 い た,「 あ な た の 『乱 暴 者 』 は 私 に は た い へ ん 気 に 入 り ま した よ。 あ な た の ご く小 さ い 作 品 が,い ず れ も,そ の 独 創 性 に よ っ て 注 目 さ れ る の で す … … 残 念 至 極 な の は,
(2)M.ropbKH員.Co6paHHecoqHHeHH茸B30‑MToMax.PocnMTn3AaT,M・,
1949‑1955,T.3,cTp.525.(以 下,同 著 作 集 はCc.,と 略 記 す る 。)
あ な た が た えず 自分 の 翼 を,た だ む や み に 振 り回 して い るば か りだ とい う こ とで す,し か もあ な た の 羽 ば た き の 一 つ ひ とつ が,ポ タ ーペ ソ コ,ボ ボ ル イ
くヨ
キ ン,バ ラ ン ツ ェ ー ヴ ィチ の 飛 行 全 体 よ り も っ と意 味 が あ る と い うの に 。」
A.M.ス カ ビ ー ・ 一 ・ 一 チ ェ フ ス キ イ は,《 祖 国 の 子 》(8月22日)の 論 文 「人 民 の 中 の 強 情 な 人 び と の タ イ プ」 の 中 で,『 乱 暴 者 』 の 主 人 公(植 字 工 グ ヴ ォ ズ ヂ ェ フ)に つ い て ロ シ ヤ 人 は そ の 大 多 数 が 温 順 で 柔 和 で あ る が,生 活 に 適 合 し得 な い 「変 わ り種 」,つ ま りは 抗 議 す る タ イ プを も生 み 出す 。 「コ ノ ヴ
ァー ロ フ に お い て は,強 情 さ が 発 作 的 暴 飲 と浮 浪 生 活 とに 彼 を 押 し流 す と こ ろ の 悩 ま しい トス カ の 型 態 と して の み 現 わ れ て い る。 グ ヴ ォ ズ ヂ ェ フ の ほ う は,こ の 言 葉 の 真 に 文 字 ど お りの 意 味 に お け る強 情 な 人 間 で あ る … … こ の よ うな 類 の タ イ プを ど こか ら拾 い 上 げ て く る の だ ろ うか?」 と書 い た 。 《週 間 》 付 録 文 庫(Ng9)の 書 評 は,『 乱 暴 者 』 は,こ の 短 編 の 中 に 「多 分,た くさ ん 生 れ つ つ あ るで あ ろ う」 タ イ プが 描 か れ て い る ゆ え に,「 若 干 の 興 味 」 を そ そ る と い う見 解 を 示 した 。JI.〔H.Φ.ニ コ ラ ー エ フ 〕 は,《 ロ シ ヤ 思 想 》(Ng 9)に,ゴ ー リキ イ が 「単 に 興 味 あ る ば か りで な く,最 も興 味 あ る」 作 家 で あ っ て,「 ロ シ ヤ 文 芸 の サ ロ ン の 中 に 新 しい 社 会 層 」 人 間 個 性 とい う唯 一 の 財 産 の ほ か に は な ん に も持 っ て い な い ,社 会 か らは み 出 した 人 々 の 階 層 (『チ ェル カ ッシ 』,『 コ ノ ヴ ァ ー ロ フ 』,『 乱 暴 者 』)を 導 き入 れ る こ とが 出 来 た こ と を 認 め た 。 しか し,『 乱 暴 者 』 の 怒 りは 「無 目的,無 思 想,非 文 化 的 で あ る 」 と結 論 づ け た 。
10月 『オ ル ロ フ夫 妻(デ ッサ ソ)』 が 《ロ シ ヤ 思 想 》(Ng10)に 掲 載 さ れ た 。
《サ ン ク ト=ペ テ ル ブ ル ク通 報 》(10月25日)に,H.ラ ドシ ス キ イ 〔B.K.
ペ テ ー ル セ ソ 〕 は,「 こ の デ ッ サ ン は い ろ ん な 意 味 で 大 き な ロ マ ン に 価 す る 。 この 作 品 は 社 会 の 中 に 多 くの,熱 烈 な 論 議 を 捲 き 起 こ して い る」 こ とを 強 調 した が,主 人 公 グ リゴ ー リイ ・オ ル ロ フ の 中 に 庶 民 的 タ イ プ の 厭 世 哲 学 者 の
(3)APXHBA.M.rOPbKoro・
九 十 年 代 批 評 に お け る ゴ ・ 一 リキ イ(松 本) (29)
姿 を 見,ま た コ レ ラ患 者 の バ ラ ッ クが 描 か れ て い る 場 面 に お い て は 作 者 が
「弱 小 な,苦 しみ 悩 む 兄 弟 へ の 奉 仕 に よ って 自 らの 罪 を 贈 う こ との 必 要 を 説 くみ じめ な 志 向 へ 」 後 退 して い る と 断 じた 。A.ス カ ビ ー チ ェ フ ス キ イ に, コ ノ ヴ ァ ー ロ フや グ ヴ ォ ズ ヂ ェ フ と と もに オ ル ロ フ を 「ロ マ ン チ ッ ク精 神 に お け る 自 己 分 析 的 哲 学 」 の 産 物 と規 定 し(《 祖 国 の 子 》11月7日),B.プ レ オ ブ ラジ ェ ン ス キ イ は,庶 民 の 中 に 「理 性 の 出 口」を 求 め る と こ ろ の,「 高 尚 な 精 神 的 需 要 と志 向 」 とが 生 き て い る こ とを 想 起 せ しめ る もの,と 評 した 。
《処 女 地 》(12月1日)でB.チ ュ イ コは,ゴ ー リキ イの デ ッサ ン を 「そ の 仮 借 な き真 実 」 と 「絶 望 的 ペ シ ミズ ム」 の点 で チ ェ ー ホ フ の 『百 姓 』(《 ロ シ ヤ 思 想 》Ng4,4月)と 比 較 し,作 家 の 中 に 「労 働 者 の 生 活 風 俗 」 の 描 写 を 専 門 とす る 「現 代 ナ ロ ー ドニ キ 」 の 見 地 を 証 明 しよ うと した 。 《 週 間 》 付 録 文 庫(」xrg11)は,グ リゴ ー リイ の 形 象 を 「人 民 出 身 の 失 敗 せ る ペ チ ョ ー リ
ン 」 と性 格 づ け て,否 定 的 評 価 を くだ した 。
ゴ ー リキ イ は こ の 頃,A.J【.ヴ ォル ィン ス キ イ宛 書 簡 に 次 の よ うに 書 い た,
「私 は も うす ぐに も,私 の 浮 浪 人 た ち わ が 《生 活 の 教 師 た ち 》 を 描 くの を 止 め ます 。 そ して,や は り私 が よ く知 っ て い る別 の 階 級 の 人 び と
くの
を 取 り上 げ ます 。」
11月 『か つ て 人 間 で あ った 人 び と(オ ー チ ェ ル ク)』(NgNg1〜2,10月 〜 11月)が 《新 しい 言 葉 》 に 掲 載 さ れ た 。
《ノ ー ヴ ォ ス チ 》(12月4日)に ス ク リー バ 〔E.A.ソ ロ ヴ ィ ヨ ー フ〕 は、
「プ ロ テ ス ト,こ れ こそ が ゴ ー リキ イ氏 の 描 写 す る浮 浪 人 の 心 理 を 理 解 す る た め の 鍵 た り う る 言 葉 で あ る」,し か し,「 プ ロ テ ス トの す べ て が も しも 浮 浪 人 心 理 に 起 因 す る とす る な ら,は な は だ 遺 憾 で あ ろ う」 と述 べ た 。 《ロ シ ヤ 通 報 》(11月12日)で はH‑T〔 イ グ ナe・ 一 一 一 ・トフ〕が,木 賃 宿 の 各 住 人 が 重 大 な 社 会 的 道 義 的 関 心 の 担 い 手 で あ る こ と を 意 味 づ け た 。 しか し,評 者 の 見
(4)TaM}Ke.
解 で は 「類 似 の タ イ プ は,す で に 数 え き れ ぬ ほ ど 多 く,わ が 文 学 の 中 に 姿 を 現 わ して い る … … 《抗 議 の 要 素 》 と して も,墜 落 の 最 低 段 階 に お け る
《神 意 の 火 花 》 の 保 持 を 証 明 す る も の と して も。」
11月 モ ス ク ワ で,リ ベ ラ ル=デ モ ク チ シ ズ ム傾 向 の 新 聞 《急 使 》(編 集 兼 発 行 人,H.A.フ ェ イ ギ ン)が 発 刊 さ れ,11月21日 付 け 同 紙 に はBE.プ レ オ ブ ラ ジ ェ ン ス キ イ に よ る最 初 の 文 学 批 評 展 望 が 掲 載 さ れ た 。 こ こに は 「新 し い 作 家 」 と して ゴ ー リキ イが 取 り上 げ られ た 。 評 者 は ゴ ー リキ イ の 主 人 公 た ち を 性 格 づ け て,・ これ は 「真 理 を 渇 望 して い る け れ ど,自 らの 中 に 彷 裡 す るカ へ の 理 性 的 出 口 を 発 見 し得 な い 」 反 逆 す る 自然 力 で あ る と し,彼 らに と っ て は 「単 な る個 人 生 活 の 充 足 に よ っ て は 満 足 で き な い 」の で あ っ て,「 社 会 的 本 能 と近 しい 人 び とへ の 奉 仕 と い う偉 業 へ の 志 向 」 が 生 来 的 に 彼 らに 備 わ っ て い る こ とを 強 調 した 。
12月rマ ー リ ヴ ァ(デ ッサ ン)』 が 《北 方 報 知 者 》(匙 施11〜12)に 掲 載 さ れ た 。
《ロ シ ヤ 通 … 報 》(11月11日)で はH‑T〔 イ グ ナ ・ 一 トフ〕 が,短 編 の 女 主 人 公 の 形 象 が 「女 性 の 心 の 中 に 高 ま る偉 業 へ の,お ぼ ろ げ な 志 向 」 を 示 す も の で あ る と指 摘 し,《 ロ シ ヤ 思 想 》(1918,」Vgl)は,マ ー1】ヴ ァの 形 象 に は
「力 つ よ い 手 に よ る 独 創 的 デ ッサ ン」 を 認 め るが,こ れ は 「目的 を 有 す タ イ プ で は な い 」 と評 した 。 《週 間 》 付 録 文 庫(Ng12)は,こ の 作 品 を 「デ カ ダ ン 派 人 民 主 義 」 の 系 列 に 数 え 入 れ た 。 短 編 の 自然 描 写 に 修 辞 の 過 剰 を 見 る 批 評 も い くつ か あ り,《 処 女 地 》(Ng23,12月1日)でB.チ=イ コ は,ゴ ー
リキ イ の 才 能 を 「新 しい 質 」 の も の と認 め た が,冒 頭 の 海 に つ い て の 描 写, と くに 「海 が 笑 っ て い た 」 と い う書 き 出 しに 注 目 し,こ の 表 現 を 「作 り も の め い た,わ ざ と ら しい リ リシ ズ ム」 と呼 ん だ 。
12月10日 宗 務 院 長 ポ ベ ドノ ス ツ ェ フを 議 長 とす る 四 大 臣 会 議 は,「 狂 信
的 社 会 主 義 者 の 巣 窟 」 《 新 しい 言 葉 》 の 閉 鎖 を 決 議 した 。 決 定 に あ た り,同
誌 の 文 芸 部 門 に 対 して 特 別 の 注 意 が 向 け られ た 。r文 芸 部 門 に お い て は,階
九十年代批 評に おけ る ゴー リキイ(松 本) (31)
級 闘 争 と労 働 者 の 貧 困 状 態 が 暴 露 的 に 表 現 され て い る よ うな 作 品 に 第 一 級 の 場 所 が 提 供 され て い る。 この 主 題 は,ゴ ー リキ イ(ペ ー シ コ フ の筆 名)の 才 能 あ る諸 作 品,『 コ ノ ヴ ァー ロ フ』 と 『か つ て 人 間 で あ った 人 び と』 に お い
くの
て と りわ け 鮮 明 に 制 作 さ れ て い る 。 」 同 誌 の 閉 鎖 に 関 連 して,ゴ ー リキ イ は ヴ ォ ル イソ ス キ イ に 書 い た,一 「私 は そ の教 義(合 法 マ ル ク シ ズ ム・ 引 用 者)に は 縁 もゆ か り もな い の で す が,雑 誌 の 中 に 存 在 す るそ の 教 義 へ の 索
くの
引 力 が 私 に は 気 に 入 っ て い ま した 。」
こ の年 の 文 学 現 象 に 関 す る総 括 の 中 で,多 く の 雑 誌 が デ カ ダ ン 派 の 衰 退 と チ ェ ー ホ フ の 『百 姓 』(《 ロ シ ヤ 思 想 》N餌 お よび ス ヴ ォ ー リソ 出 版 所 よ り単 行 出 版)の 出 現 を 歓 迎 す る とい う見 解 を示 した 。 これ と並 ん で,若 い 作 家 ゴ
ー リキ イ を チ ェ ー ホ フ ,コ ロ レ ン コ と の 比 較 に お い て 論 ず る批 評 が 現 わ れ は じめ た 。
《北 方 》(1898,Ng3,1月18日)で,陪 審 読 者 〔A.A.コ リン フ ス キ イ 〕 は,「 過 ぐ る年 は … … た だ ひ とつ の チ ェ ー ホ フ の 『百 姓 』 ば か りで な く,そ の 生 活 的 活 動 力 を 示 した … … と くに 大 き な 希 望 を 与 え る の は,M.ゴ ー リキ
イ の ペ ン ネ ー ム に よ っ て 署 名 す る と こ ろ の,あ る若 い 文 芸 家 で あ る。 よ うや く最 近,ど うに か 耳 に す る 程 度 の,こ の ペ ン ネ ー ムは こ の 七,八 ヵ月 の あ い だ に 完 全 な 市 民 権 を 受 け 取 った 」 と書 き,《 ロ シ ヤ 思 想 》(1898,施1)で は R.Φ.ニ コ ラ ー エ フ が,ま だ 書 き始 め た ば か りの ゴ ー リキ イ の 「力 つ よ い,
天 才 的 資 質 」 を コ ロ レ ン コの よ うな 成 熟 した 芸 術 家 と比 較 す る こ と は 尚 早 で あ ろ うが と前 置 き を して,「 両 者 に よ っ て 表 現 さ れ た 気 分 」 を 解 明 しよ う とす る。 「コ ロ レ ン コ氏 の 気 分 は 哲 学 的 で,冷 静 で,柔 軟 で,も の 悲 し く, 純 粋 に ヒ ュ ー マ ニ ス チ ッ ク で あ る … … ゴ ー リキ イ 氏 の 気 分 は,反 対 に,純 粋
(5)UrHA刀(UeHTpanbHblthroc.HcTopHqecKH藍apxHB).BKH.;JIeTonHcb }KH3HHHTBop・lecTBaA.M.ropblくoro.BNn.1,cTp.200.
(6)Apx肥A.M.ropbKoro.
に 男 性 的 で,つ ね に 落 ち 着 き な く,つ ね に 興 奮,情 熱 に よ っ て,時 に は 憎 悪 に よ っ て,満 た さ れ て い る … … そ れ は 《原 則 》 に 反 抗 して 暴 動 を 起 こす 雑 階 級 人 の タ イ プ を 描 い た と こ ろ の,ポ ミャ ロ ー フ ス キ イ の気 分 に 近 い 。」 ゴ ー リキ イ は 「同 じ よ うに 《 原 則 》 に 反 抗 す る浮 浪 人 ・失 業 労 働 者 の 描 き 手 で あ る 。」
1898年
2月28日 以 降 ゴ ー リキ イ は,C.H.ド ロ ヴ ァ トー フ ス キ イ に 宛 て 書 い た,
「序 文 を 書 き上 げ られ な い の が 悲 しい,し か し・ 出 来 な い の で す 。 や っ て は み て い る の で す が,で もね え,い つ も ま るで 私 が 誰 か に 拳 固 を 振 り上 げ る とか,喧 嘩 を 吹 っ か け る よ うに な っ て しま うの で す 。 そ うで な い と
ま る で 私 が 罪 を 犯 して,涙 な が らに 繊 悔 して い る よ うに 。 そ して,こ うい う こ とは 一 切,似 つ か わ し くな い と感 じ な が ら,私 は こ の 仕 事 を 投 げ 出 して し
くわ
ま い ま し た 。」
3月24〜31日 ゴ ー リ キ イ 作 品 集 『記 録 と 短 編 』 第 一 巻 刊 行(サ ン ク ト=ペ テ ル ブ ル ク,C.ド ロ ヴ ァ ト ・ 一・フ ス キ イ とA.チ ャ ル ー 一シ ニ コ フ 出 版 所,1898, 部 数3,000)。 本 巻 は,ゴ ー リ キ イ が 自 分 の 「二 番 目 の 教 師 」 と よ ん だ,ニ ジ
ェ ゴ ロ ー ト の 弁 護 士A.H.ラ ー ニ ソ に 献 ぜ ら れ た 。 収 録 作 品 『チ ェ ル カ
ッ シ 』,『 鷹 の 歌 』,『 筏 の 上 で 』,『 ト ス カ 』,『 ザ ズ ー ブ リ ナ 』,『 ア ル ヒ ー プ 爺 さ ん と リ ョ ー ニ カ 』,『 退 屈 ま ぎ れ に 』,『 乱 暴 者 』,『 マ カ ー ル ・チ ュ ー ド ラ 』,
『オ ル ロ フ 夫 妻 』。 以 上 十 篇 。
4月16〜23日r記 録 と 短 編 』 第 二 巻 刊 行(同 前,部 数3,500)。 本 巻 は,サ マ ー ラ 時 代 の ゴ ■ 一 一 一リ キ イ の 知 人 ,M.C.ポ ゼ ル ン 夫 人 に 献 ぜ ら れ た 。 収 録 作
品 一一 『コ ノ ヴ ァ ー ロ フ 』,『 マ ー リ ヴ ァ 』,『 ゴ ル ト ヴ ァ の 定 期 市 』,『 マ ヒ ワ に つ い て 』,『 エ メ リ ヤ ン ・ ピ リ ャ ー イ 』,『 イ ゼ ル ギ リ 婆 さ ん 』,『 暖 野 で 』,
(7)C.c.,T.28,CTP.21.
九十年代批評 におけ る ゴー リキイ(松 本) (33)
『あ や ま ち 』。 以 上 十 篇 。
ゴ ー リキ イ の 最 初 の 作 品 集 刊 行 は 読 書 界 に 巨 大 な 反 響 を 捲 き起 こ した 。4 月20日,ゴ ー リキ イ は ド ロ ヴ ァ ト・ 一 ・ 一フ ス キ イ に 宛 て 書 い た,「 私 の 作 品 に 対 す る読 者 の 態 度 は,ど うや ら私 も ち ゃ ん と した も の を 書 け そ うだ と い
くの
う確 信 を 私 の 中 に 強 め る も の で す 。」 しか し,そ の 後,数 多 くの,た が い に 矛 盾 し合 い,多 分 に 専 断 的 な 見 解 が 入 り混 じ る批 評 が 現 わ れ,作 家 を 批 評 的 騒 擾 の 増 塙 の 中 に ひ きず り こん だ 。10月8〜9日,ゴ ー リキ イ は Φ.几 一く一 一
チ ュシ コ フ に 宛 て 書 い た,「 私 が 正 しい の か,そ うで な い の か しか し,現 に 存 在 す る 批 評 に は た だ 好 奇 心 の み を も っ て対 応 して い ます,そ れ は 別 の 態 度 に は 価 しな い と確 信 し ます 。 これ は 傲 慢 で は あ り ませ ん,早 くい え
くの
ば 一 悲 しい 事 実 な の で す 。」
最 初 の 批 評 的 反 響 は,作 品 集 第 二 巻 刊 行 の 一 週 間 後 に 現 わ れ た 。 《祖 国 の 子 》(5月1日,8日)にA.ス カ ビ ■ ・ 一 一 ・ チ ェ フ ス キ イ は 書 い た 。 「ゴ ー リキ イ 氏 の 短 編 そ れ ぞ れ が,そ れ 自体,ド ラ マ チ ッ ク な 題 材 と均 整 の とれ た,調 和 の あ る,発 達 した も の を 内 包 して,一 つ の 完 結 した 世 界 を 形 づ く る 。」 しか も,芸 術 性 と傾 向性 とは 妨 害 し合 う こ とな く,た が い に 補 強 し合 っ て い る。
た だ 一 つ 欠 点 を 挙 げ る な ら,そ れ は 主 人 公 の 「理 想 化 」 で あ る。 批 評 家 は, ゴ ー リキ イ の 主 人 公 た ち が しば しば 表 明 す る 農 民 に つ い て の 侮 蔑 的 見 解 の ゆ え に,作 家 を 「ネ オ ・マ ル ク シ ズ ム」 の 宣 伝 者 とす る一 連 の 批 評 に 反 対 し, も し彼 が マ ル ク シ ス トで あ っ た とす れ ば,「 わ れ わ れ は 彼 か ら農 村 の 百 姓 た ち の か わ りに,工 場 労 働 者 の 若 干 の 理 想 化 を 期 待 し得 た で あ ろ う。 しか し, 諸 短 編 の 中 に わ れ わ れ が 類 似 の もの に 出 会 う こ とは な い!ゴ ー リキ イ 氏
は 工 場 の 生 活 風 俗 に は ぜ んぜ ん 触 れ て い な い 」 と述 べ た 。 『マ ー リヴ ァ』 と
『チ ェル カ ッシ 』 に 対 して は,批 評 家 は 「都 会 と工 場 が 人 民 に 及 ぼ す 堕 落 的 影 響 」 とい う観 点 か ら吟 味二 して い た 。 《処 女 地 》(5月21日)で は 象 徴 派 詩 人
(8)C.c.,T.28,cTp.23.
(9)TaM)Ke,CTP.32.
H.ミ ー ソ ス キ イ が 執 筆 し,ゴ ー 一 …リキ イ の 作 品 の 中 に 「強 者 の 権 利 の伝 道 」を 見,そ の 主 人 公 た ち の 中 に は 「善 と悪 に つ い て の 古 い 観 念 の 枠 の 中 で は 窮 窟 で あ る と こ ろ の 」,「 あ る新 しい 地 方 的 ニ ー チ ェ主 義,ア ゾ フ海 沿 岸 的 デ モ ニ ズ ム の伝 道 者 で あ る超 人 浮 浪 者,超 人 放 浪 者 」 を 見 よ う と試 み た 。 ゴ ー リキ イ の 大 胆 さ と 自立 性 とを 高 く評 価 し賞 讃 しな が ら,ミ ー ソ ス キ イ は,本 質 的 に は,「 地 上 生 活 の超 越 」,「 彼 岸 へ,神 の 世 界 へ の 復 帰 」 とい う デ カ ダ ン的 象 徴 主 義 を 唱 道 す る 自分 の 陣 営 の 中 に ゴ ー リキ イ を 引 き入 れ よ う とす る も の で あ っ た 。(ゴ ー リキ イ の 「ロマ ン チ カ 」 を 正 統 リア リズ ム の 「異 端 」 と見 る傾 向 は,ミ ー ン ス キ イ に か ぎ らず,こ の 時 代 に は 多 くの 批 評 家 の 中 に 存 在 して い た 。)《神 の 世 界 》(Ng7)に お け るA.B.〔 ボ グ ダ ー ノ ヴ ィチ 〕 の 論 文 は,ゴ ー リキ イ に 対 す る ヨ リ深 い 理 解 を示 して い た 。 「ゴ ー リキ イ 氏 の 作 品 の 中 に は 澄 刺 た る気 分,独 立 独 歩 の 誇 らか な る も の が 感 じ られ る 。 この こ と に よ っ て,こ れ ら の 作 品 は 貧 困 と排 斥 に よ る 同 じ世 界 を 取 り上 げ た 他 の 作 者 た ち の 記 録 小 説 か ら決 然 と き わ 立 っ て い る」。 さ らに ボ グ ダ ー ノ ヴ ィチ は,
ゴ ー リキ イ が 浮 浪 人 を 理 想 化 して い る とい う一 般 に 流 布 さ れ て い た し,な が く改 め られ な か っ た 見 解 に 反 駁 を 加 え,ゴ ー リキ イ に と っ て は 「か つ て 人 間 で あ っ た 人 び と」 は 社 会 の 屑 で あ る け れ ど,し か し 彼 らの 「不 安 な 魂 」 を
「彼 は 公 然 と関 心 を 向 け て 描 き 出 した の だ 」 とい う理 解 を 押 し出 して い る 。
《ロ シ ヤ 通 報 》(8月22日)で は,H‑T〔 イ グ ナ ー トフ〕 が,ゴ ー リキ イ の 主 人 公 た ち の 中 に は 「善 へ の,真 実 の モ ラ ル へ の,大 い な る正 義 へ の,悪 の 絶 滅 に つ い て の配 慮 へ の 志 向 が あ る 」 と強 調 し,ゴ ー リキ イ の浮 浪 人 の タ イ プ
を 分 類 した 一 懐 疑 論 者,正 義 の た め に た た か うエ ネ ル ギ ッ シ ュな 闘 士,不 幸 な 真 理 探 求 者 の 三 つ の タ イ プ で あ る。 《ロ シ ヤ 思 想 》(Nb7)の 書 評 も ゴ ー
リキ イ の 主 人 公 た ち に つ い て触 れ,「 こ ん な ふ うに 生 き て は な ら な い 彼
ら 自身 ば か りで は な く,彼 らに 似 た と こ ろ の あ る 人 び との 階 級 全 体 に と っ て
も」,「人 び と の 生 活 慣 習 の 中 に あ る き わ め て 本 質 的 な,基 本 的 な も の を 変 え
る必 要 が あ る,し か し何 を 変 え な け れ ば な らぬ か,彼 らは 自 分 の 理 知 に よ っ
九十年 代批評 におけ る ゴー リキイ(松 本) (35)
て は 会 得 で き な い 」 と述 べ た 。
《ロ シ ヤ の 富 》 は,ま ず 第 七 号 の 書 評 で ゴ ー リキ イ の 作 品 集 を 取 り上 げ た,
「初 め か ら終 わ りまで ロ マ ン チ ス トと して と ど ま りつ つ 」,「 ま った く同 一 の 理 念 完 全 か つ 絶 対 の 自 由 へ の 自然 発 生 的 志 向」 を 描 き な が ら ,ゴ ー
リキ イ は,浮 浪 人 で は な い 「定 住 民 」 や,生 活 変 革 の積 極 的 プ ロ グ ラ ムに は あ ま り注 意 を は らわ な い 。 寓 話 『マ ヒ ワ に つ い て 』 は そ う した プ ロ グ ラ ム の 不 安 定 さ に つ い て 語 る もの で あ る,と い うの で あ る 。 つ づ い て 第 九 号 と第 十 号 に は,雑 誌 の 編 集 主 幹H.K.ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ の 二 つ の論 文 が 掲 載 さ れ た 。 第 一 論 文 「マ ク シ ム ・ゴ ー リキ イ氏 と そ の 主 人 公 た ち に つ い て 」 の 中 で,ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ は,「 彼 の 短 編 集 二 巻 本 は,そ れ 自体 と して,完 全 に ま と ま っ た も の で あ る。 そ の 上 に,こ れ は 芸 術 的 享 楽 を も,思 索 の た め の 滋 養 を も提 供 す る こ とが 可 能 な も の で あ る」 とい う一 般 的 評 価 を 与 え,(i) 作 者 の 思 想 傾 向 に つ い て は,「 産 業 の 進 歩 を,そ うあ る べ き も の と して,歓 迎 す る よ うな オ プ チ ミス トた ち の数 に は 含 め られ な い 」 と して,ゴ ー リキ イ を ス トル ー ヴ ェの よ うな 合 法 マ ル ク シ ス ト た ち か ら 区 別 し,作 家 の 課 題 が
「農 村 と都 市 と の 粗 雑 な 対 置 か ら遠 く離 れ た と こ ろ に あ り」,ゴ ー リキ イ の 主
人 公 た ち に と っ て 「百 姓 と 農 村 生 活 へ の 深 い 侮 蔑 」 が 生 来 的 で あ る に せ よ
(『チ ェル カ ッ シ 』,『 マ ー リヴ ァ』 な ど),作 者 と主 人 公 た ち が そ の よ うな 侮
蔑 を も っ て対 す る の は,資 本 主 義 化 さ れ た 農 村 で あ り,資 本 主 義 文 明 の 多 く
の 側 面 に 対 して で あ る,と 述 べ た 。(ii)主 人 公 の 形 象 に つ い て は,ゴ ー リキ
イ の 描 く浮 浪 人 は つ ね に 「詩 人 ・哲 学 者 」 で あ り,こ の 階 級 の 特 徴 で は な い
と こ ろ の,「 作 者 自身 の 非 常 に す ば ら しい 言 葉 」 で 語 っ て い る 非 典 型 的 形 象
で あ る。 ゴ ー リキ イ が 浮 浪 現 象 の 社 会 的 原 因(資 本 主 義 化 と 現 代 農 村 の 分
解)を 明示 せ ず,自 分 の 主 人 公 た ち を 「極 端 な個 人 主 義 者 」 と して 描 い て い
る とい う こ とで,ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ は 作 者 を 批 判 した 。 第 二 論 文 「ふ た た
び マ ク シ ム ・ゴ ー リキ イ氏 とそ の主 人 公 た ち に つ い て 」 に お い て ミハ イ ロ ー
フ ス キ イ は,ロ シ ア 文 学 が ゴ ー リキ イ の 登 場 に よ っ て 獲 得 した と こ ろ の 「大
き な 芸 術 的 力 」 に つ い て 高 い 評 価 を 与 え,そ れ と と も に,ゴ ー リキ イ を ニ ー チ ェ流 の 「力 の讃 美 者 」 と見 る見 解 を 打 ち 出 し,こ れ が 当 時 に お け る ゴ ー リ キ イ観 に 基 準 的 判 例 を 与 え る も とに な っ た 。 彼 の 見 解 に よ れ ば,ゴ ー リ キ イ の 「哲 学 す る浮 浪 人 」 が 有 す る若 干 の 理 念 は ニ ー チ ェ的 モ ラ ル か ら発 す る も の で あ り,そ れ ゆ え に 「ゴ ー リキ イ の 創 造 に お け る デ カ ダ ソ 主 義 」 とい う結論 が 生ず る。 ゴ ー リキ イの主 人公 た ち はす べ て 「理 想 化 さμ て,泥 浮 の 中 か ら洗 い 浄 め られ た 浮 浪 人 の 肖像 の 画 廊 」 と して 把 握 さ れ,ロ マ ン チ ッ ク 寓 話 も同 じ意 味 で の 理 想 化 に ほ か な らず,『 イ ゼ ル ギ リ婆 さ ん 』 に お け る ダ ン コ と ラ ル ラ は 対 立 す る性 格 で は な く,「 生 へ の 貧 欲 」,「 何 も の に よ っ て も 制 限 され る こ と な き 自 由 へ の 志 向 」,「宿 命 的 孤 独 と非 社 会 性 」 とい う共 通 の 特 徴 を もつ も の と して 同 一 の 範 疇 に 含 め られ た 。
ゴ ー リキ イ は,ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ の 二 つ の 論 文 の 出 現 が 注 目す べ き事 件 で あ る こ とを 理 解 して い た 。 八 十 な い し九 十 年 代 に お け る ロ シ ヤ ・イ ン テ リ ゲ ソ ツ イヤ の 「思 想 界 の 帝 王 」 と して の 彼 の権 威 は,九 十 年 代 後 半 に お い て は マ ル ク シ ス トと の 論 争 に よ っ て 揺 ら ぎ始 め て い た け れ こ も,文 学 界 に お い て は 依 然,一 つ の,大 き な 規 準 とな っ て い た の で あ る。11月 末,ゴ ー リキ イ は コ ロ レ ソ コ に 宛 て 書 い た,「 ニ コ ラ イ ・コ ン ス タ ソ チ ノ ヴ ィチ が 私 に
つ い て 書 い た と 知 っ た と き,心 臓 が ドキ ン と し ま した 。 《これ は 仕 返 しだ 》 と考 え ま した 。 彼 は 私 の 中 に 注 意 に価 す る,満 足 に さ え 価 す る も の を 認 め て い る ら しい … … 私 は,彼 が も っ と厳 しい 態 度 で 私 を 扱 う も の と思 っ て い ま し た … …H.K.に 何 か 非 常 に い い 言 葉 を 述 べ た い も の で す 。 で も,出 来 ませ ん 。 あ りが と う,と 言 うべ き で し ょ うか?で も,何 の た め に そ れ を 彼 に?私
く
に した と こ ろ で,そ ん な も の は 不 要 で す か らね 。」
⑩ か つ て ゴ ー リ キ イ は 《サ マ ー ラ 新 聞 》(1895年4月18日)に,ミ ハ イ ロ ー フ ス キ イ の ネ ク ラ ー ソ フ 論 を と り あ げ,こ の 論 文 に か な り強 い 調 子 で 否 定 的 見 解 を 表 明 し た 。 こ の こ と に 関 連 し て ゴ ー リキ イ と コ ロ レ ン コ の あ い だ に 書 簡 の 往 復 が あ っ た 。 前 掲 拙 稿,33〜39ペ ー ジ 参 照 。
(11)C.c.,T.28,cTp.48.
九十年代批 評におけ る ゴー リキイ(松 本) (37)
保 守 派 の 新 聞 《モ ス ク ワ通 報 》(10月10日)も ゴ ー リキ イ の才 能 を 否 定 す る こ と は で き な か っ た 。 しか し,彼 の 創 作 の 扱 い 方 は き わ め て 独 特 で あ っ た 。A.バ サ ー 一 一 ・ ・ ル ギ ン 〔A.H.ヴ ヴ ェヂ ェ ン ス キ イ〕 は ゴ ー リキ イ を 「憂 愁
と退 屈 の歌 い 手 」,『鷹 の 歌 』 を 「ブ イ リー ナ 時 代 の 魅 惑 的 な模 倣 」 と よ び, 彼 の 作 品 を ス ラ ヴ主 義 の 精 神 に お い て 解 釈 し よ う と した 。 ゴ ー リキ イ の 主 人 公 た ち の トス カ は,経 済 的,社 会 的,一 般 的 理 念 と共 通 す る も の は な ん ら な い,つ ま り,「 工 場 の 騒 音 に よ っ て 」 そ の 精 神 生 活 を 圧 殺 され た 「西 欧 人 」 が 塗 り こめ られ た 粗 雑 な物 質 万 能 的 世 界 と共 通 す る も の は な い の で あ っ て,
「生 活 脱 出 とい う ロシ ヤ 人 の 禁 欲 主 義 的 志 向 に よ っ て 呼 び 起 こ され た 」 とい うの で あ る 。
ゴ ー リキ イを 比 較 的 に 良 く理 解 して い たB .ポ ッセ は 《教 化 》(Ng11)に
「抗 議 す る憂 欝 の 歌 い 手 」を 発 表 し,ゴ ー リキ イ の 主 人 公 た ち の トス カ は 「行 動 的 な,抗 議 す る 憂 欝 で あ り,無 力 か ら生 じた の で は な く,自 ら の うち に 理 性 的 出 口を 発 見 で き な い た め に 力 の 余 剰 か ら生 ず る憂 欝 で あ る」 とい う理 解 を示 し,ゴ ー リキ イ を 「第 一級 の 才 能 を 有 す る芸 術 家 一 プ ロ レ タ リア ー ト の 代 表 者 」 と よ ん だ 。 しか しポ ッセ は,浮 浪 人 と プ ロ レ タ リア ー トと の あ い だ の 本 質 的 な ち が い に は 眼 を 向 け ず,ま った く同 一 の も の と して 扱 っ て い た し,ま た,あ た か も ゴ ー リキ イ に と っ て は 「道 徳 と力 」 が ほ とん ど 同 義 語 で あ る とい う彼 の 断 言 は,作 家 を ニ ー チ ェ主 義 の 使 徒 とす る ミハ イ ロ ー フ ス キ イ の 見 解 に そ う遠 くへ だ た っ て は い な か った 。
A.ヴ ォ ル イソ ス キ イ は,1899年4月 に 出 た 《北 方 報 知 者 》(施10〜12)で ゴ ー リキ イ の 作 品 集 を 取 り上 げ,そ こに 「イ プ セ ン 的,ニ ー チ ェ的 思 想 の反 射 」 を 見 た 。 彼 は 作 者 の 才 能 を 全 般 的 に 高 く評 価 した が,と くに 主 人 公 た ち の 形 象 に つ い て は,「 飢 え て,貧 困 な,し か し 完 全 な 独 立 性 に よ っ て 誇 り高 く,一 種 の 世 界 的,全 人 類 的 詩 情 に み た さ れ た 人 間 の タ イ プ か か る タ イ プ は これ ま で の 文 学 に は 存 在 しな か った 」 とい う注 目す べ き 発 言 を した 。
M.プ ロ トポ ー ポ フ は,《 ロシ ヤ 思 想 》(1899,NgNg5〜6)に 「破 滅 す る
力 」 を 発 表 した 。 人 民 主 義 の理 念 に 立 つ こ の 批 評 家 は,ゴ ー リキ イ の 中 に は
「一・ 定 の 理 想 」 が 欠 如 し,そ の 思 想 は 宿 命 論 的 で,寂 静 主i義の 底 で 低 迷 して い る と論 じた 。 彼 は さ ら に,浮 浪 人 の 形 象 を 分 析 して,そ こ に は ワ ー シ カ ・
ブ ス ラ ー エ フか ら流 れ 出 る反 乱 者 ・破 壊 者 の 系 譜 が 見 当 た る が,大 地 の 建 設 者 ・創 造 者 で あ る イ リヤ ・ム ー ロ メツ に つ づ く 形 象 が 不 在 で あ る,と 嘆 い た 。 ゴ ー リキ イ が 描 く 「か つ て 人 間 で あ っ た 人 び と」 は,批 評 家 に よれ ば, 破 壊 に しか 役 立 ち 得 な い と ころ の,「 軌 条 か らは ず れ た 機 関 車 」 で あ っ た 。
これ に 対 して 反 駁 を 加 え た の は,《 急 使 》(1899年7月26日)の リ ャ ー ル
〔A.C.ス ク リ ャ ー ル 〕 の 論 文 で あ る,一 「プ ロ トポ ー ポ フ氏 は ゴ ー リキ イ 氏 が 宿 命 論 者 だ と きめ つ け る 。 わ れ わ れ が 思 うに は,ゴ ー リキ イ氏 は 反 対
に,積 極 的 力,エ ネ ル ギ ー,主 体 的 活 動 の 崇 拝 者 だ 。 プ ロ トポ ー ポ フ氏 は, 寂 静 主 義 の哲 学 を 伝 道 して い る と断 じて い る が,わ れ わ れ が 思 うに は,彼 は 反 対 に,積 極 的 創 造,行 動 的 愛 の 哲 学 を 伝 道 して い る の だ … … ゴ ー リキ イ氏 の 哲 学 が ま さ し く寂 静 主 義 の伝 道 と対 立 す る の だ と い う こ とを 信 じ る た め に は,せ め て 『鷹 の 歌 』 で も 思 い 出 す だ け で 充 分 で あ る。 わ れ わ れ の 見 る と こ ろ で は,ゴ ー リキ イ氏 の 天 性 は 高 度 に 情 熱 的 で,胸 を お ど らせ つ つ 真 理 を 探 求 し,嘘 と生 活 の 俗 悪 に 対 して 永 遠 的 に 抗 議 す る と こ ろ の も の で あ る 。」
5月 中 編 『ヴ ァ ー レ ニ カ ・オ レ ー ソ ヴ ァ』 が 《北 方 報 知 者 》(NgNg3〜5) に 掲 載 さ れ た 。 小 説 の 最 初 の 部 分 が 発 表 され る と,出 版 事 業 監 督 局 は 「特 定 階 級 身 分 全 体 に 対 す る 侮 辱 的 嘲 弄 が 結 論 づ け られ る よ うな 」 作 品 の 発 表 を 許
く
さ ぬ とい う検 閲 規 則 を 侵 害 す る も の と して これ に 強 い 関 心 を 示 した 。 そ の 結 果,内 務 省 は4月18日 付 け で,《 北 方 報 知 者 》 編 集 者 に対 し 「有 害 な 傾 向 の た め に 」 最 初 の警 告 を 発 した 。 こ の こ とに 関 連 して ゴ ー 一 一 一リキ イ はA.ヴ ォ ル ィン ス キ イに 書 き送 っ た,「 警 告 お め で と う。 第 四 号 の こ とで あ な た は 叱 られ ます ね … … しか し,神 よ!『 ヴ ァー レ ニ カ 』 が な ん と不 用 意 に 印
⑫K.MypaToBa.HoBhlelleH3YpHbleMaTepllanbloM.FopbKoM.《3Be3Aa》, 1941,N96,cTp.178.
九 十 年 代 批 評 に お け る ゴ ー リキ イ(松 本) (39) 刷 さ れ た こ とか,あ な た の も とに は な ん とい う仕 末 に お え ぬ コ レ ク シ ョ ソが で き た こ とか 。」 同 じ く小 説 の 主 題 に ふ れ て は 「私 は こ の 中 で,文 化 と
くユヨ
理 知 の 人 間 を 単 純 な 心 と感 情 の 人 間 に,無 力 を 力 に 対 置 した か った の で す 。」
中 編 の 評 価 に お い て は 否 定 的 見 解 が 多 か った 。 《週 間 》 付 録 文 庫(,N痘5) の 書 評 「ロ シ ヤ の 出版 よ り。 独 創 的 デ カ ダ ン ス 」 は,作 者 が そ の 口 を 通 じ て も の が た る女 主 人 公 の 性 格 ぽ 作 為 的 で あ り,結 末 の 場 面 は 「好 色 文 学 的 」 で あ る と きめ つ け た 。 《カ フ カ ー ス》(5月12日,6月23日,B.J【.〔 ヴ ェ リー チ ユ 〕),《 急 使 》(6月8日,B五.プ レ オ ブ ラ ジ ェ ン ス キ イ),《 新 時 代 》(8月 21日,B.ブ レ ー ニ ン)の 各 紙 も ほ ぼ 同 じ見 解 を 表 明 した 。 こ う した 見 解 を い っ そ う発 展 させ た の は 《ロ シ ヤ 思 想 》(施7)のrl.Φ.ニ コ ラ ー エ フ の 論 文 で あ る。 彼 は 中 編 の もつ 「毒 素 」 に つ い て 書 い た 。 彼 に よれ ば,ゴ ー リキ イは 「文 化 そ の も の を 信 じ な い で,そ の か わ り,自 然 の威 力,真 実,美 を, 自然 の 力 を フ ァ ン タ ス チ ック な 熱 意 を こ め て 信 じ て い る 。」 と は い え 彼 は ゴ ー リキ イ の 才 能 を 認 め ,そ れ が 「男 性 的 で,事 業 へ の 呼 び か け を 渇 望 す る, 燃 え た ぎ る積 極 的 」 才 能 で あ る と よ ん だ 。
肯 定 的 反 響 を 代 表 す る の は,《 祖 国 の 子 》(8月14日)のA.ス カ ビ ー チ ェ フ ス キ イ で あ る。 「す べ て の 非 常 に 才 能 ゆ た か な も の と同 様,ゴ ー リキ イ氏 の 小 説 は,そ の 生 命 力 に よ っ て,新 鮮 さ に よ っ て,さ ら に そ う 言 い た け れ ば,革 新 性 に よ っ て … … 文 学 慣 習 か らの 大 胆 な 逸 脱 に よ っ て,諸 君 を 驚 倒 さ せ る」,「 こ の こ と の 中 に は,輝 か しい 進 歩 的 よ そ お い の 下 に ま った くの 道 義
・ 的 堕 落 が しば しば 秘 め られ て お り
,反 対 に,み す ぼ ら しい 未 発 達 性 と暗 い 迷 妄 と が 自己 の うち に,更 新 せ る 人 間 性 の 高 価 な 真 珠 を 内蔵 して い る とい う, 人 生 の 皮 肉 と戯 れ が 提 示 さ れ て い る の だ 。」
5月7日 未 明 ゴ ー リキ イ は ニ ー ジ ニ イ ・ノ ー ヴ ゴn 、トで 逮 捕 され,憲 兵 に よ りチ フ リス に 護 送 され,5月28日 まで メ テ フ城 砦 監 獄 に 拘 禁 され た 。 ゴ
㈹APXHBA.M.rOPbKoro.